ダーク・ファンタジー小説

Re: 《宵賂事屋》 ( No.7 )
日時: 2024/12/18 06:54
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)

二話 《陽下、灰は散る》

 1

 真っ暗な夜空。真っ暗な部屋。冷たい暖炉も闇に溶けている。
 暖炉の傍に腰掛ける少女は、感覚がない指先に息をふきかけた。白い息が広がる。何度も、何度も、何度も。
 ――暖かいものが欲しい。
 なんでもいい、なんでもいいのだ。
 体の芯から広がるような暖かくて、安心できる何かが欲しかった。
 本に書いてあった“すーぷ”とか“フトン”とか、そんな暖かいものが欲しい。
 けれど少女はそれがなんなのか想像ができない。
 写真なんて見たことがないし実物なんてもってのほかだ。
 少女は真っ赤な細い指で一冊の本を手に取った。読み込んだのであろう、くたびれている。
 窓からの光を頼りに少女はページをめくる。楽園を目指す男の御伽噺だった。
 誰よりも強く芯がありみんなの先頭を突っ走る男。そんな男にも弱点がある。一人は怖いことだ。
 仲間と手を取り合わないと脅威に立ち向かえないほど臆病であった。
『この手を握ってさえくれれば強く握り返すことを誓おう。誰か私の傍にいてくれ。一人は怖い。一人は寒い。貴殿らが、仲間がいると暖かい。光があるから前を向ける』
 少女は文章を視線でなぞって目を細める。
「“ナカマ”は、暖かい――」
 どれほど暖かいのだろう。指先が温まるのだろうか。足先の痛みがなくなるのだろうか。
 少女は思いを馳せる。
「光があるから前を向ける――」
 少女は窓の外に目を向けた。この部屋唯一の光源、月がぽかりと浮かんでいる。
 真っ黒な世界に真っ白な月。外に色なんてなくて冷たい、冷たい、冷たい。月の光も冷たくて、吸ったら喉がヒリついて痛い。
 光があるから、なんで前を向くのだろう。
 実際の光はこんなにも冷たいのに。中途半端に照らしてくれるぐらいなら、光なんてあってくれなくていいのに。
 バサリ。本が手から滑り落ちた。もう何かを掴む力がない。
「月なんて、大嫌い」
 濁った声をこぼしたって誰も気づきやしない。だって誰もいないんだもの。
 それが余計に悲しくて、耐え難くて、少女は膝に顔をうずめた。
 気付いて欲しい。この声を。
 知って欲しい。悲しいことを。
 ――私はここにいるって、誰か、教えて。

 ダン!

 遠くの方で物音がする。ただの家鳴りだろうと少女は意識を逸らす。
 タッタッタ。
 その家鳴りは激しさを増して近づいてくる。家鳴りにしては騒がしいと少女は顔を上げた。
「ひぃー! まずいまずい。あっ、この部屋鍵かかってんじゃん。魔法の鍵? 僕を誰だと思ってんだよ。こんな鍵なんてほほいのほい、よ!」
 弾むような声が静寂をビリビリに破り散らかす。共に扉が開かれる。
「おっ邪魔しっまぁ……すぅ……?」
 威勢よく入ってきた声の主は、少女を視界に捉えた瞬間萎れた声をだした。
 少女の心臓がドクンと痛いほどに跳ねる。
 月のように真っ白な髪、真っ白な瞳、真っ白な肌。片方の瞳だけ赤色で不気味さを増している。
 黄色のマントをたなびかせる少年――マモンは、間抜けな顔で呟いた。
「――白髪!?」
 少女。月光に染まったような真っ白な髪と白皙の肌。
 唯一色がある瞳も、申し訳程度に青が添えられたようなベビーブルーだ。
 真っ白な少女。対して、白い少年は声を失った。

