ダーク・ファンタジー小説

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.28 )
日時: 2023/04/04 18:23
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)

 《憎み愛》

 1

 〈白蛇教しろへびきょう
 普通に暮らしていれば耳に入らない宗教名だ。
 世界各地で非人道的行為を繰り返しているのにも関わらず、目的も構成の詳細も全く分からない。夜刀教、夜刀警団と敵対している危険組織である。

 〈メシア大司教〉
 白蛇教に所属する七人の幹部。白蛇教が事件を起こす際は必ず、七人の内の誰か一人が中心となり、仕切っていると言う。
 世界各地で大事件を起こしている、と噂されている。それなのに、メシア大司教メンバーの情報は欠片も無い。
 きっと、彼らに会ったものは皆──

 ──なんでそんなこと知ってるの?

 5年かけて調べたんです。様々な手段を使って情報をかき集めました。
 貴族から、スラム街から、日に当たらない世界から。本当大変でした。
 それでも掴めた情報はこれだけ。敵は手強いですね。

──何故、私たちがメシア大司教を追っていることを知っているの?

 知ってはいませんでしたよ。
 ただ“司教同好会”って言葉にピンときただけです。もしかしたら、同好会は俺と同じく“メシア大司教”を調べてるんじゃないかって。少し鎌をかけてみました。
 仮に予想が違っていても、俺の言葉は戯れとしてごまかせますし。望み薄でも行きゃなきゃ損と思ったんです。
 結果、ここに来て大正解だったという訳ですが──

 そんな困った顔をしないでください先輩方。
 ここ5年、俺もメシア大司教について調べていました。
 けれど“司教同好会”の名前は一切聞きませんでした。それに廃団にならないってことは、活動内容は先生にバレていないのでしょう?
 大丈夫です。
 俺の運が良かっただけで、司教同好会がメシア大司教を追っている、なんて誰も分かりませんよ。 

 ──何故、あなたはメシア大司教を追っているの?

 それはこっちのセリフでもあるんですがね……。
 一言で表すのは、難しいです。
 けれど何も言わないままで信用を得ようとするほど、俺も強欲じゃありません。
 長くなりますけど、大丈夫ですか?
 断られても勝手に話しますが。
 元々、その辺も包み隠さず話すつもりで来ていたので。

 ◇◇◇

 今から5年前。 

 ある騎士が、夜刀警団に捕まりました。
 貴重な魔物を無断で飼育したり、沢山の貴族、王族を誑し込んで政治を私物化したり。
 私利私欲の為に友人を、貴族を、政治を、世界を狂わした大罪人です。

 俺はソイツに奪われた。
 父を、母を、兄弟を、幸せを──10年の全てを。

 ──何があったの?

 どう、話すべきなんでしょう。
 単純なことばかりな筈なのに、いざ言葉にするとなると詰まってしまう。
 
 そうだ、順から話しましょう。

 白夜1385年に俺は産まれた“らしい”。
 実際に産まれた年は分かりません。もしかしたら、俺は15歳じゃないのかもしれない。
 けど、今はそんなのどーでもいい。

 俺は生まれてから10歳になるまで、とある屋敷の部屋に監禁されていました。
 それを裏付けるかのように、昔の記憶は暗闇以外ありません。
 監禁部屋の環境はすごく酷い。
 一瞥しただけで全身の力が抜けるぐらい汚かった。
 一つの扉から漏れる光だけが頼りの、真っ暗な部屋。
 壁も床も鉄板で覆われてて、扉の前には鉄格子がありました。
 部屋の鉄は何か魔法がかけられていたのか、何年不潔に晒されようが錆びません。
 更に、床には死体──いや、死骸が広がっていました。
 昨日“出てきたばかり”の死骸から、肉から顔を出した骨、完全に液状化した筋肉まで。
 足の踏み場がありませんでした。
 仕方なく、べちゃって変な感触がする死骸を踏んでいました。

 1回踏むとネチャッて体液が粘り着いてくるんです。
 触れると体が痒くなって、死んだ虫がジャリって肌を擦る。
 ああ、気分を悪くさせたらごめんなさい。

 ──それは、なんの死骸なの?

 ああ、これは。なんて言えばいいんだろう。
 その死骸は全て、発見されたことがない生物──新種だったので、未だに名前が無いんです。
 〈牙狼族がろうぞく〉って知ってます?
 そうそう、絶滅危惧種の。
 狼の見た目をした魔物です。

 俺らは牙狼族と人間の混血、ハーフ何ですよ。
 そんなの有り得ない?
 俺もそう思います。
 魔物と人間が──以前に、犬と人ですよ? 犬に手を出す人間とか気持ちが悪い。最低最悪だ。
 ああ、話が逸れてしまった。面目ない。

 早い話、その死骸は牙狼族と人間のハーフで、俺の兄弟“だった”モノです。
 全部、死産でした。更には異型ばかり。
 単眼だったり、足が無かったり、人の肌に犬の毛を中途半端に生したり。
 そりゃあそうだ。人と牙狼族の間に生命なんて生まれるわけが無い。
 ある筈がない。


 けれど、俺という生命いのちが生まれてしまった


 魔物と人の混血として産まれた俺を見た親父は驚きました。
 自分のやった事の大きさに気付き、叫び、暴れました。
 暴れる親父は怖かったです。
 でも、親父は毎日似たようなことをしていたから余り印象は変わりませんでした。
 母親?
 俺が生まれた時には、もう生きてるか死んでるか分からない精神状態でしたよ。
 毎日死骸を“作って”いれば、そりゃあ、ね。

 一通り暴れた後、親父は何事も無かったかのように過ごし始めました。
 親父にとって、俺は死骸と同じ認識だったようです。他の兄弟と同じように、時間が経てば死ぬと思ったんでしょうか。
 本当、反吐が出る。
 もちろんそんな奴が動く死骸を気にかける訳が無く、ずっとご飯は与えられませんでした。
 一応、肉はそこら中にあったから餓死はせずに済みましたが。

 けど気付けば腐肉は食い尽くしてしまって、骨はもう欠片しか残っていませんでした。
 母親もすぐ死んだ。すぐ溶けた。すぐ食べた。
 もう、死骸は増えません。

 ある日、どういう風の吹き回しか親父が飯をくれるようになりました。
 白いドロドロの粥の様な液体。皿を鉄格子に投げつけて、床に飛び散ったソレを舐めた。
 味は覚えていませんし、思い出したくもない。
 なんで俺、そんなものを食べ続けたのに死んでないんでしょうね。魔物の血が関係してるんでしょうか。
 今はどうでもいいか。

 
 それが十年続いたある日。
 白夜1395年4月1日──今から約5年前の話です。

 さっき言った騎士が、夜刀警団に捕まった。
 親父が、捕まりました。

 先輩達なら、ここで薄々気付いてるでしょうね。
 夜刀学院生だもの、頭が鈍いわけが無い。
 でも、最後まで話させてください。

 夜刀警団によって解放された俺は名前を貰いました。
 〈玫瑰秋まいかいと よう〉という名前を。
 なんで“桜”なのか、誰が名付けたのか。それは分かりません。
 いつの間にかそういうことにされてたから。
 けど、気にはなりません。

 外の世界に出て、美味しいものいっぱい食べて、この世界の素晴らしさを知りました。
 それと同時に、今までの環境の酷さも知った。
 無知だった5年前の俺は、まず“酷い”という概念も持ってなかったんです。バカみたいでしょう?
 苦しい、楽しい、恐怖、喜び、それらを知ってしまった時には、俺の体は憎悪が支配していました。

 あの時地べたの肉を頬張らなくても、外にはもっと美味しいものがあった。
 たくさん良い人が居た。ずっと独りでいなくても済んだ。誰かから愛を貰うことが出来た。
 あくまでも可能性の話だ。分かっている。けど、

 あの10年間、親父に囚われさえしなければ。

 そうですね。俺は15歳。
 まだまだ子供だから未来がある、と。
 はは、牙狼族の寿命ってご存知ですか? 10~14年です。そこに人間の寿命がどう関わってくるか分からない。前例が無い新種だから、余計ね。
 いつ死んでもおかしくない状態なんですよ、俺は。

 今更頑張ったって多分、俺の望むものは手に入りません。

 胸の奥からジワジワとどす黒い感情が湧き出て、目がジンッてするんです。
 怒りでどうにかなりそうで、でもぶつける相手はすぐそばにいなくて。
 もどかしくて辛くて仕方がない。

 だから、親父に全部ぶつける。
 俺の10年を奪った、強欲な親父に。
 
 ──復讐するんだ

 親父が奪った物も、元々あったものも、全部全部奪い返してやる。
 残り幾つあるか分からない寿命を使い潰して。

 そう、この司教同好会にやって来たのは復讐の為。
 夜刀警団に捕まってから行方をくらました親父を、探すためだ。

 俺の親父はディアペイズ第十軍騎士団長。
そして、〈白蛇教 メシア大司教 強欲務ごうよくむ

 〈玫瑰秋まいかいと 晟大せいだい〉だ


 2.>>29

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.29 )
日時: 2023/04/04 18:20
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)

 2

 夜刀学院の端にある木造建築の旧校舎。
 長年使われていないからか隙間風が強く、ギシギシと建物が軋む不気味な音がする。
 構造は共通授業を受ける縹校舎と同じで、50もの教室がある。
 〈司教同好会〉と呼ばれる師団は、その中の一室を使っていた。
 少ない人数に不相応な広い教室で、俺は一つ息を吸う。

「俺の親父はディアペイズ第十軍騎士団長。
そして、白蛇教メシア大司教〈強欲務〉玫瑰秋 晟大だ」
 
 ボロボロの椅子に座って俺は、話を〆た。
 この場には俺を含めて4人も居る筈なのに、場には重い沈黙が落ちていた。

「すみません、出会い拍子にこんな話をして」

 罪悪感に耐えられなくなった俺は沈黙を破った。
 選択授業説明会が終わったあと、俺は一直線にここへ来た。
 先に活動を始めていた先輩方との挨拶も程々に、俺は「白蛇教。余程のことがない限り──」と話し始めて、今に至る。
 初対面の相手、しかも先輩に自分語りをするなんて大変失礼だったとは思うが、後悔はしていない。

「いいえ、聞いたのは私だから。こっちこそ、辛いこと聞いてごめんなさい」

 鏡のように景色を反射してもおかしくない、キラキラと艶めく金色の長髪を持つ女性──大黒おおぐろ 聖夏ひなつ先輩は申し訳なさそうに言った。
 彼女が羽織る白いマントは俺と違い、翠色のラインが入っている。
 俺らはなだの2つ上の学年、すいである証拠だ。
 俺はヒナツ先輩にどう返せば良いか分からず口篭る。と、もう一人の先輩が口を開いた。

「サクラの目的は分かったが──」
「ヨウです。男です」

 俺の名前は“桜”と書いて“ヨウ”と読む。初見でヨウと読める人は少ないだろう。
 それでも口頭で名乗ったのに読みを間違う先輩にイラッとして、俺は訂正した。

「ワザとじゃ。何故お主は夜刀学院に来た。復讐に必要なかろう」

 もう一人の先輩──エルザ・ツェッチェ先輩はクツクツと笑う。
 ライトグリーンの宝石のような長髪と、同じ色をしたツリ目。パッと見普通の女性だ。上半身だけを見れば。
 先輩の下半身は、黄緑色のフサフサな毛が生えた八本足の昆虫──蜘蛛だった。
 巨大な蜘蛛の背中に、女性の上半身が生えている。
 彼女の様な種族をアラクネ、と言う。
 アラクネは150年前の〈人魔じんま戦争〉をきっかけに、人間社会に溶け込むようになった魔族の一種だ。
 それでも余り見かけないのだが。
 先輩は橙色のラインが入ったマントを羽織っていて、俺の一つ上の学年、代々だいだいである。

「親父の最終目撃場所は都市ラゐテラ、夜刀学院──との情報を掴みまして」

 俺以外の三人の吐く息が重なった。
 裏付ける資料は持っていない。人から聞いただけだから。でも他に有力な情報は無いから、真偽不明でもこれに頼るしかない。
 途端に自分が情けなくなって、俺は俯いた。

「俺はそれを追いに来た。先輩方、何かご存知ですか?」

 親父の最終目撃場である夜刀学院で、メシア大司教を追う司教同好会。
 もしかしたら何か知ってるかもしれない、と俺は淡い希望を抱く。

「……何も、知らない」

 ヒナツ先輩はプイッと顔を逸らして、俺の希望を一瞬で焼き尽くした。
 さっきまで優しかったのに何故、急に冷たくなったんだ?
 少しだけ胸がモヤッとした。そんなこと知る由もないエルザ先輩は言う。

「部費目当てで師団の申請して同好会が出来たのが今年。
 それまでに色々調べてはいたが当然、白蛇教関連の資料は公にされてなくてな。見つからんかった。
 童らが知ってるのはメシア大司教の存在までじゃ。サクラと同じ地点にたっておる」
「ヨウです」

 俺の即答にエルザ先輩は笑った。
 こちらは全く笑えないが、流石に先輩は殴れない。せめてもの抵抗でキッとエルザ先輩を睨みつけた。
 そういえば、白蛇教の資料は見つからなかったんだよな? 何故先輩達は白蛇教のことを、メシア大司教のことを知っている?
 違和感を覚えた俺は先輩に聞く。

「先輩達は──」
「あと、ずっと気になってたんだけど」

 ヒナツ先輩が遮ってしまった。
 けれど時間は幾らでもあるだろう。今聞かなくても良いか。
 それに、俺もずっと気になっていたことがある。

「なぜ、ブレッシブ殿下がこちらへ……?」

 と、ヒナツ先輩が質問する。反射的に俺は、ヒナツ先輩の視線の先を見た。

 名前を呼ばれた青年は動じずに言う。

「入団希望です」

 エメラルドグリーンの短髪に、縹色のラインが入ったマントを羽織る体格の良い同級生。入学式にヒラギセッチューカと喧嘩をした、ブレッシブ・ディアペイズ・エメラルダ殿下がいらっしゃった。
 彼がここにいる理由は俺にも分からない。
 だって俺がここに来た時には、既に先輩二人と居たんだから。
 聞きたいことが沢山あるが相手は王族。彼の逆鱗に触れたらとんでもない事になるだろう。入学式、ヒラギセッチューカがそうであったように。だから余り関わりたくない。
 エルザ先輩も俺と同じ考えなのか、難しい顔をして黙る。
 そんな中、ヒナツ先輩がおずおずと聞いた。

「え、えっと、大変恐縮なのですが、志望動機をお聞きしても?」
「俺はこの場では後輩。言葉は崩して頂いて構いませんよ。エルザ先輩も、玫瑰秋も」

 軍人の様な威圧がある声で名前を呼ばれて、怯えて背筋を伸ばした。
 まだ春だと言うのに汗が一粒滲み出る。恐る恐る殿下と目を合わせてみるも、仏頂面でいて怖かった。しかし、相手の気分を害してはならない。
 数十秒の沈黙を挟んでよくやく、俺は「ああ」と返事する事が出来た。
 と言っても、殿下の前で言葉を崩せる自信が無い。まず関わりたくも無い。
 めんどくさい事になった、と胸の中でため息を吐いた。

