ダーク・ファンタジー小説

Re: Reproverse ( No.2 )
日時: 2021/02/03 15:02
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: 9ccxKzNf)


「ま、うだうだしてても仕方ないか」

 どうやって迷い込んだのかも分からず、どうやって帰ったものかも分からない。そんな未知の場所に放り出された彼はというと、爪を噛んだままじっとしていた。悪い夢だと信じたかったということもあるのだろう。だが、状況は変わらない。先ほどずっと走っていた時の苦しさが、これが夢なんかではないと告げていた。少なくとも私は、今自分が置かれた状況が現実だと嫌でも納得していた。走っている内に割り切ったということもあるだろう。
 だが、つい先ほどその現実を知った目の前の彼はというと、すぐには受け止めきれないようだった。絶望しているようには見えないが、冷静さを保っていられる訳では無いようで、焦りと呆気にとられたのが半々のような落ち着かなさだった。

「もし、だ。帰る方法が万が一にあるとすれば、それは何だと思う」

 彼曰く、自分はそのリプロヴァースに詳しくないから私の見解が頼りだとか。私もまだ研究者ではなく学生の身分であり、確かなことは何も言えない。だが、一応リプロヴァースに関しては一日の長がある。そのため、ある程度状況を改善、解決するためのアイデアはあった。
 歴史の再現、仮想現実による検証というと大きすぎる話に聞こえるが、その実態はシミュレーションだ。機械によって再生された一連の流れに過ぎない。

「おそらくリプロヴァースが停止することね。一応機械だから、機能を止めればどうにでもなる」
「なるほどな、外側の連中がこの状況に気づいてくれれば……」
「それは無理、諦めて」

 おそらく、現実から仮想世界に飛び込んでしまった人間がいるとさえ分かれば、大人や権力者というのはある程度行動に移してくれると思っての事だろう。特に不始末を厭(いと)い、借りを作ることで信頼を得ようとする帝国軍人的な教育を受けている彼ならば仕方ない。
 だが、わざわざセントラルなんかに集まってくる、学者たちにその考えは通じない。探求欲と好奇心だけは人一倍強いろくでなし、それがセントラルで数十年研究を重ねた教授たちだ。

「おそらく、面白がって観察を続けるに決まってる。もしくはこのサンプルを基に、自分達も同様にリプロヴァース内で直接歴史に触れようと画策するに違いないわ。私だってそうするもの」
「あー、そういやそういう奴らの巣窟だったな。……俺の知り合いも似たようなもんだったよ」
「それに、どのみち私達が見つかる可能性は限りなく低いわ」

 リプロヴァースは人間が創り出した文明の中でも特別な技術の一つで、わざわざ科学と魔法両方の最先端技術を用いて構築された人類最大の発明とも言われている。歴史の検証だけではなく、未来の推測さえも後には行えるであろうと考えられている。それほどまでに優れているのは、膨大なデータの処理をこなすことができることに由来する。
 当時の再現した歴史上に住む、有象無象の町民たちにさえ個性を与え、その行動をシミュレートする。言うなれば、国家という一つの大きな生物を細胞レベルで厳密に動かすことができる。

「砂漠の中から砂金を見つけるようなものよ。しかも、砂金が紛れ込んでいると意識していない状態で」
「確かに……。でもそれなら、歴史上の要人のところに行けば、目に留まる可能性が高くないか?」
「言ったでしょ。見つかったところで経過観察対象になるだけ。そんなことしたら謀反の疑いでもかけられて殺される可能性だってある」

 これが再現した歴史の検証であれば、史実におけるターニングポイントは見逃せないはず。そう思っての提案だったようだが、私はその考えを否定することしかできなかった。今回イレギュラーな因子として私達がこの歴史を乱しても、リプロヴァースのプロジェクトとしては妖精期の再現をやり直せばそれで済む。むしろこのイレギュラーの進展の方が今後の発展に役立つはずだ。

「じゃあ打つ手なしじゃねえか。しかも、ここの世界で死んだらどうなるのかも分からない状況だろ」
「そもそも私達の意識だけ放り出されたのか、肉体がそのまま取り込まれたのかも分からない以上、ここでの死は絶対に避けるべきよ。むしろ本当の死が待っていると考えるべきね」

 あくまでもゲームではなく、自分の目の前の現実として、千年前の大陸情勢と向き合わねばならない。だが、今シミュレートしている時代は四分した国土同士が領土を奪い合う戦争の時代だ。何かにつけて戦火に巻き込まれる可能性は否定できず、疑わしきは処刑されても不自然ではない世界情勢。
 だが私は、彼の言葉をもう一つ否定せねばならなかった。それは何も、これ以上悪い状況を突き付けるための否定では無かった。むしろ、前向きに向き合っていくための一つの提案であり、このリプロヴァースから現実へと帰還するための条件だ。

