ダーク・ファンタジー小説
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.3 )
- 日時: 2023/01/28 15:41
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: qbtrVkiA)
─ある王都のお話─
昔々のお話だ。
と言っても五年程前で、昔話の導入を使うほど昔でもない。ただ、俺にとっては、昔の話だ。
聞くだけで落ち着く声と、ごわごわでも安心する毛に包まれて、ソレは御伽噺を聞いていた。
大昔、世界を滅ぼそうとする〈白の魔女〉を倒そうとする英雄たちの物語。
最終的に〈夜刀〉が白の魔女を三つに分けて世界に封印させるお話。
「もっと! もっとヤーノ! ヤーノ!」
ヤツノと、ソレは言いたかったのであろう。しかし、言語を理解していない幼いソレは、しっかり発音できていなかった。
「"夜刀"な。短い話なのに好だなぁ」
俺の十数倍はある大きさの男性は、鉄格子の向こうで、柔らかい声で言った。
床は汚れていて、一面赤黒く汚れている。
嗅ぐだけで吐くほどの腐敗臭は日に増して強くなるが、慣れたソレは全く気にならない。
男性の元へ行くために動かない"兄弟"から離れて鉄格子へ走る。
一歩踏む事にベチャッと音が鳴る。
溶けかけてカビが生えているドロドロの肉。いや、"兄弟" それを悪気もなく踏んでいく。
液体を踏む感覚では無い。液体になりかけている個体、ゼリーを踏むような感覚。
「とぉっ、がぁ!」
目の前の男性をソレは呼ぶ。しかし、何を言っていたのか未だに分からない。
男性はソレを微笑んで見た後に、鉄格子からお粥のようなものを流し込んだ。
美味しそうな匂いを嗅いだソレは、嬉々としてそれを口にする。それと共に、"兄弟"も食した。
生臭い吐き気をもよおす味と匂い、味がない粥。
とても、美味しかった。
飢えていたソレはガツガツと食べている。前足を汚して、しっぽをふって。
自身に生えている毛に汚れがついても気にせずに食べていた。
「いい子にしてろよ」
今思い出すと、理性を失ってしまうほど憎たらしい声。
男性は、鉄格子の向こうにある扉を閉めてしまった。
真っ暗な部屋、冷たい鉄の床。
犬とも人とも言えない、気色悪い形をした、溶けた肉塊が床いっぱいに広がっている。
そこで十年間暮らしたソレは、今どうなっているのだろう?
不清潔な部屋で過ごしたため、病気で死んでいるのか。精神が壊れて廃人になっているのか。まだその部屋に監禁されているのか。
全部、不正解だ。
──白蛇桜夜刀学院 合格通知書
現代のソレは、いや、俺は。
その紙を手にして笑っていた。胸の中のくすぐりを抑えきれずに、爆発するように。傍から見たら狂っていると勘違いするのでは無いだろうか。
監禁されていたソレは、復讐を望んでいた。
クソッタレた、燃えてくれない生ゴミのようなクソ親父に。
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.4 )
- 日時: 2023/12/07 18:29
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: J1WkM8IE)
【魔法について】
魔法の元になる”魔素”
それを、生物に備わる器官である”ゲート”に通すことで魔法が発動する。
生まれつき生物には、使える魔法が限られ、 毛色と目は適正魔法の色になる。
適正魔法は基本的に一種類。
二種類使える者は特殊な存在。三種類使える者は居ない。
炎系統(赤色)
地系統(茶色)
嵐系統(緑色)
雷系統(黄色)
氷系統(水色)
岬系統(青色)
闇系統(黒紫色)
の七系統あり、これらを〈八大魔法〉と呼ぶ。
『系統』と呼ばれるのは、その系統に含まれる魔法を使えるから。
(例)炎系統→炎魔法、熱魔法、灯火魔法など、炎に関する魔法。
【この世界について】
〈白の魔女〉が封印された1400年前。”白夜”という暦が生まれた。
この時に、国は一つに統一された。
だから、この世界に”国”という概念は無い。
強いて言うなら〈ディアペイズ〉と呼ばれ、実質的に
国=世界=ディアペイズ
【ディアペイズの地理】
ディアペイズは大きくわけて二つの大陸に別れている。
〈呂色ノ大陸〉
和文化が濃く、和名を持つ人が多い。人口が多くて産業が盛ん。
夜刀学院がある場所。
〈白銀ノ大陸〉
和文化がほぼ無く、洋名を持つ人が多い。
ダンジョンや遺跡、未開拓地等、冒険者が活発に動くロマンある大陸。
〈ディアペイズ大迷宮〉
世界の三分の二を包むほどと言われる、世界一大きな地下迷宮。
二つの大陸の間の海は波が強く船の移動が出来ない。
だから、この地下迷宮が使われている。
二つの大陸を繋ぐ交通の要。
【五大都市】
人口が多く、他より発展した街を都市と呼んでいる。
最終的な支配人は同じだが都市を管理する人物が違い、都市毎に条例が大きく異なる。
《呂色ノ大陸にある都市》
〈都市ラゐテラ〉
第一節の舞台であり、白蛇桜夜刀学院都市がある場所。
和文化が色濃く、街並みは京都のよう。
〈火炎都市サビテソ〉
サビテソと呼ばれる火山を中心に作られた、五大都市の中でも最小の地。
街並みは日本の温泉街のよう。
〈水門都市ヴェネランカ〉
海跡湖を囲むように栄える都市。
街並みは鞆の浦のよう。
《白銀ノ大陸にある都市》
〈王都ネニュファール〉
ヨウの出身地で、王宮を中心に栄える都市。
街並みは中世ヨーロッパ風。
町外れにスラム街があり貧富の差が激しい。
〈対魔都市トレジャラー〉
冒険者を中心に栄える都市。
白銀ノ大陸の一番端にあり、未開拓地の傍にある。
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.5 )
- 日時: 2023/12/13 19:32
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: /YovaB8W)
0
ヒュンヒュン。耳元を大木がすれ違う。心臓が早鐘を鳴らしていて喉から飛び出してきそう。
魔法で宙を飛び、木々の間を縫うように飛ぶ少女がいた。金髪のツインテールに褐色の肌と、忘れてはいけない尖った耳。
《アブラナルカミ・エルフ・ガベーラ》と呼ばれる、エルフの少女だ。
アブラナルカミは最小限の荷物を背に、森を飛んでいた。
後ろには──
「シャァッ──!」
真っ黒で手足が無く、恐ろしいスピードで地面を這う生き物。そこら辺の大木よりも太くて大きい、〔黒蛇〕という恐ろしい〔魔獣〕が迫っていた。
水流のようになだらかに〔黒蛇〕は走る。と、急に首をもたげた。嫌な予感だ。
「うわっと!」
アブラナルカミは反射的に横へジャンプした。紫の液体が、アブラナルカミがいた場所に落とされる。
シュウッと、不気味な音がして地面が液状化してく。
明らかに毒魔法。当たったら終わりだ。そう、アブラナルカミの背筋に悪寒が走る。焦って魔法のスピードを上げる。けれどそろそろ体力も気力もなくなってきた。
目的である〔都市ラゐテラ〕まで、あとどれぐらいかかるのだろうか?
故郷から出て約二ヶ月、ずっと山中を旅している。なのに目的地に近づいている感覚がしない。
──もう少しで着くはずなのに、なんで街の気配もしないのよ。挙句の果てにこんな化け物にも襲われるなんてっ!
アブラナルカミは嘆きたい気持ちを抑え、唇を噛んで逃げることに集中する。
「あっ」
と、アブラナルカミが落ちる。何かの糸がプツンと切れたように、急に地面に落ちてしまった。
魔法が切れてしまったのだ。アブラナルカミは地面に転げる。
ちょっとしか浮いていなかったはずなのに、スピードが出ていたからか派手に転がった。
土の匂いがする。息が荒い。もう動きは止まったのに心臓がうるさい。
アブラナルカミは自分が思っていたよりも息切れしていて、滝のような汗をかいていた。
三月──いや、この世界では〔弥生の月〕と呼ぶべきか。
涼しい季節のはずなのに、真夏のように身体中から熱が溢れ出てくる。
「集中力切れた……」
魔法を使うためには集中力がいる。持続的な魔法は特にそうだ。〔黒蛇〕に追われてからずっと魔法を使っていたアブラナルカミは、集中力が切れてしまった。
〔黒蛇〕は獲物を仕留め満足そうに、ゆっくりとエルフに近付く。
「みっ、見逃して……」
アブラナルカミは無駄と分かりながらもお願いしてみる。
しかし〔黒蛇〕は止まらない。
威嚇のつもりか勝利宣言のつもりか、それとも意味などないのか。〔黒蛇〕はぺしゃっと、アブラナルカミの横に毒液を吐き出した。
──もう、終わりだ。
アブラナルカミは鉄板セリフを胸の内で吐く。けれど死の危機なんて直面したことが無いため、実感があまりなかった。周りも頭もボヤけて白昼夢でも見ているみたい。
それなのに、恐怖だけが脳を這いずりまわっていた。
〔黒蛇〕の真っ赤な口がアブラナルカミの視界を占めた。
呼吸が止まっているのに、心臓の音が厭に鮮明に聞こえる。
「熱い……」
アブラナルカミの呟きとほぼ同時だった。
今までの熱が嘘のように空気が冷たくなる。
何があったのだろうか。
〔黒蛇〕は氷像の様に固まって倒れてしまった。
いや、“氷像の様に”じゃない。〔黒蛇〕は本当に、氷漬けになっていた。辺りには最近溶けたはずの雪が積もっている。
「た、たすかっ……」
何がどうなっているか分からなくとも、自分が助かった事だけはわかるアブラナルカミ。嬉しさと共にゆっくりと立ち上がって、辺りを見渡す。と、一人の青年が目に入った。
肩までの眩しく輝く白銀の髪に、片方には恐ろしく透明な白い瞳が、もう片方には渦を描く濁った赤色の瞳が埋まっている。
顔のパーツが整った白皙の顔に、少し汚れた長袖を着ていた。
アブラナルカミに、〔黒蛇〕の時とは違う種類の悪寒が走る。
白い髪を持つ生物はこの世に存在しない。“ある人物”を除いて。
御伽噺に出てくる、最悪の存在〔白の魔女〕だ。魔女は大昔、この世界を滅ぼしたおぞましい存在である。
白髪は異質なんてものじゃない。存在自体が有り得ない。自然で発生する色彩じゃないのだ。
なんとおぞましい。そう、正常な人なら恐怖する。
しかし世間知らずかアブラナルカミは、眩しく輝くその青年に釘付けになってしまった。
「……ぁのっ!」
青年に見惚れていたことに気付いて、慌ててアブラナルカミは声を上げる。
青年はふい、と顔を逸らして狐面を被る。途端に、青年が霞んで見えるようになった。
「〔都市ラゐテラ〕はこっち。歩いて数分。〔ラゐテラ〕周辺の山は〔黒蛇〕の生息地だから、気をつけて」
そう、青年は西の方を指さす。そして指を指した方向へ歩いていってしまう。
──待って、お礼言ってない!
アブラナルカミは追いかけようと立ち上がる。まだ一歩も歩いていないのに、青年は溶けるように消えてしまっていた。
あ。とアブラナルカミはか細い声をだす。
アブラナルカミは他人には無関心な方だ。いつもなら、ついさっき会った人などすぐ忘れてしまう。しかし、ともに義理堅い。
命を救ってくれた青年を、アブラナルカミは簡単に忘れることができなかった。
青年は〔都市ラゐテラ〕に向かって行った。いつか再開できるだろうか。
──できますように。
そう、アブラナルカミは願う。そして西の方へ走った。みるみる木々が少なくなり、遂には無くなる。いつの間にか丘の上の草原にいた。
「こんな近くに街があったなんて。もしかして私、〔ラゐテラ〕の周囲ずっと回ってたんじゃ? 通りで着かない筈ね」
自嘲したアブラナルカミは、崖の下の街へ視線を向ける。
和風でどこか懐かしく思える街が、奥の奥の奥まで広がっている。街の向こう側が見えないぐらい、とても大きな街の景色が広がっていた。
ディアペイズ五大都市の一つである〔ラゐテラ〕
ディアペイズ一大きい都市である。
風が心地よい。空気が美味しい。人々が住む街というのは、アブラナルカミには新鮮だった。
──ここが、私が住む街。
アブラナルカミの胸に感動が広がって目頭がツンとする。
「私はっ、アブラナルカミだあぁー!」
ここから始まる自分の人生に、自由に、世界に、アブラナルカミは快哉を上げた。
1.>>6
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.6 )
- 日時: 2023/03/26 18:49
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
《白い初桜》
1
カンカンカンカン
遠く、遠いようで近い所から聞きなれた甲高い金属音が聞こえる。
俺は無意識に利き手である右腕を振り下ろしたがそこには何も無かった。
いつもならここに腕を振り下ろしたら鳴り止むはずなのに、金属音は未だ響いている。
おかしい。いや、違う、ここは……
少しずつ頭がスッキリしていき、そこで思い出した。ここはいつもの俺の家では無い。
ここは──
チャリンッ!
音と共に金属音がなり止む。
時間は午前六時、二分ぐらいか?
柔らかい、シワが入ったベッドに知らない天井。
昨日用意した気がする制服。
窓の外は丁度日が登り始めていた。
ここはこの世界──ディアペイズにある五大都市の一つ〈都市ラゐテラ〉
その中央に位置する学院都市の寮。
そしてこの学院都市に位置する学校の名は〈白蛇桜夜刀学院〉
名前がとても長く覚えずらい。基本的に〈夜刀学院〉と呼ばれている。
面積、生徒数、知名度、教育水準。挙げだしたらキリがない”世界一”を持っている名門校だ。
「問題は無いな」
俺はスタンドミラーを見つめ体を少し捻ってみる。
目の前には黒髪に黒い目。この歳になっても抜けない童顔。短い立て襟マントに、袴に似た構造の制服を着た、見慣れた少年が映っていた。
玫瑰秋 桜 十五歳
今日から夜刀学院に入学する者である。
俺は指定である革ブーツを履いて扉を開ける。
部屋を出ると、俺と同じ新入生である生徒達でごった返していた。
明るい未来についての雑談が沢山聞こえ、俺まで気分が明るくなる。
その雑談に耳を引っ張られながら階段を降りて、一階の食堂に向かう。
食堂はかなり広く、千人入るのではないかと思うほど広かったが、それでも入り切らないぐらい人が多く、俺は仕方なく寮の外に出る。
醤油や木、水蒸気、何かを焼いている匂いが意識しなくとも鼻の中に入ってくる。
その匂いはずっと室内で過ごしていた俺にとっては新鮮で、共にどこか懐かしく感じた。
これが和の匂いだっけか。
旅行雑誌に書いてあったんだよな。
寮の敷地を出ると優しそうなおじさんおばさん達が箒で掃除をしている。
学院都市は、〈都市ラゐテラ〉の中に、夜刀学院の校舎を中心に作られた街。
一般人も住んでいるし店もあれば観光地にもなってたりする。”学院都市”と言われているものの、普通の街と特段変わらないのだ。
基本的に学院の生徒は学院都市から出ることは出来ないが。
掃除をするおじいさん達の横を通るところで、声をかけられる。
「おやぁ新入生の子かな? おはよう」
「あ、おはようございます」
俺は話しかけられるとは思っておらず、怯みながらも挨拶を返した。
おじさん達は満足そうな顔で笑い、こっちの心も暖かくなる。
「朝早く登校なんて元気だねぇ。朝ごはんは食べたかい?」
「いや、食堂が混んでて……」
「そりゃ行かん! 学院へ行く途中に美味しい肉まん屋さんがあるんだ。これ割引券」
「えっ」
おじさんは俺が拒否する前に俺の手に無理やり割引券をねじ込む。
すると、掃除していた他のおじさんおばさんもやって来くる。
「あらぁ新入生? おばちゃんの割引券もあげる!」
「ワシのもやる! あそこの焼きもちは絶品で」
「ここの焼き鳥も」
気付けば俺の手には沢山の割引券や無料券で溢れかえっていた。
しかも驚くことにどれも食べ歩ける物だ。
「えっと、あの!」
一通りおじさん達に割引券を貰った後、結構大きな声で呼んだ。
おじさん達は何事かと俺の方を見る。
「ありがとうございます!」
俺がそういった後、後ろの誰かから背中を叩かれる。
「おうってことよ!」
「朝飯食うんだぞ!」
「行ってらっしゃい!」
「いってきます!」
フレンドリーなおじさん達の温かみに触れながら、俺は満面の笑みで夜刀学院への大通りを走り出した。
──桜の花弁が散っている。
学院都市の至る所に植えられた桜は、少しの風で数枚の花弁を落とす。
薄桃色と青色の空を眺めていると、あっという間に夜刀学院の校舎に着いていた。
「入学式」と書かれた大きな立て看板がある鉄の校門。
洋風の城のような校舎と、黒瓦を乗っけた和風の校舎が遠目で見える。
和風なのか洋風なのかイマイチ分からない感じが笑える。
門前で保護者と写真撮影をしている生徒を横目に、俺はレンガの床を踏みしめた。
校舎への道には桜の木が沢山植えられており、観賞用の小川に和風の橋がかけられている。
「御入学おめでとうございます!」
玄関の前には俺と同じ制服を着た人達が六名ほど並んでいた。きっと先輩方だろう。
門から玄関までは結構遠いが、焦らず景色を楽しみ、ゆっくりと歩を進める。
視界の八割を埋めるのは、咲いて間もない桜の花々。
散る花びらの数は少なく、空を見ると綺麗な絵の具で塗ったような、澄んだ青色がハッキリと見える。
期待、不安、喜びに安心。
沢山の感情が心の中でぐちゃぐちゃに混ざっている。けど、不思議と黒い負の感情はなく、白く綺麗な感情達が混ざっていく。
今の感情は一言で簡単に表せるようなものでは無いが、鼻につく言い方で表してみればきっと。
この桜の花々のように、遠目で見れば綺麗な白に見えているのだろう。
2.>>7
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.7 )
- 日時: 2023/03/26 18:50
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
2
◇◇◇
二千人の生徒とその保護者を入れてもまだ余裕がある程広い館内。
木製の椅子に座る生徒の一人である俺は、舞台から視線を外さない。
「──生徒指導 兼 寮長である私からは以上だ」
そう〈ユリウス・アルフォルター〉と名乗った”黒い人”である女性教師は、話を締めた。
現在は俺たち新入生を迎え入れる式典である入学式。様々な教師や責任者が挨拶という名のテンプレ挨拶を話し、去って行く。
同じような内容に飽きて寝そうになるが、俺はそんな不真面目な事はしない。
それに、次の話は──
「あー、ああー。聞こえてるかなこれ……。おっほん!」
長髪の黒髪に紅い目。それらが映える白皙の肌を持つ長身の人物がボソボソと何か言っている。
音声拡張が出来る魔法がかかった道具──魔道具である〈マイク〉は、その呟きを正確に察知して館内に広げた。
今のところ、式典で緊張感の無い言葉を発信しただけの間抜け者だ。
しかし、そんなことをしても許されるのがこの方である。
「生徒諸君!」
深く深く意識に滲み込む、自然と意識が引っ張られるような威勢のよい声だ。
俺含め、生徒全員の視線がステージの上の人物に集まる。
「俺の名前は夜刀 月季。 知る人ぞ知るこの夜刀学院の学院長だ」
1400年前に〈白の魔女〉を封印したとされる英雄の一人。現時点ディアペイズ──世界最強であるお方。
俺たち生徒は勿論、教師に騎士に都市長。国王でさえ簡単には逆らえない重鎮なお方だ。
「えーっと、澄んだ晴天と初桜が春の始まりを伝える今日、都市ラゐテラ市長様、略、対魔都市トレジャラー市長様をはじめ、多くのご来賓の皆様のご臨席のもとに、蛇白桜夜刀学院 第千四百回入学式を挙行できますことはこのうえない喜びであります。心からの感謝と御礼を申し上げます」
学院長は胸ポケットから細長い折りたたんだ和紙を取り出す。
陽気な挨拶は生徒の気を引くためのものだったのか、棒読みで他教師と変わらない挨拶と始める。
式典が始まってから伸びっぱなしの背筋は、不味い麺のようにだるい感覚が襲っていた。
今の生徒たちの言葉を代弁すると退屈──だろう。
「本校は今年で創立千四百年となり、創立のきっかけは皆様ご存知〈皙の――」
それを、学院長は破った。
「あぁ! やめやめやめ! 今日でこれ聞くの何回目だ耳にタコができるわ!」
突然、カンペだった和紙をビリビリに破いて宙に舞わせる学院長。
そして、生徒たちの気持ちを代弁した。
何事かと口を開く俺たち生徒。その様子を呆れながら見つめる先生やご来賓。
その視線なんて気にせず学院長は器用に演台に登った。
それを咎める者は居ない。咎められない。
今まで静かだった館内にざわめきが波打つ。
驚きの声もあるが、それよりも大きいのは期待と、退屈な時間が破られた事への喜びの声。
けれど、俺は違った。
何やってんだコイツ──という軽い軽蔑の感情が湧いていた。
「さぁさぁ皆様ご注目う!
舞台に立ち居るは、学院長や警団総監などの肩書き欲張りセットの持ち主”夜刀 月季”
長話嫌いだから端折って簡単に言っちゃうと”とんでもなくすごくウルトラスーパーハイパー”すげぇ人だ!」
全てを包み、抉り、凍りつく空気。
さっきの知的な挨拶をした人物とは思えないほど語彙が低下した言葉を放った学院長は、微笑んで空に人差し指を挙げた状態で停止していた。
その剽軽な発言に皆、反応に困ってか口を閉じている。
俺は、学院長の威厳の無さに呆れを越えて軽く見下していた。
しかし、あのお方は学院長という名の他、ディアペイズの治安維持をする〈夜刀警団〉を統率する頂点である”総監”に、一番信仰される〈夜刀教〉の教祖にして教皇。その他様々の肩書きを持っているのだ。
そう簡単に見下しちゃ行けないのは、俺も分かっている。理性でだが。
「……ブハッ!」
綺麗な白紙をぐちゃぐちゃに握りつぶしたような汚い笑い声が一つ。
それが微かに空気を溶かし、学院長は微笑みを崩さず「こほん」と咳払いする。
「そして、この学院が目指すものは一つ! 個性の魔法能力を磨き、魔素量を増幅させること!」
学院長は自身の滑った挨拶を無かったことにし、今までで一番強調された言葉を放った。
「君たちが持った個性、『魔法の色』を存分に輝かせてくれ!」
学院長は宙に拳を突きつける。言葉に緩急はあるものの、初めから微笑みの鉄仮面は外れていない。
そこが、少し不気味だ。
軽蔑が不審に変わり、俺は眉を歪ませて呂色の学院長を見る。
しかし、そんな不審はそう長くもたなかった。
「次に……ちょっ、ちょっとま! まだ続いてるから! まってまってユリウス!」
すると、先程舞台に上がっていたの”黒い”見た目をしたユリウス先生がステージに上がる。
そして、学院長が乗る演台を力強く蹴った。
ガンッ! という鈍い音で演台が揺れる。
と言っても流石〈夜刀〉というべきか、学院長は揺れる演台から華麗に飛んで着地した。
そこは慌てて落ちても良いと思う。
それでも、ユリウス先生に襟を捕まれ、ステージから無理やりずり落とされた。
小言を言う学院長に、それを制するユリウス先生と、その様子を唖然と見守る人々。
そして、耳が良い俺だからこそ聞こえる、誰かの雪のような忍び笑い。
それらをかき消すように司会者は言った。
「それでは次に参ります。新入生代表挨拶。ブレッシブ・エメラルダ・ディアペイズ!」
「はいっ!」
他の生徒や先生とは違う、ハキハキした返事。
次はその声が空気を弾いて、俺達の緩んでいた背筋を伸ばした。
カツカツと学院指定のブーツが床を叩く音が大きくなってく。
翠玉色の短髪と同じ色の瞳を持つ、只者ではないと素人でも分かる体つきの青年が、俺の席の横を通り過ぎた。
ブレッシブ・エメラルダ・ディアペイズ
元皇太子で今代の勇者である。
王族の上、他の生徒とは違い”勇者”という肩書きを持つ。
新入生代表には最適の人物であろう。
「あ、ごめーん。新入生代表挨拶する人変更でー!」
すると、学院長が司会者のマイクを奪い取り言った。
神聖な場であるのに無作法な事をまだする学院長には、流石に腹が立ってくる。
生徒達は驚いてザワザワし始め、キリッとした格好でステージへ歩いていたブレッシブ殿下も驚きで固まっていた。
「何言ってんだお前!」
「学院長……そのような予定は……」
「困りますっ!」
先生達も予想外のようで、真面目に学院長を止めるためにマイクを奪おうとする。
しかし、無駄に強い学院長は先生達を軽くいなしてしまう。
そして微笑みを崩さずに改めてマイクを構える。
「改め! 新入生代表ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー!」
『誰?』
考えるよりも先に声に出てしまい、急いで口を両手で抑える。でもそれは他の生徒も同じようで、声が綺麗に重なった。
「……え?」
すると、白銀のような細く高く美しい声が一つ上がった。タイミング悪く、皆が静かになった時に声を上げてしまったようで会場全体に響く。
”ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー”
その名前に俺は首を傾げた。そんな名前一度も耳にしたことが無かったからだ。
それは俺が無知だからという訳では無いようで、他生徒も、教師でさえ首を傾げていた。
学院長が指名するからには、ブレッシブ殿下よりも立派な生徒なのだろうが……。
どうも不信感が拭えない俺は、そう胸の言葉を濁した。
「ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー!」
「聞いてません」
学院長がステージに上がることを急かすように名前を呼ぶ。しかし、呼ばれた本人ですら慌てているようだ。
てっきりビャクダリリーと呼ばれた人物も知っているものだと思っていた俺は、余計学院長の行動を不審に思う。
「ヒラギセッチューカ・ビャ・ク・ダ・リ・リー!!!」
しかし、学院長も負けじと圧をかけた大声で名前を呼んだ。
「聞いて……つっ……」
ビャクダリリーは抵抗したが、諦めたのか椅子から立ち上がる音が聞こえる。
そして、ブレッシブ殿下より軽い足音がし始めた。
「なぜ、お前なのだ──」
俺の横にある通路で立ち止まっているブレッシブ殿下が呟く。
それが気になり、俺はチラッと隣に立つ青年に視線を移した。
堂々とした平行立ちで、列の後ろを睨むブレッシブ殿下。
彼は表情を少し歪ませるも、直ぐ無表情になり、大人しく来た道を戻ってった。
それと共に、不自然に後ろの方からざわめきが無くなっていく。
そんなにビャクダリリーと呼ばれる生徒は凄いのだろうか?
俺はブレッシブ殿下を不憫に思いながらも、試すように後方を一瞥した。
そして、言葉が蒸発したように喉から無くなる。
時が止まった世界で一人歩く生徒は、惚れ惚れするほど綺麗な動作で舞台に上がり、演台の前に立つ。
そして、白皙に近い桃の唇を動かした。
「……あーえっと。
本日は第千四百期生である私達のためにこのような豪華な式を開いて頂きありがとうございます」
この世界──ディアペイズには大きくわけて七種類の〈魔法系統〉がある。
その中から一個体に一種、特殊な場合二種。
適正の魔法系統を持っており、瞳と毛色は適正系統が影響している。
〈闇系統〉なら黒、〈岬系統〉なら青──と。
だから、だからこそおかしい。
異例、異質というレベルでは無い。
”有り得ない”のだ。
「様々な種族が集まるこの学院で、種族を越えた関係を……」
窓から差し込む昼前の陽の光を受けて輝く白銀の肩ほどの髪。
俺から見て左の目はそれと同じ色を持つ──いや、無色で反対側が見えそうな程不気味に澄んでいて、真っ直ぐと前を見ている。
右の目は古血のようにドロドロとした紅がグルグルと渦巻いていて、焦点が合っていない左目。
女の見た目をした生徒は、急に指名された癖に迷い無く淡々と挨拶をする。
魔法系統の中に白色の魔法は存在しない
昔話の〈白の魔女〉以外は──
存在すら聞いたことも無いその容姿を見て、世界が揺れる。
違う。俺の瞳孔が揺れてるんだ。
本能が拒絶する容姿。
理性が拒絶する声帯。
運命が拒絶する存在。
ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーと言ったか。
──なんて、気色悪い笑顔なんだ
一定のリズムで淡々と続く入学式は、ぼーっとしている間に終わってしまった。
司会者が式典終了の合図である挨拶をすると、生徒らは保護者と共に式場を去ってゆく。
また一人。また、一人と。
しかし、俺は中身がない綿人形のように呆然と椅子に座っていた。
白皙が立っていた舞台を見つめて。
あの蛆虫よりも忌々しい薄ら笑いで火傷した脳で。
3.>>8
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.8 )
- 日時: 2023/03/26 18:50
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
3
◇◇◇
「なんだったんだ……」
入学式の会場から出た俺は、そう呟いた。
なんというか、全体的に濃い入学式だったな。主に学院長のせいで。
俺はもう一度ため息を吐いて辺りを見渡す。
入学式を終えてから三十分程は休憩時間。という名の保護者との思い出作り時間だ。
数え切れない程の人々が〈カメラ〉と呼ばれる魔道具を持って、桜並木の下で騒いでいる。
「家族、か」
俺に両親は居ない。親戚も居ない。
母親も兄弟もとっくの昔に死んだし、親父は──
でも、それが俺にとっての当たり前だ。今更、別の家族の様子を見て憂いたりしない。
ブワッと一つ風が吹く。
初桜は風が吹いても散らないとよく聞く。が、散るものは散る。
幾つかの白い花弁がフライングして宙を舞った。
それと共に、俺達〈縹〉の学年色である、縹色のラインが入った制服のマントも、バタバタッと音を立ててなびいた。
「〈白の魔女〉
かつて夜刀が封印したと言われる悪しき者だ。魔女はその名の通り全身真っ白な容姿だったらしい。分かるな?」
と、どこからかそんな話し声が聞こえた。
忍んでいると言うよりかは、相手を戒めるような張った声。
耳が良い俺はその声が聞こえたが、周りの人は気付いていないらしい。
気になった俺は辺りをキョロキョロと見渡して、声の源を探す。
桜並木から軽く外れてフラフラとしていたら、それは意外にもアッサリと見つかった。
「自主退学を要求する」
着いた先は小さな中庭。芝生が生い茂るそこには、5〜6人程の本当に小さなギャラリーが出来ていた。
皆が視線を向ける先には、相対する二人の生徒が居た。
片方は、翠色の髪をもったガタイが良い男子生徒。ブレッシブ殿下が。
もう片方は、肌も髪も真っ白な女子生徒。ビャクダリリーが居た。
「それは絶対飲めない要求ですね」
ビャクダリリーは肩を竦めて苦笑いする。
先程の会話からして喧嘩でもしているのだろうか。
ブレッシブ殿下にとってビャクダリリーは、自分の晴れ舞台を潰した人物だもんな。
更に、大昔世界を壊したと言われる〈白の魔女〉を彷彿とさせる真っ白な容姿。
放っておけという方が無理だろう。
寧ろ、王族という権力を振りかざさずに”自主退学”を要求している分マシまである。
「そうか。では申し訳ないが、自主退学をするという言質が取れるまで、少々痛い目にあってもらう」
ブレッシブ殿下が腕を前に伸ばす。と思うと、何も無い所から唐突に剣が現れた。
水晶のように透き通った、白い刃を持つ洋剣。
大切に扱っているのか、鏡のように景色を反射させている。
「剣が、現れた?!」
野次馬テンプレのようなセリフが真横から聞こえた。
しかしブレッシブ殿下こと、勇者が持つ剣のことなんて誰でも知っている。
俺は軽く鼻で笑いながら言った。
「勇者が持つ〈加護〉──と聞いたことがある。手に持つのは〈聖剣十束〉
白の魔女を封印した際に使われたと言われている」
焼きたてのパンのようにふわっとした濃い金髪を頭の上で二つに結び、褐色肌に埋められた琥珀色の瞳を持つ野次馬が俺を見る。
女の見た目をしているのに男よりも高い背に、尖った耳を持つ少女を見て俺はギョッとする。
「あっ、すまん。つい話してしまった」
ついでは無い。わざとだ。
それでも反射的に俺は謝る。
尖った耳を持つ彼女は人間では無いだろう。
吸血鬼か、ピクシーか、それとも──
少なくとも軽い気持ちで見下すと痛い目に合いそうな相手だ。
「ううん! 全然大丈夫だよ! えっと……」
相手は唐突に話しかけてきた俺に困惑した表情を見せ、苦笑いをする。
罰が悪いが、ここでポーカーフェイスを崩すのは俺のプライドが許さない。
「玫瑰秋 桜だ」
と自己紹介し、無理やり話を進めた。
「私はアブラナルカミ・エルフ・ガベーラ。よろ──」
「いくぞ!」
軍人のような圧のある掛け声に圧倒され、アブラナルカミは話を遮る。
俺達はブレッシブ殿下達へ視線を移した。
ブレッシブ殿下が剣の腹を振り下ろす。
と、ビャクダリリーはギリギリの所で横に避けた。
「危なっ」
ビャクダリリーの震えた声。白髪が剣の勢いによってなびく。
殿下が関心したように呟いた。
「これをかわせるのか……」
本気でビャクダリリーと戦うつもりなのか?
晴れ舞台を台無しにされたブレッシブ殿下には同情するが、実力行使に出るほどでは無いだろう。
と、ブレッシブ殿下に少しだけ悪感情が湧く。
ブレッシブ殿下はまた剣を振り上げた。さっきよりも早いスピードで。
それを紙一重でかわし続けるビャクダリリー。
彼女も余裕が無いらしく、フラフラと千鳥足でいる。
酒でも飲んだのか、と、傍からそれを見ていると笑ってしまいそうだ。
「あれ……」
そこで俺は気付く。
ブレッシブ殿下はずっと、ビャクダリリーに剣の腹を当てようとしている。
それに、ブレッシブ殿下は素人の俺でも上手いと分かるほどの太刀筋の持ち主だ。
ビャクダリリーが強いという訳でも無さそうだし、一向に剣が当たらないのもおかしい。
ビャクダリリーを切るつもりは無い、ということだろうか?
ブレッシブ殿下は、どういうつもりで喧嘩をしているんだ?
本当に、ビャクダリリーから自主退学の言質を引きずり出す為なのか──
「〈壱・気泡〉!」
と、ブレッシブ殿下が叫んだ。
ビャクダリリーの足元に風──いや、風と言えるほど大きくない、小さな空気抵抗が生まれた。
「ぁっ」
次の瞬間、ビャクダリリーは何も無い所で転ける。
〈壱・気砲〉とは、風よりも小さな空気の流れを作る、初級魔法だ。
勇者も魔法は使うのか、と俺は感心する。
「ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー。退学を要求する」
ブレッシブ殿下は慈悲のつもりなのか、剣を振り上げた所で止め、尻餅をついているビャクダリリーに言った。
そこで俺は目を細める。
やはりブレッシブ殿下は退学を要求した。
王族の勇者なんて権力を使えば、無名のビャクダリリーなど簡単に退学にできるはずだ。
なのに何故、頑なに”要求”をするんだ?
「絶っ対に嫌ね」
ピンチなのに何故か笑うビャクダリリー。
「そうか。残念だ」
ブレッシブ殿下のその声と共に剣が振り下ろされる。
「ぃやっ」
と、隣のアブラナルカミが声を上げた。
声を上げるべきはビャクダリリーだというのに。
晴れ舞台を潰されたブレッシブ殿下も、唐突に生徒代表にさせられたビャクダリリーも、不憫には思う。
が、王族であるブレッシブ殿下と不気味な白髪を持つ者には関わりたくない、という気持ちの方が勝った。
だから、俺は特に何も言わずその様子を見物する。
「〈参・氷塊〉」
新雪が柔らかく地面に触れる様な、冷たくも柔い声が響いた。
ビャクダリリーの足元から氷塊が生える。
それはブレッシブ殿下の剣を包み込み、凍らせて止めた。
その間にビャクダリリーは立ち上がって殿下と距離を取る。
〈参・氷塊〉氷の初級魔法だ。
名の通り、氷の塊を出現させる。
ビャクダリリーは白髪だから魔法の適正が分からなかったが、氷系統のようだ。
それでも彼女の左目は紅色。
炎系統適正者の特徴があるのに氷系統を使うという、生物の法則の矛盾を感じる。
「そこまでして学院に残りたいのか」
ブレッシブ殿下が表情を歪めながら、剣を氷塊から抜く。
バキバキッと硝子が割れるような音と共に、剣が抜かれ、氷塊が砕けた。
「あの人の為にも──こっちも事情があったりなかったり。別に、私が居ても殿下に害は無いじゃん? 見逃してくれませんかね」
「勇者が〈白の魔女〉を見逃すとでも?」
そのブレッシブ殿下の言葉で俺は腑に落ちる。
執拗に白髪のビャクダリリーに突っかかっているのは、勇者だからか。
ビャクダリリーは眉を八の字にして言った。
「だから魔女じゃ無いって! 魔女が世界壊したって1400年前よ? しかも、英雄達が魔女を三つに分けて世界のどっかに封印したって。それが今になって出てくると思います?」
1400年前に世界を壊したとされる〈白の魔女〉
白髪に白皙の肌と透明な眼を持つと言われる災厄だ。
しかしビャクダリリーの言う通り、白の魔女は学院長と初代勇者を含めた英雄達によって封印された、と言われてる。
それは〈皙の月〉と呼ばれているが、今はどうでも良いだろう。
俺もビャクダリリーが魔女とは思えない。
片目は紅い色だし、第一、魔女を封印した英雄が学院長の学院に入学できたのだ。
でも──
「その白い髪はなんだ」
ブレッシブ殿下の冷たい声。
そう、彼女は白髪。生物の法則を逸脱した、言い伝えの魔女と酷似した容姿。
魔女では無いにしろ、勇者であるブレッシブ殿下も簡単には引き下がれないのだろう。
「そこ言及されると、生まれつきとしか──。でも自主退学はしませんよ?」
ビャクダリリーが肩をすくめる。
まあ、名門校と名高い夜刀学院からの退学を要求されても『はいそうですか』とはならんだろうが。
問題はビャクダリリーの態度だ。
危機的状況なのにも関わらず、ふざけた態度でい続ける。俺はそれに不快感を覚えた。
「そ、そこまでにしようぜ!」
と、ビャクダリリーでも、ブレッシブ殿下でもない別の声が挙がる。
声の主は俺達の注目を気にせず二人の間に割って入った。
「この争いは何も産まねぇだろ! 見た目がおかしいからってだけで自主退学を迫るのはキツイぜ殿下!」
燃えるような真っ赤な短髪と同じ色をした瞳を持つ、長身の青年だった。頭半分が白がかっているが、光の反射が強いのだろうか。
ブレッシブ殿下は自分より巨体の青年を黙って見つめる。
「あいつ、大丈夫か……」
俺は赤い青年を心配に思って、そう呟いた。
白髪を庇うと、世界を滅ぼしかけた〈白の魔女〉を庇ってると勘違いされてしまう。
夜刀学院でそれを行うなんて、魔女を封印した英雄の一人──学院長に喧嘩を売る様なものだ。
それにブレッシブ殿下含め、王族に楯突くと今後何をされるか分からない。
それを踏まえてこの場に割り込もうとするのは正義感の強い者か、世間知らずである。
赤色のアイツは口調が荒いし多分後者だ。
「俺はブレッシブ・エメラルダ・ディアペイズだ。名を名乗れ」
「狐百合 癒輝」
ブレッシブ殿下は大人顔負けの圧を放つ。
赤いヤツ──ユウキはブレッシブ殿下の前で両手を広げ、ビャクダリリーを守る形をとった。
「ユウキ。お前の言い分は正しい。がしかし、俺は勇者だ。白髪は放っておけない」
「そう、だけどな……」
ブレッシブ殿下に言い返す言葉が見つからないらしい。ユウキは口ごもって両手を閉じかける。
ブレッシブ殿下はユウキの横を通り過ぎ、後ろのビャクダリリーに寄った。
そして、剣を下に構えた。
彼の視線はビャクダリリーを突き刺している。
「よっ、避けてっ」
隣のアブラナルカミが呼吸の様に言葉を吐いた。
空気抵抗を受けながら上がる剣の腹。
それがビャクダリリーに当た──
『止めてもらっていいかな』
る所で、声が頭に響いた。
鼓膜が受信したものではなく、脳内にねじ込められた言葉。
俺は初めての感覚に軽く混乱して中庭を見渡す。
ブレッシブ殿下も驚いて、ビャクダリリーの脳天直前で剣を止めた。
4.>>9
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.9 )
- 日時: 2023/03/26 18:51
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
4
ビャクダリリーの隣で黒煙が立ち上る。
瞬きする間もなくそれは人一人分に膨れ上がった。そして黒煙から現れる2メートル近い姿。
漆黒の長髪を一縛りにした紅い瞳の、中性的な人物。喧嘩の間接的な元凶、学院長だ。
「学院長、入学式の件、説明して頂きたい」
ブレッシブ殿下は語気を強めて聞いた。
俺達は唐突に現れた学院長に驚いていて、それどころでは無い。
俺は目を見開いて彼らを見る。
学院長は全く動じないブレッシブ殿下に苦笑いした。
「俺〈転移〉っていう凄い魔法使って来たんだけど。もう少し驚いてくれないかなー?」
学院長のふざけた言葉がシリアスな空気に放たれる。
ギリッというブレッシブ殿下の歯ぎしりが微かに聞こえた。
「お戯れも程々にしてくださいっ、何故白髪がこの夜刀学院にいるのですかっ」
ブレッシブ殿下は怒りを抑えたからか、今日一番の胴間声だった。軍人の様な圧に押されて俺は心臓が縮み上がる。
それに動じてない学院長は「どうどう」とブレッシブを宥めるジェスチャーをした。
が、逆効果だったようでブレッシブ殿下は睨みを効かす。
「んー、依怙贔屓?」
学院長は睨みを軽くいなして、とんでもない事を言った。
ブレッシブ殿下は震えた掌を握る。
「依怙贔屓って……!」
第三者からでも怒りと悲しみとやるせなさを感じる声色だった。
学院長の依怙贔屓で生徒代表挨拶から外されたブレッシブ殿下と、それでヘイトを買われたビャクダリリーに俺は同情した。
しかし学院長は悪びれも無さそうに笑っていて、一発殴りたくなる。
「で、他には?」
ブレッシブ殿下は一旦深呼吸をして、学院長の問いかけに答える。
「何故ワタシではなく、ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーが生徒代表なのですか」
「これが一番優秀だから。学院は実力主義だし!」
依怙贔屓発言の上に生徒を”これ”呼ばわりで、とても教師とは思えない。
俺の中で学院長への信頼が面白いぐらいに下がってく。
「私に夜刀学院生から頭一つ抜ける様な頭脳も魔素量も持ち合わせておりません。その紅い目は生ゴミで?」
ビャクダリリーがようやく口を開く。
生徒代表に指名されたことを根に持っているのか、煽り気味だった。
気持ちは分かるが、ビャクダリリーも悪い意味で肝が座っている。
「なら、君の片目も生ゴミになるよ?」
学院長の軽い煽り返しを、ビャクダリリーは鼻で笑った。
「生ゴミだよ、こんなの」
ビャクダリリーの片目は学院長と同じ紅色。
けど、それは傍から見ても瞳として機能してるのか疑うほど濁っているし、学院長の目と違い渦巻いていた。
学院長はビャクダリリーの悪態が効いた様子もなく「悲しいこと言わないで?」とおちゃらけて言った。
「それで、満足したかな? ブレッシブクン」
と、話を移す学院長。
ブレッシブ殿下は顰めた顔で鉛の様に重い言葉を叩き落とした。
「いいえ、まだ腑に落ちません。何故白髪が入学出来──」
「あ、そうだ。俺ブレッシブクンを呼びに来たんだよ。お母さんが探してたよ?」
殿下の母親──王妃様だ。
身近に王妃様がいらっしゃると思うと、やましいことは無いはずなのに血の気が引いた。
そして王族も他生徒、保護者と同じ扱いと会話から察して、更に鳥肌が立つ。
ブレッシブ殿下の無愛想から怒りの色が消える。代わりに青色が薄く広がった。
と共に、彼が手に持つ聖剣十束が溶けるように消える。
「忠告は……、したからな」
負け惜しみに見える言葉を吐いて、ブレッシブ殿下は大股で中庭を去る。
客観視、ブレッシブ殿下は生徒に退学を迫った悪だ。
相手が白髪だったから嫌悪感は少なかったが、先に突っかかったのはブレッシブ殿下だろう。
今回彼が受けた恥は自業自得と言える。
俺の横をブレッシブ殿下が通り過ぎる。
彼は恥をかいたのに堂々と前を向いて歩いていた。
自分がやった行動に後悔は無い、という彼の気持ちがヒシヒシと伝わる。
俺は一瞬、彼に視線が釘付けになった。
アイツ、別に悪くないんじゃ──
「あのっ!」
急に隣のアブラナルカミが駆け出した。
他生徒は騒ぎが終わったからと中庭から出ていくが、アブラナルカミだけはビャクダリリーの元へ行く。
また面倒事を起こすんじゃ無いだろうな?
