ダーク・ファンタジー小説

Re: あの時までは…。 ( No.1 )
日時: 2023/12/02 13:12
名前: みぃみぃ。 (ID: t7GemDmG)
参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

【第一話】あの時までは…。

時は六年前、2017年の4月15日のことだった。

私は、流華るかっていうの。苗字はたちばな
私は今日から、与那野よなの東小学校に入学するんだっ!
「おねーちゃん!この小学校、きれいですてきだね!」
「そうだね!まあ流愛の方がきれいですてきだよ!」
「おねえちゃん、ありがとっ!」
この可愛い子は、流愛るあっていう可愛い私のふたごの妹なんだ!
「さあ二人とも、行くわよ!」
これはママ。すっごく可愛くて、自慢のママなんだ!
「あれ、パパは?」
「ああ、なんか水を買いに行ったわ。先に買っとけば良いのに…。」
「もうパパったらぁ!」
流愛とママが笑いながら言う。
「さあ、今度こそ行くわよっ!遅刻しちゃう。」
「「うん!」」

与那野東小学校の、体育館に着いた。
「すっごい!広ーい!」
「こら、流華。静かにしなさい。」
「はーい、ごめんなさーい。」
「流華は素直でいい子ねえ。」
「えへへ!」
ママ、だーいすき。
「…じゃあ、頑張ってね!あそこに係の人がいるでしょ。だから、そこに行きなさい。」
「はーい」
「…おねえちゃんっお願いっ」
流愛はこう見えて恥ずかしがり屋。まあ私もだけど…っていうか私の方がだけどっ
「わ、分かった…あ、あの、す、すみません…」
「あ、与那野小の入学式に来た子だね。じゃあ、案内するから着いてきて。」
「「は、はいぃっ」」
私たちは体育館の奥の方にどんどん入っていく。
「おねえちゃん、まだ…?」
「る、流愛…私もまだわかんない…だって来たことないもん」
「あ、もうちょっとで着くから安心して。」
「「あ、は、はいっ」」
ふうううううっドキドキするっ
「着いたよ。名前を教えて?」
「え、あ、は、はい、わ、私はっ…」
「あはは。落ち着いて。」
「え、あ、はい、た、橘、流華、ですっ」
「わ、私は、橘、る、流愛、です」
「流華ちゃんと流愛ちゃんだね。僕は望月もちづき 大我たいが。ここの小学校の、先生だよ。望月先生って呼んでね。」
「は、はい、望月先生っ」
「わ、分かりました、望月先生っ」
「…じゃあ。ここに並んでね。」
「「は、はいっ」」
ふうっ疲れた…まあどうにかなったしいいでしょ!

10分後。
「さあ、新たに与那野小学校に入学してくる、新一年生の入場です!大きな拍手でお迎えください!」
「さあ、みんな、行くよ。」
望月先生が言った。
私たちが体育館のステージに上がった時。
そこにいたのは、ママ、パパ、他の人のママ、パパ、親戚、兄弟…だけじゃなかった。
与那野小学校の六年生もいた…。
すごい…
見惚れている時だった。
大きな音楽が流れ出し、六年生が踊り出した。
すごく綺麗…すごい…私たちもこんな風になるの…?
「すげー!!」「やば…」「すごい…」
そんな言葉が飛び交った。
そうして無事に入学式は終わった。

15分後。
「名前を教えてください。」
六年生のおねえさんが言った。
「流華、流愛、いいなさい。」
「た、橘、流華、ですっ」
「た、橘、る、流愛、ですっ」
「橘流華さんと橘流愛さんね。じゃあ、1-2ね。あの先生に着いていってね。あ、この名札も持って行ってね。」
「あ、は、はい、ありがとう、ございますっ」
「ありがとうございます。じゃあ流華、流愛、行くわよ。」
「「うんっ!」」

1-2にて。
「こんにちは。1-2担任の、秋月あきづき 歩美あゆみです。これからよろしくお願いします!」
「よろしくお願いしますっ!」
わあ、ここが学校…すごい!
「じゃあ、まず一分間、隣の人と話してみましょう。よーい、スタート!」
と、隣の人…この人か…
「こんにちは。私は白石しらいし ゆき!雪って呼んでね!」
「あ、わ、私は、橘 流華っ!よろしくねっ!私は、流華って呼んで、!」
「流華!よろしくね!」
「ゆ、雪っ!よろしくねっ!」
「うん!よろしくー!」
その時、タイマーが鳴った。
「はーい、終了。仲良くなれたかな?仲良くなれた人、手を挙げてください!」
「はーい!」
「わあ、たくさんいますね。良かったです。それでは今日は帰ります。明日からまた学校が始まります!頑張りましょう!」
「はーい!」

帰り道にて。
「流華、流愛、友達できた?」
「「うん!」」
「わあ、良かったね!友達のこと、教えてくれない?」
「うん!流愛はねえ、木村きむら 凛子りんこちゃんと仲良くなったー!」
「私は、白石 雪ちゃんと仲良くなったっ!」
「そうなんだ。良かったね!」
はあ、良かった、やって行けそう!
友達ってこんなにすぐできるんだ…!
幸せで、笑顔いっぱい溢れる家族…のはずだった。
そう、あの時までは…。

Re: ユリカント・セカイ ( No.2 )
日時: 2023/12/14 17:10
名前: しのこもち。 (ID: anYeesDx)


 - 2.ダイキライ -

「流華、一緒に帰ろう!」
 あれから6年が経った今、私は晴れて中学生になった。
 雪ちゃんとは小学校の時からクラスもほとんど一緒で、今となっては大切な親友と言える関係にまでなった。
「………うん」
 雪ちゃんは本当にいい友達だ。本当にいい友達、なのだけれど…。

『どこが流華です、だよ』
『流愛ちゃん可哀想』

 ‪”‬‪橘 流華”‬
 私はこの名前が嫌いだ。大嫌いだ。
 お母さんだけは唯一、私の名前を認めてくれる。でもそれ以外の人はみんな、私の名前を快く思っていない。
 だから私は今でも雪ちゃんに名前を呼ばれると、どうしても嫌悪感を抱いてしまうのだ。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

「今日の宿題は『自分の名前の由来』についての作文にしようと思います。両親の方に自分の名前の由来を聞いてきて、作文にまとめてくるように」

 あれは確か小学5年生の時だった。入学式の時に案内してもらったあの望月先生は当時、小学1年生の学年主任だったそうで、この時のクラスの担任も確かあの先生だった。

「明日クラスの中で発表するから、真面目に書くんだぞー」

 入学式の頃とは違い、少し厳しい印象を持ち始めた先生の威圧的な声が教室に響いた。私はこの日、自分の名前の由来を聞くという宿題が出たので、家に帰った後母に自分の名前の由来を聞いた。

「お母さん、私の名前の由来って何…?」
「ん?流華の名前の由来かぁ…」

 お母さんは首を傾げた後、私を真っ直ぐに見据えながらこう言った。

「‪流華の‪”‬‪華”が、華やかな子に育ってほしい、流愛の‪”‬‪愛”が、みんなに愛されるような子に育ってほしいって‬意味なんだよ‬‬」

 ‪”‬華やかな流華‪”
 母から名前の由来を聞いた当時の私は、この名前を気に入っていた。‬

「へぇ。じゃあ流愛は愛される子だから、この名前は流愛にぴったりだね!」
 すると、いつの間にか私の後ろにいた流愛が顔を出して自慢げにそう言った。

「私も……流華って名前好きだな」
 私も思わずそう呟いた。そんな私の言葉を聞き逃さなかった流愛は、何を思ったのか突然馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「何言ってるの、お姉ちゃん。お姉ちゃんは地味なんだから、そんな名前似合うわけないじゃん」

 見下したような流愛の目つき、笑み、声。その全てが、まるでお母さんが一生懸命考えてくれた自分の名前を侮辱されているような気がして、私は悲しみと同時に怒りを覚えた。

「……なんで、そんなこと言うの…?」
「えー、何。お姉ちゃんったら自分の名前が似合わなすぎて流愛に嫉妬してるの?」
「別にっ…!そういうわけじゃない」
「じゃあ何?あっ、もしかして自分が地味すぎて情けなくなっちゃったの?お姉ちゃんったら可哀想ー」
「ちょっと、流愛。そんなこと言うのはやめなさい」
「えー。だって流愛は事実を言ってるだけだし?それの何がいけないわけ?」

 流愛の言う通りだった。華やかな名前とは正反対の、地味な自分。それが事実なのが悔しくて、悲しくて。私は何も言い返せなかった。

「……とりあえず、2人ともこれが宿題なんでしょ?今はほら、早く部屋に戻って宿題しなさい」

 母は不満そうな流愛と俯く私の肩を優しく叩いて、その場をあとにした。
 私たちは母が去った後、黙ったままお互い自分の部屋に戻った。


『じゃあ流愛は愛される子だから、この名前は流愛にぴったりだね!』
 宿題をしていると、そんな流愛の嬉しそうな声が頭の中で響いた気がした。

 素直に羨ましかった。堂々と自分の名前を自分のものだと、胸を張って言えるような流愛が。
 私も名前の通り、華やかな人間になりたかった。流愛のように、みんなに愛されるような人間になりたかった。

 “私はお母さんが一生懸命考えてくれたこの名前の通り、華やかな人になりたいです。”

 私は原稿にそう書いた後、すぐに消しゴムでその文字を消した。この名前に、どうにかしてもっとましな理由を付け加えなければ。そう焦る私の頭とは反対に、鉛筆を握る手はいつまでたっても動かなかった。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

「………なので私もお父さんがつけてくれたこの流愛という名前のように、みんなに愛されるような存在になりたいなと思いました」

 翌日。流愛の発表が終わったと同時に、教室中に拍手が沸き起こった。

「もう流愛ちゃんは十分愛される子だよ」
「そんなことないよぉ」
「恥ずかしがってるとこも可愛い!」
「さすが橘さんだよな。両親のことも考えて愛される子になりたいって言う人、中々いないし」

 -ズキッ。
 苗字ですら流愛と一緒なのは嫌だと思うほど、次々に送られる流愛への絶賛の嵐が羨ましく思えた。それと同時に、手には大量の汗が吹き出してくる。

「じゃあ先生はちょっと職員室に行ってくるから、次はもう一人の方の橘から発表続けといてなー」
 そう言い残して、望月先生は教室をあとにした。
 名前を呼ばれ、私は椅子を引いて立ち上がった。床と椅子の足がこすれ合う音が、突然静まり返った教室に響く。その音が余計私の不安と緊張を煽ってくる。

「………わ、私の名前、は橘 流華です。この‪”‬‪流華”‬という名前には、華やかな子に育ってほしいという、お母さんの大切な想いが……込められている、そうです」

 人前で話すのが本当にダメな私は、周りに視線を向けられるだけで体がすぐにガクガクと震えてしまう。
 私は情けなく震える手を押さえながら、声だけは震えないようにゆっくりと口を開いた。

「お母さんがつけてくれた、この‪”‬‪流華”という、名前‬の意味を私、は初めて、知り…ますますこの名前がっ…好きになり、ました」

 私が作文をたどたどしく読んでいると、突然クラスメイトの男の子が口を挟んだ。

「華やかな名前のくせに、全然似合ってないよなー」
 -ドクッ。
 その瞬間、心臓が大きく鳴った気がした。
「だよね。お姉ちゃん地味なくせに華やかな名前だ、とか気取ってて意味分かんない」

 すると今まで黙っていた流愛も口を開き、クラスの中は次々と騒がしくなった。

「流華って流愛に似てるしね」
「流愛ちゃん可哀想、名前お揃いなの」
「どこが流華です、だよ」

 次々に向けられる私への悪意と流愛への同情の声が、私の胸に次から次へと深く突き刺さった。

 どうせ私は流愛みたいに、名前通り愛される子にはなれない。そんな現実を突きつけるかのように、クラス中のざわめきは落ち着くことを知らなかった。
 それから先生が教室に戻ってくるまで、私は名前のことをからかわれ続けた。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 昔は大好きだったこの名前が、私はあの時から大嫌いになった。今も‪”‬‪るか”という言葉を聞くだけで、体が強ばってしまう。‬

「……ただいま」
「あっ。‪”‬‪華やか”‬なお姉ちゃん、おかえり」
 家に帰ってきた瞬間、流愛がスマホを見て笑いながらそう言ってきた。
 私はその言葉が聞こえていないふりをして、黙って自分の部屋に戻った。

『流愛はね、将来お父さんみたいになるんだ…!』
 流愛はもともと、こんな嫌味を言ってくるような子ではなかった。昔はいつもお父さん、お父さんと言っているような、優しい子だった。

 でも流愛は………お父さんが死んでから変わってしまった。
 お父さんは、私たちが幼い頃に交通事故で亡くなった。その時にお父さんをひいた犯人は、今もまだ捕まっていないそうだ。

 本当に突然のことでその時の記憶はあまり思い出せないが、確かに覚えているのは流愛が葬式の時に大泣きして騒ぎになったことだった。

 騒ぎになるくらい大泣きした流愛は、それくらいお父さんのことが大好きだったのだろう。小さい頃の私はどちらかというとお母さんっ子で、流愛はお父さんっ子という感じだった。
 
 私には分からないけれど、流愛はきっとお父さんが死んでからずっとそれがショックだったのだろう。だから私へのあたりも、徐々に強くなっていった。

 昔は大好きだった。流愛も自分の名前も。でも今はこの名前を見るのでさえ嫌だと思うほど大嫌いだ。‪”‬‪流華”と‬‪”流愛‬‪”。妹と名前ですら比較されているようで、私はどうしてもこの名前を好きになれなかった。‬

 きっとこれからも、この名前を好きになれる日は二度と来ないのだろう。
 

Re: ユリカント・セカイ ( No.3 )
日時: 2023/12/28 16:07
名前: みぃみぃ。 (ID: t7GemDmG)
参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

【第三話 幸福と不幸】
「今日の一時間目は部活を決めるぞー。それまでに考えておくように。」
朝の会の時。
私のクラスの担任の、鈴木すずき 諭吉ゆきち先生が言った。
「そうだった、部活!!どうしよ!!」
「俺サッカー部入る〜」
「私は吹奏楽部!!」
みんなの言葉が飛び交った。
「はい、静かに!」
鈴木先生が言った。
「はい、これで朝の会を終わります。礼!」
「ありがとうございましたー」

朝の会が終わると、私は真っ先に雪ちゃんの席に駆けつけた。
「雪ちゃんは、さ。部活、何に入るの?」
「私?私は、そうだねえ…バスケ好きだし、バスケ部入ろうかな〜って思ってる。流華ちゃんはどうするの?」
…うっ、流華…華やか、じゃなくて、地味、なのに…
ううっ…。
分かりきってる、のに…。
私の心に深く傷がついた気がする。
時々、あるのだ。
1ヶ月に一、二回くらい…
“流華”と聞いたら、精神崩壊しそうになる時が。
「流華、どした?」
「あ、え、あ、ごめんっ!わ、私は…決まってないんだよね…。私もバスケ部入ろうかな…。」
「おお!いいじゃんいいじゃん!!一緒にやろ〜!!」
「うん、!じゃあ私も、バスケ部入るっ!」
その後の休み時間の間も、クラス中部活の話で盛り上がっていた。
でも、私の心にある傷は戻らなかった。


一時間目の初め。
「…じゃあ、部活を決める。アンケートを配るから、それに答えてな。」
アンケートには、第一希望と第二希望を書く場所があった。
私は第一希望にはバスケ部と書いたのだが。
第二希望、どうしよう。
絵描くの好きっちゃ好きだし、美術部にしよっかな。
美術部、っと…。
これでいいか…。
「書いた人から前に出してください。明日には決まるからな。しっかり考えるように。」
「「「はーい」」」
私はとりあえずアンケートを出した。
「…よし、これで全員出したな。じゃあ、今からは自習だ。そのあとミニテストをするから、しっかり復習しておくように。範囲は教科書125ページから132ページの間。先生は職員室でこれを集計しているからな。何かあったら職員室に来い。いいな?」
「「「はーい!」」」
はあ、自習、か…
嫌な予感がする。
まあいいや…。ドリルでもするか。
私が引き出しからドリルを出した時。
「うっわ、流華のやつ、“華やか”な子なのに、ドリルとかしてやがるwまじウケる〜w」
「それな!?まじ“華やか”要素どこにもないよな、この真面目野郎!」
「え、もしかして、流華の“華”って、華やかって意味なの!?全くあってないじゃん!」
「そうそう!信じられないよね!」
「まじで流華さあ〜お姉ちゃんなのにダメダメじゃん!流愛ちゃん、可哀想〜」
「凛子ちゃんの言う通り!流愛がお姉ちゃんなってあげようかなぁ?」
「それがいい!」
「地味流華!地味流華!」
ああ…
予想通り。
でも、クラスの中心的存在の凛子さんに言われたのが一番辛かった。
ついにはコールまで始まってしまった。
もうやだ…
「ちょっと、あんたたち!」
…雪ちゃん。
「あんたらはさ、本気マジで弱いんだね!いい度胸してるわw流華ちゃんの気持ちになってみろ!みーんなから悪口言われてさ、ついにはコールまでやられてさ。されたら嫌じゃないわけ?」
「雪、ちゃん…」
「流華は黙ってたら〜?」
流愛が言う。
「お前もだよ、流愛!お前も加害者だ!」
「はあ?なんで私が加害者になるわけ?」
「そうそう、意味分かんないよね〜!雪、馬鹿馬鹿!あと雪に言わせた流華、最低最低!存在価値ない!」
「…うっ」
私は思わず涙を流した。
「はあ、もうっ!お前らは黙っとけ!流華ちゃん、先生のところいくよ!」
「え、あ、うん…」
「ふっ、流華、雪にしか頼れないのかな?惨めだな〜w」
「それな!」
そうやって、私が教室を出るまで、ずっと悪口を言われ続けたのがとても悲しかった。


そのあと先生から長い長い説教をみんなが受けていた。
私は副担任の柿野かきの 梨沙りさ先生に、状況を話していた。




…その後のことはあまりよく覚えていない。
いつの間にか説教が終わって、いつの間にか給食も食べ終わっていて…。
いつの間にか家に着いていた。
どうやって、誰と帰ったのか、とか、全く覚えていなかった。
本当に、“いつの間にか”だった。
でも、とてつもなく、長かった。
不思議な、日だった。
それと同時に、最悪な、日だった。





次の日の朝。
私は学校を休んだ。
…昨日のことがあるから、だ。
流華には、
「あんなことだけで休むんだね〜w弱〜w」
と、悪口を言われたけど。
…学校で昨日のようなことを言われるのは、散々だった。
…それよりは、マシだ。

お母さんにその事を話すと、休んでもいいよ、と言ってくれた。
それだけが私の救いだった。



学校は、地獄のような場所だ。
学校に行って、良かった、って思える事。

それは、雪ちゃんと、話せること。

ただ、それだけ。



でも、




それは、私の心を支えてくれていた。



長い、でも幸せな時間だった。
お母さんは愚痴を嫌な顔一つせず聞いてくれた。
私が何か言ったら、その通りにしてくれた。

でも。

「ただいまー」

流愛の不機嫌そうな声が聞こえた。

「流華。これ、先生に渡せって言われたんだけど。」
「あ、うん…」
「は?ありがとうの一言もないわけ?重かったんですけどー?もういい。勝手にすれば?」
あーあ。
もうどうでもいいや。
私は流愛から渡されたとりあえず封筒を開けた。
…手紙。
手紙が入っている。
みんな、書いてくれている。
…見たくなかった。
悪口が書いてあるに違いない。
でも、読まないわけにはいかないよね。
失礼、だし…
そこには、予想もしていなかったことがたくさん書いてあった。
「昨日はごめんね。」
「大丈夫だった?昨日は本当にごめんなさい。」
「昨日は色々な人につられてしまって色々言ってしまってごめん。」
「流愛ちゃんが言ったからといってつられてしまったのが悪かったです。本当にごめんなさい。」
凛子さんからも、言われた。
でも私はゾッとした。
流愛は、とんでもないことを書いているのではないだろうか…?
「流華のバカ」
一文目、こう書いてあった。
やっぱり。
「なんで私が加害者になるわけ?お前のせいだよ。責任とれ!」
あーあ。もう、やだ。
「バカ!タヒね!ボケ!アホ!クソ!」
最後には、こんなことまで書いてあった。
私はその手紙をぐちゃぐちゃにして、ゴミ箱に捨てた。
最後は、雪ちゃん。
「流華ちゃんへ。
 昨日、流華ちゃんがとても苦しかったこと、私が一番知っていると思います。
 私の行動が、流華ちゃんを助けることができていたらうれしいです。
 そして。部活は私と同じバスケ部でしたよ!
 流華ちゃんと一緒に部活ができるのが、嬉しいです。
 雪より。」

