ダーク・ファンタジー小説

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ハイエンド
日時: 2019/08/13 01:17
名前: エノキ (ID: /dHAoPqW)

(作者コメント:勢いで書いた、正気は無い。)




簡素ながらも広い執務室に、俺たち新人兵は呼び出された。広い執務室といえど大の男たちが18人居れば息苦しさがある。
俺たちの前に立つのは、俺たちがこれから所属する遊撃部隊の隊長だ。隊長の左胸にならぶバッジは、参加してきた作戦で優秀な戦果を収めた者に与えられるものばかりだった。最前列に立つ俺にはバッジの細かな意匠がよく分かる。士官学校時代に来校してきた軍人たちを遠目に見てただけで単なる飾りとしか見えなかった金属の塊も、近くで見るとその重さを想像して唾を飲む。

「隊員、全員集合しました」と、最前列の左端に立つ新人兵が告げた。この役目は士官学校で教えられたもので、軍でいえば副官にあたる仕事を早い段階で経験するためだ。どの部隊だろうが副官は隊長の補佐を務めるので、隊長の次に賢いのが当然だ。もちろんこの列で最前列の左端に立つその新人兵が俺たちの中で最優の成績を持っている。
隊長は薄い瞼で一度瞬きをして、左端の新人兵に目をやり「ご苦労」と声をかけた。姿勢を正して俺たちを見ていた隊長は、壁時計を見て静かにため息をつく。彼の後ろにある執務机から厚い封書を持って、封蝋を俺たちに見えるように掲げた。


「本題は封書の中にあるんだが、見ての通り、封緘がされているからすぐには出せない。開封の指定時刻まで少し時間がある。話でもして時間を潰すか」


そう言って、隊長は封書を執務机に戻した。


「昔よりはるかに高性能になったAIの登場により、無人戦闘機・アンドロイド戦闘兵が戦争における戦力の1つとして活躍する時代がやってきた。

鉛玉の的になる人間は減り、戦争を短期間で終わらせる手段として有効だと市井に宣伝されてきたが、とある戦場記者の非力な立場でありながらも勇敢な告発によって世論は一気に反転する。

その告発は今も戦火の止まない戦場での出来事だった。戦況は、告発されてしまった国が優勢な状況にあり、前線は対戦国の重要補給拠点を全て取り込んだころだった。
某先進国の無人戦闘機・アンドロイド戦闘兵による——99%の命中率を誇る射撃性能や上空からの爆弾投下などを駆使し、人間が扱える銃器すらものともしない——一方的な虐殺行為が行われ、高性能AIを搭載した兵器を“ 持たない ”某発展途上国の兵士たち、民間人たちの死にゆく様を、短い動画で記録したものが、ネットを中心に拡散された。
画質も音質も見るに耐えない精度だったが、それだけで十分だった。
一切の無駄なく人体に鉛玉があたり、血しぶきと臓器を散らしながら崩れ落ちる自分と同じ人間の死に体さえ見えるのなら、余程の愚か者でもない限り気づける惨状が今も繰り広げられているのだと。

「戦争に高性能AIを搭載した兵器の持ち込み反対」
デモ活動は世界各地で行われた。いくら手を尽くしても完全な鎮圧は不可能だと悟った各国の政府は、当時終戦間も無くと言われていた戦争を無理やり終わらせ、国際法に新たな一文を加えた。
「戦争時、高性能AIを搭載した兵器の運用に以下の制限をもうける。
戦場において、いかなる環境下でも高性能AIを搭載した兵器であると視認できる旗の掲揚義務。
兵器による人間の一方的な虐殺行為の防止に努めること。これには、いかなる理由があっても人体を感知し、照準をあてないプログラムを組み込む義務を前提とする」
これにより無人戦闘機・アンドロイド戦闘兵同士の戦闘のみが容認され、人間が無慈悲な蹂躙を受けることが免れた」



