ダーク・ファンタジー小説

Re: メランコリック・レイニー ( No.6 )
日時: 2012/10/20 01:56
名前: ベルクシュアテン ◆ulufrlRV4E (ID: YO.h.a0k)

【終焉】


 1945年4月、ベルリン。
 ナチ政権下ドイツは、最早限界だった。
 ソヴィエト赤軍の大軍が雪崩れ込んだ市街地は地獄と化していた。
 国防軍は悉く壊走し、武装親衛隊の奮闘も空しく、ドイツの最高指揮官アドルフ・ヒットラーは自殺した。
 ロシア人たちに占領された地区に住むドイツ人達には虐殺とレイプの恐怖が迫っていたのである。
 国民突撃隊、という名で編成された市民軍は、手渡された榴弾発射機を慣れない手つきで構えて奮戦したが、当然ながらソ連軍は勝てる敵ではなかった。
 それでも残った武装親衛隊と国民突撃隊は戦い続けていた。
 例え、もうナチが崩壊していることなど分かっていても。

 一人のドイツ人の少女がライフルを手に、走っていた。
 短めの金髪を靡かせ、翡翠のような瞳を揺らし、息を荒げながらも手に持ったKar98kライフルは決して離さず、薄汚れたエプロンドレスの上に羽織った親衛隊の灰色のコートを落とさないように気を使いつつ、ひたすらに走っていた。
 使い古したブーツが石畳を叩く音、それ以上に響く銃声と砲声。
 見知らぬ人の家を駆け抜け、窓から飛び出すとソ連軍が銃撃してきたのをすんでのところで振り切る。
 ソ連兵達が追いかけてきていないのを確認しながらも、武装親衛隊の兵士達が撃つ88mm砲の横を通り抜けて尚も走った。
 MP40短機関銃を持った武装親衛隊兵が制止するのを振り切り、ティーゲル戦車の前を横切る。
 そして、トーチカに飛び込んだ。
 手榴弾を投げ込まれたのか、そのトーチカの中は真っ黒で、ひどく無残な姿のドイツ兵の死体が二人転がっていた。
 少女は息を整えながらも設置されたMG42汎用機関銃が使用可能か確認し、使えないことが分かるとその場に座り込んだ。

 彼女は当然ながら武装親衛隊の隊員ではない。
 国防軍にも、親衛隊にも、国民突撃隊にも属していない、ごく普通の街娘だ。
 そんな彼女が何故、親衛隊の灰色のコートを羽織り、ライフルを抱えているのか。
 それは、彼女のこれまでの経緯にあった。
 ベルリンの街角で防空壕に隠れ損ねた彼女は武装親衛隊の心優しき青年に助けられていた。
 自分がいる限り必ず守る、とまで言われた彼女はその言葉を信じていたのだ。
 しかし、青年は自分のコートとライフルを少女に預け、自分は銃剣一本でソ連軍へと突撃していった。
 残された少女はコートとライフルを持って、うっすらと記憶にあったトーチカへと向かった。
 そこで、死ぬことを目的に。

 少女はまずKar98kというライフルがどういうものか、理解する必要があった。
 当然ながら使ったことも無い代物のため、どうしようもない。
 ボルトレバーを引いてみて、それで装填が行われたことにも気付かなかった。
 取り敢えず引き金を引けば撃てる、ということだけは分かっていたため、引き金には触れず、その他の箇所を見てみる。
 しかし彼女がそうしている間にも戦闘は続き、コートのポケットに弾薬クリップが一つ入っていることに気付いた頃には、もうソ連軍は目前まで迫っていた。
 明らかなロシア語の断末魔が聞こえたとき、彼女は一層身を硬くし、しかしそれでもライフルを弄るのはやめない。

