ダーク・ファンタジー小説

Re: 《宵賂事屋》 ( No.9 )
日時: 2024/12/18 07:01
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)

 3

「鬼――しかも吸血鬼がいるなんて知られたらっ」
「――オニ?」
 久しぶりに聞く言葉、マモンは呟く。
 鬼といえば、あの真っ赤で角が生えた化け物だ。あと黄色と黒のパンツも履いていたはず。
 文脈的にはヒカがその鬼らしい。華奢な彼女が鬼だなんて、とてもそうには見えない。
 しかし鬼は鬼でも吸血鬼。血を吸うバケモノだ。
 そういえば、と。ヒカの耳が尖っていたことをマモンは思い出した。夫人の耳は丸く、普通のヒトのようだ。
 少なくともヒカは普通のヒトではないらしい。しかし鬼とは何なのか。マモンは分からないままだった。
 廊下の突き当たりに辿り着く。
 夫人は周囲に誰もいないことを確認した後、壁に向かって何かを呟く。
 共に夫人が手をかざすとまっさらな壁が歪み、穴が空く。まるで指で粘土に開けたようだ。
 夫人とヒカは素早く穴に入り、マモンもこっそりと続いた。
「よく出来た魔法だな。夫人にしか反応しないようにできてるのか」
 さながら魔法の生体認証だ。
 しかし廊下は盲点だった。部屋に仕掛けがあるんじゃないのかよ、とマモンは悔しがる。
 中は真っ暗。足元に階段らしきものがあり下へ続いていた。
 下りきった先、扉が半開きになっていてマモンは中を覗く。真っ先にマモンの目に飛び込んだのは――。
「ひぃゃあぁ! やめて、お母さんやめて!」
 大きな鉈であった。
 何がどうなっているのか。考える間もなくマモンは腕を振り下ろす。
 彼の指先から魔法の光が飛ぶ。ガチン、金属音。鉈は弾かれ天井に刺さる。
 なんとか危機を弾いて、マモンは改めて状況を見た。ヒカは片腕を強く縛られていて、傍には腕を振り上げた夫人が。
 夫人が鉈で腕を斬ろうとしていた?
「――どちら様」
 夫人がギラリとマモンへ視線を向ける。
 このまま隠れるのは無理があると、マモンは大人しく扉を開ける。
「どぅもぉ。初めまして、レーヴェミフィリム夫人」
 前へ踏み出して自己紹介。共にマモンは部屋を見渡す。
 洞窟を部屋にしたような場所だった。走り回れるぐらいには広く、地下牢獄の牢や壁をぶち抜いたような空間だ。薬と鉄が混じったような異様な臭いにマモンは眉をひそめた。
 ここで薬品を扱っていた気配がする。何かの実験室だったのだろうか。騎士団に目をつけられたから部屋を片付けたのか。
「白髪、ここ最近屋敷でウロチョロしてたネズミね。あなたも鬼かしら」
 紫髪が妖しく光る。マモンの白髪を見て、夫人は動揺する気配がない。ヒカで慣れてしまっているのか。
「ごめんだけど僕、その鬼がなんなのか知んないんだよね」
「鬼を知らない? お里が知れますわね、あら、白髪には知れるお里もあられませんでしたわ」
「あ?」
 学がないのはマモンも認めているが、こう真正面からいわれるとムカつく。
「そーいうならさぁ君さぁ? ヒカの母親なんでしょ? お前もヒカと同じ鬼ってことになんない?」
「ひか? 魔女のこと? これまた剽軽な名前を作られますわね」
「話逸らすなよ、娘大好きなのは分かったから」
「誰が」
「照れんなって」
「はぁあっ!」
 思わず煽ってしまった。これでは鬼がなんなのかも聞き出せない。
「おふざけも程々になさい、白髪! こんなところへノコノコと着いてきて、助けなんて呼べませんわよ!」
「僕白髪だから、呼べても助けてくれる人なんていないんだけど」
 マモンが自嘲すれば夫人が笑う。
「おほほ! そーでありました、実に哀れですわぁ! では私が、あなたも有効活用して差し上げましょう!」
 あなた“も”? 違和感を覚えて、しかし考える暇もないとマモンは前方へローリング。
 マモンが立っていた場所へ紫の結晶が降り注ぐ。
 目先、夫人は頭上に手をにかざす。