部屋にはとうに知り尽くした戦争史の一端を、訥々と語る隊長の声が響く。
話がすすむにつれて執務机に浅く凭れかかり、腕組みをする姿に士官学校の教官の厳しさが恋しくなる。背筋を伸ばして不動を心がける俺たち新人兵士より、大尉であるはずのこの男を徹底的に指導すべきだ。
俺を含めてこの場にいる新人兵士はみな志願者だ。国のため、家族のために武器を持つことを自ら望んで士官学校での厳しい指導に耐えてきた。
隊長が組んでいた腕を外し、首を回す。怠け者と叱責のひとつやふたつ飛んでこない、この異常な空間に息がつまる。


「……のだが、本来高性能AIは人的資源の消費を抑えるために戦争へ導入されたものだ。
未知数の人間ならば、高性能AIよりも便利で融通の利く兵士——安直にいえば、かのシモ・ヘイヘやカンノ・ナオシのような天才が出てきてもおかしくはないのだが、いかんせん天然モノだ、少数精鋭で育成するにしても所詮は人間。死ぬときはあっさり死ぬ生き物だ」


虚空を見ていた細い目が、新人兵の列を見回す。軍帽のツバが室内の照明を遮るため、光のないヘーゼルの瞳は土気色となんら変わりがない。力無いように見えるが、俺たちを見る顔つきには覇気とわずかな軽蔑が確かにあった。


「軍が諸君らに求めるのは、軍への持久的貢献、ただこれのみ」


左胸の誉れあるバッジが白く煌めいた。
先ほどまで保たれていた静寂が少しずつ揺らぐ。新人を強く鼓舞する意思はどこにもなく、軍を崇拝する声色とはかけ離れたテノールに悪寒が走る。
咄嗟にこれは空耳だと、みっともない態度を晒す男がいいそうな言葉を思いついたタイミングと、隊長が発した言葉が重なっただけだと考えるが、俺たちを見る男の顔だけが確かにあった。覇気と軽蔑を滲ませて、眉ひとつ動かさずにざわめく俺たちを眺めている。
机上で学んできただけの新人兵に、隊長の言葉を疑う余地など微塵もない。地頭の賢さで反論があるのなら、と左端に目を向けるがそこに立つ新人兵は眉間に流れる汗をぬぐいもせず唇を噛んで隊長を見ていた。
俺たちに刃向かう手段はない。言葉にせずとも同胞たちに伝わったらしく、ざわめきは徐々に落ち着いていった。
その様子を見ていた隊長が口角を上げて笑みを見せるが、ただただ寒々しいだけだった。


「どれだけの有益な軍事活動をすればいいのか……その時々の戦況に左右されるから断言はできないが、一つだけ言えることがある。
先月諸君らと肩を並べて軍にやってきた同級生たちがいるだろう。士官学校の成績で最優を修めた者から順に、最前列の左から右に向かって並んでいたし、学校での実技のときもそう並ぶように成績は常に開示されていた、そうだよな?
言っておくが、諸君らが我が部隊、第二十四遊撃部隊に選ばれたのは士官学校の成績などではない。
生き抜くことへの貪欲さ。死してもなおもがき続ける勇敢さ。諸君らには他の同級にはない、類稀なる素質がある。
いくら頭が良くても死ねば腐るだけの人間に価値はない、死者の語ることなどたかが知れている。
諸君らは死者よりも価値のある実力者へと生まれ変わる資格が与えられるのだ。夢のない言い方をすれば、機械のごとく働くための特別な訓練を受けることになる。
詳しい話はこの封書に入っている。学校で習った通り、封緘されている内容は最重要機密だ。他部隊、家族などに公言すれば命はないと思え。
……さて、長々と喋ったがようやく時間になったか」


崩していた姿勢を直した隊長は、封書と、懐から取り出した短刀を手に持った。


「第二十四遊撃部隊隊長、ハイエンドモデル第三期ロンダーゲン=エルリヒ大尉、一一〇〇(ヒトヒトマルマル)をむかえたことを宣言す。これより計画書の封緘を開封致す」

左胸のバッジに劣らず見事な意匠がほどこされた短刀の金属製の鞘を抜き、赤い封蝋に刃を入れた。

Re: ハイエンド ( No.1 )
日時: 2019/08/14 15:11
名前: エノキ (ID: D6X4Nb68)

