二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

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ひぐらしのなく頃に 神落し編結末を皆で書こう♪ 
日時: 2009/11/20 16:48
名前: クックマン01 (ID: rUpk0CSp)
参照: http://神

初心者です

よろしくー—ー





みんなにやってほしいのは結末を考える
       事


バットエンドでもハッピーエンドでも可

     がんばろう



あと私の偽者もいます

気をつけてください

Page:1 2



Re: ひぐらしのなく頃に 神落し編  ( No.1 )
日時: 2009/11/10 23:08
名前: トム君105 (ID: vehLH22f)

イェーイ!!キラーゲーム完成したぜ!!
クックマンもなんか大作の予感・・・。
早くUPしてね!!

Re: ひぐらしのなく頃に 神落し編大部分書けていますがりれーです  ( No.2 )
日時: 2009/11/20 16:29
名前: クックマン01 ◆XkXRX23sW2 (ID: rUpk0CSp)

鷹野1

灯り一つない部屋の暗闇のなか、私は膝を抱えて漂っている。

物音一つない静寂。全てが平坦な世界。私の心もまた静寂で充たされていた。

小泉のおじいちゃんが亡くなってから……激しく冷たい向かい風に身を切り裂かれ続けて、私は少しずつ体温を失っていった。冷え切った身体でさまよい続けていたけれど、もう、足掻くのも飽いてしまった。

祖父……おじいちゃんの論文の正しさを証明し、世間に認めさせる。まだまだ先はあったけど、目指すところは見えていたはずだった。協力者を得て研究組織を作り上げ、有能な人材を集め、おじいちゃんの研究に邁進した。『雛見沢症候群』の病原体を突き止め、予防法を確立し、応用技術を見つけ……追い風に乗って順調に進んでいるとばかり考えていた。

しかし、後援者だった小泉のおじいちゃんが亡くなると全てが変わってしまった。私は変わった風向きに対応することができなくて……。研究は『雛見沢症候群』の治療のみに限定され、今までの成果は破棄されることとなり、研究所も3年後を目処に解散されることとなった。祖父……おじいちゃんの研究は闇に葬られることとなった。もう、足掻くのも疲れてしまった。

祖父……おじいちゃんの論文の正しさを証明し、世間に認めさせる。

私には、おじいちゃんの論文の正しさを証明することはできたけど、世間に認めさせることはできなかった。自分は非力だった。何もわかっていない小娘でしかなかった。自分を支援する存在がいなければ、何一つ成すこともできなかった。……でも、それでもまだ、私はおじいちゃんの研究を闇に葬りたくはなかった。

今の私に取れる手段はもうない。残された唯一の手段が『野村』の持ち込んだ“終末作戦”だった。愚かだが、私のできる唯一の手段。

私は膝を抱えたまま、部屋の中の闇を見つめる。あの日から毎日やっているように、私は闇のなかに情景を描き出す。

雛見沢。虫の鳴き声一つない静寂の世界。死の世界。

学校として使用されている営林署の庭に、村人たちの死体が並んでいる。死体は広い庭一杯に並べらているが、これで全てではない。死体を満載した自衛隊のトラックが時折この営林署に入ってくる。この光景は……これから私が作りだそうとする光景。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。

深夜。草木も眠りについた深い平穏の世界。

雛見沢の住民は『火山ガスで雛見沢が孤立した』という報を信じて、学校や市民会館、公民館に避難している。窓や扉の隙間は、住民たちの手によってガムテープで塞がれている。心配そうな顔をして、疲れ果てて座り込む住民たち。深夜だというのに眠ることもできない。その中には、診療所で良く会うお爺ちゃんやお婆ちゃんの顔も含まれる。ひっそりとしたざわめきに包まれる教室。

滅菌という名の虐殺が始まった。扉から投げ込まれる致死性ガス。崩れるように倒れ込むお爺ちゃんやお婆ちゃん。ざわめきは悲鳴に変わるが、それも一瞬のことだった。すぐに訪れる沈黙。……こうして、今回は静かに虐殺が終わった。部屋の中を埋め尽くす死体。診療所で良く会うお爺ちゃんやお婆ちゃんも、呆けた顔をして倒れている。これから私がもたらそうとする虐殺。その光景を、私は目の当たりにする。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。

夜半前。虫たちのざわめく狂気の世界。

古手神社の賽銭箱の上に、何一つ纏わずに横たわる梨花ちゃん。今回は、なぜか梨花ちゃんは睡眠薬で眠らずに、怒りの形相で私を睨み付ける。だけど、身動き一つできない梨花ちゃんにできることはここまでだった。

梨花ちゃんの周りに群がる山狗たちが、大きな刃物を使って巧みに梨花ちゃんの腹を縦に斬り裂く。『綿流し』が始まった。丁寧に、だが大胆に梨花ちゃんを開き、中の臓物を賽銭箱の前に広げていく。梨花ちゃんは痛みに悶えていたが、まだ生きていた。『私』という名の狂人が、けたたましい声を上げて笑い続ける。梨花ちゃんは長い間身を海老のようにくねらせていたが、やがて痙攣し始め、そして死んだ。狂人に堕した『私』は笑い続ける。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。

