ダーク・ファンタジー小説

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.15 )
日時: 2023/03/26 18:59
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)

 《魔女への最高打点地雷》

 1

 一方その頃。
 
 ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーは、学院都市の大通りを歩いていた。
 認識阻害の狐面を被り、景色を楽しむ。

 町は和風の風景であり、なんか京都の観光地みたいだな、とヒラギセッチューカは思っていた。

(いや、建物は京都の観光地よりも高いかもしれないなー。実際に比べられたら良いんだけど出来るわけ無いし)

 ヨウからの毒舌など気にしていないのか、ヒラギセッチューカはそんな呑気なことを考えていた。
 
 たまに馬車が通っていたり、他の都市からやってきた洋服の人が居たりと、街並みは和洋で入り乱れている。

 しかし『和』という要素を少し入れただけで、これだけ懐かしい感覚に襲われるのは何故だろうか。
 ヒラギセッチューカは不思議に思いながら歩を進める。

 グウゥ……

 様々な香りが人々の空腹を刺激し、ヒラギセッチューカも腹を鳴らす。
 しかし彼女は一文無しに近い程の貧乏であったため、唾を飲み込み我慢した。

 濃い青に輝く瓦を乗せ、白い外壁に包まれた建物にたどり着く。
 ヒラギセッチューカは解放されている大きな扉を潜った。
 白い砂の道に、池やその周りに生えている綺麗な黄緑の草木。薄桃の桜が、景色を鮮やかにしている。
 ヒラギセッチューカは、その景色に、ほぅ……と息を漏らした。

 学院都市の中央に位置し、和風の街並みに建っているにも関わらず、存在感を放っている寝殿造。
 ここは〈陰陽師おんみょうじコース〉の活動場所であり、ヒラギセッチューカは見学に来ていた。

「妖怪って何なんだろ」

 ヒラギセッチューカはボソッと呟く。
 彼女は『妖怪』と呼ばれる物を知らない。
 だからこそ、妖怪に深く関わる〈陰陽師コース〉に興味を持って見学に来たのだ。

 玄関でブーツを脱ぐと、ヒラギセッチューカは見学の案内に沿ってとある教室へ行った。
 陰陽師コースの教室は畳が敷かれ、縹校舎の教室よりも1.5倍程大きく細長かった。
 
 既に見学に来ている生徒も居るが、狐面をつけているヒラギセッチューカには誰も気付かない。
 彼女が並べられている文机の一つに正座すると、丁度先生がやって来た。

「陰陽師コースの見学授業──いえ、お試し授業を始めますよ〜。皆さん静粛にお願いしますね」

 ひんやりとした女性の声が教室に染み渡る。
 生徒は先生が来た途端黙り、先生に視線を集中させる。
 先生はその光景を当たり前のように扱ってチョークを手に取り、話を始めた。

「今日は、皆さんに妖怪について、知って欲しいなと思っています。
 都市ラゐテラだけに出現する謎の存在妖怪。今回の授業は、その妖怪に遭遇した際の対処法を──」

 妖怪と言われ、ヒラギセッチューカは河童やから傘お化け等の古典的な妖怪を思い浮かべる。
 しかし、彼女は〈妖怪〉が生き物なのか自然現象なのかすらも知らないため、時間の無駄と結論付けて、考えることを辞めた。

「妖怪は出現時に外界との繋がりを断ち切る結界を張ります。この中に入ると、妖怪を倒すまで出ることが出来ません。 
 まずは、結界内に入ってしまった時の対処法をお話しましょう」

 外で弓の練習をしている上級生達の音をBGMに、先生は淡々と話す。
(結界を張る妖怪? ますます想像がつかないなぁ)
 ヒラギセッチューカは自分の想像力の無さに悔やみながらも、先生へ視線を向けていた。

「まず、妖怪には近づかないこと! 妖怪は触った物の〈魔素まそ〉を吸収する特性があるのです」

 先生の言葉に教室の雰囲気が少しピリピリし始める。
 妖怪のことを知らないヒラギセッチューカでも、先生の言葉を受け多少恐怖していた。

 〈魔素〉と呼ばれる物は、酸素や窒素のように大気中に漂っているエネルギーであり、魔法を使う上では必要不可欠だ。

魔素逆流まそぎゃくりゅう……」

 教室の生徒の誰かが、そう呟いた。

「そうです。妖怪に触れると〈魔素逆流〉を起こしてしまうので、本当に! 触らないようにしてください!」

 先生は先程よりも大きく、ハキハキした声で生徒達に念押をする。

 一部を除いてだが、生物は魔素を失っても死んだりはしない。
 しかしヒラギセッチューカ含め、彼らは〈魔素逆流〉に対して恐怖を抱いていた。
 
 魔素は血潮と同じように、決まった方向に生物の体内を流れている。その流れを少しでも乱すと激痛が走る。
 下手に魔素を吸われると、痛みのあまり廃人化するのだ。
 それが〈魔素逆流〉である。

「ですので、妖怪の結界に入ってしまった場合、妖怪に見つからないように隠れてください。
 陰陽師の助けを待って──」

 先生は、学院都市の地図を黒板に貼り始めた。
 そこには学院や広場、避難専用に作られた施設に、目立つ丸が記されている。
 避難場所が記された地図、簡単に言えばハザードマップである。

 しかしヒラギセッチューカは妖怪の正体が不思議で、集中して話を聞いていなかった。

「妖怪って怖い……」

 ヒラギセッチューカの前の文机に座っている女子生徒が呟いた。

「大丈夫だって。二人だったら怖くないよ!」

 そして、その隣の女子生徒が励まし、二人で笑っていた。
 その様子をヒラギセッチューカは微笑ましく思いながら立ち上がる。
 学校指定であるフラットタイプの革リュックを背負った。

「陰陽師という仕事は──」

 授業は未だ終わっていない。

 しかし、狐面を被るヒラギセッチューカが扉を開いても、気付く者は居なかった。

 2.>>16

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.16 )
日時: 2023/03/26 19:00
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)


 2

 ◇◇◇

 演歌や童謡が店から流れ、土産を売る店が大通りを囲んでいる。
 ヒラギセッチューカは寝殿造を出て、学院へ向かう一本道を歩いていた。

「上を向いて、歩こう〜」

 ヒラギセッチューカは何となく知っている曲を呟き始めた。
 彼女の狐面は便利で、声すらも周りの人は認識出来ない。
 それを分かっているヒラギセッチューカは少し声量を上げ始めた。

「涙が、零れ、無いように」

 人々の頭上には白と水色のマーブル柄が広がっていた。
 ヒラギセッチューカはそれを見上げながら、高くか細い声を出す。
 しかし雑音によってかき消される。

 ヒラギセッチューカが履く革ブーツが、舗装された道を一定のリズムで叩く。
 様々な音がひしめき合う中、何故か彼女の足音だけが鮮明に聞こえていた。
 少しずつそれが大きくなる。ついには雑音が聞こえなくなった。

「ひとりぼっちの──あれ」

 違和感を覚えたヒラギセッチューカは、一旦止まって前を見た。
 そして彼女は気が付く。足音が大きくなっていたのではなく、雑音が無くなっていただけだと。

「誰も、居ない」

 通りにはヒラギセッチューカしか居なかった。
 流れていた民謡も、楽しそうに騒いでいた人々の声も、店員さんの声も。
 まるで最初から無かったかのように、辺りはシンと静まり返っていた。

「人気の無い所まで来ちゃった? いや、そんな訳無い。こんなに店があるのに人気がないのはおかしいし」

 ヒラギセッチューカは自身に言い聞かせるような独り言を吐いた。

 街並みの彩度が低く見え、深海の様な暗い雰囲気が大通りを包む。
 一つ息を吸うと生暖かい空気が口に入った。それが喉をヌルッと通過し、不安な気持ちになる。
 ヒラギセッチューカは全身に鳥肌が立つも、何かが起きている訳でもないためか、無駄に冷静であった。

 どぷんっ

 沼から何かが勢いよく出てきたような音がした。
 しかしここら一帯に沼は無く、ヒラギセッチューカは焦り、周りを見渡す。
 すると彼女の後ろ、十メートル先の道のど真ん中にソレは居た。

「わぁお……」

 彼女の視線の先には、直径5メートル程の謎の”黒い物体”が地面からゆっくりと出てきていた。
 
 物理的に地面から出てきているのではない。
 煉瓦道を液体の様に扱い、地面に波紋を作り、下からすり抜けて出てきている。
 ヒラギセッチューカは目の前の光景に目を疑った。未知への恐怖で、ジリジリと”黒い物体”から離れる。

『シ……』

 ギリギリ脳が音声と認識できる金属音のようなものが微かに響いた。
 ヒラギセッチューカは下がるのを辞めてその場に止まる。
 
 (何が、起こってくれるの?)
 
