ダーク・ファンタジー小説
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.11 )
- 日時: 2024/12/18 07:06
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
5
晟大が踏み込む。重々しい体に相反し、弾き飛ばされたように飛び出した。
「守りなさい、守りなさいっ! 少しでも足止めをおやりなさいっ!」
ケーリィムが髪を乱して指示すれば、魔物三体が晟大へ襲いかかった。
二本の茎のムチ。キノコはその巨体で晟大へ飛ぶ。
晟大はバックステップ。キノコの着地点から飛び退いた。そして一本のムチを剣で斬る。もう一本、向かってくるムチに晟大は飛び乗った。
魔物。彼らは見上げるほどに大きく、茎の源も高くにある。晟大は茎を伝って上へとのぼり――ドスン。後ろの方でキノコが着地する。
彼は茎の主とは逆方向の、キノコの方へと大きく飛んだ。座り込むキノコの頭上、長剣を大きく振りかぶって――一閃。
着地した晟大の背後、キノコの真ん中に一つ線が生まれ、裂けた。中から緑の液体を流してキノコは倒れる。
「いや、いやっ! やめて、お母さん!」
甲高い悲鳴。マモンは視線を変えた。ケーリィムがヒカの腕を掴んでいる。
ワッ、と今までの疲れが吹き飛んだ感覚がして、マモンは勢いよく駆けだした。
ケーリィムの腕を振り払って、縮こまるヒカを守るように前へ出る。
体中が火照って、横腹の氷も溶け始めている。着実に体が壊れている最中、それでもヒカには触れさせまいとマモンは立ちはだかる。
――晟大なら、そうするのだ。
色のない、真っ白な無表情、それでも鬼の形相と呼ぶに相応しい顔でマモンは睨む。
「こんの、そこを、そごをどぎなざいっ!」
髪を掻きむしって叫ぶケーリィム。マモンは冷たい笑みで返した。
「あっは、なにいってんのかわかんないよ、オバサン」
「――ッ!」
肩が外れる勢いでケーリィムが手を掲げる。紫の結晶が現れ、その太さにマモンはゾッとする。体を貫かれたことがフラッシュバックした。
「今度は頭を潰して差し上げますわッ!」
「野蛮ですよ夫人」
唸るような中年の声。ケーリィムがハッと振り向き、マモンも奥の方へ視線を向け、目を見開いた。
真っ赤な花弁が宙を舞い、毒々しい液体が散乱する空間、あれほど猛威を奮っていた巨躯が見当たらない。視線を下に向けてみればあるのは切り刻まれた、魔物三体の残骸。
空っぽになっただだっ広い空間にポツンと、一人晟大が佇んでいる。
剣を軽く振るって鋼についた体液を飛ばす。疲れを感じさせない動作。何事もなかったかのように、晟大はその悪人面でケーリィムを睨んだ。
「なっ……」
マモンが思わず呻いた。ほんの一瞬、目を離した隙に全てが終わっていた。
マモン自身、一体を相手するにも死の淵を走っていたというのに。それが三体――晟大は汗一つ落とさず、日常の延長のように片付けてしまった。
その光景を目の当たりにしたケーリィムはブワッと毛が逆立ち、甲高い叫び声を上げる。共に晟大へ結晶を投げた。
魔法で作られた重々しい結晶は願い違わず晟大に迫り――割れた。いいや違う、晟大が斬ったのだ。
縦に割れた二つの結晶。狙いを失い飛んでいく。
「ひっ……!」
恐怖に顔を歪ませてケーリィムは一心不乱に結晶を生成、がむしゃらに投げる。が、全て晟大が斬ってしまう。
その隔絶した差に圧倒され、ケーリィムはついに戦意喪失。膝から崩れ落ちてしまった。
「ケーリィム・レーヴェミフィリム・フォン・チレアティ。貴殿を違法薬物の所持、製造、並びに公務執行妨害の容疑により拘束する」
「いや、いやぁ、まって、まって!」
晟大によって後ろで腕を縛られるケーリィム。さっきの威勢はどこへやら、情けない声で喚いている。
「そうよ、ねぇ、ねぇ白髪! マモンといったわね!」
助けを乞う視線がこちらへ向く。都合がいいものだとマモンは眉を顰めた。
「私を助けなさい!」
「どっかの誰かさんに腹貫かれた死に損ないが勝てると思う? コイツに」
「見返りなしとはいいませんのよ、アナタ、若返りの薬が欲しかったのでしょう?」
