ダーク・ファンタジー小説
- Re: ユリカント・セカイ ( No.12 )
- 日時: 2024/09/10 16:55
- 名前: しのこもち。 (ID: X2iPJYSg)
【 第十二話 】変わる日常
「もうこんな時間かぁ……」
ゲームをやり始めてから時計の存在をすっかり忘れていた私は、慌ててスマホに表示されている時刻に目を向けた。気が付くと時刻はもうすぐ夜の七時を示そうとしている。
私はちょうどお腹が空いてきたので、何か食べる物はないかと辺りを見回したが、唯一食べれそうな物はというとあの謎のピンク色の植物くらいしかなかった。
「うっ……」
さすがにこれを食べる勇気と覚悟は私にはなかったため、恐る恐る食べ物を探しに廊下に出ようと立ち上がった。
そういえばこの異世界って現実の世界とも時間が一緒なのかな。
初めてユリカント・セカイに来た時は、確か現実の世界でもここでも同じ夜だったはずだから向こうも今は夜ご飯を食べているくらいの時間なのだろうか。
そんなことを考えながら、私は自分の部屋のドアノブをそっと握った。
「あれ?開かない……」
私の部屋のドアは元々建付けが悪く、たまにこうしてドアノブを捻ろうとすると固くて開かなくなることがある。それで一回ドアノブを壊してしまったことがあるくらいだ。
こんなところまで私の部屋にそっくりだなんて……この世界は一体どうなっているんだろう。
そう思いながら力ずくでドアノブを捻ろうと全体重をかけて扉にのしかかろうとした、その時。
「………うわっ!!!」
─────ドン、バタンッ。
さっきまで固かったドアノブが突然緩くなり、前に体重をかけていた私の体は勢いよく廊下に放り出されてしまった。
「痛っ……」
大きな音と共にあっけなく床に倒れてしまった私の膝からは、少し血が滲み出ていた。
自分の鈍臭さに嫌気が差すどころか、もはや呆れてくる。私は思わず心の中でため息を着いた。
「……大丈夫ですか…?」
じんとする膝の痛みにこらえながら血が止まるのを座ったまま待っていると、近くの部屋から誰かが出てきて話しかけてきた。
反射的に声のする方に顔を上げると……そこにはさきほど会った賢太さんが少し驚いた様子で立っているではないか。
私はこの状況を他人に見られたことを一気に恥ずかしく思い、思わず賢太さんから目を逸らしてしまった。
いくらなんでも部屋から出るだけなのに転ぶのは自分でも恥ずかしすぎる。
「だ、大丈夫です……けど、怪我しちゃって…」
私がそう言うと、賢太さんは黙って手を差し伸べてきてくれた。
「………ありがとう、ございます…」
彼に感謝しつつ、私は咄嗟に賢太さんの手を取って立ち上がった。
自分で失態をおかしておきながら他人の手をとる光景は、誰が見ても呆れるだろう。
ばれないように心の中でため息をつくと、賢太さんが突然口を開いた。
「……あの、もしよかったら部屋に絆創膏とかあるので……寄っていきますか?」
「あ、本当ですか?……じゃあ、お願いします」
一瞬、私の部屋にも絆創膏はあるので断ろうかと悩んだが、賢太さんの気遣いを無下にするわけにもいかず、彼の部屋に着いていくことにした。
「……」
(き、気まずい……)
沈黙の中、私は歩く彼の後ろを少し痛む足で着いていく。廊下には二人分の足音だけがコツコツ、とやけに目立って聞こえており、私たちの空気を更に重くした。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「……ちょっと待ってて下さい」
部屋に入ってすぐの場所にあるソファに座るよう言われ、私は音を立てないように静かに腰を下ろした。
賢太さんはベッドの横にあるサイドテーブルの引き出しをしばらくあさり、絆創膏を持ってきてくれた。
「………どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ぶっきらぼうに絆創膏を私に手渡すと、賢太さんも私が座っているソファの反対端に座った。
「………あの」
絆創膏をしわのないように綺麗に膝に貼ろうとしている私を見ながら、彼が話しかけてきた。
「は、はい」
「………あなたは、何でこの世界に来たんですか?」
────ズキッ。
胸が極端に大きく跳ね上がる。そのおかげで私は思わず絆創膏を落としてしまった。
「……ごめんなさい、無神経なこと聞いて」
「いえ、全然大丈夫です……私もさっき聞いちゃったし」
「…………小学校の時、自分の名前の由来を発表する授業があったんです………でも、クラスのみんなにそんな華やかな名前は私には似合わないってからかわれて。そこから妹にも顔を合わせる度にそのことを言われて、その度に地味で可愛くない自分と周りから愛されてる妹を比べるようになってしまって……」
