ダーク・ファンタジー小説

Re: ユリカント・セカイ ( No.14 )
日時: 2025/11/08 17:27
名前: しのこもち。 (ID: X2iPJYSg)


【 第十四話 祝福 】





 -小鳥遊 留姫亜 Side-








「やーい、オカマ姫!」


 ‪”‬留姫亜‪”‬


 この名前を一度だって好きになったことはない。どんな時だってこの胸に張り付いては、名前という形で俺のアイデンティティを腐食していくこの言葉が、昔から大嫌いだった。


 子供の頃から、友達にはよくオカマだのお姫様だの名前をいじられ続け、気付いた時には自分の名前は人を、そして自分自身を不快にさせるような醜いものなのだと認識するようになった。


 周りの人たちは皆、俺という存在を‪”留姫亜‬‪”‬という物珍しい名前でしか見てくれない。


 それは実の両親でさえ、例外ではなかった。



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「何でこんな簡単なテストで満点すら取れないのよ!」


 ────ビリビリッ!


 母は目の前で容赦なく国語のテスト用紙を破いた。紙が裂ける音と耳を塞ぎたくなるような母の怒号だけが静かな部屋に響き渡った。


「ねぇ、留姫亜。お母さんたちが何であなたに留姫亜って名前付けたか知ってる?」


 仮面のように貼り付けた偽りの笑顔を浮かべながら、母は言った。


「あなたは周りの馬鹿とは違う、特別な子供だから。完璧な人間が地味な名前なんて名乗れないでしょう?」


 ぞっとした。体の芯から凍てつく氷のように冷たくなっていくのがすぐに分かった。目の前にいるはずの母が、今はただの冷徹な幽霊のようにしか見えない。


 重力に従いながら無様に散っていくテスト用紙の切れ端を、俺はただぼーっと眺めることしかできなかった。


 俺なりに、頑張ったはずだったのに。赤ペンで書かれた ‪”‬98‪”‬ という数字の横には、担任の先生らしい達筆な字体で『素晴らしい!頑張ったね』と記してあった。


 しかしそれも、今となっては引き裂かれたゴミ同然。母にとっても、100点以外はこの紙切れたちと変わらないのだ。


 母は眉さえピクリとも動かさずに、スタスタと部屋を出て行った。扉が閉まる音が鳴ったと同時に、俺は膝から崩れ落ちた。


 不思議と涙は出なかった。怒りや悲しみといった感情も湧いてこなかった。なぜか俺の口からは、乾いた笑みだけがぽろりと零れ出ていた。


 両親が完璧な自分以外認めない、冷たい人間だと知ったのはこの日からだ。当時小学四年生だった俺は、それ以来、勉強時間もスポーツの練習も小学生とは思えないほどの量をこなした。


 もちろん、どれだけ頑張っていても失敗することは稀にあり、そんな時はいつも母に怒鳴られ父に無視されていた。酷い時は暴力を振るわれることも珍しくはない。


 俺は完璧な‪”‬‪留姫亜”として生まれてきた。失敗なんて許されない。そんな自分が自分であるためには、こうするしかないのだ。


 子供ながらにして、親にここまで洗脳されるなんて、もう俺はとっくに人間ではなく二人の操り人形へと化していたのかもしれない。


 ‬しかし、いくら人形になれたからといって完璧を磨くための毎日が苦でないはずがなかった。


 苦手だった勉強も、友達と放課後にするのが好きだっただけの運動も、本格的に時間を費やせば費やすほど、その分のプレッシャーと両親の期待が増え、段々とそれが重荷になっていった。


