二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.46 )
- 日時: 2010/01/31 19:31
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
【其之七 眠らざる実力】
閻魔庁は意外に広い。外見から打って変わり、建物内部には何十という個室が存在する。その光景は邸の限界を超え、さながら建築ミスをした『巨大旅籠』のようだ。
仕事場でありリビングでもある玄関口を始めに、左には天国への階段が、地獄門は右の地下道へ通じる。
そしてもう一つの質素な扉からは、問題の『無限廊下』が続いているのだ。
主である閻魔ですら完全に把握しきっていない閻魔庁内部。下手をすれば、そのまま迷宮入りにでもなってしまいそうだ。と言えど、危険個所には“封”を施し、容易には行けないようになっていた。
全ては、好奇の塊である京一郎を思っての行い。
壬生 京一郎が居座ってから数日が経過しようとしていた。最初見せていた恐怖心も幾分か和らぎ、こちらとしてはありがたい。
怪我の具合かというと、既に完治にまで至っていた。彼の再生能力には驚かされるばかりである。白く透き通る陶器の肌に、磨き上げられた銅のような光沢を持つ髪。やはり誰が見ても美形だ。二人はそう受け止めざる得なかった。
そんな妖艶で不思議な男に手を焼く人物がいた。
無人の室内を見回しては怒り任せに戸を閉め、次の部屋へ向かい、同じ動作を繰り返す。
その表情は、まさに“鬼そのもの”。
(何がっ、なぁにが、『じゃっ紅りんのお世話、よろしくね』だ! どいつもこいつも人に面倒押し付けて! お前こそ年がら年中暇だろう!? 大体、人外生物に付き合えるほど、僕はお人好しじゃない!!)
心の底で吼えながら見回したが、室内に居ないことを察し、がっくりと落胆する。
(どうも好きになれないんだ、あの人——……。まるで気配を感じないし、何よりあの眼! 絶対人じゃない、化け物だ!)
いや、最初から薄々感づいていた。放たれる神気は清冽。あの面妖なオオカミと同じ——。
『妖《あやかし》』か『神《かみ》』か。その両方を司った容姿。もし閻魔と同じ神族なら、彼より断然格上の存在であろう。だが当の京一郎はそれに関して一切触れようとしない。
まるで、自分が何者なのか理解しきっていないように。
どたどたと足早に突き進んでいた鬼男は、ふと香の匂いを嗅ぎ取って足を止めた。すぐ横の部屋から漂ってくる。ここは……
(確か、書簡庫だったかな)
首を傾げながら引き戸に手をかけ、がらりと横に動かした。
仄かな香りが強烈な臭気となって鼻孔を突いた。まろやかで甘ったるい。鬼男はこの類の臭いが苦手であった。
カビと香で充満したほの暗い書庫の中には、様々な時代から集めた蔵書が保管してある。羅列した棚にところ狭しと敷き詰められた書物の中には、世にも珍しい秘蔵の書があったり、ありふれた変な雑誌が溢れていたりと、凄いんだか凄くないんだかいまいち分からない。
とにかく、この部屋に人の気配があるのは間違いない。
迷宮のような倉庫に目を配り、臭いの根源を探る。不法侵入なんて物騒なことはないと思うが、万が一だ。
自分が通った跡に埃が舞い上がる。相当長く使ってないようだ。こんなところに大王が来るハズないし——。
捜索を続けていると、部屋の隅から仄かな明かりがちらちらと漏れていた。鬼男の背筋に悪寒が走る。
「火……ッ?」
ばっと駆け寄ると予想通り、それは火の灯だった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.47 )
- 日時: 2010/01/31 19:31
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
だが、それは弱弱しいロウソクの灯りであって、火災を起こすほどのものではなかった。
燈台が三本ほど立っている。その明かりの前に、背を向けて肩胡坐で座り、黙読に没頭する京一郎の姿があった。
「こんなところに居たのですか。探しましたよ」
ほっと肩を落としてから声をかけるも、彼は手に持った書から顔を上げようとはしなかった。相も変わらず紅い眼で字を追っている。彼の周りには手当たり次第読みあさったらしき跡があった。分厚い書物が山積みになって置いてある。これを全部読もうというのか。
「京さん、京さんっ」
いくら名前を呼ぼうと見向きすらしない。そうか、あんたがその気なら……。
鬼男は不敵に笑うと、京一郎へ近寄った。が、
「うっ」
一瞬のうちに血相を変えて、慌てて飛び退いた。
彼の横にぽつんと置かれた香炉。そこから出ている臭気が防御装置のように働き、鬼男の嗅覚を刺激しだしたのだ。昔からお香には厄除けの力があると伝えられる。自分の短所が表に出た瞬間だった。
「あれ、オニオンさん?」
ようやく存在に気付いた京一郎が顔を向けた。
いや、違うぞ。なんか違うぞ。
「誰がオニオンだ! 誰かさんみたいな間違いしないでください!」
憤然と訂正したが、やはり臭いはキツイ。ついには鼻を覆う羽目に。 思い出した。この臭いは確か、パチョリ油とかいう厄除けの香だ。なんでも、香を炊いた人物に害を成すモノを妨害するとか。ちょっと待て。そう考えると、自分はこの意味不審な男に有害だと認識されたのか?
