ダーク・ファンタジー小説

Re: 君がいたから、ようやく笑えた。 ( No.9 )
日時: 2024/01/21 18:52
名前: しのこもち。 (ID: TqFD0e/Z)



 『君がいたから、ようやく笑えた。』読者のみなさまへ。

 更新がとても遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした……!!!!!

 中々描き上がらず、私も頑張ったのですが……まさかこんなに経っているとは……本当にごめんなさい。

 それでもまだ本編を見てくださっている方々(そんなにいないかもしれませんが…笑)本当にありがとうございます。

 またこのように更新が遅くなってしまうことがたくさんあると思いますが、最後まで読んでくれると嬉しいです。

              しのこもち。

 


 - 9. 当たり前の幸せ -

 【 Side 陽向ひなた

 怜愛が学校に来るようになってから、1週間が経った。僕たちは今日も、いつも通りの場所でいつも通りの会話をしていた。

 ただ、いつも通りと言っても、あの時から1つ変わったことがある。それは、僕たちは放課後だけではなく昼休みの間にも会うくらいの仲になったということだ。

「ねぇ、陽向。今日の放課後空いてたりする?」

 珍しく怜愛がそんなことを聞いてくるので、僕はびっくりして思わず顔を上げた。

「空いてるけど、なんで?」
「この前一緒に……デ、デート?してくれたから、今度は私からも誘ってみようと思って…!」

 顔を真っ赤にしながらそう言う彼女が、何だか子供を見守っている時のように愛らしく見えた。

「……ふーん?別にいいよ、行っても」
「えっ、いいの…?」
「うん」

 僕が頷き返すと、怜愛は相当緊張していたのかほっと胸を撫で下ろした。

「よかったぁ。陽向って気分屋だから、断られるかもってドキドキしてたよ」

 僕が怜愛との時間を断るわけないのに。そう口に出そうとして、すぐにその言葉を飲み込んだ。

 まただ。最近、怜愛といるとどうしても心の中で思っていることを吐き出してしまいそうになる。

 僕たちの間にある見えない一線を……越えてしまいそうになる。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

「陽向、どこ行きたい?」

 放課後になり、僕たちは一旦人目のつかない場所へ移動した。もちろん、マスクをして。

「どこでもいいよ」
「………とりあえず何でもいいって言う男の人、モテないって知ってた?」
「知ってた」
「……まぁ、いいや。私が提案したんだから、行く場所くらい私が決めていいよね」

 そう言って怜愛は、僕の腕を引っ張って歩いた。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

「やっぱり高校生と言ったらここでしょ!」

 連れて来られたのは、2人用の少し狭いカラオケの部屋だった。

「僕、行ったことないかも」
「えっ、そうなの!?」
「うん。今まで絵しか描いてこなかったし」「へ、へぇ」
「怜愛はその感じだとカラオケ行ったことあるみたいだね」

 さっき注いできたばかりのオレンジジュースを飲み、僕は向かいに座る怜愛をちらっと見ながらそう言った。

 すると彼女は分かりやすくビクッと肩を震わせた。

「……えっと、実を言うと……私も行ったことない、です…」
「え?あ、そうなの?」
「う、うん。……実は私もさ、小さい時からずっとピアノしか弾いてこなかったんだ。学校が終わったらすぐに家帰ってピアノの練習して、土日も休まず一日中演奏して……親にずっと言われてきたことだったし、私が好きで始めたことだから仕方がないんだけどね。でもそんな生活じゃ、もちろん友達とも遊ぶ時間なんかとれなくて。正直今のクラスで仲良くしてくれてる女の子たちも、ずっと私のこと慕ってくれてるだけで、遊びに誘われたりとかはされたことないし……私もまだ、友達って思える関係の人を見つけられてないんだよね…」

 さっきまでのテンションはどこへ行ったのか、怜愛は俯いてしまった。

「………もう、いるじゃん」

 落ち込む彼女を励ます言葉。僕には、これしか考えつかなかった。

「……少なくとも僕は、君を友達くらいの関係には思ってるよ。友達との付き合いが上手くいってるとかいってないとか、そんなの僕には分からないけど、僕は君に出会えてさ………」