昼の少し前。外界の喧騒から隔絶された秘密の世界。

入江診療所の地下。雛見沢から切り離されたこの世界のなか、入江は震えて座っていた。私は、白黒の監視カメラに残された入江の様子を観察する。

『山狗』をとりまとめる小此木が、入江の境遇を同情するような顔をしながら、優しい声で入江に話し掛ける。入江はイスに腰掛け、目の前のテーブルをただ見つめている。小此木は立ち上がり、部屋の中を歩き始める。入江は、その小此木の動作にビクつきながらも、視線をテーブルに落としたまま小此木の方を見ようとしなかった。 語り掛け続ける小此木。その言葉が途切れたと思ったら、小此木は入江の背後から裸絞めをしていた。入江の抵抗は一瞬で、すぐに気を失った。

小此木は、意識を失った入江に手早く拘束具を付けると、錠剤とブランデーをテーブルに並べる。

入江の口のなかに錠剤を入れる。呼吸のタイミングを見計らってブランデーを流し込むと、入江は咳こむようにしながら飲み込んだ。小此木はそれを何回か繰り返す。そのたびに入江が咳こんで暴れるが、目を覚ますことはなかった。入江の顔が、最初は白く、すぐに黒く変わり、最後には力なくテーブルに俯せになる。部屋に何人か入ってきて、ブランデーと錠剤、そして入江を運び出す。

この時、私はブラウン管越しに見つめる『私』の視線に気付いた。ブラウン管に写る『私』は、不自然なまでに口元を吊り上げて嗤っていた。入江という、才能はあるが愚かな裏切り者の破滅を『私』は嗤っていた。『私』の嗤いは醜く傲慢で、見るものに不快を与えるものだった。『私』が嗤う姿を私は見つめる。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。

夜。綿流しの終わったあとの、鬼が現れるまえの世界。

入江診療所の会議室。私の恋人──ジロウさんが『山狗』に組み伏せられている。私の恋人だったジロウさんを見下ろす『私』。ジロウさんは『私』の裏切りに驚愕と憤怒の表情を浮かべる。『山狗』がジロウさんを眠らせるのを、『私』は笑いながら見続ける。意識を失うジロウさん。『私』はジロウさんの喉元に毒薬──H173──を注射する。

部屋を連れ出され、私の車のトランクに押し込められるジロウさん。『私』はジロウさんとの最期のドライビングを前に、ジロウさんの死に様を想像する。道の片隅に横たわるジロウさん。その顔はやがて鬼の形相になり、近くにたまたまあった棒を掴んで振り回す。いるはずのない『山狗』から逃れようと、いるはずのない『私』を追い求めて。だけど、それもすぐ終わる。ジロウさんの身体を這い回る『雛見沢症候群』が許さない。ジロウさんは汗の滴り落ちる顎に手をやると、そのまま喉に爪を突きたてる。柔らかな喉の皮は簡単に千切れ、汗にかわって血が滴り落ち始める。喉を斬り裂く痛みを上回る痒さが、ジロウさんを支配する。滴り落ちる血はやがて奔流となり、ジロウさんの顔から生気が急激に失われていく。しかし、半ば死体となりながらも未だに喉を掻き毟りつづける。それは寄生虫に支配されたカマキリのような姿だった。やがて、長い苦痛の果てに、ジロウさんはようやっと頚動脈を見つけ出して、引き千切る。これで、ジロウさんは狂気から解放されるはずだったが……その鬼の形相が消えることはなかった。『私』は鬼のまま逝ったジロウさんを見つめる。────しかし、それでもなお、私の心はまったく揺らがなかった。

私の願いは……おじいちゃんの研究を闇から救いあげること。私の目に入るのは、ただそれだけだった。私は立ち上がり、部屋の闇のなかに散らばるおじいちゃんの論文を拾い始める。おじいちゃんの論文を掴む手は、血塗れだった。血で汚れた私の手で、おじいちゃんの論文が汚れる────しかし、それでもなお、私の心はまったく揺らがなかった。

