ダーク・ファンタジー小説

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Reproverse
日時: 2021/02/03 15:03
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: 9ccxKzNf)

 それは私達にとって、失われた歴史の一ページだ。千年前、私達が生きるこの大地に、科学なんて言葉はなかった。私達の文明は、魔法と神秘に支えられていて、科学とはせいぜい生きる上での豆知識のようなものだったらしい。世界を作った神様は去ったけれど、妖精たちが見守ってくれたとされる、謎の多い妖精期。
 けれども私達は妖精たちに別れを告げた。人の営みは魔法だけではないと知ったからだ。魔法がなくても重い貨物を運ぶ手段があると知った。魔法がなくても家を建てられるだけの知識を得た。
 次第に妖精たちに見守られなくても、人は自立して生きていけるようになった。そのため、一千年前に妖精期が終わり、科学史が幕を開けたと言われている。この時代に人間は、神秘へとさよならを告げた訳だ。
 そして、鉄の時代が始まり、私達が生まれた現代へと至ることとなる。だから今を生きる我々にとって、妖精たちがいた頃の話なんてお伽噺でしかないというのに。

「余所者はあっちへ逃げたぞ!」
「追え! 絶対に見失うな!」
「皇国外の蛮族の存在を許すな、殺せ!」

 今、私達はそのお伽噺の只中にいた。タイムスリップ、とはまた違った事情で、私ともう一人、歳の近そうな見ず知らずの青年は千年前の街並みを奔走していた。
 彼と私とでは身体能力に大きな差があるらしく、部屋にこもりきりの私は段々置いてけぼりになっていく。苛立ちは隠そうとしないものの、その青年は息も絶え絶えな様子の私を見かねて補足を緩めつつ裏路地に入る。走る速度を緩めつつ追っ手の目から逃れるにはそれが一番だと思えた。
 幸い、身軽そうな町の人々は不審人物である私達に寄ってこようとはしない。そして追手である兵隊たちは、歴史上開発されたばかりであろう金属製の装具が足を引っ張っているようで素早く走ることは難しいようだった。

「おいお前、今どういう状況か分かるか」
「多分……。リ……ロ……スに、取り込……」
「今ろくにしゃべれないなら無理すんな、分かるか分かんねーかで充分だ」
「……っ。分か、る……!」
「了解だ。先導するからついて来い。まずは安全なとこまで行くぞ」

 話をするために一度は隣に並んだ彼は、すぐに私よりも前に出た。余程速度を抑えていたのだろう、すぐに二人の間に距離はできた。とは言っても離れすぎる訳にはいかないようで、数メートル離れた後に速度を私の方に合わせた。
 誰かは分からないけれど、悪い人ではなさそうだった。ヴァースの公用語を操っている人間で、艶のある真っ黒な髪をしている。校章までは確認できていないが、私の故郷であるガルチューニ帝国の士官学校で導入されている学生服を着用しているようだ。おそらくはその身なりが示す通り、帝国の士官学校に所属する学生なのだろう。
 実際、この“リプロヴァース”に取り込まれる少し前に、似た服の学生たちを研究施設付近で散見した。その内の一人が巻き込まれたと見て相違ない。
 一体どうしてこんな事に。そんな風に嘆く暇もないまま、細く暗い裏路地を走る。一旦裏道は抜けるようで、目の前には日が差している大通りが見えていた。明るい昼の街へと再び飛び出す。しかし運の悪いことに、道を抜けたその角では私達を追っていた兵隊の一人が目を光らせていた。
 足音を隠そうともせず、暗がりから飛び出してきた不審者を見て、兵士は面食らったようだった。しかしすぐに命令を思い出したようで、鋭く目を細めて大きく息を吸い込んだ。違う方面へと向かった同胞に情報を伝えるべく、振り返りつつ声を上げる。
 不味い。そう、私の背筋が凍り付いたその瞬間に、目の前の彼は既に行動に移っていた。