 単純に辛かった。ただのくだらない小学生が、睡眠時間を削って勉強したり、好きでもないスポーツの練習に時間を潰したって、それが楽しいと思える人間がいるのだろうか。


 高学年へと進級する度、段々とそんな疑問ばかりが胸を支配するようになり、俺は日に日に勉強やクラブチームに集中できなくなった。


 そんなある日、学校のテストで初めて80点を取った。もちろんそんな点数じゃ親が満足するはずもなく、今までで一番叩かれた。


 その時、気付いてしまった。あんな地獄のような毎日を送るより、親に嫌われる方がよっぽどましなのだと。


 自分は一体、今まで何にそんな怯えていたのだろう。その夜殴られた回数は多かったはずなのに、なぜか全く痛みを感じなかった。


 それからはチームの練習をサボったり、勉強もほとんどせず、帰ったら自分の部屋に籠って自由に過ごす日々が続いた。これが普通なのだと、ようやく皆と同じ生活が知れたと、親に怒鳴らたり暴力を振るわれたりする時以外は、とにかくすごく幸せだった。


 だから俺は自ら自身の体を犠牲にし、あくまで普通の小学生として振る舞うことに徹底した。慣れてくれば、殴られる痛みなんていつの間にか苦ではなくなっていた。



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「その傷、大丈夫?」


 しかし、そんな俺に初めて ‪”‬‪人を愛する” ‬という感情を教えてくれた人物が現れたのだ。


 その日は、いつものように部屋に隠した90点の小テストが父に見つかってしまい、顔を思い切り叩かれたせいで頬の部分が酷く腫れていた。


 そんな俺を心配して、あの時‪ ”‬‪美空異みらい” は声をかけてくれた。


「…………大丈夫。転んだだけ」

「えー、それ本当?なんか最近、ずっとあちこちに怪我してるよ」


 いつもは長袖の服や長めの靴下で隠していた傷跡。今までクラスメイトにも、先生にも特に何も指摘されたことはなかったのに、なぜか彼女だけには全部お見通しだったらしい。


 もしかすると家のことがばれたのかもしれない。そんな不安がよぎった俺は、必死につたない言葉で、怪我の事情をありもしない嘘で取り繕った。


「………い、いや、俺……こう見えてドジなとこあるんだ。あと、最近……家の階段滑りやすくて、よく転んじゃうからさ」


 明らかに目が泳いでいる俺を見て、怪我を見抜く鋭い彼女は絶対にその言葉は嘘だと察しただろう。俺は背中に冷や汗が伝うのを感じた。


「う、嘘じゃないからな………」

「────────ははっ、あはははっ…!」


 しかし、彼女の反応は俺の想像とは違った。気付いたら目の前には、口を大きく開きながら笑う美空異がいたのだ。


「ドジって……!クールだと思ってたけど、意外とお茶目なんだね。小鳥遊くんって」


 そんなに面白かったのか、お腹を抱えて豪快に笑う美空異。一応嘘のつもりで言ったのに、そんなに笑われると何だかこちらも恥ずかしくなる。


「わー、耳真っ赤だ!可愛いー!笑」

「…………う、うるさいな」

「ふふっ。ねぇねぇ、私さ、もっと小鳥遊くんと仲良くなりたいっ!」


 思ってもみなかった提案に、俺は一瞬その場で固まった。なんせ彼女はクラスの人気者だ。顔も同級生とは思えないほど綺麗で美しい。


 そんな人と友達になる資格が自分にはあるのだろうかとしばらく悩んだ。なぜなら俺は、親の期待にも応えようとしないひねくれ者だ。


 返事に迷っていると、それを見越した彼女は俺の手を取って言った。


「はい、時間切れ!これからは私たち‪”友達‬‪”だよ!よろしくね‬」

「う、うん……」


 彼女の勢いに少し困惑する一方、友達として俺のことを認めてくれて嬉しくもあった。


「私、美空異みらいっていうの!君は?」

「…………た、小鳥遊たかなし留姫亜るきあ


 俺はそっぽを向きながらかすれるほどの小さい声で名前を告げる。


 気付けば俺の手は震えていた。すごく、怖かった。また名前を笑われるかもしれない、幻滅されるかもしれない。そんな不安が膨れ上がる一方だった。


 今、目の前にいる彼女がどんな顔をしているのか、確かめたくもない。どうせまた、馬鹿にするような目で見てくるんだろうか─────────。


「素敵な名前だねっ!」


 しかし、美空異という少女は違った。顔を上げるとそこには、花のような満面の笑みだけが咲いていた。


 ─────その言葉は、空っぽだった俺の心を癒すには十分すぎるものだった。



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 そこから俺が美空異を好きになることに時間はかからなかった。今までほうっていた勉強も運動も再びエンジンを掛けるようにして頑張った。