 紫が淡く光り、現れるのは結晶。殺意を詰め込んだような鋭利さで、幾多のそれはマモンヘ降り注ぐ。
 ぐるり前転、勢いのままに壁を走る。狙い違わぬ結晶はマモンの軌跡をなぞり刺す。
「んっ!」
 振り向き際にマモンも腕を払う。同じ結晶が現れ、夫人へと飛んだ。夫人は自らの結晶で相殺、攻撃がやむ。
 流石お貴族様、魔法も大したものである。技術こそマモンの方があるが、魔素量――エネルギーは夫人の方が圧倒的。消耗戦に持ちこまれればマモンは勝てない。
 ただの金持ちと舐め腐っていてはいられないらしい。
「ふん、ネズミ如きが」
 しかし技術の差は明らかだ。夫人もマモンのスタミナは分からないだろう。下手に攻められることはないはずだ。
「お互い実力も測れたところで、もうちょいお話しない?」
「下手なお誘いですこと」
「そりゃどーも。で、結局鬼ってなんなの」
 夫人は机に縛られているヒカに目をやり、しばらくの沈黙をへて口を開いた。
「太古の昔、世界を滅ぼした白の魔女はご存知?」
「それに関しちゃぁ、君たちより詳しい自信があるよ」
「それで鬼は知らないの、おかしな人ね。鬼というのは、白の魔女が英雄達に封印された、その折に生まれた存在」
「なぁんで魔女が封印されたら鬼が生まれんの」
「封印しきれなかった魔女の残骸ですわ。この世の飢餓、老い、病魔、魔物、全ての不幸は魔女の残骸。同じように常命ならざる力をもつ、不幸の塊こそが鬼。おわかり頂けて?」
「おかわり頂けました。で、なんでその鬼が君らから生まれたわけ。君、一応ヒト、だよね?」
「私も旦那も、今まで関わってきた殿方も皆ヒト族ですわ」
「サラッと浮気相手の種族も教えてくれるの、複雑ー。じゃあヒカもヒトでしょ」
「白髪でおかしい耳と鋭利な牙を持つコイツが、ヒトだと?」
「ヒトじゃないの?」
「その目はお飾りで? ヒトなわけがない、吸血鬼、バケモノですわ」
「僕はヒトとヒトの間に別種族が生まれることの方が、なわけないって思うんだけどなぁ」
「……鬼は、子が腹にいる間、魔女の残骸に取り憑かれたことで産まれる。親の種族は関係ありませんの」
「魔女魔女いうけど、それどっからが逸話でどっからがホントなの? 白の魔女とか存在が太古の昔すぎてイマイチ信ぴょう性がないんだって」
「白髪である貴方がいいますの?」
「そうだった。君らの話がホントなら、僕も魔女にのっとられた存在なんだった」
「己が鬼と認めますのね」
「んーや、まだわかんない。けど鬼のことは分かった気が……する?」
 ようは白の魔女にのっとられた生き物の総称、それが鬼。識別方法は髪色と異常な能力だ。
 だから白髪であるマモンは鬼である、が、いまいちピンとこない。
 晟大やマスターに鬼と呼ばれたことはないし、マモンも別の種族名を持っている。
 しかし白髪の存在がありえないのも事実。
 低確率とか珍しいとかそんな次元ではなく、産まれることは絶対にありえないのだ。
 それなのにここには今、マモンとヒカ、二人の白髪がいる。
 魔女の呪いと言わずしてなんというのだ。
「んー! やっぱわからん!」
 鬼のことはもうどうでもいい! ヒカは吸血鬼、マモンはマモン! それでいい! マモンは思考を放り投げる。
「そんで、君はなんでヒカの腕を斬ろうとしたわけ」
「持ち運ぶのには手足は邪魔でしょう」
 あっけらかんと夫人は言った。それはどういう意味なのだろう。
「お前はヒカをどうしたいんだ? 白髪だろ? 魔女に乗っ取られた存在なんだろ? なんで殺さない、なんで幽閉してる、娘だからか?」
「こんなものが私の腹から出てきたなんて、どこまでもおぞましい」
「本当かよ。お前、実は娘のこと大好きなんじゃないのか?」
 はぁ? 淑女にあるまじき歪んだ声が放たれた。全身全霊の嫌悪、夫人の顔は怒りで真っ赤だ。
