ダーク・ファンタジー小説

Re: 《宵賂事屋》 ( No.13 )
日時: 2024/12/18 07:11
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)


 7

「ヒカ、知ってる?」
「な、なに?」
「吸血鬼ってさ、陽にあたったら」
 朝日が一番照り込む窓の前。マモンは布の中身をそっと置き、無事床におけたことを確認するやいなや、布を勢いよく振り上げた。
「灰になって死ぬんだって!」
 舞い散る、舞い散る、舞い散る。
 白髪が空を反射して青く光る。そのマモンの顔。綺麗な唇が弧を描き、ゆるく目尻がさがり、積雪のようなまつげが揺れた。
 朝に溶けてしまいそうな彼を、ヒカはどうすることもできずぼうっと眺める。
「一緒に死のうよ、ヒカ!」
 扉の向こうに聞こえてしまいそうなほど、高らかとマモンが叫ぶ。
 それは朝空のような爽やかさで、未練などまるで感じさせない。
 陽にあたって真っ赤な頬と共に、マモンは目を細め、笑い、手を伸ばした。
 ◇
 扉が壊れ、騎士団が一斉に部屋へなだれ込む。かろうじて繊維でつながった木片が、踏まれ、ちぎられ、ギィギィと悲鳴をあげるのもつかの間、ピタリと音が止んだ。
 ともに団員たちのどよめきが広がって、徐々に戸惑いの声となる。
「逃げたのか?」
「窓から飛び降りたんじゃ?」
「ではこれはなんなんだ」
「死んだってことですか?」
「そんな訳が――いや、しかしな」
 数々の声が飛び交う。しかし考えはまとまらないまま、戸惑いが戸惑いを呼んでいた。
「状況は」
 一つ、一際重く響く声が放たれ、場は水を打ったようにしんと静まり返った。
 一人の男が現れる。団員は機敏な動きで、人で敷き詰められた空間に道を作った。
「は! この部屋に二匹の鬼を追い詰めたところ、行方を暗ましました」
「逃がしたのか?」
「私たちでは判断し難い状況であります。団長は、どうお考えでしょうか」
 男――晟大は、部屋の様子にその目を細めた。
 薄汚いカーペットと今にも崩れそうな家具たちと、開け放たれた窓。
 舞い散る。
 色彩薄い朝に降り注ぐ。
 舞い散る、舞い散る。
 雪のように、しかし雪より軽く、汚く。
 舞い散る、舞い散る、舞い散る。
 それは光に照らされ、静かに空気を漂っている。
 晟大が歩み寄ると、それはふわりと、円を描くように舞った。
「――灰だな」
 晟大の呟きに、団長の一人はえぇと返す。
「部屋に入ったときにはもうこの状態で――」
「みなは何故、判断を迷っている」
 その問いに団員たちは顔を見合わせる。おずおずと一人の団員が前へ出た。
「鬼が逃げたのか、灰となって死んだのか判断し兼ねておりました」
「ほう。確かに、鬼は陽の光に弱いといわれているが……。この灰が鬼のものと決まった訳ではないだろう」
「それが……。扉を破る直前に、鬼がまるで心中を図っているかのような事をいっておりまして」
「何といっていたんだ」
「『一緒に死のう』と」
「……そうか」
 晟大は外を眺める。空はすっかり濃い青だ。冷たい風が吹き、灰が飛び散る。
 団員らは晟大の動向にゴクリと息を呑む。しばらくの沈黙の後、晟大は一つ息を吐く。
「みな、よく聞け」
 張った声とともに振り返り、団員たちの背筋が伸びた。
「鬼は灰と共に消えた。よって、任務は終了となる! レーヴェミフィリム夫人は別の班が連行している。事後処理担当は直ちに持ち場につくよう。それ以外の奴は解散!」
 沈黙。しかし言葉の意味がジワジワ広がり、場はワッと盛り上がった。
 ゾロゾロと人がはけていく中、一人の団員が晟大に声をかけた。
「団長、それは本当に、吸血鬼の灰なのでしょうか……?」
 晟大はジロリと団員を見る。しかしすぐ目を逸らし、遠くの方をぼうっと眺めた。
「ワタシの判断が間違っていると?」
「とんでもない」
「なら早く帰れ。処理班の邪魔になる」
 団員は怯えつつ、敬礼をしてそそくさと去っていってしまった。
 部屋に誰もいなくなったところで、晟大はフンと鼻息。灰の中に足を突っ込んだ。ぼき、ばきと壊れる音。完全に燃えていなかった木を、晟大は足ですり潰す。
「詰めが甘い」
 そう晟大は足を払い、部屋を後にした。
 