「い……」

 おそらく、居たぞとでも叫ぼうとしたのだろう。だが、叶わなかった。自分が兵士の視界から外れたと見るや、一足で彼は距離を詰めた。電光石火という言葉は、まさにこのように使うのだろう。即座に距離を詰めた青年はそのまま、手に握りしめた何かを思い切り後頭部に叩きつけた。
 追っている側だったからこそ、反撃が来るとは意識もしていなかったのだろう。兵士の男は声を満足に発することもできず、あまりの痛みに悶絶する。殴られた部位を押さえて、翅をもがれた虫のように地べたで暴れている。
 あまりの鮮やかな手際に、護られる身としては感激するほどだった。流石は仕官学生というべきか、将来は将校だろうに実戦技術も抜かりないらしい。

「握ってるそれ……銃?」

 彼が兵士を殴るのに使ったのは、やけに煌びやかな装飾に身を包んだ銃のような何かだった。

「そうだ。流石に撃ったら音でバレるからな。こう使うしかなかった訳だ」

 それより急ぐぞと、先ほど兵士が振り返ったのと逆の方向に彼は駆け出す。振り返った方向には同じように追手がいるはずだと彼が判断したと気づいたのは、数秒遅れてのことだった。
 やはり頼りになるらしい。おそらく彼にとって私も、状況を理解している有益な人間として扱ってくれているようだ。
 それにしても、どうすればいいのだろう。逃げ道だけは真っすぐ目の前に広がっているのに、心の中ではすっかり途方にくれてしまっていた。








〆Story

一章 リプロヴァース
>>1 >>2

作中の横文字に深い意味はなく語感で決めてます ( No.1 )
日時: 2021/01/31 18:09
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「落ち着いたか?」

 何とか追っ手をふりきることには成功したようで、私達は街から少し離れた草原の木陰で一息ついていた。流石にかなりの距離を逃げたため、彼も少し息を荒くしていた。初夏なのか晩夏なのかは分からないが、じんわりと暑い気温が私達から水分も奪っていく。額をつたう汗を僅かに拭い、それでもなお涼し気な表情を崩さない青年は私の具合を気にかけていた。

「何……とか……」

 対して私はというと情けない限りではあるが、もうこれ以上動けそうもなかった。切羽詰まっていた街中では緊張や焦燥が忘れさせていたが、私は元々運動は苦手だ。何分走ったのかは具体的に分からないが、もうこれ以上動けないと全身が音を上げていた。お尻は割れそうな程筋肉痛のようなものを訴えてくるし、膝にうまく力が入らず思うように立ち上がれない。息を吸ってもまだまだ酸素が足りないと肺が訴えているようで、私の呼吸はまだまだ静まりそうにもなかった。

「全然じゃねえか。無理に喋らなくていい、これから問いかける内容が正しい時は何も反応しなくていい。ノーだと答えたい時だけ手を挙げろ」

 何とか無事だということさえ伝えられない私に配慮してか、簡単なコミュニケーションで済むよう彼は提案した。もし彼も私と同じ、現代の住人であるならば、どれだけ肝が据わっているのかと感嘆する程だ。先ほどの話からするに、彼はこの状況を全く理解していないはずで、狼狽しても仕方がない。それなのに、ある程度事情を察している私よりもよほど冷静だった。

「俺たちは今、元居た場所と異なる場所にいる」

 否定する点はない。実際、私達は数分前までセントラルの研究施設にいた。しかし今は、その地点よりも遥か東に位置する場所にいる。だが、重要なのは別地点に飛ばされたことではない。それを伝えるにはもう少し息を整えてから、と思っていたのだが、彼はある程度真実を推測していたようだった。

「俺たちが暮らしている時代を現代とした時、今俺たちが置かれているのは大昔か?」

 街並みと人々の恰好が、現代とかけ離れていることがまず、現代ではないと判断した理由らしい。加えて、さっき街で走っていた際に、追ってきた男たちが時折『皇国』と口にしていた事実を、きちんと聞き取っていたようだった。皇国と呼ばれる国は、彼の言う『現代』においてヴァース大陸には存在しない。現在は帝国と称されている国の何世紀も過去の姿が、ヴァース大陸でいう皇国だ。

