ダーク・ファンタジー小説
- Re: 叛逆の燈火 ( No.117 )
- 日時: 2022/11/28 22:19
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
ばあさんは医者の言う通り、結果として、だけど。大丈夫だった。でも、結果として、だ。俺はばあさんの手を取って、あの時は頭に血がのぼってて、ばあさんに迷惑をかけてしまって、申し訳なかった。と謝罪をした。
「ふっ、なんじゃ? 儂に謝るなぞ。儂が油断していた故の結果よ。別にお主が謝る事など何一つありはせぬ」
「……でも」
「でももへちまもあるかい。解ったら、この話は終いじゃ。これ以上聞いたら、水晶玉で殴る」
満面の笑みでなんつー事を……と、思いつつ。俺は話題を変えた。
「そういや、皆は大丈夫なんかな……」
「他人の心配ばっかじゃな、お主は。……他人の心配より、お主が連れ帰った姫の心配でもすると良い」
ばあさんが扉を指さすと、「早くいけ」と催促してくる。
「シビルの方は我が見ている。お前が呼べば、私は影に潜んですぐに向かえる。心配しなくてもいい」
エルも、そう言って、俺に姫さんの方へ行くよう、指し示す。
二人とも、俺に姫さんの所に行かせてどうしたいんだよ……と、なんか鼻がムズ痒くなった。でも、とりあえず顔を見るかって事で、ばあさんはエルに任せて、姫さんの所に行くことにした。場所は……まあ。エルがさっき隣の部屋だぞと言ってくれたし。廊下へ出て隣の部屋へ歩み寄り、扉を静かに開ける。
部屋の中には、ベッドの上で体を起こし、外の様子をぼうっと眺めている姫さんの姿があった。前に会った時と同じく、黒く長い髪。……あの時からあまり変わっていない、病的に痩せた体や顔。だけど、瞳には光がある。本来の性格が顔に出ていた。
「起きてたのか」
俺は思わず口にすると、姫さんはこちらを振り向いて、ぎょっとしたような顔で体を震わせた。
「ま、魔王……」
「違う。俺は……ああ、いいや。ちょっとこの椅子を借りようか」
部屋に椅子があったので、一つ手にして、姫さんの寝ているベッドの脇まで持っていく。俺が近づくたびに顔色を悪くする彼女。……俺が魔王だったら、多分椅子を脇まで持ってきて座って静かにお話――なんてしないと思うんだけどな。
「俺は魔王じゃなくて、「アレン」。「アレン・ミーティア」って名前の……うん、一応傭兵だよ」
「アレン、殿、ですか。……その、あまりに顔が、魔王にそっくりで……」
よく言われる。と俺はふっと笑った。
俺が笑うと、怯えるようにシーツで顔を隠していた。姫さんがどんな目にあったかは……実は知ってる。ヤマタノオロチ――じゃなくて、エイトをと出会った時に記憶が流れ込んできたんだ。なんでかはわからん。……でも、エイトが俺に心を少し開いてくれたおかげなのか。よくわからんけど、これもラケルのおかげかもしれない。
流れ込んできた記憶って言うのが、魔王が東郷武国を滅ぼした日に、姫さんに封じられていたエイトを、解き放った。姫さんの事が相当嫌いじゃないと、エイトに発破をかけて、わざわざ殺さず見逃すなんてしねえよな。性格が悪い、というより。子供が嫌いな奴を貶めようとするような。そんな感じの奴。
……それはそれとして、それ以前の事はわからない。エイト自身が強く封じ込めているせいか、まだ心を開いてくれてないから、だと思う。
エイトが俺の中にいる事を伏せて、姫さんに今までの事を話して聞かせてやると、姫さんは俺の言葉に安心してか、警戒心を少しだけ解いてくれた。……当たり前だが、俺と姫さんは出会って日が短いどころか、互いの事を良く知らない。
だから、俺は警戒心を解くために、ちょっと大胆な行動に出た。
「姫さん、俺と友達になってくれないか?」
「……は?」
姫さんはとんでもなく間の抜けた声を漏らして、目を丸くし、俺の顔をぱちくりと見つめていた。
当然の反応だけど、これ以外に仲良くなる方法が思いつかなかったんだよ! 笑うなら笑ってくれたっていいし、嫌がるならもう嫌われてもいいや。と、俺はだんだん顔や耳が熱くなっていくのを感じた。ああ、もう。ダメだ。俺……友達作った事ねえもん。わかんねえよ!
「……だーっ! ごめん、やっぱなし! いいよもう!!」
俺は慌てて立ち上がり、急いで部屋を出ようとすると――
がしっと俺の腕は細い手によって掴まれる。姫さんしかいないんだから、彼女の手だ。
「ま、まって……。お、お友達の件は、まあ。もう少し仲良くなってからで。それより、そんなにすぐに出て行かないでくださいよ! この状況で私一人になったら、な、なんか……なんかすごい気まずいじゃないですか!? 置いて行かないでくださいよッ!」
「あ、う……」
姫さんは泣きそうになりながら叫ぶもんだから、俺は「確かに」と納得して、再び座り込む。
正直、同年代の女の子と話したこともないから、何を話したら。……それだけじゃないけど。姫さんの事があんまり好きじゃなかったってのもある。
今は、とりあえず、彼女の事を知りたいとは思えるようになった。知らないままじゃ、きっとこれから先も気まずいままだろうし、さ。
「じゃ、じゃあ。身体の方は大丈夫なのか?」
今聞くべきじゃないタイミングなんだろうけど。話題が無さ過ぎて、そんなことを聞いてしまった。姫さんは「え、ええ」と返すと。
「歩くのは、少しふらつく程度ですが……ここ最近は様々な事がありすぎてもう何が何だか何一つ理解できてなくて、頭がこんがらがってますし、身体の方もあまり激しい運動はしばらくできないと、お医者様が。でも、普段は大丈夫そうです。……以前のように戦うとなると、もうしばらくかかりそうですが」
「なんだよ。だったら俺が守るよ」
俺は無意識にそう言うと、姫さんは胸に両手を当て、俺の顔をまじまじと見つめている。……もういい。帰る。俺はまた立ち上がった。
「い、いや、なんでですか! いいからいてくださいよ!」
「もういいだろ、俺もう恥ずかしくて死んじまうから!」
「なんで!? もう恥ずかしくて死んでもいいからいてください! 私、正直一人じゃ心細いんですから!」
姫さんが俺の裾を強く引っ張るもんだから、もう恥ずかしすぎて背中を見せて、姫さんの顔を見ないように座った。そうなると、背後にあった窓の外が見える。俺達の雰囲気を嘲笑うような、まっさらな快晴。ホント、雲ですら、俺を笑っているような気がしてならない。……穴があったら入りたいぐらいだ。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.118 )
- 日時: 2022/11/29 22:15
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
「そういや、姫さんってなんて名前だっけ」
俺は姫さんの顔を見ずに尋ねると、姫さんは答えてくれた。
「渕舞千智です。チサトと呼んでください」
姫さんはそう言ったけど、俺は何も答えなかった。……俺、姫が好きじゃないから。
……ああ、またムカつく事思い出しちまった。あのエイリスって奴の事。俺は無意識に、苛立って頭を掻きまわしていたようで、チサトは戸惑ったような声で俺に尋ねてくる。
「アレン……さんは、私の事が嫌いなのですか?」
「え? い、なんでだよ?」
俺はかなり動揺しているようだ。多分、考えている事を当てられたから。
「初対面の時も、無意識にあなたから嫌悪感のようなものを感じました。……今も」
「いや、嫌いってわけじゃないけどさ」
俺は言葉を濁し、その後はしばし無言。無言でいると、チサトは質問を変えてくる。
「では、何が気に入らないのでしょうか?」
「……あんたには関係ないじゃん」
俺はそれだけ口にすると、椅子から立ち上がって、再び姫さんの顔が見える方へと座り直す。そして、今考えている事を姫さんにぶつけた。……無性にイライラして八つ当たりしているような。そんな感じ。ホントダセエと思うけど、なんかわからないけど、止まらなかった。
「単純に、王女とか姫様ってのが好きじゃないだけだ。世間知らずで温室育ちで、自分の視野の外の事を全く知ろうともしない、マヌケが上から目線でぎゃあぎゃあ喚く。その上キイキイ叫んで耳障りで。ホントムカつくんだよ」
俺は多分顔色や目つきがどんどん変わっていっていたんだろう。姫さんの目が、恐ろしい物を見るような表情へと変わっていく。
「……私も、そうだと?」
「そうだと思ってる。ボンボンの子供って大体同じように、マヌケで世間知らずで、理想だけはとことんたけえ。平民をとことん見下して、自分さえ良ければいい――」
「違いますッ!」
俺がまくし立ててお姫様の悪口を言ってると、一際大きな声でぴしゃりと言い放つ。俺も思わず驚いて口を噤んだ。
「私は……私は、全ての人間が平等であれば。全ての人間が安心して暮らせる世の中にしたいと、そう思って、これまで理想を目指して動いてたの! 上に立つ立場だからこそ、民や国を、全部守らないといけなかった! あなただって、守りたいものがあるから。救いたいものがあるから、今こうして魔王と戦っているのでしょう!? どうしてわかってくれないの!?」
姫さんも俺に喋らせないようにまくし立ててきた。……俺は王になった事はないし、そういう立場にはなった事はないけど……俺は口を開いた。
「姫さんって、責任とれるの?」
「えっ?」
姫さんがぽかんとした表情で俺を見据える。
「いや、だから……何事にも責任が伴う事はわかってるのかって聞いてるんだって」
「……」
姫さんは、黙って俯いた。
「俺だって、自分のやってる事に責任がある事は知ってるし、自分で始末がつけれる範囲で何でもかんでも行動してる。姫さんを助ける時だって、もし、あんたを殺してしまった時は、俺一人で背負う覚悟はあった。……まあ、アストリアの事はみすみす見逃しちまったけど」
俺は腕を組んで、姫さんを見る。彼女は、思うところがあるのか、俯いたままだった。
「姫さん、あんた全部守らないとなんていうけど、全部守った後、守った人のその後を世話してやれるのか? ……これ、副長とモーゼス兄ちゃんの受け売りだけどさ」
「守った、後?」
「そう。守った数が多いだけ、生活に必要な食糧も、必要な物資も、姫さんが全部用意できるのか? って話」
