ダーク・ファンタジー小説

Re: 君がいたから、ようやく笑えた。 ( No.6 )
日時: 2024/09/10 17:29
名前: しのこもち。 (ID: X2iPJYSg)



【Side 陽向ひなた


 ─────明日が、怖い。こんな世界なんて、嫌い。

 周りには強がっているくせに、1人でいる時はいつも塞ぎ込んでいた。

 ヒーロー気取りかよ、笑える。

 でも僕は別に、みんなに恰好つけたい訳じゃない。ただ、周りの目が怖いだけの臆病者だ。


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「……離れてゆく幸せが、離れてゆく温もりが。戻ってきて欲しいだなんて弱音、誰にも見せずに隠してきた」

 彼女の…怜愛の綺麗な歌声が、音楽室に響く。

 弾き語りをして欲しいだなんて半分冗談で言ったつもりなのに、怜愛は僕のわがままにちゃんと答えてくれた。そんな彼女は、きっと誰よりも優しくて温かい心を持っているのだろう。


 でも、歌っている怜愛の姿は誰よりも優しく、それ以上に…誰よりも悲しく見えた気がした。

「───それでも。大切な人が離れていっても、君が傍にいてくれるのなら。当たり前が当たり前じゃなくなっても、君が手を繋いでいてくれるのなら。僕は今日も、歩んでゆくよ─────」

 大切な人が離れていっても、当たり前が当たり前じゃなくなっても、か…。

 彼女の歌は歌詞の一つ一つが僕の心に響いたものだった。まるで、僕のために作られたような歌。僕は感銘を受けたあまり、しばらくその場から動けないでいた。

 すると、そんな僕の様子を見兼ね、ピアノの蓋を丁寧に閉めた彼女がこちらを覗いてきた。

 その目は心配の色で溢れていて、僕の反応を待っているようだった。

 不安そうに見つめてくる彼女を見て、僕は慌てて言葉を発した。

「すごい、すごいよ」

 お世辞なんかじゃない。心からそう思った。僕は咄嗟とっさに拍手をする。

「はぁ…良かった」

 安心したように笑う子供のような彼女を見て、一瞬さっきまでの歌声は嘘だったんじゃないかと思ってしまった。

「ピアノだけじゃないんだね。老後はシンガーソングライターにでもなれば?」
「残念ながら、ピアニストとして食べていけるくらいの知名度は十分あるので大丈夫でーす」

 僕が冗談を言えば、怜愛も笑いながら返してくる。

 このままずっと、こんな日々が続けばいいのに。‪”‬当たり前が当たり前じゃなくなる‪”‬なんて、もう二度となくなればいいのに。

 目の前にいる彼女の笑顔を見ながら、不覚にもそう思ってしまった。

「というか、こんな世界的な画家がレディーに向かって失礼なことを言う人だなんてみんな聞いたら、驚くでしょうね」

 そう言って彼女は笑いだした。つられて僕も笑う。こんな感じで、一時限目の授業は彼女と一緒に音楽室でサボった。

 何でもないようで、在り来りな日常。でも、こんな毎日が一番幸せなんだってことを、この時の僕たちはまだ全てを理解できていなかったんだ。




 - 6.居場所 -

「……違います。最後の部分はフェルマータをかけなさいと、何回言えば分かるのかしら?」

 五時限目。今朝あの人とサボった第二音楽室で、私は選択授業で音楽の授業を受けている。

 そしてそれと同時に、この授業を選んだことをとても後悔している。


 理由は一つ。音楽の先生がめちゃくちゃ厳しい人だったのだ。

 さっきから授業の一環で順番にピアノを弾いているのだけれど、生徒たちが次々に悲鳴を上げている。そんな中でも構わずに、先生が厳しく声を荒らげているという、何とも言えない光景だ。

「はぁ…………何でこんなにやる気がないの。仕方がないわね」

 ため息をついてそう言った先生が、急にこちらを振り返った。

「水瀬さん、ちょっと弾いてみてちょうだい」

 何を言うかと思えば、先生がそんなことを言ってくるから正直戸惑った。

 でも、そんな私に構わず、みんなが一斉に私の方を向いて期待の眼差しを送ってきた。

「…はい、分かりました」

 もちろん、こんな状況なので断る訳にもいかず、私は仕方なくピアノの椅子に座った。

 譜面台に置かれた楽譜にしばらく目を通す。そこで、私は少し驚いた。

 この曲…世界的にもめちゃくちゃ難しいと有名なクラシック曲。そりゃあ、みんなも弾けないわけだ。というか、いくら芸術学校だからと言って新学期早々こんな激ムズの曲を弾かせる先生もどうかと思うが。

