ダーク・ファンタジー小説
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.6 )
- 日時: 2026/02/02 11:43
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第6章:カチ、カチ
暗闇は、もはや単なる光の欠如ではなかった。 それは粘り気を持った生き物のように、ハルたちの肺へと入り込み、思考を鈍らせていく。
ランプが消された旧図書館の中で、唯一の道標は、歴史研究部の先輩――シノと呼ばれたその少年の、微かな衣擦れの音だけだった。
「……動かないで。あいつらは、音よりも『意識の波』を探知する」
シノの声は、囁きというよりも吐息に近かった。ハルは言われた通り、全身の筋肉を硬直させ、呼吸を可能な限り薄くした。隣にいるユキの、震える指先がハルの袖を強く握りしめているのが伝わってくる。
カチ、カチ、カチ。
廊下の向こうから、規則的な音が近づいてくる。 それは、硬い革靴が木床を叩く音のようでもあり、あるいは巨大な時計の秒針が刻まれているようでもあった。一定の……あまりにも一定すぎるそのリズムは、生物が持つゆらぎを一切排除している。
ハルは、本棚の隙間から廊下の様子を伺った。 曇った硝子戸越しに、一つの人影が通り過ぎていく。 それは、昼間に笑顔でハルを呼び止めた中根先生……のようだった。だが、その動きはあまりに滑らかで、関節の存在を感じさせない。彼女の手には、細長い「検校灯」のようなデバイスが握られ、その青い光が廊下の壁をなぞるたび、壁面がデジタルノイズのように激しく乱れた。
「……中根、先生?」 ユキが喉の奥で、押し殺した悲鳴を漏らす。
「あれはもう、君たちが知っている『人間』じゃない」 シノが、暗闇の中で冷たく告げた。 「記憶の整合性が取れなくなった生徒を、システムの一部として再処理するための……いわば掃除機だ」
カチ、カチ。
音が、図書館の扉の前で止まった。 静寂。 心臓の音がうるさすぎて、それが外まで漏れているのではないかとハルは気が気ではなかった。 扉の隙間から、青い光の筋が差し込んでくる。その光は床を這い、ハルの足元にまで届こうとしていた。
その時、ハルの右手のひらに潜り込んだ「黒い砂」が、焼けるような熱を帯びた。 (……来る) 直感した。見つかる。 だが、青い光がハルの影に触れる直前、シノがハルの口を掌で塞ぎ、もう片方の手で古い羊皮紙のようなものを床に広げた。
青い光は、その羊皮紙に触れた瞬間、まるで鏡に反射したように不自然な角度で折れ曲がり、ハルたちを避けて反対側の壁へと吸い込まれていった。
やがて。 カチ、カチ、カチ……。
靴音は再び遠ざかり、重苦しい静寂が戻ってきた。 ハルは、肺に溜まっていた熱い空気を一気に吐き出した。全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。
「今のは……何だったんですか」 「『視覚的検閲』だよ。彼らには、この学校を『正しい形』に保つためのフィルターが埋め込まれている。今の羊皮紙は、40年前の爆発現場に残されていた……いわば、この空間の『バグ』だ。一時的に彼らの目をごまかせる」
シノはゆっくりと立ち上がり、再びランプを灯した。 小さな火が照らし出したのは、先ほどまで見ていた「美しい旧図書館」ではなかった。
壁にはどす黒い焦げ跡が走り、本棚は爆風になぎ倒されたかのように歪んでいる。天井からは、切れた電線が蛇のように垂れ下がり、時折、パチリと青白い火花を散らしている。
「これが……本当の姿?」 ユキが呆然と周囲を見渡す。 「正確には、40年前の『現実』と、今の『虚構』が重なり合っている状態だ。君たちの痣が光るのは、その重なり(オーバーラップ)に対する拒絶反応だよ」
シノは、机の上に散乱していた「40年前の事件」の資料を、一枚の図面へと集約させた。 そこには、学園の地下深くへと続く、迷路のような螺旋構造が描かれていた。
「40年前、生徒たちは学校を封鎖し、爆破した。彼らは学校を壊したかったんじゃない。学校の下にある『何か』を、この世に引きずり出そうとしたんだ」
シノの指が、図面の中心部――「特異点」と記された場所で止まった。
「入学試験で、君たちはここを通った。そして、自分の意志で戻ってきた。だからこそ、君たちの身体は覚えている。……ここから先、僕たちは『正しくない』生徒として扱われることになるだろう」
シノは、ハルの首筋を指差した。 そこには、ハル自身も気づかないうちに、一筋の細い「文字」のような痣が浮かび上がっていた。 それは、古代の記号のようでもあり、あるいは脱出経路を示す地図のようにも見えた。
「……まだ、外へは出られない。夜の校舎は、40年前の熱を持ったままだからね」
ハルは、窓の外を見た。 そこには、月の光に照らされた「鎮魂の塔」が、先ほどよりも一回り大きく、まるで生き物のように脈打っているのが見えた。
