ダーク・ファンタジー小説
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- 右手で希望を掴んで
- 日時: 2022/11/11 19:13
- 名前: イナ (ID: 8GPKKkoN)
昔から、私の右手は呪われていた。右手で触れたものは腐り、崩れ落ち、消え去っていくから。だから私はいつも手袋をつけていた。利き手は、勿論左手。右手なんか、利き手にしたくなかった。
お母さんが作ってくれた絹の手袋は、腐ることはなかったから、それをつけることで安全は保たれた。でも、安全だって言っても、呪いのことを知った誰もが、お母さん以外が、私から離れていった。
私は橘柑菜。呪われた子。
一応、今はお父さんに養ってもらっている。でもお父さんは私を自分の子だと認めていないのか、未だに私を柑菜さん、と赤の他人のように呼んでいた。虐待のような態度を取らないだけまだマシだが、私はそのなんとも言えない距離感が嫌だった。
「…行ってきます。」
「いってらっしゃい、柑菜さん。」
いつものように早めに家を出て、ゆっくりと通学路を歩く。
通学時間は、数少ない私が一人になれる時間だ。
だからなるべく引き伸ばしたくて、私はいつも早く出発してゆっくり歩く。
ふと、空を見上げる。空は澄んでいて、白い雲が映えていた。朝日がマンションの隣から差し込んで、街を照らす。
小学校の近くを通ると、どれだけ早く登校できるかを競っているらしい小学生が、玄関の前で騒いでいる姿が見えた。この時間にもう登校しているだなんておかしい子たちだ、と自分のことを棚に上げてそんなことを考えてしまった。
その間も、無表情で足を動かした。小学生の頃は呪いのことをみんなが知っていたから、いじめが一番ひどかったな、とか思いながら。
高校は家から近く、玄関解錠の30分前に着いてしまった。まあでも当然、生徒がいるはずもなく、私は隅っこに移動して壁に寄りかかった。
学校でも、私は手袋をつけている。今は高校1年生だが、入学のときに校長先生に説明したら、ドン引きしたような表情で、校内でも手袋をつけることを認めてくれた。他の先生にも説明され、私が手袋をつけることは咎められなかった。
でも、先生さえも私を避けた。この触れたものが腐る右手のせいで。
ただ、お母さん手作りの物と私とお母さんの体だけは、この右手でも腐らない。
なぜかは、わからない。
ただ、この右手が呪われたのは、私が6歳の頃の事件のときからだった。それに関係しているのは確かだ。
でも、突き止めようとはしない。その事件で何が起きたのかを、思い出したくないから。
玄関は時間が経つにつれて賑やかになってきた。
そして、やっぱりそれは起きる。
「あー!鈍臭い手袋ババア見っけた!」
「え、待っていつにも増して感情のっぺらぼうだね。インスタに挙げたらウケそう。」
クラスメイト達がわざわざ私の近くまで来て面白そうに大声で悪口を吐く。
大丈夫、いつものこと。何も考える必要はない。
私は可哀想なんかじゃない。これは運命であり、必然的。もとから定められていたことなんだ。しょうがない。そう自分に言い聞かせる。
その運命に抗ってまで私をそばで愛してくれたお母さんは、世界一偉大だと思う。
エジソンとか、そういう大発明をした人なんかよりずっと。
そういうことを考えているうちに、玄関が開いたようだ。ぞろぞろと生徒たちが玄関に吸い込まれていく。
私は少しホッとして、その校舎に入る生徒の塊から少し離れながら校舎に入った。
上履きはゴミ箱の中だった。今日もゴミ箱から出してホコリを払い、そっとそれを履いた。
「カスがゴミ箱をあさってゴミ履いてる!」
もうやめて。そんな願いは虚しく、今日もお決まりのようにこのセリフを言われた。
もう嫌だ。やめてよ。辛い。心が痛い。
手袋を履いていても、優しく笑って話してほしい。
でも、そんな人はお母さんだけだった。
もう、お母さんたちのほうに言ったほうがいいかな。
そう思って自殺しようとして、それでもその一歩を踏みとどまってきた。
もう嫌だよ。
辛いよ。
誰でもいいから…
誰でもいいから。
誰か。
助けて…?