副長も兄ちゃんも、手に抱えられる以外は守る事ができなかった。時には見殺しにする事もあった。俺はその時、どうしようもなく子供だったから、二人……いや、傭兵団の皆に反発した。
「なんでみんなを守らないんだよ! あの人たち、まだ――」
「無理だ……。俺はそこまで責任を負えない」
モーゼス兄ちゃんは、悔し気に首を振る。それがわからなくて、その後も兄ちゃんを責めていたんだ。兄ちゃんは無言で、俺の罵声を受け止めていたが……そこで副長に頬を殴られ、盛大に吹っ飛ぶ。
「……全部救って、その後は? あいつらの世話でもできるのか? できないだろ。俺達は慈善団体じゃねえ。全部を救うなんて、英雄にでも無理なんだよ」
その事を理解したのは、もうしばらく後だったけど。副長や兄ちゃんの判断は正しかったのかは、今でもわからない。犠牲のない世界が理想だけど、そんなのは無理だ。誰かが踏み台になるしかない。今は、そういう世の中だ。
俺は、姫さんに副長が言ってくれた言葉を、そのまま聞かせてやると……
「極論だわ」
そう言い返された。
「……全部守らなきゃいけないってのも、極論だと思うけどな」
さらに俺は言い返す。
「本当に、父と同じことを言う……責任? だから何だって言うの!? 生きてさえいれば、必ず光は差す。だから、見殺しにして助けない選択肢より、助けて生かす選択肢を選ぶわ、私は!」
「生きていれば必ず光は差す……言う事だけはご立派だな」
生きていればいい事ある……それは、恵まれてる奴の台詞なんだよ。恵まれてない奴が生かされてもそれは――
「"生き地獄"なんだよ」
俺はため息をついて、立ち上がった。
「お前も結局"あのお姫様"と同じで、鳥籠の小鳥じゃねえか。お前は違うと思ってたのに、がっかりだ」
そう言いながら立ち上がって、部屋を出ようと歩き出す。
「ま、待って! 話はまだ――」
「話す事はもうないよ、"お姫様"。おやすみなさいませ」
俺はそう言い残して、静かに部屋を出た。イライラして仕方ない。本当にイライラする……!
- Re: 叛逆の燈火 ( No.119 )
- 日時: 2022/11/30 22:27
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
俺は姫さんを置いて隣の部屋――ばあさんが寝ているはずの部屋に戻ってきていた。ばあさんはもう身体を起こせるのか、ベッドから上体を起こして、俺が近づいてくるのを見ていた。
「主はアホじゃな」
俺が近づいて開口一番はそう言って肩をすくめていた。
……このばあさんのドライブは疑似魔法っていう、いわば魔法っぽいけど魔法じゃない何かを操作するって、エルが言ってた。ただ、魔法程利便性はないし、年齢のせいか消耗が激しく燃費が悪い。全力を出す前に体力が持たないだろう……らしい。まあ、モーゼス兄ちゃんが教えてくれたけど、ドライブっていうのは、年齢と共に衰えていく。魂が劣化するとも、魂が消えかかっているとも、いろんなことを言われてるんだけど、結局はまだ解明できてないらしい。
というか、ばあさんはそういう理由もあって助からないと思ってた。ばあさんがどんなに超人でも、衰えと魂の劣化には勝てない。だというのに……
「盗聴できるくらいには元気になったんだ」
俺は皮肉を言ってやる。
ばあさんの力は、間もなく消える。そう、エルが言ってたはずなんだが……うん。この通りピンピンだ。本当にしぶとい奴だなぁ。と思う反面、助かって良かったと心底安心している自分もいる。
「盗聴じゃないですぅ~、立ち聞きですな。はっはっは」
「お前寝てただろ」
ばあさんはおでこに拳を当て、舌をペロッと出した。かわいく見せているが、年齢を知ってると全然かわいいと思えないのでスルーした。
そこに、さっきまでの話を聞いていたであろうエルが近づいてくる。
「アレン、お前はアストリアを殺す覚悟はなかっただろう。嘘をつくな」
「……うるせえよ」
エルがありがたいお小言を言い放ってきた。……言い返せないので、とりあえずうるせえとしか言えない。確かにあの時は、アストリアの奴を殺したいほど憎んでたはず。なのに……手が震えて力が入らなかったんだ。それは言い訳しない。まだ、俺が弱いんだ。
ばあさんはそんな俺を見て、「やれやれだぜ」と言いながら肩をすくめた。
「はてさて、主は魔王を殺せるのじゃろうか~?」
「わかんねえよ、そんなの」
「優柔不断男めが」
「……」
優柔不断っていうのは、間違ってない。何かを決める事は早いけど、俺の中では覚悟が固まっていなくて。俺の中の弱さが、誰かを殺める事を躊躇させる。はっきりやりたい事は言えるんだけど……言えるけど、やってる事はふわふわしてて、情けない。ホント俺は、エルもクラテルもラケルも母さんもいないと、本当に弱くてちっぽけな子供なんだなって思うよ。
「はい、それはそれとしてとりあえず、じゃな」
と、ばあさんが腕を組みながら、俺を見てきた。
「姫さんと仲良くなってもらわねば、今後は共闘していくんじゃし。いざって時、仲良くないと互いに足を引っ張るハメになるぞい?」
「……けどよぉ」
「ああ、エイリス姫の事かえ?」
ばあさんはお見通しだというように、俺に人差し指を突きつける。
なんでわかるんだか。ばあさん、獣人族の血でも入っているのか? そのくらいなんでもズバズバ言い当てる。……姫さんとあの王女様は違う。違うはずなんだけど、どうしても重なって見えてしまうんだ。
「……っ」
「あの王女さんは儂も好かん。しかも、儂の勘が囁くには、近いうちに問題を起こすじゃろて」
意外だ、ばあさん……あいつに会ったのか。
「会ったのか?」
「会ったさ。主らが東郷武国に行っとる間に。儂、これでも顔は広い。師匠のお零れを頂戴してるだけじゃがな」
「……問題って言うのは?」
「まあ、魔王への謁見じゃな。しかも、自分に賛同する配下や民を引き連れての。もはやこれは謀反に近い。その未来は、謂わずとも分かるじゃろて」
その言葉を聞いて、俺は思わずばあさんの肩を掴んだ。小さい肩を鷲掴みにし、唾を飛ばす勢いで叫ぶ。
「おい、どういう事だよ!? あいつそんな変な事考えてんのかよッ!? そんなことしても、無意味に死ぬだけだ!」
「全くもってその通りですなぁ。ああ、さらに儂の勘はこうも囁く。それをきっかけに、スティライア王国は滅びるじゃろうな」
……くそっ、だから姫様ってのは嫌いだ。問題起こして尻拭いを俺達にさせやがる。いっそのこと大人しく震えて、助けてくれる白馬の王子様ってのを待ってりゃいいんだよ!
俺は苛立ちで足をダンダンと何度も叩きつけて、歯ぎしりをし始めた。今は本当に腸煮えくり返りそうだ。そのくらい怒りが身体を熱しているような気分。
「落ち着け、アレン」
「落ち着けるかよ――」
「いーや、れれれ冷静になれアレン」
「なんで噛むんだよそこで!」
ばあさんが「まあ落ち着け」と言いながら、ベッドの脇に置いてあった水をグラスいっぱい入れて、俺に差し出した。
「今はまだ何も起こっておらん。それが起こるのは、アルテアが全快し、傭兵団の皆が帰ってきて、儂らがぐうたら過ごして快復を待った後しばらくして、じゃ。まだ余裕はある。その間に姫さんを説得するとか、誘拐して幽閉するとか。いろいろ諸々方法はあるぞい」
「誘拐幽閉はしねーよ!」
そんな未来の先なのに、よく見えるもんだな。と、俺はグラスを受け取る。
「まあ、どちらにせよ。慌てるのはまだ早い。傭兵団の皆が帰ってくるまでゆっくり……茶でも飲んでりゃいいのじゃ」
「でも、これは水じゃん」
「水でも頭を冷やすにはピッタリじゃろ。ステイクール、じゃぞ」
ばあさんは今朝まで弱気だったのに、今はもう別の人が入ってるんじゃないかってくらい、テンション高くて……正直鬱陶しさも感じる。俺はため息をつくと、ばあさんがニヤニヤ笑いながら、姫さんがいる隣の部屋の方を指さした。
「ま、どっちの姫さんとも仲良くなっておけ。さすれば、未来は明るいぞ。……タブンネ」
「……考えておくよ」
俺は、そう言いつつ、グラスの中の水を一気に飲み干す。水……ぬるいな。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.120 )
- 日時: 2022/12/01 22:29
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
――全く。腕が一本持ってかれてしまった。
右腕からは絶え間なく血が流れ出ている。だというのに、こんなにも冷静なのは……恐らく、俺より取り乱している奴を肩に抱えている御蔭だろう。
……クーゴの奴が俺達を逃がしてくれたはいいが……。奴を相手にしているのは、魔王。ソフィア陛下なのだ。彼の強さは俺も知っている。俺より腕は立つはずだ。だが、それ以上に陛下も力を付けている。7年前にも彼女と対峙した事はあったが……怪物というモノが存在するなら、きっと陛下の事だろう。しかも、陛下は敵も味方も関係なく、邪魔する者に容赦がない。私も、一度殺されかけたからわかる。あれは……ヒトの領域を超えている。って、いやそもそも半分は神竜の身体が組み込まれていたか。
いや、それよりも。私はクーゴの部下を数名連れて、この国から逃れようと必死に足を動かしていた。俺は腕を一本。隣の奴は足を持っていかれた。そのせいか、かなり取り乱しており、今もまだガタガタと震えて、目も焦点が合わず常に何かに怯えている状態だ。
「落ち着け、もうすぐ国境だ。落ち着くんだ」
「あ、あぁ……バケモノだ……! 俺達は狩られて殺されるんだぁ……!!」
「大丈夫だ、国境を越えれば絶対助かる。だから歩け。大丈夫だ。絶対」
隣の青年はうわ言の様に「バケモノ」「殺される」を連呼していて、こっちも気が狂いそうになる。
まさか、ル・フェアリオ王国の謁見の間で、魔王が待ち構えていて、不意打ちを食らった挙句、王国の人間はほぼ魔王に寝返って俺達を襲ってくるとはな……。
ああ、言い方を間違えた。あの帝国の死霊術師によって、生きる屍へと変貌し、俺達を襲ってきた。しかも、俺達の動きも奴らに筒抜けだったようで。唯一生きていたル・オーエン王も奴らに従っていた。彼があちら側と言う事は……もう、この国は終わりだろう。いずれ滅びる事になる。
……本当に、この戦いに勝てるのだろうか? 自由を取り戻すことができるのだろうか? そう不安に感じてくる。くそっ、ラケル……こういう時、お前はどう行動する?
