ダーク・ファンタジー小説
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.5 )
- 日時: 2026/02/01 21:08
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第5章:静寂の鱗粉(りんぷん)
新校舎の自動ドアが閉まる音が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえた。 メディアセンターの華やかな喧騒と、人工的なマンゴーの香りは、厚い煉瓦の壁に遮断される。
旧図書館の内部は、時間が40年前で凝固したかのような、濃密な静寂に支配されていた。 窓硝子は積年の埃で曇り、そこから差し込む月光は、まるで水中に差し込む光のように青く、濁っている。空中に舞う無数の塵が、銀色の鱗粉のようにキラキラと光りながら、二人の周囲をゆっくりと旋回していた。
「……巻いたかな」 ユキが肩で息をしながら、重厚な書架の影に身を潜めた。 「ああ。あの上級生たちも、ここまでは追ってこないみたいだ」
ハルは、入り口の木製の扉をそっと閉めた。 扉の隙間から漏れる新校舎の光が、細い一本の線となって床を走っている。その光の線の中に、ハルは自分の影が奇妙に「波打っている」のを見つけた。
「……ねえ、如月君。暗いところで見ると、これ……」
ユキが震える手で、自分の制服の袖を捲り上げた。 そこには、先ほどハルが掴んでしまった指の跡――赤紫色の痣があった。だが、暗闇の中で見るその痣は、単なる内出血ではなかった。 痣の表面が、微かに、けれど確実に**「発光」**していたのだ。 それは深い海の底に棲む生物が放つような、冷たくて不気味な青い燐光だった。
「光ってる……?」 ハルは自分の右手のひらを見つめた。 爪の間に食い込んだ「黒い砂」。それもまた、暗闇の中で小さな星屑のように、チリチリとした光を放っている。
「これ、ただの土じゃない。まるで、生きているみたいだ」
ハルがその砂を指先で弄ぶと、指の腹を針で刺されたような鋭い痛みが走った。 驚いて砂を振り払おうとしたが、砂は磁石に吸い寄せられるように皮膚に張り付き、じわじわと毛穴の中に沈み込んでいく。
「如月君、あっち……」 ユキが指差した先。 図書館の最奥、立ち入り禁止のロープが張られた「禁書エリア」の影に、誰かがいた。
そこには、巨大な木製の机に突っ伏して眠る人影があった。 古びた学ランを纏い、周囲には何十冊もの古い新聞の切り抜きや、手書きの図面が散乱している。 その人物の背後にある窓からは、校庭の「鎮魂の塔」が、まるで巨大な墓標のようにそびえ立っているのが見えた。
「……しっ。起さないように」 ハルが囁き、慎重に一歩を踏み出した。 その時、床の古い板が「ギィ……」と、この世の終わりを告げるような不吉な音を立てた。
眠っていた人影が、ビクリと肩を震わせる。 ゆっくりと、本当にゆっくりと、その人物が顔を上げた。 逆光で表情は見えない。ただ、眼鏡のレンズだけが青白く光っている。
「……まだ、五時か。チャイムは鳴ったかな」
その声は、ひどく掠れていて、けれど妙に落ち着いた響きを持っていた。 人物はゆっくりと椅子から立ち上がると、机の上のランプを点した。 小さなオレンジ色の炎が、埃っぽい空間を照らし出す。
そこにいたのは、ハルたちより二、三歳ほど年上に見える、青白い肌の少年だった。 彼の首には、ハルやアキトが見たものと同じ「医療用テープ」が、まるで包帯のように何重にも巻き付けられていた。
「新入生、か。それとも、まだ『向こう側』の住人かな」
少年は、ハルの右手のひらに吸い込まれていく「砂」をじっと見つめ、悲しげに目を細めた。 「砂が、君を選んだんだね。……かわいそうに」
「……あなたは、歴史研究部の?」 ユキの問いに、少年は答えなかった。代わりに、彼は机の上に広げられた「40年前の新聞」を、ハルたちの方へスッと差し出した。
そこには、衝撃的な見出しが躍っていた。
『聖ヶ丘高校、爆発事故により校舎が「反転」。地下に消失した生徒たちの捜索、打ち切りへ』
「反転?」 ハルがその奇妙な言葉を口にした瞬間。 床下から、あの不気味な、重低音の地鳴りが響いてきた。
それは昼間に聞いたチャイムよりも深く、内臓を直接揺さぶるような音。 「……始まった。君たちの、二度目の『入学試験』だ」
少年の言葉と同時に、図書館の窓の外――あんなに穏やかだった校庭の景色が、ぐにゃりと歪み始めた。 新校舎の輝くガラス壁が、まるで熱で溶けた飴のように崩れ落ち、その下から「40年前の、黒く焼け焦げた壁」が、皮膚を突き破る骨のように突き出してきたのだ。
「隠れて。息を殺して」 少年はランプを吹き消した。 「『監視員』が、君たちの記憶を回収しに来る」
暗闇の中、ハルはユキの手を握りしめた。 二人の痣が、今までで一番強く、激しく脈打ち始めた。