 ◇

 若返りの薬。
 そんな馬鹿げたものがこの世にはあるらしい。
 色彩が失せた冬のある日、宵賂事屋を尋ねた依頼人の戯言だ。
 曰く、裏社会の一部で噂になっている代物だそうで。
 一滴でも口に含めば、たちまち傷は癒えて病も消え失せ、寿命すらも伸びるらしい。
 そういえば二年前、どんな病気もなんでも治す万能薬とか、なんかそんな凄いモノを探していたような気がする。
 マモンは逡巡して、思い出せそうにないからと諦めた。
 依頼人はお貴族様らしく、若返りの薬とそのレシピを欲していた。
 オカルトに興味がないマモンであったが、依頼人が思った以上に太っ腹で、金に目が眩んで思わず依頼を受けてしまった。
 マモンは主にマスターによる情報で薬の出処を掴み、諸々を盗むためにやってきた。
 まさかその出処が貴族の屋敷とはマモンも思っていなかったが、お屋敷への侵入は彼の得意分野である。むしろ都合がいい。
 そんなこんなでやってきた訳だが、初日の侵入で用心棒に見つかってしまった。
 別館にある奥の部屋にマモンは辛うじて逃げ込んだ訳だが――。
「ねずみぃ!」
 甲高い声とともに扉が開けられた。部屋にいた白髪の少女は大きな音に体を跳ねる。
 煌びやかな服をまとった紫髪の女性が鬼の形相でいる。
「おかぁさん……」
 少女のか細い言葉に女性はキッと睨みを利かせる。
「母親なんていわないで気色悪い!」
 ヒステリックな声に圧倒的された少女は身を縮める。
「魔女。ここに子供が来ていましたでしょう。お答えなさい」
 少女は魔女と呼ばれているらしい。女性から溢れ出るオーラが「嘘は許さない」と主張していた。少女は首を振って否定。
「チッ。こんな寒い部屋にくるわけありませんわね」
 言い残して、女性は大袈裟に扉を強く閉めて行ってしまった。
 扉の向こうから大人数の足音がする。さっきの女性の甲高い指示がいくつかしたあと、人の気配は遠のいて行った。
 ホッと息を吐く。天井に張り付いていたマモンはくるりと着地した。
「やー助かった助かった。この屋敷の用心棒、他んトコより手強くてさー。まさかこの僕が見つかるとは……」
 カラカラと笑うマモンを少女は困惑顔で見つめている。
 それもそうだろう。マモンは泥棒だ。匿ってはくれたものの好意的とは限らない。
 マモンは改めて少女をじっと見る。白い髪に白い肌、瞳だけは早朝の空のような薄い水色をしていた。
 耳の先が尖っていて先は真っ赤に染まっている。幼いようであるがマモンよりは歳上に見える。
 まずは話さねば。マモンはマントを広げてうやうやしく礼をする。
「自己紹介が遅れたね、僕はマモン。宵賂事屋と呼ばれる何でも屋をやっている――泥棒だね!」
 満面の笑み、両手サムズアップで最悪の自己紹介。少女が余計戸惑っている。
「泥棒、といっても君に危害を与えるつもりはない。僕を匿ってくれたし、なにより女の子だからね。麗しいお嬢様、お名前をお聞きしても?」
 マモンは流れるように少女の手に自分の手を添えた。
 冷た。思わず声がでそうになったが、マモンは何とかポーカーフェイスを保ったままでいられた。
 少女の視線が泳ぐ。名乗るべきかどうか悩んでいるらしい。
 しばらくして、少女はゆっくりと口を開ける。
「魔女。白の魔女」
 白の魔女。マモンの頭の中で反芻する。
 太古の昔に世界を滅ぼした最悪の災厄。
 白い髪に白い瞳、白い肌、災いの色とされる白を身にまとっていたといわれている。
 いや、魔女が白をまとっていたから白が災いの色になったというべきか。
「白の、魔女? 君、白の魔女なの? 目は青いけど」
 マモンの問いに分からないと少女は首を振った。
「お母様がそうやって呼ぶの」
「他の人は?」
「他の人……? お母様以外と会うのはあなたが初めてかも……」
「マジか」
 そういうマモンも自分以外の白髪を見るのは久しぶりだ。
 家族以外だと初めてかもしれない。
「え、じゃあ名前は?」
 マモンの疑問に少女は首を傾げた。どうやら「白の魔女」こそが名前らしい。
 魔法の鍵がかかったこの部屋に幽閉されていて、母親らしき女性からはあの扱いだ。
 更に少女は、母親とマモン以外とは会ったことがないという。
 娘として扱われていないらしいのは間違いなく白髪が原因だろう。
 マモン自身は白髪の弊害はあまりない。
 魔女と指をさされることはあるものの家に帰ったら忘れている、その程度だった。
 けれど生まれが違えば自分も、この少女のようになっていたかもしれない。
 マモンは真っ白なまつ毛を伏せて、へたり込む少女に視線をやる。