ケーリィムがこれから言うことを予感して、マモンはヒュッと息が止まる。
「私を救った暁には、ともに若返りの薬で商売をしましょう?」
ケーリィムの声は震えている。必死に笑みを取り繕うとしているが、涙で化粧が崩れているのも相まり、その表情は見るに堪えない。
「白髪で仕事もないからこんなことやってるのでしょう? まともに稼げていないのではないかしら」
自分の窮地を逃れたいがための出まかせだ。実に哀れで仕方がない、そう思いたいはずなのに。
ケーリィムの憶測は全て当っていて、マモンの眉間にシワがよる。
「若返りの薬を上手く使えば億万長者も夢ではありませんの、まだ間に合いますわ、マモン、私と共に行きましょう!」
ケーリィムは息を切らしながらマモンに手を伸ばした。
貴族としての気品もプライドも、先程の威勢も見るあともなく、目の前でしぶとく残っているのは浅ましさだ。
こんな口約束にのったって仕方がない。理性ではそう思っているはずなのに、マモンは断りきれず、ただ呆然と固まっている。
それを好機と思ったのだろう、ケーリィムはさらにまくし立てた。
「あなたはどうしてお金を求めていますの? 生きるため? 娯楽のため? 賭け事? 宝石?」
そのどれもにマモンは反応しない。
「あぁ、そう。なら誰かのためね? 家族かしら?」
「一番ありえない」
「ああ! そう、そうなのね! 家族のために稼いでますの、まあ素敵!」
「ち、違うって、勝手に話進めんなよ!」
「なら尚更安定して報酬が欲しいでしょう?」
「違うって!」
マモンの大きくなってゆく喚き声。彼に宿る焦りを見つけて、ケーリィムの笑みは深くなってゆく。
「ねぇ、マモン。私の元で働いてみない? 安定した報酬と、それから衣食住を提供することを誓いますわ。悪い話ではないでしょう?」
「――」
マモンは息を大きく吸って、今日一番、肺が痛む感覚がした。
宵賂事屋には常に依頼が舞い込んで来る訳じゃない。だからこそ毎度依頼人にふっかけているのだが、生活を整えられるほど稼いでる訳でもない。
けれどケーリィムの元で働けば?
安定した報酬と、さらに衣食住までついてくる。白髪である限り手に入らない全てが、ケーリィムによって与えられるのだ。
マモンは俯いて己の両手を見た。雪のように真っ白な手、小さな傷がいくつも刻まれ、ガタガタな爪。
自分の浅い呼吸音が鮮明に聞こえる。ふと顔を上げて目に入ったケーリィムは、笑みが深くなってゆく。
信用できるわけがないだろう、そう理性が訴えるが、掻き消されてしまう。
――金さえあれば。
足が前へ引っ張られる、腕が上がる、手を伸ばす。喉の苦い感覚を飲み込もうとした、そのとき。
「……マモン」
体が止まった。瞳孔を震わせながらマモンは振り返る。
ヒカが不安げに彼のマントを掴んでいる。
薄暗い無機質な部屋で、朝空のような瞳がマモンを刺していた。
逃げるように目を逸らして前を向くと、ケーリィムを縛る晟大と目が合った。
マモンは眉間にシワをよせた。舌打ちをし手で顔を覆う。そして大きなため息を吐いた。
「ねぇ、マ――」
「悪いけど」
最後のひと押しを試みたケーリィムの声がマモンによって遮られる。
「君のその手には――乗れない」
ぎこちない声。顔を覆っている五本の指から紅い目が覗いた。シワがよったその瞳は、彼の葛藤を物語っている。
「どうして、悪い提案ではなかったはずでしょう、ねぇ、どうして! 答えなさいよ、ねぇ!」
ケーリィムは喉が割れるかのような絶叫を響かせた。
認めたくない現実を前に、ヒステリックな声を上げるケーリィム。マモンは覆っていた手を下ろす。肩の力を抜いて、膝まづく彼女に歩み寄った。
「だってさ」
マモンは目を細め、呟く。
「痛いだろ。血ぃ抜かれるの」
俯き、長い前髪で顔を隠しながら、マモンはボソッと零した。
痛いのは嫌だろう。ヒカが恐怖で震えるようすを思い返して、その思いがより一層強まる。
「――それだけのことで? 痛そうだからなんて、たったそれだけの感情で、あなたの家族を苦しめていいと!」
「それだけだよ。あまりにも非合理的でくっだらなくて滑稽でしょうもない、ただの共感」
「飾りにもならないお頭ですこと! 愚図ったらしい判断をして、後悔するわ!」
