ダーク・ファンタジー小説

Re: 《宵賂事屋》 ( No.12 )
日時: 2024/12/18 07:08
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)


 6

「あっははっ! バカな子! 白髪が丁重にされる訳がないのに! まあ、逃げることももうできませんものね!」
「そうだな」
 床から割り込んできたケーリィムに、晟大は賛同してしまう。
 どこまでも意地汚いケーリィムだが、それでも彼女はヒカの母親であった。
 ヒカはギュッと服の裾をつかみ、唇を噛み、母の心ない高笑いに涙を堪えた。
 ブチブチブチ、と堪忍袋の緒の束が一気にちぎれる感覚が、マモンの中で激しく鳴った。
「ケーリ――」
「失礼」
 マモンが名を呼びかけ、それを晟大が遮った。
 晟大は鞘に収めた剣でケーリィムの後頭部を正確に打撃した。
 途端にケーリィムは脱力し、姦しい声がパタリと止んだ。気絶したらしい。
「……女性は丁重に扱わなきゃなんないんじゃないの」
「丁重に眠ってもらった」
 打撃は丁重じゃないだろう、と言いかけてマモンは口をつむぐ。それどころじゃないのだ。
「では、ワタシは仕事に戻る。君、名前は」
 晟大がしゃがみこんで名を聞く。
「……ヒカ」
「ではヒカ。一緒に来てもらいたい」
 晟大が、その骨ばった手を差し伸べる。ヒカは一度ギュ、と目をつぶって、ゆっくり開いて。震えながらも決意のままに、その小さな手を伸ばした。
「あのさ」
 と、マモンがヒカに手を重ね、止める。二人の視線がマモンに集中するが、マモンは目を泳がせるばかりで何もいわない。
「えっと、マモ――」
「あのさ!」
 ヒカの声を遮るように、マモンが大声で繰り返した。
「化け狸って、魔物が、その。いてさ」
「えっ?」
 ヒカの戸惑いをよそにマモンは話を続ける。
「体に魔石――魔素が詰まった石が生える時期があって、採れるんだってさ」
「……え?」
 ヒカの戸惑いがより一層強まる。しかしマモンは止まらない。
「大陸の間にある海はさ、流れが強すぎるのと、凶暴な魔物が多く生息するから船で渡れないんだ」
「えっと」
「だからその地下にある世界最大の迷宮を使って移動してて、迷宮には鉄道も通ってるんだ」
 マモンの意味不明な言動。しかし彼の聞いて欲しいという熱量だけは伝わったらしく、戸惑いの表情を消して、ヒカはジッとマモンを見つめた。
「あと、世界の果てにはでっかい氷の壁があるらしい。絶対に溶けないし、壊れても再生するから、誰も向こうにはいけない、って」
「うん」
「えっと、年に一度、世界中ででっかい祭りがあるんだ。月白祭っていって、白の魔女との争いが終わったことを祝う、らしい」
「そうなんだ」
 ヒカはマモンの話に思いを馳せ、笑みをこぼした。しかし今生では見ることができない景色の話に、ヒカは俯き、寂しそうな色を覗かせた。
「最後に、教えてくれてありがとう。マモン」
 ゆっくりと顔を上げたヒカ。眉を少し下げながらも、優しい笑みが広がっている。
 マモンは目を見開き、驚き。そうじゃないと表情を歪ませる。
「違う、じゃん!」
 キョトンと首を傾げるヒカ。
 自分の気持ちが伝わらないもどかしさと、けれど口にはだしたくない意地がせめぎ合って、マモンは視線で晟大に助けを求める。
 晟大は冷ややかにマモンを見下ろしている。この場で助けを乞うことそのものを責められている気がして、マモンは髪を掻きむしる。
「だ、だからさぁ! そんな顔する、ならさぁ!」
 指に引っかかった毛を払って、視線を泳がせて、息を止めて。意地の隙間から顔をだして、マモンはヒカと視線を合わせる。
「行きたくないって、いえよ……」
 ヒカは呆然とマモンを見つめ返した。
「君が、君が晟大と行きたくないっていったら、僕はっ、僕はさぁ、動けるんだよ! 行きたくないって、そういえよ! 外に行きたいっていえよ……!」
 頭を降って身を捩らせて、マモンは訴えた。
「違うから、僕が君を連れ出したいとかじゃっ、そんなんじゃないから! 僕は宵賂事屋だから! 客を逃がしたくないだけだからっ! そう!」