ハイエンド。それは、サイボーグの上位互換を指す。
無人戦闘機・アンドロイド戦闘兵が人間を殺すことを禁じられ、以前の戦争に変わりなく人的資源の浪費や戦争の長期化が避けられなくなってしまった。高性能AIはそれらの諸問題を解決するために導入したはずなのに、一切の手出しできなくなってしまったからだ。
そもそも戦争しなければ気にする必要もないのだが、先進国(この場合は技術的見地によるもので、総合的には発展途上国なこともままある)の国家間で戦争が絶えないのだから早く解決しないと泥沼化するという。
軍上層部や政府のお偉いさん方で散々話し合った結果出てきたのは、ハイエンドモデルの開発と逐次戦場投入するための計画案だ。
我が国におけるサイボーグとは、病気や事故などで人体の一部をやむをえず切り取った患者を対象にした治療法のひとつだ。技術の進歩で本物とほとんど変わりない代替品サイボーグだと話に聞く。
その上位互換のハイエンドは、簡単に言えばサイボーグの上限値を大幅に上げており、それに適合する人間の選別が必要になってくる。その代わりに、生まれつきや長期の訓練を積んでやっと得られる技能が誰にでも使えるようになる。
例えば、百発百中の訓練をワンセットとし、サンセットして全部的中するとか、雑音がひどい中足音や銃声の位置と距離と数と銃の種別を全て当てるとか、見たものを忘れないように自ら記憶の管理ができるとか。言ってしまえばアンドロイド戦闘兵と大して変わらないのがハイエンドモデルだ。
唯一アンドロイド戦闘兵より優れているのは、死亡してすぐに本部へ蓄積された全データの送信が始まること。戦争において情報と命は重要だ。欠点は、人によって臓器の摘出があるので免疫が落ちるので本人含め同じ部隊は皆病気に人一倍気を使わなくてはならないこと。感染の未然防止が何より重要になる。
こうして並べたところで、誰かに教えられる情報は一つもない。ハイエンドモデルは機密情報で、表向きには精鋭の部隊でしかない。うっかり漏らそうものなら、肉体に仕込まれた監視装置で本部に報告されて次の日には処刑だ。

第二十四遊撃部隊はエルリヒ大尉の指揮のもと、南西方面の前線を中心に活動している。南西は広い海と諸島があり、島の大きさに見合わないほどの資源供給が見込めるという。現在我が国は技術的先進国の一つ、ヌナキヲ国と戦争している。
始まったのは三年前で、ハイエンド計画の第一段階の最中に開戦の知らせを聞いた。第二十四遊撃部隊が作戦に参加したのは翌年の秋の終わり。その作戦で前線を向こうの島まで押し上げることになった。上陸作戦で先鋒を務めるのは、ハイエンドモデルで編成された第五部隊と第十三部隊の二部隊。第二十四部隊は二部隊の援護をする形で、初めての実戦を経験した。
経験のある二部隊が先に上陸し、最初の戦闘が砂浜で始まる。新人である俺たちのために敢えて残されたヌナキヲ国の敵兵を、与えられた力と銃で仕留めていく。広い砂浜には、いくつものトラップが仕掛けられていた。自分の目や耳で得た情報を同じ部隊の隊員と共有してルートを構築し、トラップ解除や牽制などの役割分担をして、銃弾が飛び交う中動き回ることが俺たちの最初の仕事だった。