俺はもういない者に対して、思いを馳せながら、前を向いて歩き続けるしかなかった。
「クルーガー公」
俺の背後を歩いていた、医者見習いの少年が俺に近づいて声をかける。
「少しだけ休憩させてください。2名程倒れそうなんです」
「……しかし、隠れる場所が――」
「私の力は、感情を鎮め、周囲の気配を消すものです。少しの時間だけでしたら、休めるはずですよ」
彼がそう言うから、とりあえず頼むことにした。
正直、俺も皆も休みたいと考えているところだったからな。無理に歩いて体力を消耗するよりはいい。少年は瞳を閉じて、手を合わせる。瞑想のようなものを始めた。すると、不思議な事に、乱れていた息が整い、周囲の皆も騒ぐ事をやめて静かになる。
「皆、少しだけ休憩しよう。止血が必要な者は、手早く済ませてくれ」
俺はそう指示をして、隣の青年の足の包帯を変え始める。
「クルーガー公……すまねえ。俺なんかに肩を貸してくれて……」
「俺も腕を持っていかれたからな。お前が腕代わりになってくれればいいさ。俺が足になってやる」
「すまねえ……」
青年は泣き出してしまった。
全く、いい年した男が泣くんじゃない。と、俺は笑いかけたが、青年は泣き続けたままだ。……さっきまでの絶望的な状況から一変、少しの間だけとはいえ、心が休まって緊張の糸が切れたのだろうか。涙が止めどなく零れて地面に落ちて行く。
「泣くな、男だろ」
俺は包帯を巻きながらそう言うしかない。実際、俺も泣いてしまいたい状況だ。
「クルーガー公……!」
包帯を強く縛って止めた瞬間に、別の青年から声がかかる。青年が指をさすところに、壮年の男が倒れていた。
「休憩って言葉を聞いてから急に倒れてしまって……」
俺はその言葉を聞いて、慌てて男に近づく。ぴくりとも動かない。眠っているのかと思ったが、俺はそっと首筋に手を当てる。……反応がない。
ああ、そうか。緊張の糸と同時に、生命を繋ぐ糸も切れたか。
「……すまない」
俺はそう一言だけつぶやくと、青年に顔を向けた。
「眠ってしまったようだ。彼は――」
「いえ、皆迄言わないでください」
何かを悟った青年がそう言うと、倒れている男に自分の上着をかけてやっていた。
寂しそうに男を撫でている彼は、口を開く。
「公、俺達はこの後、どうなるんスかね」
……正直、今後の事はわからない。女神エターナルに聞いても、応えてくれるかも不明だ。
「……生きて国を出よう。国を出れば、必ず……」
俺は縋る思いでそうつぶやくしかできなかった。もう、自分に言い聞かせているようなものだ。生きる為には、それ以外の選択肢が無い。それほどまでに、俺達の状況は、最悪なんだ。
――その刹那、医者見習いの少年が周囲に向かって叫んだ。
「皆さん、退避してくださいッ!」
その絶叫が遅かったのか速かったのか。理解する前にその場に火柱が上がった。俺達を巻き込むほどの灼熱の火炎が、皆を焼き包む。塵すらも灰になってしまうその炎は、俺達を一瞬で焦がしていく。
魔女の炎か? ……そう思えるほどに嫌に冷静で、余裕がある。
いや、バーバラの炎はこの程度じゃない。友人だった俺が一番知っている。……では? 俺がそう思いながら周囲を見回すと、二つの人影があった。何者かはわからない。だが、きっと彼の者がこの炎の柱を放ったのだろう。理解すると同時に、肌を焼く痛みと灼熱と共に、俺は……離れ離れになったたった一人の子を想った。
アイリス、私の愛してやまない娘……もう一度会いたかった……
- Re: 叛逆の燈火 ( No.121 )
- 日時: 2022/12/02 22:36
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
目の前に上がる火柱。これで、最後か。また僕がやったんだ。……僕が。
僕は、身体を支える力が無くなり、膝から崩れ落ちた。地に手をついて、項垂れる。何度も経験してきたけど、一向に慣れない。……慣れたくはない。でも、彼女の為にこうする以外方法はない……!
「僕は……こんな事をする為に生き残りたかったわけじゃない」
誰に言うでもなく、僕は燃え上がる火柱に向かって声を張り上げた。目から何か零れてくる。涙だ。……誰の為の涙なんだろうか? 死にゆく彼らへの手向け? それとも、心が痛くて自然に流れているのか? だけど、そんな涙に意味はない。僕が涙を流す権利なんかない。逃げていく人たちの希望さえ奪う僕に……
ソフィア様はあの後、僕に残党処理の仕事を命じた。ユキの生命維持は、僕の仕事の成果に掛かっている。そう付け加えて。ユキの為ならと、僕は深く考えずに引き受けたわけだが……
はっきり言って、もう今すぐ誰でもいいから僕を殺してくれと、これほどまでに死を望んだ事はない。僕に任された残党処理は、至って簡単。逃げ惑う人間を一人残らず焼き殺す事。まるで処刑人のような仕事。……断るとか拒否とか。そんな選択肢はない。僕にはもう、ユキしかいないのだから。
ユキの為と割り切っても、やっぱり気持ちはついて行けない。逃げる人たちを一気に灰にしてしまおうが、一瞬で骨まで焼き尽くそうが。彼らは必ず悲痛な叫びを喉から放り出す。その声が耳に残り、僕を苦しめる。
「僕はこんな事したくない……したくない……!」
耳を塞いでも、目を閉じても、彼らの苦悶の表情は、悲痛な叫びは、僕の耳に、目に、心にさえに、深く深く貫通する程に突き刺さって離れない。
ユキはそんな俺に静かに寄り添ってくれる。顔は、生命維持の為の術式を刻んだ布を被せられ、顔が隠れてしまって表情は見えない。だけど、いつも無機質だけど、優しい声で僕の頭を撫でてくれる。
「シラベ……悲しまないで。私がずっとそばにいます」
生きていた頃の記憶はないはず。だけど、それでも、俺から離れないのは……嬉しい。ユキの為だから、こんな非道い事も平気になれる気がしてる。
故郷を……東郷武国にある村や街を片っ端から燃やし尽くすことだって、僕にできる。
知り合いもいた。お腹に子供がいる女の人だって、おじいさんだって、おばあさんだって、幼い子供や赤ちゃんだって。皆まとめて灰にした。
彼らの悲鳴、怒号、恨み節、罵声。それを聞くと胸が痛い。痛すぎて涙が出てきて、息が詰まりそうで、全てが終わった後も涙で顔がぐちゃぐちゃになってるんじゃないかってくらい……全身の涙が全部流れ出たんじゃないかってくらい、泣きじゃくった。懺悔したって、許しを乞うたって、絶対に許されない。それほどまでの罪が、のしかかってきて、圧し潰そうとして来ている。
そんな重みにも耐えられるのは……ユキがいるからだ。
「シラベ。あなたに命じます」
東郷武国が滅びて日が経ったある日、ソフィア様からの命令が下る。
……ル・フェアリオ王国に来る、「ユートピア」という名の義賊の集団を、焼き尽くせ。との事。なんでも、彼らは何千ともいえる集団を擁していて、放置していれば後々面倒になるからと、ここいらで処断しておきたい。と仰っていた。
だから、作戦通りに動いた。
城に王国の騎士の屍を、マギリエル様の巫術で予め蘇生させ、まずは数で彼らを押し切る。その後、リーダーらしき男が残るはずだから、俺とあと、アスラさんって人。あと、名前はわからないけど、狼の人と、実働部隊の隊長さんが、残党処理に動く。
僕は、もう誰が逃げる人なのかわからないから、わからない時はユキが自分から動いてくれて、一気に仕留めてくれる。わかる時は、僕が自分の巫術で焼き尽くした。……灰になった亡骸を見るだけで、僕は責められている気分になる。骨はもう灰になっているのに、そこから僕を見上げて、恨めしそうに睨んでいるような気がしてならない。
