ダーク・ファンタジー小説
- Re: ライトホラー・ショートショート(最終更新4月27日) ( No.140 )
- 日時: 2013/05/04 17:15
- 名前: あるま ◆p4Tyoe2BOE (ID: Ba9T.ag9)
第34話「鯉のぼり」1/2
健一君には、不思議な記憶があった。
赤ちゃんの頃を覚えているひとが、世の中には居ると聞いたことがある。
健一君もそれだった。
ベービーベッドに寝ている自分。
液晶画面じゃない、箱みたいに大きくて、画面の小さいテレビ。
茶色の壁に囲まれたリビング。
頭の片すみに、そんな映像が記憶として残っている。
でも不思議だった。
なぜかというと、その景色は、今自分の住んでいる家の景色とは、全然違うからだ。
親はこの家に引っ越してきてから自分を生んだという。
おそらく自分は、ありもしない記憶を勝手に作り上げて、それが本当だったかのように思い込んでいるんだろう。そう思って、このことを誰にも言わなかった。
しかし小学校も高学年に入ったあたりから、その記憶が、ぼんやりしたものから、むしろはっきりしたものに変わっていった。
特に今日のような日には、その映像が頭の中で何度もフラッシュバックする。
この日、健一君は自分の行方をくらますように、いつもの公園に来ていた。
夕暮れ時。小さい子供の遊ぶ声が、そろそろ少なくなってきた頃。
犬を連れた女の子が、健一君に声をかけた。
「今日はどうしたの。塾に行かなくていいの?」
「行かなくちゃダメなんだ。でも、足が前に進まないんだよ。塾へ行かなくちゃって思ううちに、ついまたここへ来てしまった」
「嫌なら、やめればいいじゃないの」
「無理だ。母さんが絶対にそんなことさせてくれないよ」
健一君は学校の成績のことで、母親にいつも怒られてばかりいた。
健一君は健一君なりに頑張っているつもりだった。でも母親はそれを認めてくれなかった。
今日もさんざん怒鳴り散らしたあと、「塾の時間だ。もういいから、早く支度して行きなさい」と家を出された。
犬の頭を撫でていた健一君の頭に、また例の映像が浮かんだ。
あそこはやっぱり、生まれたばかりの自分が住んでいた家なんじゃないだろうか。
それが突然、親が死んでしまったか何かで、育てるひとがなくなり、仕方なく今のうちの親がもらってきたんじゃないか。そう思った。
犬は健一君の足下に鼻を近づけ、靴のにおいをくんくん嗅いで、しっぽを振っている。
言葉の分からない犬は、勉強ができるかできないかで人間を判断するなんてことはしない。
犬の頭を撫でていると、心が癒された。
「僕も犬に生まれた方がよかったな」
「なに、バカ言ってるのよ」
「本気さ。食って寝てればいいんだもの。それで十年と少し生きれば、この世ともさよならできるし」
「そう……。あなた、嫌になったらまたこの公園へ来るよね。わたしも犬を連れて来るからさ」
少女はそう言ってくれた。
家に帰ると、母親はいつも以上に怒っていた。
「塾から連絡あったわよ。逃げようたって、すぐ分かっちゃうんだからね。学校でも頑張らない、塾も行かないで、あなた他に何をやる必要があるのよ」
こんな毎日が続くのかと思うと健一君は消えてしまいたい気分だった。
そしてこの日、初めて母親に口答えをした。
瞬間、頬に強い衝撃が走った。
母親にぶたれていた。
同時に、ある映像が頭の中でフラッシュバックする。
それは見たことのない映像だった。
雨の日の横断歩道。そこを渡っている自分。
ふいに、車のライトに照らされて目がくらんだ。
顔面にかかる水しぶき。
目の前に迫ってくる青い車。
跳ね飛ばされ、空中に投げ出された自分。その視界が、ぐるぐる回っていた。
そして暗転する映像——。
はっと気づくと、怒った母親が自分を見ていた。
そうだった。今はこの母親に口答えし、張り倒されたところ。
心ない、母親の言葉が健一君を現実に引き戻す。
「子供が生意気なこと言うんじゃないよ。消えてしまいたい? 家出? するならすればいいじゃない。どうせ今日だって、お腹が空いたから帰ってきたんでしょ! 食わなきゃ人間は生きていけないんだからね。それをよく噛み締めなさい。罰として、今夜は夕飯抜きね」
健一君は自分のベッドの中、枕に顔をうずめた。
自分は、望まれて生まれてきたんじゃないのか。
親は、人生が生きるに値するって思うからこそ、自分を生んだんじゃないのか。
そうでなければ、なぜこんな苦しみばかりの世界に生み落とした。
やっぱり自分は本当の子供じゃないんだ。
望まれない子供で、うちの親も、せいぜい自分が使える人材になって恩返ししてくれることを期待しているだけなんだ。
「こんな人生なら、誰か代わって欲しい」
健一君は枕に顔をうずめたまま、つぶやいた。
「本当か?」
「ああ、本当だよ!」
言ってから気づく。
今、誰かの声がした?
健一君は顔を上げた。
部屋のすみに、自分と同じくらいの年齢の男の子が立っていた。
真っ白な布を体にまとった男の子は、その身体も、なんだか薄ぼんやりしていた。
「生きるのが嫌だっていうなら、俺が代わってやろうか」
(つづく)