翌日、登校までは一緒だった。でも、私の上履きは下駄箱に残っていた。不思議に思ってみると、綺麗に折りたたまれた手紙が一通。
「私は味方だから。森田葵より」
その字は、震えた手で書いたのだろう、線の一本一本が揺れていた。
森田葵さんは、この前転入してきた女の子だ。
あの子の作文も、この手紙の字みたいに揺れていた。
もしかしたらと光を感じたが、同時に思い上がらせておいて後で絶望に突き落とすつもりなのではないかと心配になった。
そして結局、私はその手紙をそっとポケットに入れて上履きを履いた。
何日ぶりだろう、カスがゴミ箱をあさってゴミを履いてる、という声は聞かなかった。
昼休み、筆箱にぐちゃぐちゃに入れられた悪口の紙に紛れる、一通の綺麗に畳まれた手紙。
なんとなく開くと、こうあった。
「屋上で待ってる。森田葵より」
その字は、やっぱり力なく震えていた。その震えが、私にとっては弱く見えなかった。
この学校の屋上は使用禁止だが、葵さんが鍵を借りたらしく鍵が開いていた。
私は少しの希望を感じながら、屋上の扉を開けた。
屋上にいたのは、やっぱり葵さんだった。
少し痩せていて、でも瞳は決意にあふれている。
「来てくれたんだ、ありがとう。」
葵さんが放ったその声は、細く、高く、それでいて芯がしっかりある凛とした声。
葵さんは、ボロボロのベンチに座って私を手招きした。
私はその隣に座る。
「あのね、私、前の学校でいじめられてて、それがきっかけで転校してきたの」
私は、ようやくわかった。葵さんがこうまでして私に会ってくれた理由。
「転校先でもいじめられるのが怖くて表面上では何もできないの。ごめんね」
私はそこまで読んで、葵さんを見た。その顔は、申し訳無さそうに歪んでいる。
ああ、葵さんは、本当に前の学校で辛い目に遭ってたんだ。
「そっか。辛かったよね。大丈夫、私がこういう扱いを受けてるのは当然なんだよ。みんなを真似ずにこんなことをしてくれるだけありがたいから。ありがとう。」
葵さんは、顔をしかめた。
「どういうこと?」
あ。と、私は今更ながら当然だと言ったことを後悔した。この質問に答えれば、葵さんも私から離れていくかもしれない。それは避けたかった。
「それは、私が手袋をずっとつけてるせいだから。でも、絶対に外してはだめなんだよ、手袋は。だから、こうなるのは当然なの。」
なんとか誤魔化すと、葵さんは詮索されたくないのを悟ったようで、それ以上掘り下げるのはやめてくれた。
「そっか。でも、そうだったとしても柑菜ちゃんに普通に生きる権利はあるんだよ。諦めちゃだめ。私も陰で応援するから、一緒に頑張ろ!」
ふと、私はお母さんを思い出した。
―柑菜。一人で生きようとしてはだめだよ。必ず一人は、自分を理解してくれる友を持つこと。お母さんとの約束だよ――
理解してくれる、友。葵さんは…そうなのかな。
だけどまだ信じきれていない。心のどこかで、騙してるだけじゃないかって心配になる。
いきなり信じなくてもいいよね。これから、ゆっくり葵さんを知っていけば。
「ありがとう葵さん。一人でも葵さんみたいな人がいてくれたら助かるよ。これからよろしく。」
「うん、勿論。陰ながらでしか手助けできなくて本当にごめんね。」
本当に申し訳無さそうな顔をする葵さん。私は慌てて首を振った。
「それは違うよ葵さん。こんなことできるほうがすごいんだよ。もっと威張っていいのに。みんなの前で私の味方するのは怖いよね。だからこのままでいいの、ありがとう。」
「ごめんね」
「謝らないで、私は大丈夫。」
「うん、ありがとう。」
ここまで会話して、私たちはこの話を終わらせた。
その日は解散。時間がなくて、軽く学食で買ったパンを食べて教室に戻った。
空腹だった授業中。その空腹が、私にとっては嬉しかった。
それから約一週間後。葵さんはよく私のことを気にかけてくれていた。愚痴を聞いてくれたり、慰めてくれたり。だから、あのとき言っていた陰ながら手助け、というのは本当なのかもしれないと考える自分がいる。でもやっぱり、これは長期戦で、希望を感じさせた後で絶望のどん底に突き落とすつもりなのではないかと考えてしまう自分もいた。
どっちが自分なのかすらも、わからなくなっているほど迷っていた。
この日、いつもより早めにお昼ごはんを食べ終わった私は、なんとなく旧校舎の教室で空を見上げていた。