私は、いつの間にか涙を流していた。
今までで一番嬉しい手紙だった。
どんな手紙よりも、一番。




でも。
この先には地獄が待っていた──。

Re: ユリカント・セカイ ( No.4 )
日時: 2024/01/20 17:41
名前: しのこもち。 (ID: tE6MXhnX)


 【 第四話 情けと出会い 】


 次の日、私は学校に行った。

 流愛とだけは顔を合わせたくなかったので、今日は流愛が家を出た後に登校した。いつもは流愛より私の方が先に登校するのだが、この日はどうしてもそんなことはできなかった。

 きっと向こうも私なんかと会いたくもないだろうから、朝は極力音一つさえ出さないように部屋を出た。



『お姉ちゃんなんて、いなくなればいいのに』

 私は昨日、流愛がそう何回も呟いているのを見てしまった。

 辛かった。なんで私がこんなに言われないといけないのかって。確かに名前通り堂々と生きられないのは私のせいだ。

 それでも、私の存在だけは否定してほしくなかった。昨晩そのことについてたくさん考えていたが、やっぱり嫌なことを言われるのは本当に悲しいし、私だって人間だ。

 クラスのみんなだって、手紙では謝ってくれたけれど、実際に会ってみればまた嫌な顔をされてしまうかもしれない。

 もし学校に行ったら、またあの日みたいなことや流愛みたいなひどい言葉をみんなに言われるのではないかと、私はすごく怯えていた。

 本当は学校になんて、死んでも行きたくない。
 また明日も学校を休んで、あわよくばこのままずっと家にいようかと、そう思っていたその時。

 私は雪ちゃんからの………大切な人からの手紙を目にした。

『流華ちゃんと部活を一緒にできるのが、すごく嬉しいです』

 クラスの人から何を言われるのか、どんな顔をされるのか、今でもすごく怖い。

 あの日のことを思い出そうとするだけで、すごく苦しくなる。

 それでも私は勇気を出して学校に行くことを決めた。

 雪ちゃんと、大切な友達ともう一度、会って話したい。同じ部活で、一緒に笑っていたい。

 だから私は、どんなに重い足取りでも自分に負けないように学校へ行く。

 どんなに辛くても逃げない。大切な友達のためにも、自分を変えたい。大好きな雪ちゃんが、私にそう思わせてくれたから。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚

 重い足を引きずりながら、ようやく教室の前までたどり着く。扉の取っ手を握る手はとてつもなく震えていて、今すぐにでもここから逃げ出したい気分だった。

 怖い。
 でも、今の私ならきっと大丈夫。
 そう自分に何度も言い聞かせて、深呼吸をした後、私は教室に入った。


 -ガラガラッ。

 いつもより遅い時間に来たので、教室にはすでにほとんどのクラスメイトが登校していた。教室にいるみんなの視線が、扉の音に反応して私の方に集まる。

 私はみんなの顔が見えないように、下を向きながら自分の席に着いた。

 みんなの視線がものすごく怖い。背中から冷や汗が伝ってくるのが、すぐに分かった。

「………流華ちゃん、おはよう!」

 かばんを机の横にかけ、両手を膝の上に置いて席に座っていると、隣から声をかけられた。

「雪ちゃん……」

 ゆっくりと声のした方に顔を向けると、今一番会いたかった人の笑顔がそこにあった。

「流華ちゃん、大丈夫だった?」

 周りの視線なんて気にせずに、いつも通りに話しかけてくれる雪ちゃんの優しさに、思わず涙が出てしまいそうになった。

「……うん。心配かけてごめんね」
「全然!流華ちゃんが学校来てくれて、私すごく嬉しいよ」

 いつもとおかしい私の様子を察したのか、雪ちゃんはその場の空気を変えるように明るい声で話し始めた。

「そうそう!そういえばね、部活動今日から始まるみたいだよ」
「そうなんだ…」
「うん!私バスケとかやったことないから緊張するけど、一緒にバスケ頑張ろうねっ!」
「……うんっ…!一緒に頑張ろう」

 雪ちゃんといるだけで、さっきまで一人で怯えていた時間が馬鹿らしく思えるほど心の中にあった不安が一気に吹き飛んだ気がした。

 やっぱり、勇気を出して学校に来てよかった。
 みんなからの視線や声はまだ怖いけど、雪ちゃんがいるから乗り越えられる。友達の存在ってこんなにも重要だったんだなと、私は心の中で改めて実感した。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 帰りのホームルームが終わり、部活に入部した人たちは早速それぞれの部活動の場所へ向かい始めた。私も支度をした後、雪ちゃんと一緒に体育館へ急ぐ。


 体育館にはすでに多くの人が集まっていて、特に一年生なんかはみんなそわそわしながら友達と話したりきょろきょろと周りの様子をうかがう人もいた。

 先生らしき人はまだ見当たらないから、まだ来ていないのかと私も周りを確認していると………私は今一番会いたくない人の姿を見つけてしまった。

「え、もしかしてあの子もバスケ部なの?」

 ちょうど同じタイミングで雪ちゃんも流愛の姿を発見したのか、嫌そうな目で流愛を指さしながら私に話しかけてきた。

「うん、そうみたいだね…」

 これは神様の仕打ちかなにかだろうか。それとも私が学校に行かず、流愛から顔を合わせようともせずにずっと逃げていたから、ちゃんと向き合いなさいとでも言われているんだろうか。

 私が呆然とその場に立ち尽くしていると、その時ちょうどジャージを着た顧問の先生らしき人が入ってきたので、私たちは慌てて整列した。

「気をつけ、礼」
「「「「お願いします」」」」

 部長らしき人が声をかけた後、周りの人が礼をしたので、慌てて私もそれに合わせて挨拶した。

「新入部員のみなさん、はじめまして。女バスの顧問をさせてもらってます、三年生保健体育科担当の森下です。これからよろしくお願いします」

 見た目からして、恐らく三十代くらいだろうか。ショートカットの髪型で声もはきはきとしているため、いかにも体育教師という感じの元気そうな女の先生だった。

「早速メニューに入りたいとこだけど…せっかく一年生も入ったばっかだし、最初は軽く自己紹介でもしようか」

 そう言って先生は私たちに座るよううながした。

 すごく、嫌な予感がする。
 例え部活であれど大人数の前で話すことには変わりないので、私が自己紹介なんてしたらどうなるか大体は想像がつくし、なによりそんな醜態を流愛に見られたら……私がここにいることがばれてしまう。

 サァッ、と全身の血の気がひいていくのが分かる。どうしよう、とそれしか私の頭にはなかった。

「じゃあ順番に自己紹介してー」

 先生がそう言うと、さきほど一番前で挨拶をしていた部長らしき人から次々に自己紹介をし始めた。

「女バスの部長をやらせていただいています、三年の篠崎しのざき 成海なるみです。一年間よろしくお願いします」

 部長さんが話し終えると同時にパチパチパチ、とその場にいたみんなの拍手が体育館に響いた。

 そうだ。体育館はこんなにも広いのだから、当然声も響いてしまう。流愛に気付かれるのも確実だ。

 私の頭の中はそんなことばかりで、気付いたらすでに私の番が来ていた。

 私は恐る恐るゆっくりと立ち上がると、少し俯きながらもなんとか言葉を発した。

「……い、一年の橘 流華、です。こ、これから…よろしくお願い、します……っ…」

 自己紹介を終えると、拍手が鳴る前に私はいち早くその場に座った。幸い下を向いていたこともあってか流愛と目があったりはしなかったが、それでも流愛が私の方を見ていたのはすぐに分かった。

 ちらっと横目で流愛の方を確認すると、そこには射るような冷たい視線があって、私は思わずゾッとした。

 私の自己紹介が終わった後もその間は流愛がずっとこちらを見ていたので、私は体育座りをしている体を抱きしめるようにしてこの時間が終わるのをひたすら待った。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

「流華ちゃん見て、できた!」

 地獄のようなさきほどの時間がようやく終わり、ついに練習が始まった。

 まずは手始めにボールを使った簡単なアップからしようという先生の指示を聞いて、私たちは早速それに取り掛かった、はずなのだが。

「雪ちゃん、なんでそんなに上手なの!?もしかして昔バスケやってた…?」

 雪ちゃんが嬉しそうにボールをいとも簡単に扱っているのを見て、私は目を丸くした。

「やってないよ!超ド初心者」
 そう否定する雪ちゃんの言葉とは反対に、ボールを動かす手はまるで私と同じ初心者の動きには見えない。

 一方で運動が大の苦手な私は、ボールを扱う以前に自分の手よりも大きいボールを片手で持つことすらできない。

「雪ちゃん、これどうやってやるの…」

 今私たちがやっている練習は、エイトという足を広げてその間を手で八の字を描くようにしてボールをドリブルするものだ。

 けれどこれが私にとってはかなり難しく、ようやくボールを足の間でドリブルできたと思っても、そのままボールが後ろに転がっていってしまう。

「えっとね、どうしてもキャッチしたいからってなるべく後ろにボールをドリブルしようとしてもあんまりボールが跳ねずに転がっていっちゃうだけだから、自分の真下にドリブルする感じでやるとやりやすいよ」

 ペラペラとまるで先生のように話す雪ちゃんのアドバイスを意識しようとしても、中々体が覚えてくれず、後ろに転がっていくボールを私は何度も走って拾いにいくのを繰り返すだけだった。

 よく考えてみたら、運動が苦手なくせになんでバスケ部なんて入ったんだろう。いっそのこと部活になんて入らなければよかったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、またキャッチし損ねたボールをとぼとぼと歩いて追いかけていると、転がっていたボールが誰かの足に当たってしまった。

「あっ、ごめんなさ────────」

 急いでその人のもとへ駆け寄り、ボールを拾いながら謝ろうと顔を上げると、私は思わず言葉が出なくなってしまった。

 ────なんと、そこにいたのは流愛だったからだ。


 -バチッ。

 流愛が振り返り、私たちは数秒間目が合った。

 最悪だ。せめて部活では一切流愛と関わろうとしたくなかったのに、やっぱりこれは神様の仕打ちなんだろうか。

「………何。邪魔なんだけど」
「ご、ごめん……」

 冷たい目で流愛に睨まれたので、私はすぐにボールを拾ってその場から離れようとした。

 するとさっきまで怖い顔をしていた流愛が、急に馬鹿にしたように笑い始めた。

「てかお姉ちゃん、こんな所までボール転がってくるなんてどんだけ下手くそなの?運動もできないのかよ、可哀想に」
「……」

 キャハハ、と笑いながらからかってくる流愛を振り返らずに無視して、私は元の場所へ戻った。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 その後の練習も基礎的なものばかりが続き、私もようやくボールに慣れてきたのか、ドリブルやシュートの練習も自分が思った通りに上手くプレーできるようになっていた。

「え、流華ちゃん七回連続でシュート入ったの!?もう絶対才能開花したじゃん!!!」
「橘さん、実は運動もできるんだ!すごいね」

 周りの人からも褒められるようになって、私は少し恥ずかしい気持ちになっていた。

 でもその分嬉しい気持ちももちろんあって、人から称賛されるのってこんなにも素敵なことだったんだなということを改めて実感していた。



 本当は心の内で流愛にからかわれたことがすごく悔しかった。けれど同時に流愛のおかげで私は自分の弱さに甘えていたことに気が付いた。

 運動が苦手なのに部活なんてやらなければよかったとか逃げたいと思うばかりで、やっぱり私は自分を変えようとしていなかったんだなと。



 だから私はこの数日間、熱心に部活に取り組んだ。
 すごく辛い練習もたくさんあったけれど、それでも私は逃げずに自分なりに頑張った。私が何かをできるようになる度に色々な人からも褒めてもらえて嬉しかったし、同じ部活の先輩とも仲良くなることができた。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚

 そんなある日、珍しく先生が練習中に収集をかけたので、私たちは不思議に思いながらも先生のところへ集まった。

「えー、突然なんですがこれから再来週に行われる春季大会の試合メンバーを発表したいと思います。今回の大会は夏で引退する三年生にとっては最後の公式試合なんですが……三年生の人数が今八人しかいなくて」

 すると先生がとんでもないことを言い始めた。

「二年生には悪いんだけど……あとの二人は、一年生から出すことにしました」

 先生がそう言った瞬間、その場がざわめき始めた。

「では今からメンバーを発表します」

 ゴクリ。
 全員がそう息を飲んだのが分かる。

「三年 篠崎、高塚、深月みつき、折原、山下、堂上どうじょう白河しらかわ、大久保」

 今のところ、三年生の名前は全員呼ばれた。
 あとは一年生の名前だけ─────。

「一年 白石、そして……橘 流華」
「………え?」

 私は思わず声を出してしまった。聞き間違いだろうか。今、なんて言った…?

「以上の十名です。大会出場メンバーは特に気を抜かずに、他の人たちも彼女たちを精一杯サポートしてください。じゃあ、練習再開!」

 パチン、と先生が手を叩くと、みんなは魔法が解かれたかのように一斉に動き出した。

「流華ちゃん、すごいよ!私たち先輩たちと一緒に大会出れるんだよ?すごくない!?」

 雪ちゃんは隣で呆然と立ち尽くしている私なんて構わずに、一人で飛び上がって喜んでいる。

「え、これ夢、だよね………?」
「もうっ、なに寝ぼけたこと言ってるの。ちゃんと現実だよ」

 一向に信じきれない私の頬を、雪ちゃんは思い切りつねった。

「ちょっと雪ちゃん、痛いよっ」
「ほら、夢じゃないでしょ?」

 そう意地悪く微笑んだ後、雪ちゃんは練習の方に走っていった。置いてきぼりにされた私はしばらくその場で固まっていると、森下先生がそんな私に気付いたのか私に話しかけてきた。

「橘さん。今はまだ大会に出ることが信じられないかもしれないけど、ここ最近ずっと頑張ってきたでしょ?私も橘さんの思いを信じたいから。頑張ってね!」
 ガッツポーズをしながらそう言い残すと、先生も練習の方へ戻って行った。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

「ただいま─────」
「ねぇ、なんでお姉ちゃんみたいなやつが大会なんて出れるわけ?こんな運動もろくにできないようなやつが……!」

 練習を終えて家に帰るなり、先に帰っていた流愛が唐突にそう怒鳴り散らかした。

「お姉ちゃんなんかが大会行けて、なんで流愛は選ばれないの!?ほんと先生も頭おかしい!!」

 玄関で大暴れしている流愛を私はなぐさめようともせず、そのまま自分の部屋へ向かった。


「はぁ……」
 ほんと、私が聞きたいよ。なんで二年生の先輩じゃなくて私を選んだのか。もちろん雪ちゃんは元々バスケが上手だったし納得できるけれど、こんなド素人の私を大会に出すなんて、確かに先生もどうかしてる。

 …………でも、落ち込んでては駄目だ。
 それに、私には雪ちゃんという心強い味方がいるではないか。
 そう勇気を出したのも束の間、疲れていた私はいつの間にかそのまま眠ってしまっていた。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 そして大会当日。

 緊張しすぎた私は夜に一睡もできず、結局大会当日を迎えてしまった。

 そわそわしながら集合の駅に着き、雪ちゃんと話しながら歩いていると、あっという間に大会会場に着いてしまった。

 大きな体育館の中にはもうすでにほとんどの人が集まっていて、今更ながらに緊張がどっと増してきた。

「みんな身長高い……」
 恐らくほとんどの学校は三年生の引退が近いこともあって上級生しかいない。私たち一年生みたいな人は全然見当たらなかった。

 体育館の外でみんなでアップをして開会式を終えた後、先生が集合をかけた。

「今日は三年生の今までの努力がかかっている大事な試合。いいか?全力でぶつけてこい!」
「はい!」

 返事をすると先輩たちは隣の人の肩を組んで、円陣を作り始めた。戸惑いながら私たちもその円の中に入る。

「いい?今日は私たちが主役。今まで頑張ってきたあの日々が詰まってるの。だから……」
  篠崎部長が大きく息を吸った瞬間。

「絶対勝つぞー!」
「しゃぁぁあ!!!」

 余りの勢いに会場の空気が全て私たちの声で支配されたような錯覚でさえ覚えてしまうほど、私はその迫力に圧倒された。

 同時に、まるでその声は私の不安なんて全部吹き飛ばしてくれたように感じた。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 私たちの学校は一回戦目から早速試合を控えている。私と雪ちゃんは最初はベンチなので、先輩の試合を一緒に見て盛り上がっていた。

「うわぁ、見て流華ちゃん。先輩たちかっこよすぎ!」
「う、うん……」

 なぜか少し体調が悪くなってきた。昨日寝れなかったことが原因だろうか。雪ちゃんの声も、心なしか少し遠く聞こえる。

「………ごめん、雪ちゃん。私ちょっとお手洗い行ってくるね」

 雪ちゃんにそれだけ伝えると、私はよろけながら体育館をあとにした。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 トイレを済ませた後、まだ体調は回復していないのか、歩いているだけでもしんどくなってきた。
 そりゃあそうだ。昨日一睡もできていなかったのだから。

 おぼつかない足取りでよろけながら歩いていると、急に足元がふらついた。そのまま前に体重がのしかかり、気付いたら私は前に倒れていた。

 なぜかスローモーションのようにゆっくりと体が傾いていくのが分かり、私は思わず目を瞑って地面にぶつかる衝撃に耐えようとした。

「……………あれ?」
 しかし待ち構えていた痛みはいつになっても走ってこず、私は恐る恐る目を開けた。

「大丈夫ですか」
 すると目の前にはびっくりするくらい綺麗な顔立ちをした男の子がいて、思わずそのまま固まったままその人をガン見してしまった。

「………あ、えっ、と……大丈夫、です」
 見るとどうやら、その男の子が倒れそうになった私をぎりぎりで支えてくれたらしい。

「あのっ……ありが、とうございました」
 私がそう言い切る前に、その人は何も言わずそそくさとその場を去っていってしまった。

 綺麗な人だったなぁ…。
 ジャージに付いたほこりを払いながら、私は彼のことばかりを考えていた。






 ────この時の私は気付いてもみなかった。

 まさかこの瞬間に、彼のことが好きになっていただなんて。









 ※バスケのことは全然詳しくないので軽く調べた程度で書いています。色々異なる点があっても気にせず読んでくれるとありがたいです(泣)

Re: ユリカント・セカイ ( No.5 )
日時: 2024/02/10 08:27
名前: みぃみぃ。 (ID: t7GemDmG)
参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

【第五話 初恋】
「流華ちゃん!?大丈夫!?」
「雪、ちゃ…ん…」
「流華ちゃんっ…!心配したんだよ!?全然帰ってこないんだから…」
「ごめん、雪ちゃん…」
…さっきの、人…カッコよかった、な…
イケメン、だった。
私のタイプだったし…
バスケ見に来てるってことは、バスケに興味があるとか?
もしかしたら、好きな人が出てるとか…?
いやいや、そんなわけないか…
「流華ちゃん…やっぱりおかしいよ!?ずっと上の空だし…」
「えっ…」
私は気付いたら、体育館に戻っていた。
いつの間に…?
「流華ちゃん…やっぱり寝不足!?」
私は頷くしかなかった。
「ほらっ…。次の試合まであと30分あるから、仮眠とりな」
「う、ん…分かっ、た…」
そう言い切る前に、私は椅子に倒れ込んでいた。
「流華ちゃん、もう…。全く…」
そう雪ちゃんが言っていたのがうっすら聞こえた。


「流華ちゃん、良い加減起きないと!!」
「うっ…」
さっきよりはずいぶん体調もよくなった。
「流華ちゃん、さっきより顔色よくなったね、よかった!」
「白石さん、橘さん、もうすぐ試合です、準備してください!」
篠崎部長が言った。
「「はいっ!」」
「雪ちゃん…頑張ろうね!!」
「うん…!」
絶対、勝ってやる。
流愛を、見返してやる…!



