ダーク・ファンタジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

守護神アクセス ロンドン外伝
日時: 2022/06/24 19:30
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: T32pSlEP)

ファジーにある守護神アクセスの外伝的作品です。

最近はカクヨムに移住していたのですが、紅蓮の流星さんに誘われて
カキコ側にも自主転載することにしました。
もしよければファジーの方にある本編も読んであげてください。


〆Abstract
守護神アクセスとは
Written below

〆Introduction
 *ロンドン橋が落ちた
 >>1-3
 *炎を託して
 >>4-6

〆Environment

〆Result

〆Conclusion

 二十一世紀初頭、ノストラダムスの大予言を超えて間もない時期に、世界を揺るがす発見があった。自分たちが暮らすこの世界の外側に、十一の異世界が存在するという発見だ。そしてそれらの異世界は、我々の世界の夢や記録を基にして生まれていた。

 異世界の開拓者であり、住民である特別な存在は我々人類と同じ言語を利用できた。なぜならばその守護神というのはこちらの世界の死者やおとぎ話、神話の伝承といった夢物語が、命あるものとして転生した存在だからだ。

 彼ら守護神は、そうやって人間界から産み落とされた。だからなのだろう、人間と契約している守護神は、彼らだけの特別な力を人間に貸し与えてくれる。それ以外にも、もしかしたら守護神側にもメリットはあるのかもしれないが、詳細を人間側が深く理解する程、研究が進んでいなかった。

 人がこの世に生を受けた瞬間から守護神との間に結ばれた契約。加えて、契約した守護神の能力を借り受け、人間界で行使すること。それらを総称した、人と守護神との営みを彼らはこのように呼んでいた。

 守護神アクセス、と。



 これは守護神と共に発展することを選択した、もしもの世界の近未来。二〇七X年の出来事だった。




***

Re: 守護神アクセス ロンドン外伝 ( No.2 )
日時: 2022/06/02 20:44
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

 溢れ出した光が晴れる。その向こう側に現れた少年は、今しがた走り抜けた白銀のオーラを身に纏っていた。白く瞬くようなオーラ、その穢れ無き光は聖なる力を持っている印象があってもいいと思う。けれど、そんな暖かな感触はその光からは感じられなかった。

 真っ白というよりもまっさら。誰かが丁寧に書き上げた風景画の上から、白い絵の具をぶちまけたような乱暴さがあった。面白そうだから、台無しにしちゃおう。そんないたずら小僧のような眼光がじろりと標的を見定めている。


「ジョージ! 平気?」


 今のは先制攻撃ですらない、ただの守護神アクセス完了のサインだ。あふれ出た力の余波が、突風のように周囲を吹き荒れた。それだけの敵意も殺意も感じない、単なる現象だ。痛くも無ければ、寒くも熱くもない。

 そうと分かっていても不安になる。先ほどの邪気に満ちた歪んだ笑顔が、瞼の裏に貼りついて忘れられなかった。瞬きと同時に、兄が神隠しのように消えてしまうのではないか。そんな不安にかられる。

 服のはためく音が途絶え、倒れた花瓶が砕け散る中。「問題ない」と小さくジョージは応えた。無事な兄の様子に、ほっと胸を撫でおろす。だが、安心も油断も絶対にできない。守護神アクセスした彼が、次に何をしかけてくるか分かったものではないのだ。

 兄の準備も整ったようだ。脈々と波打つ異世界から迫る力の胎動。Phoneをトンネルとし、次元を隔てた世界から人間界と繋がる。世界のずっと遠く、あの空の向こう側。兄の契約した守護神が、小さな機械を通じて力を与えてくれる。


「No. 1207。名をカイウス」


 電話で言う発信のタブを画面上でタップする。本来電話ならば通話相手につながるが、Phoneであれば己の守護神との間に力をやり取りするバイパスが開かれる。そして開いたチャンネルから守護神の力の源であるオーラ、そして異能を行使する権利が送られる。

 体から迸るオーラが全身を包み込み光り輝いている時、守護神アクセスは成功している。吹き荒れる嵐のように力を吐き出した少年とは違い、全身にオーラを巡らせたジョージからは、身を覆う鎧のようなオーラが全身から浮かび上がる。

 これで互いに、戦闘準備は万端となった。兄の守護神の名前を耳にした少年は、またしても嬉しそうな笑みを見せた。表情がころころと変わっているようで、その実笑顔しか見せていない。今回の笑顔はまたこれまでと毛色が違った。邪気があるどころかむしろ正反対、無邪気なほほえみを浮かべていた。


「守護神アクセス」

「ケイ卿! あの人から聞いてた通り。円卓をこの目にできるだなんて……夢みたいだ!」


 兄の守護神の位階を耳にしても、彼は驚きもしなかった。人の世での正式名称をアクセスナンバーと呼ぶその数字は、守護神のパワーバランスの序列を示している。

 一つ、数字が小さい方がより強力な守護神であることを示す。二つ、アクセスナンバーの最小値は100と決まっている。三つ、理由は不明だが生まれつき人間は、己が契約できる守護神のアクセスナンバーがDNAに刻まれている。研究によって明確に把握しているのはその三つだけだ。だが、それだけで十分とも言えた。

 アクセスナンバーで大事なことなんてたった一つだ。数字が小さい方が強い、ただそれだけ。世界には最大七桁の数値のナンバーが報告されている。つまり、百万を超える守護神の中で、兄が契約するカイウスは大体上から千番目。それだけでもう、ジョージは兵士として優れた資質を持っていた。

 だが、超えられていた。

 先ほど少年が守護神アクセスした際に口にしていた位階を思い返す。その数値は1013だった。すなわち、カイウスよりもさらに二百程度上の序列に立っていることを示す。

 確かにここまで位階のレベルが高いと誤差のようなものだろう。とはいえ、これまで私はカイウスよりもさらに強い守護神なんて見たことがなかった。

 それなのに。

 目の前で好奇心を丸出しにして舌なめずりしている少年がそうだという。急にその、ねじが外れているような情緒の不安定さがそら恐ろしくなる。腕のあたりが粟立ち、背筋を冷たい何かが走った。奔放さゆえに、次の瞬間に何をしでかすか分からない。

 猫、本能から怯えるようなこの恐怖、キャスパーという名。既に与えられたヒントが頭の中で結びあい、一つの仮説を組み上げていく。戦慄し、思考が緩慢になっていく脳内でも、その正体の輪郭が浮かび上がった。

 彼の守護神はおそらく、このブリテンの大地に災厄をもたらす獣のことだ。数多の伝承で猫の姿をしていると謳われる、アーサー王に殺されたとされる獣。その名前は、すなわち。


「お兄ちゃん、それ! キャスパリーグ!」


 守護神は基本的に死した偉人が新たな命を授かって生まれる。だが往々にして、まったく違った形で生まれることもあった。それは、人の見た夢が形になった事例。おとぎ話のお姫様や、神話で英雄の前に立ちはだかった化け物や、アーサー王伝説のような伝承の中で語られる勇士たち。

 円卓の騎士が守護神として命を得たというカイウスもその一人だが、おそらく目の前のキャスパーも同類だろう。出典もアクセスナンバーも極めて酷似した二体の守護神。その戦いはどのような様相を呈すのか。それはもう、私には分からない。

 紺色の闘気を纏った兄と、白銀のオーラを発散させる襲撃者。両者のにらみ合いは案外時間がかからずに途切れた。襲撃者の視界の端、兄の背に守られるように立ち尽くす私の姿があったのだ。

 いいこと思いついた。いたずら小僧の顔になる。次の瞬間、少年の掌の中に純白のエネルギーが凝集した。渦巻くようにして一つの塊になり、ハンドボール程度の大きさになる。オーラの銀色とは少し異なる白。あれはおそらくキャスパリーグから行使権を譲り受けた何らかの異能だ。

 そしてその標的はおそらく私。兄の足を引っ張るわけにはいかないと、瞬時に奥のリビングへと駆け出す。その予感は正しかった。おそらく背を向けた私を狙って放たれたであろうエネルギー弾が、さっきまで私が立っていたところを通り過ぎる。対象を見失った白の砲弾は、我が家の壁を突き破って通りの向こうまで飛んで行った。

 まるで紙に鉛筆を突き刺したように簡単に穴が開いた壁を目にし、私は息を呑んだ。あれが、もし私に当たっていたなら。胸に大きな風穴が開いた自分を想像する。元々現実感なんてなかったのに、これまでの日常を奪い取られる恐怖がどっと押し寄せてきた。逃げなきゃと本能が警鐘を鳴らしているのに、あまりの恐怖に私の足から力が抜け、その場で転んでしまった。


「てめぇ、オリヴィアに何をしやがる!」

「怒ってる場合じゃないよ、ケイ卿!」


 後ろで大きな力の塊がぶつかり合う爆音が轟く。同時に、せめぎあうオーラが周囲に爆散したせいで生じた豪風が押し寄せた。埃や木くずが舞い散り、前を見るのも困難な状況で何とか分かったのは、さらに怒りのボルテージを上げた兄に真っ向から掴みかかる少年の姿。

