二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- Re: 少年陰陽師*燈織開伝 ( No.3 )
- 日時: 2011/06/02 23:17
- 名前: 翡翠 (ID: a2Kit7un)
- 「燈織っ!」 
 叫び声で、燈織ははっと我に返った。
 眼前に迫る大きなあぎと。
 ずらりと並んだ歯は、ひつひとつが人間の頭ほどの大きさがあって、それが目の前で上下に大きく開いた。
 燈織は眼を剥いて叫んだ。
 「歯————っっっ!」
 冗談じゃない、あんな歯でがっちん、などと勢いよくかぶりつかれたら、自分の胴体なんて簡単に真っ二つ、ついでにそのままあの世行きになってしまうのではないか。
 燈織は反射的に下がろうと右足を引き、からびつのふちに邪魔をされてあおむけに勢いよく倒れた。と、すぐ真上を大髑髏が飛び越える。
 がちがちと歯を鳴らす音が不気味に響いた。
 もしかしなくても、転ばなかったらあの歯にかじられていたのではなかろうか。万歳の体勢でそれを目撃した燈織は、冷や汗を額ににじませた。怪我の功名というのは、きっとこれを言うのだろう。
 したたかぶつけた背中と頭が少し、いやけっこうかなり痛いが、忘れよう。
 「燈織、立てっ!」
 物の怪が燈織の狩衣の袖をくわえてぐいと引っ張る。
 慌てて跳ね起きると、突然物の怪が体当たりしてきた。
 「わっ」
 横に吹っ飛ばされて、ごろごろと転がってからがばりと上体を起こし、燈織は文句を言おうと口を開いた。
 「なにす…っ!」
 すると、それまで燈織がいた場所に、大髑髏が突っ込んできたではないか。すさまじい音を立てて、漆のはげた古いからびつが、木っ端微塵に砕け散る。衝撃であばら家が振動し、ほこりがぱらぱらと舞い落ちてきた。
 「———…わぁい」
 さすがに頬を引き攣らせる燈織の傍らに駆け寄ってきた物の怪は、大髑髏をにらみつけた。
 「やっとお出ましか、よくも四日も待たせてくれたな。ここで会ったが百年目」
 「そうよそうよ、言っちゃえもっくん!」
 拳をぐっと握り締める燈織の声援を受け、物の怪は更に続けた。
 「いいか、都を騒がす大髑髏、お前なんかこの、半人前でどじで抜けててかなり頼りないけど一応見習いの将来多分きっと立派な陰陽師が、ぱぱっとやっつけることになってるから観念しろ」
 燈織は思わず床に突っ伏した。
 物の怪の、少し高めのよく通る声。
 しかし、その内容は。
 彼女は何とか立ち直って肘で身体を支えながら、不機嫌丸出しで眉を寄せた。
 「ちょっと待ってもっくん、その言い草かなりひどくない」
 「間違ってないだろう。俺は的確に評したつもりだ。それから、もっくん言うな」
 燈織の講義にしれっと返し、物の怪は顎で大髑髏を示した。
 「ほら、来るぞ」
 * * *
 都はずれのあばら家に、夜な夜な化け物が出没し、通りかかった動物やら人間やらを引きずり込んで食っているのでなんとかしてくれ。
 そんな相談が祖父のもとに持ち込まれたのは、十日ほど前のことだった。そのとき安倍邸は、近いうちに行われる予定の、末っ子の元服に向けてのこまごまとした準備に追われていた。
 そろえなければならない調度品や衣類の注文、後の後見役にもなる加冠役や理髪役の依頼、お披露目の宴の準備などなど、詳細を取り決めなければならないことが山積みで、あわただしいことこの上ない。
 その上、当事者である燈織自身にも、修行という重要事項がのしかかり、万丈の山のようにそびえたっていたのである。
 安倍邸の一角に構えられた自室で、燈織は山のような書物に囲まれながら、それを一心不乱に読み漁っていた。
 陰陽道の関係書物は、祖父の晴明を筆頭に、父の吉昌も、長兄の成親も次兄の昌親も大量に所有している。
 それらを片っ端から広げていた燈織の後ろで、もはや同居人といっても過言ではない物の怪のもっくんが、読み終えた書をぱたぱたと重ね、巻物を巻き戻していた。
 そこに、晴明が姿を現した。
 「おお、感心感心。励んでおるのぅ」
 「……どーしたんですか、わざわざ」
 突然やってきて好好爺然と笑う晴明に、燈織は書面から目を離して顔を上げると、うろんげに眉をひそめて見せた。
 燈織にはひとつの確信がある。
 彼女の祖父であり希代の大陰陽師安倍晴明は、人間ではない。
 晴明の母は狐だの、幼い頃には悪食の癖があっただの、鳥が会話している内容を理解しただの、おおよそ尋常ではない風聞を持つこの老人に対し、少女の見解はただひとつ。
 たぬき。これだ。
 しかも、ただのたぬきではない。何十年も生き延びて妖力を身につけた、化けだぬきに違いないのだ。燈織幼少時に晴明がしでかしてくれたひどい仕打ちや悪行の数々が、それを裏付け、深くしわの刻まれた顔をほころばせて、晴明は書物や巻物をどけると、よいしょと大儀そうに腰を下ろした。円座も使わず冷たい木の床に。
 燈織はちっと舌打ちして、しかたなく立ち上がると、自分が使っていた円座を晴明に譲る。
 「優しいなぁ、燈織や」
 「……用件は何ですか」
 素っ気ない燈織の態度に気分を害した風もなく、晴明は扇をぽんとたたいた。
 「そうそう、燈織」
 「はい?」
 床にじかに腰を下ろしながら首をかしげる燈織に、晴明はほけほけと笑いながらこう言った。
 「化け物が出ているとのことだ。お前、ちょっと行って祓ってこい」