「再度の確認だ、もし本当は分からなかったとしても見捨てないから正直に答えろ。お前は今、正しい状況が分かっているのか」

 先ほどは切羽詰まった状況だったから、とっさに肯定したかもしれないと懸念したのか、そう尋ねてきた。見捨てないから正直に答えろとは、そういうことなのだろう。誤った情報は無知よりもよほど恐ろしいから、その確認は大事だと言える。だが、私はこれだけは自信を持って言える。今のこの状況に対し、私は多少なりとも理解が及んでいる。
 それだけはきちんと肯定するべきだと判断し、黙っているだけではなく首肯した。彼の目をじっと見る。多少なりとも、嘘はついていないと訴えかけることはできるだろうから。彼の瞳も、一欠片としてぶれることはなかった。ダークブラウンの瞳は、目の前にいる私を評価しているようにも見える。
 私は正しい情報を持っていると判断してくれたようで、その意は頷いて示してくれた。そっちの詳しい話は後で聞くと前置き、それからは一旦私自身の素性に関する問いかけだった。


「言語が同じだから当たり前だとは思うが、お前はヴァースの人間か」

「顔立ちは東か南かといったところだが、帝国の人間なのか」

「違う、ということは南か」

「そうでもないとすると……中立都市の研究生で間違いないな」

「そろそろ本題に入る。俺たちはタイムスリップした後ガルチューニ帝国……違うか、リーゲンシュタイン皇国だった場所に飛ばされた、という認識でいいか?」


 それまでの質問は肯定しようと否定しようとすぐに答えられるものだったが、ここにきて答えに窮する問いが投げられた。状況だけを分かりやすく理解するならばそれで間違いないため、そうだとも言える。だが、正確な真相はそうではない。上げた手を下ろしかけるも、再び上へと持ち上げようとする。その曖昧な姿に青年は怪訝そうに眉をひそめた。

「……答えにくいのか?」
「うん、少しね」

 ようやく流れる汗も呼吸も落ち着いて、会話ができそうなくらいの余裕ができたため私も口を開いた。これからは自分が問いかける番だと、率先して話すようにした。どの程度説明が必要なのかは彼の持っている知識に委ねられる。まず最低限の確認として、リプロヴァースの存在について尋ねてみた。

「リプロヴァースって、分かる?」
「名前だけ、って感じだな。セントラルのど真ん中の研究施設? 装置だったか? 何をやっているのかは知らん。歴史の研究に使ってるとかは知ってる」
「そもそも機密度も高いから知らなくても当然よね。最低限センターヴァースの人間にしか知らされてないし」
「センターヴァースって科学系の最高権威じゃねえか。爺婆のプロフェッサーと超絶優秀な見習い研究員しかいないって話だぞ。何で俺と大して変わらない歳のお前がそんな情報知ってるんだ」
「それはまた後で話すわ。校章を見たところ、あんた仕官学生の新入生ってところでしょ。同い年だから今後は砕けた言葉で話すわね」
「言葉遣いくらい好きにしろ。俺も最初からこうだったしな」

 むしろ年下だと決めつけていて悪かったなと、全く悪びれていない様子で告げてきた。とはいえ私も、普段偉そうな教授陣の相手をしているせいか、別段それで気を悪くするようなこともなかった。

「リプロヴァースは、科学と魔法の最先端技術をそれぞれ用いて建設された、一大設備よ。装置というには大きすぎて、施設と呼ぶには人間が滞在できるスペースが狭すぎる」
「イメージ的にはどでかい天文台みたいなものか」
「そうね。用途は文系寄りだけど」
「歴史の研究だもんな。それで、一体何のための設備なんだ」
「歴史を再現するの、リプロヴァース内部の仮想世界で」
「歴史の再現……?」
「よく表現されるのは、超大規模なシミュレーションストラテジーね。ゲームに例えられるのはあまり好きではないのだけど」