不安になって俺はアブラナルカミを追いかけた。
アブラナルカミはビャクダリリーの前に立つと、胸に手を当て興奮気味に言う。
「私、アブラナルカミ・エルフ・ガベーラ! 入学前に黒蛇から助けて貰ったんだけど──」
「あ……、あの時の!」
ビャクダリリーはアブラナルカミの登場に表情を固めるが、直ぐに溶けて間抜けた声を出した。
どうやら二人は知り合いだったらしい。
また喧嘩が起こると予想していた俺はホッと胸をなでおろす。
再開に会話が弾む二人を見て俺は場違い感を覚えた。
俺もこのまま黙って去ってしまおうか。そう思っていると、俺らを微笑んで眺めていた学院長が呟く。
「エルフと残滓、何の因果か──」
普通の人ならまず聞こえないであろう声量。けど、耳が良い俺は聞き取れた。
意図は分からないが、学院長の言葉は氷のように冷たく、少しゾッとする。
「俺結局何も出来なかったな、すまない」
未だ留まっていたらしいユウキが申し訳なさそうに頭をかいた。
ビャクダリリーはキョトンとするも、「ぶはっ」と吹き出して笑った。
「ありがとう、嬉しかった」
「どーいたしまして」
ビャクダリリーの感謝に、ユウキは自嘲気味に笑って返事した。
「ヒラギセッチューカ、喧嘩は頂けないよ。ブレッシブにも言えるけどね」
と、学院長はタイミングを見計らって注意する。
この人、教師らしい事も言えるんだな。少し見直した。
ビャクダリリーは王族並の大物に直接注意されたにも関わらず、ぶっきらぼうに「すみません」と答えた。
やはりコイツは悪い意味で肝が座っている。
「あと、白髪と王族の喧嘩とかマジ笑えないから辞めてね」
流石の学院長でもそこは焦るらしい。
子供同士の小競り合いだったとしても、口調の崩れから焦燥が伺える。
ビャクダリリーはムスッと返事する。
「はーい」
「よろしい。では、俺はここでお暇しようかな。大人がアオハルに割り込んで悪かったね」
学院長は"あおはる"などと剽軽な事を笑って言った。
それを怪訝に思っているうちに学院長は転移魔法の黒煙に包まれる。そして、消えてしまった。
学院長の転移を見届けたビャクダリリーは一つため息を吐いて、自嘲気味に笑う。
「災難だったね。白髪と関わるとろくな事がない。さ、行った行った」
俺らをギャラリー扱いしてビャクダリリーは手をヒラヒラと振った。
俺はともかく、心配してくれたアブラナルカミとユウキにその態度は無いんじゃないか?
さっきから少しずつ積もっていたイライラを抑えられなくなった俺は、
「それは無いだろ」
と言葉を漏らしてしまう。
ビャクダリリーが手を止め、キョトンとした顔で俺を見た。
やってしまった。俺が事件の種を撒いてどうするんだ。
思わず口に手をそえるが、ここまで来て食い下がらないのも勿体ない気がした。
自分は頭が切れる方だ。喧嘩を起こす様な馬鹿なことしないだろう。
俺はこのまま突っ張ることにした。
「二人はお前を心配して声をかけたんだぞ? 相手は気持ちが悪い白髪なのに。その態度は無いだろ」
「えっと、どちら様で?」
ビャクダリリーは怪訝そうな顔をして言った。
失礼にも程かあるだろう! と、怒りのダムの堰が切れそうになるが、何とか持ちこたえる。
俺は静観していたからビャクダリリーを知っているが、ビャクダリリー目線俺とは初対面。
今のは当たり前の反応だろう。
俺は敵意が無いことを証明するために微笑みを作る。
「紹介が遅れた。玫瑰秋 桜だ」
ビャクダリリーの瞳孔が微かに開く。
何故か「玫瑰秋……」と、とても小さな声で復唱するのが不気味で、俺はゾッとした。
「私はヒラギセッチューカ・ビャクダリリー。で、なんだっけ? 」
しかし、ビャクダリリーはそれを無かったかのように扱った。
小声過ぎて俺には聞こえてないと思ったのだろう。バッチリ聞こえてるが。
俺は少し怒りを我慢出来ず、わざと語気を強めて言った。
「失礼な態度はやめろと言ってるんだ」
「──ぶははっ!」
ビャクダリリーは突然吹き出してせせら笑いを浮かべた。
舌打ちしたいのを堪えて俺は聞く。
「何がおかしい?」
思ったよりドスが効いてしまった。
しかし、そんなこと気にならないぐらいの言葉をビャクダリリーは吐き捨てた。
「傍観者が作った正義ヅラほど滑稽なモンはないと思ってさ! ──ぶはははっ!」
憎いほど綺麗な笑顔が踊った。俺の体液も沸騰して踊った。
真っ白なビャクダリリー。俺の頭も真っ白になる。
──ふざけるなよ
綺麗な白髪が一本一本、宙で舞っている。
フサフサの白いまつ毛がたなびいている。
それから目を逸らさずに、俺は拳に力を入れた。
そして
「黙れぇっ!!」
──ビャクダリリーを殴った。
俺のオレンジ色の拳が、白皙の頬にめり込む。
顎の骨が拳にゴツッと当たって痛い。けど勢いは止めなかった。
「あがぁっ……!」
情けない声を出して、ビャクダリリーはドサッと地面に倒れ込んだ。
殴る側も結構痛い。俺は拳に広がる痛みの余韻を味わう。
コミュニケーションにおいて、暴力に頼るのは一番やってはいけない事だ。
それは分かってた。
理性では分かってた。
感情は、知らなかったらしい。
咲いて間もない桜の花弁。
ヒラヒラと不規則に宙を舞う。
静かな空気を旅するそれは、静かに、大地を
──白く染め始めた。
【終】
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.10 )
- 日時: 2023/03/26 18:57
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
《この世界、ディアペイズ》
1
入学式後の休憩時間が終わりを迎えようとしていた。
休憩時間の後は教室集合。今後のオリエンテーションが行われる予定だ。
今頃、外の家族達は記念撮影のラストスパートに差しかかっていることだろう。
そういう俺達──ビャクダリリー、アブラナルカミ、ユウキは、一足先に教室へ来ていた。
校舎と寮は〈縹〉〈代々〉〈翠〉〈黄〉の四学年ごとに分けられている。
ここは俺達学年〈縹〉専用の校舎──〈縹校舎〉だ。
縹校舎内には約五十のクラスがあり、俺は〈一クラス〉らしい。他三人も同じクラスだった。
偶然にしては出来すぎてないかと多少怪訝に思うが、そういうこともあるんだろう。
「入学早々右ストレート食らうなんて……」
と、四人しか居ない伽藍堂な教室に愚痴が溶けた。
俺の席の前にしゃがむビャクダリリーは、俺の机で勝手に頬杖をついている。
俺はムスッとして反論してやった。
「ちょっと赤くなった位で煩いんだよ」
「そりゃ日光よりマシだけど! もっと言うことあるでしょー」
俺はビャクダリリーの意図を汲み取った上で、悪びれなく言った。
「謝ったろ」
「まさかあの、『強くてすまなかった』が謝罪とか言わないよね?」
「それ以外の何があるんだよ。お前脳みそ無いのか?」
俺の毒舌にビャクダリリーはきょとんとする。と思ったら何故か笑い始めてしまった。
イマイチ笑いどころが分からない俺はバカにされた気がして腹が立った。
「ヨウ攻撃的過ぎ。やめなよそういうの」
俺の椅子の横で立つアブラナルカミが、ジトッと俺を見た。
「俺だけ悪者扱いかよ」
「そういうのじゃなくて! 幼稚じゃないんだから──」
どっちが悪者かではなく、ビャクダリリーに悪態をつくのを辞めろ。という意味なのは俺だって分かってる。
けどやっぱり、俺が悪いみたいに言われるのは嫌だった。
黙ってアブラナルカミを軽く睨む。
「待てって、空気が悪くなってる!」
ビャクダリリーの後ろに立っていたユウキが、慌てて会話に割って入った。
「三人共言い方が少し悪いぞ。口は災いの元だ。人が嫌がると思ったことは言っちゃいけねぇぜ。な?」
幼い子に言い聞かせるようなユウキの口調にも俺はイラッとする。
けどユウキの言うことは正しい。
俺は「わかった」とぶっきらぼうに返事した。アブラナルカミは黙って別の話題になるのを待つ。
「はーい。ヨウ、ごめんね?」
唯一謝ったのはビャクダリリーだった。悪びれを感じられないが。
謝られると自分の行いは悪かった気がして、俺は「おう……」と返事した。
「そういえばヒラギセッチューカさんって英名だよね」
唐突にアブラナルカミが言った。
コイツ、居心地悪くなったから話変えたな?
「そーそー。アブラナルカミも英名だね」
ビャクダリリーは袖から出した黒い狐面を被る。
俺は急に出てきた狐面が気になって、それは何だと聞──
「英名ってことは、二人は〈白銀ノ大陸〉出身か?」
──く前に、ユウキが言った。
先を越されたが、特別狐面に関心がある訳では無いから口を閉じる。
この"世界"は、二つの大陸に分かれている。
人口が多くて和文化が色濃い〈呂色ノ大陸〉
開拓がされておらず、遺跡やダンジョンが多いロマンある〈白銀ノ大陸〉
呂色ノ大陸出身は和名が多く、白銀ノ大陸出身は英名が多いのだ。
因みにこの学院都市は、呂色ノ大陸にある。
「私は呂色ノ大陸にある〈エルフの里〉出身だよ。里は和文化がないからね」
アブラナルカミが手を顔の前で軽く振る。
"エルフの里"という言葉に、俺は驚いて息を漏らした。
「エルフの里って、存在したのか」
「エルフがいるんだからそりゃあね」
アブラナルカミは当然というような顔をして言った。
エルフ──基本外の世界には姿を見せない、謎に包まれた種族だ。
特徴と言えば尖った耳。それ以外は普通の人間と何ら変わらない。
そのエルフが居住する里。
通称〈エルフの里〉は特殊な結界に覆われていて、特定の者しか辿り着けない仕様となっている。
だからエルフ達は謎に包まれ、近年では半分幻と化してきていた。
半分エルフは御伽噺だと思っていた俺はちょっと驚く。世界は広いものだ。
「あ、ヒラギセッチューカさんは? 白銀ノ大陸出身?」
アブラナルカミが聞く。
ビャクダリリーは、せせら笑いを微笑みに変えて「あー」と言葉を濁した。
外から見たら彼女の表情なんてそう変わらない。
しかし、ビャクダリリーのせせら笑いに人一倍敏感になっていた俺は分かった。
何故かビャクダリリーはユウキを一瞥する。
「そのヒラギセッチューカ"さん"って辞めない? 距離感がある」
が、そんな事無かったかのようにアブラナルカミに言った。
先程の挙動が気になってしまう。けど本当に些細なものだったし、深読みのしすぎかもしれない。
「あっ、ごめんっ。つい"さん"付けしてた」
「じゃ、長い名前の私とアブラナルカミは短縮して呼んで貰おう。自己紹介の時にも役立つでしょ?」
狐面越しにヒラギセッチューカは、濁った紅い目に弧を描かせ笑った。
俺は何気なく言う。
「愛称か」
「お、おーおー。そんな感じ?」
ビャクダリリーは戸惑い、照れながらも肯定する。
なんでここで急に照れるんだ、と俺は胸の中でツッコミを入れた。
通常の雰囲気が雰囲気だけに、彼女の戸惑いは狐面越しでもすぐ分かる。
俺が他よりビャクダリリーをよく見ているだけかもしれないが。粗探しのために。
「名前長いんだし、故郷では愛称で呼ばれてたんじゃないか?」
と言いながら、俺は少し高い椅子を引いて座り直す。
アブラナルカミは故郷での不満を漏らした。
「それがさぁ。全く名前で呼ばれなかったの」
「じゃあなんて呼ばれてたんだ?」
俺は反射的に聞いた。
そういえば、さっきからビャクダリリーとユウキが静かだ。
「んー? 王女様。私はアブラナルカミだっての。あ、ヒラギセッチューカさ──ヒラギセッチューカは?」
俺は言葉を詰まらせ、黙る。
何かしら悪い対応を受けていたのではないか。
二人はそう思ってあれ以上の詮索は辞めていたんだ、と今更理解した。
「なんか、すまない。アブラナルカミ」
「私が勝手に言っただけじゃん。何でヨウが謝るの?」
ルカは優しさで俺を見下す。
それが余計申し訳なく感じて口を閉じた。場を沈黙が支配する。
「あ、愛称が無いなら今付けたらいいんじゃないか?」
俺はせめてもの償いとして沈黙を破った。
ビャクダリリーは辛気臭い顔から一変、パッと明るくなる。
「じゃあルカ。アブラナ"ルカ"ミのルカっ」
話題が出る前から考えていたのか、ビャクダリリーは即答した。
命名の速さに驚いたようで本人は難しそうな顔をする。
多少考える仕草をした後、ゆっくりと顔を上げた。
「うん、ありがとう」
アブラナルカミ──ルカはぶっきらぼうに言う。
嬉しそうだし、一見照れ隠しに見える。けど表情に少し憂いが帯びていた。
「ヒラギ」
さっきから思案していたユウキが呟く。
と、ビャクダリリーは恐ろしい反応速度で振り返り、ユウキの手を握った。
「ヒラギ、ヒラギだってさクフフッ!」
下品な笑い声で、喜んでるのか馬鹿にしてるのかよく分からない。馬鹿にしていたらもう一度殴ろう、と俺は軽く拳を握った。
ユウキは申し訳なさそうな顔をする。
「お、可笑しいか?」
「違う違う、嬉しいんだよっ。ありがとう!」
どうやら拳は要らない様だ。
予想以上にはしゃぐビャクダリリーと、それを見てはにかむユウキ。ルカは満更でもない顔でそれを見ている。
俺は三人を見て胸がムズムズする。
同年代と話すどころか、気を許せる人も余り居なかった俺にとっては、この場の空気は新鮮で逆に落ち着かない。
俺も輪に入ろうか。
素直にビャクダリリーに謝ろうか。
きっと、楽しいだろうな。
そんな想いが脳裏を過る。ただ、それは俺のプライドが許さなかった。
それにビャクダリリーとは仲良くしたくない。
アイツが視界に映るだけで腸が煮えくり返る──というのもあるが、もう一つ理由が。
ビャクダリリーは、臭い。
不潔という意味ではない。多分。
嗅いだだけで頭がぽーっとする、癖のあるハーブの臭い。それが嫌いなんだ。
忌々しい、親父と同じ──
「ヨウ? 怖い顔してどした?」
ビャクダリリーは俺の席に手をついた。
若干俯いている視界に白皙の指が十本見える。
俺は考えすぎだ、と自分を抑えてゆっくりと顔を上げた。
「元気だなぁと思って」
ビャクダリリーを見上げる俺は、貼り付け慣れた笑顔でそう言った。
2.>>11
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.11 )
- 日時: 2023/03/26 18:58
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
2
入学式から早一週間経とうとしていた。
教室の窓から満開の桜が見える。
微かな風で大量の花弁を撒き散らし、透明で何も無い宙を華やかに彩っていた。
授業内容をノートに書き写していた俺は、息抜きとして窓の外を一瞥する。
ほうっ、と感嘆の息をもらす。
現在は保体の授業だ。内容は一般常識に近いものばかり。保体の授業についてのオリエンテーションらしい。
退屈だが、入学直後の授業なんてこんなもんだろう。
「魔法というのは様々な種類があるが、大まかに分けると七系統ある。これらは〈八大魔法〉と呼ばれている」
魔法は七種類あるのに"八大"魔法と呼ばれている。
可笑しい話だが、俺はリアクションせず鉛筆を指に絡ませた。
昔から知っていることだから、今更何とも思わないのだ。
「八大魔法に含まれるのは、炎系統、地系統、嵐系統、雷系統、氷系統、岬系統、闇系統。
まあ、説明するまでも無いだろうな」
基本的に適性系統は一人につき一つ。二つの場合もあるがかなりのレアケースだ。
俺は特殊な生まれではあるが、闇系統一つが適性とごく平凡。
俺が黒髪なのも適性系統が影響している。
軽く自分の髪を弄ってみる。ジャリジャリと音がしただけだった。
「魔法"系統"と呼ばれる理由は、同系統と定義付けられた魔法が──というと面白くないな。
噛み砕いて言うと、炎ぽい魔法同士とか氷ぽい魔法同士とか、仲間っぽい魔法が集まってできたのが"系統"だ」
授業に飽きた俺は机の中で別教科の教科書を開いた。先生から見えないよう、内職を始める。
「あー、話すこと無くなった。もう一度同じ話をするか。魔素というのは──」
間抜けた先生の声が教室を包む。それに生徒は騒めくが、先生は気にしなかった。
こんな適当な先生の授業に出るぐらいなら自室で勉強をしたかった。
けどそういう訳にもいかない。
夜刀学院には午前の共通授業と午後の選択授業の2種類があって、保体は前者。
嫌でも出席しておかないと、最悪退学になってしまうのだ。
「玫瑰秋」
俺は教科書のページをめくる手を止めた。と同時に、体をビクッと震わせる。
頭上から俺を押し潰す様な低い声が落ちた。
全身が凍りついて、俺はゆっくりと見上げる。
2メートルの学院長ぐらいの長身男性が俺を見ていた。
茶色の左目を除いて全身包帯で覆われており、上から一枚黒い着物を崩して着ている、化け物と勘違いしそうな男性。
さっきから適当な授業をしている保体担当の、〈秋野 花霞〉先生だ。
見た目が恐ろしいため、生徒には敬遠されている。俺もその中の一人だ。
「内職ならもっと上手くやれ」
もっと別に言うことがあるんじゃないのか?
思っても口に出す勇気は毛頭無かった。
俺は「すみません」と萎らしく謝って教科書を閉じる。
それを確認したカスム先生は、黙って俺の席から去った。
凍っていた体が瞬時に溶けて俺はホッと息を吐く。
それでも退屈なのは変わらず、前を向いてぼーっとしていた。
前の席は狐面を被る白髪の少女、ビャクダリリーが居た。だから教台を見ると嫌でも白髪が視界に入る。
それが鬱陶しくて仕方がなかった。
リンリンリン
授業の終わりを知らせる鐘が鳴った。
やっとか、と俺は軽く背伸びする。
「今日はこれで終わりだ。次からは実技が主体になる。心の準備をしていてくれ」
そう言って、カスム先生は手ぶらで教室を去る。
不気味な怪物だったカスム先生が去って、教室の雰囲気が柔らかくなったのを感じた。
3.>>12
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.12 )
- 日時: 2023/03/26 18:58
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
3
共通授業最後の保体を終えた後は何があったっけ。そうだ、選択授業だ。
俺達の学年〈縹〉は未だ選択授業を受けられない。受ける授業を決めていないからだ。
そういう訳で、次は選択授業についての説明が行わるんだったな。
俺は軽く教科書を机から出して整えた。
それを抱えて教室の外にある自分ロッカーへ向かおうとする。
「ヒラギー、ヨウー!」
ルカが金髪のツインテールを軽く弾ませてやって来た。
目付きが悪いユウキも一緒だ。
「あぁ、ルカ、ユウキ。どうした?」
俺はロッカーにしまうつもりの教科書を胸に抱え、聞いた。
「次、選択授業の説明会だろ? 一緒に行こうかと思って」
ユウキがニカッと笑った。
俺は友達と思っているが、客観視俺らは特段、仲が良い訳では無い。
けど入学式の事もあってか、俺らは共に行動することが多くなっていた。
他の仲良い級友が居ないこともあるんだろう。
どっち道、ユウキとルカは大歓迎だから嬉しいんだが。
「あと、ヒラギは?」
ルカがビャクダリリーの愛称を呼んで教室を見渡した。ユウキも釣られて視線を教室に巡らす。
ビャクダリリーなら俺の席の前に居るじゃないか。
怪訝に思いながらも、ビャクダリリーの場所を伝えようと口を開く。
「あっ、ヒラギ居たんだ」
その前にルカがビャクダリリーの存在に気付いて、俺は口を閉じた。
ユウキが申し訳なさそうにビャクダリリーに言った。
「ヒラギずっとそこに居たのか? 気付かなかったんだが……」
「あぁ、気に触ることはないよ。この〈認識阻害〉の魔具のせいだと思うから」
ヒラギセッチューカは軽く笑いながら、自身の狐面を指して言った。
〈認識阻害〉というのは闇系統の魔法で、その名の通り認識を阻害する事が出来る。
そして魔法道具──魔具というのは名の通り、魔法がかけられた道具。
かけられた魔法の効果を発揮するのだ。
きっとヒラギセッチューカの狐面は、認識阻害の魔法がかけられた道具なのだろう。
「認識阻害? あ、そっか。白髪だから──」
ルカは口に手を当てて申し訳なさそうな顔をする。
それをビャクダリリーは「気にしてないって」と笑って、ルカのフォローをした。
「なんで入学式の時にそれ、使わなかったんだ」
俺は責めるようにビャクダリリーに聞いた。
その狐面を使っていれば、ブレッシブ殿下に目をつけられることも無かっただろうに。
「装身具は禁止だったじゃん。少年〜プリント見たかい?」
ビャクダリリーにからかわれた俺は罰が悪くなって「チッ」と舌打ちをし、目を逸らす。
しかし、おかしい。
〈認識阻害〉の魔具は、対象の人物が何者か認識出来なくなるだけ。
存在が認識できなくなる様な効果は無いのだ。
それに、俺は最初からヒラギセッチューカを認識できていた。
違和感はあるが、さっきからかわれたこともあって質問したくなかった。
「それで、選択授業の話だっけ?」
ビャクダリリーは話を戻す。
「そうそう!」
ルカは白髪に触れてしまって申し訳なさそうにしてたが、切り替えて明るく言った。
何故か四人で行く空気になっている。俺はそれが嫌だった。
できる限り敵意を見せないよう、俺は自然に口を開いた。
「わざわざ〈白の魔女〉に近づくことは無いんじゃないか?」
場の空気が凍った。
ルカは呼吸と共に「え?」と声を漏らし、ユウキは少し眉を歪めている。
けれど俺だって、悪いことを言ったつもりは無い。
「〈白の魔女〉じゃなかったとしても、それと近い物だろ? こんな気色悪い奴と過ごすのは危険だろ」
「何言ってんだよ……」
ユウキが困った様な顔をする。俺は「何がだ?」と首を傾げた。
ユウキは俺とビャクダリリーの顔を交互に見て、顔を歪める。どちらに何を言うべきか悩んでいるのだろう。
予想通りの反応である。ルカとユウキの顔を見ると心が痛む。
しかし、ビャクダリリーと行動を共にする方が嫌だ。
「そういうのは良くないでしょ。ほら、私たち友達だし?」
ルカが冷たい声で言った。
「ビャクダリリーとは友達じゃない。だって白髪だぜ?」
三人は黙った。
これでは俺が悪者みたいじゃないか。
「大丈夫。ルカとユウキは俺にとって大切な友達だ」
余計、ルカとユウキが顔を歪めた。
俺は軽く首を傾げる。そこまでビャクダリリーを気にかける理由が分からないんだ。
白髪というだけで嫌厭の対処なのに、更にビャクダリリーは嫌な奴だ。
俺程では無くとも、少しはビャクダリリーを嫌ってると思っていたんだが……。
「あ、ヒラギが居ない……」
ルカがハッとした。
俺の前の席に座っていたビャクダリリーが、いつの間にか居なくなっているのだ。
認識阻害の狐面のせいで誰も気付かなかったらしい。
ルカがビャクダリリーが座っていた椅子に手を伸ばす。
けどそこには誰も居なくて、何にも触れられ無かった。
「なあ、ヨウ。ヒラギの事嫌いなのか?」
ユウキが申し訳なさそうに聞く。
「逆に、白髪が好きな奴なんて居るのか?」
ビャクダリリーへの嫌味と、素直な疑問を込めて俺は言った。
4.>>13
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.13 )
- 日時: 2023/03/26 18:58
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
4
選択授業の説明会。
授業開始の合図がなる前に大講義室に着くことが出来た。
ギリギリ間に合った、と俺はホッとする。
選択授業はクラス行動では無い。だから席は自由である。
俺はルカと共に教壇が見えやすい席に座る。
ユウキはビャクダリリーを探すとか何とか言って共に来なかった。
ユウキもビャクダリリーに結構言われていたのに、物好きな奴だ。
今まで友達が居なかった俺は、ルカとユウキから離れたくなかった。だからビャクダリリーが邪魔なのだが……。
まあ、二人がビャクダリリーを嫌いになるのも時間の問題だろう。
「生徒諸君、良くぞ集まってくれた! 只今より選択授業説明会を開始する!」
学院長が教壇に立ってる。説明会が始まるようだ。
相変わらずマイクを使ってないのに、心に染み渡る不思議な声をしてる。
大講義室内に『おぉっ』と生徒たちの籠った声が木霊した。
「学院長がいらっしゃるんだ」
横のルカがボソッと呟いた。
確かに、選択授業の説明会を学院のトップが行うのは怪訝に思うが、害がある訳でも無いだろう。
俺は「意外だな」と軽く返事をする。
「選択授業。自分の意思で学びの道を選び、自分の意思で技術を高めることができる。素晴らしいとは思わないか!」
学院長が身振り手振りを付けながら、聞き取りやすい声で言う。
生徒達の高鳴る胸の鼓動を更に巻き上げ興奮させる。早鐘を鳴らす俺の心臓と興奮に酔いそうになった。
『うおおおぉ!』
俺と同じ状態であろう生徒達が各々声をあげる。
バラバラの筈の呟きが一つの音となり大講義室に響いた。
俺も叫びはしないが興奮を煽られて視線が学院長から離れない。
ルカも大声では無いが興奮を口にしていた。
「本日から選択授業の見学が始まる。自分の体で経験を得て、様々な意見に耳を傾けつつ、自身のやりたいことを貫いてくれ!」
俺たちは現在最高のモチベーションを持っている。
これが〈夜刀教〉教祖、夜刀月季か、と感嘆の息を漏らす。
入学式に抱いた学院長への嫌悪感は、いつの間にかどっか行っていた。
「では本題に入ろう」
瞬間、空気が講義室内が凍りついたように静かになる。
全身にピリピリと静電気が流れるような感覚。
それに俺達の興奮は冷め、興味とモチベーションだけが残っていた。
「選択授業の殆どは専門の知識と技術を身につける事が目的であり、世界の発展に関わる重要な分野となっている。その中から二つ、君たちには選んでもらう」
学院長は身振り手振りを加え、文節に間を置き、聞き取りやすい声で説明を始めた。
「選択授業は八大魔法コース、精霊術師コース、憑依術士コース、召喚術師コース、魔素研究コース、陰陽師コース、魔法研究コース、魔具研究コース、加護研究コース、夜刀コース。この十種類がある」
学院長は何も見ずに板書を初め、ルカや他の生徒達はノートにメモを取り始める。
精勤なこった。
選択授業については入学案内書に大体書いてあった。保護者向けだから、生徒で読んだ者は余り居ないだろう。
しかし保護者不在の俺はそれを読んで、軽く暗記もしている。
今更説明を聞く必要も無い。
けど何かしら指示があったら困る。
俺は退屈とまでは行かなかったが、ぼーっとして学院長の説明を聞いた。
選択授業は別に強制では無いから選ぶコースは一つでも良いし、逆に受けなくても良い。
ただ、夜刀学院の目玉は選択授業の内容の濃密さだ。
受けないと勿体ない。
「次は憑依術士コースだ。このコースは全コースの中で一番入るメリットが高く、卒業後も夜刀である俺が全力で支援を──」
卒業後も学院長が支援? そんなの入学式案内書に書いていなかった筈だが──。
聞いたことがない憑依術士コースの内容に興味を惹かれた俺は、学院長の声に意識を集中させる。
「憑依術は素晴らしい! 生物の進化を助ける有力な研究であり、不老不死も夢では無い。
失われた技術である“憑依術”の探求をするのが、憑依術士コースだ」
ヤケに“憑依術”を強調するな。
憑依術ってそんなに重要な分野だったか?
まあ、生物の進化とか、不老不死に興味が無いから何でも良いが。
他にも色んななコースがあったなと、俺は入学案内の内容を思い出す。
5.>>14
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.14 )
- 日時: 2023/03/26 18:59
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
5
実用的な魔法について学ぶ〈八大魔法コース〉
魔法関連の職に就につくなら必須で、大半の生徒が選ぶ。
精霊について学ぶ〈精霊術師コース〉
魔物という生物について学ぶ〈召喚術師コース〉
都市ラゐテラだけに出現する謎の存在、妖怪について学ぶ〈陰陽師コース〉
魔素について研究する〈魔素研究コース〉
八大魔法とは違い、魔法の根本を研究する〈魔法研究コース〉
魔具についての研究をする〈魔具研究コース〉
特定の種族や個人が持つ〈加護〉について研究する〈加護研究コース〉
世界の治安を維持する夜刀教の派生団体、夜刀警団への入団に必要な事柄を学び、学院都市の治安維持も担う〈夜刀コース〉
魔法に関する科目が主だが、陰陽師コースと夜刀コースは例外らしい。
本職と変わらない事をするとか。
俺は八大魔法コースに入ることは決めていて、あと一枠空いている。
折角入学できたのだから、無理やりにでもこの枠を埋めたい。
しかし、全て俺の興味をそそらない。
俺はどのコースを選ぼうかと考えながら、“学院長の授業”よりも“教祖の演説”の方がしっくりくる話を聞いていた。
選択授業の説明が終わると、次は見学期間についての説明が行われる。
一定の期間、授業を見学したり体験たりすることが出来るらしい。
コースを選び悩んでいた俺にはピッタリだった。
「──では、今後とも精進してくれ」
リンリンリンリン
学院長がそう言った瞬間、授業終了の鐘が丁度鳴った。あまりにも都合が良すぎて俺は驚く。
学院長は美しい顔のパーツを微小に動かして笑い、生徒達に手を振りながら去る。
生徒達は一斉に動き出し、大講義室が騒がしくなった。
「ヨウー。選択授業どこ行く?」
隣に居たルカに問われ、俺は数秒考える仕草をした。
「夜刀コース」
将来のことなどキチンと考えられない。
"現在の目標"を達成することに精一杯だからだ。
仮に目標を達成しても、生きているか分からない。
けど、仮に俺が無事に卒業出来たのなら、人を助けたり犯罪を防ぐような治安維持に尽力したい。と思ってしまった。
夜刀コースにする。今決めた。
「夜刀コースかぁ。って事は夜刀師団にも入るの?」
ルカと俺は荷物をまとめ、大講義室の出口へ向けて歩きながら話す。
師団というのは授業、学年の枠を超えた集まり。簡単に言うと部活動である。
夜刀師団は夜刀コースの延長の様な物で、やることは大差ない。
強いて言うなら、師団の方が選択授業よりも楽といった所だろうか。
「嫌、俺は〈司教同好会〉だな」
「司教同好会? 聞いたことないんだけど、師団?」
「去年作られた師団で人数も少ないから『同好会』らしい」
俺はそう言うと、ルカよりも素早く歩き、追い抜いた。
大講義室の扉を開ける。
それを見てルカは焦るように俺を引き止めた。
「ちょ、ちょっと。この後見学でしょ? ヒラギとユウキとも……」
「行きたい所があるんだ。明日、ユウキと一緒に行こう」
俺はそう言って大講義室の扉を閉め、転移陣の上に乗った。
足元から黒い煙がゆっくりと出てきて俺を包み込む。ルカの無表情も黒く霞み、俺はその場から消えてしまった。
「面倒くさ……」
ルカが何か呟くが、内容は聞き取れなかった。
まあ、いいだろう。
俺は気にせず、目的の旧校舎へ向かった。
【終】
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.15 )
- 日時: 2023/03/26 18:59
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
《魔女への最高打点地雷》
1
一方その頃。
ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーは、学院都市の大通りを歩いていた。
認識阻害の狐面を被り、景色を楽しむ。
町は和風の風景であり、なんか京都の観光地みたいだな、とヒラギセッチューカは思っていた。
(いや、建物は京都の観光地よりも高いかもしれないなー。実際に比べられたら良いんだけど出来るわけ無いし)
ヨウからの毒舌など気にしていないのか、ヒラギセッチューカはそんな呑気なことを考えていた。
たまに馬車が通っていたり、他の都市からやってきた洋服の人が居たりと、街並みは和洋で入り乱れている。
しかし『和』という要素を少し入れただけで、これだけ懐かしい感覚に襲われるのは何故だろうか。
ヒラギセッチューカは不思議に思いながら歩を進める。
グウゥ……
様々な香りが人々の空腹を刺激し、ヒラギセッチューカも腹を鳴らす。
しかし彼女は一文無しに近い程の貧乏であったため、唾を飲み込み我慢した。
濃い青に輝く瓦を乗せ、白い外壁に包まれた建物にたどり着く。
ヒラギセッチューカは解放されている大きな扉を潜った。
白い砂の道に、池やその周りに生えている綺麗な黄緑の草木。薄桃の桜が、景色を鮮やかにしている。
ヒラギセッチューカは、その景色に、ほぅ……と息を漏らした。
学院都市の中央に位置し、和風の街並みに建っているにも関わらず、存在感を放っている寝殿造。
ここは〈陰陽師コース〉の活動場所であり、ヒラギセッチューカは見学に来ていた。
「妖怪って何なんだろ」
ヒラギセッチューカはボソッと呟く。
彼女は『妖怪』と呼ばれる物を知らない。
だからこそ、妖怪に深く関わる〈陰陽師コース〉に興味を持って見学に来たのだ。
玄関でブーツを脱ぐと、ヒラギセッチューカは見学の案内に沿ってとある教室へ行った。
陰陽師コースの教室は畳が敷かれ、縹校舎の教室よりも1.5倍程大きく細長かった。
既に見学に来ている生徒も居るが、狐面をつけているヒラギセッチューカには誰も気付かない。
彼女が並べられている文机の一つに正座すると、丁度先生がやって来た。
「陰陽師コースの見学授業──いえ、お試し授業を始めますよ〜。皆さん静粛にお願いしますね」
ひんやりとした女性の声が教室に染み渡る。
生徒は先生が来た途端黙り、先生に視線を集中させる。
先生はその光景を当たり前のように扱ってチョークを手に取り、話を始めた。
「今日は、皆さんに妖怪について、知って欲しいなと思っています。
都市ラゐテラだけに出現する謎の存在妖怪。今回の授業は、その妖怪に遭遇した際の対処法を──」
妖怪と言われ、ヒラギセッチューカは河童やから傘お化け等の古典的な妖怪を思い浮かべる。
しかし、彼女は〈妖怪〉が生き物なのか自然現象なのかすらも知らないため、時間の無駄と結論付けて、考えることを辞めた。
「妖怪は出現時に外界との繋がりを断ち切る結界を張ります。この中に入ると、妖怪を倒すまで出ることが出来ません。
まずは、結界内に入ってしまった時の対処法をお話しましょう」
外で弓の練習をしている上級生達の音をBGMに、先生は淡々と話す。
(結界を張る妖怪? ますます想像がつかないなぁ)
ヒラギセッチューカは自分の想像力の無さに悔やみながらも、先生へ視線を向けていた。
「まず、妖怪には近づかないこと! 妖怪は触った物の〈魔素〉を吸収する特性があるのです」
先生の言葉に教室の雰囲気が少しピリピリし始める。
妖怪のことを知らないヒラギセッチューカでも、先生の言葉を受け多少恐怖していた。
〈魔素〉と呼ばれる物は、酸素や窒素のように大気中に漂っているエネルギーであり、魔法を使う上では必要不可欠だ。
「魔素逆流……」
教室の生徒の誰かが、そう呟いた。
「そうです。妖怪に触れると〈魔素逆流〉を起こしてしまうので、本当に! 触らないようにしてください!」
先生は先程よりも大きく、ハキハキした声で生徒達に念押をする。
一部を除いてだが、生物は魔素を失っても死んだりはしない。
しかしヒラギセッチューカ含め、彼らは〈魔素逆流〉に対して恐怖を抱いていた。
魔素は血潮と同じように、決まった方向に生物の体内を流れている。その流れを少しでも乱すと激痛が走る。
下手に魔素を吸われると、痛みのあまり廃人化するのだ。
それが〈魔素逆流〉である。
「ですので、妖怪の結界に入ってしまった場合、妖怪に見つからないように隠れてください。
陰陽師の助けを待って──」
先生は、学院都市の地図を黒板に貼り始めた。
そこには学院や広場、避難専用に作られた施設に、目立つ丸が記されている。
避難場所が記された地図、簡単に言えばハザードマップである。
しかしヒラギセッチューカは妖怪の正体が不思議で、集中して話を聞いていなかった。
「妖怪って怖い……」
ヒラギセッチューカの前の文机に座っている女子生徒が呟いた。
「大丈夫だって。二人だったら怖くないよ!」
そして、その隣の女子生徒が励まし、二人で笑っていた。
その様子をヒラギセッチューカは微笑ましく思いながら立ち上がる。
学校指定であるフラットタイプの革リュックを背負った。
「陰陽師という仕事は──」
授業は未だ終わっていない。
しかし、狐面を被るヒラギセッチューカが扉を開いても、気付く者は居なかった。
2.>>16
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.16 )
- 日時: 2023/03/26 19:00
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
2
◇◇◇
演歌や童謡が店から流れ、土産を売る店が大通りを囲んでいる。
ヒラギセッチューカは寝殿造を出て、学院へ向かう一本道を歩いていた。
「上を向いて、歩こう〜」
ヒラギセッチューカは何となく知っている曲を呟き始めた。
彼女の狐面は便利で、声すらも周りの人は認識出来ない。
それを分かっているヒラギセッチューカは少し声量を上げ始めた。
「涙が、零れ、無いように」
人々の頭上には白と水色のマーブル柄が広がっていた。
ヒラギセッチューカはそれを見上げながら、高くか細い声を出す。
しかし雑音によってかき消される。
ヒラギセッチューカが履く革ブーツが、舗装された道を一定のリズムで叩く。
様々な音がひしめき合う中、何故か彼女の足音だけが鮮明に聞こえていた。
少しずつそれが大きくなる。ついには雑音が聞こえなくなった。
「ひとりぼっちの──あれ」
違和感を覚えたヒラギセッチューカは、一旦止まって前を見た。
そして彼女は気が付く。足音が大きくなっていたのではなく、雑音が無くなっていただけだと。
「誰も、居ない」
通りにはヒラギセッチューカしか居なかった。
流れていた民謡も、楽しそうに騒いでいた人々の声も、店員さんの声も。
まるで最初から無かったかのように、辺りはシンと静まり返っていた。
「人気の無い所まで来ちゃった? いや、そんな訳無い。こんなに店があるのに人気がないのはおかしいし」
ヒラギセッチューカは自身に言い聞かせるような独り言を吐いた。
街並みの彩度が低く見え、深海の様な暗い雰囲気が大通りを包む。
一つ息を吸うと生暖かい空気が口に入った。それが喉をヌルッと通過し、不安な気持ちになる。
ヒラギセッチューカは全身に鳥肌が立つも、何かが起きている訳でもないためか、無駄に冷静であった。
どぷんっ
沼から何かが勢いよく出てきたような音がした。
しかしここら一帯に沼は無く、ヒラギセッチューカは焦り、周りを見渡す。
すると彼女の後ろ、十メートル先の道のど真ん中にソレは居た。
「わぁお……」
彼女の視線の先には、直径5メートル程の謎の”黒い物体”が地面からゆっくりと出てきていた。
物理的に地面から出てきているのではない。
煉瓦道を液体の様に扱い、地面に波紋を作り、下からすり抜けて出てきている。
ヒラギセッチューカは目の前の光景に目を疑った。未知への恐怖で、ジリジリと”黒い物体”から離れる。
『シ……』
ギリギリ脳が音声と認識できる金属音のようなものが微かに響いた。
ヒラギセッチューカは下がるのを辞めてその場に止まる。
(何が、起こってくれるの?)