 ”黒い物体”が地上に出てくる様子をジッと見ていた。
 もちろん、彼女はその様子に恐怖を覚えている。が、それよりも好奇心が勝ってしまったのだ。
 
 ”黒い物体”は全容を現す。
 それは、直径6メートル程の黒く、モヤがかかった物で生物とは思えない。
 その”黒い物体”は独りでに震え始めた。ズシャッという効果音と共に一つ、細長い何かを体から生やす。
 
 ヒラギセッチューカはそれを興味深く見つめる。しかし、彼女は様子がボケてでしか見えていなかった。
 
 白眼は元々視力が悪い。古血のように黒く霞んだ紅目は、視界が黒く霞んでいる。
 更に彼女の狐面は、紅目の方だけにしか穴が開いていない。だから両目で確認することが出来ないのだ。
 
 ヒラギセッチューカは必死で目を擦り、細め、前のめりになりながらそれを見つめていた。

「あれは、何だ? 細長くて、節が一つあって。
 生えた棒先には五本の細長い棒が付いていて……。もしかして、腕?」

 彼女が結論にたどり着いた瞬間、それに答えるようにズシャッと、何かが複数生える音がした。
 墓から出てくるゾンビの様な不気味さと共に、”黒い物体”から何本もの腕が生える。
 
 そして、その腕を使って”黒い物体”は立ち上がる。最後にもう一度ズシャッと、何かが出てくる音が出た。

『シ、ロ……』

 最後に出た”ソレ”は、他の腕のように関節も指も無かった。
 蛇のようにしなやかに動く”ソレ”は、宙で不規則な線を描いてヒラギセッチューカの目の前まで来る。
 
(何何何何っ?! 何故私に近づくの!)

 ヒラギセッチューカはそう心の中で慌てながらも、ソレを見つめていた。

 ヒラギセッチューカの目の前に来た黒い”ソレ”は、その場でピタリと止まる。
 何かしら起こると思ったヒラギセッチューカは安心し、怪訝そうに”ソレ”を見つめた。

 近くで見ると物体ではなく、微かに透けているように見える。黒い霧の集合体。と言った方が正しかった。

 全く動かない”ソレ”に油断していたヒラギセッチューカは「ちょっと近くに行って見てこようかな」なんて呑気な事を考えていた。
 ──次の瞬間。

『シロオオォォッ!』

 棍棒の先のようにのっぺりとして何も無かった”ソレ”。
 その先が、冷凍ラーメンが沸騰した時のように、急に膨らみ始めた。
 
 瞬きをする暇も与えずソレは、人の顔二倍ぐらいの大きさになる。
 ソレの先端に現れた顔のような円球。その中心に割れ目が生まれ、ゆっくりと広がる。
 現れたのは、手のひら二つ分の巨大な目玉。

 それが、ヒラギセッチューカの顔を、見つめていた。

「すっごいねぇ……。こりゃお化け屋敷に使ったら大儲けだよ」

 喉から飛び出るのでは、と錯覚するほど大きな心臓の鼓動。
 その鼓動と共に、いつ吸っているかわ分からないテンポで繰り返される呼吸。
 
 彼女の慌てっぷりは外から見ても明らかであった。
 しかし、ヒラギセッチューカはそれを隠すように、ハハッと乾いた笑いを出した。

『……シロ? シロだ。シロだシロだシロシロシロシロシロシロ──』

 先程の不気味な静寂が嘘のように、沢山の声帯を重ねたような音がヒラギセッチューカを叩く。

「逃げなきゃヤバいやつ……」

 本来なら心に留めておくべき声が、震えた彼女の口から漏れる。
 
 3.>>17

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.17 )
日時: 2023/03/26 19:00
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)


 3

 ヒラギセッチューカは瞬時に踵を返して先程よりも勢いよく地を蹴り、走り出した。
 それに反応した“黒い物体”は、全ての足で、ヒラギセッチューカの鼓動と同じテンポで地を蹴る。
 
 二階建ての民家と同じぐらいの高さにある、巨大な胴体を太い五本以上の足が支える。
 それらは絡まることなく動き、ヒラギセッチューカの元へ胴体を運んでいた。

「ハッ、ハッ、くっ……」

 ヒラギセッチューカは顔を顰め、吐く息を噛み砕く。
 土踏まずのツリ、関節がズレているのでは無いかと錯覚する違和感、太ももの痛み。
 それらに襲われながらも、陸上選手顔負けの美しいフォームで彼女は走る。
 しかし体の動かし方が上手くとも、痛みと元の力の無さはカバー出来なかった。

「はっや……」

 ヒラギセッチューカは息を切らしながら、ズレている狐面を片手で直す。
 一向に消えない複数の足音への焦燥感に耐えきれず、後ろを一瞥した。
 彼女は知ってしまう。”黒い物体”がすぐそこまで迫ってきていることに。

「追いっ……つかれる……」

 心の底から危険だと判断したヒラギセッチューカは両手を強く握り締め、胸に手を当てる。

 魔法が発動する。
 ヒラギセッチューカが地面を蹴った。

 彼女は先程よりも走るスピードを上げ、“黒い物体”からジリジリと距離を離し始めた。
 重心が前方向に引っ張らる。自身でも止められない速さと感じる。
 
 ヒラギセッチューカは逆行する風に当てられながら、先程よりも安定したリズムで呼吸を行った。
 苦しい事には変わらないが“黒い物体”から距離を取ることが出来たと確信した。
 しかし、とある違和感に気付く。

「はぁ、はぁ。あれ? ここさっきも通らなかった?」

 そう呟きながらヒラギセッチューカは道の角を曲がった。
 
 陶器や木彫りが置いてある土産屋の数々。偶に子供向けの絵本や、玩具が置いてある店。

 延々と続いていく気がする煉瓦の道。
 ヒラギセッチューカは嫌な予感がしながらも、もう一度前の角を曲がった。

「うっそぉ……」

 陶器や木彫りが置いてある土産屋の数々。偶に子供向けの絵本や、玩具が置いてある店。
 
 先程と全く同じ街並みが彼女の周りを取り囲んでいた。
 ヒラギセッチューカは絶望しながらも、必死に打開策を練るため頭を働かせる。
 がしかし、同じ景色が続く原因どころか、”黒い物体”の正体も分からない。
 策を練ろうにも情報が少なすぎるのだ。
 かと言って、無策のまま走り続けたら確実に”黒い物体”に追いつかれる。

 (どうしろっての、この状況……!)

 ヒラギセッチューカは奥歯を噛み締め、強く思った。
 腕を勢いに任せ振り、大きく足を前に踏み出し続ける。
 もう、無駄なことなど考えずに戦った方が良いんじゃないか。
 そう思ってヒラギセッチューカは首を捻り、”黒い物体”の様子を見た。
 自身に伸びる黒い腕が視界に入る。
 
 豪速球のように不気味な手のひらが、ヒラギセッチューカの足元目掛けて飛んでくる。

「伸びんの?! どういう体してんだっ!」

 ヒラギセッチューカは怒りと恐怖が混ざった絶叫を上げ、前方に視線を移した。
 そこには、もう何回通ったか忘れてしまった曲がり角があった。

 足元に伸びてくる手を躱すことぐらい今のヒラギセッチューカにならできる。しかしタイミングが悪かった。
 アスリートでもない彼女は、角を曲がるタイミング丁度に起こる妨害を躱す事は出来ない。

 それでも曲がり角は迫ってくる。

 (怪我はしたく無いんだよなぁ)

 ヒラギセッチューカはそんな自身の我儘を胸の奥にしまい、歯を食いしばる。
 角の所に前足を勢いよく出した。
 
 ズザッと、煉瓦と靴裏が擦れる大きな音がする。 
 彼女はこの後起こりうるであろう事を想像し、一つ大きな息を吐いた。
 
 出した前足を重心に体の方向を変える。
 あとは前に踏み出すだけだ。
 ヒラギセッチューカは重心だった足に精一杯力を入れて駆け出した。
 と同時に、妖怪の腕が角を曲がり切れず壁にぶつかる。
 バシャッと、水風船が割れたような音がした。
 しかし、それを気にする余裕はヒラギセッチューカになかった。

「うあぁっ!」

 ヒラギセッチューカは清々しいほどに勢いよく、前方へ転んだ。

 重心として使った足には全体重を乗せるため、勢いが最高潮に達する。
 それをスピードに上乗せ出来れば良いのだがそうはいかない。
 その勢いよりも早く、もう片方の足を前に出さないと転けてしまうのだ。

 そんなこと出来るわけないと確信していたヒラギセッチューカは素直に転ぶ。

「いっつ……」

 地面は接待が下手で全身に痛みが走る。腕や頬にジャリっと食い込む小さな砂の感覚。
 ヒラギセッチューカはそれを味わいながら立ち上がった。
 
 この場で転けたら”黒い物体”に確実に追いつかれる。
 そんなこと彼女も分かっていた。
 立ち上がるのは無駄に近い行為だ。
 それでも、上半身を起こして駆けだそうとする。

 と、ヒラギセッチューカの真隣から謎の手が伸びてきた。
 その先は影で奥が見えない裏路地。
 彼女はすぐさま別の手の存在に気付き、乾いた笑いを出た。

「あー。死んだわコレ」

 4.>>18

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.18 )
日時: 2023/03/26 19:00
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)


 4

 ヒラギセッチューカは腕を何者かにガシッと掴まれ、真っ黒い大口を開ける路地裏に引っ張られる。
 彼女は抵抗することを諦め、流されるまま暗闇に飲み込まれた。

「いたっ」

 おもむろに引っ張られ、ヒラギセッチューカはまたもや転んでしまった。

 火に炙られている様なヒリヒリとした痛みと、疲労で動かない筋肉。今すぐ痛みを消し去りたいが、今の自分には出来ないと分かっていた。
 ヒラギセッチューカはこの後襲うかもしれない苦痛を想像し、諦めた様に仰向けになる。

 太鼓のような音が高速で鼓膜を叩き、徐々に大きくなっていく。
 それが“謎の物体”の足音なのか、自身の鼓動の音なのかは判別がつかなかった。
 音量が最高潮に達した時、ヒラギセッチューカは無意識に息を大きく吸って、止めた。