 君に出会えて……その先の言葉を、口に出さないようにすぐに飲み込んだ。

「……とにかく、せっかくなんだし初心者同士でカラオケというものを満喫してみよう。ほら、怜愛なんか歌ってよ」
「……うん、ありがとう」

 彼女は僕が渡したマイクを受け取り、タブレットに曲名を何曲か打ち込んだ後、立ち上がった。

「〜♪♪〜♪♪」

 スピーカーから流れる音楽と共に、怜愛の綺麗な歌声が室内に響いた。それを聞いているだけで、心が浄化されていくような気がする。



 “君に出会えてよかった”

 こんな言葉を、僕なんかが伝える資格はない。なのに、口に出てしまいそうになった。こんなこと、今までなかったのに。そもそも僕は、自分の思ったことをそう簡単に口に出せるような人間じゃないのに。

 ………いいや、違う。僕がそういう人間になるために自分で“なった”んだ。


「陽向もなんか歌おうよっ」

 しばらく歌っていた怜愛が僕の腕を引っ張る。そのおかげで僕はよろめきながら立ち上がった。

「陽向の歌ってるとこも見てみたいなぁ」

 にやにや笑いながらそう言ってくる彼女の機嫌は、もうすっかり直ったみたいだ。

「えぇ。僕こう見えてめちゃくちゃ音痴だよ」
「歌に上手いとか下手とかないのっ。ほら、早く歌ってよ」

 彼女は机に置いてあったもう一つのマイクを手に取り、僕に手渡した。

「〜♪♪〜♪♪」

 最初は人前で歌うことに抵抗とためらいを感じていたけど、隣で怜愛が一緒に歌ってくれたおかげで、僕は小さな声でだけれど段々と歌うことができた。

「あっはははっ!うちらすごくない?ドレミの歌で95点取れてる!陽向歌上手いじゃん」
「さすがに僕がこんな単純なメロディーの曲ですら歌えないほどの音痴だとでも思った?あっ、もしかして馬鹿にしてるな?」
「し、してないです、してないですっ!」

 面白おかしく笑う僕たちの豪快で大きな笑い声が、部屋中に響いた。カラオケが防音な部屋でよかったと思うくらいに、僕たちは思う存分叫んで笑っていた。

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「あー、歌った歌った」

 店を出た後二人並んで歩いていると、怜愛が満足そうに呟いた。

「そうだね。あんな面白い怜愛、見たことないよ」
「ちょっと、やめてよ……」
「……ふははっ」
「ねぇ、また思い出し笑いさせないでっ……あっはははっ」
「あはははははっ!」

 急に涙を出して、僕たち二人はまた笑いだした。周りの通行人に、なんだこの人たちって目で見られてる。

 でも、そんなの構わなかった。今はずっと、ただただこうして彼女と笑っていたかった。

 お腹を抱えて僕たちは気が済むまで笑う。

 あぁ、これがきっと。これがきっと“普通の幸せ”ってやつなんだろうな。

 僕は笑いながら、ふとそんなことを思った。


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 僕が絵を描き始めた理由。それは、時間が過ぎるのが早く感じるような気がするから。ただ、それだけ。

 でも僕はただそれだけの理由を利用して、目も向けたくない現実から逃げていた。





 僕が最後に両親を見たのは、小学3年生の時だった。
 別に事故で亡くなったとかではない。いや、もしかしたらそうなのかもしれないが、ただ朝起きると突然、昨晩まで一緒にいた両親がいなくなっていたのだ。

「…お父さん?お母さん?」

 両親の部屋に入っても、誰もいない。

 母は大抵いつも家にいるし、父は毎日僕より後に家を出ていくはずだ。昨晩早めに家を出るなどの話も特に両親からは聞いていないし、何かがおかしいということをこの時僕は悟った。

 なんだか嫌な予感がした僕は、家中を探し回った。全ての部屋を隅から隅まで探したし、クローゼットの中も確認した。それでも両親が見つかることはなかった。

 我にもすがる思いで両親の部屋をもう一度探索した僕は、あることに気付いてしまった。

 いつもは物が収納してある引き出しやクローゼットから、両親の服や物がなくなっているのだ。玄関を見ると、靴も何足か消えていた。

 僕は、さっきした嫌な予感が現実になってしまったということにこの時ようやく気が付いた。


 『家族が消えた』

 当時子供だった僕は両親がいなくなったことに驚きを隠せず、しばらくその場から動けないでいた。それと同時になぜ両親はいなくなってしまったのか、もしかしたら自分のせいなのではないかという不安や恐怖も感じていた。