砂浜を通れば次は亜熱帯の植物による天然の市街戦だ。普通の人間なら決死の覚悟で突入する場所でもハイエンドなら難なく敵の居場所を見つけ出し、先手でトリガーを引く。色彩で誤魔化せても、人間の体温と植物の体温は似せられるわけがない。この時は一般兵が入り込む前に粗方潰す必要があったから、ハイエンド三部隊で手分けする。第二十四部隊は観測と射撃を分担する二人一組に別れた隊員たちで敵の頭を残さず撃ち抜く。
そこでハイエンド三部隊は前進を止める。島の中心に進むにつれ敵兵の数は一気に増し、数の不利で押されてハイエンドの損失があってはならない。それに、一般兵が島の中心に進んだことで敵兵が大ぶりの葉で生い茂る植物の影へ慌てて身を隠そうものなら、ハイエンドの出番だ。
初戦というのもあって小規模作戦だから特に手こずるようなことはなかった。そもそも、こんなところで手こずっては次の補給拠点の襲撃に遅れが生じるのだ。こちらの被害をいかに抑えるか、短期でいかに敵へ大損害を与えられるか。効率的に動き回ることがハイエンドの役目だ。

『自分の失態で仲間が死ぬと思え』と士官学校時代は何度も言われてきたが、あのときの教官の熱弁ぶりが今では薄っぺらく思える。戦場でどんな活躍をするのか、なんて妄想を密かにしていた昔の俺があまりにも馬鹿らしい。本物の戦場に立つと、思想や夢がどんな内容であろうと、砂を噛むのと大して変わらないと嫌が応にも確信してしまった。
初めて戦った戦場の情景ならいくらでも思い出せる。あの日の気温や湿度、頬に触れる風、匂いに音、解除し損ねたトラップの痛み、頭を撃ち抜いた敵兵の顔が俺を見て生き絶える様子を。
どれをとっても、俺の心は動かない。何も思わなかった。俺だけなのか、同じ隊の皆もそうなのか、尋ねることすら憚られた。銃を構えた手を見下ろして、本当にこれは俺の手なのかと疑った俺自身を、後になって疑うような俺が聞いていいものなのか分からなかった。
まるで感情を持たない機械になってしまったかのような錯覚だった。事実体に機械が埋め込まれているが、俺は人間だ。兵器じゃない。高性能AIを取り込んだ人間は、兵器じゃない。

唯一、隊長のエルリヒ大尉には話した。『機械のごとく働くための特別な訓練を受けることになる』と言ってしまうような人なら少しぐらい分かってくれるだろうと、甘い考えで動いたことが今なら分かる。
作戦が終了してから初めて迎えた夜、輸送中の船の甲板で並んで話した。ハイエンドの本格的な治療は本部でしか行えないため、作戦が終わるたびに一々戻らなければならない。生ぬるい潮風が強く吹き通る夜の甲板に俺たち以外の姿はなかった。
話し終えてからのエルリヒ大尉の第一声は「そうか」の一言だけだった。
何が、そうか、だ。隣に立つ男の顔を伺えば、ヘーゼルの瞳に暗闇が映っていて、話を聞いて欲しいと頼んだときと変わらず眉ひとつ動いてなかった。作戦中は一切気にも止めなかったエルリヒ大尉の態度に、何か一つ言ってやろうと考えているときに、不意に大尉が顔をこちらに向けた。


「お前は間違っちゃいない」
「……慰めでしょうか」
「事実だ」
「何も思わないことが、間違いではないとおっしゃるのですか」
「ああ」


そう言ってエルリヒ大尉は顔を戻した。ヘーゼルよりも艶やかな色をしたブラウンの毛先が強風に煽られて、あちらこちらに飛び跳ねている。


「焦ることも、急ぐこともない。いずれわかる」
「…………」エルリヒ大尉の真意がわからず、黙り込む。
「わからなくても問題はないがな……お前には関係ないか……。モナド、次の作戦は俺と組め」
「……その理由を伺っても」
「中途半端に悩むようではお前のペアを危ない目に合わせる。俺なら多少構わないし、お前のフォローもできる」
「次の作戦までに二週間あります。それだけあれば悩みもなくなりますから」
「とは思えないが」