「君のソレ、名前は名前でも蔑称だから」
「ベッショウ……?」
 首を傾げる少女にはぁ、とマモンは大きくため息を吐く。
「君を貶す名前。別に僕は君がどんな名だろうが関係ないし興味もないんだけどさ。僕も白の魔女っていわれてる訳。だからややこしいんだよ。別の名前名乗れよ」
「別の名前……」
 少女は言葉に詰まってだんまりだ。
「名前。分かる? なんでもいいんだよ」
「分からない……分からない、から……」
 少女はか細い声を絞り出す。
 もう「分からない」ちゃんにでもしてやろうかと思った矢先、「あ」とマモンは呟いた。
 腰のポケットをまさぐると枝がでてきた。真冬の枝には枝と同化したような蕾が一つ、ついている。マモンは力を込めて魔法を使う。
 枝が淡く光って、部屋に新たな光源が生まれる。
 俯いていた少女は顔を上げ、目を見開き、その枝をじっと見つめる。
 蕾の先から染まるように緑が広がる。蕾は広がり、先がピンクに染まって軸が伸び、ふわりと花びらが広がった。
 冬真っ只中に桜が一輪咲いた。
 少女の顔からは戸惑いが消え失せ、目の前の春に目を輝かせるばかりだ。驚きと喜びで頬を桜色に染めている。
「なにこれ……?」
「桜」
 バーの前に落ちていた桜の枝だ。バーの前には桜が一本生えていてそこから落ちてしまったのだろう。
 その桜もマモンが植えたもので、勿体ないからと、なんとなく拾ってなんとなくポケットに入れて、それでそのまま忘れていた。
「君、ヒカね」
「?」
「名前だよ名前、君の仮名。なかったら不便だし。ああ、これあげるよ」
 マモンは咲いた桜の花をぽん、と投げた。少女――ヒカは慌てて枝をキャッチする。
「ひか。ヒカって、何? このサクラ? と関係、あるの……?」
「なくはない。由来にしたぐらいだよ。君、特徴なさすぎて名前が思いつかなかったから」
「なんでヒカなの? ヒカってなんなの? 由来って何?」
 さっきの戸惑いはどこへ飛んで行ったのやら、目を輝かせてヒカが迫ってくる。
 適当につけたつもりだったマモンはウゲェと顔を歪ませる。
 やっぱり「分からない」ちゃんの方がよかったか。若干の後悔を覚えつつ、迫られるのも面倒なためマモンは答えた。
「飛ぶに花で飛花。桜が飛び散るようすの言葉だよ」
「なんで私はヒカなの?」
「え、うーん……」
 マモンは見ず知らずの奴の名前なんてどうでもよかったのだ。
 ただ桜を見てパッと思いついたのがその言葉だっただけ。
「君、すぐ散っちゃいそうだから?」
 ヒカは小首を傾げる。イマイチ伝わっていないらしい。
 分からないなら分からないでマモンはいいのだが、ヒカは「どういうこと?」と説明をせがんでくる。
 これはヒカが納得しない限り続くようだ。あー、とマモンは後頭部をかく。
「飛花落葉って言葉があってな。いくら絢爛な花だって青々と茂る葉だっていつか散る。世界は意地悪だから、全ては変わり続けるんだ。だからぁー、君はーアレだ。今から変わり始める的な」
 マモン自身、無理があると思いながらなんとか話を締める。
 そんなこと全く考えていなかったのだが……。とりあえずこのお嬢様が納得さえすればいいのだ。
 飛花落葉。世界の無情さを表す言葉。それを添えて「貴方は今から変わります」なんて悪い意味にしか聞こえない。下手な占いよりも酷い。
 けれどヒカはぱあっと顔を輝かせる。バカで良かった。マモンはホッと息をつく。
「ヒカ、ヒカ! ヒカラクヨウ? も不思議な言葉、本でも見たことない!」
 ヒカの主な情報源は本らしい。マモンは本棚を視線でなぞる。
 すっからかんの本棚に童話集が数冊倒れている。王都周辺で有名な童話を集めた本らしい。
「元は西の大陸から来た言葉らしいしね」
「にし?」
「西の大陸は海を渡った、地図の左側にある所だよ。和文化――こっちでは夜式文化っていうんだっけ。とにかく文化が違うところ。西から漢字が渡ってきて、東の言葉とごっちゃになったものがこの世界では使われてる」
 飛花落葉なんて王都において特殊な言葉ではない。
 漢字や、みたことがないミミズみたいな文字がごっちゃになったものが、この世界では一つの言語として使われているのだから。
 けれどこの本は作品の雰囲気を守るためか、夜式文化ぽいものは極力削られているらしい。
 ヒカが飛花落葉を不思議に思ったのはそのせいだろう。
「ブンカが違うとなにが違うの?」
「えっ? えー? き、着る服とか? あと食べ物とか建物とか、かな」
「こっちのブンカ? はなんていうの?」