 彼自身もゲームはあまり触れてこなかったらしく、首を傾げている。他のたとえを持ち合わせていない以上、科学的な説明をするしかない。

「魔術の基盤となる魔素には、歴史の記憶が宿るとされているわ。これまで自分がどんな魔法術式に組込まれたのかっていう記憶がね。魔法とか魔素に関しては詳しくないけれど、その記憶をリプロヴァースが利用してることは確か。魔素から得られた情報と、文献から紐解いた歴史、二種の情報を用いて過去のヴァースを再現する。ディープラーニングやAI技術を流用した市民個人個人の再現、それを複数の量子コンピューターを連結した超巨大なシミュレーションシステムを通じて、高密度に魔素が圧縮された魔力空間内部で、其処に住まう人々の挙動さえ全て完璧にトレース、再構築した歴史の検証がリプロヴァースの役目よ」
「長いし分からん。もう少し簡潔に」
「ええと……録画した映像を再生するみたいに、実際に歴史上で何が起きたかを実体のない空間で再現するの。録画した絶対の事実と違って、おそらく歴史はこう進んだのだろうという仮の事実だけどね」
「なるほどな。歴史の研究をしようとしても実際に過去を見れる訳じゃないから、仮想世界で同じ世界情勢を整えて観察した事実を歴史検証の一部に使おうって訳だ」
「そういうことね」
「次から訊かれたらそう答えた方が良いんじゃないか」
「余計なお世話よ。それで、ここからが本題なんだけれど……」

 私達は今、千年前の皇国にいる。それは事実だ。しかしそれはタイムスリップをした訳ではない。タイムスリップをするともなれば、科学ではなく魔法術式でなければ成し得ない事象だ。しかし、妖精期や創世期ならまだしも、魔法の大権威である神秘的生命と別れを告げた現代世界においてそれほど高度な魔法は絶対に使えない。
 そのため、これは現実に起きたタイムスリップではない。

「今、リプロヴァースは文献が圧倒的に足りていない妖精期から鉄の時代へと移り変わった時期の研究を進めているところなの」
「妖精期って随分昔だな。大体千年前じゃねえか。……はぁ、成程な。言いにくそうにしてた訳が分かったよ」

 私に説明の役目を譲ってくれたと考えるべきだろうか。嘆息を一つ吐いた彼はそのまま黙ってしまった。彼の中では嫌な想像なのかもしれない。それでも、状況を一足先に把握していた私には、その
想像を肯定することしかできない。

「多分私達の……意識だけか肉体ごとかは分からないけれど、リプロヴァースの中に彷徨いこんだ状態よ。脱出する方法は……今のところ分からないわ」

Re: Reproverse ( No.2 )
日時: 2021/02/03 15:02
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: 9ccxKzNf)


「ま、うだうだしてても仕方ないか」

 どうやって迷い込んだのかも分からず、どうやって帰ったものかも分からない。そんな未知の場所に放り出された彼はというと、爪を噛んだままじっとしていた。悪い夢だと信じたかったということもあるのだろう。だが、状況は変わらない。先ほどずっと走っていた時の苦しさが、これが夢なんかではないと告げていた。少なくとも私は、今自分が置かれた状況が現実だと嫌でも納得していた。走っている内に割り切ったということもあるだろう。
 だが、つい先ほどその現実を知った目の前の彼はというと、すぐには受け止めきれないようだった。絶望しているようには見えないが、冷静さを保っていられる訳では無いようで、焦りと呆気にとられたのが半々のような落ち着かなさだった。

「もし、だ。帰る方法が万が一にあるとすれば、それは何だと思う」

 彼曰く、自分はそのリプロヴァースに詳しくないから私の見解が頼りだとか。私もまだ研究者ではなく学生の身分であり、確かなことは何も言えない。だが、一応リプロヴァースに関しては一日の長がある。そのため、ある程度状況を改善、解決するためのアイデアはあった。
 歴史の再現、仮想現実による検証というと大きすぎる話に聞こえるが、その実態はシミュレーションだ。機械によって再生された一連の流れに過ぎない。

「おそらくリプロヴァースが停止することね。一応機械だから、機能を止めればどうにでもなる」
「なるほどな、外側の連中がこの状況に気づいてくれれば……」
「それは無理、諦めて」

