ダーク・ファンタジー小説
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- ペトリコール
- 日時: 2020/10/10 18:54
- 名前: 地縛霊 (ID: o6EPdGyL)
1度でいいから、雨を、ただ思い切り浴びてみたい。
傘は束縛だと思うから。
雨から守られているというよりは、一つの小さな境界線で自分と自然が隔てられている気がしてならない。
霧雨が降る朝。
目覚ましに起こされて、一階に降りる。
母が卵焼きを焼く香りがして、また卵焼きか。と贅沢にも思ってしまう。
今日も傘をさして学校に行くのか。パジャマ姿で朝の天気予報を見ながら焼き立ての卵焼きを頬張る。
あぁ、一回だけでいいから雨が雲から落ちてくる瞬間を見てみたい。
地面に打ち付けられる雨だけじゃ物足りない。
生まれる瞬間を、目に焼き付けたい。
卵焼きを口に残したまま制服に着替え、歯を磨き、顔を洗う。
いつも通りの朝だ。
それらを手早く済ませると荷物を持って家を出る。
いつもの朝なら学校に行くはず。
けど、魔がさした。
電車に乗って、海辺の街まで揺られる。
傘は電車に置いて行って、潮の匂いのするプラットホームに降りる。
微かに聞こえる波の音。雨がコンクリートに歌う。
カバンをコインロッカーに置いてきて、駅を出る。
霧雨を全身に浴びながら、黒い髪に星の如く光る雨粒を今日の髪飾りにし、白い制服が透けるまで雨を楽しむ。
冬に凍えるように青黒くなった海の砂浜で、灯台を見つけた。
灯台に登る。雲に近づいた気がして、気分も雲に近くなる。
1番上まで登り詰めて、これ以上、上にいけない自分に劣等感を覚えた。
ぴちゃん。
え?
自分が透けていた。怖くなって、灯台を駆け下りる。
雨に濡れたコンクリートを滑って、歩いている人にぶつかる。つまずいて、
「ごめんなさい!……え。」
その人の足を貫通して腕が向こう側に突き出ている。
ある意味、私の境界線が無くなっていた。
私が見えていないように、ぶつかられてないかのように普通に歩いたままのその人は、どんどん歩いて下り坂の向こうに消えて行った。
透けた私の手は、何もつかめなくて、掴めるものがなくて、まるで、
ただ雲から落ちていく雨みたいだった。
体が浮いて、雨に打たれて、雲が近かった。
空に浮かんだ私の下で、何故だか母が上を見上げていた。
「母さん!」
叫んでみても、母には言葉が届かない。私が高すぎるのか、それとも私はもう見えていないのか。
虚空を見上げる母には、きっと雨しか見えていない。
するといきなり雲が私を突き放した。見捨てられた?
落下していくだけで掴めるところもない自分の身体。
ほのかに香るアイリスの香り。
母の傘にぶつかって、砕け散る。
目覚ましの音。
汗だくになって起きる朝。
一階から卵焼きを焼く匂い。
夢だったのだろうか。
毎朝のように過ごし、制服を着て赤い傘を持ち通学路を歩く。
やっぱり、自分は傘に守られて、自然と隔てられるしかないのだろうか。
雨音がしない。
傘を下ろしてみると、ペトリコールの香り。
この匂いをかいだ時、自然と隔てられた境界線が消える気がした。