ダーク・ファンタジー小説
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.10 )
- 日時: 2024/12/18 07:03
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
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壁を走るからには止まれない、飛べない、戻れない、前へ進むことしか許されない。でないと床に落ちてしまう。
マモンは唇を噛み締めて、紙一重で結晶を避け走り続ける。
結晶を乗り越える度肝が冷え、長くはもたないことをヒシヒシと感じる。
結晶はまだ障害物として立ちはだかってくれるが、進路を封じられたら床に落ちるしかない。
ケーリィムは進路を塞げることにまだ気づいていないらしい。しかし気づくのも時間の問題だ。
どうする、どう勝つ、道は何がある。
遠心力に身を任せるマモン、汗を置き去りにして走る、考える。
木ならば燃やすのはどうか。ダメだ、密室で火事は洒落にならない。
魔物より先にケーリィムを封じるべきだ。
倒す決め手がどうであれ、二対一の状況を早く崩さなければ。
ケーリィム一人ぐらいなら魔法でどうにか――マモンが思ったその時、天井から床へ垂直になぞるように結晶が刺さり、並んだ。
進路が塞がれた。マモンは止まることもできず勢いそのまま結晶の壁に衝突、ボトリと床へ落ちる。
遠心力から解放され重力に迎えられる。
疲れた、そう思う暇もなく結晶が飛んできて、マモンは倒れたまま体を逸らしてかわす。
早く立たねば、そうマモンが右を向けば目の前に結晶が、反対を向けばまた結晶が刺さる。
前方にはケーリィム、左右には結晶の結晶、上部を見れば太い根が。
あ、逃げられない。マモンの心にポツリと浮かんで、ドサッと腰が落ちた。
心臓がドッドッドと喚いて、体が執拗に空気を求めて。視界が霞んで。額から鼻筋にかけて。汗が。垂れる。感覚が。
「こひゅっ、はぁっ、こひゅっ、はぁっ……」
「やっと止まれましたわね、久々の床の味はいかが?」
マモンは一度ゴクリと呼吸を飲んで、笑いながら、しかし瞳は鋭くケーリィムを刺して答えた。
「めっちゃ、冷、たい」
「そう」
ケーリィムが手をかざす。結晶が一本現れる。濃く深い紫色、怪しく光る結晶がマモンめがけて飛んだ。
一瞬にして迫ってくる。マモンは重い体を引きずって体を逸らすが――。
「ぁ、」
強い衝撃が左の腹を貫いた。
真っ白になる世界。バキ、ミシ。体からでているとは思えない、何かが壊れる音が内側から響く。
息が詰まり、左側から焼かれるような熱が広がり、横腹が脈打つ。第二の心臓のようにドクドクと。
「ぁ、う、あっ、あっ……」
どれほど瞼を広げようとも世界は白くあり続ける。見えてるはずのものが見えない、五感の半分以上が消え失せる感覚。
バタリ、全体重が床に預けられる。鉄板のように熱い腹に手を当ててみると、ぬるりとした感触があり、指先が硬いなにかに当たる。
「骨ぇ、飛び出して、んじゃん……」
痛い、熱い、痛い、熱い、気が狂うほどの激痛が思考を噛み砕いていく。
糸がプツンと切れてしまいそうな感覚がして、なんとか気を保とうと呼吸する、吸って、痛い、吐いて、痛い、痛い、痛い。
何度空気を吸っても体へ届かない、吸う度に痛みが胸を走る。
吸った空気が皮や肉を押し出す違和感、そこを触ってみれば胸が僅かに膨らんでいて、まるで霜柱を踏んだ時のよな音がパリパリと、内側から響いている。
肺が潰れたか、穴が空いている。肺から漏れた空気が皮を、肉を膨らましているのだ。
チラリと壁に目をやる。血がベタりとついていて、太い結晶が刺さっている。
かわさなければ体がペシャンコだっただろう。
目が見えなくなってゆく、感触も遠のく、ただ耳がこちらへ近づく足音を感じ取った。
「あらまぁ、酷い有様」
言葉の割に声色は笑っている。なにか言葉にしようとして喉につっかえ、止まる。
「げほっ、がっ、かはっ」