 誰もなにもいっていないのにマモンは言い訳を始める。
「どっち道依頼は失敗。だから僕は仕事が欲しいわけで……」
 声はだんだん萎んでゆき、最後にはマモン自身も聞こえなくなるほどか細いものとなった。
 回答に迷って、ヒカは助けを乞うように晟大を見た。
「仮に逃げたとして、第十団は逃がすつもりはない」
 僅かな希望をかき消すような晟大の言葉。ヒカは「そうですよね」と苦笑し、俯く。
「まあ」
 あさっての方向を向いて晟大は続ける。
「ワタシはここ数日激務が続いていて、二日ほど睡眠をとっていない」
 晟大のカミングアウトに戸惑って、ヒカは首をかしげる。
「だから、なんだ。早く寝たい」
「そ、そうですか……」
 結局意味がわからなかったヒカは、そう返す他ない。マモンは鼻息を吐いていう。
「要は見逃すってことだよ」
「えっ、どうして? ただ眠たいだけじゃ……」
「早く寝たい。早く仕事を終わらせたい。けど白髪が事件に絡んでいたとなれば、もっと仕事が増えてゆっくりできない。だから見逃しても仕方がないよなっていいたいの、コイツは」
「えっ、えぇ!?」
 にわかには信じ難いマモンの意訳、驚くヒカは訝しげに晟大を見る。
 晟大は否定も肯定もせず、ただ顔を背けて何もない壁を見つめている。
 マモンが「いった通りだろ?」とでもいいたげに片眉をあげて、ヒカは更に目を見開いた。
「で、どーすんの。依頼、すんの」
 不貞腐れながらマモンが聞く。
 ヒカはすぐに答えられず、口を開いては閉じて、黙って。不安げな顔で尋ねる。
「外は、暖かい?」
「知らん」
 冷淡な声が返ってくる。
「まあ、少なくとも本物の暖炉はあるよ」
 朝空のような瞳は、パッと曇りが晴れて潤いが満たされる。
「行く、行きたい、行きたい! 宵賂事屋、連れてって!」
 高鳴る声と共に、ヒカは念押するように何度も何度も口にする。
 期待以上の反応に自然と口角があがる。それを悟られぬよう、マモンは慌てて口に手を当て、
「まいどあり」
 そうニヤリと、笑みの意図を逸らした。
「して、マモン。先の通り、第十団は白髪を逃すつもりはない。生半可な考えでは逃げられないぞ」
「えっ」
 ヒカが不安げに晟大を見上げる。
「だろうね。皆が皆白髪を見逃してちゃぁこっちが心配になるよ」
 マモンは片目をつぶり、皮肉まじりに笑った。ヒカはみるみる間に不安げな顔となり、「大丈夫なの?」と震える。
「さぁ、どーだろう。晟大、朝まであとどれぐらい?」
 マモンが軽い調子で晟大に尋ねる。飄々とした彼の態度がかえってヒカの不安を煽る。
「もう日が昇っていてもおかしくない頃合だ」
「よし、じゃあいこうかヒカ」
「え、ちょっ、ちょっと待っ」
 動揺した声が漏れる。しかしマモンが陽のようにふわりと笑って、らしくない彼にヒカは息を呑む。
 マモンは彼女の手をぎゅっと手を握って、
「暖かいもの、見に行こう!」
 自信たっぷりな、爽快な声を響かせた。
 ◇
 晟大が壊した扉から二人は駆け上がり、これまた彼が壊したのであろう壁から廊下へでる。
 窓からは立地的に光が入らないようになっている。しかし薄明るい景色から陽が登り始めていることが分かった。
 角を曲がると――
「白っ……!」
 男二人が。道を守っていたようにも見えた二人は、守るべき方向からの足音に振り向き、いち早くマモンの白髪に目がいく。
 その道の先にもまばらに人がいる。みな用心棒とは違う制服を着ていて、騎士団員かとマモンは思う。
 ヒカがヒッ、と声を上げた。振り向くと顔が強ばり手から震えが伝わってくる。
 吸血鬼ということもあってか走るのが速いが、持久力はないようで、悲鳴のような呼吸音が聞こえてくる。
「歯ぁ噛めよっ!」
 マモンは叫ぶとヒカの足を引っかけ、横に抱いて走った。
 ヒカが驚いて目を白黒させるが、今は彼女に気遣ってやれる余裕がない。悪く思うな、そうマモンは前を向く。
 騎士団は一瞬マモンらの白髪に怯むが、それがなんだと雄叫びをあげて剣を掲げ、一斉にマモンを追いかける。
 晟大が特殊部隊と呼ぶだけはあって、彼らは白髪に怯えるどころか気迫を増している。