 そんなことを思いながら、私は鍵盤に手を置いた。幸い、この曲はこの前のコンクールで弾いたことがある。

 私は視線が集まる中、ゆっくりとピアノを弾き始めた。楽譜に書いてある音符の数が尋常ではない。

 右手で主旋律を奏でながら、左手で黒鍵盤と白鍵盤を連打。曲の中盤に入ると、右手を鍵盤の端から端まで一気に滑らせていき、そこから両手をクロスさせ、高低と速度のあるメロディーを弾いていく。力強く、でも少し滑らかに指を滑らせていった。

 最後にフェルマータをかけながら、曲を終わらせる。曲が終わった瞬間に、教室中が拍手と歓声で包まれた。

「さすがね。皆さんも水瀬さんのように、表現力と正確さを向上させるように。では、これで授業を終わります」

 するとタイミング良く、丁度学校のチャイムが鳴った。これで先生の声を聞かなくてもいいと思うと、少し安心した。

 チャイムが鳴った瞬間、光の速さでいつもの女子生徒が私の方に群がって来た。

「怜愛様、めっっっっっっちゃカッコよかったです!!!」
「あの顔硬かおかた教師も怜愛様のピアノの音色に聴き惚れてましたよ!」
「あの先生がまさかあんな顔をするなんて…さすがです!」
「すごいです!もう一回弾いて欲しい!!」

 次々に送られてくる賞賛の声。あぁ、ピアノをやっていて良かったと、こんな時にだけ思う私は、相当単純で都合のいい頭をしているみたいだ。

「……ありがと、うっ…」

 …あれ?おかしいな。私、悲しくもないのに………泣いてる。

「怜愛様、大丈夫ですか!?」
「もしかして、体調悪い…?」

 みんなが心配そうにこちらを見つめてくる。

「だ、大丈夫だよ!ありがとう」

 私は顔を横に振った。なぜ、泣いてしまったのだろう。私は疑問に思いながら涙を拭った後、みんなと一緒に廊下へ出た。


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 午後の授業と帰りのホームルームが全て終わり、私は帰る支度をして校舎を歩いていた。

 まだ新学期も始まったばかりなので、今日は部活動も新入生の仮入部もない。まぁ、この学校は芸術校なので、基本的に運動部はないのだけれど。強いて言うなら…吹部くらい?