「入団の動機は、えっと──」

 殿下がチラチラっとエルザ先輩を見る。
 これまで黙っていたエルザ先輩は「これ以上だんまりは出来んか」と残念そうに笑った。
 
「学院で道に迷ってたから、童がスカウトした」

「は?」「えっ……」

 俺とヒナツ先輩の言葉が重なる。
 道に迷っていた殿下をスカウトした?! エルザ先輩の行動に俺は驚愕して口をぽかんと開けた。
 ヒナツ先輩は顔を青くする。

「エルザっ、何やってるの?! 不敬にあたるんじゃ──」
「王族なら白蛇教の事を何かしら知ってると思ってな。話してみたらビンゴじゃった。持ってる情報は童らと変わらんかったがな。褒めてくれても構わんぞ? ヒナツ先輩」

 殿下も白蛇教のことを知っているのか?! と、思ってもいなかったことに驚く。
 でも、考えてみたら腑に落ちるかもしれない。入学式、執拗に白髪のヒラギセッチューカに突っかかってたのは、白蛇教の存在を知っていたからか。
 白蛇教と白の魔女と白髪には繋がりがある、という話はあるがあくまで噂だ。それでも“白”蛇教と名前に白が入っていて、魔女との関係を勘ぐってしまう。
 殿下もその一人だったのだろう。
 
「ばっ、ばかぁっ!」

 エルザ先輩が悪い意味で突飛で、ヒナツ先輩はそう声を絞り出した。
 しかし、育ちが良いからか仕草が愛らしかった。本人は必死なんだろうが。

「でも、ブレッシブも入団希望なのじゃろ?」
「はい」

 サラッと殿下を呼び捨てにするエルザ先輩。

「お待ち下さい。私達は事情があるから、危険を承知で活動してる。殿下──ブレッシブは違うでしょう 」

 ヒナツ先輩もぎこちないながらも殿下を呼び捨てにした。殿下は気にしなかったが、仏頂面なのは変わらない。 
 
「俺は勇者です。あの話を聞いて、退く事はできない」

 殿下は義理堅かった。そして頑固だ。
 ヒナツ先輩は困った顔をする。
 
「でも──」
「ヒナツ先輩。まだ縹に入れ込む時じゃない」

「えっ」

 エルザ先輩の氷のように冷たい言葉が刺さって、俺は思わず声を漏らした。
 縹に入れ込む時じゃないって、どういう意味なんだ?

「そう──よね。これ、名前書いて」

 憂い顔を見せたヒナツ先輩は机から二枚の紙を取り出し、俺と殿下に渡した。
 入団届と書かれた用紙である。一応入団は認める、ということだろうか。

「でも、形だけの入団。私もエルザも認めないから」

 認められないらしい。

「なんでですか?」

 俺は玫瑰秋 晟大──メシア大司教の息子だ。
 どこに不満があると言うんだ。認められない要素がどこにあるというんだっ。フツフツと怒りが湧き出てくる。
 エルザ先輩は微かに目を細めて、俺と殿下を一瞥する。
 そして一つ溜息を吐いて、教室の隅にある革製のフラットタイプリュックを手に取った。

「水無のみなのつきにある縹学年行事、〈強制遠足きょうせいえんそく〉を乗り越えてこい」 
「二ヶ月後の行事? わざわざ何で!」
「でないと何も始まらんからのぉ」

 俺の怒声を軽くいなして「童は帰る」と、エルザ先輩は教室から出ていってしまった。
 状況が全く呑み込めない俺はその場で固まってしまう。
 と、ヒナツ先輩もエルザ先輩と同じ、学校指定のリュックを背負った。

「──そういう事だから。次来る時は強制遠足の後で、お願い」
「なんで、勝手すぎる! 俺達を認める気がないなら、殿下をスカウトする必要なんて無いだろっ!」
「私達だってっ──! 縹は、あなた達は……」

 ヒナツ先輩はそこで言葉を濁した。その言葉が意味深で、俺は首を傾げる。
 と、何故か泣きそうな顔をしてる先輩に、殿下は聞いた。

「その、強制遠足というのは?」
「……」

 ヒナツ先輩は扉に手をかけて止まる。俯いて何かしら悩んだあと首を軽く振る。
 泣きそうな顔を凍らせて、先輩は無表情で言った。

「夜刀学院、最初で最期の鬼門。これ以上、話したくない」

 パシッと扉を閉めて、ヒナツ先輩は行ってしまった。
 本当に意味がわからない。と、俺は先輩が出ていった扉を唖然として見つめていた。
 先輩達は何がしたいのだろう。俺達に入団して欲しくない、という訳でも無さそうなんだよな。その〈強制遠足〉とやらに何かあるのだろうか。
 こればかりは実際に経験してみないと分からない。なら、ここに居ても仕方がないだろう。
 それに、殿下と二人っきりなんて心臓が幾つあっても足りない。
 俺も学院指定のバックを背負って扉に手をかけた。一言殿下に挨拶しようと、一旦止まる。

「俺も行くます」

 ブレッシブ殿下は同級生だし、本人が言葉を崩して良いと言った。
 しかし王族であることは変わらない。対応に迷った俺は敬語とタメ口が混ざってしまった。
 恥ずかしくなって口に手を添える。殿下はぽかんと口を開けて、戸惑い気味に言った。

「お、お疲れ様ですます」

 真似しなくていいんだよ。殿下は変なところで真面目だ。
 余計恥ずかしくなった俺は、ヒナツ先輩と同じようにパシッと音を立てて扉を閉めた。
 後ろを振り向かずに、踏む度にギシギシ鳴る床を歩く。
 
 早く親父の情報が欲しい。早く親父を見つけたい。
 その気持ちだけが先走って独りでに手足が震えてしまう。
 もう同好会なんて入ら無くていいんじゃないか。なんて考えが脳裏をよぎる。
 けれど、複数人で調査した方が親父に早く辿り着けるだろう。俺は司教同好会に入団したい。まずはその〈強制遠足〉とやらを乗り越えなければ。
 同時並行して、ダメ元で白蛇教の資料を図書館で漁ってみよう。

 窓の外から見える橙色の夕空を漆黒が侵食している。春特有の暖かい隙間風に当てられて深呼吸する。 
 旧校舎から出ると桜の花弁がヒラヒラと散っていた。
 さっき自分の過去を振り返ったこともあり、ノスタルジックな気分に浸る。

「──桜」

 俺、なんで“桜”なんだろう。

 今まで一ミリも気にしなかった筈の疑問がふと浮かぶ。
 けど考えても答えに辿り着くわけが無いから、すぐに脳内から消した。
 
 どうせ、分かんないんだから。

 ◇◇◇

 ──閑話

 親父は5年前、夜刀警団に捕獲された後に脱走したらしく行方不明だ。
 自由を手に入れた俺は、その時間を使って親父を追っていた。
 色んな人に聞きこみをして、現場に行って、時には危ない目に会ったりして。

 そんな中で掴んだのが白蛇教、メシア大司教という存在。
 逆に言うとそれ以外何も分からなかった。
 
 親父の手がかりはゼロ。俺は行き場のない怒りを溜め込んで、泣きじゃくっていた。そんな時だった。
 
「少年──お困りかな? お兄さんが助けてあげようか」

 一年ほど前だろうか。王都ネニュファールにあるスラム街をフラフラと歩いていると、誰かに声をかけられた。
 俺よりも少し身長が高いが大人と呼べる程大きくも無い。むしろ小柄な男で、ローブを羽織って顔が良く見えない。明らかに怪しい人物だ。
 気がたっていた俺は「チッ」と舌打ちで悪態をつき、無視しようと背を向けた。
 と、男がぽんっと俺の肩に手を乗せたて、くっつきそうなぐらいの距離で囁く。
 
「君の探す男の最終目撃場所は都市ラゐテラ──蛇白桜夜刀学院だ」

 初対面なのに俺の目的を知る男が、怪しい人物から危険な人物へと昇格した。  
 悪寒がビリビリっと足元から全身に駆ける。怖い。今すぐにでも逃げたい。
 しかし、当時の俺は切羽詰まっていた。

「本当か……? 嘘じゃないだろうな!!」

 飢えた犬のように吠え、目の前の大きな釣り針にがっついた。

「ホーントっ♪ けど、白蛇桜夜刀学院に入んなきゃなんない。少年じゃあ無理だから諦め──ちょ、ちょっと?!」
 
 俺は走った。危険な男なんてほっぽって我武者羅に走った。
 今思えば、怪しくても彼からもっと詳細を聞くべきだった。けれど、行動力の強さは昔からの俺の良いところだ。

 その後はひたすらに勉強をした。タイムリミットは一年未満。俺は4年前外に出たばかりで、勉強するのはそれが初めてだった。
 そして志望校は世界一の難関校と名高い夜刀学院だ。
 
 合格は絶望的だった──が、合格したから俺は今ここにいる。

 そんなわけで、俺は夜刀学院に入学した。
 復讐の為に、この憎悪をぶつけるために。

 首洗って待ってろ玫瑰秋 晟大。俺が必ず



 ──すくってみせる
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Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.30 )
日時: 2023/04/04 18:23
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)

 3

 学院都市の外れにある小高い丘。
 赤髪の青年──ユウキは息を切らしながら、坂をゆっくりと登った。
 結構登っただろう、とユウキは息を吐いて来た道を見回す。
 ここは学院都市を一望できた。幾数もの黒瓦が光を反射して、白く鈍く輝いている。和風の建物が多い事もあり景色の色彩は低い。
 けれど背景の清々しい勿忘草色で、不思議と暗く見えなかった。とても綺麗だ。
 
「ここか……」 

 坂道の脇にある、小さな建物の前でユウキは立ち止まった。
 洒落た木造建築に、モダンでありながらも落ち着いたデザインの店構え。
 手入れが行き届いたステンドガラスと、庭の植木鉢に植えられた天然総色の花々が風にたなびいている。
 和風な建物が並ぶこの街では少し異質と言える、喫茶店があった。
 それでもあまり目立つようでは無く、遠目から見たら民家と間違えてしまいそうだ。
 ユウキは息を整えて扉を開けた。カランカランッ、とドアベルが鳴る。
 
「へらっしゃぁい! あっ……」

 店の奥から、白銀のように透き通った声が飛んで来た。
(挨拶が雰囲気ぶち壊しだな)
 ユウキは心の中で苦笑いする。
 
 奥から洋風のエプロンを来た、声の主であろう店員が出てきた。パッと見女性か男性か分からない。
 バンダナキャップを被っていて髪は見えないが、赤い目をしてるから炎系統適正者だろうか。

「あっ、あぁー! 初来店のお客さんかな?」

 店員はハイテンションで朗らかだ。

「問題ないか?」
「全然無い無い! こちらの席へどうぞー!」

 席へと案内される。そこでユウキはとある違和感を覚えた。
(店員が虚言を吐いた様な──いや、気の所為か)
 ユウキは軽く首を振る。
 案内された席は外の様子が見えるテーブル席。小高い丘にあるため都市の街並みが一望できた。

「ご注文はお決まりですか?」

 店員は座ったユウキにメニューを差し出す。
 
「待ち合わせしてるんだ。友人が来てからでいいか?」
「かしこまりました〜!」
 
 厨房へ向かう店員を見送って、ユウキは軽くメニューに目を通した。
 選択授業説明会から数週間経った皐月の月。入学式から1ヶ月が経っていた。今日、ユウキはルカとこの喫茶店で話す約束をしていた。議題はヒラギセッチューカとヨウについてだ。
 ルカとユウキは、嫌厭の対象であるヒラギセッチューカを気にかけていた。片方は恩から。もう片方は親近感から。
 しかし二人共、ヒラギセッチューカとは選択授業説明会の日から会えずじまいだ。ユウキとルカの傍には大体ヨウが居るから、ヒラギセッチューカは近付かないのだ。自分を嫌う人物の傍に理由もなく寄る事などないから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
 
 ユウキは煩わしいとまでは行かないが困っていた。
 仲直りをさせるさせない以前に、気にかけている相手と会えない、と。それはルカも同じで、恩人に何も出来ないまま会えないのは嫌だった。
 二人は一度、ヨウにヒラギセッチューカとの和解を持ちかけたが、ヨウは笑顔で「魔女と穏やかに解く仲なんてねぇよ。それより──」と、話を逸らすのだ。
 一度作戦会議をしよう。ルカはユウキにそう言った。

 カランカランッとまたドアベルが鳴る。
 ルカが来たのだろうか、とユウキは反射的に扉に視線を移し、絶句した。

「えっ……」
「いらっしゃ……えっ」

 店員も絶句した。
 そこには長身に褐色と金髪。尖った耳を持ったエルフの少女、ルカと。

「こーんにーちはっ。赤髪の青年──ユウキってここに来てる?」

 漆黒の長髪を1つに縛る、暗赤色の瞳を持つ長身のニコニコした男性。いや、女性──無性が居た。
 夜刀やつの 月季げっか、学院長だ。

「なんで、学院長が?!」

 信じられない光景にユウキは驚きの声を上げる。
 ユウキに気付いた学院長は「おー、いた!」と笑って手を振った。

「俺もアオハル参加していい?」
「ユウキ、ごめん。捕まった……」

 ゲッソリとした顔で謝るルカ。ユウキは困惑しながらも「ど、どうぞ……」と言葉を絞り出した。
 店員に案内されて、ユウキの隣にルカは座る。学院長は二人の向かい側に座った。手作り感があるメニュー表を眺める学院長を前に、二人は石像のように動けないままでいる。
 店員も同じだった。水入りコップを三つ置いて、「ご注文がお決まりになられましたらお呼びください」と逃げるように去ってしまった。

「あの、学院長。なぜこちらへ?」

 厨房へ入る店員を横目に、ユウキはおずおずと聞く。

「あー、アブラナルカミがナンパされてたから華麗に助けたんだよ。そんで目的地同じだったから、一緒に来ちゃった!」

 ニマッと学院長は笑う。学院長という自身の立場を弁えないふざけた態度である。
 彼は様々な職や肩書きの持ち主だ。なのに呑気に生徒と喫茶店に来ることに、ユウキは驚きを隠せなかった。

「いや、軟派というか何と言うか……。ちょっとちがうというか……」

 と、ルカは青い顔して額を抑える。どうやら学院長の説明には語弊があるらしい。ユウキは聞いた。

「えっと、何があったんだ?」
「それがさぁ、ここへ来る途中──」

 ◇◇◇

 エルフというのは、この世界にとっては異質な存在であった。
 それは単に珍しいからだけでは無い。しかし、それを知るのは一部の者だけ。過半数の人々は、珍しいからという理由でルカを白い目で見ていた。
 ディアペイズの人々は無意識に、珍しい存在と白の魔女を結びつけて考えてしまう。エルフも白の魔女と何かあるのでは──と思わずにはいられないのだ。