「冗談も加減されること! 魔女を産んだ女が、ましてや伯爵夫人がどう思われどう処分されるか分かってらして!? 出産に立ち会ったメイドの口封じをし、運良く立ち会わなかった旦那に嘘を振りまいて、魔女は私がどうにかしなければならなかった、誰にもいってはいけなかった、誰かにバレてしまえば私も旦那も貴族ではいられなくなってしまう、お父様もお母様も雇った者たちもどうなってしまうか……!」
 怒号が徐々に悲哀へと色を変える。喉を潰すような甲高い悲鳴が響いた。
 自分と大切な人を守りたかっただけだと夫人は叫ぶ。
 お前に何がわかるんだと割れるように叫ぶ。どうしようもできなかった現実にどうしたらよかったと、答えを求めるように夫人は泣き叫んだ。
「独り独りずっと独り、どう足掻いても満たされない!」
 だから不倫を繰り返したのだろうか。
「それもこれも全部この魔女がァっ!」
「じゃあ殺せよ」
 ごうごうと燃え上がる怒りの炎に冷水がぶっかけられた。
 夫人は大きく息を吸う。これでもかとかっぴらいた瞳は一旦閉じられ、またゆっくり開けられ。座った目でマモンを見つめた。
「殺そうといたしました、当たり前ですわ。こんな白髪、本来ならば要らないもの」
「――本来ならば?」
 夫人の言葉の節々に引っかかるものがある。何かを隠している、いや見落としている?
 白髪のヒカ、白髪を怨む夫人、しかしヒカを消そうとはしない言動の矛盾。
 考えて考えてそれでも分からなくて、脳が油でギトギトになったみたいに回らない。
 答えを求めるように視線をあげると、夫人は机の引き出しから何か取り出した。
 ガラスの瓶と、枯れた根の塊? 根をよく見てみれば顔がみえる。しわくちゃで、苦しそうな老人のようだ。
 夫人が根を床に落とす。べちゃ。泥を落としたような音がなり、根が動き出した。驚いたように触手のような根が跳ね、表情も変わり、まるで生き物のようだ。
 これは――
「魔物か!?」
 魔法や魔素が生態に強く影響を及ぼしている動植物の総称――魔物。
 マモンはゲッと顔を歪ませる。
「ええ。そしてこちらは、そうね。恐らく、貴方が求めていた代物よ」
 夫人の手には透き通った青色のガラス瓶。これみよがしに回して、そう笑った。
 マモンの思考が一瞬止まる。まさか、そんなわけ。思いながらマモンは叫ぶ。
「若返りの薬――ッ!」
 夫人は薄ら笑い、瓶を開ける。あら、と声を漏らして瓶を逆さに振った。何も出てこない。どうやら中身がないらしい。
「空っぽね」
「夫人、なんのつもりだ? 魔物と若返りの薬なんかだして、意味が……」
「すぐ分かりますから、薬を作るまで待って頂戴」
 何を作るって? 彼女の言葉に目を見張った。
 この何もない空間では薬どころか軽食も作れやしない。
 夫人は両手に手袋をはめ、ヒカの手首を掴んだ。
 夫人がもう片手を宙にあげると、その指先に結晶が一つ現れる。それはナイフのように鋭利で、夫人は目を細めてソレを――振り下ろした。
 ヒカの真っ白い手首に一筋赤が走った。
「いたいっ!」
「ヒカ!」
 ヒカとマモンの声が重なった。マモンは指先が震えて走り出す。
「止まりなさい。進んだら分かるでしょう?」
 脅しのような言葉で、マモンも足を止めざるえない。
 ヒカの手首から真っ赤な血が零れる。サラサラと絶え間なく流れ出る。ソレを、夫人は結晶を伝わせて瓶に流す。
 マモンが言葉を失う。空気が蒸発したかのように声が出なくなって、立ち尽くす。
 夫人が瓶の蓋を締めた。
 ヒカの手首からは未だ血が流れ、ボツ、ボツと床にシミを作った。
 夫人は根の魔物へ歩み寄って、結晶についた血を一滴、魔物にたらす。
 瞬間、吐いた息を押し返される感覚、突風が頬を叩く。
 木の幹が軋み、ひび割れ、皮が裂ける音が重なり合い轟音となった。まるで木そのものの成長が今一秒に詰め込まれ、空間を押し広げるようだった。
 影がマモンをすっぽりと覆う。それを見あげ、言葉も出ない。
 さっきまで地面に這いつくばっていた枯れ木の魔物が、弾かれるように巨大化した。
「もうお分かりでしょうけど、若返りの薬の正体、それはこの魔女の――吸血鬼の血ですわ」