(花見がしたいな)

 恐怖と緊張で頭は真っ白。
 唯一ヒラギセッチューカの頭に浮かんだ言葉は、そんなどうでも良い事だった。
 
 地面からの振動を感じながら息を止め続ける。
 指、腕、太ももから湧き出る熱湯が落ち、それが鮮明に感じるようになる。
 左胸にある異物が、何回も内側の肉を押し出す。
 
 “謎の物体”の足音が徐々に小さくなってく──

「あ、れ?」

 その事に気付いたヒラギセッチューカは、安堵と戸惑いの声を吐き、呼吸を再開した。

 体から熱気が漏れ、走ったことで不足していた酸素を必死で取り込む。
 思考を回せるほどの余裕が無い彼女は、ただ呆然とすることしか出来なかった。

「大丈夫か?」

 溢れ出る恐怖を包み込み、それを全て安堵に塗り替えてしまうような低く優しい声。
 ヒラギセッチューカはそれに聞き覚えがあり、酸素を取り込む事を無理やり辞めて、名前を発する。

狐百合きつねゆり 癒輝ゆうき……」

 ヒラギセッチューカを路地裏に連れ込み、助けた人物。
 それは、光の反射なのか元々の色なのか判断が難しい白がかった赤い髪と、それと同じ色の瞳を持つ長身の男性。
 入学式、ヒラギセッチューカとブレッシブの喧嘩の間に割って入った、ユウキだった。

 また助けられたな、とヒラギセッチューカは意味もなく息を吐く。

「あ、あぁ。俺はユウキ。君は?」

 ヒラギセッチューカは認識阻害魔法がかけられた狐面を被っている。そのため、ユウキはヒラギセッチューカを認識出来ていない。
 初対面の誰かと思っているのだ。
 ユウキは、自身の名前を当てられたことに焦りを見せる。

 ヒラギセッチューカは鉄のように重い腕を動かして狐面を外した。

「ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー」

 暗闇の中、微かな光を反射する白髪が現れる。
 ユウキはそれに目を見開き、罰が悪そうに謝罪をした。

「ヒラギ?! すまん気付けなかった」
「いーのいーの。仕方ないって」

 ヒラギセッチューカは笑いながら言うが、未だ落ち着いていないのか息を切らしている。
 ユウキはせめてもの償いとして、ヒラギセッチューカの上半身を起こし、背中を擦った。

 一定のリズムでヒラギセッチューカの背中を、丁度いい力加減で摩る暖かい手。
 死人のように冷たく白い彼女の肌に、その暖かみが染みていく。

 それに安心を覚えながら、彼女は再度狐面を被る。
 しかし、ユウキはヒラギセッチューカを認識したまま。既に認識されている相手だと、認識阻害の効果は薄くなるのだ。

 呼吸が落ち着き、声を出せる余裕が出てきたヒラギセッチューカは笑って言った。

「ユウキって、背中摩るの上手いね」
「言ってる場合か!」
「ごめんごめん」

 と言いながらも、ヒラギセッチューカは楽しそうに笑っていた。ユウキは「真面目にしろ」とそれを咎める。
 それを無視して、ヒラギセッチューカはため息のように言葉を吐いた。

「それでぇ、何あれ」
「俺も初めて見るから分からないが、多分、噂の“妖怪”じゃないのか?
 陰陽師コースの体験授業で聞いた程度でしか知らないが」
「あぁ、〈都市ラゐテラ〉にだけ出るっていうアレ?」
「そうそれ」

 ヒラギセッチューカはまず“妖怪”の見た目以前に、それが現象なのか生物なのかも知らない。
 その為、あの“謎の物体”を妖怪と断言は出来なかった。
 
 しかし、それ以外の可能性は思いつかない。
 ヒラギセッチューカは消去法で、“謎の物体”は“妖怪”だと確信することにした。

「てことは、私達結構危ない状況だなぁ」
「もっと危機感を持て! 入学式の時もお前は……」
「ごめんって。危機感持つからお説教は勘弁よ?」

 ヒラギセッチューカが悪びれない笑顔であしらう。
 ユウキは不服に思うが、今は説教している場合でも無い。そう思った彼は、仕方なくその場で言葉を飲み込んだ。



 ここまで読んでくださった方へ重大なお知らせ。>>19

 5.>>20

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.19 )
日時: 2023/03/17 22:18
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: VNx.OVCe)

こんにちはベリーです。
私は盛大なミスをやらかしました。
投稿しなければならなかったお話 2レス分を投稿していませんでした。現在修正をして正常な話に戻りました。

端的に話すと、>>13-14の内容が大幅に変わったよ。お話が繰り上がったよって事です。
この創作、通称 俺為をこの先読むつもりだよ! って方がいらっしゃったら、>>13-14を読み返してください。お手数をおかけ致します……。
失礼しました。

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.20 )
日時: 2023/03/26 19:01
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: k8mjuVMN)


 5

「危機感を持ったヒラギセッチューカは思い出しました。
 妖怪に遭遇した時は、隠れて陰陽師の助けを待つべきだということを。
 あと、学院都市には何かあった時の避難場所があるということを」

 ヒラギセッチューカは、陰陽師コースの体験授業で習った事を、真面目とは思えない態度で言う。
 
 ヒラギセッチューカに自身の言葉が全然響かず、ユウキは「ふざけるな……」と微かな抵抗しかできなかった。
 それと共に、彼も体験授業の記憶を必死に掘り起こす。

「確か、妖怪は出現時に結界を張るんだったか」
「あぁ、だから同じ道が繰り返されるの」

 ヒラギセッチューカは妖怪から逃げていた時の事を思い出す。
 ユウキはその事を知らなかったのか「逃げ道ねぇじゃん」と苦い顔をした。

「そう言う時の為の避難場所でしょ!」

 ヒラギセッチューカは笑顔でパチンと指鳴らす。しかし、ユウキの顔は晴れない。

「お前、どこに避難場所あるのか覚えてるのか?」
「覚えられる訳無いじゃん。学院都市どんだけ広いと思ってんの?
 あっ……」
「そういうことだ」

 ユウキもヒラギセッチューカも学院都市に来たばかり。一回の授業程度で避難場所を覚えられる訳が無かった。
 それを理解したヒラギセッチューカは先程の明るい顔は何処へやら、神妙な容貌になる。

「ヒラギ、どうする?」
「もう陰陽師が来るまでひたすらに待つしか無いでしょ」
「妖怪に触れると魔素逆流を起こして、最悪廃人と化すんだぞ?」

 ユウキの言葉に、ヒラギセッチューカは片手を口に当てる。そして、初めて真剣な声色で言った。

「本気でヤバくなってきたな」
「気付くのが遅せぇよ」

 ヒラギセッチューカはムッとした顔をするが、考えることを辞めない。
 
(このまま路地裏にいても良いけど、妖怪に見つかるリスクは高いし、もっと安全な場所に移りたいんだよね。けど、そんな場所思いつかないし──)
 
 ユウキもヒラギセッチューカと似たような事を考えていた。
 しかし、幾ら考えを巡らせても良い案は思い付かない。

「一周回ってここで隠れ続ける方が良いかも」

 ヒラギセッチューカは良い案が思い付かず、そう呟く。ユウキもそうだった様で「それしかないな」と、その案に乗った。
 そして、二人は路地裏の壁に背中を着けて黙り始める。

 激痛故に廃人と化し、軽いものでもトラウマになると言われる〈魔素逆流〉
 妖怪に触れただけでそれを経験すると思うと、ユウキに悪寒が走った。
 死ぬことは無いだろうが、最悪、死よりも恐ろしい経験をするかもしれない。
 
(考えるな。考えるな俺!)
 
 そんなこと考えても、恐怖を膨らませる事にしかならない。ユウキは必死で自己暗示をした。

「〈魔素逆流〉かぁ。結界から出た頃には二人仲良く廃人になって、まともな考え出来なかったりして!」

 ヒラギセッチューカはユウキのように恐れていないのか、それともバカなのか。能天気に笑って言った。
 
(なんで今その話をするんだよっ!)
 
