ダーク・ファンタジー小説

Re: 私が聞いたようで見ていない、ちょっぴり怖い話(怪談集) ( No.93 )
日時: 2013/07/02 17:29
名前: あるま ◆p4Tyoe2BOE (ID: Ba9T.ag9)

   第21回「まっちゃのちゃろすけ」

その夏、留学生のCは日本人のNと一緒に住むことになった。

Cは真っ白な肌に青い瞳を持ち、癖のないブロンドが腰まで伸びていた。
Nは女どうしだというのに一目ボレし、「リアルフランス人形だ。ぜったい一緒に住む!」と思った。

Nの住まいは築40年という安アパートで、貧乏学生が多く住んでいた。

それでも外国人には珍しいようで、部屋を見たCは、

「OH! タタミですね。日本の家屋デース。ふすまの穴も、風情がアリマス」

と言って楽しそうだった。

「ナンダカこの部屋、美味しそーな匂いがシマス」

「すぐ隣がラーメン屋さんなの。いくら家賃が安くても、私、これには三日で嫌になっちゃった。そっち側の窓は開けないでね。ラーメン屋の換気扇が目の前だから……」


こうして二人の清純な共同生活が始まったが、その夜から不思議なことは起こった。

Cが日本語の勉強をしていると、台所の方から音がする。
バシ、バシ、と、何か平たいもので床を叩く音だった。
それから、シュゥゥゥゥゥゥっとスプレーのような音。

「N、何やってるデスカ」

Cが戸を開けると、Nが目の前をふさぐように立っていた。鼻につく、化学的なにおいがした。

「何でもない何でもない。内職よ、内職。私、貧乏学生だからさ」

「ソーデスカ。私もアシスタント(手伝い)できればいいデスケド」

「ありがとう。でもこれ私の仕事だから。Cが居るだけで家賃も半分だし、それだけでも助かるよ」

その後も、同じような音が何度も響いた。Cは遠慮して、気になってものぞかなかった。

「さて、寝ようかC」

「え! もうデスカ? 日本人はヨフカシするって聞いたのデース」

「早く寝るのもいいんだよ。この家って、遅くまで起きてるといいことないんだ」

そう言ってNは蚊帳(かや)をつりはじめた。
Cは聞いたことがある。日本には蚊が多いから、寝る時はこの中で寝るらしい。最近はあまり使われなくなったと聞いたが。

「ほら、おいで」

Nは先に入ると、中で手招きした。言われるまま、Cはそい寝する。

「C の生まれた国って、どんなとこ?」

耳元でNがささやいた。タンクトップ一枚の、楽なかっこうだ。
Cは自分の国について語った。言語、文化、気候、食べ物のことなどを。

「ふーん、そうなんだ。C の国って、とっても寒いんだね。日本は暑いでしょ。そんな厚着してたら、寝られないよ」

Nが手を伸ばしてきた。Nが求めてくる過剰なスキンシップは、キリスト教で育った彼女にとってはカルチャーショックだったが、これも日本の風習だと思って受け容れた。


Nだけ先に満足して眠ってしまった。Cはなかなか寝付けず、そのうちトイレへ行きたくなった。Nを起こさないよう、そっと蚊帳の外へ出る。

すると、どこからか音がする。低い音が小刻みに揺れていた。

(分かった。窓を開けるとラーメン屋の換気扇が目の前だって、Nが言ってた。夜しずかになると、その音が聞こえてくるんだろう)

Cは母国語でそう、独り言した。
しかし近くまで来ると、その音は昼間より強烈だった。ババババババババ、と、まるで飛行機のプロペラみたいな音がしているのだ。

それから、コツン、コツン、と、窓を叩く音。小さくて硬い何かが、窓に当たっていた。まるで、プロペラのついた小石が、ひっきりなしにぶつかっているような。

Cは薄明かりの中、目をこらして、その窓にぶつかるものの正体を見た。

「OH! コレは……日本にはホントにいるのデースネ」


翌朝、Cが目を覚ますと、Nがゴミ出しに行くところだった。

「おはようC。今日は燃えないゴミの日なんだ。ちょっと行ってくるね」

Nが抱えるビニール袋には、キラキラしたスプレー缶が何本も入っていた。そこに描かれた虫のデザインが、Cには見覚えがあった。

「N、私キノーの夜それ見ましたよ! Nが寝た後、おトイレ行く時ニ見ました!」

「げっ……見られちゃったか。だからヤツが出てくる前に、蚊帳の中で寝かそうと思ったのに」

「台所ニモいましたし、トイレにも、浴室ニモいました。私知ってマス。まっくろくろすけね! 日本のアニメで見ました」

「うん。そうだよ。まっくろくろすけ」

Cは何か勘違いをしているらしかったが、その方が都合もいいので合わせた。

「でもおかしいデスネー。私が見たのは、モット細くて、グロテスクでした。色も茶色っぽかったデスシ」

「ああ、それはね、まっちゃのちゃろすけだよ」

「まっちゃのちゃろすけ? それは知らないデス」


二人は学校へ行くため、支度を済ませると、そろって家を出た。
隣のラーメン屋はまだゴミを出していないらしく、店の脇には例のスプレー缶が五本くらい転がっていた。

「ゴミの日はシューに一回って聞いたのデース。このスプレーって、そんなに使うモノなのデスカ?」

Cは無邪気にそう聞いた。彼女の国にはあの虫が出ない。だから、あの虫を恐がるという、日本人に共通の感覚もないのだった。






___解説___
夏になると現れる、おなじみのあの虫。
「まっちゃのちゃろすけ」は「チャバネゴOブリ」という種類。
Nは毎晩、アパートに出るそいつを始末するのが日課になっていた。
寝室にも出るから、寝る時は蚊帳に入るというわけ。

Nは貧乏なので、誰かとルームシェアしたかった(家賃が半分になるから)。
でもこんな所だから誰も住みたがらない。
そこへ何も知らない留学生のC が現れたというのが背景。

夜中になると物凄い羽音をひびかせて窓を叩くのは作者の実体験。
ラーメン屋の裏にスプレー缶がゴロゴロ転がっていたのも実話。