 一人の親衛隊兵士がトーチカの入り口まで走ってきた。
「君! 早くここを出るんだ! 危険だ! 早く逃げろ!」
 昨日まで、逃げる市民を「敗北主義者だ」と言って撃っていた親衛隊に逃げろ、と言われると実際かなりそれは妙な話だった。
 少女は一瞬ぼんやりしていたが、もうソ連軍がそこまで迫っているのは理解していたため、取り敢えずふらりと立ち上がった。
 親衛隊の男は外を確認し、入り口から出る。
「来たまえ、壕まで急ごう」
 少女がゆっくりと一歩踏み出したときだった。
 男の頭が弾けた。
 血が飛び散り、それは少女の薄汚いエプロンドレスを更に汚す。
 男の身体がどさりと音を立てて倒れ込む。
 少女はその光景にただただ立ち尽くした。
 ロシア語の叫び声が聞こえて、我に返った少女はすぐにトーチカに引っ込む。
 そして、ライフルのストックをそっと肩に当てた。
 重いライフルの銃身を左手で保持し、なんとか持ち上げると恐らく男を銃撃したであろう敵がいる方向へ向けた。
 その方向には一軒の民家があり、少女はそこの窓から撃ってきたものと考えたのだ。
 ぐっと引き金を引くと、乾いた、しかしここでは聞き慣れてしまった音とともに銃口が火を吹き、同時に少女の肩を凄まじい衝撃が襲った。
「きゅっ!」
 跳ね上がった銃口による衝撃とその重みに耐え切れず、尻餅をつく。
 どうやら発射された弾丸は確かに狙った窓を撃ちぬいたらしかったが、そこには誰もいなかったらしい。
 一人の女性ソ連兵が目敏くそれを見つけ、少女に振り向く。
 少女は慌ててライフルをそのソ連兵に向けた。
 ソ連兵は短機関銃を構えつつも、ずんずん進んでくる。
 当然人を撃った経験もない少女は、ぎゅっと目を瞑り、引き金を引く。

 かちり、という音がしただけで弾は出ない。
 少女は何度も引き金を引くが、やはり弾は出ない。
 それもその筈、Kar98kはボルトアクションライフルで、一発撃つ度にボルトレバーを引いて次弾の装填をしなければならないのだ。
 それを知らない少女は何度も引き金を引いてはかちりという音を鳴らし、それを見たソ連兵はにやりと笑みをこぼした。
 ライフルを横に蹴倒され、いよいよ持って抵抗の手段を失った少女はただ固まった。
 女ソ連兵はにやにやしながら自らが横に蹴倒したライフルを拾い上げ、慣れた手つきでボルトレバーを引き、少女に向けて引き金を引いた。
 7.92mm弾が少女の顔のすぐ横を掠める。
 少女は目を丸くし、そして同時に身を硬直させ、じわじわと涙を流し始めた。
 女ソ連兵は後ろからやってきた部下らしきソ連兵にライフルを手渡すと、短機関銃を背負い、少女の腕を掴んで身体を持ち上げる。
 随分軽々と少女を引っ張り上げたソ連兵は、相変わらずにやにやと笑いながら少女に手を上げるよう促した。
「Получил добычу!(戦利品だ!)」
 女ソ連兵が高らかに言うと、辺りを抑えたソ連兵達が一斉に歓喜の声を上げる。
 ロシア語が分からない少女は、しかしそれでもなんとなく辱められた気分になった。

 女ソ連兵はすっと少女が羽織っていたコートを引っ張り、生地の感触を確かめるかのように触れた後、短いドイツ語で「脱げ」と言った。
 少女は渋りつつ、するりとコートの袖から腕を抜く。
 その直後、ソ連兵はあっという間にそのコートを奪い取ってしまった。
「シュォーン」
 酷いロシア訛りのドイツ語に、それが「美しい」という単語であると理解するのに、少女は数秒の時間を要した。
 その間にソ連兵は少女をトーチカへと追い込める。
「あんた、随分痩せてるね」
 片言のドイツ語で、ソ連兵が話しかけてくる。
 その手はするすると少女の身体の彼方此方を触れていき、それがなんとなく彼女の体の感触を楽しんでいるのが分かった。
 少女は喋らない。
 女ソ連兵は少し詰まらなさそうな顔をして、ゆっくり立ち上がった。
 外で辺りを見張っていたソ連兵達がその様子を見て、少女をその視線に捉えた。
 ひどく、下卑た目だ。
 少女は女ソ連兵の服の裾をきゅっと掴む。
「? 私、母じゃないよ?」
 変なドイツ語で彼女が話しかけてくるのも気にせず、少女はきゅっと裾を掴む。
 やがてソ連兵は笑い、少女の頭を撫でた。
「Вы не сделали еще?(まだですか?)」
 外のソ連兵達がロシア語で女ソ連兵に尋ねる。
 恐らく、少女が自分達の手に渡るのを望んでのことだろう。
「Это моя добыча. Я бы не отдать его вам, ребята.(これは私のだ。お前らにはやらない)」
 女ソ連兵が勝ち誇ったように言うと、ソ連兵達は残念そうな顔をした。
 少女はそれを見て、なんとなく安心した。
 そして同時に女ソ連兵が今自分を守ってくれる唯一の存在であると確信した。

 この日、議事堂に鎌と鎚のマークの赤い旗が翻った。
 ドイツは、完全に敗北したのであった。



—後書き—
 独ソ戦3作目。
 戦後すぐのベルリンは戦争犯罪凄かったんだそうです。
 ソ連軍は兵士達の略奪なんかを黙認していたので、殆ど無法地帯だったとか。
 これは大分綺麗なお話ではありますけどね。