「アブラナルカミ・エルフ・ガベーラ。外界との接触を絶っているエルフにも拘わらず、何故わざわざ故郷を出て夜刀学院に入学したのだ」

 ブレッシブ・ディアペイズ・エメラルダも、その一人であった。
 共通授業が終わったばかりのお昼時。人通りが多い繁華街のど真ん中で、ルカはブレッシブに通せんぼされていた。
 通り過ぎる人々の視線が痛く、ルカは表情を歪ませる。

「関係無いでしょ」
「やましい事があるのならば、アブラナルカミの志望動機に俺は関係がある」

 ブレッシブはガタイが良く、身長も175cmと同年代では大きい方である。しかしルカも177cmと長身だ。
 睨み合う二人が放つ強い威圧感で、周辺はすっかり静かになっていた。

「やましい事って何」
「白の魔女──とか」
「珍しいからって、すぐソーユー架空の存在と結びつけるのはどーなの?」

 外界との繋がりがシャットアウトされたエルフの里で育ったルカは、ディアペイズの人々とは価値観が違った。
 白の魔女を十割型架空の存在と思っている。
 
「エルフも半分、幻の存在だ。疑わしきは罰する──とまでは行かないが、相応の事はする」
「ヒラギの時もそーだったけど、なんでそう極端な訳? あなた、友達居ないでしょ」

 仏頂面だったブレッシブは、顔を引き攣らせた。歯をギリっと擦らせるも、態度は変えない。

「話を逸らすな。質問に答えろ」
「入学理由にやましい事は無い!」
「それを判断するのは俺だ。答えろ」

 一向に引かないブレッシブにルカは恐怖を覚える。
(これ、私が答えるまで引かない奴だ)
 とは思うが、ルカは素直に答えられる理由で、夜刀学院に入学した訳じゃ無かった。
 即興の嘘でも吐こうか。いや、王族の前で下手に嘘を吐いても、調べられたら簡単にバレてしまうかもしれない。
 ルカはブレッシブから目を逸らし、両手を握りしめた。

「答えろアブラナル──」
「やぁ、元気?」

 と、場の雰囲気を壊す飄逸な声がブレッシブの背後からした。
 気付かぬ内に背後を取られていた事に驚いて、ブレッシブはバッと振り向く。

「が、学院長……?」

 ルカは驚きの声を上げた。
 瞬きする前は居なかったはずの学院長が、目の前に堂々と立っているのだ。学院長はニッコリと笑って、ルカにヒラヒラと手を振る。

「偶々通りかかったんだ。
 まぁたブレッシブ、喧嘩のバーゲンセールやってるの? ソーユーのはここぞと言う時にぼって売った方が儲かるよ?」
「貴方という人は……! まさか白髪に留まらず、エルフの入学まで黙認しているのですか!!」
「黙認なんて失礼な。公認だよ?」
「なおタチが悪いです!」

 ブレッシブの言葉に学院長はうーんと軽く唸る。
 不安そうな顔をしているルカを一瞥して、学院長は苦笑した。

「白髪はともかく、エルフに害が無いのは確実だからさ。ここは見逃してあげてくれない?」

 それではまるで、白髪には害があると言っているようなものじゃないか。
 聡いブレッシブは眉をひそめるが、今は白髪の話では無い。彼は思ったことを胸の奥にしまい込んでもう一度口を開く。

「信用できません!」

 ブレッシブの声が辺りの空気を叩いて、ルカは思わずビクッと体を震わす。
 うーん、と学院長は唸った。
  
「ブレッシブ。ナンパはもっと紳士的にしよう?」
「軟、派?!」

 ブレッシブはその場で固まった。そんな気など全くなかったからである。それを面白そうに眺めた学院長は、流れるようにルカの手を取った。
 ルカはその自然すぎる動きに驚いて「えっ?」と思わず声をあげる。

「例えば、こうやって」

 と、学院長は軽くジャンプした。足に入れたであろう力と見合わない勢いで学院長は上空へ飛ぶ。
 手を取られていたルカも共に昇った。

「え? えっえ?!」

 ルカは状況が飲み込めない。ブレッシブも同じで、口をポカンと開けて見上げていた。
 唐突に地上十数メートルへ連れてこられたルカは、恐怖で足をバタバタ──出来なかった。
 何故なら、地に足が着いてたからだ。宙に浮いてるはずなのに。まるで透明な地面を踏んでいるかの様。

「足を前に出そうか。そうそう、歩けるでしょ?」

 学院長に手を引かれ、ルカは見えない地面をゆっくりと蹴る。と、たった一歩で数メートル先まで簡単に飛ぶ。
 重力が仕事をしていない。ルカはドッドッドッと鼓動を鳴らしながらそう思った。

「学院長! それでは軟派ではなく誘拐です!」

 小さくなるブレッシブが叫んだ。
 学院長は「はははっ!」と高笑いをして叫び返す。

「なら守って見せてよ勇者サマ!」

 そんなこと出来るわけがない。ブレッシブは遠ざかる学院長とルカを眺め、怒りで拳を握りしめた。
 底が見えない蒼を溜め込んだ空の元、ルカと学院長はゆっくりと歩く。
 マントがバタバタと音をたてる程強い向かい風が吹いて、ルカはそのスピードの速さをヒシヒシと感じた。
 新鮮な感覚に動揺しながらも、彼女は頭上の学院長に言った。

「あ、ありがとう、ございます……」
「どういたしまして! どちらへ向かわれるおつもりで?」
「丘の上の、喫茶店の──狐百合きつねゆり 癒輝ゆうきとの用事があるんです」
「あー、あそこ? 俺も行くところだったからさ、折角だから一緒に行こうか!」
「え、ええっ?!」

 ルカは学院長の言葉にギョッとした。
 学院長が良く言う冗談なんじゃないか、と思ったが、喫茶店が近付くにつれて学院長が本気であることが分かる。

(この人、自分を安売りしすぎじゃない?!)

 一応学院長こと夜刀 月季は、この世界の君主と同等か、それ以上の権力を持つ。今回のようにカジュアルに接せられると心臓にとても悪い。ありがた迷惑であった。
 喫茶店に近付くにつれ、高度も自然と下がっていく。
 学院長の魔法なのは一目瞭然だが、その仕組みはルカも全く分からなかった。
 羽毛のようにゆっくりと落ちる。ルカと学院長は静かに店の前に着地した。学院長は扉を開けて、カランカランッとドアベルを鳴らす。

「こーんにーちはっ。赤髪の青年──ユウキってここに来てる?」
 
 そのまま喫茶店に入って、今に至る。


 4.>>31

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.31 )
日時: 2023/04/04 18:24
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)


 4

 ◇◇◇

「軟派……軟派?」
 
 話を聞く限り、とても軟派とは思えない険悪さにユウキは困った顔をする。事実あれは軟派では無かった。詰問だ。
 学院長はそれを分かった上でふざけている。と分かるユウキとルカは頭を抱えた。ブレッシブも苦労するな、とユウキは思う。

「で、二人は何故この喫茶店へ? 唯のデート?」
「でぇっ?!」

 思わぬ学院長の言葉にルカは声を裏返す。ルカにそんなつもりは無いが、そう言われると嫌でも意識してしまうのが思春期だ。
 意図せず頬が赤らんでしまって、それが恥ずかしくて余計顔が赤くなる。悪あがきでルカはイーッと嫌な顔をした。

「いえ、人間関係のいざこざで。ルカと相談をしようと──」

 一方のユウキは全く意識しておらず、普通に返事をした。
(バカみたい)
 ルカは自分だけ変に意識しすぎている事に、また恥ずかしくなった。横を向いて手で顔を仰ぐ。
 それを微笑ましく思いながら、学院長はメニューを開いて二人に差し出した。

「なら、学院長がアドバイスしてあげよう。その前にほら、ご注文。早くしないと何も買わない嫌な客になっちゃう」

 ユウキとルカはハッと我に返り、じわじわと罪悪感を感じた。早く注文を決めようと、メニューをまじまじと見る。
 二人をニコニコと眺めながら、学院長は店員を呼んだ。

「あ、すみません、店員さーん!」
「待っ、私達まだ決まってません!」
「知ってる。だから早く決めよう!」

 学院長はしょうもないイタズラを仕掛けて楽しんでいた。学院長ともあろうお方が、と忌まわしく思いながら二人は必死でメニューに視線を走らせる。
 焦れば焦るほどアレは違う、これも気分じゃない、と悩んで中々決められない。
 と、店員が足早にやってきて聞く。

「ご注文はお決まりですか?」
「あぁ、オススメある?」

 学院長の問いかけに、店員は緊張気味に答えた。 

「オススメは店長が淹れたコーヒーですね! あとこのフルーツケーキと相性抜群っ!」
「じゃ、じゃあその二つで!」

 どっちつかずで決められなかったルカは言う。学院長もルカに続いて「俺も同じのを」と頼んだ。
 
「俺は甘いもの苦手だからコーヒーと、ビターチョコクッキーで」
「お客さん大人〜! ご注文は以上で宜しいですか?」

 ルカとユウキが頷くと、店員は受けた注文を復唱して厨房へ向かった。学院長はメニューを元の場所に戻して二人に聞く。

「そういえば、相談って?」

 ルカとユウキは顔を見合わせる。まだ学院長に相談するかどうか悩んでいるのだ。でも二人で話しても解決策は出そうに無い。
 数秒躊躇ってルカは口を開いた。

「えっと、ヨウとヒラギが──」
  
 入学式でのこと、選択授業説明会の前に起きた事を大体伝える。何とか和解させたい。そうじゃないと恩人であるヒラギセッチューカに会えない。と、ルカ自身の意思も話した。
 あらかた聞き終わって、学院長はうーんと軽く唸って聞く。

「玫瑰秋 桜と、ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーは和解を望んでいるのかい?」

 ルカは罰が悪そうに学院長から視線を逸らした。
 ヨウはヒラギセッチューカとの和解を望んでいないし、ヒラギセッチューカの意思も知らない。
 ルカは自分勝手に二人を仲直りさせようとしていて、本人達の意思は汲んでいないのだ。

 しかし、ルカはどうしても二人を和解させたかった。
 エルフの彼女はどうしてもクラスの輪から外れてしまう。その前に、友達すら出来ないだろう。恩があるというのは都合の良い建前で、本音は幸運に掴んだ友人であるヒラギセッチューカを離したく無いのだ。
 それに、ヨウの高慢さを見たルカは、ヨウと仲違いするのは時間の問題、と考えていた。だから余計、ヒラギセッチューカと仲を深めるために会いたい。
 ヨウが邪魔なのだ。

「ヨウは望んでないです」

 と、ユウキがハッキリ言った。ルカは自分の非が増えた気がして顔を青くする。

「白の魔女という存在がヨウの色眼鏡にどれほど影響してるかは分かりません。ただ、ヒラギの中身が好きでないのは本当、だと思います」
「アレ、クズだもんね」

 学院長はケラケラと笑った。
 生徒であるヒラギセッチューカを“クズ” “アレ”呼ばわりなんて、学院長も人の事を言えない。
 ユウキは不快感の黒霧に胸を包まれてモヤッとするも、話を続けた。
 
「それでも、俺はヒラギとヨウに仲直りして欲しいと思います。からかうヒラギも悪いが手を出すヨウも悪い。俺らの都合がどうであろうと、お互いに謝るべきなのは変わらないでしょう」

 学院長は水を一口飲んで「一理ある」と言葉を零した。

「それで、ヒラギセッチューカはそれを望んでいるのかい?」
「『去る者は追わず来る者は拒まず、なの私は。仲を取り持つなら“ユウキが”精々頑張って』と、ヒラギは言っていました」

 ルカはそれが初耳であった。
 いつの間にヒラギセッチューカと会って聞き出したのだと驚き、目を見開く。
 
「なるほど、好きにしろと……」

 学院長はそう彫刻の様な綺麗な微笑みを浮かべる。
 それがあまりにも不気味だったため、ユウキはゾッとして聞いた。

「えっと、お気を悪くさせてしまったら申し訳ございません」
「いや、そんなことないよ? 怖がらせてごめんね」

 さっきの石像の様な硬い微笑みから一変、申し訳なさそうに苦笑した。
  ユウキは視線を鋭くさせる。
 飄々とする学院長への怒りではなく、微かに湧き出る恐怖からで。
 学院長は態度がふざけている事もあり親しみ易いが、ふとした時にゾッとするような、恐ろしい雰囲気を放つ事がある。
 ユウキはそれが怖かった。 

「玫瑰秋とヒラギセッチューカか……」

 学院長は手を顎に添え、窓の外を眺めて考える。ユウキとルカにとって居心地が悪い沈黙が生まれた。

 生徒同士の仲は良いに越したことはない。ただ学院長にとってヒラギセッチューカは別だった。
 白髪のせいで人々が恐怖するのは良くない。目立つ行動をとって無駄に人々の神経が張り詰められる事となると、余計だ。ヒラギセッチューカがそんな事をするとは思えないが、玫瑰秋が関わると断言は出来ない。
 このままの状態でいてくれれば好ましく思うが──

(ヒラギセッチューカと玫瑰秋が和解しないと、アブラナルカミがクラスで浮いちゃうんだろうね)

 学院長は無意識にルカを一瞥する。ルカは怯えて身体を震わせた。ルカはエルフであるため、嫌でもクラスで浮くだろう。それでも友人が居ると居ないとでは雲泥の差である。
 ルカの友人が多い──居場所があると、他生徒と関わる機会が減る。生徒達が無駄にエルフを怪しみ、怯えることも無くなるのだ。
 学院長にとっても、ヒラギセッチューカとヨウには和解して欲しい所である。しかし──
 
「はぁっい! おっまちどーさま!」

 と、明るい店員の声が手榴弾の如く学院長の思考と場の沈黙を破った。
 声をかけられるまで店員の存在に気付けなかった学院長は、驚いてバッと店員の顔を覗く。暗赤色の瞳に映ったのは、そこら辺に居るような存在感の無い普通の顔だった。

「店長のオリジナルブレンドコーヒー二つとフルーツケーキ二つ! ビターチョコクッキーでーす!」
 
 店員はハイテンションで、お盆の品を机に乗せてゆく。コトンッと、机に陶器が擦れる音が不規則に鳴る。
 目の前に置かれたコーヒーから出る湯気が、ユウキの頬を撫でた。スンッと一息吸ってみると、香ばしくもフルーティーと、矛盾した温かいアロマが顔面の内側全体に広がった。
 美味しそうなコーヒーだ、とユウキは自然と口角があがる。
 と、注文した記憶のないスイーツが一種類。
 ルカは怪訝そうに聞く。