「パス!」
「はいっ!」
いよいよもうすぐ試合。
今は最終練習中だ。
「大久保さん、パス!」
「はい!」
「流華ちゃん、シュートお願い!!」
「OK!」
私はシュートを入れる。
「OK!じゃあいよいよ試合だよ!集合!」
「「「はいっ!!」」」
みんなが円陣を作り出したから、私もその中に入った。
「絶対勝つぞー!!」
「しゃぁぁあ!!」
「じゃあ、次のベンチは高塚と白河。他の人は体育館の待機室に!」
「「「はい!」」」


私と雪ちゃんは、体育館の待機室で準備をしていた。
待機室とか、あったんだ…。
「流華、ちゃん…」
「…雪、ちゃん!?」
雪ちゃんの顔色が悪い。
「私、無理、もうっ…無理っ…!!」
「…え!?」
「私が、失敗して、チームが負けたら?もし、もし、そうなったら…っ…」
「…雪ちゃんなら、絶対大丈夫。」
「無理、絶対、無理っ…」
「絶対絶対、大丈夫。信じてやろうよ」
「やだ、もう、無理…。私、篠崎部長にお願いしてくる…」
「雪ちゃん…!?」
すると、雪ちゃんは早々とどこかに行ってしまった。
雪ちゃん、私を…置いてくの…?
そんなことを思ってしまったが、ブンブンと首を横に振る。
そんなわけない。
雪ちゃんには、雪ちゃんなりの考えがある…はず。
でもでも、雪ちゃんがいないとか…私、無理…
流愛にまたバカにされるかもしれない…
そんなことを考えていたら、森下先生が私のところにやってきた。
「橘さん、ちょっと残念なお知らせ。白石さんは…ね、ベンチになった。」
予想通りの言葉だった。
悔しかったけど。
「でもね、白石さんの代わりに高塚が入ることになって…。高塚には、橘さんの役に立て、って言っておいたから…。あとね、高塚は与那野東中の中では篠崎部長の次に強いから、頼りな。頑張れよ、橘さん!」
「…はいっ!」
これは予想外の言葉だった。
でも…。
高塚先輩、よろしくお願いします!
そう心の中で呟いた。
良かった。
そう心の底から思った。


「与那野東中、女バスケ部入場!」
私達は体育館に入っているところだ。
手汗が吹き出している。
緊張しまくっている。
「流華ちゃーん!!がんばれー!!」
そんな声をかけられたからびっくりしてみてみると…雪ちゃんだった。
「うん!雪ちゃんの分までがんばるね!」
そう答えた。
篠崎部長に「静かに」と注意されてしまったけど。

「与那野中、女バスケ部入場!」
与那野中ってことは、近くの学校か…。
今からは、準決勝だ。
絶対、勝つぞっ!
ふと観客席を見た。
お母さん、来てるかな…?
その時、私の頬がぽっと赤くなった。
あの、さっきの、人だ…。
さっきのイケメンの人が、観客席にいる。
なぜかどんどん顔が赤くなるのを感じる。
「橘さん…緊張してるでしょ?表情が緊張してるもん。でも、精一杯頑張ろうね!」
篠崎部長が言う。
「はいっ!」
それどころじゃない。
うわああああああああああんっ!!
「橘。いざというときは私を頼れよ」
高塚先輩が言ってくれる。
「はいっ!」
だ、だめだめ。
今から準決勝なんだから…!
「今から公式戦の準決勝を始めます。礼っ!」
「お願いしますっ!!」
「じゃあ、コイントスから…。各先生方、メンバー決めをお願いします。」
「はい!」

「じゃあ…コイントスは、3年から出そうかしら。篠崎、高塚、深月、折原、山下、堂上。準備を!」
「「「はい!!」」」
「…ったく、意味分かんない」
突然、大久保先輩が呟いた。
「なんで折原がコイントスに出れるのに私は出れないんだよ…」
「白河が出れないのは分かるけどさ、ベンチだし。…なんであんなに弱い折原が出れて私が出れないんだよ!?」
私は呆然としていた。
いつもは熱心な大久保先輩がそんなこと言うなんて…。
もしかしたら熱心な分そうなっちゃったのかな?
「…大久保。」
「なんですか、森下」
怒りのあまりにか、森下先生のことを呼び捨てで呼んでいる。
「大久保を出さなかったのは、大久保に期待してるからだよ」
「は?」
「大久保に、体力温存しておいて活躍して欲しかったんだよ」
「…ッ!折原とかのせいで先攻取れなかったらどうするんですか…!」
「それでも大久保たちに勝ってほしいんだ。橘さんもいるんだよ。だから…自信を持て!」
「…分かりました」
大久保先輩は、あまり納得していないようだった。
でも、私は大久保先輩を信じてる。
アドバイスをくれたのも、教えてくれたのも、先輩達の中では大久保先輩が一番多かった。
大久保先輩は、強い。
それは確かだ。
でも少し、こんな大久保先輩を見て動揺している。
すると、大久保先輩が口を開いた。
「私…昨日一睡もできてなくて…」
まさかの私と同じ状況だ。
「おかしいのかもしれない。」
大久保先輩には悪いけど、私もそう思う。
そうやって私、大久保先輩、森下先生と話していると、コイントスが終わり、与那野東中は先攻になった。
今は篠崎部長がボールを持っている。
「絶対勝つ、絶対勝つ、絶対勝つ、絶対勝つ、絶対勝つ」
大久保先輩は少し壊れたかの様に呟いている。
「用意…スタートッ!!」
始まった。
先輩達がボールを繋いでいる。
いいかんじ…
すると、相手チームにボールが取られた。
私達は一斉に奪いに行く。
高塚先輩が指を軽く鳴らした。
これは私にシュートしてもらうから来い、という意味。
私は全力疾走してもらいに行く。
「橘、ゴールお願いな!」
「はいっ!」
私はボールをもらった。
よし、私の出番!!
ゴールの近くまで行き、シュート。
えっと…3点シュート。
「橘、ナイス!」
「橘さんナイスー!!いいよー!!その調子!」
「流華ちゃーん!!頑張れー!」
与那野東中の作戦は、ゴールするのは基本私。あと篠崎部長、高塚先輩。他の人は私、篠崎部長、高塚先輩にボールを繋いだり、相手チームからボールを奪う係。
そんなふうにしているのだ。
「ふっwそんなんで褒めてもらえるなんて、甘っw」
私が今一番聞きたくない声が聞こえた。
そう…。流愛だ。
来てたんだ。
なんで来たんだろう?と思いながらも試合に集中する。
はあ、流愛に会うなんて…
運が悪いな…
「橘、ぼーっとすんな!」
「あ、はいっ!」
鼻で笑ったような声が聞こえたのは無視をし、どんどん与那野東中は得点を入れていく。
ただ、残り2分現在、相手チームに3点の差がついていた。
「与那野東中!やばいぞ!気合い入れていけ!」
森下先生が言った途端、指が軽く鳴った。
私の出番!
私はボールをもらうとシュートに入れる。
結構遠かったから5点。
その時。
「終了ー!」
「うっしゃぁぁあ!!」
与那野東中は、勝ったんだ。
「橘ナイス!橘がいなかったら勝てなかった!ありがとう!」
先輩達に次々とそう言われる。
私はそれが嬉しかった。
「くっそ!!」
ん?と思って観客席を見ると、くそ、と言っていたのは、イケメンなあの人だった。
もしかして与那野中の人だったのかな?
少しだけ申し訳なさを感じながら待機室に戻った。


「…さっきのプレーは素晴らしかった。ただ、次は恐らく春野中との戦い。決勝だ。このままじゃいけない。春野中は強いんだ。だから…頑張れ!!」
「「「はいっ!!!」」」
待機室に行くと、こう森下先生から話があった。
「じゃあ、次のベンチは…折原、山下。」
「「分かりました」」
二人とも少し不機嫌そうだった。
「じゃあ…白石さん。」
「は、はいっ…?」
「次は橘さんの役に立つんだよ。」
「わ、分かりました!!」


いつのまにか決勝の舞台に立っていた。
相手は森下先生の推測通り、春野中。
先攻後攻も決め、惜しくも後攻になってしまった。
実に不利。
それでも与那野東中は頑張ったと思う。
残り5分の時には15点負けていた。
もう確実に無理。
誰もが感じていた。
でもどうしても勝ちたい!!
篠崎部長、高塚先輩がシュートを入れた。
そして7点差まで縮まった。
でも…
「終了ー!!」
そう。
与那野東中は、負けてしまった。
「与那野東中。負けたのはしょうがないんだ。これを生かしていけ!」
「「「はい!」」」
でも先輩達はとてつもなく悔しがっていた。
それが私のせいな気がして、苦しかった。
雪ちゃんはというと、過呼吸状態だった。
それがどうしても気になってしまうのだった。
そしてこの試合は、あっという間だったけど忘れられない試合だった。



「今回の公式戦では負けてしまいましたが、準優勝です。これは本当にすごいことなんです。流愛さん。あなたは流華さんをからかっていた…それは私は絶対に許しませんから。流華さんはしっかり活躍してくれたのですから…」
公式戦の後の部活で、森下先生はこう言った。
流愛は不機嫌そうだった。
「そして、またいきなりで申し訳ないんだけど…。来週から夏休みですが、その来週の水曜日から金曜日まで、合宿があります。参加は任意ですが、夏で引退する3年生にとっては最後の合宿ですので…。申込書を渡しておきます。詳しいことは申込書を見てください。」
そう言って、私達全員に申込書を渡した。
水曜日から金曜日なら、何もない。
行きたい!
「じゃあ、練習再開!」
「「「はい!」」」
「流華ちゃん!合宿、行くよね!?」
ワクワクしているのが丸わかりな雪ちゃんが聞いてきた。
「うん、もちろん!…流愛が、行かなければ…」
最後はすごく小さな声になっていた。
「あー、やっぱりか…」
雪ちゃんががっかりした様に言った。
ちょっと、申し訳なかった。



家に帰ると、珍しく流愛がいなかった。
早速お母さんに合宿の申込書を見せた。
「あら、合宿?行きたいなら行っていいわよ。」
「じゃ、じゃあ、行きたい!」
「そう、分かったわ。じゃあ申し込んでおくわね。」
「う、うん」
流愛が行くって言ったらやめようかな…と思いながらも私は自分の部屋に入って宿題を始めた。
「ねー、合宿があるらしいけどさー、流華行くの?」
流愛が帰ってきて、お母さんに合宿の話をしていた。
「ええ、行くわよ」
「うげー。じゃあ行かない!」
本当ならここで嫌になるべきなのかもしれないけど、少しホッとした。


「えーっと、折原と山下と橘 流愛と唯野ゆいのは合宿欠席。他はいるかー?」
合宿当日。
森下先生はそう言って出席をとっていた。
折原先輩と山下先輩は、公式戦の決勝でベンチだったのがショックだったのか、合宿の案内があってからずっと部活に来ていない。
ちょっと心配だった。
「じゃあ、出発する。バスで誰の横に乗るかすぐに決めて、バスに乗ってください」
「「「はい!」」」
「流華ちゃん、私と乗ろー!」
「うん、もちろん!」
バスに乗ってからは、雪ちゃんとトランプをしたりみんなで人狼をしたりカラオケ大会をしたりして過ごした。
とても楽しい時間だった。


「はい、着きました。荷物を持って、バスから降りてください」
森下先生はそう言うと、みんなが一斉に降り出した。
私と雪ちゃんも降り、体育館に行った。
「広い…」
いつの間にかそう言っていた。
「なにこれ広い!すごい!!」
雪ちゃんは大はしゃぎしている。
「じゃあ各自部屋に行ってください。」
私は雪ちゃんと遥さんと瑠美さんと同じ部屋だ。
「ここじゃない?」
私達はその部屋に入った。
「ごめん、ちょっとお手洗い行ってくるね」
なぜか最近、調子が悪いのだ。
フラフラした足取りでお手洗いに向かう。
すると急に頭痛がくる。
「うっ…」
私は思わず倒れてしまった。
痛みを我慢しようとした。
でも、いつまで経っても痛みが走らない。
もしかしてこの前の…?
いやいや、そんな偶然…
「大丈夫ですか」
聞き覚えのある声。
「え…」
あの人だった。
「あの、あの時の…」
「僕は小鳥遊たかなし 留姫亜るきあと言います。与那野中です。」
「あわわ、私は、橘 流華、です…与那野東中、です」
やっぱりカッコいい。
「…好き、かもしれない」
私の口からいつの間にかそんな声が出ていた。
「…ごめんなさい。僕には好きな人がいるので…」
そう言って、さっとその場を去っていった。
私はちょっと悲しかった。
初告白がこんなんで。
初フラれがこんなにあっさりだったから…

※私もしのこもち。さんと同じくバスケ無知で軽く調べた程度で書いてます。おかしいところがあってもスルーしてもらえるとありがたいです泣

Re: ユリカント・セカイ ( No.6 )
日時: 2024/02/19 20:13
名前: しのこもち。 (ID: X2iPJYSg)


 【 第六話 好きな人、嫌いな自分 】


「はぁ……」

 お手洗いを済ませた後、私は鏡の前の自分を見つめながらため息を漏らした。

 少し休んで大分頭痛は和らいできたものの、今の私はそれどころではなくなっていた。

 人生で初めて告白をしてしまった。しかも二度しか顔を合わせていないような他人に。

 なんだか私らしくない言動に、自分でも少し混乱していた。

 ぐるぐるといろんな思いが頭を巡る中、まだ完全に治っていない頭痛に頭を抱えながら、私はその場をあとにした。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「流華ちゃん、歴史全然分かんないよ…!」

 午後の練習が終わった後、部屋に戻った私たちは各々自由時間を過ごしていた。

 雪ちゃんはとても真面目みたいで、合宿中にも関わらず教科書を持って頭を抱えていた。

「次のテスト範囲のところ?」
「そうなんだけど、よく分からなくて……」

 雪ちゃんは考えるような仕草をした後、再び教科書とにらめっこを始めた。それがなんだか愛らしくて、私は勝手に小さな妹ができたような気分になった。

「うーん……あっ、じゃあこの漫画読んでみたら?」

 私は何か勉強の参考になるものはないかとしばらく荷物をあさっていると、かばんの奥底に眠っていた日本史の漫画を見つけた。

 こんなのいれてたっけ…?

 そう首を傾げながら漫画のページを確認すると、ちょうど雪ちゃんが持っている教科書の単元と漫画の中の時代が一緒だったので、私は雪ちゃんにその漫画を渡した。

「え、いいの?ありがとう!」

 漫画を受け取った雪ちゃんはしばらくそれを真剣に読んだ。

 しかしページをめくるごとに彼女の表情は険しくなっていく。

 そんな姿を見て私は少し不安になっていると、雪ちゃんが頭の上にはてなマークを浮かべながらこちらを向いた。

「えっと……ジンギスカンと推し活が出てきた!」
「………多分それ神祇官と押勝じゃない?」
「あっ…」

 私が咄嗟にそう指摘すると、雪ちゃんはゆでダコのように一気に顔を赤らめた。

 そんな雪ちゃんを見て、私はおかしくなってつい声を出して笑ってしまった。

「ちょっ、笑わないでよっ…!」
「だって、ジンギスカンと推し活って……っ…あっはっはっはっ!雪ちゃんって面白いね…っ」
「も、もう…!だってこれどう見たってジンギスカンだよ?」
「雪ちゃん一回眼科行こっか」
「なんで!?」

 不思議がる雪ちゃんの拍子抜けした顔が面白くて、気付いたら私たちは二人で笑っていた。

 私は家にいる時よりも遥かに心地よいこの時間を幸せに感じながら、二人で気が済むまでたくさん笑った。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 翌日。
 
 今日は一日中、私たち与那野東中のバスケ部と与那野中のバスケ部との合同練習がある。

 更にこの施設には体育館が一つしかないみたいで、女バスと男バスも混合で練習するとのことだ。

 ‪”‬‪あの人”‬にまた会えるかもしれないと少し期待していたが、昨日のことがあって正直今は会いたくないという気持ちの方が大きい。

 私は着替えを済ませた後、雪ちゃんと体育館へ向かった。

「流華ちゃん、知ってる?与那野中にめちゃくちゃかっこいい人がいるんだって!」
「へ、へぇ……」

 与那野中でかっこいい人なんて、どう考えたってあの人しか思い浮かばない。私は動揺して反射的に肩を跳ねらせてしまった。

「小鳥遊くん、だっけ?会ってみたいなぁ」
「そ、そうだねー……」

 絶対にあの人だ…。
 私はそう確信し、苦笑いをしながら適当に相槌を打つ。

 お願いだから今日だけはあの人に会いませんように…。そう念じながら私は体育館への道を歩いた。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「…………では、与那野東中から一人ずつくじを引いて下さい」

 二校の部員が整列している前で、森下先生が小さな箱を抱えながらそう言った。

 アップを終えた後に行う基礎練習をペア同士でやることになった。それを決めるために今からくじをするみたいだ。

 今日は男女混合の練習なので、彼と同じペアになるかもしれないという可能性が一瞬頭をよぎった。

 けれどここにはこれだけの人数がいるのだ。さすがに一緒のペアになる確率は到底低いはずだ。


 そう思って、気軽にくじを引いたのがいけなかった。

「……」

 目の前にいるのは……昨日顔を合わせたばかりの彼、小鳥遊 留姫亜だった。

(なんでこんな時に限って……)

 全く、神様への念というのも当てにならないらしい。私はこの時、生まれて初めて神様を恨んだ。

 もちろん、私たちはこれで三回も顔を合わせている仲なので向こうも私が誰なのかくらいは分かっているのだろう。相手からは何も言ってこないし、はたまた自分からなんて話しかけれるわけもない。

 お互いペア練習なんて始める様子もなく、私たちの間には気まずい空気が流れる。

 まるで時間が止まったかのように、やけに周りのペアが練習している音が大きく聞こえてきた。

「…………あっ、流華ちゃん…!」

 しばらく重い雰囲気が続く中、そんな沈黙を一番に破ったのはまさかの雪ちゃんだった。

 雪ちゃんの姿を見た瞬間、私は救世主が現れたような気分になり、思わずほっと胸を撫で下ろした。

「なんかペア練習なんだけど、全体の人数が奇数だからって私がここに入ることになった!」

 雪ちゃんははにかみながらそう口にした後、私の目の前で突っ立っている彼に視線を移した。

「あれ、もしかして……小鳥遊さん、ですか?」

 雪ちゃんは彼を見るなり硬直し、口をパクパクさせながら目を大きく見開いた。

「そうですけど…」
「えっ、本当ですか……!」

 かっこいいと小さな声で呟いた雪ちゃんの手から、彼女が持っていたボールが落ちた。

 ボールは体育館の地面を大きく跳ねて転がっていき、私は一秒でも長くこの場から離れたいという思いが先走ったのか、無意識のうちに雪ちゃんが落としたそのボールを追って走っていた。

「う、嘘……まさかこんな時に会えるなんて…」
「は、はぁ…」
「えっ、彼女とかっていますか?」
「いないです」
「えっ、絶対いそう!じゃあ今まで告白された回数とかは?」
「え……覚えてないです」
「それって忘れちゃうくらいいっぱい告白されたってことだよね!?いいなぁ」


 -ズキッ。

 二人がいる場所からかなり距離を置いたはずなのに、ボールを拾っている間も雪ちゃんが楽しそうに彼に話しかけている声が聞こえきて、少し胸が痛んだのを感じた。

 昨日振られたばかりだというのに、どうしてこんなに胸が痛くなるんだろう。

 きっとまだ………私は彼のことが好きなんだろう。なぜならこの胸にあるモヤモヤの正体は、誰がどう見ても嫉妬なのだから。

 私はボールを拾い、二人のいる所へ向かった。

「へぇ、小鳥遊くんって歴史できるんだ」
「まぁ、好きなだけですけど」
「私日本史とか本当に覚えられなくて……羨ましいです」

 帰ってきた私に、話に夢中な雪ちゃんは気付いていないのか全くこちらを振り向こうとしない。

 ここで何か言って二人の会話を遮るのも気が引けるので、私は両手でボールを握りながら話が終わるまで待っていた。

 早く終わらないかと内心嫌になりながらその場に立ち止まっていると、雪ちゃんの向かい側にいた彼が私に気付いたのか、不意に目が合ってしまった。

 彼と目が合った瞬間、私は咄嗟に首を九十度回して目を逸らした。

 心臓がこれでもかというくらいに大きく波打つ。私はこの状況からどうにか抜け出したくて、反射的に声を出してしまった。

「……ゆ、雪ちゃん!ボール拾ってきたからそろそろ練習始めよう…!」

 あぁ、言ってしまった。
 友達の邪魔だけはしたくなかったのに。

 さっきまで意気揚々と話していた雪ちゃんが、今度はびっくりしたような、申し訳ないような表情をしながら私の方を向いた。

「あ、ごめん!流華ちゃんボール拾ってきてくれたの!?本当にごめんね」

 そう言って私からボールを受け取ると、雪ちゃんは勢いよく頭を下げてきた。

「ありがとね。じゃあ早く練習始めよう…!」

 雪ちゃんの一言で、私たち三人はこうしてかなり遅れて練習を開始した。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「はぁ……疲れた」
「だね…」