とんだ無駄足——いや、わざわざ(心の中で)怒鳴り散らしていた自分が馬鹿みたいじゃないか。
ふざけるなよ! っと今度は声に出して激昂してやりたかったが、ある意味、妖怪の自分にはこの臭いはこたえる。
鬼男はたまらず、噎せかえった。
苦しげに呻く彼の様子を明らかに不審がった京一郎が、眉根を顰める。
「お、鬼男さん。なんか涙目ですよ……」
誰のせいだと思ってんだ! だが喉が詰まって声にならない。というか、パチョリ油はただでさえ少量でいいものを、何を勘違いしたのか、彼は多様してしまった。密室にこれだけ充満してるのも関わらず、京一郎は平気な顔で読書なんてしていた。
まったく。この人の嗅覚はどうなっているんだ。
「こ、香炉——」
やばい。想像以上の効力だ。
予期せぬ言葉に虚を突かれた京一郎は、「ふぇ?」と間の抜けた返答をしながら、香炉を手に持って見せた。
「これ、ですか?」
そうそう。それだよ! 早く消してくれ!
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.48 )
- 日時: 2010/01/31 19:32
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
「鬼——あっ!」
京一郎はバッと立ち上がると、部屋の隅に備え付けられた障子戸の窓の持ち手を引っ掴んだ。書物と共に長い間放置されていた戸の隙間には埃とカビが溜まり、なかなか思うように動かせない。彼は一旦息を整え、掛け声と同時に身体を大きく仰け反らせた。
「はっ!」
刹那、暗闇に慣れた網膜に激しい光が差し込んだ。視界が真っ白になり、堪らず目を瞑る。悪臭が狭苦しい個室から解き放たれ、冥界の薄暗い大空へ広がって行く。
数秒が経ち、恐る恐る見開くと、窓を背に微笑む京一郎が居た。ちりが日光を受けながらきらきらと輝きながら舞っており、まるで開封を祝う紙吹雪のように錯誤させた。
「やはり、あの臭いは耐えきれるものではありませんよね」
屈託の無い笑顔を向けられ、湧き上がっていた憤怒が不自然に静まる。やっぱり苦手だ、この人は。
「分かってたんなら最初からそうして下さいよ!」
罵声混じりに吐き捨て、誤魔化すかのようにサッと立ち上がり、鬼男は深々と深呼吸をした。
清々しいとはいえないが、新鮮な空気が肺に広がり、今まで占領していた臭気を追い払う。ようやく胸を締め付けていた呪縛から解放された。
鬼男の動作と言葉を真に受け、京一郎が寂しげに視線を離した。
「そうですよね。……ですが、何かお手伝い出来る事があればと思ったんです。私一人ぬくぬくと過ごしていたのでは鬼男さん達に申し文無い。ですから、せめて書物の管理だけでもと——」
「で、結局あなたは僕に苦労をかけた上に、半殺しの刑に処した」
絶対零度の返答に京一郎は慌てて頭を下げた。
「本当に申し訳ございません! パチョリ油は殺虫剤として用いられていると聞いたので」
「それは衣蛾ですよ。それに、冥界に虫なんていません」
自分たち以外に生き物は居ない。素っ気なく指定すると、京一郎は「あっそうか」といった風にぽんと手を打ち合わせ、考えを改めた。
「えっでも、妖除けにはなるでしょう?」
はぁ……。なんとお気楽なヤツだ。人に迷惑までかけといて。
またも嫌な人間が増えてしまったと落胆する鬼男。彼の憂鬱はまだまだ続きそうだ。
「そう言えば鬼男さん、私に何か御用ですか?」
あっそうだ。彼の本調子にすっかり載せられてしまっていた。
「あぁ、はい。実は京さんに仕事がきているのですよ」
「仕事……?」
これで、彼の退屈病は改善されそうだ。
鬼男が秘かにほくそ笑んだ事を、無垢な京一郎は知る由も無い。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.49 )