「店員さん、ナニコレ?」

 白い皿に乗った無地の枡が三人の前に置かれた。枡の中には鶯色の豆腐が入っていて、上から濃い緑の粉末がかけられている。
 匂いを嗅いでみると抹茶の香りがする。初めて見る食べ物にユウキとルカは首を傾げた。
 
「抹茶の粉末を入れた蒸しプリン。抹茶プリンです!」
「ネーミングまんま何ですね。でも、私達頼んで無──」
「店長がサービスと。是非召し上がってください!」
 
 店員が白皙の手を広げて、どうぞとジェスチャーを行った。サービス──学院長が居らっしゃるからか。とユウキは納得する。
 学院長は枡を両手で軽く覆い、笑って言った。

「ありがたく受け取らせてもらうよ。あの頑固者店長にお礼言っといて?」
「会計際に店長を呼びます。その時にご自身でお礼してくださいっ。では、ごゆっくり」

 店員はお盆を胸に、綺麗な一礼をして空気に溶け込むように去っていった。


 5.>>32

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.32 )
日時: 2023/04/04 18:24
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)


 5

ルカは枡をチョイチョイと突っついて顔を顰める。

「あの抹茶の粉末を入れたプリン……。美味しいのかな?」

 ルカが想像するのは、ミルクで柔らかくなった卵黄色に、キャラメルをとろりとのせたプリン。
 あんな甘いデザートに苦い抹茶を混ぜるだなんて、想像力が一歩道を間違えればゲテモノ料理認定してしまいそうだ。
 ユウキも、ルカと同じように、密かに抹茶プリンに嫌悪感を抱いていた。
 抹茶プリンの前に葛藤するルカを見て、クスッと笑う学院長は言う。
  
「百聞は一見にしかずだ。一口だけでも食べてみない?」

 学院長が言うなら──と、二人は木のスプーンを手に取った。
 粉末越しと言えど、光を反射する妖艶な鶯色。それを一すくいした。粉末が升の受け皿に少し零れ、ぷるんっとゲルが分裂する。
 雨上がりの若草の様にキラキラと輝くソレを近づけると、濃縮感ある抹茶のいい香りがした。

 ルカは香りに引き寄せられて、抹茶プリンを口に運ぶ。軽い力でプリンが崩れ始めた。口の中でほろっほろっ、と。普通のプリンより柔らかくは無いが固すぎず、自然と口と一体化してく。
 抹茶だから苦いと身構えていたが、ルカは肩透かしを食らった。それも良い意味での。抹茶は苦味を楽しむとモノと思っていた。けど違った。
 プリンの甘みで苦味が消えて、抹茶の旨みしか喉を包まないのだ。かと言って完全に苦味が消えたわけじゃない。甘みと上手く溶け合っている。とてもおいしい。
 
(でも、もっと柔らかいプリンが好きなのよね。これはこれで美味しいけど合わないかも)
 
 口の中に広がるほろ苦味を感じながらルカは思った。と、異変が起こる。プリンがトロトロに溶けてきた頃、全ての苦味を包み込む様な甘みが広がった。 
 私は考えが浅かったかもしれない、とルカはハッとする。このプリンはこの固さでいいのだ。逆にこの固さでないとダメだ。
 柔らかいプリンは口に入れた瞬間、溶けるように消えてしまう。そしたら、後に広がる抹茶プリンの甘さを感じられない。
 甘味を噛み締めるためにわざと口の中に残りやすい、硬いプリンになっているのだ。

「プリンおいひぉ……」

 ルカはつい声を出した。しかし、パクパクとプリンを口に運んでいて発音が出来なかった。
 プリンを平らげてしまったルカは、フルーツケーキに手を出す。
 白いクリームを身にまとい堂々と佇む三角形のケーキ。イチゴやオレンジ、ビワやメロン、野いちご、旬の宝石が溢れんばかりに乗せてある。こういうケーキはどこから切ったらいいのか分からない。

 取り敢えず、と野いちごが乗る三角形の先端にフォークを刺して口に運んだ。野いちご独特の酸味がパチパチっと弾け、生クリームがそれを優しく包み込む。
 酸味と甘みのバランスの良さで口角が上がった。 
 今度はイチゴとメロンを一気に食べよう。ルカは大口を開けてケーキを頬張る。イチゴとメロン。一緒に食べることなんて基本ないけれど、彼女は美味しいと確信していた。
 実際、美味しかった。ジューシーな二つの果物。
 どちらも糖度が高く舌触りも良い。それらを包み込む甘い濃厚なクリームとスポンジ。甘みが口のなかいっぱいに広がって幸せな気分だった。
 
 甘いのが苦手なユウキは、ルカのフルーツケーキを見て顔を顰める。手元のビタークッキーに手を伸ばし、サクッと音をたてて食べる。うん、おいしい。ユウキは思った。
 
 喉が渇いたからと、ルカはコーヒーに手を出す。苦いのは嫌いな彼女はミルクと砂糖をたっぷり入れた。口に僅かに含み、香りを楽しんで喉に通す。じんわりと広がる苦味と共に甘味が喉元を覆う。いつも飲むコーヒーと変わらない。ルカは、コーヒーの違いなんてよく分からなかった。
 しかし、口内にベットリとついた甘さの残滓をコーヒーで優しく拭いとる感覚は癖になりそうだ。

「そんなに美味しいかい? ここの食べ物は」

 ルカを微笑ましく眺める学院長が聞いた。
 自分が満面の笑みだった事に気付いたルカは恥ずかしくなる。

「はふっ 学院長せんせへぇ」
「アブラナルカミ君。口のものは飲み込んでから話そうね」

 指摘されたルカは急いで口の中の物を飲み込む。

「学院長って何処にでも居ますよね」
「よく言われるよ。でも学院の外にはあまり行かないかな。君たちはラッキーだ」

 学院長は肩を竦めた。
(確かに学院長を外で見ることは無いかも)
 でもそれは、学院都市が広いからだろうとルカは思っていた。学院長は思ったより忙しそうである。

「そろそろ話に戻ろうか」

 学院長の言葉で、ユウキとルカは動きをピタッと止めた。学院長は「いや、食事は続けてていいよ」と苦笑いする。

「まず前提として、他人の関係にとやかく言うのは大変無粋な事だ。それを理解した上で、俺の話を聞いて欲しい」

 この場に居るユウキ以外は利他的な感情ではなく、立場の都合でヒラギセッチューカとヨウを和解させようとしている。
 ルカはそれを責められるかもしれない、という恐怖を抱きながら頷いた。ユウキは学院長の言葉に罪悪感を覚えながら、ルカと共に静かに頷く。

「二人を真の意味で和解させる方法はあるにはある。しかし、性格の相性を考えると効果は薄いだろう。ここは二人の和解を諦めた方が早いかもしれない」
「和解を……?」

 意味は分からないが、不穏に感じたユウキは復唱する。学院長はコクリと頷いた。

「要は、ヒラギセッチューカと玫瑰秋が文句言わず共に行動出来ればいいわけだ。ヒラギセッチューカに君達との行動を強制させとくよ。
 玫瑰秋は嫌な顔するだろうが、アブラナルカミとユウキから離れるような事はしない。彼は義理堅いからね。時が経てば二人共諦めて大人しくなるだろう。これで解──」
 
「ちょっと待て!!」

 バンッと机を叩いてユウキは立ち上がる。荒々しい怒声が店内に響くが、客が居ないのは幸いであった。 
 ユウキは自分の行動にハッとして「すみません」と一言謝る。が、意思は変えない。

「それではヒラギとヨウの意思が反映されません。強制なんて、やめてください」
「でもそれが一番良くない? 取り敢えず同伴させときゃ自然と和解するかもしれないよ?」
「ヒラギが、可哀想だ」

 学院長とユウキの雰囲気が悪くなってルカはビクビクする。しかしユウキと同意見ではあった。ヒラギセッチューカとヨウが可哀想だ。
 でも、エルフである自分がクラスで浮かないための、一番確実な方法。ルカは何も言えなかった。

「はは、ヒラギセッチューカが可哀想、ねぇ」
「感情論では、いけませんか」

 顔をしかめるユウキに、学院長はケラケラと笑って「違うよ」と言った。

「君達の都合で、嫌いな人と和解しなきゃならないヨウも可哀想とは思わない? いや、寧ろヨウの方が精神的に苦しいだろう」

 ユウキとルカが望む和解も、ヨウの意思が反映されていない。学院長がやろうとしてる事と変わらない。
 気付いたユウキを罪悪感の大津波が襲った。ワナワナと震えて俯くユウキに、学院長は追い打ちをかけた。

「最初にも言ったが、まず人の関係をとやかく言うこと自体が無粋だ。罪悪感を覚えるのが遅いよ狐百合きつねゆり 癒輝ゆうき

 一音一音が弾丸となってユウキの胸を貫き、蜂の巣にする。その感情への処理が追いつかずユウキは動けなかった。
 ヨウとヒラギには仲良くして欲しいし、仲は悪いよりも良い方がいいし、入学式で互いにした酷いことへの謝罪をして欲しくて、ヒラギの友達を増やすことも目的にあって、でも二人の意志を無視するのはいけない事だし──
 何をして欲しいとか、人は仲良い方が良いとか、謝罪だとか、ヒラギセッチューカへの押し付けがましい善意だとか。典型的に良いとされる”正義”が彼の情緒をぐちゃぐちゃにしていた。
 学院長はフルーツケーキを綺麗に平らげ、コーヒーを優雅に一口飲む。

「そんな悩む必要はないと思うよ。自分の何がしたい、って気持ちを一番にさせるべきじゃないかな」

 彫刻のように綺麗な微笑みを作って、学院長は言った。
 
「俺は十分自分の気持ちを優先させてます。これ以上は、自己中になるだけだっ」
「その、自己中になってみない?」

 ブチブチっと自分の堪忍袋の緒がちぎれかける音が大音量で聞こえる。ユウキは、胸の奥のドロドロとした漆黒をゆっくりと吐き出して、ドスの効いた声を出す。

「意味、分かって言ってますか」
「うん」

 学院長は見抜いていた。
 ユウキの心情も、”ユウキ達”の存在意義も。
 
 が、何も知らない者からしたら二人は何を言ってるのかちんぷんかんぷんだ。ルカは訳の分からない話に恐怖を助長され、ただその場でビクビクすることしか出来なかった。

「欲こそが君の至高でしょ?」

 学院長の言葉でユウキは唇を噛む。ギリっと音がして、鉄の味が微かに広がった。火傷したような痛みにハッとしたユウキは力が抜けて、ストンッとその場で座る。

 うるさい、うるさい、うるさい。
 聞きたくない言葉をストレートに言われたユウキは、子供のように胸の中でごねていた。それを苦い漢方のように飲み込んだユウキは、表情を戻す。

「それは、違います。けど言葉は返せない」

 何事も無かったかのように苦い顔をする。
 学院長は「そっか」と言って、ユウキと入れ替わるように立ち上がった。

「俺も悪魔じゃない。ああは言ったが、考えてるだけで行動に移す気は更々ないよ。人の関係にとやかく言うのは無粋だしね」

 学院長は伝票を一瞥して、財布を開きながら話を続ける。

「俺が言いたいのは唯一つ。他人の意志を蔑ろにしたらいけない。
 ま、本人達に任せてればいいと思うよ。勝手に仲直りして、ひょっこり一緒に顔を出すかもだしね」

 伝票に書かれた代金とぴったしの硬貨と紙幣を置いて、学院長は席を立った。
 ユウキとルカは白昼夢を見ているような気分でそれを眺める。

「あ、店長ー!」

 と、学院長は厨房に向かって叫んだ。
 ガッシリした体つきに真っ白いエプロンを着た老人がのっそりと出てくる。
 
「なんだ騒がしい。店では叫ばないでくれ」
「抹茶プリン、サービスしてくれたんだって? 生徒の分まで、ありがとうね」
「それだけならさっさと去れ」

 塩対応な店長に学院長は思わず苦笑した。店長の後ろに隠れるように立つ店員に視線を移す。

「店長、店員の調子はどう? 役に立ってる?」
「まあまあ」
「ああ、そう。抹茶プリンとかフルーツケーキとか、考えたの君でしょ? 凄いね」

 店長一人の時は、店のメニューのレパートリーは渋い上に少なかった。抹茶プリンの様な風変わりなモノを店長が作るわけない。
 学院長はしゃがんで店員と目線を合わせ、そう言った。

「どうも」
「ねぇ店員さん。喧嘩はいけないね」
「急に何です」
「悪いことしたら、謝らなきゃいけないね」
「だーかーらっ! 急になんですかっ!」

 店長に隠れて怒る店員を見て満足した学院長は、彫刻の様な微笑みのまま背を向けた。

「ご馳走様でした〜」

 カランカランッ
 場の空気に似合わない、陽光の様に明るく軽いドアベルの音が店内に波紋を作った。何も考えずぼーっと学院長達のやりとりを眺めていたユウキは、空っぽな言葉を投げた。

「何も、出来ねぇな……」

 ルカは頷いて、すっかり冷めたコーヒーを一口飲む。
 信じられないほど、甘かった。


 6.>>33

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.33 )
日時: 2023/04/05 16:15
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)


 6

《ヨウ》

 ぽつぽつと無数の雫が跳ねる音が室内に木霊している。ページをめくろうとして、俺は顔を上げた。
 視界の端に映る窓の外には絹糸の様な五月雨がしとしと、と単調に降っている。いつの間に降っていたんだ。
 驚いて時計を見て、図書室に来てから数時間経っていた事に気付く。

 俺は動揺を隠すように背伸びして、持っていた本を棚に戻した。
 背表紙をなぞって名残惜しくも手を離す。『夜刀 歴史記録』と書かれた厚い本が巻数順に並ぶ様子を眺めたあと、俺は絶望を一つ吐いた。

 学院に入学したは良いものの、親父の手がかりは0に等しい。
 かと言って有効な情報収集方法案も浮かばず、ダメ元で学院都市にある図書を片っ端から読むことにした。
 学院都市には学院内のを省いても図書館が幾つもある。それらを虱潰しに回って、この学院の図書室が最後だ。
 エルザ先輩が言ってた通り、白蛇教の資料は公にされていなかった。そもそも“白蛇教”という単語すら一回も見なかった。
 情報管理が徹底され過ぎていて、白蛇教は俺の妄想じゃないかと一瞬思いかけたぐらいだ。ダメ元で図書館を調べていたから然程落胆はしないが、情報収集の方法がもう無い。
 どうしたものか──

 俺は意味もなく、しまった本をもう一度取り出した。『夜刀歴史記録』は名の通り歴史の本だ。
 しかし、史実と共に神話からエルフのような幻に近い生物に出来事まで、時系列順に記録されている。
 だからこそ白蛇教の手がかりもあると思ったんだが。