 好きな人という目標を得られた俺はみるみるうちに成長し、気付いた時には体の傷はほとんど消えていた。


 学校では話したこともないような女子に告白されては断る日を過ごすこともしばしばで、みんながみんな、尊敬の目で俺という存在を見つめてくれた。


 単純に嬉しかった。この時の俺は何でもできるような、そんな気さえした。






「…………ごめん。私、留姫亜のことそういう目で見たことないんだ」


 だけど、調子に乗りすぎた罰だったのかもしれない。初めての恋は、無情にもその二言で散っていった。


 それでも俺は美空異を好きでい続けた。いや、もしかすると振られた時からは恋愛的な意味ではなくて、人として彼女のことを好いていたのかもしれない。


 きっと俺は顔やスペックだけで群がってくる周りの奴らとは違う、名前すらも包み込んで認めてくれるような、そんな人との出会いを心の中でひっそりと求めていたのだ。


 そんな運命的な出会い人は美空異と──────流華だった。



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『………好き、かもしれない』


 顔を赤らめた彼女の口から、ぽろりと零れた言葉。それが紛れもない告白であることは、さすがの俺でもすぐに分かった。


『………ごめんなさい。僕には、好きな人がいるので……』


 またか。どうせこの人も、顔しか見ていないんだろう。この時の俺は、心の奥で流華のことを軽蔑していた。


 きっと俺の本当の姿を見れば、すぐにみんな離れていく。だから幻滅される前に、彼女には躊躇なく自分の名前を名乗った。


 俺は、美空異さえいてくれればそれでいい。俺自身を見つめてくれる誰かがいればそれでいい。いつからか好きだったはずの人にすら、そんな最低なことを思うようになっていた。


『…………』


 流華を振ってからの練習は、何とも言えない気まずい雰囲気が漂っていた。しかも運の悪いことに二人きりで練習することになった時は、正直とても憂鬱だった。


 でも、不思議と彼女といることに抵抗は感じない。周りの女子たちと違って媚びを売るような言動はしないからなのか、むしろ今はこの沈黙の方が居心地が良かった。


 そんな一度振った相手に好意を寄せ始めたのは、彼女が失踪してからだ。


 流華が行方不明になってから、与那野中の女バスは段々と弱くなっていった。


 もちろん三年生が引退したのも一つの大きな要因だろうが、監督がよく「あの強い一年生の子はいなくなったのか」と呟くようになったので、流華があのチームの重要メンバーだったことは確かに言えるはずだ。


 実は一緒に練習をしたあの時、俺も薄々思っていた。


 癖のない綺麗なフォームに、無駄がない動き。息を乱しながらもボールを追いかける懸命さ。シュートが百発百中入るのも、きっと裏には相当な努力が隠されているのだろう。


 そんな彼女の背中は──────────不覚にも昔の俺と重なっていた。


 誰よりも強く、誰よりも弱々しく儚い後ろ姿。何かを追いかけるような、何かに怯えるような必死な表情。彼女の全てが、なぜだかとても輝かしくて、俺はこの時からすでに惹かれていたのかもしれない。