- 日時: 2010/01/31 19:36
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
※
広漠な閻魔庁に凄絶な笑声がこだまする。元を辿ればやはり仕事場。案の定、腹を抱えて笑い崩れる閻魔と、それをじとっと半眼で見据える鬼男が居合わせていた。
「笑い事じゃないですよ。本当に殺されかけたのですから」
鬼男は苦虫を噛み潰した顔をして、余計な事を告げてしまったと深く後悔した。どこのヤツが香炉で半殺しにされるんだ。何と言ったって自分は誇り高き冥府の秘書官なのに。それがたかが臭気に苦しめられたなんて……。こんなことが“あいつ等”に知れれば、『情けない』の一言でバカ扱い必須だ。特に“曽良”なんかは絶対侮蔑の眼差しを向けてくるだろう。言ってしまった以上、閻魔が告げ口しないようにとひたすら願うしかない。あぁ、なんて可哀そうなんだ、自分は。
「で、で? その犯罪者くんは今どこに?」
ひとしきり楽しんだ後、閻魔が話しの先を促した。まだ喉の奥をくっくっと鳴らせて耐えている。人事だと思いやがって。この野郎……!
「さっき言ったでしょ。働かざる者食うべからず。その掟に従ってもらってます」
鬼男は嘆息混じりに奥の間を指差す。
新入りの京一郎は、閻魔に与えられた自室にて雑用をこなしていた。今頃書類の整理が終わり、墨擦りでもしているだろう。尋常でない霊力を持っていそうだが、この上司の目もあるし、無理は出来ない。とりあえず簡単な雑務から済ましてもらおうという思惑だ。
強制ではない。そう提案すると、彼自らやりたいと申し出たのだ。香炉の一件があるまで否定するのかと思っていた鬼男は、一瞬虚を突かれた。
——大王もこうだったら良かったのに。
京一郎を見ているとふと思い返す。
もともと、生真面目な自分と閻魔は不釣り合いな仲にあるような気がする。だからといって絶交出来ないのは本能ゆえの行動なのだろうか。
不本意だが、妖怪の自分からしてみれば閻魔は妖魔神に匹敵する存在。非力な部下というのは、司令塔なくては生きていけない。……皮肉なものだ。
こんな単純な男が司令塔か。
思い返し、鬼男はむっと眉根を寄せた。
「っと言うか、大王の不注意が原因じゃないですか」
「えっ、何が?」
閻魔が目を丸くする。
「だから、さっきの半殺し事件です。“退守術”の効力が薄れてきたみたいですからね。後でかけ直してくださいよ」
「あぁ。そういうことか」
閻魔はようやく合点がいったように頷いた。
鬼——妖というものは非常に不便だ。
神の眷属である閻魔は、例の香炉といった退魔道具の効果を受けないが、自分のような妖は術をかけてもらわない限り大目玉を食らう。普段からつねに“退守術”で身を守っているからいいものの、切れ目がわかりずらいから煩わしい。
「まったく。自分の部下の面倒ぐらい看てて下さいよ」
「それ、君が言うセリフ?」
「うっ……」
鬼男は一つ呻くと、そのまま無言で目を反らした。それを肯定と受け取って閻魔がやおら笑顔になる。可愛いなぁ、もう。
それきり会話が途絶えてしまったことが決まり悪かったのか、鬼男は、にぱにぱとお花を漂わせながら微笑む閻魔に慌てた様子で「早くしてください」と急かした。
二つ返事を返して、閻魔はしげしげと鬼男を見据え始めた。
彼の茜色の眼には鬼男の周りに張られた退守の結界が見えているはずだ。もちろん常人には映ることのない霊力の盾。術をかけるのも気付くのも、全て閻魔大王でなければ成しえない業だ。
鬼男は、納得のいかない風情で息をつくと、検査が終わるのを黙然と待った。
「——あれ?」
不意に閻魔が小首を傾げた。
「確かに弱まってるけど……でも、香炉みたいな小物で破られるほど薄くはなってないよ」
「そう、ですか?」
鬼男は何度か瞬きをしてから、再確認をしている閻魔と顔を見合わせた。
ならば、なんで——?