 おそらく、現実から仮想世界に飛び込んでしまった人間がいるとさえ分かれば、大人や権力者というのはある程度行動に移してくれると思っての事だろう。特に不始末を厭(いと)い、借りを作ることで信頼を得ようとする帝国軍人的な教育を受けている彼ならば仕方ない。
 だが、わざわざセントラルなんかに集まってくる、学者たちにその考えは通じない。探求欲と好奇心だけは人一倍強いろくでなし、それがセントラルで数十年研究を重ねた教授たちだ。

「おそらく、面白がって観察を続けるに決まってる。もしくはこのサンプルを基に、自分達も同様にリプロヴァース内で直接歴史に触れようと画策するに違いないわ。私だってそうするもの」
「あー、そういやそういう奴らの巣窟だったな。……俺の知り合いも似たようなもんだったよ」
「それに、どのみち私達が見つかる可能性は限りなく低いわ」

 リプロヴァースは人間が創り出した文明の中でも特別な技術の一つで、わざわざ科学と魔法両方の最先端技術を用いて構築された人類最大の発明とも言われている。歴史の検証だけではなく、未来の推測さえも後には行えるであろうと考えられている。それほどまでに優れているのは、膨大なデータの処理をこなすことができることに由来する。
 当時の再現した歴史上に住む、有象無象の町民たちにさえ個性を与え、その行動をシミュレートする。言うなれば、国家という一つの大きな生物を細胞レベルで厳密に動かすことができる。

「砂漠の中から砂金を見つけるようなものよ。しかも、砂金が紛れ込んでいると意識していない状態で」
「確かに……。でもそれなら、歴史上の要人のところに行けば、目に留まる可能性が高くないか?」
「言ったでしょ。見つかったところで経過観察対象になるだけ。そんなことしたら謀反の疑いでもかけられて殺される可能性だってある」

 これが再現した歴史の検証であれば、史実におけるターニングポイントは見逃せないはず。そう思っての提案だったようだが、私はその考えを否定することしかできなかった。今回イレギュラーな因子として私達がこの歴史を乱しても、リプロヴァースのプロジェクトとしては妖精期の再現をやり直せばそれで済む。むしろこのイレギュラーの進展の方が今後の発展に役立つはずだ。

「じゃあ打つ手なしじゃねえか。しかも、ここの世界で死んだらどうなるのかも分からない状況だろ」
「そもそも私達の意識だけ放り出されたのか、肉体がそのまま取り込まれたのかも分からない以上、ここでの死は絶対に避けるべきよ。むしろ本当の死が待っていると考えるべきね」

 あくまでもゲームではなく、自分の目の前の現実として、千年前の大陸情勢と向き合わねばならない。だが、今シミュレートしている時代は四分した国土同士が領土を奪い合う戦争の時代だ。何かにつけて戦火に巻き込まれる可能性は否定できず、疑わしきは処刑されても不自然ではない世界情勢。
 だが私は、彼の言葉をもう一つ否定せねばならなかった。それは何も、これ以上悪い状況を突き付けるための否定では無かった。むしろ、前向きに向き合っていくための一つの提案であり、このリプロヴァースから現実へと帰還するための条件だ。

「打つ手がない訳じゃないわ。生き残っていればそれで大丈夫。リプロヴァースは何も無理やりシステムダウンしなくても、検証が終了すればシミュレーションは終わる。それまで生き延びれば逆に教授陣にとって私達は、有益な情報が得られるサンプルになる」
「つまり、歴史の再生が終わった時点で、それまでとは対照的に俺たちは『何が何でも現実世界へサルベージしなくてはならない存在』になれる、ってことか」

 それならするべきことがシンプルに決まると、ようやく彼の中から焦りはなくなったようだった。焦燥に駆られても、落ち着きを保てるような精神力を元々有していたようだったが、先ほどまではまるで心の余裕が感じられなかった。しかし今は、非常にリラックスした表情に変わっている。