 ――朝の陽が、あたる下でその灰は散る。
 
 ◇
「あっはははっ!」
 雲ひとつない、濃い青が広がる空。蜃気楼のような淡い白が、屋根から屋根へと飛び移る。
「僕ら死んじゃったね! あっははは!」
 マモンが楽しそうにピョン、ピョンとジャンプする。そんな彼の腕にはマントに包まれたヒカが。ヒカは白昼夢でも見ているように呆然としている。しばらくしてハッと我に返り、不満を訴えた。
「何アレ! どういうことなの、説明して!」
「簡単だよ。前に僕が部屋に火をつけたことあったじゃん?」
「私の本を燃やした……」
「ごめんって……。で、ケーリィムに火の後が見つかれば不味いから、魔法で証拠隠滅したんだよ。煙とか臭いとかね。けど灰は処理に困ってさー。見つからないことを願って部屋の隅に隠してたって訳。あ、ちゃんと今日回収するつもりだったよ?」
「その灰を使って……?」
「うん。吸血鬼は陽にあたったら灰になってる死ぬって本で読んだから、騙されるかなーって思ってやってみたら本当に騙されちゃったよ」
 アホだよねー! とマモンはケタケタ笑う。まるでイタズラに成功した子供のようだ。
「アホ、なの? どうして?」
「うん。だって吸血鬼は陽に当たっても死なないもん」
「そうなの!? なんで!」
「いや、普通に考えてありえないでしょ。陽に当たって灰になるとか」
「え、え……?」
 マモンが急に当たり前の事をいうため、ヒカは返答に困ってしまった。
「昔からある迷信だよ。白髪が陽に弱いのは事実だから、そっから広がったのかもね。もしくは、誰かさんが創作話を広げちゃった、とか」
「マモンは? 陽の光は平気なの?」
「いや? 全然。帰ったら水膨れすごいと思うよ」
「だ、大丈夫じゃないじゃん!」
「腹えぐれてるから今更今更」
「お腹、それ、治る?」
「治るよ。君の手首を治したみたいにね。さ、着いたよ。布とって。大丈夫だから」
 マモンが降ろすと、ヒカはおそるおそるマントから顔を出した。
「あ、頭はあんまださないでね……」
 シーッとジェスチャーをするマモン。彼はヒカの目の色とおなじ、薄い青色のカツラを被っていた。片方の目は眼帯で隠している。
 ヒカは髪をださないようにマントを被って、周囲を見渡す。
 明るく、眩しい。しかし日差しは強くない。
 そこは露店街で、店の庇が場所を奪い合うように通りを埋めつくしていた。
 香辛料や焼き菓子の匂いが、喧騒とともに鼻をくすぐる。人と肩をすれ違わせるほどの混雑ぶりで、争いの声もまちまち聞こえる。
「ここは――」
「迷々街。で、ここは宵賂事屋」
 他と比べるとボロい、石造りの建物をマモンは指さした。彼は上の方を指していて、ヒカは見上げるが庇しか見えない。
 マモンは建物の脇にある階段をあがる。ヒカもついて行って、あがりきった先には扉があった。
「ねぇ、マモン。私、これからどうすればいいの……?」
 マモンが扉を開ける前、ヒカが不安げに呟いた。マモンはキョトンとした顔をしたのち、うーんと唸る。
「君も一応貴族だしなぁ。どーなるんだろ。君の父親次第じゃない?」
「父親……そんなの、本当にあるの?」
「うん、あるんだよ。父ないと君もないから」
 父親、とヒカは馴染みのない言葉を繰り返す。喜んでいる様子もなく、ただ不思議な感覚を確かめているようだった。
「騎士団、というか晟大がどう処理してくれるかによるね。ま、行く場所なかったらウチにこりゃあいいよ」
「ウチ?」
「宵賂事屋」
「……いいの?」
「条件はあるけどね」
「条件?」
 ヒカが小首を傾げる。うん、条件。とマモンはまた繰り返して、ズイッと手のひらを差し出した。
「依頼料。払って」
 マモンの唐突な要求。いつもなら戸惑うヒカだったが、
「……え!」
 今回ばかりは心当たりがあったのか、口に手を当てハッとしている。
 マモンが彼女を連れ出したのは依頼としてであり、ヒカは分かった上で頼んだのだから。
「外に連れ出すって依頼をこなしたんだからさぁ、相応の対価は払って貰わなきゃねぇ?」
「えっ、えっと、私、今なにももってなくて……。あ、ち! 血! 血!」
 ヒカがその真っ白な腕を差し出してきてマモンは面食らう。
「あ、ちょっとそれはいらないっていうか。あの、からかってるだけだから! そこまで真に受けないでくれない!?」
「対価払わなくていいの?」
「ちょっとウチ、ダイレクト血液決済は対応してなくてですね」
「それじゃあ、私、何もできないけど……」
 俯くヒカ。マモンはクスッと笑って
「そんなことないよ」
 とヒカの頬に手を添え、前を向かせた。ヒカは、他に何があるのかと目で訴える。
 マモンは微笑みで返し、そして宵賂事屋の扉を開けた。立て付けが悪く、ギィッ、ギィと悲鳴のような音が鳴る。
 石造りで無機質な部屋と汚い絨毯。大きな机と、それを挟むようにソファが置いてある。その片方には男が座っていた。
「おぉ! 遅いではないか、宵賂事屋!」
 小綺麗な服を着る男は、待ってましたといわんばかりに手を広げ、マモンを歓迎する。
 マモンは笑顔を貼り付けて何もいわない。
「報酬を上乗せしようと思ってな! 製造の主もついでに殺してはくれまいか! さすれば、若返りの薬は真に私のものとなり、この王都の経済を――」
「ヒカ」
 マモンの凛とした声が男の理想を遮った。笑みを消し、無表情。温度のない目で男を見て、
「対価はな――この男を追い出すことだよ!」
 男に襲いかかった。
「えっ、ちょっマモン?」
「何をする!」
「うるさい! 大人しく帰れ!」
「なんだと! 私は報酬の上乗せに来てやったというのに!」
「そんな金あったんなら前金を用意しておくんだったなァ!」
「マモンっ、私、どうしたら……」
「自慢の怪力でこの男を投げ飛ばせ!」
「キサマァ! 無礼にもほどがあるぞォ!」
「宵賂事屋に依頼するような奴に礼なんてねーわぁ!」
 街が目を覚ます朝。迷々街にはいつもと変わらず喧騒に包まれている。
 その日、初めて外に出た少女は世界に胸を踊らせた。そして、いい加減なマモンによって喧嘩に巻き込まれ、やっぱり不安になってしまった。
「も、もう若返りの薬は、ありませんからぁー!」
 ヒカは、不憫な外出デビューを果たすこととなってしまった。



     終