 午前中の練習を終え、一旦部屋に戻った私たちはため息を吐きながら布団にダイブした。

 こうして自由時間があるのはすごくありがたいが、昨日から練習を続けていて、増してや三日間もこの生活を送るとなると、体力的にもかなりきつくなってくる。

「ねぇねぇ、流華ちゃん。このグループ知ってる?この曲聴いてみてほしい!」

 雪ちゃんは女の子らしいピンク色のカバーがかけられたスマートフォンを向け、今流行っている韓国のアイドルの動画を見せてきた。

「へぇ…」

 今どきとやらの流行りにうとい私は、雪ちゃんの話についていけず、曖昧な返事を返す。

 今は音楽を聴く気にもならなかったが、雪ちゃんの話を無視するわけにもいかず、私は疲れた体をゆっくりと起こした。

 私は雪ちゃんと同じようにかばんにしまっていた自分のスマホを取り出し、イヤホンを耳に押し当てた。

 音楽アプリを開いている間、私は自分のスマホをじっと見つめた。

 白いスマホに透明なケース。本体の中央に付けられたスマホリングは金属だけでできた無機質なもので、何の変哲も可愛げもない自分のスマホですら見るのが嫌になってくる。

 私の可愛くない所は、きっとこういう所なんだろう。流愛にからかわれるのも改めて納得がいく。

 そう落ち込みながら、私は雪ちゃんに勧められた曲を軽く聴いた。

 今どきの音楽らしいアップテンポでガールクラッシュな感じの曲で、普段あまり聴かないような曲だった。

 何だか新鮮な気分になり、たまにはこういう曲を聴くのもいいなと思いながら私は自由時間をゆったりと過ごした。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 自由時間が終わり、お昼ご飯も食べ終えた私たちは再び練習を再開した。

 しかし不幸なことに、午後の練習も午前中に一緒だったペアと行うことになってしまった。

 また二人が話している所を黙って見ないといけないのかと思うと気分は晴れなかったが、彼と二人きりでいるよりは雪ちゃんがいる方が余程ましだった。

 午後は午前中の基礎練習とは違い、応用練習を中心に行うみたいだ。

 ボールをドリブルする相手を追いかけながらディフェンスをする練習や、味方のロングパスを受け取ってすぐに走る練習など、午後の練習はとにかく動き回るものばかりで、部員のみんなは体力的にも疲れ切っていた。

 元々体力に自信がなかった私は、走ってボールをシュートするだけでも息があがってしまう。

 肩で息をしながら三人で練習を続けていると、急に雪ちゃんが何かにつまずいて転んだ。

「雪ちゃん、大丈夫……!?」

 体育館に鈍くて派手な音が響く。雪ちゃんは膝を必死に抑えながら、体を横にして痛がっている。

 私はすぐにボールを置き、雪ちゃんのもとへ駆け寄った。

「ごめん、ちょっと疲れてたみたいで……」

 確かによく見ると雪ちゃんの顔色があまりよくない。きっと体調が悪いまま無理して練習を続けた挙句、そのまま転んでしまったのだろう。

 膝は大きく擦りむいており、皮が剥がれた箇所には薄らと血が滲んでいた。

 私が雪ちゃんを起こしている間に小鳥遊さんが先生を呼んできてくれたのか、しばらくすると森下先生が駆け寄ってきた。

「白石、立てそう?」
「はい、何とか………ごめんね流華ちゃん、小鳥遊くん」

 雪ちゃんは先生の肩を借りながら立ち、こちらを振り返って申し訳なさそうに謝った後体育館をあとにした。


 残された私たちの間には一気に気まずい空気が流れる。今朝と全く同じ状況に、私は思わず苦笑いをしてしまいそうになった。

「………練習、するか」

 しばらくお互いに固まっていると、彼が一言だけそう言った。私は返事を返す代わりに首を縦に振り、私たちはとても気まずい雰囲気の中で再び練習を始めた。

「……」

 隣でプレイしている彼をちらっと横目で見る。

 すっと通った鼻筋に、形の良い薄い唇。とにかく全ての顔のパーツの形が本当に綺麗で、その配置さえも完璧な顔だった。

 彼の横顔はとても整っていて、モデルだと言われても全く違和感を持たないほどの容姿だ。私はそんな生まれ持ったものが元から華やかな彼を羨ましく思った。

 バスケもとても上手で、本当に同い年なのかと疑問に思うくらい彼は完璧だ。

 きっと学校でもすごくモテるんだろう。彼が学校でたくさんの女子にちやほやされる様子が容易に想像できる。

 私は胸がまた痛むのを感じた。針で肌をチクッと刺されたような感覚でさえ覚えてしまう。

 私はなんて人を好きになってしまったのだろう。隣で懸命にバスケをする彼を見ながら、私はずっと練習に集中できずにいた。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 ようやく一日の練習が終わり、挨拶をした後私はすぐに部屋へ走った。

 部屋の扉を思い切り開け、部屋の中にいる人物を見て私は安堵の息を吐いた。

「流華ちゃん!」
「雪ちゃん、怪我大丈夫…!?」
「うん、ちょっと膝を擦りむいただけみたい」
「そっか、よかったぁ…」

 雪ちゃんは膝にネット包帯を着けて、布団の上にちょこんと座っていた。

 とりあえず何もなくて良かったと安心して、私は雪ちゃんの隣に座った。

「雪ちゃんがいなくなってから、た、小鳥遊さんと二人きりで、すごく気まずかったんだからね」
「それは本当にごめんだけど……二人きりなんて最高じゃんっ!」
「え…?」
「流華ちゃんもついに恋をしちゃったのかぁ」
「ちょ、ちょっと。何言ってるの!?」

 冗談交じりにからかってくる雪ちゃんの顔は割と真剣で、心の中で私は動揺していた。

 私もう振られてるから、なんて口が裂けても言えない。でも彼に恋心を抱いているのは紛れもない事実だ。

 今日見た彼の横顔を思い返す。
 練習中は特に彼と話したりはしなかったが、私にとっては彼のことを、好きな人を見つめ直すいい機会になった。

 そう考えている自分が急に恥ずかしくなり、私は自分の顔がどんどん赤くなっていくのを感じた。

「………やっぱ流華ちゃん、好きなんだ?」
「だ、だからっ、違うってば…!」

 にやにやと笑って再びからかってくる雪ちゃんの言葉を否定しながら、反対に私の頭の中は彼のことでいっぱいだった。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「………雪ちゃん、おはよう…」
「おはよう………って、どうしたのその顔!?」

 雪ちゃんが私の顔を見て、びっくりしたように目を丸くした。

 当の私はというと、充血した真っ赤な目に、その目元にはクマができていて、誰がどう見ても酷い顔をしている。

 せめて目だけでも治らないかと洗顔を頑張ってみたものの、そんなの全く効果はなかったみたいだ。

「なんか昨日、中々枕合わずに寝れなくて……」

 本当は嘘だ。昨夜は雪ちゃんにあんなことを言われて、更にあの人を意識してしまった私は彼のことをずっと考えていたのだ。

 彼の好きな人は誰なんだろう。きっと私なんかと比べものにならないくらい可愛くて、性格が良い人なんだろう。

 雪ちゃんは彼のことが好きなんだろうか。だとしたら雪ちゃんも彼に告白するんだろうか。

 色々なことが頭の中でぐるぐると駆け回り、考えているうちに眠れなくなってしまったのだ。

「流華ちゃん意外と繊細なんだねー」

 雪ちゃんは微笑みながらそう言い、気を使ってくれたのか、それ以上はなにも言及してこなかった。

 そうしてなんやかんやあり、私たちはいつものように練習をしに体育館へ向かった。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 今日は与那野中との合同練習はなく、いつも学校で行っている練習内容を行うみたいだ。

 それを聞いた私は、好きな人にこんな酷い顔を見られなくて良かったと心底安心していた。

「雪ちゃん、アップしに行こ?」
「…うん……」

 あれ?
 何だか視界がいつもよりぼやけていて、雪ちゃんと自分の声が明らかにくぐもって聞こえたのを感じた。

 寝不足のせいだろうか。そう疑問に思いつつ、体の異変を察知した私は本能的にその場で立ち止まった。

 私の様子がおかしいことに雪ちゃんも気が付いたのか、彼女がこちらを振り返る。

「………え?なんで雪ちゃん、倒れて……」

 ぼんやりと視界に映る雪ちゃんが段々と傾いていくのが見えた。

 しばらくして体の重心が横に傾いているのを感じ、私は雪ちゃんが倒れているのではなく、自分が倒れているのだということにようやく気が付いた。

「流華ちゃんっ…!流華、ちゃん……」

 雪ちゃんの声が徐々に遠のくのを感じながら、私はそのまま意識を失った。


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 目を覚ますと、まず最初に視界に映ったのは白い天井だった。

 私はゆっくり視線を下の方へずらすと、今度はたくさんの薬品が並べられている棚や、資料が溢れかえる机が目に入った。

「橘、大丈夫か?」

 ベッドの隣には椅子に座った森下先生がいた。私は首を縦に振り、布団を剥がして起き上がった。

「橘、最近体調悪そうに見えるから、無理しない方がいいんじゃないかな?」

 そう言って森下先生は心配そうな顔をした後、私に質問してきた。

「このまま練習を続けてても、体調が悪化するだけかもしれない。早退するっていう手もあるけど、橘はどうしたい?」
「…………確かに、最近体調がずっと悪い気がして……昨日も全然眠れなかったから、早退した方がいいとは思いますけど………でも雪ちゃんが…」
「白石は大丈夫だ。彼女も橘には帰ってほしくないと思うかもしれないけど、友達が苦しんでいるのに無理に一緒にいようとするような人ではないから」
「…………分かりました、早退します。迷惑かけてすみませんでした」

 そう私が頭を下げると、森下先生は気にしないでと声をかけてくれた。

 私はまだ少しふらつく足を無理やり立ち上がらせて、荷物を取りに部屋へと急いだ。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「流華、大丈夫だった!?」

 家に帰るなり、母が心配そうな顔をして私の元へ駆け寄った。

「うん。ちょっと体調が悪かっただけで、今は大分楽になったよ」

 そう言うと母は安心したのか、良かったと言って私を抱きしめた。

 そんなに心配するようなことではないんだけどな。そう思いつつ、久しぶりの母の温もりにいつの間にか私も安心してしまっていた。

「………あ、お姉ちゃん帰ってきたんだ」

 すると玄関に、今一番聞きたくなかった声が近付いてきた。

 私は流愛の顔が見えないように、咄嗟に顔を逸らした。

「なんでお姉ちゃん帰ってきたの?‪”‬‪華”のある主役が早退なんてしてどーすんの笑」

 まただ。最近家にいるとこうやって流愛が名前のことをからかってくることが多い。

 胸が痛くなるのを感じながら、私はこれ以上自分が傷つかないように、逃げるようにして部屋へ駆け込んだ。

 重いボストンバッグを肩から下ろし、私はベッドにうずくまった。

 やっぱり早退なんてしなければよかった。家にいると嫌でも流愛の声が聞こえてきて、それだけで自分の名前が嫌いになっていく。

 合宿に行っていたせいですっかり忘れていた。そっか、私は‪”‬‪流華”なんだ。

 どうしてもこの名前からなんて逃げ出すことはできない。こうやってなにか言われる度にうずくまってしまう自分が、どんどん嫌いになる。

 ‪”‬‪流華”という名前が悪いんじゃない。‪”‬‪流華”である私が悪いのだ。

 前を向こうって、逃げないって、決めたのに。‬‬

 いくらそう思っても、いくら足掻いても、私は私の名前が嫌いだ。

 どうしたらいいのか分からなくなってしまった私は、自分が寝不足なのにも関わらず、気が済むまでただひたすら涙を流し続けていた。

Re: ユリカント・セカイ ( No.7 )
日時: 2024/03/08 15:46
名前: みぃみぃ。 (ID: t7GemDmG)
参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

【 第八話 不思議 】

泣き疲れた私は体調良くなったと言いながらも少しフラフラしていたのでベッドに飛び込む。
ふう…
疲れた。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

「流華、昼ごはんよー」
お母さんの声がする。
「はーい」
体を起こ…そうとする。
頭が重い。
頭痛、腹痛。
すごく辛かったけどどうにかして起き上がり、フラフラしながら階段を降りる。
「ちょ、流華!?大丈夫!?」
「う、うん…いや、だいじょばない…」
「ぶっ!」
流愛が吹き出す。
え、私なんか変なことした…?
「お姉ちゃん、だいじょばないとか言って印象よくしようとしてるんでしょ!マジキモい!このぶりっ子!」
「え、いや、そんなこと…」
「…流愛。いい加減にしなさい」
「はー?流愛は本当のこと言ってるだけなのになにが悪いわけ?あ、分かった正論言われて恥ずかしいんでしょお姉ちゃんー!」
「だから、ちがっ…」
「ふーん、違うんだ笑」
流愛が鼻で笑う。
心の中で、はいそうです、と答える。
「流愛、いい加減にしなさい!」
お母さんが怒鳴る。
「…はーい」
流愛が不満そうに言う。
「で、流華…ちょっとベッドに寝ておきなさい!昼ごはんは持って行くから…」
「わ、かった」
流愛が鼻で笑う音が聞こえたが気にせず部屋に戻る。
ふう、頭が痛い…
私はベッドにダイブした。
はあ、流愛と話すだけでめちゃくちゃ疲れる…
そして眠い…
うとうとしているうちに私は深い眠りについた。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

「んん…」
なんとなく目が覚めたので体を起こすと、5時だった。
…え、つまり5時間寝てたってこと…?
そんな自分が信じられないままおどおどしていると、そこにお母さんがやって来た。
「流華…やっと起きたわね。体調はどう?」
「あ、うん、大丈夫そう」
「よかったわ…あと流華、流愛の言うことは気にしなくていいからね」
「…うん、ありがと」
そう言ってお母さんに昼ごはんをもらう。
お母さんは私のことを分かってくれている。
そう思うと少しホッとした。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

昼ごはんを食べ終え、一階に降りる。
いつもなら少し眠くなる時間帯だが、さっき寝たおかげで全く眠気が襲ってこなかった。
「お母さん、これ」
「はーい」
お母さんと少しだけ会話を交わし、お皿を渡して部屋に戻る。
そして夏休みの宿題のノートを広げる。
えっと…社会からやろう。歴史か…
まあ得意だからいいか、と思いながら問題を解き始める。

「お姉ちゃん。お姉ちゃんなんだから、数学わかるよね?教えてよ」
社会が半分くらい終わった時だった。
流愛が急に言ってきたのだった。
『お姉ちゃんなんだから』
その言葉が頭の中で響きながらも答える。
「うんいいけど」
「うーんとじゃあ、まずほーてーしきってなに?」
「えっと…」
そこからかよ…はじめに習ったじゃん…と思いながらどこから言えばいいか考える。
「えっと方程式って言うのは…当てはめれば答えが出るやつで、よく使うんだけど…」
「はあ?もっと簡単に言ってよ意味分かんないー」
「え、もう簡単に説明してるんだけど」
少し怒りが芽生えた私は冷たい口調で言う。
「はあ?もういいお姉ちゃんのバカ!お母さんに聞くから!」
「流愛が聞いてきたのになんでそんなこと言うの!?」
私の口からいつの間にかそんな言葉が出てきた。
「…お姉ちゃん、変だね笑」
流愛はそう言って去っていった。
…そうなのかな。
確かに変なのかも。
……流愛の言うことに納得する自分が恥ずかしかった。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

「流華、夜ご飯よー」
お母さんにそう声をかけられ、一階に降りる。
もうそんな時間だっけ?
「はい、今日は魚の煮付けね。流華が好きなやつ」
「ありがとう、お母さん。でも私お腹空いてない」
「ああ、そうだったわね、昼ごはん食べたの5時だったもんね…」
「ちょっとあとで食べるね」
「分かったわ」
流愛が『魚の煮付けやだー!』って嘆いているところを通り過ぎて階段をのぼる。
はあ、なんで私流愛と双子なんだろう。
年の差があればきっとこんなことにはならなかったのに…
そんなことを考えながらベッドに飛び込む。
…何しよう。
宿題、社会だけでも終わらせるか…
そう思い机にノートを広げて問題を解き始めた。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

社会が終わり、国語を少しだけ始めた時。
なんとなくお腹が空いてきたので一階に降り、夜ご飯を食べる。
「お母さん、今何時?」
「今9時よ。流愛は明日友達と遊びに行くからってすぐ寝たわ」
「へー」
流愛、寝るの早すぎじゃんと思いながら食べる。
友達、かぁ。
木村さんかな。
木村さん…木村 凛子さんは私が小学校の時からずっといる、クラスの中心的存在だ。
みんなに好かれている。
ちなみに、雪ちゃんのことが嫌いで、ついでに私のことも嫌いなんだと思う。
先生のご機嫌取りみたいな感じだ。
私は木村さんのことは苦手だ、流愛よりはマシだけど…。
…友達か、流愛にはいっぱいいるよね…
ちょこっとだけ羨ましかった。
まあ私には雪ちゃんがいるけどね!
…でも今はいつもより会いたくない気持ちの方が少し強い。
夜ご飯を食べ終わり部屋に戻る。
10時か…
お風呂入ってこよう。
そう思い洗面所に行った。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

お風呂からあがると、流愛がいた。
「え、流愛なんでここにいるの」
「お姉ちゃんがうるさいから起きちゃったんだー。お父さんとの約束守れなかったあ。」
お父さんとの約束と言うのは、夜は必ず子供は8時間、大人は6時間は寝るというものだ。
流愛がこの約束を守るのは納得がいく。
私はお父さんのことはあまり好きではなかったけど、私たちの健康を守ってくれていると思うと嬉しくて守っていた。小さい頃までは。
最近は面倒くさくなって守っていない。大体7時間くらいしか寝ていない。
「起きてからどのくらい経ってるの?」
「10分」
「そのくらいなら10分多く寝ればいいだけの話でしょ!?」
「はあ?お姉ちゃんお父さんの話全く聞いてないね!つ・づ・け・て!8時間寝るの!お姉ちゃん最っ低だね!」
続けての部分を強調される。
少し苛つく。
そんなこと言ってたっけ?
私は少し昔のことを思い出す。

「流愛、流華。君たちのためにお父さんは考えた」
冷たい口調だった。
「それは、続けて8時間寝ること。」
「え、お父さんとお母さんには決まりないの?」
流愛が不思議そうに言う。
「ある。続けて6時間は寝ること。」
「6時間…?少ない…」
私は声を発する。
「大人は家事をしたり仕事に行ったりしないといけないから少ないんだ。これも君たちのため」

そうか…
確かにお父さんは続けてと言っていた。
流愛に言い返せない。
すると私に謎の恐怖が襲いかかってきた。
咄嗟にダッシュで洗面所を去り、自分の部屋に駆け込んでいた。
「…え?」
自分が信じられなくなり、思わず声を出す。
…私、流愛に言い返せなくなって逃げたわけでは…ない。
それは確実だった。
いつもの私ならきっと、謝ってじゃあこうしたら、と提案したはずだ。
…きっと言い返されるだろうけど。
逃げることなんてする訳がない。
色々と考えていると、ガタッと音がする。
なんとなく恐怖を感じ振り向くと……そこには一通の手紙が置いてあった。
不思議に思いながらも手紙に目を通す。
『橘 流華さまへ
 この手紙は、ユリカント・セカイの招待状です。』
そこまで読んで顔を上げる。
ユリカント・セカイって何?
そしてなんで私の名前を知っているの?
…もしかしたらその答えが書いてあるかもしれない。
そう思いもう一度手紙を見る。
『ユリカント・セカイとは、自分の名前が嫌いな人が毎年7/31 11:59〜8/1 3:00までペンネームで過ごせる異世界です。
 全国から1000人程度の人が集まります。
また、全員中学一年生以上です。
 ユリカント・セカイは異世界です。ですから、普通の人は知りません。普通の人…つまり、ユリカント・セカイについて知らない人にユリカント・セカイのことについて話した場合、この世界からはもともといなかったものとされます。
 ただし、その後ある試験に合格したらこの世界に戻ることができます。その場合、行方不明だったけど見つかったシチュエーションかそれまでもずっといつも通り暮らしていたシチュエーションかどちらかを選ぶことができます。また、条件も設定することができます。
 ユリカント・セカイに行きたい方は以上を必ず頭に入れ、下の欄にペンネームを考えてお書きください。下の名前だけでOKです。
 質問等はユリカント・セカイに行った後受け付けます。ユリカント・セカイに一回行っても7/31 11:59までは戻ることができますのでご安心ください。
 行きたくない場合はこの手紙を閉じ、7/31 11:59までどこかにそっと置いておいてください。自動的に消えます。
 間違えて手紙を閉じてしまっても一度開けてペンネームを書いておけば消えることはないのでご安心ください。
 それでは、異世界へ行ってらっしゃい。

 7/31 案内部長 黒川 フェアリーナ』
私は信じられず、息がピタッと止まる。
意味が分からなかった。
とりあえず状況を整理する。

私はユリカント・セカイという自分の名前が嫌いな人が集まる異世界に招待された。
ユリカント・セカイのことについて知らない人に教えてはならない。
教えたら、この世界にいなかったことにされる。
試験に合格すれば戻ることができ、シチュエーションを選べる。
行くにはペンネームを書けば良い。
質問はあとでできる。

