二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.22 )
- 日時: 2010/01/31 18:59
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
【其之六 壬生京一郎】
すーすーと心地よい寝息をたてる男にそっと毛布をかける。喧嘩をひと段落した時には既に気を失っていた。やはり起き上がっていられたとはいえ、大怪我を負っているのは変わりない。まだ回復しきっていないのであろう。
意識が戻らない内に湯に入れ、やっかいな血を洗い落としたおかげで見違えるように綺麗になったものの、その下からは目を覆うような惨状が広がっていた。
猛獣に切り裂かれたような深い傷や、大量の掠り傷。血と海が固まって、傷口をどす黒く覆っている。よく見れば、顔全体が青く腫れていた。ただ色白なだけかと思っていたが、他の箇所にも見える打撲から察するに、強く殴打したのだろう。
よく今の今まで生きていたものである。
そもそも、彼が人間なのかすら不明瞭なままだ。
「“妖”?」
男の額に濡れたタオルを載せながら閻魔が問う。
「そうです」
短い即答を受けて、改めて男を眺める。耳が尖ってるわけでも、鋭利なツノが生えてるわけでもない。ごくありふれた普通の男性だ。
「オレには、人間にしか見えないけど」
「ですが、怪しげな妖が連れてきた者です。ヤツらの等類以外に有り得ません」
「そっか……」
確かに、人間とはかけ離れた気配を発しているような気もする。異形な姿こそしてないが、彼の容姿はどこか妖艶であった。
まず目を向いたのは、その双眼に彩られた瞳だった。
映した者を魅了するルビーのような“紅い眼”。
光を屈折する度にきらりと輝く瞳は、それ相応の魔力を秘めた証。
緋色さえ感じさせられる鮮やかな紅。そして、滴る鮮血をも思わせる紅。
それは髪色も同じであった。
肩に掛る程度に切り揃えられているものの、ぼさぼさで、閻魔と同じく外跳ねしている。
穏やかな寝顔ですら、殿上人のように知的な印象を与える。纏っている衣服も見慣れない大紋《だいもん》で、袴を引きずる形状で出来た上級位の大名だけが着ることを許される礼服だ。
やはり彼は特別な存在だったのだろうか。
「ねぇ鬼男君。この子は……」
「ちょっと外の空気を吸ってきます」
即座にそう言い残し、鬼男は寝室を離れた。
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.23 )
- 日時: 2010/01/31 19:00
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
※
閻魔庁《冥界の中心部にある本堂》の屋根に腰を下ろした。
外のひんやりとした空気に触れてもなお、胸の鼓動は一向におさまらない。そればかりか、不安は徐々に膨らみ続け、今にも押しつぶさんと圧力をかける。大王に無駄な心配をかけたくない。悟られないよう逃げて来たものの、あの人のことだ。とっくに見破られてしまっているだろう。
——変なところで敏感なんだよなぁ……。
彼は苦々しく笑うと仰向けに転がり、夜空を眺めた。
珍しく暗雲が晴れ、空は高く透き通り、かすかな風が空気をそよがせていた。取り囲む山々の上空を、銀色のちぎれ雲が流れていく。こんな気分でなければ、存分に楽しめたのだが。
鬼男は迷っていた。いつ話し出すべきか、それとも黙ったまま専決すべきか。
星が瞬いている。それを見上げながら鬼男は考え事に没頭した。
オオカミが語ったことは、どこまでが真実でどこからが嘘なのだろうか。もちろん、すべて真実、すべて嘘だという可能性もある。
世界が滅びるということに関してはどうだろう。確かに、オオカミの言った通りの占い結果が出てるし、最近の妖共は明らかにおかしい。だが、初心者の自分がやった占いなんて当たるかどうか定かではないし、妖の考えることなんてたかが知れてる。証拠も無くそれが妖の仕業なのだと断言されても、そうですかと二つ返事で納得することは難しかった。
仲間の面倒を見るのに、人の手を借りたいとオオカミは言った。状況から見て、これはおそらく本当のことだろうと鬼男は思う。そういった会話の流れを思い返してみると、崩壊の話は自分を巻き込みたいがゆえに思いついた口実のような気もしてならない。しかし、今日出会ったばかりの妖が、なぜ内密じみたことを伝えて来たのかも疑問に残る。そもそも、なぜ彼は他の妖に追われているのだろう。なぜ自分を頼ったのだろうか。
なんか……いけない話に巻き込まれた気がする——。
何でいつもこうなるのだろう、とため息をついた瞬間、彼の六感がどくんと疼いた。よく利く目で闇を凝視すると、遠くで黒々とした影が数体蠢いている。
「ったく、僕には休む暇が無いのか」
悪態をつきながら瞳を紅く瞬かせる。
鬼男は月明かりを浴びた身体を重々しく起こし、夜空に跳躍した。
翌朝、鮮やかな紅色と黄色に燃える太陽が昇った。
紅眼のまま寝室に入る。朝日が眩しい室内には、未だ目を覚まさない男と、書類の山を枕にしながら熟睡している閻魔の姿があった。前日と変わらない風景に思わず顔をほころばせる。
「人の苦労を知らないで……」
よだれを垂らしながら晴れ晴れしい寝顔をしている上司に毛布をかけ、その横に鬼男も腰を下ろし、目を閉じた。
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.24 )
- 日時: 2010/01/31 19:29
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
※
気がつくと京一郎は、再び布団に寝かされていた。
「……?」
上半身を起こして周囲を見回してみる。見知った天井と調度品。掛け簾の隙間から差し込む日差し。風に揺れる几帳。隅のほうに積み重ねられている大量の書物に巻物。
間違いない。先ほど目を覚ました際に居た寝室だ。
彼の傍らでは、二人の男が倒れこむように寝ている。文机に突っ伏している黒髪の優男に、褐色の肌をした青年。こうしてみると、なんとも仲の良さそうな兄弟に見えるが、それはそれ。ついさっきまで互いを毒づきながら罵声を飛ばし合っていた仲であることを、彼は忘れない。
京一郎は自分の姿を見下ろした。
身に付けているのは単衣一枚。着ていた筈の大紋も長袴も、ぐしゃぐしゃになって姿見〈全身を映す大型の鏡〉に掛けてある。仙台箪笥の引き出しから様々な衣服が散乱しているところを見ると、おそらくこの単衣はそこから適当に引っぱり出してきたものだろう。
などなどという状況を分析してみた結果、またも自分は気を失い、二人に運ばれて来たらしい。重厚の大紋長袴は、さぞ重かったであろう。
「申し訳ない……」
京一郎は身体の節々を抑えながらぎこちなく立ち上がり、単衣の上に大紋を羽織った。慣れた手つきで長袴の腰紐を結び、衣と同じ太極図の模様が施された礼冠被る。よし、と身支度を整え終えると、彼は重い足を引きずりながら、静かに引き戸を開けた。
「——どこへ行こうというのです?」
突然背後から声を掛けられ、京一郎の足が宙で固まる。
「おや、起こしてしまいましたか。やはり無音で行動するのは難しいですね」
「そりゃ起きますよ。人の耳元でお着替えさせられてはね」
くすりと笑い、京一郎は振り返る。やはりそうだ。低く落ち着いた声。だが鋭く、人の心を探ってくるような声色は彼しかいない。
「鬼男さん……でしたよね?」
青年は無言で頷いた。
身丈は六尺を超える。精悍な顔立ちは、上司には無い鋭利な印象を与える。切れ長の目はつり上がり、瞳は煌めく金。唇の端から尖った鬼歯が覗き、朝日に照らされた金髪は短く、さっぱりとした印象だ。そこからでも彼が真面目であることが窺える。その頭には、隠れるようして二本の小さな角が生えていた。
「あなたはあくまでも人質なのですよ。自由行動は慎んでもらいたいですね」
「ほぉ……人質、ね」
京一郎は薄く微笑んだ不気味な表情をやめない。
妖しく光る目線が、容赦なく鬼男を突き刺す。
「私はいつからその、——人質——になったのですか?」
「ここに流れ着いてから。いえ、あなたのお仲間が僕達に押し付けた、その瞬間からです」
鬼男がきっぱりと言い放つ。嘘をついても仕方がない。彼とオオカミになんらかの関係性があるのは一目瞭然だ。
京一郎はしばらくじっと見据えていたが、鬼男の真剣な表情を読み取り、柳眉を顰めた。
「……もうひとつ宜しいでしょうか。ここは、ここは一体どこなのです?」
「“楽園だよ”。ら・く・え・ん」
答えたのは眼を擦りながら、ふらふらと起き上がった『大王』であった。
「おはよっ。鬼男君。……と、“紅りん”」
『大王』は花が咲くように笑った。
※
冥界・閻魔庁。その居間(仕事場)に、三人は居た。ちょうど閻魔の尋問が始まったところである。
「ねね、君さ、なんて名前なの?」
今さっきまで「紅りん」、「紅りん」としつこく連呼していたにも関わらず、今になって本名を問い質し始めたのだ。社交的な閻魔に比べ、京一郎は無言のまま、ついさっき発せられた単語を思い返す。
『冥府、冥界、黄泉、あの世。いろいろ呼び名はあるけれど、つまりは“死後の世界”ってことだな』
唄うような調子で簡単に返された言葉を、鵜呑み(うのみ)にはできない。顎に手を載せながらひたすら考え込む京一郎。だが、それを拒むように閻魔は繰り返し声をかけ続ける。
「ねえってばぁ、あ〜か〜り〜ん〜。名前ぇ〜」
ずるずると白い衣を掴んだまま引きずられる閻魔。同じ背丈なのだが、こうして並べると表情がまるで違う。長く付き合い続けてきた上司がなんとも幼稚に感じ、鬼男は重々しく息を吐いた。
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.25 )
- 日時: 2009/12/27 08:37
- 名前: ピクミン ◆MaiJK990/Y (ID: R3DK0PgD)
また久しぶりw
まったく忙しいなぁ。お腹空いたし。
後、大地の汽笛を買いました。ゴンゾはシロクニになっただけだけど、……ニコがあぁぁぁ!
後ゼルダの城にテトラの絵が飾ってあった。
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.26 )
- 日時: 2009/12/27 20:24
- 名前: ピクミン ◆MaiJK990/Y (ID: R3DK0PgD)
新しい小説でも作ろうかな。
またしようもないポケモン小説。
ストーリーは……良し。書こう。
名前は……「ポケモン小説 水晶探しの旅」で良いかな?
そうだ、レッドとキョウに手紙だ。
拝啓 親愛なるレッドとキョウ様
遅れましたけど、メリークリスマス! 風が寒くなってきましたね。私の財布も寒いです(笑
鍋料理食べたいなぁ。
風は寒くても暖かい日も続いて、なんだか最近ハッピーになって来ました。ちょっと悩み事を抱えていたのですが、大空を高い所から見ると、なんだが自分の悩みがものすごく小さく思えて、スカッとします!
もう少しで年が明けますね! 今年の年越し蕎麦は冷たいざる蕎麦か、暖かいお蕎麦か気になります。
なんだか照れくさいけれど、これからもよろしくね!
ナゾが大好きな暇人 ピクミンより
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.27 )
- 日時: 2009/12/27 20:53
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
こんばんは!久しぶりだね、ピクミン!!(笑)
すっかり遅くなっちゃったけど、メリークリスマス!!私は今、ノベル交流図書館っていう無料小説投稿サイトで小説を書きながら頑張ってるよ!!(笑)
カキコにいつ戻るか分からないけど、来月上旬〜中旬の間に戻ることになるかな・・・今はノベルで【ルーク少年と黒影の亡霊】の小説を書いてるよ!!そろそろクライマックスになりそう・・・というわけで、ピクミン!それでも良かったら・・・ノベルに遊びに来てね!(笑)
これからもよろしくね!!♪
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.28 )
- 日時: 2009/12/27 20:56
- 名前: ピクミン ◆MaiJK990/Y (ID: R3DK0PgD)
こちらこそ!ノベルか。行ってみよう
- Re: ギャグマンガ日和 —日和光明記— ( No.29 )
- 日時: 2009/12/27 20:59
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
行ってみてね♪
それと、【ルーク少年と水の都の護神】のスレもあるから♪
それは第2弾として書く予定なんだ・・・今は連載休載中だけどね(苦笑)
- Re: 日和光明記 —冥夜に浮かぶ兆し— ( No.39 )
- 日時: 2010/01/27 21:38
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
キョウ、久しぶりだね!やっと帰って来れたんだ♪
ノベルでもよろしくな♪
- Re: 日和光明記 —冥夜に浮かぶ兆し— ( No.40 )
- 日時: 2010/01/28 20:12
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
いえ、更新の時だけですが…;
一応復活したのでね。放棄は出来ませんから。
- Re: 日和光明記 —冥夜に浮かぶ兆し— ( No.43 )
- 日時: 2010/01/28 20:17
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
確かに・・・よく頑張ってるね♪
- Re: 日和光明記 —冥夜に浮かぶ兆し— ( No.44 )
- 日時: 2010/01/31 18:45
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
レッド先輩
最近スランプ気味で…;
どうもネタが思い浮かばないのですよ。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.45 )
- 日時: 2010/01/31 19:30
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
「あ、あの……大王、その“紅りん”っていうのは……」
ネーミングセンス無さすぎ、と心の中で付け加える。だが自分の友人にも同じようなセンスを持つ人物が居たことを思い出し、またも心の中で嘆息する。まぁ彼のことだから、理由なんて大して無いだろう。
当然鬼男の秘かな悪口に気付く様子も無く、閻魔はぱっと顔を上げた。
「あれぇ、分かんない? だから、髪も眼も綺麗な紅色だから“紅りん”。これで決まりでしょっ」
だが京一郎は依然として空を見たままだ。
負けじと閻魔が顔を擦り寄せる。
「ねぇ紅りん〜。なんなら“紅ノスケ”でもいいんだよぉ〜?」
馬鹿の文字が似合いそうな彼だが、その正体は泣く子も黙る閻魔大王。しかし鬼男は、彼のそういった態度を目にする度にいつも疑ってしまう。死者の裁判を行う大王が、こんな天然馬鹿で良いものだろうか。そして思う。もしかして、それもこれも、自分に対しての気配りなんじゃないのか、と。
彼——閻魔大王は、(お世辞で言わせれば)その天真爛漫で愛嬌のある外見とは全く別の、冷たく恐ろしい本性を持っている。鬼男は、初めて彼の真の姿を目撃した時、恐ろしくて数日間口が利けなかった頃があった。
閻魔は言った。
「鬼男君は無理しなくていいから。——オレの傍に居てね」
その言葉の裏に隠された真理は理解し難いが、彼は自分を必要としている。冷酷な冥府の王ではなく、明るく気さくな閻魔として。
だから自分もそう接している。馬鹿な上司に突っ込む、辛辣な部下として。
「ですから何で“紅”が付くのですか」
「いいじゃん いいじゃん。ねぇ紅ノスケ〜、鬼男君もそう言ってるんだしさー、もうそろそろ本名、教えてくれてもいいよね?」
その時、男の瞳に光が差した。ふっと向けた顔が、閻魔を捉える。
「えっ、何の話です?」
「愛称もいいけど、本名も知りたいな〜って話だよ」
沈黙が蔓延り、重々しい空気が流れ込んだ。閻魔が質問してから何分たっただろうか。男は覗きこむ閻魔の顔から堪まらず顔を反らし、目元に影を落とした。
「……“紅”」
「へ?」
唐突に発せられた言葉が聞き取れず、反射的に漏らす二人。
数秒あいだを置き、男は晴れやかに笑った。
「どうぞお好きにお呼び下さい。それでも言い難ければ……」
謎めいた口調。彼の——癖。
「私の名は京一郎。『壬生 京一郎《みぶ きょういちろう》』と申します」
そう言った彼の顔は、どこか……悲しげだった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.46 )
- 日時: 2010/01/31 19:31
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
【其之七 眠らざる実力】
閻魔庁は意外に広い。外見から打って変わり、建物内部には何十という個室が存在する。その光景は邸の限界を超え、さながら建築ミスをした『巨大旅籠』のようだ。
仕事場でありリビングでもある玄関口を始めに、左には天国への階段が、地獄門は右の地下道へ通じる。
そしてもう一つの質素な扉からは、問題の『無限廊下』が続いているのだ。
主である閻魔ですら完全に把握しきっていない閻魔庁内部。下手をすれば、そのまま迷宮入りにでもなってしまいそうだ。と言えど、危険個所には“封”を施し、容易には行けないようになっていた。
全ては、好奇の塊である京一郎を思っての行い。
壬生 京一郎が居座ってから数日が経過しようとしていた。最初見せていた恐怖心も幾分か和らぎ、こちらとしてはありがたい。
怪我の具合かというと、既に完治にまで至っていた。彼の再生能力には驚かされるばかりである。白く透き通る陶器の肌に、磨き上げられた銅のような光沢を持つ髪。やはり誰が見ても美形だ。二人はそう受け止めざる得なかった。
そんな妖艶で不思議な男に手を焼く人物がいた。
無人の室内を見回しては怒り任せに戸を閉め、次の部屋へ向かい、同じ動作を繰り返す。
その表情は、まさに“鬼そのもの”。
(何がっ、なぁにが、『じゃっ紅りんのお世話、よろしくね』だ! どいつもこいつも人に面倒押し付けて! お前こそ年がら年中暇だろう!? 大体、人外生物に付き合えるほど、僕はお人好しじゃない!!)
心の底で吼えながら見回したが、室内に居ないことを察し、がっくりと落胆する。
(どうも好きになれないんだ、あの人——……。まるで気配を感じないし、何よりあの眼! 絶対人じゃない、化け物だ!)
いや、最初から薄々感づいていた。放たれる神気は清冽。あの面妖なオオカミと同じ——。
『妖《あやかし》』か『神《かみ》』か。その両方を司った容姿。もし閻魔と同じ神族なら、彼より断然格上の存在であろう。だが当の京一郎はそれに関して一切触れようとしない。
まるで、自分が何者なのか理解しきっていないように。
どたどたと足早に突き進んでいた鬼男は、ふと香の匂いを嗅ぎ取って足を止めた。すぐ横の部屋から漂ってくる。ここは……
(確か、書簡庫だったかな)
首を傾げながら引き戸に手をかけ、がらりと横に動かした。
仄かな香りが強烈な臭気となって鼻孔を突いた。まろやかで甘ったるい。鬼男はこの類の臭いが苦手であった。
カビと香で充満したほの暗い書庫の中には、様々な時代から集めた蔵書が保管してある。羅列した棚にところ狭しと敷き詰められた書物の中には、世にも珍しい秘蔵の書があったり、ありふれた変な雑誌が溢れていたりと、凄いんだか凄くないんだかいまいち分からない。
とにかく、この部屋に人の気配があるのは間違いない。
迷宮のような倉庫に目を配り、臭いの根源を探る。不法侵入なんて物騒なことはないと思うが、万が一だ。
自分が通った跡に埃が舞い上がる。相当長く使ってないようだ。こんなところに大王が来るハズないし——。
捜索を続けていると、部屋の隅から仄かな明かりがちらちらと漏れていた。鬼男の背筋に悪寒が走る。
「火……ッ?」
ばっと駆け寄ると予想通り、それは火の灯だった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.47 )
- 日時: 2010/01/31 19:31
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
だが、それは弱弱しいロウソクの灯りであって、火災を起こすほどのものではなかった。
燈台が三本ほど立っている。その明かりの前に、背を向けて肩胡坐で座り、黙読に没頭する京一郎の姿があった。
「こんなところに居たのですか。探しましたよ」
ほっと肩を落としてから声をかけるも、彼は手に持った書から顔を上げようとはしなかった。相も変わらず紅い眼で字を追っている。彼の周りには手当たり次第読みあさったらしき跡があった。分厚い書物が山積みになって置いてある。これを全部読もうというのか。
「京さん、京さんっ」
いくら名前を呼ぼうと見向きすらしない。そうか、あんたがその気なら……。
鬼男は不敵に笑うと、京一郎へ近寄った。が、
「うっ」
一瞬のうちに血相を変えて、慌てて飛び退いた。
彼の横にぽつんと置かれた香炉。そこから出ている臭気が防御装置のように働き、鬼男の嗅覚を刺激しだしたのだ。昔からお香には厄除けの力があると伝えられる。自分の短所が表に出た瞬間だった。
「あれ、オニオンさん?」
ようやく存在に気付いた京一郎が顔を向けた。
いや、違うぞ。なんか違うぞ。
「誰がオニオンだ! 誰かさんみたいな間違いしないでください!」
憤然と訂正したが、やはり臭いはキツイ。ついには鼻を覆う羽目に。 思い出した。この臭いは確か、パチョリ油とかいう厄除けの香だ。なんでも、香を炊いた人物に害を成すモノを妨害するとか。ちょっと待て。そう考えると、自分はこの意味不審な男に有害だと認識されたのか?
とんだ無駄足——いや、わざわざ(心の中で)怒鳴り散らしていた自分が馬鹿みたいじゃないか。
ふざけるなよ! っと今度は声に出して激昂してやりたかったが、ある意味、妖怪の自分にはこの臭いはこたえる。
鬼男はたまらず、噎せかえった。
苦しげに呻く彼の様子を明らかに不審がった京一郎が、眉根を顰める。
「お、鬼男さん。なんか涙目ですよ……」
誰のせいだと思ってんだ! だが喉が詰まって声にならない。というか、パチョリ油はただでさえ少量でいいものを、何を勘違いしたのか、彼は多様してしまった。密室にこれだけ充満してるのも関わらず、京一郎は平気な顔で読書なんてしていた。
まったく。この人の嗅覚はどうなっているんだ。
「こ、香炉——」
やばい。想像以上の効力だ。
予期せぬ言葉に虚を突かれた京一郎は、「ふぇ?」と間の抜けた返答をしながら、香炉を手に持って見せた。
「これ、ですか?」
そうそう。それだよ! 早く消してくれ!
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.48 )
- 日時: 2010/01/31 19:32
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
「鬼——あっ!」
京一郎はバッと立ち上がると、部屋の隅に備え付けられた障子戸の窓の持ち手を引っ掴んだ。書物と共に長い間放置されていた戸の隙間には埃とカビが溜まり、なかなか思うように動かせない。彼は一旦息を整え、掛け声と同時に身体を大きく仰け反らせた。
「はっ!」
刹那、暗闇に慣れた網膜に激しい光が差し込んだ。視界が真っ白になり、堪らず目を瞑る。悪臭が狭苦しい個室から解き放たれ、冥界の薄暗い大空へ広がって行く。
数秒が経ち、恐る恐る見開くと、窓を背に微笑む京一郎が居た。ちりが日光を受けながらきらきらと輝きながら舞っており、まるで開封を祝う紙吹雪のように錯誤させた。
「やはり、あの臭いは耐えきれるものではありませんよね」
屈託の無い笑顔を向けられ、湧き上がっていた憤怒が不自然に静まる。やっぱり苦手だ、この人は。
「分かってたんなら最初からそうして下さいよ!」
罵声混じりに吐き捨て、誤魔化すかのようにサッと立ち上がり、鬼男は深々と深呼吸をした。
清々しいとはいえないが、新鮮な空気が肺に広がり、今まで占領していた臭気を追い払う。ようやく胸を締め付けていた呪縛から解放された。
鬼男の動作と言葉を真に受け、京一郎が寂しげに視線を離した。
「そうですよね。……ですが、何かお手伝い出来る事があればと思ったんです。私一人ぬくぬくと過ごしていたのでは鬼男さん達に申し文無い。ですから、せめて書物の管理だけでもと——」
「で、結局あなたは僕に苦労をかけた上に、半殺しの刑に処した」
絶対零度の返答に京一郎は慌てて頭を下げた。
「本当に申し訳ございません! パチョリ油は殺虫剤として用いられていると聞いたので」
「それは衣蛾ですよ。それに、冥界に虫なんていません」
自分たち以外に生き物は居ない。素っ気なく指定すると、京一郎は「あっそうか」といった風にぽんと手を打ち合わせ、考えを改めた。
「えっでも、妖除けにはなるでしょう?」
はぁ……。なんとお気楽なヤツだ。人に迷惑までかけといて。
またも嫌な人間が増えてしまったと落胆する鬼男。彼の憂鬱はまだまだ続きそうだ。
「そう言えば鬼男さん、私に何か御用ですか?」
あっそうだ。彼の本調子にすっかり載せられてしまっていた。
「あぁ、はい。実は京さんに仕事がきているのですよ」
「仕事……?」
これで、彼の退屈病は改善されそうだ。
鬼男が秘かにほくそ笑んだ事を、無垢な京一郎は知る由も無い。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.49 )
- 日時: 2010/01/31 19:36
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
※
広漠な閻魔庁に凄絶な笑声がこだまする。元を辿ればやはり仕事場。案の定、腹を抱えて笑い崩れる閻魔と、それをじとっと半眼で見据える鬼男が居合わせていた。
「笑い事じゃないですよ。本当に殺されかけたのですから」
鬼男は苦虫を噛み潰した顔をして、余計な事を告げてしまったと深く後悔した。どこのヤツが香炉で半殺しにされるんだ。何と言ったって自分は誇り高き冥府の秘書官なのに。それがたかが臭気に苦しめられたなんて……。こんなことが“あいつ等”に知れれば、『情けない』の一言でバカ扱い必須だ。特に“曽良”なんかは絶対侮蔑の眼差しを向けてくるだろう。言ってしまった以上、閻魔が告げ口しないようにとひたすら願うしかない。あぁ、なんて可哀そうなんだ、自分は。
「で、で? その犯罪者くんは今どこに?」
ひとしきり楽しんだ後、閻魔が話しの先を促した。まだ喉の奥をくっくっと鳴らせて耐えている。人事だと思いやがって。この野郎……!
「さっき言ったでしょ。働かざる者食うべからず。その掟に従ってもらってます」
鬼男は嘆息混じりに奥の間を指差す。
新入りの京一郎は、閻魔に与えられた自室にて雑用をこなしていた。今頃書類の整理が終わり、墨擦りでもしているだろう。尋常でない霊力を持っていそうだが、この上司の目もあるし、無理は出来ない。とりあえず簡単な雑務から済ましてもらおうという思惑だ。
強制ではない。そう提案すると、彼自らやりたいと申し出たのだ。香炉の一件があるまで否定するのかと思っていた鬼男は、一瞬虚を突かれた。
——大王もこうだったら良かったのに。
京一郎を見ているとふと思い返す。
もともと、生真面目な自分と閻魔は不釣り合いな仲にあるような気がする。だからといって絶交出来ないのは本能ゆえの行動なのだろうか。
不本意だが、妖怪の自分からしてみれば閻魔は妖魔神に匹敵する存在。非力な部下というのは、司令塔なくては生きていけない。……皮肉なものだ。
こんな単純な男が司令塔か。
思い返し、鬼男はむっと眉根を寄せた。
「っと言うか、大王の不注意が原因じゃないですか」
「えっ、何が?」
閻魔が目を丸くする。
「だから、さっきの半殺し事件です。“退守術”の効力が薄れてきたみたいですからね。後でかけ直してくださいよ」
「あぁ。そういうことか」
閻魔はようやく合点がいったように頷いた。
鬼——妖というものは非常に不便だ。
神の眷属である閻魔は、例の香炉といった退魔道具の効果を受けないが、自分のような妖は術をかけてもらわない限り大目玉を食らう。普段からつねに“退守術”で身を守っているからいいものの、切れ目がわかりずらいから煩わしい。
「まったく。自分の部下の面倒ぐらい看てて下さいよ」
「それ、君が言うセリフ?」
「うっ……」
鬼男は一つ呻くと、そのまま無言で目を反らした。それを肯定と受け取って閻魔がやおら笑顔になる。可愛いなぁ、もう。
それきり会話が途絶えてしまったことが決まり悪かったのか、鬼男は、にぱにぱとお花を漂わせながら微笑む閻魔に慌てた様子で「早くしてください」と急かした。
二つ返事を返して、閻魔はしげしげと鬼男を見据え始めた。
彼の茜色の眼には鬼男の周りに張られた退守の結界が見えているはずだ。もちろん常人には映ることのない霊力の盾。術をかけるのも気付くのも、全て閻魔大王でなければ成しえない業だ。
鬼男は、納得のいかない風情で息をつくと、検査が終わるのを黙然と待った。
「——あれ?」
不意に閻魔が小首を傾げた。
「確かに弱まってるけど……でも、香炉みたいな小物で破られるほど薄くはなってないよ」
「そう、ですか?」
鬼男は何度か瞬きをしてから、再確認をしている閻魔と顔を見合わせた。
ならば、なんで——?