そして、最後に平原の真ん中で見つけた、クルーガー公って人が率いる、先導部隊。……いや、もう、彼らだけのはずだ。だから、持てるすべての力を込めて、僕は彼らを葬る事にした。彼らの姿が見えなくなる。……だけど、ユキが僕にそっと触れた事で、彼らの姿が見えるようになった。これはユキの巫術。見えざる者を視認できる、単純だけどとても便利な力だ。だから、彼らが休憩しているであろう場所にを狙い撃ちにできた。格好の的だったんだ。
一瞬躊躇する。怪我人が多いし、泣き叫んでいる声がこっちにも聞こえてきたから。だけど、僕は……せめて一瞬で終わらせようと、強く意識を集中させた。
「ご苦労様でした」
火柱が鎮火した時、背後から、何かを手にぶら下げたソフィア様が近づいてくる。僕は無礼だとわかっていても、立ち上がる事ができない。足に力が入らないんだ。ソフィア様はそんな僕に、とても満足げな声を出していた。本当に、心から、この殺戮を楽しんでいるかのように。
「思わぬ邪魔が入り、クーゴと数名は取り逃がしました。が、逃がした魚は、確実に仕留めればいい。今日彼と相まみえましたが、あの程度捻り潰すなど容易い。所詮、囃し立てられて調子に乗っているだけのならず者ですから、私が出向く迄も無かったかもしれませんね」
「……ソフィア様」
僕は顔も上げることができず、うなだれたまま、彼女に尋ねた。
「殺して、殺し続けた先にあるものとは、いったい何なのでしょうか……?」
ソフィア様は、僕に近づいてきたのかはわからない。だけど、耳元ではっきりと答えてくださった。
「今の旧い人間は、全て消し去るべきだと、私は思います。消し去った後は、新たな時代が幕を開ける。その時代を切り開くのは、新たな人間ですよ」
「……仰る意味が解りません」
僕が思わずソフィア様の方を見ると、陽光のせいで顔が見えなかったが、口元は笑っているように感じた。……いや、笑っているんだ。
「いずれ解りますよ」
彼女は、そう笑っていた。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.122 )
- 日時: 2022/12/02 23:36
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
ル・フェアリオ王国は、もう滅びたも同然でしょう。私達が着いた頃には、既にクーゴとその数名を残してほぼ全員が帝国軍に蹂躙されていた。生きる屍に生きたまま食われてしまった人もいたし、生きたまま焼かれた人も、首のない人も、四肢がちぎれた人も、真っ二つに切り裂かれた人も、身体に大きな穴が開いていた人も……思わず目を背けてしまいそうな、惨劇と、赤と黒と腐臭が混ざった世界が、そこに広がっていたわ。
クーゴと、彼に付き従う側近が生きていたのは安心したけど……でも、"あれ"を生きていたと言っていいのかしら。それほどまでに、彼らは虫の息だった。クーゴはまさに今、彼の前にいた白い魔王……ソフィアによってトドメを刺される。その瞬間だった。
「奴らを守れ、全員死ぬな!」
副長の怒号と共に、私達はクーゴ達に近づく。私はクーゴに肩を回し、必死に声をかけながら、謁見の間を出ようと走った。一刻も早く魔王からクーゴを離そうと、私は全身の力を込めて、出口を目指した。速く……魔王に追いつけないくらい速く! クーゴの身体を支えながら、必死に走る。
「クーゴ! ダメよ、寝ちゃダメだから!」
「……あ、ぅ……」
反応はある。私は安心した。
その瞬間、私の足に痛みが走った。バランスを崩し、床に倒れ込む。……一体何が。そう思って足を見ると、足に切り傷ができていて、そこからどくどくと血が流れていた。痛みで立ち上がれない。
「あら、あなた。昔私の邪魔をしてくれた牛さんですね」
魔王はそう言いながら私にゆっくりと歩み寄る。白い魔王は、血を浴びているせいで、髪も顔も、服でさえ、赤黒く染まっていた。そんな姿も相まって、私は恐怖を感じている。彼女の放つ威圧感。足を斬られて動けず、逃げられない恐怖。何より、彼女の姿は、私を畏怖させるには十分だった。
「……あなた、お名前は?」
突然、魔王は私にそんな質問を投げかけてくる。
……え?
私は驚いて目を見開き、彼女を見据えた。
「……名前を聞いているのですよ」
魔王はそう言いながら、私の足に剣を突き刺した。斬られた右足の膝下に白い剣が突き刺さって床に縫い付けられ、血が飛び散る。足に灼熱の鉄板を押し付けられたような痛みが広がり、やがて全身を痛みが支配する。
「アアァァァァァァーーーーーーッ!!」
私は叫ぶしかできない。
殺される! 殺される、殺される殺される殺されるッ! その言葉が脳裏を支配してそれ以外考えられない。
「あら、この程度で声を上げるなんて。次はどこを斬ろうかしら。ねえ、ネク?」
彼女は剣に向かって尋ねる。まるで、玩具をもらって無邪気に笑っている子供の様に、声が弾んでいた。
『ん~。てのゆびをいっぽんきりおとそっ!』
「いい考えだわ」
指を? 斬られる!?
私は恐怖で身動きが取れず、抵抗もできない。……さっきの痛みが、あと指の数だけ感じるの!?
余裕がなくなる。
「ごめんなさい、許してお願いしますっ!」
私は情けなくそんな声を出すしかできなかった。
助けも期待できない。……でも、私はまだ死にたくない。私が死んだら……弟が。「ルーク」が……! ルークが死んじゃう……!!
「お名前は?」
私が完全に恐怖で委縮しているのを眺めながら、魔王は私にもう一度同じ質問を投げかけてきた。
「れ、レベッカです……レベッカ・リジア」
声が完全に震えている。いや、声だけじゃない。身体がガタガタと震えているのがよくわかる。恐怖でどうにかなってしまいそう。こうしている間も、血が流れていって、死が近づいている事が、怖くて怖くて仕方ない。
「レベッカ……ね」
満足げにそう言う魔王。
「ねえ、レベッカ。私の下に来なさい」
……えっ?
私は思わず顔を上げる。魔王は、私の見下ろしていた。その顔は無表情で、赤い瞳に私の恐怖で怯えている顔が映っている。
「あなたは確か、弟がいるそうね。そして、弟の薬代の為に傭兵団にいるとか」
「な、なんでその事を!?」
私は思わず叫んだ。
弟の事も、私の事も、団長や副長、それにモーゼス、アレンにしか話したことが無い。なんで、なんで? なんでこの人は、私の事を見透かすように笑っているの!?
「どうして知っているか。簡単ですよ。優秀な魔女の魔法のおかげですから」
ああ……魔法って本当に、「理から外れた力」なんだ。なんでもお見通しって奴なのか。
「じゃあ、何? 私の事を知っているからって……一体何が――」
「弟は今、私の城にいるんですよ」
「……は?」
私は思わず腑抜けた声が出てしまい、口をあんぐりと開けていた。
「ど、どういう事? 弟がなんで帝国にいるの!?」
「いえ、ちょうどたまたま破壊した場所にあなたの弟が倒れていたので、保護しただけです。こんな偶然もあるものですね」
魔王は楽し気に声を弾ませていた。……弟が、魔王の手中に……!?
私は八方塞がりになったような、そんな絶望感を感じた。
「まあ、判断はあなたに任せます。弟を見捨てるのであれば、傭兵団に戻ればよろしい。ですが、もし救いたいというのなら……」
「……」
私は、床に手をついた。どうすれば……どうしたらいいの?
たった一人の家族はもちろん大切。だけど、傭兵団の皆を裏切る事はできない。……どうしたらいい? 誰か教えて……。誰か……!
