ダーク・ファンタジー小説

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ジョーカー・ザ・リッパー
日時: 2020/04/13 23:23
名前: jack (ID: hgzyUMgo)


よろしくお願いします。


本編

>>1-

Re: ジョーカー・ザ・リッパー ( No.1 )
日時: 2020/04/13 23:29
名前: jack (ID: hgzyUMgo)


 こつこつと、チャンキーヒールが床を打つ音だけが、四人の間で響いていた。機械的に、リズムを保って打つ足音を除けば、その場を静寂が支配している。その静寂は意図して生み出したというよりも、誰もが一度生じた静けさを破ることを躊躇ったことに由来した。息を吸う音さえ、衣擦れさえ、生唾の嚥下さえ、その只ならぬ沈黙の中に染み入り、融けていく。
 四人の中で、緊張とストレスで胸に早鐘を抱えているのは三人だけだった。残る一人はというと、ゆったりとした足取りで足音を奏で、神妙そうな顔をしているものの、緊迫感とは無縁な様子だった。
 その者は夜の闇のような厳かな佇まいであるというのに、うら若い乙女の姿をしていた。黒揚羽を想起させるような真っ黒なワンピースに、墨のような皮手袋。日本人らしい黒髪も、睫毛も、黒い瞳も、全てが宵闇の化身を思い起こさせた。
 誰もが自分へと意識を向けている。彼女はその自覚があった。それも当然である。事務所の窓ガラスの真ん前にあるデスク、その上に広げられた新聞の一面記事。巷を騒がすジョーカーについて、その恐怖を煽るような文面がだらだらと書き連ねられていた。そして彼女が言及しようとしているのは、そのジョーカーの正体についてだった。
 冷や汗と軽薄に表現していいものだろうか。その女性を除いた三人の男の額を、それぞれ汗が伝っていた。蒸し暑い梅雨の日々が続いてはいるが、それでも日の落ちたこの時間はまだ涼しい。生理現象として、肉体が欲した汗ではない。心の揺らぎが滲ませたその汗は、感情が結露したものだろう。恐れ、期待、疑念、そういった負の感情がどろりどろりと己の腸にてかき回され、結果として析出した結晶とも言える。
 ふと、規則正しいヒールの足音が途絶えた。
 読み終わり、役目を終えた新聞が無造作に広げられたデスク。その持ち主は本来加藤という探偵をこそ主としているのだが、彼女はその椅子をひいて、自分が腰かけた。理由は簡単だ。今この場において、其処に座る者として最もふさわしいのは自分だと信じて疑わなかったからだ。
 この事務所というのはすなわち、加藤探偵事務所。詰まるところ、今この時においては自分こそが探偵に他ならない。そういった主張故だった。
「ど、どうしてずっと黙っているんですか、ナナシさん。君が僕たちをここに集めて、ジョーカーの正体が分かったと言ったんだ。それなのに、さっきから何も語ろうとはしない」
 静寂を破ったのは、男三人の中で一番の若造だった。就任して三年目の警察官で、凶悪犯罪を主に取り扱う課に所属している。一回り以上年上の刑事と二人組で行動しており、この事務所の人間とも近頃顔なじみになった。
 彼が静けさを破り、真っ先に口を開いたのは、何も彼に勇気があった訳ではない。堪え性がなかっただけだった。押しつぶされる様な部屋の中の重圧に耐えかね、苛立ちをぶつけるようにして、胸中に渦巻く不安を言語の形で発露した。それだけのことだ。
 しかしなおも彼女は答えない。値踏みするような目で、其処に居る三人の顔を交互に見つめていた。品定めされているようで気分が悪いと、義憤にかられたように若い男は声に出す。きっと、青いが故に不平不満を胸の内に留めてはおけない、あるいはそのような振舞いは卑怯だと信じ込んでいるからだ。
「済まない、それは謝罪するよ坂江さん。何も挑発することが本意じゃないんだ」
 これから語る、真実の候補たる仮説を受け止めるに足るだけの準備ができるのを待っていた。それが彼女の弁だった。独特な語り部が特徴的な彼女だが、今日はいつも以上に芝居がかった口調をしている。その事実が、この部屋の中を昨日までとは違う状況であると裏付けているようにも感じた。
「私は自分で言うのも憚られるが、無感情な人間でね。名前と一緒に心も失ってしまったようだと人は言う。だからこそこの仮説に対して何の思い入れも無いわけだが、他人の胸中を察し、その動揺を推定するくらいはできるつもりだよ」
