ダーク・ファンタジー小説

Re: 《宵賂事屋》 ( No.2 )
日時: 2024/10/09 22:18
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)

 一話


 1
 
 どっぷり沈んだ深海で、月光によって息をする。
 この窓を閉じてしまったら、自分は溶けてしまうだろう。そんな気がした。
 もっとも、そんなことがある訳ないのだが。
 喉奥から脈動する動悸と汗、全身に広がる緊張の痺れが、たかが暗闇に消えてくれるならそれ以上のことはない。
 雲の合間から差す僅かな月光を頼りに、彼はなにかを探している。

「あっ、た」

 呟く彼の手にはブレスレットがあった。大粒の艶やかな真珠が連なっている。
 傷一つもない。どれほど大事にしてきたのだろう。彼はそれを無造作に腰のポーチにしまった、その時。

「やめてぇ!」

 開けっ放しの戸から甲高い声が放たれる。寝間着姿の少女が息を切らしていた。

「それはっお祖母様の形見なんです! お金なら、いくらでも渡しますから! それだけは、それだけは……! おばあちゃんとの、思い出なんです……」

 振り絞った声で懇願して少女はへたれこんだ。少女の手は震え、ボタボタと涙がカーペットにシミを作る。
 彼は振り返った。少女の方へ歩み寄って彼はしゃがみこむ。
 彼は少女の顔を覗き込んで、大きな息を漏らし、何を期待したか少女は顔を上げる。

「――ひ」

 少女はソレを見て、足先からせり上がった冷気を声に漏らした。

「おばあちゃんの形見だったかぁ……」

 幼い声だった。柄も少女より一回り小さく細く弱々しい。
 少年は少女に近づいて涙を拭ってやる。恐怖で顔が歪んだ少女に少年は微笑んだ。

「それはごしゅーしょー様」

 少女の息は詰まり、涙も引っ込んでしまった。

「侵入者だあぁ‼︎」

 どこか遠くで男の叫び声が聞こえた。足音が一つ、二つと数をましていく。

「なーんでバレた? やっぱり玄関蹴破ったのが悪かったか」

 少年は機敏に立ち上がり風のように部屋を後にした。
 少女は呆然と彼を見送って、我に返って叫ぶ。

「イヤァァァ――‼︎」

 甲高い悲鳴が屋敷に響いた。
 応えるように、武器をもった衛兵たちが廊下を走る。
 少年は首のマントを頭巾のように深く被る。

「止まれぇ泥棒がぁっ!」

 少年の前から衛兵がやってくる。来た道を振り返ればその先にも衛兵が。挟まれている。

「貴族の屋敷に忍び込むなんて、命知らずもいいところだ」

 先頭の衛兵は半ば勝ちを確信していたようだった。そんな余裕も束の間、衛兵たちは足を止める。
 彼らの目の前から少年が消えた。
 いや暗闇に溶けたといった方が正しいか。
 衛兵たちはまるで狐につままれたような顔で見渡す。

「慌てるな、盗人の魔法だ!」

 一人の衛兵の声で彼らは我に返った。

「そんな、魔法の気配なんて全くしなかった」

「魔法使いのお前でも分からないのか。厄介なネズミらしい。二手に別れよう!」

 リーダーらしき男の股下を少年がくぐり抜けた。
 だが誰も少年に気が付かない。少年は当然だといわんばかりに走り抜けた。
 数々の衛兵が廊下を走っている。
 接触しないように。気づかれないように。少年は重量など忘れて壁を、天井を、窓を蹴った。
 衛兵たちはみな少年とすれ違う。
 さて、どう屋敷をでようか。少年は考えた。
 玄関は当然衛兵がいるだろう。ならば窓からだ。
 ふと斜め下の踊り場に視線がむく。大きなガラス張りの窓から庭の景色が見えた。
 階段にまで赤い絨毯を敷くものなのか。なんて感心しながら、少年は手すりに腰掛けて踊り場まで滑り落ちた。

「ナイフで割るのは時間がかかるなぁ。なら魔法か」

 少年の呟きと同時、独りでにガラスが割れた。
 派手な音とともに破片が降る。身軽な少年はひょいひょいっと窓までよじ登った。
 あとは脱出するだけだと、少年が窓枠に触れた途端、痛みが走る。
 少年は思わず手を離して破片の上に落ちた。窓枠に触れた手を見やると血が流れている。
 窓枠にガラスが残っていたらしい。油断した、と再び空を見上げたときだった。

「――」

 誰かが息を飲む音がした。
 少年が視線をやってみると、上の階で衛兵たちが呆然としていた。
 足をふるわせ、大きく口を開けて、皆その顔が恐怖に歪んでいる。
 ふと少年は首元に触れてみる。被っていたはずのマントが外れていた。
 衛兵の誰かが声を絞り出す。

「し、白っ――」

 風が吹いた。カーテンがたなびく激しい音だけが響き、冷たさが鼻奥にツンとくる。
 真っ黒な雲の合間から月光が差す。
 闇夜に似合わない、とにかく、とにかく白い人だった。
 あどけない顔に冷徹さを刻む白皙の少年。
 真っ白い睫毛に縁取られた瞳も白く、絹糸のような短髪がパラパラと浮かぶ。
 肋は透けて見え、身につけている服はボロ布同然でみすぼらしい。
 それをもってしても、人の繊細な部分を無造作にぶち抜いてしまうような、そして触れられないような理不尽な美があった。
 この世に存在してはならないものだと思わせる少年はまさに――。

「白の魔女っ」

 この世界に、白い髪も白い瞳も生まれない。
 カランカランと衛兵らは武器を落とす。逃げる意思も戦意も奪われて座り込んでしまった。
 少年は罰が悪そうに再びマントを被った。

「ソレ、この世界ができるずぅっーと前に封印されたヤツじゃん。人を、世界滅ぼした災厄にしないでくれん?」

 少年はベ、と舌を出し左の下まぶたを引っ張った。
 白い少年の中で唯一赤い、左の瞳が見開かれた。
 タンタンと壁を蹴って再び窓枠まで上がる。
 手から流れる血を舐めとって、そうだと少年は振り返る。

「マモン。魔女じゃないし女でもない。――君たちの欲を叶える、宵賂事屋のマモンだ」

 少年――マモンは色のない表情でそう告げると、黄色いマントをたなびかせ落ちてった。
 

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