”黒い物体”が地上に出てくる様子をジッと見ていた。
もちろん、彼女はその様子に恐怖を覚えている。が、それよりも好奇心が勝ってしまったのだ。
”黒い物体”は全容を現す。
それは、直径6メートル程の黒く、モヤがかかった物で生物とは思えない。
その”黒い物体”は独りでに震え始めた。ズシャッという効果音と共に一つ、細長い何かを体から生やす。
ヒラギセッチューカはそれを興味深く見つめる。しかし、彼女は様子がボケてでしか見えていなかった。
白眼は元々視力が悪い。古血のように黒く霞んだ紅目は、視界が黒く霞んでいる。
更に彼女の狐面は、紅目の方だけにしか穴が開いていない。だから両目で確認することが出来ないのだ。
ヒラギセッチューカは必死で目を擦り、細め、前のめりになりながらそれを見つめていた。
「あれは、何だ? 細長くて、節が一つあって。
生えた棒先には五本の細長い棒が付いていて……。もしかして、腕?」
彼女が結論にたどり着いた瞬間、それに答えるようにズシャッと、何かが複数生える音がした。
墓から出てくるゾンビの様な不気味さと共に、”黒い物体”から何本もの腕が生える。
そして、その腕を使って”黒い物体”は立ち上がる。最後にもう一度ズシャッと、何かが出てくる音が出た。
『シ、ロ……』
最後に出た”ソレ”は、他の腕のように関節も指も無かった。
蛇のようにしなやかに動く”ソレ”は、宙で不規則な線を描いてヒラギセッチューカの目の前まで来る。
(何何何何っ?! 何故私に近づくの!)
ヒラギセッチューカはそう心の中で慌てながらも、ソレを見つめていた。
ヒラギセッチューカの目の前に来た黒い”ソレ”は、その場でピタリと止まる。
何かしら起こると思ったヒラギセッチューカは安心し、怪訝そうに”ソレ”を見つめた。
近くで見ると物体ではなく、微かに透けているように見える。黒い霧の集合体。と言った方が正しかった。
全く動かない”ソレ”に油断していたヒラギセッチューカは「ちょっと近くに行って見てこようかな」なんて呑気な事を考えていた。
──次の瞬間。
『シロオオォォッ!』
棍棒の先のようにのっぺりとして何も無かった”ソレ”。
その先が、冷凍ラーメンが沸騰した時のように、急に膨らみ始めた。
瞬きをする暇も与えずソレは、人の顔二倍ぐらいの大きさになる。
ソレの先端に現れた顔のような円球。その中心に割れ目が生まれ、ゆっくりと広がる。
現れたのは、手のひら二つ分の巨大な目玉。
それが、ヒラギセッチューカの顔を、見つめていた。
「すっごいねぇ……。こりゃお化け屋敷に使ったら大儲けだよ」
喉から飛び出るのでは、と錯覚するほど大きな心臓の鼓動。
その鼓動と共に、いつ吸っているかわ分からないテンポで繰り返される呼吸。
彼女の慌てっぷりは外から見ても明らかであった。
しかし、ヒラギセッチューカはそれを隠すように、ハハッと乾いた笑いを出した。
『……シロ? シロだ。シロだシロだシロシロシロシロシロシロ──』
先程の不気味な静寂が嘘のように、沢山の声帯を重ねたような音がヒラギセッチューカを叩く。
「逃げなきゃヤバいやつ……」
本来なら心に留めておくべき声が、震えた彼女の口から漏れる。
3.>>17
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.17 )
- 日時: 2023/03/26 19:00
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
3
ヒラギセッチューカは瞬時に踵を返して先程よりも勢いよく地を蹴り、走り出した。
それに反応した“黒い物体”は、全ての足で、ヒラギセッチューカの鼓動と同じテンポで地を蹴る。
二階建ての民家と同じぐらいの高さにある、巨大な胴体を太い五本以上の足が支える。
それらは絡まることなく動き、ヒラギセッチューカの元へ胴体を運んでいた。
「ハッ、ハッ、くっ……」
ヒラギセッチューカは顔を顰め、吐く息を噛み砕く。
土踏まずのツリ、関節がズレているのでは無いかと錯覚する違和感、太ももの痛み。
それらに襲われながらも、陸上選手顔負けの美しいフォームで彼女は走る。
しかし体の動かし方が上手くとも、痛みと元の力の無さはカバー出来なかった。
「はっや……」
ヒラギセッチューカは息を切らしながら、ズレている狐面を片手で直す。
一向に消えない複数の足音への焦燥感に耐えきれず、後ろを一瞥した。
彼女は知ってしまう。”黒い物体”がすぐそこまで迫ってきていることに。
「追いっ……つかれる……」
心の底から危険だと判断したヒラギセッチューカは両手を強く握り締め、胸に手を当てる。
魔法が発動する。
ヒラギセッチューカが地面を蹴った。
彼女は先程よりも走るスピードを上げ、“黒い物体”からジリジリと距離を離し始めた。
重心が前方向に引っ張らる。自身でも止められない速さと感じる。
ヒラギセッチューカは逆行する風に当てられながら、先程よりも安定したリズムで呼吸を行った。
苦しい事には変わらないが“黒い物体”から距離を取ることが出来たと確信した。
しかし、とある違和感に気付く。
「はぁ、はぁ。あれ? ここさっきも通らなかった?」
そう呟きながらヒラギセッチューカは道の角を曲がった。
陶器や木彫りが置いてある土産屋の数々。偶に子供向けの絵本や、玩具が置いてある店。
延々と続いていく気がする煉瓦の道。
ヒラギセッチューカは嫌な予感がしながらも、もう一度前の角を曲がった。
「うっそぉ……」
陶器や木彫りが置いてある土産屋の数々。偶に子供向けの絵本や、玩具が置いてある店。
先程と全く同じ街並みが彼女の周りを取り囲んでいた。
ヒラギセッチューカは絶望しながらも、必死に打開策を練るため頭を働かせる。
がしかし、同じ景色が続く原因どころか、”黒い物体”の正体も分からない。
策を練ろうにも情報が少なすぎるのだ。
かと言って、無策のまま走り続けたら確実に”黒い物体”に追いつかれる。
(どうしろっての、この状況……!)
ヒラギセッチューカは奥歯を噛み締め、強く思った。
腕を勢いに任せ振り、大きく足を前に踏み出し続ける。
もう、無駄なことなど考えずに戦った方が良いんじゃないか。
そう思ってヒラギセッチューカは首を捻り、”黒い物体”の様子を見た。
自身に伸びる黒い腕が視界に入る。
豪速球のように不気味な手のひらが、ヒラギセッチューカの足元目掛けて飛んでくる。
「伸びんの?! どういう体してんだっ!」
ヒラギセッチューカは怒りと恐怖が混ざった絶叫を上げ、前方に視線を移した。
そこには、もう何回通ったか忘れてしまった曲がり角があった。
足元に伸びてくる手を躱すことぐらい今のヒラギセッチューカにならできる。しかしタイミングが悪かった。
アスリートでもない彼女は、角を曲がるタイミング丁度に起こる妨害を躱す事は出来ない。
それでも曲がり角は迫ってくる。
(怪我はしたく無いんだよなぁ)
ヒラギセッチューカはそんな自身の我儘を胸の奥にしまい、歯を食いしばる。
角の所に前足を勢いよく出した。
ズザッと、煉瓦と靴裏が擦れる大きな音がする。
彼女はこの後起こりうるであろう事を想像し、一つ大きな息を吐いた。
出した前足を重心に体の方向を変える。
あとは前に踏み出すだけだ。
ヒラギセッチューカは重心だった足に精一杯力を入れて駆け出した。
と同時に、妖怪の腕が角を曲がり切れず壁にぶつかる。
バシャッと、水風船が割れたような音がした。
しかし、それを気にする余裕はヒラギセッチューカになかった。
「うあぁっ!」
ヒラギセッチューカは清々しいほどに勢いよく、前方へ転んだ。
重心として使った足には全体重を乗せるため、勢いが最高潮に達する。
それをスピードに上乗せ出来れば良いのだがそうはいかない。
その勢いよりも早く、もう片方の足を前に出さないと転けてしまうのだ。
そんなこと出来るわけないと確信していたヒラギセッチューカは素直に転ぶ。
「いっつ……」
地面は接待が下手で全身に痛みが走る。腕や頬にジャリっと食い込む小さな砂の感覚。
ヒラギセッチューカはそれを味わいながら立ち上がった。
この場で転けたら”黒い物体”に確実に追いつかれる。
そんなこと彼女も分かっていた。
立ち上がるのは無駄に近い行為だ。
それでも、上半身を起こして駆けだそうとする。
と、ヒラギセッチューカの真隣から謎の手が伸びてきた。
その先は影で奥が見えない裏路地。
彼女はすぐさま別の手の存在に気付き、乾いた笑いを出た。
「あー。死んだわコレ」
4.>>18
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.18 )
- 日時: 2023/03/26 19:00
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
4
ヒラギセッチューカは腕を何者かにガシッと掴まれ、真っ黒い大口を開ける路地裏に引っ張られる。
彼女は抵抗することを諦め、流されるまま暗闇に飲み込まれた。
「いたっ」
おもむろに引っ張られ、ヒラギセッチューカはまたもや転んでしまった。
火に炙られている様なヒリヒリとした痛みと、疲労で動かない筋肉。今すぐ痛みを消し去りたいが、今の自分には出来ないと分かっていた。
ヒラギセッチューカはこの後襲うかもしれない苦痛を想像し、諦めた様に仰向けになる。
太鼓のような音が高速で鼓膜を叩き、徐々に大きくなっていく。
それが“謎の物体”の足音なのか、自身の鼓動の音なのかは判別がつかなかった。
音量が最高潮に達した時、ヒラギセッチューカは無意識に息を大きく吸って、止めた。
(花見がしたいな)
恐怖と緊張で頭は真っ白。
唯一ヒラギセッチューカの頭に浮かんだ言葉は、そんなどうでも良い事だった。
地面からの振動を感じながら息を止め続ける。
指、腕、太ももから湧き出る熱湯が落ち、それが鮮明に感じるようになる。
左胸にある異物が、何回も内側の肉を押し出す。
“謎の物体”の足音が徐々に小さくなってく──
「あ、れ?」
その事に気付いたヒラギセッチューカは、安堵と戸惑いの声を吐き、呼吸を再開した。
体から熱気が漏れ、走ったことで不足していた酸素を必死で取り込む。
思考を回せるほどの余裕が無い彼女は、ただ呆然とすることしか出来なかった。
「大丈夫か?」
溢れ出る恐怖を包み込み、それを全て安堵に塗り替えてしまうような低く優しい声。
ヒラギセッチューカはそれに聞き覚えがあり、酸素を取り込む事を無理やり辞めて、名前を発する。
「狐百合 癒輝……」
ヒラギセッチューカを路地裏に連れ込み、助けた人物。
それは、光の反射なのか元々の色なのか判断が難しい白がかった赤い髪と、それと同じ色の瞳を持つ長身の男性。
入学式、ヒラギセッチューカとブレッシブの喧嘩の間に割って入った、ユウキだった。
また助けられたな、とヒラギセッチューカは意味もなく息を吐く。
「あ、あぁ。俺はユウキ。君は?」
ヒラギセッチューカは認識阻害魔法がかけられた狐面を被っている。そのため、ユウキはヒラギセッチューカを認識出来ていない。
初対面の誰かと思っているのだ。
ユウキは、自身の名前を当てられたことに焦りを見せる。
ヒラギセッチューカは鉄のように重い腕を動かして狐面を外した。
「ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー」
暗闇の中、微かな光を反射する白髪が現れる。
ユウキはそれに目を見開き、罰が悪そうに謝罪をした。
「ヒラギ?! すまん気付けなかった」
「いーのいーの。仕方ないって」
ヒラギセッチューカは笑いながら言うが、未だ落ち着いていないのか息を切らしている。
ユウキはせめてもの償いとして、ヒラギセッチューカの上半身を起こし、背中を擦った。
一定のリズムでヒラギセッチューカの背中を、丁度いい力加減で摩る暖かい手。
死人のように冷たく白い彼女の肌に、その暖かみが染みていく。
それに安心を覚えながら、彼女は再度狐面を被る。
しかし、ユウキはヒラギセッチューカを認識したまま。既に認識されている相手だと、認識阻害の効果は薄くなるのだ。
呼吸が落ち着き、声を出せる余裕が出てきたヒラギセッチューカは笑って言った。
「ユウキって、背中摩るの上手いね」
「言ってる場合か!」
「ごめんごめん」
と言いながらも、ヒラギセッチューカは楽しそうに笑っていた。ユウキは「真面目にしろ」とそれを咎める。
それを無視して、ヒラギセッチューカはため息のように言葉を吐いた。
「それでぇ、何あれ」
「俺も初めて見るから分からないが、多分、噂の“妖怪”じゃないのか?
陰陽師コースの体験授業で聞いた程度でしか知らないが」
「あぁ、〈都市ラゐテラ〉にだけ出るっていうアレ?」
「そうそれ」
ヒラギセッチューカはまず“妖怪”の見た目以前に、それが現象なのか生物なのかも知らない。
その為、あの“謎の物体”を妖怪と断言は出来なかった。
しかし、それ以外の可能性は思いつかない。
ヒラギセッチューカは消去法で、“謎の物体”は“妖怪”だと確信することにした。
「てことは、私達結構危ない状況だなぁ」
「もっと危機感を持て! 入学式の時もお前は……」
「ごめんって。危機感持つからお説教は勘弁よ?」
ヒラギセッチューカが悪びれない笑顔であしらう。
ユウキは不服に思うが、今は説教している場合でも無い。そう思った彼は、仕方なくその場で言葉を飲み込んだ。
ここまで読んでくださった方へ重大なお知らせ。>>19
5.>>20
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.19 )
- 日時: 2023/03/17 22:18
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: VNx.OVCe)
こんにちはベリーです。
私は盛大なミスをやらかしました。
投稿しなければならなかったお話 2レス分を投稿していませんでした。現在修正をして正常な話に戻りました。
端的に話すと、>>13-14の内容が大幅に変わったよ。お話が繰り上がったよって事です。
この創作、通称 俺為をこの先読むつもりだよ! って方がいらっしゃったら、>>13-14を読み返してください。お手数をおかけ致します……。
失礼しました。
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.20 )
- 日時: 2023/03/26 19:01
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: k8mjuVMN)
5
「危機感を持ったヒラギセッチューカは思い出しました。
妖怪に遭遇した時は、隠れて陰陽師の助けを待つべきだということを。
あと、学院都市には何かあった時の避難場所があるということを」
ヒラギセッチューカは、陰陽師コースの体験授業で習った事を、真面目とは思えない態度で言う。
ヒラギセッチューカに自身の言葉が全然響かず、ユウキは「ふざけるな……」と微かな抵抗しかできなかった。
それと共に、彼も体験授業の記憶を必死に掘り起こす。
「確か、妖怪は出現時に結界を張るんだったか」
「あぁ、だから同じ道が繰り返されるの」
ヒラギセッチューカは妖怪から逃げていた時の事を思い出す。
ユウキはその事を知らなかったのか「逃げ道ねぇじゃん」と苦い顔をした。
「そう言う時の為の避難場所でしょ!」
ヒラギセッチューカは笑顔でパチンと指鳴らす。しかし、ユウキの顔は晴れない。
「お前、どこに避難場所あるのか覚えてるのか?」
「覚えられる訳無いじゃん。学院都市どんだけ広いと思ってんの?
あっ……」
「そういうことだ」
ユウキもヒラギセッチューカも学院都市に来たばかり。一回の授業程度で避難場所を覚えられる訳が無かった。
それを理解したヒラギセッチューカは先程の明るい顔は何処へやら、神妙な容貌になる。
「ヒラギ、どうする?」
「もう陰陽師が来るまでひたすらに待つしか無いでしょ」
「妖怪に触れると魔素逆流を起こして、最悪廃人と化すんだぞ?」
ユウキの言葉に、ヒラギセッチューカは片手を口に当てる。そして、初めて真剣な声色で言った。
「本気でヤバくなってきたな」
「気付くのが遅せぇよ」
ヒラギセッチューカはムッとした顔をするが、考えることを辞めない。
(このまま路地裏にいても良いけど、妖怪に見つかるリスクは高いし、もっと安全な場所に移りたいんだよね。けど、そんな場所思いつかないし──)
ユウキもヒラギセッチューカと似たような事を考えていた。
しかし、幾ら考えを巡らせても良い案は思い付かない。
「一周回ってここで隠れ続ける方が良いかも」
ヒラギセッチューカは良い案が思い付かず、そう呟く。ユウキもそうだった様で「それしかないな」と、その案に乗った。
そして、二人は路地裏の壁に背中を着けて黙り始める。
激痛故に廃人と化し、軽いものでもトラウマになると言われる〈魔素逆流〉
妖怪に触れただけでそれを経験すると思うと、ユウキに悪寒が走った。
死ぬことは無いだろうが、最悪、死よりも恐ろしい経験をするかもしれない。
(考えるな。考えるな俺!)
そんなこと考えても、恐怖を膨らませる事にしかならない。ユウキは必死で自己暗示をした。
「〈魔素逆流〉かぁ。結界から出た頃には二人仲良く廃人になって、まともな考え出来なかったりして!」
ヒラギセッチューカはユウキのように恐れていないのか、それともバカなのか。能天気に笑って言った。
(なんで今その話をするんだよっ!)
ユウキは泣きたくなるが、そんな情けない事は出来ないと必死で抑える。
「お前、怖くないのかよ」
「めっちゃ怖いよ?」
「全然そうには見えねぇ」
恐怖でヒラギセッチューカのテンションに付いて行けなくなったユウキは、萎れた花のように呟いた。
それを見たヒラギセッチューカは苦笑いする。
「ごめんからかいすぎた」
「こんな状況で……。性格悪いぞヒラギ」
「否定はしないよ」
悪びれも無いヒラギセッチューカに、ユウキは何を言っても無駄だと理解する。
そして、三角座りをして膝に顔を埋めた。
相手を怒らせて楽しむ悪趣味があるヒラギセッチューカ。彼女は怒らず、自身を嫌う様子も見せないユウキに驚いていた。
(ユウキは懐が広いな。何かの主人公みたい)
そんなどうでも良い事を思いながら、ヒラギセッチューカも黙り始める。
妖怪の足音はあれっきり聞こえていない。
何処かしらに留まっているのか、消えたのか、陰陽師と交戦中なのか。
考えても仕方がないが、緊張感が走る空間で二人は何かしら考えずにはいられなかった。
視界には向かい側の建物の壁しか映っていないが、不満に思わず見つめ続ける。
すると、不意に自分とユウキ以外の物体が空を切り、近づいてくる感覚がヒラギセッチューカにした。
肌を芋虫が這いずり回るような悪寒が走る。
(何かいる?! 妖怪? 嫌、そんな訳ない! あんな巨体が路地裏に入り込めるわけ無いし)
先程まで熱湯のような熱さだった汗が冷水に早変わりする。彼女はその冷水を浴びながらゆっくりと顔を横に向けた。
『シ ロ だ』
ヒラギセッチューカの体温が無くなる。
「うわあぁっ!!」
ユウキの絶叫が木霊した。
路地裏の隙間から首だけを伸ばし近づいてきた妖怪。そして、二人を見つめる巨大な目玉。それが、ヒラギセッチューカの至近距離にあった。
彼女は、言葉と呼吸の中間のような音を口から出す。
「ぁっ、はっ……」
なんでここに? 死ぬのかもしれない。逃げなきゃ。ここで終わりだ。何故見つかった? ちょっと騒ぎすぎたかな。怖い。逃げるのめんどくさい。ユウキだけは。嫌だ逃げたい。面白! 痛いのは嫌だ。首だけ伸ばすとか頭良いなコイツ。体動かない。
ヒラギセッチューカの頭に、矛盾した感情と想いが溢れ出す。そして、何に従えば良いのかと混乱した体はそこでショートしてしまった。
「逃げるぞっ!!」
入学前は冒険者だったユウキは、判断が早かった。
自分の頭に溢れかえる沢山の指示よりも、外からの指示を信用したヒラギセッチューカの体はすぐさま立ち上がり、駆けた。
それに続きユウキも走り出す。
『シィィィロオォォ!!!』
不気味な金切り声を背に、二人は妖怪がいる方向と反対側の出口を目指す。そして、土産屋が並ぶ通りに出た。
「おいおいどーするこの状況!」
ヒラギセッチューカの後ろを一生懸命走るユウキが叫んだ。
「逃げる以外無いでしょ!」
「じゃあ、お前だけ逃げろ!」
迷いない、弓矢のように真っ直ぐな言葉がヒラギセッチューカを射抜く。
それに嫌な予感を覚えながらも、ふざけながら彼女は言った。
「は、図りかねる言葉が聞こえたんですが」
ヒラギセッチューカは後ろを振り向く。
いつの間にか、ユウキは自身の後ろの後ろを千鳥足で走っていた。
そして、そのすぐ後ろにいるのは先程の”謎の物体”──妖怪。
「俺は、ちょっと休んどくよ」
ユウキは「走るのが苦手だ」とは言わなかった。ヒラギセッチューカを不安にさせないようにしているのだ。
しかし、誰でもその青白い恐怖の顔を見るだけで、彼の心情は手に取るように分かる。
(めちゃくちゃ怖がってんじゃん)
そう思うと、ヒラギセッチューカは少し笑い声が出てしまった。そして言った。
「ゆっくり休んで!」
彼女は、クズと言われても仕方ない言葉を元気よく放った。
6.>>21
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.21 )
- 日時: 2023/03/26 19:01
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
6
「お前って奴は……」
ヒラギセッチューカに見放された筈なのにユウキは失望しなかった。
それどころか、無邪気な子を見る祖父のような優しい目で彼女を見る。
ユウキは疲れ果て、その場で立ち止まった。
迫る黒い手。不気味な五本指がゆっくりと開いて、ユウキの革ブーツを掴む。
「いっ……」
ユウキは恐怖で声をもらす。
しかし、痛みは襲ってこなかった。
彼はそれを不思議に思うと同時に、安心して体の緊張が解れる。
また別の手がユウキの胴体を鷲掴みにした。
その時。
「ぐあぁっ!!」
肉を、骨を。
いや、もっと繊維な部分。
血管一つ一つに人喰い蛆虫が這い回る様な激痛が、彼を襲った。
「いぁっ! あ゙あ゙ぁっ!」
痛みの原因はユウキを掴む黒い腕。それは彼も簡単に分かった。
ユウキは痛みを消したいがために必死でもがく。
声を枯らし、足裏で煉瓦を擦り、黒い腕を引っ掻く。
「だぁっ! だずげてぇっ!!」
しかし、藻掻く為に妖怪に触れると、魔素を吸われ、痛みは増える。
逃げたくても逃げられない。
逃げる術は無いと分かっていながらもユウキは暴れた。そして、暴れる力が徐々に減っていく。
遂には痛みに抵抗する精神力が無くなり、ユウキは脱力してしまった。
「あっ、あぁ……」
それでも激痛は無くならない。
脳を「痛い」という言葉が支配し、ユウキはもう何も考えられなくなっていた。
手足がピクピクと痙攣して目は充血する。
彼の肺から放出される空気は、嗚咽という名の音を出し続けた。
妖怪はユウキを持ち上げる。力無く宙にブラブラと揺れる両足。
ユウキは思考が停止し、自身の口から漏れ出す唾液をどうにかしようとも思えなかった。
もう終わりだとか、死ぬ実感だとか、絶望だとか。
そんな感情すらも与えてくれない激痛が遅う。
それが、〈魔素逆流〉であった。
「かっ、カァッ……」
ユウキが放つ言葉は最早ただの音だ。
それを妖怪は興味深そうに見つめて言う。
『シロダケド、チガウ?』
“妖怪”が探しているシロ。
“妖怪”が求めなければならないシロ。
それとは、全く違ったシロだった。
「──白って200色あるらしい、ねっ!!」
その声と共に何かがユウキを掴む腕に飛ぶ。
それは薄茶で、光を反射する程に綺麗に削られた木刀だった。
木刀は回転しながら一直線に飛び、黒い手首に刺さる。それでも木刀は勢いを止めず、遂には貫通して手首を斬った。
斬っても尚木刀は回り、弧を描いて元の場所へブーメランのように戻る。
「ぁ──」
手首が斬られた事により落ちるユウキ。
痛みから解放されたはずなのに、全身が麻痺したように体は動かない。
まず、状況が理解出来るほどの余裕もなかった。
(あぁ、落ちてる)
そう思った頃には遅く、地面は間近にまで迫っていた。
宙に突き出す自身の掌。何かに縋るように、それは揺れていた。しかし、何かを掴める気配もしない。
今出来ることは無い。
彼はそう悟った。
ユウキは腰から墜落する。
「ぐふっ!」
──と、誰かの汚い唸り声がユウキの世界に割って入った。
地面に落ちたとは思えない柔らかな痛みと、平らな道とは思えない凸凹した地面。
ユウキを迎えたのは歓迎下手の地面ではなく、ヒラギセッチューカだった。
「腰、腰がぁ……」
ヒラギセッチューカは喉から絞り出した様な掠れ声を出す。
ユウキは男性の中でも長身な方で、その分体重も重い。対してヒラギセッチューカは女性の平均的な身長だがガリガリにやせ細っている。
そのため彼女のダメージは測り知れなかった。
(痛いのは、嫌だ。痛かった。もう痛いのは──!)
解放されたと言うのにユウキは未だ恐怖で震えていて、意識が飛びかけていた。
痛がるヒラギセッチューカを見ても尚、ユウキは状況が理解できない。
それでも考えることを諦めはしない。
「らぁん、で……」
ユウキは『何故ここに居るのか』という疑問を投げかけたが、呂律が上手く回らない。
7.>>22
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.22 )
- 日時: 2023/03/26 19:01
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: LOQQC9rM)
7
それでも、ヒラギセッチューカはユウキの言いたいことを察していた。
「あのまま逃げてもユウキと同じ轍を踏むだろうし。戦う準備してきた」
ヒラギセッチューカは先程投げた木刀を見せながら、ゆっくりと起き上がる。
ユウキを見放しても自分が捕まるのは時間の問題。ならば戦うしかない。あの時、ヒラギセッチューカはそう即決した。だからユウキを囮にして武器を探しに行ったのだ。
その決断に躊躇いが無い点は、彼女の性根の腐り具合が窺える。
(まさか、買ったら後悔する土産トップ3に入るであろう、木刀があるとは思わなかったけどね)
ヒラギセッチューカはユウキの上半身を起こし、数回肩を叩く。
「というか、青年大丈夫? おーい」
焦点が合わず、口を開いて唾液を垂れ流すユウキ。脱力してヒラギセッチューカに全体重をかけて「あ゙あ゙あ゙」と唸っている。
それを見て流石のヒラギセッチューカも動揺し、おちゃらけた言葉に焦りが見えた。
『シロォ……?』
そんな二人を妖怪は興味深そうに見下げる。
そして、虫取りする子供のように、ゆっくりと二人に腕を伸ばした。
ヒラギセッチューカは危機感を覚え、必死で頭を回す。
(どうしよう。またユウキを見放す? けどこれ以上苦しまれると、流石に気分が悪い。
かと言って守りながら戦えるほど私も強くないし……)
刻一刻と迫る巨大な黒い掌。
ヒラギセッチューカの胸の音が決断を急かすように早鐘を鳴らす。
それを鳴り止ませたいがために、ヒラギセッチューカは自身の胸を鷲掴みにした。
『ヤット、シロ……』
妖怪の呟きに近い言葉が、その意味が、微かにヒラギセッチューカの脳裏を掠めた。
出会ってからずっと『白』を連呼するのに、ユウキを『チガウ』と妖怪は言う。
(相手の狙いは十中八九私だ。ということは、ユウキには興味無い?)
妖怪の掌の影が二人を覆う程までに近づくが、ヒラギセッチューカはもう次にやることを決めていた。
「こっち……。ほらほらこっちこっち!」
ヒラギセッチューカはユウキを寝かし、挑発しながら木刀を持って走り出した。
またもやユウキは置いてきぼりにされる。しかしユウキは置いてきぼりにされたことすら理解出来ていない。
ただ、ヒラギセッチューカが危険だと言うことは何となく分かった。
「あ、ぁっ」
ユウキが嗚咽を漏らしたと同時に、視線がヒラギセッチューカに釘付けの妖怪も動き出す。
長く太く多い腕を器用に動かし、妖怪は走り出した。
彼女の予想通り、妖怪の狙いはヒラギセッチューカだったようだ。
『シイィィッロォッ!』
妖怪の金切り声を背に受けて、ヒラギセッチューカの体に電流が走って震える。けど走ることは辞めない。
それどころかヒラギセッチューカは生意気に、威勢よく言った。
「妖怪さぁん! 正々堂々の一騎打ちしましょうよ!」
『マッテエェェッッ!』
妖怪は、まるではしゃぐ幼子のように叫び、スピードを上げた。
ダダダッと、リズム良く地面を叩く妖怪の腕々に焦燥感を煽られる。
それがもどかしくて、ヒラギセッチューカは落ち着つこうと胸を摩った。
ある程度ユウキと距離が開いたと判断すると、急ブレーキかけてその場で止まる。
止まらない妖怪。止まらない心音。
恐怖を、苛立ちを、興奮を、不安を。
右足をタンタンと鳴らし外に出す。
(妖怪ってなんの攻撃が効くんだろう。というか倒せるのかな。私の攻撃が全て無効になるかも──)
それでも彼女の不安は止まらない。しかし、これ以上感情を発散させる方法も余裕もない。
ヒラギセッチューカは想いの全てを自身の内側に押しこんだ。
勢いよく木刀を振り上げ、妖怪に向ける。
「“怖い”ってこういうことだったね。もう経験したくないな」
木刀を持つ彼女の手が、微かに震える。
体や脳の奥の奥。核に近い部分が叫び暴れる。逃げたい、怖い、行きたくないと。
しかし、逃げた方が苦しい目に合うだろう。
(どっちも嫌だな──)
ヒラギセッチューカは、妖怪に向かって走り出した。
8.>>23
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.23 )
- 日時: 2023/03/27 21:49
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: rOrGMTNP)
8
『シロッ! ヨコセエエエ!』
妖怪が体から幾つもの黒い腕を生やしてヒラギセッチューカに掴みかかる。
ヒラギセッチューカは簡単にかわした。
(あの勇者の剣術の方がよっぽど速いから躱すのはカンタン。
けど、油断して触れたら不味いし余裕はこけない──)
腕を躱すのは簡単だ。しかし、連続する単純な動きほど起こりやすいミスは無い。
ヒラギセッチューカは手に汗を握りながら慎重に、黒い手に触れないよう心がける。
だが、いつまでも避け続ける訳にも行かない。そう考えたヒラギセッチューカは一旦動きを止めた。
(なにかしら反撃しないと)
「〈参・氷塊〉」
初級である氷魔法の詠唱。
ヒラギセッチューカが唱えると、宙に手のひらサイズの氷が数多現れる。
それらは一直線に妖怪へ飛んだ。
危機を感じたのか妖怪は、体からまた何本も腕を生やして胴体をガード。
氷が妖怪に命中したのは同時だった。
「あれっ、効いてない?」
鳴った音はパリンでも無ければガシャンでも無い。ボトンッ。片栗粉水に落とした様な音だ。
黒い霧の集合体の様な腕に氷がゆっくりと飲み込まれて、消えた。
「まさかっ……」
──妖怪は触れた物の〈魔素〉を吸収する特性があるのです。
ヒラギセッチューカは陰陽師コースの体験授業を思い出す。
そう。妖怪は魔法を魔素として吸収している。
魔法が効かない上に魔素を吸収して強化もするのだ。
それに気付いたヒラギセッチューカは、絶望をため息として吐き出して呟いた。
「ファンタジーにそれアリ?」
”魔法”という攻撃手段を全て奪われた。ヒラギセッチューカを無力感が襲った。
(いや、悲観しても絶望しても、状況は変わらない)
ヒラギセッチューカは、手元にある木刀を力いっぱい握って自身を鼓舞する。木刀が落ちない程度の軽い力で握り直す。
と共に、向かってくる黒い手を睨んだ。
「ふんっ!」
掛け声を漏らして腕を振り上げる。
木刀は空気抵抗をほぼ受けず空を切り、妖怪の腕を叩いた。
「当たった?!」
ユウキを持ち上げられる程の強度があることは分かっていた。
けれど、物理攻撃がまともに効くとは思わなかった。
妖怪の正体が不明すぎるが故に警戒を強めていたヒラギセッチューカは驚く。
感触はあるが、人の肉ほど固く無い。
軽く木刀を振り上げて妖怪の腕に食い込ませる。と、紙粘土を切る様な感覚がした。
(もしかしてこれ、斬れるんじゃ?)
ヒラギセッチューカは更に力を加える。とても簡単とは言えないが斬れた。
黒く半透明な霧の塊。それが木刀の軌道に沿って、綺麗に散ってく。
斬られた腕は放物線を描いて地面にベチャッと落ちた。
形が崩れ溶けて魔素となり、蒸発するように消えて行く。
「……」
ヒラギセッチューカはその様子を憂い顔で眺める。
しかしそんな事をしてる暇など無い。隙をついて、また腕がやってくる。
ウゾウゾとしなる不気味な腕に、ヒラギセッチューカは背筋をゾッとさせた。
「うわっ!」
と驚きながら、反射神経が腕を斬る。
妖怪の体は紙粘土のようで、感覚的には斬ると言うよりちぎるという方が正しいかもしれない。
奇妙な肉体を斬り続けるヒラギセッチューカは、その感覚を噛み締めながら考える。
(学院長と体の作りは同じ? ますます”妖怪”の正体が分からない)
『シロ……シロヨコセ!』
妖怪に感情があるのか、痛覚があるのかは分からない。ただ妖怪は怒るように叫んだ。
ヒラギセッチューカは怯え、身構える。
雄叫びを上げた妖怪は、間髪容れず複数の腕をヒラギセッチューカに伸ばした。
遠心力で動かない体を力任せに動かして、またヒラギセッチューカはかわし始める。
「はぁ、はぁっ……」
呼吸が荒く、動きが鈍くなり、動く度に汗が地面に落ちる。
別にヒラギセッチューカは物理戦闘が苦手という訳では無い。
むしろ体質上、今の彼女には魔法より物理の方が得意まであるだろう。
しかしヒラギセッチューカの視界は元々悪く、その上結界内に漂う白い霧のせいで、視界情報が0と言っても過言で無いのだ。
(更に魔法無効とお触りNGって。キッツ……)
絞ったスポンジの様に汗が湧き出てくる。
狐面も蒸れて呼吸もし辛い。物理的に視界も塞いでるから邪魔だ。ただ狐面を外せる余裕がない。
9.>>24
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.24 )
- 日時: 2023/03/28 17:10
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: jfR2biar)
9
「打開策、何か打開策──」
追い詰められた余り、心の声を漏らしてヒラギセッチューカは考える。
妖怪の体を構成するのは恐らく魔素だ。
魔素というのは、存在の“核”から自然生成もされる。
生物ならばその“核”は魂。しかし、妖怪はとても生物とは思えない。
何かしら魂以外の核があるはずだ。
「目玉──。こういうのは目玉が弱点って、相場が決まってなかったっけ?」
それは、ただの仕様も無い勘である。くだらない、ヒラギセッチューカの。
しかし黒い胴体と比べて、白く大きく一番目立つ目玉に目をつけるのも、間違いではなかった。
“目玉が核”とヒラギセッチューカは自身の直感を信じきる。
そして、先程と同じように四方八方の腕をかわし続ける。全ての腕の根源である妖怪の胴体へと歩を進めながら。
ヒラギセッチューカの前方から腕が伸びてくる。
それは今までの様にしなっていなかった。
弓矢のように真っ直ぐと、ヒラギセッチューカの足元に伸びてくる。
(急に動きが単調になったな。疲れたのかもしれないし、好都合!)
その慢心が、命取りであった。
ヒラギセッチューカはその腕を軽くジャンプしてかわすも、着地点に先回りして別の腕が伸びる。
しかし目が悪いヒラギセッチューカは気付いて居ない。
「あ゙あ゙っ!!」
ヒラギセッチューカの足首に激痛が走る。
単純な動きの腕は、ヒラギセッチューカの気を逸らす囮だった。
妖怪が掴む足元から、蛆虫が肌を這い回る様な痛みが襲う。
魔素という体内のエネルギーを吸われているのに、溶岩が肉を裂き、骨に異物が入る様な激痛。
それが木の根のように足首からふくらはぎ、腰へと徐々に侵食していく。
「頭ぁいいねぇ! 魔素の塊のくせにっ!」
ヒラギセッチューカは自身の足を掴む腕を蹴りながら、皮肉を叫んだ。
魔素の塊で、正体不明で、生きているかどうかも分からない妖怪に、恐怖を越えて怒りが湧き出てくる。
痛みを吐き出すようにヒラギセッチューカはもがく。
しかし、腕は一向に離れる気配がしなかった。
ふと、学院指定のブーツを履いている箇所だけは痛くないことにヒラギセッチューカは気付く。
(このブーツは、魔素を通さない?)
魔素逆流の激痛に襲われるヒラギセッチューカにとっては今更な事だったが。
「こっの、ぐっぞ! 離して!」
ヒラギセッチューカは足首を掴む妖怪の腕を斬るために木刀を振り上げる。
しかし、それを阻止するように別の腕がヒラギセッチューカの腕を掴む。
「ひあ゙ぁっ!」
別の痛みの源が生まれてヒラギセッチューカは叫ぶ。
それが合図になった。妖怪から伸びる腕の全てがヒラギセッチューカに集まる。
電柱ぐらい太く、黒く、ウゾウゾと動く腕が白皙を隠す。
ヒラギセッチューカの胴体を絞める様に腕がまとわりついて、白が見えなくなっても尚、上から腕が重なり続ける。
「うぁっ、あ゙あ゙っ……」
ついにはヒラギセッチューカより一回り大きい黒い繭が作られた。
それは地面から浮いて、妖怪の胴体がある高さへ持ち上げられる。
(痛い痛い熱い熱い──何も感じない)
溶岩に焦がされ続けて神経が燃え尽きてしまったのか、ヒラギセッチューカは感覚が無くなっていた。
勿論、激痛も、紙粘土の様な黒い腕に包まれていることもヒラギセッチューカは感じている。
ただ、脳みそが麻痺してしまって何も感じていないと錯覚してるだけ。
(あぁ、地獄だ──)
ヒラギセッチューカはその感覚に覚えがあった。
死にたくとも死ねない。ただ痛みに身を焦がされ続け、絶叫し続け、何も考えられなくなるこの状況に。
(死ねたら楽になるのに、一向に死なない──)
ヒラギセッチューカは徐々に弱っていて、このままだと命が尽きる。
しかし、感覚が麻痺して身の危機を知らせる“痛み”という機能が働いてないヒラギセッチューカは、自身が死なないことに疑問を覚えていた。
(永遠に感じる痛み──)
恐怖の感情が脳から溢れ出てくる。
この痛みから、恐怖から離れたい。その気持ちだけがヒラギセッチューカの脳を這い回り理性を奪ってゆく。
頭の液体が物凄い勢いで蒸発していくような感覚と共に、ヒラギセッチューカの意識が薄れていく。
──ヒラギセッチューカの体が溶けてゆく
10.>>25
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.25 )
- 日時: 2023/04/04 17:47
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: eOcocrd4)
10
「ひらぎぃっ!」
薄れかけたヒラギセッチューカの頭に、稲妻のように声が走る。
刹那、前触れもなくヒラギセッチューカを包む腕の一部が抉れる。真っ暗な視界に外部の光が乱入した。
激痛で頭が働かない。それでも状況を理解しようと、ヒラギセッチューカは狐面越しに外を見た。
「あぁ、狐百合 癒輝──」
腕の向こうに映るのは、震えた足で立つユウキだった。
ユウキは何故か、片手を銃の形にして妖怪を指している。
ユウキが放った魔法が腕の一部を抉った。そうとしか考えられない状況にヒラギセッチューカは疑問を持つ。
(妖怪に魔法は効かない筈じゃ? まず魔素逆流を受けたのに何故立ってられる? 何故魔法を打てる?)