「レベッカ!」
その時、魔王の背後からモーゼスの声が響き、魔王の身体はワイヤーに縛られた。
「スカイ君、お願い!」
「ッス!」
スカイは弓銃を構え、魔王に向けて矢を放った。だけど、魔王は素早くワイヤーを振りほどいて、私の足から剣を抜いて素早く宙に身を投げる。ひらりと飛び上がって、弓銃の矢を斬り落としていた。
「レベッカさん、僕につかまって。逃げますよ!」
いつの間にか隣にヘクトがいて、私を抱き上げる。重そうに苦悶の表情を浮かべていたので、私は思わず、声を出した。
「ヘクト、無理よ! あなたじゃ――」
「うるさい、気が散る!」
ヘクトはひときわ大きな声を出して、城の外まで走った。ヘクトの背後を見ると、魔王の放った閃光を、モーゼスがワイヤーを振って切り裂いて掻き消す。スカイは、モーゼスの援護をして魔王に向かって弓銃から矢を放ちながら、倒れているクーゴに肩を貸して、こちらに向かって全力で走ってきた。
「副長は?」
副長の姿が見えないので、私が尋ねると。
「安心してください、謁見の間を爆破して他の人を連れて逃げました。あとは僕達だけです。あと、喋らないでください。うるさいですから!」
ヘクトは余裕なく、私を抱えて走る。彼の身長と病弱な体質、そして筋力じゃ……私を抱えて逃げるだけでも全力なんだろう。私は「ごめんなさい」と素直に顔を伏せてつぶやいた。
涙がこぼれて、頬を伝う。……ううん、大泣きしてる。だって、目から出てくる熱い涙が、ポロポロと流れて止まらない。どうすればいいかわからない不安と、仲間が助けに来てくれた安心感で、緊張の糸が切れたからかしら……。
今は、泣く事以外できない。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.123 )
- 日時: 2022/12/04 22:52
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
副長たちが帰ってきたのは、それから十日以上経ってからの深夜だった。皆傷だらけで、中には逃走中に息絶えた人もいる。一番傷の浅い――とはいえ、見るに堪えない生傷を負っているシャオ兄ちゃんが、その現状を俺達に伝えてくれた。
ル・フェアリオ王国は王が魔王側に付いた事。魔王に襲われて「ユートピア」は実質の解体と言う事。そして何より……クルーガー公が戦死した事。亡骸は灰と化し、連れて帰る事が出来なかった事。それらを聞かされて、数日前に目覚めた団長は、悔し気に歯を食いしばり、握りこぶしを長机に叩きつける。机が粉々に割れてしまう程、団長は怒りに震えていたんだ。
「……他に誰が死んだ?」
団長は静かに副長に尋ねる。
「「ルネット」、「ガイアス」、「ジュン」。治療の余地が無さそうなのは――」
副長が次々と死傷者の名前を挙げていった。俺も世話になった兄ちゃんや姉ちゃんの名前。……胸がチクチクと痛みだして、涙が自然と零れていた。けど、バレないように俯いて、こっそり涙を腕で拭う。この中で一番泣きたいのは、俺じゃない。
俺は涙を拭った後、顔を上げた。
「ところで、師匠は?」
俺は、師匠の姿が見当たらないもんだから、副長たちに聞く。
「レベッカは……傷は奴も相当なんだが、塞ぎ込んじまってな」
「え!?」
驚いた。師匠は、だって……こういう時率先して皆を励ましているはずなのに。そんな師匠が塞ぎ込むなんて一体何が?
「あのレベッカが塞ぎ込むとは。一体何があったのだ?」
俺の背後でずっと俯いて考え事をしていたエルが、首を傾げた。
「……いや、俺達もわからないのよ。ずっと涙を流して、歩く気力さえなくなったみたいに、ずっと上の空でね」
モーゼス兄ちゃんが頬に手を当てて、うーんっと唸る。
「師匠は、今どこに?」
俺は踵を返しながら尋ねると、モーゼス兄ちゃんは「医務室よ」と答えてくれたので。礼もそこそこに、兎に角師匠の下へ行こうと走った。医務室の場所は、確か会議室の二つ隣のはずだ。俺は医務室の扉をバンっと開き、中へ飛び込む。
医者達が驚いてこっちを見る。俺は、構う事なく目の前にいた女の人に、師匠の事を聞いた。
「あの、ししょ……レベッカ・リジアはどこに?」
「あ、ああ……リジアさんは、あの奥の方のカーテンの中ですよ」
女の人が指さす方向には、部屋の奥の方に、確かにカーテンが閉め切られている。
俺は礼を言うと、俺は居ても立っても居られず、かつ早歩きで近づいて、師匠がいるというカーテンを掴んで開いた。
中には、俯いてシーツを握り締めて小さくなっている師匠がいた。小刻みにカタカタとシーツを握る手が震えていることがよくわかる。俺は師匠に近づいて、その震える両手に触れた。
「師匠」
俺がそう呼びかけると、初めて俺の顔を見上げる師匠。その顔は涙の跡でくしゃくしゃになっていて、げっそりとしていた。いつもの美人の顔が台無しになっている。何かあったんだろうかと、俺は師匠の近くまで歩み寄った。
「どうしたんだよ、師匠。何かあったのか?」
「あ、れん……」
いつもの師匠なら「あら、アレン。私の顔に何かついてる?」くらい言って、俺を茶化すんだが……今日の師匠はそんな余裕すらない。俺の顔を見るなり、青い瞳を濡らして、大粒の涙を止めどなく流し始めた。まるで滝のように流れ出る涙。しゃくり上げ、俺に抱き着いてくる。俺は驚いて思わず「お、おい」と口に出かかったが、師匠が先に声を出していた。
「私……っ! 私、私どうしたら……! わからない。わからないの。どうしたらいいの!?」
そう泣き叫ぶように、俺に繰り返し口にして、わんわんとただただ号泣。俺はどうしたらいいのかわからず、師匠の背中をぽんぽんと優しく叩いて、さすってやる事しかできない。
いつもは俺が師匠に優しく撫でてもらい、慰めてもらい、叱咤激励をしてもらう立場なんだけど。今日は逆転していて、師匠がとても小さく見えていた。
「落ち着けよ、師匠。大丈夫。俺はいつも師匠の味方だからよ」
俺は師匠がいつも言ってくれるあのセリフ。
『落ち着いてアレン。大丈夫よ。私はいつだってあなたの味方なんだから』
それの受け売りだけど、俺は師匠をまず落ち着かせるために、そう言って慰める以外できない。妹のエレノアや弟のルゥが泣いている時も、そうやって背中をさすって、まずは落ち着かせていたことがある。……師匠もきっと、何か悲しい事や、ショックを受けてこうして取り乱しているんだ。
本当に、一体何があったんだろう。
師匠がこんなに取り乱す程の事って、想像もつかない。前に聞いた、弟の事だったりするのか? だとしても、今は教会に預けてるって言ってたような言ってなかったような。
……仮に、弟に何かあったとして、俺に何ができるんだろうか。子供の俺じゃ、師匠の悲しみを取り除くことだって難しい。どうしたらいいのかな……。
俺はそう思いながら、心がいつになくざわざわしていて、気持ち悪かった。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.124 )
- 日時: 2022/12/04 23:41
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
弟の事だとはわかっていても、師匠の口からそれを聞いてみたい。そう思い、俺は師匠が落ち着いたところで、できるだけ穏やかに尋ねた。
「まず、さ。何があったか言ってくれよ。でないと、さ。わかんねえじゃん」
俺が師匠の隣で、彼女の手を握りながらそう言うと、師匠は顔を伏せてしまう。
「……」
「俺、頼りになんないかな?」
俺がそう尋ねると、師匠は首を振る。
「そうじゃない……だけど、どう言えば。わからない」
師匠の沈み切った声に、俺はどう対応すればいいかわからず、俯いて考え込む。
すると、俺を追ってきたであろうエルが、カーテンを開いてこちらに歩み寄ってきた。師匠の様子を見て、「ひどい顔だな」と一言言うと、師匠の隣に座り込む。
「今のお前はすごく不安定だ。まずは落ち着くといい。本当に辛い時ほど、そうやって抱え込めば、きっとお前は自分すらも見失う事になる」
エルは、そう言うと、師匠の顔に触れると、額に自分の額を押し当てて瞳を閉じる。師匠は驚いていたが、すぐに安らぎを得たのように同じように瞳を閉じた。師匠のさっきまでの不安定な様子から一変。エルに身を委ねている。しばらくして、呼吸も整い、深呼吸を始めた。
「……ごめんなさい。私、すごく取り乱してた」
師匠がそうぽつりとつぶやくと、エルから顔を離して、エルの頭を撫で始める。
「ありがとう、エル。アレンもね」
そう言って俺の頭も撫で始めた。恥ずかしい気持ちはあるけど、とても心が安らぐ。……よかった、いつもの師匠に戻ったみたいだ。
「まだ不安げだな。何があったのだ?」
エルが師匠の瞳を見てそう尋ねると、彼女は口を噤む。
「……えっと」
師匠は何か言いたそうにはしてるんだが、やっぱりなんだか迷っているようでもある。
「ちょっと、ここじゃ言いにくい。……どこか、誰もいない場所に行きましょう」
師匠はそう言うと、立ち上がろうとするので、俺は慌てて師匠を支えた。
「足、怪我してんだろ!? ここじゃダメなのか……?」
「……ダメ。お願い、私が今から言う場所まで……お願い」
師匠が弱弱しくもそう言うもんだから……俺は、「無理だと思ったらすぐに引き返すからな」ときつく言って、師匠の肩を支えながら、師匠の言う場所に彼女を連れていくことにした。
正直、なんでそんな場所に連れていきたがるのかわからない。だけど、師匠の願いを叶えたいってのもあるし、俺は師匠の指定した場所を目指す。そこは、アストリアと戦ったあの場所。……から少し歩いた、川が流れる崖の上。最近はずっと大雨が降っていたので、勢いよく流れる濁流が、上から覗ける、そんな場所。今日は晴れているとはいっても、地面は昨日までの雨でぬかるんでいる。空には綺麗な虹がかかっていた。背後にはエルがいて、この場には俺と師匠、そしてエルしかいない。他の皆には、師匠とでかけるとしか伝えてないけど、まあ大丈夫か。
「ありがとう、ここまで運んでくれて」
師匠がそう言うと、俺の助けなんか要らないという感じで、突然歩き出す。足の怪我なんかなかったかのように。
「師匠、歩き出しても大丈夫なのか……?」
「ええ」
師匠はそう一言言うと、崖の近くまで歩み寄り、こちらを振り向かず語り出す。誰に話しかけているかもわからないし、俺も「危ないぞ」と言うが、気にも留めてない。
「ねえ、アレン。私に弟がいる事は知ってるでしょ?」
「知ってるよ。前言ってたじゃん」
突然の質問に、俺は驚きつつも答える。
「弟の名前はね、「ルーク」って言うの。あなたと同じくらいで、すごく……意地っ張りでぶっきらぼうで。でもいつも他人の事ばかり気にして。そういう優しいところが自慢なのよ。だから、弟の病気は絶対に直してあげたいし、私も薬代を稼ぐために毎日頑張ってたの」
「……師匠はすごいよな。誰かの為にいつも必死なんだもんよ」
俺は思った事を素直に伝える。師匠はいつも自分の事は二の次で、仲間に寄り添って励ましてくれる。そんな人だ。俺は……師匠って呼んでるくらいだから、すごく尊敬してる。剣士としても、傭兵としても、人としても。
そう言った後、師匠はしばらく黙り込む。
「ねえ、アレン」
しばしの沈黙を破ったのは、師匠の言葉だ。師匠は俺の方に振り向く。
――なんだか、何かを決意したような顔つきだ。師匠がいつも、誰かを斬る時にする目。……なんでそんな顔をするんだろう? 俺の心拍数が上がっていくのが、自分でもわかる。嫌な予感。いや、予感じゃない。きっと今から起きる事は、俺にとっても、師匠にとっても、悪い事なんだ。
師匠が口を開く。
「大切な人と、大切な仲間。あなたはどっちを選ぶ?」
「……なんでそんな事聞くんだよ」
「答えなさい」
師匠が目つきを鋭くし、俺を睨む。
――その答えを聞いて、師匠は何をするつもりなんだ?