「そこに目当てのものはないと思うよ? 少年」

 気付かぬ間に俺の両肩には誰かが手を添えていて、少し体重をかけられていた。
 耳元から悪寒が身体中を駆け抜ける。吐息がこしょばくて変な声が出てしまって恥ずかしい。反射的に口に手を当て素早くその場から離れ、後ろの人物と目を合した。

「『ふはひぁっ!』だってさ! 案外愛くるしいね少年って」

 真っ黒い狐面から零れ落ちた白髪の隙間から見えたのは、俺を嘲笑う白皙の顔だっだ。認識阻害の狐面で俺に近付いたビャクダリリーは、俺の吃驚を真似てクスクスと笑う。
 怒りと恥ずかしさで血液が沸騰したように熱くなって、顔が赤くなってると嫌でもわかった。息をかけられた耳を抑えて歯ぎしりし、ビャクダリリーをキッと睨む。

「何の用だビャクダリリー」

 ビャクダリリーを見るだけでも嫌気がさすのに、嘲笑されるなんて今日の俺はとてもツイてるらしい。反吐が出る。
 俺はバタンとわざとらしく大きな音を出して本を閉じ、棚にしまう。

「愛しの玫瑰秋 桜に会いに来たっ」

 ビャクダリリーが余りにも朗らかな笑顔で気色悪い事を言うもので、俺は雨音をかき消す勢いで大きな舌打ちを打ってやった。
 ビャクダリリーは肩を竦めて苦笑いする。

「てのは半分冗談で──」

 十割冗談であって欲しかったよ。

「話したい事があって、ヨウを探してた」

 話したいこと? 気まずい空気に耐えられず、ビャクダリリーがしっぽ巻いて逃げてから早半月経っている。
 今更俺を探してた──だなんて、滑稽で笑いが出ちまうよ。
 
「愛の告白でもしに来たか?」

 ビャクダリリーをバカにするつもりで言った。
 
「して欲しいなら“愛してる”って毎分でも言ってあげるよ?」

 思ってもみなかった回答が悪寒となって、足元から電流の様に駆け抜ける。
  
「なら俺は毎分受ける恐怖と憎悪を乗せた拳をぶち込んでやる」
「そんなに私嫌い?」
「生理的に無理」

 ビャクダリリーは「結構ショック」と肩をすくめるも、せせら笑いを浮かべていてショックを受けている様に見えない。
 俺はビャクダリリーから顰蹙を買おうと必死なのに、全く効果がないのがイラつく。

「用が無いなら俺の視界に入るな綿ホコリ」

 素直に苛立ちをぶつけて、クルリとビャクダリリーに背を向ける。
 司書さんですら不在で誰もいない図書室に、俺の冷たい足音がカツカツと響く。

「極力少年と関わる気は無い。ただ──」

 俺の背を押すビャクダリリーの声は冷たかった。
 さっきとの余りの温度差に、思わず俺はビャクダリリーの方を向く。

「無駄に首を突っ込むな、とだけ」

 と言われても。
 俺は自らビャクダリリーと関わろうとした記憶なんてない。コイツは何を言いたいんだ?

「なんの事だよ」

 ビャクダリリーが、俺を指差す。

「ディアペイズ第十軍騎士団長 玫瑰秋 晟大」

 何故、ビャクダリリーがその名を呼ぶ。
 
 裏側まで見えてしまいそうな程透き通る透明な瞳の中で、目をカッと開いて、刺すように前を睨む黒髪の少年が立っていた。
 室内に十、百、嫌、千以上の雫が破裂する音がガラス越しに響く。 
 黙っているビャクダリリーは息を吸って、吐いて。表情の氷を溶かして、ニヘラと笑う。

「白蛇の巣穴に手を出すと、後ろから首を噛まれるよ。かぷっ、て」

 ビャクダリリーはパクっと、あざとく虚空を口に孕んだ。
 俺は、どんな表情でそれを見ているのだろう。この燃え上がる感情を、何と呼ぶのだろう。
 玫瑰秋 晟大、白蛇、噛まれる。それらがようやく頭の中で一つに繋がった。白蛇教と関わるな。そう、ビャクダリリーは言っているんだ。

「なんでお前が、白蛇教の事を、俺の目的を、知ってるんだ」

 ビャクダリリーはハッキリ“白蛇教”と言ったわけじゃないし、もしかしたら全く別の事を指していたのかもしれない。
 それでも、俺は焦燥感に耐えられず早合点した。
 
「その言葉、余り声に出さない方が良いよ?」

 ビャクダリリーの発言で俺は確信する。コイツは、白蛇教の事を言っている、と。

「質問に答えろ! ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーッ!!」
「そう、なるよね」

 苦笑いして肩を竦めるビャクダリリーは「用事はこれだけ」と、クルリと背を向ける。
 お前の用事が終わっても、俺の用事が終わってない。いや、元々そんなの無かったが。今出来たんだ。
 コイツから何としてでも情報を引き出さないとッ──!

「待てビャクダリリー!」

 手を伸ばした先に居るビャクダリリーは振り向かないまま狐面を被った。途端、彼女の気配が薄くなって姿が見えにくくなる。
 認識阻害は厄介だ。一瞬でもビャクダリリーの姿形を見失うと、再認識するのは難しい。ビャクダリリーを見失わぬよう必死で目を凝らして追いかけるも、段々ビャクダリリーの存在が消えていって、認識出来なくなる。ただ、彼女特有の薬臭さは健在だ。姿が見えなくとも何となく存在が分かる。

 図書室を出て、廊下を走って、何度も転移陣を踏む。先生に廊下を走るな、と注意されてもスピードは緩めなかった。
 さっきよりも強くなった雨がボトボトと屋根を叩く。
 誰かが閉め忘れたのだろう窓から入る生臭い雨の臭いと、湿気が手足を這って気持ちが悪い。生暖かい息を何回も吐いて思った俺は、気付くと縹校舎に辿り着いていた。

 ビャクダリリーの臭いがしない。多分、雨で消えてしまったんだろう。けど、ビャクダリリーはこの縹校舎に居る。さっきまでは微かに薬の臭いがしたんだから。
 俺が間違うはずがない。
 思いながら廊下を彷徨く。
 午前の必須授業以外では使われない午後の校舎は伽藍堂で、少し怖い。
 雨で天気が悪いことも相まって、何かの拍子にふと、俺自身が溶けて消えてしまいそうだ。いや、何を考えてるんだ俺は。そんな事起こるわけが無いだろう。

 気持ちを切り替えよう。
 ビャクダリリーはこの校舎にいると仮定して、アイツが向かいそうな場所。考えてみれば簡単に分かるだろう。俺達の所属クラスである〈一クラス〉の教室だ。
 ガラッと教室の戸を開ける。灰色の光で飽和した教室は誰もいなくて、沈黙に満ちていた。
 俺は躊躇いなく歩を進める。

「ビャクダリリー、居るんだろ!」

 俺の席。の前にある席に向かって叫んだ。滲み出る汗を拭い呼吸を整えて、虚空を睨みつける。

「なんで分かるかなぁ」

 と、思いの外早く観念したビャクダリリーが姿を現した。椅子に座って苦笑いするソイツは、狐面を袖にしまって立ち上がる。

「聞きたい事がある。大量にな」
「だろうね。けど答える気は無いよ。なんか思わせぶりなこと言っちゃってごめんね?」

 端からビャクダリリーが俺の質問に答えるとは思って無かった。なら無理にでも答えを引き出すしか無い。
 どんな手を使ってでも──

「お前も知ってるだろうが、俺は玫瑰秋 晟大の息子だ。金なら、いくらでもある」

 汚いが故に誰も触れる事が出来ない親父の財産や、死亡確認が取れてないからと未だディアペイズ軍から振り込まれる親父の給料が、俺の懐にそのまま入ってくる。そこら辺の貴族など鼻息で飛ばせる程の金を、俺は持っているのだ。
 普段は金で物を言わせる様な汚い事などしないが、今回はそんな事言ってられない。

「お金、か。ちょっと揺らぐなぁ……」

 ビャクダリリーの言葉を俺は逃さなかった。
 
「金だけじゃない。物品も知識も地位も。欲しい物なら俺のコネを使ってなんでもくれてやる!」
「必死すぎて怖いよ少年。言えることは何も無いよ。幾ら積まれても、ね」

 唯一俺がビャクダリリーに与えられる物だったのだが、やんわりと拒否されてしまった。
 ならば──

「私は忠告──というか、お願いをしに来ただけで。要するに、少年に首を突っ込まれるとこっちの都合が悪くなるんだ。危険地帯に踏み込むかどうかは君の自由だけど、踏み込むからには私も容赦できないし──」

 俺を必死で丸め込もうとビャクダリリーは言葉を連ねるが、何一つ響かない。

 この教室──嫌、校舎には俺達意外 人が居ない。
 今、俺がコイツに何をしようがバレるリスクは少ないと言うわけだ。殺しまでするつもりは無いが、誘拐しても、殴り倒しても。
 証拠隠滅を測ればリスクをゼロに等しくさせることも可能だ。
 

 情報を吐くまで、嬲り倒してやる。


 
 7.>>34

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.34 )
日時: 2023/04/05 16:29
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)


 7


 俺達の日常にありふれる魔法に必要な要素は3つ。
 
 一つは、万物の源と言われる〈魔素〉
 何処にでも漂っていて、俺達の体中にも血流の様に決まった流れを作って巡っている。
 魔素が尽きても死ぬことは無く、体にとっては薬にも毒にもならない。
 
 二つは〈ゲート〉と呼ばれる器官。
 全生物に備わっている概念に近い器官で、魔素の出入口となっている。ゲートを介さない魔素の放出、吸収は大変危険だ。最悪、魔素逆流を起こす。
 
 三つは構築。
 魔素をゲートから通すと任意で発動する魔法は、上手く魔素を体内で練って構築しないと発動しない。
 この“練る”が難しい。例えるなら、脳内のミルクパズルを組み立てる様なもので、一瞬で魔法を発動出来る者はほんのひと握りだ。
 それを助けるのが詠唱。
 細かいピースのミルクパズルから、色付きの大きいピースのパズルの様に、難易度がグッと下がる。

 それでも慣れていないと使うのは難しく、魔法、というのは一朝一夕で使えるものじゃない。
 ただ、初級魔法は万人向けに作られていて──

「〈いち暗槍やみやり〉」

 俺でも、使うことが出来る。

「っ?!」

 ビャクダリリーが声にならない声を零し俺を見やる。と同時に俺の魔法が発動。
 手元にバット程の、鈍く光る黒紫色の結晶が現れる。
 ビャクダリリー脳天目掛けて思いっきり振り上げた。

参氷塊さんひょうかい!」

 一回の瞬きよりも速くビャクダリリーが唱えた。
 反応が早い。
 ビャクダリリーを守る氷が床から生えた。
 暗槍がぶつかってカンッと軽い音が鳴る。
 黒紫の結晶の破片が飛び散って、暗槍は魔素である光となって消えてしまった。

 暗槍は所詮、魔素を実体化させただけの初級魔法。
 耐久性は無いと分かっていてもチッと舌打ちを鳴らしてしまう。

「交渉がダメなら力ずく、って事?」
「理解が早くて助かるよ魔女」
「冗談だったんだけどなぁ、目がマジじゃん……」

 氷塊を盾にして俺の顔を覗くビャクダリリーの表情には、困惑が見えた。
 「壱・暗槍」とゆっくりと唱えて、俺は強度な魔素の結晶を作る。

「お前が簡単に吐くとは更々思ってない」
「内容が内容だしね。下手吐いたら私も身が危ないからさ。少年の身も危うくなるし、大人しく手を引いた方が──」
「教室がダメなら別の密室で。魔法がダメなら道具で。道具がダメなら拳で。拳がダメなら爪で、歯で。お前の肉を抉って、吐き出させる」
「わーお下手吐いたから現在進行形でピンチだったよ私」

 魔法が完成してさっきよりも硬い結晶が現れる。
 それを力任せに氷塊へぶつけた。
 氷塊がバリンッ! と音立てて砕ける。氷の飛沫が顔にかかってちょっと冷たい。

「教室で暴れるのは流石に不味いよ?」

 ビャクダリリーは氷の破片をかわす。余りに自然な動きで、俺は暗槍を持つ手を掴まれてしまった。
 布越しでも分かる冷たさと、恐ろしい程の白い手が不気味でゾッとする。恐怖をかき消すようにビャクダリリーをキッと睨んで言った。

「なら大人しく吐くか、捕まれ」
「どっちも気持ちだけ受け取っとくよ」
「意味が分からないっ!」

 白皙の手を振りほどこうと力を思いっきりいれた。が、全く動かない。石に掴まれてるみたいだ。
 ビャクダリリーの力が思いの外強い。
 細くて弱々しい腕のどこからそんな力が湧いてるんだ!
 けどこっちだって策はある。

 ──指を折るように。呼吸をするように。思考を働かせるように。
 形容出来ないほど自然すぎる感覚が体を駆け巡って、体が熱くなる。力が湧き出る。
 もう一度、俺は腕を振り上げた。

「お、わぁっ!」

 さっきの力の差が嘘のよう。
 ビャクダリリーは俺の力に負けて手を離し、バランスを崩して後退る。
 馬鹿だな。その先には机があるのに。
 ガシャンと机にぶつかったビャクダリリーの怯みを、俺は見逃さなかった。

「ゲボッ!」

 俺の拳がビャクダリリーの顔面に入った。
 机がビャクダリリーの体重で倒れて、椅子や隣の席も巻き添えにする。
 ガラガラと積み木が倒れる様な音が室内を叩く。

「いっつ、何で、急に力が強く……」

 鼻から垂れた血を拭ったビャクダリリーの頬に、赤い爪痕が残る。
 吃驚香るビャクダリリーの表情に、堪らず気分が良くなった俺は自慢気に言った。
 
「〈加護〉って存在ぐらいは、お前も知ってるだろ?」
「えーっと。特定の種族とか個人が持つ体質──だよね?」
「模範解答は“世界からの祝福”だ」

 おもむろに立ち上がって机を直すビャクダリリーを冷笑する。
 世界から選ばれた種族、或いは個人が生まれつき持つ力を〈加護〉と呼ぶ。
 力の内容は様々だが俺の場合──

「魔素量と筋力を大幅アップさせる、て解釈でおーけー?」

 さっきビャクダリリーを突き飛ばした所で察せられたか。
 それでも魔素量の増幅まで言い当てるなんて。

「その通りだ」
 
 ビャクダリリーに加護を見透かされてドキッとするも平静は保てた。でも調子に乗って余計なこと言ってしまったな。と、後悔して口に手を当てる。
 俺の加護は“魔素量と筋力を一時的に増幅させる”ものだ。生まれが特殊だから、個人的なものか種族的なものかは不明だが。
 机を直し終わったビャクダリリーは、両袖に腕を入れてヘラっと笑う。

「待ってくれてあんがとさん。少年って根は優しい方?」
「ふざけるな」

 反射的に言葉が零れた。ビャクダリリーは苦笑いする。
 加護と魔法で十分脅せたと思ったから待っただけであって、ビャクダリリーに情をかけた記憶は一切無い。反吐が出るから勘違いしないで欲しい。

「戦闘は気が乗らないなぁ。こう見えて私、今は体調がすこぶる悪いからさ。今回は見逃してくれない?」

 ビャクダリリーはあざとく小首を傾げる。こんな状況でもふざけるなんて、俺を煽ってるのか。 
 発言的に俺の力に恐怖したようだが、素直になる程じゃ無かったらしい。
 
「無理、と言ったら?」

 暗槍を構える。応えるようにビャクダリリーも袖から木刀を取り出す。
 袖に木刀何て簡単に入らないだろう?!
 物理法則を無視したその様子に、俺の脳が不具合を起こして思考が止まる。
 いや、よくよく考えればおかしい事ではなかった。アレは制服についてる機能の一つだ。
 
 制服には、かけられた魔法による機能がいくつかある。その内の一つである袖の収納を使ったんだろう。
 使い手が限られる大変希少な空間魔法によるもので、限度はあるものの、多くを収納することが可能だ。
 全生徒の制服にそんな機能が備わっているだなんて滅茶苦茶だが、それをも可能とするのが学院長である。
 といっても、貴重な機能であることには変わらず簡単には慣れない。

「ちょっと痛くする」

 木刀で俺を指して、ビャクダリリーは返事した。
 ちょっとやそっとの脅しや誘惑は彼女には効かない、ということはもう理解した。
 ならば、俺が何をしてもビャクダリリーは文句を言えまい。だって、答えないコイツが悪いんだから。

「ちょっとで済むかな!」

 咆哮と共にビャクダリリーの顔面目掛けて暗槍を下ろす。
 人は顔面に無駄に気を使う。きっと一種の弱点だ。

 カンッとまた乾いた音が鳴る。木刀で防がれた。
 けれど俺の力に耐えられず、木刀が震えている。力は俺の方が圧倒的だ。
 このまま鍔迫り合いに持って行けさえすれば、勝てる!