 ユウキは泣きたくなるが、そんな情けない事は出来ないと必死で抑える。

「お前、怖くないのかよ」
「めっちゃ怖いよ?」
「全然そうには見えねぇ」

 恐怖でヒラギセッチューカのテンションに付いて行けなくなったユウキは、萎れた花のように呟いた。
 それを見たヒラギセッチューカは苦笑いする。

「ごめんからかいすぎた」
「こんな状況で……。性格悪いぞヒラギ」
「否定はしないよ」

 悪びれも無いヒラギセッチューカに、ユウキは何を言っても無駄だと理解する。
 そして、三角座りをして膝に顔を埋めた。
 
 相手を怒らせて楽しむ悪趣味があるヒラギセッチューカ。彼女は怒らず、自身を嫌う様子も見せないユウキに驚いていた。
 
(ユウキは懐が広いな。何かの主人公みたい)
 
 そんなどうでも良い事を思いながら、ヒラギセッチューカも黙り始める。

 妖怪の足音はあれっきり聞こえていない。
 何処かしらに留まっているのか、消えたのか、陰陽師と交戦中なのか。
 考えても仕方がないが、緊張感が走る空間で二人は何かしら考えずにはいられなかった。
 視界には向かい側の建物の壁しか映っていないが、不満に思わず見つめ続ける。
 
 すると、不意に自分とユウキ以外の物体が空を切り、近づいてくる感覚がヒラギセッチューカにした。
 肌を芋虫が這いずり回るような悪寒が走る。
 
(何かいる?! 妖怪? 嫌、そんな訳ない! あんな巨体が路地裏に入り込めるわけ無いし)
 
 先程まで熱湯のような熱さだった汗が冷水に早変わりする。彼女はその冷水を浴びながらゆっくりと顔を横に向けた。

『シ ロ だ』

 ヒラギセッチューカの体温が無くなる。

「うわあぁっ!!」

 ユウキの絶叫が木霊した。
 路地裏の隙間から首だけを伸ばし近づいてきた妖怪。そして、二人を見つめる巨大な目玉。それが、ヒラギセッチューカの至近距離にあった。
 
 彼女は、言葉と呼吸の中間のような音を口から出す。

「ぁっ、はっ……」

 なんでここに? 死ぬのかもしれない。逃げなきゃ。ここで終わりだ。何故見つかった? ちょっと騒ぎすぎたかな。怖い。逃げるのめんどくさい。ユウキだけは。嫌だ逃げたい。面白! 痛いのは嫌だ。首だけ伸ばすとか頭良いなコイツ。体動かない。

 ヒラギセッチューカの頭に、矛盾した感情と想いが溢れ出す。そして、何に従えば良いのかと混乱した体はそこでショートしてしまった。

「逃げるぞっ!!」

 入学前は冒険者だったユウキは、判断が早かった。

 自分の頭に溢れかえる沢山の指示よりも、外からの指示を信用したヒラギセッチューカの体はすぐさま立ち上がり、駆けた。
 それに続きユウキも走り出す。

『シィィィロオォォ!!!』

 不気味な金切り声を背に、二人は妖怪がいる方向と反対側の出口を目指す。そして、土産屋が並ぶ通りに出た。

「おいおいどーするこの状況!」

 ヒラギセッチューカの後ろを一生懸命走るユウキが叫んだ。
 
「逃げる以外無いでしょ!」
「じゃあ、お前だけ逃げろ!」

 迷いない、弓矢のように真っ直ぐな言葉がヒラギセッチューカを射抜く。
 それに嫌な予感を覚えながらも、ふざけながら彼女は言った。
 
「は、図りかねる言葉が聞こえたんですが」

 ヒラギセッチューカは後ろを振り向く。
 いつの間にか、ユウキは自身の後ろの後ろを千鳥足で走っていた。

 そして、そのすぐ後ろにいるのは先程の”謎の物体”──妖怪。

「俺は、ちょっと休んどくよ」

 ユウキは「走るのが苦手だ」とは言わなかった。ヒラギセッチューカを不安にさせないようにしているのだ。
 しかし、誰でもその青白い恐怖の顔を見るだけで、彼の心情は手に取るように分かる。
 
(めちゃくちゃ怖がってんじゃん)
 
 そう思うと、ヒラギセッチューカは少し笑い声が出てしまった。そして言った。

「ゆっくり休んで!」

 彼女は、クズと言われても仕方ない言葉を元気よく放った。

 6.>>21

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.21 )
日時: 2023/03/26 19:01
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)


 6

「お前って奴は……」

 ヒラギセッチューカに見放された筈なのにユウキは失望しなかった。
 それどころか、無邪気な子を見る祖父のような優しい目で彼女を見る。
 ユウキは疲れ果て、その場で立ち止まった。

 迫る黒い手。不気味な五本指がゆっくりと開いて、ユウキの革ブーツを掴む。

「いっ……」

 ユウキは恐怖で声をもらす。
 
 しかし、痛みは襲ってこなかった。
 彼はそれを不思議に思うと同時に、安心して体の緊張が解れる。
 また別の手がユウキの胴体を鷲掴みにした。
 その時。

「ぐあぁっ!!」

 肉を、骨を。
 いや、もっと繊維な部分。
 血管一つ一つに人喰い蛆虫が這い回る様な激痛が、彼を襲った。

「いぁっ! あ゙あ゙ぁっ!」

 痛みの原因はユウキを掴む黒い腕。それは彼も簡単に分かった。
 ユウキは痛みを消したいがために必死でもがく。
 声を枯らし、足裏で煉瓦を擦り、黒い腕を引っ掻く。

「だぁっ! だずげてぇっ!!」

 しかし、藻掻く為に妖怪に触れると、魔素を吸われ、痛みは増える。
 逃げたくても逃げられない。
 逃げる術は無いと分かっていながらもユウキは暴れた。そして、暴れる力が徐々に減っていく。
 遂には痛みに抵抗する精神力が無くなり、ユウキは脱力してしまった。

「あっ、あぁ……」

 それでも激痛は無くならない。
 
 脳を「痛い」という言葉が支配し、ユウキはもう何も考えられなくなっていた。
 手足がピクピクと痙攣して目は充血する。
 彼の肺から放出される空気は、嗚咽という名の音を出し続けた。

 妖怪はユウキを持ち上げる。力無く宙にブラブラと揺れる両足。
 ユウキは思考が停止し、自身の口から漏れ出す唾液をどうにかしようとも思えなかった。

 もう終わりだとか、死ぬ実感だとか、絶望だとか。
 そんな感情すらも与えてくれない激痛が遅う。
 それが、〈魔素逆流〉であった。

「かっ、カァッ……」

 ユウキが放つ言葉は最早ただの音だ。
 それを妖怪は興味深そうに見つめて言う。

『シロダケド、チガウ?』

 “妖怪かれら”が探しているシロ。
 “妖怪かれら”が求めなければならないシロ。
 それとは、全く違ったシロだった。

「──白って200色あるらしい、ねっ!!」

 その声と共に何かがユウキを掴む腕に飛ぶ。
 それは薄茶で、光を反射する程に綺麗に削られた木刀だった。

 木刀は回転しながら一直線に飛び、黒い手首に刺さる。それでも木刀は勢いを止めず、遂には貫通して手首を斬った。
 斬っても尚木刀は回り、弧を描いて元の場所へブーメランのように戻る。

「ぁ──」

 手首が斬られた事により落ちるユウキ。
 痛みから解放されたはずなのに、全身が麻痺したように体は動かない。
 まず、状況が理解出来るほどの余裕もなかった。

(あぁ、落ちてる)

 そう思った頃には遅く、地面は間近にまで迫っていた。
 宙に突き出す自身の掌。何かに縋るように、それは揺れていた。しかし、何かを掴める気配もしない。

 今出来ることは無い。
 彼はそう悟った。

 ユウキは腰から墜落する。

「ぐふっ!」

 ──と、誰かの汚い唸り声がユウキの世界に割って入った。
 地面に落ちたとは思えない柔らかな痛みと、平らな道とは思えない凸凹した地面。
 ユウキを迎えたのは歓迎下手の地面ではなく、ヒラギセッチューカだった。

「腰、腰がぁ……」

 ヒラギセッチューカは喉から絞り出した様な掠れ声を出す。

 ユウキは男性の中でも長身な方で、その分体重も重い。対してヒラギセッチューカは女性の平均的な身長だがガリガリにやせ細っている。
 そのため彼女のダメージは測り知れなかった。

(痛いのは、嫌だ。痛かった。もう痛いのは──!)

 解放されたと言うのにユウキは未だ恐怖で震えていて、意識が飛びかけていた。
 痛がるヒラギセッチューカを見ても尚、ユウキは状況が理解できない。
 それでも考えることを諦めはしない。

「らぁん、で……」

 ユウキは『何故ここに居るのか』という疑問を投げかけたが、呂律が上手く回らない。

 7.>>22

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.22 )
日時: 2023/03/26 19:01
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)


 7

 それでも、ヒラギセッチューカはユウキの言いたいことを察していた。

「あのまま逃げてもユウキと同じ轍を踏むだろうし。戦う準備してきた」

 ヒラギセッチューカは先程投げた木刀を見せながら、ゆっくりと起き上がる。

 ユウキを見放しても自分が捕まるのは時間の問題。ならば戦うしかない。あの時、ヒラギセッチューカはそう即決した。だからユウキを囮にして武器を探しに行ったのだ。
 その決断に躊躇いが無い点は、彼女の性根の腐り具合が窺える。

(まさか、買ったら後悔する土産トップ3に入るであろう、木刀があるとは思わなかったけどね)

 ヒラギセッチューカはユウキの上半身を起こし、数回肩を叩く。

「というか、青年大丈夫? おーい」

 焦点が合わず、口を開いて唾液を垂れ流すユウキ。脱力してヒラギセッチューカに全体重をかけて「あ゙あ゙あ゙」と唸っている。
 それを見て流石のヒラギセッチューカも動揺し、おちゃらけた言葉に焦りが見えた。

『シロォ……?』

 そんな二人を妖怪は興味深そうに見下げる。
 そして、虫取りする子供のように、ゆっくりと二人に腕を伸ばした。
 ヒラギセッチューカは危機感を覚え、必死で頭を回す。

(どうしよう。またユウキを見放す? けどこれ以上苦しまれると、流石に気分が悪い。
 かと言って守りながら戦えるほど私も強くないし……)

 刻一刻と迫る巨大な黒い掌。
 ヒラギセッチューカの胸の音が決断を急かすように早鐘を鳴らす。
 それを鳴り止ませたいがために、ヒラギセッチューカは自身の胸を鷲掴みにした。

『ヤット、シロ……』

 妖怪の呟きに近い言葉が、その意味が、微かにヒラギセッチューカの脳裏を掠めた。
 出会ってからずっと『シロ』を連呼するのに、ユウキを『チガウ』と妖怪は言う。

(相手の狙いは十中八九私だ。ということは、ユウキには興味無い?)