 人でなしの自分でも、優しさを行動で示すことはできる。自らそう述べるのは些か傲慢に思えた。しかし、彼女はつい今、自分は無感情だと自白したところだ。感情が希薄な故に自分の特性を誇りに感じることもない。その優しさに由来する行動を鼻にかけている訳ではないという訳だ。しかし、議論を円滑に進めるためだけに他者の心の支度を待つだけの機微は見せられる。
 感情を理解すれども、手中に収めることはない。ナナシと呼ばれた彼女こそが、自身を指して「人でなし」と宣言しているせいだろうか。以前からその場にいる三人には、この女には血の代わりにオイルが流れている高性能アンドロイドなのではないかと疑う程だった。
 誘爆という言葉がある。そして、坂江という若い警官の焦燥はものの見事に、両隣の男達をたきつけた。小さな火種が、大きな火薬に飛び火する。とりわけ、この探偵事務所という小さな城の主たる加藤は、一度口を開くと中々鳴り止まないと評判だった。それはもう一人、口を開こうとしていた四十近い歳の刑事を差し置いて、ずいと一歩前に出た程に。
 自身の評判を知ってか知らずか、矜持を守るためなのかは第三者に理解はできない。しかし、一度彼に破られた沈黙は二度と帰ってこないことだけは明らかだ。この場は意見を述べてもいい空間だと定義されたと言わんがばかりに、彼の弾丸トークが幕開ける。
「おいおいナナシ、心の準備が何だってんだ。俺たちは一応大の大人だぜ。しかも警官二人に名探偵だ。今はお前にお株を奪われちまってるが、俺も探偵として修羅場は潜ってきたつもりだ」
 その修羅場というのは大体余所の家庭の浮気を巡る、ありふれた個人間の諍いなのだが、今は指摘するべきではないと彼女は断じる。残念なことに、この男は彼女と対照的に虚飾で自分を大きく見せることに執心する質だ。何を言っても聞く耳を持ってはくれない、だからこそ代わりに白けた視線だけを送ることにした。
「俺たちの度肝を抜きたいってんなら、あのお約束の台詞くらいは用意してくれないとな」
「ほう、例えば『犯人はこの中にいる』とでもいったところかい、ジョー」
「そうだな」
 さしもの自分も、ジョーカーザリッパーを捕らえるために集まったこの面々の中に、件のジョーカーがいるとしたら驚嘆を隠せない。芝居がかった口調で歌うように探偵加藤は述べた。しかしその揚々とした彼など歯牙にもかけないまま、ナナシは動揺も感動もない淡々とした口調を維持したまま、遮るように口を開く。
 当然結論を急いた訳ではない。加藤のマシンガントークに価値が無いという合理的判断に基づいて、弁舌によって一刀両断した訳だ。そう、合理だ。ナナシは、この場にいる誰よりも合理と効率とに支配されていた。まるでそれ以外の価値判断を持ち合わせていないように。
「当たらずとも遠からず、といったところだな」
「はぁ」
 気の抜けた声が加藤の喉から飛び出す。口やかましいため、真の意味でその言葉を体現してはくれないが、その表情からは一般人でいう絶句の二文字が見て取れた。しかしその声はたちまち、驚愕と恐怖とに変わっていく。
 その言葉が真実であるなら、今ここに裏のジョーカーが存在していることになる。今、京の街を騒がせている連続殺人鬼のジョーカーが、である。
 警官の二人は警戒の色をより濃く示したものだが、単なる探偵に過ぎない加藤は話が別。引き攣った顔のまま、縋るように年配の刑事にすり寄ろうとしたものの、彼がそうである可能性に思い至り、さらに飛び退いた。その姿を見ても、まるで尻尾を踏まれた猫のような仕草だと、ナナシは冷静に分析するのみである。
「そう怯えなくていいよ、ジョー。刑事さん達も、警戒しなくていい。今この部屋にジョーカーは存在しないからね」
「何だ、ドアの向こうにでも隠れてんのかよ。今部屋の中に居ないからって安心できる訳ないだろ、タイミング窺ってるだけかもしれねえ」
「落ち着け、ジョー。私の推測が合っていても外れていても、君が手にかけられる未来はあり得ない。そうしたら、ゲームが成り立たなくなるだろう」
 あくまでもジョーカーは、この連続殺人および探偵と警察の連合から逃れることを一種の享楽だと捉えている。対戦相手である探偵役、加藤を殺すことはあり得ない。
「そして私の推測が正しかった場合、もうこの世にジョーカーザリッパーを現れさせはしない。悪質なジョーカーは、必ず今日を以て、永遠に封印してみせるとも」
「封印って、まるで化け物を相手にするみたいな言い方しやがって……」
「当然だろう。何せ果たし状からして彼は告げていたじゃないか。オーパーツ……ミストフィーアの短剣は彼の手中にあるのだ、とね」