 そんなことを思いながら、私は廊下を歩き続けた。今日はこんな感じだから、どうせなら寄り道でもしていこうかな。

 家に帰っても結局、ピアノをやれだとかうるさく言われるだけだろうし。というか、あんな居場所のない家なんか帰りたくもない。

 私は思い立ったまま、何となく中庭の方に足を向けた。


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 入学式の時にも来た中庭のベンチに、私は腰を下ろした。

「…」

 そして一人、静かな空気が流れる中庭で私は考えた。

 今日の五時限目。何であの時、泣いてしまったのだろうか。私は人前であんなに堂々と泣いたことなんかなかったのに。

『こんなことで泣くなんて、情けない。恥ずかしくないのか?』

 父にはいつも、人前で泣くことなんて許されないと教えられてきた。

 だから私はなるべくみんなの前では泣かないようにしてきたし、泣く時はできるだけ一人の時に泣くようにしていた。

 ずっと、そうしてきたから。もう人前でなんて泣けないと思っていた。


 でも違った。じゃあなんで、私はあの時泣いてしまったの?何か悲しいことでも思い出してしまったのだろうか。

『すごい、すごいよ』
『怜愛様めっっっっっっっちゃカッコよかったです!!!』
『もう一回弾いて欲しい!』

 いいや、違う。悲しかったんじゃない。
 私はただ…嬉しかったんだ。
 
 親に自分の存在を認めてもらえず、何かを成し遂げても褒めてくれない。私の居場所なんて、この世界のどこにもないと思っていた。

 でも、違った。私の居場所は、ちゃんとあったのだ。

 周囲に評価されて、初めて気が付いた。あぁ、これが。これこそが、私が生まれてきた、今までピアノを弾いてきた意味だったんだと。

 私は音楽で、大好きだったピアノで、世界中の人々に希望を与える。そのために、ピアノを弾いてきたのかもしれない。

「………あれ、また会ったね」

 花壇の方から声が聞こえてきた。もう何回か会話した仲なので、誰の声かくらいはすぐに分かった。

「…あ」

 声のする方を向くと、そこにはスケッチブックと鉛筆を持った彼がいた。

「ここ、僕の秘密基地だったんだけどなぁ」

 残念そうにそう言いながら、彼は花壇の傍に腰を下ろした。そしてスケッチブックを開き、鉛筆で何かを描き始めた。

 私も何となく彼の傍に近寄り、話しかけた。

「…何描いてるの?」
「うーん、分かんない」

 のんびりした口調でそう言いながら、彼はスケッチブックに線を描き始めた。シャッシャッ、と鉛筆が紙の上を滑る、心地よい音がする。

「分かんないって…」

 何ともまぁ、彼らしい返事というか何というか…。どうやったらそんな返事が思いつくのか、彼の頭の中を一回覗いてみたいくらいだ。

 ……って、これじゃあただの変態みたいではないか。私はなんだか恥ずかしくなって、顔を見られないように目の前に咲く花たちに視線を移した。

「………家がさ、安心するって言う人って意味分からなくない?」

 ほぼ無意識で、私の口からそんな質問が零れた。そして、すぐに後悔した。私が家に対して不満を抱えている、というのを悟られてしまうかもしれない。

 そんな私を他所よそに、彼は質問に答えずに黙ったままスケッチブックに何かを描き続けている。良かった、聞かれていなかったみたいだ。

 しばらく私は、隣で集中しながら絵を描いている彼の横顔をじっと見つめた。

 絵を描いている彼の表情は真剣そのもので、本当に絵に心血を注いでいるんだな、と思った。

 それに比べて私は…本当にあんな理由でピアノを弾いているのだろうか。別にこれ以上ピアノが上手くなりたいとも思っていないし、ピアノを一生していたいともあまり思わない。

 一方、彼はどう思っているのだろう。本当に絵が好きなのだろうか。

「……あのさ、何で絵を描いてるの?絵を描くのは、本当に好きなの?」

 私は思わず、彼にそう聞いた。彼は未だに、顔を上げようとしない。集中すると、何も聞こえなくなるタイプなのだろうか。

「…………あぁ、ごめん。ちょっと真剣になりすぎたみたい」

 そう言いながら彼は姿勢を正すと、また絵を描きながら質問に答えた。

「何で絵を描いているのかって?……うーん、何でだろう」

 彼は鉛筆の動きを止め、しばらく首を傾げていた。

「絵を描いている時が一番、時間が経つのが早い気がするから。まぁ、それでも絵を描くことは好きかなぁ」
 のんびりと答えた彼は、相変わらず絵を描くことを止めないらしい。

「…じゃあさ、あなたが絵を描き始めたきっかけは何?」
「きっかけ?そんなもの、多分ない。初めて絵に出会った時に楽しいなって思って、気付いたら絵を描いてた。何かそこら辺のテレビ番組にインタビューされてるみたいだなぁ」

