ダーク・ファンタジー小説

Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.10 )
日時: 2026/02/02 21:54
名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

第10章:11月14日の黒板
階段を下りるたび、空気の層が目に見えて厚くなっていくのが分かった。 それは埃のせいだけではない。何百人もの人間が、極限状態で吐き出した熱気と、言葉にならなかった悲鳴が、数十年の時を経て重油のように澱(よど)んでいるのだ。

「……着いたよ。ここが、彼らの『司令部』だった場所だ」

シノが立ち止まり、錆びついて半分朽ち果てた引き戸に手をかけた。 キィィ……と、耳の奥を削るような音が響き、扉が開く。 そこにあったのは、先ほどまでハルたちがいたはずの「1年A組」だった。

だが、そこには新校舎の清潔な光沢も、人間工学に基づいた椅子も、全面タッチパネルのデスクもない。 並んでいるのは、無骨な木製の机と椅子。天板には落書きが深く刻まれ、長年の学生たちが流した汗とインクの匂いが染み付いている。 窓硝子はすべて激しい爆風で内側に飛び散り、サッシだけが牙のように剥き出しになっていた。

「……これ、私たちの教室?」 ユキが呆然と呟き、教室の中に足を踏み入れた。 足元で、粉々に砕けた硝子がジャリ、と音を立てる。その音は、ハルが手のひらに抱えている「砂」の音と、酷似していた。

ハルの視線は、教室の正面にある大きな黒板に釘付けになった。 そこには、チョークで書かれた文字ではない「何か」があった。

1986年11月14日。 爆発の瞬間に発生した凄まじい熱線が、黒板の表面を焼き焦がし、そこに書かれていた文字を「反転」させて焼き付けていたのだ。

『我ラ、此処ヨリ脱出ス。記憶ノ残滓ヲ、未来ノ同胞へ託ス』

その力強い筆致は、まるで今書かれたばかりのように生々しい。 そしてその下に、殴り書きされた一文があった。

『第一関門:時計台の針を逆さに回せ。第二関門:砂を喰む者の影を追え。第三関門――』

「……これ、入試の課題だ」 ハルは、喉の奥がカラカラに乾くのを感じた。 「僕たちが『脱出試験』で解かされた問題と、一言一句同じだ……。でも、どうして? 40年前の生徒たちが書いた立てこもりの宣言が、どうして今の入試問題になってるんだ?」

ハルは、自分の右手の痣が、黒板に刻まれた文字に呼応して激しく発熱するのを感じた。 痣に浮き出た「地図」のような紋様が、今、黒板の焦げ跡と重なり、一つの回路を形成している。

「ハル、見ろ。黒板の隅だ」 アキトが、暗闇を指差した。 そこには、熱で溶けかかったカセットレコーダーが、教卓の上に鎮座していた。第7章で聞いたテープの「本体」だろうか。レコーダーの横には、小さな、しかし異様なほど存在感を放つ「容器」が置かれていた。

それは、透明なアクリルケースの中に収められた、一握りの「黒い砂」だった。 ハルが手のひらに持っているものと同じ。だが、ケースの中のそれは、銀色の微小な火花を散らしながら、生き物のようにうごめいている。

「それが、この学校のエネルギー源であり、呪いの正体だ」 シノが、ケースに近づき、憐れむような目でそれを見つめた。 「量子化された思念体。……40年前、生徒たちが『脱出』を試みた際、その強い意志が爆発の衝撃で物質化したものだよ。学校側はこれを『砂』と呼び、生徒たちの記憶を管理するための触媒として利用している」

「じゃあ、僕の体の中にあるこの砂は……40年前の誰かの『心』だって言うんですか?」 ハルの問いに、シノは答えなかった。

代わりに、教室の窓の外で、異変が起きた。 夜の闇に沈んでいたはずの校庭に、突如として「太陽」が昇ったのだ。 いや、それは太陽ではなかった。 40年前のあの日、この場所で起きた「爆発」そのものだった。

無音のまま、巨大なオレンジ色の光が地底から噴き出し、校舎を飲み込んでいく。 現代の新校舎が、紙細工のように燃え上がり、剥がれ落ちていく。 ハルたちの周囲の景色が、激しく明滅し始めた。

「……っ、来るぞ! 空間の再構築(リビルド)だ!」 シノが叫ぶ。

教室の黒板が、溶けるように歪み始めた。 焼き付いた文字が動き出し、生き物のように壁を這い回り、ハルたちの足元を浸食していく。 ユキが悲鳴を上げ、ハルは彼女の体を強く引き寄せた。

その時、ハルの耳の奥で、はっきりとした声が響いた。 それは、テープで聞いたあの少年の声でも、シノの声でもなかった。 もっと幼く、泣き出しそうな、けれど凛とした声。

『――見つけて。僕たちが、何を「脱出」させようとしたのかを』

ハルが顔を上げると、爆風の中に一人の少年が立っていた。 旧制服を纏い、顔の半分が影に隠れたその少年は、ハルと全く同じ場所に「黒い痣」を持っていた。

少年が手を伸ばし、ハルの右手に触れた。 瞬間、ハルの脳内に、奔流のような映像が流れ込んできた。 叫び声。火薬の匂い。暗い廊下を必死に駆ける足音。 そして、自分を「如月ハル」だと認識していた確固たる意識が、砂の山が崩れるように脆く瓦解していく。

「……僕は……僕は、誰だ?」

ハルの口から出た言葉は、もはや15歳の少年のものではなかった。 黒板に刻まれた「40年前の筆致」と同じ、深く、重い響きを帯びていた。