「まぁ、一応補強しておこうか。いつ切れるかわからないしね。それに……」
ふっと目元を険しくする。
「それに、最近は何かと物騒だしね」
こればかりはさすがの閻魔もトーンを落としかねない。冥界に異常がきたしているということは、人界が何かしらおかしな事態に陥っているということだ。下界してまで世を正すのは神としての義務。だが、一カ月前の一件に終止符が打たれて以来、彼等は必要以上に人界へ介入しないようにと心を決めたのだった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.50 )
- 日時: 2010/01/31 19:37
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
今のところは様子を見ようということで待機しているのだが——。
「やっぱり鬼男くんも気がかりなんでしょ?」
机に突っ伏しながら胡乱気に訊かれるも、しかし彼はしれっと言い放った。
「仮に何か起きていたとしても、相手は“あの人達”でしょう? そうやすやすと倒されたりはしませんよ、心配ない」
鬼男も閻魔も、人界は人界で気がかりだが、もっとも懸念しているのは、あの人達——天国組の親友ともいうべき四人の生者のことだ。
とある事件がきっかけで知り合い、共に旅をしたのだが、それが驚くほど気の合う仲となり、今では双方共々忘れることの出来ない心の友となってしまった。時折、文のやり取りは行っているのだが、互いの決め事により随分と会っていない。
鬼男が断言したとおり、その四人はそれぞれ常人離れした独特の才を兼ね備えている。簡単にやられるものか。否、絶対。
「そうだよね。うん、“太子達”なら大丈夫だよね」
さらりと言ってのけた言葉で安堵したらしき閻魔は、ほっと息をつき、元の表情を浮かべた。
……この人も、きっと寂しいんだ。
冥府の大王という逃れられない宿命を永遠に背負い、人間の負の感情に直に触れなければならない。時には心を押し殺し、鬼神と成り変わらなければならない。だから人界という自由な世界で、流れ移る時間の中で生きる彼等が羨ましいんだ。でもどんなに懇願したって、その思いが成就することは無い。だからこそ、そんな彼を慰め、いつ何時も傍らに付き添う人物が必要なんだ。それが自分。生まれ居出たその時から、鬼としての人生を強いられた自分が居る。
時々思う。自分が居なくなったら大王はどうするのだろうと。
自分の倍以上生きている閻魔。鬼男が存在する遥か昔から人間を裁き続けてきたのだろう。その頃の彼は——大王はどんな人柄だったのだろうか。
「鬼男くん?」
やっぱり今と同じ、天然馬鹿なのだろうか。
「ねぇ、鬼男くん」
ふと思考を断ち切ると、閻魔が目の前で手をひらひらと振って意識を確かめていた。
「大丈夫? 最近様子おかしいよ。鬼男くんが倒れたら俺、どうなっちゃうかわかんないからね?」
冗談半分で言ったのだろうけど、ホント、倒れたらどうするのだろうか。
「僕は健在です。まぁ誰かさんのせいで多少憂鬱気分ですが」
「ちょっ! それ、どういう意味だよ」
ぷうっと頬を膨らませて憤る閻魔。どこか幼さを感じるのは気のせいだろうか。自分の倍に歳がいってるはずなのに。
だが、だからこそ見離せないのだと思う。いつまでも一緒に居たいのだと願うのかもしれない。
「そのまんまです」
鬼男は意地悪気に牙を覗かせ、軽く挑発する。それに、よしやってやろうじゃないか、とでも言いたげにニヤリと笑う閻魔。
——議論から大分逸れてる気がするけど……まぁ、いいか。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.51 )
- 日時: 2010/01/31 19:37
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
※
仕事場の方角から二つの笑声がこだましてくる。
しかし、京一郎の思考を中断させるには、威力が足りなかったようだ。
文台の上には、墨汁が入ったままの硯と、毛先が黒く濡れた筆。広げられた巻物には見事な達筆の字が記されている。
暗然とした室内を仄かに照らすのは、これまた閻魔から譲り受けた燈台だ。彼は京一郎を呆れかえるほど寵愛しており、様々な調度品をと、年期のいったものから新品のものまで、あれよあれよとプレゼントしていたのだ。鬼男が憤怒するのもムリはない。
それはそれはいろいろなデザインの燈台を紹介されたが、しかし京一郎は一番質素なものを選び貰った。そして彼はその燈台を愛用している。
明るいところで作業するよりも、仄暗い一室で没頭することを好む京一郎。ゆえに酷い近眼になってしまったが、読書の時は別だ。
ひととおり雑務をこなし終えた彼は、書簡庫から発掘した書物を手に、思い耽ていた。
——やはり、この地は時間の狭間に安置された異界なのだ。
書庫を探ってるうちにわかったのだが、書の年号がそれぞれそぐわなく、中にはこれからの未来であろう見知らぬ称号まであった。
京一郎は迷い込んでしまったのだ。死者の逝き着く、黄泉の国に。
ならば自分は死んだのか、と問われると、いまいちよくわからない。確かに生前の最後に目にしたものは、砂煙を巻き上げながら倒壊する搭。そして自分は、その搭の命運と共に散ったはずだ。
だが閻魔曰く、
「京一郎って死者の気配がしないんだよね」
だそうだ。
つまり自分は死んでも尚、この魂は未だ生き長らえているのだろうか。冷酷無慈悲・極悪非道。殺戮を繰り返してきた罪人を、神は生かそうと言うのか。なんと皮肉な行為であろう。
その存在自体が災厄を招く邪悪なる紅き神。否、その神にさえ仇した残忍な殺人鬼。それが『紅の王』と称された自分の経歴だ。
血に染まったその黒歴史に、暗幕を下ろすはずだった。黄泉に逝くことでさえ許されない、地獄に堕とされるより辛い刑罰を与えられるはずだった。
なのに——。
「なぜなんだ……!」
京一郎の紅い眼が緋色に燃えあがった。
なぜ生かそうとする。なぜ存在を留まらせる。なぜ、こんなにも胸を痛ませる……!!