 彼はそう言って笑った。目を細めて微笑む彼は、本当に絵が好きなんだな、と実感した。

 そして同時に…そんな自由な彼を、とても羨ましく思った。

 好きなことを好きなだけできる、自分がしたいと思うことを自由にできる。自分の色なんかない私とは違う。

 両親が私にピアノを始めさせたのもきっと、父がやっているから。ただ、そんな理由だけしかないのだろう。

 私は父の背中だけを見て、操り人形ごとく着いて行く。道を外れて、違う景色を見ることすら許されない。ただそれだけの、つまらない人生。

「てかさ、あなたって呼ぶの何かよそよそしくない?もうこんな仲なんだからさ、名前で呼び合うくらいしようよ。怜愛」
「……え、あっ。呼び捨て…?」

 男の子に下の名前で呼ばれたのなんて、これが初めてかも。私は気恥ずかしくなって、思わず目を逸らした。

「わ、分かったよ」
「ありがとう‪”‬‪怜愛”‬」

 やけに私の名前を強調してくる彼…陽向に少し嫌気がさした。けどそれと同じくらい…いたずらっ子のように無邪気に笑う陽向に少しドキッとした。

「なっ…」
「どうしたんですか?怜愛様」
「べ、別に何でもないからっ」

 完全にからかわれている。私はムキになってそっぽを向いた。ムカつく…。
 でも陽向のおかげで、さっきまでのどんよりした気持ちが嘘のように吹き飛んで行った。

 ふと、陽向が持っているスケッチブックに目がいく。私は彼の絵を見て、一瞬息をするのを忘れた。それくらい彼の絵は、綺麗だったのだ。

 真っ白だったスケッチブックのページは、いつの間にか美しい花たちでいっぱいになっていた。

 花壇に咲いている菜の花やたんぽぽ、色とりどりの花が、写真のように繊細に描かれている。それも花1つ1つがとても丁寧に細かく描かれていて、雄しべの本数さえも全て正確なのだ。

「綺麗…」

 私は思わず声を出した。この花は、どこか陽向に似ている気がする。

 何よりも美しく綺麗で、何よりも…悲しくてどこか切ない感じが、彼の空虚な瞳を思い出させるからだ。

 私はこの絵に感銘を受けた。これが世界に認められた画家、蓮水陽向なのだ。高校生でこんな感動的な絵を描けるだなんて、誰もが彼の画力を認めるのも納得だ。

「本当?ありがとう」

 私がその絵に見惚れていると、彼は小さく微笑みながらそう言った。私はその笑顔を見て、あぁ、やっぱり彼は花なんだ。と思った。

「……やっぱり、心からこれが好きなんだってその人が思えるものの方がさ、客観的に見ても、すごく綺麗に見えるんだね。私もピアノが好きじゃなくても、ピアノを弾く理由が誰かのためにとか、そんな曖昧なものでもいいのかな…」

 私は独り言のように呟いた。別に彼に問いかけたかった訳ではなかったけれど、陽向はちゃんと返事をしてくれた。

「うーん。確かに気持ちがこもっていた方が、そりゃあ綺麗に見えると思うけど、でも別にその人がそれを好きじゃなくても、他人からは違う視点で見られてるのかもよ」

 言いながら、陽向は鉛筆を地面に置いた。

「例えば、僕が絵を描くことが嫌いだったとしても、僕の絵を見ている人は僕が描いた絵を見て、頑張ろうって思うかもしれない。ほんのわずかな希望を持ってくれるかもしれない、僕の絵が綺麗だって言ってくれるかもしれない。僕がどんなに絵が嫌いでも、僕と他者の、絵に対しての価値観や好意は違う。人それぞれだ」

 陽向は私の目をじっと見つめながら、優しく笑った。

「だからさ、別に心からこれが好きなんだって断言できなくとも、誰かのために何かを成し遂げるっていうのも、全然ありなんじゃない?むしろ、それって1番すごいことだと思うけどね」

 気ままな陽向らしくない言葉。けれど、そんな言葉が1番、私の心に深く、深く響いたのだった。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 あの日から私は毎日の放課後、中庭に通うようになった。そこにはいつも絵を描いて待っている陽向がいて、私はその隣に座って彼と話す。そんな日々が、いつの間にか当たり前となっていた。

 ───そしていつしか彼とのこの時間は………私の居場所にもなっていた。


「陽向ってさ、何か猫みたいだよね」
「猫?そうかな」
「うん。何かのんびりしてるとことか、気まぐれなとことか」

「じゃあ怜愛は…鳥みたい」
「と、鳥?何で?」
「うーん、何となく?」
「…そういう所だよ、猫陽向」
「何か言った?」
「…別に」


 他愛もない会話。だけどそんな一時に、私の心はどれだけ救われたか。彼には分からないだろう。

 いいや、分からないとかじゃない。気付かれないようにしてたんだ。

 私は彼と話しながら、心の中で祈った。

 この小さな幸せが、ずっとずっと続きますように。もうこれ以上、両親のように大切な人が離れていきませんように。私の居場所が…もうなくなりませんように。

 青空の下、彼と笑い合いながら、私は密かにそう願い続けていた。