「ヒラギ出て来いっ!」
ユウキの怒鳴りに近い叫びに疑問が全て吹っ飛んだ。
恐怖と痛みから開放されるチャンス。それをみすみす逃しそうになった自分にヒラギセッチューカは怒りを覚える。
縛りが緩んでいる妖怪の腕。
ヒラギセッチューカは激痛を受けながらも、空いた穴に手を伸ばす。それを阻止するように、妖怪は新たな腕で穴を塞ぎ始めた。
徐々に消えゆく外界からの光。ヒラギセッチューカの腕は、力無く落ちようとしていた。
(別に、このまま陰陽師を待てば良い話だし──)
自身が妖怪に捕まっていればユウキに危険は無い。死ぬわけでも無さそうだし、無理に抵抗する必要は無いんじゃ。
何故必要に抵抗しようとするのだろう。
何故必要に痛みから逃れようとするのだろう。
ヒラギセッチューカは自分に言い聞かせて、諦め始める。
(違う、そうじゃない。なぜ私は夜刀学院に入学した。なぜ、自身の危険を顧みずに、皆を置いて、夜刀の傍に来た!)
効率とか、非効率とか、そんなの関係ない。
これは、ヒラギセッチューカという“人格”の。アイデンティティの問題だ。
「必ず貴方を救って見せるって! 晟大っ!!」
彼女は入学前、何があったのか。“晟大”とは誰のことなのか。
ヒラギセッチューカ以外、知る由もない。
ブチブチブチ
ゴムをちぎる爽快な音が鳴る。それは一向に止まることなく、連鎖する様に音が重なる。
黒い腕を蹴り、殴り、掴み、噛みちぎり。
ヒラギセッチューカは必死で脱出を試みる。
「いだい、いだいいだいいたい痛い痛い痛い!!!」
ヒラギセッチューカは喉という機能を上手く使わず。元々の白銀のような美しい声が出る喉で力任せに発声し、汚い声で叫ぶ。
考えていることは『痛い』
ただそれだけ。
さっきの決意が考えられない。過去も因縁も入る隙が無い程の激痛が襲っている。
それでも、体は自然と光に向かいもがいていた。
「あ゙ああぁぁっ!」
叫び声が発せられたのと、ヒラギセッチューカが解放されたのはほぼ同時だった。
腕から解放されたヒラギセッチューカは、重力に従って地面に落ちていく。
それを見逃すまいとヒラギセッチューカに伸びる黒い腕。
薄れゆく意識の中、必死でヒラギセッチューカは妖怪を見やって、木刀を強く握りしめた。
「くぅっ……」
空気を噛み砕くような声を出す。ヒラギセッチューカは落ちながらも、滑稽にもがき体勢を変えた。
伸びてくる腕に無理やり足を付けて、乗った。
さっきまで絶望感に苛まれていたはずなのに、今のヒラギセッチューカは微笑んでいた。
まるで、自身の恐怖を相手から隠すように。
夜刀学院制服のブーツは魔素を通さない。妖怪に魔素を吸収されない。
魔素逆流に苦しむことはないのだ。
ヒラギセッチューカは一切の痛みを感じないまま、妖怪の目玉に向かって走り出す。
目の前からやってくる黒い手。ヒラギセッチューカは微かに顔を動かす。ビュンッと風きり音が耳を撫でる。
でも、狐面越しに見える紅目の視線は妖怪の目玉から離れない。
『シロハ、シロハ、キレイ、ハカナイ、ダイキライ』
支離滅裂な妖怪の言葉。
怒りとも憂いとも思える声色、とヒラギセッチューカは感じた。
先程よりも早く、複数の腕はヒラギセッチューカを掴もうとする。
それを丁寧にかわす。斬る。足場を変える。
ヒラギセッチューカは目を細めて叫んだ。
「じゃあ、なんで欲しがるの!」
妖怪に返事をするほどの知能があるのかは分からない。
しかし、ヒラギセッチューカは問う。
ヒラギセッチューカは呼びかける。
妖怪は、返事をしなかった。
「──目玉」
ヒラギセッチューカの視界が、白い目玉で埋められる。
手元の木刀を足元に伸ばす。
そして、振り上げた。
11.>>26
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.26 )
- 日時: 2023/04/04 17:55
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)
11
『ビィヤアァァァッ!』
金属音と聞き間違えそうな叫び声が襲う。
目玉の切り口は、粘土を切ったような状態だった。
『ミエナイッ! タスケテ!』
人の言葉を話す妖怪はそう、誰かに助けを乞う。痛みを外に逃がそうと暴れ始める。
ヒラギセッチューカは腕から落ちないようバランスを必死に保つも、妖怪の叫び声が不快でつい、耳を塞いでしまった。
「うおおっ、あっ」
両手が塞がれたヒラギセッチューカはバランスを崩して、目玉の切り口に落ちてしまった。
妖怪の体内がどのような構造かは分からない。未知の漆黒がヒラギセッチューカを招き入れた。
(ユウキ、怖がりすぎてすっごい顔になってたな──)
目玉に落ちる直前、ヒラギセッチューカはそう強がる。
どぷんっ
入水音と共に妖怪の体内に入るヒラギセッチューカ。妖怪の体内は実際、液体のような物で満ちていた。
真っ黒で上下が全く分からない。この液体がなんなのかも分からない。なぜ息ができるのかも分からない。何故濡れないのかも分からない。
自身が、これからどうなるかも分からない。
分からない、分からない、分からない。
未知に包まれたヒラギセッチューカはゾッとしながら、周囲を怖々と見渡す。
と、暗闇にポツンと佇む一つの光が向こう側に見える。
赤白黄色、様々な色の“カケラ”を寄せ集めて作られた“タマ”
「あ、れ……」
反射的にヒラギセッチューカは息を止めた。
その“タマ”の数々は無理に合わさっている為か、カラフルなパッチワークの様に“カケラ”の境が目立っている。
それは妖怪の“核” 妖怪のエネルギー源
そして──
「クソッタレが……」
“タマ”の正体を、彼女は知っている。
“カケラ”の正体を、彼女は知ってしまっている。
ただただ、ヒラギセッチューカは無力感に打ちひしがれて木刀を握る。息を止める。視線を向ける。
「またもう一度、この地獄に戻ってくることを──」
ゆっくりと木刀の核に侵食する。それを拒むように、“カケラ”がドクドクと鼓動し始める。
しかし、ヒラギセッチューカは木刀に入れる力を弱めなかった。
『シ、ロ、ガ──』
妖怪と思われる、音が重ねられた声が液体に響く。
核は光の玉となりえ始めた。小さな光の玉が上と思われる方へ向かう。
上下感覚が無くなりかけていたヒラギセッチューカも、下と思われる方に落ち始めた。
「妖怪は──」
ヒラギセッチューカが居た、液体に満たされていた場所は妖怪の胴体だったらしい。
ゆっくりと落ちていたのに、妖怪の腹部から外に出た途端、重力に流され落ちてゆく。
このままでは地面に叩きつけられてしま──
「ぐはっ」
そんなこと考える間もなく、強い衝撃が襲った。
「いたっ、いっつぅー!」
未だ衝撃で振動する頭部を抱えて叫ぶ。
頭を強く打った後は動かない方がいい。理解しながらも、怯んでる場合じゃないとヒラギセッチューカは上半身を起こす。
魔素逆流の激痛によって不確かな手足の感覚に苛まれながら、妖怪が居るはずの空を見上げた。
白い霧が無くなった街並み。妖怪が暴れたせいか、店が荒れている。
真上には、目を焦がす程の光を放つ小さな宝石が一つ。
春特有の薄い青に包まれた終わりのない空は、全てを吸い込みそうな不思議な形態をしていた。
その空に、総天然色の玉が吸い込まれる。
触れば溶けそうな儚い光達は、妖怪“だったもの”とヒラギセッチューカは容易に分かった。
未知は未知でも、どこか人を落ち着かせてくれる未知の空。それに吸い込まれる沢山の光。
体の芯が熱くなるような絶景を前に、ヒラギセッチューカの瞳孔は揺れ続ける。
走っていた時よりも速く鳴る心音と、呼吸。
それに鬱陶しさを感じながら、ヒラギセッチューカは空に手を伸ばし、言った。
「あぁ、世界は何故こんなにも理不尽なんだろう。
何故、こうも美しいのだろう──」
その言葉の意図も、憂いの理由も、彼女が不気味に笑う理由も。
今となっては分からない。
思い出したくも、無いものだ──
12.>>27
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.27 )
- 日時: 2023/04/04 18:01
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)
12
学院都市には学年別に四つ寮が建設されている。ここはその中の一つ、縹寮の中庭。
木陰に座るヒラギセッチューカと、気絶するユウキが居た。
さぁっと爽やかな風が吹いて芝生が素直に傾むく。
夕暮れの空では、侵食を試みる漆黒を必死で橙黄色が抑えていた。
狐面越しに空を見上げるヒラギセッチューカは、感嘆の息を一つ吐いた。
「妖怪、妖怪かぁ……」
魔素逆流の痛みを思い出して自分の腕を握る。当たり前だが今は全く痛くない。
(アホらし……)
ヒラギセッチューカは自分を鼻で笑って、腕から手を離す。
と、ユウキが唸り声を上げて目を擦り始めた。
頭がぼーっとして視界もぼやけている。
そんな中、誰かが居ることに気付いてユウキは問いかける。
「ここ、どこ、だ……」
ヒラギセッチューカは無視して空を見る。
魔素逆流を受けると痛みの余り気が狂う。
軽い症状でもトラウマを植え付けられ、引きこもる者が大半だ。
妖怪を倒し終わった後、ユウキは激痛のショックで気絶。白目のまま泡を吹いて足も微かに痙攣していた。
どうせ起きてもまともじゃないだろう。ヒラギセッチューカはユウキを相手にする気が無いのだ。
そんな事より、起床後叫ぶであろうユウキをどう処理するか考える方が大切だ。
ヒラギセッチューカは模索する。
「ヒラギ、ここ、どこだ?」
覚醒したユウキのハッキリとした声が耳に入る。
驚いたヒラギセッチューカはユウキの顔を見て、数秒固まってしまった。
顔色は微妙によくないが、燃えるような赤い焦点があった目。口元には吹いた泡の跡があるものの叫ぶ様子は無い。
「あ、え、ユウキ無事なの……?」
ユウキがまともな状態と思って無かったヒラギセッチューカは、口をポカンとさせて呟く。
ユウキは状況を理解出来ていない。ヒラギセッチューカが驚く理由が分からず首を傾げた。
と、不思議な感触がする地面にユウキは気付く。
「ああ、膝枕。なんかごめんな」
ヒラギセッチューカは中庭の木にもたれかかって、ユウキに膝枕をやっていた。
ユウキは体をゆっくりと起こす。
「謝らなくても良いけど、私的にはもっと慌てて欲しかったなぁーとか思ったり?」
残念そうに言うヒラギセッチューカに、ユウキは「この歳になって流石にない」と苦笑いした。
「あの後どうなった」
ヒラギセッチューカの隣に腰掛けて、ユウキは聞いた。
「私が妖怪を倒して気絶してるユウキをここまで運んだ。部屋まで運びたかったけど、ユウキの部屋知らなかったからさ。中庭で目が覚めるのを待とうかなぁ、と。ユウキは無事なの?」
聞かれたユウキは体を捻る。怪我がないか確認するが、無かったから笑って答えた。
「ああ、無事だ」
けれどヒラギセッチューカが案じているのは別のことだ。
「そぉーじゃなくて! 精神の方!」
魔素逆流を受けたのにも関わらず、常人のように振る舞うユウキ。
それは麻酔無しの手術でも平然としている様なもの。ユウキの異常性にヒラギセッチューカは慌てた。
そんな事など知らないユウキは微笑む。
「見ての通り平気だ。そういうヒラギこそ大丈夫なのか?」
「え? あ、うん。平気」
ヒラギセッチューカはユウキの倍、魔素逆流を受けている。なのに彼女もケロッとしていた。
あの妖怪が弱いのでは無く、この二人が異常なだけだ。
「それは良かった。というか、陰陽師は来なかったのか?」
「いんや? 私が妖怪倒した後に来たよ。けど、見つからないように逃げてきた」
ヒラギセッチューカは勝手にユウキを連れて逃げたことに対して「ごめんね?」と謝罪する。
ユウキはそんなことは気にしていなかった。
「それまたなんで。新入生が単独で妖怪を撃破したと知られりゃあ、表彰される上に〈ランク〉も上がるだろうに」
自分が妖怪を倒せたのはユウキの魔法のお陰だ、とヒラギセッチューカは思う。
彼女は「単独じゃないけど」と訂正しながら、胸にある若草色のリボンを握った。
この世界──ディアペイズには、個人の強さを示すためのランク制度がある。
学院都市の外には様々な危険があって、自衛がある程度必要だ。強さを示すランクは大変重要な役割を果たす。
ランクは〈10(チェーン)〉から〈1(アインス)〉まであり、数が少ない程上級だ。それを証明するバッジもある。
学院では分かりやすいよう、制服のリボンとネクタイの色でランクを証明するのだ。
彼らは一番下のランク、10(チェーン)であり、若草色のリボンとネクタイを持っている。
ヒラギセッチューカは狐面から漏れる白髪を指で弄って、自嘲気味に言う。
「怒られるの嫌じゃん? それに、妖怪倒した程度で白髪が賞賛を貰えるほど、学院を甘く見てないよ。それが仮に、不可抗力だったとしてもね」
白髪は差別以前に、生まれること自体がおかしいという認識だ。それがどれほど美しかろうと、良い感情を得られることは無い。
(まあ、目の前の少年は白髪に恐れて無いっぽいけど)
と、ヒラギセッチューカはユウキをジトッと見つめる。
「じゃあ、なんで俺も連れてきた?」
「……」
ヒラギセッチューカは言葉に迷い、視線を泳がせながら黙った。
ユウキは慌てたように訂正する。
「あ、責めてるわけじゃないぞ? ただ、俺を連れてきてもヒラギに得は無いから」
「えっと、なんというか。ユウキは、目立ちたく無いだろうなぁって……」
首に手を当てて罰が悪そうに言うヒラギセッチューカに、ユウキは目を細める。
ヒラギセッチューカの言う通り、ユウキは余り目立ちたくない。ただの好みではなく、一身上の都合でだ。
しかし、それを出会って数週間のヒラギセッチューカが把握しているのはおかしい、とユウキは不信感を持って唸った。
「それは、どういう意味だ?」
「怖いよユウキぃ」
ヒラギセッチューカは言葉を間延びさせて、緊張感無く笑う。と、次は困った顔をしながら話した。
ふざけているヒラギセッチューカは百面相だ。
「妖怪に効く魔法を放てたり、魔素逆流を受けても正気だったり。どう考えても普通の人じゃないじゃん? 訳ありかと思って、私なりの気遣い」
ヒラギセッチューカは両手を合わせて頬に付け「お節介だったらごめんね?」と苦笑いした。
ふざけてあざとい態度を取るヒラギセッチューカを気に止めること無く、ユウキは難しい顔をする。
「お前らの種族も普通じゃないけどな」
罪悪感を抱きながらユウキは言った。
ヒラギセッチューカも魔素逆流を受けて平然としている。
更に勇者であるブレッシブに生腰で負けず、第一白髪。彼女も彼女で普通で無い。
ヒラギセッチューカの表情から色が消える。ユウキも冷たい笑みでヒラギセッチューカを見つめ、場の空気が凍った。
「はは、これは下手なこと言えないなぁ」
ヒラギセッチューカは焦りを隠しながら笑う。
ユウキの発言は「お前の弱みを握っている」と遠回しに伝えるものであった。
相手の秘密を口外すると、自分の秘密も口外されるかもしれない。俗に言うメキシカンスタンドオフと呼ばれる状態を、ユウキは作り上げた。
「でも、まあ。ユウキの秘密を独り占めできるなんて嬉しいなぁ」
シリアスに欠けるヒラギセッチューカの間抜けた言葉。
ユウキは少しの不快感を覚え、咎める様に言った。
「真面目にしろ」
「至って真面目じゃん?」
「嘘つけ」
ユウキの複雑そうな表情を見て、ヒラギセッチューカはクヒヒッと笑う。
「やっぱり“ユウキの前では嘘は吐けない”」
「……そうだな」
そこまで知られているのか、とユウキは口を一の字に結ぶ。
しかし、これ以上相手の秘密に干渉すると、二人の間に亀裂を入れるかもしれない。それは気持ち的にも良くない。
ユウキは別の話を振る。
「お前、あの時逃げたろ」
「あの時って?」
「選択授業説明会の前。教室で」
「あぁー、なんというか、あれは……」
保体授業後の休み時間、ヒラギセッチューカは黙ってその場から消えた。
それっきりと思っていた彼女は、焦りを隠すように狐面に手を当てる。
「あっ、この狐面便利なんだよ。魔素を狐面に送る量で相手からの認識レベルを調整できて──」
「ヒラギ。話を逸らすな」
ヒラギセッチューカは罰が悪くなってそっぽ向いた。ムッとして口を閉じるも、手に入るのは沈黙だ。その場から逃げれるわけじゃない。
ヒラギセッチューカはおもむろに言う。
「まあ、逃げたけど、それが悪いって訳でもないしさ? 玫瑰秋 桜の言う通り白髪と関わらないに越したことはないし。はいこの話おしまーい!」
「終わらせねぇ。ヒラギはそれでいいのかよ」
執拗に食い下がるユウキをヒラギセッチューカは冷笑する。
「しつこい男はモテないよ?」
ユウキは返事をしなかった。ただ真顔でヒラギセッチューカを睨んでいる。
ヒラギセッチューカは難しい顔をして、ぶっきらぼうに言った。
「いや、白髪ってソーユーもんですしぃ、おすしぃ……」
言葉を濁らせて場を乗り切ろうとするも、ユウキは一向に表情を変えない。
ヒラギセッチューカはその圧に耐えられなかった。「もぉー!」と拗ねた子供の様なことを言う。
「良いとは思わないよ? 嫌われるのって誰でも嫌でしょ」
「じゃあ、仲直りしないとな」
幼稚園児に言い聞かせるような言葉に、ヒラギセッチューカはムッとした。
「どーやって? 私白髪だよ? ヨウは話もしてくれないって」
と言ってはいるが、ヒラギセッチューカはヨウと仲を戻す気など無かった。端から戻す仲など無かったが。
ヨウは自分が嫌いで、その感情に対してヒラギセッチューカはどうこう言うつもりは無い。
嫌われるのは確かに悲しいが、ヨウを無理やり変えたいとは思わなかった。勝手に嫌えば良いという認識である。
無理に関係を築こうとするのはお互いにとって良くない──とヒラギセッチューカは考える。
「ヨウがお前を嫌う原因は白髪──もあるだろうが、第一は態度の悪さだ」
態度の悪さ。ヒラギセッチューカは多少なりとも自覚があった。
けれど辞めるつもりは無い。
だってヨウの反応面白いんだもん、とヒラギセッチューカは胸の内で不貞腐れる。
「やっぱ仲良くするのナシ。勝手に嫌っときゃーいーのよ、私も勝手にするから 」
ヒラギセッチューカは胡座のままバンッと音を立てて、木にもたれかかった。それでもユウキは腑に落ちた顔をしない。
(何でそんなにしつこいんだ? ユウキは)
彼女らは出会って1週間ほど。
仲違いに寂しさこそ覚えるだろうが、わざわざ自分を説得させる程の物じゃ無いだろう。
ヒラギセッチューカが怪訝に思うと同時に、ユウキも悩んでいた。
(どうすればヒラギとヨウの仲を取りもてんだ──)
くどいようだが、彼らは出会って1週間ほどである。
それでもユウキが彼女を気にかけるのには訳があった。
詳しくは分からないが、ヒラギセッチューカはワケありだ。それは薄々分かる。
ユウキはそれに親近感を覚えて、世話を焼きたかったのだ。
(せめて、友達は作って欲しいよな──)
お互いが悩んで会話が止まる。
訪れた沈黙に責められた気がしたヒラギセッチューカは口を開いた。
「というか、白髪なんて気持ち悪いからヨウの反応は正しいの!」
だからお節介を焼くな、という意味も込められていた。
ユウキは何気なく呟く。
「綺麗だろ、白髪もヒラギも」
「クッ……ん、んー! 知ってるしぃっ! 私美人だもんっ!」
ヒラギセッチューカは歯を噛み締めて、顔を俯かせて唸った。
照れ臭さかったらしい。
失言したつもりはユウキに無かった。ヒラギセッチューカの反応にギョッとする。
こんなキザなセリフを自然と出すユウキには恐れ入った、とヒラギセッチューカは悔しそうに顔を上げた。
「前言撤回、少年はモテるよ」
「何の話だ?」
ユウキは首を傾げる。
ヒラギセッチューカはそれ以上何も言わなかった。
「兎にも角にも、ヨウと仲直りしろよ?」
そう話を終わらせてユウキは立ち上がる。
と、ユウキの視界が途端に暗くなった。ぼーっと、頭にある一本の線が引きちぎれそうな感覚を覚える。
立ちくらみだ。
ユウキはフラフラと情けなく千鳥足でいる。
チカチカ黒く点滅する世界の中で、倒れまいと必死だった。
一方ヒラギセッチューカはそれに気付かない。
「去る者は追わず来る者は拒まず、なの私は。仲を取り持つなら“ユウキが”精々頑張っ──
ちょ、ちょっとっユウキさん?!」
ようやくユウキの異変に気付く。
嫌な予感がしたヒラギセッチューカは立ち上がる、と同時にユウキが後ろに倒れた。
焦りの息を漏らしながら、ヒラギセッチューカはそれを受け止める。
しかし180センチの男性はかなり重かった。ヒラギセッチューカはユウキを胸に転倒する。
尾てい骨を打ったヒラギセッチューカは、痛ぁっ、と弱音を吐きながらも、ユウキの顔色を伺う。
「やっぱり、魔素逆流に当てられて無事なわけないよねぇ……」
ユウキは青い顔をして唸っていた。
ユウキが魔素逆流で受けた精神的ダメージは相当のものだった。
ヒラギセッチューカとの会話で気を紛らわしていた様だが、立ちくらみで耐えられなくなったらしい。
「保健室──は無理だもんね。魔素逆流を受けた何て知られたら、妖怪と会ったこともバレちゃうし」
ヒラギセッチューカはユウキの治療法を模索するが、良い案は思いつかない。
ユウキは薄い意識の中で無理やり口を開いた。
「だ、大丈夫。時間が経てば治る……」
「確かにトラウマの特効薬は時間だけど──」
「おえっ」
と、ユウキが嘔吐いた。
ヒラギセッチューカは最悪の場合を想像して、思わずユウキを突き飛ばしたくなった。
でも病人を突き飛ばすなんて、と流石のヒラギセッチューカでも気が引ける。
(かと言って私が嫌な思いしたくないし──!)
そんな彼女の葛藤に、ユウキの嘔吐が終止符を打った。
吐瀉物が彼女の胸に盛大に撒き散る。
ユウキの大きな嗚咽が中庭に響いた。が、ヒラギセッチューカが狐面を使ったから、それに気付く者は居ない。
「……貸しだからね」
ヒラギセッチューカは苦い顔をしながら、ユウキの背中をさすった。
ユウキは申し訳なさで胸がいっぱいになりながら吐き続ける。せめて制服の弁償はしよう、と彼は決意した。
布越しに伝わる生温かさがヒラギセッチューカの思考意欲を奪う。
「あー、木刀どーしよ」
唯一浮かんだのは、店からパクった木刀のことだった。
【終】
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.28 )
- 日時: 2023/04/04 18:23
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)
《憎み愛》
1
〈白蛇教〉
普通に暮らしていれば耳に入らない宗教名だ。
世界各地で非人道的行為を繰り返しているのにも関わらず、目的も構成の詳細も全く分からない。夜刀教、夜刀警団と敵対している危険組織である。
〈メシア大司教〉
白蛇教に所属する七人の幹部。白蛇教が事件を起こす際は必ず、七人の内の誰か一人が中心となり、仕切っていると言う。
世界各地で大事件を起こしている、と噂されている。それなのに、メシア大司教メンバーの情報は欠片も無い。
きっと、彼らに会ったものは皆──
──なんでそんなこと知ってるの?
5年かけて調べたんです。様々な手段を使って情報をかき集めました。
貴族から、スラム街から、日に当たらない世界から。本当大変でした。
それでも掴めた情報はこれだけ。敵は手強いですね。
──何故、私たちがメシア大司教を追っていることを知っているの?
知ってはいませんでしたよ。
ただ“司教同好会”って言葉にピンときただけです。もしかしたら、同好会は俺と同じく“メシア大司教”を調べてるんじゃないかって。少し鎌をかけてみました。
仮に予想が違っていても、俺の言葉は戯れとしてごまかせますし。望み薄でも行きゃなきゃ損と思ったんです。
結果、ここに来て大正解だったという訳ですが──
そんな困った顔をしないでください先輩方。
ここ5年、俺もメシア大司教について調べていました。
けれど“司教同好会”の名前は一切聞きませんでした。それに廃団にならないってことは、活動内容は先生にバレていないのでしょう?
大丈夫です。
俺の運が良かっただけで、司教同好会がメシア大司教を追っている、なんて誰も分かりませんよ。
──何故、あなたはメシア大司教を追っているの?
それはこっちのセリフでもあるんですがね……。
一言で表すのは、難しいです。
けれど何も言わないままで信用を得ようとするほど、俺も強欲じゃありません。
長くなりますけど、大丈夫ですか?
断られても勝手に話しますが。
元々、その辺も包み隠さず話すつもりで来ていたので。
◇◇◇
今から5年前。
ある騎士が、夜刀警団に捕まりました。
貴重な魔物を無断で飼育したり、沢山の貴族、王族を誑し込んで政治を私物化したり。
私利私欲の為に友人を、貴族を、政治を、世界を狂わした大罪人です。
俺はソイツに奪われた。
父を、母を、兄弟を、幸せを──10年の全てを。
──何があったの?
どう、話すべきなんでしょう。
単純なことばかりな筈なのに、いざ言葉にするとなると詰まってしまう。
そうだ、順から話しましょう。
白夜1385年に俺は産まれた“らしい”。
実際に産まれた年は分かりません。もしかしたら、俺は15歳じゃないのかもしれない。
けど、今はそんなのどーでもいい。
俺は生まれてから10歳になるまで、とある屋敷の部屋に監禁されていました。
それを裏付けるかのように、昔の記憶は暗闇以外ありません。
監禁部屋の環境はすごく酷い。
一瞥しただけで全身の力が抜けるぐらい汚かった。
一つの扉から漏れる光だけが頼りの、真っ暗な部屋。
壁も床も鉄板で覆われてて、扉の前には鉄格子がありました。
部屋の鉄は何か魔法がかけられていたのか、何年不潔に晒されようが錆びません。
更に、床には死体──いや、死骸が広がっていました。
昨日“出てきたばかり”の死骸から、肉から顔を出した骨、完全に液状化した筋肉まで。
足の踏み場がありませんでした。
仕方なく、べちゃって変な感触がする死骸を踏んでいました。
1回踏むとネチャッて体液が粘り着いてくるんです。
触れると体が痒くなって、死んだ虫がジャリって肌を擦る。
ああ、気分を悪くさせたらごめんなさい。
──それは、なんの死骸なの?
ああ、これは。なんて言えばいいんだろう。
その死骸は全て、発見されたことがない生物──新種だったので、未だに名前が無いんです。
〈牙狼族〉って知ってます?
そうそう、絶滅危惧種の。
狼の見た目をした魔物です。
俺らは牙狼族と人間の混血、ハーフ何ですよ。
そんなの有り得ない?
俺もそう思います。
魔物と人間が──以前に、犬と人ですよ? 犬に手を出す人間とか気持ちが悪い。最低最悪だ。
ああ、話が逸れてしまった。面目ない。
早い話、その死骸は牙狼族と人間のハーフで、俺の兄弟“だった”モノです。
全部、死産でした。更には異型ばかり。
単眼だったり、足が無かったり、人の肌に犬の毛を中途半端に生したり。
そりゃあそうだ。人と牙狼族の間に生命なんて生まれるわけが無い。
ある筈がない。
けれど、俺という生命が生まれてしまった
魔物と人の混血として産まれた俺を見た親父は驚きました。
自分のやった事の大きさに気付き、叫び、暴れました。
暴れる親父は怖かったです。
でも、親父は毎日似たようなことをしていたから余り印象は変わりませんでした。
母親?
俺が生まれた時には、もう生きてるか死んでるか分からない精神状態でしたよ。
毎日死骸を“作って”いれば、そりゃあ、ね。
一通り暴れた後、親父は何事も無かったかのように過ごし始めました。
親父にとって、俺は死骸と同じ認識だったようです。他の兄弟と同じように、時間が経てば死ぬと思ったんでしょうか。
本当、反吐が出る。
もちろんそんな奴が動く死骸を気にかける訳が無く、ずっとご飯は与えられませんでした。
一応、肉はそこら中にあったから餓死はせずに済みましたが。
けど気付けば腐肉は食い尽くしてしまって、骨はもう欠片しか残っていませんでした。
母親もすぐ死んだ。すぐ溶けた。すぐ食べた。
もう、死骸は増えません。
ある日、どういう風の吹き回しか親父が飯をくれるようになりました。
白いドロドロの粥の様な液体。皿を鉄格子に投げつけて、床に飛び散ったソレを舐めた。
味は覚えていませんし、思い出したくもない。
なんで俺、そんなものを食べ続けたのに死んでないんでしょうね。魔物の血が関係してるんでしょうか。
今はどうでもいいか。
それが十年続いたある日。
白夜1395年4月1日──今から約5年前の話です。
さっき言った騎士が、夜刀警団に捕まった。
親父が、捕まりました。
先輩達なら、ここで薄々気付いてるでしょうね。
夜刀学院生だもの、頭が鈍いわけが無い。
でも、最後まで話させてください。
夜刀警団によって解放された俺は名前を貰いました。
〈玫瑰秋 桜〉という名前を。
なんで“桜”なのか、誰が名付けたのか。それは分かりません。
いつの間にかそういうことにされてたから。
けど、気にはなりません。
外の世界に出て、美味しいものいっぱい食べて、この世界の素晴らしさを知りました。
それと同時に、今までの環境の酷さも知った。
無知だった5年前の俺は、まず“酷い”という概念も持ってなかったんです。バカみたいでしょう?
苦しい、楽しい、恐怖、喜び、それらを知ってしまった時には、俺の体は憎悪が支配していました。
あの時地べたの肉を頬張らなくても、外にはもっと美味しいものがあった。
たくさん良い人が居た。ずっと独りでいなくても済んだ。誰かから愛を貰うことが出来た。
あくまでも可能性の話だ。分かっている。けど、
あの10年間、親父に囚われさえしなければ。
そうですね。俺は15歳。
まだまだ子供だから未来がある、と。
はは、牙狼族の寿命ってご存知ですか? 10~14年です。そこに人間の寿命がどう関わってくるか分からない。前例が無い新種だから、余計ね。
いつ死んでもおかしくない状態なんですよ、俺は。
今更頑張ったって多分、俺の望むものは手に入りません。
胸の奥からジワジワとどす黒い感情が湧き出て、目がジンッてするんです。
怒りでどうにかなりそうで、でもぶつける相手はすぐそばにいなくて。
もどかしくて辛くて仕方がない。
だから、親父に全部ぶつける。
俺の10年を奪った、強欲な親父に。
──復讐するんだ
親父が奪った物も、元々あったものも、全部全部奪い返してやる。
残り幾つあるか分からない寿命を使い潰して。
そう、この司教同好会にやって来たのは復讐の為。
夜刀警団に捕まってから行方をくらました親父を、探すためだ。
俺の親父はディアペイズ第十軍騎士団長。
そして、〈白蛇教 メシア大司教 強欲務〉
〈玫瑰秋 晟大〉だ
2.>>29
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.29 )
- 日時: 2023/04/04 18:20
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)
2
夜刀学院の端にある木造建築の旧校舎。
長年使われていないからか隙間風が強く、ギシギシと建物が軋む不気味な音がする。
構造は共通授業を受ける縹校舎と同じで、50もの教室がある。
〈司教同好会〉と呼ばれる師団は、その中の一室を使っていた。
少ない人数に不相応な広い教室で、俺は一つ息を吸う。
「俺の親父はディアペイズ第十軍騎士団長。
そして、白蛇教メシア大司教〈強欲務〉玫瑰秋 晟大だ」
ボロボロの椅子に座って俺は、話を〆た。
この場には俺を含めて4人も居る筈なのに、場には重い沈黙が落ちていた。
「すみません、出会い拍子にこんな話をして」
罪悪感に耐えられなくなった俺は沈黙を破った。
選択授業説明会が終わったあと、俺は一直線にここへ来た。
先に活動を始めていた先輩方との挨拶も程々に、俺は「白蛇教。余程のことがない限り──」と話し始めて、今に至る。
初対面の相手、しかも先輩に自分語りをするなんて大変失礼だったとは思うが、後悔はしていない。
「いいえ、聞いたのは私だから。こっちこそ、辛いこと聞いてごめんなさい」
鏡のように景色を反射してもおかしくない、キラキラと艶めく金色の長髪を持つ女性──大黒 聖夏先輩は申し訳なさそうに言った。
彼女が羽織る白いマントは俺と違い、翠色のラインが入っている。
俺ら縹の2つ上の学年、翠である証拠だ。
俺はヒナツ先輩にどう返せば良いか分からず口篭る。と、もう一人の先輩が口を開いた。
「サクラの目的は分かったが──」
「ヨウです。男です」
俺の名前は“桜”と書いて“ヨウ”と読む。初見でヨウと読める人は少ないだろう。
それでも口頭で名乗ったのに読みを間違う先輩にイラッとして、俺は訂正した。
「ワザとじゃ。何故お主は夜刀学院に来た。復讐に必要なかろう」
もう一人の先輩──エルザ・ツェッチェ先輩はクツクツと笑う。
ライトグリーンの宝石のような長髪と、同じ色をしたツリ目。パッと見普通の女性だ。上半身だけを見れば。
先輩の下半身は、黄緑色のフサフサな毛が生えた八本足の昆虫──蜘蛛だった。
巨大な蜘蛛の背中に、女性の上半身が生えている。
彼女の様な種族をアラクネ、と言う。
アラクネは150年前の〈人魔戦争〉をきっかけに、人間社会に溶け込むようになった魔族の一種だ。
それでも余り見かけないのだが。
先輩は橙色のラインが入ったマントを羽織っていて、俺の一つ上の学年、代々である。
「親父の最終目撃場所は都市ラゐテラ、夜刀学院──との情報を掴みまして」
俺以外の三人の吐く息が重なった。
裏付ける資料は持っていない。人から聞いただけだから。でも他に有力な情報は無いから、真偽不明でもこれに頼るしかない。
途端に自分が情けなくなって、俺は俯いた。
「俺はそれを追いに来た。先輩方、何かご存知ですか?」
親父の最終目撃場である夜刀学院で、メシア大司教を追う司教同好会。
もしかしたら何か知ってるかもしれない、と俺は淡い希望を抱く。
「……何も、知らない」
ヒナツ先輩はプイッと顔を逸らして、俺の希望を一瞬で焼き尽くした。
さっきまで優しかったのに何故、急に冷たくなったんだ?
少しだけ胸がモヤッとした。そんなこと知る由もないエルザ先輩は言う。
「部費目当てで師団の申請して同好会が出来たのが今年。
それまでに色々調べてはいたが当然、白蛇教関連の資料は公にされてなくてな。見つからんかった。
童らが知ってるのはメシア大司教の存在までじゃ。サクラと同じ地点にたっておる」
「ヨウです」
俺の即答にエルザ先輩は笑った。
こちらは全く笑えないが、流石に先輩は殴れない。せめてもの抵抗でキッとエルザ先輩を睨みつけた。
そういえば、白蛇教の資料は見つからなかったんだよな? 何故先輩達は白蛇教のことを、メシア大司教のことを知っている?
違和感を覚えた俺は先輩に聞く。
「先輩達は──」
「あと、ずっと気になってたんだけど」
ヒナツ先輩が遮ってしまった。
けれど時間は幾らでもあるだろう。今聞かなくても良いか。
それに、俺もずっと気になっていたことがある。
「なぜ、ブレッシブ殿下がこちらへ……?」
と、ヒナツ先輩が質問する。反射的に俺は、ヒナツ先輩の視線の先を見た。
名前を呼ばれた青年は動じずに言う。
「入団希望です」
エメラルドグリーンの短髪に、縹色のラインが入ったマントを羽織る体格の良い同級生。入学式にヒラギセッチューカと喧嘩をした、ブレッシブ・ディアペイズ・エメラルダ殿下がいらっしゃった。
彼がここにいる理由は俺にも分からない。
だって俺がここに来た時には、既に先輩二人と居たんだから。
聞きたいことが沢山あるが相手は王族。彼の逆鱗に触れたらとんでもない事になるだろう。入学式、ヒラギセッチューカがそうであったように。だから余り関わりたくない。
エルザ先輩も俺と同じ考えなのか、難しい顔をして黙る。
そんな中、ヒナツ先輩がおずおずと聞いた。
「え、えっと、大変恐縮なのですが、志望動機をお聞きしても?」
「俺はこの場では後輩。言葉は崩して頂いて構いませんよ。エルザ先輩も、玫瑰秋も」
軍人の様な威圧がある声で名前を呼ばれて、怯えて背筋を伸ばした。
まだ春だと言うのに汗が一粒滲み出る。恐る恐る殿下と目を合わせてみるも、仏頂面でいて怖かった。しかし、相手の気分を害してはならない。
数十秒の沈黙を挟んでよくやく、俺は「ああ」と返事する事が出来た。
と言っても、殿下の前で言葉を崩せる自信が無い。まず関わりたくも無い。
めんどくさい事になった、と胸の中でため息を吐いた。
「入団の動機は、えっと──」
殿下がチラチラっとエルザ先輩を見る。
これまで黙っていたエルザ先輩は「これ以上だんまりは出来んか」と残念そうに笑った。
「学院で道に迷ってたから、童がスカウトした」
「は?」「えっ……」
俺とヒナツ先輩の言葉が重なる。
道に迷っていた殿下をスカウトした?! エルザ先輩の行動に俺は驚愕して口をぽかんと開けた。
ヒナツ先輩は顔を青くする。
「エルザっ、何やってるの?! 不敬にあたるんじゃ──」
「王族なら白蛇教の事を何かしら知ってると思ってな。話してみたらビンゴじゃった。持ってる情報は童らと変わらんかったがな。褒めてくれても構わんぞ? ヒナツ先輩」
殿下も白蛇教のことを知っているのか?! と、思ってもいなかったことに驚く。
でも、考えてみたら腑に落ちるかもしれない。入学式、執拗に白髪のヒラギセッチューカに突っかかってたのは、白蛇教の存在を知っていたからか。
白蛇教と白の魔女と白髪には繋がりがある、という話はあるがあくまで噂だ。それでも“白”蛇教と名前に白が入っていて、魔女との関係を勘ぐってしまう。
殿下もその一人だったのだろう。
「ばっ、ばかぁっ!」
エルザ先輩が悪い意味で突飛で、ヒナツ先輩はそう声を絞り出した。
しかし、育ちが良いからか仕草が愛らしかった。本人は必死なんだろうが。
「でも、ブレッシブも入団希望なのじゃろ?」
「はい」
サラッと殿下を呼び捨てにするエルザ先輩。
「お待ち下さい。私達は事情があるから、危険を承知で活動してる。殿下──ブレッシブは違うでしょう 」
ヒナツ先輩もぎこちないながらも殿下を呼び捨てにした。殿下は気にしなかったが、仏頂面なのは変わらない。
「俺は勇者です。あの話を聞いて、退く事はできない」
殿下は義理堅かった。そして頑固だ。
ヒナツ先輩は困った顔をする。
「でも──」
「ヒナツ先輩。まだ縹に入れ込む時じゃない」
「えっ」
エルザ先輩の氷のように冷たい言葉が刺さって、俺は思わず声を漏らした。
縹に入れ込む時じゃないって、どういう意味なんだ?