 -プルルルル。プルルルル。

 何もする気力が起きないまま1時間ほどが経過した時、いきなり家の電話が鳴った。

 僕はびっくりしながらも恐る恐る、早く来いとでも言うかのような大きな音を出す電話に近付き、震える手で受話器をとった。

「もしも─────」
「蓮見さん?今日学校欠席って連絡きてないけど、今日は学校来れないのかな?」

 電話に出ようと口を開くと、その言葉を遮られた。声からして、電話の向こうの相手は自分のクラスの担任であることが分かる。

「………お母さんとお父さんが、いない」
「え…?」

 自分でも何が起きているのか、何を言っていいのか分からなかった。子供だった僕にとってはそんなのなおさらのことで、今見えている事実を伝える他なかった。

「本当に?お母さんとお父さんは仕事に行ってるとかじゃなくて?」
「……そんなの、聞いてない。部屋からも……物、なくなってる」

 電話越しで顔は見えないが、明らかに先生が驚いて焦っているということだけはなんとなく分かった。

「………わ、分かった。とりあえず今から先生たちで迎えに行くから、蓮見さんはそこで待ってて?」

 電話の向こうから担任の焦ったような声が聞こえる。バタバタと派手な音が鳴ったと同時に、担任の先生は電話を切った。

 -プーッ。プーッ。

 電話を切った後の電子音が、広い部屋に響き渡った。その音が余計に、一人でいることの孤独感と不安を煽ってくる。

 僕は体の力が一気に抜けるのを感じた瞬間、膝から崩れ落ち、先生が来るまでその場から動けずにいた。


٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 


 その後のことは、あまりよく覚えていない。
 気付いたら家に担任の先生や知らない大人の人たちが来ていて、気付いたら学校にいて。


 気付いたら………あの人に、出会っていた。


「こんにちは。陽向くん、だっけ?よろしくね」

 にこにこと笑いながら、朗らかとした雰囲気をまとったその人が目の前に立っていた。

 三十代くらいだろうか。男の人だった。背丈は父と同じくらいで、灰色のスーツを着ている。

「……誰、ですか?」
「ああ、そういえば名乗ってなかったね。僕の名前は─────」

凛空りあ

 そうか。怜愛と初めて出会った時‪”りあ”‬という名前をどこかで聞いたことがあるような、そんな気がしたのはきっと、あの人の面影おもかげがあったからなんだろうな。

 親戚もいない僕はいつの間にか、この‪”‬‪凛空”と名乗る人物の家にいさせてもらうことになった。

 恐らく、というか絶対に、僕の両親がいくら探しても見つからなかったから、こうして他人の家に‬同居することになったのだろう。

 僕は俯いた。涙が溢れないように顔に力を入れて、あの人にこんな情けない様子を見られないように極力下を向く。

 両親の顔が、頭から離れない。
 今でも覚えている、鮮明に。
 お父さんとお母さんの顔、声、温もり。

 今すぐ会いたい。声を聞きたい。
 そんな思いが僕の心を支配し、気付いたら我慢していたはずの涙が零れていた。

「……凛空、さん」
「ん?」
「僕、今すごく悲しいんだ」

 声が震えている。涙が溢れすぎて、うまく呼吸ができなかった。

「……っ、うっ………っ、」

 僕は俯いたまま嗚咽を漏らしながら泣いた。
 会ったばかりの人の前で泣くのは、これが初めてだった。

「……ぅっ、なんで……、なんでお父さん、とお母さんっ………いなく、なったの…?」

 純粋に知りたかった。何も言わずに出ていくなんて、子供を置いて行くなんてこと、あんなに優しかった両親が簡単にできるわけがない。

 精一杯声を上げながら僕は泣いた。一度泣き始めると涙は枯れないものなのか、自分でもこんなに泣いたことはないと思うくらいのたくさんの涙が頬に伝る。

 凛空さんはそんな泣きぐしゃる僕に何も言わず、黙ったままずっと背中をさすってくれていた。

