ダーク・ファンタジー小説

Re: 白黒物語—モノクロストーリー— ( No.23 )
日時: 2012/12/29 22:01
名前: 名純有都 (ID: pzcqBRyu)

第二章 Did’nt say “I love you”,because I am afraid.
(貴方を愛していると言えなかったのは、私が恐れているから)



 みしりとベッドが悲鳴を上げる。
 それは、突然レインが布団を撥(は)ねあげテトラに接近したためだった。
 レインは、彼の襟首をその力にそぐわない細腕で掴み上げ、睥睨する。
「……テトラ。貴方が、自ら私のような者に干渉する必要性は皆無よ」
 その声は、少し前までとはあまりに違う。穏やかな碧眼で、テトラは彼女を見つめた。
 途端に、その目線が戸惑うように逸れた。「なぜ、」と至近距離で呟かれた言葉にテトラは耳を澄ませる。

「私は貴方に憎まれなくてはいけないのに」

 迷子になった少女の様な、幼い声だった。

 人知れず、彼はレインの肩を抱いた。また力なく崩れて、そして彼女は明日になれば全て忘れてしまうと、そう思ったから。


§  §  §


“レイン”


“レイン”


 自分の名前が、優しい声と口調で言い続けられるだけの、他愛もない夢だった。
 ただその声が、レインのもっとも恐れるものだったというだけで。
 ただそれだけだった、でもレインにとってその声を聞き続けるのは拷問だった。
 今は幸せと言えない状況にある。だからこその、悪夢であった。

「——過去なんて」

 そう、昔を懐かしむ必要なんて、自分には無い。
 その優しかった声が、いつか自分を口汚く罵るのなら、なにも持っていない今に縋る方が、まだましだ。
 砂の城だ。過去というものは。
 少しずつ、波にのまれて崩れて行く。
「ゆるして」
 でも、そのために憎んで。
 シーツに包まって膝を抱え、レインは夜が明けるのを待った。



 朝、二人は何事もなかったかのように顔を合わせた。
 レインはテトラにモーニングティーを頼み、ソファに腰かけた。

「テトラ、昨日貴方に『アルフィス・ハイレン』のこと聞いていなかったわね。教えてくれる?」

 言われることをあらかじめわかっていたかのように、テトラは準備よく資料を取り出し、ひとつ頷く。

「……はい。これから言うことは、黒の断罪(ノワール・ギルティ)側には知られない方がいいでしょう。恐らくリスクにもメリットにもなり得ます。
 アルフィス・ハイレン、男性。彼は、3年前にここヴァロック・シティから『追放』処分を受けたようです」

「……『追放』?権限を持つ者に、言い渡されたの?それとも、単なる個人個人での争いの中で?」

「前者です。彼は、この街から放逐(ほうちく)されました。市長と…黒の断罪、エージィ・トラキアによって」

「——ふっ、そういうことね。それで、なぜその追放された者が今更戻って来るのかという話になるけれど……、当たり前のように私のことでしょう?」

 問いかけた彼女に、テトラは頷いて肯定した。

「ハイレンは、市長たっての意思で呼びもどされたんです。ここに来るのも、時間の問題かと」

「で、あの盗聴は私に聴かせるためのものだった。ということは、向こうは結構余裕綽々(しゃくしゃく)なのね」

「兎に角、ハイレンを切り札と見るにはまだ早い。
 それから、もうひとつ。こっちが貴方にとって最も重要です、レイン様」

 つと、彼は資料から顔を上げた。そのまなざしは、はっとするほどの厳しさをおびている。


「『アルフィス・ハイレン』は——ヴァチカンの関係者です」


 すぅとレインはその光るひとみを細めた。異様に冷たいものが心の臓におりてくる。「ヴァチカン市国」……いや、「帝国」。
 黒の断罪よりもなによりも、止めなくてはいけないもの。
 一度だけ低く心音は波打ち、やがて凪いだ。

「いずれ、来るとは思っていたけれど……テトラ、彼らが本格的にこっちに来るという情報は入っていないのよね?」

「……?ええ、特にありませんが」

 緊張を吐き出すように、彼女は息をついた。今度は、レインがテトラを見つめる側になる。無垢で澄んだ、だがどこか憂いをいだく碧眼に、己の血の様な鈍い赤が映り込む。
 互いの色はあまりにも違いすぎた。

「もし、そのようなことがあったなら、貴方はこの街から出ることになる。その時は、必ず誰にも頼らずにゆきなさい。——いいえ、テトラ、貴方はこの国からさえも出なくてはいけない」

 そんなことを言われるとは思いもしなかったのだろう、至極真剣に呟いたレインに、テトラは瞠目した。

「それは——どういう」

「……時が来たれば。私は、いつか貴方に言うわ」

 レインは、これ以上の問いかけは許さぬと言外に言い、おもむろに腰を上げた。
 テトラはひそかに、だか強くぐっと唇をかみしめる。レインは答えない気だろう。この場は諦めて、こうべを垂れた。

「さて……鼠がうろついているようね。私の計画がおかげで若干揺らいだわ」

 とたんに白き悪魔(ブラン・ディアブロ)の笑みを見せ、彼女は白い手袋をはめる。シュッ、と絹ずれの音がした後、もうレインの心には何の余韻も残されてはおらず。
 その銀髪をまとめ上げると、レインは凄絶にわらった。


「私を邪魔するものは、私がこの手で災厄を招いてあげる。
——私は、罪を裁くのではなく降らせる者よ」


 まるで己に言い聞かせるような最後の言葉に、テトラは躊躇いながらも見送った。

 その、白く美しい、だが悲しい女の横顔を見つめながら。