…これは行くしかない。
なぜか私の中で確信があった。
よく分からなかったけど。
私は枠にペンネームを書こうとする。
うーんと…
流々るるにしよう。
少し考えた後思う。
とにかく“華”だけは入れたくない。そう心の中で叫ぶ自分がいるから…。
あと、私の好きな人…小鳥遊くんとも関係がある。
今は小鳥遊くんに会いたくないのも事実だけれど。
小鳥遊くんの名前の留姫亜の“留”も“る”と読むから、私の“流”と留姫亜くんの“留”を踏まえて“流々”だ。
よし、これで完璧だと思い枠にペンネームを書く。
………ユリカント・セカイに、小鳥遊くん、いるかな?
留姫亜って珍しい名前だし、あり得る…かも。
それに期待もしているし、恐怖も感じている自分がいた。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

暇だなぁと思って軽く目を瞑ってベッドに横になっていると急に体が軽くなった。
「…え?」
思わず目を開けて体を起こすと……そこは見たこともない、紛れもない…異世界だった。
「ようこそ、おいでくださいました───。」
「だっ…誰?」
そこには、妖精がいた。
そういえば招待状の最後に黒川フェアリーナって書いてあったから、その人だろうか。
というか、人じゃない…。
「私は伊織 シャウナです、案内副部長です。フェアリーナ部長はあちらにいらっしゃいますから、そちらへどうぞ。」
フェアリーナさんじゃないのね、シャウナさんか…。
みんな名前が特徴的すぎ…。
というか、ここがユリカント・セカイか……
戸惑っていると、シャウナさんが教えてくれた。
「あちらですよ、あの水色の髪の毛の青緑色のワンピースを着た人がフェアリーナ部長です」
その人…じゃなかった、その妖精は片手に簡単に乗りそうなシャウナさんより大きく、両手でやっと乗るか乗らないかくらいの大きさだ。
小さいのには変わりないが。
「…、あ、の……」
「あら、流々さん、こんばんは。質問はあちらで。」
「…………!?」
やっと現状が理解でき、周りを見回すと……。
何もかも信じられなかった。
これは異世界。
それだけはわかった。
でも、私が想像していた異世界は真っ白で色が少し失われたような感じだったけど、ここは違う。
いや、そこも含めて異世界なのかもしれない。
なんて考えているといつの間にか質問をするところ?に着いていた。
「なにか質問はありますか?」
「あ、えっと………試験の合格率ってどのくらい、なんですか?」
「そうですね、大体40%くらいです。」
「は、はあ……。」
理解が追いつかない。
「他にありますか?」
「え、えっと……」
「無いならあちらに行かれてください。」
「……………小鳥遊 留姫亜くんって…いますか?」
ああ、聞いてしまった。
私は彼のことが気になって仕方がない。
私は…彼のことが好き。
振られてもその気持ちは抑えられなかった。
「ええ、いますよ。留異というペンネームです。」
……嘘。
聞かなければよかった。
居るんだ…。
「えっと…じゃあ行きます」
この場を離れたい。
そう思った。
私がそこに行くと………見覚えのある人が居た。
木村さんだ。
「あ、流華。あんた流華でしょ」
「は、はい……」
やっぱり木村さんだ。
「私、凛子よ。早く行くわよ」
……え?
木村さん、名前嫌いなの?どこが?
……そういえば、五年の時、名前の由来を発表する時に…みんなに『地味』って言われてた。それかな?
「木村さん…」
「やだ、感じ悪い。私のペンネームは凛愛りあ。凛愛って呼びなさい」
「は、はい、凛愛さん…」
「ところであんたのペンネームはなんなのよ」
「えっと、流々…です」
「やっぱりね。華は入れないと思ってた。さっすが私の名推理!」
「……」
私にはそれが名推理に見えなかったのは内緒。
言ったら恐ろしい未来が待っている、絶対。
「流々、ぼーっとしてんじゃないわよ!」
「は、はい…」
私は凛愛さんを恐れている。
それは確かだった。
凛愛さんはどんどん薄暗い道を進んで行く。
「凛愛さん…何回もここ来たことあるんですか?」
「あのねえ、あんた。招待状ちゃんと読んだわけ?中1からしか招待されないって書いてあったでしょうが」
「ご、ごめんなさい…」
凛愛さん、恐ろしい…。
「こんにちは、凛愛さん、流々さん。ユリカント・セカイに進みますか?」
また妖精に聞かれる。
「ええ、もちろん」
凛愛さんは即答だったけれど私は少し戸惑う。
小鳥遊くんもいるし………。
そう考えていると圧を感じるから凛愛さんの方を向く。
すると『絶対に行きなさい。行かないと殺すわよ』と言っているかのような顔が私に向けられる。
「えっと…………はい」
軽く頷く凛愛さんを見て少しホッとする。
はあ、よかった。
殺されるかと思った……。
「では了解です、ありがとうございます。こちらからご入場ください」
促されるままに入場するとそこはさっきとは違う……真っ白な世界だった。
これが、異世界か…
そう考えていると、フェアリーナさんが入ってきてステージのようなところに立つ
「みなさん、お集まりいただき誠にありがとうございます。案内部長の黒川 フェアリーナです。今夜は思う存分楽しんでいただけると嬉しいです。それでは、ユリカント・セカイ開始です!」
「わー」「なにこれ」「よーし、××ちゃんここ行こー」「すげー!」「ここが異世界、か…」「わ、すごい…」「うーん、どうしよ?」
フェアリーナさんが開始と言った瞬間ザワザワと騒がしくなる。
そんな時だった。
美空異みらい、だ…」
………あの人の声だった。
そう………小鳥遊くんだ。
とても騒がしい中、それだけははっきりと聞こえた。
「あ、留姫亜くん。」
声がするからそこを向くと……そこにはすごく可愛い子が立っていた。
「美空異…ペンネームってなにに…した?」
「私は絵美えみにした。留姫亜くんは?」
「ぼ、僕は、留異るいにした」
「えーなんで異、入れたの?私の名前の一番嫌いな文字なんだけど笑」
「うっそ…、笑」
美空異と呼ばれた人と小鳥遊くんはどんどん話を進めていく。
そんな中私は胸がちくりと痛む。
私、やっぱりまだ小鳥遊くんが好きなんだなあ…。
だってこれは、絶対に嫉妬なのだから…。
「あの人…カッコいい」
小鳥遊くんを呆然と見つめていると隣にいた凛愛さんが小鳥遊くんを見ながら言う。
「え…」
「好きなのかも、なあ。恋愛ってこーゆーのなんだ。」
「……ッ!」
私は居ても立ってもいられなくなりその場にしゃがみ込む。
「ん、流々?あんたもあの人好きなわけ?」
凛愛さんが私の異変を察したのか聞く。
私はガクガク震えながら頷く。
「ふーん、じゃあ」
「な、なんですか…?」
「あの人の名前と好きな人聞いてきなさい」
「…え?」
「んだーかーら!あの人の名前と好きな人聞いてきなさいって!あんた本当に耳おかしいわよ!」
聞き間違えかと思ったけれど違うっぽい。
「わ、分かりました…」
「じゃあ私はここで待ってるから」
ああ、頷いてしまった。
いくら凛愛さんだとはいえ、小鳥遊くんとこれ以上話したくないのが本心だ。
頷いてしまった自分が恥ずかしくてしょうがなかった。

「ぁ………ぁあの、すす、好きな、人、って、誰で、すか…………?」
私は恐る恐る小鳥遊くんに声をかける。
「美空異。ユリカント・セカイでは絵美」
やっぱり小鳥遊くんは私のことを私って分かっているのだろう。
名前は聞かなくていいか…。知ってるし。
美空異ちゃん、か…。
あの、可愛い子なあ…
どことなく羨ましかった。
すると小鳥遊くんはどこかへと消えてしまった。
まるで、『用は済んだのか?それなら先に言え』と言われているような気がして、胸が締め付けられる気がした。

「り、凛愛、さん…。き、聞いてきました」
凛愛さんに小鳥遊くんの名前と好きな人を伝える。
「分かったわ、じゃあ次は美空異ってやつの好きな人とついでに苗字も聞いてきなさい」
「…ええ……」
正直、抵抗があった。
小鳥遊くんとは知り合いだったからどうにか聞けたけど、美空異さんは赤の他人だ。流石に私でも無理だ。
「嫌なら好きな人だけでもいいから!」
「……」
私は黙り込む。
「はあ?もういいわ私が聞いてくる。美空異がいる場所を突き止めなさい」
こういう時に私の記憶力は役立つ……あんまり使わないけど。
美空異さんはさっき小鳥遊くんと喋っていた子で間違いない。
「えっと…あの子です」
私は美空異さんを指差す。
「分かったわ、じゃああんたはここにいなさい」
凛愛さんは美空異さんのところに躊躇ちゅうちょもなく行く。
すると美空異さんと話し出す。
10秒ほど話して、帰ってくる。
どんだけ早いんだ、恐ろしい…。
「いないらしいわよ、ちなみに苗字は有栖川ありすがわ
流石、凛愛さん。早すぎる…。
「さ、私は留姫亜くんの目を引くように頑張るからあんたとは離れるわね」
そう言って去っていく。
すると急に不安が襲ってくる。
その時に、凛愛さんの力強さを初めて感じた。
流愛の気持ちも分かるような気がした。
……ダメダメ、凛愛さんはライバルなんだから………。
でも不安はいつまで経っても消えなかった。

Re: ユリカント・セカイ ( No.8 )
日時: 2024/03/29 11:54
名前: しのこもち。 (ID: X2iPJYSg)


 - 第八話 散ってゆく -

 見慣れない異世界の中、私は一人ぼんやりとその風景を見つめていた。

 この『ユリカント・セカイ』という場所は一体何なのだろう。思っていたよりも人は多く、まるで何かのパーティーに来たみたいだ。

 そんな人混みの向こうにふと目をやった瞬間、私の心の中は黒くてもやもやした何かに支配された。

 少し離れた所で木村さん……凛愛さんが顔を赤くしながら、小鳥遊くんと話している姿があったのだ。

 そんなところを見て、私の視線は嫌でもその二人に釘付けになってしまう。

 心臓が嫌なくらいドクドクと音を立てて脈を打つのがすぐに分かった。

 あぁ、まただ。彼は恋人でも何でもないのに、こんなにも嫉妬してしまう自分が心底嫌だ。

 これ以上自分が嫌いになってしまわないように、私は自分の体の中に溢れ出す黒くて醜い感情に見て見ぬふりをしながら、私はもう一度片想いをしている彼のことを見つめた。

 人混みの中でも構わずに相変わらず輝いている彼の姿を見て、私はふと疑問を感じた。

 彼はなぜここにいるんだろう。

 この世界には自分の名前が嫌いな人しか招待されないはずだ。つまり彼は自分の名前が嫌い…?

 確かに‪”‬‪留姫亜”という名前は珍しいし、この世界に招待されてもおかし‬くないとはさっきも思ったが、やはりこんなに全てが完璧な彼が自分の名前を嫌うはずがない。

 とすると……あれは本当に彼なのだろうか。

 表情にあまり変化がなく、落ち着いていて凛としたいつも通りの彼の瞳。

 さすがに人違いなわけないか。そもそもずっと見てきた好きな人を見間違えるはずがない。

 そうやってただ一人くだらないことを考えていると、さっきまで彼と話していた凛愛さんがこちらの方へ駆け寄ってきた。

 その表情はまるで、欲しかったおもちゃを買ってもらって意気揚々としている子供のようだった。私は嫌な予感がしてまたチクリ、と胸が痛むのを感じた。

「ちょっと聞きなさい!あの留異と話せたわよ…!!!」

 嬉しそうにそう話す凛愛から、私は思わず目を逸らしてしまった。

 見たくなかった。彼女が、好きな人と仲良くなっていくところを。

 彼には好きな人がいる。そう分かっていてもこんなに嫉妬してしまう私はいけないんだろうか。

 それと同時に、私は未だに彼と話す勇気を出せない自分に腹が立っていた。

「そ、そうなんだ。よかったね」
「緊張したけど……やっぱりあの人かっこいいわぁ…」

 未だ余韻に浸っているのか、凛愛さんは頬を両手で覆いながら顔を赤らめた。その表情はどこから見ても恋をしている女の子だ。

 私にはなぜか、そんな凛愛さんがとても可愛らしく見えた。


 ────私も、変わらなきゃ。


 彼を好きな気持ちは、私も負けていない。そう信じて、私も彼と話すことを心に決めた。

「………わ、私もっ、行ってくる…!」

 そう言って私は人混みの中に飛び込んだ。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「い、いない……」

 私は一人静かに肩を落とす。

 さきほどまで二人が話していた場所へ来てみても、当の彼がいないのだ。

 辺りを見回してみても彼の姿はなく、私はしばらくの間彼を探し続けた。しかし、いくら探しても彼が見つかることはなかった。

 大体あんなにも目立つような容姿をしているあの人のことなのだから、いたらすぐにでも分かるはずだ。

 しかもこの人混みの中。仮に見つかったとしてもこんな場所じゃ話しかける余地もないだろう。

「はぁ……」

 私は思わずため息を吐く。せっかく好きな人がいて運もよかったのに、その好機を自分から見失うなんて。

 そうやって一人落ち込む私を置いて行くかのように、目の前で行き交う人達はお互い楽しそうに話している。

 ここにいる人達はみんな、自分の名前が嫌いなはずなのに。そんなことは忘れているのか、この人達は私とは違って笑顔だ。


 そっか、私は。

 この世界にいても変わることはできないんだ。

 臆病で。嫉妬ばかりして。それなのに自分では勇気を出すこともできずに、勝手に自分を嫌いになって。

 名前が変わったとしても、自分自身は変われないのだ。自分から変わらないと、そう思っていても結局何もできないのだから。


「八月一日の午前三時になりました。これにてこの『ユリカント・セカイ』を終了したいと思います」

 しばらくすると、辺りにフェアリーナ部長の声が響いた。声に反応して、その場にいた全員がざわめいた瞬間。

「………あれ、なんか眠く…なって………」

 私は気を失って、その場に倒れ込んだ。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「あれ、ここは……」

 目を覚ました私は、目を擦ってその場から起き上がった。

「た、小鳥遊くん……」

 あれ…?この声は……木村さん?

「小鳥遊くん、じゃなくて‪”‬‪留姫亜”って呼んでほしい‬」
「う、うん」

 声がすると思って後ろを振り向くと………そこには木村さんと私の好きな彼がいた。

 二人は顔を赤くしてお互いの目を見つめ合いながら、照れくさそうに微笑んでいる。

「………俺さ、自分の名前嫌いなんだよね。でも、凛子に呼ばれるなら好きになれるかも」

 そう言って二人が手を繋いでいるところを、私はただただ立って見つめることしかできない。

 これ以上二人が仲良くなっていくところを見ていたくないのに、私の視線は嫌という程その二人から離れてくれない。

「私もね、凛子って名前嫌いなんだ。だけど……留姫亜くんに呼ばれるなら私も嬉しいよ」

 私と話す時の尖った口調からは想像もできないくらいの高くて優しい声で、木村さんは言った。

 そして彼女は突然表情を変え、意を決したように真剣な眼差しで彼を再び見つめた。

 -ドクドクッ。

 心臓がこれでもかと言うほど激しく波打つ。彼女がこれから言おうとしていることが、容易に想像できたからだ。

「私ね、留姫亜くんのことが………」
「………嫌だ、それ以上は…!」

 『言わないで』

 そう言おうとした瞬間、目の前にいた二人は消え、私の意識は途切れた。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「………か、流華」
「…………お母、さん…?」

 目が覚めると、そこには心配そうな表情をしているお母さんがいた。

「あれ……私、なんで…」

 ゆっくりと起こした体は、なぜかパジャマをまとっていて、辺りを見渡せば見慣れた私の部屋があった。

 確か昨日は、あの『ユリカント・セカイ』ってところに招待されて………それで、どうしたんだっけ?

「……流華…?あなた寝過ぎよ、大丈夫?」

 寝過ぎ…?私はそんなに寝ていたのだろうか。

 そう思いながら恐る恐るスマホで時間を確認してみると、時刻は正午を過ぎようとしていた。

「えっ、嘘…!」
「とりあえずお昼ご飯はもうできてるから、着替えたら降りてきてね」

 そう言ってお母さんは、静かに私の部屋から去って行った。

「……」

 びっくりした。さっきのは夢だったのか。

 現実だったら…と思うと、私は今にも壊れてしまいそうだった。それくらい、二人がお互いの名前を呼び合うところすら見るのが嫌だったのだ。

 それから─────あの『ユリカント・セカイ』。あれももしかしたら夢だったのだろうか。


 ふとそんな考えが頭をよぎったが、私はそんな思いを振り払うようにして頭を横に振った。

 きっとあれは夢じゃない。

 確かに私は昨日、あの『ユリカント・セカイ』に行った。ちゃんと昨夜にこの目で見たことを覚えている。

 異世界の空間。人混み。名前は変わっていたけれど、木村さんと小鳥遊くんに会ったこともはっきりと覚えている。

 そして………彼が好きな‪”‬‪美空異”さんという人も。

‬ 美空異さん……顔もすごく綺麗で可愛らしかったし、雰囲気も明るかった。異性が苦手なあの小鳥遊くんだって、彼女を好きになるのも納得がいく。

 でも、彼女には好きな人がいない。つまり二人はまだ両想いなわけではないのだ。

 ということは……小鳥遊くんが心変わりするかもしれない、と考えることができる。

 私は一瞬喜んだが、そんな感情もすぐに砕けていった。

 なぜなら……木村さんがいるからだ。

 さっき見た夢が全部現実になってしまったら?本当は隠れて、美空異さんと小鳥遊くんが付き合っていたりしたら?

 そんな想像したくもないことを考えてしまい、私は首を横に振った。

 これ以上余計なことを考えてしまわないように、私は急いで着替え、ご飯を食べに階段を降りた。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 ご飯を食べている間も、気を紛らわそうと他のことをしている間も、頭の中は彼のことでいっぱいで。その度に昨日会った木村さんや美空異さんのことを思い出してしまう。

 そうしてお手洗いを済ませ、洗面所を通り過ぎようとした時、私は見てしまった。

 鏡に映った、自分の情けない姿を。

 無造作にまとめられた髪に、大して可愛くもない顔。試しに鏡の前で作った笑顔でさえぎこちない。

 女の子には笑顔が一番のメイクだとか言うけれど、当の私は笑った顔ですら不格好で気持ち悪く見えてしまう。

 美空異さんの綺麗な容姿。木村さんの恋をしている可愛らしい姿。

 そんな自分とは反対な、魅力的な彼女たちの顔は本当に可愛かった。

 あの人たちに比べたら私なんて小鳥遊くんを好きになる資格さえない、そう思ってしまう。

 それに……よく考えたら雪ちゃんもいるではないか。

 雪ちゃんも合宿の時、彼と楽しそうに話していた。雪ちゃんは否定していたけれど、彼女も小鳥遊くんのことが好きだと考えてもおかしくはない。

 私は………なんて人を好きになってしまったのだろう。

 その後も頭の中は彼のことでいっぱいで、私は一日中頭を抱えていた。

Re: ユリカント・セカイ ( No.9 )
日時: 2024/04/23 08:54
名前: みぃみぃ。 (ID: t7GemDmG)
参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

【 第九話 もう一度 】

「はあ………」

そうだ、よく考えればそうだ。
私なんかが小鳥遊くんと付き合えるわけなんか、ない。

きっと、有栖川さんが付き合うんだ。
いや、木村さんかな。それとも、雪ちゃん?