たとえ私が暗闇に堕ちようとも、たとえ私の願いが誰にも──おじいちゃんですら赦すことのできないものだとしても、…………私は自分の想いに殉ずることを願っていた。

目を覚ましたのかしら?
もう二度と眠れないのを知っているはずなのに

目を覚ましたのかしら?
そこには痛みしかないのを知ってるはずなのに

それでもあなたは目を覚ますのかしら?
…………今度こそ、届くのかしら?
      Frederica Bernkastel





羽入1
再びここにきた。地上でも地下でも、世界のどこでもないところ。

目の前にあるのは、とても大きな樹。僕がここに来るたびに一回り大きくなる。だけど、不自然に大きな樹はあまりにも不恰好で……僕の心を掻きむしる。

スラリと伸びる幹の先端が急に大きな瘤になり、突然途切れる。そこが昭和58年6月。樹の年輪一つ一つは……僕たちの惨劇の歴史だった。

『いらっしゃい。「皆殺し編」見たわよ。今回は惜しかったわね』

ガン、と頭を叩かれた様な気持ちになる。さっきの世界でレナに言われた言葉が僕を殴り付ける。

『“あなたも信じてくれたなら、きっと奇跡が起きた。”』

くすくすくす……冷たい笑い声が僕を突き刺す。とても痛い。とても悲しい。でも、僕は涙も言い訳も全て飲み込んで、傷口から言葉を探し出す。

「その……通りなのです。僕は弱かったのです」

『……へえ?』その驚きは、なぜか楽しくてしかたがない様子が漏れ出しているような気がした。

「仲間……そう、仲間が教えてくれたのです。僕はすっかり忘れていました。“強い意思”が世界を創ることを」

『……いいえ、忘れている振りをしていただけよ。』

振りでも同じこと。僕はその同情を撥ね除けた。

「仲間はあれほど強くなったのに、僕は信じることができなかったのです。痛くて、怖くて……諦めてしまったのです…………。でも、僕は」

懐に手を入れ、小さな塊を取り出す。そこら中が欠け、すっかりくすんでしまった小さな……とても小さなコイン。

僕の持つ、全て。

「今度は信じるのです。奇跡は必ず起きる」

くすくすくす……今度の笑い声は、さっきの笑い声と何も違わないはずなのに、なぜかとても暖かった。

『あらあら、ダメよ。そんなのじゃ』

僕のコインの横に、大きくてピカピカのコインが現われる。大きなコインと小さなコインは、クルクルと回りながら交わると、霞のように消え去った。

『奇跡を起こすにはこれぐらい大勝負に出ないとね。私も全部賭けることにするわ』

「……ありがとうなのです」緊張で声が霞む。

『じゃあ、最後のゲームを始めましょうか。遣り甲斐があるわ』

「最後の……ゲーム」

これが最後。今回も負ければ……この樹は枯れ、何も生み出すことはないだろう。

怖い。苦しい。……でも、僕を含め、みんなの心を一つにしなくては奇跡は起きない。それ程までの“強い意思”がこの樹を抑え付けている。僕は……奇跡を見たかった。

僕の悲壮感とは裏腹に、とても楽しそうな声で彼女は言った。

『これだけ張り込むんですもの。ハッピーエンドじゃないと許さないんだから』

僕は少しだけ肩の力を抜いて深呼吸すると、微笑んでこう言った。

「仲間たちがいれば、ハッピーエンドに間違いないのです」



羽入2
木の枝のうえに登った梨花の様子が突然変わる。急に立ち上がると、足元から崩れるように倒れ込む。僕はハッとなって救いにいこうとするけど、当然のように触ることもできず……梨花は頭から地面に落ちる。嫌な鈍い音があたりに響く。

心配のあまり、つい声が漏れる。梨花も気付いたらしく、僕を睨み付ける。

「……羽入………?……いたた………。これは一体、……何事なの……?」

遠くから、魅音や圭一たちの心配する呼び声が聞こえる。

「ぁぅあぅ……、梨花はみんなと遊んでて、崖から転げ落ちたのです。だ、大丈夫なのですか……?」

梨花は僕を睨んだまま言葉を続ける。

「羽入、……そんなことはどうでもいいわ。今日はいつ? 昭和何年の何月何日?」

梨花が戻って来る日は……今日だったのか。ようやっと、という思いとともに、慌てて今日の日付を思い出す。

「…………えっとえっと、……、……昭和58年6月なのです。綿流しのお祭りが今度の日曜なのですから……えっとえっと……、」

梨花が言葉をさえぎる。

「何てこと……。それしか猶予がないってわけ……」

その言葉が心に突き刺さる。僕は全てのコインを賭けたのに……すまない気持ちで一杯になりながらも、僕は言葉を絞り出す。

「……僕たちの力も、これが精一杯なのです……」

梨花は僕から目を離すと、静かに呟いた。

「私がまた昭和58年の6月にいるということは、……そうか。また私は殺されたのか」

そういうと、梨花は記憶の中に沈んでいく。僕は何もいわず、梨花が戻って来るのを待つ。

フッと梨花が視線を上げるのに反応すると、その先には梨花の大切な仲間たちが駆け付けてくるのが見える。

しかし、何かおかしい。みんな、何も言わずに梨花の回りで立ち止まる。レナ、魅音、詩音、圭一。ただ、沙都子だけは立ち止まらず……梨花に抱き付いた。

「……?? 大丈夫なのですよ。頭にタンコブができただけなのですよ」

でも、沙都子は離さない。瞳に涙をためながら、より一層強く梨花を抱き締める。沙都子だけではなく、魅音と詩音も優しく二人を抱き締める。

何かがおかしい。圭一が満面の笑みを浮かべながら囁く。

「おう、無事だったか? ……あんまり無事でもなさそうだな」

「……そう思うのなら助けて欲しいのです……」

しかし、沙都子と魅音は離さない……詩音も離さない。もう少しだけ強く抱きしめると、三人は言った。

「……でも、もう少しこのまま抱き締めさせてほしいのですのよ!」

「……そうだね。梨花がこんなに重たいものを背負っているなんて思わなかった。ごめんね。気付かなくて」

「ですよね……私たちなんかのとは比べものにならないくらい重たいものが……この小さい背中に乗っかっていたんですね」

何かがおかしい。レナと圭一はその輪に加わらずに立ち止まっていた。不意に体の向きを変える。

……梨花の方ではなく、僕の方を向きながら。

リナが僕に向って手を差し出しながら、僕の瞳を見ながら、僕に対して語り掛ける。

「そう、あなたが信じてくれたから……奇跡が起きた」

「でも、これが最後の奇跡じゃないぜ!!」

圭一がリナの横に立ち、レナの手に重ねるようにして自分の手を差し出す。

「……そう、奇跡なんて、とても簡単なものなんだよ」

いつのまにか魅音もレナの横に立ち、同じように自分の手を差し出す。

「……あなたも信じているんでございましょう? わたくしたち仲間を」

沙都子が輪に加わり、4つ目の手を重ねる。

「私たちは独りだと弱くて脆いけど……みんなの手が重なれば、奇跡が起きる」

詩音の手が、さらに重なる。

何かがおかしい。信じることができない。

目の前の光景を疑いたくなる……僕がわかるはずがない、さっきまでずっとそうだったじゃないか……心が締め付けられる……今回もそのはずだ、と疑いたくなる……全てが軽くなる……いや……