「まぁ、一応補強しておこうか。いつ切れるかわからないしね。それに……」
ふっと目元を険しくする。
「それに、最近は何かと物騒だしね」
こればかりはさすがの閻魔もトーンを落としかねない。冥界に異常がきたしているということは、人界が何かしらおかしな事態に陥っているということだ。下界してまで世を正すのは神としての義務。だが、一カ月前の一件に終止符が打たれて以来、彼等は必要以上に人界へ介入しないようにと心を決めたのだった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.50 )
- 日時: 2010/01/31 19:37
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
今のところは様子を見ようということで待機しているのだが——。
「やっぱり鬼男くんも気がかりなんでしょ?」
机に突っ伏しながら胡乱気に訊かれるも、しかし彼はしれっと言い放った。
「仮に何か起きていたとしても、相手は“あの人達”でしょう? そうやすやすと倒されたりはしませんよ、心配ない」
鬼男も閻魔も、人界は人界で気がかりだが、もっとも懸念しているのは、あの人達——天国組の親友ともいうべき四人の生者のことだ。
とある事件がきっかけで知り合い、共に旅をしたのだが、それが驚くほど気の合う仲となり、今では双方共々忘れることの出来ない心の友となってしまった。時折、文のやり取りは行っているのだが、互いの決め事により随分と会っていない。
鬼男が断言したとおり、その四人はそれぞれ常人離れした独特の才を兼ね備えている。簡単にやられるものか。否、絶対。
「そうだよね。うん、“太子達”なら大丈夫だよね」
さらりと言ってのけた言葉で安堵したらしき閻魔は、ほっと息をつき、元の表情を浮かべた。
……この人も、きっと寂しいんだ。
冥府の大王という逃れられない宿命を永遠に背負い、人間の負の感情に直に触れなければならない。時には心を押し殺し、鬼神と成り変わらなければならない。だから人界という自由な世界で、流れ移る時間の中で生きる彼等が羨ましいんだ。でもどんなに懇願したって、その思いが成就することは無い。だからこそ、そんな彼を慰め、いつ何時も傍らに付き添う人物が必要なんだ。それが自分。生まれ居出たその時から、鬼としての人生を強いられた自分が居る。
時々思う。自分が居なくなったら大王はどうするのだろうと。
自分の倍以上生きている閻魔。鬼男が存在する遥か昔から人間を裁き続けてきたのだろう。その頃の彼は——大王はどんな人柄だったのだろうか。
「鬼男くん?」
やっぱり今と同じ、天然馬鹿なのだろうか。
「ねぇ、鬼男くん」
ふと思考を断ち切ると、閻魔が目の前で手をひらひらと振って意識を確かめていた。
「大丈夫? 最近様子おかしいよ。鬼男くんが倒れたら俺、どうなっちゃうかわかんないからね?」
冗談半分で言ったのだろうけど、ホント、倒れたらどうするのだろうか。
「僕は健在です。まぁ誰かさんのせいで多少憂鬱気分ですが」
「ちょっ! それ、どういう意味だよ」
ぷうっと頬を膨らませて憤る閻魔。どこか幼さを感じるのは気のせいだろうか。自分の倍に歳がいってるはずなのに。
だが、だからこそ見離せないのだと思う。いつまでも一緒に居たいのだと願うのかもしれない。
「そのまんまです」
鬼男は意地悪気に牙を覗かせ、軽く挑発する。それに、よしやってやろうじゃないか、とでも言いたげにニヤリと笑う閻魔。
——議論から大分逸れてる気がするけど……まぁ、いいか。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.51 )
- 日時: 2010/01/31 19:37
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
※
仕事場の方角から二つの笑声がこだましてくる。
しかし、京一郎の思考を中断させるには、威力が足りなかったようだ。
文台の上には、墨汁が入ったままの硯と、毛先が黒く濡れた筆。広げられた巻物には見事な達筆の字が記されている。
暗然とした室内を仄かに照らすのは、これまた閻魔から譲り受けた燈台だ。彼は京一郎を呆れかえるほど寵愛しており、様々な調度品をと、年期のいったものから新品のものまで、あれよあれよとプレゼントしていたのだ。鬼男が憤怒するのもムリはない。
それはそれはいろいろなデザインの燈台を紹介されたが、しかし京一郎は一番質素なものを選び貰った。そして彼はその燈台を愛用している。
明るいところで作業するよりも、仄暗い一室で没頭することを好む京一郎。ゆえに酷い近眼になってしまったが、読書の時は別だ。
ひととおり雑務をこなし終えた彼は、書簡庫から発掘した書物を手に、思い耽ていた。
——やはり、この地は時間の狭間に安置された異界なのだ。
書庫を探ってるうちにわかったのだが、書の年号がそれぞれそぐわなく、中にはこれからの未来であろう見知らぬ称号まであった。
京一郎は迷い込んでしまったのだ。死者の逝き着く、黄泉の国に。
ならば自分は死んだのか、と問われると、いまいちよくわからない。確かに生前の最後に目にしたものは、砂煙を巻き上げながら倒壊する搭。そして自分は、その搭の命運と共に散ったはずだ。
だが閻魔曰く、
「京一郎って死者の気配がしないんだよね」
だそうだ。
つまり自分は死んでも尚、この魂は未だ生き長らえているのだろうか。冷酷無慈悲・極悪非道。殺戮を繰り返してきた罪人を、神は生かそうと言うのか。なんと皮肉な行為であろう。
その存在自体が災厄を招く邪悪なる紅き神。否、その神にさえ仇した残忍な殺人鬼。それが『紅の王』と称された自分の経歴だ。
血に染まったその黒歴史に、暗幕を下ろすはずだった。黄泉に逝くことでさえ許されない、地獄に堕とされるより辛い刑罰を与えられるはずだった。
なのに——。
「なぜなんだ……!」
京一郎の紅い眼が緋色に燃えあがった。
なぜ生かそうとする。なぜ存在を留まらせる。なぜ、こんなにも胸を痛ませる……!!
無意識のうちに掴んだ胸元に力が入る。
第二の人生を歩めとでもいうのだろうか。自身の侵した罪を償えず、至福に溺れろとでもいうのだろうか。もしかしたら、これが神の下した至高の刑罰なのか——。
「……紅の王が流れ着くは、遥けき異国の地」
京一郎は謡うように呟くと、全身から力を抜き、哀しげに俯いた。霊魂だけとなった今、きっと自害しようとしても無駄な足掻きであろう。
持っていた書を机に置き、彼は重たげな腰を上げた。ゆっくりと、優雅な足取りで部屋の隅に備えられた大きな鏡——姿見へ近づいた。
気品溢れる白い大紋に袴。緩やかな曲線を描く頬から顎の腺は、くっきりしている。歳は二十歳半ばにしか見えないだろう。すっとした鼻梁は高く、引き締まった唇は薄い。陶器のように白い肌は死人を想わせる。
ほんのり闇に染まった部屋に、それは毒々しいほど美しく繊細に映った。
まるで炎を映したかのような、鮮やかな緋色の短い髪。血を連想させる深紅の眼。
それで十分だ。自分が紅の王だと自覚するには。
「どうして——」
悲しげに響いた問いは、虚しく消えていく。
その後ろ姿には未だかつてない感情が溢れていた。
燈台の明かりが届かない暗闇に、一対の双眼が浮かんだ。なんの感情も称えない、真の紅き眼。
それは京一朗に感づかれないよう穏形しながら踵を返すと、漆黒の闇に溶けていった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.52 )
- 日時: 2010/01/31 19:38
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
※
「じゃっ気を改めまして、今回のはいつもより強く念を込めておくから。ね、鬼男くん」
「やるなら早くしてくれませんか」
明後日の方を見やりながら、さらりと放つ。
大王が後頭部から一筋の血を流しているが、僕は知らない。僕は関係ない。と、内心で冷や汗をかく鬼男。
一方の閻魔は、こんなツンデレなとこも可愛いんだよなぁ、と怪我に全く気付かない様子で微笑む。そして静かに深呼吸をした。精神を落ち着かせ、手を複雑に組み、“印”を結ぶ。
「————」
異国の呪文を一言一句間違うことなく詠唱し始める。
彼の足元から甚大な神気が湧き上がり、衣を翻した。その光景はいつ見ても目を細めてしまう。
だが、不意に詠唱がぱたりと止み、淡く発光していた印から光が薄れていく。緩やかに舞っていた衣の裾が虚しく元に戻り、とうとう神気の風さえもかき消えてしまった。
残されたのは、痛いほどの静寂。
「……大王?」
呼びかけても返事が無い。——ただの屍のようだ。
っというのはさておき、閻魔は未だ剣印を構えたまま彫刻と化していた。目をきつく閉ざし、口をキッと一文字に引き結び、険しい表情で思案に暮れているような。だが、その顔には不釣り合いな大粒の汗が浮かんでいる。
鬼男は嘆息した。
「呪文、忘れたんですね」
「だってだって、久々だったんだもん! そんな毎日毎日ガリ勉してたら、誰だって忘れちゃうでしょう!」
まぁ、そうかもしれないけど。
「えっと、何だっけかな。『ムーンなんちゃらメイクアップ』だっけ?」
「何をメイクアップするんですかっ。というかそれ、セーラー●ーンの変心文句でしょうが!」
「えっえっ、じゃあ『ほっぷ、すてっぷ、じゃーんぷ』で」
「だから全く関係無いでしょう!? なんでそういうものばっかりなんですか」
ダメだ。こんなバカ相手にしてたら埒が明かない。うーん『ピーリカピリララ』だったけな。
いやいや、何考えてんだ自分! しっかりしろ自分! 僕は一体誰だ!
「僕は冥官の秘書、鬼男だぁ!」
「どうしたの鬼男くん」
唐突に発せられた怒号に肩をひくつかせ、少し引き気味の閻魔を見咎め、鬼男の血管が浮き出る。
「思い出してください大王! このままでは僕は、一生あいつ等にバカにされる羽目になってしまいます!」
「だから何の話……ヒェッ!」
見ると、鬼男が化け物が如く眼を光らせ、構えのポーズをとっている。嫌でも目に入る、拷問道具と化した凶器の爪。
あれにやられたら、ひとたまりもない。閻魔は両手でなんとか制しながら脳をフル回転させた。
しかし、焦れば焦るほど、何も浮かばない。最近アニメ鑑賞ばかりしていたせいだろうか。
そろそろ処刑時刻が迫ってきた、その時だった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.53 )
- 日時: 2010/01/31 19:39
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
「何やら話しが弾んでいるようですね」
刹那、凛とした声が響き渡った。まさに振り上げられていた腕をはたと止め、鬼男は閻魔と共に顧みた。
戸に寄りかかった姿勢で映った、薄く微笑んだ細い陰。
「紅……」
それを見咎めた途端、鬼男の背中に冷たいものが滑り落ちた。無意識のうちに慌てて手を引っ込める。
どうも調子狂うんだよなぁ、この人が来ると。
彼は手に幾つかの書簡と巻物を携えていた。全て真新しい鮮やかな色をしている。
「鬼男さん、これ」
穏やかな口調で近づき、京一郎は鬼男の元に書簡諸々を手渡した。
慌てて訊くが前に、京一郎が言葉を紡ぐ。
「墨擦りが早く終わってしまったので。履歴書の書写をと」
「ですが、これは明日の仕事では」
答えを求めるように顔を上げた瞬間、鬼男は目を剥いた。
京一郎の目元が、ほんのり赤く染まっているような気がして——。
頭を振り、再度確認しようとした時には、彼は踵を返し閻魔と向き合っていた。
「何を楽しげにお遊戯していたのですか?」
「お遊戯ではないんだけど……。ちょっと、ね」
閻魔は苦笑いを浮かべながら今までの経緯を述べた。失敗し、なぜか逆ギレされ、半殺しになりかけていたところまで。それはそれは丁寧かつ的確に。
話を聞きながら、京一郎は幾度か笑った。さすがにこの出で立ちで大笑いすることはなく、目を細め、くすりと微笑む。
やっぱり徒者じゃない。
鬼男は巻物を開きながら思った。
「ではその術、今度は私にやらせてくれませんか?」
(なっ、何ィ!?)
ひととおり話の本筋が見えだした頃、彼が顎に手を据えながら提案した。
これには二人共驚愕する。
(なぜそうなるんだ!)
(そもそも、紅に術が扱える訳がないでしょ!)
鬼男共々、当然のことながら戸惑った閻魔だったが、京一郎ににこりと笑いかけられ、躊躇しながらも席を譲った。
(待て待て、僕は嫌だぞ! こんな得体もしれないヤツに術を任せられるなんて。こんなことなら大王に失敗してでもやらせた方が……)
しかし鬼男は発言し損ねた。
「大丈夫ですよ、鬼男さん。間違っても死んだりはしませんから」
(超心配だあぁぁぁあ!!)
鬼男が愕然としているや否や、京一郎は印を組み、先ほどと同じ動作を繰り返した。
——しかし、根本的に何かが違う。
突如、膨大な霊力が凄まじい突風と共に爆発し、三人を包み込んだ。聖なる閃光が京一郎を取り巻き、詠唱に合わせて激しく脈動していく。
鬼男は唖然とその様子を眺めていた。耐えきれず腕で覆ったその隙間から、涼しげな表情で最後の呪文を唱え始める彼が見える。
「——かの者に仇なす退魔の壁を退けよ」
地中から湧き出た神気が鬼男の周りに漂う。彼は不思議な感覚に襲われていた。
今までにない甚大な霊力。かの閻魔でさえ凌ぐであろうその波動には、感じたことのある奇妙な“気”が混じっていた。
そうだ、あのオオカミと同じ、異質な妖気……!
「退守——消失!!」
京一郎の透き通った声音が凛と響く。
瞬間、目に見えない霊気が大きく撓み、鬼男のたくましい四肢を絡め、そして、忽然と消えた。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.54 )
- 日時: 2010/01/31 19:39
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
静寂だった。
閃光の余韻が消え去ると、後には侘しいほどの静けさが残った。あれほどの霊力と神気の渦で騒然としていたにも関わらず、その残滓すら残されていないのだ。ここまでいくと、見事としか言いようが無い。
「……凄い」
息を呑み感嘆を漏らす閻魔の一言で、鬼男の意識は現実に引き戻された。
気配を研ぎ澄まして自分の周りに張られた“気”を探ってみると、本当だ、大王の結界以上に強力な退守術が施されている。
それに、なぜだろう。身体が思いの外軽いのだ。
一陣の清涼な風が吹いた。
ハッと鬼男は顔を上げる。
人影があった。今や別人にすら見える清冽なその姿は、印を解いて一汗拭うと、爽やかな微笑を向けて来る。
「上手く……いったでしょうか」
鬼男の中で、一つの確信が生まれた。
あぁ、この人は化け物なんかじゃなく——
正真正銘の“化け狐”なんだ。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.55 )
- 日時: 2010/01/31 19:39
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
【其之八 邪悪なる行進曲】
漆を塗った暗夜が広がっている。
さわりと、朔風が駆けて行った。霧を含んだ、奇妙に重く肌に張り付くような、風が。
静寂が支配する常闇。水の音が微かに響いている。
そんなさなか、鬼男は一人、そこに在った。
身体は無い。意識だけの、漠然とした存在。
——夢幻だ。
現と空想の狭間にある、微弱な世界。
そう解釈した彼は、恐る恐る闇を進んだ。
自分のような者が見る夢には、何かしらの意味が込められている。世界が不安定な今、予知夢は自分にまわってきたのかもしれない。
そうならば、出来る限りの情報を入手しておきたいところだ。
暫し常闇を彷徨っているうちに、鬼男の脳裏に朧気な焦燥感が湧き始めた。
実体が無いので疲れは感じないが、おかしい。どれだけ遠くを見透かそうにも、突き進もうとも、どこまでも暗い虚空が広がっているだけ。生物の気配がしなければ、流れる水音の他はない。
ふと、鬼男は周囲を見回した。
妖気。無理に押し殺したような仄かな妖気を、神経という神経全てが感じ取ったのだ。
次の瞬間、虚を突かれた彼の意識に、凄まじい量の妖気が流れ込んだ。しまった、と息を呑む間に、それは実体無き鬼男の体内に侵入し、感覚を蝕み始める。
血の気が引いて行く。漂う妖気が突如鋭利に尖った。囚われた鬼男は、妖気から逃れようと必死に足掻きながら闇に目を凝らした。
漆黒の空間に、蠢く“ナニカ”が潜んでいる。
ぼうっと、一対の光が現れた。爛々と煌めく、凍てつく冷気を孕んだ光。
それは、鬼男の姿を捕えると、にまりと嗤った。
眼だ。あの光は、“ナニカ”の双眸。
心臓が何かに叩かれたように跳ね上がる。
淡い月光が射してきた。双眸の主が皓皓と照らされだす。その時、鬼男は驚愕を隠しきれなかった。
漆の色に同化していたそれは、妖魔と呼び称される姿をしていたのだ。
巨大な四肢を折り曲げ、前足に顎を載せたまま見開かれた朱の双眼。月明かりを弾いて輝く毛並みは艶やかな白銀。それを地に唐草模様にも似た彩文が浮かびあがる。
その風貌は狐。九本の尾をもつ妖狐。
『ほぉ、面白い』
口元に白い牙を覗かせ、妖狐は嗤笑した。
『我が荒城に、童が忍び込んだか』
敵意も殺意もない。妙に空虚で、それでいて圧倒的な脅威を感じる。ざわざわと、悪寒が駆けていった。早鐘を打つ心臓は速度を緩めない。鬼男は眩暈がしてよろめきかけ、しかしなんとか意識を繋ぎ止めると、朱の眼を睥睨した。
すでに感覚は妖気の毒気によって麻痺しており、戦時に発する闘気が捩じ伏せられるように抑え込まれてしまっていた。
本能が訴える。勝ち目はない。引け、と。
だが鬼男は思い留まった。ここで引いたら後がない。一瞬を突かれ、今度こそ殺されてしまう。
夢だとわかっている。けれども、時にその幻想は凶器となって魂を貫く。この妖孤なら、そんな芸当など容易くこなしてみせるだろう。
冷や汗を流しながら直も睨みつけてくる小さな妖に興味を惹かれたのだろう。妖孤はそれまで伏せていた顎を擡げ、彼の視線に挑んだ。
朱色の双眸が嗤っている。まるで新しいおもちゃを見つけた童子のように、きらきらと輝かせて。
『童、お主、そこらの野良ではないな?』
声が、した。まるで闇の底から響くような、冷え冷えとした声音の。その言葉に嘲笑が滲む。
『神の配下に落ちた、憐れな子鬼か』
生ぬるい風が頬を打った。耳に突き刺さる妖魔の余韻。あざけ笑うかのように、妖孤は九又に分かれた尾をうねらせた。
それぞれ尾先に色違いの珠輪がはめられており、月光を受けて宝物のように光り輝く。だが、鬼男は知っている。その優美な珠の内に秘められた禍つ魂を。
妖孤がその身を着飾っているのは、九つのおぞましい呪魂なのだ。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.56 )
- 日時: 2010/01/31 19:40
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
『哀れよのぉ。自由を束縛され、本来持つ鬼神が如き力も制限される。あぁ、実に哀れじゃ。妾には堪えられぬ。否、全ての魑魅魍魎共にとって屈辱的な待遇であろうて』
「——何が言いたい」
どくんと、胸の内で苦痛が暴れる。この濃霧な妖気はまさしく妖孤の放つものと同じ。それほど強力な妖なのだろう。ひと際大きな鼓動が生じ、衝撃で息が詰まった。妖孤のあまりに強大な妖気が、夢見の影響で不安定な鬼男の魂に干渉してきているのだ。
視界が揺らぐ。ダメだ、弱気になってはいけない。
ろうそくのように消えかけては踏み止まり、再び弱弱しい意識の火を燈す鬼男。それをさも楽しそうに眺め、妖孤は声を潜めた。
『なに、簡単なことよ。妾の問いかけに答えればよい』
妖孤は眼を剣呑に細めながら言葉を紡ぎだした。
『——童よ、“紅き輝石”をどこへやった』
きせき……?
「知らない。何の事だ」
素っ気なく即答すると、妖孤は忌々しげに低く唸り、ふうと大きく息を吐き出した。その瞳から険しさが薄れる。しばし虚空を仰いだ後、警戒心を一向に緩めない鬼を穏やかに眺めやった。
珠輪の中で瘴気が黒く渦を巻く。
「妾はお主を憐れんでおる。ゆえに手荒なことはしとうない。童、お主の身体から仄かに香るのだよ。清冽なる神気、強大なる霊力。他ならぬ、我等が長、“先代紅の王”」
妖孤が、さもうっとりと語った。
これほどの妖魔が探し求める“長”。名を、“先代紅の王”と言った。妖はつねに群れを成して暮らす異形。その長たる生物が、なぜ不在となってしまったのか。もはや非力な鬼男にはわからない。
だが、ひとつ確かなことがある。
妖孤の陰から、人知れずゆっくりとどす黒い波紋が広がっていく。きっと、どう答えようと、その甚大な妖気で締め殺すつもりだ。
胸の内で苦痛が暴れる。命乞いなど、しない。
「知らない。僕には関係のないことだ」
肺を無理に働かせる。
しかしそう断言するも、鬼男の脳裏には、あの人が浮かんでいた。
どうして庇うのだろう。彼じゃないかと疑っているのに。差し出せば最悪な事態は免れるかもしれないのに。
『そうか、実に残念だ。ならば』
瞬間、鬼男の身体に異変が起こった。何かが体内で蠢く。おぞましい感覚が肌の下を駆け回り、心臓を握り潰そうと肥大した。常闇を覆っていた気圧が急激に重くなって圧し掛かってくる。重い。とても苦しい。全身が総毛立った。
「————!!」
悲鳴すら出せなかった。息も絶え絶えで、鬼男は唇だけを開閉させる。妖気が首を絞め上げた。
意識が遠のく。
『さらばだ、童!』
怒号もろとも放たれた九本の尾。それは空中で疾風を纏いながら先端を尖らせ、鋭利な矛と化す。
眼前にまで迫ったその時、突如、鬼男の脳裏に懐かしい声が響き渡った。
——いつまでも、俺の隣で……
「……大……王っ!」
金色の矛は、夜陰もろとも貫いた。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.57 )
- 日時: 2010/01/31 19:40
- 名前: シャリン ◆MaiJK990/Y (ID: YDf5ZSPn)
やぁ、最新してるねぇ。ピクミンだよ。
この小説の漫画を見た事がないからあまり分からないけれど、こんど見つけたら読もうと思う。最新頑張れ!ついでにレイトン小説復活。(宣伝)
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.58 )
- 日時: 2010/01/31 19:44
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
ピクミン様(以下シャリン様でw)
復活おめでとうございます!
私のは依然と……(沈
日和が面白いですよ〜♪
全巻揃えておりますからwww
そういえば大地の汽笛はどうなっておりますか?
私はこの間やっと買ってもらい、未だ砂の神殿の前で——(あのカニ(?)嫌いだよッ!!)