「西洋文化……じゃなかった。ここ東の大陸だわ。王都の文化は白昼文化、らしい」
「オウトってなに? ここの名前?」
「王都はここの名前で……」
「白昼文化と夜式文化の他に文化はあるの?」
「えっ? 黄昏文化とかあるらしいけど……」
「黄昏文化ってなに?」
「……」
「お昼と夜と夕方があるの? それだけ?」
「……」
「他には? 他には?」
「ああぁ! もううるさい! 僕だって知らないこの世界の事なんて!」
 地理になんてマモンは興味がない。
 宵賂事屋が運営できてさえいればいいのだから、勉強を進んでしようとも思わないのだ。
「というか僕は泥棒で……いっ!」
 マモンの瞳に刺さるような感覚が走る。目が痛い。思わず手でおおう。
 痛みが和らいで目を開く。物理的になにか刺さったわけではないらしい。
 うっすら目を開けると扉の向こうから陽が顔を出していた。陽の光に目がやられただけらしい。
「もう朝かよ……」
 ふと見ればヒカは光が当たらない窓のそば、端っこにうずくまっていた。
 どうした、とマモンが声をかけるとヒカは寂しそうに呟く。
「光、苦手なの。当たると痛いから……」
「あー。僕ら白髪ってなんか陽に弱いよね。すぐ水脹れができるし眩しいし痛いし」
 マモンは右の白い目に眼帯をつけて対策をする。
「って訳で僕は帰るから」
「まって!」
 窓枠に足をかけたそのとき、ヒカがマモンを呼び止める。
「また、くる?」
「こんな面倒臭い場所二度と来たかないね。ま、仕事だから。収穫があるまで来なきゃいけないんだけどさ」
「そっか……。明日もくるんだ」
 陰に座るヒカは頬を緩めた。
「言っとくけど、僕泥棒だから。悪いヤツだから。分かってる?」
「でも、私に悪いことはしないんでしょ……?」
 そういえばそんなこといった気がする。マモンは苦い顔をする。
「今日はね。あとは君次第だから。てかもうこの部屋には来ないから」
「来ないの……?」
「来ない」
 そっか。無機質な声を落として、ヒカはゆっくり俯いた。
「白髪なのには同情する。まあ、強く生きろよ」
 朝の日差しが強くなる中、マモンは前へ倒れるように窓から落ちてしまった。
 落ちる直前。彼女の空色の瞳がマモンの後ろ髪をひいた。
 ◇
 次の夜。マモンはバーで情報を集めた。
 マモンが侵入したのは貴族の別邸らしい。レーヴェミフィリム家と呼ばれる伯爵の家だそうだ。
 伯爵は本邸に、伯爵夫人――ケーリィム・レーヴェミフィリムは別邸で暮らしているそうだ。
 紫髪をしたヒステリックな女、あれが恐らくその夫人だろう。
 そしてヒカは夫人を母と呼ぶ。レーヴェミフィリム家の子供なのは間違いなさそうだ。
 しかしマスターからの情報によれば、レーヴェミフィリム家の子供は男一人しかいないらしい。ヒカの存在は隠しているのだろうか。
 夫人の方が不倫を繰り返し、他所の子供はいくらかいるらしいが……。だから夫婦別で暮らしているのか。
「以前も同じことを言ったはずなのですがね」
 いつものバー。マスターがため息を吐いてガラスを磨いている。カウンターのマモンは不貞腐れてそっぽ向いた。
「だってぇ。若返りの薬盗むだけなんだから貴族のお家事情なんて必要ないと思ってぇー」
「折角お金を払ってるんですから、情報は一つも漏らさずメモしましょうね」
 ちぇーとマモンは頬を膨らます。
 メモ用紙に金をかけたくないし尚且つ面倒臭い。けれど買った情報を失くしてしまってはそれこそ金が勿体ない。
「しかしレーヴェミフィリム家の内情を改めて知りたいとは、一体何があったのです?」
「……んや、別に。手がかりなさすぎて、お家事情になんかないかなーって思っただけ」
 本当はなぜ白髪がいるのか気になっただけなのだが……。
 信頼しているマスターとはいえ、白髪が幽閉されていたなんてマモンも言えなかった。
 しかし若返りの薬の手がかりが掴めていないのも事実。
 本当にレーヴェミフィリム家に若返りの薬があるのだろうか?
 そもそもなぜ白髪がいるのだろうか? マモンは眉間に皺をよせて考える。
「しかしマモン様。若返りの薬をお求めになられているのなら急いだ方が良いかと」
 マスターの言葉にマモンが顔を上げる。
「んぇー? なんで? タイムリミットとかあったっけ?」
「最近、騎士団の方に動きがあったようです」
「きしだんんー?」
 厄介な名前がでてきた。マモンはイーッと歯を見せて嫌悪を示す。
 騎士団。簡単にいえば治安維持組織だ。
 街の治安を守り犯罪の取り締まり、トラブル解決から王宮や王族の護衛など、幅広くやっている国家機関の一つらしい。

 2.>>8