疑いたく……ない……

……最後に、梨花が沙都子の横に立つ。顔を涙でくしゃくしゃにしながら、仲間の手に自分の手を重ねながら、力強く言う。

「信じられないけど……いや、信じる。私達は奇跡の世界を手に入れたんだわ。奇跡は起きる……!!」

奇跡。僕の望んでいた世界。

仲間たちの顔を覗き込む。早くしなよ。そう語りかけているような気がした。

うまく腕が上がらない。痺れるような陶酔感と……恐怖。希望は両刃の剣。強く望めば望むほど、失ったときの絶望は大きい。でも、今回は決めたんだ。信じる。

指先が軽く触れる。ついに……7つ目の手が重なる。

すっ、とレナの手が伸び、僕の手を握る。力強く。ぐん、と体が引かれると、僕の体はリナの胸に飛び込んだ。暖かい……僕を囲うようにみんなが僕を抱きしめる。もう、がまんできなかった。

僕は赤子のように泣き出した。大きな声を上げて、大きく息を吸って。

それは、僕の産声だった。
「どうだい、落ち着いたか?」

圭一が無神経にそう言う。僕は泣くのを止めたが、まだ、ぼぅっとして、フワフワと宙にいるかのように浮かれている。今にも浮き上がりそうな体を、レナがギュッと抱きしめて支えていた。

「そろそろ本題にいかないとね」レナの向こう隣に腰かけた魅音が、静かにそう言った。

「ですわね……勝負に負けたばかりですのですから、しっかり研究しないといけないのですわ」

沙都子が苦虫を噛み潰したような顏をしている。あと一歩のところで負けたのが悔しいのだろうか……。負けた原因を作った僕も、悔しく思うとともに申し訳無く感じる。

レナは僕を離すと、すぐ後ろの岩の、魅音の横に腰掛けるよう促す。僕が座ると、僕の横に並んでレナが腰掛ける。

「……今回も負けちゃったわ」梨花が力無くつぶやく。

「くよくよすんな。罰ゲームは終わったしな。次は負けないぜ!」

「そうよね、圭ちゃん!!」

圭一と詩音は互いの右腕を組み合わせる。

「……そうね」梨花は組み合った圭一と沙都子の右腕に、自分の右腕を当てる。

圭一と詩音は組んだ腕を崩すと、僕の前にやってくる。気付くと、僕の右腕を魅音が、左腕をレナがつかんで、手のひらが上になるようにして前に差し出していた。

「やぁー」バチン「はいっ」パチン。

手のひらに、じんわりとした暖かい痛みが広がる。

僕も合わせて、バンザイした沙都子の両手をバチンと叩く。

圭一も笑う、詩音も笑う。レナも、魅音も、沙都子も……梨花も笑う。

もう、僕は手放したくなかった。

「みんな、前に私が話したことは覚えてる?」梨花が言う。

「……ああ、だいたいな。」

「『雛見沢症候群』かな……かな?」

「あと、『東京』とかね」

「結局、監督じゃなくて、鷹野さん、だったのですわね」

「そうだね。監督と『東京』はうまく折り合いがついていたんだね」

「『東京』は今、派閥争いで分裂しているのです」

「鷹野さんがあんなことを企んでいたなんて……おじさん、すっかり騙されたよ」

「『山狗』とかいう暗殺部隊もやっかいだな」

「みんなを鬼にするために梨花を殺すだなんて……冗談じゃないのですわよ!!」

「……まずは状況整理しません?」詩音が静かに話す。

「じゃあ、おじさんがやろう」

魅音がどこからか持ってきたカバンからとても大きなノートを取り出し、地面に広げる。みんながノートを中心に輪をつくる。

魅音は淡々と語りながらキーワードを書き込んでいく。みんなが魅音に突っ込みを入れる。言葉が言葉を生み、ノートのキーワードが更なるキーワードを生み出す。僕も、自力で調べたことを残らず並べ立てる。みんなは驚いて目を丸くしたが、それでも魅音は手をとめずにキーワードを書き込んでいく。魅音は言葉の勢いを殺さないように、しかし流れが大きく遺脱しないように、巧みに雰囲気をコントロールする…………魅音のシャーペンがものすごいスピードで走り、ノートの中に丸と線の蜘蛛の巣が顕れてくる。蜘蛛の巣はどこまでも大きくなろうとしたが……やがて、あるところでその成長は止まった。

ふう、と魅音が一息つき、顔を上げる。みんなはもう言葉を発さず、静かに頷く。

「それじゃ、まとめよう」

魅音はそういうと、カバンからもう一冊ノートを取り出し、新しいページを開く。そしてノートの中心に『雛見沢』と書き込み、大きな○で囲う。

みんなの話のスピードは落ちるが、濃度が格段に高まる。魅音は慎重にキーワードを選びながら……時には最初のノートにキーワードを追加しながら……ノートに書き込んでいく。