 しりもちをつきながら後ずさることしかできなかったけれど、私は何とか二人から距離を取ろうとする。私を守りながら戦うというハンデがあっては、兄に勝ち目はない。足手まといはごめんだと、庭へとつながる出口のある部屋へ向かおうとする。

 そこから外へ出て、助けを呼ぼう。誰ならこの状況を解決できるのかは想像もできなかったけれど、私にできることはそれぐらいしかなかった。


「オリヴィア……。頼む、正門の方には行かないで、裏口から出てくれ」

「えっ、どうして……?」


 特に不都合がある訳ではないため、従うつもりではあるが、その兄の指示に困惑する。確かに正門と裏口のどちらから逃げるにしても特に違いはない。無いからこそ、どうしてわざわざ裏口から出るように言われたのかが気になった。


「いいから!」

「駄目だよお兄さん。僕が折角プレゼントを用意したんだからさ。君だけじゃなくてどうせなら妹さんにも見届けてほしいな」

「黙れ。二度と減らず口の利けない体にしてやる」


 また後ろで、白と黒が激突し、大きな力が爆ぜた。這ってでも進もうとする背中を爆風に突き飛ばされ、フローリングの上を転がった。全身が痛い。肘や膝を打ち付けており、その痛みを体が訴え続ける。だが、骨折などの重症にはまだ至っていないようだ。擦り傷はところどころあるけれど、まだ走れる。

 しかし、玄関側に何があるというのだろうか。少年が用意した何かを、私が見てしまうのは都合が悪いらしい。一体、何があるというのだろうか。

 一つ思い出すことがあるとするなら、それは少年と兄が玄関で言葉を交わしていた時の《《アレ》》だろう。何かが地面に落とされる、ゴトリという音。あれを聞いてから兄の空気が一変した。おそらくそれこそが、兄が私に見られたくない何かなのだ。


「カイウス、剣をよこせ!」


 兄の声に呼応し、紺色のオーラが兄の掌に色濃く凝集していく。その後、手から棒状の何かが伸びるようにして、武器を象《かたど》っていく。円卓の騎士が一人、守護神としてのケイ卿の得物は細身の両刃剣だった。真っ直ぐな短い柄と、長く伸びた濃紺の鋭い刃。その形状はどこか十字架のように見えた。

 だがそれを見て少年も適応する。無造作に流出させていたオーラを、四肢に纏い始める。あのオーラは守護神から供給される特別なエネルギーそのものだ。肉体活性や異能を行使する際に消費される代物だが、消費しきれなかったぶんは基本的に垂れ流すことになる。

 だが、高位の守護神になればなるほどそれらを有効活用する術がある。その契約者は今日本にいるらしいが、大魔法使いマーリンを基にした守護神も存在する。マーリンは異能として未来予知が可能だが、それとは別で魔力の弾丸や光線を撃つこともできるのだとか。

 円卓の騎士であれば、あふれた分のエネルギーを全身にまとって鎧としたり、専用の武器を形成することができる。そしてキャスパリーグであれば、獣にふさわしい爪牙を手にするのだろう。

 堅い二つの物体がお互いを削りあう甲高い悲鳴、その金切り声に彩られるように火花散るつばぜり合いが繰り広げられていた。一般人の私には目も理解も追いつかない、高速の斬撃戦が開幕している。ここにいても私には何もできない。兄が無事で済む保証はない、むしろ無事に済まない可能性の方が高い。

 そんな死地に一人だけ取り残してしまうのはとても怖かった。いなくなってしまうのではないかと、不安になる。それが私の歩みを止めて、この場に縫い付けようとする。今生の別れになるかもしれない、そんなのは嫌だ。

 でも。

 迷いを断ち切るために踵を返し、私は庭へと飛び出した。庭へ出る用のサンダルがあるので、裸足よりはましだとそれを履く。幸いなことに、怪我をするほど大きなガラス片や木くずを踏むようなことはなかった。

 私がいることで迷惑をかけられない。だから走る。向かうべきはセクエントの駐在所。ここから一番近いところはどこだったろうか。頭の中で地図を思い浮かべた私に、兄が叫んだ。


「テムズ川に向かえ! そこならセクエントスクールがある!」

「スクール……?」


 確かにこの近辺のセクエント駐在所よりも、兄の通っていたテムズ川沿いのスクールの方が近い。なぜわざわざセクエントではなく学生の方を頼るのかと訝しんだが、すぐに理解した。スクールにいる教官を呼びに行けということなのだろう、と。

 分かった以上は迷いはなかった。指示通り、裏口に向かって走り出そうとする。しかし、そう上手く事は運ばない。


「駄目だよ」


 私の目の前を薙ぐように、白銀の斬撃が飛んだ。キャスパーのオーラによって錬成された巨大な獣の爪。それを鎌のごとく大きく素早く振るって真空の刃を生み出した。守護神のオーラを纏った鎌鼬、飛ぶ斬撃。我が家の壁の一部を蒸《ふ》かした芋のように容易く切り裂いて、瓦礫で私の進路を塞いだ。


「外しちゃったか」

「よそ見してんなよ」


 本来は私に直接当てて切り刻もうとしていたのだろう。薄皮一枚ぶん頬を掠めていたのだろうか、滲むように私の頬から血が流れて、顎を伝って地面に垂れた。深紅の雫が地面に広がる。

 兄の心配をする余裕なんてない、そもそも殺されるのは私かもしれないのだ。悲鳴を上げたら動けなくなりそうだった。喉元から飛び出しそうな戦慄を何とか飲み込み、息も忘れたまま玄関へ走る。あちらへは行くなと言われたが、もう選択肢はなかった。

 後ろでまた、大きな音が響く。お願いです、神様。それほど敬虔なクリスチャンではありませんが、どうか私たちを助けてください。今、この街で何が起きているのか分からないが、そう願った。

 一心不乱に、わき目もふらずに前だけを見ていたからだろう。足元がおろそかになっていた。大きな何かに足が引っ掛かり、勢いよく転倒した。アスファルトの上を転がる。肘を今度こそ擦りむいたようで、ひどく熱かった。

 一体何に引っ掛かったというのか。それが気になって視線をそちらにやった瞬間、体の痛みなんて忘れてしまった。


「ひっ」


 声も全然出なかった。驚愕も行き過ぎると、悲鳴さえ出てこなくなるらしい。それを見てようやく気が付いた。兄があの少年への態度を一変させたその原因が。そこに転がっていたのは、人間の生首だった。あまりに鋭利な何かで切断されたのだろう、気管や脊髄も切断された以上の損傷を受けず、ある意味美しい断面を見せつけていた。

 確かに人間の頭は大きいし、頭蓋骨の影響で固い。これを持ってきたあの男の子が地面にこれを落としたというならあんな音もするだろう。私が躓き蹴ってしまった勢いで、ゆっくりとその首が回っている。

 こんな事を、守護神の力で遂行したというのか。守護神の力を、文明や文化の発展に捧げていきたいと考えている私にとって、人を傷つけ殺める使い方をすることは、最大限の侮辱に他ならなかった。

 許せない。怒りの感情で立ち上がろうとする私の前で、止まり切らない生首がまだ回転していた。まだ後頭部しか見えていなかったところに、焦らすようにゆっくりと、その相貌がこちらを向いた。

 その顔に私は目を見開く。何も兄は、私にむごたらしい髑髏を見せないために玄関に行くなと告げた訳ではないと、真の意味に思い至った。それを見た私が心に傷を負わないようにしたのだ。

 この十八年間、あるいは兄にとって二十一年間、私たちを養い、育ててくれた父の顔。今朝も元気に役場に出勤していった背中を思い出す。その瞼は開かれていたものの、瞳に光はなく、その双眸は洞のようだった。

 自分がまだ幼かった日の微笑み、反抗期だった頃の怒鳴り声、家族で旅行した時にいつも楽しそうに車を運転していた父の鼻歌。お父さんとの思い出が、彼の人生が、走馬灯のように私の脳裏で流れた。もう帰ってこない、愛する家族の喪われた姿。かつて父だった、物言わぬ肉と骨の塊。

 流石にこの出来事には、私も声を殺すことができなかった。深い悲しみ、そして喪失感が絶叫の姿をとって、道路を駆け抜けていく。


「嫌ぁあああぁっ!」


 同時に気が付く。町中、至る所から黒煙が立ち上っていることに。今、このロンドンの街で何が起こっているというのか。この時の私は、まだ分かっていなかった。

Re: 守護神アクセス ロンドン外伝 ( No.3 )
日時: 2022/06/03 19:29
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

 今、この街では何かが起きている。その真相は分からないけれど、とうとう恐れていた事態が起きたと言ってもいい。守護神を携帯可能な兵器として活用する。そしてそれを戦争、あるいはテロリズムで最大限利用するのだ。

