ダーク・ファンタジー小説

Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.4 )
日時: 2026/02/01 21:06
名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

第4章:親切な包囲網
「砂の味」という言葉が、ハルの脳裏で警報のように鳴り響いていた。

旧図書館は、新築された鏡面仕上げのメイン校舎とは対照的に、敷地の北端にひっそりと佇む煉瓦造りの建物だ。40年前の爆発事件でも唯一倒壊を免れたと言われるその場所は、今は立ち入り制限区域のすぐ側に位置している。

ハルは掲示板の前を離れ、人波に逆らって北へと足を向けた。だが、一歩踏み出した瞬間、背後から柔らかな声が届いた。

「如月君、どこへ行くんだい?」

振り返ると、そこには生活指導担当の女教師、中根が立っていた。彼女はハルがこの学校で見た中で、最も穏やかで、最も「完璧な」笑顔を持っていた。

「あ、いえ……少し、図書館に」 「それなら新校舎の三階だよ。あそこなら最新の電子書籍も、美味しいカフェラテも完備されている。旧館の方はもう、カビ臭くて資料もボロボロだ。君のような優秀な生徒が行く場所じゃない」

中根はハルの肩にそっと手を置いた。その手のひらは驚くほど冷たく、けれど力強くハルの足を止めさせる。

「でも、歴史研究部の掲示を見て……」 「ああ、あの部活ね。あそこはもう、廃部同然なんだ。部員も少し……精神的に不安定な子たちが集まっているだけでね。君にはもっと、テニス部や生徒会のような、光の当たる場所が似合っているわ」

中根はハルの腕を取り、自然な動作で進行方向を百八十度変えさせた。 「さあ、案内してあげよう。新校舎のメディアセンターは、今日の放課後、新入生向けに特別なスイーツを提供しているの。ユキさんも先に行っているはずよ」

教師の態度は、どこまでも親切で、どこまでも正しい。 けれど、ハルは背筋に走る悪寒を隠せなかった。彼女の目は笑っているが、瞳の奥はまるで録画された映像のように、一点の揺らぎもなくハルを監視している。

新校舎へ戻る道すがら、ハルは何度か列を離れようと試みた。 だが、その度に「親切な上級生」が現れる。 「君、ネクタイが曲がっているよ。直してあげよう」 「道に迷ったのかい? こっちは食堂だよ。一緒にアイスを食べに行こう」

彼らは決してハルを怒鳴ったり、力ずくで押さえつけたりはしない。ただ、過剰なまでの善意でハルの進路を塞ぎ、彼を「明るい場所」へと押し戻そうとするのだ。その連携の良さは、まるで精密にプログラムされた防衛システムのようだった。

ハルは、メディアセンターの騒がしい喧騒の中に放り込まれた。 最新のBGMが流れ、生徒たちがタブレットを手に談笑している。そこにはユキの姿もあった。彼女は勧められたマンゴーパフェを前に、どこか虚ろな目でスプーンを動かしている。

「……如月君。あなたも、連れてこられたの?」 ユキが小さく声を漏らす。 「ユキさんもか」 「うん。私、屋上に行こうとしただけなのに。四人の先生に代わる代わる声をかけられて、気づいたらここにいたわ。みんな、すごく優しかった。……優しすぎて、吐き気がする」

彼女の腕に貼られた医療用テープが、照明の下で白く浮き上がっている。 ハルは確信した。学校側は、生徒たちが「特定の場所」に近づくこと、そして「特定の記憶」に触れることを、全力で、かつ優雅に阻止している。

窓の外に目をやると、夕闇が校庭を浸食し始めていた。 「鎮魂の塔」の影が、巨大な指のように旧図書館の方角を指し示している。

「……あそこに行かなきゃいけない」 ハルは、ポケットの中で握りしめた「黒い砂」の感触を確かめた。 「でも、どうやって? 先生たちがどこにでもいるのに」

その時、メディアセンターの入り口で、激しい物音がした。 「離せよ! 俺はアイスなんて食いたくねえって言ってんだろ!」

アキトだった。 彼は彼を囲んでいた上級生たちの腕を振り払い、床にトレイをぶちまけた。派手な音が響き、周囲の視線が一斉に彼に集まる。 「阿久津君、落ち着いて。君は少し疲れているんだ」 教師たちが一斉にアキトのもとへ駆け寄る。

「今だ」 ハルはユキの手を取り、騒ぎに乗じてセンターの裏口へと走り出した。

監視の目がアキトという「バグ」に集中した一瞬。 ハルたちは、光り輝く新校舎の裏側、冷たい湿り気を帯びた影の世界へと飛び出した。

背後で、佐伯の声が遠く響いた気がした。 「――逃がさないよ。それは、君たちのためにならないんだから」

春の夜風が、微かに「火薬の匂い」を運んでくる。 二人は、暗闇に沈む旧図書館の重厚な扉へと、必死に足を動かした。