 妖怪の掌の影が二人を覆う程までに近づくが、ヒラギセッチューカはもう次にやることを決めていた。

「こっち……。ほらほらこっちこっち!」

 ヒラギセッチューカはユウキを寝かし、挑発しながら木刀を持って走り出した。

 またもやユウキは置いてきぼりにされる。しかしユウキは置いてきぼりにされたことすら理解出来ていない。
 ただ、ヒラギセッチューカが危険だと言うことは何となく分かった。

「あ、ぁっ」

 ユウキが嗚咽を漏らしたと同時に、視線がヒラギセッチューカに釘付けの妖怪も動き出す。
 長く太く多い腕を器用に動かし、妖怪は走り出した。
 
 彼女の予想通り、妖怪の狙いはヒラギセッチューカだったようだ。

『シイィィッロォッ!』

 妖怪の金切り声を背に受けて、ヒラギセッチューカの体に電流が走って震える。けど走ることは辞めない。
 それどころかヒラギセッチューカは生意気に、威勢よく言った。

「妖怪さぁん! 正々堂々の一騎打ちしましょうよ!」
『マッテエェェッッ!』

 妖怪は、まるではしゃぐ幼子のように叫び、スピードを上げた。
 ダダダッと、リズム良く地面を叩く妖怪の腕々に焦燥感を煽られる。
 それがもどかしくて、ヒラギセッチューカは落ち着つこうと胸を摩った。

 ある程度ユウキと距離が開いたと判断すると、急ブレーキかけてその場で止まる。
 止まらない妖怪。止まらない心音。

 恐怖を、苛立ちを、興奮を、不安を。
 右足をタンタンと鳴らし外に出す。

(妖怪ってなんの攻撃が効くんだろう。というか倒せるのかな。私の攻撃が全て無効になるかも──)

 それでも彼女の不安は止まらない。しかし、これ以上感情を発散させる方法も余裕もない。
 ヒラギセッチューカは想いの全てを自身の内側に押しこんだ。

 勢いよく木刀を振り上げ、妖怪に向ける。

「“怖い”ってこういうことだったね。もう経験したくないな」

 木刀を持つ彼女の手が、微かに震える。
 
 体や脳の奥の奥。核に近い部分が叫び暴れる。逃げたい、怖い、行きたくないと。
 しかし、逃げた方が苦しい目に合うだろう。
 
(どっちも嫌だな──)
 
 ヒラギセッチューカは、妖怪に向かって走り出した。

 8.>>23

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.23 )
日時: 2023/03/27 21:49
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: rOrGMTNP)

 
 8

『シロッ! ヨコセエエエ!』

 妖怪が体から幾つもの黒い腕を生やしてヒラギセッチューカに掴みかかる。
 ヒラギセッチューカは簡単にかわした。
 
(あの勇者の剣術の方がよっぽど速いから躱すのはカンタン。
 けど、油断して触れたら不味いし余裕はこけない──)
 
 腕を躱すのは簡単だ。しかし、連続する単純な動きほど起こりやすいミスは無い。
 ヒラギセッチューカは手に汗を握りながら慎重に、黒い手に触れないよう心がける。
 だが、いつまでも避け続ける訳にも行かない。そう考えたヒラギセッチューカは一旦動きを止めた。

 (なにかしら反撃しないと)

「〈参・氷塊〉」
 
 初級である氷魔法の詠唱。
 ヒラギセッチューカが唱えると、宙に手のひらサイズの氷が数多現れる。
 それらは一直線に妖怪へ飛んだ。

 危機を感じたのか妖怪は、体からまた何本も腕を生やして胴体をガード。
 氷が妖怪に命中したのは同時だった。

「あれっ、効いてない?」

 鳴った音はパリンでも無ければガシャンでも無い。ボトンッ。片栗粉水に落とした様な音だ。
 黒い霧の集合体の様な腕に氷がゆっくりと飲み込まれて、消えた。

「まさかっ……」

 ──妖怪は触れた物の〈魔素〉を吸収する特性があるのです。

 ヒラギセッチューカは陰陽師コースの体験授業を思い出す。
 そう。妖怪は魔法を魔素として吸収している。
 魔法が効かない上に魔素を吸収して強化もするのだ。

 それに気付いたヒラギセッチューカは、絶望をため息として吐き出して呟いた。

「ファンタジーにそれアリ?」

 ”魔法”という攻撃手段を全て奪われた。ヒラギセッチューカを無力感が襲った。

(いや、悲観しても絶望しても、状況は変わらない)

 ヒラギセッチューカは、手元にある木刀を力いっぱい握って自身を鼓舞する。木刀が落ちない程度の軽い力で握り直す。
 と共に、向かってくる黒い手を睨んだ。

「ふんっ!」

 掛け声を漏らして腕を振り上げる。
 木刀は空気抵抗をほぼ受けず空を切り、妖怪の腕を叩いた。

「当たった?!」

 ユウキを持ち上げられる程の強度があることは分かっていた。
 けれど、物理攻撃がまともに効くとは思わなかった。
 妖怪の正体が不明すぎるが故に警戒を強めていたヒラギセッチューカは驚く。
 
 感触はあるが、人の肉ほど固く無い。
 軽く木刀を振り上げて妖怪の腕に食い込ませる。と、紙粘土を切る様な感覚がした。
 
(もしかしてこれ、斬れるんじゃ?)

 ヒラギセッチューカは更に力を加える。とても簡単とは言えないが斬れた。
 黒く半透明な霧の塊。それが木刀の軌道に沿って、綺麗に散ってく。
 斬られた腕は放物線を描いて地面にベチャッと落ちた。
 形が崩れ溶けて魔素となり、蒸発するように消えて行く。

「……」

 ヒラギセッチューカはその様子を憂い顔で眺める。
 しかしそんな事をしてる暇など無い。隙をついて、また腕がやってくる。
 ウゾウゾとしなる不気味な腕に、ヒラギセッチューカは背筋をゾッとさせた。

「うわっ!」

 と驚きながら、反射神経が腕を斬る。

 妖怪の体は紙粘土のようで、感覚的には斬ると言うよりちぎるという方が正しいかもしれない。
 奇妙な肉体を斬り続けるヒラギセッチューカは、その感覚を噛み締めながら考える。

(学院長と体の作りは同じ? ますます”妖怪”の正体が分からない)

『シロ……シロヨコセ!』

 妖怪に感情があるのか、痛覚があるのかは分からない。ただ妖怪は怒るように叫んだ。

 ヒラギセッチューカは怯え、身構える。
 雄叫びを上げた妖怪は、間髪容れず複数の腕をヒラギセッチューカに伸ばした。
 遠心力で動かない体を力任せに動かして、またヒラギセッチューカはかわし始める。

「はぁ、はぁっ……」

 呼吸が荒く、動きが鈍くなり、動く度に汗が地面に落ちる。

 別にヒラギセッチューカは物理戦闘が苦手という訳では無い。
 むしろ体質上、今の彼女には魔法より物理の方が得意まであるだろう。
 しかしヒラギセッチューカの視界は元々悪く、その上結界内に漂う白い霧のせいで、視界情報が0と言っても過言で無いのだ。
 
(更に魔法無効とお触りNGって。キッツ……)

 絞ったスポンジの様に汗が湧き出てくる。
 狐面も蒸れて呼吸もし辛い。物理的に視界も塞いでるから邪魔だ。ただ狐面を外せる余裕がない。

 9.>>24

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.24 )
日時: 2023/03/28 17:10
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: jfR2biar)


 9

「打開策、何か打開策──」

 追い詰められた余り、心の声を漏らしてヒラギセッチューカは考える。
 妖怪の体を構成するのは恐らく魔素だ。
 魔素というのは、存在の“核”から自然生成もされる。
 生物ならばその“核”は魂。しかし、妖怪はとても生物とは思えない。
 何かしら魂以外の核があるはずだ。

「目玉──。こういうのは目玉が弱点って、相場が決まってなかったっけ?」

 それは、ただの仕様も無い勘である。くだらない、ヒラギセッチューカの。
 しかし黒い胴体と比べて、白く大きく一番目立つ目玉に目をつけるのも、間違いではなかった。
 “目玉が核”とヒラギセッチューカは自身の直感を信じきる。
 そして、先程と同じように四方八方の腕をかわし続ける。全ての腕の根源である妖怪の胴体へと歩を進めながら。
 ヒラギセッチューカの前方から腕が伸びてくる。
 それは今までの様にしなっていなかった。
 弓矢のように真っ直ぐと、ヒラギセッチューカの足元に伸びてくる。

(急に動きが単調になったな。疲れたのかもしれないし、好都合!)

 その慢心が、命取りであった。

 ヒラギセッチューカはその腕を軽くジャンプしてかわすも、着地点に先回りして別の腕が伸びる。
 しかし目が悪いヒラギセッチューカは気付いて居ない。

「あ゙あ゙っ!!」

 ヒラギセッチューカの足首に激痛が走る。
 単純な動きの腕は、ヒラギセッチューカの気を逸らす囮だった。
 妖怪が掴む足元から、蛆虫が肌を這い回る様な痛みが襲う。
 魔素という体内のエネルギーを吸われているのに、溶岩が肉を裂き、骨に異物が入る様な激痛。
 それが木の根のように足首からふくらはぎ、腰へと徐々に侵食していく。
 
「頭ぁいいねぇ! 魔素の塊のくせにっ!」

 ヒラギセッチューカは自身の足を掴む腕を蹴りながら、皮肉を叫んだ。
 魔素の塊で、正体不明で、生きているかどうかも分からない妖怪に、恐怖を越えて怒りが湧き出てくる。
 痛みを吐き出すようにヒラギセッチューカはもがく。
 しかし、腕は一向に離れる気配がしなかった。

 ふと、学院指定のブーツを履いている箇所だけは痛くないことにヒラギセッチューカは気付く。
 
(このブーツは、魔素を通さない?)
 