無意識のうちに掴んだ胸元に力が入る。
第二の人生を歩めとでもいうのだろうか。自身の侵した罪を償えず、至福に溺れろとでもいうのだろうか。もしかしたら、これが神の下した至高の刑罰なのか——。
「……紅の王が流れ着くは、遥けき異国の地」
京一郎は謡うように呟くと、全身から力を抜き、哀しげに俯いた。霊魂だけとなった今、きっと自害しようとしても無駄な足掻きであろう。
持っていた書を机に置き、彼は重たげな腰を上げた。ゆっくりと、優雅な足取りで部屋の隅に備えられた大きな鏡——姿見へ近づいた。
気品溢れる白い大紋に袴。緩やかな曲線を描く頬から顎の腺は、くっきりしている。歳は二十歳半ばにしか見えないだろう。すっとした鼻梁は高く、引き締まった唇は薄い。陶器のように白い肌は死人を想わせる。
ほんのり闇に染まった部屋に、それは毒々しいほど美しく繊細に映った。
まるで炎を映したかのような、鮮やかな緋色の短い髪。血を連想させる深紅の眼。
それで十分だ。自分が紅の王だと自覚するには。
「どうして——」
悲しげに響いた問いは、虚しく消えていく。
その後ろ姿には未だかつてない感情が溢れていた。
燈台の明かりが届かない暗闇に、一対の双眼が浮かんだ。なんの感情も称えない、真の紅き眼。
それは京一朗に感づかれないよう穏形しながら踵を返すと、漆黒の闇に溶けていった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.52 )
- 日時: 2010/01/31 19:38
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
※
「じゃっ気を改めまして、今回のはいつもより強く念を込めておくから。ね、鬼男くん」
「やるなら早くしてくれませんか」
明後日の方を見やりながら、さらりと放つ。
大王が後頭部から一筋の血を流しているが、僕は知らない。僕は関係ない。と、内心で冷や汗をかく鬼男。
一方の閻魔は、こんなツンデレなとこも可愛いんだよなぁ、と怪我に全く気付かない様子で微笑む。そして静かに深呼吸をした。精神を落ち着かせ、手を複雑に組み、“印”を結ぶ。
「————」
異国の呪文を一言一句間違うことなく詠唱し始める。
彼の足元から甚大な神気が湧き上がり、衣を翻した。その光景はいつ見ても目を細めてしまう。
だが、不意に詠唱がぱたりと止み、淡く発光していた印から光が薄れていく。緩やかに舞っていた衣の裾が虚しく元に戻り、とうとう神気の風さえもかき消えてしまった。
残されたのは、痛いほどの静寂。
「……大王?」
呼びかけても返事が無い。——ただの屍のようだ。
っというのはさておき、閻魔は未だ剣印を構えたまま彫刻と化していた。目をきつく閉ざし、口をキッと一文字に引き結び、険しい表情で思案に暮れているような。だが、その顔には不釣り合いな大粒の汗が浮かんでいる。
鬼男は嘆息した。
「呪文、忘れたんですね」
「だってだって、久々だったんだもん! そんな毎日毎日ガリ勉してたら、誰だって忘れちゃうでしょう!」