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.59 )
- 日時: 2010/01/31 19:45
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
横になっていた人物は、苦しげな呻き声をあげながら顔を歪めていた。
「……うぅぅ。大……王……っ!」
鬼男は、ハッと目を開いた。見慣れた天井が視界に飛び込んでくる。常闇ではなく、仄暗い室内。
息が上がっている。ともすれば泣き声が混じりそうな状態だ。視界が少し潤んでいて、目尻に冷たいものが溜まっているのがわかった。汗ばんだ皮膚がじっとり濡れていて、気持ち悪い。
「助かった……のか?」
少々疑問形だが、心底安堵してほっと息をつき、彼はふと眉をしかめた。
息が苦しい。胸の辺りにずしりと何かがのし掛かっていて、それが呼吸を圧迫しているのだ。
何だろうか。別に病や呪術にかかったわけでも——。
鬼男は上半身を起こそうと肘と腹筋に力を込めたまま、ぴたりと動きを止めた。
「…………」
見知った墨染の衣を纏った物体。それが横大の字に広がり、乗っかっていたのだ。深く息を吸い込み、呼吸を整え、彼は目を眇めた。
「……おい」
「くかー、くかー、くかー——」
鬼男の身体を下敷きにして呑気に鼻提灯を膨らますイカ……改め、閻魔大王。
そんな上司に鬼男は無言で、しかし額に血管を浮かべたまま、ぎりぎりと拳骨を握った。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.60 )
- 日時: 2010/01/31 19:47
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
※
東の空が紫色に変じてきている。やがてその色は徐々に薄くなり、白い朝日が覗き出す。——夜明けだ。
閻魔庁の朝は早い。仕事相手が死者などといった人外生物(死者だけど)からしてのことであるが、今朝のような、まだ暁から起床するのは稀である。
それは全て、閻魔の身に降りかかった災難が原因だ。
「大体、人様の部屋に無断で入って来るのが悪いんですよ」
ぶつぶつと文句を吐きながら、鬼男は朝餉を口に運んでいた。時折、味噌汁を流し込みながら朝餉の横に広げた巻物に目を通す。
冥官秘書の仕事内容はどのようなものか、と問われれば、彼は返答にしばし時間を費やすだろう。一言二言では到底説明しきれないからだ。それでも押し切って話すと、大まかに三つある。
ひとつは補佐。日々仕事に追われる閻魔の右腕となり、手助けをすること。仕事放棄をして脱走する上司を捕まえるのもこれに含まれる。
二に守護。冥界の住人というのは、その内に秘めた霊力ゆえ、妖からして見れば至高の獲物。自身と共に、閻魔を魔の手から守ること。
最後は——……相棒として存在すること。
そのためにも、心身共に精進することが大切だ。
そんな秘書の基本事項を頭に浮かべる鬼男の真向かいにはもうひとつ膳が用意されているが、手つかずのまま湯気をたてている。「ほら、食べなきゃ冷めますよ」と注意するも、当の閻魔は隅でうずくまっていた。しこたま殴られたらしい頭を抱えて。
まったく。いつまでいじけてんだか。
鬼男が眼を眇めたその時、ガラリと後ろ手の戸が開いた。
「おはようございます、皆様」
鬼男達よりも少し遅れて起床した京一郎が、ふらふらと姿を表した。どうやら朝は苦手のようだ。
閻魔は、まだ覚醒しきってなく戸口に凭れ、うつらうつらする彼を見るや否や、途端に眼を潤ませ、「紅ノスケー!」と飛びかかった。
「聞いてくれよ紅ノスケェ! 鬼男君ったらひどいんだよ。人がせっかく心安らかに寝てたら、急にガンガン殴ってきたんだぁー!」
茜色の瞳からほとほとと涙をこぼしながら、京一郎の衣にしがみつく閻魔が切々と訴える。
そんなか弱き彼に、鬼男は歯を剥いて反論した。
「突然上に乗っかって重い思いさせて、おまけに夢見の邪魔をしたヤツがなにを言いますか!」
「だってだって、恐い夢見ちゃったんだもん。そんな出来事の後ひとりで寝られる方がおかしいんだよ! ……本当だもん」
ひんひんと泣く閻魔をサッと睨みつけて黙殺し、鬼男は京一郎へ視線を向けた。
「当分仕事はありませんよ。昨日の分で殆ど片付きました。……ところで、今日も書庫に?」
「いえ、今日ぐらいは自室に居ようかと。何分気になることがありましてね。あの、閻魔さん」
今まで京一郎によしよしと宥められていた閻魔は、ふと顔を向けた。
まだ潤んだ茜色の眼をしぱしぱと瞬きする。
「書簡庫にあった論語の書、あれは貴方のものですか?」
いつの間にそんな古書を見つけたのだろうか。
論語とは、儒教の祖、孔子が説いた教えである。それを仏教の対象であるにも関わらず、全く興味を持たない閻魔の書庫にあったというのだから驚きだ。だが、多種多様の書物が収められた倉庫であるからして、とりわけ変なものがあってもおかしくないのかもしれない。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.61 )
- 日時: 2010/01/31 19:47
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
京一郎と鬼男は黙然と閻魔を見詰めた。一方の閻魔は厳しい視線を感じながら、腕を組み眉根を寄せ、自分の記憶を手繰り寄せ始めた。
やがて、閻魔は難しい表情をしながら呟いた。
「論語?——あー、あ? そういや、この間友達から貰った気が……した、かな?」
いまいち記憶が曖昧であるらしい。
首を捻る閻魔に、京一郎は意味不振な相槌を打つ。
「なるほど。では、その方は鳥を飼っていらっしゃいますか?」
「鳥? いや、犬が欲しいと言ってたけど、鳥はどうかな……」
「そうですか。……じゃあ、何であんなモノが——……」
顎に手を据えたまま踵を返し、京一郎は再び自室へと退いて行く。
「あっ、紅!?」
ピシャリ。
慌てて閻魔が声をかけるも、既にして戸が閉められた後だった。
しばしの沈黙。まるで嵐が過ぎ去った後のよう。
事態の展開に言葉を無くし狼狽する閻魔に、鬼男は言い含めるように口を開いた。
「勉強熱心でなによりです。どこかの誰かさんとは違ってね。一日中あぁして読書に耽ているのですよ。書物も良い方に読まれて幸せでしょう。いっそ全部あげてしまったらどうです? 年中埃を被ってるより断然マシでしょう?」
そして一拍置いてから、思い返して問いかけた。
「……というか、論文なんて誰から貰ったのです?」
「ありゃ? 鬼男君、わからないのぉ?」
ぶすくれた表情をコロッと変え、閻魔は意地悪げにつついた。
「俺の心の友にして、根っからの犬好き。おまけに自己中。儒学なんて馬の耳に念仏の自由人っ」
楽しそうに笑う彼の様子からして、その人物とは文字通り深い友人関係にあり、相当気が合うようだ。しかし閻魔が心から友と述べるからには、彼同様、裏があるに違いない。
自己中、自由人、犬好き。
鬼男の知り得る中では、そんな迷惑主要人物はあの馬鹿しかいない。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.62 )
- 日時: 2010/01/31 22:40
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
「あぁ、あの人か」
本名を厩戸。通称『聖徳太子《しょうとく たいし》』。飛鳥文化を窮め、十七条の憲法を定めた皇太子として有名な摂政……のはずなのだが、鬼男からして見れば歴史なんてどれも矛盾しており、皆がみな史書通りの人物のわけがない。現に、同じ時代の豪族として知られる蘇我入鹿《そがの いるか》はダメ男だし、新大陸を発見したとされるコロンブスはよもや変人の域にまで達する食いしん坊。ここまで例を出せばお察しだろう。故に聖徳太子も常人ではない。ここまでまとめてみると、自分の周りには変人&変態ばかりが集っていると改めて認識させられてしまう。
鬼男の想像した当てはまったらしく、閻魔が上機嫌で肯定する。
「なんかね、『もっと勉強しろ、このアホ殺生!』ってぇ事で無理やり押し付けられたらしいよ。で、こうして俺の許に」
なるほど。つまりは逃げたんだな。しかし、それもまた意味などないだろう。京一郎に発見されるまで永久的に倉の中、なんてのも有り得る話しだった。
「妹子も相変わらず大変そうですよね」
思わず呟いた同情に、閻魔もまた苦笑しながら同意する。
今の閻魔の回想中のセリフからして、太子に論文を渡したのは、彼の部下『妹子《いもこ》』であろう。論文はもともと隋の書物だから、遣隋使の(けんずいし)彼が持っていたとしてもおかしくない。
さすがは妹子、とでも呼ぶべきか。
「あれからもう一カ月も経っちゃったんだよね。うんうん、何より平和が一番だよ」
そう言う閻魔が誰よりも知っている。一カ月前の惨劇を。皮肉だが、その事件のおかげで妹子や太子等に出会ったのだ。世界を救う、救世主として。
平和がなによりだ。そう、平和が。
「…………」
言葉が出なかった。また、あんなことが起きてしまうのかと思うと、不安で。オオカミの残酷な一言が頭を過った。
——世界が一夜にして滅んでしまうような、大いなる災い。
そして今朝見た夢の内容と重なる。
——我らが長、先代紅の王。
崩壊の根源は妖だ。自分でもそう感じるし、オオカミも断言していた。
あの強大な妖が司令塔として君臨しているのだろう。夢の中といえど、鬼男は妖孤相手に完全敗北してしまった。中断してなければ、今頃どうなっていたか。
というよりも、自分はあれほどの力を持った妖を初めて目にしたのだ。実力の差が広すぎる。あのような化け物がもし一斉に攻め入ってきたら、到底太刀打ちできないだろう。それこそ数分にして冥界も落されてしまう。
俯いた鬼男の視界には、すでに湯気を失った味噌汁が映っている。完全に冷めてしまう前に食べなくては、と箸を掴み、無意識に摘まんだ豆腐が、音も無くぼろりと崩れた。
あぁ、世界の調和もこんなに脆いのだろうな。
「ねぇ鬼男君、悩みがあるなら、打ち明けてよ」
あまりに唐突な質問に、鬼男は反射的に顔を上げた。
いつの間にか閻魔も席につき、これまた冷めてしまった朝餉を食していた。
視線は卓上に並べられた飯に向けられているが、明らかに不審な心境であることが伺える。
「鬼男君ひとりで悩むのは良くないよ」
またも告白を促す一言。やっぱりわかってたんだ、この人は。自分がひとり悩み苦しんでいたことを。
目元が熱い。堪らなくなり、鬼男は閻魔から目を背けた。
心が揺れる。だが、言えない。打ち明けられない。苦しむのは自分一人で十分だ。
「なんでも……ない、です」
自分だけでいい。もう、大王を危険に侵したくない。
先月の事件だって、自分が非力だったために被害が肥大したのだ。
消えていく彼を、離れて行く閻魔を守り切れなかった。
今度こそ失ってしまうかもしれない。隣で、共に笑うことが出来なくなるかもしれない。
「ねぇ、鬼男君」
愛おしい声音。自分のたったひとつの名を、呼ぶ。
この声が聞けなくなるなんて、堪えられない。
ちりちりと、痛みが胸を焼く。それは大きく、重く濁って、押し潰そうと膨れ上がっていった。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.63 )
- 日時: 2010/01/31 22:40
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
鬼男は苦痛に耐えていた。だから気付かない。すぐ前にまで迫った両手に。
「えいっ!」
その時、不意に口の端を無理に持ち上げられた。当然変な作り笑いをされ、唖然とする鬼男の眼には、にこにこと微笑む彼が居る。
「やっぱり。鬼男君は笑顔が一番似合うよ」
温かい。口元に触れる彼の両手が。太陽の如く笑う君が。こんなにも温かいんだ。
いつも傍にあった光。それなのに、自分はこの光を失うことばかりを考えていた。不滅の光を守ることこそが、自分の使命の筈なのに。
視界が潤み、頬を雫が伝った。
「お、鬼男君?」
閻魔が鬼男の涙を見咎めて慌てる。
弱ければ、強くなればいい。守れなければ、自分が盾となろう。最初の頃に誓った筈だった。自分の存在価値、秘書の仕事。感情が乏しかったあの頃、鬼男はそれだけを学んでいた。幾百年の年が流れ、自分の感情が芽生え始めてから、何かが変わっていた。使命として守るのではなく、己がために。この笑顔を絶やさないために。
鬼男は今にも溢れだしそうな涙を拭い、そして、笑った。
「そうですね……大王——」
きっと大丈夫だ。彼の存在が有る限り、自分は強くなれるのだから。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.64 )
- 日時: 2010/02/01 20:34
- 名前: シャリン ◆MaiJK990/Y (ID: YDf5ZSPn)
>>58大地の汽笛はクリアした。
えっと、砂の神殿は……
ネタバレ注意
最初はあの目ガニ(目ガニ?)の目を大砲で撃つ。でも途中で口(マブタ?)を閉じるよね。あれ分かるのに苦労したけど、よく見れば爆弾の樽が洞窟の壁に埋まってるんだ。目ガニが樽に近くに来たら樽を撃つと、樽が爆発します。けっこうすごい。それで目ガニは目を開けるので、そこを撃つ。それを何回も繰り返すと勝てる。 分かりにくかったかな?
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.65 )
- 日時: 2010/02/08 19:28
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
シャリン様
一昨日ようやく終わりましたw
ドラゴンシリーズコンプで最後に望みたかったのですが、やはり無理でした…;
木製(?)で頑張りましたよ、ラストwww
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.66 )
- 日時: 2010/02/08 19:29
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
妖の目論み、白い獣の遺言、今朝の夢見。謎が謎を呼ぶなんていう題目がお似合いな内容を、鬼男は何とか正確に述べようと、しどろもどろしていた。いざ一息に纏めるとどうも締めが悪く、自分でも若干煩わしさを感じる。それでも、彼は必死に意味を伝えようと身振り手振りをしてでも知らせた。
一方の閻魔は話に訝しむ様子もなく、黙然と聞き受けている。普段には見せない硬い表情を変えず、時折合点がいったかのように頷く。
だが、この行為が却って鬼男の焦燥感を煽り立てた。
「——という訳です」
少し無理があるような感じがするも、彼はそう締め括った。途中、本筋から脱線してしまうのではないかと気が気でなかったが、しかしどうにか述べ終えた鬼男は、内心で深く安堵した。
尚も腕を組み、思案に暮れる閻魔を上目遣いに見詰める。
本当に理解してもらえたのだろうか。いまいち自信が持てない。よく見ればワザとらしく頷いてるようにも感じ取れるので、その疑惑は一層膨れる。
「なるほどね」
閻魔がぼそりと呟く。確信こそ無いが、今はこの人の理解力を信じるしかない。
「妖の異変は前々から気づいていたけど、まさか、そこまで深刻になっていたとは。うーん……不覚……」
再び唸ったかと思うと、ついと鋭利な視線を向けた。
「そんな事態になってるにも関わらず、君は黙ってたんだね」
声音に硬いものが含まれている。鬼男は頭を垂れた。
「……すみません。動揺していたもので」
「そうだろうね。君らしくもない……無理もないな、俺だって心臓が冷えた」
過日、狼は告げた。崩壊を止める鍵はコイツ——京一郎だ、と。
確かに彼の霊力を駆使すればそれも可能であろう。しかし、なぜ狼は妖という立場に在りながら、鬼男達の味方をするのか。京一郎という名の得体も知れない人物は、何者なのだろうか。
「取り敢えず従おう。その妖の言葉に。まだ信用するには甘いけど、今はそれしかわからないんだから。だから——……」
会話が途切れ、思わず顔を上げた瞬間、開きかけた口になにかが流し込まれた。鬼男はすぐには飲み下さず、反射的に口を動かして味を探る。……味噌汁?
「今のうちに体力を付けなくちゃね。ほら、沢山食えよ」
そういって一度離した碗をまたも鬼男の口元へ押しつける。そんな閻魔の心遣いに心底じーんと感動しながら鬼男は、いわれるがままに味噌汁を味わった。
しかし、感動が一変、妙な舌触りのものを訝しんだ彼は、眉根を寄せてそれを確かめようとした。変にもさもさとした食感、丸っこい形状、これは——
「嫌いなモノも。ね、鬼男君ッ」
笑顔で発せられたその一言で確定した。
鬼男の全身から血の気が引いていく。
「ギャアァァァァー!!」
壮絶な悲鳴が、今日も冥界に木霊した。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.67 )
- 日時: 2010/02/08 19:30
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
砂塵がきらきらと舞い上がる。その中心に眼を凝らしていた妖狐は、目的のモノが既に消え去っているのを確認して、九本の尾を地面から引き抜いた。
死んではいないだろう。矛が貫く瞬間、何者かに意識を邪魔され、妖狐は攻撃が数秒遅れてしまった。その隙に侵入者は童を引き連れ、この地を退いたと思われる。
黒い影、妖や人のものとは違う、しかし妖魔に匹敵する霊力を持った人物——否、神。
妖狐はニタリと嗤笑し、決断した。そうか、あの者が……。
その時、一つの影が、月光の降り注ぐ明るみに舞い降りた。大きな翼を持った鳥型の妖。身の丈は成人男性とほぼ同じ。
『主よ、何事か……?』
その容姿は鷺の如く。月に照らされた毒々しい緑の羽毛が目に映え、嘴は赤茶けた銅。鳴声はさながら鶴。
名を、鴆《チン》と称す。
『鴆……かの国の状況はどうなっておる』
妖狐は鴆の問いには答えず、身を落ち着かせ、前足に顎を載せた。しかし鴆は動じず、眼を煌めかせ頭を垂れる。
『はッ。既に我が毒霧によって壊滅に堕ちつつあります。“蒼星”が死するのも時間の問題かと』
『そうか……』
満足げに頷き、妖狐は虚空を仰ぎ見た。鴆もその視線を辿るも、やはりどこからか差し込む月光以外は暗闇に閉ざされている。しかし、大妖魔・九尾狐は、その奥に秘められた星空を眺めていた。
九つの尾を持ち、妖の軍隊を操作する首領九尾《キュウビ》。よほど霊力の強い者にしか拝めない宿命の星達を、キュウビは手に取るように詠めるのだ。
“紅き輝石”を守護するように置かれた六つの星。それぞれが違うように発光し、周囲で禍つ妖気を寄せ付けない。六つあってこそ輝く六芒星。故にひとつでも欠ければ均衡を崩し、互いを呑み込み合うだろう。そうすれば“紅き輝石”が自分等の許へくるのも間近。
六つのうち“玄星”は目覚めてしまった。否、もしかしたら自分等の計画にいち早く気付き、図ったのかもしれない。
やはり油断ならぬ、“玄星”。
『鴆よ、心して聞くがよい』
翼を一度羽ばたかせ、鴆はうっとりとさえずる。
『なんなりと。主よ』
『阿傍《あぼう》を呼べ。そして、軍を率いて黄泉の国へ向かわせよ。我等の長はそこにあり』
鴆の羽毛が喜悦で膨れ上がった。「真か!?」と再度問う無礼な行為を理性で抑え込み、鴆は一礼して闇へ溶けていった。
向かうは、主たるキュウビがいっていた阿傍の許。なるほど、ヤツならば軍の中で一番黄泉の国について明るいだろう。
(長の帰還。王の降臨。絶対不滅の“紅き輝石”——!!)
常闇の虚空に、狂喜に満ちた鶴の『声』が、響く。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.68 )
- 日時: 2010/02/08 19:30
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
【其ノ九 緑魔の羽翼】
お盆が間近となった文月(七月)。
まだ涼しさを感じさせられる冥界には、今日もどこか微妙な風が吹く。
夏は日が登るのが早いのだが、ここのところ晴れ間続きだったので、さすがに今日は休ませろという事なのか、早朝を残して今はどんよりとした暗雲空が広がっていた。これがそもそもの天気なのだが、新人の京一郎には始めて目にする日和だ。
それを窓から眺めつつ、当の京一郎はふっと息をついた。そして、冷たい味噌汁を啜る。閻魔が作ったというからには少しばかり覚悟していたが、想像以上の美味に心無しか感歎してしまった。人を見た目で判断してはいけないとはこの事だ。
「……のれ……!」
憤怒寸前の呻きを耳にし、ちらりと背後を見やる。
ここは仄暗い京一郎の自室。主以外にこの部屋を訪れる者は居ない。が、今回だけは違った。
ショリショリと切れ味の良い音を立てながら、その人物は本来刀を研ぐ砥石で、己が爪を器用に整えていた。不気味な雰囲気を帯びてる姿は、さながら山奥で研ぎ物をする山姥だが、彼は紛れもなく京一郎の知り得る鬼男だ。
——いつもの冷静さは跡形も無く消え失せているが。
「あんのイカ……今度こそ八つ裂きにしてやるぅ……」
地を這うような声でどろどろと呟き、爪研ぎに一層精を入れる。
紅い眼をギラギラ煮えたぎらせ、灰銀に染まった脳天から今にも噴火しそうだ。ダメだこりゃ、完全にブチ切れモードに突入してしまっている。
つい先ほどの事だった。
自分の思考に没頭していた京一郎の許に、鬼男が血相を変えて転がり込んで来た。なんでも、無理に飲まされた汁の中に大豆が入っていたらしく、不運にも彼は食べてしまったという。
鬼男にとって豆は毒。中でも大豆の効力は凄まじいらしく、一瞬にして体調を崩してしまう。
大量に飲み込んでしまったため、鬼男ひとりでは対抗出来ない。だからといって閻魔にすがりつこうにも彼自身のプライドがそれを許さなく、不本意ながらも京一郎へ助けを求めたのである。
日頃の仕返しのつもりであろう。解毒を施しながら京一郎は嘆息していた。二人共よくもまぁここまでやるわな。
解毒が終わるや否や、感謝の言葉もそこそこに、鬼男はさっそく(ここで)爪研ぎに精を出し始めたのでした(まる)。
「あぁぁぁぁんのクソ大王ぅぉぉぉお……!」
でろでろと鳴り響く雷鳴を伴った不穏な声で呻き、鬼男はやおら立ち上がった。
「お、鬼男さん? どこへ……」
「決まってるでしょう!」
引き止めた京一郎を肩越しに睨み、彼はぴしゃりと言い放った。
「今晩のおかずはイカの刺身です」
「ちょっと待ってぇぇぇ!」
これはさすがにマズい。今の彼が暴走でもしたら、いくら不滅の閻魔大王でも病院送りにされかねない。本当に今晩の食卓にモザイクの掛かったグロテスクな物体が登場しかねない。別にイカ(魚介類の)が嫌いな訳ではないが、それでもイカ(馬鹿の)を食すのは気が引ける。
ほんの少しばかりの好奇心を理性で黙らせ、迅速に鬼男の身を確保する。
「離してください京さん! アイツに血祭りをお見舞いせねば!」
「無理はなさらないでください。まだ病み上がりなんですから!」
喚き散らしながら激昂していた鬼男だったが、一瞬の眩暈によって意識を失いかけ、しかし倒れる寸前に京一郎に支えられた。
顔色こそ良くなっているものの、完全に毒素が消えた訳ではない。
勢いを削がれた鬼男は、京一郎の長〜い忠告を受ける羽目となったのでした。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.69 )
- 日時: 2010/02/11 08:43
- 名前: シャリン ◆MaiJK990/Y (ID: YDf5ZSPn)
>>65ドラゴンシリーズの完成図ってかっこいいよねw
自分はあま〜いシリーズが良かったけど最初ゲットした「蛸キャノン」をシリーズする事になってコンプリートした。汽笛の音が、……歯医者のドリルの音に。
>>68そのイカの色はまさか真っ赤では……(汗
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.70 )
- 日時: 2010/02/11 12:11
- 名前: 慧智瑠 (ID: acQ6X1OT)
お久!
『大地の汽笛』ってゼルダ(何か猫目だった)のシリーズの事か?
あれならCMで見かけたなぁ……確か。
『大地の汽笛』はやった事無いけど、レイトンの『魔神の笛』
ならクリアしたよ!
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.71 )
- 日時: 2010/02/18 18:59
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
シャリン様
実は…完成図見たことないんですよ;
とりあえず木(?)でなんとか全クリアまでいきましたが、やはり腑に落ちませんね;
だからと言って、化石が見つかんないんですよ(嘆息
>そ、そうなんスか!? なら私は無理やもしれません。歯医者…(泣)www
慧智瑠様
そうですよぉ〜♪
ゼルダは昔からのファンなのでw
魔神の笛は私もクリアしましたよ☆
お蔭で一文無しになりましたがね;
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.72 )
- 日時: 2010/02/18 19:00
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
案外口数の多いヤツだったことに少し驚く鬼男の前で、京一郎は尚もお説教を続けていた。かれこれ半刻(一時間)も正座している。おかげで怒りは収まりを見せてきたのだが、別の意味で叫び出しそうだ。すでに足の感覚が無い。だが今の空気を読むと、あと半年は続くのかも。
「好き嫌いは直さなければ損ですよ? 作者だってつい半年前まで目玉焼きが食べられなかったのですが、ここ最近はそればかりおかずに」
「いや、これは好き嫌いの問題以前にアレルギー類に入るでしょ。身体が豆を受け付けないんだから。……てか、作者卵好きだよね? なんで目玉焼きだけは——」
「目玉だからだそうです」
「名前だけだろ!」
威勢よく返した彼の片足は、すでに軽い痙攣を起こしていた。
「ですが鬼男さんは退守術である程度は防いでいるんですよね? ならばあとは気持ちの問題ではないでしょうか」
「うぅん……」
手痛い一言だ。頭の隅では同じ意見だったのかもしれない。
黙り込んでしまった鬼男を見据え、京一郎がふっと薄く笑った。条件反射で、どうかしたのかと問うと、彼は頭をひとつ振った。
「いえ。やはりあなた方は仲が良いと思いましてね」
意味有り気な返答に眉根を寄せる鬼男を一瞥し、再び窓を見上げた。隙間無く暗雲に埋め尽くされた空。それを眺める京一郎の眼が、微かに潤んでいる。
「きっとこれは、閻魔さんなりの励まし方なのではないでしょうか。現にほら、もうすっかり元気になっていらっしゃる」
「…………」
口の中で何やら呟いて、胸の内が空になるまで息を吐き出した。
なんと、はた迷惑な励まし方なのだろう。その気持ちこそありがたいが、行為がこれではどうにも信用し難い。
閻魔さんも酷なことをなさる、と見慣れた柔らかい物腰に戻り、ふと京一郎は剣呑に眼を細めた。
「時に鬼男さん、私の悩みも聞いていただきますか?」
「僕が拒否するとでも?」
実はこちらも訊きたかった、というのが心情だ。早朝に見せた京一郎の行動がずっと頭に引っかかっていた。現状が“あれ”ということもあって、どんな些細な情報でも宝になるかもしれない。
「一応あのバカに申し遣わされてますから。京さんが不平無く過ごせるように」
鬼男は石化した片足を庇うように姿勢を変え、京一郎を促した。
京一郎は目許を和ませ詫びをいうと、文机の上に手を伸ばし、古びた書物を手に取った。
これです、と差し出されたので、鬼男は反射的に受け取りぱらぱらと捲った。難しい漢文字(漢の国の文字)が何行も連なり、眺めているうちに眼が痛くなってくる。
「論文の書です。まさか閻魔さんが論語を嗜むとは思いもよりませんでしたが……」
「いや、それとこれとは別ですよ」
真剣な面持ちで考え込む京一郎に一言入れる。
(妹子、これはさすがに無理があると思うぞ。あの太子が真面目文を読むハズがないだろ。僕だってギブだぞ、これは)
などと妹子へ意見を唱えた時、書の頁が不自然に開いた。見ると、しおりのようにして羽が挟んであった。
大型の鳥なのだろう。大きく立派な羽なのだが、その色が自然界には無いような毒々しく、しかし鮮やかな緑色なのだ。
目の前に持ってしげしげと見ていると、不意に京一郎が口を開いた。
「鬼男さん、信じられないと思いますが、それは毒気を含む羽——毒鳥の一部なのです」
「なっ……!」
弾かれたようにバッと手を離し、鬼男は沈黙した。
「大丈夫ですよ。臭いこそまだしますが、効力は薄れてます。人を苦しめるほどの力など、もう残っていないでしょう」
「……なんで、こんなものが……?」
微かに香る臭気が鼻腔を突く。まるで硫黄のような、暫く嗅いでいると気持ち悪くなる悪臭が。
「わかりません。私がこれを見つけた時にはすでに弱まっていました。きっと、前の持ち主の場で力を使い果たしたのかもしれません」
前の持ち主? それって——
「まさか、太子!?」
勢いで前へ乗り出した鬼男の眼を見詰め、京一郎が無言で頷く。
人間は鬼男達のように丈夫ではない。強力な妖気や毒気に煽られただけで、最悪、死に至ってしまう。
今のところ太子一行の死亡報告は出されてないが、やはり心配だ。
「まぁ、“たいし”とかいう方が所持していた以前の問題かもしれませんが……」
「それでも気がかりですよ。それに、この書を渡したのは妹子です。あいつが太子を——」
毒殺しようと仕組んだなんて…………!?