 魔素逆流の激痛に襲われるヒラギセッチューカにとっては今更な事だったが。

「こっの、ぐっぞ! 離して!」

 ヒラギセッチューカは足首を掴む妖怪の腕を斬るために木刀を振り上げる。
 しかし、それを阻止するように別の腕がヒラギセッチューカの腕を掴む。

「ひあ゙ぁっ!」
 
 別の痛みの源が生まれてヒラギセッチューカは叫ぶ。
 それが合図になった。妖怪から伸びる腕の全てがヒラギセッチューカに集まる。
 電柱ぐらい太く、黒く、ウゾウゾと動く腕が白皙を隠す。
 ヒラギセッチューカの胴体を絞める様に腕がまとわりついて、白が見えなくなっても尚、上から腕が重なり続ける。

「うぁっ、あ゙あ゙っ……」

 ついにはヒラギセッチューカより一回り大きい黒い繭が作られた。
 それは地面から浮いて、妖怪の胴体がある高さへ持ち上げられる。

(痛い痛い熱い熱い──何も感じない)

 溶岩に焦がされ続けて神経が燃え尽きてしまったのか、ヒラギセッチューカは感覚が無くなっていた。
 勿論、激痛も、紙粘土の様な黒い腕に包まれていることもヒラギセッチューカは感じている。
 ただ、脳みそが麻痺してしまって何も感じていないと錯覚してるだけ。

(あぁ、地獄だ──)

 ヒラギセッチューカはその感覚に覚えがあった。
 死にたくとも死ねない。ただ痛みに身を焦がされ続け、絶叫し続け、何も考えられなくなるこの状況に。

(死ねたら楽になるのに、一向に死なない──)

 ヒラギセッチューカは徐々に弱っていて、このままだと命が尽きる。
 しかし、感覚が麻痺して身の危機を知らせる“痛み”という機能が働いてないヒラギセッチューカは、自身が死なないことに疑問を覚えていた。

(永遠に感じる痛み──)

 恐怖の感情が脳から溢れ出てくる。
 この痛みから、恐怖から離れたい。その気持ちだけがヒラギセッチューカの脳を這い回り理性を奪ってゆく。
 頭の液体が物凄い勢いで蒸発していくような感覚と共に、ヒラギセッチューカの意識が薄れていく。

 ──ヒラギセッチューカの体が溶けてゆく


 10.>>25

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.25 )
日時: 2023/04/04 17:47
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: eOcocrd4)

 10

「ひらぎぃっ!」

 薄れかけたヒラギセッチューカの頭に、稲妻のように声が走る。
 刹那、前触れもなくヒラギセッチューカを包む腕の一部が抉れる。真っ暗な視界に外部の光が乱入した。
 激痛で頭が働かない。それでも状況を理解しようと、ヒラギセッチューカは狐面越しに外を見た。

「あぁ、狐百合きつねゆり 癒輝ゆうき──」

 腕の向こうに映るのは、震えた足で立つユウキだった。
 ユウキは何故か、片手を銃の形にして妖怪を指している。
 ユウキが放った魔法が腕の一部を抉った。そうとしか考えられない状況にヒラギセッチューカは疑問を持つ。

(妖怪に魔法は効かない筈じゃ? まず魔素逆流を受けたのに何故立ってられる? 何故魔法を打てる?)

「ヒラギ出て来いっ!」
 
 ユウキの怒鳴りに近い叫びに疑問が全て吹っ飛んだ。
 恐怖と痛みから開放されるチャンス。それをみすみす逃しそうになった自分にヒラギセッチューカは怒りを覚える。

 縛りが緩んでいる妖怪の腕。
 ヒラギセッチューカは激痛を受けながらも、空いた穴に手を伸ばす。それを阻止するように、妖怪は新たな腕で穴を塞ぎ始めた。
 徐々に消えゆく外界からの光。ヒラギセッチューカの腕は、力無く落ちようとしていた。

(別に、このまま陰陽師を待てば良い話だし──)

 自身が妖怪に捕まっていればユウキに危険は無い。死ぬわけでも無さそうだし、無理に抵抗する必要は無いんじゃ。
 何故必要に抵抗しようとするのだろう。
 何故必要に痛みから逃れようとするのだろう。

 ヒラギセッチューカは自分に言い聞かせて、諦め始める。

(違う、そうじゃない。なぜ私は夜刀学院に入学した。なぜ、自身の危険を顧みずに、皆を置いて、夜刀の傍に来た!)

 効率とか、非効率とか、そんなの関係ない。
 これは、ヒラギセッチューカという“人格”の。アイデンティティの問題だ。

「必ず貴方を救って見せるって! 晟大っ!!」

 彼女は入学前、何があったのか。“晟大”とは誰のことなのか。
 ヒラギセッチューカ以外、知る由もない。

 ブチブチブチ
 
 ゴムをちぎる爽快な音が鳴る。それは一向に止まることなく、連鎖する様に音が重なる。
 黒い腕を蹴り、殴り、掴み、噛みちぎり。
 ヒラギセッチューカは必死で脱出を試みる。
 
「いだい、いだいいだいいたい痛い痛い痛い!!!」

 ヒラギセッチューカは喉という機能を上手く使わず。元々の白銀のような美しい声が出る喉で力任せに発声し、汚い声で叫ぶ。

 考えていることは『痛い』
 ただそれだけ。
 
 さっきの決意が考えられない。過去も因縁も入る隙が無い程の激痛が襲っている。
 それでも、体は自然と光に向かいもがいていた。

「あ゙ああぁぁっ!」

 叫び声が発せられたのと、ヒラギセッチューカが解放されたのはほぼ同時だった。
 腕から解放されたヒラギセッチューカは、重力に従って地面に落ちていく。
 
 それを見逃すまいとヒラギセッチューカに伸びる黒い腕。
 薄れゆく意識の中、必死でヒラギセッチューカは妖怪を見やって、木刀を強く握りしめた。

「くぅっ……」

 空気を噛み砕くような声を出す。ヒラギセッチューカは落ちながらも、滑稽にもがき体勢を変えた。
 伸びてくる腕に無理やり足を付けて、乗った。
 さっきまで絶望感に苛まれていたはずなのに、今のヒラギセッチューカは微笑んでいた。
 まるで、自身の恐怖を相手から隠すように。

 夜刀学院制服のブーツは魔素を通さない。妖怪に魔素を吸収されない。
 魔素逆流に苦しむことはないのだ。
 ヒラギセッチューカは一切の痛みを感じないまま、妖怪の目玉に向かって走り出す。

 目の前からやってくる黒い手。ヒラギセッチューカは微かに顔を動かす。ビュンッと風きり音が耳を撫でる。
 でも、狐面越しに見える紅目の視線は妖怪の目玉から離れない。

『シロハ、シロハ、キレイ、ハカナイ、ダイキライ』

 支離滅裂な妖怪の言葉。
 怒りとも憂いとも思える声色、とヒラギセッチューカは感じた。
 先程よりも早く、複数の腕はヒラギセッチューカを掴もうとする。
 それを丁寧にかわす。斬る。足場を変える。
 ヒラギセッチューカは目を細めて叫んだ。

「じゃあ、なんで欲しがるの!」

 妖怪に返事をするほどの知能があるのかは分からない。
 しかし、ヒラギセッチューカは問う。
 ヒラギセッチューカは呼びかける。
 妖怪は、返事をしなかった。

「──目玉」
 
 ヒラギセッチューカの視界が、白い目玉で埋められる。
 手元の木刀を足元に伸ばす。
 そして、振り上げた。


 11.>>26

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.26 )
日時: 2023/04/04 17:55
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)

 11

『ビィヤアァァァッ!』

 金属音と聞き間違えそうな叫び声が襲う。
 目玉の切り口は、粘土を切ったような状態だった。

『ミエナイッ! タスケテ!』

 人の言葉を話す妖怪はそう、誰かに助けを乞う。痛みを外に逃がそうと暴れ始める。
 ヒラギセッチューカは腕から落ちないようバランスを必死に保つも、妖怪の叫び声が不快でつい、耳を塞いでしまった。

「うおおっ、あっ」

 両手が塞がれたヒラギセッチューカはバランスを崩して、目玉の切り口に落ちてしまった。
 妖怪の体内がどのような構造かは分からない。未知の漆黒がヒラギセッチューカを招き入れた。

(ユウキ、怖がりすぎてすっごい顔になってたな──)

 目玉に落ちる直前、ヒラギセッチューカはそう強がる。

 どぷんっ

 入水音と共に妖怪の体内に入るヒラギセッチューカ。妖怪の体内は実際、液体のような物で満ちていた。
 真っ黒で上下が全く分からない。この液体がなんなのかも分からない。なぜ息ができるのかも分からない。何故濡れないのかも分からない。
 自身が、これからどうなるかも分からない。
 分からない、分からない、分からない。
 未知に包まれたヒラギセッチューカはゾッとしながら、周囲を怖々と見渡す。
 と、暗闇にポツンと佇む一つの光が向こう側に見える。
 赤白黄色、様々な色の“カケラ”を寄せ集めて作られた“タマ”