 僕はその優しさに甘え、ただひたすら泣いた。

「お父さんっ、と…お母さん、に……っ今、すぐ……ぅっ、会いたい………」

 切実な願いを口にすると、凛空さんは少し変わったことを僕に提案してきた。

「…………陽向くん。それならさ、少し僕と遊んでくれない?」
「……っ、え?遊ぶ…?」

 泣くだけ泣いてようやく涙が引いてきた時、凛空さんは僕に微笑みかけた。

「うん。少し待っててね」

 そう言うと凛空さんは立ち上がり、しばらくすると部屋から紙と鉛筆、クレヨンに絵の具に色鉛筆にカラーペンに、とにかくたくさんの種類の画材を持ってきた。

「絵、描くの……?」
「まぁ、そうかな」

 凛空さんは袖をまくり、大きなサイズのスケッチブックを開いた。そしてなぜか白いクレヨンを取り出し、白いスケッチブックのページに何かを描き始めた。

「え、なんで白い紙に白い色で描くの?絵が見えないよ」
「そうだね。でも見ててよ?」

 不思議がる僕の様子を楽しそうに見ながら、凛空さんはしばらく絵を描いた後クレヨンを置き、今度は水彩絵の具で淡い水色を作り出した。

 そして真っ白なスケッチブックの上に、平筆で思い切り色を塗っていった。

「うわぁ、すごい………」

 クレヨンの油分が絵の具の水をはじき、みるみるうちに一本一本の線が浮き上がり、絵が徐々にあらわになっていく。

 それはまるで魔法のようで、僕は最初先生が手品でもしているのかと思ってしまうくらい、すごく滑らかで不思議な光景だった。

 そして数秒も経たないうちに、さっきまで真っ白だったスケッチブックには翼を広げた美しい鳥が、水色の絵の具を背景にたたずんでいた。

「綺麗……」
「だろ?これはバチックといって、クレヨンと水彩絵の具の異なる性質を利用した絵の技法なんだ」
「すごい、すごいよ!こんな綺麗で不思議な絵、初めて見た…!」
「ふふ。バチックだけじゃないぞ?絵の世界にはな、本当にたくさんの綺麗な技法や構成美なんかが眠ってるんだ」

 凛空さんはそう言って、興味深々の僕にたくさんの美しい絵の世界を見せてくれた。

「これは誰でしょう?」
「あ、これ僕だ!凛空さんは絵が上手いんだね」
「えぇ、そうか?」


 凛空さんの手から生み出されるものは全てが本当に綺麗で、僕はすでにこの時から絵という存在が隣にいたし、絵というものに惹かれていた。

「凛空さんはなんでそんなに絵が上手いの?」
「まぁ、一応美術の先生だからな」
「え、そうなの!?」
「うん、君の通ってる小中一貫校の中等部で美術教えてるよ。そんなに驚くことかな」
「そりゃあ、そうだよ。先生なんてすごい!でもなんで先生なんかになったの?こんなに絵が上手いんだから、画家とかやればいいのに」

 そしてこの時先生が言った言葉を、僕は今でも鮮明に覚えている。

「実は僕も……………陽向くんと同じ歳だったくらいの時にな、お父さんとお母さんが事故で亡くなったんだ」

 凛空先生は悲しそうに笑いながら、その真っ黒な瞳を切なく揺らした。

 急にそんなことを言われるなんて思ってもみなかった僕は、驚いて勝手に一人でショックを受けた。

「その時、僕も陽向くんと同じようにずっとずっと一人で泣いてたよ。一人でいることの絶望感とか、孤独感とか。それに縛られながら生きる毎日が本当に怖くて、僕は里親に引き取られた後もしばらくその人たちの名前を呼ぼうともしなかった」

 心配そうに見つめる僕の様子に気付いたのか、凛空先生は幼い子供をあやすように再びゆっくりと話し始めた。

「でも、そんな絶望する日々の中で…………僕は『絵』に出会ったんだ。絵は、白黒だった僕の心に色を塗ってくれた。何もなかった僕にとっては絵という存在が光だったんだ。自分のほしいものを絵に描けばなんだって手に入った気分になれたし、青空の絵を描けば心だって晴れる気がした。僕はそんな小さい頃から心の光だった大好きな絵の魅力を、少しでも多くの人に自分の口でちゃんと伝えたかった。だから、頑張って教師という道を選んだんだよ」