 しかしビャクダリリーも馬鹿じゃなかった。
 素早く俺の力を受け流した。思いっきり力を入れていた暗槍がガンッと床に落ちる。衝撃が静電気の様に腕を駆け巡って思わず顔をしかめた。
 
 ビャクダリリーも同じ事に気付いたらしい。俺に力では勝てない、と。
 もしかしたら、何かしら対策をしてくるかも知れない。けど俺は思考を停止させた。
 だって力で押し切れるんだから。小細工何て俺には効かないだろうし考えるだけ無駄だ。

「俺が首を突っ込むとビャクダリリーの都合が悪くなる、か。何でわざわざそれを俺に言う? 忠告にしても、直接言う以外にもっと方法があったはず、だろ! 」

 もう1回暗槍を振るう。
 ビュンッ! と通常の俺では鳴らせない、大きな風きり音が気持ち良い。ただ、それは空振りの証拠でもある。
 ビャクダリリーは紙一重で俺の攻撃をかわした。ゆらゆらと蛇のような動きが気持ち悪い。攻撃が当たりそうで当たらないから余計だ。

「他の方法って?」

 ビャクダリリーの表情から笑みが消えて真顔になる。

「不意打ちで俺を倒すとか、遠ざけるよう誘導するとか。攻撃されるリスクも考えず直接コンタクトをとって、更に情報まで与えるなんて。笑いが出る程のバカだなお前!」
「それ、は──」
「それとも、俺を黙らせる程の力を持ってると慢心でもしてたか? ああ常に慢心してたなお前は。自分より圧倒的に強い相手を、入学当初から嘲笑してたんだからなぁ!」

 腕を振り上げる。風きり音。また振り上げる。空を切る。もう一回、もう一度、今度こそ。
 何回やってもビャクダリリーに暗槍が当たらない。
 けど手応えは十分にある。
 焦りの表情が見えているのだから。あの俺を嘲笑ったビャクダリリーの表情から 、だ。

 自分の口角が自然と上がる。いい機会だ。
 ビャクダリリーの吠え面でも拝んでやる。

「傍観者が作った正義ヅラ? 白髪が他人の正義ヅラ拝めただけ感謝しろよっ!」

 入学式にビャクダリリーに言われた言葉を思い出す。あの時、俺は殿下に喧嘩を押し付けられたビャクダリリーを心配していただけなのに。
 思い返しただけでも腸が煮えくり返る!!
 
「俺がブレッシブ殿下に加勢して、お前をボコボコにしてやっても良かったんだぞ? 一回の拳で抑えてやったんだぞ! それだけでもありがたいと思えよ魔女風情がっ!!」

 徐々にビャクダリリーの動きが鈍くなる。と、微かながら暗槍が木刀に触れる。
 もう攻撃が当たるのも時間の問題だ。
 
 いい加減白状しろビャクダリリー。無駄な抵抗なんて辞めて、懇願しろ。
 こんなことはもう辞めて、と。床にめり込む勢いで土下座し、吠え面をかけ。
 お前の醜態を俺の目に焼きつかせろっ!
 
「少年の為──と言ったら、信じてくれる?」

 俺の悪態にビャクダリリーはそう答えた。
 無理に口角を上げて俺を睨む白皙の顔。それが心底気色悪い。
 
「どちらにしろ、お前への嫌悪が濃くなるだけだ」

 カンッ!
 何回も聞いた軽い音と共に、腕に重みがかかる。当たった──いや、正確には当てられたと言うべきか。

 窓際の机に追い詰められたビャクダリリーは、避けきれず暗槍を木刀で防いだ。
 でも都合が良い。鍔迫り合いに持っていけたんだから。

「うっ、ぐぅ……!」

 必死で暗槍を押し返そうとビャクダリリーが唸る。この状態だと受け流す事も出来まい。
 いい気味だ。俺は無慈悲に力を込めた。

「〈弐・氷花〉! 」

 初級魔法の詠唱?! 危機感を覚えて俺は下がった。
 ビャクダリリーの詠唱から魔法が発生。
 薄藍色の幾枚の花弁が、ビャクダリリー周辺に現れた。風がふわっと花弁と白髪を撫でる。
 
 ビャクダリリーが「いけっ」と極小の息を吐いた。
 触ってしまえば溶けて消えてしまいそうな儚さの花弁が、全て俺に向かった。

 避けきれない。数が多すぎる!

 俺は袖で顔を覆う。と同時に花弁が服を叩いた。
 攻撃を軽減する様に作られている制服の前では、初級魔法など無力だ。しかし肌に当たると一溜りも無いだろう。
 花弁が床に落ちてバリンバリンと音を立てる。

「痛っ……」

 頬に花弁がかすった。火傷したように熱くなる。鉄の匂いがする。
 初級魔法なのに、切れ味が思った以上に良い。これじゃあ近付けない。
 けど魔法も無限に出せるわけじゃない。いつか攻撃は止む。
 その時に──!

 ガラッ

 窓が開く音を鼓膜がキャッチした。ビャクダリリーが窓を開けたのか。でもなんで?
 丁度花弁が止んだこともあって、反射的に顔を上げた。

「なに、やってんだ?」

 理解が出来ないビャクダリリーの行動に、そう俺は声を漏らす。
 窓枠に座るビャクダリリーが、俺を見下してた。 

 大雨粒がビャクダリリーを叩くのに。ボタボタと不規則に音を鳴らすのに。当然の様に沈み込んだ静寂に溺れそうになる。
 水を孕んだ衣類に纏わりつかれてるビャクダリリーは、澄ました顔で息を吸う。
 雨で淡雪の様に溶けてしまいそうな。瞬きの間に消えてしまいそうな、儚いビャクダリリーに釘付けになる。
 
 曇天を背にしてる癖に。
 その様子は。
 呼吸を忘れるほど、美しかった。

 
 8.>>35

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.35 )
日時: 2023/04/05 16:31
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)

 8

 
「〈ドゥ・ジェル〉」

 世界に割り込んだ憎たらしい声で、我に返った。けど、体が筋肉痛の様に動かない。
 
 窓枠をくぐった大雨粒が凍った。
 宙に止まって、ビャクダリリーの周辺に氷の粒々が漂う。

 七つの系統全てに用意されている初級魔法。
 威力で分けられるアン・ドゥ・ロゥワの魔法と、効果で分けられる参・弐・壱の魔法、合計六種類ある。
 ドゥ・ジェルは氷の初級魔法だが、威力で分けられた初級魔法は汎用性が高く、何をしてくるか予想が出来ない。

 その氷を、どうするつもりなんだ。
 そんな疑問はすぐ消えた。
 
 凍らされた雨粒、いや、雹は、俺に一点集中して向かった。
 雹が空を切って肌を刺す。思わずまた、顔を袖で覆った。
 
 痛い、痛い、ちょっと痛い。
 ちょっと、ちょっとだけだ。
 氷が当たってるだけなのに、火に炙られる様な痛みが不規則に襲う。 
 外の雨音より酷く重い轟音も相まって身動きが取れない。
 怖い訳じゃない。
 怖いもんか。

 おもむろに顔を上げてビャクダリリーを見やる。稀に肌に雹がゴツッと当たるのが怖い。
 いや、怖くない。

 ビャクダリリーは全ての窓を全開にしていた。
 教室に入る雨粒全てが凶器になる。天気が酷くなればなるほど威力が増す。
 〈弐・氷花〉で氷を生成するよりも〈ドゥ・ジェル〉で雨を凍らした方がコスパが良いから攻撃は長く続くだろうし、当たると痛い。
 思った以上にとても厄介だ。

 どうすれば良い。どうやればこの状況を打開できる。
 もう分かんない!!

「うがああぁっ!」

 全てのしがらみを吹き飛ばして、自身を鼓舞するように俺は叫んだ。
 雹を消そうと腕をブンブンと振るう。けど無くなんない。
 もういいや。雹がなんだ。痛いからなんだ!
 俺は雹を全身で受けながら、暗槍を構えてビャクダリリーに突進する。

「まじでっ?! 参ひょうかっ──」

 させるか。
 ビャクダリリーが詠唱を言い終えるより先に俺の暗槍が届いた。

「ぐっ!」

 暗槍に肩を叩かれビャクダリリーが怯んだ。
 俺はチャンスとばかりに、今度は間髪入れず追撃する。ビャクダリリーの動きは早い。また木刀で防がれる。
 だがさっきよりも動きがとても遅い。

「端から気に食わなかった」

 振り上げて下ろす。防がれる。

「二度と感じたくなかったお前の薬の臭いが」

 振りかぶって叩く。木刀と当たる。

「気色悪い白色が」

 雹が肌に溶ける。でもまた振り上げた。

「飄々として、いつもふざけるお前の態度が」

 カンッと音が鳴る。ちょっと手が痺れた。

「上っ面ばかり作る自分に酔う強欲なお前らがぁッ!!」
  
 カランッ
 とても気持ちが良い。乾いた希望の音が、雨音の合間を縫った。
 木刀がリバウンドする様子がスローで見える。
 白髪1本1本がゆっくり舞って、ビャクダリリーが白い息を吐く。

「〈参・氷塊〉」

 刹那、鞠程の氷が俺のみぞおちを突いた。
 腹筋と氷が反発し合う。肉が割れるような痛みが走った。

「う、がぁっ……」

 衝撃が強くて発声が上手くできない。
 全身の力が抜けて後ろに倒れる。内蔵がフワッと浮いた感覚がして──と思った次の瞬間。
 着地点にあったらしい机と共にガシャンと倒れた。

「痛っ、いったぁ……!」

 衝撃を受けた箇所が熱くなる。力が入らない。筋肉痛みたいに、全身がジンジンする。
 きっと紫斑がそこら中にできてるんだろうな。なんて考えが脳裏を過ぎる。
 そんな事どうでもいいだろう。今に集中しろ俺!

「〈参・氷塊〉」

 氷が俺の手足を床に張り付けた。
 冷たい。痛い。熱い。冷たい。痛い。熱い、熱い。
 もう、何が何だか分からない。

「少年、幾つか反論をさせてもらおう」

 ビャクダリリーがのっそりと、仰向けの俺に馬乗りになる。呼吸が荒くて服もびしょびしょだ。
 コイツもかなり疲弊しているらしい。

「私にとって、少年から嫌われるのは大した問題じゃない。そこ思い上がらないで欲しいな」
「っざけん──」
「〈参・氷塊〉」

 やにわに口に氷をギュウギュウに詰められた。
 顎が痛いし冷たいし喋れない。吐き出そうにも両手が塞がれていて吐き出せない。
 ちょっと静かにしててね、とビャクダリリーが話を続ける。

「次に。君が白蛇の巣に踏み込もうとすること自体、いけないことなんだよ。それを棚に上げて文句を連ねられても、ね」

 俺の気持ちも、憎悪も、境遇も知らないくせに。
 いけないこと? なら俺は何をしたら正解なんだ。牙狼族と汚い人間のハーフは、どう生きれば良いんだ!
 そう怒りの炎を燃やしても、もがもがと無様なハミングしか出てこなくて目頭が熱くなる。

「だって君は弱いんだから。その上、無駄にプライドが高くて自分が間違ってるとは思わないし、都合が悪くなると暴力で解決しようとする、幼稚な精神。
 そんな弱い奴が、玫瑰秋 晟大に会えるわけ無いじゃん? 自分の実力を見誤ってるんだよ」

 ふざけるな。ふざけるなふざけるな黙れ黙れ!
 
 俺はビャクダリリーが思ってるよりも強いし幼稚でもない! ただお前らの方が下にいるからそれ相応の態度を取ってるだけであって、ビャクダリリーが言ってる事は見当外れだ!
 俺の方が優れていて──優れ、て?
 
 なら、何故俺は今、ビャクダリリーに馬乗りにされている?
 なんで。何で。なんで?
 俺が弱いから。
 そんな筈がない。だって、だって!!

「うがぁああっ! ふがぁああっ!!」

 無我夢中でもがく。
 もう自分が何をやりたいのか。何をしたかったのか分からない。どーでも良い!!
 ただ今はコイツをぐしゃぐしゃにへし折りたい!

「うん。今のは私の憂さ晴らしだ。ごめんね」

 謝るなら俺の腹からどけ!

「とゆーわけで、謝ったから憂さ晴らし続行。〈壱・氷雪〉」

 疲れが見えながらも笑うビャクダリリーが詠唱すると、石ころ程の雪が現れる。
 ビャクダリリーは片手でそれをギュッと掴んで、俺の目の前で少し溶かした。雪汁が鼻下の溝をなぞる。

 待て待てまてまて!! 何をするつもりだ!
 