「君のいうとおり、まーじで損しかしないんだよな」
肩を竦めて呆れてみせる。それでも意思は変わらない。
頭上の晟大に目を移す。晟大の表情は部屋に入ったときから変わることなく、温度のない目でこちらを見下ろしている。
数年前のことだ。
廃墟のような屋敷に忍び込んで、初めて会った屋敷の主にコテンパンにされたあの日。
『一人は寂しい』
目の前の中年が、そう、ぶっきらぼうにオムライスを差し出したのだから。
「そんな損したがりに助けられて、僕の今はあってしまうんだよ」
まるで不服に思っているような言葉。しかしマモンは満更でもなかった。
「白髪の癖に、白髪の癖に……! どうして私は誰も、助けてくれませんでしたの……」
「運が悪かったね。少なくとも、今君を縛ってるオッサンに相談してりぁあなんか変わったんじぁゃないの」
ケーリィムは目を見開いて、細めて、「偉そうに……」と怨嗟を絞り出した。
一区切りついてマモンは鼻息を鳴らす。と、ドッと疲れが襲ってきて、マモンは座り込んだ。
「さて。色々聞きたいことがあるが」
晟大は今日初めて口調を砕いた。彼の目線の先、マモンもムスッとして言い返す。
「こっちのセリフなんですけどぉ。まず何からツッコめばいい? とりあえず、敬語使う君って気持ち悪いね」
「一番に言うことがそれか。その体たらくの割には元気そうだな」
晟大の視線が横腹に移って、マモンは痛いとこ突かれたと顔を歪ませる。
「これでも善戦した方だ。というか君の強さがおかしいんだけど!」
マモンは魔物の残骸に目を移す。もはや木くずの山で、あれがアクティブに戦闘していたとは思えない。
「なに、ちょっと剪定しただけだ」
「にしては原型がないな。形整えるどころか本体までガッツリ斬っちゃってるんだよ」
「じゃあ処した」
「そうだけどな!? じゃあってなんだよ、てかそういう話じゃねーの!」
マイペースな晟大に頭を抱えつつ、マモンは声色を低くする。
「君、騎士団だったの。しかも団長」
騎士団、それはこの世界における治安維持組織。
マモンは眉間にシワをよせる。方足を一歩下げ、警戒態勢で晟大を睨んだ。
宵賂事屋が請け負う依頼は、決して陽のあたる場所で語られるものではない。端的にいえば犯罪代行。
貴族の屋敷に侵入しているマモンは処罰対象だ。
そもそも白髪である彼にとっては犯罪以前の話なのだが。
マモンにとって騎士団とは天敵のような存在なのだ。
その組織の団長が、今まさに目の前にいる。しかも規格外に強い。
本調子のマモンでさえ敵わない相手を今相手にすれば――。
したくもない想像にマモンは顔を歪め、晟大を見る。
晟大はじっとマモンを見つめる。表情はピクリとも動かず何を考えているのか読めない。
その不気味さが胸にじわりと嫌な重みを落とす。
「そうだが、なんだ」
晟大の肯定に、マモンの肺がビリッと傷んだ。
どこぞの闇組織のボスかと思っていたが、まさか正反対である騎士団の幹部なんて思うまい。
身近な人物が敵になり得るのであれば、マモンの生活基盤がすべてひっくり返ってしまう。
宵賂事屋の事務所は晟大から借りている部屋だし、今まで請け負ってきた依頼内容も一部透けている。
そんな人物が騎士団として、マモンを取り締まろうとしてきたら。今まで築き上げてきたものが全てパーである。
「目の前の白髪が絶賛犯罪中、何もなくはないでしょ」
冷静を装っているつもりだったが、いざ言葉にすると声が震えてしまう。
そんなマモンを見て晟大は肩を竦め、鼻息。
「今更が過ぎるだろう」
「それは僕も思ったけど……。至近距離に天敵がいるとなっちゃぁ警戒せざる追えないわけで」
「そもそも、宵賂事屋が始まって何年目だ」
しばらく沈黙してマモンは答える。
「三年」
「ワタシは三年見逃していることになる」
「そっ、そーなるけど……」
「まさか怖気付いたか?」
今までの機械的な表情が一変、晟大が挑戦的な笑みを浮かべたもので、マモンは思わずムッと言い返す。
「まさか」
会話の調子がいつものものになってなんとなく安心する。
晟大はマモンを捕らえる気がないらしい。しかし何故。
騎士団長なんて肩書きの人物が目の前の犯罪者を野放しにしていい訳がない。怪訝なマモンが何かいう前に晟大が口を開いた。