「打つ手がない訳じゃないわ。生き残っていればそれで大丈夫。リプロヴァースは何も無理やりシステムダウンしなくても、検証が終了すればシミュレーションは終わる。それまで生き延びれば逆に教授陣にとって私達は、有益な情報が得られるサンプルになる」
「つまり、歴史の再生が終わった時点で、それまでとは対照的に俺たちは『何が何でも現実世界へサルベージしなくてはならない存在』になれる、ってことか」

 それならするべきことがシンプルに決まると、ようやく彼の中から焦りはなくなったようだった。焦燥に駆られても、落ち着きを保てるような精神力を元々有していたようだったが、先ほどまではまるで心の余裕が感じられなかった。しかし今は、非常にリラックスした表情に変わっている。

「でも待てよ、もしかしたら年単位で検証されるのか」
「いえ、そんなに長くないわ。私達の感覚からするとそれでも長いけれども、長くて後三か月といったところ」
「何でそんなことが分かるんだ?」
「先月報告された資料によると、もうリプロヴァース内部では北の国では産業革命が起き、西方の王国に仕える神官が招聘されて、精霊と別れを告げたとされていたから。これを機に、一年以内には大陸全土が妖精と決別したとされる文献が残ってる」
「じゃあ一年弱じゃないのか、何で三か月なんだ」
「この中だと、圧縮された時間が流れてる。今回の再現史の圧縮理論値で計算するとおそらくその程度よ」
「妖精期の終わり際ってことは、八十五か年戦争を短期間で観測するために元々早送りしてたってことか」
「そう。でも本来ならもっと急ぎで再生するんだけどね。でも妖精期はあまりに文献が足りていなくて、検証したいことが山ほどある。だからできるだけゆっくり再現してるけど、それでも歴史の一ページは途方もなく長いわ」

 一先ず今、私達は圧縮された時の中に放り込まれた以上リプロヴァース内の時間を生きなければならない。現実世界では数日の出来事ではあるが、私達はきちんと三か月間生き延びねばならない。
 この人は知っているのだろうか。歴史を研究している者の中では、その三か月の期間が史上最悪の百日と幾度となく揶揄されていることを。

「三か月、生き延びる。そんなの普段なら当たり前のことだってのにな」
「そうね。でもこの頃生きてきた人たちにとってはそれが難しいことだったみたい」

 そういった意味では、初めに追いかけられこそしたものの皇国に飛ばされたことは幸福だと言えた。いつどこが戦場になるか分からないこの時代、他国と違い鎖国を行っており、厳密な関所を設けていた皇国だからこそ、不意の戦火に巻き込まれる心配はなかった。
 だが、私達は不審な二人組として追われることには違いないため、楽観視もしきれない訳ではある。それは警吏との駆け引きなのか、軍隊に所属する者からの逃走劇なのかは判然としないが、どちらにせよリスクは非常に高い。生死不問の御尋ね者にでもなってしまえば、どこへ逃げても追手を逐一警戒せねばならない。
 この時代の全てが私達を捉える監視網を形成する。そんな危機的な状況だというのに、何故だか歴史が私と向き合ってくれているようにも感じられて。

「お前、何でニヤついてるんだ?」
「えっ?」

 歴史バカの私にとってそれは、どこか誇らしさも感じられてしまった。

「どうせなら一蓮托生だ、一緒に生き延びよう。級友からそう呼ばれているから、俺のことはハルと呼んでくれるとありがたい」
「ハル、ね。あだ名なの?」
「本名がハルバードだからな。そっちは?」
「アメリア。よくメリーとかアメって呼ばれるけど好きに読んで」

 どうせ研究者たちからは本名で呼ばれるため、愛称に愛着は持たない。元々彼、ハルは他人の呼び方に無頓着な人間らしく、それなら本名が手っ取り早いとばかりにアメリアと呼ぶことにしたらしい。

「さてと、質問ばっかりになってしまって悪いとは思っているけどアメリアに頼みがある」
「いいわ、その代わりいざって時の戦闘要員として頼りにするから」
「それは元よりそのつもりだ」

 一応帝国男児だから、女子供は守らねばならぬと言う矜持があるらしい。少し前時代的な考えではあるが、この状況ではむしろ頼もしく、彼への信頼に結びつくものだ。

「実践は得意なんだが、どうにも学が無くてな。この時代についてある程度講釈が欲しい」
「ええ、お安い御用よ。事細かく学者レベルに詳しくなるまで教えてあげる」
「いや、そこまでは……」
「大丈夫大丈夫、歴史は楽しいからあっという間よ」

 嫌そうな顔をしているが、きっと聞けばその内のめりこんでくれるはずだ。それが私の思い込みとか妄信の類であるとはまだ気づいていなかったため、教科書一冊分の知識を一気に披露する。話せば話す程、教えれば教える程そのロマンと物語に熱くなってくる、それが歴史というものだ。
 しかし、それで本当に際限ない喜びを得られるのはごく一部の歴史好きだけだということを私は知らなかった。数十分後、げんなりした顔つきでもういいと言わんばかりに話を遮ったハルの様子を見て、私はようやくそれを知ったのだった。