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.73 )
- 日時: 2010/02/18 19:54
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
いや、考えすぎだ。前言撤回。まず無いだろう。
鬼男は容疑者を想像するも、いやしかし、とすぐに考えを改めた。
なぜアイツが太子を殺そうと企む必要がある? あの律儀な妹子のことだ、行うのなら正々堂々・真正面からやるだろう。陰でこそこそするなんて、彼の性に合わなさすぎる。
しかし、どの時代でもそうだが、政治を進める朝廷やら貴族やらは、裏が怖いのだ。明るく華やかな表を一変し、黒くどろどろしている。関わりたくないのが即決な私意なのだが、二人共生まれが上位階級の身分からして、自然と関わりを持たなければならない。
それでいて、下位の者は格上の貴族を引きずり下ろそうと常に目を光らせている。例えば、呪詛とか、呪詛とか、暗殺とか……。
妹子は上位と下位の中ではほぼ真ん中、つまり冠位五位に居る。対する太子は最上位の皇太子。
そう解釈すると、動機が全てそろってしまう。現に、太子は一度朝廷を追い出されている。
「妹子の上司の陰謀か……?」
そうであって欲しいとでもいうかのように呟き、鬼男はあらぬ方を見やった。
違うといってくれ、妹子……。
あの後、鬼男は京一郎に改めて詫びると、部屋から立ち退き、例の羽を片手にじっと考え込んでいた。
“鴆毒”。彼はそう説いてくれた。
古くから帝の暗殺などに用いられ、その毒鳥は隋の森林奥地で過ごすという。毒蛇を喰らい、田畑を荒らし、先住民から忌み嫌われた妖、鴆。
(その羽が、妹子の許に……)
一つだけでも相当な殺生力を誇る緑闇の猛毒。
胸が焼けるように痛い。親友の罪を認めまいと、心が否定を続けている。
(とりあえず事が確定するまで、大王には黙っておこう。只でさえショックを受けやすい人だから、心の友が危険だとわかったら——)
「……」
嫌な考え方は自殺行為だ。
鬼男は効力を失った羽を懐にしまい、仕事場へと急いだ。
死者が減ってるとはいえ、ゼロは有り得ない。
纏わり付く焦燥感を振り払う。
無力な自分には何も出来ない。今は成り行きに任せる他、思いつかないのだから。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.74 )
- 日時: 2010/02/18 20:50
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel3/index.cgi?mode
おぉ、復活したんだ!お帰り、キョウ!!(笑)
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.75 )
- 日時: 2010/02/28 19:40
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
レッド先輩
まぁ、あまり更新しませんが、とりあえず放っておけないので;
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.76 )
- 日時: 2010/02/28 19:42
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
時は一刻ほど遡る。
今朝の大騒動の後、鬼男が部屋からだかだかと逃げて行くのを、手を振り晴れ晴れと見送った閻魔は、足音が消えると表情を引き締めた。
状況は思っていたより深刻なようだ。予知の才は用いてないが、それでも彼の勘が前もって知らせていたので、薄々は感づいていた。
この勘が、皮肉なことになかなか当たるものである。神故の力なのか、元々の運なのか。しかしこれが役にたつ時は、決まって悪い事件の予兆なのだ。
今回も、その通りだったようで。
閻魔は不快感を覚えながら仕事場を離れ、自分の一室へ向かった。仕事場は無限廊下の一番端にあり、離れていくにつれて普段使わないような物置へと変わっていく。寝室などの住居は当然、戸を出てすぐのところに集中している。そんなに遠くても困るだけだ。
しんと静まり返った廊下を歩いていると、不意に怒号を孕んだ声音で名を呼ばれた気がして、閻魔は、僅かだが身を竦めた。
「少し、やり過ぎちゃったかな」
半笑いで遠くを見詰め、束の間、ことの重大さを忘れさせてくれる。
彼の自室へはすぐに着いた。京一郎が目覚めたのもこの部屋だ。散らかり放題荒れ放題の後片付けをしてくれるのは、いつも秘書の鬼男だ。
自らは世話係じゃないとぼやきながら、それでも目を離さずに身の回りの家事をこなしてくれる。
感謝してもしきれないのだが、それを素直に伝えられないのが閻魔の悪いところだ。どうせいっても照れ隠しで「そう思うなら、ちゃんとしてくださいよ」と返すに決まってる。それもまた可愛くて良いのだが、少々Sを混じり得た閻魔には、物足りない。
だから今回の励まし方も過激になってしまったのだが、後悔はしてないのだ。
締め切った室内は仄かに薄暗かった。外が暗いからでもあるが、空気そのものが閻魔の緊張を伴って厚くなったかのよう。
閻魔は気にも留めず、無言のまま仙台箪笥の上段を引いた。霊力を秘めた呪具や宝具の奥に、お目当てのモノを見つけ、手を伸ばして探り当てた。
顔ひとつ分もある円形の平らな式盤。白黒の木面に円を描くように書かれた漢文字は、ひとつひとつが強力な言霊を持っている。漢文字の中心には陰陽を表す太極図の紋が描かれていて、その淵を閻魔は無感動な表情でなぞった。
彼が手にしたこの盤は、占術などで扱われる用具で、“天地盤”と称す。
閻魔はなぞった指先を擦ると、眉を顰めた。
長くしまわれていた他の道具は埃を被っていたにも関わらず、天地盤だけなぜか誰かが触れた残滓がある。その霊力の主を瞬時に感じ取った閻魔は、肩を落として軽く微笑し、天地盤を手にしながら、文机の前に腰を下ろした。
「盤に宿られた十二の地支、十の天干よ。今明暗の力を以て、閻魔羅闍の命を聞き入れ賜え——」
閻魔の瞳に妖しい光が灯り始める。
ふたつの盤が組み合わさった天地盤をそれぞれ逆に回し、漢文字が流れ動く様を見詰める。
「我が地に降り荒ぶ災厄の理を、その言霊を駆使て応えよ」
ふわりと穏やかな神気が湧き上がった。閻魔が息を呑みながら手を離すと、盤は無人のままカタカタと音を立てて回り続ける。
やがて、ぴたりと止まった時には、彼の額は冷や汗でぐっしょり濡れていた。
溜まっていた息を吐き出し、額を拭う。式占でこんなにも緊張したのは久々だ。
それに、何十年ぶりだったので、真言(呪文と同じ)が合っていたかどうかも定かではない。
示した文字は、“寅辛”。
寅は『始動』を意味し、辛の字は『新』へと通じる。
つまりは——
「『新しい何かが動き始めた』って事?」
占術は非常に便利だが、全てを教えてくれる訳ではない。必要最低限の言霊を示し、それを各自の思考で繋ぎ合わせて解釈しなければならない。
それに、もうひとつ。
『実態』を表した部分には丁度“未”が当たっている。未の意は『暗い』や『滋味』。この場合は前者の『暗い』と詠み、意味は本来の他、黒……つまり闇や悪を表す。
「——まぁた、面倒になっちゃったなぁ」
閻魔が腕を組ながら嘆息すると、背後から人ならぬ気配が湧き立ち始めた。しかし、気配はあるものの、姿は映らない。 当たり前だ。普段彼等は、空気に溶けるが如く隠形しているのだから。 姿を隠した者が、顔を曇らせる閻魔に囁きかける。
『しかし閻魔羅闍よ』
「その呼び方、嫌い」
唯ならぬ者相手にムスッと口を尖らせ、タメ口をきく閻魔。声の主は深く息をつき、「閻魔」と訂正した。
「なに?“黒獅”」
《六芒星が一人、“玄星”である主がそんな事言っては、世界が一層危うくなってしまうではないか。我等の立場も考えて発言してくれ》
低く、威厳を感じる声音。一拍置いて、黒く巨大な影が現れた。
身体を覆う体毛は堅く、漆黒の色。屈強な四肢の先に太刀のような爪を備え、頭部には二本の長い角が突き出ている。獣牙や緋珠を繋げた首輪をかけており、瞳は深い濃色。その状は異国の荒地を駆ける獅子(ライオン)のよう。閻魔に憑く霊獣、名を、“黒獅《コクシ》”。
滅多に姿を見せない彼は、しかし常に閻魔のごく近くに控えている。
閻魔のすぐ傍に座り、黒獅はあまり抑揚の無い口調で進言した。
『……我等“守護霊獣”は、世を秩序に沿わすために在る。混沌が迫り来ろうあらば、それを砕破しなければならない。霊獣をもつ者として、主も働かねばならぬのだぞ』
閻魔は軽く笑った。
「わかってるって。俺も神族の端くれだしな。悪を打ち倒すのは当然の仕事だ」
『主の口調には焦りが見えぬ』
「まぁね」
笑みを苦笑に変え、閻魔は黒獅の喉元を優しく掻いた。
「君も居ることだし。それに、運命は変わるんだから。……そう、運命は、ね」
自分に言い聞かせるように、彼は唱えた。
それでも変えられない運命だってある。閻魔はその事実を誰よりも理解していた。わかっていても、やはり願いたい。徐々に迫る悲劇から、逃れたいと。
『簡単には成し得ないぞ。六芒星が揃わぬ限り、分岐することは無い』
「もう、何でそうお堅いのかなぁ。今は平和なんだしさ、気楽にいこうよ」
黒獅の眼光が鈍く光る。
『……そうとは限らん』
「えっ?」
黒獅が薄く笑いながら姿を消すのと、部屋の扉が開くのは、ほぼ同時だった。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.77 )
- 日時: 2010/02/28 20:25
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
現在仕事中。
京一郎に表へ出て来ぬよう念を入れ、天国組二人は今日の裁判を行っていた。
やはり、日に日に死者の数が減りつつある。そう感じ始めたのは京一郎が現れる少し前からのことだ。普段なら一日中裁判を行っても裁ききれないほど溢れかえっていた死者達が、ここ数日間に異常な程まで減少していき、今日この日をもっては、ついに十何人かとなってしまった。
冥界は人界より広く、その大きさは、ざっと見て人界の倍といえよう。
日本には日本の政府があるように、冥界にも異国同士で違う冥府がある。自分はまだ秘書になって日が浅く(といっても百年は越しているが)、全ての知識を溜め込んでる訳でもないので、上司の戯言も知識として溜め込んでいる。随分前、閻魔から、他にも死者の裁判を行う者達が居ることを聴かされた時があった。
我が国日本も、冥府は全十カ所に別れているそうだ。ここ、閻魔の担当する地は『冥府第五裁判所』といい、その名の通り五番目に裁く場である。
死者達は死後七日間は自由に漂い、後日から裁判を受ける身となる。閻魔堂へは大体、三十五日後に着く予定だ。
自由の許へ死亡届が来るのもその期間。
(太子が死んでからまだ三十五日経っていなかったら、当然自分の書類の中に混じっていない)
閻魔帳を捲りながらふと思いつく。そうだ、それがあったんだ。結果、尚更不安になる鬼男。
「あの、大王」
死者を天国へ送り届け、丁度間の空いた時に声をかけた。束の間の休みを堪能しながら腕を伸ばしていた閻魔は、ふっと眼を合わせた。
「何? 鬼男君」
「三十五日までの間、死者は他の冥官達の許で裁判を受けるんですよね」
「そうだよぉ」
「では、ここの前は誰が行っているのですか?」
それさえわかれば、恐れ多きながらも、その方に太子の行方を伺うことが出来る。
閻魔はすぱりと返した。
「五官王さんだよ。あの頭が堅くて生真面目な——」
あぁ、と鬼男は唸って額を抑えた。あの方はどうも苦手だ。京一郎よりも近寄り難いオーラを発しているし、閻魔と同意見の短所もある。え、自分も生真面目だって? それは良い意味でだ。
さて困った、と、裁判を進行する閻魔を横に、鬼男は書類を読み上げながら思った。
何としてでも調べたい。自分の生真面目な性格の為、そして閻魔の安息と妹子の犯罪疑惑の為に。
しかし無理な行動は禁物だ。自らの立場をわきまえぬほど、鬼男は馬鹿ではない。自分は閻魔大王の唯の秘書であって、決して探偵ではないのだ。
十王がその気になれば、自分など一瞬で消し炭にされてしまう。
この手の事は、それ専門のプロ、謂わばスパイに頼むべきだ。
「はい、次の方——」
だがスパイ業を営む人なんて、知るはずも無い。ましてや場所は冥界だし、相手は冷淡な五官王様。無論、徒者ではこなしっこない。
さて、どうしたものか。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.78 )
- 日時: 2010/02/28 20:35
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
キョウ!お帰り〜♪
私もここで書いてるよ。今は【ルーク青年と赤影の亡霊】の小説を完結させて、第2弾となった【ルーク青年と呪われた幽霊屋敷】を書いてるぜ♪
まあ、本当に大変だったんだよ!【ルーク青年と赤影の亡霊】はね・・・第20章でやっと完結した(苦笑)
でも、キョウのレイトン小説・・・読みたいね。まあ、この小説も応援するから・・・更新頑張ってね!!
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.79 )
- 日時: 2010/03/04 19:53
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
レッド先輩ぃ〜お久しぶりです♪
はい、ただいまです^^ 偶にしか帰って来れませんが時間を見つけ次第来ようかと思っております。
完結おめでとうございます! レッド先輩は根性がありますねぇ。——それに比べ私は…(一年もやってて未だ完結0www
最近レイトンから離れてきてまして;(禁句!
ですから少し違うものをと、他のを進めております。
ありがとうございます! 先輩も頑張って下さいね^^
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.80 )
- 日時: 2010/03/04 19:54
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
「前科五犯。悪人だね、うん。鬼男君、お願い」
閻魔が抑揚に欠ける声で手元の書を読み上げ、鬼男へと視線を移す。いつものことながら鬼男も感情を面へは出さず、死者の前を歩いて地獄へ通す。
そういえば何年か前に、前科十犯をもった男が来たな、と不意に思い当たった。ある理由から二人を押しのけて天国へ侵入し、騒ぎを起こしたあの男。
(無駄に強かったんだよなぁ、あの人。殴り飛ばされちゃったし)
しかし意外も意外。彼の天国へ侵入した理由は、案外優しい一面もあるという事実を発覚させたりもした。
(グリーンジャイアント見て泡吹いてたしな)
だけど、強かった。首を絞められたり、数発鉄拳を入れられた。実は引きずってるなんて、口が裂けてもいえない。
(自分が身体を鍛え始めたのもあの頃——)
瞬間、鬼男の脳裏に電気ショックが流れた。
「——そうだ!!」
「えっ、ちょ、どうしたの、鬼男君」
肩をビクつかせた閻魔などお構い無し。否、もはや視界に入らなかった。
そうだよ。何で今まで気づかなかったんだろう。こんな簡単で、しかも“自分は”苦労しない方法は他に無い。あぁ、僕って天才。
後は、どうやってそれを実行するかだ。閻魔の視界に触れる訳にもいかないから、やはり行くのは夜の方が良いだろうか。
(良くやったぞ鬼男。賢いぞ鬼男。天才的だぞ鬼男!)
心の中でもうひとりの自分が褒め称えるのを感じながら、鬼男は尚も無表情のまま裁判の手伝いを続けた。
——秘書の禁止事項に反するが、今は緊急事態なのだ。
はたまた、もうひとりの鬼男が嘆息する気がしたが、やはり歓声の雄叫びに掻き消されてしまった。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.81 )
- 日時: 2010/03/04 19:57
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
サンキュー、キョウ!(笑
ハァハァ・・・こんなに長く描くとは思わなかった・・・(汗)
さすがに更新するのキツいぜ(汗)
これからも頑張らなくては♪
キョウも頑張れ!!
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.82 )
- 日時: 2010/03/04 20:17
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
ありがとうございます♪
いやぁ…一気に長文を書くのは体力を使います;(こちらには体力など皆無ですがwwww)
まぁ、前に更新したものを再うpしているだけですが^^;
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.83 )
- 日時: 2010/03/04 20:20
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
・・・ああ。確かに長文を書くのは疲れる・・・でも、ストーリーを書くだけでもやりがいがあるぜ♪
あはは・・・あっ!思い出したんだけど・・・シャルロッテとかいう子のリレー小説に参加してみる?
【青年ルークと新たなる冒険】のリレー小説だけど・・・私は最初から参加してるよ♪
せっかくだから、キョウも参加してみたら・・・どうかな?(笑)
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.84 )
- 日時: 2010/03/04 20:22
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
折角のお誘いなのですが、やはりあまり来れないので遠慮しておきます^^;
皆様に迷惑をかけてしまうといけませんから……。
- 其之十 *1 ( No.85 )
- 日時: 2010/03/06 14:04
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
【其ノ十 其れは“光”】
あの人が行方知らずになるのはいつものこと。
雲のように掴み所が無くて、ふらふらといろんな部屋に閉じ籠もっては転々とし、自分をいつも困らせる。それでも、彼特有の穏やかな笑顔が傍から離れたと知った途端に沸き起こった、この感情は何なのだろう。心の底から苦手なのに、怪しんでいるのに、急に物悲しく感じる。
だから、叫び続けた。彼の名を。間違いようのない、男の名を。
「京さん! 京さぁーん!!」
いつかと同じように、戸を開けては見回し、勢い良く閉じては次の部屋へ移る動作を繰り返す。以前と違うのは、不可解な焦燥感が満たしているだけだ。
今日の分の裁きを終え、いざこの作戦を京一郎に相談しようと部屋に行ってみれば、毎回のように彼の姿は無かった。成り行きで書簡庫にも立ち寄ったが、やはりハズレ。
その瞬間だ。自分でも思わぬうちに走り出し、閻魔に行方不明を知らせていた。
ひと通り探し回った鬼男は、肩で息をつきながら仕事場へと引き返した。
「鬼男君!」
そこへ、丁度居合わせていた閻魔が駆け寄って来る。
「そっちはどうだった? 紅は——」
「見ればわかるでしょう! 無駄口を叩かないでください!」
苛立ちを隠さず、容赦なく言い飛ばす鬼男を前に、閻魔は別の意味で眼を細めた。
鬼男はその職故か、閻魔やあの六人以外の人にはなかなか心を開かない。冷徹な獄卒鬼として名の通るその彼が、つい先日まで他人扱いだった京一郎をこんなにまで心配している。
「僕は地獄を見に行って来ます。大王はここで待っててください」
ならば、彼を全力で支援するのが、良き上司の役目ではないか。
「ちょい待ち鬼男君。俺も行くよ」
「待っててください」
「何で!」
「あんたに人捜しが務まる訳ないでしょうが!」
ズギャァァァン!!
刹那、閻魔の脳裏に落雷が降り落ちたが、そんな事を知る由もない鬼男はサッと踵を返し、颯爽と地獄門へ駆けて行った。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.86 )
- 日時: 2010/03/21 19:57
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
地獄とは、文字通り地の底に広がる監獄である。
おぞましい悲鳴と怒声が絶えず鳴り響き、吐き気を催す異臭が常に漂う。地獄……なんと似合いな名前だろうか。
鬼男はこの地に足を踏み入れると、決まって胸が押し潰されるような感覚に襲われる。自分の、人間にも酷似した感情が、地獄の空気に触れて狂ったように疼くのだ。だから彼は、地獄という亡者を戒める暗黒の世界が大の苦手なのだ。
鬼本来の力でなんとか理性を保ててるものの、この力を手放せば一瞬にして呑まれてしまうだろう。
肌が粟立ち、冷や汗が噴き出すのを感じながら、鬼男は、早まる鼓動を抑えるように胸元を掴んで足早に歩を進めていた。
何百という視線が突き刺さる。敢えて確認しないが、きっと想わぬ来客に亡者達が攻めぎ合って手を伸ばしているのだろう。
光なきこの常闇では、命ある者は金色に輝くという。亡者達は本能的にその光へ触れようと集まるのだ。
あらかじめ闘気に身を包み、これ以上近寄らせまいと威嚇する。
自分は、閻魔や京一郎と違って、超人的な霊力など持ち合わせていない。故に、術は基本の式占などしか扱えないし、身を守る術は体術しか無い。しかしその代わりといっては難だが、数分だけ鬼の本領を発揮出来るのだ。それでも、短時間といえど力を使うのは非常に疲れるし、体力の消耗も激しい。
“銀鬼”として活動する時は、緊急時と決めることにしてある。まぁ、普段でも気持ちが高ぶると変化するそうだけど。
今この状況下で転じると、その霊気を求めて倍以上もの亡者が群がってしまう。
条件反射でちらりと見向いた鬼男と、亡者の視線が混じり合った。
もはや動く死体と化した亡者達。肌は腐り爛れ、眼窩は窪み、空虚なそこには眼球が無い。闇よりも深い黒が穴を支配しているだけ。ぶわりと、白く丸々した物体が眼窩から零れ落ちた。
込み上げて来る苦いものを飲み下し、鬼男は再び行く先を見据えながら肩を抱いた。
こんなところに長居しては、自分までもあの連中の仲間入りを果たしてしまうかもしれない。早く京一郎を探し出さなければ。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.87 )
- 日時: 2010/03/21 20:08
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
おお、更新してる!(笑)
久しぶりだね、キョウ!元気だった?
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.88 )
- 日時: 2010/03/21 23:01
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
おぉ! お久しゅうございます、レッド先輩!
私ですか? あぁぁ……なんとか;
最近不幸続きでちょいと鬱になってきてましたが^^;
先輩はどうですか? どうもカキコにはこれなくて……。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.89 )
- 日時: 2010/03/22 22:42
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
ホントに久しぶりだね、キョウ♪
おいおい、こんなことで鬱になるなよ・・・(苦笑)
私は毎晩、カキコに来てるよ♪
相変わらず小説を書き続けてるよ!(笑)
【ルーク青年と呪われた幽霊屋敷】の小説は何とか第26章まで進んだよ(苦笑)
カキコは楽しいよー♪
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.90 )
- 日時: 2010/03/24 14:25
- 名前: 黒雲 (ID: bTobmB5Q)
初めましてキョウさん。日和大好きの黒雲と申します。腐っても女の子です!
キョウさんの作品を見て驚きました〜!題名が同じようなものになってしまって…。(結してパクッたわけではありません!)すみません。実は随分と前から練り上げてきた作品で…。(途中までですけどね…)頑張っていこうと思っています!
キョウさんの作品、楽しく読ませていただきました!
これからもがんばってくださいね!
私の作品にも足を運んでくださるとうれしいです…。キョウさん、小説書くのがお上手なので…。どヘタな私にアドバイスをくれるとありがたいです…。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.91 )
- 日時: 2010/03/24 14:34
- 名前: 明蕉 (ID: bTobmB5Q)
こんにちは〜!初めまして…じゃないよ〜(笑)名前だけで分かってくれたかな〜?分かってくれたら凄く嬉しいなぁ〜(笑)
ノベルの方よりも進むの遅いんだね〜!更新されるの待ってるよ〜!飛鳥組と細道組が出てくるのも待ってるよ〜!それじゃあ頑張れ!
通称「あかりn」よりwww
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.92 )
- 日時: 2010/03/24 16:55
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
雨に濡れたジャージから変な臭いがする……。
敢えて例えるなら濡れた雑種犬の臭い……?・・;
ども、最近腹痛に悩まされているキョウですwww
桜日和ですね〜♪ 私の地域ではまだ咲きそうにありませんが、関西辺りならそろそろじゃありませんか?
いいですねぇ、京都。実家がそこなんですが最近はぱったりと行けず…(溜息)
今度は母に頼みこんででも連れて行ってもらいましょうかね。——奈良www
そんで法隆寺やら大阪の西方寺閻魔堂でも拝みに……♪
やはり現地に赴いた方が創作意欲も出るというやつですよ。うん。www
さてさて、久々のコメ返しに移りますよ。
毎度毎度少々返信が遅れてしまっていますが、コメを送って下さった瞬間にキョウは気付いておりますよ!
アンテナといいますか、レーダーといいますか(ゲゲゲの奴ですよwww)それで感じ取ってるんです!
レッド先輩(初めて会ったのって何時でしたっけ…?)
そりゃ鬱になりますよぉ。リアルに追われ、テストに追われ、次いで眠気に襲われてw
私は毎晩ノベryに行ってますよ☆
まぁいつまでたっても進めずじまいなのですが;
あぁ、誰かおらに才能を分けてくれぇぇぇえッ(泣
相変わらず順調そうでなによりです;
陰ながら応援しておりますよ、先輩^^
黒雲様
お初にお目に掛ります。馬鹿と書いてキョウと読みますwww
黒雲様も日和を嗜われるのですか!?驚きと嬉しさで一杯にございます!何分日和を知ってる方事態少ないものですから……;
私も腐女子ですよぉ〜w
もうすでに自称してる域に達しておりますから^^
いえいえ、疑ってるなんてとんでもない。寧ろ大いに喜んでおりますよ♪
「光明」と「月光」でしょう?まるで対になってるようではありませんか☆こんな駄作と対極になるのなら、黒雲様の方はきっと良い作品になるでしょうね……(遠目
陰ながら応援してますよ♪(実は当初からこっそり覗いておりました;あしからず。
はい、頑張って下さい^^そして私を超えてくだ(ry
少し遅くなるやもしれませんが、必ずお邪魔させていただきますね♪
その時はどうぞ宜しくお願いします^^ノシ
明蕉s
こちらも一発でわかったよwww
ウチも今度からそういう系の名前にしようかな…いやいや、もうハンネは変えないって決めたからな。
まぁね。本格的活動は全部あっちだから。ケータイから来れないってのもあるし……;
飛鳥&細道出てもほぼシリアスだからなぁ…。どーゆーふうになっても知らんよ!? (例え敵側になろうとも(ry
あ・り・が・とゥおーーーー!!!
君の言葉がなにより嬉しいよッ♪
そっちも頑張ってね><ノシ
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.93 )
- 日時: 2010/03/24 17:46
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
暗闇に慣れた視界には、果てしなく続く荒野が在る。そこに這いずるように蠢き、泣き叫ぶ亡者達が、異様にはっきりと見い出せた。
直感で地獄に居るだろうと判断して今に至る訳だが、さて、この勘が当たっているのだろうか。
(もし本当に居たりでもしたら、それこそ大事だ)
事情が無い限り主である閻魔でさえ立ち入ることを許されないふたつの空間。それが天国と地獄という異界なのだが、この空間へ通じる扉はたったひとつしか存在しなく、おまけに厳重な警備体制の下(いつかの不祥事が繰り返しされぬよう)、鬼男達の眼の届く範囲にある。ふたりの監視を掻い潜り、しかも(多少)緊迫した仕事中のさなか、潜り込むなど到底不可能。
第一、京一郎のような甚大な霊力の持ち主は悪鬼や妖怪の類に狙われやすい。こんな負の念に犯された亡者の前に出てしまえば、それこそ目の色を変えて(眼球無いけど)襲いかかるだろう。
本能だけで動く彼等の事だ、何をしてもおかしくない。
京さん、と呟き、鬼男は悴んだ手を口元に近づける。
吐く息が白い。地の底には太陽の温もりが届かない。亡者達は、六道が終わるまで、二度と天を拝むこと叶わないのだ。
ふと思い立ち、上空を仰ぎ見る。けれど、映るのは冥界よりも不穏な黒雲の塊が覆った、空とも呼び難い空間。
視線を前方に戻しつつ、彼は瞳を軽く瞑った。
自分も今、亡者達には太陽のように輝いて見えているのだろうか。街灯に羽虫が群がるように、彼等もまた光を求めているのだろうか。しかし、ある電灯は羽虫が留まった途端、まるで獲物を待ち構えていた猛獣の如く牙を剥き、一瞬にして羽虫を哀れな骸と化してしまう。だが他の羽虫は目の前で起きた惨劇を物ともせず、再び繰り返す。
異国の神話にもあった。太陽に憧れ、太陽を目指し、太陽へ近づいた男は、瞬く間に焼け死んだ。全ての頂点にある強大な光は、決して触れてはいけないものだったのだ。
(それでも、絶えず欲するのが人間だ)
それが、人間の性。
遠の昔に自我を失い、魂を拘束されても尚、その欲求は止まる事を知らない。
「…………」
人間を虐げる反面、親しい仲にあるのだから、彼としては奇妙な心境だ。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.94 )
- 日時: 2010/03/25 22:08
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
確かに言われてみれば、そんな感じがする・・・(納得)
・・・できることなら、あんたにも才能を分けてやりたいよ(笑)
あんた、ホントに何してたんだ!眠気に襲われるだの、テストに追われるだの、いろいろあって大変そうなのは分かったけどさ・・・あまり無理すんなよ(溜息)