――その答えに、何の意味があるんだ?
俺は首を振る。
「その答えを聞いて、師匠は納得できんのかよ」
「ええ。少なくとも……気持ちに整理がつく。あなたの顔を見て、エルに触れて、私はやっと決心がついたわ。守るべき者の為に、剣を握らないといけない事。そしてそれが――」
師匠は突如腰に下げていた剣を素早く鞘から抜き、俺に瞬時に肉薄してきた。喉元に剣先を突き立て、先ほどまでの鋭い視線が、一気に殺意へと変わる。
「仲間であり、弟子のあなたを殺すとしても」
師匠は続ける。
「剣を握れ、アレン。私を止めたければ、私を殺しなさい」
- Re: 叛逆の燈火 ( No.125 )
- 日時: 2022/12/06 22:04
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
私の言葉に驚きを隠せないって顔してる。当たり前か、私だって逆の立場なら信じられなくて、驚いて、動けなくなっちゃうでしょう。……でも。たった一人の肉親の為だったら、私は……なんだってやるわよ。やるしかないのよ。
私は、あの時――そう、魔王に足を斬られたあの時を思い出す。
『弟を見捨てるのであれば、傭兵団に戻ればよろしい。ですが、もし救いたいというのなら……』
魔王は私の耳元まで顔を近づけた。
『忌まわしい光を放つあの極星……アレンを殺しなさい』
『――ッ!?』
私は目を見開いて魔王の顔をまじまじと見つめる。
私が、アレンを!?
『判断はあなたに任せます。私はいつでもあなたを見ていますので、それだけは忘れないようにね』
魔王は口元を吊り上げて笑う。
……弟は、私の行動次第で、死んじゃうの? 私の手に、弟の命がかかってるって事!? 私は項垂れて頭を抱える。どうすればわからない。まさか、こんな事になるなんて……!
怖い。仲間を裏切る事も、弟を失う事も、こうしてアレンを本気で斬ろうとする自分も。
アレンは私を見上げたまま、未だに困惑しているようだ。……私だってわからない。きっと私は正しくない事をしようとしてる。エゴの為に仲間を、それも大切な弟子を斬ろうと剣を向けている。気分が良い訳がない。
アレンは静寂を破るように、口を開いた。
「師匠……本当にそれって師匠の意思なのか?」
アレンの言葉に、一瞬剣を持つ手に力が入らなくなった。……いえ。弟を救いたいと思うのは本心。嘘偽りはない。私は剣を握る力を強めると、同時にその質問に答えた。
「本心よ。私は元々弟の為に傭兵団にいたもの。これで満足した? 問答なんて意味のない事はしないで。さもないと――」
私は素早くアレンの首を貫こうと、意識を集中して剣を突き出す。
シャキンという鋭い音がその場で響き渡る。アレンが素早くエルを握って、私の剣の軌道を逸らしたんだ。私が教えた剣術。……まあ、それくらい、できて当然よね!
私は2連撃目を繰り出す。横に剣を振り、アレンはそれをも躱す。身体を捻ってそのまま回転して、3連撃目。流石にアレンはそれは避けきれなかったのか、右腕で剣を受け止めた。ザクリと鈍い音が鳴り、右腕から血が吹き出す。
「次は肩!」
私はそう宣言し、アレンの肩に剣を素早く突いた。宣言通りだが、私は意識を集中させ、一瞬で突き出した為か、アレンは対応できなかったみたい。右肩に私の剣が貫いて、また血を吹き出した。
「貫け……!」
アレンが静かに口を開く。吹き出した血の結晶が槍となって飛び出し、私を狙う。私は意識を集中し、それを避けた。だけど、3本の内2本が私の頬と肩を掠ったようだ。私が後退ると、アレンはそれを狙うように、剣を振りかぶってきた。
「だありゃっ!」
「声を出さない!」
私はそう叫び、アレンの剣を弾く。弾かれた拍子に、アレンは剣に振り回され、よろめいた。私はその無防備な彼の心臓目掛け、素早く刺突する。流石の彼も、この攻撃は避けられない。終わりよ。
そう思ったけれど、やはり彼には届かなかった。私の剣は寸前で変形した右腕に止められていた。私は瞬時に引き抜いて、素早く後退る。意識を集中し、再びアレンに向かって近づいた。アレンは私の姿が見えているのか、私が近づくタイミングを見計らい、私の斬撃をやり過ごす。鋭い音と共に、風を切る音も響いた。
「……っ!」
アレンは私の動きを読もうと、必死に目を動かしている。
私はアレンの背後を狙い、素早く斬り上げた。アレンは冷静に対処しようと、剣で弾く。一瞬私の手から剣が離れるけど、私はすぐに持ち直し、そのまま振り下ろした。アレンの肩から身体に切り傷ができる。血も舞い踊った。
「まだ!」
剣をくるりと回し、刃をまるでV字のように斬り上げる。アレンは悲鳴を上げ、私は無抵抗のアレンの身体を素早く蹴り飛ばした。崖近くまでぬかるんだ地面を滑り、泥をかぶりながら転がる彼。当然、まだ立ち上がろうとする。……流石私の弟子。
「まだやる? 私、まだそんなに傷を受けてないわよ?」
「やる……やるに決まってんだろ」
アレンは、泥と血が混ざり合った身体を、剣を杖代わりにしながら起こして、フラフラ立ち上がった。
「じゃ、次は容赦しない」
私はそう言って、彼の腹に拳を入れた。アレンは「ごはぁ」と声を放り出し、血を吐く。続けて、顔に足蹴りを入れて、地面に叩き伏せる。彼は泥の中に顔を突っ込み、ぼしゃんと音を立てながら泥のしぶきが跳ねあがった。
「……」
アレン、こんなに弱かったはずないわよね?
ふとそんな疑問が浮かぶ。一度反撃したきり、それ以降は反撃を全然してこない。私の攻撃をやり過ごしているだけ。……手加減しているの?