「あ、れ……」

 反射的にヒラギセッチューカは息を止めた。
 その“タマ”の数々は無理に合わさっている為か、カラフルなパッチワークの様に“カケラ”の境が目立っている。

 それは妖怪の“核” 妖怪のエネルギー源
 そして──

「クソッタレが……」

 “タマ”の正体を、彼女は知っている。
 “カケラ”の正体を、彼女は知ってしまっている。
 ただただ、ヒラギセッチューカは無力感に打ちひしがれて木刀を握る。息を止める。視線を向ける。

「またもう一度、この地獄に戻ってくることを──」

 ゆっくりと木刀の核に侵食する。それを拒むように、“カケラ”がドクドクと鼓動し始める。
 しかし、ヒラギセッチューカは木刀に入れる力を弱めなかった。

『シ、ロ、ガ──』

 妖怪と思われる、音が重ねられた声が液体に響く。
 核は光の玉となりえ始めた。小さな光の玉が上と思われる方へ向かう。
 上下感覚が無くなりかけていたヒラギセッチューカも、下と思われる方に落ち始めた。

「妖怪は──」

 ヒラギセッチューカが居た、液体に満たされていた場所は妖怪の胴体だったらしい。
 ゆっくりと落ちていたのに、妖怪の腹部から外に出た途端、重力に流され落ちてゆく。
 このままでは地面に叩きつけられてしま──

「ぐはっ」

 そんなこと考える間もなく、強い衝撃が襲った。

「いたっ、いっつぅー!」

 未だ衝撃で振動する頭部を抱えて叫ぶ。
 頭を強く打った後は動かない方がいい。理解しながらも、怯んでる場合じゃないとヒラギセッチューカは上半身を起こす。
 魔素逆流の激痛によって不確かな手足の感覚に苛まれながら、妖怪が居るはずの空を見上げた。

 白い霧が無くなった街並み。妖怪が暴れたせいか、店が荒れている。
 真上には、目を焦がす程の光を放つ小さな宝石が一つ。
 春特有の薄い青に包まれた終わりのない空は、全てを吸い込みそうな不思議な形態をしていた。
 その空に、総天然色の玉が吸い込まれる。
 触れば溶けそうな儚い光達は、妖怪“だったもの”とヒラギセッチューカは容易に分かった。

 未知は未知でも、どこか人を落ち着かせてくれる未知の空。それに吸い込まれる沢山の光。
 体の芯が熱くなるような絶景を前に、ヒラギセッチューカの瞳孔は揺れ続ける。
 
 走っていた時よりも速く鳴る心音と、呼吸。
 それに鬱陶しさを感じながら、ヒラギセッチューカは空に手を伸ばし、言った。

「あぁ、世界は何故こんなにも理不尽なんだろう。
 何故、こうも美しいのだろう──」

 その言葉の意図も、憂いの理由も、彼女が不気味に笑う理由も。
 今となっては分からない。
 思い出したくも、無いものだ──


 12.>>27

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.27 )
日時: 2023/04/04 18:01
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)

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 学院都市には学年別に四つ寮が建設されている。ここはその中の一つ、縹寮の中庭。
 木陰に座るヒラギセッチューカと、気絶するユウキが居た。
 
 さぁっと爽やかな風が吹いて芝生が素直に傾むく。
 夕暮れの空では、侵食を試みる漆黒を必死で橙黄色が抑えていた。
 狐面越しに空を見上げるヒラギセッチューカは、感嘆の息を一つ吐いた。

「妖怪、妖怪かぁ……」

 魔素逆流の痛みを思い出して自分の腕を握る。当たり前だが今は全く痛くない。
(アホらし……)
 ヒラギセッチューカは自分を鼻で笑って、腕から手を離す。
 と、ユウキが唸り声を上げて目を擦り始めた。
 
 頭がぼーっとして視界もぼやけている。
 そんな中、誰かが居ることに気付いてユウキは問いかける。
 
「ここ、どこ、だ……」

 ヒラギセッチューカは無視して空を見る。
 魔素逆流を受けると痛みの余り気が狂う。
 軽い症状でもトラウマを植え付けられ、引きこもる者が大半だ。
 妖怪を倒し終わった後、ユウキは激痛のショックで気絶。白目のまま泡を吹いて足も微かに痙攣していた。
 どうせ起きてもまともじゃないだろう。ヒラギセッチューカはユウキを相手にする気が無いのだ。
 
 そんな事より、起床後叫ぶであろうユウキをどう処理するか考える方が大切だ。
 ヒラギセッチューカは模索する。

「ヒラギ、ここ、どこだ?」

 覚醒したユウキのハッキリとした声が耳に入る。
 驚いたヒラギセッチューカはユウキの顔を見て、数秒固まってしまった。
 顔色は微妙によくないが、燃えるような赤い焦点があった目。口元には吹いた泡の跡があるものの叫ぶ様子は無い。

「あ、え、ユウキ無事なの……?」

 ユウキがまともな状態と思って無かったヒラギセッチューカは、口をポカンとさせて呟く。
 ユウキは状況を理解出来ていない。ヒラギセッチューカが驚く理由が分からず首を傾げた。
 と、不思議な感触がする地面にユウキは気付く。

「ああ、膝枕。なんかごめんな」

 ヒラギセッチューカは中庭の木にもたれかかって、ユウキに膝枕をやっていた。
 ユウキは体をゆっくりと起こす。
 
「謝らなくても良いけど、私的にはもっと慌てて欲しかったなぁーとか思ったり?」

 残念そうに言うヒラギセッチューカに、ユウキは「この歳になって流石にない」と苦笑いした。

「あの後どうなった」

 ヒラギセッチューカの隣に腰掛けて、ユウキは聞いた。
 
「私が妖怪を倒して気絶してるユウキをここまで運んだ。部屋まで運びたかったけど、ユウキの部屋知らなかったからさ。中庭で目が覚めるのを待とうかなぁ、と。ユウキは無事なの?」

 聞かれたユウキは体を捻る。怪我がないか確認するが、無かったから笑って答えた。

「ああ、無事だ」

 けれどヒラギセッチューカが案じているのは別のことだ。
 
「そぉーじゃなくて! 精神の方!」

 魔素逆流を受けたのにも関わらず、常人のように振る舞うユウキ。
 それは麻酔無しの手術でも平然としている様なもの。ユウキの異常性にヒラギセッチューカは慌てた。
 そんな事など知らないユウキは微笑む。

「見ての通り平気だ。そういうヒラギこそ大丈夫なのか?」
「え? あ、うん。平気」

 ヒラギセッチューカはユウキの倍、魔素逆流を受けている。なのに彼女もケロッとしていた。
 あの妖怪が弱いのでは無く、この二人が異常なだけだ。

「それは良かった。というか、陰陽師は来なかったのか?」
「いんや? 私が妖怪倒した後に来たよ。けど、見つからないように逃げてきた」

 ヒラギセッチューカは勝手にユウキを連れて逃げたことに対して「ごめんね?」と謝罪する。
 ユウキはそんなことは気にしていなかった。
 
「それまたなんで。新入生が単独で妖怪を撃破したと知られりゃあ、表彰される上に〈ランク〉も上がるだろうに」

 自分が妖怪を倒せたのはユウキの魔法のお陰だ、とヒラギセッチューカは思う。
 彼女は「単独じゃないけど」と訂正しながら、胸にある若草色のリボンを握った。

 この世界──ディアペイズには、個人の強さを示すためのランク制度がある。
 学院都市の外には様々な危険があって、自衛がある程度必要だ。強さを示すランクは大変重要な役割を果たす。
 ランクは〈10(チェーン)〉から〈1(アインス)〉まであり、数が少ない程上級だ。それを証明するバッジもある。
 学院では分かりやすいよう、制服のリボンとネクタイの色でランクを証明するのだ。
 彼らは一番下のランク、10(チェーン)であり、若草色のリボンとネクタイを持っている。

 ヒラギセッチューカは狐面から漏れる白髪を指で弄って、自嘲気味に言う。
 
「怒られるの嫌じゃん? それに、妖怪倒した程度で白髪が賞賛を貰えるほど、学院を甘く見てないよ。それが仮に、不可抗力だったとしてもね」

 白髪は差別以前に、生まれること自体がおかしいという認識だ。それがどれほど美しかろうと、良い感情を得られることは無い。
(まあ、目の前の少年は白髪に恐れて無いっぽいけど)
 と、ヒラギセッチューカはユウキをジトッと見つめる。

「じゃあ、なんで俺も連れてきた?」
「……」

 ヒラギセッチューカは言葉に迷い、視線を泳がせながら黙った。
 ユウキは慌てたように訂正する。

「あ、責めてるわけじゃないぞ? ただ、俺を連れてきてもヒラギに得は無いから」
「えっと、なんというか。ユウキは、目立ちたく無いだろうなぁって……」

 首に手を当てて罰が悪そうに言うヒラギセッチューカに、ユウキは目を細める。
 ヒラギセッチューカの言う通り、ユウキは余り目立ちたくない。ただの好みではなく、一身上の都合でだ。
 しかし、それを出会って数週間のヒラギセッチューカが把握しているのはおかしい、とユウキは不信感を持って唸った。

