ダーク・ファンタジー小説
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.3 )
- 日時: 2026/02/01 21:03
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第3章:清められた傷跡
1年A組に流れた凍りつくような沈黙を、担任の佐伯は鮮やかな手つきで塗りつぶした。
「さあ、いつまでそうしているんだい? 避難訓練の成果が出すぎてしまったかな。実に優秀な反応だ」
佐伯がパン、と小気味よく手を叩くと、教室内を支配していた硬直が、魔法が解けたように緩んだ。生徒たちは一人、また一人と机の下から這い出し、きまりが悪そうに制服の埃を払う。
「……避難、訓練?」 ハルは、自分の声が他人のもののように掠れて聞こえるのを自覚した。 「そうだ。本校では入試期間中、無意識下での安全教育を並行して行っている。一種のサブリミナル的なものだがね。今のチャイム音は、そのトリガーだ。君たちが自分の身を反射的に守れたのは、教育が成功した証だよ」
佐伯の言葉はあまりに淀みなく、理路整然としていた。 生徒たちは「なんだ、そういうことか」と安堵の色を浮かべ、互いに笑い合う。しかし、ハルの隣で立ち上がったユキの顔は、依然として陶器のように白いままだ。彼女の右腕には、ハルが強く掴んだ指の跡が、鮮やかな赤紫色の痣となって浮き上がっていた。
「ごめん、ユキさん。強く掴みすぎた」 「……いいの。でも、如月君。あの時、あなた何て言った?」
破片が来る――。 ハルは自分の口が吐き出した警告を思い出す。だが、この教室の天井にはひび一つなく、空調からは清浄な空気が静かに流れ出している。破片など、どこにも降ってくるはずがなかった。
「……分からない。自分でも、どうしてあんなこと言ったのか」
午後の授業が始まると、学校の「過剰なまでのホスピタリティ」がハルをさらに困惑させた。 三時間目の体育の時間。更衣室で着替えていたハルは、クラスの男子たちの背中や肩に、不自然な「医療用テープ」が貼られていることに気づいた。
「それ、どうしたんだ?」 ハルが尋ねると、一人の男子生徒が不思議そうに自分の肩を覗き込んだ。 「これ? 昨日の健康診断で、予防接種の後に貼られたんだよ。少し腫れやすい体質だからって、看護師さんが丁寧に貼ってくれてさ。あ、如月も貼ってあるじゃん。腰のあたり」
ハルは鏡を振り返り、自分の腰に貼られた大きな四角いテープを見つけた。 そんなものを貼られた覚えはない。 恐る恐るその端を剥がしてみる。テープの下にあったのは、注射の跡などではなかった。 それは、**「何かに激しく擦りつけ、肉が裂けた後に、無理やり縫合されたような、生々しい傷跡」**だった。
「――っ!」
ハルは悲鳴を上げそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪えた。 傷口は、驚くほど綺麗に処置されている。最新の医療技術を使わなければ不可能なほど、皮膚が平滑に繋げられている。だが、その下にある筋肉の痛みは、これが「昨日今日」の傷であることを明確に告げていた。
(予防接種? 嘘だ。僕たちは、この傷を負うような『何か』をさせられたんだ)
ふと視線を感じ、顔を上げると、アキトが鏡越しにハルを見ていた。 アキトは何も言わず、自分の首筋の傷を指先でなぞった。彼の傷は、医療用テープで隠されることすら拒んだかのように、剥き出しのまま怒りを湛えている。
放課後、校舎内は部活動の勧誘に沸いていた。 吹奏楽部の華やかな旋律、運動部の威勢の良い掛け声。どこにでもある、輝かしい放課後の風景だ。
ハルは、校内の掲示板の前に立っていた。 そこには、部活動の一覧が整然と並んでいる。野球部、サッカー部、科学部、文芸部……。 ハルは指先で一つひとつの部名をなぞり、ある一点で指を止めた。
『歴史研究部 ――失われた地層と、40年前の真実を追う――』
その部活動の紹介文だけが、他の部活のような手書きのPOPではなく、古い活版印刷のような無機質な文字で印刷されていた。 そしてその下には、手書きの小さなメモが、ピンで留められていた。
『砂の味が忘れられない者だけ、放課後の旧図書館へ来い』
ハルは、爪の間に残る「黒い砂」の感触を思い出した。 背後で、冷たい風が吹き抜ける。 振り返ると、そこには誰もいなかった。ただ、夕日に照らされた廊下の影が、迷宮の入り口のように長く、深く伸びていた。