まずは雛見沢。この話の核心。

雛見沢には『雛見沢症候群』と呼ばれるものが存在する。これこそが雛見沢を他の地域と区別する大きな要因。いわゆる『オヤシロさまの祟り』と呼ばれる、感染者を発狂死まで追い込むことのあるホームシックの原因。人を鬼に変える雛見沢の闇。戦中に戦地で何件か発生した異常事件の分析により発見されたが、このことを知るのは一部……発見した研究者と『東京』の関係者だけだ。雛見沢にもオヤシロさまの教義として『雛見沢症候群』の存在が暗示されるが、それを理解する人は少ない。

『雛見沢症候群』には二種類存在する。一つは村人が感染している普通のものであり、もう一つは女王と呼ばれる唯一のもの。女王は代々古手家が務める。女子を産むと、女王はその子に代替わりするという。現在は梨花ちゃんが女王を務める。

そして……女王が死ぬと、感染者……雛見沢の住民……が鬼の本性を顕す、と言われている。

「これはちょっと否定したい気分なのですわ」

「わが故郷にこんな秘密があるなんてねぇ……気付きませんでした」

「詩音だって、ホームシックにかかって学校から逃げ出したんじゃないか……葛西さんがおじさんに言ってたよ」

「そ、そんなことありません」

詩音が顔を真っ赤にして魅音と脇腹を突つきあう。みんながニコニコしながらその様子をながめている。

「どおりでなぁ……ここに来てからトンでもないことばかりだからなぁ。トラップは喰らうわ、罰ゲームは喰らうわ、光速のパンチにKO喰らうわ……」

「でも、圭一くんの口先の魔術には誰も敵わないんじゃないかな、かな?」

もう一つ、お互いを突つきあうグループができる。

『雛見沢症候群』をもう少し整理する…………今回の話に関係しそうな特徴は3つ。

一つめはその毒性。『雛見沢症候群』が発症すると、感染者は強度の疑心暗鬼に囚われる。また、性格が凶暴化して攻撃性が高まることも多い。この症状は戦中……出征中に何度か発生したらしい。しかし、『雛見沢症候群』の毒性は年々弱く──人間との共生関係に適応するようになっており、日常生活で症状が顕在化することはほとんどない。人の移動が激しい現在に『雛見沢症候群』が問題にならないのは、発症する事例が少ないからだろう。入江機関の当初の目標として、毒性の調整、というのもあったかもしれない。

二つめは検知の困難さ。入江は膨大な費用と人材を使い──非人道的な生体標本の解剖分析まで行って──ようやっと『雛見沢症候群』の病原体を捉えた。また、宿主が死亡すると『雛見沢症候群』も検出不可能になるという特徴が、検知をさらに困難にしている。

最後は……『雛見沢症候群』の持つ感染力。その力は強力で、村人のほとんどが感染しているという。引っ越してきたばかりの圭一も例外でない。なぜか雛見沢周辺しか感染例は無いようだったが……女王が何か関連しているのかも知れないが、これは判らない。小さめの『?』をつけて、そこはそのままにしておく。

…………これらの『雛見沢症候群』の特徴は、テロリズムを行うのに都合の良い側面がある。もし、ある組織の首脳部に蔓延させることができたら……『雛見沢症候群』の持つ毒性──疑心暗鬼の増長──と、その感染力により、組織は直ちに破綻するだろう。仲間を信頼できない組織は……とても脆弱だ。そして、壊滅した組織からは、何も見付けることができない。確かに現在の『雛見沢症候群』のままでは難しいかもしれない……しかし、もし……もし発狂死まではいたらない程度まで毒性を落とせたら……症状を疑心暗鬼の部分に抑えることができたら……。その、核をも越える威力に、みんなが慄然とする。

しかし、後述するが、(今の)『東京』はこの価値に気付いていないようだった……これは本当に幸いだ。

「『雛見沢症候群』……そういえば、女王の梨花は毎回毎回かならず死んでしまうみたいなのですが、その後はどうなってしまうのですこと?」

沙都子の、多分、僕と梨花に向けた問い掛け。その一言に、なぜか魅音が反応する……迷うようにシャーペンを宙に走らせると、静かに置いて、みんなの顔を見る。

「…………知ってる……」

その言葉に反応して、みんなは魅音の顔を見る。しかし、みんなは魅音を急かしたり促したりはせず、静かに辛抱強く言葉を待つ。

「……多分、私の中にある『鬼の記憶』だと思う……」

『鬼の記憶』

その奇妙な言葉に、今度は圭一とレナ、詩音が反応する。しかし、みんなは口を挟まずに、魅音の言葉を待つ。

「ある日、深夜、学校の教室。私の記憶はそこから始まるの。部屋の中は村人で一杯。みんな不安だった。自衛隊の人達に誘導されて、避難してきた。『火山ガス災害が発生した』と言われて……今まで火山ガスなんてなかったのにどうして? て村人たちが話していた。隣にいた婆っちゃが『梨花ちゃまが死んだから、オヤシロさまの祟りが始まった』なんて言っていた……多分、梨花ちゃんの死んだその日の夜だったと思う」