絆創膏を拾いながら喋る私の声は、情けないくらいに震えていた。
あの日のことを思い出す度に、胸が苦しくなる。自分のことがどんどん嫌いになっていく。
「………本当は、好きだったのに。私の名前も、流愛のことも……でも私のせいで、お母さんが頑張って考えてくれた名前や流愛との関係を汚してしまっているような気がして………そう考えてしまうようになった自分が、本当に嫌いなんです」
震える手でやっと絆創膏を貼り終えた私は、脚の上に乗せた拳を弱々しく握りながら自分の気持ちを語った。
隣にいる賢太さんは何も言わなかった。ただ私の話を相槌も打たずに聞いていただけだった。
でもそれがきっと彼なりの優しさなんだろう。私も何も言わないで黙って話を聞いてくれた方がよっぽど話しやすかった。
「…………暗い話になってしまってごめんなさい………でも、こんな風に誰かに自分の本音を打ち明けたことがなかったので、すっきりしました」
賢太さんの方に視線を向け、笑顔を作る。きっと私の顔は引きつっていただろうけど、これが私なりの彼への感謝の気持ちだった。
「…………何か、僕を見てるみたいです」
「えっ…?」
しばらくの間黙りこくっていた彼がようやく言葉を発したかと思ったら、思いがけないことを言われて少し驚いた。
「僕も親に毎日、勉強ができないことを言われて………それが嫌で、この世界に残りました。頭が悪い自分をもしかしたら周りは心の中で嘲笑ってるんじゃないかって……周囲の視線から逃げるために、ここに来たんです」
悲しそうに俯く彼を見て、思わず胸が痛くなった。隣に座る彼もさきほどの私と同じように、握った手を微かに震わせている。
「でも、あなたの話を聞いて気付きました。僕は………僕は、今まで他人のせいにしてたんです。勉強ができないことを自分の名前や比べてくる周りの声を理由にして、ずっと………自分自身から逃げてたんです」
気付いたら、賢太さんは泣いていた。
伝ってくる涙を腕で少し乱暴に拭いながら言葉を紡ぐ賢太さんを見て、私も泣きそうになってしまった。
「…………でも、あなたは違う。周りのせいにも名前のせいにもせず、自分自身を変えようとしてるから。それって凄いことですよ、きっと」
彼は嘘偽りのない瞳で私を見つめた。そう言ってくれる彼の優しさに胸が痛くなる。
私はそんな綺麗な人間なんかじゃない。結局は自分の名前を嫌ってしまっていることに変わりはないから。
誠実な彼のことを騙してしまっているようで、私は罪悪感に押し潰されそうになった。
「………わっ、私はそんなんじゃ────────」
────ぐぅぅぅぅ。
「あっ……」
その言葉を否定しようとしたその時、私のお腹の鳴る音が派手に部屋中に響き渡った。
こんな時に………恥ずかしすぎて穴があったら今すぐ入りたい。
「えっ、あ………そ、その……」
あまりの恥ずかしさに私の顔はゆでだこのように赤くなっているだろう。
「………ぶっ!……はははっ!!!」
すると突然、今まで大人しかった賢太さんが吹き出した。私の醜態が相当おかしかったんだろう。
「……ははっ!そんなタイミングで鳴る?普通……っ…!!!」
「そっ、そんなに笑わなくても……!」
さきほどとは別の意味で溢れてくる涙を拭いながら笑う彼を、私はただ顔を赤くしながら見ることしかできなかった。
「ほんと…っ……あなたって面白いですね」
「え?」
やっと彼の笑いが収まってきたかと思えば、今度はそんなことを言われ、私はぽかんとしてしまった。
「だって初めて会った時は大人しくて静かな人だと思ってたのに、一人で転んだり急にお腹鳴らしたりするから。フェアリーナ部長も変な子だとか言って笑ってましたよ」
「えっ、あの人が!?」
フェアリーナ部長もそんなことを思っていただなんて………私、初対面の人にどれだけ変な印象を持たせているんだ。
「僕はそれもあなただけの魅力だと思いますけどね。むしろ悲観的に思うようなことじゃないですよ」
”魅力”………私だけの。
そんなことを言われて、つい頬が緩んでしまう。それと同時に、さっきまで悩んでいた自分が何だか小さく思えてきた。
「ありがとうございます…何か元気出ました…!」
私は思わずソファから立ち上がった。
─────ぐぅぅぅぅ。
「あっ……」
立ち上がった後、また私のお腹が鳴ったのを聞いた賢太さんが中々笑うのを止めてくれなかったのは言うまでもなかった。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「わぁ……すごい」