まぁ、そうかもしれないけど。
「えっと、何だっけかな。『ムーンなんちゃらメイクアップ』だっけ?」
「何をメイクアップするんですかっ。というかそれ、セーラー●ーンの変心文句でしょうが!」
「えっえっ、じゃあ『ほっぷ、すてっぷ、じゃーんぷ』で」
「だから全く関係無いでしょう!? なんでそういうものばっかりなんですか」
ダメだ。こんなバカ相手にしてたら埒が明かない。うーん『ピーリカピリララ』だったけな。
いやいや、何考えてんだ自分! しっかりしろ自分! 僕は一体誰だ!
「僕は冥官の秘書、鬼男だぁ!」
「どうしたの鬼男くん」
唐突に発せられた怒号に肩をひくつかせ、少し引き気味の閻魔を見咎め、鬼男の血管が浮き出る。
「思い出してください大王! このままでは僕は、一生あいつ等にバカにされる羽目になってしまいます!」
「だから何の話……ヒェッ!」
見ると、鬼男が化け物が如く眼を光らせ、構えのポーズをとっている。嫌でも目に入る、拷問道具と化した凶器の爪。
あれにやられたら、ひとたまりもない。閻魔は両手でなんとか制しながら脳をフル回転させた。
しかし、焦れば焦るほど、何も浮かばない。最近アニメ鑑賞ばかりしていたせいだろうか。
そろそろ処刑時刻が迫ってきた、その時だった。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.53 )
- 日時: 2010/01/31 19:39
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
「何やら話しが弾んでいるようですね」
刹那、凛とした声が響き渡った。まさに振り上げられていた腕をはたと止め、鬼男は閻魔と共に顧みた。
戸に寄りかかった姿勢で映った、薄く微笑んだ細い陰。
「紅……」
それを見咎めた途端、鬼男の背中に冷たいものが滑り落ちた。無意識のうちに慌てて手を引っ込める。
どうも調子狂うんだよなぁ、この人が来ると。
彼は手に幾つかの書簡と巻物を携えていた。全て真新しい鮮やかな色をしている。
「鬼男さん、これ」
穏やかな口調で近づき、京一郎は鬼男の元に書簡諸々を手渡した。
慌てて訊くが前に、京一郎が言葉を紡ぐ。
「墨擦りが早く終わってしまったので。履歴書の書写をと」
「ですが、これは明日の仕事では」
答えを求めるように顔を上げた瞬間、鬼男は目を剥いた。
京一郎の目元が、ほんのり赤く染まっているような気がして——。
頭を振り、再度確認しようとした時には、彼は踵を返し閻魔と向き合っていた。
「何を楽しげにお遊戯していたのですか?」
「お遊戯ではないんだけど……。ちょっと、ね」
閻魔は苦笑いを浮かべながら今までの経緯を述べた。失敗し、なぜか逆ギレされ、半殺しになりかけていたところまで。それはそれは丁寧かつ的確に。
話を聞きながら、京一郎は幾度か笑った。さすがにこの出で立ちで大笑いすることはなく、目を細め、くすりと微笑む。
やっぱり徒者じゃない。
鬼男は巻物を開きながら思った。
「ではその術、今度は私にやらせてくれませんか?」
(なっ、何ィ!?)