 これまでその用途が制限されていたのには訳がある。Phoneというのは、これまで不完全な技術だったからだ。これまでは携行するのは不可能なほど巨大な機械でなければ守護神アクセスなどできなかった。二十年前までは自動車ほどのサイズ、十年前でも総重量五十キロ程度の装置が必要だった。

 それが近年、ようやく小型化が実用的なレベルまで進められた。手の平サイズの小型端末。軽量化がそこまで進み、ようやくPhoneと呼ばれるようになった。ここまで小型化が進めば、銃を持つよりもPhoneを持ち歩いた方がよほど頼もしい武器になる。それを証明するかのように、さっきの少年のような尖兵が現れたのだ。

 でも、何のために。我が家が狙われる理由なんてあるとは思えなかった。街を見渡せば他のところも襲撃にあっているような様子である。ならこれは襲撃対象が場当たり的な無差別テロではないかと推察できる。だとすると余計に街が危ない。誰でもいいということは、誰もが被害者に成り得る。急いで助けを呼ばないと、どこまでも死傷者は増えてしまう。

 本当はそんなことしたくない、だけど。悔しさを胸に刻みながら、私は父から目を背け、テムズ川に向かって走った。唇を引き結び、走る。私の足でも十五分もあれば着くはずだ。どうせなら自転車でも使えれば良かったのだけど、そんなものを探す余裕はない。

 疲労なんて気にせずがむしゃらに走った。真夏のくらむような日差しを受け、全身から汗が噴き出ても、空気が足りないと肺が焼き切れそうなほど苦しくても、私は一心不乱に駆け抜けた。転んで擦りむいた腕、打ち付けた全身、動かし続けて棒のようになった足、全部無視して突っ走った。

 時折遠くから大きな爆発音や、何かが倒壊する音が聞こえてくる。それはジョージたちの所なのか、はたまた別の出どころから来るのかは見当もつかない。

 ようやくテムズ川にたどり着いた。日の光を浴びて煌めく水面を目にし、どっと安堵が生まれた。安心しきって、とうとう私は疲弊に押しつぶされた。意地でも歩みは止めないが、息を整えないと走れそうになかった。汗と共に痛いほどの日差しが全身を襲い、擦りむいた傷口が沁みた。血を流している方の足を引きずるように私は歩みを進める。

 後ろから足音が二つした。段々と近づいてくるし、迷いなく私の背後から真っ直ぐやってくる。もしかして追手が来たのだろうか。一瞬ひやりとしたが、そうではないだろう。すぐに疑念を否定する。

 これは生身の人間の足音だ。そして私を追いかけてくる可能性のある人物にもう一人心当たりがあった。そもそも今日、ジョージは彼を家に迎えて相談に乗ってやろうとしていたのだから。

 振り返ると、グラマースクール時代に見慣れた二人の顔があった。一人は当然アーチーだった。そばかすと赤毛の似合う、やんちゃで落ち着きのない少年。しかし、この非常事態に彼も不安を抱えているのだろう。いつもより元気が無くて、周囲を気にかけている。半分は素だが、普段のお調子者には演技をしているところもある彼の事だ。今はふざけている場合ではない、慎重になろうとしているのが顔を見れば分かった。

 そしてもう一人、後ろについてきた少年に目が奪われる。背は高いが線の細い、儚げな印象のある男子。走るたびに絹のような黄金色の髪が揺れる。私と同じインドア派のくせに、運動能力に秀でたアーチーに付いて走ってきたものだから、涼しそうなアーチーの後ろに立ち、肩で息をしている。


「アーチー……それにデイビッドまで……!」


 さっきまで、いくつも心がきりきりと締め付けられるような想いをしていたが、その顔を見てほんの少しだけ、私の心が安らぐのを感じた。せめて彼だけでも無事でいてくれて良かった。そう思うと涙をせき止めていたダムも決壊しそうになる。


「オリヴィア、一体どうなってんだよ。お前ん家行こうとしたら周りの街並みごとぐちゃぐちゃんなってるし、他の所でも大混乱になってる。何が起きたらあんな事になるんだよ」

「私だって分からないよ。でも、私の目で見たものだけは教えてあげる。確証の得られないことは、まだ口にするべきじゃないわ」

「でも良かった、途中で君を見つけられて」


 その細い腕のどこからそんな力が湧いてくるのだろう。折角私が堪えているというのに、涙をぼろぼろと溢れさせたデイビッドは、衝動的に私を強く抱きしめた。私も彼も、日差しの中を全力で走ったものだから、暑苦しくて仕方がない。ただでさえ火照っているというのに、これ以上熱くなってどうしようというのか。


「ちょっと。苦しいよ、デイビッド」

「なあ、独り身の俺の前でそういうのやめてくんない?」


 おどけた態度でアーチーが、デイビッドの熱烈なハグに水を差す。不承不承といった態度で、彼はきつく結ぶように抱きしめていた腕をほどいた。解放感に満ちた私は、息をできるだけたっぷりと吸い込んだ。

 確かに、落ち着いたせいで体の痛みは戻ってきた。走ろうとするとちょっと顔を顰めてしまう程にだ。けれどもそれ以上に、肉体的にも精神的にも余裕のなかった状況が一変する。一人ではないと、そんな事が分かっただけなのに、心の凪を取り戻しつつあった。

 平和な時だったなら、その抱擁も幸せだとしか感じなかっただろう。けれども、今は一刻を争う事態だ。体に負担がかからない程度に、駆け足気味にテムズ川沿いの道を進む。目指すは、すぐそこに見えているロンドン橋。大体二百数十メートル程度の長さなので、駆け足なら二分少々で渡り切れるだろう。

 目的地に向かいながら、これまでの出来事をかいつまんで説明する。アーチーを待っていたら、あの襲撃者が現れたこと。ジョージが応戦している間に応援を呼んでいること。駐在所ではなくセクエントスクールに助けを求めようとしていること。


「もしかして、オリヴィアも教官と顔見知りだったりすんの?」

「一応ね。お兄ちゃん、軍事訓練とかは優等生だったから。学校行事で顔を見せたりした時に、ジョージの同級生とか担任の教員とは顔なじみになったわ」

「なるほどね」


 どこか得心がいったような顔でアーチーが頷く。私にはとんと見当もつかなかったが、デイビッドも納得しているようである。


「だからだろうな、セクエントスクールを指定したのは」


 落ち着いた声でデイビッドが淡々と述べる。緊急事態だということを的確に伝え、瞬時に救助してもらうためでもあったのだろうと、ジョージの指示をさらにかみ砕いて教えてくれた。

 セクエントは軍隊の一部であり、治安維持にしたって公的な活動だ。傷だらけの少女が助けを求めてきたとしても、書類的な準備が少なからず必要になる。なぜならその少女もセクエントを罠へ誘おうとするパズルのピースであるかもしれないからだ。

 しかし、既に信頼できる知人として知られている人間なら話は別だ。一刻を争う応援要請、それを考えると顔のきく私を派遣するならスクールが最適だととっさに判断したのだろう。

 確かに兄は、土壇場の機転に関しては私よりもはたらく質だ。どこまでを想定していたのかは分からないが、この柔軟さには舌を巻く。

 後は橋を渡るだけ。そう思えばまた気力が戻ってきた。少し走る速度を緩めていたのもあって、体もやや楽になってきた。こうしている間にもジョージは身を危険にさらしているはずだ。橋に一歩踏み入った瞬間から、また踏み出す足に力をこめよう、そう思っていた。


「ようやく見つけたわ、ガウェイン」


 意識するよりも早く、目を奪われた。その美しさだろうか、それとも漂う香気からか。理由なんて分からない。でも、その女性は見るものを虜にする空気を纏っていた。レッドカーペットを歩く女優のように、派手なドレスに身を包んでいた。「私こそが宵闇の化身だ」と言わんがばかりの、漆黒の装束。

 きっとそれは、夜を纏っているからだ。ミルクのような真っ白な肌がドレスの隙間から覗いているのは、雲間に浮かぶ月のように優美だった。紫の口紅に彩られた厚みのある唇は、とても艶めかしく、私が男性だったなら、その愛を耳で囁いてほしいと願ったことだろう。そして何よりも、その美貌たるや。神様が作った彫刻みたいな、完璧な顔立ちをしていた。向き合っているだけで、自分が醜くなったと錯覚するほどである。

 それは、異性のフェロモンに惹かれる蝶のように。あるいは街灯に誘われた蛾のように。ふと我を忘れて歩みを止めた私は、揺さぶられるようにして、ふらりと一歩彼女の方に踏み出していた。

 そして彼女の方も、優雅にこちらへと歩みを進めていた。街の喧騒も、開戦の狼煙のような黒煙も、何一つ歯牙にかけず、大胆不敵に道を往く。彼女が歩むだけで、人もいなければ装飾も無い、殺風景な橋もまるで花道のようだった。