僕は、その言葉を聞いて悲しくなる。僕の手の届かないところで、僕の名前で行われる……惨劇。

もし、僕が祟りをもたらすほどの力を持っていたとしたら、僕はこの惨劇を防ぐことができるのに…………なんと皮肉なことなんだろう。

梨花が僕の頭を撫でてくれる。挫けそうな僕の心を支える。そうだ。今回は信じる。惨劇は起こらない。僕は仲間を信じる…………そして……自分を信じる。

魅音が言葉を続ける。

「……それは、扉の近くから始まった。座っていた人が、力無く崩れて、倒れた……もう、二度と立ち上がらなかった。うん……死んだんだ……本当に音も何もなかった。その周りの人達も崩れる。扉の周りにポッカリと穴が空いたような感じだった。その穴は……音もなく……ただ静かに広がっていった………………そして、教室の中ほどにいた……圭ちゃんとレナも……その穴に落ちちゃった」

魅音は辛そうだったが……語るのを止めなかった。

「私は気付いた……そして恐怖に囚われた。私の中の『鬼』が目覚めた。私の中の鬼は、教室の窓を打ち破り、外に飛び出した……圭ちゃんもレナも……婆っちゃも見捨てて外に逃げ出した。私は怖かった……銃を奪い、秘密の道を使い、裏山に逃げ込んだ。私以外は……みんな死んだ。私も……次の日に……みんなの仲間に加わった。みんなのいない雛見沢を独りで生き延びるのは……死ぬよりも辛かった……」

魅音は涙を拭い、言葉を続ける。

「裏山での戦いは、凄まじいものだった……沙都子のトラップのお陰だよ。ありがとうね……でも、生き延びるために生きていた私には、自衛隊相手に善戦するのが精一杯だった。最後、ついに掃射を受けて、勝負は終わった……でも、私が負けて、自衛隊の人達が勝ったはずなのに……自衛隊の人達は……ガスマスクの裏で……みんな泣いていたの……」

重い沈黙がその場を支配する。

詩音は、その場にいたかのように顔をしかめ、視線を伏せる。沙都子も、圭一も……梨花でさえ言葉が出ない。

しかし、レナは違った。

レナも、魅音の言葉に痛め付けられ、小さく背を丸めていた。しかし、その小さい体にある芯の部分は、何事にも屈しない。心の奥底にある青い炎は、この酷寒の不条理の中でさえ、仲間に温もりを与えようとしている。

レナは静かに魅音を抱き締める。

「うん。魅ぃちゃんは良く戦った。それは、レナにも他の誰にもできない……魅ぃちゃんにしかできない凄いことだよ。自分独りしか仲間がいないのに戦っただなんて、やっぱり魅ぃちゃんは凄いよ。……多分、それは……今、ここでそのことを語るために戦ったんだと思う。ここの仲間たちに話すために。……ここには仲間がいる。魅ぃちゃんは独りじゃない」

その言葉で魅音が目を覚ます。詩音も、沙都子も、圭一も、梨花も……そして僕も目を覚ます。

……そうだ。過去の負けにこだわってもしかたがない。もう罰ゲームは済ませたんだ。今のゲームに集中しよう。

魅音が、優しく抱き締めるレナの手に自分の手を重ねる。まるで仲間の温もりを確認するように。

「……ありがとう、レナ」

「……私にも『鬼の記憶』があります」詩音が意を決したように語り始める。

詩音は梨花と沙都子を見る。沙都子はキョトンとしていたが、梨花は詩音の視線に応え、優しいほほえみで詩音の後押しをする。

「どこか知らない世界の記憶なのですが……私もかつて『鬼』になったことがあります。その世界の私はとても脆くて……悟史くんがいなくなった世界に耐えることができませんでした」

悟史、の名前を聞いて、沙都子がビクッと体を緊張させる。今度は、梨花が沙都子の体を優しく包む。

「私の中に『鬼』が生まれ……雛見沢は『鬼ヶ淵村』になりました。」

そこで詩音はいちど区切る。ゆっくりと深呼吸すると、言葉を続ける。

「全てに復讐するために、私は……鬼婆を殺し、公由のおじいちゃんに手をかけ、沙都子、梨花、魅音……を殺すのです」

その言葉を聞くと、梨花はにっこりとほほえんで、もう一度後押しする。

「でも、それがあるから詩音は強くなるのですよ。にぱ〜☆」

「……ありがとう。でも、いいたいのはそっちじゃなくて……その世界では、私は梨花ちゃんを……綿流しの2日後に殺すんだけど、私が死ぬ月末……6月30日まで何も起きなかった」

「……ええと、9日間、何もなかったの……かな? かな?」

「ええ、失踪事件が多発していたけど、それは私が起こしたもの。村人に鬼の本性なんてカケラもなかった」

魅音は、整理中のノートの『女王』『感染者の死』と繋がる部分から線を引き『自衛隊の殲滅作戦』という言葉を、同様に『雛見沢の住民が鬼の本性を顕す』という部分から線を引き『事実なし』という言葉を追加する。

「まだまだ情報が足らないみたいだね。続けよう」

魅音はさらにもう一冊ノートを持って来ると、『雛見沢』のノートの横に広げる。

次は『東京』。この話の動力源となる存在。

『東京』は、その豊富な資金と人脈で権力の奥深くまで食い込んでいる……秘密結社群。日本による大東亜共栄圏を夢みる戦前の亡霊たち。アメリカからの隷属からの脱却を望み、核に代わる兵器を欲している──核に代わる、細菌・化学兵器を。