ベチャ、と口から落ちたのは血だ。これのせいで声がだせなかったのだ。
マモンは顔を上げて、恐らくケーリィムがいるのであろう方へ視線を向けてみる。
「げほっ、げほっ、いいの。近づいちゃっ、て」
「あはは、強がっちゃって。今のあなたに何ができて?」
マモンはスーッと息を吐いて顔を下ろして目を閉じる。
横腹は貫通、肺は片方がやられていて肋骨も折れているのだろう。出血が酷いからか五感が霞んで寒い、しかし腹は熱い。
ついには音も遠くなっていく。ヒカが叫び泣く声が水底から聞こえてくるようだった。世界がどんどん遠ざかって、死という真っ暗闇がマモンの体を包もうとしている。
もう死んでしまう、本能から分かってしまうその瞬間は――彼にとっては、何度も経験したものだった。
「――氷塊ぃ」
刹那、ほくそ笑んでいたケーリィムの足元を氷結が襲った。
「冷た、なにっ、なんなんですの!」
下半身が氷に覆われて動けないケーリィム。思わぬ自体に身を捩らせているが氷は溶けない。
「ゲホッ、ゲホッ、痛い……。ケーリィム、氷塊っていう氷の魔法ぐらいは分かるだろ」
ケーリィムの瞳が見開かれた。真っ青な顔で首を横に振っている。まるで生き返った死人を目の当たりにしたかのような――いいや、実際そうなのだ。
「ありえない、ありえない。どうして動けますの? いえ、どうして、複数の系統の魔法を使えますの?」
「系統? 属性みたいな? ごめん、僕頭悪いからさ、魔法の分類とかよくわかんないんだよね」
マモンは立ち上がる。彼が手をかざしている脇腹、血がボトボトと塊のように落ちていく中、淡く白く光っている。
「肺ぐらいなら塞げる。あとの回復は、ちょっと魔素が足らないや」
折れて刺さった骨はある程度抜いて、あとの部分は氷で補強する。
これでも動くための一時的な処置、放っておいたら生きていられない。早く終わらせなければならない。とマモンはケーリィムを睨む。
「どうして、生きておりますの? 生き返った?」
「生き返ろうとも思ったけどさ、ヒカの目の前で死ねない。魔法で延命してるだけだから、そんなバケモノみるような顔でみるなよケーリィム」
マモンはカラッと笑ってみせる。痛々しい彼の体。ケーリィムはウッ、と嘔吐いた。
「魔女、魔女め。白の魔女っ!」
「魔女じゃないって。けど無理の仕方がヒトじゃないのは自覚してる」
「気色悪い、あなた、あなたなんなんですの! 木! なんとしてでもコイツを殺しなさいっ! コイツはこの世界にいていい存在じゃないっ!」
死の際から舞い戻ったというのに、傷は痛み、他人に罵倒され、まだ魔物が立ちはだかっている、あまりに悲惨で絶望的な状況である。
しかしマモンは悲観していない。楽観もしていない。
痛い、辛い、苦しい、確かにある感覚を噛み締めて、だから悲観も楽観もしていられないのだ。
動け、走れ、手を伸ばせ。
目的を達成する機械かのように冷たく前を見据えている。
走る、ともに根がマモンの残像を叩いた。ケーリィムとすれ違いざまに瓶を奪う。
後ろからケーリィムが喚いている。が、知ったことではない。
瓶を揺らすと水の音がする。確かに血が入っている。
足元を根が襲う。共に前から別の根が伸びてきて、マモンは飛んでその根に乗る。
「さっき血を希釈するっていってたよね」
根から根へと飛び乗って天井を目指す。天井に刺さっていた鉈を抜く、襲い来る魔物の根を切り裂く。
「ってことはさぁ」
共に魔法の結晶で周囲の根を薙ぎ払った。天井近く、宙から魔物を見下して、鉈も放って瓶を高らかと掲げる。
「この血、本来は劇薬なんじゃないかなぁ!」
瓶の先をもって投げる、ガラスは青を瞬かせ魔物へ飛び――割れた。
耳をつんざくような叫び。枯れた木の絶叫が部屋を満たした。
シワがよった顔はみるみるまに木に埋もれ、魔物を包んでいた根も縮む。
あっという間に萎れるの域を超え、ついには灰のように散り散りになり、魔物は跡形もなくなってしまった。
マモンが着地した床にはガラスの破片とヒカの血が広がっている。
あれだけ窮屈だった部屋が一気に広くなった。