 僕は、何も言えなかった。
 いつも僕に見せてくれた先生の絵の美しさの中には、こんなにも切なくて儚い過去が詰まっていたのだ。

 僕は息を飲んだ後、しばらく閉じていた口をようやく動かした。

「…………僕、決めたよ」

 僕はスケッチブックを手にして、その場から立ち上がる。綺麗すぎるくらい真っ白で大きなその紙に、鉛筆で近くにあった花瓶の絵を描き始めた。

「僕はね、もっともっと、いっぱいいっぱい絵を描いて先生よりも絵が上手くなって、それでいつか………誰かに光を与えられるような、そんな絵を描くんだ」

 気合いを入れるようにしてそう口にした後、ずっと見守ってくれていた先生を見て、僕はその人に優しく微笑みかけた。


 いつかきっと、先生の過去の傷なんか吹き飛ぶくらい、すごい絵を描いてみせる。

 僕はそう心に決め、再び力強く鉛筆を走らせたのだった。

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 それから僕の生活は少しずつ変わっていった。

 両親は未だに見つかることはなかったが、それでも僕の隣にはいつも凛空先生がいた。

 僕は小学生の時、ほとんど絵しか描いていなかった子供だったと思う。

 あの頃は絵を描くのが楽しくて楽しくて、学校の休み時間も放課後も寝る前も、毎日ほとんど欠かさず絵を描いた。

 家に帰ったら必ず先生がいるわけではなかったが、僕はその代わりに、夜になると学校から帰ってきた先生に絵を教えてくれるよう、よく頼んでいた。

 僕がそうねだれば、先生は嫌な顔ひとつせず、いつも一緒に絵を描いてくれた。

 先生と絵を描いている時間は心が満たされてすごく幸せだったし、何より楽しかった。

 今考えると疲れて帰ってきたのに先生に迷惑ばかりかけてしまったな、と後悔するほどだ。

 でも僕はそんなことを気にすらしないくらい、絵が本当に大好きだったのだ。







 ────でも、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。




 僕のせいで─────先生が死んだからだ。


 今の生活にも慣れ、先生と出会ってから五年が経過した頃。

 学校から帰っている途中、僕はその日自由帳に描いた自分の絵を見ながら、横断歩道を渡った。

 ちゃんとこの目で赤信号が青信号に変わったことを確認したはずだった。

 なのに、後ろから誰かが叫ぶような慌てた声が聞こえてきて、不思議に思いながらも振り返ろうとした………その時だった。

「陽向!逃げろー!!!」

 -プップッー!!

 車のクラクションが鳴る直前、僕は誰かに後ろから思い切り背中を押され、そのまま前に転がった。

 -ガッシャーン!!!

 ガラスが割れて弾ける音と、何かが大きくぶつかる派手な音が辺りに響いた。

 僕は恐る恐る音がした方へ振り返った。

 ─────すると、そこには。



「……………凛空、先生…?」

 そこには──────────ぐったりとたくさんの血を流して倒れている先生がいた。

「…………誰か!救急車呼べ!」

 近くにいた大人のたちが、呆然とする僕なんて構わずに慌てて動き出した。

「……先、生?嘘、だよね……っ……先生?」

 僕が話しかけてもピクリとも動かない。ものすごく嫌な予感がした。










「………………残念ながら、もうすでに息を引き取っています」

 医者のその言葉を聞いた瞬間、僕はあまりのショックで倒れそうになった。

「…………っ、……ぅっ……ぇぐっ……なんっ、……で………」

 気付いたらあの日から数日も経過していた。先生の葬儀も終わって………僕は先生と過ごしたあの家に帰った途端、泣き始めた。

 先生と初めて出会った時にここで泣いた日以来、泣くのはこれが初めてだった。中学生になってまでも泣く日が来るとは、思いもよらなかった。

 でも今はあの日と違って、そばには先生がいない。僕が殺したも同然なんだ。泣いたところで一体先生はどう思うか。

 そう自分に言い聞かせる。そんな僕の意思とは反対に、涙はとまるどころか勢いを増した。

 そうして僕は誰もいない真っ暗な部屋の中で、一晩中泣き続けた。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 その後、僕は児童養護施設に引き取られた。
 先生と過ごしたあの思い出の家を離れ、通い慣れていた学校も転校した。