「そう──よね。これ、名前書いて」
憂い顔を見せたヒナツ先輩は机から二枚の紙を取り出し、俺と殿下に渡した。
入団届と書かれた用紙である。一応入団は認める、ということだろうか。
「でも、形だけの入団。私もエルザも認めないから」
認められないらしい。
「なんでですか?」
俺は玫瑰秋 晟大──メシア大司教の息子だ。
どこに不満があると言うんだ。認められない要素がどこにあるというんだっ。フツフツと怒りが湧き出てくる。
エルザ先輩は微かに目を細めて、俺と殿下を一瞥する。
そして一つ溜息を吐いて、教室の隅にある革製のフラットタイプリュックを手に取った。
「水無の月にある縹学年行事、〈強制遠足〉を乗り越えてこい」
「二ヶ月後の行事? わざわざ何で!」
「でないと何も始まらんからのぉ」
俺の怒声を軽くいなして「童は帰る」と、エルザ先輩は教室から出ていってしまった。
状況が全く呑み込めない俺はその場で固まってしまう。
と、ヒナツ先輩もエルザ先輩と同じ、学校指定のリュックを背負った。
「──そういう事だから。次来る時は強制遠足の後で、お願い」
「なんで、勝手すぎる! 俺達を認める気がないなら、殿下をスカウトする必要なんて無いだろっ!」
「私達だってっ──! 縹は、あなた達は……」
ヒナツ先輩はそこで言葉を濁した。その言葉が意味深で、俺は首を傾げる。
と、何故か泣きそうな顔をしてる先輩に、殿下は聞いた。
「その、強制遠足というのは?」
「……」
ヒナツ先輩は扉に手をかけて止まる。俯いて何かしら悩んだあと首を軽く振る。
泣きそうな顔を凍らせて、先輩は無表情で言った。
「夜刀学院、最初で最期の鬼門。これ以上、話したくない」
パシッと扉を閉めて、ヒナツ先輩は行ってしまった。
本当に意味がわからない。と、俺は先輩が出ていった扉を唖然として見つめていた。
先輩達は何がしたいのだろう。俺達に入団して欲しくない、という訳でも無さそうなんだよな。その〈強制遠足〉とやらに何かあるのだろうか。
こればかりは実際に経験してみないと分からない。なら、ここに居ても仕方がないだろう。
それに、殿下と二人っきりなんて心臓が幾つあっても足りない。
俺も学院指定のバックを背負って扉に手をかけた。一言殿下に挨拶しようと、一旦止まる。
「俺も行くます」
ブレッシブ殿下は同級生だし、本人が言葉を崩して良いと言った。
しかし王族であることは変わらない。対応に迷った俺は敬語とタメ口が混ざってしまった。
恥ずかしくなって口に手を添える。殿下はぽかんと口を開けて、戸惑い気味に言った。
「お、お疲れ様ですます」
真似しなくていいんだよ。殿下は変なところで真面目だ。
余計恥ずかしくなった俺は、ヒナツ先輩と同じようにパシッと音を立てて扉を閉めた。
後ろを振り向かずに、踏む度にギシギシ鳴る床を歩く。
早く親父の情報が欲しい。早く親父を見つけたい。
その気持ちだけが先走って独りでに手足が震えてしまう。
もう同好会なんて入ら無くていいんじゃないか。なんて考えが脳裏をよぎる。
けれど、複数人で調査した方が親父に早く辿り着けるだろう。俺は司教同好会に入団したい。まずはその〈強制遠足〉とやらを乗り越えなければ。
同時並行して、ダメ元で白蛇教の資料を図書館で漁ってみよう。
窓の外から見える橙色の夕空を漆黒が侵食している。春特有の暖かい隙間風に当てられて深呼吸する。
旧校舎から出ると桜の花弁がヒラヒラと散っていた。
さっき自分の過去を振り返ったこともあり、ノスタルジックな気分に浸る。
「──桜」
俺、なんで“桜”なんだろう。
今まで一ミリも気にしなかった筈の疑問がふと浮かぶ。
けど考えても答えに辿り着くわけが無いから、すぐに脳内から消した。
どうせ、分かんないんだから。
◇◇◇
──閑話
親父は5年前、夜刀警団に捕獲された後に脱走したらしく行方不明だ。
自由を手に入れた俺は、その時間を使って親父を追っていた。
色んな人に聞きこみをして、現場に行って、時には危ない目に会ったりして。
そんな中で掴んだのが白蛇教、メシア大司教という存在。
逆に言うとそれ以外何も分からなかった。
親父の手がかりはゼロ。俺は行き場のない怒りを溜め込んで、泣きじゃくっていた。そんな時だった。
「少年──お困りかな? お兄さんが助けてあげようか」
一年ほど前だろうか。王都ネニュファールにあるスラム街をフラフラと歩いていると、誰かに声をかけられた。
俺よりも少し身長が高いが大人と呼べる程大きくも無い。むしろ小柄な男で、ローブを羽織って顔が良く見えない。明らかに怪しい人物だ。
気がたっていた俺は「チッ」と舌打ちで悪態をつき、無視しようと背を向けた。
と、男がぽんっと俺の肩に手を乗せたて、くっつきそうなぐらいの距離で囁く。
「君の探す男の最終目撃場所は都市ラゐテラ──蛇白桜夜刀学院だ」
初対面なのに俺の目的を知る男が、怪しい人物から危険な人物へと昇格した。
悪寒がビリビリっと足元から全身に駆ける。怖い。今すぐにでも逃げたい。
しかし、当時の俺は切羽詰まっていた。
「本当か……? 嘘じゃないだろうな!!」
飢えた犬のように吠え、目の前の大きな釣り針にがっついた。
「ホーントっ♪ けど、白蛇桜夜刀学院に入んなきゃなんない。少年じゃあ無理だから諦め──ちょ、ちょっと?!」
俺は走った。危険な男なんてほっぽって我武者羅に走った。
今思えば、怪しくても彼からもっと詳細を聞くべきだった。けれど、行動力の強さは昔からの俺の良いところだ。
その後はひたすらに勉強をした。タイムリミットは一年未満。俺は4年前外に出たばかりで、勉強するのはそれが初めてだった。
そして志望校は世界一の難関校と名高い夜刀学院だ。
合格は絶望的だった──が、合格したから俺は今ここにいる。
そんなわけで、俺は夜刀学院に入学した。
復讐の為に、この憎悪をぶつけるために。
首洗って待ってろ玫瑰秋 晟大。俺が必ず
──殺てみせる
︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎
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3.>>30 ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.30 )
- 日時: 2023/04/04 18:23
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)
3
学院都市の外れにある小高い丘。
赤髪の青年──ユウキは息を切らしながら、坂をゆっくりと登った。
結構登っただろう、とユウキは息を吐いて来た道を見回す。
ここは学院都市を一望できた。幾数もの黒瓦が光を反射して、白く鈍く輝いている。和風の建物が多い事もあり景色の色彩は低い。
けれど背景の清々しい勿忘草色で、不思議と暗く見えなかった。とても綺麗だ。
「ここか……」
坂道の脇にある、小さな建物の前でユウキは立ち止まった。
洒落た木造建築に、モダンでありながらも落ち着いたデザインの店構え。
手入れが行き届いたステンドガラスと、庭の植木鉢に植えられた天然総色の花々が風にたなびいている。
和風な建物が並ぶこの街では少し異質と言える、喫茶店があった。
それでもあまり目立つようでは無く、遠目から見たら民家と間違えてしまいそうだ。
ユウキは息を整えて扉を開けた。カランカランッ、とドアベルが鳴る。
「へらっしゃぁい! あっ……」
店の奥から、白銀のように透き通った声が飛んで来た。
(挨拶が雰囲気ぶち壊しだな)
ユウキは心の中で苦笑いする。
奥から洋風のエプロンを来た、声の主であろう店員が出てきた。パッと見女性か男性か分からない。
バンダナキャップを被っていて髪は見えないが、赤い目をしてるから炎系統適正者だろうか。
「あっ、あぁー! 初来店のお客さんかな?」
店員はハイテンションで朗らかだ。
「問題ないか?」
「全然無い無い! こちらの席へどうぞー!」
席へと案内される。そこでユウキはとある違和感を覚えた。
(店員が虚言を吐いた様な──いや、気の所為か)
ユウキは軽く首を振る。
案内された席は外の様子が見えるテーブル席。小高い丘にあるため都市の街並みが一望できた。
「ご注文はお決まりですか?」
店員は座ったユウキにメニューを差し出す。
「待ち合わせしてるんだ。友人が来てからでいいか?」
「かしこまりました〜!」
厨房へ向かう店員を見送って、ユウキは軽くメニューに目を通した。
選択授業説明会から数週間経った皐月の月。入学式から1ヶ月が経っていた。今日、ユウキはルカとこの喫茶店で話す約束をしていた。議題はヒラギセッチューカとヨウについてだ。
ルカとユウキは、嫌厭の対象であるヒラギセッチューカを気にかけていた。片方は恩から。もう片方は親近感から。
しかし二人共、ヒラギセッチューカとは選択授業説明会の日から会えずじまいだ。ユウキとルカの傍には大体ヨウが居るから、ヒラギセッチューカは近付かないのだ。自分を嫌う人物の傍に理由もなく寄る事などないから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
ユウキは煩わしいとまでは行かないが困っていた。
仲直りをさせるさせない以前に、気にかけている相手と会えない、と。それはルカも同じで、恩人に何も出来ないまま会えないのは嫌だった。
二人は一度、ヨウにヒラギセッチューカとの和解を持ちかけたが、ヨウは笑顔で「魔女と穏やかに解く仲なんてねぇよ。それより──」と、話を逸らすのだ。
一度作戦会議をしよう。ルカはユウキにそう言った。
カランカランッとまたドアベルが鳴る。
ルカが来たのだろうか、とユウキは反射的に扉に視線を移し、絶句した。
「えっ……」
「いらっしゃ……えっ」
店員も絶句した。
そこには長身に褐色と金髪。尖った耳を持ったエルフの少女、ルカと。
「こーんにーちはっ。赤髪の青年──ユウキってここに来てる?」
漆黒の長髪を1つに縛る、暗赤色の瞳を持つ長身のニコニコした男性。いや、女性──無性が居た。
夜刀 月季、学院長だ。
「なんで、学院長が?!」
信じられない光景にユウキは驚きの声を上げる。
ユウキに気付いた学院長は「おー、いた!」と笑って手を振った。
「俺もアオハル参加していい?」
「ユウキ、ごめん。捕まった……」
ゲッソリとした顔で謝るルカ。ユウキは困惑しながらも「ど、どうぞ……」と言葉を絞り出した。
店員に案内されて、ユウキの隣にルカは座る。学院長は二人の向かい側に座った。手作り感があるメニュー表を眺める学院長を前に、二人は石像のように動けないままでいる。
店員も同じだった。水入りコップを三つ置いて、「ご注文がお決まりになられましたらお呼びください」と逃げるように去ってしまった。
「あの、学院長。なぜこちらへ?」
厨房へ入る店員を横目に、ユウキはおずおずと聞く。
「あー、アブラナルカミがナンパされてたから華麗に助けたんだよ。そんで目的地同じだったから、一緒に来ちゃった!」
ニマッと学院長は笑う。学院長という自身の立場を弁えないふざけた態度である。
彼は様々な職や肩書きの持ち主だ。なのに呑気に生徒と喫茶店に来ることに、ユウキは驚きを隠せなかった。
「いや、軟派というか何と言うか……。ちょっとちがうというか……」
と、ルカは青い顔して額を抑える。どうやら学院長の説明には語弊があるらしい。ユウキは聞いた。
「えっと、何があったんだ?」
「それがさぁ、ここへ来る途中──」
◇◇◇
エルフというのは、この世界にとっては異質な存在であった。
それは単に珍しいからだけでは無い。しかし、それを知るのは一部の者だけ。過半数の人々は、珍しいからという理由でルカを白い目で見ていた。
ディアペイズの人々は無意識に、珍しい存在と白の魔女を結びつけて考えてしまう。エルフも白の魔女と何かあるのでは──と思わずにはいられないのだ。
「アブラナルカミ・エルフ・ガベーラ。外界との接触を絶っているエルフにも拘わらず、何故わざわざ故郷を出て夜刀学院に入学したのだ」
ブレッシブ・ディアペイズ・エメラルダも、その一人であった。
共通授業が終わったばかりのお昼時。人通りが多い繁華街のど真ん中で、ルカはブレッシブに通せんぼされていた。
通り過ぎる人々の視線が痛く、ルカは表情を歪ませる。
「関係無いでしょ」
「やましい事があるのならば、アブラナルカミの志望動機に俺は関係がある」
ブレッシブはガタイが良く、身長も175cmと同年代では大きい方である。しかしルカも177cmと長身だ。
睨み合う二人が放つ強い威圧感で、周辺はすっかり静かになっていた。
「やましい事って何」
「白の魔女──とか」
「珍しいからって、すぐソーユー架空の存在と結びつけるのはどーなの?」
外界との繋がりがシャットアウトされたエルフの里で育ったルカは、ディアペイズの人々とは価値観が違った。
白の魔女を十割型架空の存在と思っている。
「エルフも半分、幻の存在だ。疑わしきは罰する──とまでは行かないが、相応の事はする」
「ヒラギの時もそーだったけど、なんでそう極端な訳? あなた、友達居ないでしょ」
仏頂面だったブレッシブは、顔を引き攣らせた。歯をギリっと擦らせるも、態度は変えない。
「話を逸らすな。質問に答えろ」
「入学理由にやましい事は無い!」
「それを判断するのは俺だ。答えろ」
一向に引かないブレッシブにルカは恐怖を覚える。
(これ、私が答えるまで引かない奴だ)
とは思うが、ルカは素直に答えられる理由で、夜刀学院に入学した訳じゃ無かった。
即興の嘘でも吐こうか。いや、王族の前で下手に嘘を吐いても、調べられたら簡単にバレてしまうかもしれない。
ルカはブレッシブから目を逸らし、両手を握りしめた。
「答えろアブラナル──」
「やぁ、元気?」
と、場の雰囲気を壊す飄逸な声がブレッシブの背後からした。
気付かぬ内に背後を取られていた事に驚いて、ブレッシブはバッと振り向く。
「が、学院長……?」
ルカは驚きの声を上げた。
瞬きする前は居なかったはずの学院長が、目の前に堂々と立っているのだ。学院長はニッコリと笑って、ルカにヒラヒラと手を振る。
「偶々通りかかったんだ。
まぁたブレッシブ、喧嘩のバーゲンセールやってるの? ソーユーのはここぞと言う時にぼって売った方が儲かるよ?」
「貴方という人は……! まさか白髪に留まらず、エルフの入学まで黙認しているのですか!!」
「黙認なんて失礼な。公認だよ?」
「なおタチが悪いです!」
ブレッシブの言葉に学院長はうーんと軽く唸る。
不安そうな顔をしているルカを一瞥して、学院長は苦笑した。
「白髪はともかく、エルフに害が無いのは確実だからさ。ここは見逃してあげてくれない?」
それではまるで、白髪には害があると言っているようなものじゃないか。
聡いブレッシブは眉をひそめるが、今は白髪の話では無い。彼は思ったことを胸の奥にしまい込んでもう一度口を開く。
「信用できません!」
ブレッシブの声が辺りの空気を叩いて、ルカは思わずビクッと体を震わす。
うーん、と学院長は唸った。
「ブレッシブ。ナンパはもっと紳士的にしよう?」
「軟、派?!」
ブレッシブはその場で固まった。そんな気など全くなかったからである。それを面白そうに眺めた学院長は、流れるようにルカの手を取った。
ルカはその自然すぎる動きに驚いて「えっ?」と思わず声をあげる。
「例えば、こうやって」
と、学院長は軽くジャンプした。足に入れたであろう力と見合わない勢いで学院長は上空へ飛ぶ。
手を取られていたルカも共に昇った。
「え? えっえ?!」
ルカは状況が飲み込めない。ブレッシブも同じで、口をポカンと開けて見上げていた。
唐突に地上十数メートルへ連れてこられたルカは、恐怖で足をバタバタ──出来なかった。
何故なら、地に足が着いてたからだ。宙に浮いてるはずなのに。まるで透明な地面を踏んでいるかの様。
「足を前に出そうか。そうそう、歩けるでしょ?」
学院長に手を引かれ、ルカは見えない地面をゆっくりと蹴る。と、たった一歩で数メートル先まで簡単に飛ぶ。
重力が仕事をしていない。ルカはドッドッドッと鼓動を鳴らしながらそう思った。
「学院長! それでは軟派ではなく誘拐です!」
小さくなるブレッシブが叫んだ。
学院長は「はははっ!」と高笑いをして叫び返す。
「なら守って見せてよ勇者サマ!」
そんなこと出来るわけがない。ブレッシブは遠ざかる学院長とルカを眺め、怒りで拳を握りしめた。
底が見えない蒼を溜め込んだ空の元、ルカと学院長はゆっくりと歩く。
マントがバタバタと音をたてる程強い向かい風が吹いて、ルカはそのスピードの速さをヒシヒシと感じた。
新鮮な感覚に動揺しながらも、彼女は頭上の学院長に言った。
「あ、ありがとう、ございます……」
「どういたしまして! どちらへ向かわれるおつもりで?」
「丘の上の、喫茶店の──狐百合 癒輝との用事があるんです」
「あー、あそこ? 俺も行くところだったからさ、折角だから一緒に行こうか!」
「え、ええっ?!」
ルカは学院長の言葉にギョッとした。
学院長が良く言う冗談なんじゃないか、と思ったが、喫茶店が近付くにつれて学院長が本気であることが分かる。
(この人、自分を安売りしすぎじゃない?!)
一応学院長こと夜刀 月季は、この世界の君主と同等か、それ以上の権力を持つ。今回のようにカジュアルに接せられると心臓にとても悪い。ありがた迷惑であった。
喫茶店に近付くにつれ、高度も自然と下がっていく。
学院長の魔法なのは一目瞭然だが、その仕組みはルカも全く分からなかった。
羽毛のようにゆっくりと落ちる。ルカと学院長は静かに店の前に着地した。学院長は扉を開けて、カランカランッとドアベルを鳴らす。
「こーんにーちはっ。赤髪の青年──ユウキってここに来てる?」
そのまま喫茶店に入って、今に至る。
4.>>31
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.31 )
- 日時: 2023/04/04 18:24
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)
4
◇◇◇
「軟派……軟派?」
話を聞く限り、とても軟派とは思えない険悪さにユウキは困った顔をする。事実あれは軟派では無かった。詰問だ。
学院長はそれを分かった上でふざけている。と分かるユウキとルカは頭を抱えた。ブレッシブも苦労するな、とユウキは思う。
「で、二人は何故この喫茶店へ? 唯のデート?」
「でぇっ?!」
思わぬ学院長の言葉にルカは声を裏返す。ルカにそんなつもりは無いが、そう言われると嫌でも意識してしまうのが思春期だ。
意図せず頬が赤らんでしまって、それが恥ずかしくて余計顔が赤くなる。悪あがきでルカはイーッと嫌な顔をした。
「いえ、人間関係のいざこざで。ルカと相談をしようと──」
一方のユウキは全く意識しておらず、普通に返事をした。
(バカみたい)
ルカは自分だけ変に意識しすぎている事に、また恥ずかしくなった。横を向いて手で顔を仰ぐ。
それを微笑ましく思いながら、学院長はメニューを開いて二人に差し出した。
「なら、学院長がアドバイスしてあげよう。その前にほら、ご注文。早くしないと何も買わない嫌な客になっちゃう」
ユウキとルカはハッと我に返り、じわじわと罪悪感を感じた。早く注文を決めようと、メニューをまじまじと見る。
二人をニコニコと眺めながら、学院長は店員を呼んだ。
「あ、すみません、店員さーん!」
「待っ、私達まだ決まってません!」
「知ってる。だから早く決めよう!」
学院長はしょうもないイタズラを仕掛けて楽しんでいた。学院長ともあろうお方が、と忌まわしく思いながら二人は必死でメニューに視線を走らせる。
焦れば焦るほどアレは違う、これも気分じゃない、と悩んで中々決められない。
と、店員が足早にやってきて聞く。
「ご注文はお決まりですか?」
「あぁ、オススメある?」
学院長の問いかけに、店員は緊張気味に答えた。
「オススメは店長が淹れたコーヒーですね! あとこのフルーツケーキと相性抜群っ!」
「じゃ、じゃあその二つで!」
どっちつかずで決められなかったルカは言う。学院長もルカに続いて「俺も同じのを」と頼んだ。
「俺は甘いもの苦手だからコーヒーと、ビターチョコクッキーで」
「お客さん大人〜! ご注文は以上で宜しいですか?」
ルカとユウキが頷くと、店員は受けた注文を復唱して厨房へ向かった。学院長はメニューを元の場所に戻して二人に聞く。
「そういえば、相談って?」
ルカとユウキは顔を見合わせる。まだ学院長に相談するかどうか悩んでいるのだ。でも二人で話しても解決策は出そうに無い。
数秒躊躇ってルカは口を開いた。
「えっと、ヨウとヒラギが──」
入学式でのこと、選択授業説明会の前に起きた事を大体伝える。何とか和解させたい。そうじゃないと恩人であるヒラギセッチューカに会えない。と、ルカ自身の意思も話した。
あらかた聞き終わって、学院長はうーんと軽く唸って聞く。
「玫瑰秋 桜と、ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーは和解を望んでいるのかい?」
ルカは罰が悪そうに学院長から視線を逸らした。
ヨウはヒラギセッチューカとの和解を望んでいないし、ヒラギセッチューカの意思も知らない。
ルカは自分勝手に二人を仲直りさせようとしていて、本人達の意思は汲んでいないのだ。
しかし、ルカはどうしても二人を和解させたかった。
エルフの彼女はどうしてもクラスの輪から外れてしまう。その前に、友達すら出来ないだろう。恩があるというのは都合の良い建前で、本音は幸運に掴んだ友人であるヒラギセッチューカを離したく無いのだ。
それに、ヨウの高慢さを見たルカは、ヨウと仲違いするのは時間の問題、と考えていた。だから余計、ヒラギセッチューカと仲を深めるために会いたい。
ヨウが邪魔なのだ。
「ヨウは望んでないです」
と、ユウキがハッキリ言った。ルカは自分の非が増えた気がして顔を青くする。
「白の魔女という存在がヨウの色眼鏡にどれほど影響してるかは分かりません。ただ、ヒラギの中身が好きでないのは本当、だと思います」
「アレ、クズだもんね」
学院長はケラケラと笑った。
生徒であるヒラギセッチューカを“クズ” “アレ”呼ばわりなんて、学院長も人の事を言えない。
ユウキは不快感の黒霧に胸を包まれてモヤッとするも、話を続けた。
「それでも、俺はヒラギとヨウに仲直りして欲しいと思います。からかうヒラギも悪いが手を出すヨウも悪い。俺らの都合がどうであろうと、お互いに謝るべきなのは変わらないでしょう」
学院長は水を一口飲んで「一理ある」と言葉を零した。
「それで、ヒラギセッチューカはそれを望んでいるのかい?」
「『去る者は追わず来る者は拒まず、なの私は。仲を取り持つなら“ユウキが”精々頑張って』と、ヒラギは言っていました」
ルカはそれが初耳であった。
いつの間にヒラギセッチューカと会って聞き出したのだと驚き、目を見開く。
「なるほど、好きにしろと……」
学院長はそう彫刻の様な綺麗な微笑みを浮かべる。
それがあまりにも不気味だったため、ユウキはゾッとして聞いた。
「えっと、お気を悪くさせてしまったら申し訳ございません」
「いや、そんなことないよ? 怖がらせてごめんね」
さっきの石像の様な硬い微笑みから一変、申し訳なさそうに苦笑した。
ユウキは視線を鋭くさせる。
飄々とする学院長への怒りではなく、微かに湧き出る恐怖からで。
学院長は態度がふざけている事もあり親しみ易いが、ふとした時にゾッとするような、恐ろしい雰囲気を放つ事がある。
ユウキはそれが怖かった。
「玫瑰秋とヒラギセッチューカか……」
学院長は手を顎に添え、窓の外を眺めて考える。ユウキとルカにとって居心地が悪い沈黙が生まれた。
生徒同士の仲は良いに越したことはない。ただ学院長にとってヒラギセッチューカは別だった。
白髪のせいで人々が恐怖するのは良くない。目立つ行動をとって無駄に人々の神経が張り詰められる事となると、余計だ。ヒラギセッチューカがそんな事をするとは思えないが、玫瑰秋が関わると断言は出来ない。
このままの状態でいてくれれば好ましく思うが──
(ヒラギセッチューカと玫瑰秋が和解しないと、アブラナルカミがクラスで浮いちゃうんだろうね)
学院長は無意識にルカを一瞥する。ルカは怯えて身体を震わせた。ルカはエルフであるため、嫌でもクラスで浮くだろう。それでも友人が居ると居ないとでは雲泥の差である。
ルカの友人が多い──居場所があると、他生徒と関わる機会が減る。生徒達が無駄にエルフを怪しみ、怯えることも無くなるのだ。
学院長にとっても、ヒラギセッチューカとヨウには和解して欲しい所である。しかし──
「はぁっい! おっまちどーさま!」
と、明るい店員の声が手榴弾の如く学院長の思考と場の沈黙を破った。
声をかけられるまで店員の存在に気付けなかった学院長は、驚いてバッと店員の顔を覗く。暗赤色の瞳に映ったのは、そこら辺に居るような存在感の無い普通の顔だった。
「店長のオリジナルブレンドコーヒー二つとフルーツケーキ二つ! ビターチョコクッキーでーす!」
店員はハイテンションで、お盆の品を机に乗せてゆく。コトンッと、机に陶器が擦れる音が不規則に鳴る。
目の前に置かれたコーヒーから出る湯気が、ユウキの頬を撫でた。スンッと一息吸ってみると、香ばしくもフルーティーと、矛盾した温かいアロマが顔面の内側全体に広がった。
美味しそうなコーヒーだ、とユウキは自然と口角があがる。
と、注文した記憶のないスイーツが一種類。
ルカは怪訝そうに聞く。
「店員さん、ナニコレ?」
白い皿に乗った無地の枡が三人の前に置かれた。枡の中には鶯色の豆腐が入っていて、上から濃い緑の粉末がかけられている。
匂いを嗅いでみると抹茶の香りがする。初めて見る食べ物にユウキとルカは首を傾げた。
「抹茶の粉末を入れた蒸しプリン。抹茶プリンです!」
「ネーミングまんま何ですね。でも、私達頼んで無──」
「店長がサービスと。是非召し上がってください!」
店員が白皙の手を広げて、どうぞとジェスチャーを行った。サービス──学院長が居らっしゃるからか。とユウキは納得する。
学院長は枡を両手で軽く覆い、笑って言った。
「ありがたく受け取らせてもらうよ。あの頑固者店長にお礼言っといて?」
「会計際に店長を呼びます。その時にご自身でお礼してくださいっ。では、ごゆっくり」
店員はお盆を胸に、綺麗な一礼をして空気に溶け込むように去っていった。
5.>>32
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.32 )
- 日時: 2023/04/04 18:24
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: cvsyGb8i)
5
ルカは枡をチョイチョイと突っついて顔を顰める。
「あの抹茶の粉末を入れたプリン……。美味しいのかな?」
ルカが想像するのは、ミルクで柔らかくなった卵黄色に、キャラメルをとろりとのせたプリン。
あんな甘いデザートに苦い抹茶を混ぜるだなんて、想像力が一歩道を間違えればゲテモノ料理認定してしまいそうだ。
ユウキも、ルカと同じように、密かに抹茶プリンに嫌悪感を抱いていた。
抹茶プリンの前に葛藤するルカを見て、クスッと笑う学院長は言う。
「百聞は一見にしかずだ。一口だけでも食べてみない?」
学院長が言うなら──と、二人は木のスプーンを手に取った。
粉末越しと言えど、光を反射する妖艶な鶯色。それを一すくいした。粉末が升の受け皿に少し零れ、ぷるんっとゲルが分裂する。
雨上がりの若草の様にキラキラと輝くソレを近づけると、濃縮感ある抹茶のいい香りがした。
ルカは香りに引き寄せられて、抹茶プリンを口に運ぶ。軽い力でプリンが崩れ始めた。口の中でほろっほろっ、と。普通のプリンより柔らかくは無いが固すぎず、自然と口と一体化してく。
抹茶だから苦いと身構えていたが、ルカは肩透かしを食らった。それも良い意味での。抹茶は苦味を楽しむとモノと思っていた。けど違った。
プリンの甘みで苦味が消えて、抹茶の旨みしか喉を包まないのだ。かと言って完全に苦味が消えたわけじゃない。甘みと上手く溶け合っている。とてもおいしい。
(でも、もっと柔らかいプリンが好きなのよね。これはこれで美味しいけど合わないかも)
口の中に広がるほろ苦味を感じながらルカは思った。と、異変が起こる。プリンがトロトロに溶けてきた頃、全ての苦味を包み込む様な甘みが広がった。
私は考えが浅かったかもしれない、とルカはハッとする。このプリンはこの固さでいいのだ。逆にこの固さでないとダメだ。
柔らかいプリンは口に入れた瞬間、溶けるように消えてしまう。そしたら、後に広がる抹茶プリンの甘さを感じられない。
甘味を噛み締めるためにわざと口の中に残りやすい、硬いプリンになっているのだ。
「プリンおいひぉ……」
ルカはつい声を出した。しかし、パクパクとプリンを口に運んでいて発音が出来なかった。
プリンを平らげてしまったルカは、フルーツケーキに手を出す。
白いクリームを身にまとい堂々と佇む三角形のケーキ。イチゴやオレンジ、ビワやメロン、野いちご、旬の宝石が溢れんばかりに乗せてある。こういうケーキはどこから切ったらいいのか分からない。
取り敢えず、と野いちごが乗る三角形の先端にフォークを刺して口に運んだ。野いちご独特の酸味がパチパチっと弾け、生クリームがそれを優しく包み込む。
酸味と甘みのバランスの良さで口角が上がった。
今度はイチゴとメロンを一気に食べよう。ルカは大口を開けてケーキを頬張る。イチゴとメロン。一緒に食べることなんて基本ないけれど、彼女は美味しいと確信していた。
実際、美味しかった。ジューシーな二つの果物。
どちらも糖度が高く舌触りも良い。それらを包み込む甘い濃厚なクリームとスポンジ。甘みが口のなかいっぱいに広がって幸せな気分だった。
甘いのが苦手なユウキは、ルカのフルーツケーキを見て顔を顰める。手元のビタークッキーに手を伸ばし、サクッと音をたてて食べる。うん、おいしい。ユウキは思った。
喉が渇いたからと、ルカはコーヒーに手を出す。苦いのは嫌いな彼女はミルクと砂糖をたっぷり入れた。口に僅かに含み、香りを楽しんで喉に通す。じんわりと広がる苦味と共に甘味が喉元を覆う。いつも飲むコーヒーと変わらない。ルカは、コーヒーの違いなんてよく分からなかった。
しかし、口内にベットリとついた甘さの残滓をコーヒーで優しく拭いとる感覚は癖になりそうだ。
「そんなに美味しいかい? ここの食べ物は」
ルカを微笑ましく眺める学院長が聞いた。
自分が満面の笑みだった事に気付いたルカは恥ずかしくなる。
「はふっ 学院長せんせへぇ」
「アブラナルカミ君。口のものは飲み込んでから話そうね」
指摘されたルカは急いで口の中の物を飲み込む。
「学院長って何処にでも居ますよね」
「よく言われるよ。でも学院の外にはあまり行かないかな。君たちはラッキーだ」
学院長は肩を竦めた。
(確かに学院長を外で見ることは無いかも)
でもそれは、学院都市が広いからだろうとルカは思っていた。学院長は思ったより忙しそうである。
「そろそろ話に戻ろうか」
学院長の言葉で、ユウキとルカは動きをピタッと止めた。学院長は「いや、食事は続けてていいよ」と苦笑いする。
「まず前提として、他人の関係にとやかく言うのは大変無粋な事だ。それを理解した上で、俺の話を聞いて欲しい」
この場に居るユウキ以外は利他的な感情ではなく、立場の都合でヒラギセッチューカとヨウを和解させようとしている。
ルカはそれを責められるかもしれない、という恐怖を抱きながら頷いた。ユウキは学院長の言葉に罪悪感を覚えながら、ルカと共に静かに頷く。
「二人を真の意味で和解させる方法はあるにはある。しかし、性格の相性を考えると効果は薄いだろう。ここは二人の和解を諦めた方が早いかもしれない」
「和解を……?」
意味は分からないが、不穏に感じたユウキは復唱する。学院長はコクリと頷いた。
「要は、ヒラギセッチューカと玫瑰秋が文句言わず共に行動出来ればいいわけだ。ヒラギセッチューカに君達との行動を強制させとくよ。
玫瑰秋は嫌な顔するだろうが、アブラナルカミとユウキから離れるような事はしない。彼は義理堅いからね。時が経てば二人共諦めて大人しくなるだろう。これで解──」
「ちょっと待て!!」
バンッと机を叩いてユウキは立ち上がる。荒々しい怒声が店内に響くが、客が居ないのは幸いであった。
ユウキは自分の行動にハッとして「すみません」と一言謝る。が、意思は変えない。
「それではヒラギとヨウの意思が反映されません。強制なんて、やめてください」
「でもそれが一番良くない? 取り敢えず同伴させときゃ自然と和解するかもしれないよ?」
「ヒラギが、可哀想だ」
学院長とユウキの雰囲気が悪くなってルカはビクビクする。しかしユウキと同意見ではあった。ヒラギセッチューカとヨウが可哀想だ。
でも、エルフである自分がクラスで浮かないための、一番確実な方法。ルカは何も言えなかった。
「はは、ヒラギセッチューカが可哀想、ねぇ」
「感情論では、いけませんか」
顔をしかめるユウキに、学院長はケラケラと笑って「違うよ」と言った。
「君達の都合で、嫌いな人と和解しなきゃならないヨウも可哀想とは思わない? いや、寧ろヨウの方が精神的に苦しいだろう」
ユウキとルカが望む和解も、ヨウの意思が反映されていない。学院長がやろうとしてる事と変わらない。
気付いたユウキを罪悪感の大津波が襲った。ワナワナと震えて俯くユウキに、学院長は追い打ちをかけた。
「最初にも言ったが、まず人の関係をとやかく言うこと自体が無粋だ。罪悪感を覚えるのが遅いよ狐百合 癒輝」
一音一音が弾丸となってユウキの胸を貫き、蜂の巣にする。その感情への処理が追いつかずユウキは動けなかった。
ヨウとヒラギには仲良くして欲しいし、仲は悪いよりも良い方がいいし、入学式で互いにした酷いことへの謝罪をして欲しくて、ヒラギの友達を増やすことも目的にあって、でも二人の意志を無視するのはいけない事だし──
何をして欲しいとか、人は仲良い方が良いとか、謝罪だとか、ヒラギセッチューカへの押し付けがましい善意だとか。典型的に良いとされる”正義”が彼の情緒をぐちゃぐちゃにしていた。
学院長はフルーツケーキを綺麗に平らげ、コーヒーを優雅に一口飲む。
「そんな悩む必要はないと思うよ。自分の何がしたい、って気持ちを一番にさせるべきじゃないかな」
彫刻のように綺麗な微笑みを作って、学院長は言った。
「俺は十分自分の気持ちを優先させてます。これ以上は、自己中になるだけだっ」
「その、自己中になってみない?」
ブチブチっと自分の堪忍袋の緒がちぎれかける音が大音量で聞こえる。ユウキは、胸の奥のドロドロとした漆黒をゆっくりと吐き出して、ドスの効いた声を出す。
「意味、分かって言ってますか」
「うん」
学院長は見抜いていた。
ユウキの心情も、”ユウキ達”の存在意義も。
が、何も知らない者からしたら二人は何を言ってるのかちんぷんかんぷんだ。ルカは訳の分からない話に恐怖を助長され、ただその場でビクビクすることしか出来なかった。
「欲こそが君の至高でしょ?」
学院長の言葉でユウキは唇を噛む。ギリっと音がして、鉄の味が微かに広がった。火傷したような痛みにハッとしたユウキは力が抜けて、ストンッとその場で座る。
うるさい、うるさい、うるさい。
聞きたくない言葉をストレートに言われたユウキは、子供のように胸の中でごねていた。それを苦い漢方のように飲み込んだユウキは、表情を戻す。
「それは、違います。けど言葉は返せない」
何事も無かったかのように苦い顔をする。
学院長は「そっか」と言って、ユウキと入れ替わるように立ち上がった。
「俺も悪魔じゃない。ああは言ったが、考えてるだけで行動に移す気は更々ないよ。人の関係にとやかく言うのは無粋だしね」
学院長は伝票を一瞥して、財布を開きながら話を続ける。
「俺が言いたいのは唯一つ。他人の意志を蔑ろにしたらいけない。
ま、本人達に任せてればいいと思うよ。勝手に仲直りして、ひょっこり一緒に顔を出すかもだしね」
伝票に書かれた代金とぴったしの硬貨と紙幣を置いて、学院長は席を立った。
ユウキとルカは白昼夢を見ているような気分でそれを眺める。
「あ、店長ー!」
と、学院長は厨房に向かって叫んだ。
ガッシリした体つきに真っ白いエプロンを着た老人がのっそりと出てくる。
「なんだ騒がしい。店では叫ばないでくれ」
「抹茶プリン、サービスしてくれたんだって? 生徒の分まで、ありがとうね」
「それだけならさっさと去れ」
塩対応な店長に学院長は思わず苦笑した。店長の後ろに隠れるように立つ店員に視線を移す。
「店長、店員の調子はどう? 役に立ってる?」
「まあまあ」
「ああ、そう。抹茶プリンとかフルーツケーキとか、考えたの君でしょ? 凄いね」
店長一人の時は、店のメニューのレパートリーは渋い上に少なかった。抹茶プリンの様な風変わりなモノを店長が作るわけない。
学院長はしゃがんで店員と目線を合わせ、そう言った。
「どうも」
「ねぇ店員さん。喧嘩はいけないね」
「急に何です」
「悪いことしたら、謝らなきゃいけないね」
「だーかーらっ! 急になんですかっ!」
店長に隠れて怒る店員を見て満足した学院長は、彫刻の様な微笑みのまま背を向けた。
「ご馳走様でした〜」
カランカランッ
場の空気に似合わない、陽光の様に明るく軽いドアベルの音が店内に波紋を作った。何も考えずぼーっと学院長達のやりとりを眺めていたユウキは、空っぽな言葉を投げた。
「何も、出来ねぇな……」
ルカは頷いて、すっかり冷めたコーヒーを一口飲む。
信じられないほど、甘かった。
6.>>33
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.33 )
- 日時: 2023/04/05 16:15
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)
6
《ヨウ》
ぽつぽつと無数の雫が跳ねる音が室内に木霊している。ページをめくろうとして、俺は顔を上げた。
視界の端に映る窓の外には絹糸の様な五月雨がしとしと、と単調に降っている。いつの間に降っていたんだ。
驚いて時計を見て、図書室に来てから数時間経っていた事に気付く。
俺は動揺を隠すように背伸びして、持っていた本を棚に戻した。
背表紙をなぞって名残惜しくも手を離す。『夜刀 歴史記録』と書かれた厚い本が巻数順に並ぶ様子を眺めたあと、俺は絶望を一つ吐いた。
学院に入学したは良いものの、親父の手がかりは0に等しい。
かと言って有効な情報収集方法案も浮かばず、ダメ元で学院都市にある図書を片っ端から読むことにした。
学院都市には学院内のを省いても図書館が幾つもある。それらを虱潰しに回って、この学院の図書室が最後だ。
エルザ先輩が言ってた通り、白蛇教の資料は公にされていなかった。そもそも“白蛇教”という単語すら一回も見なかった。
情報管理が徹底され過ぎていて、白蛇教は俺の妄想じゃないかと一瞬思いかけたぐらいだ。ダメ元で図書館を調べていたから然程落胆はしないが、情報収集の方法がもう無い。
どうしたものか──
俺は意味もなく、しまった本をもう一度取り出した。『夜刀歴史記録』は名の通り歴史の本だ。
しかし、史実と共に神話からエルフのような幻に近い生物に出来事まで、時系列順に記録されている。
だからこそ白蛇教の手がかりもあると思ったんだが。
「そこに目当てのものはないと思うよ? 少年」
気付かぬ間に俺の両肩には誰かが手を添えていて、少し体重をかけられていた。
耳元から悪寒が身体中を駆け抜ける。吐息がこしょばくて変な声が出てしまって恥ずかしい。反射的に口に手を当て素早くその場から離れ、後ろの人物と目を合した。
「『ふはひぁっ!』だってさ! 案外愛くるしいね少年って」
真っ黒い狐面から零れ落ちた白髪の隙間から見えたのは、俺を嘲笑う白皙の顔だっだ。認識阻害の狐面で俺に近付いたビャクダリリーは、俺の吃驚を真似てクスクスと笑う。
怒りと恥ずかしさで血液が沸騰したように熱くなって、顔が赤くなってると嫌でもわかった。息をかけられた耳を抑えて歯ぎしりし、ビャクダリリーをキッと睨む。
「何の用だビャクダリリー」
ビャクダリリーを見るだけでも嫌気がさすのに、嘲笑されるなんて今日の俺はとてもツイてるらしい。反吐が出る。
俺はバタンとわざとらしく大きな音を出して本を閉じ、棚にしまう。
「愛しの玫瑰秋 桜に会いに来たっ」
ビャクダリリーが余りにも朗らかな笑顔で気色悪い事を言うもので、俺は雨音をかき消す勢いで大きな舌打ちを打ってやった。
ビャクダリリーは肩を竦めて苦笑いする。
「てのは半分冗談で──」
十割冗談であって欲しかったよ。
「話したい事があって、ヨウを探してた」
話したいこと? 気まずい空気に耐えられず、ビャクダリリーがしっぽ巻いて逃げてから早半月経っている。
今更俺を探してた──だなんて、滑稽で笑いが出ちまうよ。
「愛の告白でもしに来たか?」
ビャクダリリーをバカにするつもりで言った。
「して欲しいなら“愛してる”って毎分でも言ってあげるよ?」
思ってもみなかった回答が悪寒となって、足元から電流の様に駆け抜ける。
「なら俺は毎分受ける恐怖と憎悪を乗せた拳をぶち込んでやる」
「そんなに私嫌い?」
「生理的に無理」
ビャクダリリーは「結構ショック」と肩をすくめるも、せせら笑いを浮かべていてショックを受けている様に見えない。
俺はビャクダリリーから顰蹙を買おうと必死なのに、全く効果がないのがイラつく。
「用が無いなら俺の視界に入るな綿ホコリ」
素直に苛立ちをぶつけて、クルリとビャクダリリーに背を向ける。
司書さんですら不在で誰もいない図書室に、俺の冷たい足音がカツカツと響く。
「極力少年と関わる気は無い。ただ──」
俺の背を押すビャクダリリーの声は冷たかった。
さっきとの余りの温度差に、思わず俺はビャクダリリーの方を向く。
「無駄に首を突っ込むな、とだけ」
と言われても。
俺は自らビャクダリリーと関わろうとした記憶なんてない。コイツは何を言いたいんだ?