すると、複数の足音が近づいてくるのがわかった。そして迫り来る嫌な予感。
ここは旧校舎だから、先生は滅多に来ない。生徒は尚更。
これはまずい。
「よっ。サンドバックにしに来たぜー!」
3人の男子と2人の女子。嫌がらせ集団を率いるリーダー格。
サンドバックと言われたなら、それは暴力の合図だ。
まあ、バットとか無いだけマシではあるけど。
私は勢いよく逃げ始める。
「逃げた!お仕置きしなきゃ」
「俺的にはあの大事そうに手で隠してる手袋強制的に脱がせたーい!」
「あ、賛成。」
手袋を脱がされでもしたら、そのときは、色々な意味でお終いだ。私はどこか遠くに引っ越して転校しなければならなくなるだろう。それは断固として避けるべきだ。
でも、どうすれば…
「柑菜ちゃんっ!」
その時、飛び込んできた華奢な体。高い声。そう、葵さんだ。
葵さんが、この空間に飛び込んできたのだ。
「っ、先生っ、はあ、呼んでっ、はあ…来たから…はあ、はあ。」
「危ないって葵さんっ。逃げて⁉」
「逃げないよ。はあ、手助けするって言ったでしょ?はあ、はあ、私も頑張る!」
葵さんは、そう言って私の隣に立った。
先生が来ればいいけど、先生が駆けつけるまで凌げるかと聞かれたらノーだ。しかも葵さんの手や足は震えていて、とても対応できるとは思えない。でも、なぜか、私は葵さんがいるだけでホッとした。
すると、二人分ほどの走る足音が聞こえてきた。
「大丈夫かっ⁉」
「もう大丈夫だからね、葵、柑菜ちゃんっ。」
この空間に、新たに2人、入ってきた。見知らぬ男女だ。
「私のお兄ちゃんとお姉ちゃん。大丈夫、味方だよ」
葵さんが、そう教えてくれた。
それを見て、彼らは逃げていった。
「森田、橘!無事かっ。」
遅れて、教員数人が駆けつけた。その手には辞書だったり、黒板消しだったりを持っていて、急いで来たのがわかった。
私は、一気に気が緩んで笑ってしまった。
「ふふ、大丈夫です。ありがとうございます、先生。」
その後、襲ってきた生徒たちの親に連絡がいき、動機調査で私への嫌がらせの数々が判明、加害者のクラスメイト数人が停学処分となった。
後日。葵さん、葵さんの兄と姉は私の家に来ていた。本来なら葵さんの家にお礼に行くべきなんだけど、どうしても聞かれたくない話があったからこっちに来てもらった。
私と葵さんがコーヒーにミルクを入れ終わると、話を始めた。
「今回は、柑菜を助けてくれてありがとう、三人とも。心から礼を言わせてもらう。」
このとき、お父さんは深く頭を下げて、そして私を呼び捨てで呼んだ。
私は、驚きで言葉を失う。だがすぐに我に返って私も頭を下げた。
「ありがとうございました。おかげで無傷で終わらせられました。」
葵さんは、いじめられていた。それで、私を助けたくてもいじめられるのが怖くて陰でやっていた。なのに、葵さんはそんな過去を振り切ってまで、助けに来てくれた。
本当に、この人たちはいい人たちなんだ。この人たちになら…言っても大丈夫なのかもしれない。右手のことを。
「葵のお友達を助けないなんてできないんで!」
「そうですよ。悪いのあっちだし。」
「うんうん。柑菜ちゃん。柑菜ちゃんが暴力を受けるなんて、そんなの割り込まずにはいられないって。」
三人はそう笑った。
ああ。もしかしたら、私が人は醜いものだと思っていたのは、間違いなのかも。
そんな事も思った。
だから、私は切り出した。
「あの、聞いてくれますか?」
多分私は、これを後悔しないだろう、と思って。
「私が、手袋をつけている理由。」
まず、私は6歳の頃に起きた事件について話し始めた。
私には、大好きなお兄ちゃんがいた。優しくて、頭が良くて、家族想いで、最高の兄だった。
それで、人って優しいなって、そう思って揺らがなかった。
でも、それは簡単に崩れた。
「お兄ちゃんは、重い病気にかかってしまったんです。」
脳の手術が必要な、とても重い病気。お兄ちゃんが10歳の頃だった。すぐにお兄ちゃんは手術を受けることに決まった。私はまだ幼かったから、お兄ちゃんの大丈夫、って笑った顔をずっと信じて、のんきに過ごしていた。
「その手術は、医者の根本的なミスによって開始三分で失敗に終わり、兄は…あっけなく骨になってしまったんです」
それがたまらなく悲しくて、私は何日も泣き続けた。それでもお兄ちゃんが見守ってると信じて立ち直ろうとした。でも、問題はその後だった。
