二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.55 )
- 日時: 2010/01/31 19:39
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
【其之八 邪悪なる行進曲】
漆を塗った暗夜が広がっている。
さわりと、朔風が駆けて行った。霧を含んだ、奇妙に重く肌に張り付くような、風が。
静寂が支配する常闇。水の音が微かに響いている。
そんなさなか、鬼男は一人、そこに在った。
身体は無い。意識だけの、漠然とした存在。
——夢幻だ。
現と空想の狭間にある、微弱な世界。
そう解釈した彼は、恐る恐る闇を進んだ。
自分のような者が見る夢には、何かしらの意味が込められている。世界が不安定な今、予知夢は自分にまわってきたのかもしれない。
そうならば、出来る限りの情報を入手しておきたいところだ。
暫し常闇を彷徨っているうちに、鬼男の脳裏に朧気な焦燥感が湧き始めた。
実体が無いので疲れは感じないが、おかしい。どれだけ遠くを見透かそうにも、突き進もうとも、どこまでも暗い虚空が広がっているだけ。生物の気配がしなければ、流れる水音の他はない。
ふと、鬼男は周囲を見回した。
妖気。無理に押し殺したような仄かな妖気を、神経という神経全てが感じ取ったのだ。
次の瞬間、虚を突かれた彼の意識に、凄まじい量の妖気が流れ込んだ。しまった、と息を呑む間に、それは実体無き鬼男の体内に侵入し、感覚を蝕み始める。
血の気が引いて行く。漂う妖気が突如鋭利に尖った。囚われた鬼男は、妖気から逃れようと必死に足掻きながら闇に目を凝らした。
漆黒の空間に、蠢く“ナニカ”が潜んでいる。
ぼうっと、一対の光が現れた。爛々と煌めく、凍てつく冷気を孕んだ光。
それは、鬼男の姿を捕えると、にまりと嗤った。
眼だ。あの光は、“ナニカ”の双眸。
心臓が何かに叩かれたように跳ね上がる。
淡い月光が射してきた。双眸の主が皓皓と照らされだす。その時、鬼男は驚愕を隠しきれなかった。
漆の色に同化していたそれは、妖魔と呼び称される姿をしていたのだ。
巨大な四肢を折り曲げ、前足に顎を載せたまま見開かれた朱の双眼。月明かりを弾いて輝く毛並みは艶やかな白銀。それを地に唐草模様にも似た彩文が浮かびあがる。
その風貌は狐。九本の尾をもつ妖狐。
『ほぉ、面白い』
口元に白い牙を覗かせ、妖狐は嗤笑した。
『我が荒城に、童が忍び込んだか』
敵意も殺意もない。妙に空虚で、それでいて圧倒的な脅威を感じる。ざわざわと、悪寒が駆けていった。早鐘を打つ心臓は速度を緩めない。鬼男は眩暈がしてよろめきかけ、しかしなんとか意識を繋ぎ止めると、朱の眼を睥睨した。
すでに感覚は妖気の毒気によって麻痺しており、戦時に発する闘気が捩じ伏せられるように抑え込まれてしまっていた。
本能が訴える。勝ち目はない。引け、と。
だが鬼男は思い留まった。ここで引いたら後がない。一瞬を突かれ、今度こそ殺されてしまう。
夢だとわかっている。けれども、時にその幻想は凶器となって魂を貫く。この妖孤なら、そんな芸当など容易くこなしてみせるだろう。
冷や汗を流しながら直も睨みつけてくる小さな妖に興味を惹かれたのだろう。妖孤はそれまで伏せていた顎を擡げ、彼の視線に挑んだ。
朱色の双眸が嗤っている。まるで新しいおもちゃを見つけた童子のように、きらきらと輝かせて。
『童、お主、そこらの野良ではないな?』
声が、した。まるで闇の底から響くような、冷え冷えとした声音の。その言葉に嘲笑が滲む。