 視線どころか心まで奪われていた。私の肩を力強く握って引き留めてくれた誰かがいなければ、あの強すぎる光に引き寄せられ、私の身は焦がれていたことだろう。

 今置かれている状況の危険性にいち早く気が付いたのはアーチーだった。それは彼がセクエントを目指して進路を定めたことに由来した。、目の前に立っていたのは、彼がいつか向き合うかもしれない、凶悪な、守護神を私欲のために使う犯罪者。

 さっきまでは涼しそうな顔をしていたのに、私の肩を掴んだアーチーは全身から汗を吹き出させていた。振り返り、そんな様子を目にし、ようやく私は自我を取り戻した。それは冷や汗とか脂汗とか、そう呼ぶべきものだった。

 目の前に現れた絶望が嘘であってくれと否定するように、あるいは私にその道を進むなと引き留めるように、彼は首を小刻みに横に振っている。


「駄目だオリヴィア、デイビッド。引き返すぞ。どんだけ苦しくても全力で走れ、あれは絶対に、出会っちゃいけないやつだ」


 スクールではムードメーカーに徹していたような彼がここまで言うとはよほどのことだった。恐る恐る、彼女の機嫌を窺うようにアーチーは彼女の名前を口にした。


「あれはマイフェアレディだ」


 私がようやく警戒交じりに向けた視線の先では、「呼んだかしら」と言わんばかりの彼女がウインクをしてみせた。

 顔までは知らなかったが、その名前は聞いたことがあった。七年ほど前の出来事だ。英国王家の血族が一員、今となっては元貴族として裕福な家庭というだけなのだが、出自はその血筋に由来する大悪人だった。家柄のおかげで、当時まだ一台一千万円以上もした守護神アクセス専用機を手にし、守護神の強大な力に魅入られてしまった。

 自分の家族を皆殺しにし、追ってくる軍隊を全て壊滅させ、イングランド全土を恐怖に陥れた後に海外へ亡命、雲隠れしてしまった魔女。だが、どれだけ悪事を働いたとしても、その美貌が色あせることはなかったという。彼女と出会った者が言うには、その美しさは世界一の歌姫に負けずとも劣らないのだとか。

 だから人々は、彼女に二つ名を授けた。美しい令嬢の意味を込めて、イギリスの中心を破壊する者という畏怖を込めて、マイフェアレディと。

 そして彼女は今、この閑散とした橋の真ん中で、己に与えられた称号をまさに体現しようとしているところだった。

 掌に収まる何かに向かい、彼女はそっと口づけをする。そんな姿さえも妖艶だと、また見とれてしまいそうになった時のことだ。

 続く彼女の言葉に、そんな腑抜けた感動は消し飛んでいた。


「|No. 555。名をモルガーナ」


 オーラなんて生易しいものではない、どす黒い邪気が、彼女の握ったPhoneから溢れ出した。ジョージのカイウスも、あの少年のキャスパーも、まるで比にならない程の出力、勢い、禍々しさを携えた守護神アクセス。

 それはあっという間に、全長二百メートルをゆうに超えるはずの橋全体を覆い隠してしまった。その邪気に足が捕まれないように、私たちも飛びのいて橋の上から逃げた。真っ黒な靄《もや》のようなものに包まれ、もう橋の姿は目視できなくなった。

 マイフェアレディの独壇場になってしまった橋の上から、彼女さえも離れてしまう。おそらくは彼女が契約している魔女の守護神の力だろう。宙に浮き、空を自在に駆けている。


「三桁の位階……バケモンだろこんなの」


 戦力にならない私やデイビッドを守るように、アーチーが庇うように前に出た。その手にはまだ傷一つとしてない新品のPhone。おそらくはセクエントスクール入学の際に手配された機器なのだろう。


「でも、宙に浮かぶ力と目くらましの靄だけでしょ。そんな大層なものには見えないわ」

「馬鹿、あれが目くらましな訳あるかよ……。あれはあいつの使う、黒魔術の内のたった一つってだけだ」

「黒、魔術……?」


 あの魔法の靄《もや》が持つ力は、風化と腐食だとアーチーは言う。まさか、そんなことがある訳が無い。たかだか一人の人間の力で、しかもあんなに余裕そうにして、橋が崩れるなんてこと、ある筈がない。

 だが、私の否定を鼻で笑うように、次第に地鳴りが強くなる。目の前では、大きな水しぶきがいくつも上がっていた。巨大な石の塊が川面に落ち、噴水みたいに水を打ち上げている。それが一つ二つなんてものじゃない、川をこちらの岸からあちらの岸まで横断するように、何百という水柱が上がり続けている。

 大きな岩の塊が川底を打ち付けるたび、腹の奥底までずしりと響くような地鳴りがした。目の前ではまだまだ、水面は落ち着いてくれようとはしない。


「これでもうしばらく、助けは呼べないわね」


 空中に足場があるかのように、一歩一歩ゆっくりと彼女は私たちの方へ距離を詰めていた。その目が見据えているのは、どうやらアーチーらしい。それは何も、彼一人がPhoneを手にして臨戦態勢を取っているからという理由ではないらしい。

 ふと、キャスパーと契約していた少年の言葉を思い出す。


“あの人から聞いてた通り”


 あの少年も、最初からジョージを標的と定めていたようだった。だとするとこの人も、初めからアーチーを標的にしてこの街に現れたということになる。

 一体何のために。聞いたところで多分、答えてくれはしないのだろう。

 心臓が跳ねる音がやけに五月蠅い緊張の最中、次第に川面は静まり返っていく。波紋だけを残し、水しぶきが収まった川の真上、用済みになったどす黒い靄は消えていく。そこにはもう、たった数十秒前までは健在だった橋が、跡形もなく消えてしまっていた。

 ロンドン橋は落ちてしまったのだ。マイフェアレディの手によって。

Re: 守護神アクセス ロンドン外伝 ( No.4 )
日時: 2022/06/05 21:50
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

 時は、ジョージが辛くもオリヴィアを送り出したところまで遡る。命からがら通りの向こうまで走り抜けていった妹を見届け、ようやく全力を出せると少年へ向き直る。



 こいつだけはここで捕える。

 兄としての責務を果たした今、俺に残されたのは怨嗟と復讐の激情だけだった。結局、あんな父の姿をオリヴィアに見せてしまった自分が情けない。そして何より、父を手にかけたであろうこの少年が許せなかった。

 しかも先ほどは、妹まで俺の目の前で切り裂こうとした。そこにきっと深い目的はなかった。多分こいつは応援を呼ばれたら不味いとか、そんな事一インチとして考えていなかっただろう。

 こいつはただ、家族を目の前で殺された俺の反応を楽しむためだけに、オリヴィアを殺そうとした。たとえオリヴィアよりも幼そうな少年であったとしても、その悪逆非道を見逃すつもりはなかった。

 ただ、その怒りに任せて殺してしまおうとは思っていない。偽善などではなく、自分のエゴだ。このガキがどうしようもなく醜く見えるから、同じステージに上がりたくない、そう思ってしまった。

 ただしその鼻っ柱は叩き折る。精神的にも、肉体的にも。命までは取りはしないが、しばらくギプスをつけて生活することぐらいは甘んじて受け入れてもらおうと思う。


「ちぇっ、逃がしちゃった」

「可愛い妹だからな。当たり前だろ」

「怖い怖い。お兄ちゃんは強いねー」


 所詮、奴にとってはオリヴィアの首はおまけ程度のものだ。逃がしたこと自体に悔しさはあるのかもしれないが、目的に陰りはない。その証拠に、焦っている様子はまるでなかった。

 デザートは取り逃がしたが、メインディッシュはまだ目の前に。ご馳走を目の前にしているつもりなのか、彼は舌なめずりをした。守護神キャスパーのオーラを爪と牙として換装し、猫のように振る舞っているのも相まって、得物を見つけた獣のようにも見える。

 簡単に倒されるつもりはないし、返り討ちにする心づもりなのだが、気を抜いてはいけない。少なくとも見かけ上は奴の方が守護神の位階は上に立っている。いかに俺のカイウスが円卓の一員とは言っても、刹那の甘えが命取りになり得る。

 もう一度目の前の少年を観察する。相手が油断ならない状況では付け入る隙が見つからないか試してみると良い。それがセクエントスクールで、見た目適当そうな教官が言っていた教えだった。


「守護神使って暴行するやつなんざ大体が力に溺れてんだ。一昔前の犯罪者と比べたら明らかに杜撰すぎる連中が多いもんだぜ。かっこつけて技名つけてるせいで次の一手がバレバレな奴、能力使う時にオーラが集中するせいでタイミングバレバレな奴。おじさん、こう見えて自分より格上の守護神使い何人もとっ捕まえてんだなこれが」


 無精ひげを剃ろうともしないだらしない人だったが、実力だけは本物だった。従えている守護神のナンバーズは五千番台。一般的な話で言うと明らかに恵まれた契約相手ではあるが、俺のカイウスと比べると数段劣る。だが、あの人についぞ卒業しても一対一で勝つことはできなかった。