『東京』は核を越える兵器の候補の一つとして『雛見沢症候群』に注目。細菌兵器研究のため、雛見沢に『入江機関』──入江診療所の奥深くにある秘密組織──を作る。入江診療所自体が、『入江機関』の隠れ蓑だという。

『入江機関』には、大きく分けて2つの側面がある。

一つは『雛見沢症候群』の研究。これは入江を中心とした研究スタッフが担っている。まだ研究序盤だが、すでに大きな成果を挙げている。病原体の特定、観察手法の確立、治療・予防薬の開発。もし治療目的の研究ならば、目的の大半を達成したと言えるかもしれない。

「監督については、俺が知っている。『大災害』前に……服毒自殺していた……。俺の『鬼の記憶』が……教えてくれた。あの……全てが狂った世界では……そうだった」

圭一は言葉を絞り出す。僕は、圭一の頭を撫でる。圭一は、ありがとう、とつぶやく。

「……前回の状況を考えると、……やはり『自殺』とは考えにくいね」

「ですのですわ。チンケな罠ですのよ」

「やはり、監督は中立か……あるいは鷹野さんの敵だったということなのですね」

「入江は信用できるのです。ただ、頼りにはならないのです」梨花がきっぱりと言った。

引き続き、『入江機関』について整理を続ける。

『入江機関』のもう一つの役割が『雛見沢症候群』の研究環境維持と秘密保持。これは鷹野・小此木を中心とした『山狗』──自衛隊の特殊部隊──が担っている。目的はただ一つ。『入江機関』の研究を、手段を問わず──非合法手段を含めてサポートすること。『雛見沢症候群』や『入江機関』に関する情報流出防止も行う。多分、『鬼』となる可能性のある存在の監視もあるだろう。『鬼隠し』……そして『オヤシロさまの祟り』にもかかわっている。

「沙都子やレナも監視対象に含まれているかもしれないな」と圭一が言う。

「……そうなの、かな……かな……」

「私も可能性ありますね。お姉の話にもありましたけど、遠くの学園に幽閉されていた時のホームシックは、多分『雛見沢症候群』を発症しかけていたからなんでしょうね」

僕は、すぐ近くに山狗がいないか心配になり、首を上げるとあたりを見回した。

「大丈夫ですのよ。わたくしに気付かれずに、ここまで近寄れるひとなんて世の中に存在なんてしませんわよ。……昔、小此木造園の方がふもとの罠に良く引っ掛かっていたのは、そういう意味だったのですわね」

快活な言葉が心強い。それに、ここは裏山の風だまり。風にのる音と匂いが、あたりの様子を僕に伝える……大丈夫。

『入江機関』と『東京』について、続ける。

『入江機関』と『東京』の関係は、当初は良好だった。『入江機関』は『雛見沢症候群』について研究し、『東京』は費用・人材の援助を行う。『入江機関』の成果に『東京』は感嘆し、『東京』の援助に『入江機関』は満足する。

しかし、それも最近までの話のようだ。『東京』は方針を変更し、『入江機関』の段階的縮小、そして近年中の終了を決定した。

「ほんと、つれないね。手の平を返すようだ」

「……ボクも騙されたのですが、『東京』……組織を擬人化するのは危険なのです」

「そうですよ、お姉。人間の頭を挿げ替えるのはできませんが、組織の頭を挿げ替えるのはできます。今回は“推進派の古老の死”というビッグイベントがあったみたいですし」

「そういや、『東京』の体質も変わったって言ってたっけ。政治・経済・外交での立国を目指す……ずいぶんと健全になったもんだね」

「そうなのです……そして、『東京』には少なくとも2つ……あるいはそれ以上の派閥があるとボクは思うのです。『入江機関』に直接指示して研究を終了させようとする『東京の主流派』──多分、現在の『入江機関』のオーナーはこちらなのです──と、『入江を貶める派閥』があるのです。『入江機関』と『東京の主流派』は、お互い折り合いがついているようだったのです」

魅音はノートの『派閥』『入江を貶める派閥』と『監督』『偽装自殺』を繋げる。

「さっきの話とつながってくるね。……キナ臭い臭いがプンプンしてきた」

「こっちも繋がりそうなのかな?かな?」

レナは、入江と敵対するもの同士──『鷹野』『小此木』『山狗』と『入江を貶める派閥』を繋げようとする。

「……もしここが繋がるのならば、それもありえますね」

詩音は『東京の転覆派』と『自衛隊の殲滅作戦』を繋ぎ、さらにその先を『東京の主流派』に繋ぐ……『主流派の粛清』とコメントを付けて。

「嫌な話だな。俺たちゃ『東京の主流派』を吹き飛ばすためのダイナマイトかよ……」

沙都子が口を挟む。

「『雛見沢症候群』の価値に気付いて、『入江機関』を奪い取ろうとした……というのはありませんのですこと?」

「……おじさんは、その線は無いと思う。『入江機関』を手に入れるために『自衛隊の殲滅作戦』を行うなんて、あまりにも危険すぎる。『東京』自体が壊滅するぐらいのデカいダイナマイトだからね。『東京の主流派』は『雛見沢症候群』に興味ないんだから、もっと安全な手はいくらでもあると思う。……『東京』の弱体化を狙う裏切り者のしわざの方が説得力あるよ」