 流石のマモンもこれには冷や汗。更に今のマモンは怪我を負っていて思うように走れない。
「腹だ! 氷の腹を狙え!」
 騎士団もいち早くそれに気付く。マモンは眉間にシワをよせた。
 身軽なマモンにとって屋敷の廊下は庭のようなもの。狭い空間を駆け回って相手を錯乱させる。そんな彼に今まで追いつけたものはいない。
 だが今回は訳が違う。
 相手は数々の危地を潜り抜けたのだろう騎士団だ。マモンの動き程度に惑わされなかった。
 足元を潜り抜けよう物なら上から剣が刺す。飛ぼうものなら飛び先に刃がまっている。剣の腹を背で転がるように飛びよけ、しかし着地点には剣を構える者が。
「――ッ!」
 かわせない。魔法は。使えない。受けるほかない。
 ガシャン。割れたような音がする。
 薄い光、反射する氷、廊下に飛び散る光。
 氷で塞いでいた傷口を剣が叩いた。
 肉を抉られるような痛み。衝撃。マモンは歯を食いしばる。
 ――ヒカを傷つけるわけには行かない。
 ふと浮かび、マモンは衝撃に身を任せる。そのまま体を捻って一回転。壁に足をつけて床へ着地。体制を整え直した。
 騎士団の完璧なまでの即興な連携。狙ってくるのも無防備な空中だ。
『生半可な考えでは逃げられないぞ』
 さっきの晟大の言葉が浮かぶ。
「分かってた、けどさっ!」
 ここまでとは思うまい。一先ずは群れを抜けた。しかし足音は数を増やし追いかけてくる。
 先程は群れといえど少人数であったから助かった。しかしこの足音全てに追いつかれれば――。マモンは唇を噛む。
 幸いは腹を狙ってくれたことだろうか。抉れた肉を塞いでいる氷。それが盾となってくれた。
 だが次はこうもいかない。今度の相手は別の急所を突いてくるだろう。
 今までの相手とは訳が違う。
 逃げられるのだろうか。一抹の不安が浮かぶ。逃げられなければ、どうなる。捕まったら何をされるのだろう。何を言われるのだろう。宵賂事屋はどうなるのだろう。いつもなら湧き出ることのない恐怖。しかし今日は別だ。
 致命傷になりかねない怪我。追いかけてくるのは国家機関。今まで以上に強い敵の数々。
 ドッドッドッドッ、ドッドッドッ。
 心臓の音。呼吸。喉のヒリつき。焦燥感が食道を圧迫する感覚。
 と、肌から伝わる脈動。マモンはハッと下に顔を向けた。
 ヒカがギュッと目をつぶって不安げに、しかし力強くマモンにしがみついていた。
「ぁ」
 マモンは息を吐いた。
 吐いて、吸って、わんわんと響く足音を噛み締めて、前を向く。
 絶対に離してはならない。足を止めてはならない。そうマモンは強く、強く床を蹴る。
 だって、可哀想だろう。
 適当な命名に目を輝かせるアホ。泥棒に心を許す愚図。本を破かれた程度で泣く泣き虫。そして、自分の血を差し出せてしまうお人好しなバカさ加減が――だれに知られることもないなんて。
「周りこめ! 前と後ろ、横からも挟め!」
「白髪に壁を走らせるな! 走らせるぐらいなら叩きつけろ!」
 前からも騎士団がやってくる。目的の部屋まであと少し。一息で越えてやろう。
 郡勢とぶつかる前に、マモンは勢いそのまま壁を駆けた。すかさず騎士団がマモンの下に潜り込む。剣を掲げ進路を妨げた。まってましたといわんばかりに今度のマモンはぐるりと天井へ。
 天井までは剣も届くまい。しかしマモンも長くはいられない。体をそらし道の角を曲がる。誰もいないその先でやっと着地した。
「よし!」
 騎士団の喜び。それもそう。この先は行き止まりだ。きっと彼らの作戦のうちだったのだろう。追いかけてくる足音も緩やかになってゆく。
 マモンはスピードを緩めることなく駆ける。
 静かになったからかヒカが顔を上げ、呟く。
「あ、ここ、知ってる」
 息をするのも苦しい中。マモンはなんとか声を出した。
「うん、君の、部屋」
 一番奥、開きっぱなしの扉へマモンは飛ぶように入り、バタンと閉じた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、きっつー!」
 マモンは扉にもたれかかり、ズルズルと座り込んだ。ヒカはマモンの足の間に座り込むことになり、申し訳なさそうにどいて、ギョッとする。