 しかし、どれだけ流華に惹かれていても、心のどこかにあの時のどうしようもない俺を1番に救ってくれた美空異がいて、どうしても忘れることはできなかった。


 助けてくれたのにすぐに他人に恋愛感情を抱くなんて。そんな罪悪感も、もしかしたらあったのかもしれない。


 でも、流華が行方不明になってから分かった。自分が本当に想っていたのは──────彼女だったのだと。


 失ってから、初めて気付いた。両親からの愛に飢え、他人を1度だって信用したことのない俺が心を動かされたのは、君だった。君ひとりだった。


 もしかしたら君は、俺よりもっと辛い過去を背負って、もがき苦しんでいるのかもしれない。でも、そんな君でも、そんな僕らでも───────。












 いつか一緒に、眩しすぎるくらいの光を見てみたい。君が、そう思わせてくれた。












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 - 橘 流華 Side -





「私でよければ、付き合ってください!」


 あなたのことが好き。そんな気持ちを彼に伝えるために、精一杯の大きな声で叫んだ。


 周りには大勢の人がいると言うのに、そんなことを気にする余地もないくらい、今はこの人にもう一度、私の想いをぶつけたい。ただそう思った。


 すると目の前に立つ留異────留姫亜は涙ぐみながらこちらに駆け寄り、思いっきり私のことを抱きしめた。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。周りのきゃー、という歓声や溢れんばかりの拍手のおかげで、ようやく今の状況を理解する。


「…………へっ…?」


 好きな人に抱きしめられているということを再確認した瞬間、私は思わず拍子抜けな声を出してしまった。


「ありがとう………俺を、‪”留異‬‪”を見つけてくれて、好きになってくれて本当にありがとう……っ…‬」


 そんな一方で、彼の感謝に震える声はか細くて弱々しかった。振り絞ったような力ないその声からは、彼の安堵や歓喜などの些細な感情が隅々まで伝わってくる。


 私は驚きながらも、勇気づけるように‪”‬‪留異”の背中に腕を回して力強く抱きしめ返した。


‬ 周りの拍手は更に大きくなる。気付けば会場にいたほとんどの人たちが、私たちの周りを囲ってその様子を見守っている。


「お前らおめでとうー!」

「ふっ、お姉ちゃんたまにはやるじゃないの。私だってもう子供じゃないんだからっ。ずっとずっと、応援するから!」

「くぅっ………なんで私じゃないのよ!なんであんな地味な流々がっ……」

「……………留異、成長したんだね。2人とも本当におめでとう」


 笑顔で祝福してくれる妹の流愛。悔しそうに呟く凛子ちゃん。そして、温かく微笑みながら拍手する美空異さん。


 みんながみんな、私たちのことを祝ってくれて、胸がいっぱいになった。この1年間、いや、生まれてから今までたくさんの人たちに支えられて、少しずつかもしれないけど、少しかもしれないけど変われた私。


