ダーク・ファンタジー小説
- Re: ライトホラー・ショートショート ( No.141 )
- 日時: 2013/05/06 15:01
- 名前: あるま ◆p4Tyoe2BOE (ID: Ba9T.ag9)
第34話「鯉のぼり」2/2
塾から帰ってきた健一君は、得意気に、テストの答案を母親に見せた。
ところがそれを見て母親は悲鳴に近い声をあげた。
まさかの0点だった。
「こんな……今までは低くても50点や60点は出してたのに……あなた……あなた」
今にもヒステリーを起こしそうな母親を前に、健一君は言った。
「よく見てよ。問題は全部合ってるでしょ」
それを聞いて、母親は答案用紙を上から下へ、下から上へ目を通す。
「本当ね。どういうことなのよこれ」
言ってから、母親はあることに気づく。
名前を書く欄には「賢一」と書かれ、その上から赤いペンでバッテンが付けてある。
採点者のコメントとして「名前を間違えているのでテストは無効です。今後は絶対にこんなことしないように」と書かれていた。
「あきれた。あなたは賢一じゃなくて健一じゃないの」
「最近、自然とそっちの字で書いちゃうことがあるんだ。『賢一』って」
「は?」
「思い出したんだ。母さんは僕が生まれる前、S市に住んでいたでしょ」
「あなた、どうしてそれを」
「茶色い壁に囲まれたリビング。14インチの、四角いテレビ。隣に住んでいたのは、青木さんてひとだったなぁ」
「そんな話、誰から聞いたのよ」
「誰にも聞いてないさ。これは、僕が生まれる前に見ていた景色なんだよ。賢一兄さんとしてね」
「賢一って……何を言ってるの。あなたにはお兄ちゃんなんて居ないのよ」
「居るよ。母さんはただ、賢一兄さんが事故で死んでしまったのがショックで、忘れようとしているだけなんでしょ。S市を離れてこっちへ引っ越してきたのもそのためだ。僕に、字は違うけど同じケンイチって名前をつけたのも、賢一兄さんの存在をなかったことにするためなの?」
健一君は、兄を跳ね飛ばした車が青かったことまで、母親に告げた。
健一君の兄は、健一君が生まれるちょうど一年前、車にはねられて死んでいた。
車はひき逃げだった。目撃者の証言で、青い車だったことまでは分かったが、犯人は見つからなかった。
どういうわけか、その兄の生前の記憶が、健一君には受け継がれていたらしい。
「あなた……あなた本当に賢一なの。私の初めての子供の」
「確かに、僕の中には賢一兄さんの記憶も入っている。おまけに、兄さんの意識まで僕の中には混ざっているみたいなんだ。自分の名前をつい賢一って書いてしまったり、苦手なコーヒーを美味しいと思ったりするところも」
「賢一、コーヒー好きだったものね」
母親が微笑を浮かべた。死んだ兄のことを思い出しているのだろう。
「母さんは、賢一兄さんがすごく好きだったんでしょ」
「もちろんよ」
「僕なんかより、賢一兄さんの方がいいんでしょ」
「ケンイチ……」
母親がどっちの名前を呼んだのかは分からなかった。
それから健一君の成績はぐんと良くなった。
兄の賢一は勉強がとても得意で、大人たちから誉めそやされ、お母さんにとっても自慢の子供だったらしい。
その兄の記憶が受け継がれているのだ。
授業は簡単過ぎて退屈なくらいだし、テストの問題だってスラスラ解けてしまう。
健一君は塾でも学校でも一番の成績になった。
「ケンイチ、今日の夕飯はあなたの好きだったメニューよ」
母親も優しくなっていた。
健一君を妊娠してからずっと物置にしまい込まれていた兄の写真が引っ張り出され、家のあちこちに飾られた。
「んー、やっぱり賢一兄さんの方が美男子だったんだよなぁ」
その写真を見ながら健一君はつぶやいた。
「もうちょっとしたら、賢一兄さんの顔に似せて整形手術をしてもらおう。母さんもきっと賛成してくれる」
小学校卒業を機に、健一君は顔を変えた。
背が急に伸びて、苦手だったスポーツも得意になった。
「賢一もあのまま成長していたら、こんなに素敵な男の子になったのね……。母さん、ほんとに夢を見てるみたいよ。あなたが一度死んでしまった時は、もう、健康にすくすく育ってくれさえすればいいと思って、次の子に健一ってつけたけど、やっぱり賢一こそが母さんの本当の息子だわ」
五月のよく晴れた日だった。
通りかかった家のベランダに、大きな鯉のぼりが吊るされている。
それが風になびいて、気持ち良さそうに空を泳いでいる。
まぶしい日差しに目を細めながら、彼は思った。
「最近ずっと賢一で居る気がする。やっぱり、お前の居場所なんてどこにもなかったんだな健一。お前の望んだ通り、あとは俺が代わりに生きてやるから、安心しな」
向こうから、犬を連れた少女が駆けてきた。
犬は非力な少女をぐいぐい引っぱり、彼の足下に寄ってくる。
そして鼻先を靴に近づけ、においをくんくん嗅いで、しっぽを振っている。
「どうもすみません」
少女は申し訳なさそうに、上目づかいで彼を見た。
「べつに」
彼はそれだけ返事した。
「ほら、行くよ!」
少女は犬を力づくで引っぱると、振り向かずにそのままどこかへ走って行った。