まあ、キョウとは1年前、レイトン掲示板で知り合ってから仲良くなったもんね(笑)
これからもよろしくね♪
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.95 )
- 日時: 2010/03/28 19:15
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
ひたすら歩き進める鬼男は、しかし視界の端に鋭利な何かを捉え、反射的に飛び退いた。
「な、何だ……?」
避けきれず、頬を掠めてしまった。そこから焼けるような痛みが生じ、鬼男は表情を歪める。
鋭利なそれは、亡者の手先だった。闘気にも屈せず光を掠め捕ろうとした死者の、凶器じみた一撃。亡者の手先から傷を伝って、鬼男の全身に死気が廻りだす。
亡者を見据えると、痺れ始めた四肢に力を入れ、鬼男は地を蹴った。高く高く跳躍しながら爪を伸ばし、極力闘気を控えながら戦闘の思考に切り替える。
「砕破ッ!」
一気に降下し、攻撃手だった亡者の脳天らしき部分に蹴りを入れた。ぐしゃりと堅い何かが砕ける音と呻き声と共に、亡者が倒れ込む。砕けた感触をその手に残し、シュタッと体制を立て直す鬼男。
しかし、死が訪れたその瞬間から、死者には痛覚など存在しない。
仰向けに倒れた亡者だったが、暫し間を置き、何事も無かったかのように上体を起こした。それに続き、次々と闘気の合わせ目をかい潜っては、外の亡者達も鬼男を掴もうと手を伸ばして来る。
自分の結界が解かれていく様を唖然と眺めやり、鬼男は尚も一撃を食らわせ続ける。しかし、全く力が入らない。まるで常闇の妖気に精気が吸い取られていくようだ。
「くそッ、これじゃあ埒があかない!」
歯噛みをしながら吐き捨て、今度は逃れる為に跳躍した。少し離れた位置に着地した鬼男は、しかし既に後ろから魔の手が迫っている事に眼を細め、無理やり足を突き動かした。
「ちょっ、来るなぁぁぁあ!——あぁッ」
時折躓き倒れそうになりつつ、懸命に走る。可哀想な鬼男。
斯くして、常闇の一方的な追いかけっこは、不本意ながらも幕を開けてしまったのだ。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.96 )
- 日時: 2010/03/28 20:08
- 名前: レッド ◆mAzj/Mydf. (ID: ZxuEMv7U)
こんばんは!おっ、更新したね〜お疲れさん♪
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.97 )
- 日時: 2010/03/28 20:28
- 名前: ダークシャドウ ◆xr/5N93ZIY (ID: YDf5ZSPn)
ん〜久しぶり。シャリンや元ピク。
最近シリアス・ダークに入りすぎててさ。うん。
意味が分かると怖い話って言う小説書いてたら
以外にも人気があって(俺が言うのもなんだが)
忙しくて最新の日々を送ってました。(`・ω・)
鬼男、鬼ごっこ頑張れ!(鬼だけに)
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.98 )
- 日時: 2010/04/06 16:30
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
レッド先輩
長文は疲れます;
更新の量が少ないと自分で見ていて嫌になるし、
まぁつまりは自己満ですからねwww
この疲れも良い意味の疲労ですよwwww
ダークシャドウ様
お久しぶりでぇす^^ノシ
お名前よく変えてらっしゃるのですね。羨ましいでございます…w
シリアスですかぁ…最近行ってませんね。後で時間が開き次第伺わせていただきます。
節分の日に逆の文句を唱えていたのは秘密ですwww
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.99 )
- 日時: 2010/04/06 16:32
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
広大な荒野、地獄。それは悪しき人間達の成れの果てが集う空間。呻き、悲鳴、怒声、絶えず反響する声。
ウゥーウゥーウゥー——……。
しかし、その場に不釣り合いなサイレンの音が鳴り、次いでどこからともなく冷徹な声音のアナウンスが。
——地獄鬼ごっこ、始まりました。
全国のオニオンさんは、元気いっぱい、
……亡者から逃げてください
--------------------------------------------------------------------------------
「誰がオニオンだぁぁぁぁあ!! ってか今の大王の声だろ。何やってんだあの馬アンド鹿野郎は! こんなことやってる暇っとぉッ!」
今まさに迫っていた亡者の魔手を交わし、鬼男は有らぬ方へ罵声を飛ばす。無論、この場に例の馬アンド鹿が居るわけではない。少しばかり歯噛みし、悪臭を纏った腕を払い退ける。尽きることなく湧き出てくる亡者達。ハーメルンの笛吹き男の如く、鬼男目がけてどんどん集い続ける。
既に死した彼等に体力が存在しないに代わり、一方の鬼男は人間以上の運動神経を持ち合わせているものの、やはり疲労は襲ってくるようで。身軽だった動作は鉛を背負ったように重くなり、足取りはずるずると引きずるような状態。それに先ほど廻った死気の毒が拍車をかけ、刻一刻と迫る昏倒に冷や汗を流すのであった。
「そういえば何でこんなところに居るんだっけ……? ……そうだ、京さんを捜すんだった。あぁ、どうして僕ばっかりいつも苦労を——」
などなど等を嘆きつつ、本来の目的を再確認し、またも攻撃を交わす。だが、その動きはよもや限界の手前。ふらりと身体を傾けるだけで偶然交わしているようにも見える。
(苦労人って——辛い)
改めて実感させられてしまった現実に落胆した、その時だった。
「…………?」
思わず歩調を緩め、辺りに目を凝らす。
声が、聴こえたのだ。亡者達の発する狂おしい絶叫ではなく、凛とした……そう、あの人の——。
「あれは——?」
遥か遠くに、光が見える。濃厚な闇の中心で煌々と輝く、太陽のような光。ふと、自分の周りに纏わりついていた亡者たちが標準を変え、その光を一直線に目指し始めていたことに気づく。
「命ある者は金色に……」
脳裏を掠めた言葉をそのまま声に発し、鬼男は弾かれたように走りだした。
「——……」
近づくに連れて声が意味を成して聴こえてくる。亡者の密度もそれに伴い多くなりつつあり、横行く鬼男には目もくれず、力無き者は這い、有る者は千鳥足になりながら無我夢中で光を追う。
その光景はまるで、必死に肉親を求める赤子のようで。
「なっ……!」
光の中心に鎮座する光源を見通したその時、鬼男は息を呑んで立ち止った。
冥夜に浮かぶ兆し。
緋を対し、蒼と成す。
ひとり咲く白百合の如く、
遙けき時より混じりて。
清らかな泡沫よ、
求めし者は過去の地に。
綿雪に残る轍は、
無明の光に闇夜の裁き——。
唄が、響く。仄白い光に包まれて。蛍のように飛び交う人魂に片手を差し伸べて遊び、見やる瞳は、夕暮れを映す水面のそれ。語り手を中心にして、亡者達は輪を作り、呆然と傍観している。
平地の中に唯一穿かれた窪地に、地獄全ての亡者が集っているようにも思えた。それなのに漂う空気は清冽。光が照らす空間だけ、澄んだ空気が覆っているのだ。
同じく茫然と眺めやっていた鬼男は、しかし気を確かにすると、慎重に窪地を囲む傾斜を下り滑って行った。
亡者の動き全てが硬直している。まるで、この世のものではないモノを目の当たりにしたような表情(と言っても元から無表情だが、気配で)を浮かべ、空虚な『眼』で京一郎を一心に凝視しているのだ。
「荒ぶる心に鎮魂を。散りゆく華は——」
言い差し、ふと向いた視線が褐色の影を捉えた。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.100 )
- 日時: 2010/04/06 16:50
- 名前: 秋桜 ◆rhFJh.Bm02 (ID: bTobmB5Q)
でたッ!地獄鬼ごっこッ!カキコではここまで進んだんだね☆初コメかな?(私が)オニオンwww良いね☆キョウみたいに文才がほしい……。私なんて文章がまとまらなくてアップアップしてるのに……。尊敬するよッ!私の方はまだかかりそうだけど、キョウも頑張ってね☆私も頑張るからッ!んじゃあね♪
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.101 )
- 日時: 2010/04/06 19:05
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
秋桜……それもしかしてお気に入り?^^;
のべryの方が進んでるんだけど、なかなか来れないからね、ここは。
ぶ、文才!?何をいうか秋桜!そんな凄いものなんてこれっぽっちもないからな!!っというか文才って何?おいしいの?wwww
文章が纏まらないのは誰しもあるよ。
ウチだって一回紙に書いてから構想ねってるからさ。
まぁ普通はそこまでしないだろうけど…;
そ、尊敬するならいい人が他にもいっぱい居るだろうに(汗)
ありがとう、君のようなコメが私の生きる糧だ♪
尊敬するよッ!私の方はまだかかりそうだけど、キョウも頑張ってね☆私も頑張るからッ!んじゃあね
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.102 )
- 日時: 2010/04/06 19:12
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
「鬼……オンさん?」
「誰がオニオンだ! 言い直すなッ」
やっとのことで亡者の群れから這い出た鬼男は、例の如く憤然と言い返す。そして亡者と京一郎の間に築かれた間に仁王立ち、金眼を眇めた。
彼が、京一郎が発行しているのだ。自分の眼からしても神々しく眩しいその姿は、まさに菩薩のよう。それはきっと、京一郎自身が持ち得ている甚大な霊力故の現象であろう。なるほど、あれほど心配していた自分が恥ずかしい。ぱっと見、京一郎はどこにも外傷はない。寧ろ亡者達と戯れていたように思えるのは、勝手な想像じゃないのかもしれない。
内心で安堵し、煌々と輝く京一郎を見咎める。
「……っというか、こんなところで何してるんですか! まったく。大王がどれほど心配していたことか」
あれ、それは君なんじゃないの? などという禁句な軽口を呑み、京一郎は肩を竦めて見せた。
「ご心配をお掛けしてしまったようですね、本当に。申しわけありませんでした。しかし……」
京一郎は徐に上空を仰ぎ見ると、かろうじて聞き取れる声音で呟いた。
「『声』が、聞こえたのです」
声? と胡散臭さそうに小首を傾げる鬼男にそっと首肯し、辺りを見回す。自身を見つめ返して来る亡者達の視線が、痛々しく感じられた。
「声と呼ぶにはあまりにも微弱な、細い声でした……」
仕事場とは逆の方向にある自室で、彼はいつも通り自由気ままに寛いでいたらしい。
ここで余談だが、京一郎の近眼は時折一時的に治ることがあるという。しかし普段は筋金入りのド近眼で、鬼男も幾度か壁や柱に激突しているのを見かけたことがある。ある時は巨大なたんこぶをこしらえ、またある時は鼻血を垂れ流すほど勢い良くぶつかっていた。その度に思うのだ。この人、絶対メガネが無いと生きていけないな、と。しかしそれをわざわざ閻魔に提案するほど、鬼男はお人好しではない。自称・他称『辛辣秘書』の肩書きがある意味誇りであったからだ。閻魔も京一郎の近眼に気づいているだろう。だが、敢えてこちら側から言い出さないのが腹黒いところだ。更に黒いのはその事故を微笑ましく眺める二人である。いっそ天国組を改名し、『天獄組』と称したらどうだろうか。まぁ、日に日に増えていく壁の陥没さえ眼を背けられればの話しだが。
さてさて、そんな近眼にも関わらず、京一郎は今日も薄暗い一室で読書に没頭していたそうだ。そんな時だ、例の『声』が聞こえてきたのは。
「何といえば良いでしょうか。助けを……救済を求めているような、そんな声。ずっと遠いどこかから反響して来るような。それに暫し聞き入っていましたら、いつの間にかこの地に居たのです。——というより、ここは一体どこなのです?」
「はぁ……。仏でいう根の国、と称せばわかりますか?」
「あぁ、やはりそうでしたか」
「あぁやはりって……」
思わず鬼男は地の底の底に沈みそうになる。あのバカに負けず劣らずのお気楽ぶりだ。地獄と聞いて少しは絶句するかと思っていたが、それでも尚ほけほけと笑う京一郎を見、そして相も変わらず微動だにしない亡者を見やり、今日二度目の溜め息を吐く。
それにしても、と鬼男は気を凝らして辺りを探った。なぜこんなにも空気が清浄なのだろうか。普通、何百の亡者が一カ所に集う即ち、負の念がその場にだけ密集することになる。そうなると、徒者はおろか獄卒鬼でさえ危険地帯になってしまう。だから、獄卒の鬼は担当を分け、一単位で亡者を受け持っているのだ。
(そういえば、ここに来る途中合わなかったな)
もともと本来の役職が違ううえ滅多に訪れないのだから知り合いは居ないのだが、しかしいくら亡者に呑まれかけていたとはいえ、それらしき鬼を目の当たりにしていない気がする。これだけの騒ぎだ。ひとりくらい紛れていてもおかしくないのに。
気づいた時には既に回復していた傷跡を上から撫で、鬼男は眉間にしわを寄せた。
可笑しい。何かが狂い始めている。
「と、申しますと、彼等は地獄の者達ですか?」
「え、あぁ、そうですよ」
京一郎が座る岩に同じく腰を下ろしつつ、鬼男は当たり前のことのように答えた。そこで初めて彼の美面が氷つく。どこまでもマイペースなヤツだ。
「……まさか、気づかなかったなんて言わせませんよね」
「……気づきませんでした」
今度こそずぶずぶと沈下しそうになる鬼男。あぁ、妹子、僕は君の心情がやっと理解してきたよ。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.103 )
- 日時: 2010/04/07 18:15
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
有るはずもない眼球でじっと見据えられ、鬼男は背筋に冷気を吹き付けられたかのように凍りついた。そうだ、早くここを出なくては。京一郎は無事見つかったのだし、もうこんな居心地の悪い監獄なんてさっさと立ち退きたい。京一郎自身にも悪影響を与えかねないし、なにより先刻から湧き立つ不穏な焦燥感が気がかりだ。当人を発見したのに、完全に収まらない本能の警告。自分の能力は宛になる。
さぁ行きましょうか。と鬼男が促すように立ち上がるも、京一郎はもう少しといわんばかりに裾を掴んで制止させた。
「待ってください。まだ、済んでいないのです」
何を、と見咎めるが前に京一郎は悲願の眼差しを向けたまま言葉を紡ぐ。
「私にだってここに来た理由があるハズです。そう、あれを」
声の主を、助けなくては。
発した物言いに思わず眼を見張る鬼男。誰かもわからないし、ましてや空耳にしか聞こえなかったとさえ思われる言葉を信じろとでもいうのか。そう咎めると、京一郎は何の迷いもなく首肯してきた。眩しく輝く自らの光を受けてか、鬼男を見上げる瞳は今までにない感情が宿っている。
無理だ、なんていえるハズもない。こんな力強い目線を向けられてしまっては。甘い、甘いよ自分。
「仕方がありませんね……」
どうせ後でどやされるのは自分。閻魔は頑固京一郎ラブなのだ。京一郎という不破の武器を盾に、普段から積もらせている小言を浴びせかけてくるに違いない。
亡者達の様子からすると、暫くは問題なさそうだ。一定の間隔以上は近づいてくる素振りを見せないから、万が一襲ってきても京一郎の光に護られてる空間なら死気の影響を受けないで済みそうである。
用が済んだらすぐ帰りますよ、とさも当たり前の約束を交わし、二人は歩を進め始めた。
なぜか、京一郎には尚も謎の声が聞こえてるらしい。亡者の雑音の他には耳に入らない鬼男からしてみると、なんとも不明瞭に感じる。が、そこは攻撃しないでおこう。現に横を行く京一郎の表情は、滅多にお目にかかれない心境が丸見えなのだから。闇を見透かすように煌めく紅い瞳で、熱心に耳をそばたてながら目的を目指す。そして、その周りに野次馬の如く群がる亡者達。あぁ、鬱陶しい。その脆い頭蓋骨に一発入れたい衝動を抑えつつ、共に探し物を手伝う鬼男。
「京さーん、いつまで探し回れば気が済むんですかぁ? 早く閻魔庁に退却しましょうよぉ」
耳に指を突っ込みながら提案を投げかけた。しかし、彼は全く応じようと思っていないらしい。集中すると周りが見えなくなるタイプか、煩わしいな。
ねっとりとした瘴気は奥に進めば進むほど強くなっていく。もう地獄の中心まで到達してしまったのではないだろうか。
再度口を開きかけた、その時だった。
不意に、彼等を誘うかすかな呼声が、鼓膜を翳めた。
「……声?」
確かに、聴こえた。呼んでいる。抗いがたい声が。鬼男は固唾を呑んで横を見向いた。鬼男の堅い表情に、黙然と頷く京一郎。まるでその声に突き動かされるように、彼は歩を進め始めた。
後を追いつつ、鬼男は唐突に過った既視感の本、思考を巡らせる。
無機質な不協和音。それでいて妙に悪寒を含ませた音程。そうだ、これは——
「京さん!」
そうか、妖だ。なぜ今まで気付かなかったのだろう。第一こんな空間に異形以外の何がいるというのだ。地獄の瘴気は妖の力を増幅させるという。迷い込んだ“光”に魔手を忍ばせようと目論んでいるに違いない。引き留めようと慌てて駆け寄るのと、京一郎が弾かれたように走り出したのは、ほぼ同時であった。
風が、吹いた。
血の臭いを孕んだ、風が。
ふと意識を確かにすると、白い姿が消えていた。
「なっ、京さん!?」
ほんの一瞬で、何処かへと消え去ってしまった。残された気配の残滓を手繰り、鬼男は辺りを見回した。
いた。光が目立つ暗闇で良かったとつくづく思う。だが、その距離はざっと一間を超す。どれほど素早く移動しようとも、常人では成しえない早業。しかし鬼男は「そういえば、この人は“化け狐”だから」と動じる様子もなく、光の許へと向かった。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.104 )
- 日時: 2010/04/07 18:17
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
ひとり卓上に伏せる男の姿。そして風姿を眩ませながら脇に控える霊獣黒獅。ひんひんと嗚咽を漏らす主をたしなめようとはせず、ただ黙然とその様子を傍観する。彼等の言い争いに干渉しようとは端から思っていないが、やはり見ていて面白かったりするのだ。
冷酷無慈悲、血に濡れた暗き経歴を纏うかの閻魔大王が、こんなにも感情豊かになるなんて。それもこれも、いつも傍らに在る相棒のお蔭なのでろう。軽口に載せて幾度も述べてきた好意。それは発した彼自身しか知らない、重く根深い愛情が込められている。
黒獅はふと空中を仰ぎ見た。
“玄星”と“金星”。その双方は支え合うかのように輝いているのだが、その性は全くの別であり、決してまみえることのない。
はてさて、その命運を変えられるほどの力を、彼等は持っているのだろうか。
「そりゃあさ、一度は間違えたことあるけどさ、そんな冷たくいわなくてもさ」
ぐずる閻魔を脇目に、黒獅はそのまま気配を途絶えさせた。呼べばすぐさま参上するが、それ以外の時は遠い異界に控えているのである。
暫しの沈黙が降った。
今在るのは暗涙を流しながら落ち込む閻魔ただひとり。
鬼男が戻るまで、まだ時間がかかるだろう。生真面目な人だから、京一郎の憶測を未だ理解出来ずにいるのだろうな。大丈夫だよ鬼男君。恐らく京一郎は無能ではないからさ。
ふと、昔の風景を思い出し、閻魔は組んだ腕の中に沈ませていた顔を上げた。
大丈夫だよ、鬼男君。
そしてありがとう、鬼男君。
それはまだ数える程しか日数が経っていない時。常闇の最中、自分を探して差し出された掌。裂傷を刻みつつ、それでも向けられた表情。忘れやしない、久方ぶりの微笑。
暗雲を打ち払い、どうか永久に咲き続ける笑顔であってほしい。
握り返したその手を、彼は引っ張り上げてくれた。闇の底から、明るい日の許へ。
——まったく。どれだけ迷惑かければ気が済むんですか。
多分、あと十幾つかな。
そうであってほしい。いつまでも、オレの我がままを聞いておくれ。
「これも、我がままだよねぇ」
思わず浮かべた苦笑。しかしその顔が、一瞬にして崩れ落ちた。
茜色の瞳が険しさを帯びる。
何里も遠方から微かに響く足音。ひとつではない。何十、何百もの軍勢だ。
中空に構えた片手に光が迸った。それは一気に伸長すると、やがて鋭利な槍となる。
「ちょっとは良い暇つぶしになるかな。ねっ、黒獅」
見えない霊獣にそっと微笑み、しかし次の瞬間には残忍な形相へと打って変わる。
冷酷無慈悲、死者の世界の主、かの閻魔大王に。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.105 )
- 日時: 2010/04/07 18:18
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
妖の耳障りな呼声と京一郎の残滓に導かれたのは、見上げるほどの岩垣の真正面であった。いや、世間はこれを断崖絶壁と称すのか。兎にも角にも、京一郎はその絶壁の真下に転がる岩々の間にぴったりと収まった状態で屈み込んでいたのだ。宛も間隙に挟まったかのように見えなくもないが、どうもそうではないらしい。名を呼ぶと、ふっと顔だけをこちらに向けて、何の苦も無く立ち上がる。
「? 鬼男さん、息が上がってますよ」
気にして欲しくなかった点を刺激され、鬼男は思わず一瞬目を背ける。しかし話しが転回しなくなってしまう事態を避けるため、ここは敢えて答えずに言い逃れるという選択肢を選んだ。
「質問したいのはこちらですよ。一体何をしようとしているんですか。脱走しようだなんて考えない方が身のためですからね」
面前でシャキンと爪を伸長させると、京一郎は苦笑を浮かべながら肩を竦ませた。
「いえいえ、そんな物騒なことなど考えませんよ。もっとも、私の足について来れなければ、それも成就してしまうかもしれませんがね」
グサリ。最後の一言が、鬼男の心奥に深々と突き刺さる。普段から罵声を飛ばす辛辣人物がいう物言いと、柔和かつ温和な人が時折口にする悪罵は大いに桁が違う。それをしれっと言い放たれ、鬼男は精神的ダメージにより地に肘をつかせた。チクショー! と胸中で叫ぶ。
「実は、これなんですよ」
脇へ退いた京一郎のいた場所には、その後ろ姿によって隠されていた部分が露わになっていた。ふたつの岩と岩の間に築かれた岩陰に、微かにたじろぐ気配が垣間見える。気を取り直して近づき、それを覗き見た鬼男。しかし突然ばっと後方へ仰け反ると、声を荒げた。
「京さん、これ、妖じゃないですか!」
そう。岩陰の闇に溶け込んでいたそれは、小さいながらも、紛れもない妖であった。地獄の瘴気は、例え虚弱な雑鬼であろうとも、力を増幅させるという。すぐさま始末しようと構えると、何を思ったか、その前に両手を広げて立ち塞がる人影が在った。
「待ってください鬼男さん」
「なっ、気違いましたか! 早くそこを退いてください。それは滅さなければならないのですよ!?」
脅威となる前に、早く。
しかし一向に首を縦に振らない京一郎。それどころか、鬼男の発言を振り払うかのように頭を振る。
「違うんです。彼に悪意はありません。ただ、知らずに迷い込んでしまっただけ。無害の妖なら殺す必要はないのでしょう?」
「まぁ、そうですけど——」
京一郎はその言葉を認め、再び腰を屈める。それが意図的に岩陰を隠していることに気付き、顔を渋くする鬼男。なんとか隙間から覗こうと立ち位置を移動する。
「さぁ、こちらへお出でなさい。大丈夫、危害は加えませんよ。あちらの鬼さんと違いましてね」
それ僕のことですか、と問うも、やはり見向きもしない。別に答えを期待していたわけでもないので、鬼男はひとつ嘆息を漏らして事の成り行きを見守ることにした。
しかし、この妖には本当に悪意がないのだろうか。萎縮して身を小刻みに震わせる様なんてのはそれこそ子兎を思わせるが、そこはやはり人外異形生物。人を騙すなんてお手の物であろう。
ふと脇に視界を走らせると、野次馬の如くざわめく亡者達。お前らも同種の生き物なんだよな、うん。
白い姿がすっと立ち上がる。視線を元の標的に訂正し直した時、鬼男は京一郎の腕に抱かれた『モノ』に眼を眇めた。
「で、それをどうしろというのですか」
「帰すんですよ、野性に」
さも当然だと言わんばかりのご返答。
「ごもっともなお答えです。が、不可能ですよ、そんな芸当」
だって、妖に棲みかなんて存在しないのですからね。
鬼男の冷たい断言は京一郎を見事にノックアウトしたのだろう。落胆して俯く視線と、華奢な腕の中で縮こまる妖の瞳が重なった。何かを懇願するような眼差し。無言ではあるが、しかし必死に訴えかけてくるその意志に応えようとしたのだろうな。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.106 )
- 日時: 2010/04/07 19:46
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
——いいか、“鬼子”。
不意に、懐かしい言葉が脳内に響いた。
——コイツの存在は今や神に匹敵する。お主の上司以上にな。
そうだな、今になって同感だ。仮にも神族、しかも冥府の大王の霊力を凌いでしまったのだから。
そういえば、狼はこうも続けていたな。
——そしてその至高の神を、妖共は血眼になって捜し回ってるだろうよ。
これだけの霊力を備えてるのなら、それも当然だろう。だが、狼はなぜ彼を身を呈してまで匿っていたのだろうか。幾度も思案を巡らせてきたが、答えは未だ見えない。当人に訊かない限り、永久に謎のままであろう。
一体、狼と京一郎の間にはどんな関係性があるのだろうか。妖とは思い難い風貌の獣に、人の姿をしていても異形のような力量を発揮する紅き眼の美男。相似た霊気をその身に秘め、一体全体、なにを目論んでいるのだろう。
今の今でも、京一郎が自分の経緯を明かしたりしたような発言はほとんどない。いや、正確には全くだな。閻魔が幾度も問いかけているが、京一郎は頑と答えず、また、応えない。決まって顔を背け、話題を転回しようと必死に努める。しかし鬼男は見てしまったのだ。隠されたその表情を。苦渋に満ち満ち、ともすれば溢れかえりそうな感情によって絶叫してしまいそうな、見るも心を痛める辛苦な形相を。慄然を含んで揺れ動く紅い瞳には、どんな場景が浮かんでいたのだろうか。憶測ではあるが、きっと普通じゃないことがあったのだろう。悲劇にも酷似した、そう、あの時の自分よりも辛い目に。
急に同情を覚え、鬼男の顔が途端に沈む。
京さん。あなたには一体、何があったのです?
あんな瀕死の状態に陥るまで、一体何を超えてきたのです?
計り知れない苦痛を、人は胸に抱いて生きている。憎悪、嫉妬、憤怒、悲哀。その者以外は決して理解しえない暗点の過去。いや、知る必要すらないのだろう。
だが、と鬼男は改めて京一郎を黙視した。なにか、思案に暮れるような表情を浮かべ、妖の鱗に覆われた額を撫でている。あれは、下級の弱者を愛でる眼。憐みの眼だ。
ふたつの顔をもった人物、壬生京一郎。
暗黙の内にひっそりと隠された痛みは、時たま素を現すのだ。
突然、霊気が湧きあがった。
亡者達が清風に煽られて喚声を上げる。光輝が一斉に迸しり、岩房を強く照らしだした。はたと見向いた鬼男は、その光景に息を呑んだ。
抱かれた妖の身体から、白い粒子が立ち上っている。京一郎はまごついた様子のそれを深く抱きしめ、口の中でなにやら唱えていた。やがてその口元に、柔らかな憫笑が浮かぶ。
「調伏……!?」
唖然たる面持ちで呟く鬼男。
調伏、それは祈祷によって悪魔や恐敵を静め下すこと。京一郎は、この妖を鎮魂しようとしているのか。
「彼は、怖かったのでしょう。悪妖に落ちぶれてしまうその日が。善の道を選んだ妖にとって、外道に堕ちることは仲間への裏切りとなる。常に内道を歩む彼等ですが、地獄の瘴気はそれすらも呑み込み、やがて負の念に侵された暴君へと化してしまうのです」
鬼男の視線を認め、京一郎が神妙な顔つきで呟いた。
雑鬼から聞いたのだろうか。それに応じるように雑鬼の大きな瞳が光る。
「ですから彼は、私に助けを求めていたのです。しかし、それも遅かった。私が彼を見つけた時には、既に魂の半分以上が死気に取り込まれてしまっていました」
他に助かる方法がないのなら、いっそ調伏してくれ。
それは、「殺してくれ」と哀願しているのと同等。
瘴気に取り込まれた妖は、根の国に属する異形の魔物に変貌する。この心優しき雑鬼は、力を得ることを望んでいないのだ。だから、己を調伏してくれと。
鬼男の金色の瞳が、ほんの少し揺れた。切ない記憶を手繰り寄せて、胸の中に暖かくも悲しい何かが満ちる。
「京さん、あなたは……」
——キィィィン……!
鬼男が口を開きかけたその時、鋭利な耳鳴りが脳裏を過った。次いで何かが砕け散るような衝撃が走る。そして、低くおぞましい咆哮が静けさを打ち破った。それに呼応するように大地が震動する。
裂震に耐えきれず、鬼男は体勢を崩してしまった。
地鳴りが鼓膜を強打し、荒れ地の所々に亀裂を生じた。
亡者達は突然の事態に慌てふためき、散り散りにそこらを徘徊する。誰もが狼狽する最中、京一郎ただひとりだけは冷静を装っていた。と、それまで微動だにしなかった妖が突如弾かれたように身悶えを始めた。一瞬の隙を突き、あっと息を呑む間に京一郎の腕から脱走する。
「このッ……!」
鬼男が、唸った。やはりそうだ、妖は信用ならない。このまま脱兎の如く逃げ出すに違いない。——ハズだった。
地に着いた妖は、そのまま京一郎を顧みたのだ。それも、ちゃんと意志を込めた瞳で。京一郎が驚いて目を瞠った。
「ついて来て……ほしいのですか?」
妖が走り出した。四本の脚を懸命に動かし、調伏されかかってるのにも関わらず。
無言は、是だ。京一郎は固唾を呑むと、重厚な身なりとは思えぬほど機敏な動作で駆けだし、妖の行動を追った。半瞬遅れて、鬼男もその後に続く。
鬼男は愕然とした面持ちで幽冥の虚空を仰いだ。
「妖気——!?」
地獄門のある艮の方角から、何百にも折り重なった妖気が流れ込んでくる。雑鬼はその出口へ向かっているのだ。地獄門の外へ。あれは、あの方位には、独りきりの閻魔が……!
瘴気の生み出した生ぬるい風が、鬼男の血の気の失せた頬打った。どくどくと血脈が鳴る。そうか、つい先刻までの本能の警告はこれを伝えたかったのか。焦燥感は本物の焦慮となり、一層足を急かす。
この時ばかりは京一郎も真剣であった。鬼男と共に常人では考えられない速さで疾走し、先行く雑鬼を追う。
またも、怒号にも似た咆哮。それが二人の耳朶に突き刺さった。
「まさか、こんな時に攻めてくるなんて!」
鬼男の叫びが、鋭利な刃のように向かい風を切り裂く。
吹き上がり迸る瘴気と、徐々に広がりつつある妖の気配が、地の果てであるここまで伝わってくる。
鬼男は心臓の上をぐっと掴んだ。
痛いほどの激しい鼓動。衣の下に刻まれた幾多の古傷が、何かを訴えるように鈍く痛んだ気がした。
「……!」
息を詰めて、雑鬼の残した軌跡を辿る。
頼む、どうか。
「大王……ッ」
無事でいてくれ——!