やっと終わった、そう思うと横腹の痛みが大きくなっていく。
興奮で麻痺していた痛覚が正常に機能していく感覚。
「あっ、あっ、あいたたいたいいたい! えぇなにこれグッロ!」
マモンは己の腹を見て叫ぶ。我ながら今更だと思う。
氷で覆っているとはいえ中が透けて見えていて、折れた骨も全て抜いた訳では無い。
治したのは肺が使えるぐらいの最低限で、息を吸う度に痛むのは変わらない。
「えぇ、なんで僕生きてんの……。まあいいや」
目的は若返りの薬――ヒカだ。あとはレシピだ。この場合、恐らくヒカの血を希釈する方法だろう。
どちらにしろ依頼人にヒカを渡さなければならない。
「……」
マモンは机に縛られているヒカを見る。
しばらく黙って、逡巡するフリをしてその実なにも考えられないまま、ヒカをほどこうと歩む。
「あら、背を向けてよろしくて?」
刹那、突風。ワンテンポ遅れて轟音がしていたことに気付く。
マモンはさっきぶりの感覚に、まさかと力いっぱい振り向く。
「なん、で――」
目の前にはさっきと違う魔物が立ちはだかっていた。それも三体。
何が起こった、そうケーリィムを睨む。彼女の手には血に濡れた手袋がある。
「魔物は小さいですもの、三体ぐらい袖に入りますわ。手袋も回収しないでよく勝った気でいられましたわね!」
ケーリィムが高らかと笑う。マモンは唇を噛み締め、まずはヒカに駆け寄る。
ナイフでヒカを縛っている布を切る。それを彼女の手首に添え、血を拭く。
怪我の回復でほとんど魔素を使ってしまった。それでも身体中からかき集めてマモンは魔法を発動、傷つけられた手首を治す。
「マ――」
「いいかヒカ。僕が道を開くから君は扉蹴り飛ばして逃げろ」
三体の魔物の方へ目を向け、どうヒカを連れていくか考える。
棘がついた茎に覆われている薔薇の魔物。
真っ赤な花を咲かせる魔物。
キノコが束になっていて、見上げるほど大きな魔物。
薔薇の魔物が、その棘でケーリィムの氷を削る。そして脱出してしまった。
「うっわぁ、無理ゲー」
最早笑うしかない。
魔物三体と魔法を使うケーリィム。対してマモン。魔法はもう使えないし、体もいつまで持つかわからない。
振り出しに戻った――いいやそれ以上に酷い。
「まってマモン、マモン!」
走り出すマモンの腕をヒカが掴む。相変わらずの怪力で、逆らえない。
「私の血をかけたらあのバケモノ、消えちゃうんでしょ!」
「だったらなんだよ」
ヒカはその真っ白な腕を差し出す。
「私の、とって」
「自分が何いってるのか、わかってんの」
何となく言われることを察していたマモン。凍った表情をヒカに向ける。
ヒカは一瞬怯えるものの、しかし朝空のように澄んだ瞳で強く見つめた。
ヒカの覚悟は決まっている。
「お願いマモン」
「無理、なんで僕が君のいうこと聞かなきゃなんないんだよ」
マモンはヒカから目を逸らした。
「ヒカ、さっきいった通りだ。全速力で走れ」
「無理、絶対に無理! あんなのマモンじゃ倒せない! 私は大丈夫だから、ねぇ、私の血を――」
「僕が欲しいのは若返りの薬だ。商品に傷がいって買い取られなかったらどうしてくれる。僕は依頼人から絞れるだけ絞りたいんだよ!」
「――」
ヒカが言葉を失う。
マモンの言葉を真に受けたのかそうでないのか、どちらでもいいだろう。
「ほら行け!」
走ってくれさえすればいい、そう彼は目の前の背中を叩く。
ヒカはつんのめってそのまま走り出した。
マモンは視線で床をなで、落とした鉈を探す。案外近くにあったソレを捉えると駆けよって拾った。
「止まりなさい魔女! ださせるわけないでしょう!」
ケーリィムの手から結晶が生まれ、ヒカの背を追いかける。
体から歪な音が響いている感覚。マモンは顔を歪めながら、力いっぱい床を蹴って腕を振り下ろす。
ガキン。結晶の軌道が逸れる。無事ヒカにはあたらず結晶は壁にめり込んだ。
ヒカの行く手を花の魔物が拒む。
方向転換、横腹が痛む。ぐぅ、と声を漏らしながらもマモンはヒカを追い越し、魔物へ斬りかかった。
茎を切り裂いて傷口に蹴りを入れてやる。
痛がれ、苦しめ、悶えろ! 怯め!