「意外と大きかったんですね。この建物」
あの後、賢太さんが二人で食堂を探しに行こうと言ってくれたので、私たちは洋館の中をふらふらと歩き回っていた。
ずっと部屋にいたせいか、建物の中が余計広く見える。まるで高級ホテルに来たような気分で、私は少しワクワクしていた。
「食堂見当たらないですね…」
「ですね………あれ?」
しばらく階段を上がったり下がったりしていると、私は曲がり角の壁に何かが書いてあるのを見つけた。
「………あっ、見て下さい。”食堂は右”って書いてあります」
「ほんとだ。行ってみるか」
書かれた通り曲がり角を曲がると、目の前には大きくて立派な扉がそびえ立っていた。
賢太さんがゆっくりと扉を開ける。すると───────。
「あら、遅かったですね」
そこには長テーブルの中央で堂々と腰を掛けたフェアリーナ部長がいた。
両手にはナイフとフォークを持っており、どうやら食事の真っ最中だったらしい。
「二人が最後だわ。どうぞ座って座って」
フェアリーナ部長にそう促され、私たちは恐る恐る部長の近くの席に腰掛けた。
「二人共苦手なものはある?」
「特にないです」
「多分、大丈夫です」
「了解。リーフェ、お客様にディナーを」
「かしこまりました」
すると次の瞬間、目の前に小さなもやのような紫色の何かが現れたと同時に、急にキラキラとそれが輝き出した。
幻想的な光景に思わずうっとりしていると、気付いたら目の前にはホテルで出されるような豪華な洋食が置いてあり、私は思わず感動してしまった。
「すごい……何これ」
まるで魔法みたいだ。目の前に出された食事も本当に美味しそうで、私はすぐにナイフとフォークを手に持つ。
「どうぞ。ゆっくり楽しんで」
「い、いただきます……」
目を輝かせながら、最初に目に入ったメインディッシュにゆっくりとナイフを入れる。
「お、美味しい…!」
お腹が空いていたのもあってか、今まで食べてきたものの中で一番美味しいと言っても過言ではない気さえした。
「喜んでもらえて良かったです。ところで二人は元々知り合いだったんですか?誰かと一緒に食堂まで来る人なんて滅多にいないので」
向かい合わせに座った私たちを交互に見つめ、不思議そうに尋ねてくるフェアリーナ部長になんと言ったらいいのか分からず、しばらく沈黙が続いた。
「…………何か部屋出た時に、この人が廊下で派手に転んでて。そのままお互い話してたら急にこいつがお腹鳴らすから……」
くすくすと笑いながら説明する賢太さんを見て、思わず頬を膨らませる。この人、どれだけ笑えば気が済むんだろう。
「ちょっと……何でまた笑ってるんですか。失礼ですよっ…!」
「ごめん、ごめん。つい……っ…」
なんて言いつつ後ろを向いて笑いを堪えている彼を見て、私は呆れてしまった。
「…………何か、仲いいですね。二人共」
ずっと黙って聞いていたフェアリーナ部長が口を開いたかと思えばそんな滅相もないことを言ってくるので、私たちは慌てて否定した。
「「いや、仲良くないですから」」
「えっ、めっちゃ仲良いやん笑」
賢太さんと思わず声が被ってしまい、私たちは顔を合わせる。何だかそれがおかしくて、私たち三人は誰からともなく笑い出した。
「いや、今のは偶然です…!」
「………はははっ!もう笑いすぎてお腹痛い……っ…」
「だってあなたが一番笑ってますもん」
「何それ……っ…ははっ…!」
食事中にも関わらず、思う存分私たちは笑った。
この時間がずっと続けばいいのに。そう思ってしまうほどに、私はここでの日常が楽しみでしょうがなかった。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
翌朝。
あれからは他愛もない話を三人でたくさんしながら遅めの夕食を終え、各自部屋に帰った。
部屋に戻った時は夜の十一時を過ぎていたため、浴場に行って帰ってきた頃にはすでに今日になっていた。
そのせいもあってか起きた時には朝の九時になっていて、私は思わず飛び起きた。
「やばい……!」
これは完全に遅刻した。そう絶望した私は光の速さで制服に着替え、部屋を飛び出す。
「遅刻だぁ……!」
誰もいない廊下でそう小さく叫びながら、私は全速力で走る。
すると突然近くの部屋の扉が開き、私と同い年くらいの女の子が出てきた。
そこで私はふと考える。
ん?そもそもうちってこんなに広かったっけ?というか何で流愛とお母さん以外の知らない人が家にいるんだろうか。
「………あの…」
しばらく立ち止まって考えていると、部屋から出てきた女の子が話しかけてきた。