視線だけエルリヒ大尉の方へやれば同じように俺のことを見ていた。伏せ目がちにじっと見られ、見られ続けて、俺が先に折れた。


「大尉、時間を下さい」
「……ほう。期限はどうする?」
「十日間。それで無理だったら、大尉の指示に従います」
「分かった」


相談が終われば話すことはない。エルリヒ大尉が先に甲板を降りた。
敬礼の姿勢で大尉の後ろ姿を見送りながら(十日もあれば十分だろう)と当時の俺はそう考えていた。

Re: ハイエンド ( No.2 )
日時: 2019/08/22 20:34
名前: エノキ (ID: .niDELNN)

ヌナキヲ国の補給拠点が一つ、南西方面の海洋に浮かぶ諸島の中で最も面積の広いこの島は、かつて先住民族を主体とした独立国家だったが、今はヌナキヲ国の植民地だ。ヌナキヲの前線を支える補給拠点で、ここをとれば我が国の前線は一気に押し上がる。
ハイエンドは陸でしか本領発揮できない。ハイエンドの武器は己の肉体そのものだから、戦闘機や戦艦の中にいても役に立つことはほとんどない。上陸戦には参加しているものの、やはり小さな島よりも広い土地で縦横無尽に活躍したい意欲をもつ者が多いようだ。俺の所属する第二十四部隊の隊員のほとんどが例に漏れず、まだ補給拠点地の上陸作戦の三日前だというのにその話が隊内であちこちであがっていた。
俺は話の輪に入れなかった。筋肉隆々の隊員たちが臨時拠点の食堂で盛り上がっている様子を横目に、隊長に与えられた部屋へ向かう。
十日前からずっと考え続けていた。あの錯覚を否定するにはどうすればいいか——これは相手が敵じゃなくて仲間や家族なら揺れ動くだろうと思ったが、彼らを危険に晒すようなことがあれば軍人失格だと自責して(じゃあ敵だから何も思わなかったのか)と考え直しても、納得のいく結論は出せなかった。
敵にかける情は無い。これから殺す相手に情けを持っていたら自分が参ってしまうのだから、無感情になってしまうのもおかしくはない。
けれど、初戦で初めて人を殺した人間が何も思わないのは、どうなんだろうか……。辿るべき段階を数段飛ばしたのだろうか、俺は。あるいは最初からそういう人間だったのか。いや、こうして悩んでいる時点でその可能性はないと言っていい。無感情だったことに対する罪悪感を持てるのだから……。
それなら、無感情が正しいというエルリヒ大尉の真意を探ろうと他のハイエンドに聞き回ることした。幸いにも前の作戦で共に戦った、ハイエンドで編成された第五部隊と第十三部隊が同じ臨時拠点で駐在していたから何か聞けるかと思ったが、残念ながら第五・十三はハイエンドモデル第一期と第二期しかおらず、同じ作戦に参加しても個人的な話をすることがなかったというので何も聞けなかった。
悩みが解決したかといえば微妙なところだ。白黒つけれるような話じゃないのは分かっている。自分の中で割り切れないままでいるのは、あの夜にエルリヒ大尉が指摘した被害を起こしかねない。上司とはいえ、あの男の言う通りにいくことに少しの不満はあるが、報告のために隊長が待機する執務室の扉をノックした。


「ハイエンドモデル第四期ザルカフ=ノニア・モナド、入室の許可を願います」
「入れ」
「失礼します」


室内にはエルリヒ大尉と副官のリムゼンがいた。二人とも手に書類を持ち、入室してきた俺の顔を見ている。


「ああ、そういや今日だったか」
「はっ……」


リムゼンの存在を思い出して口がまごつく。彼は第二十四の隊員の中で一番賢い。副官がまだ決まっていない初日に最前列の左端に立っていたのも彼だ。選抜の基準に士官学校での成績は関係ないと言っていたが賢い彼が副官に選ばれたのだから、やはり頭の良さは外せないのだろう。黒曜色の瞳と目が合うと、リムゼンは静かに笑みを浮かべて書類に視線を落とした。
情けない話を同期に聞かせるのはあまりしたくなかったが、俺を見るエルリヒ大尉の圧に耐えきれず口を開いた。


