ダーク・ファンタジー小説
- Re: 知らぬ合間に異世界転生 ( No.5 )
- 日時: 2022/08/08 05:57
- 名前: 襲い夜行進 (ID: hDVRZYXV)
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「あの~。すいません」
「〇#?」
「へ? なんて?」
「……▽▽&↑*」
「あ~、とっと……え、まじ? もしかしなくとも言葉通じない?」
少年は顔を両手で伏せると、ため息と悲鳴が混じった特に意味のない声を吐き出した。
そのまま現実逃避気味に少し前のことを振り返る。
遡ること数分前、少年は紙に書かれている文字をまじまじと見つめていた。
「うーむ。やっぱ分かんねーな」
コインの入った袋と共に机の上に置かれていた一枚の紙。おそらく彼を助けてくれた誰かからの物であるが、肝心の内容を理解できない。
どうにかお礼を言いたいのだが……。
少年は左手の親指を唇に当て、今、何をすべきか考える。
「ま、とりあえず部屋の外に出るか」
ここでじっとしていても何も始まらない。少年は木製のドアをゆっくりと開け、外を軽く見渡した。
彼から見て横向きの廊下が一本。すぐ右には腰ほどの高さの台があり、その上の花瓶の中では、白と赤の花が互いに絡み合いながら伸びている。
そして左には二つの部屋のドア、さらに奥には下に向かう階段があった。ここは二階ということだろうか。
少年は念のため音を立てないようそっと階段を下る。
「……っあ」
突然、少年は動きを止めた。いや、勝手に身体が硬直したと言うほうが正しい。
──人の声が聞こえる。
この未知の世界で会う初めての人間。孤独の状態が続いていた彼にとってはとても嬉しいことだ。現に頬が少し緩みかけている。だが、同時に恐怖も感じた。これから視界に映そうとしている人間は、本当に『人間』なのだろうか。もし、そこに自分の知らない生命がいたらどうしよう。
細かい汗一粒一粒が全身をまばらに駆け回る。喉の中、首筋と服の境目が次第に痒くなり、余計に焦燥感が増してくる。
だめだこんなんじゃ。
少年は犬が水を払うように首を振ると、思いきり頬を両手で叩く。ピシャンと痛々しい音が壁に反響する。いちいちウジウジしていてはだめだ。
少年は意志のはっきりしたうちに残りの段を駆けて下った。
下の様子が見えてくる。さあ、新たな一歩を踏むときだ。
一瞬だけ目を閉じてから、少年は瞳いっぱいに新世界を取り込む。
「◎☆&▽?」「?〇∴:↑」「&%○▽★」「=※~♪◎~♪」「+><※」「・■↓!?」「▼◇#……++++∴〇=!!!!」
そこには、男たちが朝っぱらから酒を飲み交わしては大声で話し、女子供が楽しそうにサンドイッチや果実を食べている光景が広がっていた。誰一人少年に意識を向けない。
意表を突かれ、少年はしばらく固まっていたが、すぐに我に返り、この状況を理解した。
どうやらここは酒場で、彼はその二階で寝泊まりしていたらしい。
なるほど、机の上のはそのための宿代か。
先ほどとは打って変わって冷静になって、少年はカウンターで立つ、コック帽の料理人らしき男に話しかけた。
「こんにちは」
「〇?」
「いい天気ですね。はは」
「★★▽∴◎↑!」
「あ~そうですよね。分かります」
「……%&∴:・?」
「……はは」
コック帽の男に怪訝そうな目で見られながら少年は虚を見つめていた。
耳に入ってくる意味不明な音。だが、感情がこもっていて、少年の脳内に無理に理解させようと迫ってくる。
知らない世界で言葉も通じない。少年はやけに冷静に微笑していた。