 先生がいない世界は、まるで全ての色がなくなったかのように、僕にとっては何もない世界になっていた。

 もう何もする気力が起きないまま、学校では新しい友達を作ろうともせず、無意識にただ絵だけを描いていた。



 そして転校してから一週間が経ったある日、僕はいつものように自由帳を開いて一人で絵を描いていた。

 そんな絵しか描いていない僕は、クラスメイトたちから気味悪がられていた。

「あいついっつも絵しか描いてないよな」
「前の学校でいじめられてた陰キャ的な?」
「なんか可哀想ー」

 よくそんな声が聞こえてくる日も段々と増えてきて、僕はそれが聞こえないようにと日に日に絵を描く時間を増やしていった。

٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚ 

 ある日のことだった。教室に登校するといつも以上にひそひそと声が聞こえてきたので、僕はどうしても気になって自分の席の隣で話していた人たちに耳を傾けた。

「ねぇねぇ。なんかさ、この前提出し忘れてたプリント先生に届けようとして職員室行ったら、先生たちがあいつのこと話しててさ」

 あいつとはきっと僕のことだろうか。
 ちらちらと隣にいる僕を横目で見ながら、その人たちは続けた。

「でね、気になって聞いてたら、あの人実は小さい頃に両親いなくなって別の人に引き取られたらしいんだけど、その人も事故で亡くなったんだって。今は家ないから施設いるらしいよ。先生が可哀想な子とかなんとか言ってた」
「えー、何それ。確かに可哀想」
「しかもその亡くなった人ってあの人をかばおうとして死んじゃったらしいよ?ほんと気の毒だよね」
「そうなの?でもさ、別にその人もわざわざあの人かばわなくてよかったんじゃない?」
「確かに〜」

 僕は聞いてしまった。
 自分のくだらない生い立ちが、こんなにもみんなに知れ渡っていただなんて。知られてほしくなかったことを噂され、僕は頭を鈍器で殴られたような強い衝撃を受けた。

 そして、僕のせいで亡くなってしまった先生ですら侮辱されているような気がして、完全に自分のせいだと分かっていながらも、腹が立った。

 けれど同時に、彼女たちの話に少し共感してしまっている自分もいた。

 先生はなんで僕をかばったのか。もしあの時先生が僕をかばわずに何もしなかったら、僕が死んでいた。それだけで終わったはずなのに。

 しかも先生の存在の方が、僕より全然価値が大きい。普通の人だったら親に捨てられた見ず知らずの子供を、ましてや独身の男性が引き取るなんてしようともしないだろう。

 なのに、先生は僕を選んでくれた。
 希望を与えてくれた。
 絵という素晴らしいものを教えてくれた。
 一緒に笑顔で過ごしてくれた。

 そんな先生が、例え不慮ふりょの事故だったとしても死んでいいはずがない。

 だったらあの時、僕が……僕だけが、死んでいれば。せめてそのくらいさせてほしかった。

 だってそうでも考えないと、僕の心にある鎖は永遠に解けない。いっそ死んでしまいたいくらいだった。

 僕はそんな感じで居心地の悪い教室で二年間を過ごした。もう感情なんてものも忘れてしまったのか、僕はその二年間、笑うことも泣くこともしなくなっていた。







 大好きだった家族、先生。そしてあの人が見せてくれた美しい絵の世界。

 幸せな日々や時間は、永遠なんて言葉は付いてこないのだと僕は知った。

 そして僕は何よりも大切な人を自分のせいでなくした。その罪は今になっても消える日なんて来ず、ずっと僕の心の奥底でうずいている。

 だから僕はそんな罪悪感や呪いから逃れたくて、大好きだった絵を描いて現実から逃げていた。

 本当に、自分がクズな人間すぎて呆れてくる。
 でも、こうでもしないときっと僕はいつか壊れてしまうから。

 だから神様、どうかお願いです。
 せめて絵を描くことだけは、僕から決して奪わないでください。

 そんなばかなことを願いながら、今日も僕は絵を描き続ける。


 ─────あの人が、大好きだった絵を。