「隊長。……折角お時間をいただいたのですが俺には解決できませんでした。先日の指示に従います」
「そうか。頭で考え込む気質だから無理だろうとは思っていたから想定内だ」
「…………」リアクションに困り、思わず口を閉ざす。


あまり人と喋ることがないから頭で考える癖があるのは自覚している。しかし、エルリヒ大尉に言われる理由が分からなかった。大尉も口数が少ない方だから、副官でもなければ陽気でもない俺と喋ることなんてほとんどない。断定されるような何かをきっかけに、エルリヒ大尉は知ったのだろうが……それがなんなのか俺には分からなかった。


「シュルベースズ、作戦書に変更はない。当日までに読み込んどけ」
「はっ、了解しました」


リムゼンが書類を携えたので、共に敬礼をして執務室を辞去する。
執務室から隊員が待機する建物まで、俺たちは黙って歩いた。ここら一帯で一番新しい建物を出て、右に見える老朽した建物に続く小径を進む。次の上陸作戦に参加する部隊はすべてこの島に待機している。ここはヌナキヲ戦が始まって最初に獲得したヌナキヲの補給地点だ。それ以前は大昔に大陸人が移り住だ土地だったが、五年前にヌナキヲの植民地になった。文化レベルはすこし落ちるが、インフラ設備は整っていたので不自由なく生活できる。インフラ整備はヌナキヲによるものらしく、ヌナキヲの企業が開発した器具が使われていた。
ハイエンド三部隊の待機所は民宿を利用している。南西方面攻略本部はヌナキヲが拵えた拠点を再利用しているが、少しでもハイエンドの情報を隠すためにわざわざ離れた場所を使っている。
小径は中庭を通っている。枯れ草を抜いて野菜を育てている花壇だけが中庭に色をつけていた。藤棚は、垂れ下げる野菜はないので素っ裸だ。花壇のトマトの実がなっていたことにリムゼンが気づき、二つとって藤棚を指差した。


「ここで少し話そう。食堂は大陸戦の話で騒がしいだろうし」
「そうだな」


黒ずんだベンチに腰掛けてトマトを一つもらう。食卓で使うものより一回り小さく、ふた口で食べ終えた。トマトの酸味が舌に残るようでリムゼンは微妙な顔で「すっぱ……」と呻いた。


「生で食べるには適さない種だったかな……」
「……俺は平気だったけど」
「そっか……。ザルカフ、君の話は先に隊長から聞いてたよ。次の作戦で君と僕が交替する」
「ん」
「エルリヒ大尉とペアになるから隊内で先陣をきることになる。あの人、好戦的だから先々行くけど訓練通り着いていけば大丈夫。……たまに返り血がこっちにまで飛んでくるけど」
「ん」
「それで……えーと、話をしたいんだけど」
「ん」
「……君は聞いてるだけでいいよ」


ずっと花壇を見ていた視線を斜め下に向ける。俺より背の低いリムゼンを見下ろせば、瞳と同じ黒曜色の毛先がかかる額、目尻の垂れた目を控えめに覆うまつ毛、低い鼻が視界に入る。短いまつ毛の隙間から見える黒曜の瞳は、俺の方を向いていなかった。


「成績上位者は卒業前に面談で配属先の希望を聞かれるんだ。僕は指揮官になりたかったから前線に関わるところを挙げたんだけど、その時に同席していた……その場で配属が決まるから人事の人が何人かいたんだけど、精鋭部隊を統括する偉い人がいて、僕にこう尋ねたんだ。『戦場で人を殺すことに恐怖はあるか』」
「……」相槌をうたずに考える。リムゼンの面接で質問をしたという人は、表向き精鋭部隊と名乗るハイエンド部隊の責任者以外に思いつかない。
「僕はあるって答えた。そしたら『じゃあ、恐怖心がなければ躊躇なく殺せるか』って聞かれて…………答えはすぐに出せたんだけど、あえて悩むそぶりをしてみせた。視線を落として、唇を固く締めてから顔を上げて『小官はできます』と。すぐに答えて、非道な人間だと思われたら嫌じゃん?」