「ワタシの所属する第十団は表沙汰にできない案件を扱う、まあ特殊部隊みたいなものだ。ちゃちな違反に構っている暇はない」
「ああ、だから」
晟大はここに来たのか。マモンは心の中で続けた。
若返りの薬なんて危険薬物は表沙汰にできない。しかし放っておくにはあまりにも危険すぎる代物。だから第十団と、その団長がわざわざここへ来たのだろう。
「けど白髪はどーなのよ。表沙汰にできないし、下手したら若返りの薬よりも厄介案件よ?」
「それは、だな」
晟大が珍しく目を泳がせる。剣の鞘で地面をカンカンと鳴らし回答に迷う。
「……命令されてない」
明後日の方向を向く晟大に、ブハッとマモンは吹き出した。
「ダッハハッ! もしや君、思ったより悪い子だな?」
「やめろ。中年に“子”は、なんだ、その。厳しい」
「僕も言ったあとに思ったよ」
湧き出る笑いを堪え、あーあと長いため息を吐いた。
これで対処すべき脅威は去ったと、マモンは肩の力を抜いて、改めて晟大に目を向ける。
「だが」
マモンが息を止めた。晟大の重々しいたった二音で毛が逆だった。マモンは身構える。
「そっちの白髪は別だ」
晟大の視線を追って、不安げな顔のヒカを見た。
「なんで、僕も同じ白髪だぞ」
「しかし今回の一件、原因はレーヴェミフィリム夫人だが源は、その白髪だろう」
ひ、とヒカが悲鳴を漏らして、マモンは彼女を守るように立つ。
「んや? この子は突然生まれたただの白髪。若返りの薬とは無関係だ」
違う、とヒカが言いかけたのでマモンが睨んで制す。ヒカは気圧され、戸惑いながらも、マモンの意図を汲み取って口を閉じてくれた。
しかし、床に這いつくばるケーリィムがクツクツと笑う。
「それを私の前で言いまして?」
「黙れ」
マモンの鋭い拒絶にケーリィムの笑いが高まる。
今のケーリィムは為す術がもうないからか、何をするにも躊躇がないように思えた。
マモンは向けられた嘲笑にゾッとする。彼の瞳から恐怖の色を感じ取ったのであろう。ケーリィムは活き活きと語り始めた。
「ええ、若返りの薬の源はこの魔女! 血を希釈すれば、腕の一本なんて簡単に生えるぐらい強力な薬ができますの! 希釈度合いを調整すれば寿命を伸ばす薬にも万能薬にもできる! ええ、全てはこの魔女による恩恵ですの!」
「――お前」
ベラベラと全てを語ったケーリィム。ここまで赤裸々とされてはマモンも隠し通せない。
「何をそんなに焦った顔をしておりますの? マモン」
「怒ってんだよ」
マモンの返しにケーリィムは大きく笑った。
「あらぁ! それは悪いことをしましたわぁ! でも、どっちみち嘘は通りませんでしたわよ?」
床で芋虫のようにウネウネ這いつくばるケーリィム。マモンは頭が爆発するかのような怒りに襲われ、それがケーリィムの思うツボであることも分かって、更に頭が熱せられる。
「第十団の団長が、鬼の存在を知らないはずはないでしょう? そしてその血の性質も。端から茶番でしたのよ!」
「――あっそ」
唸るようにマモンはこぼして、ケーリィムに歩み寄る。化粧で汚くなった顔面とボサボサの紫髪。
ケタケタと笑う浅ましいその顔面目がけて、マモンは足蹴りを――
「マモン」
剣鞘が彼の足を止めた。長い前髪の隙間から、ギロッとマモンは晟大を睨む。
「何」
「女性は丁重に扱え」
「ほっ、ざけ!」
ヒートアップするマモンに対して、晟大は置物のように微動だにしない。
破顔しているマモンをただジッと見つめる。晟大との温度差を覚えたマモンは、悔しそうに顔を歪めながらも、ケーリィムへ向けた足を下げた。
「ていちょうに、してくれるのですか?」
そう前へ踏み出したのは後ろに隠れていたヒカだった。言い慣れない言葉をたどたどしく復唱して、ヒカは晟大へ視線を向ける。
彼の悪人面を向けられ、一瞬肩を震わすもヒカは下がらなかった。
「約束しよう」
晟大の優しい声色に、ヒカは安堵したように息を吐いた。
「では、私を捕まえてしまってください」
「ヒカ」
マモンの威嚇に等しい呼び声。ヒカは怯え、しかし「なに、マモン」と返す。声は震えていてぎこちない。
なんで返すんだよ。と、マモンはヒカの勇気に怯んでしまう。
6.>>12