マモンの願い虚しく花の魔物は怯まない。痛覚はないようで、幾ら傷をつけても痛がる様子がない。
「くっそ!」
花の魔物に構いすぎている。危機感が背をなぞってヒカへ目を向ける。
キノコと薔薇がヒカに襲いかからんとしていた。
マモンも花の魔物は一旦素通り。
ヒカを襲う薔薇の茎。引きちぎらんとばかりに手を伸ばして、ヒカに届きそうなギリギリのところで斬る。
今度は巨大キノコがヒカに迫る。
届かない。瞬時に判断して落ちた薔薇の茎を蹴る。目の前で浮く茎を、マモンは鉈の腹でかっ飛ばした。
棘が刺さったキノコは怯む。その下をヒカはくぐり抜けた。
扉まで目前、そんな時視界が傾く。
「か、ぁ」
唾が口から漏れでる。花の魔物の茎がマモンを叩いていた。
風きり音、景色がマモンを追い抜き背に衝撃。壁に全身が叩きつけられる。
景色が止まる。同時に呼吸も押さえつけられたように止まる。明滅する視界、遠のく世界の音、体が壊れる音だけが鮮明に響いている。
全身の力が抜けて音も聞こえない。もう体も動かない。
扉に辿り着いたヒカは立ち尽くしている。力を込めてドアノブを掴んでいるのに、彼女の怪力をもってしても扉は微動だにしない。鍵でもかけられているように、完全に閉ざされている。
どうして。襲ってきた不安をかき消すようにマモンは考えた。
どうすればヒカを外に出せる。閉ざされた扉。魔物に攻撃を誘発させて扉を壊すか? いや、ヒカの怪力でも開かないようなら無理だ。
行き止まり、戻って他の道を探す。考える、行き止まり、戻って回り込んで。極小の勝ち筋を見逃すまいと探す、探す、考える。
頭の中で策を探し続ける。しかし手に取れるものはもう一つもない――。
出口もなければ迷路でもない一本道を、マモンは往復しているだけ。もはや思考すら空回る。
意識を扉へ戻す。幼い手が扉にしがみつき、掠れた声でなにかを叫んでいる。
白い髪が荒々しく揺れて、扉へ必死に訴えかけていた。
顔を歪ませたヒカの必死な叫びが耳鳴りによって塗りつぶされる。
視界を影が差したため見上げてみれば、ケーリィムがマモンを見下ろしていた。
邪悪な笑みを浮かべ、楽しむように手をたたいている。
鍵をかけたのはお前だよな――。
当たり前の答えを思う。
マモンは目を閉じた。
息を吸う、吐く、痛い、痛い。
時が凍ってしまったような静けさが心を腐してく。
それでもどこか諦めきれない自分がいて。
こんなとき、どうすればいいのだろう。強者ならどう考えるのだろう。
アイツなら、どうするのだろう。
「せぃ――だい」
こんなときに浮かんだ物。それがよりにもよってあの悪人面で、自分も焼きが回ったものだと、満更でもないながらにマモンは嘲笑った。
ドン。
振動が床から伝わってくる。ドン、ドン、ドン。それは勢いをまして腹の底に響きわたる。
その異常にマモンは目を開いた。ケーリィムも警戒を強めて扉を睨んでいる。異常の源は扉の外だ。
ドン、ドン、ドン、ドン。
「ヒ……カ、離れろ!」
マモンは反射的に叫んだ。ヒカは我に返ったように飛び退く。刹那、全ての音を追い越す衝撃が響く。
重く閉ざされていた扉が破られた。塗料の向こう側をむき出しにした木片が舞う。
誰もが呆然としている中、木材を踏み潰す足音が淡々と鳴る。
現れたのは、一人の男だった。
鋭い眼光と威風堂々とした立ち住まい、鞘に入った剣を担いで大股で歩く。
霞む世界に色がついてきて、その男を視界に捉えたマモンは、大きく息を吸って、目を見開いた。
「どこにもいないと思えば、こんなカビ臭い部屋におられましたか、レーヴェミフィリム夫人」
「あ、あなた、あなたは……」
震えるケーリィムに、男は重くゆっくりと答えた。
「騎士団第十部隊第十騎士団長、玫瑰秋 晟大」
まるで穏やかな川のように、洗練された動きで剣を抜く。骨ばった顎を引き、人相の悪い顔で睨んだ。
「通達通り、武力行使だ」
5.>>11