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.107 )
- 日時: 2010/04/07 19:46
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
【其之十一 息巻く怒涛】
——絶対、絶対……
約束したんだ。ずっとずっと昔に。
なのに、僕は。
——守れなかった。
屋外から轟く鋭利な絶叫。まるで嵐が襲撃したかのようだ。閻魔庁を、生温い風が取り巻き荒れ狂っている。
鬼男一行は、一時戦場となったであろう仕事場を突っ切ると、戸口を前にして愕然と立ち竦んだ。
辺り一面を覆いつくす異形の数々。飛空しているものから土中に身を潜めるものまで。言葉通り何百もの妖異の軍が閻魔庁全域を取り囲んでいたのである。本来暗雲が立ち込めている空には羽を所持した妖怪が飛び交い、地上には語るも恐ろしい奇怪な生物が舌舐めずりをしながら蠢いている。圧倒的な軍勢。その中心で、何かが舞っているのが見て取れた。ひとつ閃く度に妖怪の首が飛び、自らの血溜りに崩れ落ちる。頭部と共に散り咲く朱の飛沫が、美しい。いや、舞っているのではない。まるで踊るように槍を振るうその人物は、何百の妖を相手に一刻ほど持ち堪えているのだ。墨染の衣を斑に染め、相棒の帰りをひたすら、待つ。
早く助太刀しなければ。彼は自分を、待ち望んでいる。
鉄砲玉のように飛び出そうとした鬼男は、しかしふと背後で瞠目する京一郎の存在を思い出す。
「京さん、あなたはここで待っていてください。いいですか、絶対に出ちゃ駄目ですからね」
実に多大な霊力を持っていたとしても、身を守る武器が無くては危ういだけだ。
鬼男が京一郎を顧みた、その時だった。
戦場に背を向けたのが間違いだった。一匹の妖怪が鬼男の存在に気づき、尾を突き立てようと迫っていた。寸前になってハッと首を巡らすも、もう、間に合わない。
鬼男は、堅く目を瞑った。それまで京一郎の足元にいた雑鬼が突然飛び上がった。鬼男と鉾の間に割り込み、寸で攻撃を阻む。粒子が一気に散った。鬼男が悲鳴を上げる。
「——何やってんだ!」
雑鬼は後方の壁に叩きつけられ、そのまま無数の光となって消失した。気を削がれた妖怪は鉾を引き戻すと、口惜しげに戦域へ紛れた。最後の残滓が掻き消えたのを視界の隅に捉え、鬼男の双眸が紅く燃え上がる。
「あいつ等……ッ! 京さん、絶対、絶対出て来ないでくださいねッ!」
乱闘へ駆けて行く灰銀の鬼を見送りつつ、京一郎は片目を眇めた。
やはり非力な弱者は、どう足掻いても勝利を得ることはない。しかし、先程の雑鬼は身を呈してまで敵対であるハズの鬼男を守った。なぜなのだろう。もしかして雑鬼は、これを止めて欲しかったのかもしれない、と他愛も無い憶測を考える京一郎。
「絶対、ね」
闘気にいきり立って発言された言葉を、再度確認するように唱える。手出しなんてしたら、それこそ彼に怒られてしまう。
騒然たる戦場を一瞥すると、京一郎は悠然と踵を返し閻魔庁の奥へ退いて行き始めた。
「では貴方がたの実力とやらを、心置きなく見学させていただきましょう……」
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.108 )
- 日時: 2010/04/13 20:05
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
妖怪の頭部が跳ね飛んだ。朱が散り、音も無く霧散する。が、その空いた空間に別の妖が雪崩れ込み、一切隙間を空けない。
狭む肉壁をざっと見回し、閻魔は憎々しげに歯噛みした。周囲に蠢く妖はさほど手強くない。だが、この数を相手にするのはあまりにも多勢に無勢。自分の本領を駆使すれば難なく抹殺できようが、それでは冥界の区域ひとつが消し飛んでしまうかもしれない。
神の力を決して侮ってはならない。それは彼自身が誰よりも知り得ていた。
じりっと砂利を踏みしめ、閻魔は周りを一望する。幾ら斬っても一向に数が減らない。妖の様子がおかしいと聞いてはいたが、明らかにいつもと違う。閻魔を相手にしつつも、物陰を気にしているようだ。
そう。例えば、何かを探しているかのような。
「やれやれ。遊びもほどほどにしなくちゃいけないのにね」
呆れ顔で腕を振るう。腕を無くし、もんどり打った妖を一瞥もせず微塵へ帰す。一々同情してては霧がない。
閻魔の手の内で踊る白銀の槍。それは持ち主同様並外れた霊力を備えた神器だ。故に容易く妖を凪払い、一掃出来る。
どこからか憤怒に燃えた大声が聞こえた気がしたが、それも全て妖の重々しい咆哮に掻き消されてしまった。
閻魔を取り囲んでいた異形の群れが、一斉に襲いかかる。
「どけぇッ!」
今まさに飛び上がらんと構えた妖が、閻魔の眼前で真っ二つに裂けた。その裂け目から見慣れた長身の影が躍り出る。
「鬼男君!」
閻魔が嬉しそうに声を上げる。そんな彼にほんの一瞬だけ微笑を向け、鬼男は再び妖達を見据えた。
無数の妖の中心で互いに背を預け合う天国組二人。敵から目を離さず鬼男は閻魔に耳打ちした。
「京一郎は閻魔庁へ避難させておきました。あそこなら少しでも時間が稼げるでしょう」
閻魔は無言で首肯すると、懐から忍ばせておいた数枚の呪府を抜き取り放った。霊力を纏った呪府は引き寄せられるように閻魔庁へ飛んで行き、建物の周囲を徘徊していた妖怪を弾き飛ばし結界を織りなした。
これならば妖の目的であろう異界への入り口は封じ、次いで京一郎も守れる。
その代わり、外に残された者は入れないが。
「……その服、後で誰が洗うと思っているんですか」
鬼男が首だけを横にしてじとっと半眼にする。
それに対し閻魔は肩を竦めて応えた。
「ちゃっちゃと終わらせば乾かずに済むでしょ? 家政婦さん」
「まっ、そういうことですね」
薄く笑い合うふたり。しかし妖は堪えかねたのか、再戦を開始する。
閻魔の鋭利な真言が響き、敵が拘束の茨に囚われている内に鬼男が切り刻む。時に鬼男の背後に迫った妖を瞬時に槍が貫き、双方は慣れた身のこなしで圧倒的数であった敵軍を一掃していった。
どんな力をもってしても、冥界の屈強な守護者には敵わない。
鬼男は誇っていた。
自分の存在が、この地を守っているのだと。こうして閻魔と共に戦場を駆け、立ちはだかる異形を粉砕していくことが。しかしなにより、彼をこの手で守り通しているという実感をもてることが嬉しかった。
肉を切り裂く感触が爪を伝って本能を震わせる。例え人の姿をしていようと、例え人に酷似した感情を抱えていたとしても、彼は正真正銘の『鬼』なのだ。命を狩る瞬間に口端から覗く鬼歯が、獲物を探すためひとつ頭を振る脳天に備わった角が、それを痛感させる。
そしてまた、閻魔も本性は残忍な冥府の暴君だ。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.109 )
- 日時: 2010/04/19 20:29
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
高まった鼓動は速度を緩めない。
その心音を耳の奥に感じながら、鬼男は尚も妖を排除していった。その横で銀槍を閃かせていた閻魔が、ふと目を瞠った。
心の琴線に触れた違和感。そこらの雑魚ではない。もっと強大な——脅威が迫っている。
「——鬼男君ッ!」
叫んだ直後だった。
妖軍が、消えた。
鬼男が微塵に変えたのではない。一瞬で、別の何かに抹殺されたのだ。
閻魔の動作が石化したように硬直した。突然の事態に、鬼男も立ち止って身を固くする。
突如静寂に占領された空間。奇妙な沈黙が包み込み、遠くで唸る風音がやけにはっきりと聞こえた。
違う。これは、寧ろ風を切る音に……。
視界の隅で仄暗い影が蠢いた。さっと視線を鬼男へ向ける。
「鬼男君、足!」
はっと眼下に目を落とした鬼男の足元が大きく盛り上がる。
刹那、轟音と共に砂塵が巻き上がった。
巨大な影が地中から突き出し、堪え切れず吹き飛ばされた鬼男の左足を掴み上げる。絶句する閻魔の前で、鬼男は無様に叩きつけられた。
「なっ——! お、鬼男君!」
咄嗟に助け起こそうと近寄るも、それが今まで許さなかった隙を作ってしまった。
『そうはさせぬよ』
重々しい嘲笑が響いた。
はたと空中を仰ぎ見た閻魔の頭上から、激しい重圧が圧し掛かって来た。一歩踏み出そうとしていた膝が砕け、堪え切れずに崩れ落ちる。ぐっと呻いた閻魔に更なる圧力が加わり、完全に動きを拘束した。
その様をふらつきながら立ち上がった鬼男が目撃する。
「大王……!? 何があったのです!」
叩きつけられた時の衝撃が相当大きかったのか、その一撃で彼の全身は幾多の傷を負っていた。しかし閻魔を押さえつける重圧は成されていない。さっと周囲を見回すも、敵らしき影は微塵も無い。
鬼男の呼声に応じようと閻魔は懸命に首を巡らせる。そして慄然とした。
鬼男も背後に出現した暗影を顧みる。
そこに、巨大な妖が直立していた。
よもや巨人とさえ思われる大きさだ。赤褐色の肌は筋肉質で、薄汚れた布切れを肩から腰にかけて巻いている。
凄惨に嗤う顔は、水牛。
『非力な同胞に気を取られるぐらい落ちぶれたか、冥府の王よ』
閻魔は唖然と息を呑んだ。
「お前は……、阿傍……!?」
牛顔の巨人は、無言でニタリと嗤笑した。
阿傍。既視感のある名だ。
鬼男はほぼ頭上に位置する牛顔を見据えながら記憶を手繰り寄せた。随分と昔に何かの書物で読んだことがある。牛頭人身の鬼、阿傍。地獄で亡者を責めいなむ獄卒鬼の首領の一。しかし、聴けば現在の獄卒鬼の頭は別の鬼が受け持っているはず。
鬼男の脳裏に浮かんだ疑問に呼応するように閻魔が叫ぶ。
「なぜお前がここに居る! お前は、数百年前に俺が冥府から追放したハズなのに——!」
『そうだ、我が旧主よ。貴様の無力さに失望し、反逆を起こした俺を、お前ら憎き冥官共は人界の果てに流罪した。だがな、王よ』
阿傍が口の端を更に釣り上げる。地に片膝を付く閻魔を嘲け嗤うかのように。
『俺は新たな主の麾下に就いた。貴様のような軟弱で阿呆臭い弱者ではない。俺の価値を良く知り、多勢の妖を従える君主にだ。ハッ、貴様など足元にすら及ばんだろうなぁ。昔のけり、きっちり晴らさせ——』
「おい」
低く呟かされた停止のひとこと。ひとしきり進言していた阿傍がついと視線を落とすと、不機嫌率百二十パーセントを突破した鬼男が悪質オーラを漂わせている。
「なに人を置いて進めちゃってんだ。お前ら、僕の存在忘れてただろッ!!」
思いもよらなかった文句に、閻魔は思わず重圧に負けて倒れかけた。
ずっと蚊帳の外に放置していたことに憤慨しているのだろうが、なぜそこを気にするのだろうか。金色の双眸で沸騰する鬼男を見る限り、完全に阿傍を油断している。
駄目だ、鬼男君。そいつは今までの雑魚とは別物なんだ!
声が引きつり、言葉にならない。喉の奥に妖気がわだかまり、噎せかえる。
「あ、ぼう……!」
鬼男君と一体一で向き合いたいとでも言うのか——!!
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.110 )
- 日時: 2010/04/19 20:34
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
『……貴様が、主の申していた当代の鬼か』
品定めをするかのような視線で、阿傍は鬼男をぎろりと凝視する。牛頭の大鬼はやがて、侮蔑の色を含ませて嗤った。
『鴆よ、おぉ鴆よ。見るがいい、貴様が警戒せよと言付けた冥府の新しき秘書官は、こんながんぜいな小僧であったぞ』
「んだと……!」
鬼男が歯を剥いて唸った。小僧とはいってくれるではないか。自分だってプライドぐらい持ち得ている。いきなり現れたブサイクな牛に、やりたい放題言いたい放題やらせるわけにはいかない。
なぜだ、なぜ揃いも揃って自分を童だ小僧だと決め付けるのだ。妖同士打ち合わせでもしているのか。
「お前みたいな馬鹿デカい堅物にいわれたくないね。自分でもわかってる? お前、相当牛臭いよ」
それまでひとしきり嗤笑していた阿傍がピクリと眉間にシワを寄せた。なんだ、事実を述べただけではないか。
『小僧、誰に向かってものをいってるか承知の上か? いいか若僧、貴様の後ろで這い蹲るひ弱な上司の元祖右腕を勤めたのは、何者でもない、この俺様なのだよ』
阿傍が鬼男の背後を指し示す。閻魔の周りだけ重圧の影響でか、景色が歪んで見える。
『つまりは貴様の先輩。まぁ、寝首を引っ掻こうとしてこの様だかな。だがそれで良かったのだ。俺はこうして黄泉がえり、憎き冥府の王をこの手で捻り潰せる』
最高の快感だ、と阿傍は雄叫びをあげた。地を震わす咆哮は、こいつのものだったのか。
目測したところ、阿傍の力量は中の上頃。
少し苦労はするだろうが、歯が立たないほどではない。
勝てる。
「捻り潰されるのはお前の方だ!」
鬼男はタンッと軽快に跳躍すると、そのまま阿傍の顔面に腕を振り下ろした。
が、
『甘いわッ! 貴様のような小僧風情に俺が倒せると思ったか!』
大木のような手が鬼男を地に叩き落とした。先程と同じように強烈な衝撃と共に激痛が身体を駆け巡る。息が詰まり、口の中に鉄の味が広がった。
地にめり込んだ四肢に力を入れ、ふらりと立ち上がった。阿傍は一歩も動いていない。醜い強面を更に醜く歪ませ、口角を吊り上がらせている。
半歩、鬼男は右足を後ろに引いた。背後の閻魔が重圧に堪えながらも息を詰めて様子を窺っているのがわかる。
そうだ、こいつを早く解放しなくては。
昔の配下に負けるとは、なんと間抜けな大王であろうか。
『さぁ小僧、“紅き輝石”を引き渡せ』
「きせき、だと?」
『そうだ小僧。さすれば貴様の命くらいは助けてやろう』
あの妖狐も口にしていた、“紅き輝石”。
しかし、やはり鬼男は知らない。妖の欲しがるものなど、ましてや探してまで欲するものなんて——探す……?
“紅き輝石”。夢の中で一瞬垣間見えた厳かな笑顔。もし自分の憶測が正しければ——。
阿傍が上機嫌で続けた。
『“紅き輝石”が手中に落ちれば、我等の栄華が訪れる。そのあかつきには人界を制覇し、恐怖のどん底へ突き落としてくれようぞ。——さぁ、渡せ小僧。そしてそこを退くがいい。そんな貧弱な王など、葬ってくれる!』
ハッと鬼男は思考を中断した。
“紅き輝石”がなんだろうが関係ない。今は、阿傍に集中せねば。
鬼男の金色の眼が激しく煌めいた。銀灰色の短毛がざわざわと逆立ち、苛烈な闘気が閻魔を護るように取り巻く。
『小僧如きが、まだ楯突く気か——!』
地を揺るがすほどの猛々しい唸りにも似た『声』と、水牛の咆哮が轟く。苛立ちに燃えた鳴号が鬼男の耳をつんざいた。
「鬼男、くん……!」
閻魔の悲痛な叫びがかすれて引きつる。軋む節々を叱咤してでも必死に重圧を振り払おうとする。
爪を尖らせ、鬼男は阿傍を睨んだ。
大王は、絶対に渡しはしない。
「砕破・烈!」
迫る鉄拳を闘気で阻み、次いで不可視の壁に触れた部分から阿傍へ激痛が走る。
舌打ちのもと阿傍は鬼男へ標的をずらすと、今度は交互に拳を振るった。紙一重でそれを交わし、鬼男は阿傍の間合いに飛び込むと、気合いもろとも巨体に一撃を食らわせた。
阿傍が吠えた。
ぐわりと妖気が増す。
そのまま空中で右足を軸に回し蹴りを叩き込む。
絶叫しながら傾く阿傍。
しかし、その口元に笑みが浮かんだ。
※
一方、京一郎は窓越しからその光景を目の当たりにしていた。
遠く離れているのに、阿傍の放つ妖気と、苛烈な闘気がピリピリとここまで伝わってくる。
京一郎は固唾を呑んでふたつの影を凝視した。
危ない。鬼男が一方リードして勝機を掴みかけているものの、彼は阿傍の思惑を知らずにいる。
助太刀しなければ。踵を返しかけ、しかし京一郎はふと思い留まった。
自分は出てはいけないのだ。絶対に、絶対に。そうキツく言い渡されたではないか。
約束は、守らねば。だが、しかし。
「……閻魔さん——」
真言を唱えようとするも、途中で息を詰めてしまい失敗する閻魔。阿傍は鬼男を相手にしながらも、その重圧を緩めることなく拘束し続けている。それだけでも阿傍の実力が窺えた。
ダメだ、やはり危険すぎる。
このままでは。
「……申し訳ない」
京一郎は低く呟くと、おもむろに自分の左肩に爪を突き立てた。まるで沈むようにじくじくと爪が深く食い込む。しかし京一郎は顔色ひとつ変えず、更に力を込めた。
雫が滴った。ぽたりと、雨粒のように。しかし雫が徐々に大きさを増すに従い滴り落ちる音も無骨なものへと化していく。
右腕がはたと止まったと思いきや、再び引き抜くように動き出した。
ぼたぼたと、その傷口から血が溢れている。大粒の水滴が白い布生地を染め上げた。
——神の血。
貴重な神の血が、滴っている。
無感動な紅い眼がそれを映した。
瞳と同じ色をした鮮血。それを、今度は大切な友人のために役立てよう。
引き抜かれた手腕が、何かを握っていた。
見れば、血痕はどこにも見当たらず、傷口さえも一瞬に塞がった。
——神なのだから。
手腕に堅く握られたもの、それは液体を硬化して造られた太刀。そしてその液体とは、貴重な神の血。
「“狂《キョウ》”……どうか、再び刀を握る欲深き私を許してください——」
どうか、大切な友を守る太刀を、我が手に。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.111 )
- 日時: 2010/04/23 21:34
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
※
雲間から垣間見える日が西へ沈みかけている。空は燃えるような赤に染まり、やがて夜を迎えるであろう。今は黄昏——逢魔が時だ。
妖は太陽の恵みが途絶え始める黄昏時と、深夜皆が寝静まった丑の刻を最高潮とする。
一瞬空を振り仰いだ閻魔の全身が、ぞわりと総毛立った。
「鬼……くん……!」
真言を唱えかけるも、しかし呼吸が危うくなり中断せざる得ない。早くしなければ、阿傍は更に驚異的な力を得てしまう。
何も手出し出来ない自分を叱咤激励し、それでも閻魔は抜け出す機会を窺うためふたりを視野に留めた。
そして目撃する。阿傍が、不自然に笑んだのを。
鬼男が蹴撃を食らわせた直後であった。
『……ぬるいな』
「何ッ——!!」
不自由な空中では急な身動きは取れない。鬼男が視界の端で巨大な影を捉えたのと、一瞬の内に横殴りに鉄拳が直撃したのとは、ほぼ同時であった。
反動で遠方へ撥ね飛ばされた鬼男の身体が、なすすべもなく閻魔庁の壁に叩きつけられる。
「鬼男君!」
『貴様もだ』
耳に妖魔の声が届くと同時に、閻魔の身体までもが宙へ投げ出されていた。
轟音を立てながら鬼男の脇にぐしゃりと崩れ落ちた閻魔。
首だけを横へずらし、鬼男が呻く。
「大、王……!」
返答が無ければ反応すら無い。どうにか繋ぎ止めて意識をついに手放してしまったようだ。
ボロ雑巾のような姿になってしまった閻魔に力の限り手を伸ばすも、それが衣に触れる前に、枯れ木のような手腕が鬼男の首を掴み持ち上げた。
『無様だな、小僧。我らが主の手を煩わせることもない。この場でなぶり殺してくれる』
ケタケタと異様な声をあげて笑う。
鬼男は必死で手を振り解こうともがいた。だが、それ以上動くことは出来なかった。
身体が鉛のように重い。霞む視界の中、にたりと笑う阿傍の口から、白い牙が覗く。
このまま餌食になってしまうのか。
約束したのに。守り通すと、誓ったのに。
それなのに、こんなところで終わってしまうのか。
鬼男は歯を食いしばり昏倒寸前の意識を確かにさせた。
せめて、大王だけでも。
守らねば。彼の為ならば、命など惜しくはない。
「砕——」
渾身の力を振り絞って呟いた。
その、刹那。
「此の声は我が身に非ず。されば邪を滅ぼす天命なり——!!」
微かな唸りを上げて一閃した白刃が、今まさに鬼男に永遠の死を与えようとしていた醜い腕を両断した。
その瞬間、全ての音が掻き消えた。
閃いた刃が夕日の陽光を弾き、鈍く煌めく。
切断された阿傍の腕は鬼男もろとも跳ね上がり、切り口から血のようなものを迸らせた。
地にどさりと落ち逃れた鬼男は、その脇で肉片と化した阿傍の腕が霧散して消え失せたのを感じた。
水牛の悲痛な鳴号が耳をつんざいた。そしてそれに度重なる鋭利な真言。
大きく見開いた鬼男の眼に、やけにゆっくりと、鮮明に結ばれたそれらの映像。しかし実際はほんの一瞬の出来事であった。
阿傍が激しく激昂し吼えた。それが、合図だった。
再び閃いた白い太刀筋。それが阿傍の肉体に深い傷を刻んだ。
「————!!」
断末魔の絶叫が響き渡った。しかしその一瞬の隙に次の裂傷が生まれる。
鬼男は茫然と、それを見ていた。
姿無き救いの手は、阿傍を瞬く間に窮地へ追いやっていった。いや、正確にいえば見えないのではない。秒速を飛び越え、目にも止まらぬ速さで動き回っているのだ。
阿傍は完全に理性を失い、ところかまわず鉄拳を打ち出している。が、全て外し、代わりに巨大な穴が穿たれていく。
「失せよ、邪道!」
最後の一閃が急所を切り裂いた。
『き、貴男様はまさか』
愕然とした面持ちで地響きをたて崩れる阿傍。その輪郭が歪み始め、忽然と消えた。
『先代……紅の王!?』
「——!」
鬼男は、暫し唖然とその空間を凝視していた。
妖の消えた場所に姿を顕現させた救いの手。
風に遊ばれて翻る白地の衣。片手に握られた白刃の太刀。そして、優麗な、紅い髪。
後ろ姿だから表情はわからない。だが、わかる。知っている。その異質な存在を見紛うことなど、絶対に有り得ない。
鬼男は我が目を疑った。そんなはずは無い。だって彼は、建物に、妖の手の届かない空間に身を潜めているはずだ。閻魔の結界すら施されているというのに。
暗幕を下ろし始めた視界にはっきりと見えたその人影は、鬼男の苦手とする得体の知れぬ来訪者。
壬生 京一郎。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.112 )
- 日時: 2010/04/24 15:24
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
***
う〜ん……想像以上に天国が続く模様。
あっでも飛鳥&細道もちゃんと出す(予定)なんでそこのところは心配無く^^;
昨日、修学旅行に行ってきやしたw
奈良・京都探索をしたのですが、
いやぁ…吹きましたねwww
「法隆寺」最高でございますwwww
人知れず笑いを堪えるのに必死で…(爆)
————————————————————————
【其ノ十二 遠い追憶】
記憶の書の一頁(1ページ)目。
数多の名を刻んだその書の中で一番最初に記したのは、他でもない。
我が、主の名。
——閻魔大王。
瞼を開け、まず最初に視界に飛び込んできたのは、暗い表情をした主であった。
泣き腫らしたような、しかしなんとか笑顔を向けようと必死に努める黒髪の優男。揺らぐ瞳は暮色の茜。見え見えの無理な作り笑いをし、紡ぎ出そうにも声は意味を成さず、ただ辛そうな嗚咽が漏れる。
——こんな奴が、自分の主か。
事態は一向に展開せず、重く沈鬱な空気が流れた。
ついには袖で目許を拭い始めた主に耐えかね、呆れ半分に片膝を付いて第一声を発した。
「お目にかかり光栄にございます。我が主、閻魔大王。御前のため、今日より身を尽くして——」
不意に、暖かな温もりが身体を包んだ。
抱きつかれたのだと理解するまで、何秒かの猶予が必要だった。菓子と仄かな線香の香りが主の狩衣から漂ってくる。
唖然とする自分をよそに、主は廻した腕に更に力を込めて激しく泣きじゃくった。それまで堪えていた苦痛が一気に溢れかえったような慟哭。
まるで子供のように、大声をあげて涙を流す自分の主。本当に、この人がかの閻魔大王なのか?
生まれ出でた時から備わっている知識とは全く反転した血濡れの神を前に、自分は訳もわからずなされるがままにされていた。
だが、自然と振り払おうとは思わなかった。主への無礼に値する行為だと考えたのも一律あるが、この優しい匂いが酷く懐かしく、心地良かったからかもしれない。
名も無き白紙の鬼を、誰よりも愛してくれた恐るべき肩書きを持つ主。
そんな彼と時を数えて、暫く経ったある日。
「名……?」
「そう、名前。いつまでも『キミ』じゃあ呼び難いでしょ?」
自身のことのようにさも楽しげに発言した主を一瞬だけ見やったが、サッと書棚に視線を戻す。
「……別に。僕はどう呼ばれたって構いませんよ」
「もう、素直じゃないなぁ。そんな無表情じゃいつか板に付いちゃうよ」
主はそういうと、うーんと唸りながら明後日の方を仰ぎ見た。動作という動作全てが無垢な子供のようだ。
先ほど口にした内容は本心だ。どう称されようと、自分には関係ない。特別力を持った鬼でもないし、名など邪魔なだけ。
そう、次の言葉を聞くまでは思っていた。
「——そうだ!」
パンッと手を叩き、主はパッと晴々しい笑顔を向けてきた。
「『鬼男』! 鬼の男と書いて鬼男! どう!?」
……ハァ?
それが最初の感想だった。
ダサいというか、地味というか。嘆息しか出て来ない最低のネーミングセンス。
危うく落としかけた分厚い書物を取り直し、背後を顧みれば、キラキラと眼を輝かせる主がいた。
「ね、ね、素敵でしょ? 鬼のように屈強な男『鬼男』! もう、俺ってば天才ッ」
ああ、と溜め息を漏らし自身の発想を自画自賛する彼を、気付けば自分は穴が開くほど凝視していた。
「おに……お——」
確かめるように呟く。と、主は嬉しそうににっこりと頷いた。
「そう。これからも宜しくね、鬼男君!」
これが、自分と閻魔大王との正式な契約の瞬間。
名は、強力な言霊だ。
特に神族が名付け親の場合、どんな陳腐な名であろうと、それだけで桁外れの霊力を身に付ける。
彼は、自分を信頼して名を与えてくれた。即案ではあるが、それでも彼なりに捻りに捻って思いついた案に代わりはない。
「鬼男——……」
そうだ、この時かもしれない。
感情の欠片も無かった自分に、初めて『心』が芽生えたのは。
そして同じく、新たな『心』の芯から、忠誠を誓ったのは。
——誓いましょう。あんたの武器となり、盾となり、血の海でさえも共に渡ると。
あんたを、守り通しましょう……。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.113 )
- 日時: 2010/05/01 20:30
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
- 参照: http://noberu.dee.cc/index.html
「…………」
ゆるゆると瞼を開け、柔らかな陽光に照らされた天井を見上げる。
夢を見ていた。ひどく、懐かしい夢。
暫くぼんやりと天井を眺めていると、白い顔がぬっと視界に入ってきた。茜色の瞳が心配そうに揺れている。あの時と、同じように。
「鬼、男くん?」
少し遠慮がちに呼ばれ、鬼男は鬱陶しげに眼を細めた。
「なんですか馬鹿大王。用件ならさっさといいやがれ」
「なん——! 誰に物をいってるのかな鬼男君。外で倒れてた君達を重い思いして運んでやったのは誰だと思ってるのかな?」
「僕の知ったこっちゃありません。大体、誰のせいでこんな」
肘を軸に身体を起こしかけ、しかし突如全身に走った激痛にウッと呻く。
身じろぐだけでもわかる。全身のあらゆる箇所が悲鳴を上げ、限界に達していたことを。既に域を越えてしまったのも有るかもしれない。あぁ、暫く動けそうにないな。
諦めて再び横になる鬼男に、閻魔は溜め息交じりに口を尖らせた。
「全治二週間ってとこかな。もう、あんな無理したらこっちの身が保たないじゃん!」
散々言われた末伸び上がってたヤツが何をいうか。
上手く機能しない肺に力を入れる。
「僕を誰だと思ってるんですか。昔、約束したでしょう」
貴方は、忘れてるかもしれないけれど。
「あんたの武器となり、盾となり——」
その先は肺に痛みを感じて口に出来なかった。物凄く厄介だ、まったく。
どうやらその努力も虚しく、鈍感な彼の耳には届いていなかったようだ。閻魔は部屋から出ようと戸に手を掛けながら振り返った。
「いい? 絶対動いちゃダメだからね。仕事はちゃんとやるから。わかった?」
ひらひらと手を降って応えると、彼も愛想良く手を振り返して姿を消して行った。別に、面倒だから鼻であしらっただけなのだが……。
さて、と再挑戦を試みるも、やはり起き上がることすらままならない。仕方ない、今日ぐらいは言うことをきいてやろう。
ふと気配を感じ目だけを動かせば、横で同じように臥せる京一郎がいた。
こちらはというと特に外傷は見当たらないようだが、妙に生気を感じられない。気絶……だろうか。
この人の事は後からたっぷり説教を食らわせるつもりだ。日頃の鬱憤も説教に全て重ねる予定。
そして、今まで明かされなかった正体を、何としてでも聞き出してやる。
「紅の……輝石……」
そして、阿傍はこうも告げていなかったか? 妖魔を束ねる長、至極の神、“先代紅の王”と。これでハッキリした事実がある。壬生京一郎は、徒者じゃない。
その桁外れの霊力、全てに明るい多様な知識。そして、血のような真紅の眼。
阿傍の告げた二つ名をみる限り、やはり王族の地位にあるようだ。常の気品も合わせると納得がいく。
が、結局苦手なのには変わりない。
京一郎から窓へ視線を巡らせば、からりと晴れた珍しい晴天。太陽の位置からして、およそ正午辺りであろう。
「昨日が夕頃だから、大体……半日か……」
少し言い澱んで、鬼男は額を押さえて溜め息をついた。
そんなに長い間あいつに心配をかけていたのだと思うと、どうも腑に落ちない。自分は頑丈な鬼なのだから、心配要らないと何度告げても、それでも心配なのだと一瞬も目を離さず世話をやいてくれる。
きっと昨夜も席を立とうとはせず、ずっと自分の隣で看病してくれていたのだろう。
「まったく。世話好きなヤツだ」
その気性せいで、死にかけたのにな。
睡魔が座し始めた瞼を仕方なく閉じ、鬼男は闇溶の世界に意識を預けた。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.114 )
- 日時: 2010/05/02 19:38
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
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それは、襲撃の起きた日の夜。
意識を取り戻すと、そこは温かい部屋の中であった。仄かな灯りが暗い室内を照らしており、どこか安心感を与えてくれる。薄暗いがここは自分の自室ではない。そうだ、初めて目を覚ました場所——閻魔の寝室だ。
また倒れてしまったのだろうか。無理もない、あんなに身体を動かしたのは久々だったから。あの、没日以来。
無意識に布団を深く被った。目を閉じれば思い起こされる生前犯した重罪の数々。それを再び犯してしまいそうで、恐ろしく怖いのだ。自分の凄惨な嘲笑が、没した今でも胸中に消えない裂傷として刻まれ続けている。
それなのに、人を殺す道具を、命を奪う狂気を、自分はまたも手にしてしまった。理由など戯れ言に過ぎない。忘れかけていた感覚が浮上し始めていた。
——殺戮の快感。
得物を手中で滑らせ、風を斬るあの感覚。断末魔を上げる獲物に更なる恐怖を与える。平穏無事な世界では決して味わうことの出来ない体験。
できることなら思い出したくなかった。だが、どんなに懇願しても、一度血に濡れた記憶は薄れていくことはなかった。身体が傷を負っても、霊力故一日余経たずとも完治するのに。
自身の体温で温められた布団は申し訳ないほど温かかった。が、彼は小さく震えていた。
紅い瞳がゆらりと揺れる。怖い。とてつもなく、恐い。
その時、戸を開く音がした。息を呑む気配がする。
「あっ、紅。よかった、もう起きたんだね」
水を入れた桶を手に、初対面の時と同じように閻魔がにこりと微笑んだ。黒一色のはずの狩衣が斑に染まって所々裂けている。少々薄汚れているのは、砂埃のせいであろう。
「鬼男君は一向に目を覚まさないからさぁ。でも大丈夫、なんたってあの鬼男君だもん。紅はどう? 気分」
何度か目を瞬かせて、京一郎は顎を引いた。
「えぇ、大丈夫です。……少々まだ頭が痛みますが」
そっか、ならすぐ治るねと閻魔は京一郎のすぐ隣に敷かれた布団の脇に腰を下ろした。見ると、規則正しい寝息を響かせる鬼男が床に臥していた。
閻魔はその褐色の額に濡れた手拭いを優しく載せてやる。ピクッと反応した鬼男を見て、くすりと笑った。
「見てよこの傷。忠義の証ってやつかな。俺を庇おうとして作っちゃったんだよ。……本当に、無理するんだから」
そう呟き、閻魔は口を閉ざしてしまった。静かに呼吸を繰り返す部下を心配そうに見詰めている。無様な失態だ。動揺したおかげで、鬼男を窮地に追い込んでしまった。いつもなら、阿傍ごときの攻撃など片手で粉砕出来るものを、手出しすら出来なかったとは。
閻魔の肩が僅かに震える。そんな彼を京一郎は上体を起こして黙然と眺めていた。
「閻魔さん……」
閻魔の痩せ細った身体がびくんと強張った。
「な、何?」
「何も、訊かないのですね」
視線を交えた閻魔の瞳孔が細められる。京一郎は言葉を濁した。
「私が、何者なのか。わかっています。牛頭の鬼と対峙していた時、貴方は気絶してなどいなかった。だから、見ていたはずです。私の、闘いを」
そして、私の二つ名も。
『京一郎』は確かにれっきとした名だが、それは兄弟に肖って付けたものであって、世間で通るのはそれではない。二度と罪を犯すまいと、彼は『京一郎』と名を改めた。死した自分にはもう二つ名を口にする権利は無い。そう、思っていた。
京一郎は無言で顔を伏せた。本当は、どう返されるか怖かったのだ。
それまでずっと、努めて気丈に振る舞っていた。胸の奥に突き刺さった刃の存在を、彼等に知られないように。しかし、聞かれたからにはもうその心配は無い。数週間続いた友情も、恐らくは今日この瞬間で脆くも崩れるだろう。ならば、覚悟を決めて告げなければ。
そして、キッパリサッパリさよならだ。
「実は、私は——」
「別に。俺は何も聞いてないよ」
はたと閻魔を見ると、彼はあらぬ方を見やりながら口許を綻ばせていた。
「あの時意識があったのは事実だけど、無理に動ける状態じゃなかったんだ。だから、俺は何も聞いちゃいないし、何も訊かない。当たり前だろ。紅が本当に話したいなら、その時まで言葉をとっておきな。この子も、聞きたいだろうし」
見下ろしながら鬼男の頬をそっと撫でる。
京一郎は唖然と瞬きをしていた。
だから、と閻魔は笑う。時間が来るまで、いつも通りの紅でいなよ、と。
暫く京一郎は閻魔を見詰めていたが、ふっと微笑んで頷き、再び布団を被って眼を閉じた。
閻魔の手が、頭を一度だけ優しく叩いた。その後は、衣擦れの音や、手拭いを水に浸す響きだけが聞こえる。
さあさあと、外を駆ける風の音色が耳の奥で響いた。幾何か昔、二人で約束を交わした丘で聴いた音だ。鮮やかに、甦る。
「……貴方がたは」
全てを知っても、それでも、変わらずに私の名を呼んで、手をのばしてくれますか——……?