リムゼンは途中で話しながら笑い出した。俺たち以外誰もいない中庭に笑い声はすぐに消えた。


「そうしたら、偉い人は『お前はそういう人間じゃない。自分のことよりも客観的価値に重きをおく人間だ』って言ってさ。それで僕の面接は終わり、配属先は言われなかったけどほぼその人が統括する精鋭部隊になったのは間違いなかった。人事の人たちが揃いに揃って残念そうな顔をしてたからね」
「事実、第二十四遊撃部隊も精鋭部隊の一つだと言われてるしな」
「こないだの作戦が初戦なのに。すごい期待されてるよ、僕たち」


そう言って、リムゼンは書類を膝におき、腕を前に伸ばした。隣にいる俺なんか最初っからいないような振る舞いを黙って眺める。
彼がどういう人間なのか、なんてことは俺に関係ない話だがリムゼンの言う通りなら、俺とリムゼンは正反対の人間だ。相手に持たれる自分の印象を操作して、人間らしさを強調しようなんて発想は一度も浮かんだことはない。


「なあ、リムゼン」
「何だい」
「何故お前の、ハイエンド以前の話を聞かされているんだ」
「…………」口を閉じたリムゼンが、組んだ足に肘をついて俺を見てくる。表情からは何も読み取れず、微動だにしない彼の目には俺の姿が映っていた。「うん、思考回路の素質は無関係みたいだね」
「それが質問の答えか」
「まあそんなものかな。頭の回る奴とは聞いたけど飛躍するようなタイプじゃないよね、ザルカフって」
「……ハードル走か?」
「ボケないで?」


リムゼンの遠回しな話し方についていこうとしたのににべもなく叩かれてしまった。
少し皺が入った書類を手で直す彼に「結論から話してくれ」と苦情をこぼす。


「それは無理な話だね。誰にも聞かれない場所があればいいんだけど」
「聞かれて困るのか?」
「困るというか、なんというか」
「筆談なら聞かれないだろう」
「無駄じゃないかな、手段を変えても」
「そんなに警戒しなきゃいけないんだな。……お前の話したいことは機密情報か何かか?」
「うーん」


リムゼンが否定もせず、笑いと深刻さが綯交ぜになった声をあげるから何かしら教えてくれるのだろうと身構える。


「あくまで僕の推論なんだけど、もしかするとそうかもしれないしなあ……」
「推論なら別に構わないだろ」
「そんなことない。君にとっても他人事じゃないんだから」
「……そうか」


俺もといハイエンドの軍人が保持する機密情報は、ハイエンドそのものだ。それ一つしかない。
機密情報を漏らせば処刑されるのは周知のことだ。
リムゼンの長い自分語りに、ハイエンドの関係者が出てきたのだから気付けたのかもしれないが……ぼかした言い方を繰り返すリムゼン相手に無理な話では?


「“ 同じ精鋭部隊の人間 ”なんだから、少しぐらい話したってもいいんじゃないのか」
「うん、そこなんだよザルカフ。共有してる情報は間違いなく同じなのに、理解に差がある。他の同期たちも、先輩軍人もそうだ。でも気づいている様子は全然ない。誰も口外していないから……あるいは、口外した当事者が処刑されたのか。それでも、この理解への第一歩は、同じ訓練を積んできたんだから君も気づけるはずなんだよ」


リムゼンが立ち上がって、花壇の方へ歩み寄る。もうすぐ冬を迎えるのに夏のように青く広い空に、隊内で小さい彼の両肩が入り込む。彼の後ろに組んだ手は、エルリヒ大尉から渡された作戦書を握っていた。
黒曜色の短い毛先が頼りなく風に揺られている。