『神の配下に落ちた、憐れな子鬼か』
生ぬるい風が頬を打った。耳に突き刺さる妖魔の余韻。あざけ笑うかのように、妖孤は九又に分かれた尾をうねらせた。
それぞれ尾先に色違いの珠輪がはめられており、月光を受けて宝物のように光り輝く。だが、鬼男は知っている。その優美な珠の内に秘められた禍つ魂を。
妖孤がその身を着飾っているのは、九つのおぞましい呪魂なのだ。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.56 )
- 日時: 2010/01/31 19:40
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
『哀れよのぉ。自由を束縛され、本来持つ鬼神が如き力も制限される。あぁ、実に哀れじゃ。妾には堪えられぬ。否、全ての魑魅魍魎共にとって屈辱的な待遇であろうて』
「——何が言いたい」
どくんと、胸の内で苦痛が暴れる。この濃霧な妖気はまさしく妖孤の放つものと同じ。それほど強力な妖なのだろう。ひと際大きな鼓動が生じ、衝撃で息が詰まった。妖孤のあまりに強大な妖気が、夢見の影響で不安定な鬼男の魂に干渉してきているのだ。
視界が揺らぐ。ダメだ、弱気になってはいけない。
ろうそくのように消えかけては踏み止まり、再び弱弱しい意識の火を燈す鬼男。それをさも楽しそうに眺め、妖孤は声を潜めた。
『なに、簡単なことよ。妾の問いかけに答えればよい』
妖孤は眼を剣呑に細めながら言葉を紡ぎだした。
『——童よ、“紅き輝石”をどこへやった』
きせき……?
「知らない。何の事だ」
素っ気なく即答すると、妖孤は忌々しげに低く唸り、ふうと大きく息を吐き出した。その瞳から険しさが薄れる。しばし虚空を仰いだ後、警戒心を一向に緩めない鬼を穏やかに眺めやった。
珠輪の中で瘴気が黒く渦を巻く。
「妾はお主を憐れんでおる。ゆえに手荒なことはしとうない。童、お主の身体から仄かに香るのだよ。清冽なる神気、強大なる霊力。他ならぬ、我等が長、“先代紅の王”」
妖孤が、さもうっとりと語った。
これほどの妖魔が探し求める“長”。名を、“先代紅の王”と言った。妖はつねに群れを成して暮らす異形。その長たる生物が、なぜ不在となってしまったのか。もはや非力な鬼男にはわからない。
だが、ひとつ確かなことがある。
妖孤の陰から、人知れずゆっくりとどす黒い波紋が広がっていく。きっと、どう答えようと、その甚大な妖気で締め殺すつもりだ。
胸の内で苦痛が暴れる。命乞いなど、しない。
「知らない。僕には関係のないことだ」
肺を無理に働かせる。
しかしそう断言するも、鬼男の脳裏には、あの人が浮かんでいた。
どうして庇うのだろう。彼じゃないかと疑っているのに。差し出せば最悪な事態は免れるかもしれないのに。
『そうか、実に残念だ。ならば』
瞬間、鬼男の身体に異変が起こった。何かが体内で蠢く。おぞましい感覚が肌の下を駆け回り、心臓を握り潰そうと肥大した。常闇を覆っていた気圧が急激に重くなって圧し掛かってくる。重い。とても苦しい。全身が総毛立った。
「————!!」
悲鳴すら出せなかった。息も絶え絶えで、鬼男は唇だけを開閉させる。妖気が首を絞め上げた。
意識が遠のく。
『さらばだ、童!』
怒号もろとも放たれた九本の尾。それは空中で疾風を纏いながら先端を尖らせ、鋭利な矛と化す。
眼前にまで迫ったその時、突如、鬼男の脳裏に懐かしい声が響き渡った。
——いつまでも、俺の隣で……
「……大……王っ!」
金色の矛は、夜陰もろとも貫いた。