 今まで頑張ってきて、自分を信じてきて本当によかった。あなたを好きになってよかった。


 これからもまだ、自身の名前に、立ちはだかる壁に苦しめられることもあるかもしれない。


 それでも、きっと大丈夫。
 だって私には──────────。


 しばらくすると、交わっていたお互いの腕がほどける。私たちは顔を見合わせた途端、どちらからともなく照れくさく笑った。


 何より、今の私には‪”‬‪あなた”がいる。


「…………みんな、ありがとうっ!」


 振り返って、あたりを見回しながら私は大きな声で言い放った。そして今夜1番の拍手が巻き起こる。


「………………時間になりました。これにてユリカント・セカイを終了いたします」


 しばらく告白の余韻に浸っていると、ユリカント・セカイの終了の合図が響いた。


 ふと振り返った目線の遠く先に、フェアリーナ部長がふっ、と笑っていた気がした。


「‪”‬‪流々”さん。あなたが本当の意味で変わったこと、本当の意味で現実世界に帰れることをここに認めます‬」


 最後のアナウンスがその場に響き渡った後、今夜のユリカント・セカイは幕を閉じた。



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「流華ちゃぁぁぁん!」
「流華!」


 ユリカント・セカイが終わった後、目覚めると私は1年間過ごしてきたあの異世界のちょっといびつな自分の部屋で横たわっていた。


 起きると同時に部屋に訪問してきたリーフェさんいわく、明後日にはこの異世界とはお別れして現実世界に戻れるそうだ。


 特に荷物をまとめたりする必要もないので、私はこの1年間の思い出をなぞるように建物の中をゆっくりと歩いていた。


 すると、廊下で誠ちゃんと賢太くんにばったり会って今に至る。二人はそれはもう嬉しそうに頬を緩ませて話し始めた。


「私たち見てたよ、流華ちゃんのこと!ほんっっっっっとうにおめでとう!!!」


 すると誠ちゃんがいきなり抱き着いてくるので、私は戸惑いつつ笑いながらありがとうと言った。


「俺も見てた。ちょっと残念だけど………でも、おめでとう」


 照れくさそうに頭を搔く賢太くんを見て、微笑ましく思う。


「ふふっ、ありがとう」
「……………あんた、意味分かってないだろ」
「え、何が?」
「………ほんと、鈍感だよな」


 よく分からないことを言う賢太くんを見て、ふと思った。彼の背は初めて会った時から随分伸びており、声も若干低くなっている。


(時が経つのって早いなぁ………)


 そんなことをしみじみと感じて、なぜだか急に泣き出しそうになってしまった。


「………って流華ちゃん、どうしたの!?すんごい涙目だよ!」
「…………うぅっ、何か急にみんなと初めて会った時のこと思い出しちゃって………」


 賢太くんに初対面で急にずっこけて恥を晒してしまったあの日、流愛にそっくりすぎる誠ちゃんを見た時の衝撃、二人で迷子になった食堂までの道、フェアリーナ部長に吐き出した私の思い、リーフェさんとの庭での些細な会話。


 この世界で過ごした日々は、全部全部私のかけがえのない宝物だった。どこを切り取っても、全てが大切な思い出で。


 絶対、永遠に忘れることはない。



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「では、そろそろですね」


 そしてついに、出発の日が来た。出発と言っても現実世界に戻るだけなのだが、それだけでも私には相当な覚悟がいることだった。


「最後に、みんなに渡したいものがあるの」


 私は手に持っていた紙袋から、2つの小さな花束としおりを取り出した。


 実は昨日、これらを作るためにあの玄関付近の花壇に行っていたのだ。


『おはようございます、流華さん』


 みんなに渡す花を長い間選んでいると、リーフェさんが声をかけてきた。私は花言葉に詳しい彼女に一つ一つの花の花言葉を聞き出して、四人にぴったりな花々を摘んだ。


 誠ちゃんは『誠実』という意味のスミレ、賢太くんは『応援』という意味の鈴蘭をいくつか束ねた。フェアリーナ部長とリーフェさんには『切なる喜び』『感謝』の意味のピンクのカスミソウを押し花にしてしおりにした。


 誠ちゃんと賢太くん二人には、早く現世に戻ってきてほしいという思いを込めて短命の生きた花束を、フェアリーナ部長とリーフェさん二人にはこれからも末長く、名前に苦しむ人たちを救ってほしいという願いから、ずっと保管できるしおりを作った。


「え!これ流華ちゃんが作ったの?嬉しい、ありがとう!」

「…………俺たちも、すぐそっちに行けるように頑張るから。絶対に忘れるなよ」

「流華さん、これからもあなたらしく心清らかに過ごしてください。リーフェは遠くからそっと応援しています」

「みんな………」


 また泣きそうになるのを、ぐっと堪える。お別れの時くらい、笑顔でいたいとずっと決めていたからだ。それなのに…………。


「………もうっ、流華ちゃんったら泣きすぎだよ!私たち、どうせすぐ会えるでしょう?」

「でもっ……現実世界で必ず再会できるとは限らないから………」


 一度溢れ出した涙は止まることを知らず、私は何度も嗚咽おえつした。


「………もし、名前を克服してユリカント・セカイに招待されなくなったとしても、ここに来たくなったら‪”‬‪みんなに会いたい”と、‬心の中で叫んでください。私がいつでも連れて来ますから」