 と、それを俺の鼻に、詰め込んだ。

 雪が鼻の骨にゴリッと当たって。と思うと一瞬で雪が解け、容赦なく雪汁が奥へ這う。
 それが嫌に鮮明に覚えた。
 神経を鷲掴みにされたようなツンとした痛みが襲って、目と目の間、その奥が燃えるように熱い。

「んんがぁぁっ!」
「拷問をしてるようでこっちも心が痛いよ」

 ビャクダリリーが一度握ったから溶けやすくなってはいるものの、新たな氷雪が投入される頻度の方が多くて、固まったままの雪が鼻の管を押す。
 ゆっくりと芋虫のように這う雪汁は口に達して、喉を落ちて行く。

「けど、少年が進もうとしてる先はもーっと痛い事が、沢山あるから。それよりは、マシ、何だよ?」

 俯く彼女の髪が頬にかかってこそばゆい。痛い。

「白の魔女は恐ろしい。軽い気持ち──いや、どんな心緒でも、少年が近付くことは許されない。私が、許さな──」

  
「ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー」


 白皙の腕を誰かが掴んだ。
 握られた氷雪がポトポトと落ちる音で肌に氷が落ちたと分かって、痛みと冷たさで感覚が無くなってきてることに気付かされる。

「──どちら様で?」

 さっきまでは人間味が垣間見えたのに。何時もの様にヘラヘラとしてビャクダリリーが言った。
 流石にこの状況を第三者に見られるのは不味いと思ったのか、さりげなく俺の上から退く。
 と共に、手足の氷も溶けた。

「むがぁっ!」

 バネの様に勢いよく起き上がる。
 まずこの痛みを消し去りたい! 溶けかけた口内の氷をバリバリと砕く。歯茎が染みて涙が出てきてもお構い無しに、暴れた。

「ゲホッ! ガァッカアァッ!」

 口と鼻から氷の欠片がボトボトと落ちる。まだ鼻の奥が痛くて、俺は吐き続ける。

「玫瑰秋、これを使え」

 ビャクダリリーじゃない。金属音の様な声が横から入って、俺の顔をタオルが包む。
 ありがたい。俺はただ痛みを消すために、チーンと鼻をかんだ。
 ある程度落ち着いて、俺は顔を上げる。

「えっ、と」

 俺とビャクダリリーに割って入った目の前の人物は、一言で表すなら“黒い人”だった。
 眼球はしっかりと目の前の人物を認識してる筈なのに、脳がそれを受け付けてくれない。
 ただ“黒い人”としか言えなくて、不気味だ。

 誰だ、この人。

「生徒指導 兼 寮長。縹〈五十クラス〉担当の、ユリウス・アフォルターだ」

 あ、入学式で学院長を引きずった先生じゃないか。



 ◇◇◇




「喧嘩、か。今年度に入ってもう二回だぞ、ヒラギセッチューカ」

 ユリウス先生に連れられて来た、縹校舎の医療室。養護教諭が不在で、俺とビャクダリリーはユリウス先生に怪我の手当をされている。

「入学式は殿下に吹っかけられたけど、今回は私から。だからノーカンになりません? ユリウス先生」
「ならない」
「えー。頭硬いよ、ばーさん」

 ユリウス先生がビャクダリリーにチョップ。痛っ、とビャクダリリーは声を挙げるも、笑っていて反省の色が見えない。
 本当に、ふざけたヤツで気に入らないな。

「玫瑰秋、少し染みるぞ」

 俺の頬の傷に、水を含んだ綿が触れる。

「痛っ」
 
 不味い。つい声を出してしまった。この歳になって不甲斐ない。
 罰が悪くなるもユリウス先生は特に言及せず、俺の頬にガーゼを貼った。

「あと、加護のせいで筋肉痛になってるな。按摩をすれば治りが早くなるだろうが、激しい動きは控えるように」
「はい。ありがとうございます」

 急増する力に体が追いつけないのか、俺の加護は発動すると筋肉痛になる。火事場のバカ力を任意で発動できる様なものだ。晩に唸ることになって辛いが、もう慣れた。
 道具が入った箱をパタンと閉じたユリウス先生は、ビャクダリリーに視線を移す。

「さて、ヒラギセッチューカ。何故、玫瑰秋に噛み付いた」
「だって。コイツ、罵詈雑言をトッピングして私を魔女魔女言うんですよー。動機は十分でしょ?」

 ユリウス先生が俺に視線をやった。無言の圧力にゾッとするも言い返せない。
 俺の戯言程度で胸を痛めたビャクダリリーを鼻で笑いたいが、本当に喧嘩を吹っかけたのは俺の方。
 それぐらい理解できるから、何も言えなかった。

 ……あれ、魔女?
 そういえば、何故ユリウス先生は白髪のビャクダリリーを見て平静で居られるんだ?
 そんな疑問を浮かべるのが遅くなるぐらい、俺も白髪に慣れてきたらしい。
 虫唾が走る。

 白の魔女、か。と呟いたユリウス先生は、もう一度ビャクダリリーを見やる。

「白髪は忌むべき存在。玫瑰秋の反応が正しく、それに反発したヒラギセッチューカが悪い。謝れ」

 ユリウス先生の言う通り。白髪は存在がおかしく、白の魔女は忌むべきだ。
 でもその扱いは、理不尽じゃないか?
 ──いや、俺は何を考えてるんだ。
 何も理不尽なことなんて無くて、全部ビャクダリリーが悪いんじゃないか。

 一瞬真顔になって固まるも、ビャクダリリーはすぐ笑って言った。

「玫瑰秋、ごめんね?」
「ふざけるな」

 ユリウス先生の叱責に、ビャクダリリーは肩を竦めながらも立ち上がった。
 反省の色が見えず、飄々と笑いながら目の前までやってくる。座ってる俺はビャクダリリーを見上げる。

 何をするつもりだ。せめてもの報復に殴るつもりか? それとも、また憂さ晴らしか──
 寒気がして、俺は軽く身構えた。

「玫瑰秋 桜。すみませんでした」

 ──は?

 目の前の光景に、俺は口をポカンと開けた。
 待て、ビャクダリリーにはプライドが無いのか?
 入学式の後だって俺とルカの三人で、唯一素直に謝ったのはビャクダリリーだ。
 それだけなら腑抜けと罵る材料になるのだが。
 前回も今回も、ビャクダリリーに非は“余り”無かった。それなのに、素直に謝るなんて理解出来ない。

 綺麗に腰を45°に折ったビャクダリリーを前に、俺の両手がワナワナと震える。

「どういう、つもりだよ」
「誠心誠意の謝罪のつもりだよ」

 ──違う

「私のような白髪が身の程を弁えず」

 ──違う、違う

「申し訳なかった」

 ──違う違う違うッ!! 

 ビャクダリリーを殴った前回も、ビャクダリリーに喧嘩を吹っかけた今回も、悪いのは俺だ。原因も俺だ!
 そうだ認めよう。認めてやるよっ!!
 なのに反論もせず謝るなんて。
 情けを、かけられた。俺の責任を追われないように。
 それが自分の行いにも向き合えない、ビャクダリリー以上の腑抜けだと言われてるようで──

「気に食わない!」
「玫瑰秋」

 振り上げた腕を、ユリウス先生が掴んだ。

「──なら貴様は、ヒラギセッチューカが何をしたら気に入るんだ」

 時間が、止まった。
 本当に止まったわけじゃない。
 けどそう錯覚してもおかしくない位の沈黙と冷寒が襲った。

 いつの間にか雨は止んだらしく、潤んだ青が曇天から見え隠れしている。
 雨の残滓がポツっポツっ、と落ちる音は、これで幾つ目だろうか。
 ユリウス先生のはぁ、というため息が、止まった世界を動かした。

「散らかした教室の掃除。罰はそれだけにしておいてやる。再発防止に努めろ」

 それだけで済むのか? てっきり反省文でも書かされると思っていた俺は、肩の荷が降りる。
 パタン。医療室の戸が閉まって、ビャクダリリーも黙って立ち上がる。

「罰、だってさ〜」

 ケラケラと笑った白皙の顔を前に、俺は何を思ってるのか。
 何を思いたいのか。
 良く、分からなかった。


 9.>>36

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.36 )
日時: 2023/04/05 16:37
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)


 9

 ◇◇◇

 医療室で治療し終えた俺らは、一クラスに戻って掃除を始めた。
 びしょ濡れの床とぐちゃぐちゃな机と椅子に、窓から入った桜の花弁。思った以上に酷い状態だった。
 今はぼうっとして、床に雑巾を当てている。
 
「もう帰っていいよ、少年」

 溶けた雹で水浸しの床を拭くビャクダリリーが言った。
 俺は、何も言わない。

「もう掃除は終わるから、少年は邪魔。さ、帰った帰った」

 コイツは何言ってるんだ。
 床はまだびちょ濡れだし、机や椅子も倒れっぱなし。まだ掃除は終われない。
 ああ、また情けをかけられてるのか。

「何か言ってよー。憂さ晴らしがそんな効いた?」

 煽りにも応じない。
 ビャクダリリーは「ま、そーだったなら好都合なんだけど」と笑いながら俺の雑巾を奪い取る。
 効いたかと言われると、とても効いた。復讐の歩みを進めるのを、少し躊躇ったぐらい。
 持ち上げられた雑巾の角から、汚い雨水がポトポトと床に落ちた。

「俺は、弱いか」

 ポロっと、言葉が零れた。
 俺は強さには余り興味が無い。目的を達成するための、手段の一つに過ぎないからだ。
 拘りがあるとするならば、その目的。
 
 ──そんな弱い奴が、玫瑰秋 晟大に会えるわけ無いじゃん?
 
 心臓を鷲掴みにされた気分だ。
 悲しみか、悔しみか。それとも憤怒か。どれも当てはまらなくて。
 この衝撃をどう形容したら良いのか、ずっと分からない。

「めっっちゃ弱い!」

 白皙の手が、俺の心臓を、ぐしゃりと潰した。 
 俺の心情を知ってか知らでか、ビャクダリリーは怒涛の勢いで言葉を連ねる。

「引くほど弱い! そこら辺の羽虫みたいに──いや、簡単に潰せる分羽虫より弱い!!」

 真剣すぎて寧ろふざけてる様に見えたし、実際ふざけてるのだろう。
 頭がぼうっとして手足に力が入らない。視界の真ん中で仁王立ちするビャクダリリーは、俺を嘲笑していた。

 ああ、分かってたよ。俺が弱いってのは、ずっと前から分かってた。
 分かっていた筈だった。
 認めたく無かったんだ。
 弱い俺じゃ親父に近付けないって思うと、今までの歩みも憎悪もなんだったんだって。腸が、煮えくり返って。
 あまり、考えないようにしてた、俺の地雷だ。
 ビャクダリリーはそれを堂々と踏み抜いて見せた。

 場を沈黙が支配して、いつの間にか視界には床板がいっぱいに広がっていた。
 目頭が熱くなって、ドス黒いものが喉から込み上げてくる。
 俺と反比例した、爽やかな風が教室に入った。

「ああ、身の程知らずってのはもう分かってたんだ。弱いから晟大に近付く事なんて出来ない、て。現実逃避お疲れ様、もう何もし無くて良いんだよ」

 何を言えば良いか、もう分かんない。
 とうの昔から分かっていた。だからって歩み続けて来た道を、今になって捨てたくない。
 弱いなんて認めたくない。

「てか復讐って本当にしたい訳? 今までにも沢山、危険な目に会って来たんじゃないの? 何故、歩みを進めようとする」

 親父が憎いから。
 それ以上でも以下でも無い。けどそれは説得力に欠ける感情論で、俺は何も言えなかった。

「本当は復讐なんてやりたくないんじゃない? 今更引き返せないだけでさ」

 そうなのだろうか。
 外の世界に出ても尚、身を危機に晒してまで痛い目に会うなんて馬鹿げてる。復讐を終えられたとしても、得られるものは何も無いだろう。
 デメリットしかない俺の復讐。
 何故、俺は復讐に執着するのだろうか。

「──強欲に生きようぜぇ? 少年」

 白銀の声が脳に染みて、反射的に顔を上げた。
 曇天から差し込む光を白が反射して眩しい。瞬きしたら消えてしまいそうな雪のように儚い白皙の肌は、うざったい笑みを浮かべてそこに存在していた。

 強欲に。
 ああ、そうだった。
 気付くのが遅かった。
 自分が、情けない。

 息を吸って、吐く。
 陽の光が当たる頭が熱い。おもむろに立ち上がった俺は、黙ってビャクダリリーの目の前まで歩を進めた。
 加護を使ったからか。動く度に筋肉がビキビキと鳴って、痛みが稲妻のように全身を駆ける。

「ん?」

 にっこりと笑って、小首を傾げるビャクダリリー。
 俺は、その顔から視線を離さず──

「オラァッ!!」

 殴った。

「あ゙っ痛っ」

 殴られた右頬を抑えて後退るビャクダリリーを、追撃として蹴ってやった。
 ビャクダリリーは机にぶつかって、ガシャンと音が鳴るも倒れはしなかった。
 チッと胸の中で舌打ちをしつつ、背筋を伸ばし、堂々とビャクダリリーを見やる。

「本当は復讐がやりたくない、だって? 笑わせるなよ」

 知ったような口を効いたビャクダリリーに、フツフツと怒りが込み上げてくる。
 でも、ここで怒るのは負けな気がする。

「だったらとっくの昔に俺は死んでるよ。俺はこの憎悪と執着で危機を乗り切ってきたんだ!!」

 入学前の出来事が脳内を駆け巡る。
 白蛇教を追うために片足突っ込んだ裏社会は想像通り危険な場所で、何回も痛い目に会ってきた。命を賭けた大勝負だってやった。
 それでも俺がここに居るのは、親父に何としてでも会うためだ!

「知ったような口を効くなよビャクダリリー。お前が思ってる以上に俺は厄介だ!」

 ビャクダリリーの雑巾を奪い取る。

「強欲に生きろ? 上等だ! 俺は俺の強欲に忠実に、お前らの世界に踏み込んでぶっ壊してやる!」

 怒りはしないが真似はする。飄々としたビャクダリリーのように、俺は言い放った。
 ビャクダリリーの表情が歪む。
 
「話聞いてたかなぁ? 君は弱い。ぶっ壊すどころか、こっちの世界に踏み込む前に、ぽっくり逝っちゃうよ?」

 俺は弱い。分かってる。けど俺が止まる理由にはならない!
 コイツの言いなりになるのは負けた気がして嫌だ! 誰が思惑通りになってやるかよ!