「は、はい」
「何で………制服着てるんですか?」
「…………………あっ…」
その時、私は自分のしてしまったことを完全に理解した。
「や、やらかした……!」
「………ふっ…何かあなた面白いですね」
上品に口元に手を添えながらくすくすと笑う女の子。その顔をよく見てみれば、私は驚きのあまり固まってしまった。
「え……る、流愛…?」
何とそこには、流愛にそっくりの可愛らしい顔つきをした女の子が立っていたのだ。
今は自分がやってしまったことへの恥ずかしさより、流愛そっくりのこの女の子の方がよっぽど気になる。
「流愛?誰ですか、それ」
「……あ、ごめんなさい。何でも、ないです…」
ついまじまじと目の前にいる流愛(違います)を見てしまう。
「あ、あの……お名前は?」
「あ、えっと……桜林 誠って言います」
緩く結かれた低めのツインテールの毛先をくるくると指で巻きながら恥ずかしそうに笑う誠ちゃんは、やはり流愛そっくりだ。
「あの……もし良かったら一緒に朝ご飯食べに行きませんか?」
「え、いいんですか…?ぜひ……!」
こうして突然、流愛のそっくりさんと朝食を食べることになった私は、二人で話しながらふと家族のことを思い出していた。
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「え、流華ちゃんも中一なんだ!」
「うん。同い年だね…!」
あれから食堂に着いた私たちは談笑しながら朝食を食べていた。
誠ちゃんは年齢も声も好きな物まで流愛と全部一緒なので、これは妹のドッペルゲンガーなのではないかと疑ってしまうほどだった。
そして同時に、流愛に似てるなと思う度になぜか胸の奥がチクリと痛むような、そんな気がした。
「ねぇねぇ。流華ちゃんってさ、好きな人いる?」
そんなことをぼんやりと考えていたら、隣に座る誠ちゃんが唐突に聞いてきた。
「えっ…?ま、まぁ……一応」
「本当に!?どんな人どんな人?」
興味津々の顔でそう言ってくる誠ちゃんに、私は少したじろいだ。
「え、えっと……何でもできるかっこいい人、かな」
「何それ!?超ハイスペ男子じゃん!」
「う、うん……そうなの、かな…?」
私は少し違和感を覚えた。
何だか、彼のことを”ハイスペック”の一言で片付けてしまうのは違う気がしたからだ。
「いいなぁ、周りにそんな完璧な人がいるなんて。そりゃあ女子たちはほっておかないよね」
「そ、そうだね……」
確かに彼はモテるだろうから、両思いになるのは難しい。そんな人に好きになってもらえる美空異さんは、やっぱりすごいなと改めて思った。
「誠ちゃんは、好きな人いるの?」
「うん………正確に言えば”いた”って感じかな」
すると誠ちゃんは急に悲しそうな目をした。
「ごめん、聞いちゃだめだったかな……?」
私は慌てて謝る。誠ちゃんは苦笑いを残した後、こう話し始めた。
「ううん、いいの。ただ…………昔のことを、思い出しちゃって」
突然朝食のパンを食べるのを止めた誠ちゃんは、悲しそうな表情を浮かべた。
「ほら、”誠”って響きも漢字も男の子っぽいでしょ?だから、私よくからかわれてたんだ。苗字は”桜林”って華やかなはずなのに、名前は”誠”って………もったいないって、気持ち悪いってみんなに言われた」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ誠ちゃん。
さっきまであんなに元気に話していたのに、今の彼女は全くそうは見えなかった。
「でもね、唯一私の名前を肯定してくれた男の子がいたの。いつも話しかけてくれるし、席も隣だったから、彼を好きになることに時間はかからなかった」
「だから浮かれてたの、私。きっとあの人は、私のことを少しでも好きになってくれてるんじゃないかって。だけど……………本当は違った」
持っていたナフキンを弱々しく握ったその手には、彼女の涙が一滴垂れていた。
「告白するために、思い切って彼を教室に呼んだの。ちゃんと勇気を持って”好き”って伝えた。でも彼は…………急に、馬鹿にするように笑い出した」
「”誠なんて男友達みたいな名前の奴なんかと付き合いたくない、気持ち悪い”、”ハブられもんのあんたとつるんどけば好感度上がるし”って………そう言われたんだ」
(何それ……ひどすぎる)
私はショックのあまり何も言えなかった。
隣で静かに泣く誠ちゃんを、ただ見ていることしかできなかった。
「ひどいよね……私それがほんとに悔しくってさ。だから少しでも女の子っぽく振る舞えるように頑張ったんだけど………どうしても、名前のことだけは忘れることなんかできなかったから」