「でも、君は気づかなかった」
「…………」俺には、リムゼンの言う理解も気づきもわからなかった。何も言えず、彼の背中で作戦書に新たな皺が入るのを見ていた。
「たぶん……多分だけど、僕が副官に選ばれたのは余計な手間が省けるからなんだろうね。どんな人間なのかあの面接で知られたから」
「それは……お前のせいじゃないと思う」
「同意見だよ。僕が一番最初にバレただけで、あの時に気づかれなかったなら他の人が選ばれる。他にもいるからね、僕みたいなのが」


肩越しに振り返るリムゼンの顔は、細めた目で笑っていた。
恐怖心がなければ躊躇なく人が殺せる。
他者からの評価を恣意的に好意へ運ぶ。
どれか一つか、どっちもか。


「俺を見ながら言うべきことか、それ」
「うん。アプローチの仕方は違うけど君も同じだ。初めての人殺しで何も思わなかったことを気にしたんだってね」
「戦争だから人を殺すのもやむを得ない。それでも、子供の頃から肌身で感じていた常識を覆されることがあれば、誰だって戸惑うだろ」
「その集団同調を重んじる意識と、一切の抵抗なく人を殺せた事実。矛盾するから君は悩んだ。今も悩んでるんだよね?」
「そうだ。ただ、これは戦争で、相手が敵だったから何も思わなくて当然だと結論を」
「というところまで来て、エルリヒ大尉には解決できないと言った……」リムゼンは後ろに向けていた顔を戻し、言葉を続けた。「日常生活で、敵じゃない人間を殺すことには躊躇があるのが当然、と仮定して…………同じ人間なのに敵だからって理由で情けをかけないのは変、と思った?」
「そういう発想は無かった」
「へえ?」
「俺は、情け云々より、初体験で実感すべきものがないことの説明がつかないから解決できない悩みだと思って、エルリヒ大尉に報告した」
「……なるほどね。分かった、なんだそういうことか。とっかかりを見つけたのと気づくのは別物なんだ……。ああでも、そこまで来れるんだったら、僕がバレなきゃ間違いなく君が副官に選ばれてたよ」


再び俺を見るリムゼンの顔は、口角がいつもより上がり、盛り上がった薄い頬肉が目を湾曲させて満面の笑みを形作っていた。
初めて見るリムゼンの表情に驚いていると何事もなかったかのように笑みが失せ、体ごとこちらを振り向いて普段通りに小さな目で俺を見てきた。


「リムゼン、一人で勝手に納得するな」
「ごめん。でもこれ以上は無理だ、たった一言で数年間の努力を不意にしたくないし君もそうだろう、ザルカフ」
「言っちゃあなんだが卑怯だよな」
「仕方ないよ」そう言って、リムゼンは肩をすくめて笑ってみせた。


そう言われてしまったら追求できない。勝手に、もったいぶりながらベラベラと話された挙句にやっと得た軍人の立場を盾にされると、ムッとしても堪えるしかない。リムゼンの抱える推論がどこまで正しいのか。少しでも正確な部分があるならマシかもしれない、頭がよく回るだけに暴走していた可能性もある。


「なあリムゼン」
「ん?何だい」
「何でこのタイミングに、そんな話をしたんだ」
「現状の作戦スケジュールだと、今日しかなかったんだ。不必要な混乱を避けるために、君以外に聞かれる可能性がない場所はこの駐屯所以外にないし、こないだの作戦で悩める同期を慰めるのは今ぐらいしかなかった。今後の作戦で積み重ねるであろう悩みを相手するつもりもなかったからね」
「随分と、長い慰めだったな」


リムゼン=シュルベースズという、隊に俺よりも変な奴がいるって事実が果たして慰めになるのか分からないが。
真上に昇った太陽の日差しで気温が一気に高くなる。祖国ならそろそろ雪が降り始めるころだが南半球だと夏真っ盛りだ。何もかかっていない藤棚の影が色濃く地面に落ちる。照りつける日差しから逃れるように、俺たちにあてられた古い民宿の建物へ入った。


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