「でも待てよ、もしかしたら年単位で検証されるのか」
「いえ、そんなに長くないわ。私達の感覚からするとそれでも長いけれども、長くて後三か月といったところ」
「何でそんなことが分かるんだ?」
「先月報告された資料によると、もうリプロヴァース内部では北の国では産業革命が起き、西方の王国に仕える神官が招聘されて、精霊と別れを告げたとされていたから。これを機に、一年以内には大陸全土が妖精と決別したとされる文献が残ってる」
「じゃあ一年弱じゃないのか、何で三か月なんだ」
「この中だと、圧縮された時間が流れてる。今回の再現史の圧縮理論値で計算するとおそらくその程度よ」
「妖精期の終わり際ってことは、八十五か年戦争を短期間で観測するために元々早送りしてたってことか」
「そう。でも本来ならもっと急ぎで再生するんだけどね。でも妖精期はあまりに文献が足りていなくて、検証したいことが山ほどある。だからできるだけゆっくり再現してるけど、それでも歴史の一ページは途方もなく長いわ」

 一先ず今、私達は圧縮された時の中に放り込まれた以上リプロヴァース内の時間を生きなければならない。現実世界では数日の出来事ではあるが、私達はきちんと三か月間生き延びねばならない。
 この人は知っているのだろうか。歴史を研究している者の中では、その三か月の期間が史上最悪の百日と幾度となく揶揄されていることを。

「三か月、生き延びる。そんなの普段なら当たり前のことだってのにな」
「そうね。でもこの頃生きてきた人たちにとってはそれが難しいことだったみたい」

 そういった意味では、初めに追いかけられこそしたものの皇国に飛ばされたことは幸福だと言えた。いつどこが戦場になるか分からないこの時代、他国と違い鎖国を行っており、厳密な関所を設けていた皇国だからこそ、不意の戦火に巻き込まれる心配はなかった。
 だが、私達は不審な二人組として追われることには違いないため、楽観視もしきれない訳ではある。それは警吏との駆け引きなのか、軍隊に所属する者からの逃走劇なのかは判然としないが、どちらにせよリスクは非常に高い。生死不問の御尋ね者にでもなってしまえば、どこへ逃げても追手を逐一警戒せねばならない。
 この時代の全てが私達を捉える監視網を形成する。そんな危機的な状況だというのに、何故だか歴史が私と向き合ってくれているようにも感じられて。

「お前、何でニヤついてるんだ?」
「えっ?」

 歴史バカの私にとってそれは、どこか誇らしさも感じられてしまった。

「どうせなら一蓮托生だ、一緒に生き延びよう。級友からそう呼ばれているから、俺のことはハルと呼んでくれるとありがたい」
「ハル、ね。あだ名なの?」
「本名がハルバードだからな。そっちは?」
「アメリア。よくメリーとかアメって呼ばれるけど好きに読んで」

 どうせ研究者たちからは本名で呼ばれるため、愛称に愛着は持たない。元々彼、ハルは他人の呼び方に無頓着な人間らしく、それなら本名が手っ取り早いとばかりにアメリアと呼ぶことにしたらしい。

「さてと、質問ばっかりになってしまって悪いとは思っているけどアメリアに頼みがある」
「いいわ、その代わりいざって時の戦闘要員として頼りにするから」
「それは元よりそのつもりだ」

 一応帝国男児だから、女子供は守らねばならぬと言う矜持があるらしい。少し前時代的な考えではあるが、この状況ではむしろ頼もしく、彼への信頼に結びつくものだ。

「実践は得意なんだが、どうにも学が無くてな。この時代についてある程度講釈が欲しい」
「ええ、お安い御用よ。事細かく学者レベルに詳しくなるまで教えてあげる」
「いや、そこまでは……」
「大丈夫大丈夫、歴史は楽しいからあっという間よ」

 嫌そうな顔をしているが、きっと聞けばその内のめりこんでくれるはずだ。それが私の思い込みとか妄信の類であるとはまだ気づいていなかったため、教科書一冊分の知識を一気に披露する。話せば話す程、教えれば教える程そのロマンと物語に熱くなってくる、それが歴史というものだ。
 しかし、それで本当に際限ない喜びを得られるのはごく一部の歴史好きだけだということを私は知らなかった。数十分後、げんなりした顔つきでもういいと言わんばかりに話を遮ったハルの様子を見て、私はようやくそれを知ったのだった。


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