「ならそこで見とけ。俺が玫瑰秋 晟大をぶっ潰す所を!」
「少年がこっちに来るのなら、私も容赦出来ないんだって。私に勝つ気? さっき雪詰められたのに?」

 挑戦的にビャクダリリーは言う。
 痛みが駆け抜ける筋肉を動かして、ビシッとソレに指さした。
 

「ああ、そうだ。俺が勝った暁には、お前の無様な吠え面、この目に焼き付けて嘲笑ってやる!
 ──勝負だ。ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー!」

 
 外の桜はもう緑色。風で桜の絨毯が舞って、教室を彩った。
 コイツの〈弐・氷花〉には遠く及ばない威力の桜が、白皙の頬に掠めて落ちる。

「──勝負だ、玫瑰秋 桜」

 トーンが落ちた白銀の声は、黒く重く沈み込む。
 
 絶対お前を泣かせてやる。
 首洗って待ってろよ。ヒラギセッチューカ。


 
──────────



「質問の答え、未だ諦めてないからなヒラギセッチューカ」

 ガラッと戸が閉まる。
 頬についた花弁を取って、ゆっくりと窓の外に落とす。掃除が終わった教室には、自分しか居ない。
 ヨウが帰った扉をぼうっと眺めた後、ヒラギセッチューカは絞った雑巾を窓枠にかける。

(ノリで啖呵切っちゃったけど、この先どうしよう)

 ヒラギセッチューカはため息を吐いた。
 玫瑰秋 桜を白蛇教に近付ける訳には行かないが、実力行使にも出たくない。
 だから、ちょっと痛ぶって諦めさせようと思ったのに、逆に決意を固めさせてしまった。
 これ以上の説得は逆効果だろう。失敗だ。
 元々、自分が実力行使をしたくないが為の足掻きで、説得に無理があったのだから当然なのだが。

 特殊な体質のヒラギセッチューカは、前に妖怪に魔素を吸われてこの上なく弱っている。
 だから荒事は避けたいし、ヨウには特に手を出したくないんだけどな。と、ヒラギセッチューカは憂い顔をしながら、自分のロッカーから鞄を取り出す。
 ヒラギセッチューカは何となく、戸の枠をなぞって教室を見渡した。

 ──俺が勝った暁には、お前の無様な吠え面、この目に焼き付けて嘲笑ってやる!

 そう堂々と言い放った幼稚な少年を思い出して、紫色の右頬に手をやる。
 自体が悪い方向に向かった悲しみ。
 いや、それよりも。

「──おもしれー男。なんてね」

 斯くして。魔女と夜刀を中心に起こる、最期が動き始めた。彼女らが会わなければ、あんな事にはならなかったのだろうか。
 いや、もう考えても無駄だろう。
 ワタシは、名付きを傍観するだけなのだから。

 10.>>37

Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.37 )
日時: 2023/04/16 13:45
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: XOD8NPcM)


 10

 ◇◇◇

《ヨウ》

「別にヒラギセッチューカとは仲直りした訳じゃないって! 寒気するから辞めろ!」

 必須授業が終わったお昼時。そんな俺の懇願に近い叫びが、カフェオークを基調とした喫茶店に響く。
 向かいに座るルカは動揺すること無くコーヒーを飲んで、言った。

「でも、最近二人良く一緒に居るじゃん」

 それは一緒に居た方が情報を引き出す機会が多くて虐め易いからであって、断じて好意的な理由で行動を共にしてる訳じゃないんだよ!
 なんて言えないしな。自然と左手を額に当てて、俺は唸った。

「ヒラギセッチューカが着いて来るんだよ……」

 嘘は言ってない。実際、俺がヒラギセッチューカを探す前にはもう背後に立っている場合が多い。気に入られた──と言うより、監視されている。と言った所だろう。
 甘くない、とメニューで紹介されていた抹茶のマフィンを齧ってユウキが話に入る。

「今日はヒラギ、着いて来なかったのか?」
「流石に四六時中一緒に居る訳じゃ無いからな。ただ、前より行動を共にする時間が増えたってだけだから」
「ククッ。そうか」

 何故か嬉しそうにユウキは笑う。悪い目つきと鋭い八重歯から生まれた暖かな笑みが逆に不気味だ。
 何故ユウキはそんな嬉しそうなんだ、と怪訝に思いつつも俺は聞く必要も無いか、と自己解決する。
 
 ヒラギセッチューカと喧嘩してから数日が経った。今日は誘われて、ユウキとルカと丘の上の喫茶店でくつろいでいる。何の用かと思って来てみれば、ただヒラギセッチューカとの仲を気にされていただけだったが。 
 二人はヒラギセッチューカを厭に気にしてるが、あの性悪に考える時間を割く価値なんてあるのだろうか。同情されているのか。境遇は悲劇のヒロインだからな。
 それだけで他人に気を使って貰えるってのは羨ましい限りだよ。勿論皮肉だ。

 カランカラン

 心地よい鐘の音が唐突に鳴った。

「狐百合 癒輝、アブラナルカミ、玫瑰秋 桜。やっほ!」

 二メートル近い長身から放たれた言葉に、俺達は視線が引き寄せられた。黒髪に紅色の目に白皙の肌。特別な機会にしかお目にかかれないであろう、大物が扉の前に立っていた。

「学院、長……?!」

 余りの衝撃に、それだけしか言葉を絞り出せなかった。
 何故、学院長ともあろうお方がこんな小さな喫茶店に現れるんだ。俺達の名前を呼んだということは、何か用事があるのか? そう思うと、途端に背筋が凍った。

「心臓に悪いので『やっほ』なんてカジュアルな言葉で話しかけないでくださいっ!」

 青い顔で左胸を鷲掴みにしてルカが言った。

「めんごめんご」

 と学院長は笑いながら謝って「失礼」と俺の隣に座った。驚いて思わず

「へあっ……」

 と声が出てしまう。俺、最近情けない声出しすぎだ。自分を戒めつつ、頬をつねって赤面を解こうと頑張る。
 
「あ、俺がここに座っちゃ悪かった?」

 悪い悪くない以前に、雲の上のお方にカジュアルに接せられると誰でもこうなるだろう! 心臓に悪いっ!
 
「とんでもない」

 何とか無礼にならないであろう言葉を絞り出せて、ほっとする。

「アハハ。やっぱり近い距離で接して慌てる生徒って面白──じゃなくて、可愛らしいね」

 学院長、今面白いって言わなかったか? わざとやってるのかよ!
 学院長はヒラギセッチューカ並にタチが悪い性格してるらしい。というか仕草や顔立ち、使う剽軽な言葉もヒラギセッチューカと似ているような気がする。それは学院長に失礼か。

「今回はどのようなご用件でこちらに?」 
  
 机を隔てて向こうの席に座るユウキが聞いた。

「ああ、前に二人から相談受けたじゃん? ちょっと様子を見に来ようと思ってさ」

 二人──ユウキとルカのことか。学院長に相談するほど重大な事、と考えると深堀するのは危なそうだな。
 俺は疑問が湧き出る前にそう結論付けて、学院長の言葉を流した。
 
「良く私達の居場所が分かりましたね」
「学院長を舐めちゃダメだよアブラナルカミ君? やろうと思えば君達の居場所のみならず、何をして何を言ってるのかも分かるよ!」
「ひっ……」

 ルカが真面目に引いている。気持ちは分かるが、一応学院長が相手なのだから隠すとかしたらどうなんだ?
 学院長はルカの反応を楽しむ様に笑って「余程の事がないとしないって」と手をヒラヒラ振る。

「さて、様子を見に来たは良いものの肝心なヒラギセッチューカが居ないな……」

 話が俺の知らない“相談”とやらが話の中心になりそうだ。早くも疎外感を覚えながら、俺は澄ました顔をしてコーヒーを啜った。

「やろうと思えば私達の居場所なんて、すぐ分かるんじゃ?」
「ここぞとばかりにカウンター入れてくるね君は。あの狐面を被られたら、流石の俺も分からなくなっちゃうの。あ、アブラナルカミの居場所は分かるから安心してね!」
「聞いてません。今ちょっと悪寒が走りましたよ」
「やった!」
「何で喜んでんのこの人……」

 ルカが思いの外学院長に当たりが強く、コーヒーを吹き出しそうになる。学院長は気に止めてない様だが、見ててヒヤヒヤする。

「店員さーん! 居るー?」

 学院長が店員を呼んだ。そんな大きくないのに声が店内に響いて、このお方は“夜刀”何だなと改めて圧倒される。
 
 それにしても、学院長も市民の様に食事する事に驚きだ。俺が見てきた貴族達は市民の飯を犬の餌と形容する程に嫌っていたから、意外だ。
 俺が会ってきたのは一部の汚れた貴族だし、学院長──夜刀様は“貴族”という枠で考えるのなら特殊な立場だから、この行動は当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが。
 特殊な枠というのは、学院長専用に設けられた“夜刀伯”という爵位で──ここまで考えを膨らますのは蛇足だな。

「はいこんにちは夜刀様。御来店頂きありがとうございます」

 頭上から声? と疑問に思って顔を上げてみると、濃い緑のバンダナをした店員が立っていた。
 耳が良い俺が人の接近を察知できなかった何て。そんなに俺はぼーっとしていただろうか。
 ヒラギセッチューカと交戦してから、どうも自分の能力に自信を持てない。正当な評価ができるようになったとも言えるが──
 強くなるにはどうしたら良いんだろうか。
 
「俺並に美麗な店員さんに用事があるんだけどさ」
「如何致しました?」

 店員が小首をあざとく傾げる。あれ、この仕草、凄く見覚えが──

「失礼?」

 学院長が立ち上がった──と瞬きの刹那。ガタン、と何かが倒れる音がしたと思ったら、学院長が店員の顔面を掴んで床に押し倒していた。
 目で追えない所か瞬間移動にも見える動きに、「何してるんだ!」なんて言葉は易々と喉を通らなかった。逆にそれが喉につっかえてる感覚さえ覚えて、自分の吐く息が認識できない。

「いったっ、速、いっ……」
 
 と、学院長が伸ばす手の先から聞きなれた声が聞こえる。脳が思考を巡らすより早く、俺はその人物が分かる。
 いや、分かりたくなかったな。

「ヒラギ、セッチューカ……」

 学院長に顔面を抑えられたさっきの店員──の格好をしたヒラギセッチューカが、ジタバタと暴れていた。
 またなんで、喫茶店で店員やってるんだコイツは。

「ヒラギっ?! ちょ、えっ?!」

 ルカが一番慌てふためく。ユウキも驚いた顔して固まっている。
 驚きと言えば驚きだが、そんな慌てるほどか? 特にユウキなんて、驚いて固まるなんて柄じゃない気がするのだが──

「行雲流水 温厚篤実で目立たない地味子店員の正体はなんと! 羊頭狗肉なヒラギセッチューカ・ビャクダリリーでしたー!」

 パッと手を離して、ヒラギセッチューカに手をヒラヒラと向けて学院長は笑う。辛辣な内容で俺は兎も角、ヒラギセッチューカを気にかけている様なルカとユウキは笑え無いだろう。予想通り場は沈黙が落ちた。
 と、解せないという表情をしながらヒラギセッチューカが沈黙を溶かした。

「学院長。詰問の許可をください」
「却下」
「何故、わざわざ私の認識阻害を解いたんだ。しかも結構ガチな動きで。必要無くないですか?!」

 彼女の手元には認識阻害の狐面がある。店員の姿で認識阻害をかけて、常人のように振舞ってたんだろう。

「それぐらい出来るなら、今の状態で授業に出れば良いものの」

 つい、言葉をこぼしてしまった。でも仕方ないじゃないか。
 狐面を被るヒラギセッチューカは、基本俺以外に認識されてない。午前の共通授業に出席する時もだ。それを良い事にサボる事もあって、出席確認の時だけ教室に来る。
 
 授業終わりに人によって形が違うと言われる〈ゲート〉を通じて魔道具で出席確認をする。誰かに代わりを頼むことは不可能なんだが、単位の取り方がズルくて気に食わない。 

「ヒラギセッチューカは基本体内の魔素が安定してないから、あの狐面で常人の様に振る舞うにはちょっと頑張らなきゃ行けない。ただ、このお店は特殊でね。魔素が安定して使えるから彼女はああやって接客してるんだ」

 俺のぼやきが聞こえていたようで学院長が答えてくれる。
 まさか聞こえてたなんて、と、別に悪い事はやってないのに罰が悪くなる。というか、ヒラギセッチューカの狐面は魔素で認識度合いを調整出来るのか。店員姿の時は俺でも認識出来なかったから、ヒラギセッチューカは本気を出せば──
 いや、普段は本気なんて出せない様だし、考えるだけ無駄だろ。

「学院長、私の質問にも答えてくださいよ」
「そんなカッカしないで。俺似の綺麗な顔が台無しだからさ」

 なんて言って、学院長はヒラギセッチューカの額をピンッと叩く。いたっ、と言うも氷の様に冷たい表情のヒラギセッチューカ。学院長の事を良く思ってないことは明らかだ。

「心配されてるって事を盗み聞きするなんて良い事じゃないじゃん?」
「学院長の仰る通りだ。ちょっと趣味悪いぞ、ヒラギ」

 学院長とユウキ二人に責められて、ヒラギセッチューカは「だってぇ」と不貞腐れながら床にうつ伏せになる。
 行儀が悪いからすぐ立ち上がれば良いのに。学院長の前なのに、ヒラギセッチューカは本当に図太くて呆れてしまう。

「あの空気で私はどうしろと……!」
「いや、まあ、そうだが」

 ユウキが言葉を濁す。学院長はその場をケラケラと笑いながら、ルカを指さした。
 
「ルカがいたたまれない余りうつ伏せになってるから、取り敢えずヒラギセッチューカは謝ろうか」
「なんで私が謝る事になるんですか!」

 勢い良く起き上がったヒラギセッチューカ。

「私はバイトしてたら偶々友達の相談会に出くわしただけだっての! 寧ろあの場で正体を明かさなかっただけマシだと──」 

「なあ」

 ヒラギセッチューカの言葉を遮って会話に割り込んだ者が居た。
 会話に置いてきぼりで気まずくいた、俺だ。

「一体、何の話をしてるんだ?」

 学院長、ユウキ、ヒラギセッチューカ、ルカ、四人の視線が俺に集まる。誰も何も言わないまま時間が過ぎていって、俺もいたたまれなくなってきた。
 でも、だって。周りが盛り上がってたら自分も輪に入りたいと思うのは当然だろう。俺はちょっとしか悪くない。自分に言い訳して、ポーカーフェイスを保ったまま立ち尽くす。
 何となく気まずい空気。

「ぶふっ」

 それをぶち壊すのは、いつもヒラギセッチューカだ。

「ぶはははっ!! 当事者が一番何も知らないとか! ぶはははっ!!」

 いまいち笑い所が分からないし、馬鹿にされてる気がする。ヒラギセッチューカ曰く俺は当事者らしいが、全く身に覚えがない。

「ど、どういうことだよ」
「ヨウは知らなくていいんじゃない?」

 心做し、いつもより柔らかくルカが言った。
 消化不良だがユウキも学院長も説明する気は無いようだし、仕方なく飲み込むことにするか。

 夏間近の皐の月。陽の光を優雅に浴びる喫茶店内ではヒラギセッチューカの笑い声が響いていた。


         【完】