「アレン、ちゃんと反撃しなさい。これは殺し合いなのよ!?」
私はアレンに近づき、胸ぐらをつかんで泥まみれの彼に向かって声を荒げた。
「……」
アレンは無言のまま私を見つめ、その後、口を開く。
「手を抜いてるの、師匠の方じゃん」
彼がそう口にした瞬間、自分の心臓が鷲掴みにされ、握り締められるような痛みを感じた。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.126 )
- 日時: 2022/12/07 22:34
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
「なんですって!?」
私は逆上してさらに大きく叫ぶ。だけど、アレンは私に対して、憐れむ訳でも、蔑む訳でも、同情する訳でもなく。……ただ、私を真っ直ぐ見つめていた。様々な感情が込められた視線。そんな目を、私に向けてくる。
「師匠なら、俺を殺せるだろ。俺はまだ師匠に勝ったことが無い。師匠のスピードに、俺は追いつけない。勝てるはずないんだよ、だって……俺の師匠なんだから」
私の心を見透かすように、アレンは次々と口にする。
……心のどこかで、アレンが反撃してきて、あわよくばそれを受けて死んでしまえば、楽になれる。そう思っていた。私には、弟も傭兵団も選べない。だから、いっその事、アレンの剣で貫かれて。私は裏切り者として死んでしまえば。これ以上何も考えずに……何も抱えずに逝ける。だけど、アレンはそんな私の甘い考えを見透かしていた。私は、アレンに全てを押し付けて逃げようとしていたのか。
――私は、なんて弱いんだ。
そう考えると、私はその場で膝をがくりと落とし、項垂れる。剣が地面に落ち、泥を被った。
「私……、私は。私は、どうしたらいいのかわからないの」
私は本当に、もうどうしたらいいのかわからない。弟を救いたいけど、そんなの絶対にできない。私は、魔王に傷一つ与えるどころか、傷を受けて魔王に怯えている。かといって、魔王の命令通りに動くふりをして殺されようと思って、裏切り者を演じたけど、アレンに見透かされちゃうし。
目の前が滲んでくる。涙が目に溜まってぼたぼたと、泥に落ちて同化した。
「なんでこんな事になったの……私はただ、たった一人の弟を守りたいだけだったのに」
そう、口に出す以外に何もできない。
「……師匠」
「アレン……私を殺して。でないと、私は……弟を守れない不甲斐ないお姉ちゃんのまま、惨めに生きていくしかない」
私の言葉に驚いたのか、息を飲む音が聞こえる。
「そんな事できるわけねえだろ! 俺は、師匠には生きていてほしい。これからも――」
「生きてたって、"生き地獄"じゃないッ!」
張り裂けんばかりの声で、口に出す。
……この同盟がこの後どうやって魔王に勝つのか。そんなの私にはわからない。だけど、このまま戦いが続くのなら。きっと、戦いに巻き込まれた人間は確実に不幸になるだろう。何がいけなかったのか。時代が悪いのか。人が悪いのか。それとも、運命なのか。そんなの、誰にもわからない。
でも一つだけわかる。このままこの戦いが続けば……誰にとっても不幸な結果に行きつくだろう。いつから狂いだしたかわからない、歯車が狂ったまま回り続けて――
「最後は死しかない。それでも生き続けようというなら、それは……地獄だわ」
私の言葉を最後まで聞き終えたアレンは、しばし黙っていた。私も押し黙る。
生きる希望が見いだせなければ、地獄を生きるだけの人形だ。そう、絶望するしかない。
「ああ、そうだな」
アレンはそう答える。
「この世は生き地獄だよ。助けられる人間なんか限られている。全員生き残ろうにも、その後を生かせるかどうかもわからない。本当に、地獄みたいな世の中だ」
そう言ったアレンは、私の腕をつかんだ。そして、その腕を引っ張り上げる。私は足を地につけて、立ち上がった。
「でも、俺も師匠もこうやって、この世界を立ってるだろ。ここが地獄なら、俺達の目指す場所は、今よりいいところかもしれない。だから、希望を捨てないでくれ。無責任だけどさ」
アレンが私の目を見据え、私にそう言ってくれる。その顔は、初めて会った時の少年の顔じゃない。立派な、皆の希望になりえて、星のような煌めきすら感じる。そんな威厳に満ちた青年の顔だ。
他の人がどう思おうと、私にはそう見える。もう、私の弟子じゃない。彼は、巣立った成鳥なんだ。
……彼の青い瞳を見て、決心がついた。
私は、彼にふっと笑いかけると、後退る。
「ありがとう、アレン」
「師匠?」
私は剣を拾い、アレンに向けた。
「でも、ごめんなさい。私がどうしようが、弟は確実に死ぬ。そんな世界じゃ、もう生きていける自信が無い。ごめんなさい」
私はそう言いながら、剣を地面に突き刺した。深く、自分の持てる力を全て込めて。
「お、おい。何してんだよ、師匠!」
「アレン……」
私は背後が崖である事を目で追いながら、後退った。アレンが私のやろうとする事に気が付いて、私に向かって駆け寄ってくる。……残念だけど、アレンのスピードじゃ、私に追いつけはしない。アレンが何かを口を開いて叫んでいるみたいだけど、濁流の音で聞こえない。いや、聞こえてるけど、私が認識できてなかったのかも。
私は後ろに向かって、身を投げ出した。
「裏切り者のレベッカ・リジアは、ここで死ぬ。濁流に呑まれて」
宙に投げ出される私の身体。結構高い場所から落ちたのね。崖から、私に向かって手を伸ばすアレンの姿を最後に、私は――
「ありがとう……」
アレンに向かって、そう声を出したかもしれない。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.127 )
- 日時: 2022/12/08 22:22
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
私はバーバラから報告を受ける。あの牛さん――いえ、レベッカ・リジアは、アレンを殺す事は出来なかった。そして、様々な葛藤の末、自ら濁流に身を投げて行方不明……。まあ、生きているはずはないか。仮に生きていたとしても、もう私の敵ではない事は確実だ。
ル・フェアリオ王国に私自ら赴いて正解だったわね。忌々しく輝く目障りな極星を消し潰す事はできなくとも、傭兵団に大打撃を与えることができた。それだけでもお釣りが来る価値がある。さて、ここで追撃しておきたいのし、私自らがあいつの首を斬り落とすのもいいんだけど……。あいつら並に厄介で鬱陶しい奴――アストリアの傷は、流石にもう癒えて起きてくる頃だわ。奴を一人で城を歩かせる訳にはいかない。だから、別の人間を向かわせることにしましょう。
傭兵団は、次にどう動くか……。私がそう心なしかワクワクしながら、考え込んでいると。
「陛下、スティライア王国の王女が不穏な動きを見せておりますわ」
バーバラがそう私の前に光の玉を差し出す。覗き込んでみると、そこには映像が映っていた。見覚えのある女が似あいもしない鎧を着こんで、この城を目指してるのか、国境付近の森の街道を歩いている。ああ、あのお姫様。私に謀反を起こす気かしら。それとも説得? 説得してどうするのかしら。あの子の事だから、「戦うのはやめて―!」なんて言うんでしょうね。虫唾が走る。もうそんな段階はとうの昔に過ぎ去っているというのに、今度はどんな綺麗事を私に言ってくれるのかしら。
逆に興味が湧いてくる。
「お姫様は、こちらに向かってくるのでしょうね」
私はうんざりしたように声を出すと、バーバラは頷いた。
「いかがいたします?」
バーバラがそう尋ねると、私は腕を組む。
ま、どうせこっちに来るんだったら、私自ら「おもてなし」してあげないと。それが貴族としての礼節って奴じゃないかしら。
「丁重に迎えてあげましょう。私が出ます。……ああ、バーバラ。アストリアの監視をお願いします。随時報告し、奴が何をしようとも静観しなさい」
「……よろしいのですか?」
「ええ。奴も"大切な家臣"ですもの。彼女は私を想って行動をしている。見守りましょう」
私は心にもない事を口にした。それはバーバラも理解しているのだろう。私に頭を垂れ、踵を返して部屋を出る。
――結局、アストリアを生かして、甘い。などとバーバラに思われているかもしれないけど、奴はまだ利用価値がある。って、セイリオが教えてくれた。
そう、アストリアが帰ってきた、あの日。
私は、奴がバーバラに連れられて、私の前に現れたボロ雑巾のように敗北して、無残にも床に伏している彼女に向かって、初めて心から「ざまあみろ」と思い、心の底から大笑いしてやった。頭を踏みつけ、顔を覗き込んで、本当に心地がいい。散々私をイラつかせて、勝手に動いて勝手に敗北して。どんな心持でここに帰ってきたのかしら?
「アストリア、おめかしでもしたんですか? 随分と絶世の美女になりましたね。どうですか? どんな気持ちなんですか? 教えてくださいよ!」
高笑いを上げながら、私はアストリアの姿を嘲笑し、久々に清々しい気分になった。アストリアは、私を睨んでいたけれど……その視線すら気持ちがいい。所詮はあなたなんか私を楽しませる玩具でしかない。私を操ろうなんて身の程知らずにも程があるわ、この蛇女。それにしても声が出ないのかしら。かすれた声で何か言ってるわね。それも面白い。まるで喋る玩具が壊れたみたいに音が出てる。
「アストリア、本当は敗北したあなたを処断するつもりでしたが、気が変わりました。これから療養の期間を与えましょう。ゆっくり休みなさい」
私はそう彼女に命じて、その場を後にした。
その後はバーバラに奴の監視をさせ、アストリアをとりあえず休ませて様子見。まあ、あの程度ならすぐに復活するだろうけど。その後、どう動くのか……。
<アストリアの事、嫌いだという事は、よく伝わってくる。だけど、ああいうのは、こっちがどんなに強く言っても言う事を聞かない。だから、敢えて放牧しておくんだ。放牧したうえで、動きを把握しておいて、失敗したらいつだって処断すればいい。勝手に動いて勝手に失敗したとなれば、都合良く理由づけもできて、遺恨なく彼女を消すこともできる>
セイリオがそう教えてくれなかったら、きっと私は自分の中の苛立ちを爆発させて、暴走していたかもしれない。セイリオに感謝ね。
私が口元を緩ませて笑っていると、背後から誰かが入ってくる。
ああ、「アスラ・シュミ」。ル・フェアリオ王国に集ったコバエの駆除に一役買ってくれた女。そういえば、私に反抗してくるのが面白くて雇った傭兵だったわね。まあ、相手にするのは面倒だけど。何かと私と戦いたいなどと寝言をほざくもんだから、軽くあしらってた。
私はうんざりしたように、彼女の方へ身体を向ける。
「……何の用ですか? あなたをここへ呼んだ覚えはありませんよ」