「こんな、酷い傷だったの? 体も細くて、骨が透けてる……」
 ヒカがまじまじとマモンの体をみて顔を歪める。そういえばずっと月夜の下でしか会っていなかったな、とマモンは思い出す。
「肋が、浮き、出てるのは、元々だ……」
 ハイテンポな呼吸をゴクンと、一呑みし、はぁっと大きく息を吐いて、整える。
 マモンはゆっくり部屋を見渡した。
 証拠隠滅のためピカピカにしたマントルピース。本棚と、椅子は丸々一つなくなっている。部屋の隅に視線を向けると日陰で、カーテンだったボロ布が敷いてある。
「マモン、もしかして窓から飛び降りるの?」
「うーん、惜しい。三マモンポイント」
「えっ、なにそれ?」
「特に意味はない」
 ヒカは目を見開き、顔を歪ませる。不安を煽られたらしいヒカは泣き声混じりに訴えた。
「そういう、大事なときにふざけるの、よくない……!」
「ふざけてないよ。通常運転だ」
「いつもからふざけてるの! 騎士団の人が来るよ!」
「そー急かさんな、お嬢様」
 焦るヒカとは対象に、マモンはマイペースに会話を返す。部屋の隅にあるボロ布を捲り上げ、よしと言葉をこぼす。
「ねぇ、ねぇマモン!」
 足音が大きくなってゆく。ヒカが泣きそうな顔でマモンにしがみつく。それは裏切られそうな期待への不安であり、マモンはチクッと罪悪感を覚える。
「大丈夫だから、こういうときこそ冷静になるべきなんだよ」
「マモンは冷静なんじゃなくて、いつもと同じなだけでしょ!」
 いつも冷静ってこと? といつものように返しそうになるが、それこそヒカの言う通りになってしまうからとマモンは口を紡ぐ。
「で、だ。こっからどー逃げるかだけど」
「話、逸らさないでよ!」
「ごめんって、真面目にやるから」
 ずっと真面目ではあったんだけど。マモンはこれも心に閉まって、窓の外を見た。
「窓から飛び降りるのは君の言う通り、けどそれじゃあダメだ」
「……どうして?」
「あの騎士団強いし賢いし、僕と一緒に窓から飛び降りてきそうなんだもん」
「えっ、逃げられるの?」
「無理。本調子の僕なら可能性あったけど、さすがに今はね」
 マモンはお手上げ、と両手をあげて自嘲気味に笑う。
「ど、どうするの? もう逃げられないの? 外に連れてってくれるって言ったじゃん!」
「うん、連れてくよ」
「どうやって!」
 叫ぶヒカ。ついには涙が零れ落ちはじめてしまった。マモンは調子を変えないままマントを脱いで、ヒカに被せる。
 いつもの、色のないマモンの表情。飄々としていて掴みどころがなく、何を考えているか分からない。
 ただマモンは開けっ放しの窓の外を見て、落ち着いて話す。
「今日騎士団から逃げたって、生きてる限り明日、明後日と僕らは探される。そうなれば宵賂事屋もやってられなくなる」
「――え」
「一筋縄ではいかない。分かってたつもりだったんだけどな、ここまでとは」
 まるでここで終わりのような、そんなマモンの言葉に、ヒカは呆然とする。マモン。そう彼女が呼びかけたとき、カッと強い光に照らされて二人は目を細めた。
 陽が登る。
 薄い空はみるみる濃くなって、朝焼けが遠く向こうへ消えていく。ヒカは思わずマントを頭から被った。白髪は光に弱い。ヒカも例外ではない。
「朝って好きじゃないんだよね。明るいのに月がでてるんだよ?」
 意図が分からないマモンの言葉。ヒカは黙っている。光がでてるから動きたくないのか、マモンに失望して、もう口も聞きたくないのか。
「月は嫌いだ」
「……私と同じこと、思わないで」
「君も月は嫌いか」
 マモンはフッと笑った。
「僕もだよ。だって――」
 ドン、と扉が叩かれた。何度もドン、ドンと叩かれ、音も次第に重くなる。騎士団員らが体当をしているらしい。
 元からあった魔法の鍵はかけておいた。しかし破られるのも時間の問題だ。
 それでもマイペースにマモンは背伸びして、縮こまるヒカにいった。
「んー! っと。さ、そろそろ行こうか!」
「行くって、どこに……?」
 マモンの緊張感のなさにヒカも変だと思ったらしく、チラッと顔を出した。
 マモンは部屋の隅にあったボロ布で、その下にあったものを包み込む。

 7.>>13