「本当ですか……っ!」

「よかったね、流華ちゃん!これでいつでもみんなと会えるよ!」


 フェアリーナ部長からの嬉しい言葉で、私の涙は落ち着いてきた。最後の一滴の雫を拭うと、私は覚悟を決める。


「さあ。それじゃあ、行きますよ」

「みんな、今まで本当にありがとう!元気でね────────」


 すると、フェアリーナ部長の合図で私の体は急に淡く光り出した。最後に手を振ると、私はそこで意識を閉ざした。


 さようなら。またいつか出会う、その時まで────────。



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「………華、流華…!」


 懐かしい声で、目を覚ます。目を開けると、そこには見慣れた天井があった。


 いつもと違うのは部屋のサイズ感と、あの謎のピンクの植物がないことくらい。それと………。


「流華。よかった、無事で……」


 一年ぶりの、家族の顔。ベッドの隣に座るお母さんの顔を見て、私は泣きそうになった。


「お母さん!………ごめんなさい。心配かけて、迷惑かけて、ごめんなさい……っ…」


 私は母の背中に腕を回しながらそう言った。


 久しぶりの、現実世界。ずっと恋しかったこの温もりに包まれた途端、本当にここに母がいるのだと実感する。


 家族や周りの人たちに迷惑をかけてしまった申し訳なさとともに、胸には家に帰れた感動やら歓喜やらがごちゃ混ぜになった、何とも言い表せない気持ちが、涙と一緒に込み上げてくる。


「………いいのよ。あなたが無事で、本当によかった」

「お母さん……」


 後に聞いた話によると、私は一年前に異世界に飛ばされるきっかけとなった留姫亜の弟と遭遇したあの公園の砂場で倒れており、それを見た近所の人が母に教えてくれたのだそう。


 涙で滲んだ視界の中央には、母の安心したような満面の笑みが咲いていた。小さい頃からずっと、大好きな笑顔だ。


「………お母さん。私、行かなきゃいけないところがあるの」


 しばらくして落ち着いた私は、着ていた制服のポケットに‪”あれ‬‪”が入っていることを恐る恐る確認した。ポケットには、まだあの柔らかい感触が残っている。‬


 よかった。異世界から現実世界に移動する時に失うのではないかと怖かったが、それが消えていないことに安堵する。


 そして私はゆっくりとベッドから立ち上がり、部屋から去ろうと扉を開けた。


「行かなきゃいけないって………こんな時間に、どこへ?」


 お母さんは振り返らない私の背中に、不思議そうに問いかける。一瞬、これ以上母に心配をかけたくないという気持ちが揺らいだが、私は後ろを振り返って強く言い放った。


「‪私の………”一番‬大切な人‪”‬のところっ!」



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 十一月に入ったばかりの夜はとても肌寒く、冬の接近をやけに綺麗な星空が知らせてくれる。そっか、ここはもうこんな季節なんだ。