………雪ちゃんと付き合うのが、一番辛い………かな。

「ねえねえお姉ちゃん、ため息ほんっとうるさいんだけど。華やかなお姉ちゃんがため息ついてどーすんの」
ぐるぐるぐるぐると頭の中で考えていると、隣の部屋から来た流愛が文句を言ってくる。

「……私だって人間だよ。悩み事くらいあるよ……」
吐き捨てるようにそう言うと、もう一度ため息をつく。

「あーそうだったね、お姉ちゃんは優等生だもんねー、流愛よりも悩み事多いよねー」

嫌味っぽく言われ、私は少しカッとなる。
「なに、その言い方」

すると、流愛は大きく息を吸い始めた。
何をするのかと思った瞬間。

「お姉ちゃんのバカ!!」

そう言い切った。
私は一瞬、息がぴたっと止まった。

「お姉ちゃんはなんにも分かってないくせに、よくそんなこと言うよね。」
そう続ける。

「流愛が、お姉ちゃんがお姉ちゃんでどんだけ苦労したと思ってんの?お姉ちゃんのせいで流愛は勉強とかスポーツでプレッシャーをかけられっぱなし。バカみたい。お姉ちゃんのせいでっ…!!」

流愛が。あの流愛が。あの自己中な流愛が。
そんなに、悩んでいたなんて……。
私は、衝撃を受けた。

「お姉ちゃんなんか、いなくなればいいのにっ!!」
そう叫ぶと、流愛は自分の部屋に帰って行った。

『お姉ちゃんなんか、いなくなればいいのに』。
これは、あの時、私がすごくいじめられた時、言われた言葉だった。

聞きたくなかった。

私だって、人間だ。
そう思ったのは鮮明に覚えている。

「わ、私だって………、人間、だよ……………。」

言葉にするのが怖かった。

でも、そう言った途端、涙が溢れ出てくる。

止めようとしても、止められなかった。
私だって、私だって………。

涙は止まるどころか、どんどん量が増えていく。

もうこれは、止まらない。

そう確信した私は、ベッドに飛び込み涙を流したまま眠りに落ち……れなかった。

涙は増えるばかりで、止まる気配もない。

どこかに、ずっと流愛を恨む自分がいる。
どこかに、ずっと悲しむ自分がいる。
どこかに、ずっと震える自分がいる。

私はとにかく泣きまくった。

10分、20分………どんどん時間が経っていく。

それから悔しくて辛くて、疲れ果てて眠ってしまった。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

一週間後。

ベッドから起き上がり、部屋着に着替えてリビングに行く。

「お母さん、おはよー」
「おはよう、流華」

「流愛は今日も遊びに行った?」
「ええ」

お母さんと少し会話すると、私は朝ごはんを食べ始める。

だいたいいつも、この時は私もお母さんも無言になる。
別に私はこの時間は嫌いではない。

しばらくの沈黙の後、お母さんが口を開いた。

「流華、今日、図書館に行かない?」
「……え?いいけど、なんで…?」

いきなりのことに少し驚く。

「なんでって、借りたい本があるからに決まっているじゃない」
「そ、そっか。そうだね」

少し驚いたが、私とお母さんは、図書館に行くことにした。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

「ああ、もう、なんで入れてくれないの……!?」

行く途中の交差点、お母さんがイライラしていた。

「ああ、もう!!」

お母さんは、最近、変だ。
流愛ことで、ストレスがあるのだろう。

やっと抜け出したと思ったら、次はまた違う理由でイライラしていた。

「はあ?なんでそこ入れるの!?」

私達がさっき通った小さな交差点と同じようなところで。
入ろうとしていた車を2、3台入れたみたいだ。

私は少し矛盾を感じていた。
まあお母さんのことだ、ストレスがあるのだ……と思い、なんとかその場を沈めた。私の中だけなのだけれど。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

「着いたわよ」

お母さんの声で我に返る。

「お母さんは本を見に行くから、好きな本見てて」

図書館に入るなり、お母さんは奥の方へ入って行った。

何を借りようか……と考えていると、ふいに声をかけられる。

「あ、流華。おひさー」
「み、実乃莉!?ああ、びっくりしたぁ。実乃莉かぁ。」

実乃莉。
工藤くどう 実乃莉みのり。私のいとこ。

「実乃莉かぁって、何よ!あ、流愛は?」
「友達と、遊びに行ったんだって。ここにはお母さんと二人で来てる」
「ふーん」

実乃莉は、流愛のことが嫌いだ。

「あ、そうだった、私の口から伝えたくて。与那野高校合格、おめでとう」
「ふふ。ありがとー!」

実乃莉は満面の笑みを浮かべる。

実乃莉は今、高校1年生。
与那野高校は頭がよく、公立でダントツで頭が良い。
私も、与那野高校を目指してたりして。

「流華も与那野高校受けるつもりなんでしょ?」
「あ、うん。」

「じゃあ今のうちから勉強しといたほうがいいわよ。私は直前に睡眠不足で倒れたんだから………。勉強の詰め込みは厳禁よ」
「え、た、倒れたの……!?それでも受かったの………!?」
私はとても驚く。

「まあ。その後すぐ回復したんだけどね。流華は気をつけなさい」
「う、うん。でもまだ受験まで二年弱あるよ」

「二年弱しかないのよ!せめて本読むくらいやりなさいよ!」
すぅっと息を吸ったかと思ったら、実乃莉が怒鳴る。ここ、図書館です。
「ええ……。じゃあ、おすすめの本は?」

「ああ、ハヤテナオコさんのが良く出るわよ」
「……なんか聞いたことある。あの夏シリーズの人?」

私は記憶を一生懸命辿る。
確か、クラスの女子が、『ハヤテ先生の新シリーズ!あの夏シリーズだって!』とか、『最新のあの夏シリーズ読んだ?』とか、騒いでいた気がする。

「そーそー。でも私、『あの夏の冬』が読めてないんだけどね。飽きちゃった」
「飽きたんかい……」
私はツッコむ。

「実乃莉、借りに行くわよ」
実乃莉のお母さんが実乃莉に声をかける。
「あー、はーい。流華、ごめん、私もう行くね」
「あ、うん。じゃあね」
「バイバイ!」

実乃莉は大きく手を振る。
私は小さく手を振り返す。

『あの夏シリーズ』。
それを借りよう。

ハヤテナオコさんが書いた小説がある本棚に来た。

『あの夏の春』を始め、
『あの夏の夏』や『あの夏の秋』など、沢山並んでいた。

その中に、『あの夏の冬』を見つけた。

私はそれを手に取る。

実乃莉が、読めていない本。
なんだか新鮮な感じがする。

適当に本のどこかのページを開く。

そこには……。

『「なんなの、本当にムカつく、流華ぁ、ふざけんなぁ」
 「ほんっとそうだよねー、ふざけんなよって感じ」
 「……ねえ。むう、これ、どう思う?」
 私はペットのむうに話しかける。
 「わ、澪が猫に話しかけてるw」
 「なんだよぉ、璃子w」
 私は璃子にからかわれたから、からかい返す。
 むうは、『にぁーお』とのんびりと鳴くだけだ。
 「いやでもさ、ほんっとアイツふざけんな。自分勝手」
 「うんうん、マジで許せない。」
 璃子は目の前の空気を殴る。
 「ねえ、明日流華んち行って流華の親に言いつけにいこうぜ」
 「いいねぇ」
 「お姉ちゃんの流美さんいるかな?」
 「あー、流美さんめっちゃ美人だよねぇ、会いたいわぁ」
 「お兄ちゃんもめっちゃイケメンだった気がする。めっちゃ会いてぇ」
 「うんうん、流衣さんわかるわぁ、イケメン、絶対モテるやん、羨ましいぃっ!」』

私は胸にナイフを突き刺されたような気がした。

『流華ぁ、ふざけんなぁ』
『流華んち行って流華の親に言いつけにいこうぜ』

流華。私の名前。
ただの偶然ってことは分かってる。分かってるけど……。

私は本を戻す。

頭がクラクラする。

そうだ、これはただの偶然だ。偶然。偶然………。

「流華、帰るわよ、借りる本は決まった?」

お母さんの声で我に返る。

私は咄嗟に声が出なくて、首を振った。

「そう。じゃあ、帰る?」

私は頷く。

「じゃあ借りてくるから、待ってて」

お母さんはそう言うと、カウンターの方に行ってしまった。

なんだか、置いてけぼりにされた気がして、少し寂しかった。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

こうやっていつも通り過ごしている中であんなことがあるなんて、予想しなかった。

それは、夏休み最終日のことだった。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

ベッドから起き上がる。
今日は起きるの遅かったな……。

すると、雪ちゃんからメールが来ていることに気付く。

しかも、昨日の………夜、11時。
私、起きてたはずなのになあ、なんで気付かなかったんだろう。

そう思い、メールを見る。
『流華ちゃん、明日、公園でバスケしない?あ、忙しかったら大丈夫だけど!てか夏休み終わっちゃうの悲しい〜』
いかにも雪ちゃんらしい文章だ。

そうか、バスケかあ……
最近やってなかったもんね、行きたいな……

『返信遅くなってごめんね!私も、行きたい。でもお母さんに一回聞いてみるね。』
送信して、リビングに行く。

静かだから、きっと流愛は友達とどこかに行ったのだろう。

昨日、流愛、宿題に追われてたっけ。
大丈夫かなあ……いや、あの人のことなんかどうでもいい。

そう思い、お母さんに話しかける。

「おはよ、お母さん。あのさ、雪ちゃんと公園でバスケしにいってもいい?」
「…………あ……え?ああ、分かったわ。いいわよ。何時から?」

お母さんは少し驚いた様子だったが、許可してくれた。

「今、雪ちゃんに聞いてるとこ。」
「そうね、午前中ならいいわよ」
「分かった、ありがとう」

部屋に戻ると、通知が鳴る。
『ううん、全然大丈夫!おっけー!一応、9時から11時くらいまでにしようと思うんだけど。』
『今、聞いてきたよ。午前中なら良いらしいから、その時間に行くね』

返信すると、また通知が鳴る。
『りー!』

『え、「り」ってどういう意味?』
「り」って……本当にどういう意味?私『り』とかいう名前じゃないけど……?
『「り」は「了解」っていう意味だよ!流行りに乗れないタイプだったっけ、流華ちゃん?』
胸がズキっと痛む。
乗れないというか、興味ないタイプかなあ……あはは……………

『ま、その時間に待ってるよー』

私はそっとスマホの電源を切る。

今は8時か…………
とりあえず、着替えよう。

ジャージでいいか…
私は黒に少し白の線が入ったシンプルなジャージを着る。
眼鏡は……やめとこう、コンタクトでいいか。
とりあえず適当に髪をくくっとこう。

私の可愛くないところはこういうところなのかなあ…と改めて思う。

…………あ!!
そういえば、作文の宿題…!!
そういえばそうだった。
昨日、ほぼほぼ出来上がったのだけれど、始め方で迷ってて、そのままに……。

私はスマホを開き、作文の下書きをしていたアプリを開く。

適当に始めを考えて、プリントに書き写す。

あ、もうこんな時間。
私は家を出て、自転車にまたがる。

自転車を漕ぎ始めると、風が気持ちいい。

あっという間に公園に着いてしまった。

もうちょっと漕いでいたかった、なんてね。

着くと、雪ちゃんはまだいなかった。

来るまで何をしようか……と考えていると。

小鳥遊くん……?


そこにいたのは、確実に小鳥遊くんだった。

「小鳥遊、こっちこっち!パス!」
「ういよーっ」
小鳥遊くんは、サッカーをしていた。

でもなぜか、少し違和感を感じていた。

あれは小鳥遊くんだ。絶対。

でも自信が持てなくて、なんだか変な感じだった。


サッカーが終わり、私は勇気を振り絞って話しかける。
「…………ぁ、あの………ユリカント・セカイにいた、小鳥遊 留姫亜さんですよね…………?」
「ゆりかんとせかい?なんじゃそら。ていうか留姫亜ってお兄ちゃんじゃん、僕は留姫衣だよ」
「……あ、すみません。間違えました」

私はそう謝ると、すぐその場を離れる。恥ずかしい。

すると、私は謎の光に包まれた。

そこで私は思い出す。
ユリカント・セカイのことを、誰にも言ってはいけないことを……。

………やってしまった。私はもう…
消えてしまうんだ………。


違和感は、きっと、留姫亜くんじゃなかったからだろう…………。


*・゜゚・*:.。..。.:*・'


「橘さん、起きてください」
「………あ、フェアリーナ部長…」

目を覚ますと、そこはユリカント・セカイだった。
ここは紛れもなく、ユリカント・セカイだ…

「試験を受けましょう」

フェアリーナ部長はそれだけ言い切って、奥へ奥へと進んで行く。


*・゜゚・*:.。..。.:*・'


「着きました。試験について簡単に説明します」

……分かった。
フェアリーナ部長は、怒っている。

まあそれはそうだ、だって、きっと沢山の人の対応をしなければいけないのだから。

「これは元々読んでもらう予定だった、利用契約です。」
そう言って、利用契約を出す。A4用紙が、3、4枚くらい重なっている。

「これを読んで、問題に答えてください。100点満点で80点合格、制限時間は30分です。始めてください」

私は少し驚いたが、利用契約を読み始める。
きっと、これからは絶対に言うな、ということだろう。

読み進めると、衝撃を受ける文章を発見した。

『第九条 呼び方について
 本サービスの中では、皆様、また、本サービスの従業員の本名(下の名前)で呼ぶことを禁止いたします。
 そのため、皆様同士ではペンネーム、本サービスの従業員は苗字で呼んでください。』

これは絶対………問題になっていると思う。
そう思い、問題文を見ると、やはりこういう問題があった。

『第一問
 この利用契約の中に、一部知らされていない部分が三つある。第何条か答えよ。』

私は一つ目のマス目に『九』と書く。

そしてまた長い文章を読み始めた。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'

「終了です、少し待っていてください」

フェアリーナ部長が言い、解答用紙を回収して奥に進んで行った。

今から、丸つけをするのだろう。

解けた。解けた……と思う。きっと。

ソワソワしていると、フェアリーナ部長が向こうからやってきた。
まだ1分も立っていないのに。問題数は結構あったはずだ。

「丸つけが終わり、結果が出ました。結果は………。」
私は固唾を飲んで、じっとフェアリーナ部長を見つめた。

Re: ユリカント・セカイ ( No.10 )
日時: 2024/05/18 18:10
名前: しのこもち。 (ID: X2iPJYSg)



 - 第十話 答え -


「合格です」

 フェアリーナ部長がそう言い放った瞬間、私は安堵の息を漏らした。

「25問中、25問正解。よってテストは満点合格です。おめでとうございます」

 フェアリーナ部長は疲れた表情を残しつつも、少し驚いたような声色をしていた。私は何だかそれが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。

「すごいですね。今までの試験でも、満点合格は指で数えられる程度しかいなかったんですけど」
「あ、ありがとうございます……」

 私は何だか胸が包まれるような、暖かい気持ちになった。久しぶりに他人に認めてもらえたような気がしたからだ。

 そっか。最近の私は周りと比べることに執着しすぎて忘れていた。

 私の魅力は私だけにあるということを。誰かに自分のしたことを認めてもらえるような何かを、少なくとも私は持っていたのだ。

 私にもみんなみたいに、誇れるようなものがあったのだ。周りと比べる必要なんて、最初からなかったんだ。

 そう思った瞬間、私は今にも泣き出してしまいそうになった。

 だめだ……最近の私は少し…いや、ものすごく涙腺が緩い気がする。

 そんな私に構わず、フェアリーナ部長は自身の長くて綺麗な指で解答用紙を整えながら、その場を後にしようとした。

「………ま、……待って下さい…!」

 気付いたら私は、彼女の背中に向かってそう叫んでいた。

 私は何をやっているんだろう。早く現実の世界に帰ってしまえば、それで全て終わっていたのに。

 フェアリーナ部長は私が大きな声を出して呼び止めたことに驚いたのか、少し動揺しながらも振り向いた。

 どうしよう。私は訳も分からず勝手に動いてしまった口をぱくぱくさせながら困惑した。

 こんな状況、どう考えたって急に呼び止められたフェアリーナ部長の方が慌てるに決まっているだろう。

 それなのにも関わらず、呼び止めた当の私はというと、ただ汗をだらだらかいているだけの変人だ。

「大丈夫ですか?」
「………わっ、私……」

 もうどうにでもなってしまえ。そう半ば投げやりな気持ちになった私が発した言葉は──────。

「まっ、まだ………帰りたくないんです…!」

 ────の一言だった。

 もちろん私は言った後、すぐに後悔した。

 これじゃあまるで、まだ帰りたくないと駄々をこねている子供ではないか。

 私は頬がどんどん赤くなっていくのを感じた。

 私はそのりんごのように赤くなった顔を見られまいと、必死に両手で顔を覆った。

 絶対変な人だと思われてしまっただろう。

 しかし次の瞬間、フェアリーナ部長は幻滅するどころか急に吹き出した。

「……あはははっ、…!ははは…!!!急にどうしたんですか?」
「……えっ?」

 彼女はお腹を抱えて豪快に笑い出した。何だかそれすらも恥ずかしくなり、私の顔の色は戻るどころか余計に赤みを増していった。

「はははっ………別にまだ帰らなくてもいいですよ?」

 フェアリーナ部長は笑いを堪えながら、ようやく言葉を発してくれた。

「実際、試験に合格できても元の世界にはまだ帰りたくないって言う人も稀にいますから」
「そうなんですか?」
「はい。だってこの世界には自分の名前が嫌いな人しか集まれないのだから、当然それが理由で帰りたくないって人もいるはずです」

 確かに、言われてみればそうだ。

 あの日、初めてこの世界に招待された時。周りには数え切れないくらいの人で溢れ返っていた。

 けれどここに来ていたということは、少なからずあそこにいた人たちはみんな、私のように名前が原因で嫌な思いをしてきたはずなんだ。

 そう思うと今更ながら、私は一人じゃなかったんだと心が少し軽くなったような気がした。

「それで試験後に‪”‬‪条件”を提案してくる人もいますよ‬」
「条件…?」
「そのままの意味です。これを達成したら元の世界に帰りますよ、みたいな約束事を決めるということです」

 なるほど、と私は首を縦に振る。

 確かにその‪”‬‪条件”‬とやらを決めてしまえば、自分が達成したいと思っていることも叶えながら元の世界に帰ることができる。

「あなたがどんな過去や思いを背負ってここに来たのか私には分かりませんが、少なくとも帰りたくないと思うような理由があるのでしょう?」

 フェアリーナ部長の少し尖った口調は変わらないが、その声色に優しさが混じっているようにも聞こえた。

「苦しみ、悲しみ、嫉妬、期待。それらは一人一人の名前からですら、生まれてきてしまうものです」
「……」
「しかしそれをどう捉え、どう変えていくのかはその人自身にしか決めることはできません。名前というものから解放され、本当の自分に生まれ変われた時、本当の意味であなたは‪ようやく”‬‪現実の世界”に帰ることができるのでしょうね‬」

‪ ”‬本当の自分に生まれ変わる‪”‬

 その言葉は一瞬で、私の心を揺るがした。

 名前なんかに縛られて生きている私は、本当の私ではないのかもしれない。果たしてそんな自分を好いてくれる人なんかいるのだろうか。

 きっとこのままじゃ、二度と現れないだろう。

 じゃあどうするべきなのか……答えはもう、とっくに私の中で決まっていた。

 私はごくり、と息を飲む。そして震える声でフェアリーナ部長に言った。

「………私、変わりたいです。もう名前なんかに怯えずに、胸を張って生きたい」

 そして意を決して、大きな声で誓った。

「私っ……好きな人と両想いになるまで帰りません…!!!」


Re: ユリカント・セカイ ( No.11 )
日時: 2025/03/24 19:22
名前: みぃみぃ。 (ID: 74hicH8q)

〈第十一話 ずっと、このまま〉

「あっはっはっは!」
「な、なんですか」

私があんな答えをしたから笑ったと分かっていながらも、私はすこし驚いた。
フェアリーナ部長ってこんなキャラだっけ…?

「いやあ、全然いいんだけど。そんな答えの人は初めて見たよ。」
「……」

「あははっ、その好きな人とは誰なのさ。もちろん、ユリカント・セカイにいた人なんだろうな?」
「は、はい……。小鳥遊 留姫亜くん、です」
「ああ、留姫亜か。留異だな。あいつ、イケメンだよな」
「………」

フェアリーナ部長ですら知っているなんて。
でも小鳥遊くんなら、納得がいく。

「でもなあ───」

私は息を呑んだ。

「ユリカント・セカイにくるのは、毎年少しずつ変わるんだよなあ」

私は嫌なことが頭をよぎった。

『………俺さ、自分の名前嫌いなんだよね。でも、凛子に呼ばれるなら好きになれるかも』

あれは夢。
でも、あれが本当になったら……………。

「なんか思い出したのか?まあ、いいけど。大抵の人はくるからな。」
「そ、うなんですね」

「ああ、まあ、大丈夫だろう。まああいつのことさ。来年も来るだろう。」
「え、招待状送るのは部長じゃないんですか…?」

「私じゃないよ、なんてっか、部下っていうか?そんなやつらが送ってる」
「じゃあ、部長が言ったら………あ」
「はは、お前そんなに留姫亜が好きなんだな。ま、どうにかなるさ。」
「………」

辛かった。
フェアリーナ部長が、そんなことを思っているなんて。
私の好きな人を、「どうにかなるさ」で表すなんて。

「あんたは本当にいいわ、本当は返してあげたいところだけど、そう言うなら、ここで過ごしてちょうだい」
そう言ってフェアリーナ部長に連れて行かれたのは、大きく、とても豪華な部屋だった。

「え、いや、こんなところ……。」
私は思わずそう言った。

「いやいや、そんなこと言わずに。あんたは優秀なんだから。さ、入って入って。カードキー式だから、カードキー渡しとくわね」
私にカードキーを渡すと、フェアリーナ部長はさっと立ち去ってしまった。

大きな豪華な部屋に一人取り残された私は、床に座り込んだ。
こんな豪華な部屋に私一人なんて、すごくもったいなく感じた。

あの……あのベッドくらいでいいな……
私は少し離れたところにあるベッドを見つめた。

ふっかふかの大きなベッドに、おしゃれな棚。
そして、可愛い、少し変わった植物。ピンクの丸い実がなっている。

……あれでも、十分すぎるくらいだな。あはは…

そう、苦笑している時だった。

向こうのほうから、ガサっと音が聞こえた。

「ひゃっ!?」

何々!?ええ!?