「なんの事だよ」
ビャクダリリーが、俺を指差す。
「ディアペイズ第十軍騎士団長 玫瑰秋 晟大」
何故、ビャクダリリーがその名を呼ぶ。
裏側まで見えてしまいそうな程透き通る透明な瞳の中で、目をカッと開いて、刺すように前を睨む黒髪の少年が立っていた。
室内に十、百、嫌、千以上の雫が破裂する音がガラス越しに響く。
黙っているビャクダリリーは息を吸って、吐いて。表情の氷を溶かして、ニヘラと笑う。
「白蛇の巣穴に手を出すと、後ろから首を噛まれるよ。かぷっ、て」
ビャクダリリーはパクっと、あざとく虚空を口に孕んだ。
俺は、どんな表情でそれを見ているのだろう。この燃え上がる感情を、何と呼ぶのだろう。
玫瑰秋 晟大、白蛇、噛まれる。それらがようやく頭の中で一つに繋がった。白蛇教と関わるな。そう、ビャクダリリーは言っているんだ。
「なんでお前が、白蛇教の事を、俺の目的を、知ってるんだ」
ビャクダリリーはハッキリ“白蛇教”と言ったわけじゃないし、もしかしたら全く別の事を指していたのかもしれない。
それでも、俺は焦燥感に耐えられず早合点した。
「その言葉、余り声に出さない方が良いよ?」
ビャクダリリーの発言で俺は確信する。コイツは、白蛇教の事を言っている、と。
「質問に答えろ! ヒラギセッチューカ・ビャクダリリーッ!!」
「そう、なるよね」
苦笑いして肩を竦めるビャクダリリーは「用事はこれだけ」と、クルリと背を向ける。
お前の用事が終わっても、俺の用事が終わってない。いや、元々そんなの無かったが。今出来たんだ。
コイツから何としてでも情報を引き出さないとッ──!
「待てビャクダリリー!」
手を伸ばした先に居るビャクダリリーは振り向かないまま狐面を被った。途端、彼女の気配が薄くなって姿が見えにくくなる。
認識阻害は厄介だ。一瞬でもビャクダリリーの姿形を見失うと、再認識するのは難しい。ビャクダリリーを見失わぬよう必死で目を凝らして追いかけるも、段々ビャクダリリーの存在が消えていって、認識出来なくなる。ただ、彼女特有の薬臭さは健在だ。姿が見えなくとも何となく存在が分かる。
図書室を出て、廊下を走って、何度も転移陣を踏む。先生に廊下を走るな、と注意されてもスピードは緩めなかった。
さっきよりも強くなった雨がボトボトと屋根を叩く。
誰かが閉め忘れたのだろう窓から入る生臭い雨の臭いと、湿気が手足を這って気持ちが悪い。生暖かい息を何回も吐いて思った俺は、気付くと縹校舎に辿り着いていた。
ビャクダリリーの臭いがしない。多分、雨で消えてしまったんだろう。けど、ビャクダリリーはこの縹校舎に居る。さっきまでは微かに薬の臭いがしたんだから。
俺が間違うはずがない。
思いながら廊下を彷徨く。
午前の必須授業以外では使われない午後の校舎は伽藍堂で、少し怖い。
雨で天気が悪いことも相まって、何かの拍子にふと、俺自身が溶けて消えてしまいそうだ。いや、何を考えてるんだ俺は。そんな事起こるわけが無いだろう。
気持ちを切り替えよう。
ビャクダリリーはこの校舎にいると仮定して、アイツが向かいそうな場所。考えてみれば簡単に分かるだろう。俺達の所属クラスである〈一クラス〉の教室だ。
ガラッと教室の戸を開ける。灰色の光で飽和した教室は誰もいなくて、沈黙に満ちていた。
俺は躊躇いなく歩を進める。
「ビャクダリリー、居るんだろ!」
俺の席。の前にある席に向かって叫んだ。滲み出る汗を拭い呼吸を整えて、虚空を睨みつける。
「なんで分かるかなぁ」
と、思いの外早く観念したビャクダリリーが姿を現した。椅子に座って苦笑いするソイツは、狐面を袖にしまって立ち上がる。
「聞きたい事がある。大量にな」
「だろうね。けど答える気は無いよ。なんか思わせぶりなこと言っちゃってごめんね?」
端からビャクダリリーが俺の質問に答えるとは思って無かった。なら無理にでも答えを引き出すしか無い。
どんな手を使ってでも──
「お前も知ってるだろうが、俺は玫瑰秋 晟大の息子だ。金なら、いくらでもある」
汚いが故に誰も触れる事が出来ない親父の財産や、死亡確認が取れてないからと未だディアペイズ軍から振り込まれる親父の給料が、俺の懐にそのまま入ってくる。そこら辺の貴族など鼻息で飛ばせる程の金を、俺は持っているのだ。
普段は金で物を言わせる様な汚い事などしないが、今回はそんな事言ってられない。
「お金、か。ちょっと揺らぐなぁ……」
ビャクダリリーの言葉を俺は逃さなかった。
「金だけじゃない。物品も知識も地位も。欲しい物なら俺のコネを使ってなんでもくれてやる!」
「必死すぎて怖いよ少年。言えることは何も無いよ。幾ら積まれても、ね」
唯一俺がビャクダリリーに与えられる物だったのだが、やんわりと拒否されてしまった。
ならば──
「私は忠告──というか、お願いをしに来ただけで。要するに、少年に首を突っ込まれるとこっちの都合が悪くなるんだ。危険地帯に踏み込むかどうかは君の自由だけど、踏み込むからには私も容赦できないし──」
俺を必死で丸め込もうとビャクダリリーは言葉を連ねるが、何一つ響かない。
この教室──嫌、校舎には俺達意外 人が居ない。
今、俺がコイツに何をしようがバレるリスクは少ないと言うわけだ。殺しまでするつもりは無いが、誘拐しても、殴り倒しても。
証拠隠滅を測ればリスクをゼロに等しくさせることも可能だ。
情報を吐くまで、嬲り倒してやる。
7.>>34
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.34 )
- 日時: 2023/04/05 16:29
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)
7
俺達の日常にありふれる魔法に必要な要素は3つ。
一つは、万物の源と言われる〈魔素〉
何処にでも漂っていて、俺達の体中にも血流の様に決まった流れを作って巡っている。
魔素が尽きても死ぬことは無く、体にとっては薬にも毒にもならない。
二つは〈ゲート〉と呼ばれる器官。
全生物に備わっている概念に近い器官で、魔素の出入口となっている。ゲートを介さない魔素の放出、吸収は大変危険だ。最悪、魔素逆流を起こす。
三つは構築。
魔素をゲートから通すと任意で発動する魔法は、上手く魔素を体内で練って構築しないと発動しない。
この“練る”が難しい。例えるなら、脳内のミルクパズルを組み立てる様なもので、一瞬で魔法を発動出来る者はほんのひと握りだ。
それを助けるのが詠唱。
細かいピースのミルクパズルから、色付きの大きいピースのパズルの様に、難易度がグッと下がる。
それでも慣れていないと使うのは難しく、魔法、というのは一朝一夕で使えるものじゃない。
ただ、初級魔法は万人向けに作られていて──
「〈壱・暗槍〉」
俺でも、使うことが出来る。
「っ?!」
ビャクダリリーが声にならない声を零し俺を見やる。と同時に俺の魔法が発動。
手元にバット程の、鈍く光る黒紫色の結晶が現れる。
ビャクダリリー脳天目掛けて思いっきり振り上げた。
「参氷塊!」
一回の瞬きよりも速くビャクダリリーが唱えた。
反応が早い。
ビャクダリリーを守る氷が床から生えた。
暗槍がぶつかってカンッと軽い音が鳴る。
黒紫の結晶の破片が飛び散って、暗槍は魔素である光となって消えてしまった。
暗槍は所詮、魔素を実体化させただけの初級魔法。
耐久性は無いと分かっていてもチッと舌打ちを鳴らしてしまう。
「交渉がダメなら力ずく、って事?」
「理解が早くて助かるよ魔女」
「冗談だったんだけどなぁ、目がマジじゃん……」
氷塊を盾にして俺の顔を覗くビャクダリリーの表情には、困惑が見えた。
「壱・暗槍」とゆっくりと唱えて、俺は強度な魔素の結晶を作る。
「お前が簡単に吐くとは更々思ってない」
「内容が内容だしね。下手吐いたら私も身が危ないからさ。少年の身も危うくなるし、大人しく手を引いた方が──」
「教室がダメなら別の密室で。魔法がダメなら道具で。道具がダメなら拳で。拳がダメなら爪で、歯で。お前の肉を抉って、吐き出させる」
「わーお下手吐いたから現在進行形でピンチだったよ私」
魔法が完成してさっきよりも硬い結晶が現れる。
それを力任せに氷塊へぶつけた。
氷塊がバリンッ! と音立てて砕ける。氷の飛沫が顔にかかってちょっと冷たい。
「教室で暴れるのは流石に不味いよ?」
ビャクダリリーは氷の破片をかわす。余りに自然な動きで、俺は暗槍を持つ手を掴まれてしまった。
布越しでも分かる冷たさと、恐ろしい程の白い手が不気味でゾッとする。恐怖をかき消すようにビャクダリリーをキッと睨んで言った。
「なら大人しく吐くか、捕まれ」
「どっちも気持ちだけ受け取っとくよ」
「意味が分からないっ!」
白皙の手を振りほどこうと力を思いっきりいれた。が、全く動かない。石に掴まれてるみたいだ。
ビャクダリリーの力が思いの外強い。
細くて弱々しい腕のどこからそんな力が湧いてるんだ!
けどこっちだって策はある。
──指を折るように。呼吸をするように。思考を働かせるように。
形容出来ないほど自然すぎる感覚が体を駆け巡って、体が熱くなる。力が湧き出る。
もう一度、俺は腕を振り上げた。
「お、わぁっ!」
さっきの力の差が嘘のよう。
ビャクダリリーは俺の力に負けて手を離し、バランスを崩して後退る。
馬鹿だな。その先には机があるのに。
ガシャンと机にぶつかったビャクダリリーの怯みを、俺は見逃さなかった。
「ゲボッ!」
俺の拳がビャクダリリーの顔面に入った。
机がビャクダリリーの体重で倒れて、椅子や隣の席も巻き添えにする。
ガラガラと積み木が倒れる様な音が室内を叩く。
「いっつ、何で、急に力が強く……」
鼻から垂れた血を拭ったビャクダリリーの頬に、赤い爪痕が残る。
吃驚香るビャクダリリーの表情に、堪らず気分が良くなった俺は自慢気に言った。
「〈加護〉って存在ぐらいは、お前も知ってるだろ?」
「えーっと。特定の種族とか個人が持つ体質──だよね?」
「模範解答は“世界からの祝福”だ」
おもむろに立ち上がって机を直すビャクダリリーを冷笑する。
世界から選ばれた種族、或いは個人が生まれつき持つ力を〈加護〉と呼ぶ。
力の内容は様々だが俺の場合──
「魔素量と筋力を大幅アップさせる、て解釈でおーけー?」
さっきビャクダリリーを突き飛ばした所で察せられたか。
それでも魔素量の増幅まで言い当てるなんて。
「その通りだ」
ビャクダリリーに加護を見透かされてドキッとするも平静は保てた。でも調子に乗って余計なこと言ってしまったな。と、後悔して口に手を当てる。
俺の加護は“魔素量と筋力を一時的に増幅させる”ものだ。生まれが特殊だから、個人的なものか種族的なものかは不明だが。
机を直し終わったビャクダリリーは、両袖に腕を入れてヘラっと笑う。
「待ってくれてあんがとさん。少年って根は優しい方?」
「ふざけるな」
反射的に言葉が零れた。ビャクダリリーは苦笑いする。
加護と魔法で十分脅せたと思ったから待っただけであって、ビャクダリリーに情をかけた記憶は一切無い。反吐が出るから勘違いしないで欲しい。
「戦闘は気が乗らないなぁ。こう見えて私、今は体調がすこぶる悪いからさ。今回は見逃してくれない?」
ビャクダリリーはあざとく小首を傾げる。こんな状況でもふざけるなんて、俺を煽ってるのか。
発言的に俺の力に恐怖したようだが、素直になる程じゃ無かったらしい。
「無理、と言ったら?」
暗槍を構える。応えるようにビャクダリリーも袖から木刀を取り出す。
袖に木刀何て簡単に入らないだろう?!
物理法則を無視したその様子に、俺の脳が不具合を起こして思考が止まる。
いや、よくよく考えればおかしい事ではなかった。アレは制服についてる機能の一つだ。
制服には、かけられた魔法による機能がいくつかある。その内の一つである袖の収納を使ったんだろう。
使い手が限られる大変希少な空間魔法によるもので、限度はあるものの、多くを収納することが可能だ。
全生徒の制服にそんな機能が備わっているだなんて滅茶苦茶だが、それをも可能とするのが学院長である。
といっても、貴重な機能であることには変わらず簡単には慣れない。
「ちょっと痛くする」
木刀で俺を指して、ビャクダリリーは返事した。
ちょっとやそっとの脅しや誘惑は彼女には効かない、ということはもう理解した。
ならば、俺が何をしてもビャクダリリーは文句を言えまい。だって、答えないコイツが悪いんだから。
「ちょっとで済むかな!」
咆哮と共にビャクダリリーの顔面目掛けて暗槍を下ろす。
人は顔面に無駄に気を使う。きっと一種の弱点だ。
カンッとまた乾いた音が鳴る。木刀で防がれた。
けれど俺の力に耐えられず、木刀が震えている。力は俺の方が圧倒的だ。
このまま鍔迫り合いに持って行けさえすれば、勝てる!
しかしビャクダリリーも馬鹿じゃなかった。
素早く俺の力を受け流した。思いっきり力を入れていた暗槍がガンッと床に落ちる。衝撃が静電気の様に腕を駆け巡って思わず顔をしかめた。
ビャクダリリーも同じ事に気付いたらしい。俺に力では勝てない、と。
もしかしたら、何かしら対策をしてくるかも知れない。けど俺は思考を停止させた。
だって力で押し切れるんだから。小細工何て俺には効かないだろうし考えるだけ無駄だ。
「俺が首を突っ込むとビャクダリリーの都合が悪くなる、か。何でわざわざそれを俺に言う? 忠告にしても、直接言う以外にもっと方法があったはず、だろ! 」
もう1回暗槍を振るう。
ビュンッ! と通常の俺では鳴らせない、大きな風きり音が気持ち良い。ただ、それは空振りの証拠でもある。
ビャクダリリーは紙一重で俺の攻撃をかわした。ゆらゆらと蛇のような動きが気持ち悪い。攻撃が当たりそうで当たらないから余計だ。
「他の方法って?」
ビャクダリリーの表情から笑みが消えて真顔になる。
「不意打ちで俺を倒すとか、遠ざけるよう誘導するとか。攻撃されるリスクも考えず直接コンタクトをとって、更に情報まで与えるなんて。笑いが出る程のバカだなお前!」
「それ、は──」
「それとも、俺を黙らせる程の力を持ってると慢心でもしてたか? ああ常に慢心してたなお前は。自分より圧倒的に強い相手を、入学当初から嘲笑してたんだからなぁ!」
腕を振り上げる。風きり音。また振り上げる。空を切る。もう一回、もう一度、今度こそ。
何回やってもビャクダリリーに暗槍が当たらない。
けど手応えは十分にある。
焦りの表情が見えているのだから。あの俺を嘲笑ったビャクダリリーの表情から 、だ。
自分の口角が自然と上がる。いい機会だ。
ビャクダリリーの吠え面でも拝んでやる。
「傍観者が作った正義ヅラ? 白髪が他人の正義ヅラ拝めただけ感謝しろよっ!」
入学式にビャクダリリーに言われた言葉を思い出す。あの時、俺は殿下に喧嘩を押し付けられたビャクダリリーを心配していただけなのに。
思い返しただけでも腸が煮えくり返る!!
「俺がブレッシブ殿下に加勢して、お前をボコボコにしてやっても良かったんだぞ? 一回の拳で抑えてやったんだぞ! それだけでもありがたいと思えよ魔女風情がっ!!」
徐々にビャクダリリーの動きが鈍くなる。と、微かながら暗槍が木刀に触れる。
もう攻撃が当たるのも時間の問題だ。
いい加減白状しろビャクダリリー。無駄な抵抗なんて辞めて、懇願しろ。
こんなことはもう辞めて、と。床にめり込む勢いで土下座し、吠え面をかけ。
お前の醜態を俺の目に焼きつかせろっ!
「少年の為──と言ったら、信じてくれる?」
俺の悪態にビャクダリリーはそう答えた。
無理に口角を上げて俺を睨む白皙の顔。それが心底気色悪い。
「どちらにしろ、お前への嫌悪が濃くなるだけだ」
カンッ!
何回も聞いた軽い音と共に、腕に重みがかかる。当たった──いや、正確には当てられたと言うべきか。
窓際の机に追い詰められたビャクダリリーは、避けきれず暗槍を木刀で防いだ。
でも都合が良い。鍔迫り合いに持っていけたんだから。
「うっ、ぐぅ……!」
必死で暗槍を押し返そうとビャクダリリーが唸る。この状態だと受け流す事も出来まい。
いい気味だ。俺は無慈悲に力を込めた。
「〈弐・氷花〉! 」
初級魔法の詠唱?! 危機感を覚えて俺は下がった。
ビャクダリリーの詠唱から魔法が発生。
薄藍色の幾枚の花弁が、ビャクダリリー周辺に現れた。風がふわっと花弁と白髪を撫でる。
ビャクダリリーが「いけっ」と極小の息を吐いた。
触ってしまえば溶けて消えてしまいそうな儚さの花弁が、全て俺に向かった。
避けきれない。数が多すぎる!
俺は袖で顔を覆う。と同時に花弁が服を叩いた。
攻撃を軽減する様に作られている制服の前では、初級魔法など無力だ。しかし肌に当たると一溜りも無いだろう。
花弁が床に落ちてバリンバリンと音を立てる。
「痛っ……」
頬に花弁がかすった。火傷したように熱くなる。鉄の匂いがする。
初級魔法なのに、切れ味が思った以上に良い。これじゃあ近付けない。
けど魔法も無限に出せるわけじゃない。いつか攻撃は止む。
その時に──!
ガラッ
窓が開く音を鼓膜がキャッチした。ビャクダリリーが窓を開けたのか。でもなんで?
丁度花弁が止んだこともあって、反射的に顔を上げた。
「なに、やってんだ?」
理解が出来ないビャクダリリーの行動に、そう俺は声を漏らす。
窓枠に座るビャクダリリーが、俺を見下してた。
大雨粒がビャクダリリーを叩くのに。ボタボタと不規則に音を鳴らすのに。当然の様に沈み込んだ静寂に溺れそうになる。
水を孕んだ衣類に纏わりつかれてるビャクダリリーは、澄ました顔で息を吸う。
雨で淡雪の様に溶けてしまいそうな。瞬きの間に消えてしまいそうな、儚いビャクダリリーに釘付けになる。
曇天を背にしてる癖に。
その様子は。
呼吸を忘れるほど、美しかった。
8.>>35
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.35 )
- 日時: 2023/04/05 16:31
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)
8
「〈ドゥ・ジェル〉」
世界に割り込んだ憎たらしい声で、我に返った。けど、体が筋肉痛の様に動かない。
窓枠をくぐった大雨粒が凍った。
宙に止まって、ビャクダリリーの周辺に氷の粒々が漂う。
七つの系統全てに用意されている初級魔法。
威力で分けられるアン・ドゥ・ロゥワの魔法と、効果で分けられる参・弐・壱の魔法、合計六種類ある。
ドゥ・ジェルは氷の初級魔法だが、威力で分けられた初級魔法は汎用性が高く、何をしてくるか予想が出来ない。
その氷を、どうするつもりなんだ。
そんな疑問はすぐ消えた。
凍らされた雨粒、いや、雹は、俺に一点集中して向かった。
雹が空を切って肌を刺す。思わずまた、顔を袖で覆った。
痛い、痛い、ちょっと痛い。
ちょっと、ちょっとだけだ。
氷が当たってるだけなのに、火に炙られる様な痛みが不規則に襲う。
外の雨音より酷く重い轟音も相まって身動きが取れない。
怖い訳じゃない。
怖いもんか。
おもむろに顔を上げてビャクダリリーを見やる。稀に肌に雹がゴツッと当たるのが怖い。
いや、怖くない。
ビャクダリリーは全ての窓を全開にしていた。
教室に入る雨粒全てが凶器になる。天気が酷くなればなるほど威力が増す。
〈弐・氷花〉で氷を生成するよりも〈ドゥ・ジェル〉で雨を凍らした方がコスパが良いから攻撃は長く続くだろうし、当たると痛い。
思った以上にとても厄介だ。
どうすれば良い。どうやればこの状況を打開できる。
もう分かんない!!
「うがああぁっ!」
全てのしがらみを吹き飛ばして、自身を鼓舞するように俺は叫んだ。
雹を消そうと腕をブンブンと振るう。けど無くなんない。
もういいや。雹がなんだ。痛いからなんだ!
俺は雹を全身で受けながら、暗槍を構えてビャクダリリーに突進する。
「まじでっ?! 参ひょうかっ──」
させるか。
ビャクダリリーが詠唱を言い終えるより先に俺の暗槍が届いた。
「ぐっ!」
暗槍に肩を叩かれビャクダリリーが怯んだ。
俺はチャンスとばかりに、今度は間髪入れず追撃する。ビャクダリリーの動きは早い。また木刀で防がれる。
だがさっきよりも動きがとても遅い。
「端から気に食わなかった」
振り上げて下ろす。防がれる。
「二度と感じたくなかったお前の薬の臭いが」
振りかぶって叩く。木刀と当たる。
「気色悪い白色が」
雹が肌に溶ける。でもまた振り上げた。
「飄々として、いつもふざけるお前の態度が」
カンッと音が鳴る。ちょっと手が痺れた。
「上っ面ばかり作る自分に酔う強欲なお前らがぁッ!!」
カランッ
とても気持ちが良い。乾いた希望の音が、雨音の合間を縫った。
木刀がリバウンドする様子がスローで見える。
白髪1本1本がゆっくり舞って、ビャクダリリーが白い息を吐く。
「〈参・氷塊〉」
刹那、鞠程の氷が俺のみぞおちを突いた。
腹筋と氷が反発し合う。肉が割れるような痛みが走った。
「う、がぁっ……」
衝撃が強くて発声が上手くできない。
全身の力が抜けて後ろに倒れる。内蔵がフワッと浮いた感覚がして──と思った次の瞬間。
着地点にあったらしい机と共にガシャンと倒れた。
「痛っ、いったぁ……!」
衝撃を受けた箇所が熱くなる。力が入らない。筋肉痛みたいに、全身がジンジンする。
きっと紫斑がそこら中にできてるんだろうな。なんて考えが脳裏を過ぎる。
そんな事どうでもいいだろう。今に集中しろ俺!
「〈参・氷塊〉」
氷が俺の手足を床に張り付けた。
冷たい。痛い。熱い。冷たい。痛い。熱い、熱い。
もう、何が何だか分からない。
「少年、幾つか反論をさせてもらおう」
ビャクダリリーがのっそりと、仰向けの俺に馬乗りになる。呼吸が荒くて服もびしょびしょだ。
コイツもかなり疲弊しているらしい。
「私にとって、少年から嫌われるのは大した問題じゃない。そこ思い上がらないで欲しいな」
「っざけん──」
「〈参・氷塊〉」
やにわに口に氷をギュウギュウに詰められた。
顎が痛いし冷たいし喋れない。吐き出そうにも両手が塞がれていて吐き出せない。
ちょっと静かにしててね、とビャクダリリーが話を続ける。
「次に。君が白蛇の巣に踏み込もうとすること自体、いけないことなんだよ。それを棚に上げて文句を連ねられても、ね」
俺の気持ちも、憎悪も、境遇も知らないくせに。
いけないこと? なら俺は何をしたら正解なんだ。牙狼族と汚い人間のハーフは、どう生きれば良いんだ!
そう怒りの炎を燃やしても、もがもがと無様なハミングしか出てこなくて目頭が熱くなる。
「だって君は弱いんだから。その上、無駄にプライドが高くて自分が間違ってるとは思わないし、都合が悪くなると暴力で解決しようとする、幼稚な精神。
そんな弱い奴が、玫瑰秋 晟大に会えるわけ無いじゃん? 自分の実力を見誤ってるんだよ」
ふざけるな。ふざけるなふざけるな黙れ黙れ!
俺はビャクダリリーが思ってるよりも強いし幼稚でもない! ただお前らの方が下にいるからそれ相応の態度を取ってるだけであって、ビャクダリリーが言ってる事は見当外れだ!
俺の方が優れていて──優れ、て?
なら、何故俺は今、ビャクダリリーに馬乗りにされている?
なんで。何で。なんで?
俺が弱いから。
そんな筈がない。だって、だって!!
「うがぁああっ! ふがぁああっ!!」
無我夢中でもがく。
もう自分が何をやりたいのか。何をしたかったのか分からない。どーでも良い!!
ただ今はコイツをぐしゃぐしゃにへし折りたい!
「うん。今のは私の憂さ晴らしだ。ごめんね」
謝るなら俺の腹からどけ!
「とゆーわけで、謝ったから憂さ晴らし続行。〈壱・氷雪〉」
疲れが見えながらも笑うビャクダリリーが詠唱すると、石ころ程の雪が現れる。
ビャクダリリーは片手でそれをギュッと掴んで、俺の目の前で少し溶かした。雪汁が鼻下の溝をなぞる。
待て待てまてまて!! 何をするつもりだ!
と、それを俺の鼻に、詰め込んだ。
雪が鼻の骨にゴリッと当たって。と思うと一瞬で雪が解け、容赦なく雪汁が奥へ這う。
それが嫌に鮮明に覚えた。
神経を鷲掴みにされたようなツンとした痛みが襲って、目と目の間、その奥が燃えるように熱い。
「んんがぁぁっ!」
「拷問をしてるようでこっちも心が痛いよ」
ビャクダリリーが一度握ったから溶けやすくなってはいるものの、新たな氷雪が投入される頻度の方が多くて、固まったままの雪が鼻の管を押す。
ゆっくりと芋虫のように這う雪汁は口に達して、喉を落ちて行く。
「けど、少年が進もうとしてる先はもーっと痛い事が、沢山あるから。それよりは、マシ、何だよ?」
俯く彼女の髪が頬にかかってこそばゆい。痛い。
「白の魔女は恐ろしい。軽い気持ち──いや、どんな心緒でも、少年が近付くことは許されない。私が、許さな──」
「ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー」
白皙の腕を誰かが掴んだ。
握られた氷雪がポトポトと落ちる音で肌に氷が落ちたと分かって、痛みと冷たさで感覚が無くなってきてることに気付かされる。
「──どちら様で?」
さっきまでは人間味が垣間見えたのに。何時もの様にヘラヘラとしてビャクダリリーが言った。
流石にこの状況を第三者に見られるのは不味いと思ったのか、さりげなく俺の上から退く。
と共に、手足の氷も溶けた。
「むがぁっ!」
バネの様に勢いよく起き上がる。
まずこの痛みを消し去りたい! 溶けかけた口内の氷をバリバリと砕く。歯茎が染みて涙が出てきてもお構い無しに、暴れた。
「ゲホッ! ガァッカアァッ!」
口と鼻から氷の欠片がボトボトと落ちる。まだ鼻の奥が痛くて、俺は吐き続ける。
「玫瑰秋、これを使え」
ビャクダリリーじゃない。金属音の様な声が横から入って、俺の顔をタオルが包む。
ありがたい。俺はただ痛みを消すために、チーンと鼻をかんだ。
ある程度落ち着いて、俺は顔を上げる。
「えっ、と」
俺とビャクダリリーに割って入った目の前の人物は、一言で表すなら“黒い人”だった。
眼球はしっかりと目の前の人物を認識してる筈なのに、脳がそれを受け付けてくれない。
ただ“黒い人”としか言えなくて、不気味だ。
誰だ、この人。
「生徒指導 兼 寮長。縹〈五十クラス〉担当の、ユリウス・アフォルターだ」
あ、入学式で学院長を引きずった先生じゃないか。
◇◇◇
「喧嘩、か。今年度に入ってもう二回だぞ、ヒラギセッチューカ」
ユリウス先生に連れられて来た、縹校舎の医療室。養護教諭が不在で、俺とビャクダリリーはユリウス先生に怪我の手当をされている。
「入学式は殿下に吹っかけられたけど、今回は私から。だからノーカンになりません? ユリウス先生」
「ならない」
「えー。頭硬いよ、ばーさん」
ユリウス先生がビャクダリリーにチョップ。痛っ、とビャクダリリーは声を挙げるも、笑っていて反省の色が見えない。
本当に、ふざけたヤツで気に入らないな。
「玫瑰秋、少し染みるぞ」
俺の頬の傷に、水を含んだ綿が触れる。
「痛っ」
不味い。つい声を出してしまった。この歳になって不甲斐ない。
罰が悪くなるもユリウス先生は特に言及せず、俺の頬にガーゼを貼った。
「あと、加護のせいで筋肉痛になってるな。按摩をすれば治りが早くなるだろうが、激しい動きは控えるように」
「はい。ありがとうございます」
急増する力に体が追いつけないのか、俺の加護は発動すると筋肉痛になる。火事場のバカ力を任意で発動できる様なものだ。晩に唸ることになって辛いが、もう慣れた。
道具が入った箱をパタンと閉じたユリウス先生は、ビャクダリリーに視線を移す。
「さて、ヒラギセッチューカ。何故、玫瑰秋に噛み付いた」
「だって。コイツ、罵詈雑言をトッピングして私を魔女魔女言うんですよー。動機は十分でしょ?」
ユリウス先生が俺に視線をやった。無言の圧力にゾッとするも言い返せない。
俺の戯言程度で胸を痛めたビャクダリリーを鼻で笑いたいが、本当に喧嘩を吹っかけたのは俺の方。
それぐらい理解できるから、何も言えなかった。
……あれ、魔女?
そういえば、何故ユリウス先生は白髪のビャクダリリーを見て平静で居られるんだ?
そんな疑問を浮かべるのが遅くなるぐらい、俺も白髪に慣れてきたらしい。
虫唾が走る。
白の魔女、か。と呟いたユリウス先生は、もう一度ビャクダリリーを見やる。
「白髪は忌むべき存在。玫瑰秋の反応が正しく、それに反発したヒラギセッチューカが悪い。謝れ」
ユリウス先生の言う通り。白髪は存在がおかしく、白の魔女は忌むべきだ。
でもその扱いは、理不尽じゃないか?
──いや、俺は何を考えてるんだ。
何も理不尽なことなんて無くて、全部ビャクダリリーが悪いんじゃないか。
一瞬真顔になって固まるも、ビャクダリリーはすぐ笑って言った。
「玫瑰秋、ごめんね?」
「ふざけるな」
ユリウス先生の叱責に、ビャクダリリーは肩を竦めながらも立ち上がった。
反省の色が見えず、飄々と笑いながら目の前までやってくる。座ってる俺はビャクダリリーを見上げる。
何をするつもりだ。せめてもの報復に殴るつもりか? それとも、また憂さ晴らしか──
寒気がして、俺は軽く身構えた。
「玫瑰秋 桜。すみませんでした」
──は?
目の前の光景に、俺は口をポカンと開けた。
待て、ビャクダリリーにはプライドが無いのか?
入学式の後だって俺とルカの三人で、唯一素直に謝ったのはビャクダリリーだ。
それだけなら腑抜けと罵る材料になるのだが。
前回も今回も、ビャクダリリーに非は“余り”無かった。それなのに、素直に謝るなんて理解出来ない。
綺麗に腰を45°に折ったビャクダリリーを前に、俺の両手がワナワナと震える。
「どういう、つもりだよ」
「誠心誠意の謝罪のつもりだよ」
──違う
「私のような白髪が身の程を弁えず」
──違う、違う
「申し訳なかった」
──違う違う違うッ!!
ビャクダリリーを殴った前回も、ビャクダリリーに喧嘩を吹っかけた今回も、悪いのは俺だ。原因も俺だ!
そうだ認めよう。認めてやるよっ!!
なのに反論もせず謝るなんて。
情けを、かけられた。俺の責任を追われないように。
それが自分の行いにも向き合えない、ビャクダリリー以上の腑抜けだと言われてるようで──
「気に食わない!」
「玫瑰秋」
振り上げた腕を、ユリウス先生が掴んだ。
「──なら貴様は、ヒラギセッチューカが何をしたら気に入るんだ」
時間が、止まった。
本当に止まったわけじゃない。
けどそう錯覚してもおかしくない位の沈黙と冷寒が襲った。
いつの間にか雨は止んだらしく、潤んだ青が曇天から見え隠れしている。
雨の残滓がポツっポツっ、と落ちる音は、これで幾つ目だろうか。
ユリウス先生のはぁ、というため息が、止まった世界を動かした。
「散らかした教室の掃除。罰はそれだけにしておいてやる。再発防止に努めろ」
それだけで済むのか? てっきり反省文でも書かされると思っていた俺は、肩の荷が降りる。
パタン。医療室の戸が閉まって、ビャクダリリーも黙って立ち上がる。
「罰、だってさ〜」
ケラケラと笑った白皙の顔を前に、俺は何を思ってるのか。
何を思いたいのか。
良く、分からなかった。
9.>>36
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.36 )
- 日時: 2023/04/05 16:37
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: 2jjt.8Ji)
9
◇◇◇
医療室で治療し終えた俺らは、一クラスに戻って掃除を始めた。
びしょ濡れの床とぐちゃぐちゃな机と椅子に、窓から入った桜の花弁。思った以上に酷い状態だった。
今はぼうっとして、床に雑巾を当てている。
「もう帰っていいよ、少年」
溶けた雹で水浸しの床を拭くビャクダリリーが言った。
俺は、何も言わない。
「もう掃除は終わるから、少年は邪魔。さ、帰った帰った」
コイツは何言ってるんだ。
床はまだびちょ濡れだし、机や椅子も倒れっぱなし。まだ掃除は終われない。
ああ、また情けをかけられてるのか。
「何か言ってよー。憂さ晴らしがそんな効いた?」
煽りにも応じない。
ビャクダリリーは「ま、そーだったなら好都合なんだけど」と笑いながら俺の雑巾を奪い取る。
効いたかと言われると、とても効いた。復讐の歩みを進めるのを、少し躊躇ったぐらい。
持ち上げられた雑巾の角から、汚い雨水がポトポトと床に落ちた。
「俺は、弱いか」
ポロっと、言葉が零れた。
俺は強さには余り興味が無い。目的を達成するための、手段の一つに過ぎないからだ。
拘りがあるとするならば、その目的。
──そんな弱い奴が、玫瑰秋 晟大に会えるわけ無いじゃん?
心臓を鷲掴みにされた気分だ。
悲しみか、悔しみか。それとも憤怒か。どれも当てはまらなくて。
この衝撃をどう形容したら良いのか、ずっと分からない。
「めっっちゃ弱い!」
白皙の手が、俺の心臓を、ぐしゃりと潰した。
俺の心情を知ってか知らでか、ビャクダリリーは怒涛の勢いで言葉を連ねる。
「引くほど弱い! そこら辺の羽虫みたいに──いや、簡単に潰せる分羽虫より弱い!!」
真剣すぎて寧ろふざけてる様に見えたし、実際ふざけてるのだろう。
頭がぼうっとして手足に力が入らない。視界の真ん中で仁王立ちするビャクダリリーは、俺を嘲笑していた。
ああ、分かってたよ。俺が弱いってのは、ずっと前から分かってた。
分かっていた筈だった。
認めたく無かったんだ。
弱い俺じゃ親父に近付けないって思うと、今までの歩みも憎悪もなんだったんだって。腸が、煮えくり返って。
あまり、考えないようにしてた、俺の地雷だ。
ビャクダリリーはそれを堂々と踏み抜いて見せた。
場を沈黙が支配して、いつの間にか視界には床板がいっぱいに広がっていた。
目頭が熱くなって、ドス黒いものが喉から込み上げてくる。
俺と反比例した、爽やかな風が教室に入った。
「ああ、身の程知らずってのはもう分かってたんだ。弱いから晟大に近付く事なんて出来ない、て。現実逃避お疲れ様、もう何もし無くて良いんだよ」
何を言えば良いか、もう分かんない。
とうの昔から分かっていた。だからって歩み続けて来た道を、今になって捨てたくない。
弱いなんて認めたくない。
「てか復讐って本当にしたい訳? 今までにも沢山、危険な目に会って来たんじゃないの? 何故、歩みを進めようとする」
親父が憎いから。
それ以上でも以下でも無い。けどそれは説得力に欠ける感情論で、俺は何も言えなかった。
「本当は復讐なんてやりたくないんじゃない? 今更引き返せないだけでさ」
そうなのだろうか。
外の世界に出ても尚、身を危機に晒してまで痛い目に会うなんて馬鹿げてる。復讐を終えられたとしても、得られるものは何も無いだろう。
デメリットしかない俺の復讐。
何故、俺は復讐に執着するのだろうか。
「──強欲に生きようぜぇ? 少年」
白銀の声が脳に染みて、反射的に顔を上げた。
曇天から差し込む光を白が反射して眩しい。瞬きしたら消えてしまいそうな雪のように儚い白皙の肌は、うざったい笑みを浮かべてそこに存在していた。
強欲に。
ああ、そうだった。
気付くのが遅かった。
自分が、情けない。
息を吸って、吐く。
陽の光が当たる頭が熱い。おもむろに立ち上がった俺は、黙ってビャクダリリーの目の前まで歩を進めた。
加護を使ったからか。動く度に筋肉がビキビキと鳴って、痛みが稲妻のように全身を駆ける。
「ん?」
にっこりと笑って、小首を傾げるビャクダリリー。
俺は、その顔から視線を離さず──
「オラァッ!!」
殴った。
「あ゙っ痛っ」
殴られた右頬を抑えて後退るビャクダリリーを、追撃として蹴ってやった。
ビャクダリリーは机にぶつかって、ガシャンと音が鳴るも倒れはしなかった。
チッと胸の中で舌打ちをしつつ、背筋を伸ばし、堂々とビャクダリリーを見やる。
「本当は復讐がやりたくない、だって? 笑わせるなよ」
知ったような口を効いたビャクダリリーに、フツフツと怒りが込み上げてくる。
でも、ここで怒るのは負けな気がする。
「だったらとっくの昔に俺は死んでるよ。俺はこの憎悪と執着で危機を乗り切ってきたんだ!!」
入学前の出来事が脳内を駆け巡る。
白蛇教を追うために片足突っ込んだ裏社会は想像通り危険な場所で、何回も痛い目に会ってきた。命を賭けた大勝負だってやった。
それでも俺がここに居るのは、親父に何としてでも会うためだ!
「知ったような口を効くなよビャクダリリー。お前が思ってる以上に俺は厄介だ!」
ビャクダリリーの雑巾を奪い取る。
「強欲に生きろ? 上等だ! 俺は俺の強欲に忠実に、お前らの世界に踏み込んでぶっ壊してやる!」
怒りはしないが真似はする。飄々としたビャクダリリーのように、俺は言い放った。
ビャクダリリーの表情が歪む。
「話聞いてたかなぁ? 君は弱い。ぶっ壊すどころか、こっちの世界に踏み込む前に、ぽっくり逝っちゃうよ?」
俺は弱い。分かってる。けど俺が止まる理由にはならない!
コイツの言いなりになるのは負けた気がして嫌だ! 誰が思惑通りになってやるかよ!
「ならそこで見とけ。俺が玫瑰秋 晟大をぶっ潰す所を!」
「少年がこっちに来るのなら、私も容赦出来ないんだって。私に勝つ気? さっき雪詰められたのに?」
挑戦的にビャクダリリーは言う。
痛みが駆け抜ける筋肉を動かして、ビシッとソレに指さした。
「ああ、そうだ。俺が勝った暁には、お前の無様な吠え面、この目に焼き付けて嘲笑ってやる!
──勝負だ。ヒラギセッチューカ・ビャクダリリー!」
外の桜はもう緑色。風で桜の絨毯が舞って、教室を彩った。
コイツの〈弐・氷花〉には遠く及ばない威力の桜が、白皙の頬に掠めて落ちる。
「──勝負だ、玫瑰秋 桜」
トーンが落ちた白銀の声は、黒く重く沈み込む。
絶対お前を泣かせてやる。
首洗って待ってろよ。ヒラギセッチューカ。
──────────
「質問の答え、未だ諦めてないからなヒラギセッチューカ」
ガラッと戸が閉まる。
頬についた花弁を取って、ゆっくりと窓の外に落とす。掃除が終わった教室には、自分しか居ない。
ヨウが帰った扉をぼうっと眺めた後、ヒラギセッチューカは絞った雑巾を窓枠にかける。
(ノリで啖呵切っちゃったけど、この先どうしよう)
ヒラギセッチューカはため息を吐いた。
玫瑰秋 桜を白蛇教に近付ける訳には行かないが、実力行使にも出たくない。
だから、ちょっと痛ぶって諦めさせようと思ったのに、逆に決意を固めさせてしまった。
これ以上の説得は逆効果だろう。失敗だ。
元々、自分が実力行使をしたくないが為の足掻きで、説得に無理があったのだから当然なのだが。
特殊な体質のヒラギセッチューカは、前に妖怪に魔素を吸われてこの上なく弱っている。
だから荒事は避けたいし、ヨウには特に手を出したくないんだけどな。と、ヒラギセッチューカは憂い顔をしながら、自分のロッカーから鞄を取り出す。
ヒラギセッチューカは何となく、戸の枠をなぞって教室を見渡した。
──俺が勝った暁には、お前の無様な吠え面、この目に焼き付けて嘲笑ってやる!
そう堂々と言い放った幼稚な少年を思い出して、紫色の右頬に手をやる。
自体が悪い方向に向かった悲しみ。
いや、それよりも。
「──おもしれー男。なんてね」
斯くして。魔女と夜刀を中心に起こる、最期が動き始めた。彼女らが会わなければ、あんな事にはならなかったのだろうか。
いや、もう考えても無駄だろう。
ワタシは、名付きを傍観するだけなのだから。
10.>>37
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.37 )
- 日時: 2023/04/16 13:45
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: XOD8NPcM)
10
◇◇◇
《ヨウ》
「別にヒラギセッチューカとは仲直りした訳じゃないって! 寒気するから辞めろ!」
必須授業が終わったお昼時。そんな俺の懇願に近い叫びが、カフェオークを基調とした喫茶店に響く。
向かいに座るルカは動揺すること無くコーヒーを飲んで、言った。
「でも、最近二人良く一緒に居るじゃん」
それは一緒に居た方が情報を引き出す機会が多くて虐め易いからであって、断じて好意的な理由で行動を共にしてる訳じゃないんだよ!