「いや、随分楽しそうな声を出すもんだからさ。ついふらりとここに来ちまったよ」
「ああ、あなたが気にする事は何一つありません」
「そうかい」
面倒だな。……私が離れるか。私が部屋をさっさと出ようと、会議室の扉に近づく。
「そういや、"ネクちゃん"はどこに?」
「自室にいます」
「ふぅん」
殺気を感じた。こんな場所で? ああ、礼儀知らずの猿はこれだから……
私が背後を向けたからか、彼女が私の背に刃を向ける。「太刀」と言ったかしら。長く太いそれは、彼女の身長よりもあって、大振りの剣を使ってるのを覚えてる。……それを私に向けてきたのだろう。張り詰めた空気感が伝わってくる。本当に、弁えない猿。
「何のつもりですか?」
「いや、ネクちゃんが近くにいないあんたなんか、牙を持たない猪よりも簡単に倒せそうだな。そう思ってな」
「囀るな」
私は、右手を天井に掲げた。剣となったネクが光り輝きながら姿を現し、私に握られる。
「口を削ぎ落しておけば、耳障りな音を出さなくなる?」
奴を睨みながら、剣を構えた。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.128 )
- 日時: 2022/12/08 23:23
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
私が振り向いた瞬間に、彼女が太刀を振った。
長机が両断され、破片が飛び散る。この部屋は使えなくなる。……こいつへの給金を全額回しておこうか。そう考えながら、私は彼女から離れる為に後退る。だけど、それを追って距離を詰めてきた。近づいてくる彼女に向かって、私は手をかざす。空中から魔法陣が浮かび上がり、そこから光の剣がまるで銃弾のように射出された。3本目まではアスラも斬り落としたけれど、4本目、5本目は奴の顔をかすり、左足を貫いた。それによって赤い雫が迸ったけど、怯みもしない。それどころか、そんな傷大したことが無いと言わんばかりに、私に向かって真っ直ぐ突進してきた。
「面白いな、魔王!」
「……不愉快!」
身体を斬ろうと、太刀を振る。そんな長い得物じゃ、私に勝てはしない。だからって油断はしない。
「主に刃を向けるなど、愚の骨頂ですね」
私はしゃがみ、そこから斬り上げる。真っ直ぐ天まで剣が弧を縦に描くも、奴はそれを太刀で防ぐ。ガキンと金属と金属がぶつかる鋭い音が鳴り響き、奴はニヤリと笑った。
「――紋章」
私がそう呟くように声を出すと、剣が描いた軌道に沿うように、青い光の紋章が浮かぶ。それがアスラの身体を貫き、彼女の身体は串刺しになった。この「アルトリウス」は、剣が描く軌道に合わせて、時間差で青い光の紋章を射出することができる。これに気づいたのは、あの日……クーゴとの戦闘の最中だ。時には槍の様に、時にはギロチンの様に、時には矢のように射出され、クーゴは対応できずに倒れた。
アスラも、私の追撃の紋章に対応できないのか、さっきから紋章に貫かれては吹っ飛んで、どんどん傷が増えていく。壁に叩きつけられ、天井に穴を開け、床に叩きつけられて。その度に赤い水たまりができていき、気が付いたらもう元会議室が真っ赤に染まってるわ。あーあ。もうこの会議室、使えないわね。そう思いながら、私は剣を振り、アスラを追い詰める。
「もう降参? 会議室が滅茶苦茶になってしまいましたよ。あなたのせいでね」
「……」
私は床に突っ伏している彼女の髪をつかみ、顔を覗き込んで睨んでやった。
「これがあなたとの差。私は、傷一つ受けてないですよ? 理解したのなら、二度と私を斬ろうなどと考えないように」
私がそう言って、無性にイライラしたもんだから、腹いせも込めて、アスラの頭を力いっぱい床に叩きつけた。手を離すと、アスラは小刻みに震えている。
……ああ、こいつ、まだ。
アスラはこの状況だというのに、笑っていた。楽しそうに。
「は、は……ハハハハハハハッ! アハハハハハハハハッ!!」
とりあえず、聞いてやるか。この後予定もないし。
「いいな、いいなァ、魔王様ァ! あんたは強い。粋がった子供が強い力を手に入れて調子に乗ってるってとこがなけりゃ、もっと面白くヤり合えんだろうなァ!!」
アスラは転がって仰向けになり、穴の開いた天井を見上げた。力で捻じ伏せられ、オーラも切れて、恐らく骨も折れて、体中悶え苦しむくらいの痛みに支配されているはずなのに、べらべらとよくしゃべる。私を粋がっている子供と言っているのは、気に食わないけど……ま、言わせておくか。
「勝手に言ってなさい。無駄に血を流すのは理性のある者の行動とは言えません」
私が腕を組んでそう言ってやると、アスラは尚も笑う。
「あんたが一番本能で動いてんじゃないのか?」
――私が、本能だけで行動している。
その言葉を聞いて、私は腹の底から黒い炎が燃え上がるような、憎悪を感じた。
「だってそうだろ。あんたに理性がありゃあ。世界に喧嘩売って、人間をどんどん殺していくなんて、絶対にしないねぇ。あんたが人間じゃねえ事は魂を見りゃわかるさ。ハハハハッ、人間のフリは楽しいか? 半端者!」
――黙れ。
私の中の誰かが、そう声を出す。とても低い声で、威嚇するように。
「口を閉じなさい。今ここであなたを殺す事もできる。そうしないのは――」
「じゃあ殺せばいいさ。あたしは生死に興味はない、ただ強い連中と戦う事だけが望みであり、あたしの自由さ」
「黙りなさい」
「アハハッ! 聞こえませんな、魔王陛下。そんなお声じゃあ、あたしの口は止まらないよ?」
――黙れ。
「……あなたなんかいつだって殺せる」
「じゃあなんで殺さない? 口だけ動かしても――」
私は奴の頬寸前を擦切るように剣を床に突き立てた。ジャキンと剣が突き刺さる音が鳴り、私の表情を見たアスラが、表情を無くす。さっきまでの饒舌はどこへいったのかしら。
――なんだかおかしい。心臓が破裂しそうに鼓動を鳴らしている。それに、張り裂けそうなくらい動いてる。おかしい……わからない。こいつをズタズタに引き裂いてやらないと。内臓を引き摺り出して、頭蓋骨を砕いてこいつの脳みそが何色か、こいつ自身に確認させてやらないと。
……えっ? 何、今の?
「私。なんでこんな事を?」
我に返って周りを見る。……おかしい、私。こんな……
「……アスラ、次の指示があるまで、部屋で休んでなさい。命令です」
「……」
アスラは倒れたまま私の顔をぽかんとした表情で見ていた。
私は頭を抱え、さっさとその場を後にする。本当に、何が起きたのか。
「私……何がしたいんだっけ?」
そうつぶやきながら、足早に自室へ戻る。一旦、冷静にならなきゃ……。
- Re: 叛逆の燈火 ( No.129 )
- 日時: 2022/12/09 23:31
- 名前: 0801 ◆zFM5dOWfkI (ID: Xi0rnEhO)
自室に戻ってくると、ネクが元の姿に戻り、私の服の裾を引っ張る。
「ソフィアちゃん、だいじょうぶ? くるしい? なでたら、なおる?」
私は椅子に座り込むと、近づいてくるネクの頭を撫でてあげた。ネクは心配そうに眉をひそめ、あわあわとしながら、どうすればいいかわからないでいるみたいだ。
「大丈夫よ、突然の事に戸惑っただけ……」
そう言うと、ネクは「えっと、えっとね」と声を出し、なんだかせわしない様子だ。こんなネクは初めて見たかもしれない。
「どうしたの、ネク?」
「あ、のね。あのね!」
ネクは本気で私を心配してくれている。私の両手を握り、今にも泣きだしそうな顔で私の瞳を見ていた。ネクのまんまるな光のない目が、うるんで私の顔を映している。こんなネクの表情は……今までに見た事が無い。どうしたんだというのか。
「ソフィアちゃんのなかにいる、くろいやつがね……ソフィアちゃんをたべようとしてるの。わたし、こわくて……ソフィアちゃんがいなくなっちゃいそうで……こわいの!」
ネクがそういうと、私の胸に飛び掛かってくる。首に腕を回してしがみつき、わんわんと大粒の涙を流しながら、大泣きを始めた。
「ソフィアちゃん、もうおこらないで! もうかなしまないで! でないと、ソフィアちゃん……きえちゃうよ!」
ネクの尋常じゃない様子に、私もかなり危機感を覚えた。
さっきまでの私の中に、何かがいたような感覚……あれは、7年前に一度見た事がある……。アレンのあの姿。あれと全く同じモノだったから、すぐに思い出せた。あれの半分が私の中にもいる。だから、あれと同じように身体を奪われそうになった。ってわけか。
「大丈夫。私の身体は私のもの。誰にも奪わせないわ」
ネクの頭を優しく撫でながらそう微笑むと、ネクは安心したように笑みを返してくれた。私の言葉に安心してくれたみたいね。よかった……。
――ああ。部屋の扉が少し開いている。私はしっかり閉める性分だから、少し開いている事なんかあり得ない。私はネクに視線を向けるふりをして、扉の外の存在を探る。
……アストリアの従者か。気配を隠さずコソコソと。鬱陶しい。
「あの女に何を命令されて、コソコソネズミみたいに探るなんて、本当にドブネズミみたいではありませんか」
私は扉の向こうに向かってそう言い放ってやると、扉の外の存在はすぐに姿を消した。逃げるくらいなら、最初から来なければいいのに。本当に……本当に鬱陶しい。ま、いいか。奴はとりあえず泳がすと決めた。どう動こうと、頃合いになるまでは監視をつけるだけにしよう。
頃合いになった時……その時に、奴の息の根を止めてやる。その瞬間が楽しみだわ。
私が考え事をしながら、窓の外を見る。先日までの大雨が嘘のように、今日は晴れ晴れとしている。本日は快晴なりってね。アスラとあのドブネズミのせいで気分は最悪だけど……ま、いいわ。私の様子を見ていたネクが、また服の裾を引っ張ってきた。
「ソフィアちゃん、だいじょうぶだよ。わたしはソフィアちゃんのみかただから。あんしんしてね」
そう言いながら、私に満面の笑みを見せる。
この子は……きっと何があっても私の味方でいてくれるだろう。――逆を言えば、この子まで私を裏切るようなことがあれば、きっと私は本当にひとりぼっちになってしまう。そんな時がいつかくるかもしれない。そんな時がきたら……
ネク……あなただけは、私の味方でいて。この先も、何があっても、例え……
「ソフィアちゃん?」
「ごめんなさい、ぼーっとしてた。さ、次の行動に移りましょうか」
「なにするの?」
私が立ち上がりながら歩み出すと、ネクが首を傾げながら、私を顔で追う。
「もちろん、あのお姫様に会いに行くの。そして捕まえて、王子様をおびき出す。魔王に捕まったお姫様を救うのも、王子様の役目でしょう?」
「んー、よくわかんない!」
「ふふっ、まあ見ていればわかるわ」
エイリス……私の為に、奴をおびき寄せる餌となりなさい。親友からの"お願い"よ。