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.115 )
- 日時: 2010/05/03 20:24
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
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一方、閻魔庁の屋根に、白い獣がいた。
まるで小さなの犬ほどの体躯。身のこなしはしなやかで柔軟性に富んでいる。全身を金色に輝く毛並みに覆われ、四肢の先には鋭利な爪を隠し持つ。長く柔らかな尾をさっと降り、身動きの不自由な屋根の上でも見事に均衡を保っていた。夜を見張るかす大きな丸い眼は黒く、突き出た鼻は楔型。
普通の獣ではない。桁外れの力を持ったモノが、変化した姿だ。
獣はぴんと尖った耳をそばたて、彼等の会話を一言も漏らさず聞き入っていた。
「ほうお、閻魔も言うようになったな。京一郎を綺麗に鎮めおった」
感嘆混じりに呟き、獣はふと夜空を振り仰いだ。
冥界といえど、その空は人界となんら変わりはない。少し暗雲日和が多いだけで、それ以外は同じ。この世界を築き上げ、統治者である閻魔大王がそうしているのだから、さして問題ではない。
が、今日は妙に異質であった。
風が、不自然に凪いでいるのである。生温い、僅かに妖気を孕んだ風だ。
「はてさて、これからが大変だぞ、主等。オレを退屈させないよう精々頑張ってくれよ」
ニヤリと愛嬌のある口端を持ち上げると、小さくも尖った牙が覗いた。
そしてすいと月から顔を背けて身を翻すと、夜陰に気配ごと溶け込んだしまった。
小さな獣の思惑など、今の彼等は知る由もない——。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.116 )
- 日時: 2010/05/04 18:51
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
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※
さて、翌日から鬼男の退屈な日々が始まった。ずっと寝ていようにも落ち着かなく、仕方がないので背中の後ろに脇息を置いて身を凭せ掛けて上体を起こし、鬼男は静かに書物を黙読していた。そういえば読書など久方ぶりだ。ここ最近は妖だの京一郎だので頭がいっぱいだったせいか、読む暇すらなかった。
脇で寝息をたてる京一郎は身動きすらせず、死んだように眠っている。自分は痛みに魘されて朝早くに目が覚めたのも関わらず、彼が起きているのを見たことがなかった。それほど疲労が溜まっていたのか、霊力を使いすぎたか。それとも——。
鬼男は紙面に目を通しながら注意深く耳をそばだてた。
妙に静かだ。閻魔が気を使っているのだろうか。
「……お節介野郎め」
普段通りにしていてくれた方が、こちらも余計な心配をしなくて済むのに。
珍しく静かな空気を直に感じつつ、鬼男は懇懇と時を数えて夜を待った。
戌の刻に入るとすっかり日も暮れて、夜の帳が空を覆う。
相変わらず床に就いていた鬼男であったが、別の部屋で布団を広げた閻魔が寝静まったのを見計らい、いそいそと寝床から這い出した。
夏の夜風は透き通っていて冷たい。氷のように冷え冷えとした廊下を渡って、鬼男は無人の仕事場へと足を運んでいた。……寒い。上着でも羽織って来た方が良かったと今更ながら後悔する。現在彼の服装は昨日と変わらない琥珀色の薄着。動きに特化した為に軽く出来ているのだが、いかせん軽装だと寒さに弱い。それに所々裂けた箇所もあり、そこから冷気が入り込み癒えない傷に負担をかける。くらりと揺れた意識を頭を振って確かにし、鬼男はふらついた足取りで闇を見据えていた。
今だ、やるなら今しかない。誰にも察されず、秘かに行動するには夜中が一番だ。
昨夜、不思議な声を聴いた。耳朶にではなく、眠り落ちたはずの脳裏に直接。
——今宵、誰にも知られず執務室に来い。そこで全てを語ってやろう……。
まず疑うのが普通なのだが、自分はそうしなかった。確かに単なる夢だ。もしくは空耳にすぎないだろう。だけど。
「真実が、見いだせるのなら」
それに、その声はいつぞやに聞いた声音に酷く似していた。燃えるような白い毛並みを波打たせ、自分を睥睨する紅い眼。京一郎と同じ眼をした獣。
ヤツが帰って来たのか。同行である京一郎を迎えに。あの痛々しかった傷は完全に癒えた。なら、もう京一郎がここにいる理由なんて無いはず。
「……なんでなんだろうな」
支えにしていた壁に背を預け、鬼男は一度歩みを止めて呼吸を整えた。
清風が仕事場から流れ、金色の髪を翻す。もう少しだ、行き慣れた場所だから暗闇でも距離を憶測できる。
だが京一郎は、何度教えても道に迷っていた。その度に柱や壁にぶつかり、鼻血を垂らしてへたり込んでしまう。彼を発見(というか救出)すると、閻魔は笑いながら鼻血を拭き、呆れ顔の鬼男が片手を取って立たせる。
それが、もはや日常であった。増えていく壁の穴はその証。いつかは崩れてしまうのではと思うぐらいあちこちに穿たれてしまっているのだが、自分等はそれを直そうとはしなかった。
——あぁすみません、こんなところに柱があるとはグフッ!
ご丁寧に目の前で作られる陥没。そして再び謝罪をしようとしてぶつかる。その、繰り返し。なのにふらりと部屋を抜け出してひとり大冒険を楽しんでいる時もあった。
笑っていた。あの不気味だった眼が、その時だけ和らぐように思えた。笑っている時だけ、彼の警戒が失せているように思えた。
だが自分は知っている。時折垣間見える辛苦を抱え込む表情を。そして、その理由を自分は知ろうとしている。
本当に、これで善いのだろうか。ずっと訝しんでいた疑問は晴れる。が、京一郎はそれを望んでいるのか。
過去を訊いた時に努めていた無理な笑顔を思い出し、鬼男はふっと張り詰めていた息を吐き出した。
壁に手を据えて、廊下の先を見張るかし、鈍く痛み出す足を前へ動かす。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.117 )
- 日時: 2010/05/05 19:51
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
自分の身体には、阿傍との闘いで負った傷の他にも一生消えないであろう古傷を幾つも抱えている。別段それが痛みを伴うことは無いのだが、生涯完治することのない裂傷は刻まれた瞬間を時たま呼び起こす。
闇夜の中で独りうずくまっていた彼に手を差し伸べた時に負った傷だ。はっきりと、鮮明に覚えている。今よりさほど日が経っていないように思えた。ああなる前に何度も手離せと忠告を促したにも関わらず、彼は辞めようとはしなかった。自分の裁いた者達だからと、玄く巻く霊魂を一生懸命宥めていた。
その間、夜な夜な響くこもりうたは、彼なりの鎮魂の歌。優しい音色は、間違いなく霊魂を少しずつではあるが癒やしている。
はずだった。
鬼男はじっとりと汗ばんだ手のひらを見詰めた。必死に伸ばした。暴走した霊魂の渦から救おうと、必死に。
だが、あれは思い違いだったのだろうか。彼は差し出した掌をすぐには取ろうせず、ほんの一瞬、迷いを見せていた。
馬鹿だ、本当に。
独りで何でも抱え込もうとする性格。見返りなど微塵も求めず、他人の世話ばかり焼く。
それは、事件後の今でも変わりはない。
まぁ、人間そう簡単に変われたら苦労しないのだが。
「力が抑制されたのもあの後だったよなぁ……」
鬼男の独り言は、静かな廊下に響き渡っていった。
本来、鬼男の髪色は灰銀色だし、京一郎のとは違う紅い眼をしていた。
が。
「思い出しただけでも腹が立ってきた……」
突然、閻魔に告げられた。前触れなど無く、唐突に。
——強すぎるのも困りものだしなぁ。そうだ、鬼男君、ちょっと弱くなっちゃうけどいーい?
訳がわからず意味を理解するが前に、閻魔の行動は素早かった。瞬きよりも速い動作であっという間に術をかけられ、はい終了。目が覚めれば文字通り力を半減された“金鬼”が出来上がっていたのである。
力量を抑制された、真の姿ではない形状に。
不便にこしたことはない。生活に支障は出ないのだが、普段から本領が発揮できないのは少々慣れが必要であった。
一体、何の為に。
やはり閻魔の思考は理解を超えている。
鬼男はうんざりした風情で息をつくと、鈍く痛むこめかみを押さえた。本来ならばこれぐらい、半日で回復するものを。
物思いに耽っていた鬼男は、しかし足元にどこからか出現した白い姿に気づかなかった。
「おーおー、怪我人が良くもまぁ堂々と出歩いてるもんだな。その信念は評価しよう。だがなぁ、こうして周りが疎かになってちゃあまだまだだな」
「!?」
楽しげにきょほきょほと笑う声がする。ハッと首を巡らすと、今までに見当たらなかったモノが鬼男を見上げていた。
「なぁに人を化け物みたいに見やがって。よく見ろ、こんなに可愛く愛嬌のある化け物が何処にいる」
「……あやかし——」
茫然と凝視する鬼男の視線を浴びながら、自称『可愛くて愛嬌のあるモノ』は後ろ足でひょいと立ち上がり、上機嫌でふんぞり返った。
その姿は、どう見ても動物の風貌。
突き出たV字形の顔立ちに、黒く大きな瞳。ピンと尖った耳は狐のように二辺が長く、それだけで気性を物語っているようだ。全身を覆う体毛は明るい黄金で、腹部には白が混ざっている。にまりと笑う口の端からは小さな牙が覗き、やはり金毛に覆われた長い尻尾を軸に直立していた。
砂原の国の図鑑で垣間見た『フェネック』とかいう動物によく似ている。
「おい、話振られたら返事ぐらいしろよな。これだから最近の若者は」
眉間にシワを寄せ、不機嫌ぎみに鬼男を睨みつける。動物には不釣り合いな二足歩行をし、さらに。
「わかったら返事しろ、おい」
人間に理解できる言葉まで、喋っていた。
「若いくせにもう耳が遠くなっちまったのか? あぁ不憫なものだな。オレが青春をエンジョイしてた時はな——おわっ!?」
鬼男がその小柄な身体を掴み上げると、黄金色の獣は突然の事態にいささか狼狽した。
首根っこを掴んだまま鬼男はそれを眼前に据える。
「お前、どっから入った」
「んー? そりゃあ門からに決まってんだろ」
半眼になる鬼男に対し、獣は相変わらず飄々としている。鬼男は頭を抱えたくなった。
こんな小さな雑鬼如きの侵入すら許してしまうなんて。これだから寝たきりは嫌だったんだ。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.118 )
- 日時: 2010/05/11 18:40
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
人語を口にせず四肢で歩いていれば本当に動物そのものなのだが、獣はその条件を全て反し、次いで自分はいかに他と違うとでも言いたげにニンマリと笑っているのである。
空中でひょんと尾を振り、小馬鹿にしたような目つきで手脚まで組み始めた。
明らかに人外異形の類に入る。又は、どこかからはぐれた動物の霊魂か。
目の前に持ち上げて初めて獣が妙な装飾品を身に付けているのに気づいた。長い被毛に埋もれない程度の小さな数珠らしき輪が首輪のように掛けられており、相当大事にしているのか傷ひとつ無く厳かに煌めいていた。
「とにかく、元居た場所に帰れ。じゃなきゃ僕はお前を滅さなくちゃならなくなる」
ほら、さっさと帰れといった風に手を振りながら獣から手を離した。
——善妖なら殺す必要は無いのでしょう?
酷く目障りな言葉が胸中で反響した。
ぱっと拘束を解かれ床に着地した獣は、しかし立ち退こうとはせず寧ろその場に後ろ足を折ると真っ直ぐに鬼男を見据えた。黒一色の丸い瞳がふっとほくそ笑んだのを見て、鬼男は疑わしげに腕を組む。長く柔らかそうな尾がサッと振られた。
「怪我人が無理するんじゃねぇよ。行きたいんだろ? だったらお供しますっつってんだ」
思わぬ物言いに鬼男は唖然と眼を瞠った。こいつ、どうやって自分の行動を詠んだんだ? 妖獣は鬼男の様子などお構いなしに解かれた手をしっかりと握ってぐいぐい引っ張り始めた。
「そうと決まれば早く行こうぜ。寒気は傷に悪いだろ」
「お、おい待てよ」
慌てる鬼男の手を掴みつつ、獣は軽やかな足取りでしきりに先を促す。
「いいからいいから。どうせ出口はあっちにしか無いんだろ?」
それは、そうだが。
鬼男はひとつ嘆息し、仕方なく促されるままに歩を進めた。端からして見ればおかしな動物に疲労困憊の青年が手を取り合っているように見えなくはないが、確かにそういう状態なのである。
妖の身でありながら、鬼男に好意的に付き添う。なんというか、実に怪しいことこの上ない。
畜生道から逸れた成れの果てであろうか。早々に手を打たねば、こちら側としても危うい。
鬼男は溜め息混じりに言った。
「大丈夫だから。お前なんぞに心配されるほど、僕はやわじゃない」
「またまたぁ。この間も同じようなこと言っといて足元掬われかけただろうが」
鬼男は軽く目を剥いた。明らかに記憶に無いその出で立ちに、獣はからからとした笑顔で笑った。
「ほら、あともうちょいだぜ。頑張れよ、冥界の番人さんや」
黄金色の尾が応援旗のように揺れる。随分と口の達者な妖だと鬼男は苦虫を噛み潰したような表情で獣を見やり、しかし案外悪くないものだとも思うのだった。
「しっかしここは随分冷えるなぁ。風当たりが良すぎるのも悪かあねぇが、床も冷たいし凍えちまいそうだ」
ぶるると小さく身震いする獣に鬼男は片目を眇めた。
「毛皮を持ってるくせになに贅沢いってるんだ。門がいつも開きっ放しだからな。特に夜は冷え込む」
そんな他愛もない会話を交わしつつ、一行は歩調を緩めなかった。しかし、仕事場までこんなに離れていただろうか。もっと近かったような気もしたが、と心中でつらつら思案していた鬼男は、ふと気づいて軽く首を傾げた。先程からの声援のせいか、怪我の痛みがいつの間にか消えていたのだ。
空いた手でそっと脇腹に触れてみる。閻魔が巻いてくれた包帯の下で、いまも徐々に回復しつつあるのだろう。
それにしても、この妖はよく閻魔庁の中まで入り込めたよな、と獣の背を見ながら心無しか感嘆した。少なくとも閻魔は侵入を察知できるのだろうけど、もしかしてわざと野ざらしにしているのだろうか。
「そもそもオレは寒さに弱くてだな——まぁ、いわゆる冷え症ってやつだ。この毛皮だって万能なんだぜ? 夏は涼しく冬は耐熱性に富んでくれる。だがよぉ、ここは間違いなく寒いぜ。冷え症のオレが言ってるから信用出来ないってか? それはそれ、これはこれだ。現に薄着のお前だって震えてただろうに。出歩くならそれ相応の格好をするのが筋ってもんだぜ」
などと元気良く、自称『可愛くて愛嬌のある妖』は淡々と喋り続けていた。
なんて饒舌な妖なんだ、と半ばうんざりしながら聞いていた鬼男に、それまで淡々と語っていた獣は突然眉を寄せて言った。
「おい、聞いてるのか、鬼子」
名前を知らないから当然の呼びかけだったのだが、これが鬼男の逆鱗に触れた。
「鬼子って言うな! あのな、僕にはちゃんと主から命名された名ってもんがあるんだ」
掴んでいた手を離して、ほお、じゃあ何だと薄く笑う獣。しかし一瞬教えていいのかと思い止まった。名は、強力な言霊だ。故に不用意に名乗ってはいけない。だが、いつまでもその既視感のあるあだ名で呼ばれるのも気が引けた。
「鬼男。鬼のように屈強な男だそうだ。わかったか、獣」
そう諭され、獣は何度か眼を瞬かせると、不服そうに口を尖らせた。
「別に鬼子でもいいじゃねぇか。まだまだ半人前なんだろ? それと」
と黒曜の瞳を眇める。
「獣って、なんだ」
「だってお前、見た目獣だろ?」
鬼男の物言いに獣は開いた口が塞がらない風体で暫く凝視すると、やがて背を向けて大仰に息を吐いた。
「なんだよ」
訝しげに睨む鬼男を獣は肩越しに振り返った。
「いや、確かにそうなんだけどさぁ。うーん……もっとこう、違う呼び方あるだろ?」
「無い」
「あっそ」
再び背を向けて落胆する獣の行動に、鬼男はムッとする。
「そこまで文句を言うなら名を名乗れ、ちゃんと。そしたらそれを呼んでやる」
すると獣はふと神妙な面持ちをして鬼男へ向き直った。そのまま鬼男をじっと見上げる。
「————」
それまでとは何かが違う眼差しに思えて、鬼男は眼を丸くして獣の双眸を見返した。そして、ふと思い当たった。ああ、この瞳の黒は夜闇の色と同じだな、と。
無言で鬼男を凝視していた獣は、すっと視線を背き口を開いた。
「————すまん、今は、無理だ」
もったいぶった言い方に鬼男の眼に険しさが含まれる。
「なんだよ。人が教えたんだからお前も名乗るのが礼儀だろう」
しかし獣は頭を振る。
「無理なものは無理だ。本当にすまないと思ってる。だが、今のオレの口からじゃ到底言えやしないんだ」
そう告げて独り歩き出した獣。なぜか、その姿が先程よりもやけに小さく思えて、僅かに眼を眇めた鬼男は一度瞬きをすると獣の後を追い闊歩した。
- Re: 日和光明記 —紅の華・宇宙の理— ( No.119 )
- 日時: 2010/05/13 22:42
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
もうそろそろ威の刻に入るであろう。思いの外時間がかかってしまった事に半ば落胆しつつ、鬼男は肩の上で休む獣を見やった。先に行ってしまったと思いきや、スタスタと引き返して来て「乗ってもいいか」のひとこと。獣曰わく久々に歩いて疲れたそうだ。妖が何を言うかと不満を口にするも仕方なく許可してやったのだ。まるで体重が無いかのように軽いため、傷に負担はかからない。獣の毛皮が温かそうでもあり、こうして肩に乗せていると予想通り良いマフラー代わりになる。
「そういや鬼子、お前なんで起き上がろうと思ったんだ?」
ついさっき漂わせていた雰囲気など見事に消え去り、元の調子に戻っている。あまり触れていい話しではなかったのかもしれない。
というか、教えたのにまだ『鬼子』なのか。
「それがさ、呼ばれたんだ」
「誰に」
獣の問いに鬼男は困ったように小首を傾げる。
「わからない。取り敢えず行かなくちゃいけない気がしてな。行って、真実を見出さなくちゃいけない」
「なるほどな」
言うと、獣は面白そうに眼を細めて考えるような表情をした。
鬼男の言葉は心中そのものであろう。真の答えを求めるのは誰しもそうであろうが、彼の場合言語外にいろいろな意味を告げている。痛みを堪えてまで聞きたい真実とは、相当大事な話しなのであろう。
「つまり、お前はその何者かも定まってない奴の言葉を、敵かもしれない奴の言葉を真実として受け止めるのか」
鬼男は頷いた。それぐらい部屋を出ようと決心した時からわかっていたことだ。だが例え真実でなくとも、それを仮定に憶測が立てられる。何も聞かないで終わりにするよりは余程マシだと考えてからの行動だった。
獣が溜め息混じりに口を開いた。
「呆れた。嘘でも信じようってのか。それこそお前を手当てしてくれた奴の心遣いに背くぞ。しかも、本当に敵だったらどうする。今のお前じゃまともに太刀打ち出来ないんじゃないか?」
「その場合はお前を捧げるさ」
本意のように告げられた脅しに獣の毛がゾゾゾと音を立てて総毛立った。それを横目に冗談だと笑う鬼男なのだが、どうも冗談として聞き入れ切れないのは気のせいだろうか。
「その時は全力を尽くすよ。お前、僕の本質わかってる? 鬼だよ、鬼。鬼のように屈強な男なんだよ?」
鬼男は得意気に微笑むと、壁に据えた手とは逆の手で獣の背をぽんぽんと叩いた。
そうか、鬼子。お前ならばそう言うと思っていたよ。
ふっと肩を竦め、獣が満足そうに頷いたのを、当の青年は知らずにいる。
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.120 )
- 日時: 2010/05/13 23:47
- 名前: 刹螺 (ID: PVPK2YP2)
か…神が居る!
どうも☆日和RPG書いてる刹螺です♪
私なんかよりずっと神文です!(←お前も見習えby緋燕
・・・、キャラの毒舌はさておき。私のような駄文を書いている者のところに来て下さって、至極光栄です!!
これからも更新頑張って下さい!!
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.121 )
- 日時: 2010/05/14 21:24
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
刹螺様
久々のお客様にテンション↑↑しております!
コメ&訪問感謝です。そして勿体無いお言葉を有難うございます!!
か…神ですと!?いえ、決してそのような大層なものでは……;あっ、あれですか?疫病神って奴ですよね^^;?
こんな駄文馬鹿を見習ってはいけませんよッ。他にも神文様は居らっしゃるではないですかッ……!!
何をおっしゃいます、気になる小説にコメを残すのは当たり前ではないですか。その方が書く側も気力が出るってものですw
ありがとうございます。ご期待に恥じぬよう頑張ります></
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.122 )
- 日時: 2010/05/14 21:25
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
※
(場合によっては生贄となる)獣を肩に颯爽と部屋に駆け込んだ鬼男は、急停止してそのまま立ち竦んだ。
仕事場が廊下よりも冷え冷えとしているのは当たり前だ。開け放たれた門扉の外から白々しい月明かりが差し込み、室内を程よく照らしている。
ところで、もしもの時を考えて気配を押し殺し疾風のように入って来た鬼男である。が、彼の予測はある意味的中していた。
卓の端に軽く腰を下ろしていた影は、鬼男の姿を認めて弾かれたように立ち上がった。下弦の月を背に仄白い顔が闇に浮かぶ。褐色の青年を見据え、その顔色からすうっと血の気が引いた。
「鬼男君!? なんで、もう大丈夫なの?」
一瞬大きく見開かれた茜の瞳が鬼男を無意識に射抜く。心無しか閻魔が怒っているように思えた。しまった、と鬼男は頭を掻く。まさか彼が起き出しているとは範疇に中に無かったため、どう返せば考えていなかった。
「まだ治ってないのに駄目じゃん。それに、よりにもよって何でこんな夜更けに起きるかな。寝てた方が身体にいいの、わかるでしょ?」
返答に詰まり肩を竦める鬼男に詰め寄り、閻魔は落ち着きの払った声で責め立てた。度肝を抜かれたせいもあってか、鬼男の思考回路は完全に取り乱していた。
極力静かに憤る閻魔だが、その胸内はこれまでに無いほど怒りに打ち振るえているに違いない。閻魔が大噴火すると誰よりも恐ろしいことを知っている鬼男は、大量の冷や汗をかきつつ救いを求めるように肩を見やった。だが。
(い、居ない——!)