 先生程の制度で分析できる自信はないが、それでも見えてくるものはあるはずだ。事実、俺が注視する視界の中で、明らかに少年の空気が一変した。期待で爛々と輝いていた目は、鋭く細められて鈍く瞬いていた。仕掛ける好機を窺うように、息を殺し、静寂の中でその時を待つ。

 張り詰めた空気の中、緊張が最高潮に達する。体の強張りを感じた俺は息を吐き、また新鮮な空気を短い呼吸で取り込んだ。それが合図となり、奴の姿が消えた。床を蹴る音がしたかと思うと、残光のごとく白銀のオーラだけを残して跳躍する。

 四つ足の獣がごとく、弧を描く軌道で跳びかかってきた。小細工なしのロケットスタート、間髪入れずに反応し、カイウスの剣の腹で何とか受け止めた。

 俺が初撃を受け止められたことに驚きはなかったようだ。機嫌良さそうに口角を上げた口元には、鋭い犬歯が覗いた。剣とキャスパリーグの爪とはぶつかり合い、互いに譲ろうとしない。互いにこの程度の牽制で、折れてしまう訳にはいかなかった。少年を受け止めた体をそのまま勢いよく振るう。その勢いで彼の体は後方へと投げ出された。

 そのまま壁にでも叩きつけてやろうとしたのだが、流石は猫の守護神というべきか。器用に空中で体をひねり、体勢を整る。着地するようにタイミングよく膝を曲げ、足から壁についた少年は、涼し気に地面の上に降り立った。

 剣を握っている手が、衝撃で少し痺れた。尋常ではないその膂力に獣の守護神らしい獰猛性がうかがえる。だが、それと同時に華奢すぎる彼の四肢が目立つ。守護神アクセスすると、肉体が超人的に活性化される。そのせいで普段は病弱な人間でもコンクリートの壁を砕くこともできる。

 だから、彼がどれだけ痩せこけた体をしていても、守護神さえ強ければその身体能力は異常な境地まで高められる。確かにそれは事実だ。けれども、彼の腕の細さはもはや骨と皮しかないように思えるほどに貧相だった。

 それはまさしく、体重を絞っているというよりもただ食うに困っているような。髪が無造作に伸び、くせ毛を直そうとすらしていないのも、それを整えるだけの余裕が無いせいだとしたら。服のタグも鋏で切ったのではなく乱雑に手で引きちぎったらしい。タグと服をつなぐ透明な輪のようなものが首元から覗いていたことに先ほど気づいた。

 元々劣悪な環境で過ごしていたのだろうか。スラム街の出身か、それとも身寄りのない子供なのか。だとすると、どのようにしてこのPhoneを手に入れたと言うのか。

 その調子で、彼の分析を続ける。とはいえ、彼も黙ってじろじろと見られている訳でもない。|化け猫の銀爪に引き裂かれ、俺の実家だった場所がずたずたになっていく。しかしまだ壁も天井も残っている。その壁を、天をも足場にして、縦横無尽に白い嵐が駆け抜ける。

 正面から、背後から、右から左からまた背後から。彼の突進に合わせ、俺も剣を振るう。紺色の刀もまた、踊るように宙を舞う。正面からの特攻は跳ね上げ、背後からの一突きには柄で弾き、横から引き裂くような爪の一振りが飛んできたのは刃の腹を滑らせていなした。

 やはり、強すぎる力に弄ばれているように見えた。おそらくこの子は守護神アクセスを我がものとして活用するための研鑽、鍛錬などは一つとして積んでいない。刃物を手にした子供が、面白いというだけの理由で周りを斬りつけているようなものだ。

 おそらくはPhoneを手にしてまだ日が浅い。雇われの傭兵のように、直前に雇われた存在だとでもいうのか。

 つまり誰かが、こいつを戦力として利用しようとしたのか。契約可能な守護神がキャスパリーグだと知って、何らかのテロリズムに貢献させようとしたのか。疑問は尽きない。妄想とも呼べる仮説がいくつも頭の中に浮かんでは消えていく。

 だが、それらの疑問は即座に切り捨てた。あり得ない。自分の守護神が何か、調べるためには多少の手間がかかる。そんな調査を住民の片っ端から調査するなんて、できるはずがない。余程のお偉いさんともなれば話は別かもしれないが、こいつが拾われたのはおそらくたまたまだろう。

 どうにも拭い切れない疑念が残る。ただ、彼が何者かに派遣されたことだけは事実だ。「あの人から聞いた通りだ」と、彼ははっきり言っていた。

 つまり、俺の守護神がカイウスと知った上でここに来た。目の前の少年がそれを理解しているのかは知らないが、おそらく捨て駒として使われている。

 誰か俺を知る者が情報を漏洩した。それだけは確実に断言できる。それ以外の懸念と疑念は一旦忘れることにした。


「きちんと実証できたもの以外は基本的に疑わなきゃダメ。じゃないと、そうであって欲しいってバイアスがかかるから」


 十三歳ぐらいの頃、オリヴィアが気に入ってずっと使っていた言葉だ。あの頃からあいつは、学者になりたいと思い続けていた。それを聞いて、わざわざグラマースクールを受験させた甲斐があったと、親父も笑っていただろうか。

 そう、そうだ。こいつはその親父を手にかけた。

 仕事としてこいつを捕えようとして、忘れかけていた激情がまた胸に戻ってくる。確かに冷静であることは肝要だ。だが、飼いならしてしまえばこの怒りは闘争本能の起爆剤となる。

 玄関先、まだこいつのヤバさに気が付いていなかったとき。後ろ手にして隠していた親父の頭を俺に見せた。「意外に重たいんだね、人の頭ってさ」と、収穫物を自慢するように俺に見せつけた。朝見送ったばかりの父親が、目の光も首から下も全部失って帰ってきた。溢れた血が飛んだのか、顎下が一面血でまみれていた。

 その仇は必ず討つ。そのためには、目の前の敵を打ち倒すことに全力を注ぐべきだ。確かにアクセスナンバーだけ見れば、あいつの方がよほど格上、俺の敗北はまった無し、だろう。

 だが俺もただでは引き下がれない。勝つ当てはちゃんとある。まだ仮説にしか過ぎないが、守護神アクセスに関してこの少年は、まだてんで素人だ。そこが付け入る隙になる。


「戦うこと以外でごちゃごちゃ考えるのは俺の仕事じゃあないよな」


 そういうのはオリヴィアの方が得意だ。家の中を跳ねまわる怪猫の化身、もうその動きは段々読め始めていた。折角手数や攻め手の引き出しの多そうな性能をしているのに勿体ない。気まぐれというよりも短期で目の前の甘いものに吸い寄せられがち。ともなれば、動きは非常に単調というものだ。

 ただスピードだけで仕掛けても翻弄できない。そう理解したのだろう。だが、やはり熟考が足りない。案の定思い付きだけのフェイントを入れてきた。正面から突っ込んでくるかと見せかけ、空中でアクロバティックに体を畳んで回転。迎撃するために俺が振る剣閃をすかし、背後を取る。

 誰もいない虚空だけを、カイウスの剣が斬り裂く。好機、そう判断したのだろう。着地と同時に、力強く地面を蹴る足音が、もう一回。空を切る音が奴の接近を告げている。隙を見せつけた甲斐があったというものだ。

 斬撃を空振った勢いを殺すことなくそのまま背後に向き直るまで回転を続ける。地面と平行に刃は走り続け、そのまま後方に忍び寄ったキャスパリーグと向き合う。斬られる、本能的にそう判断したのだろう。本来俺の喉笛を貫こうとしていた、白銀の鋭爪が己の身を守る体勢を取った。

 間一髪、少年は俺の一刀を辛くもその爪で受け止めた。が、次の瞬間に音を立て、白銀の爪は砕け散った。オーラで錬成しただけのものなので、すぐに作り直せるのだろうが、お互いの得物の格付けを済ませたという点では意味のある一太刀だった。


「畳みかけるぞ、カイウス」


 様子見はもう充分。ここからは、得た情報を基にして慎重に叩き潰す。ならば万全の状態で。今日はいつもの毒舌饒舌はどこへやら、珍しく黙りこくっている相棒に俺は声をかけた。


『化け猫退治か、久しいな』


 歴戦の猛者に相応しい、渋さの窺える低い声。カイウスの声が戦闘の騒がしさに染み入るように放たれる。しかし、この声は俺にしか聞こえない。異世界から守護神アクセスで呼び出している契約相手の声と姿は、契約主である自分自身にしか見えないからだ。同じように、目の前のあいつはあいつでキャスパリーグの声を聞き、姿を見ているのだろう。

 俺の後ろには紺色の甲冑に身を包んだ一人の騎士がいる。兜に覆われた顔の中は影のように黒く塗りつぶされているので、その素顔を覗き見ることは叶わない。しかし、剣を持ったその居住まい、正された背筋が、由緒正しい騎士であることに箔をつけていた。