ひととおり話の本筋が見えだした頃、彼が顎に手を据えながら提案した。
これには二人共驚愕する。
(なぜそうなるんだ!)
(そもそも、紅に術が扱える訳がないでしょ!)
鬼男共々、当然のことながら戸惑った閻魔だったが、京一郎ににこりと笑いかけられ、躊躇しながらも席を譲った。
(待て待て、僕は嫌だぞ! こんな得体もしれないヤツに術を任せられるなんて。こんなことなら大王に失敗してでもやらせた方が……)
しかし鬼男は発言し損ねた。
「大丈夫ですよ、鬼男さん。間違っても死んだりはしませんから」
(超心配だあぁぁぁあ!!)
鬼男が愕然としているや否や、京一郎は印を組み、先ほどと同じ動作を繰り返した。
——しかし、根本的に何かが違う。
突如、膨大な霊力が凄まじい突風と共に爆発し、三人を包み込んだ。聖なる閃光が京一郎を取り巻き、詠唱に合わせて激しく脈動していく。
鬼男は唖然とその様子を眺めていた。耐えきれず腕で覆ったその隙間から、涼しげな表情で最後の呪文を唱え始める彼が見える。
「——かの者に仇なす退魔の壁を退けよ」
地中から湧き出た神気が鬼男の周りに漂う。彼は不思議な感覚に襲われていた。
今までにない甚大な霊力。かの閻魔でさえ凌ぐであろうその波動には、感じたことのある奇妙な“気”が混じっていた。
そうだ、あのオオカミと同じ、異質な妖気……!
「退守——消失!!」
京一郎の透き通った声音が凛と響く。
瞬間、目に見えない霊気が大きく撓み、鬼男のたくましい四肢を絡め、そして、忽然と消えた。
- Re: 日和光明記 (現在訂正中) ( No.54 )
- 日時: 2010/01/31 19:39
- 名前: キョウ ◆K17zrcUAbw (ID: JFNl/3aH)
- 参照: http://noberu.dee.cc/novel/bbs/niji/index.cgi
静寂だった。
閃光の余韻が消え去ると、後には侘しいほどの静けさが残った。あれほどの霊力と神気の渦で騒然としていたにも関わらず、その残滓すら残されていないのだ。ここまでいくと、見事としか言いようが無い。
「……凄い」
息を呑み感嘆を漏らす閻魔の一言で、鬼男の意識は現実に引き戻された。
気配を研ぎ澄まして自分の周りに張られた“気”を探ってみると、本当だ、大王の結界以上に強力な退守術が施されている。
それに、なぜだろう。身体が思いの外軽いのだ。
一陣の清涼な風が吹いた。
ハッと鬼男は顔を上げる。
人影があった。今や別人にすら見える清冽なその姿は、印を解いて一汗拭うと、爽やかな微笑を向けて来る。
「上手く……いったでしょうか」
鬼男の中で、一つの確信が生まれた。
あぁ、この人は化け物なんかじゃなく——
正真正銘の“化け狐”なんだ。