なんて言えないしな。自然と左手を額に当てて、俺は唸った。
「ヒラギセッチューカが着いて来るんだよ……」
嘘は言ってない。実際、俺がヒラギセッチューカを探す前にはもう背後に立っている場合が多い。気に入られた──と言うより、監視されている。と言った所だろう。
甘くない、とメニューで紹介されていた抹茶のマフィンを齧ってユウキが話に入る。
「今日はヒラギ、着いて来なかったのか?」
「流石に四六時中一緒に居る訳じゃ無いからな。ただ、前より行動を共にする時間が増えたってだけだから」
「ククッ。そうか」
何故か嬉しそうにユウキは笑う。悪い目つきと鋭い八重歯から生まれた暖かな笑みが逆に不気味だ。
何故ユウキはそんな嬉しそうなんだ、と怪訝に思いつつも俺は聞く必要も無いか、と自己解決する。
ヒラギセッチューカと喧嘩してから数日が経った。今日は誘われて、ユウキとルカと丘の上の喫茶店でくつろいでいる。何の用かと思って来てみれば、ただヒラギセッチューカとの仲を気にされていただけだったが。
二人はヒラギセッチューカを厭に気にしてるが、あの性悪に考える時間を割く価値なんてあるのだろうか。同情されているのか。境遇は悲劇のヒロインだからな。
それだけで他人に気を使って貰えるってのは羨ましい限りだよ。勿論皮肉だ。
カランカラン
心地よい鐘の音が唐突に鳴った。
「狐百合 癒輝、アブラナルカミ、玫瑰秋 桜。やっほ!」
二メートル近い長身から放たれた言葉に、俺達は視線が引き寄せられた。黒髪に紅色の目に白皙の肌。特別な機会にしかお目にかかれないであろう、大物が扉の前に立っていた。
「学院、長……?!」
余りの衝撃に、それだけしか言葉を絞り出せなかった。
何故、学院長ともあろうお方がこんな小さな喫茶店に現れるんだ。俺達の名前を呼んだということは、何か用事があるのか? そう思うと、途端に背筋が凍った。
「心臓に悪いので『やっほ』なんてカジュアルな言葉で話しかけないでくださいっ!」
青い顔で左胸を鷲掴みにしてルカが言った。
「めんごめんご」
と学院長は笑いながら謝って「失礼」と俺の隣に座った。驚いて思わず
「へあっ……」
と声が出てしまう。俺、最近情けない声出しすぎだ。自分を戒めつつ、頬をつねって赤面を解こうと頑張る。
「あ、俺がここに座っちゃ悪かった?」
悪い悪くない以前に、雲の上のお方にカジュアルに接せられると誰でもこうなるだろう! 心臓に悪いっ!
「とんでもない」
何とか無礼にならないであろう言葉を絞り出せて、ほっとする。
「アハハ。やっぱり近い距離で接して慌てる生徒って面白──じゃなくて、可愛らしいね」
学院長、今面白いって言わなかったか? わざとやってるのかよ!
学院長はヒラギセッチューカ並にタチが悪い性格してるらしい。というか仕草や顔立ち、使う剽軽な言葉もヒラギセッチューカと似ているような気がする。それは学院長に失礼か。
「今回はどのようなご用件でこちらに?」
机を隔てて向こうの席に座るユウキが聞いた。
「ああ、前に二人から相談受けたじゃん? ちょっと様子を見に来ようと思ってさ」
二人──ユウキとルカのことか。学院長に相談するほど重大な事、と考えると深堀するのは危なそうだな。
俺は疑問が湧き出る前にそう結論付けて、学院長の言葉を流した。
「良く私達の居場所が分かりましたね」
「学院長を舐めちゃダメだよアブラナルカミ君? やろうと思えば君達の居場所のみならず、何をして何を言ってるのかも分かるよ!」
「ひっ……」
ルカが真面目に引いている。気持ちは分かるが、一応学院長が相手なのだから隠すとかしたらどうなんだ?
学院長はルカの反応を楽しむ様に笑って「余程の事がないとしないって」と手をヒラヒラ振る。
「さて、様子を見に来たは良いものの肝心なヒラギセッチューカが居ないな……」
話が俺の知らない“相談”とやらが話の中心になりそうだ。早くも疎外感を覚えながら、俺は澄ました顔をしてコーヒーを啜った。
「やろうと思えば私達の居場所なんて、すぐ分かるんじゃ?」
「ここぞとばかりにカウンター入れてくるね君は。あの狐面を被られたら、流石の俺も分からなくなっちゃうの。あ、アブラナルカミの居場所は分かるから安心してね!」
「聞いてません。今ちょっと悪寒が走りましたよ」
「やった!」
「何で喜んでんのこの人……」
ルカが思いの外学院長に当たりが強く、コーヒーを吹き出しそうになる。学院長は気に止めてない様だが、見ててヒヤヒヤする。
「店員さーん! 居るー?」
学院長が店員を呼んだ。そんな大きくないのに声が店内に響いて、このお方は“夜刀”何だなと改めて圧倒される。
それにしても、学院長も市民の様に食事する事に驚きだ。俺が見てきた貴族達は市民の飯を犬の餌と形容する程に嫌っていたから、意外だ。
俺が会ってきたのは一部の汚れた貴族だし、学院長──夜刀様は“貴族”という枠で考えるのなら特殊な立場だから、この行動は当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが。
特殊な枠というのは、学院長専用に設けられた“夜刀伯”という爵位で──ここまで考えを膨らますのは蛇足だな。
「はいこんにちは夜刀様。御来店頂きありがとうございます」
頭上から声? と疑問に思って顔を上げてみると、濃い緑のバンダナをした店員が立っていた。
耳が良い俺が人の接近を察知できなかった何て。そんなに俺はぼーっとしていただろうか。
ヒラギセッチューカと交戦してから、どうも自分の能力に自信を持てない。正当な評価ができるようになったとも言えるが──
強くなるにはどうしたら良いんだろうか。
「俺並に美麗な店員さんに用事があるんだけどさ」
「如何致しました?」
店員が小首をあざとく傾げる。あれ、この仕草、凄く見覚えが──
「失礼?」
学院長が立ち上がった──と瞬きの刹那。ガタン、と何かが倒れる音がしたと思ったら、学院長が店員の顔面を掴んで床に押し倒していた。
目で追えない所か瞬間移動にも見える動きに、「何してるんだ!」なんて言葉は易々と喉を通らなかった。逆にそれが喉につっかえてる感覚さえ覚えて、自分の吐く息が認識できない。
「いったっ、速、いっ……」
と、学院長が伸ばす手の先から聞きなれた声が聞こえる。脳が思考を巡らすより早く、俺はその人物が分かる。
いや、分かりたくなかったな。
「ヒラギ、セッチューカ……」
学院長に顔面を抑えられたさっきの店員──の格好をしたヒラギセッチューカが、ジタバタと暴れていた。
またなんで、喫茶店で店員やってるんだコイツは。
「ヒラギっ?! ちょ、えっ?!」
ルカが一番慌てふためく。ユウキも驚いた顔して固まっている。
驚きと言えば驚きだが、そんな慌てるほどか? 特にユウキなんて、驚いて固まるなんて柄じゃない気がするのだが──
「行雲流水 温厚篤実で目立たない地味子店員の正体はなんと! 羊頭狗肉なヒラギセッチューカ・ビャクダリリーでしたー!」
パッと手を離して、ヒラギセッチューカに手をヒラヒラと向けて学院長は笑う。辛辣な内容で俺は兎も角、ヒラギセッチューカを気にかけている様なルカとユウキは笑え無いだろう。予想通り場は沈黙が落ちた。
と、解せないという表情をしながらヒラギセッチューカが沈黙を溶かした。
「学院長。詰問の許可をください」
「却下」
「何故、わざわざ私の認識阻害を解いたんだ。しかも結構ガチな動きで。必要無くないですか?!」
彼女の手元には認識阻害の狐面がある。店員の姿で認識阻害をかけて、常人のように振舞ってたんだろう。
「それぐらい出来るなら、今の状態で授業に出れば良いものの」
つい、言葉をこぼしてしまった。でも仕方ないじゃないか。
狐面を被るヒラギセッチューカは、基本俺以外に認識されてない。午前の共通授業に出席する時もだ。それを良い事にサボる事もあって、出席確認の時だけ教室に来る。
授業終わりに人によって形が違うと言われる〈ゲート〉を通じて魔道具で出席確認をする。誰かに代わりを頼むことは不可能なんだが、単位の取り方がズルくて気に食わない。
「ヒラギセッチューカは基本体内の魔素が安定してないから、あの狐面で常人の様に振る舞うにはちょっと頑張らなきゃ行けない。ただ、このお店は特殊でね。魔素が安定して使えるから彼女はああやって接客してるんだ」
俺のぼやきが聞こえていたようで学院長が答えてくれる。
まさか聞こえてたなんて、と、別に悪い事はやってないのに罰が悪くなる。というか、ヒラギセッチューカの狐面は魔素で認識度合いを調整出来るのか。店員姿の時は俺でも認識出来なかったから、ヒラギセッチューカは本気を出せば──
いや、普段は本気なんて出せない様だし、考えるだけ無駄だろ。
「学院長、私の質問にも答えてくださいよ」
「そんなカッカしないで。俺似の綺麗な顔が台無しだからさ」
なんて言って、学院長はヒラギセッチューカの額をピンッと叩く。いたっ、と言うも氷の様に冷たい表情のヒラギセッチューカ。学院長の事を良く思ってないことは明らかだ。
「心配されてるって事を盗み聞きするなんて良い事じゃないじゃん?」
「学院長の仰る通りだ。ちょっと趣味悪いぞ、ヒラギ」
学院長とユウキ二人に責められて、ヒラギセッチューカは「だってぇ」と不貞腐れながら床にうつ伏せになる。
行儀が悪いからすぐ立ち上がれば良いのに。学院長の前なのに、ヒラギセッチューカは本当に図太くて呆れてしまう。
「あの空気で私はどうしろと……!」
「いや、まあ、そうだが」
ユウキが言葉を濁す。学院長はその場をケラケラと笑いながら、ルカを指さした。
「ルカがいたたまれない余りうつ伏せになってるから、取り敢えずヒラギセッチューカは謝ろうか」
「なんで私が謝る事になるんですか!」
勢い良く起き上がったヒラギセッチューカ。
「私はバイトしてたら偶々友達の相談会に出くわしただけだっての! 寧ろあの場で正体を明かさなかっただけマシだと──」
「なあ」
ヒラギセッチューカの言葉を遮って会話に割り込んだ者が居た。
会話に置いてきぼりで気まずくいた、俺だ。
「一体、何の話をしてるんだ?」
学院長、ユウキ、ヒラギセッチューカ、ルカ、四人の視線が俺に集まる。誰も何も言わないまま時間が過ぎていって、俺もいたたまれなくなってきた。
でも、だって。周りが盛り上がってたら自分も輪に入りたいと思うのは当然だろう。俺はちょっとしか悪くない。自分に言い訳して、ポーカーフェイスを保ったまま立ち尽くす。
何となく気まずい空気。
「ぶふっ」
それをぶち壊すのは、いつもヒラギセッチューカだ。
「ぶはははっ!! 当事者が一番何も知らないとか! ぶはははっ!!」
いまいち笑い所が分からないし、馬鹿にされてる気がする。ヒラギセッチューカ曰く俺は当事者らしいが、全く身に覚えがない。
「ど、どういうことだよ」
「ヨウは知らなくていいんじゃない?」
心做し、いつもより柔らかくルカが言った。
消化不良だがユウキも学院長も説明する気は無いようだし、仕方なく飲み込むことにするか。
夏間近の皐の月。陽の光を優雅に浴びる喫茶店内ではヒラギセッチューカの笑い声が響いていた。
【完】
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.38 )
- 日時: 2023/12/08 12:50
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: FsSzscyg)
閑話:色欲に溶けて
《背景、愚鈍な俺へ》
1
「妖怪。約千四百年前の都市ラゐテラに、突如として現れた謎の──」
梅雨に入って雨ばかり降っている。今日も例外ではなく、空は灰色に沈んで雨の音が絶え間なく鼓膜を叩いている。
陰陽師コースの寝殿造にある教室。畳の教室にある文机に正座するヒラギセッチューカは、先生の説明をボーッとして聞いていた。
〈陰陽師コース〉
学院都市だけに出現する謎の存在“妖怪”の探求と、退治を行う職業──に就く為の授業。といっても、“ランク”が高ければ生徒でも妖怪退治に参加は出来るようだ。
ヒラギセッチューカは、その陰陽師コースに入っていた。妖怪の正体。それを突き止めるのは、ヒラギセッチューカにとって目的の一つとなっている。
「皆さん。配布された着物は装備出来ましたか?」
陰陽師コースの生徒は皆、配布された和服を着て活動する。ヒラギセッチューカは白衣に真っ赤な緋袴を着ていて、一言で簡単に表すなら巫女装束だ。
洋文化が濃い白銀ノ大陸で人生の大半を過ごした彼女にとって、巫女装束は新鮮だ。
(こんな布で“装備”だなんて、大袈裟だなぁ。冬とか寒そう)
なんて思いながら、掌で擦って布の触り心地を楽しんでみる。
「この着物は魔素を通しません。妖怪の魔素逆流を防ぐ事が出来ます。その代わり魔素の吸収が悪くなるので、魔法が使い辛くなることを頭の片隅に置いていて下さい」
思いの外巫女装束は便利だった。大袈裟とか言ってごめんね? 冗談交じりに、ヒラギセッチューカは着物に謝る。
教壇に立つ先生は、結界の存在や、魔素逆流の危険性に学院都市の避難所などの説明を一通りする。実際に戦った彼女にとって、この授業から学ぶ事など特に無く、退屈であった。
「──今回は以上です。次は実践授業となるため訓練場に集合してください」
やっと終わった! 他生徒が教室を出る中、ヒラギセッチューカは背伸びをして開放感を堪能する。
さて、私も行かなければ。と、彼女は教室の障子を引いて縁側に出る。外に出ると雨音が強く聞こえて、空気が湿っぽく感じる。
「もっと真面目にやれと言ってるんだ! 分からないか?!」
男の怒鳴り声が廊下に響いた。何事だと驚きつつも、声の発生源を探そうと辺りを見渡す。変わった点は特に無いし、周りの人々は気にせず移動している。
空耳だった? それにしては声が大きすぎる。
と、ヒラギセッチューカは声の方へ向かう。意外と近い所に人目につきにくい物置があった。
「真面目にやって……」
「なら今の現状はなんだ!」
女の子のような高い声も聞こえて、声の源はここだな、とヒラギセッチューカは確信する。
いじめだろうか。会話の内容からそうとしか考えられない状況に、ヒラギセッチューカは認識阻害を強めた。面白そうだからちょっと覗いていこう。不純な動機で、物置の戸を開く。
「ごめんなさい、でも──!」
夜の海のような濃い青のボブからチョンと生える様にあるサイドテールと、前髪は鼻下まで伸ばしていて瞳がよく見えない。
女の子の声の正体は、か細いながらも対抗する巫女装束を着たこの少女であろう。
「でもじゃないだろ!」
陰陽師コースで配られた男の装束を纏った方が怒鳴った。そこまでしなくても良いのに。思いながらもヒラギセッチューカは二人に割って入らず、物置を適当に漁る。
あ、あった。つい声を出した彼女の手元には〈空間認識阻害〉の魔道具があった。名の通りの効果がある高価な道具。妖怪の結界の研究にでも使ったのか。動作不良を起こして、ここら一帯が認識されにくくなっている。
ヒラギセッチューカは狐面のお陰で認識出来たものの、他の生徒は男の怒鳴り声も認識出来なかったらしい。
ヒラギセッチューカは先生に提出しようかとも考えたが、空間の認識を阻害する道具なんてどう提出しようものか。面倒臭い。そう、彼女は手のひらサイズの魔道具を床に落とし、グシャッと踏み潰した。
空間認識が解ける。が、ヒラギセッチューカはそれがよく分からない。まあ大丈夫だろう。そう、再び二人の傍観に徹する。
「お前は落ちこぼれの癖に、夜刀様直々の推薦で入学できたんだ。期待に応える為の努力ぐらいしたらどうなんだ!」
そんな怒鳴らなくても良いんじゃないか。とヒラギセッチューカは、男の顔を覗いて、目を見開いた。
闇適性者に現れる黒髪に、炎適性者に現れる赤い目。それだけでも異質なのだが、ヒラギセッチューカが驚いたのはその色。
闇適性の黒髪は、厳密に言えば黒紫色だ。しかし彼の髪は混じりっけの無い真っ黒で、夜刀 月季を彷彿とさせるものだった。
それに、赤い瞳も炎適性者と思えない。こちらも夜刀 月季を彷彿とさせる──いや、
「私と、同じ目?」
「?!」
唐突に現れた“誰か”に驚いた男は、出かかった言葉を引っ込めてヒラギセッチューカを見る。
白い女。普通の人と変わらない。狐面の効果で、男はヒラギセッチューカをそう認識した。
学院長はさも、ヒラギセッチューカは外では狐面を上手く調整出来ない様に言っていたが、別にそうでは無かった。喫茶店の外では、ヒラギセッチューカは上手く魔素を操れないのは事実である。ただ、彼女の技術でカバー出来ているだけ。
「お前っ、急に、どこからっ!」
男は驚きと怒りをぶつける。ヒラギセッチューカは申し訳なさと後悔でたじろぐも、男への興味がそれを上回ってしまった。
「きゅっ、急に来て黙り込むなよ! これは俺達の問題だ。正義のヒーローのつもりか?」
「嫌、私は貴方に用がある。えーっと──」
よく見たら雰囲気に見覚えがある。そうだ、同じクラスの、えっと。クラスメートを良く見ていないから分からない。
この男の『目』を見逃していたのなら、大きなの失態を犯しているな。と、ヒラギセッチューカは後悔する。
「相手の名を知りたいなら、自分から名乗れ」
ヒラギセッチューカがどう呼ぼうと迷っていた所で、男は言った。
「縹のヒラギセッチューカ・ビャクダリリー」
「大黒 蓮叶。縹だ」
“ヒラギセッチューカ”と聞いても『白の魔女』と繋がらない様子に、クラスメートは自分の名前を覚えて無いらしいとヒラギセッチューカは安堵する。と共にちょっと残念だ、なんて。それよりも。
「その黒髪と、紅色の目が気になってね。お邪魔してごめん?」
ヒラギセッチューカは直球に聞いた。
確かに自分の目と髪は特別だが、この状況にわざわざ割って入る程か? と、レントは怪訝に思う。
「それ、今じゃなきゃダメか?」
「今すぐ聞きたいかな」
変な奴。レントは思うが、邪魔するつもりにも見えない。ただ好奇心のためにこの場で話しかけたとすれば、余程空気が読めないか、自分の特別な体質を重要に思っているかのどちらかであろう。
どちらにしろ。レントはヒラギセッチューカがこの場から立ち去ってくれればなんでも良いからと、話を始めた。
「天使って、種族は分かるか」
「名前だけなら」
「夜刀様の血を濃く受け継ぐ種族のことだ」
夜刀の血を濃く受け継ぐ。学院長に子供がいたのか。なんて冗談はさておき、ヒラギセッチューカは天使について大体を理解する。が、黙っておいた。
「そして俺は天使の中でも特に、夜刀様の要素を色濃く受け継いでいる。髪と目はその現れだな」
自分の目と同じ、夜刀の力が濃い紅色の目。そうヒラギセッチューカは、何となく自分の紅い目を触った。
「それだけ。教えてくれて、ありがとレント」
「本当に、それだけなのか?!」
レントが驚きの声を上げる。本当にそれだけである。
ヒラギセッチューカはもう少し二人の様子を見物していたかったのだが、姿を見せてしまった以上そうもいかない。
(せめて、青髪ちゃんを救う正義のヒーローが現れることを祈っておくよ)
ヒラギセッチューカはそそくさと戸に手を掛ける。
>>39
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.39 )
- 日時: 2023/07/16 12:51
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: VB7Q11rn)
2
「まって、行かないで──!」
青髪の女が助けを乞う。
助けてやることも無い、ただ、それは面白くない。ヒラギセッチューカは、
「貴方を助ける理由が、私には無い」
と青髪の女を突き放した。
勿論、ヒラギセッチューカも人を可哀想と思う程の情は持ち合わせている。彼女は少々──いや、かなり享楽主義な面があるだけだ。快楽至上主義の一歩手前。楽しそう、という理由だけで人の願いを踏み潰す。
「こんな天使の恥さらしに構うことは無い。俺は、リリィの落ちこぼれ具合を矯正してただけだ」
青髪の女は天使で、リリィと言うらしい。ほーん。とヒラギセッチューカはレントの表情、仕草と、リリィを見つめた。
とても矯正には見えなかった。かと言って状況そのままの虐めとも思えず、ただヒラギセッチューカは笑う。
(怒鳴り声はキツイけど、リリィへの理不尽な暴言とも思えない。レントも悪い人って訳じゃない様だし──)
気にかけている子ほど、過干渉になってしまう。というものだろうか。なんて、ヒラギセッチューカはその場の印象だけで予想してみる。
実際の所、彼女の考えはほぼ正解であった。ヒラギセッチューカとは別教室。リリィが制服のまま授業に出てしまい、レントがそれを叱って居る所だった。
リリィの言い分は、確かに自分は悪いことをしたがそこまで怒る程じゃない、というもの。レントも然程怒る気でも無かったが気になる幼馴染相手故、大声で怒鳴り始めてしまったのだ。そこにヒラギセッチューカがやってきて、今に至る。
そこまでは予想出来ないにしても。リリィが正当でも過剰な叱りを受けている事と、レントのもどかしそうな気持ちを、面白そうな場面に敏感なヒラギセッチューカは読み取った。
「そうだね。場合によっては助けてやらない事も無いかも」
「何っ、私は何すれば良いっ!!」
リリィは必死だった。自己肯定感が低く自分を追い込みやすい性格故に、自分を俯瞰して見る余裕が無い彼女にとって。レントには虐めを受けた記憶しか無いのだから。
ただ、長年自分を執拗に虐めるレントから助けて欲しい。そんな身勝手な願いも込めて、リリィはヒラギセッチューカに助けを乞うた。
最悪な噛み合い。でも、それが良い──
小刻みに震える健康色のリリィの手に、ヒラギセッチューカは触れる。そこからはカンタン。青い天使の子の足を引っ掛けて、ヒラギセッチューカ自身の胸に倒れ込むよう仕向ける。勢いを利用し、タタッ、と後ろに踊るように下がって、リリィの手を取ったヒラギセッチューカ。
白皙の肌にじんわりと、リリィの体温が伝わって。関係無くヒラギセッチューカの胸が踊って熱くなって。リリィが見る景色が一変して。
鮮やかな曇天の灰色に堕ちた世界が、全てを呑み込む。リリィの胸を押し潰すその様は、呼吸を忘れるほどに美しかった。
「──私に、このお姫様を奪わせてよ。」
は。レントの息から一音落ちて、ポトッと雨音と重なるように床に落ちて、溶けた。
何言ってるんだ。言葉が出かかって、レントは止めた。狐面越しでも分かる程に、ヒラギセッチューカが不気味に笑っていたんだもの。
自分の気持ち全てを見透かされている様だ。彼女の超越された表情仕草をヒシヒシと感じ取って、レントの全身を危機感が這いずり回った。
「リリィに、何、する、つもりだ」
「虐めの加害者が、何故リリィの味方ヅラしてるんだろうね?」
(違う。虐めてなんか居ない。俺は──!)
でも、ヒラギセッチューカから見たら。いや誰からでも見たら、自分が今までやっていた事は虐め同然だ。でも、なら。
(落ちこぼれなのは変わらないリリィを、俺はどうしたら良いんだ──!)
どうしようも言えない負の感情がレントを呑み込む。と同時に、肌を針に変えるような勢いの敵意があった。
ヒラギセッチューカにリリィを渡したらいけない。
その危機感は、夜刀の要素を色濃く受け継ぐ彼だから感じるものなのだろうか。それとも、好意の相手と上手く話せなかった事への、言い訳作りだろうか。
どっちでも良い。
自分達を愉快に見つめるヒラギセッチューカに、気弱なリリィを渡すと後、どうなるか分からない。
「〈壱・暗槍〉!!」
沈着冷静を地とするレントにとってらしくもなく、魔法を詠唱した。
黒紫の鋭利な水晶幾本が出現する。狭い物置を丁寧に縫って、全てヒラギセッチューカに向かった。
「〈弐・氷花〉」
薄藍色の花弁らが黒紫と衝突。脆い魔素の塊である黒紫の水晶は、砕け散ってしまった。
「この、魔女がっ!」
「人聞きの悪い。蠱惑的って言ってよ」
と、ヒラギセッチューカはリリィを胸に押し付ける。むぎゅ。と脂肪に埋もれたリリィは、思わず声をあげる。
と同時に、ヒラギセッチューカは狐面を少しだけズラした。真っ白な髪に真っ白な肌。真っ白な瞳がちょっと、見えるぐらい。
「魔、シロ、まじょっ……」
レントが慌て絶句し、その後どうしたかなど言わずもがな。
幼い頃からずっと言い聞かされた化け物の一部を目にしたレントは、彼女の艶やかな髪一本程度で脳内を真っ白に染められた。
今はどういう状況か、自分が何をしたかったか何て忘れて、ただ必死に声もあげずその場を走り去ってしまった。
この世界における白髪は、異質と同時に畏怖されるものである。
「と分かってはいても、やっぱり、こう。くるものはあるね」
何て独り言をヒラギセッチューカは零す。
自分の顔が見えないよう胸に押し込んでいたリリィの手を離して、ヒラギセッチューカは言った。
「助けたよ」
「え? あっ、ありがとうございま、す。あの、私は何をしたら──」
「あーそういうのいーから。対価はもう、貰ったしね」
リリィが持つ、レントへの好意という対価を──。元々そんな物は無かったかもしれないが、今回ので地の底に着いたどころか地中に埋まっちゃっただろう。なんて、意地悪を言わない私はなんと良い人なんだろう。
ヒラギセッチューカはクスクスと笑う。
「でも、私の気が済まなくて」
「じゃあ、友達になろうか」
「いや、でも、私は落ちこぼれの天使で! それがお礼じゃ貴方が──」
「天使は全員落ちこぼれだよ」
「え、天使ですよ? 夜刀の、血を引いてる──」
実際は血を引いているとは、少し違うが訂正する程でも無いからとヒラギセッチューカは口を閉じる。
「なんで落ちこぼれなの?」
無粋を承知でヒラギセッチューカは聞いた。
リリィはドクンと胸が鼓動する感覚を覚えて変な汗が出る。けど真っ直ぐな質問を誤魔化す事もできず、怖々と答えた。
「私、生まれつき放出できる魔素量が少なくて。それに勉強も運動もダメダメで、いつも同族に──」
放出される魔素量が少ないと、魔法は低威力のものしか使えない。魔道具だって使えるものは限られるだろう。その上“夜刀”を濃く受け継ぐということは、天使は魔法に長けている種族ということ。
リリィの肩幅が今までどれほどだったかなんて、ヒラギセッチューカは簡単に察せられた。
「そりゃぁ落ちこぼれだぁ」
「っ──」
リリィは顔を俯かせて黙り込む。生まれつきと言っても皆より劣っているのだから。そこを突かれたら、誰だって何も言えなくなる。
「で、落ちこぼれだから、何?」
そのヒラギセッチューカの言葉がリリィの心に、少しの火をつけた。
「何、って。勉強も運動も魔法も性格もダメダメで、私はそれで苦しんできた! それを、だから何。だなんて!」
「じゃあ、貴方はどんな努力何をしてきたの? 落ちこぼれから、脱却するための」
リリィは言葉を詰まらせた。努力をしてない、という訳じゃない。お家のお使いは偶にしていたし、言われたら皿洗いも。あと、折り紙の練習も頑張って。えっと、他には何があっただろうか。
思い出せば出すほど、自分が不利になる記憶しか出てこないリリィは唇を噛んだ。
「夜刀学院に入ったのは学院長直々の推薦だし、凄く沢山勉強してきた訳じゃない、けど。努力したくてしてこなかった訳じゃ、無くて──!」
「ぶはっ、思った以上だこれは」
唐突に吹き出すヒラギセッチューカをリリィは不思議がった。自分が醜態を晒しただけのどこに、笑う要素があったのだろう、と。
「貴方はそれで良い。逆に、それでなきゃダメだ」
「どういう、こと?」
ヒラギセッチューカはビクビクするリリィの手を両手で重ねて。初めてあってから今までのたった数分間に思いを馳せた。
「そう、必死で頑張っても努力すらできずにレントのような人に虐められて。それを“落ちこぼれだから”と、『自分はもう少しマシ』って思い上がりから来る感情で自分を責め立てる、どうしようもなく自分の欲に忠実で前を向かない。そんな貴方に私は惚れ込んだの」
落ち込む初対面相手の長所を並べて励ます──なんて、このヒラギセッチューカがする筈なかった。短所どころか要所要所で貶し言葉を言い放ったヒラギセッチューカは、悪気なく笑っている。
それもそう。“そんなリリィに惚れ込んだ”この言葉は彼女の本心なのだから。
「酷い、酷い……。私は、頑張って──」
勿論リリィは良い気がしない。虐めっ子から助けてくれた白馬の王子様が、醜悪な魔女に一変する。けど、心のどこかで少し、安心もしていた。
(この人は、正直に言ってくれるんだ──)
それに、
「ストップストップ。私は、そんな貴方が好きなんだよ? 確かに酷いこと言ったかもしれない。けど変えられない事実で。それらひっくるめて、私はリリィを好きだって言うの」
と笑って言う。
自分を否定する言葉の数々にだけ反応していたリリィは徐々に落ち着きを取り戻して、ヒラギセッチューカの顔をまじまじと見る。
さっき会ったばかりで、言った通りのどうしようもない自分を好き、だなんて。ただリリィは恥ずかしさと驚きで、みるみる間に顔が赤くなった。
でも、リリィは“何で”と言わなかった。その答えの先は良いものか悪いものかリリィには分からない。ただ彼女にとって、ダメな自分を好きになってくれる存在の方が大事だったからだ。
「本当、に?」
「うん。逆に今はこっちが驚いてるかな。もう少し、強い反論が来ると思ってたからさ」
「私、全教科全然分からないし魔法だって加護だって上手く発動出来ないし、性根だってさっき言った通りで──」
「それが、良いんだよ」
だって、その方が扱い易い。レントの驚き慌てふためき、必死でリリィを取り返そうと自分に挑む姿が簡単に見れるんだから。
ヒラギセッチューカの不純な動機など知る由もないリリィは、感極まった余りに袖で鼻水を拭う。そして、言った。
「私、リリィ・ディアス」
「私はヒラギセッチューカ・ビャクダリリー。宜しく、私のユージン?」
曇天から溶けた蝋は重く落ちて、真っ白い砂に溶け広がる。不気味で胸が重くなるような景色であっても、自分に都合が良い存在への想いは消せなかった。
【完】
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.40 )
- 日時: 2023/12/13 19:33
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: /YovaB8W)
第五項:《大黒 104-9》
1
──ウワサの化け物の子じゃない?
ちゃぶ台ぐらい広がったスカートのドレスに、沢山の色の宝石を身に纏う女性。その傍らに佇む黒服の、多分ボディーガードの人が、俺の方をみつめている。
なんだか顔が引きつっていて、俺が前へ進むと、みんな後ろへ下がる。
──やだ汚らわしい。どっかやって頂戴。
黒服の男が大股でやってきた。と思うと、不意に強い衝撃に世界が支配される。視界が一瞬真っ白になった。腹に革靴がめり込む。喉から胃液が込み上げる。
足蹴りされた俺の体は、ぽーんと後ろへ飛んでいく。体と地面が擦りあって、軽く火にあぶられたみたいな痛み。
それと共に、女性の安堵の息が聞き取れてしまった。俺を本気で気持ち悪がっていた証拠を、この耳は探しだしてしまった。
帰りましょ。そう呟いた彼女らは、玄関に向かって歩いていく。
やってきたメイドの一人が泣きそうな声で謝罪をするも、女性らは振り向きもしなかった。
玄関の扉が閉まる。顔を上げたメイドの睨みの効いた瞳が、背筋に針金を突き刺したみたいに痛かった。
──人前に出るなと。私はそういった筈よ?
やってきた姉様の言葉は、氷以上に冷たかった。
屋敷にやってきた客には顔はだすな。そういわれている。理由を問えば、晟大の息子だから。バケモノだから、なんて言われる。俺、見た目は普通のヒトなのに。どこがバケモノなんだ。
それに、俺から顔を出したんじゃない。お客さんとは廊下でバッタリ会ってしまったんだ。だから挨拶をしたら、蹴られた。何もやってないのに。
その旨を伝えると姉様は顔にシワを寄せる。
──言い訳しないこと! お前は部屋から出てくるな! そこで死ぬ方法でも考えてなさいっ!
パシン。頬に熱。その力があまりに強くて、勢いそのままに体は大理石に叩きつけられる。鈍い音が体から鳴る。筋肉が絞られているみたいに痛い。
玫瑰秋家 当主である親父は行方不明。姉様は代わりにウチの領地を管理するとともに、俺の面倒もみてくれている。仕方なく、みていると言い換えた方がいいか。
進んで面倒をみてくれているなら、俺を叩いたりしない。
屋根裏部屋に置いといたりしない。
カビの生えたパンを出したりしない。
──死ね。
温度のない瞳で、そんなこと言ったり、しない。
たった二文字が心臓に焼印をつける。
この場にいる俺、欲求をもつ俺、生きているだけの俺、全ての俺を否定するたったそれだけの言葉。俺の何一つも肯定する気がないという、意思表示だ。
横になる俺に、姉様が蹴りを入れる。蹴る。蹴る。湧き上がる感情そのままに、蹴る。熱した鉄がへそから内蔵を食い破るみたいな、無情な痛みが連続して止まない。
やめて。痛いからやめて。何も悪いことしてない。やめて。
喉が焼ききれそうなぐらい叫ぶ。蹴りは止まない。むしろ勢いは増す一方だ。
姉様の、俺を尊重するつもりは微塵もないという意思が嫌でも分かってしまう。痛みとともにやってくる絶望。
全て肯定されないなんて、変えられない現実が俺を嘲笑う。
喉を酷使しても叶わない願いしかない、地獄が俺を襲う。
なんでこんなことするの。
俺はなにも、悪いことしてないじゃないか。
バケモノだって、いうけど、見た目は普通の、ヒトじゃないか。
なんでみんな、酷いことするの。なんで他の子には優しいのに、俺には蹴ったりするの。
俺に味方はいないの。俺を肯定してくれる人はいないの。
誰か、助けて。誰でもいい。俺に笑いかけて。俺の頭を撫でて。俺は、ここにいていいって。それだけ、その一言だけ、頂戴。
誰か、俺の味方をちょうだい──。
◇
ジリリ。細かい音が脳を叩く。カーテンの隙間から入り込む朝日がうっすら見える。
ちょっとジメジメした空気と薄暗い部屋。頭上で鳴り響く目覚ましの音が、部屋の静けさを強調する。
午前六時。
二本の針があらわす意味を理解して、音を止める。やってくる本物の静寂。目覚まし音で聞こえなかった鳥のさえずりが早朝を飾る。
「──くっそっ」
悪態をつく。何に対してかは分からない。けど、どうしても何かを罵りたい気分だった。
重い体を持ち上げる。とともに枕を壁に投げる。ぼふと、とても攻撃的とは思えない音を吐き出し、枕は落ちる。
またこの夢だ。触れたくない傷口を抉りだす夢。
今、俺は〔夜刀学院〕の寮で暮らしている。親父にだって近づいている。今更昔のことを思い出す必要はないのに。
手元の目覚まし時計をなげる。ガシャン。向こうの壁にぶつかった。
金属が触れ合い、中から何か爆発したような音がする。パラパラと、細かいネジが落ちる。さっきまで六と零を指していた針は、今はなんの数字も指していない。
ざまあみろ。何に対してだろうか。そう思った。
しばらくして頭が冷えてくると、時計を壊してしまったことに気づく。どうしよう。なんて後悔が今更襲ってきてさらに苛立ちが積もる。
今日の放課後、時計屋に行けばいい。そう俺は制服を着て玄関を出る。
中身が飛び散った時計は、床に散乱したままだった。
◇
〔皐の月〕も終わりにさしかかり、梅雨が近くなってきた。
歩くたびにコツコツと音が鳴る。深い茶色に囲まれた和風建築の木造校舎。さっきまで武術の授業をしていたこともあり、廊下は熱気で満ちている。
鼻奥にツンと来る刺激臭。みんなちょっと汗臭い。
そういう俺も臭い。
運動用の着物は、元々の青色が汗でもっと濃い青色になっている。
ここは〔夜刀コース校舎〕と呼ばれる、〔夜刀コース〕の活動に使われる校舎。生徒の間では“ヤコウシャ”なんて呼ばれてる。ヤツノとコウシャを織り交ぜた結果らしい。
ちょっと爽やかな匂いがする木の板が、壁に重なっている。和風木造建築だ。洋風文化の〔王都ネニュファール〕出身の者としては、趣のある雰囲気が新鮮で気に入っている。
「おっしゃ、授業も終わったし帰るべ」
「帰りに飴屋行かんかー?」
既に着替え終わったらしい男性達が横を通り過ぎる。っしゃぁ、と笑いながら肩を組み、下らない話をして笑っている。
遠い世界だ。俺を横切る人々と俺の間に、なにか区切りがあるように思えてしまう。
寂しくはない。悲しくもない。一人でいることには慣れている。
それに俺だって仲が良い奴ぐらいいる。そう、俺を蹴ったり殴ったりしない、ユウキとルカが。
さっきの人を羨ましいなんて思うもんか。
ふと、ユウキとルカから向けられる視線を思い出す。口元は笑っているのに、邪魔だと言わんばかりの冷たい目。いや、きっと気のせいだ。学院に来る前の生活と同じにしてしまっているだけだ。
そう、自己完結する。無理がある隠し方だと自覚しても、それ以上何も気がつかないように思考を止める。
というか、復讐に仲がいいヤツなんていらないじゃないか。何考えているんだ俺は。羨ましくないのに、なんでここまで思考を発展させているんだ。俺、変なの。
「──あの」
ふと、声をかけられた気がする。
一瞬立ち止まって、俺じゃない人に声をかけたつもりならどうしようなんて思考がよぎって、それでも振り向いた。
なんの用。そう言いたかったのに、声の主を視界に入れた瞬間言葉を失った。
俺の真後ろに、その少年は立っていた。身長は俺より少し高いぐらい。俺の真後ろに立っていることから、声をかけたのは俺で間違いないはずだ。
問題はその容姿。
肌を強く打ってできる薄紫のあざの色が、少年の全身の肌を包んでいる。
双眼と短髪は黒色をしているが、虹彩が真っ黒になる〔魔法系統〕なんてない。俺のような〔闇系統適正者〕だって、黒に近い色をしてはいるが本当は黒紫色だ。
さらに両目を覆う膜、結膜は穴が空いているんじゃないかってぐらい真っ黒だ。本来そこは、白色のはずだろ?
こんな容姿の種族は見たこともない。肌色も結膜も髪も目も、本来の色から遠くかけ離れていた。
背筋をなでられるような恐怖。しかしここは〔夜刀学院〕だ。見たこともない種族がいてもおかしくはない。それに〔縹〕のマントと制服を纏っていることから、きっと俺と同級生だ。悪いやつではあるまい。そう、自分を必死に落ち着かせる。
「なんの用」
しばらくの沈黙の後、俺はようやく声を出せた。
目の前の少年は、えっと。なんておどおどしながら、俺になにか差し出してきた。
薄い青色に白色の花の刺繍が入っている、見覚えがあるハンカチだ。
「これ、落としてたから。君の、だよね?」
「──え?」
要するに、なんだ。コイツは俺のハンカチを届けにきてくれたって、そういうことか?
わざわざ俺に声をかけて? 俺を気遣って?