 なにを言葉にすればよいのだろう。呆然がマモンを包み込み、敵意が行き場を失っている。
「商品化するのに大変だったのですよ? この通り、吸血鬼の血は一滴だけに爆発的な効果がある。寿命を伸ばし、病や傷を治す程度に血を希釈させるのには、長い年月がかかりましたわ」
「……ヒカを殺さなかったのは、薬のためか」
 ようやくでた言葉がそれだった。何かの間違いであってくれと、わずかな希望に手を伸ばすようにマモンは問うた。
 白髪といえど実の娘の血を抜いて薬にするなんて、そんなこと親がすることじゃない、そうであってくれと。
「それ以外に何があって?」
 夫人はなだらかな手を頬に当て、本気の困惑顔をみせた。
 白髪は産まれるはずのない存在、白の魔女に酷く近い存在、だから迫害される。
 マモンはそう思っていた。
 違うのだ。
 夫人とマモンの感覚の温度差、違和感、ヒカの扱い、それらでようやく気付いた。
 そもそもマモンら白髪は、人として見られていない。
 感覚では汚らわしい魔物に近いのだろう。そりゃあ、お貴族様の腹から魔物が産まれればパニックになる。
 動物の飼育も分からない金持ちなら、魔物を適当な空き部屋に放り込むだろう。暖もいるとは思わない。
 それに、いくら血をとったって心も痛まない。
 マモンたちはそもそも、彼らと同じ土俵に立たされていなかったのだ。
「さて、粗方話もできたことですし、そろそろネズミは仕留めませんと。放っておけばこの部屋も白で穢れてしまうわ」
 魔物は根っこを丸めたような姿に顔が浮かび上がっている。根で作られた顔。シワが深く刻まれ、こちらをジッと睨んでいる。
 マモンに明らかな敵意を向けている。主人を理解しているようでよく躾られている。
 夫人は魔物のとなりへ歩み、淡い光とともに結晶を作りだした。
「……」
 マモンは一つ息を吸う。喉に詰まったものを押し出すようにゆっくり、大きく、肺が痛くなるぐらい空気を追い出す。
 白髪の扱いを実感して、マモンは何を思えばいいか分からない。ただ胸を叩かれたような衝撃から逃げ出せない。
 しかし立ち尽くしたままではいられない。
「ああ、終わらせよう。ケーリィム・レーヴェミフィリム」
 長い前髪で隠れていた視界、マモンは片手でかき揚げて魔物を見上げた。
「僕はマモン。宵賂事屋のマモンだ。金さえあればなんでもやる裏社会の何でも屋」
 マモンはポーチからナイフを取り出す。逆手にとって構え、そのナイフ越しにケーリィムに焦点を合わせた。
「若返りの薬、よこせよ」
「なら奪ってみせなさい?」
 ケーリィムから槍のような結晶が飛ぶ。同時に魔物からも根が飛ぶ。
 マモンは前へ飛んだ。着地で前転、勢いそのままケーリィムへ駆ける。
「木」
 恐らく魔物の名前。ケーリィムが呟けば真横から根のスウィング。
 目前に迫るソレを体を反らしてかわす。も、体幹が乱れる。狙ったように結晶が襲う。
 体を反った勢いのままにバク転、結晶が追いかける。もう一度バク転、着地してマモンは腕を払う。
「んっ!」
 ケーリィムのと同じ結晶が生まれて相殺。続けてマモンはもう一度結晶を放った。
 ケーリィム側も結晶と根でソレを相殺、更に――
「うぉっ!」
 急にマモンの世界が傾く。根に足を払われたらしい。
 理解して、倒れる前に床に手を付き、走り出す。
 前から根が床を這ってきた。速すぎて目で追えない。
 何とか根を飛び越えるもまた次、次といくつもやってくる。
 これではキリがない。マモンは勢いのまま壁へ飛ぶ。逃げるステージを床から壁に変更。マモンの後ろを根が追いかける。
「うふふ、本当にそこへ行ってよろしいの?」
 共に放たれた結晶。マモンの目の前に刺さる。キュ、と心臓が縮み上がった。
「よくッ――ないっ!」
 結晶に手をつく。起動を変え何とか乗り越える。しかし次から次へと結晶はやってくる。

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