 人智を超えた遺物の力を借りている以上、単なる快楽殺人者ではなく怪物を相手取っていると考える方が相応しい。平たく口にすれば、敵対しているジョーカーというのは、透明人間に他ならないのだから。
「そして、この仮説を迅速に証明する手立ては、正直なところないと言ってもいい」
「いやいや、何だよそれ。それじゃ間違っていたとしたら悪趣味なゲームがまだ続くじゃねえか」
「落ち着け、ジョー」
「いや、冷静じゃないのはお前の方だ。間違った推理なんて認めたら、どうなることか……」
「言っただろう。迅速に証明できないだけだ。正直なところどれほど証明に時間がかかるのか分かったものではないが、不可能ではないんだ」
「何だよその曖昧な言い方」
 怒気とまではいかないものの、ナナシに詰め寄る加藤の声音には棘があった。かつて加藤は間違った捜査が原因で、家族を失ったと言っていた。それゆえに、曖昧な推理、推測というものに翻弄される他者がいることを許容できないのだろう。
「この証明を行うためには君の持つ義眼のオーパーツが必要になる。だからこそ、証明終了までかかる日数を事前に知ることはできない」
 古代から中世にかけて造られたとされながら、現代以上の技術と文明を示唆するような、あり得ないオーバーテクノロジーの結晶。それゆえに悪魔の創った製品と目される数多の道具の総称をオーパーツと名付けたのだ。そしてそれらオーパーツの超常現象を唯一殺すことのできる特別なオーパーツ、サズの義眼。それを用いてミストフィーアの短剣を打ち消すことで、自分の仮説の証明としたい。
「だが、これから私が真実を紐解くにあたって、一つ大切な前提がある。それは私の提唱する説が非常に荒唐無稽に聞こえることだ」
 君たちが常識人か、異端者なのか。はたまた切れ者なのか愚者なのか。そういった区分など意味をなさない程、突飛な解を用意した。
「信じられない、信じたくない、そう思いたくもなるだろうが、それでも最後まで黙って聞いていて欲しい。人でなしと詰られるこの記憶無き探偵見倣いからの、たった一つの頼み事だ」
 何せ、オーパーツとは『世界を欺くための道具』なのだ。オーパーツを利用した此度の犯罪は、お伽噺のような理屈を展開せねば説明が追いつかない。
「………………分かった」
 家主の加藤は、いつに無いナナシの懇願に、たっぷりと沈黙を置いてから許可を出した。人でなしと散々揶揄されるような言動をしてきた彼女だが、このように外聞も無視して我を通そうとしているのは初めてのことだったからだ。
 不意に記憶喪失の彼女を拾うことになってから、情が移ったのも大きい。そんな彼の葛藤を目にし、公僕である警官二人も嘆息だけ示して聞き入る意思を示した。
 こうして、名無しの名探偵に事件の解決、およびジョーカーの隠れ蓑をはぎ取る大仕事が委ねられた。
「では、ジョーカーの正体に触れる前にまず、どうして私がその答えに行きついたのかを説明するべきだろう。猟奇殺人ともとれるこの連続殺人事件の犯人を知るためにはまず、どうして私がジョーカーの正体を見抜くことができる者だったのか、それを理解するところから始まる」
 そしてその話をするにあたって、自分が目覚めた日から順を追って説明していかねばならないとも言う。彼女が現れたのは、おおよそ一月ほど前、梅雨に入りたての夕暮れ時だった。二人の警察官と探偵の加藤、その三人がこの事務所で初めてジョーカーザリッパーの情報交換をした時のことだった。
 この事務所を牛耳るべき唯一の人間、加藤でさえ与り知らぬまま、ナナシという乙女は探偵事務所の中に湧き出るように現れた。
「私は、ここが何処で、自分が何者なのか分からなかった。記憶喪失だとずっと思っていた。けれども、そうじゃなかったんだ」
 私には喪う記憶さえそもそも無かったんだよ。彼女は眉を八の字にして、目を伏せた。感情を示唆するような態度を彼女がとるのを、初めて見たことにひどく驚いた。
 しかし、そんな他愛もないことに感激していた三人には知る由もなかった。彼女がそんな態度をとった真の理由など。
 ナナシは、ぽつぽつと自分の中に転がっている記憶の粒を拾い上げるように、初めてこの事務所で自我を持った瞬間を思い出していた。
 記憶喪失の名無しの少女。闇から生まれたような彼女に、加藤が居場所を与えたあの日のことだ。




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