ぶわ、と鼻奥に熱が広がる。恐怖も不安も警戒心も、溢れ出てくる温かさに包まれてしまう。
ハンカチを拾ってもらった。
たったそれだけの事実が、よくある事象が、それでも初めて体験する出来事が、頭の奥深くに染み込んで感情を湧き上がらせる。
喉から登ってくるこの感情は言語化できないぐらい大きくて、沢山で、けど負の感情が混ざっていないことだけは分かって。
爆発的に体を支配する感情を、どう受け止めたらいいか分からなくて。
「──え、あ、泣いてる?!」
少年が驚いている。その顔がやけに滲んでいた。いや、顔だけじゃなくて見える景色全てが滲んでいた。まるで水ごしに景色を見ているような。
ふと、目に手をやると、ボトボトと透明な雫が床に落ちた。
「──ぁ」
そこからはあっという間だった。濁流のように涙が流れてきて自分でも止められない。
声を出したかは覚えていない。ただ溢れ出る感情の受け止め方が分からなくて、必死にもがいていたような気がする。
その間少年は、慌てふためきながら俺の背中をさすってくれた。
2.>>41
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.41 )
- 日時: 2023/12/13 19:34
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: /YovaB8W)
2
ズズズ。鼻息を思いっきりして中身をだす。拾ってもらったハンカチを使ってそれを拭き取った。
真っ白なハンカチが薄く黄色くなった。ちょっと気持ち悪い。洗濯したら綺麗になるだろ。
そう、俺は見て見ぬふりをしてハンカチをたたみ、ポケットに入れた。
紫肌の少年の方をみると、なんだか顔を顰めている。何かあっだろうか。まあいいか。
「ごめん、助かった」
「あ、う、うん。怪我はなさそうで何よりだよ」
そう、少年はさわやかに笑った。
廊下で呆然としてしまった俺は、少年につれられて近くの公園までやってきた。
ベンチに座り、それでも感情を抑えきれなかった俺を、少年は今の今までなぐめてくれていた。
見ず知らずの俺にここまでしてくれるなんて、と思い出したらまた泣きそうだからやめよう。
鼻の中に溜まっていたものが無くなって息を吸う。
さわやか、とはほど遠いしめっぽい空気が喉奥に向かって、もっとジメジメした空気を口からだす。
「悪いな。付き合わせちゃって」
「全然! そんなことないよ。むしろ、役に立てたなら嬉しいよ!」
そう、少年は満面の笑みを浮かべた。
初めは二重の意味で異色な容姿を恐ろしく思ったが、意外と悪くなく思えてきた。
そういえば、少年はなぜ俺に話しかけられたのだろうか。
俺が玫瑰秋 桜であることを知らない? いや、俺の噂(うわさ)が広がっているのは一部の貴族の間だけだ。この少年は貴族の噂が届かない、もっと世俗的な人間なのかもしれない。
少年は、あ、そうだ。と思い出したようにこぼす。なんだろうと思っているとこちらに顔を向け、胸に手を当てる。
「自己紹介がまだだったね」
そういえばそうだ。俺も少年もお互いの名前を知らないままだ。
僕の名前は。続けて少年は言った。
「《大黒 104-9》。〔縹〕の二十五クラスだよ。キュウって呼んで」
104-9。そして、大黒。心臓がドクンとはねた。
俺は、この名前を知っている。厳密に言うと、この名前の形を知っている。
“大黒”という苗字は〔夜刀教〕に保護された、苗字をもたない者に付けられる。
夜刀様が学院長を務めるこの学院では良く見かけて、〔司教同好会〕のヒナツ先輩もそうだ。
そして“104-9”──名前に番号を持つ者は、殆どが奴隷。
近年、奴隷制度は人権がどうのこうの倫理が道徳がうんたらかんたらで、奴隷自体が減少傾向にある。が、ゼロになった訳じゃない。
特に〔王都ネニュファール〕はそこら辺が緩いし、そーゆー事する大人は確実な証拠をかくすのが上手い。
奴隷でなかったら改名できるだろうし、この少年は現役の奴隷だろう。主の意向で学院に通えているのか、はたまた学院に入学できるほどの実力者か。
どっちみち〔王都ネニュファール〕出身の者だろうと見当がつく。
ちょっとめんどうくさいヤツだな。あつかいに困る。それでも、ハンカチを拾ってくれた親切な少年だ。
なるべく傷つけたくないし、見放されたくもない。
「よろしく。俺は玫瑰秋 桜、一クラスだ。よろしく、キュウ」
手を差し伸べると、むらさきの肌が握り返してくる。
氷水につけた布みたいに、キュウの手がぺったりはりついてきた。冷たくてちょっとびっくり。見た目だけじゃなく、体の性質も変わっているのだろうか。
「え、キュウ?」
ふと声がした。高いナチュラルボイス。聞き覚えのあるその声に、反射的に振り向いた。
長い金髪を高いところでふたつに結ぶ褐色肌の少女。とがった耳が特徴的なエルフ、ルカだ。
「あ、ルカちゃん!」
キュウがルカに手をふる。どうやら二人は知り合いだったらしい。
ルカはトコトコと早足で、それでも遅いほうだが駆けてくる。
「めずしい組み合わせ……。てかうわっ、ヨウ目はれてるじゃん」
ルカがあからさまに苦い顔をした。そんなに俺の顔はひどいのだろうか。はたまた、はれ具合から何があったかをさっして引いているのか。
どっちも嫌だが、どっちもありえる。
「うるせぇよ」
泣いていたと思われるのはプライドが許さなかった。心の底からの嫌悪を吐き出して、自分の弱い部分をかくす。
ルカはしばらく黙りこみ、人をさせるんじゃないかってぐらい鋭い目でみつめてきた。心臓に冷気が吹きかけられる。
「というか、今日の放課後は喫茶店集合だったじゃん。何こんなところで油売ってんの?」
「そういうルカこそ。ずいぶんとおそい帰りじゃないか」
冷える空気。ピリピリと静電気が走るみたいな雰囲気。俺とルカはしばらく睨み合って、険悪なムードが続く。
「ご、ごめんっ。ヨウ君は僕が引き止めたんだ!」
と、キュウが暗い雰囲気をうちやぶった。
あっそ。ルカはふいっと俺から目をはなす。ざまあみやがれ。
キュウに引き止められたわけじゃないし、むしろ俺が引き止めた側だがいう必要はないだろう。
「というか、事情はわかったから早く行きましょ」
そうルカは話題を変える。俺からしたら話題を逸らしたみたいにみえて、優越感が胸に広がってたまらない。
今日はユウキ、ルカ、あとあの白髪と喫茶店で話し合うことになっている。議題は〔強制遠足〕の班員についてだ。
近々行われる学年行事、〔強制遠足〕。
五人以上、七人以下で一つの班として認定され、自由に班を組むように先生に言われている。
そこで俺、ルカ、ユウキ、ヒラギセッチューカは同じクラス、そしてちょっぴりはぐれ者ということもあり自然と集まった。が、俺たちは四人。最低でも一人足りない。
そこでルカは、勧誘先に一人、心当たりがあると言った。
今日は、その人との顔合わせもかねての喫茶店集合となっている。
朝こわした時計のかわりも買わなきゃ行けないし、ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと帰ろう。
そうベンチから立ち上がると、キュウも立ち上がる。
たまたま動きがシンクロして面白いなー、なんて思っていたら俺もキュウもおなじ方へ歩く。
歩幅も歩数も手をふる向きも見事に同じ。俺たちが向かうのはルカの背中だ。
ちょっとビックリしてキュウの顔をみる。ちょうどキュウも立ち止まり、俺をみていた。
なんだか予感がして、俺はルカに問いかける。
「なぁ、ルカ」
「何」
不機嫌そうにルカは振り向く。もうちょっと愛想があってもいいじゃないか。
「俺たちの班に入るのって、もしかしてキュウ?」
となりのキュウを指さしてみる。ルカは特に表情筋をくずすことなく、難なく答えた。
「そうだけど?」
3.>>42
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.42 )
- 日時: 2023/12/13 19:34
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: /YovaB8W)
3
木材の特殊な香りがする。俺の足元を照らす太陽の光は、ステンドガラスによって鮮やかな赤色になっていた。
香ばしい香りがするコーヒーを一口すする。
思ったより熱くて舌が焼けそうになるも、慌てるのはカッコ悪くて恥ずかしかったから、平気なフリして水を飲む。バレてないよな。たぶん大丈夫。
丘の上の、ヒラギセッチューカがバイトをしている喫茶店。
俺の向かい側にはルカ、キュウ、ヒラギセッチューカの順で並んでいて、となりにはユウキが座っている。
俺のななめ右。一番遠いところにヒラギセッチューカがいるのは何か意図を感じる。
「大黒 104-9、です。班にいれてくれてありがとう」
キュウが改めて自己紹介をする。
喫茶店に着くとユウキ、ヒラギセッチューカがもう着いていて、そのまま流れでキュウを班員として迎えることになった。
これで〔強制遠足〕には参加ができるな。けれど、なにか胸につっかえるものがある。
「なぁ、〔強制遠足〕って何の行事だったっけ」
漠然とした違和感でぼーっとしながら、疑問をこぼしてみる。ルカは口に含んでいたクッキーをごくんと飲みこみ、嫌な顔。
「えー、話聞いてなかったの?」
「うるせぇ」
もちろん話は聞いていた。
〔司教同好会〕の一件もあり、それはもう耳に穴が空くぐらい真剣に聞いた。〔強制遠足〕について聞き込みだってした。
えられた情報は、〔強制遠足〕を機に退学する〔縹〕生徒が多いこと。寮の清掃のおじさん達は「それぐらい大変ってことかねぇ」なんてボヤいていた。
「〔強制遠足〕は〔都市ラゐテラ〕周辺に生息する魔獣。〔化け狸〕がもつ魔石を集める〔縹〕の学年行事。それだけ」
ルカが分かった? と俺に聞いたから、わかったと軽く返す。
そう、魔石集め。それが〔強制遠足〕の内容だ。名の通り遠足。長距離になるから“強制”がつく。それだけ。
ヒナツ先輩やエルザ先輩が意味深なことをいっていた割には、普通の行事なのだ。〔化け狸〕は強い魔物でもないから、難易度が高いとも思えない。
えられた情報と、先輩たちの反応にひどい温度差がある。そこが、違和感。
しかしこれ以上調べようにも調べる先がない。
先生、近所の人、清掃のおじさんやおばさん。聞けそうな人は全部まわったのだから。
これ以上考えてもでないものはでないんだから、考えたって仕方ない。
そう、頭にまとわりつく違和感を払拭する。
「それでぇー、一つ」
と、ヒラギセッチューカが手を挙げた。今の彼女は狐面を被っている。
ルカとユウキは知り合いということもあり、ヒラギセッチューカを認識できているらしい。が、キュウ目線は、特段あげる特徴もない平凡な生徒にみえているだろう。
俺からは、ヒラギセッチューカが狐面を被っているようにしか見えないが。
狐面は右目が閉じていて、左目があいている。
そこからみえるヒラギセッチューカの瞳は真紅色で、いつになく鋭い光を放っていた。
「大黒 104-9」
ヒラギセッチューカの声はまっすぐだ。
いつもは飄々としていて力の抜けた声なのに。
なんだかただ事じゃない気がして、自然と背筋が伸びる。
「君、人間?」
ヒラギセッチューカの問い。それは非常にデリケートな領域に踏みこむものだった。
この世界、ディアペイズの社会は、沢山の種族が交わって暮らしている。
それらを総称して人間。
ヒラギセッチューカやユウキのような見た目をした種族を“ヒト”と呼ぶ。
アラクネや獣人族など、パッと見でわかる種族もいれば、〔ヒト〕かどうか判断がつかない種族もいる。吸血鬼なんかが、そうだな。
一方でキュウは、俺でも見たことがない種族だ。ヒトの形をしているが、ヒトじゃないとわかる見た目。
正直不気味である。しかしそこは踏みこんではいけない領域だ。下手したら種族差別だとか思われて、関係がこじれる。
なのに。
コイツは軽々その領域に入り込みやがった。
しかも土足で。
相手を思いやる心とかないのかコイツ。
恐る恐るキュウを見てみる。キュウは特段嫌な顔はしておらず、それでもうーんとうなって返答に困っていた。
「えっと、えっと。〔半妖〕とは、言われてるんだけ──」
「半分 妖怪って意味?」
ヒラギセッチューカが食い気味に問う。その圧力に、キュウは泣きそうな顔で言葉を探している。
「わ、分からないよっ。そう言う意味、だとは、思うんだけど──」
真っ黒な瞳をうるませて、キュウが口をモゴモゴとならす。
ハンカチを拾ってもらった恩人ということもあり、その様子をみているとズキリと心が痛む。
「ふ、ざけんなっ──」
ふるえたヒラギセッチューカの呟き。と、ヒラギセッチューカは、ルカを挟んでとなりにいるキュウのネクタイを掴んだ。
ひえっ。とびっくりしたルカの悲鳴。連なるように、ヒラギセッチューカが叫ぶ。
「どういうつもりだ、キュウっ!」
それはこっちのセリフだ。初対面の人の種族を聞いて、さらに襟まで掴むなんてどういうつもりだ。
「ヒラギ、ちょっと落ち着け。な?」
ヒラギセッチューカの向かいに座るユウキ。
彼はヒラギセッチューカの腕に手をやり、ゆっくりとキュウからはなす。
ヒラギセッチューカはユウキを軽く睨んで、それでもう一度キュウを睨む。
ルカはそれらを前に、黙りこくって紅茶をすする。
いつも思うが、ルカはなぜ、こういうときになると傍観に徹するんだ?
普通は止めるか、もっと慌てるかだと思うんだが。まあいいか。そういう性根のやつなんだろう。
俺はヒラギセッチューカの方を向く。机の右端と向かい側の左端。ちょっと遠い距離だからと、俺は声をさる。
「うるせぇ。ちょっとは黙れよ!」
「るっさいよ無知蒙昧」
ヒラギセッチューカが悪いのに、生意気にも反抗してきた。
俺は悪くないのに、なんで悪口言われなきゃなんないんだ。ムカつく。
机に手をかけ軽く飛ぶ。机に膝をつき、飛んだ勢いそのままにヒラギセッチューカへ向かう。
片方の手を宙に上げ、勢いよく下ろした。
「いっ、た」
音はしなかった。仮面を殴ったからか、手には硬い感触が残って少しだけ痛かった。
殴られたヒラギセッチューカは頬に手を当て、こちらを見ている。こちらもヒラギセッチューカに冷たい視線を返した。
「ぉぃおいおい! お前ら何やってんだ!」
ユウキが俺達の間に入って、俺とヒラギセッチューカを交互に見る。
「というか、机に座るとかお行儀悪いよ、ヨウ」
は。そう返してやると、殴られると思ったのかルカは黙る。
「ヨウ。座りなさい」
俺とヒラギセッチューカの間に腕が割って入る。太くて力強い手。たぶん、俺より強い力をだせるだろう。
腕の主は、俺のとなりに座るユウキだ。
間に入られては何も出来ない。けどあやまりたくもないし、なんか座りたくもない。
「仕方ないだろ。止まらなかったんだから」
「他に、穏便にすます方法はあっただろ?」
攻撃的なこちらに対して、ユウキは諭すように言った。その温度差に、話しているだけで自分が愚かに感じてしまう。恥ずかしい。
ユウキと話していると、大人と話しているみたいに自分の子供っぽさが露呈する。
これ以上恥ずかしくなりたくない。俺は、素直に机からおりた。
「ヒラギも、ちゃんとキュウに謝れよ」
えー。ヒラギセッチューカは不貞腐れてそっぽ向く。
「謝れよ、な?」
「絶対にムリ。てか私いけないことした? むしろヨウに殴られたヒガイシャー」
いいから謝れよ。元はと言えばお前が悪いんだからな。
「ヒラギ謝りなさい」
「やだ」
「ヒラギ」
「やだ」
同じ問答が続く。俺たちは何を見せられているんだ。商店街で駄々こねる子供と、それをあやす親でも見ているみたいだ。
「キュウだって何もしてないのに、いきなり問い詰められて可哀想とは思わねーのか」
4.>>43
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.43 )
- 日時: 2023/12/22 20:39
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: umLP3brT)
4
「いや、こっちにも事情はある、し。けど、ネクタイ掴んだのは、ちょっと、控えようかな、て思っても──」
数分後、落ち着いたヒラギセッチューカによって謝罪がなされる。
俺は和菓子を頬張りながらそれを聞いていた。
ヒラギセッチューカにしては珍しく言葉を濁らせていて俺は、
「何ゴニョニョ言ってるんだ。『ごめんなさい』だろ」
と、痺れを切らして言った。ヒラギセッチューカは声にならない声で額に手を当てる。
「ごめん、な、さい」
「ぼっ、僕は大丈夫だよ。怒ってくれてありがとう、えっと。ヨウ君」
キュウは嫌な顔一つしないどころか、そう笑ってヒラギセッチューカをフォローした。キュウは優しいな。見ていて癒される。
「〔半妖〕、か。聞いた事無いがどういう種族なんだ?」
ユウキの質問に自然と体が強ばる。
何気ない質問かもしれないが、事情に寄っては答えるのが億劫な人もいる。俺もその中の一人だ。
けれど〔半妖〕とアッサリ答えたこともあるし、キュウは割と種族とか気にしないタイプなのかもしれない。
「えっと、前例が少ないらしいから僕も良く知らないんだ。生きてた人間が生き返った結果――って聞いたかな。僕はそんな記憶全くないんだけどね」
ヒラギセッチューカもユウキも、他人の事情に踏み込む神経の鈍さは褒められたものじゃない。
が、俺も気になってしまって敢えて黙って、話を聞かせてもらった。
一度死んだ人間が生き返る――そんな魔法も現象も聞いたことがない。
対象の存在を消す【存在抹消】の魔法や、魂を消滅させる【深淵魔法】とか。
禁忌とされた魔法は山ほどあるが知っている限りだと、その中にも生き返りの魔法などない。
「死んだ者を生き返らせ、る」
ヒラギセッチューカが考える仕草をし、呟く。
何か知ってるのだろうか。なんて、らしくもなくヒラギセッチューカに注目してみる。
「で、できるの?」
そう聞いたキュウを軽く睨むも、軽く頭を振ってヒラギセッチューカは答える。
「理論上は可能、とは噂に。でもま、無理だろうね。魂の扱いに関してはあの夜刀でさえ苦い顔する分野だし、というか夜刀でも難しい」
場には唯ならぬ雰囲気が漂って、みな口を閉じた。
特に何も考えず話したらしいヒラギセッチューカは俺達の顔を見て、
「え、何?」
戸惑いの声を上げた。
ヒラギセッチューカは変なとこは博識なのに、一般常識は空っきしらしい。仕方なく、俺は教えてやる。
「〔ディアペイズ一級魔術師〕の夜刀様でも難しいって聞いて、驚かない奴は居ないだろ」
あ、そっか。納得するヒラギセッチューカは自体の深刻さに気付くのが遅い。
〔ディアペイズ一級魔術師〕
優秀な魔法使いに送られる称号だ。その中でも一級。簡単に言うと世界一の魔法使いということだ。
魔素量も知識もトップレベルの夜刀様でさえ難しいということは、誰もできないことを指す。
「あの人肩書き持ちすぎでしょ」
ルカがウンザリした様に呟く。それぐらい凄いお方って事だよ。
コーヒーカップに手をかける。
未知のものには興味があるが、〔半妖〕とか生き返りとか自体には興味が無いから、この話は退屈だ。
なんて顔に出ないようポーカーフェイスでコーヒーをすする。ぬるい。
「夜刀様でも不可能なら、〔半妖〕ってなんなんだろ」
ボソッとキュウが呟く。
「学院長を超える現象や存在があってもおかしくないんじゃない? もしかしたら、世界規模だと学院長は大した事ない存在かもしれないよ?」
「なんでそんな意地悪言うのぉ。ヒラギセッチューカ君……」
あれ、違和感。
何故キュウは、ルカの事は“ちゃん”を付けていたのに、ヒラギセッチューカは“君”と呼ぶのか。認識阻害で性別が分からないからか──。
キュウの違和感は他にもある。
自身の素性や種族を問われても嫌な顔一つせず話すし。学院生なのに学院長を“学院長”ではなく“夜刀様”と呼ぶ。
第一、コイツ臭い。ヒラギセッチューカと同じで薬臭い。
気のせいだろうか。気のせいだな。
匂いとか喋り方とかを怪しむなんて失礼だし、キュウは種族の話題に寛容なだけだろう。
とことん優しいな、キュウは。いい人だ。
「まあ、自然現象とかそんなんだろ」
「それが妥当そうだよなぁ」
俺の呟きをユウキが返す。
自然現象で人が生き返るなんて聞いたことがないが、世界には判明してない現象で溢れかえっているだろうし。そんな感じのだろ。
5.>>44
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.44 )
- 日時: 2023/12/25 20:41
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: u4eDShr6)
5
そういえば店内が静かだ。
さっきまで聞こえていた外の鳥のさえずりも聞こえない。違和感を覚えた俺は口を開く。
「なあ、やけに静かじゃないか?」
俺の一言に四人は周りを見渡す。
辺りの色が薄くなり、白い霧が出始めている。
と、ユウキが青い顔をする。起こる異変。ヒラギセッチューカが焦った声色で言った。
「妖怪の結界に入ってる」
「──は」
思わず声を上げる。
〔都市ラゐテラ〕だけに発生する謎の存在、〔妖怪〕。
〔陰陽師コース〕のヒラギセッチューカはこんな事態にも慣れているのか、素早く椅子から立ち上がり、俺たちに言う。
「早く店から出ないと。広い所まで避難」
ヒラギセッチューカの言葉に、ルカもキュウも俺も椅子から立つ。
〔妖怪〕って存在は知っているが、遭遇するのは初めてだ。らしくもなく心臓が早鐘を鳴らしている。
「ま、って。俺、」
ユウキは何故か立たず、歪んだ表情で俺たちを見ていた。
こんなユウキ見たことない。なんだか苦しそうで、思わず立ち止まって聞く。
「どうした?」
「〔妖怪〕は、無理なんだ」
ユウキは〔妖怪〕が苦手なのか? そんな青い顔をするぐらい?
ふと思い出す。妖怪に触れると起こる〔魔素逆流〕という存在を。
経験した者は、激痛のあまり廃人になったりトラウマで引きこもりになったりする、らしい。
と、ヒラギセッチューカがユウキを素早く俵担ぎする。
「ちょっ、ヒラギ?!」
ルカが驚きの声を上げる。
「話はあとあと。早く行くよ!」
ヒラギセッチューカの焦った声に背中を押されて、俺達は店を出て、走り始めた。
外に出ると街は白霧に沈んでいた。
空は深い青色が広がっている。白い小さな光の数々が空を包んでいて、まるで夜みたいだ。
真昼の晴れのはずなのに、薄暗い。非自然的な景色でゾクッとする。
〔妖怪〕に遭遇したら、〔都市ラゐテラ〕各地に設置される避難所に行くのが良いんだが。
広い学院都市の避難所なんて覚えていない。
ならば〔妖怪〕と遭遇しても逃げやすい、広い場所に行った方がいい。ヒラギセッチューカはそう判断したんだろう。
先頭のヒラギセッチューカを追いかけて、丘下の広場に着く。
やっぱり。なんて思いながら広場の真ん中へ俺達は走る。
「ここら辺で陰陽師を待とうか。〔妖怪〕が来ても魔法はうっちゃダメだよ。吸収される。」
ユウキを寝かせながらヒラギセッチューカは言う。
「ヒラギ、私達どうすれば良いの?」
俺たちは広場の真ん中でしゃがみこむ。そんな中、ルカが聞いた。
「そーだなぁ。〔陰陽師〕の人が来るまで待つしかない、かな?」
まあそうだろう。〔妖怪〕なんて俺達〔縹〕がどうにかできる問題じゃない。
ヒラギセッチューカの言う通り、待つしか俺達ができることは無いな。
「ヒラギセッチューカ君は戦えないの?」
「ランク〔ツェーン(10)〕だから、戦闘は禁止に近い非推奨」
〔ツェーン〕が〔妖怪〕に勝てる訳がないしな。
何となくヒラギセッチューカの胸にある、若草色のリボンに視線を移す。
「ねぇ、なんかその先の道から。変な、感じがする」
キュウは広場から伸びている、複数の道の一つを指さす。変な感じとはまた抽象的な。
「変な感じって?」
とルカが聞くと、キュウは必死で自分が感じたことを言語化しようと、難しい顔をする。
「なんと言うか、魔素がぐちゃぐちゃに絡まった塊のような物が──」
魔法に関しては素人の俺は、そんなの感じられない。
けど本能が危険、と訴えかける。道の先から何かが来ている。多分、〔妖怪〕だ。
と、俺達の話をきいたヒラギセッチューカが「よっこらせ」と立つ。
「ユウキを任せる。ゲロ吐くかも知れないけど大目に見てあげて」
ゲロを吐く、てどういう事だ。嫌な予感しかしないぞ。まあ頭の片隅に置いておくか。
横になっているユウキに視線を移す。
やはりユウキは体が大きい。ブレッシブ殿下のようにガッチリしている訳じゃないけど、少し悔しい。
うらやめしい目でユウキを見るのは辞めよう。俺はヒラギセッチューカに視線を移す。
「戦うつもりか? 禁止なんだろ」
「禁止に近い“非推奨”だから。セーフセーフ」
全然セーフじゃねぇよ。
『シロ──』
地の底から響く不気味な声――いや音。
反射的に前を見る。そこには、巨大な黒い塊があった。
幾つもの手足が生え、目玉が身体中に付いている、不気味な黒い塊。周りの建物より遥かに高い。
真っ黒な体は黒いモヤがかかっていて、うぞうぞと蠢いているのが気持ち悪い。
ちょっと目を離しただけとはいえ、こんな巨体に近付かれて気付かない筈がないのに、何で俺は気が付かなかったんだ。
これが、妖怪──
「いやいや無理だってこれは……」
ヒラギセッチューカが半笑いで弱音を吐く。
コイツのふざけた弱音なんて今までもよく聞いた。しかし、こんな状況で吐かれると不安になってしまう。
怖い。
それは妖怪に対しての物じゃなくて、この黒い巨大な。正体不明の物体に対しての物だった。
『シロオォッ!!』
妖怪が巨大な体から、無数の手を伸ばす。
ヒラギセッチューカはジャンプ。跳び箱みたいに腕を飛び越え、木刀を刺す。ちぎる。
その動きは余りにも洗練されていた。どうやったらそんな動きができるんだと、思わず目を見開く。
「何ぼーっとしてるの。早く逃げましょうよ!」
焦っているからか、ルカは微妙に早口だった。ルカは立ち上がっていて逃げる準備万端だ。
ヒラギセッチューカを置いて逃げるのか? 俺的にはヒラギセッチューカがどうなろうと構わないが。
でも、置いて逃げるのは、ホラ、なんか、違うだろ……。
「俺は、ヒラギセッチューカに加勢するぞ」
「はぁ? ヒラギ嫌いな癖に、加勢する必要なんてないでしょ」
「そう、だけど……」
誰かに守られてそのまま逃げるなんてのは、ダメって部類に入るだろ?
性格が悪いとか、道徳的にダメとか。そんなことしたら、みんなに嫌われるし蹴られる。
「でも、俺は行くぞ」
一人の人間として正しい選択は、ヒラギセッチューカに加勢することだろう。
それが一番人間って感じがする。
あと、ほら。俺らのせいでヒラギセッチューカが廃人になったら気分悪いし。
ルカはキュウに視線を移す。キュウも「僕も逃げれないかな」と苦笑いする。
みんなが残るというのに一人で逃げるというのは流石にする度胸がないらしく、ルカはムスッとした顔でその場に居座った。
「イチ、ニ、サン──ロッコ」
ふと、〔妖怪〕を見つめるキュウが呟く。
ロッコ? 六個? 一体なんの事だ? 無表情で〔妖怪〕を見つめるキュウは生物とは思えなくて、ゾッとする。
「あと一つある。ヨウ君、戦うんだよね」
さっきまでのポヤポヤしていたキュウとは打って変わって、真剣な声色だった。
ちょっとたじろいでしまう。それでも「あ、ああ」としっかり返事した。
「君の手札を教えて。〔加護〕でも〔適正魔法〕でも得意な魔法でも。僕がサポートする」
6.>>45
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.45 )
- 日時: 2023/12/26 20:03
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: TPJwhnvu)
6
深呼吸。瞳をとじて外界の情報をなるべくシャットアウトだ。意識の底、俺の奥の奥にある、芯のような何かを感じる。
エネルギーを体に回してくれ。そう願う。いや、願いとはちょっと違うかもしれない。手や足を動かすみたいな、命令に近い。
芯にあるエネルギーを、肉体にまわす。
ホットミクルを飲んだときみたいに、体が芯から温まる感じがする。
「キュウ、〔加護〕を発動させた」
後ろにしゃがむのはルカとキュウ。ユウキは倒れ込んでいて何も言わないから、多分気絶している。
「りょうかい」
「それより、さっきの。〔妖怪〕があと一体いるってのは本当なのか?」
作戦会議中に聞いたキュウの発言を思い出して、聞いてみる。
〔妖怪〕はヒラギセッチューカと戦っているアイツしか見当たらない。
二体目の〔妖怪〕がいるというのは、にわかに信じられないのだ。
「うん。この結界はカケラナナコ分の大きさだ。ヒラギセッチューカ君が相手してるのはロッコだから、イッコ足りない」
分かったような、分からないような。
“カケラ”とやらの数と結界の大きさは比例するってことか? そして〔妖怪〕はその“カケラ”を持っている。
まず“カケラ”ってなんだよって話なんだが。
「そのイッコとかロッコとかってなんだ? 数字?」
「今は知らなくていいよ」
追究されたのが嫌だったのかキュウは冷たかった。さっきまでは優しかったのに。
でも、意味深なこと言うキュウが悪いと思う。
「ヨウ君後ろ!」
キュウが鋭い言葉。
意味がわからなくても危機がせまっている気がして振り向く。
『シィ、ロ』
ヒラギセッチューカの反対側。そこに、黒い霧におおわれた『何か』がいた。
人型をしていて身長は俺よりも高い。ユウキぐらいだ。
全身真っ黒で、ちょっと透けているかも。煤で体を作ったみたいだ。チラチラと、体から黒煙がでている。
ズル、ズルと。スライムを引きずるような音。足を引きずってこちらに近づいてくる。
「ヨウ君。あれが二体目の〔妖怪〕だよ」
言われなくても分かっている。〔妖怪〕と戦うのははじめてだ。軽く身構える
と、〔妖怪〕の腰から二本の腕が生える。
うねうねと芋虫みたいに蠢き、俺の方へ向かってくる。
腕に生える三本だけの指がひらく。
俺の顔目前まで迫る。
そこで、俺は軽く右に移動。耳元で腕がすれ違う。それを、俺は思いっきり掴んだ。
「──」
〔魔素逆流〕は、起こらない。
よっし。なんて言葉が漏れる。
掴んだ腕は思ったよりヘナヘナだ。紙粘土でも掴んでいるみたい。〔加護〕の力を使い、思いっきり腕をにぎる。ブチ。そんな音をたてて〔妖怪〕の腕は切れた。
「キュウの言った通りだ!」
弾む心とは裏腹に、ちぎった腕は黒煙をあげて寂しそうに消える。
俺の後ろに座るキュウは、ニッコリ笑ってガッツポーズ。
俺の〔加護〕は、魔素の量と筋力を一時的に増幅させるもの。
そこでキュウは予想した。体の魔素量を飽和させたら、〔魔素逆流〕を防げるんじゃないかと。
砂とかを精一杯押し固めたら、吸引器で吸えなくなるだろ? あれを体の中で再現しろとの事だった。
魔素を固めるって言ったって、固めるための水がない。そう言ったら、キュウは「砂はあくまで例えだよ」と苦笑いしていた。
ちょっとよく分からない部分もあるが、大方理解したつもりだ。
『シィロー!』
〔妖怪〕の叫び声。たくさんの声色が重なったみたいなその不快音に、思わぶ耳を塞ぎたくなる。
しかし怯む時間はない。
再び腕が伸びてきた。今度は二本。
複数本も同時に、どう対処するんだ。
微かに不安が沸き上がる。
俺は不安の元となる疑問を払拭して、〔妖怪〕の方へ走った。
まず、先に伸びてきた腕を掴む。
思いっきり引きちぎろうと力を入れる。と、足元に二本目の腕が伸びてきた。
慌ててジャンプ。
我ながら上手い回避だ。
ほのかに達成感が広がる。
片足で着地して、思いっきり振りかぶる。
握っている腕を一本背負いする。と、力に耐えられなくなった腕は、俺に投げられる前にブチ、と切れた。
よっし。と前を向くと、次は三本の腕が〔妖怪〕の腰から生える。さっき千切らなかった腕とあわせて四本だ。
腕は切っても切っても生えてくる。四本同時はさすがに相手できない──!
勝ち目が薄いと思った瞬間に悪寒が走る。
助けてくれ。縋るようにキュウの方をみる。
「が、頑張って!」
座り込むキュウが言ったのは、それだけだった。
策は無い。その事実にふつふつと怒りが込み上げてくる。
さっきサポートするって言ったじゃないか。嘘吐き。
複数の腕の対処法などかんたんに出せるものじゃないが、それでも「頑張って」はないだろ。
どうしたら良いかって聞きたかったんだよ!
キュウを殴ってやりたかった。が、〔妖怪〕を前にそんな余裕はない。
キュウの話だと〔妖怪〕は核を破壊すれば倒せるらしい。
あの〔妖怪〕の核は、大きな一つ目がギョロリとある頭だとか。少なくとも胴体に近付かなければならない。
でも近付けない。
腕のリーチが長すぎるんだ。
どうしたものか。そう悩むと不安が込み上げてくる。
本当に勝てるかとか、〔魔素逆流〕に会うんじゃないかとか。
溢れる恐怖に充てられるのが嫌で、また疑問ごと頭から消し去る。
とりあえず走ったらいいんだ!
勢いをつけて駆ける。また腕が向かってきた。
足を掬おうとしてくる腕や、手を広げて俺を掴もうとかかってくる腕。
もう何も考えず、体の主導権を反射神経に渡す。
軽くジャンプで腕を避ける。
顔をもたげて腕をかわす。
左に大股一歩行ってかわす。
俺とすれ違う腕を掴み、切る。
今のところいい調子だが、何か考えて行動しているわけじゃない。
全て反射神経だより。そこに理論などない。
だからこそ不安だ。いつまでこの腕に対処できるか。ミスせず行動できるか。
じんわりと焦燥感が滲みでてくる。
ふと、ブーツ越しに掴まれる感覚がする。ひぁ。声が出た。
下を向くと、影の塊みたいな真っ黒の腕が、俺の足を掴んでいた。
「──ぁ」
力を入れられる。引きずられる。
この程度の力なら踏ん張って耐えられるだろう。
そう踏んだ瞬間に、無慈悲にも俺の足と地面はさようならした。
7.>>46
- Re: 【々・貴方の為の俺の呟き】 ( No.46 )
- 日時: 2024/01/12 17:16
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: WUYVvI61)
体が倒れる。レンガに肩が強く打ち付けられた。ガン、と骨の鈍い音がする。
痛いと思うまもなく腕に引きずられる。
制服越しにレンガのザラザラが伝わる。擦り合う。軽く火に炙られているような痛みが続く。
「ぐ、うぅっ!」
痛いなんて言いたくなくて堪える。
腕はまだまだ俺を引きずる。
胴体の方に向かっていると思っていたがそうではない。なんだかどこに向かっているのか分からなくなる。
スピードが早くなる。周りの建物が通り過ぎて残像をつくる。
何がどうなってる? ここはどこ? 俺は、どうなってるの?
その疑問にアンサーしてくれる視覚情報はない。
ふと、体が浮いた。頭にボーッと血が溜まって、遠心力が働いていることに気付く。
俺、ぶん回されてる──。
空が見えた。
夜の青と昼の青の、ちょうど間ぐらいの深い青色。
ハレーションを起こすには至らない星光がチリカスみたいに散らかっている。
ふと、空気を吸う。風きり音をだして耳元を通り過ぎる空気は冷たいのに、吸う空気は生あたたかい。
──ああ、綺麗だな。
「あがっ」
世界を割るような衝撃がやってくる。背中から壁に衝突して、肺の空気が一気に外へいく。
その勢いに乗せられ、唾液もレンガに飛び散った。
ドクドクドク。何度も爆発音をならす心臓が痛い。
「かっ、ぁっ」
衝撃が強すぎて肺がフリーズしている。
息が吸えない。
背骨はナイフで傷付けられたみたいに痛くて動けない。
力が入らなくて、体は自然と横に倒れた。
苦しい。手も足も、ちょっと動かしただけで熱湯をかけられたみたいに熱くなる。
〔加護〕を使ったからか筋肉痛になっているみたいだ。
「くっ、そ」
動け、体。命令したら動くものの、やってくる痛みに理性が耐えられない。
うっすら、人影が視界の奥に見える。〔妖怪〕だ。
腰から生える腕が、こちらへやってくる。
まずい。ことままだとまた掴まれる。しかし体は動かない。
今の俺ではここが限界だと、筋肉痛が絶叫する。
ヒラギセッチューカはもっと大きい〔妖怪〕と戦えているっていうのに、俺はこの〔妖怪〕を倒すどころか胴体に一撃も入れられていない。
隔絶した差を見せつけられた気がして、悔しみが溢れ出して止まらない。
ヒラギセッチューカより下にいるという変えようもない事実が心臓を食い破る。
クッソ。そんな言葉しかでない自分にも、嫌気がさす。
目の前で、黒い手のひらが開いた。今は〔加護〕も 発動していない。
このままじゃ〔魔素逆流〕が──
ガキ。地面と何かが擦れ合う音。俺の視界いっぱいに広がっていた黒は、黒煙をだして空気に溶けた。
何が起こった。
周囲を見渡してみると、俺の目線と同じ高さに木刀が転がっていた。
「少年、勇気あるね」
目の前に現れたのは二つの足だった。白皙の肌の生足がちょっと赤く染っている。
ゆっくり見上げてみると、そこにいたのはヒラギセッチューカだった。
「でも〔ツェーン〕が〔妖怪〕に挑むのは、ちょっと無理があると思うよ?」
ヒラギセッチューカがこちらを振り向いてうっすらを笑みを浮かべる。
巨大な〔妖怪〕と戦っていたはずなのに、ヒラギセッチューカは汗一つかいていない。
同じ〔ツェーン〕のはずなのに。同じ〔縹〕のはずなのにっ! いけ好かない。
「──お前も〔ツェーン〕だろうが!」
燻る怒りそのままに叫んでみるも、ヒラギセッチューカは「まあね」と笑いやがる。
なんで笑うんだよ。もっと嫌そうな顔をしろよ。
俺ぽっちじゃ、ヒラギセッチューカの苦い顔すら引き出せない。その事実が心臓をかき混ぜて、気持ちが悪い。
「なんで手にブーツなんてつけてんだよ」
俺は悪意と共に吐いた。
本来足に付けるブーツを、ヒラギセッチューカは手につけている。悪いことでは無いが変ではある。
「まあ、いいじゃん」
ヒラギセッチューカはまともに答えなかった。と、〔妖怪〕からまた腕が生える。
それは弓矢の如くヒラギセッチューカへ向かう。
ヒラギセッチューカは軽くかわした。
すれ違う〔妖怪〕の腕を、両手のブーツで掴んだ。
馬鹿じゃないのか? 〔妖怪〕は触れただけで〔魔素逆流〕が起こるのに。
今後の展開が想像できてざまあみろという気持ちと、俺を守る人がいなくなる不安が共に襲う。
しかしその展開は一向に訪れない。
ヒラギセッチューカは呻いても喚いてもいなかった。
さっきから浮かべる笑みのまま、ブチ、と〔妖怪〕の腕をちぎる。
なんで〔魔素逆流〕が起こらない。そう疑問を口にする前に、
「ヒラギちゃんからのアドバイス」
ヒラギセッチューカが口を開いた。
「学院のブーツは、〔魔素〕を通さないんだよ」
そうか。そのブーツ越しに〔妖怪〕に触れているから、ヒラギセッチューカは〔魔素〕を吸われずに済んでいるんだ。
また腕が伸びる。
ヒラギセッチューカはそれをかわし、胴体へ走る。
『シィロオォッ──!』
〔妖怪〕の金切り声。
攻撃を全ていなしてしまうヒラギセッチューカに、恐怖でも覚えているようだった。
その金切り声は、本来は俺に向けられるものだったのに。俺を怖がって欲しかったのに。
ヒラギセッチューカなんかより、もっと俺を強いと思って欲しかったのに。
〔妖怪〕から数多の腕が現れる。
パッと見で数えられない。
俺の時は、そこまで本気を出して戦わなかったくせに。
ヒラギセッチューカは側転。〔妖怪〕の腕を跨いで着地する。とちょっとジャンプして宙で一回転。
その流れだけで、ヒラギセッチューカは十以上の腕を躱した。
ヒラギセッチューカと〔妖怪〕の直線上には、さっき落ちてきた木刀が転がっていた。ヒラギセッチューカはまた側転。
足の親指で木刀を掴み、覗く太ももごとそのまま、
「ごめんね」
〔妖怪〕の頭に、振り下げた。
『シィッ、シロォォッ──!』
ぐにゃりと〔妖怪〕の目玉が木刀で歪んでいる。ぐちゃ。
泥が落ちたような音がして、〔妖怪〕は真っ二つになった。
断面は真っ黒で、外側と何ら変わらない。〔妖怪〕は膝から崩れ落ちれる。
『ホシ、カッタ、ノ──』
プツプツと煙が現れる。それは上昇するにつれ個々の色を持つ玉となり、淡い光を放って空へ消えた。
〔妖怪〕の結界も崩れる。
空を覆っていた五十パーセント透明度の夜は、これも溶けるように消えた。
空に広がるのは茜色だ。
さっきまであった夜は、今度は東の空から現れている。
結界が崩れるということは結界内の〔妖怪〕が全て消えたってことだから──ヒラギセッチューカが、〔妖怪〕を二体倒したということ。
なんで、ヒラギセッチューカなんかがそんな事できるんだ。
なんで俺じゃあ、〔妖怪〕ぽっちにも敵わないんだ。
何故、こんな屑が力を持ちやがってるんだ。
俺の方が、その力を有効活用できるっていうのに。その力にふさわしいって言うのに。
「ああ、最初のおっきい〔妖怪〕は倒しといたから」
今更なことをヒラギセッチューカは言う。
消える結界を見れば誰にでもわかる。わざわざ言わなくていいんだよクソ魔女。
その情報は無用だ。そう冷たく言い放ってやりたいのに、今は口を動かす体力すらない。
全身に電流が流れているみたいに痛い。そんな中、僅かに残る体力でヒラギセッチューカを睨む。
「あー〔加護〕で動けないんだ。ごしゅーしょーさまー」
倒れる俺の前にヒラギセッチューカは座った。頬杖をついて、ムフフと笑って見下してくる。
何がおかしい。汚い赤目でこっち見んじゃねーよ白髪が。
怒りだけが胸でフツフツと湧き上がって、口に出せないのがもどかしい。
「ヒラギ」
呼ばれてヒラギセッチューカは振り向く。
ルカが俺たちに影を落としていた。