ダーク・ファンタジー小説
- Re: 僕らの記憶は、その爆音の中に埋まっている ( No.17 )
- 日時: 2026/02/03 21:35
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第16章:地層の底
落下が止まった先は、冷たい水の底だった。 いや、それは水ではなく、数十年の時間をかけて溜まった「結露」の海だった。
「……っ、げほっ……!」
ハルは、膝まで浸かる暗い水の中で激しく咳き込んだ。 頭上のハッチから差し込んでいた月光は、もはや届かない。周囲を支配しているのは、絶対的な暗闇と、古い機械が唸りを上げるような重低音。そして、鉄が錆びる独特の、血に近い匂いだ。
「――火を点すなよ。ここでは、光は招かれざる客だ」
闇の中からシノの声が響いた。 ハルが目を凝らすと、シノは水面に浮かぶ錆びた鉄パイプの上に座り、自身の首に巻かれた包帯を締め直していた。
「シノさん……ここは?」 「1986年の地層だ。40年前の爆発で、校舎の一部が物理的に地下へ叩きつけられ、当時の空間ごと凍結された場所だよ」
シノが手近な壁を叩くと、コンクリートの表面から「パラパラ」と、あの黒い砂が零れ落ちた。 「地上の学園が『幸福な偽物』なら、ここは『捨てられた本物』だ。あの日、逃げ遅れた生徒たちの記憶が、この闇の中に充満している」
ハルは、水面を掻き分けて一歩を踏み出した。 足に触れるのは、泥だけではない。 水底に沈んでいるのは、大量の「1986年」の断片だった。 誰のものとも知れない使い古された上履き、当時のアイドルが微笑む色褪せた雑誌の切り抜き、そして、電池の切れた古いウォークマン。
その一つひとつが、かつてここに「生活」があったことを無言で訴えていた。
「……あ、あれ」
ハルは、暗闇の奥に揺らめく「影」を見つけた。 それは人影だった。 壁際に並んで座り込んでいる、三人の生徒。 彼らは動かない。まるで石像のように静止したまま、一点を見つめていた。
ハルが近づこうとすると、シノがその肩を強く掴んだ。 「よせ。あれはもう『人』じゃない。あの日、爆風の中で意識を焼かれ、出口を見失ったまま定着してしまった思念の殻だ」
「殻……?」 「彼らは自分たちが死んだことさえ気づいていない。ただ、40年前の11月14日の放課後を、永遠に待ち続けているんだ」
ハルは、その生徒たちの顔を覗き込んだ。 その瞬間、全身の血が逆流するような衝撃が走った。
「……そんな。これ、アキトじゃないか」
そこにいたのは、阿久津アキトに瓜二つの少年だった。 だが、その制服の胸元にある名札には、別の苗字が刻まれている。 『阿久津 誠一(せいいち)』。
「アキトの……父親? それとも……」 「この学校の生徒はね、如月。適当に選ばれているわけじゃない」 シノの目が、闇の中で鋭く光った。 「40年前の事件に関わった者たちの、血縁や『波長』の近い者が、無意識のうちにここへ呼び寄せられているんだ。……君の父親だって、例外じゃないはずだ」
ハルの右手の痣が、呼応するように熱を帯びる。 その熱は、単なる痛みではなく、何十年も前に誰かが感じていた「怒り」そのものが流れ込ん込んでくるような感覚だった。
不意に。 静止していたはずの「殻」の一人が、ピクリと指を動かした。 カチ、カチ、カチ……。 あの監視員と同じ靴音が、水底から響いてくる。
「――シノさん、あいつらが動いてる!」 「マズいな。君の痣が放つエネルギーが、彼らの『渇き』を呼び覚ましてしまった」
暗闇の中で、一斉に無数の目が開いた。 それは青白い燐光を放ち、飢えた獣のようにハルを見つめていた。
「走れ、如月。このエリアの『11月14日』が動き出した。捕まれば、君も40年前の放課後に閉じ込められるぞ!」
ハルは、膝まである水を蹴立てて走り出した。 背後からは、何十人もの「かつての生徒たち」が、骨を鳴らしながら追いかけてくる音が聞こえる。 それは、脱出試験よりもはるかに生々しい、死の追いかけっこだった。
ハルは走りながら、確信した。 この地下迷宮は、単なる廃墟ではない。 ここは、誰かが意図して作り上げた、**「終わらない1986年」**という名の巨大な檻なのだ。