先程まで呑気に首元をわしゃわしゃと後ろ足で掻き廻していた獣が忽然と消えている。逃げたか、それとも最初脅した通り帰ったか。どちらにせよ、見放されたに変わりはない。
眼前に迫った閻魔の双眸。怒りに燃えた恐ろしい双眸だ。
「傷口が開いたりでもしたらどうするの! 全治二週間だよ? 一日そこらで治るのとは訳が違うんだよ? もしかして俺が信用出来なくて起きて来たの? ああもう鬼男君!」
徐々に語調を荒げる閻魔。もうそろそろ沸点に達してしまうだろうか。こんなにいきり立つ彼を見たのは久し振りだ。鬼男が諦めて言われるようにしようと心を決めた、その時であった。
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.123 )
- 日時: 2010/05/14 21:26
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
「ちわーっす、三河屋でえすってか」
不意に頭上から響いた呑気な声。垂れた尻尾をひょんひょんと振り、鬼男の頭の上でそう発したのは、消えたはずの獣であった。
「随分言われてんなぁ。鬼子、ちゃあんと反省しろよ? ほらほら、忠義も新たに土下座を」
左右に揺れる尻尾をむんずと掴んで頭から引きずり下ろし、鬼男は逆さの状態で獣を目の高さに持ち上げた。
「なに戻って来てんだよ。帰れって行ったろ?」
「いやぁ、面白そうな臭いがしたんでな」
すぱんと切り返し、彼は半ば据わった目を向けてニヤリと笑った。
「だけどさぁ、お前、一瞬オレを探してなかったか? どうか助けて下さいってな」
獣は両前足を合わせて大げさに潤ませた瞳を向ける。
尤もな点に関してはぐうの音も言えない。だから敢えてその点を避けて、鬼男は声を張り上げた。
「だからって、お前はここに居ちゃいけないんだ。でないと大王が殺——!」
はっとして鬼男は閻魔を顧みた。閻魔には当然この獣が妖だと知っているはずだ。なんたって『冥府の大王』なのだから。その実力も確かだし、ましてやこんな妖など一振りで退治してしまうだろう。閻魔がわざと放置していなかったのであれば、そう、一振りで……。
なんとか見逃してくれるよう、お願いしなければ。
こんな風に考えるあたり、鬼男は短時間でどうやら獣に友情めいたものを育んでいたようだ。
「大王、こいつ無害なんです! すぐ立ち去られせますので、どうか殺さずに……大王?」
言い差して、鬼男は怪訝そうに呼びかけた。
妖の話となると滅多に取り乱す事のない閻魔が、つい先程とは違う種の表情でぎょっと獣を凝視し、口を何度も開閉させながら震える指で金色の動物を指差している。
「……なっ……えっ、えぇッ……!?」
言葉にならない声で何かを言わんとしている閻魔に、獣はにまっと笑って身を捩り、鬼男の手から逃れた。
逃れたと同時に勢いを付けるため鬼男の顔を足で蹴り(鬼男は反動で「あだっ!」と倒れかけ)、ばっと閻魔の許へ飛び上がった。
獣はそのままべしゃりと閻魔の顔面に張り付く。
「よお閻魔のお頭ぁ! 久しいなあ。元気に馬鹿やってたか?」
ぴしりと硬直した鬼男など見向きもせず、獣は愕然とする閻魔の身体の端から端まで目まぐるしい勢いで這い回った。
「相変わらず部下に怒られてさあ。ほんっと面白い奴だよなぁ。あっでも今は立場逆転してんだっけ? でもそのアホ面とか全然変わってないぢゃん? ありゃ、ちったあ太ったと思いきや服の下にこんなもの着てやがんのか。隅に置けんなあこの変態野郎!」
くるくると身体のあちこちを点検する獣が、それはそれは嬉々として言い募る。
「つーことはまだあの娯楽続けてんのか? そろそろ辞めてやんねぇと鬼子が不憫だぜ? にゃははは」
馴れ馴れしく容赦ない獣の物言いに茫然と聞き入っていた鬼男であったが、はたと意識をはっきりさせると、ひとしきり滔々と語っている獣をべりっと引き剥がした。
「何すんだよ鬼子ぉ。感動の再開を邪魔するなんてさあ」
夜闇の瞳を不機嫌そうに歪めて抗議の声を上げた獣を黙殺し、鬼男は閻魔へ視線を向けた。
「大王、こいつを知ってるんです」
「なあなあ鬼子ぉ、オレの台詞を無視するたあいい度胸してんじゃねぇか。このてん——」
「うるさい! 少しは黙ったらどうだ!」
獣の後頭部をばしんとひっぱたくと、それを見ていた閻魔が目を剥いて息を呑んだ。
「お、鬼男君っ!」
うろたえたような口振りに、鬼男はきょとんと向き直る。
「はい?」
しかし閻魔は、何度も口を開きかけては押し留まりを数回繰り返した後、そのままかくっと肩を落とし、息をついた。
「…………」
「……大王?」
首を捻りながら鬼男が尋ねると、傍らから飄々とした合いの手が入る。
「気にすんなって閻魔。オレは好きでこいつに居付いてんだからさ」
生意気な物言いに、鬼男の額に青筋が浮き上がる。
「獣、何言って——」
「“天狼”! それはもしかして……!」
閻魔は獣の言葉に酷く動揺した様子で遮った。それを受けて、獣は凄絶に微笑する。
と、一瞬で緊迫した雰囲気に一本調子な声が響いた。
「てんろう?」
未だに状況を理解できず困惑する鬼男に、獣はわざとらしくため息をついてから彼を見上げた。
「おいおい、まさか先日出会った友を忘れたとは言わせねぇぞ?」
獣は再び身を捩って拘束から放れると、後ろ足を跳ね上げて卓上に着地した。
「まっ、確かに名乗りはしなかったがな。良かったなぁ鬼子、これでお待ちかねのオレの自己紹介が拝めるってもんよ」
姿勢を正してひょんと尾を振り、獣は玄い瞳を怪しげに煌めかせた。
「オレは“天狼”。夜空に光り輝く大犬座を宿星とする霊獣・天狼様だ」
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.124 )
- 日時: 2010/05/17 18:49
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
※
鬼男は、血の気が下がっていくのを自覚した。
『霊獣』、それは、妖怪の類でなければもちろんただの獣でもない。凄絶で清冽な神気を司り、世界の秩序を束ねるという神の眷属。その一匹一匹が固有の性を持ち、時に人間を形代として密かに目を光らせているという。
「天、狼……」
目を瞬かせると、呼ばれた小さな獣は何だと言いたげに視線だけを向けてきた。
どこかで見たことがある。というか、読んだことがある。例えば、今日、臥せつつも手にしていた漢の書物の中で。例えば、閻魔の所持する星図の中で。
そう、その名は数多に輝く宿星が一つ。太陽の次に明るい星とし、『灼熱』を司る大犬座の名称を持つ冬の星。
改めてよくよく考えてみれば、その首許に飾られた数珠は霊獣の証だったりするのではないだろうか。
口をあんぐりと開けて己を指差す鬼男に、獣はしたり顔で笑う。無言なのは、そんな彼等の反応を楽しんでいるのだ。
一気に肩の力が抜けた鬼男は、ふと眉根を寄せた。その荘厳で名高い霊獣天狼が、何でこんな小さく弱そうな異形の姿をとっているのだろうか。疑問を声に出して訊くと、獣はさも当然のことのように口を開いた。
「何でって……そりゃ小さい方が行動しやすいに決まってるじゃないか」
鬼男は何度も瞬きをし、そして長く重い溜め息を吐いた。どこまでもお気楽な霊獣だ。霊獣というからには威厳のある姿を想像していたから、いささか裏切られた気分である。では、他に霊獣としての真の形状もあるのだろうか。まず第一からして生意気な獣から霊獣に結びつけるのは、少々難儀した。
当惑する鬼男に閻魔が「もう大丈夫?」と声をかけた。
「天狼とは前に一度だけ話した事があるんだよ。ほら、鬼男君が朝京一郎のことを話してくれた時に」
無理やり豆を食わされたあの時。あの後、自室で思案に暮れていた閻魔の下に、これとは違う姿形で。そこで誰よりも早く近状を告げられた。彼の想像を遥かに超えた事実を。
「ねぇ天狼、今日はまた何の用があって来たんだい? 君はあまり動き回れないんじゃなかったの?」
大きな欠伸をして、天狼はふたりを睥睨した。
「まっ、謂わば挨拶にな。いい機会だ、そろそろ全て話しておこうかなぁと思ってさ」
これ以上隠しても鬼子が嗅ぎ回るだろうかなあと、呆れた風情で前足を組む天狼。
「やっぱり、あの声はお前の……」
鬼男の額に血管が浮かぶ様を、閻魔は視界の隅に捉えた。実は彼も就寝していたところをこの獣に呼ばれたのである。知りたがりやの若僧に一発面食らわせてやるから見に来い、と。まさか本当におびき寄せられるは思わなかったため、鬼男が起き上がったのを見たさっきは、あれほど当惑したのである。
京一郎を預けたという白き狼の、常の姿。
「いやぁね、もう少し後になってからでも良かったんだけどさ、ほら、お前もお前だし、現状が、さ」
身の内に秘めた実力を隠し塞ぎ、飄々とした態度の霊獣。他の同胞とは全く異なり、またその口にしない経歴から忌み嫌われる天狼。閻魔の傍らに憑く黒獅ですら警戒を解かない謎大き素性の持ち主だ。
「さて」
天狼は突如真剣な表情に打って変わると、高くも張りのある声を発した。
「そう長居出来る身じゃないからな。手短に話そうか」
尾が月光を弾きながらゆらゆらと揺れる。
瞬間、天狼の瞳が仄かに紅く染まった。
「他でもない。壬生京一郎のことだ」
張り詰めた空気に、固唾を呑む音だけが響き渡った。
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.125 )
- 日時: 2010/05/30 19:21
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
【其之十三 邪神の桃源郷】
孔子の説いた教えのひとつに、こんな論語が在る。
『子曰く、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う』。
——過ちを改めない、これを本当の過ちというのだ。
ひと昔前に読んだ彼自身が、ある人物を励ますように読ませた文章である。その時、彼はこう言った。
——なんと希望に満ちた教えなのでしょう……。例え過ちを犯しても悔やむばかりでなく、それを改めることで乗り越え前向きに生きようという教えなのですね。
なんと、温かい……。
そう、目の前で絶望に打ちひしがれる男に言い聞かせるように言った。
——綺麗な“眼”だね。一点の濁りもない澄んだ“眼”だ。私はそんな気持ちの良い“眼”が大好きなんだよ。
彼の“眼”を指差し、そう唱えた。唯一の友達と同じ“眼”。もう濁り切ってしまった自分とは違う、美しい“眼”。
今自分の周りに在る友人達も、そんな美しい眼差しをしていた。生きる意味を知り、人間でもない存在なのに豊かな感情を持った二人に、いつしか自分は過去の己を重ねていた。
その身が生まれ居出たその瞬間から、運命は定まっていたのであろう。幼い記憶など一切無く、ただ殺戮を絶やさないためだけに生まれた存在。
全てを知っても、それでも、変わらずに私の名を呼んで、手をのばしてくれますか——……?
怖がっていた。屈託なく話しかけてくれた友が、再び離れてしまうことを。自分の過去を知らず、一切の身内を明かさずとも、笑いかけてくれた友が離れて行ってしまう。行かないで、なんて手を伸ばせるはずもない。それが当然の反応だからだ。
だから、知らずにいてほしい。知る必要はない。だって、私はここに居るから。拭えない罪に震えつつも、笑い合える友が居るから。
お願い、訊かないで。どうか知らずにいて。離れないで。
私はもう、見たくないんだ——。
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.126 )
- 日時: 2010/06/01 18:41
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: j553wc0m)
※
理解を超えた状況に、鬼男は陥っていた。脇に立ち共に獣の話しを聞いていた閻魔でさえ困惑を滲ませている。彼も、京一郎に関しては初めて耳にするのだ。
一方獣は卓の端に座り、先程閻魔を点検している時に掠め取ったであろうチョコの包み紙と苦戦していた。苛ただし気に銀紙を剥がす様はどう見たって小さな動物だ。それが霊獣なのだと言われても、しっくりこないのは閻魔だって同じである。が、しかし。今告げられた真実はその衝撃を遙かに上回るものであった。
「つまり、紅は一度世界を滅ぼそうと目論んだ一族の君主だったってこと?」
天狼は相変わらず包み紙と戦いながら「そう」と短く首肯する。
「オレの口からは詳しくは言えない。だがな、お前等が想像してるようなヤワなもんじゃないぐらいは断言出来るだろうな」
鬼男が訝しげに目を剥く。苦渋に満ちた表情が頭を過り、塞がりかけていた傷口をきりきりと痛めた。
京一郎の支配していた一族を、天狼は『壬生一族』と称した。
道教を祖とする陰陽道、古代埃及から発生した錬金術。それら世界中のありとあらゆる呪術・医学を掌握し動かしているといわれる神にすら匹敵する一族。この空間とはまた違う異界での『日本国』を陰から支配し、歴史を操作していたと天狼は言った。故に人の運命を、生命の尊厳を弄んでいたそうだ。特化した能力を変幻自在に操り、共に生存していたはずの人間を愚弄していたとも。そしてその神を名乗りながら悪魔の如き所業を成す一族の頂点に君臨するのが、『先代紅の王』である京一郎なのだ。
鬼男は衣の上から胸元を押さえた。なぜだろう。悲哀にも感じる衝動が込み上げてくる。極悪非道な王に、なぜいまさら同情を覚えるのだろう。
そうか、だから京一郎は隠そうと必死に努めていたのか。自分の侵した罪を知られたくないが為に、いつも涼しい顔をして、けれど胸中で激しく慟哭しながら。
「だがな、京一郎は殺されたんだよ」
思わぬ呟きに鬼男はバッと視線を天狼へ戻した。諦めたのか、無残に引き裂かれてもなお包み紙を纏うチョコは脇へ放置してある。
剣呑に目を細め、天狼は冷たく言い放った。
「悪の道に染まった者が在れば、必ずそれを成敗しようと歯向かう奴が居る。京一郎は、たった一人の友に、最後を看取られたんだよ」
そして、殺されたのだ。
まだ悪行に手を染めていない遙か昔、その友と一つだけ、約束を交わした。いずれ世界を滅ぼさんとする未来の自分を予測し、それを止めるよう願いを託したのだと言う。殺す他、歯止めの利かない事態になってしまうだろう、と。涙を流しながら、秘かに契ったのだそうだ。
閻魔が渋々合点がいったように頷く。鬼男は自分の今さっきまでの思考を全力で否定していた。なんて愚行な考えをしていたのだろうか。京一郎が隠し通そうとしていた真実に、あんなにまで執着していた自分が馬鹿馬鹿しい。知る必要の無い事実を、聞いてしまったのだと後悔する。
『羨ましい』と、京一郎は二人の舌戦を見ながら笑っていた時があった。その時点では理解し切れず怒りの矛先を京一郎へ向けてしまったのだが、今になってその言葉の真髄がわかる。本当に、彼は羨ましがっていたのだ。屈託なく分かち合える友を持つ自分を脇で眺めながら、いつしかその中に入りたいと切々に願いながら。
ずっと、独りだったから。
「どうだ鬼子。それでもまだあいつを退けられるか?」
どくん、と大きく脈動した。
「…………」
俯き言葉を失う鬼男から視線を離し、天狼は無限廊下へと続く戸を見据えた。
「だってよ。後は若い奴らで話しをつけることだね」
さっさと前足を振り、天狼は踵を返して闇に溶けて行った。
ハッと息を呑み、戸惑う気配がする。鬼男は閻魔に吊られて振り返り、そして慄然とした。
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.127 )
- 日時: 2010/06/06 19:44
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: vWhir.lo)
「京、さん——……」
いつからそこに居たのだろうか。いつかのように、戸口に寄りかかったような姿勢で目に映った痩躯の男。白無垢の大紋に長袴を可憐に着こなし、滴る鮮血を思わせる紅い眼を無言で向けてくる。違う、これは鮮血なんかじゃない。暮れる夕焼けを切り取ったような、切ない色なんだ。
硬く引き結んだ口元から泡沫のような声が零れる。
「知って……しまったのですね」
弱く儚い邪神の声が、夜風に溶けていく。
鬼男は俯いて黙然と首肯した。大気が冷たい。京一郎は諦めたように顔を伏せ、勇気を振り絞り口を開いた。
「……出来れば、ずっと一緒に居たかった——」
何も知らず、ただ笑い合える友として。暗い過去など必要ない。今を、共に生きたかった。
鬼男の肩が僅かに震えた。閻魔は成り行きに任せて黙している。
「そう。私は世界の破壊を目論み実際に一族を動かしていた邪神『先代紅の王』。幾多の歴史を支配し、この手で……何百の罪を犯してきました……」
胸の奥がきりきりと締め付けられる。今でも時折、あの時の幻覚が自分を追い詰め、苦しめて。
「……私は、未来を。醜く歪んだ世界を無に帰そうとしていたのです」
京一郎は深く伏せて顔に影を落とし、その表情は窺えない。ただ、声が、微かに泣き声を孕んでいるような気がして、鬼男は無理に気付かないふりをした。
「強すぎる力が思考を狂わせた。長い時を生き、いつしかこの“眼”は澱んでしまったのです。世の汚点しか映らなくなり、生き物全てを見下すように。狂が居なければ、私の野望はあの時完全に成就していたことでしょう……」
唯一無二の友の名、それが、狂。ずっと昔、京一郎と二人で約束を交わし、そして征伐を下した友達。そうして彼は、永遠に近い生命を、自ら築き上げた搭と共に終えた。
誰一人として口火を切ろうとはせず、ただ重苦しい静寂だけが満ち満ちていた。月はとっくに天辺まで上り詰め、宵の清涼な空気が身体を芯から冷やしていった。衣擦れの音が妙に反響する。暫し黙然と俯いていた京一郎の言葉が、二人の脳裏を貫いた。
「……さようなら。とても、楽しかったですよ——」
見ると、彼はサッと踵を返し、戸口から姿を消そうとしていた。
振り動いた時に垣間見えたのは、赤い雫。
気がつけば、鬼男は閻魔より早くバッと駆けだしていた。視界から消えかかっていた手を掴んで引き留める。その手から伝わる温度に鬼男は息を呑んだ。——冷たい。まるで、氷塊のように。こんなにも、彼の手は冷たかったでろうか。驚いて首を巡らせた京一郎の目尻が、変に腫れぼったかった。
「鬼男さん、何を——」
「勝手な行動は謹んで貰いたいですね」
鬼男は平然と、しかし冷静に言い放った。
隣に並んだ閻魔が思わぬ物言いにかぱっと顎を落とした。同じくして京一郎も目を点にして鬼男の表情を覗きこんでいる。
初めて言葉を交わした時のように、切れ長の目が鋭く見返してくる。紅い眼に怯え反らすことなく、ただ黙然と。煌めく金の双眸を凝視して、京一郎ははたと思った。そうだ、この“眼”だ。一点の濁りも無く、どんな現状であろうと反らさずに強い意志を持って受け止めてくれる“眼”。
「あなたはあくまでも人質なのですよ。身勝手に出て行くことは……僕が、許しません」
力強いはずの声音が徐々に途切れていく。
だから、と鬼男は声を振り絞った。
「——行かないでください!」
張り上げたその哀願が、邪神の瞳をひと際大きく揺らした。
逃げないで。辛い過去など、過ぎ去ってしまったこと。貴方は京一郎でしょう? 『先代紅の王』ではない。たったひとりの、和ませ役だから。穴の修理も、論文の手ほどきも、他の誰も成し得ない。京さん、貴方にしか出来ないことだから。
胸の痛みなど、ここに全部吐き捨ててしまえばいい。詰まった時には、それを受け止めてあげよう。それでも傷が癒えなければ、ずっと傍に居ればいい。
罪に溺れた邪神などではない。貴方は、失い難い聡明な賢者だ。
京一郎の手を堅く握り、鬼男は柔らかく微笑んだ。
後悔と自責の念に苛まれて、癒えない傷と痛みに灼かれて。それでも二人の前では何事も無かったかのように笑って、全てをひとりで抱え込んでいるのならば。
大丈夫、ここなら見離さない。少しずつでもいいから、治していけばいい。痛みを伴う記憶を自分達の存在だけで消せるのなら、喜んで傍に居よう。
だって、ここは。
「だってここは世界の果てですよ。もう行き着く場所は無いじゃないですか」
世界の果てであり、変わり者の二人が統治する空間。
……貴方の、桃源郷。
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.128 )
- 日時: 2010/07/28 20:47
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: DLaQsb6.)
※
桃源郷。即ち、理想郷。多くの人間が天国へ想像を馳せる中、彼だけは違う。ただ心の底から笑い、屈託なく分かち合える友が居るだけで、それだけで彼は身を落ち着かせられる。
京一郎の瞼が徐々に閉ざされていく。
どうしようもなく眠い。ここで眠ってしまったら、また怒られてしまうだろうか。少し考えて、きっとその通りだと薄く笑う。眠ったら、まず鬼男がぶちぶちと小言を言いながら自室まで運んでくれて、目を覚ますまで閻魔が傍らに控えているに違いない。
辛辣な秘書鬼男に、その上司たる腰抜け閻魔大王。
それが、京一郎の知っている二人だ。京一郎の知っている、天国組だ。
くたりと脱力し、彼の白く細い痩躯が鬼男の胸に崩れ落ちる。
ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で嘆き、それを最後に京一郎の思惟は闇に溶けた。阿傍との戦乱により力を消耗し切っていたのに、限界を超えるまで彼は、二人のために堪えていたのだ。
鬼男はふっと肩を竦め、京一郎の身体を両手で支えた。
あんなにも頼りがいのある彼なのに、時折ガラスより脆くなってしまう。だから、壊れてしまわないよう支えてあげなくてはならない。罪に汚れてしまった手を、離さないように。
金色の瞳は温かく、昏睡した京一郎へ注がれる。
僕は貴方を見離さない。だって、主と共に守るよう言い遣わされているのだから。破約の命が無い限り、それは一生貫き通す。
さわりと風が吹いた。何百年も慣れ親しんだ神気が、鬼男の頬を撫でる。
「……鬼男君」
呼称された鬼男は、緩慢な動作で首を巡らせた。
記憶に一番古い人物が、自分を見上げている。彼が閻魔と永久的な契約を交わした頃と同じ表情だ。
鬼男は瞬きもせずに主を見詰めた。
「……これで、良かったのでしょうか」
「ん?」
穏やかに応じる閻魔に、鬼男は問うような視線を向ける。
「京さんを引き留めてしまい、本当に良かったのでしょうか。本当は、行かせてあげた方が良かったのではないでしょうか……?」
思わず目を細める閻魔。震える声音で鬼男は続ける。
「……彼の意の赴くまま、自由に放浪させてあげた方が。それが、得策ではなかったのでしょうか…………」
鬼男を映していた瞳を、閻魔は仄かに微笑してそっと閉じた。
ああ。その身に生まれながら宿る性は冷徹な獄卒鬼だと、一体誰が言ったのか……。違う。彼は誰よりも命の重みを知り、慈悲深く優しい青年なのだ。だから、闇に埋もれ悲しみに打ちひしがれていた自分に手を伸ばし、救ってくれたのではないか。幾度も閻魔を脇で支え、時には言外に励ましてくれる。
鬼のように屈強。だが、鬼の性質に屈しない精強な勇者になってほしい。
名は、願いだ。
君はその願いに応えてくれたんだね。
いいや、と閻魔は瞑目したまま首を振った。
「きっと紅もここに居たかったんだと思う。だって、ずっと一緒に居たかったって、言ってたじゃないか」
泣いて、願っていたんだ。
閻魔は永く人の心に触れてきたせいか、その心情を容易に察することが出来た。
だから同じくして、京一郎の心も知っている。
どれほど傷ついたか。どれほど絶望したか。どれほど、己を責め苛んだのか。一月前、主を失った鬼男がそうしていたように。
「例え人を殺め続けてきた邪神であろうと、心は人間なんだから。……助けを待っていたんだよ、きっと」
差し伸べてくれる手を。唯一心を許せる場所を。
ゆるゆると瞼を開き、閻魔は京一郎の紅い髪に触れた。体重の全てを鬼男に預け目を閉じたかつての殺人鬼は、血の気の無い白い顔をしている。
「じゃあ、運ぼうか。このままここで寝かしてたら風邪引いちゃう。鬼男君だって治りかけだし、俺も肌寒くなってきたからね」
肩を抱いて苦笑する閻魔の物言いに、鬼男は一度だけ頷いた。
- Re: 日和光明記 —Biyori・koumyoki.RPG— ( No.129 )
- 日時: 2010/08/29 12:22
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: bdCN.0aH)
お久しぶりです!
そしてこにゃにゃちは!!←
長らく放置申し訳御座いません。
っというかこれを見て下さっている方が果たしているのでしょうか……? 酷く疑問ですが;
久々の更新レッツ行ってみましょー↑↑
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※
壬生京一郎の経緯が明かされて早三日。やはり鬼という体質からして治癒能力が高く、既に全快し復帰した鬼男は、閻魔と共に溜まりに溜まっていた裁判をようやく終え、一息ついていた。
手頃な椅子に腰を下ろし撃沈する鬼男に、閻魔はお疲れ、と声をかける。
「少ないって言ってもゼロじゃないからねぇ。三日分の死者を裁いたのは久々だよ」
ちゃんとやるから、と断言しつつもやはり彼はサボっていた。まあ、その理由が鬼男を含める者の看病に当たるから、そう文句は言えないのだが。大体の予想はしていたため、今回ばかりは多目にみてあげることにした。
大きく背を伸ばし、肩に手を置いてコキコキと首を鳴らしながら鬼男は唸った。
「まったく。こちらもとんだ痛手を受けたものですよ。まさかあんな堅物ごときに屈するとは」
しかも、と極寒の目つきで睥睨し、続ける。
「前主らしき貴方が劣ってどうするのですか。面目丸潰れですよ、この腰抜けが」
「だってだって、普通あそこまで強くなってるとは思わないじゃん? それに、力付けてまで‘復習’しに来たなんて」
「文字間違ってますよ大王。何を復習するんですか。それを言うなら『復讐』でしょう?」
この二人は何について話しているのだろうと問われれば、おおよそゲーム中などに出てくるセリフの覧を指しているのである。一応RPG風なので、そこの処は悪しからず。
「おい、話題逸れてないか。ナレーションが脱線してどうするよ」
「まっ、偶にはギャグ要素も兼ねて」
「あんたがやってたんかい!」
「アンドロメダっ!」
鋭いツッコミを同じく久々に体感しつつ、閻魔は反動で卓上に打ち付けた額を押さえて口を開いた。
「えぇっと、何だったっけ? オーロラの話しだっけ……ちょっちょっちょっタンマ! わかったわかった、話し進めるから爪尖らせないでっ! 偶には幻想的な話題持ち出したかっただけだからっ」
拷問器具をきちんと閉まったのを認めて安堵の息を吐き、つくづく本当に辛辣だよなぁと心中で呟く閻魔であった。
「鬼男君の察してる通り、確かに阿傍は獄卒鬼一の筆頭だった。多分、歴代で一番実力派だと思う」
ふと、閻魔は昔を思い出しながら眉を顰めた。
「故に誰よりも欲深い男だった。今の地位には到底満足せず、絶えず主であり創造主の俺を引きずり下ろそうと目を光らせていたのを覚えてるよ」
——なぜ貴様のような弱者に従わねばならんのだ。俺は弱い者の麾下には就かぬ。貴様を殺し、俺が王となる——!!
耳朶に突き刺さった罵声が、閻魔を慄然とさせた。とっさに他の部下を率いて暴れ狂う阿傍を拘束したが、彼と同様に不満を募らせていた獄卒鬼達も加勢し、闘いは何十年と及んだ。
「結局滅し切れず、人界の果てへ追放した。二度と戻って来れないよう、禁呪もかけて」
同時期に反乱を起こした獄卒鬼達も刑に処した。しかしそれが本望だった者も居たらしく、彼等の魂は闇より冥い業火に呑まれ消滅した。何物も残さず、無へ帰す地獄の焔に。
「そしたら、鬼の大半が減っちゃってさ。その年は参ったよ、まさに猫の手も借りたいぐらいでさあ」
はははと強張った表情で笑う閻魔に対し、黙然と見据える現代の秘書官の目は真剣であった。
「それは、僕の生まれる前の話しですよね」
笑いを止め、冷たく見開いた瞳が僅かに揺れた。
「うん。でも、ずーっと昔の話しだよ。今は、ほら、こんなに頼りがいのある右腕がいる」
しかし鬼男は硬い表情を崩さなかった。頬杖をついた手に顎を据えて、閻魔の動作といい弁代全てを険しい面持ちで凝視していた。
自分が生まれる前といったら、何百年前となるか。よもや数えるのも忘れてしまったほどであるから、相当な月日に違いない。その間、一体彼は何をしていたのだろうか。無論、閻魔大王として亡者に責め苦を受けさせ裁決を下していたのだろうが、はたして今のように腰抜け変態男だったろうか。自分の知り得る閻魔がもし新しいものだとしたら、過去の彼はどんな素性で過ごしていたのだろう。
それこそ絵図にあるような赤ら顔の別人を重ね、鬼男は思わず吹き出しそうになってしまった。似合わない。自分の上司はあくまで腰抜けであって、あのような壮大なお方では駄目なのだ。