「こいつには本気で行く。頼む、異能を貸してくれ」

『承知した』


 自分の体の中にさらなる力が満ちてくることを実感する。カイウスが供給するオーラのラインを太くしたのだ。構えた剣の側面に、剣を握っていない方の掌を押し当てた。掌からは暁天の太陽がごとき眩い光が放たれる。紺の刀身と対照的な、明るい朝焼け色の光。

 次の瞬間、発火。剣全体に炎が纏われる。カイウスの異能というのは彼の生前の功績をそのまま反映している。『アーサー王伝説を初めとする各種伝承に記された、円卓の騎士ケイの奇跡の再現』、辞書的に表現するならそんなところだ。

 体から熱を発し、雨に濡れない。あるいは、火種も何もないところから炎を生み出すことができる。そんな伝説に由来しているのがこの発炎能力だ。灼熱を刃に纏わせること、防具に纏わせることも自在。そしてこの熱は己が体内に由来するため、身を焦がすこともない。

 ただし、出力を間違えると周囲の人間まで炙りかねない。だからオリヴィアがここを離れるまでは使うことができなかった。


「ハハ! 何これ、太陽の化身か何か? でも英雄様はそうじゃないと盛り上がらないよね!」


 砕かれた爪牙を再生させながら、ねじの外れた玩具のような大笑を漏らしている。多分こいつはまだ気が付いていない。目の前の俺がもう、さっきまでの様子を窺うような立ち回りをやめているということを。

 こいつの高笑いなど待ってやる必要はない。地を蹴り、瞬時に間合いを詰める。戦いのリズムの転調に付いてこれなかった奴は反応が一拍遅れた。それさえ命取りだ。迎撃《カウンター》などできるはずもなく、すんでのところで再生した爪の切っ先で抑え込むように防御しただけ。

 だがその防御さえ、ろくに意味をなさなかった。


「あぁあああぁっづぅ!」


 炎の剣を受け止めた少年の口からはたちまち苦悶の声が上がる。もはや声にもならないような苦渋のうめき声。彼の掌は、大やけどを負い、爛れる寸前にまで至っていた。

 それも隙だ。耐えがたい熱に晒され、臨戦態勢を解いた華奢な体躯を床に向かって叩きつけた。全身を強く打ち付けられ、肺の中身を無理に吐き出させられたような息が吐き出される。

 呼吸さえ万全にできないのだろう。涙目になって地面をのたうち回り、命からがら俺から距離を取る。その姿からはもはや、狩人の面影など感じなかった。

 だが、逃しはしない。俺の心身を蝕んでいる怒りの炎は、この程度ではないのだから。ここからは敵討ちだ。誰に言う当てがあるでもないが、俺はそう胸の内に呟いた。

Re: 守護神アクセス ロンドン外伝 ( No.5 )
日時: 2022/06/15 16:44
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: T32pSlEP)


 少年の焦りは火を見るより明らかだった。本来守護神の位階で言うと彼の方がいくぶんか上。そのはずなのに、俺に圧倒されている現実が理解できなかったのだろう。苛立ちでそわそわしているのか、視野が狭まっている。

 焦りに飲み込まれた獣など、もはや狩る側に戻ることはできない。でも、実戦慣れしていないであろうこいつは、それに気づけないまま戦っているのだろう。もし彼が元々恵まれた育ち方をしていたら、守護神の力を得ていなければ、もっとましな人生を営めたのだろうか。

 だが、たらればの話はするだけ無駄だった。事実こいつは今、計画的に俺のことを狙い、家族の命を奪い、オリヴィアまで手にかけようとした。俺がこいつを許せない理由として、あまりにも大きすぎる。

 まだ幼いのにとか、可哀そうにとか、そんな同情もカイウスの炎で灰にする。

 焦燥、苛立ち、敗北への恐怖。様々な負の感情で押しつぶされそうな心を奮い立たせ、灰色の髪を揺らす彼は、再び力強く地面を蹴った。


「直接触らなければいいんでしょ!」


 鋭く巨大な爪を装備した掌の中に、純白のエネルギーが凝集する。あれは先ほど、ボールのような形にしてオリヴィアに向かって投げていたものだ。何とかあいつは回避して難を逃れたが、その直後に壁をやすやすとくり抜いていた記憶がある。

 あれは単なるエネルギーの塊ではない。あれこそが守護神キャスパーの持つ能力本体だ。何を仕掛けてくるか分からず、警戒の糸だけ張る。だが、その警戒を肩透かすように、奴は家の中を壁沿いにただ走った。

 猫らしく俊敏な動きで家屋の中を瞬時にぐるりと一周する。掌に集まった白いエネルギーを壁に押し付けて、そのまま壁そのものを拭き取るように。奇妙な現象が起きる。彼のその白い光波に当てられた部分の壁が、まるで消しゴムで擦ったみたいに綺麗さっぱり消えてしまった。

 日本にあるだるま落としのおもちゃの様に、まっすぐ立っていたはずの家の壁が、中央に一筋線が入ったようにくり抜かれる。刃を用いていないのに一刀両断、支えを失い、空中で孤立した家屋の上半分が、そのまま崩落して俺たちの方に降り注ぐ。

 崩壊する瓦礫の向こう側、例の純白の力を薄く広げ、ベールの様に身に纏う奴の姿が見えた。がらがらと音を立て崩れ往く、かつて家だったはずの破片が、その純白のベールに触れるとそのまま、蒸発するように消えていった。あれはおそらく、単純なエネルギーの塊ではない。最初は撃ち出す勢いで壁をぶち抜いた大砲のようなものかと思っていたが、そうではない。

 あれ自身が消滅や崩壊といった属性を有している。あの白い光に触れたものはそのまま、消えてしまうのか。大体の能力に検討をつけ、直後に上方の空間に剣閃一振り。扇状の紺の残像の後に、剣戟の衝撃だけで落ちてくる建材を刻み、砕き、吹き飛ばした。僅かに残った木っ端も、カイウスの異能である熱と炎に当てられ灰燼と化す。

 あの手の光には触れないようにしなければならない。家がほとんど消し飛び、今や上空には青空が広がっていた。衝撃の余波がご近所さんにも広がっているようで、悲鳴混じりで逃げ惑う後ろ姿が遠くに見えた。

 周りに影響を出してしまったのには頭を下げるしかないが、逃げてくれたなら好都合だ。この少年から他の人を守りながら戦うのは骨が折れる。俊敏性だけなら俺より上なのは間違いない。手頃な人質を取られることが防げただけでも、見習いセクエントとしては上出来だった。

 あの消滅の光はどの程度自在に動かせるのかは分からないが、慎重に立ち回る。幸い、奴の爪が巨大とはいっても、こちらの剣の方が間合いは長い。俺の剣は届くが、奴の爪はすぐに回避できる。その距離感を保つようにした。

 剣を横に薙ぎ、返した刃でもう一度剣を振るう。守護神アクセスによる肉体強化の恩恵、それは本来人の身であれば不可能な体捌きをも可能にする。生身で重い剣を振るおうとすれば、このような動きはできないだろう。だが、オーラによる肉体活性があれば話は別、次々と矢継ぎ早で攻め立てる刃が、今か今かと獣の首に手をかけようとする。

 水平斬りからの、間髪入れない追撃。それらを少年は身をよじって回避する。しゃがみ、一刀目を避けると同時に、返す一太刀を後方宙返りで飛びのいて躱す。その着地隙を狩るように、剣と俺の体全部を槍と化すようにして突きを繰り出す。

 消滅の光を彼は一時解除した。そしてキャスパーの爪で突きを受け止め、受け流す。だが、いなしきれなかったカイウスの剣がその頬を掠めた。鼻と耳との間ぐらいに一筋の赤い線が走り、だらだらと血が流れ落ちる。


「痛《つ》っ……」

「そいつはオリヴィアのぶんだ」


 その爪で空を切り裂き生み出した真空の刃でオリヴィアを傷つけていたのを俺は見逃していないし、忘れてもいない。痛みに顔を顰めた少年の懐に入り込む。あの危険な白いエネルギーが無いのなら、大胆に踏み込むのにも躊躇はいらなかった。


「しつこいね、お兄さん」

「黙れ、舌を噛むぞ」


 大きく天へ振りかぶり、一気に振り下ろす。手で防御しようとすれば腕に集中しているオーラまで打ち砕き、全身を燃やさんがばかりの熱量の剣だ。それで決めきるつもりだったのだが、そこまで刺客も甘くなかった。

 眼前の敵をその一振りで両断しようとする斬撃、それを見て防御はできないと本能的に悟ったのだろう。何か決心したように、逆に一歩を踏み出した。カイウスの熱に当てられ、その灰色のくせ毛が焦げる嫌な匂いがした。

 距離を詰められ、逆に斬撃が有効な間合いをつぶされた。肉薄した少年の鋭い爪がギラリと光る。三日月形のその鋭利な刃は、死神が振るう鎌のようで、首さえもそのまま刈り取ってしまいそうだった。


「ガぁッ!」


 威圧するような雄たけびと共に、その腕を大きく振るう。オーラで身を包むようにして纏っているカイウスの鎧に亀裂が走る。幸い体には直接の傷はなかったものの、力強く跳ね飛ばされた俺の方が今度は体勢を崩す。