「医者は、涙一滴流さず、黙祷を一秒もせず、ただすみませんでしたで終わらせたんです。」
謝罪した後、医者はぽかんとする私たちを追い出した。
私は、その瞬間に、人って醜いなって。今まで思ってた真逆のことが魂に刻みつけられたような感覚を覚えた。なんでこういう扱いなのかがわからないと一ヶ月くらい思って、食事が喉を通らなかった。
私は思った。人間って、みんな醜いんだと。私は思った。こうなるのは運命だったのかと。運命だったら、医者でも治せないだろうと。
人を信じるのが怖くなり、運命に抗うことを無駄と諦め、私は生気を失った。
そして同時に、右手が呪われたのだ。
それでお母さんが手袋を作った。その後お母さんはすぐに病死してしまった。
「でも、お母さんの手袋だけは腐りませんでした。お母さんは、私から誰もが離れていく中で、私のそばで愛してくれました。」
今思えば、お父さんも、私が気づかなかっただけで支えてくれていた。沢山、お父さんは私のために行動してくれていた。
「お父さん、ありがとう。私を支えてくれて。」
「柑菜。いいんだよ。それが父親としての務めだから。」
私は、涙ぐみながら話を続ける。
手袋をつければ安全だったけど、それでもみんなは離れていった。だから私は、呪いを隠した。そうしたら、みんなは私をいじめ始めた。でも呪いを明かすわけにもいかず、ただやられているだけだった。
そしてそんな中、私は、葵さんに出会った。
「葵さんのおかげで、私は心が癒やされました。陰からでも、私にとっては偉大なんです。」
葵さんとの出会いは、私に生きる気力を与えてくれた。
そして今に至る。
私の視界がぼやける。
「柑菜ちゃんはさ、当然だとか言ってたけど、本当は悲しかったんだよね?泣いていいんだよ。柑菜ちゃんにはその権利があるんだから。」
「その通りだ。俺を頼りなさい、柑菜。俺たちは、お前の味方だぞ。」
葵さんの言葉に、お父さんの言葉。それを聞けることが、私にとっては幸福だった。
「みんな、離れないの?怖くないの?この右手が。」
そしてポロッと出た本音。
「だって手袋があれば安全なんでしょ?それに、柑菜ちゃんが私たちをその右手で触るようなことはしないだろうなって。」
葵さんの返答に、お父さんたちが頷いた。
「柑菜。人間は確かに醜いところもある。残念ながら、あの医者のような人もいるのは事実だ。だけどな。それよりも、希望を与えてくれる人のほうが多いんだよ。」
お父さんが言った。
確かに、そうだ。その通りだ。
どっちも人間。それを受け止めるべきだ。
「ありがとう、みんな。ありがとう。ありがとう」
我慢には自信があるのに我慢しきれず、涙が溢れた。それを合図に、とめどなくこぼれていく涙。
それは、暖かかった。
撫でてくれる、お父さんの手も、暖かかった。
しばらくして、私が落ち着くと、私は呪いを見せる決意をした。
私が変わる第一歩として。
また物を、人を、腐らせてしまうのが怖い。でもやらなきゃ。
手袋を脱いだ右手を見つめた。ぶるぶると、右手が震える。
すると、葵さんたちが言った。
「柑菜ちゃん。自信を持って。柑菜ちゃんは変わったんだよ。」
「そうそう。もう呪われた柑菜ちゃんじゃないんだよ。」
「俺たちはそう簡単に腐ってやんないぞ。」
はらり、涙が溢れる。震えが収まる。
そうだ。私は大丈夫。変わったんだもん!
吊るされたティッシュを、そっとなでる。ティッシュは、腐り果てて、ボロボロと―――落ちなかった。
そう。ティッシュは腐らなかった。
「ああ、腐らないっ。」
ティッシュは何度触っても腐らない。テーブルを触っても腐らない。
腐らない。腐らない。何もかも、腐らない。
それから四人全員と握手をして、私は泣き崩れた。そのとき右手を床についても、床は腐らなかった。
もう、腐らないんだ。開放されたんだ!
ただ泣く私を、四人は優しく見つめてくれていた。優しく撫でてくれていた。
一ヶ月後。いじめはなくなり、私は、葵さん、いや、葵と楽しい高校生活を送っていた。
手袋も卒業。
「葵、おはよ!」
「おはよう、柑菜。」
普通に生活できることのなんと嬉しいこと。
これも全部、お父さんや葵がくれたものだ。
もう諦めない。私は変わったんだ。運命にも、抗うよ。
右手で希望を掴んで。
私は、幸せのために生きていくよ。ありがとう。
私と葵は、笑い合って校門まで走っていく。
そのとき見上げた空は、澄んでいた。