「それは、どういう意味だ?」
「怖いよユウキぃ」

 ヒラギセッチューカは言葉を間延びさせて、緊張感無く笑う。と、次は困った顔をしながら話した。
 ふざけているヒラギセッチューカは百面相だ。

「妖怪に効く魔法を放てたり、魔素逆流を受けても正気だったり。どう考えても普通の人じゃないじゃん? 訳ありかと思って、私なりの気遣い」

 ヒラギセッチューカは両手を合わせて頬に付け「お節介だったらごめんね?」と苦笑いした。
 ふざけてあざとい態度を取るヒラギセッチューカを気に止めること無く、ユウキは難しい顔をする。  
 
「お前らの種族も普通じゃないけどな」

 罪悪感を抱きながらユウキは言った。
 ヒラギセッチューカも魔素逆流を受けて平然としている。
 更に勇者であるブレッシブに生腰で負けず、第一白髪。彼女も彼女で普通で無い。
 ヒラギセッチューカの表情から色が消える。ユウキも冷たい笑みでヒラギセッチューカを見つめ、場の空気が凍った。
 
「はは、これは下手なこと言えないなぁ」

 ヒラギセッチューカは焦りを隠しながら笑う。
 ユウキの発言は「お前の弱みを握っている」と遠回しに伝えるものであった。
 相手の秘密を口外すると、自分の秘密も口外されるかもしれない。俗に言うメキシカンスタンドオフと呼ばれる状態を、ユウキは作り上げた。

「でも、まあ。ユウキの秘密を独り占めできるなんて嬉しいなぁ」

 シリアスに欠けるヒラギセッチューカの間抜けた言葉。
 ユウキは少しの不快感を覚え、咎める様に言った。

「真面目にしろ」
「至って真面目じゃん?」
「嘘つけ」

 ユウキの複雑そうな表情を見て、ヒラギセッチューカはクヒヒッと笑う。

「やっぱり“ユウキの前では嘘は吐けない”」
「……そうだな」

 そこまで知られているのか、とユウキは口を一の字に結ぶ。
 しかし、これ以上相手の秘密に干渉すると、二人の間に亀裂を入れるかもしれない。それは気持ち的にも良くない。
 ユウキは別の話を振る。

「お前、あの時逃げたろ」
「あの時って?」
「選択授業説明会の前。教室で」
「あぁー、なんというか、あれは……」

 保体授業後の休み時間、ヒラギセッチューカは黙ってその場から消えた。
 それっきりと思っていた彼女は、焦りを隠すように狐面に手を当てる。

「あっ、この狐面便利なんだよ。魔素を狐面に送る量で相手からの認識レベルを調整できて──」
「ヒラギ。話を逸らすな」

 ヒラギセッチューカは罰が悪くなってそっぽ向いた。ムッとして口を閉じるも、手に入るのは沈黙だ。その場から逃げれるわけじゃない。
 ヒラギセッチューカはおもむろに言う。

「まあ、逃げたけど、それが悪いって訳でもないしさ? 玫瑰秋 桜の言う通り白髪と関わらないに越したことはないし。はいこの話おしまーい!」
「終わらせねぇ。ヒラギはそれでいいのかよ」

 執拗に食い下がるユウキをヒラギセッチューカは冷笑する。
 
「しつこい男はモテないよ?」

 ユウキは返事をしなかった。ただ真顔でヒラギセッチューカを睨んでいる。
 ヒラギセッチューカは難しい顔をして、ぶっきらぼうに言った。

「いや、白髪ってソーユーもんですしぃ、おすしぃ……」

 言葉を濁らせて場を乗り切ろうとするも、ユウキは一向に表情を変えない。
 ヒラギセッチューカはその圧に耐えられなかった。「もぉー!」と拗ねた子供の様なことを言う。

「良いとは思わないよ? 嫌われるのって誰でも嫌でしょ」
「じゃあ、仲直りしないとな」

 幼稚園児に言い聞かせるような言葉に、ヒラギセッチューカはムッとした。

「どーやって? 私白髪だよ? ヨウは話もしてくれないって」

 と言ってはいるが、ヒラギセッチューカはヨウと仲を戻す気など無かった。端から戻す仲など無かったが。
 ヨウは自分が嫌いで、その感情に対してヒラギセッチューカはどうこう言うつもりは無い。
 嫌われるのは確かに悲しいが、ヨウを無理やり変えたいとは思わなかった。勝手に嫌えば良いという認識である。
 無理に関係を築こうとするのはお互いにとって良くない──とヒラギセッチューカは考える。
 
「ヨウがお前を嫌う原因は白髪──もあるだろうが、第一は態度の悪さだ」

 態度の悪さ。ヒラギセッチューカは多少なりとも自覚があった。
 けれど辞めるつもりは無い。
 だってヨウの反応面白いんだもん、とヒラギセッチューカは胸の内で不貞腐れる。 
 
「やっぱ仲良くするのナシ。勝手に嫌っときゃーいーのよ、私も勝手にするから 」

 ヒラギセッチューカは胡座のままバンッと音を立てて、木にもたれかかった。それでもユウキは腑に落ちた顔をしない。
 
(何でそんなにしつこいんだ? ユウキは)
 彼女らは出会って1週間ほど。
 仲違いに寂しさこそ覚えるだろうが、わざわざ自分を説得させる程の物じゃ無いだろう。

 ヒラギセッチューカが怪訝に思うと同時に、ユウキも悩んでいた。

(どうすればヒラギとヨウの仲を取りもてんだ──)
 くどいようだが、彼らは出会って1週間ほどである。
 それでもユウキが彼女を気にかけるのには訳があった。
 詳しくは分からないが、ヒラギセッチューカはワケありだ。それは薄々分かる。
 ユウキはそれに親近感を覚えて、世話を焼きたかったのだ。
(せめて、友達は作って欲しいよな──)

 お互いが悩んで会話が止まる。
 訪れた沈黙に責められた気がしたヒラギセッチューカは口を開いた。
 
「というか、白髪なんて気持ち悪いからヨウの反応は正しいの!」

 だからお節介を焼くな、という意味も込められていた。
 ユウキは何気なく呟く。
 
「綺麗だろ、白髪もヒラギも」
「クッ……ん、んー! 知ってるしぃっ! 私美人だもんっ!」

 ヒラギセッチューカは歯を噛み締めて、顔を俯かせて唸った。
 照れ臭さかったらしい。
 失言したつもりはユウキに無かった。ヒラギセッチューカの反応にギョッとする。
 
 こんなキザなセリフを自然と出すユウキには恐れ入った、とヒラギセッチューカは悔しそうに顔を上げた。
 
「前言撤回、少年はモテるよ」
「何の話だ?」

 ユウキは首を傾げる。
 ヒラギセッチューカはそれ以上何も言わなかった。

「兎にも角にも、ヨウと仲直りしろよ?」

 そう話を終わらせてユウキは立ち上がる。
 と、ユウキの視界が途端に暗くなった。ぼーっと、頭にある一本の線が引きちぎれそうな感覚を覚える。
 立ちくらみだ。
 ユウキはフラフラと情けなく千鳥足でいる。
 チカチカ黒く点滅する世界の中で、倒れまいと必死だった。

 一方ヒラギセッチューカはそれに気付かない。
 
「去る者は追わず来る者は拒まず、なの私は。仲を取り持つなら“ユウキが”精々頑張っ──
 ちょ、ちょっとっユウキさん?!」

 ようやくユウキの異変に気付く。
 嫌な予感がしたヒラギセッチューカは立ち上がる、と同時にユウキが後ろに倒れた。 
 焦りの息を漏らしながら、ヒラギセッチューカはそれを受け止める。
 しかし180センチの男性はかなり重かった。ヒラギセッチューカはユウキを胸に転倒する。

 尾てい骨を打ったヒラギセッチューカは、痛ぁっ、と弱音を吐きながらも、ユウキの顔色を伺う。

「やっぱり、魔素逆流に当てられて無事なわけないよねぇ……」

 ユウキは青い顔をして唸っていた。
 
 ユウキが魔素逆流で受けた精神的ダメージは相当のものだった。
 ヒラギセッチューカとの会話で気を紛らわしていた様だが、立ちくらみで耐えられなくなったらしい。

「保健室──は無理だもんね。魔素逆流を受けた何て知られたら、妖怪と会ったこともバレちゃうし」

 ヒラギセッチューカはユウキの治療法を模索するが、良い案は思いつかない。
 ユウキは薄い意識の中で無理やり口を開いた。

「だ、大丈夫。時間が経てば治る……」
「確かにトラウマの特効薬は時間だけど──」
「おえっ」

 と、ユウキが嘔吐いた。
 ヒラギセッチューカは最悪の場合を想像して、思わずユウキを突き飛ばしたくなった。
 でも病人を突き飛ばすなんて、と流石のヒラギセッチューカでも気が引ける。
(かと言って私が嫌な思いしたくないし──!)

 そんな彼女の葛藤に、ユウキの嘔吐が終止符を打った。

 吐瀉物が彼女の胸に盛大に撒き散る。
 ユウキの大きな嗚咽が中庭に響いた。が、ヒラギセッチューカが狐面を使ったから、それに気付く者は居ない。

「……貸しだからね」

 ヒラギセッチューカは苦い顔をしながら、ユウキの背中をさすった。
 ユウキは申し訳なさで胸がいっぱいになりながら吐き続ける。せめて制服の弁償はしよう、と彼は決意した。

 布越しに伝わる生温かさがヒラギセッチューカの思考意欲を奪う。

「あー、木刀どーしよ」

 唯一浮かんだのは、店からパクった木刀のことだった。

   【終】