誠ちゃんは笑いながらそう言った。
でもその笑顔が偽りの笑顔だということは見てすぐに分かる。
私は思わず、彼女にそっと抱き着いた。
「誠ちゃん、こんな時にまで我慢しなくていいんだよ。無理して笑わなくていいんだよ」
「泣きたいなら、泣けばいい。辛いなら、吐き出せばいいの。大丈夫だから。私がいるから」
「………うぅっ……流華ちゃん……!私、辛いよ…っ………何で名前だけで、みんなみんな私を否定するの……?何、で……っ…」
私も聞きたいよ、誠ちゃん。
何でこんなにいい子が、そんなひどい目に遭わなきゃいけないんだろう。
どうして”私たち”は、名前なんかに縛られて生きていかなければならなかったんだろう。
──────その答えはまだ、見つからないまま。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
廊下で誠ちゃんと別れ、部屋に戻った私はそのままベッドに寝転がった。
誠ちゃんの苦しそうな笑顔とぐしゃぐしゃになった泣き顔を思い出すだけで、胸がとても苦しくなる。
私はずっと、そのことで頭がいっぱいだ。
…………気分転換に、外の空気でも吸おう。
そう思った私は部屋を後にした。
昨日食堂を探していた時に玄関らしき広間は見つけていたので、私は迷うことなく外出することができた。
勝手に外に出てもいいのかと途中で不安になったが、扉を開けた瞬間そんな思いはあっけなく吹き飛んで行った。
「わぁ………綺麗」
思わずそう呟いてしまうほどの綺麗な小さい花畑が目の前に広がる。
色とりどりで華やか、とまではいかない素朴な感じの花々だったが、私にはそれがどんな花よりも美しく見えた。
今までのことも、その美しさで全部吹き飛ばしてくれそうな気さえした。
洋館の外装は想像と違って少しダークな感じで、私たちが暮らしている棟の隣には少し古びた洋館が建っている。
そういえば昨夜、フェアリーナ部長が試験の合格者と不合格者の棟は別れてるって言っていたような気がする。
とすると隣にあるあの洋館はその人たちが住んでいるのだろうかとそんなことを考えていると、突然心地よい風が吹いてきた。
「………あっ」
気付いたら目の前の花畑の上で、小さな妖精のような女の人がひらひらと飛んでいた。
「お客様、おはようございます。突然来てしまってすみません」
その妖精は宙を舞いながら、私に向かって丁寧にお辞儀をした。
「いえ………ところであなたは?」
「私はフェアリーナ様の使いの”リーフェ”と申します。この建物の管理やお客様へのおもてなしを行っている者です」
「なるほど、そうだったんですね」
私は昨夜と今朝いただいた食事の用意をしてくれたのはこの人だったのかと、今更ながら納得した。
「お客様はなぜこんな花畑にいるのです?」
そう尋ねながら、リーフェさんは体から淡く光る水のようなものを花にあげていた。
それを浴びた花たちは元気を取り戻したかのように、きらきら輝きながら花びらを小さく揺らしていた。
「ずっと部屋にいるのもあれかなと……たまには外の空気も吸いたかったので」
「そうだったんですね。お客様はお花が好きなんですか?」
「……まぁ、見る分には………そうですね」
綺麗な花を見ているとそれだけで心が洗われていくような気がするから、私は好きだ。
でも………同時に名前のことも思い出してしまうから、少し胸が苦しくもなる。
両親は私の名前を考える時、こうやって綺麗に咲く花を見ながら私に華やかな存在になってほしいと思っていたんだろうな、とどうしても考えてしまうからだ。
そんなことを考えながらリーフェさんと話していると、私は花畑の中央に咲いている二輪の花に目がいった。
鮮やかな赤色の椿と、透き通るような水色のアリウム。二つとも対照的な色なのに、隣合って咲いている姿は何とも言えないくらい綺麗だった。
ぱっとした華やかで凛とした椿と、落ち着いているのにどこか目が離せないアリウム。
まるで………美空異さんと小鳥遊くんみたいだ。
「………椿とアリウムですか。綺麗ですよね」
「あっ……やっぱりそう思います?」
少し胸がチクリと痛んだ。目の前で二人がお似合いだと言われているような気がしたからだ。
「お客様は、花言葉など興味はおありですか?」
「ありますけど………あまり知らないです」
以前から花言葉に興味はあったが、そこまで信じるようなものだと思ったことがなかった。
「赤い椿の花言葉は”気取らない優美さ”。そしてアリウムの花言葉は────────」
”深い悲しみ”
「…………えっ?」
彼にそっくりな花。なのに花言葉が………深い悲しみ…?