 今しかないと、彼が攻撃に転じた。剣を使う俺とは違い、四肢の全てが彼の凶器だった。大きく跳びかかりながら、両手を振りかぶっての、タイミングをずらした二連撃。よろめきながらも右腕の初段は両手で持った剣で受けた。だが、不安定なところにさらに後ろへと突き飛ばされたものだから、大きく後方に姿勢を崩してしまった。

 畳みかけるような左腕、第二の刃が降りかかる。まだカイウスの鎧が機能している側の半身を正面に突き出した。グラスを落とした時みたいな派手な音と共に、全身の紺の鎧が砕け散った。破片となり、宙を舞うと同時に細かな光の粒子へと還り、宙へと消えていく。

 これで俺も、防御に関しては丸腰だ。待ってましたと言わんがばかりに、銀の爪を纏うように消滅の光が再び彼の手を覆った。このタイミングで再度異能の行使。脳裏に一つの仮説が生まれる。この、物質を消滅させる光には効果の及ばない代物があるのではないか。

 例えば、守護神から供給されるオーラそのものとか。先ほど全身をオーラの鎧で纏っていた状態では彼は異能を使っていなかった。

 だとすると、生身の体で食らうわけにいかなかった。先ほどまでの頑強に固めた鎧とまではいかなくても、漏出しているカイウスの力を薄く全身に纏い衣《ころも》のように利用する。

 案の定、対策を打たれたことに少年は表情を歪めた。そこにペテン師の匂いは感じない。本心からの焦りや戸惑いが生まれていた。

 だが、防御力には不安が残るままだ。消滅の異能こそやり過ごせるものの、依然として獣由来の爪牙が脅威であることに変わりない。

 腹を狙った右腕を弾き、距離を取ってから放たれた真空の刃を俺の持つ剣で切り裂く。鎌鼬《かまいたち》に乗せられた銀色のオーラの残光は、光の粒となり雪の様に戦場に降り注ぐ。

 瞬き一つする間隙ですら油断できない。ほんの数瞬目を離した隙に、地を蹴ったキャスパリーグは俺の鼻先に。兜の緒を締める如く、口元をきつく引き結びなおし、突進を仕掛けてきた肩を両腕で抑え込んだ。かなりの炎熱を今の俺は発しているはずなのに、もはやその熱さ痛みなど少年の肉体は感じていないようだった。

 髪の焦げるどころか、肉の焦げる音と匂い。だが、狂い切った今のこいつは自分の肉体さえも見殺しに突き進んでくる。肩を抑え込まれ、腕が振るえないとなると、瞬時に機転を利かせ、上空へ飛び上がるように地面を蹴った。

 膝蹴りが俺の胴の中心目掛けて放たれる。慌てて肩を押さえつけていた両腕でガードしようとするも、両腕とも押し負け、勢いを欠いた膝がそのまま俺の腹に入った。


「お前……!」


 酸っぱい何かが蹴りの勢いでそのまませり上がってきそうになるが、何とか飲み込む。遮二無二殴り返せば、奴の軽すぎる体はゆうに数メートル吹き飛んだ。しかし間髪入れずに立ち上がる。狂喜を湛《たた》えた眼光の下、殴り飛ばされた頬は火傷で痛々しく腫れあがっていた。


「イカレてんのかよ!」

「何だよケイ卿、自分の力だろ。戦うって決めたんだろ? あんたの親父を殺したのは僕さ。だったら何戸惑ってるの、本気で来なよ!」


 力に囚われ、戦いの虜になっているようだった。これが教官の言っていた、大きすぎる力に呑まれるというやつなのだろうか。俺たちでさえこうだって言うんなら、位階が三桁の連中とか、|ELEVEN《王様》たちはどんな気分なんだろうな。

 やるせなさが募る。こんな奴が本当に親父の仇なのかと。急に怒りさえも馬鹿馬鹿しくなってしまった。代わりに決意する。こいつだけはどうしても止めなくてはいけないと。何も、こいつ一人を止めるってだけの話じゃない。同じように力に振り回される人間が生まれないように、|セクエント《俺たち》がいるぞと見せつけてやる必要がある。


「カイウス、剣と鎧の新調頼む」

『半人前が。俺ならそんな事になっていない』

「……だろうな」


 毒を吐きながらも、ボロボロに刃毀《はこぼ》れしていた剣と、先ほど砕かれた鎧が再度生成される。再び全身を武装した俺は、次のやり取りでこの勝負を終わらせることを胸に誓った。

 もう、こいつの言葉は聞いてやらない。指を三本立て、あいつに見せつけた。


「三つだ」


 急に何をと、ぼろぼろの体、焼け焦げた衣服を纏い、少年は首を傾げた。へらへら笑いも止もうとしない。だが流石に次の瞬間、その表情も変わった。緩み切った嘲笑などどこへやら、ピリピリと張り詰めるような憤懣に満ちていく。

 奴の表情を変えたのはまさに、俺の言葉だった。


「お前が俺に負ける理由は三つある」


 ひりつくような緊張の走る最中、敵愾心と対抗心の炎が、少年の瞳の奥に灯っていくのだけ見届け、剣先を向け直した。

 この時の俺はまだ知らなかった、テムズ川の上流に暗雲が立ち込めていたこと。その最中に、またしてもオリヴィアが巻き込まれていたことも。

Re: 守護神アクセス ロンドン外伝 ( No.6 )
日時: 2022/06/24 19:29
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: T32pSlEP)

「ふざけんなよ!」


 激高した化け猫が襲い掛かる。相変わらずの、両腕を使った二段攻撃。一本の刀では捌ききれないと先ほど理解したため、相手の呼吸に合わせ、左、右とリズムよく体をひねらせ回避した。虚しく空だけを裂いて、四つ足の体勢で奴は着地した。

 唸るように荒々しく息を吐き出す姿と言い、本物の獣にしか見えない。外した、そう理解した直後にまた、本能的に動き出した。四つ足のまま、今度は脚力でなく腕力で跳躍した。曲げた腕を伸ばすときの勢いで、また銀の影が迫りくる。

 身を翻す勢いも加えた一裂き。大げさに構えた右腕を振り下ろす力と、全身を捩る遠心力を同時に乗せた一撃。総計五本の鋭爪が、立ちはだかる俺を切り身にするべく降り注ぐ。何度も剣で受け止めているから分かる。まともに食らえば確かに致命傷だろう、だが。

 一閃。音さえも殺すようなカイウスの技巧。静謐を保ったまま放たれた神速の斬撃が、その腕を捉えた。斬り落とされた怪猫の凶爪が、寂しさを吐露するような声を上げて地面に堕ちた。

 再生の隙は与えない。そのまま矢継ぎ早に斬撃を浴びせ続ける。斬り、裂き、焦がし、炙り、突き、貫き、刻み続ける。その度に応戦しようとする少年だが、抵抗というには無力なものだった。腕で受け止めるも、勢いを殺しきれずに転がる。それでも何とか立ち上がろうとしても、熱に体が音を上げ始めていた。不意打ちの様に放たれる突きに何とか対応して身を捻っても、バランスを崩して不利になるだけだ。

 よろめいたところに蹴りを放った。どうやら剣にしか意識がいっていなかったのだろう、防ぐこともできずにあっさりと痩身の男の子は吹き飛んだ。もはや半壊状態の街並み、そこに立ち並んだコンクリートの壁に正面から叩きつけられていた。

 短く吐かれた喘鳴、もはやその幼い体には限界が訪れていた。肉体活性のおかげで内臓破裂や複雑骨折までは負っていないだろうが、全身の打撲、広範囲の火傷、多くの擦り傷と捻挫は免れられない。


「どうし……こんな……」


 未だに少年は、自分がここまで打ちのめされている現実が理解できていないようだった。瞼のあたりが火傷の水膨れで腫れあがり、目も完全には開いていない。だらりと垂れた腕は変に曲がって居たりはしない。おそらく力を籠めると痛みが強まるからそうしないといけないのだろう。もう興奮状態は収まり、脳内麻薬のごまかしも効かなくなったのだろう。

 歯が砕けてしまうのではないかと思うような歯ぎしりの音が、静けさの中波紋を広げるように届く。


「もういいだろ、お前の負けだよ。大人しく捕まれ」


 そして剣ではなく法で裁かれてもらう。我が家を更地にしてくれたこと、周囲の街並みにも余波を広げたこと。そして何より、無関係だったはずの親父を殺したこと。このような破壊活動、テロリズムに守護神を用いるのは当然ご法度だ。知りませんでしたじゃ当然済まない。