 そう思いながら、私は凍える体を温めるように、‪”あの人‬‪”のところへ無我夢中で走った。


『もし流華が現実世界に帰って来れたら、緑の丘で会おう』‬


 留姫亜とあの夜、ユリカント・セカイで交わした、約束。


 緑の丘。私が住んでいる与那野東町と、留姫亜の中学校がある与那野町のちょうど間にある、小高い丘だ。


『冬は空気が乾燥して、星がよく見えるんだってさ。俺、ずっと待ってるから』


 会いたい。ついこの間話したばかりのはずなのに、どうしてこんなにも今すぐ会いたくて仕方ないんだろう。


 私は息を切らしながら、丘の前に到着する。少し見上げると、丘の頂上には──────────どんな時も恋しかった、君がいた。


「留姫亜!」


 私は一度も休まずに走ったせいでくたくたになった足を必死に動かして、丘を上る。名前に反応して、彼がゆっくりと振り向いた。


「………流華…!」


 丘の頂上に着いた瞬間、私は思いっきり大好きな恋人を抱きしめた。


「……ふふっ。ただいま、留姫亜」

「うん……おかえり、流華」


 彼の体は、汗ばむ私とは反対に氷のように冷たかった。きっと長い間待ってくれていたのかもしれない。そう思うと、とても申し訳ない気持ちになる。


「こないだ会ったばっかなのにね、私、留姫亜に会いたくてしょうがなかったんだよ」

「俺も。不思議だよな。あの日からずっと上の空っていうか、すごい舞い上がってるんだよ。なんか夢の中にいる感じ」

「え、すごい分かる!」


 私たちはどちらからともなく話し始めた。会話は尽きることなく、一年間会えなかった寂しさを埋めるように永遠に続いた。





「………あ。私ね、留姫亜に渡したいものがあるの」


 それからどれくらい経ったのだろう。いつの間にか空は来た時よりもすっかり暗くなっていて、星たちがより目立って輝いていた。


 話に夢中になりすぎて、一番肝心なことを忘れるところだった。私はポケットから留姫亜へのプレゼントをそっと取り出す。


 取り出したのは……………四本の赤いガーベラを束ねた小さな花束。誠ちゃんと賢太くんにも渡したものとお揃いだ。


 花言葉は──────────。


「あなたを、永遠に愛します」


 私は長い間ポケットに入れていたせいで、少ししおれてしまった花びらを優しく包むように花束を彼に渡す。


「花言葉とかそんなに興味ないかな?…………でもね、私はずっと信じてる。こうやって大切な人に何かを伝えたい時に、勇気をくれるから」


 私は目の前で驚く留姫亜に向かって大きく言う。


「留姫亜、大好きだよ!今までも、これからもずっと。ずーっと!」

「流華…………ありがとう。俺もだよっ……」


 すると急に、留姫亜は泣き出した。今度は私の方が困惑する。


「どうしたの、大丈夫……?」

「………ううん、違うんだ。ただ………嬉しくて。こうやって誰かにプレゼントされるのも、ずっと大嫌いだった名前を呼ばれたはずなのに、こんなに嬉しくなるのも、全部初めてだったから……っ…」


 彼は渡した花束を抱えながら静かに泣いた。何かを噛み締めるような、何かを押し殺すような、そんな涙を流しているような気がした。


 留姫亜もユリカント・セカイの来客だ。言われなくとも、この人が今までどんなに辛い思いをしてきたのかが、一瞬で分かる。


「…………っ……ありがとう。ありがとう、流華。俺、自分の名前も、過去も、自分の存在ですら、全部が嫌いだった。消えてほしかった。でも…………流華が、いてくれたから。今、こんなにも嬉しい。出会ってくれて、本当にありがとう……っ…」


 幼い子供のように泣きぐしゃる彼は……………不覚にも、昔の私と重なって見えた。


 でも、あの頃の私とは違う、弱々しい姿なんかじゃない。きっと、留姫亜も今この瞬間、変わったんだ。


 泣く彼の手を握りながら、私はふと、星空を見上げた。すると急に、光る白い筋が真っ暗な夜空に走って消えていくのが見えた。


「あ!留姫亜、見て。流れ星だ……!」


 私は流れ星を指差す。その途端、流れ星は次から次へと空を駆け巡っていく。


 流星群のようにたくさん降る星の雨を目の前に、私たちは顔を見合わせた後、目を瞑る。


 これからはずっと、あなたの隣で一緒に笑えますように。


 儚く流れていく星に、私はそう願った。












 二人の間に降り注ぐ星たちは、まるで私たちを祝福してくれているみたいだった。










 【 ユリカント・セカイ読者のみなさまへ 】

 更新が本当に遅くなってしまい、ごめんなさい。読んでくださっている方々に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分の計画性のなさを見直し、執筆のはやさをこれから改善していくつもりです。執筆を休止していた期間を除く約1年間もの間、お待たせしてしまい、改めて申し訳ありませんでした。


   十四話 執筆・しのこもち。より