彼を見てそんなことを思ったことはない。ないはずなのに────────。
「………っ…」
私はその時、はっとした。
そして気付いたら……私の頬には一粒の涙が伝っていた。
アリウムのように綺麗で、洗礼されたような私の好きな人。
”小鳥遊 留姫亜”。何もかもが完璧で、彼に不幸せなことなんてきっとないと思ってた。
名前も、私の方がずっとずっと嫌っていると思っていた。
”留姫亜”という珍しく華やかな名前は、彼にぴったりだから。地味な私なんかより、ずっと。
なのに………何で今まで気付かなかったんだろう。
彼がこの世界に招待された理由を、ずっと虚ろな目をしている理由を。
「………大丈夫ですか…?お客様」
「……あっ……ご、ごめんなさい…」
やっと、あの人が美空異さんを好いている本当の理由が分かった気がする。
美空異さんは”彼自身”を見ていたんだ。
表面なんかじゃない。名前だってきっと、誰よりも分かってくれていたんだ。
それは彼にとっても大きな存在になっただろう。
…………………誠ちゃんのように。
”完璧”という言葉が、何よりも一番彼を傷付けた。
なのに彼の弱みも知らないで表面的なところしか見なかった私は、きっと誰よりもあの人を好きになる資格はない。
「あの……ありがとうございます。教えてくれて」
「いえ……お役に立てて良かったです」
花言葉を教えてくれた………私に大事なことを気付かせてくれたリーフェさんに感謝を伝える。
彼のことを、ちゃんと一から見つめ直そう。そう、心の中で誓った。
その瞬間、アリウムの花が風に乗ってどこか切なく揺れた気がした。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
それから私は賢太さんや誠ちゃん、時にはフェアリーナ部長とも楽しい毎日を過ごした。
「賢太さん、好きな人を振り向かすにはどうしたらいいですか?」
勉強中の彼にそんなことを聞いたり。
「どうやったら誠ちゃんみたいに可愛くなれる?」
髪を巻いてる彼女に自分磨きのコツを聞いてみたり。
地道なことだったかもしれないけれど、私は自分なりに成長しようと頑張った。
異世界での生活も徐々に慣れてきて、たまに行く花畑でリーフェさんと話すこともしばしばあった。
現実世界ほど忙しくはないけれど、一年後のことを考えるとこのままではだめな気がしたから。
好きな人のことを毎晩考えながら眠りにつく日々はあっという間に過ぎていった。
誠ちゃんの顔やお母さんからの連絡を見て、よく家族や雪ちゃんのことを思い出して寂しくなるが、一年後に成長した自分で現実世界に戻る日を何度も想像して、胸の痛みを誤魔化していた。
そして、ついに─────────。
「………いよいよ、この日が来た…」
「頑張れよ、流華」
「流華ちゃん頑張ってね。応援してる!」
一年間仲良くしてもらった賢太さんと誠ちゃんに背中を押されながら、私はユリカント・セカイの会場へ一歩踏み出した。
彼に会うのが、正直怖い。でもそれ以上に、今は会いたいという気持ちの方が強かった。
もう一度、彼を好きになるチャンスを。この想いを伝えるチャンスを。
みんなが支えてくれた分、私も変わってみせる。
『これにてユリカント・セカイを開幕します』
人が溢れ返る会場に、フェアリーナ部長の声が響き渡った。
それと同時に私は、今一番会いたかった人の後ろ姿を見つける。
「………留異…!」
私はその大好きな背中に、精一杯の声で話しかけた。