「………あ」

そこから顔を出したのは、知らない男の人だった。

「こんにちは」
「こ、こんにちは………」

信じられない。ていうか誰?

「あ……有栖川 賢太けんた、です。」

「賢太、さん…」
「はい。あなたは?」
「あっ……。橘 流華、です」

有栖川。何か身に覚えがあるような気がする。
有栖川、有栖川…………

「あっ!」
「ど、どうかしましたか?」
「あっ、すみません………」

私は顔に血がのぼる。
きっと私の顔は真っ赤になっているだろう。
でも、きっと………。
私は、勇気を出して話しかける。

「………あの、有栖川 美空異さんの、お兄さんですか………?」

もし違ったら。そう思うと、違う気がしてきた。いや、違う。絶対。まずい。きっと苗字がたまたま一緒なだけだ。
そうオロオロしていた時。
帰ってきたのは、予想外の言葉だった。

「えっと……君……流華さんは、美空異のことを知っているのか…?僕は、
美空異の双子の兄だよ。ええと、兄ってのは間違ってないんだけど……」
「………えっ!?」

小鳥遊くんの好きな人の双子のお兄さんが、この賢太さん。
頭がこんがらがる。

「あの、流華さんは、なんで自分の名前が嫌いなんですか?」

そうだった。
ユリカント・セカイは、自分の名前が嫌いな人たちが集まるんだ。

「私、は……。流華の“華”が、華やかな子に育って欲しいっていう意味なんですけど、それを5年の時にみんなの前で言ったら、華やかじゃないじゃんって揶揄われて、それがコンプレックスになっちゃって……」

「……、そうなんですね」
「あの、賢太さんって、なんで自分の名前が嫌いなんですか……?」

「僕は…賢太の賢って、賢いって書くんですけど、僕、バカで、勉強できなくて……。それで、名前が嫌いになって」
「ああ……」

やっと冷静になった時。
私は大変なことに気づいてしまった。

私は、この人……賢太さんと、同じ部屋で暮らさないといけないってこと……!?




しばらく沈黙が続いた。

気まずいなと思い、私はやっとのこと、声を出した。

「「……あの」」

賢太さんと私は、同時に声を出してしまう。
そんな空気を破ったのは……

「あら、ごめんなさいね〜。流華さん、案内する部屋を間違えてしまいまして。」

フェアリーナ部長だった。

「あらま、ごめんなさいね。邪魔です?」
「「い、いえ」」

私と賢太さんは咄嗟に答える。

「そう。じゃあ流華さん、こちらです」
「は、はい」

「んーと。カードキーはよかったみたいね。はいここ。」
「あ、はい」

私は部屋の中に入る。

「……えっ…?………私の、部屋…………?」

そこは、私の部屋……のようなのだけれど、私のお気に入りの小さなソファは大きくなっていて、ベッドの棚にはあの謎の可愛い植物がおいてある。

しかもベッドは巨大。

まさに私の部屋をそのまま巨大にしたような感じだ。


「……………」


静かな時間が続いた。
特に何をしたいというわけでもないし、ここで1年も過ごすと思うと、気が遠くなりそうだ。



「………あ、スマホ」

机の上には、私の使っている可愛げのないカバーのスマホが置いてあった。

「……………Wi-Fi繋がってる。使えそう」



私はゲームアプリを一つ入れた。

雪ちゃんがハマってて、少し気になっていたけれど、特にやろうとも思わなかったゲームだ。



「……意外と、いいかも」

私はこのゲームでずっと時間を潰し続けた。

流愛もいない。何も文句を言われない。
それは私にとって、とても気楽だった。

でも雪ちゃんに会えないと思うと、少し胸がチクリと痛んだ。

ずっと、このままなのかな?

Re: ユリカント・セカイ ( No.12 )
日時: 2024/09/10 16:55
名前: しのこもち。 (ID: X2iPJYSg)



 【 第十二話 】変わる日常


「もうこんな時間かぁ……」

 ゲームをやり始めてから時計の存在をすっかり忘れていた私は、慌ててスマホに表示されている時刻に目を向けた。気が付くと時刻はもうすぐ夜の七時を示そうとしている。

 私はちょうどお腹が空いてきたので、何か食べる物はないかと辺りを見回したが、唯一食べれそうな物はというとあの謎のピンク色の植物くらいしかなかった。

「うっ……」

 さすがにこれを食べる勇気と覚悟は私にはなかったため、恐る恐る食べ物を探しに廊下に出ようと立ち上がった。

 そういえばこの異世界って現実の世界とも時間が一緒なのかな。

 初めてユリカント・セカイに来た時は、確か現実の世界でもここでも同じ夜だったはずだから向こうも今は夜ご飯を食べているくらいの時間なのだろうか。

 そんなことを考えながら、私は自分の部屋のドアノブをそっと握った。

「あれ?開かない……」

 私の部屋のドアは元々建付けが悪く、たまにこうしてドアノブを捻ろうとすると固くて開かなくなることがある。それで一回ドアノブを壊してしまったことがあるくらいだ。

 こんなところまで私の部屋にそっくりだなんて……この世界は一体どうなっているんだろう。

 そう思いながら力ずくでドアノブを捻ろうと全体重をかけて扉にのしかかろうとした、その時。

「………うわっ!!!」

 ─────ドン、バタンッ。

 さっきまで固かったドアノブが突然緩くなり、前に体重をかけていた私の体は勢いよく廊下に放り出されてしまった。

「痛っ……」

 大きな音と共にあっけなく床に倒れてしまった私の膝からは、少し血が滲み出ていた。

 自分の鈍臭さに嫌気が差すどころか、もはや呆れてくる。私は思わず心の中でため息を着いた。

「……大丈夫ですか…?」

 じんとする膝の痛みにこらえながら血が止まるのを座ったまま待っていると、近くの部屋から誰かが出てきて話しかけてきた。

 反射的に声のする方に顔を上げると……そこにはさきほど会った賢太さんが少し驚いた様子で立っているではないか。

 私はこの状況を他人に見られたことを一気に恥ずかしく思い、思わず賢太さんから目を逸らしてしまった。

 いくらなんでも部屋から出るだけなのに転ぶのは自分でも恥ずかしすぎる。

「だ、大丈夫です……けど、怪我しちゃって…」

 私がそう言うと、賢太さんは黙って手を差し伸べてきてくれた。

「………ありがとう、ございます…」

 彼に感謝しつつ、私は咄嗟に賢太さんの手を取って立ち上がった。

 自分で失態をおかしておきながら他人の手をとる光景は、誰が見ても呆れるだろう。

 ばれないように心の中でため息をつくと、賢太さんが突然口を開いた。

「……あの、もしよかったら部屋に絆創膏とかあるので……寄っていきますか?」

「あ、本当ですか?……じゃあ、お願いします」

 一瞬、私の部屋にも絆創膏はあるので断ろうかと悩んだが、賢太さんの気遣いを無下にするわけにもいかず、彼の部屋に着いていくことにした。

「……」

(き、気まずい……)

 沈黙の中、私は歩く彼の後ろを少し痛む足で着いていく。廊下には二人分の足音だけがコツコツ、とやけに目立って聞こえており、私たちの空気を更に重くした。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「……ちょっと待ってて下さい」

 部屋に入ってすぐの場所にあるソファに座るよう言われ、私は音を立てないように静かに腰を下ろした。

 賢太さんはベッドの横にあるサイドテーブルの引き出しをしばらくあさり、絆創膏を持ってきてくれた。

「………どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 ぶっきらぼうに絆創膏を私に手渡すと、賢太さんも私が座っているソファの反対端に座った。



「………あの」

 絆創膏をしわのないように綺麗に膝に貼ろうとしている私を見ながら、彼が話しかけてきた。

「は、はい」

「………あなたは、何でこの世界に来たんですか?」

 ────ズキッ。

 胸が極端に大きく跳ね上がる。そのおかげで私は思わず絆創膏を落としてしまった。

「……ごめんなさい、無神経なこと聞いて」

「いえ、全然大丈夫です……私もさっき聞いちゃったし」

「…………小学校の時、自分の名前の由来を発表する授業があったんです………でも、クラスのみんなにそんな華やかな名前は私には似合わないってからかわれて。そこから妹にも顔を合わせる度にそのことを言われて、その度に地味で可愛くない自分と周りから愛されてる妹を比べるようになってしまって……」

 絆創膏を拾いながら喋る私の声は、情けないくらいに震えていた。

 あの日のことを思い出す度に、胸が苦しくなる。自分のことがどんどん嫌いになっていく。

「………本当は、好きだったのに。私の名前も、流愛のことも……でも私のせいで、お母さんが頑張って考えてくれた名前や流愛との関係を汚してしまっているような気がして………そう考えてしまうようになった自分が、本当に嫌いなんです」

 震える手でやっと絆創膏を貼り終えた私は、脚の上に乗せた拳を弱々しく握りながら自分の気持ちを語った。

 隣にいる賢太さんは何も言わなかった。ただ私の話を相槌も打たずに聞いていただけだった。

 でもそれがきっと彼なりの優しさなんだろう。私も何も言わないで黙って話を聞いてくれた方がよっぽど話しやすかった。

「…………暗い話になってしまってごめんなさい………でも、こんな風に誰かに自分の本音を打ち明けたことがなかったので、すっきりしました」

 賢太さんの方に視線を向け、笑顔を作る。きっと私の顔は引きつっていただろうけど、これが私なりの彼への感謝の気持ちだった。

「…………何か、僕を見てるみたいです」
「えっ…?」

 しばらくの間黙りこくっていた彼がようやく言葉を発したかと思ったら、思いがけないことを言われて少し驚いた。

「僕も親に毎日、勉強ができないことを言われて………それが嫌で、この世界に残りました。頭が悪い自分をもしかしたら周りは心の中で嘲笑あざわらってるんじゃないかって……周囲の視線から逃げるために、ここに来たんです」

 悲しそうに俯く彼を見て、思わず胸が痛くなった。隣に座る彼もさきほどの私と同じように、握った手を微かに震わせている。

「でも、あなたの話を聞いて気付きました。僕は………僕は、今まで他人のせいにしてたんです。勉強ができないことを自分の名前や比べてくる周りの声を理由にして、ずっと………自分自身から逃げてたんです」

 気付いたら、賢太さんは泣いていた。

 伝ってくる涙を腕で少し乱暴に拭いながら言葉を紡ぐ賢太さんを見て、私も泣きそうになってしまった。

「…………でも、あなたは違う。周りのせいにも名前のせいにもせず、自分自身を変えようとしてるから。それって凄いことですよ、きっと」

‬ 彼は嘘偽りのない瞳で私を見つめた。そう言ってくれる彼の優しさに胸が痛くなる。

 私はそんな綺麗な人間なんかじゃない。結局は自分の名前を嫌ってしまっていることに変わりはないから。

 誠実な彼のことを騙してしまっているようで、私は罪悪感に押し潰されそうになった。

「………わっ、私はそんなんじゃ────────」










 ────ぐぅぅぅぅ。

「あっ……」

 その言葉を否定しようとしたその時、私のお腹の鳴る音が派手に部屋中に響き渡った。

 こんな時に………恥ずかしすぎて穴があったら今すぐ入りたい。

「えっ、あ………そ、その……」

 あまりの恥ずかしさに私の顔はゆでだこのように赤くなっているだろう。

「………ぶっ!……はははっ!!!」

 すると突然、今まで大人しかった賢太さんが吹き出した。私の醜態が相当おかしかったんだろう。

「……ははっ!そんなタイミングで鳴る?普通……っ…!!!」

「そっ、そんなに笑わなくても……!」

 さきほどとは別の意味で溢れてくる涙を拭いながら笑う彼を、私はただ顔を赤くしながら見ることしかできなかった。

「ほんと…っ……あなたって面白いですね」

「え?」

 やっと彼の笑いが収まってきたかと思えば、今度はそんなことを言われ、私はぽかんとしてしまった。

「だって初めて会った時は大人しくて静かな人だと思ってたのに、一人で転んだり急にお腹鳴らしたりするから。フェアリーナ部長も変な子だとか言って笑ってましたよ」

「えっ、あの人が!?」

 フェアリーナ部長もそんなことを思っていただなんて………私、初対面の人にどれだけ変な印象を持たせているんだ。

「僕はそれもあなただけの魅力だと思いますけどね。むしろ悲観的に思うようなことじゃないですよ」

 ‪”魅力‬‪”………私だけの。

 そんなことを言われて、つい頬が緩んでしまう。それと同時に、さっきまで悩んでいた‬自分が何だか小さく思えてきた。

「ありがとうございます…何か元気出ました…!」

 私は思わずソファから立ち上がった。

 ─────ぐぅぅぅぅ。

「あっ……」

 立ち上がった後、また私のお腹が鳴ったのを聞いた賢太さんが中々笑うのを止めてくれなかったのは言うまでもなかった。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「わぁ……すごい」
「意外と大きかったんですね。この建物」

 あの後、賢太さんが二人で食堂を探しに行こうと言ってくれたので、私たちは洋館の中をふらふらと歩き回っていた。

 ずっと部屋にいたせいか、建物の中が余計広く見える。まるで高級ホテルに来たような気分で、私は少しワクワクしていた。

「食堂見当たらないですね…」
「ですね………あれ?」

 しばらく階段を上がったり下がったりしていると、私は曲がり角の壁に何かが書いてあるのを見つけた。

「………あっ、見て下さい。‪”‬食堂は右‪”‬って書いてあります」
「ほんとだ。行ってみるか」

 書かれた通り曲がり角を曲がると、目の前には大きくて立派な扉がそびえ立っていた。

 賢太さんがゆっくりと扉を開ける。すると───────。

「あら、遅かったですね」

 そこには長テーブルの中央で堂々と腰を掛けたフェアリーナ部長がいた。

 両手にはナイフとフォークを持っており、どうやら食事の真っ最中だったらしい。

「二人が最後だわ。どうぞ座って座って」

 フェアリーナ部長にそう促され、私たちは恐る恐る部長の近くの席に腰掛けた。

「二人共苦手なものはある?」
「特にないです」
「多分、大丈夫です」

「了解。リーフェ、お客様にディナーを」
「かしこまりました」

 すると次の瞬間、目の前に小さなもやのような紫色の何かが現れたと同時に、急にキラキラとそれが輝き出した。

 幻想的な光景に思わずうっとりしていると、気付いたら目の前にはホテルで出されるような豪華な洋食が置いてあり、私は思わず感動してしまった。

「すごい……何これ」

 まるで魔法みたいだ。目の前に出された食事も本当に美味しそうで、私はすぐにナイフとフォークを手に持つ。

「どうぞ。ゆっくり楽しんで」
「い、いただきます……」

 目を輝かせながら、最初に目に入ったメインディッシュにゆっくりとナイフを入れる。

「お、美味しい…!」

 お腹が空いていたのもあってか、今まで食べてきたものの中で一番美味しいと言っても過言ではない気さえした。

「喜んでもらえて良かったです。ところで二人は元々知り合いだったんですか?誰かと一緒に食堂まで来る人なんて滅多にいないので」

 向かい合わせに座った私たちを交互に見つめ、不思議そうに尋ねてくるフェアリーナ部長になんと言ったらいいのか分からず、しばらく沈黙が続いた。

「…………何か部屋出た時に、この人が廊下で派手に転んでて。そのままお互い話してたら急にこいつがお腹鳴らすから……」

 くすくすと笑いながら説明する賢太さんを見て、思わず頬を膨らませる。この人、どれだけ笑えば気が済むんだろう。

「ちょっと……何でまた笑ってるんですか。失礼ですよっ…!」

「ごめん、ごめん。つい……っ…」

 なんて言いつつ後ろを向いて笑いを堪えている彼を見て、私は呆れてしまった。

「…………何か、仲いいですね。二人共」

 ずっと黙って聞いていたフェアリーナ部長が口を開いたかと思えばそんな滅相もないことを言ってくるので、私たちは慌てて否定した。

「「いや、仲良くないですから」」
「えっ、めっちゃ仲良いやん笑」

 賢太さんと思わず声が被ってしまい、私たちは顔を合わせる。何だかそれがおかしくて、私たち三人は誰からともなく笑い出した。

「いや、今のは偶然です…!」
「………はははっ!もう笑いすぎてお腹痛い……っ…」
「だってあなたが一番笑ってますもん」
「何それ……っ…ははっ…!」

 食事中にも関わらず、思う存分私たちは笑った。

 この時間がずっと続けばいいのに。そう思ってしまうほどに、私はここでの日常が楽しみでしょうがなかった。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 翌朝。

 あれからは他愛もない話を三人でたくさんしながら遅めの夕食を終え、各自部屋に帰った。

 部屋に戻った時は夜の十一時を過ぎていたため、浴場に行って帰ってきた頃にはすでに今日になっていた。

 そのせいもあってか起きた時には朝の九時になっていて、私は思わず飛び起きた。

「やばい……!」

 これは完全に遅刻した。そう絶望した私は光の速さで制服に着替え、部屋を飛び出す。

「遅刻だぁ……!」

 誰もいない廊下でそう小さく叫びながら、私は全速力で走る。

 すると突然近くの部屋の扉が開き、私と同い年くらいの女の子が出てきた。

 そこで私はふと考える。

 ん?そもそもうちってこんなに広かったっけ?というか何で流愛とお母さん以外の知らない人が家にいるんだろうか。

「………あの…」

 しばらく立ち止まって考えていると、部屋から出てきた女の子が話しかけてきた。

「は、はい」

「何で………制服着てるんですか?」

「…………………あっ…」

 その時、私は自分のしてしまったことを完全に理解した。

「や、やらかした……!」

「………ふっ…何かあなた面白いですね」

 上品に口元に手を添えながらくすくすと笑う女の子。その顔をよく見てみれば、私は驚きのあまり固まってしまった。

「え……る、流愛…?」

 何とそこには、流愛にそっくりの可愛らしい顔つきをした女の子が立っていたのだ。

 今は自分がやってしまったことへの恥ずかしさより、流愛そっくりのこの女の子の方がよっぽど気になる。

「流愛?誰ですか、それ」

「……あ、ごめんなさい。何でも、ないです…」

 ついまじまじと目の前にいる流愛(違います)を見てしまう。

「あ、あの……お名前は?」

「あ、えっと……桜林おうりん まことって言います」

 緩くゆわかれた低めのツインテールの毛先をくるくると指で巻きながら恥ずかしそうに笑う誠ちゃんは、やはり流愛そっくりだ。

「あの……もし良かったら一緒に朝ご飯食べに行きませんか?」

「え、いいんですか…?ぜひ……!」

 こうして突然、流愛のそっくりさんと朝食を食べることになった私は、二人で話しながらふと家族のことを思い出していた。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


「え、流華ちゃんも中一なんだ!」
「うん。同い年だね…!」

 あれから食堂に着いた私たちは談笑しながら朝食を食べていた。

 誠ちゃんは年齢も声も好きな物まで流愛と全部一緒なので、これは妹のドッペルゲンガーなのではないかと疑ってしまうほどだった。

 そして同時に、流愛に似てるなと思う度になぜか胸の奥がチクリと痛むような、そんな気がした。

「ねぇねぇ。流華ちゃんってさ、好きな人いる?」

 そんなことをぼんやりと考えていたら、隣に座る誠ちゃんが唐突に聞いてきた。

「えっ…?ま、まぁ……一応」
「本当に!?どんな人どんな人?」

 興味津々の顔でそう言ってくる誠ちゃんに、私は少したじろいだ。

「え、えっと……何でもできるかっこいい人、かな」
「何それ!?超ハイスペ男子じゃん!」
「う、うん……そうなの、かな…?」

 私は少し違和感を覚えた。

 何だか、彼のことを‪”‬ハイスペック‪”‬の一言で片付けてしまうのは違う気がしたからだ。

「いいなぁ、周りにそんな完璧な人がいるなんて。そりゃあ女子たちはほっておかないよね」

「そ、そうだね……」

 確かに彼はモテるだろうから、両思いになるのは難しい。そんな人に好きになってもらえる美空異さんは、やっぱりすごいなと改めて思った。

「誠ちゃんは、好きな人いるの?」

「うん………正確に言えば‪”‬‪いた”‬って感じかな」

 すると誠ちゃんは急に悲しそうな目をした。

「ごめん、聞いちゃだめだったかな……?」

 私は慌てて謝る。誠ちゃんは苦笑いを残した後、こう話し始めた。

「ううん、いいの。ただ…………昔のことを、思い出しちゃって」

 突然朝食のパンを食べるのを止めた誠ちゃんは、悲しそうな表情を浮かべた。

「ほら、‪”誠‬‪”って響きも漢字も男の子っぽいでしょ?だから、私よくからかわれてたんだ。苗字は‪”‬‪桜林”って華やかなはずなのに、名前は‪”‬‪誠”‬って………もったいないって、気持ち悪いってみんなに言われた‬‬」

 ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ誠ちゃん。

 さっきまであんなに元気に話していたのに、今の彼女は全くそうは見えなかった。

「でもね、唯一私の名前を肯定してくれた男の子がいたの。いつも話しかけてくれるし、席も隣だったから、彼を好きになることに時間はかからなかった」

「だから浮かれてたの、私。きっとあの人は、私のことを少しでも好きになってくれてるんじゃないかって。だけど……………本当は違った」

 持っていたナフキンを弱々しく握ったその手には、彼女の涙が一滴垂れていた。

「告白するために、思い切って彼を教室に呼んだの。ちゃんと勇気を持って‪”好き‬‪”‬って伝えた。でも彼は…………急に、馬鹿にするように笑い出した」

「‪”‬‪誠なんて男友達みたいな名前の奴なんかと付き合いたくない、気持ち悪い”‬、”ハブられもんのあんたとつるんどけば好感度上がるし‬‪”って………そう言われたんだ‬」

(何それ……ひどすぎる)

 私はショックのあまり何も言えなかった。

 隣で静かに泣く誠ちゃんを、ただ見ていることしかできなかった。

「ひどいよね……私それがほんとに悔しくってさ。だから少しでも女の子っぽく振る舞えるように頑張ったんだけど………どうしても、名前のことだけは忘れることなんかできなかったから」

 誠ちゃんは笑いながらそう言った。

 でもその笑顔が偽りの笑顔だということは見てすぐに分かる。



 私は思わず、彼女にそっと抱き着いた。

「誠ちゃん、こんな時にまで我慢しなくていいんだよ。無理して笑わなくていいんだよ」

「泣きたいなら、泣けばいい。辛いなら、吐き出せばいいの。大丈夫だから。私がいるから」

「………うぅっ……流華ちゃん……!私、辛いよ…っ………何で名前だけで、みんなみんな私を否定するの……?何、で……っ…」

 私も聞きたいよ、誠ちゃん。

 何でこんなにいい子が、そんなひどい目に遭わなきゃいけないんだろう。

 どうして‪”‬私たち‪”‬は、名前なんかに縛られて生きていかなければならなかったんだろう。


 ──────その答えはまだ、見つからないまま。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 廊下で誠ちゃんと別れ、部屋に戻った私はそのままベッドに寝転がった。

 誠ちゃんの苦しそうな笑顔とぐしゃぐしゃになった泣き顔を思い出すだけで、胸がとても苦しくなる。

 私はずっと、そのことで頭がいっぱいだ。


 …………気分転換に、外の空気でも吸おう。

 そう思った私は部屋を後にした。



 昨日食堂を探していた時に玄関らしき広間は見つけていたので、私は迷うことなく外出することができた。

 勝手に外に出てもいいのかと途中で不安になったが、扉を開けた瞬間そんな思いはあっけなく吹き飛んで行った。

「わぁ………綺麗」

 思わずそう呟いてしまうほどの綺麗な小さい花畑が目の前に広がる。

 色とりどりで華やか、とまではいかない素朴な感じの花々だったが、私にはそれがどんな花よりも美しく見えた。

 今までのことも、その美しさで全部吹き飛ばしてくれそうな気さえした。

 洋館の外装は想像と違って少しダークな感じで、私たちが暮らしている棟の隣には少し古びた洋館が建っている。

 そういえば昨夜、フェアリーナ部長が試験の合格者と不合格者の棟は別れてるって言っていたような気がする。

 とすると隣にあるあの洋館はその人たちが住んでいるのだろうかとそんなことを考えていると、突然心地よい風が吹いてきた。

「………あっ」

 気付いたら目の前の花畑の上で、小さな妖精のような女の人がひらひらと飛んでいた。

「お客様、おはようございます。突然来てしまってすみません」

 その妖精は宙を舞いながら、私に向かって丁寧にお辞儀をした。

「いえ………ところであなたは?」

「私はフェアリーナ様の使いの‪”‬リーフェ‪”‬と申します。この建物の管理やお客様へのおもてなしを行っている者です」

「なるほど、そうだったんですね」

 私は昨夜と今朝いただいた食事の用意をしてくれたのはこの人だったのかと、今更ながら納得した。

「お客様はなぜこんな花畑にいるのです?」

 そう尋ねながら、リーフェさんは体から淡く光る水のようなものを花にあげていた。

 それを浴びた花たちは元気を取り戻したかのように、きらきら輝きながら花びらを小さく揺らしていた。

「ずっと部屋にいるのもあれかなと……たまには外の空気も吸いたかったので」

「そうだったんですね。お客様はお花が好きなんですか?」

「……まぁ、見る分には………そうですね」

 綺麗な花を見ているとそれだけで心が洗われていくような気がするから、私は好きだ。

 でも………同時に名前のことも思い出してしまうから、少し胸が苦しくもなる。

 両親は私の名前を考える時、こうやって綺麗に咲く花を見ながら私に華やかな存在になってほしいと思っていたんだろうな、とどうしても考えてしまうからだ。

 そんなことを考えながらリーフェさんと話していると、私は花畑の中央に咲いている二輪の花に目がいった。

 鮮やかな赤色の椿と、透き通るような水色のアリウム。二つとも対照的な色なのに、隣合って咲いている姿は何とも言えないくらい綺麗だった。

 ぱっとした華やかで凛とした椿と、落ち着いているのにどこか目が離せないアリウム。

 まるで………美空異さんと小鳥遊くんみたいだ。

「………椿とアリウムですか。綺麗ですよね」

「あっ……やっぱりそう思います?」

 少し胸がチクリと痛んだ。目の前で二人がお似合いだと言われているような気がしたからだ。

「お客様は、花言葉など興味はおありですか?」

「ありますけど………あまり知らないです」

 以前から花言葉に興味はあったが、そこまで信じるようなものだと思ったことがなかった。

「赤い椿の花言葉は‪”‬‪気取らない優美さ”‬。そしてアリウムの花言葉は────────」

















 ‪‪”‬深い悲しみ‬‪‪”‬


「…………えっ?」

 彼にそっくりな花。なのに花言葉が………深い悲しみ…?

 彼を見てそんなことを思ったことはない。ないはずなのに────────。

「………っ…」

 私はその時、はっとした。

 そして気付いたら……私の頬には一粒の涙が伝っていた。


 アリウムのように綺麗で、洗礼されたような私の好きな人。

 ‪”小鳥遊 留姫亜‬‪”。何もかもが完璧で、彼に不幸せなことなんてきっとないと思ってた。

 名前も、私の方がずっとずっと嫌っていると思っていた。

 ‪”留姫亜‬‪”という‬珍しく華やかな名前は、彼にぴったりだから。‬地味な私なんかより、ずっと。

 なのに………何で今まで気付かなかったんだろう。

 彼がこの世界に招待された理由を、ずっと虚ろな目をしている理由を。

「………大丈夫ですか…?お客様」

「……あっ……ご、ごめんなさい…」

 やっと、あの人が美空異さんを好いている本当の理由が分かった気がする。

 美空異さんは‪”‬彼自身‪”‬を見ていたんだ。

 表面なんかじゃない。名前だってきっと、誰よりも分かってくれていたんだ。

 それは彼にとっても大きな存在になっただろう。

 …………………誠ちゃんのように。


 ‪”完璧‬‪”という言葉が、何よりも一番彼を傷付けた。‬

 なのに彼の弱みも知らないで表面的なところしか見なかった私は、きっと誰よりもあの人を好きになる資格はない。

「あの……ありがとうございます。教えてくれて」

「いえ……お役に立てて良かったです」

 花言葉を教えてくれた………私に大事なことを気付かせてくれたリーフェさんに感謝を伝える。

 彼のことを、ちゃんと一から見つめ直そう。そう、心の中で誓った。

 その瞬間、アリウムの花が風に乗ってどこか切なく揺れた気がした。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 それから私は賢太さんや誠ちゃん、時にはフェアリーナ部長とも楽しい毎日を過ごした。

「賢太さん、好きな人を振り向かすにはどうしたらいいですか?」

 勉強中の彼にそんなことを聞いたり。

「どうやったら誠ちゃんみたいに可愛くなれる?」

 髪を巻いてる彼女に自分磨きのコツを聞いてみたり。

 地道なことだったかもしれないけれど、私は自分なりに成長しようと頑張った。

 異世界での生活も徐々に慣れてきて、たまに行く花畑でリーフェさんと話すこともしばしばあった。

 現実世界ほど忙しくはないけれど、一年後のことを考えるとこのままではだめな気がしたから。

 好きな人のことを毎晩考えながら眠りにつく日々はあっという間に過ぎていった。

 誠ちゃんの顔やお母さんからの連絡を見て、よく家族や雪ちゃんのことを思い出して寂しくなるが、一年後に成長した自分で現実世界に戻る日を何度も想像して、胸の痛みを誤魔化していた。



 そして、ついに─────────。

「………いよいよ、この日が来た…」

「頑張れよ、流華」
「流華ちゃん頑張ってね。応援してる!」

 一年間仲良くしてもらった賢太さんと誠ちゃんに背中を押されながら、私はユリカント‪・セカイの会場へ一歩踏み出した。

 彼に会うのが、正直怖い。でもそれ以上に、今は会いたいという気持ちの方が強かった。

 もう一度、彼を好きになるチャンスを。この想いを伝えるチャンスを。

 みんなが支えてくれた分、私も変わってみせる。



『これにてユリカント・セカイを開幕します』

 人が溢れ返る会場に、フェアリーナ部長の声が響き渡った。

 それと同時に私は、今一番会いたかった人の後ろ姿を見つける。

「………留異…!」

 私はその大好きな背中に、精一杯の声で話しかけた。


Re: ユリカント・セカイ ( No.13 )
日時: 2024/11/27 16:54
名前: みぃみぃ。 (ID: UFZXYiMQ)

【第十三話】結ばれるはずだった人と、結ばれないはずだった私

『流華が、帰ってこない』

それは、私……流愛にとって、とても嬉しいことだった。


流華は11時くらいに帰ってくる予定だったらしいけど、3時を過ぎても帰ってこないらしい。遊んでくると言った公園も見に行ったらしいけど、いなかったらしい。
公園とか、地味すぎる。ほんと、流愛と正反対。地味。あの名前も馬鹿げてるし。流“華”とか、嘘じゃん。
お母さんは慌ててたけど、流愛には分かんない。馬鹿みたい。流華のことなんか、ほっとけばいいのに。


……ああ、最高。流華がいないんだよ?ああ、気楽。全っ然うざくないし。
あーあ、何しよ。

お腹は空いてないし。さっき、凛子とランチしてきたばっかりだ。

あ、ゲームしよ。そうだ、凛子とオンラインでやろっと。

そう思い、流愛は凛子に電話をかけた。

「……もしもし、凛子?」
『ん、流愛?どした?』
「今、暇?」
『うん、めっちゃ暇』
「じゃ、いつものゲームで繋ごうよ」
『おけ、じゃ申請しとくわ』
「さんきゅ。じゃ、またあとで」
『うい、切るね』
「はーい」

プツッと短い会話が切れる。

「申請来てる。参加っと」

凛子はいつも行動が速い。他の人なら、申請にいつも2、3分はかかるのに。もちろん、流愛も。

「はい、りぃ、来たよー」

りぃ、は、凛子のゲーム内での名前だ。流愛は、るぅだ。言ってしまえば、凛子のパクリ。

『るぅ、やっほー』
「んじゃ、やるか」
『おけ』

ゲームがスタートした。

このゲームは、戦闘ゲーム……という名の、なんか可愛いやつが揉め合いみたいなのしてる、なんか可愛いやつだ。全然グロくないし、見てて癒される。
これは多分、クラスで流愛と凛子以外知らないゲームだと思う。……あ、でも、確か白石雪って人は知ってた気がする。あの人嫌いだけど。

『おりゃおりゃおりゃーっ!!』
「うわダメージえぐ!何その技!!」
『こないだ身につけた!とりゃぁっ!』
「うわーっ!!じゃあるぅだって!おりゃーっ!!」
『うわなんだそれーっ!!負けた!』
「おっしゃー!」



──────この時は、流華が帰ってこないことが、あんなことに繋がるなんて、思ってもみなかった。








来てしまった。
後戻りができないことなんて、知っていた。

でも、私……流華は、留姫亜くんと両思いにならなければ、帰れない。
そんなこと、百も承知だ。

「みなさん、今日はユリカント・セカイにお集まりいただき、誠にありがとうございます。今日は楽しんでいただけると、嬉しいです。それでは……ユリカント・セカイを、開始いたします!」

フェアリーナ部長がそう言うと、不思議と緊張の糸が解けたように段々と騒がしくなった。

「……っ…!」
私は耳を塞いだ。

1年のユリカント・セカイでの生活は、賑やかだったとはいえ、いつもより静かだった。
学校に行けば、影口の連続。
家では、流愛の文句の連続。
それがなくなったことで、静かな環境に慣れてしまったのだろう。

……一言で言ってしまえば、とても、うるさかった。
今すぐ、耳栓をしたいくらい。

どうしよう。
……我慢できないくらいだ……

「……あ、誠ちゃん……」
悩んでいるときに目の前に現れたのは、何度見ても流愛にそっくりな誠ちゃんだった。

「……は?」

帰ってきたのは、まさかの………流愛の口調だった。

「あんた…!あんたのせいでっ……!!」

「流、愛?」

これは流愛なのだろうか。
信じられなかった。

一瞬やっぱり誠ちゃんなのかとも思ったけど、やっぱり雰囲気が違った。

「そうだよ、流愛だよ!!流華の馬鹿野郎!!」

周りにいる人が、流愛の大声でこちらを一斉に見る。
恥ずかしかったけど、そんな場合ではなかった。

「流愛……」

私は、流愛の名を口にすることしかできなかった。

「……あの!」

そう聞こえた。
声の聞こえた方には、凛子さんが居た。

「流愛、ごめん!!ねえ、もうあんなことしないから!!お願い…!もうやめてっ!!」

凛子さんがこんなにか弱く見えたのは、初めてだった。

私は夢を見ているのではないか。

そんな考えが頭をよぎったが、ほっぺをつねったら痛いし、目を擦ってもなにも変わらなかった。

「やめてやめてやめて!凛子なんか大嫌い!!来ないで!!嫌だっ!!」

「流愛、ごめん、許して…」

「許せるわけないでしょ!?ふざけないで!」

流愛が、凛子さんをそんなに嫌うなんて。
何があったんだ、と私は動揺する。

そして、私は意を決して声を出す。

「…ねえ、何があったの?流愛と凛子さんの間に…」

流愛が、私をキッと睨んだ。

「ごめん、流華、全部、私が悪いよ…!ごめん!」

急に凛子さんに謝られて、どきっとする。

「凛子が」

流愛が、口を開く。

「凛子が、クラス全員で、流愛を仲間はずれにした」

「……え?」

「流華が行方不明になって、流華の方が勉強も運動もできるし、ってなって、流愛は前までみたいに愛されなくなった」

吐き捨てるように、流愛が言う。
そこで私は、ああそっか、と納得した。

愛されなくなったから、流愛は名前が嫌いになったんだ。

「ねえ、流華。戻ってきて」

流愛が、急に目に涙を浮かべる。

「ねえ、もう、流華の名前を揶揄ったりしないから。お願い。ねえ……」

最後の方は、流愛の声が掠れて、よく聞こえなかった。
そして、涙がほおにつたって、ポツンと床に落ちる。

「じゃあ」

流愛が希望を感じたのかなんなのか、顔が少しだけ明るくなった。

「凛子さん、私に……留姫亜くんと付き合うのを、許して」

凛子さんの顔が、急に真っ青になった。

「なんで……?私、留姫亜と、やっと、付き合ったのに……」

凛子さんが?留姫亜くんは、美空異さんが好きだったはずなのに………

「嘘だ」

声の聞こえた方を見る。

「俺は、こいつと付き合ってなんかいない」

そこにいたのは……留姫亜くんだ。

「全部、嘘だ。俺は、誰とも付き合ってない」
「凛子!!」

流愛が叫んだ。

「嘘つくなんて、信じらんない!!ふざけないで!!」

さっきまで泣いていたのなど、信じられないくらい、流愛は必死だった。
そして、留姫亜くんが、こっちに近付いてきた。

「今、俺が好きなのは、美空異じゃない」

留姫亜くんの息が荒くなり、顔が真っ赤になる。

「流華さん。あなたが好きです。付き合ってくださいっ!」

「……………え?」

やっとのことで出した声は、変な声になってしまった。

「俺……流華さんが、行方不明になってから、テレビで流華さんの顔を見ました。よくよく見たら、すごく、可愛くて……」

私の顔が、真っ赤になっていくのを感じる。

「それから、与那野東中の女バス部は、どんどん弱くなっていったんです。で、俺の学校のバスケ部のコーチが何か言っているのが聞こえて。『行方不明になった子は、この学校の子だったような。あの子がいる時はこんなに弱くなかったのにな』って呟いてたんです。それですぐ、ああ、流華さんのことだな、って……。」

留姫亜くんの顔が、これでもかと思うくらい、さらに赤くなっていく。

「流華さん、俺は、運動神経が良くて、可愛くて………そんな流華さんが、好きです。」

留姫亜くんが言い終わる前に、もう答えは決まっていた。
でも………言えなかった。

留姫亜くんには、留姫衣さんという、双子の弟がいる。私は…………留姫衣さんにも、惹かれてしまったのだ。
私は、なんて人を好きになってしまったのだろう。

「留姫亜さん、ごめんなさい。」

流愛が、留姫亜くんに断りを入れる。

「凛子!?なんで嘘ついたの!?」

急に、叫び出した。びっくりして、何も声がでなかった。

「流華も、留姫亜さんも………流愛だって、わけわかんないよ」
「だって……」

凛子さんが、泣きそうな声で言う。

「留姫亜くん、私に……凛子に、ちょっと惹かれちゃったかもって……それって、好きって意味じゃないの?」

「それは……」

留姫亜くんが、申し訳なさそうに言う。
でも私は、そんなのどうでも良かった。

留姫亜くんが。あの、美空異さん一筋だった、留姫亜くんが。
凛子さんに、目移りするなんて。

信じられなかった。

「それに、これが終わった後……言ってくれたじゃん…」

凛子さんが、泣きそうな声になる。
「『俺、凛子となら、付き合ってもいいかも』って……
それって、付き合うって意味じゃないの!?!?」

凛子さんは、必死だった。
今までに一番、必死だった。

「俺そんなこと言ってねえ」

留姫亜くんが吐き捨てるように言う。

「お前がそう言われたの、夢じゃねーの?」

そう言われて、ドキッとした。

私は………留姫亜くんが凛子さんに、話しかけて、楽しそうに笑っている夢を見た。
それと同じように、凛子さんも、……留姫亜くんだって、夢を見ていたのかもしれない。

凛子さんはきっと、嬉しくて、現実との区別がつかなくなったのだろう。

「え…………」

凛子さんが、絶望の顔をする。
そして……大粒の涙が、凛子さんの目から流れる。

「……ごめんなさい、私、勘違いしてたなんて……………」

凛子さんは、今までで一番か弱く見えた。

「留姫亜くん………美空異さんは、もう、好きじゃないの……?私が代わりに、なるの………?」

美空異さんに代わる自信がなかった。
みずほらしい自分が。女子力のない自分が。

「留姫亜!!」

美空異さんが、駆け寄ってきた。

「留姫亜、自分が流華さんが好きだと思うなら、そんな言葉に惑わされちゃダメ!!そもそも私、留姫亜に告白されて、驚いたんだから。それで振られたからとかで流華さんになったらわかるけど、今の話聞いてたら……あんた、本気で流華さんが好きなんでしょ?」

美空異さんの話を聞いて、私はびっくりした。
留姫亜さん……本当に、私が、本気で、好きだなんて……

「美空異……」

留姫亜さんの目に涙が浮かんでいる。

そして、遂に、決心したように、こちらを向いた。

「…流華さん。俺は、あなたのことが、好きです。…付き合ってください!」

付き合ってくださいの声だけが異常に大きく聞こえた。
それと同時に、周りの人が、こちらに寄ってきたり、避けて通っていったり、私たちのことを気にしているようだった。
中には、こちらを向いて祈るような手をしている人もいた。

留姫衣さんがどうとか、今の私には関係なかった。
ただ、私は、留姫亜さんが、好き。
私の中で、答えは決まっていた。今は、その言葉を出せば、留姫亜さんに伝えれば、それで良い。

「はい。私も留姫亜くんがずっと、あのときから、大好きでした、……私でよければ、付き合ってください!」