「負けてない! どうして……! 僕のキャスパーの方がカイウスよりも上じゃないか、なのにどうして歯が立たないんだ……」

「世の中お前が知らないことが沢山あるんだよ」

「馬鹿にするな! 守護神の強さの序列はナンバーズが小さい方が上! そんな事、学校に行ってなくても、ナーサリーでも知っているぞ! どいつも、こいつも……僕らをゴミ溜め出身って馬鹿にして……。あの人だけだ、そんなこと言わなかったのは。だから、あの人に変えてもらうために僕は……お前たち円卓を殺さなくちゃいけないんだよ!」


 もう一度、最後に残された己の命を薪として、彼の全身から白銀のオーラと、消滅の白光が発散される。そんな事をしても威嚇にもならないというのに。案の定だった、彼の消滅の光は先ほど俺が予想した通り、守護神のオーラだけは浸蝕できないようだった。砂埃、残された家屋の壁、吹きすさぶ風の運んでくる塵芥。そういったものは触れると同時に消えてしまう白光も、カイウスの剣と鎧は消すことができなかった。


「そうだな、お前の言うとおりだ。原則はな」

「原則、は?」

「そうじゃないこともあるって事さ」


 円卓の騎士は、本来もっと上位の位階を有していたが1200番台のナンバーズに留まっている。それは彼らが、円卓の騎士が十二人だと再確認するための願掛けのようなものだった。伝説の中で彼らは、壮絶な身内争いで滅んでしまった。だからこそ、死後の世界では今度こそ手を取り合うと誓ったのだ。

 その戒めこそが、位階に刻まれた数字だった。本来与えられた一層高い席次を破棄する場合、望む位階を手に入れることができる。


「カイウスの本来の席次はもう少し上だ。丁度お前のキャスパーと同じぐらい。後、ガウェインに関しては大体800程度。見かけの数字じゃ分からないんだよ」

「そんな、何でそんなルール破りができるのさ」

「俺たちにも分かんねえよ。でも多分、守護神的にはこれも、ルールに則ってるんじゃねえの?」


 それが、俺に勝てない理由の一つ目。本来の守護神としての実力に大差はないのだ。彼はきっと、その位階の差というものを絶対の優位と信じていたのだろう。だからあんな風に戦いを、あるいは殺し合いを楽しんでいられた。自分が勝って当たり前だなんて、思っていたから。


「そして理由の二つ目。守護神には相性がある」


 例えば、アレキサンダー大王のような、生前王であった守護神がいるとする。そういう存在を、王の性質を持った守護神と呼ぶ。また、クレオパトラや楊貴妃といった、国王をもたぶらかしたような絶世の美女は傾城の性質を持っているという。このように属性に従うと、王の守護神は傾城の守護神に対して相性が悪いと言われる。傾城というのは、君主皇帝国王さえも篭絡する存在と知られているからだ。

 それとはまた別のケースで、人々の言い伝えから相性の有利不利が生まれることもある。その例として相応しいのは今この瞬間、俺とあいつの間で成り立っている関係が相応しかった。


「後年ではアーサー王が倒したとされるキャスパリーグ、でも過去にさかのぼってみると、元々化け猫退治をしていたのはケイだったっていう話があるんだ。守護神たちの肉体も、住んでいる異世界も、俺たち人間界の夢、幻想、想いが寄り集まってできたものだから、そういう言い伝えが色濃く反映されるんだよ」


 カイウスには、“キャスパリーグを倒した勇士”という属性がある。だからこの場において、単純に二人きりで力比べをした場合俺が有利になるのだ。何もあの少年自体にも、無論キャスパーにも落ち度はないし、カイウスが卑怯な手を打った訳でもないのに。世界のルールで、そのように決められている。

 それが、第二の理由だった。


「ここにオリヴィア……俺の妹がいなくて良かったな。浅学は改めなさいって叱られてたぜお前」

「うるさいな……望んだってできるような暮らしじゃなかったんだよ」

「だろうな、でも、学校に行けなくても、やっちゃいけなかったことぐらい知っておけよ」


 自分が愚弄されたと思ったのか、これまでの非運を、境遇の悪さへの怒りを吐き捨てるように彼は叫んだ。だが、そんな甘えを受け入れるつもりはない。何も俺は、人を傷つけてはいけないと学校で学んだつもりはない。躾だったり理不尽な暴力だったりで痛みを知って、それを人にぶつける人間にはなるまいと決めた。


「自分の辛さを他人にもぶつけていいって開き直る奴は、生まれもってそんな事思ってやがる。それは境遇とか育ちの悪さじゃなくてお前の心の奥底から生まれたものだ。誰に教えられなくても、人のことを慮れるやつはいる」

「何だ説教かよ、そんなにぬるま湯じみた甘ちゃんが偉いのかよ」

「違う、俺たちが偉いんじゃなくて、お前たちが可哀そうなんだ」

「だから……馬鹿にすんなって言ってるだろうがぁ!」


 命を賭してでも、俺だけは殺す。そう、決意したのだろう。しかし、残念ながら時間切れだ。

 急に少年の全身から力が抜ける。彼の体を覆っていた白銀の闘気、それは煙のように天へ立ち昇って消えてしまった。消滅の白光も同じだ。不意に存在感を失い、雪のように融けてしまった。

 全身に込められていた力も霧散していく。守護神アクセスの副次効果である肉体活性も当然、こうなってしまっては無かったことになる。これで少年は丸腰同然、ただの非力な子供だ。なぜなら今、守護神アクセスは解除されてしまったのだから。

 彼が俺に決して勝てない第三の理由。それは守護神アクセスの時間制限だ。


「守護神と契約したばかりの人間は、まだ己と契約相手の間に繋いだバイパスが細い。だから、短時間で守護神アクセスはタイムリミットを迎える。俺とカイウスの信頼は三年仕込みだ。ところで……」


 お前の研鑽はたかだか何時間なのか言ってみろよ。

 眉間に力を込め、細めた目で彼に問いかける。脱力と同時に、緊迫感も度胸も飛んで行ってしまったのだろう。「ひっ」と一つ、子供らしい悲鳴だけ残し、表情は恐れと焦燥とで情けなく崩れた。さっきまでの怒り、ずっと前の余裕ぶった薄ら笑い、その面影は一切残っていない。


「も、もう一回だよ。守護神あくせ……」

「間に合わねえよ」


 Phoneを取り出し、再度キャスパーを呼び出そうとする。だが、それは叶わない。今の少年は生身の人間、向き合う俺はまだカイウスと一体となっている。取り出した小型デバイスは無防備にも程があった。

 俺とあいつを分かつように、紺色の残像が間の空間を駆け抜けた。カイウスの剣による高速の斬撃。一瞬、斬られたことにすら気づいていなかったようだが、次の瞬間にPhoneの液晶の上に一筋の線が走った。斜めに走った断面を滑り落ちるようにして、小型の機会は真っ二つに分かたれた。断面からは一拍遅れ、火が上がる。内部部品の内、発火性がある物がカイウスの熱により引火したのだ。

 突如揺れた焔の光に怯え、もはや機能を果たさないゴミとなったそれを少年も投げ捨てる。器用にも彼の手には傷をつけることなく、守護神アクセスだけを封じ込んだ。

 しかし、まだ終われない。


「まだお前にはオリヴィアの分の借りしか返してなかったな」


 その言葉の意味にすぐには思い至らなかったらしい。ふと、彼は火傷していない側の頬に触れた。そちらには先ほど俺が剣先を掠めてつけた切り傷があった。先ほど彼がオリヴィアに投じた斬撃で出来た頬の傷とお揃い。喘ぐような呼吸を二回ほど挟んだところでそれに気が付いたらしい。

 彼に見せつけるように、断頭台のギロチンのように天高く剣を振りかぶった。次の瞬間、こいつももう一つの借りに思い至る。彼が最初に手にかけた、俺たちの父親。それはどのような姿で俺たちとの再会を果たしていただろうか。


「ごめんなさっ……」

「聞こえねえな」


 大きく振り上げた刃を上空から一息に振り下ろす。音を立て地面にぶつかる。少年の体を引き裂くことはなく、アスファルトの大地を砕いた。

 分かっている、彼の首を落としても、俺自身満足できないこと。親父も帰ってこないってこと。だったら俺は、俺が生きやすいように生きていきたい。こんなガキ一人殺した十字架なんざ背負いたくなかった。何より、こんな可哀そうな奴と同じところに堕ちるのが嫌だった。

 復讐は何も生まないなんて綺麗事は糞くらえだ。だから俺は、俺のエゴでこいつを殺さないことに決めた。オリヴィアを人殺しの妹になんてしたくなかったから。

 死んだと思ったのだろうか。失禁したまま恐怖のあまり意識を失ってしまったらしい。寝小便とは何とも子供臭いことだ。心を強く保つためにも、そんな毒を飛ばすことしかできない。

 ごめん、親父が殺されたってのに、こんな事しかできなかった。

 街がぐちゃぐちゃだっていうのに、馬鹿みたいに呑気なお日様を俺は見上げた。何とかして、今の自分が感じている感傷に負けないようにと。

 けれど、無理だった。雲なんてない、からりと晴れ上がった空の下、二筋の天気雨はしとしとと降り注いでいた。


Page:1 2



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。