魅音の言葉を受けて、詩音がつぶやく。

「そうすると、『東京の主流派』が『自衛隊の殲滅作戦』を望んでいないとすると、監督と『東京の主流派』を繋ぐ富竹さんはどうなのでしょうね」

話が富竹に移る。富竹は『入江機関』と『東京』をつなぐ重要なキーパーソン。『入江機関』の連絡役であり、年に4回雛見沢を訪問して研究の進捗状況と今後の計画について報告を受け、『東京』方針を伝える。

「なあ、羽入。富竹さんが死ぬときの様子って、目撃してたりしないのか?」と圭一が尋ねる。

「……ごめんなさい。そこが重要だとは気づかなかったのです……。綿流しの日は“祭られ”なくてはならないので、神社の外には出なかったのです」

「……ボクもその手を思い付けなかったのです……ボクは“必ず死んでしまう人”に関わらないようにする習慣が身に付いてしまっていたのです……」

「…………ごめん。余計なことを言った」

「……でも、何か重要なことのような気がする……かな? かな?」

「て、富竹さんて必ず殺されてるのかよ?!」

梨花と僕は説明する

「そうなのです。綿流しの日に、富竹は必ず殺されるのです。ボクは何度も警告したのですが、一度も信じてくれたことはないのです。前回も変わらなかったのです」

「そして、毎回、同じように鷹野の死体も出てきます……しかし、これは偽装なのです。ようやっと前回わかったのです。鷹野はその後も生きているのです」

圭一、レナ、詩音がハッとする。富竹と……偽装した鷹野の死体が出てくる『鬼の記憶』を見付けたのだろうか。

圭一がつぶやく。

「なんだ……『自衛隊の殲滅作戦』の障害に“必ず”繋がるから、富竹さんは殺された……。鷹野さんと『山狗』を信じていたから……『自衛隊の殲滅作戦』に繋がる陰謀を知らなかったから、梨花ちゃんの警告を無視した。……富竹さんはシロじゃないのか?」

沙都子が梨花に問い掛ける。

「やっぱり富竹さんの死体も偽装だった、という可能性はありませんのこと?」

「それはないのです。富竹の死体は喉を掻き毟ったもの──『雛見沢症候群』の末期症状──で、鷹野のような焼死体ではないのです。とても偽装しづらいのです。検死は興宮警察が行っています。間違いはないのです」

僕が少し補強する。

「富竹と鷹野の死により、『東京』は混乱するのです。その死因から、入江が『東京』に疑われ、入江は身動きを取れない状態になるのです。『入江を貶める派閥』……『東京の転覆派』にとって、これほど動きやすいことはないのです」

富竹がシロだとすれば……とても重要な切り札を見つけ出したことになる。富竹を信用させることができれば、この仕掛けは簡単に『東京の主流派』に伝わり、罠としての価値を失う……少なくとも、『東京の転覆派』の混乱は避けられない。

圭一が呻く。

「……そうすると、……鷹野さんは……本当に富竹さんを殺したっていうのかよ……。あの二人って付き合っているんじゃないのかよ……どうして……」

僕がその言葉をさえぎる。

「鷹野には、恋人よりも……全てのものよりも大事なものがあったのです。ここは、僕が整理するのです」

ここからは僕が探してきた情報が多くを占める。鷹野が中心にいるとわかれば、大雑把なところは何とか調ベることができる。

僕は改めて語りはじめる。

…………鷹野は『雛見沢症候群』の発見者『高野一二三』と深い関係があるのです。鷹野は孤児として孤児院に幽閉されているところを『高野一二三』に保護されます……鷹野は『高野一二三』によって生かされていると考えています。実際、その孤児院では何人もの子どもが虐待死しています。鷹野は、『高野一二三』が来なければ、死ぬのは自分だったと考えているのです。

『高野一二三』は、……裕福ではありましたが、決して幸福ではなかったのだと思いますです。『高野一二三』は個人の力で『雛見沢症候群』の研究を行うのですが、その研究成果が認められることはなかったのです。

『高野一二三』は、自分の努力が認められ、後世の名声とともに永遠に生き続けるのが願い……野望でしたのです。しかし、それは叶えられなかったのです。『高野一二三』は、遺書に“私の死後に忘れ去られるのではなく、私が存命している内から忘れ去られた。”とその残念を記しています。

その怨念は、鷹野を縛ります。鷹野は幼いころから『高野一二三』とともにいて、『雛見沢症候群』の研究の手伝いをしていますのです。……たぶん『高野一二三』は、鷹野を庇護すると同時に、また鷹野に依存していたのです。

鷹野にとって、『高野一二三』は、自分の生かされている理由なのです。『高野一二三』のあとを継ぎ、『高野一二三』の研究を完成させ、『高野一二三』を広く世間に認めさせる……。これこそが鷹野の望みなのです……鷹野の信仰、と言ってもいいのかも知れないのです。

「信仰……」梨花が僕の言葉に反応する。

そうです。信仰なのです。この世界を抑える『強い意思』は、鷹野の信仰によるものなのです。鷹野の望むのは『高野一二三』の復活。鷹野は持てる力を尽して突き進みます。東京大学を主席で卒業し、強力な人脈を築き、同時に『高野一二三』の論文を研究するのです。そして、膨大な資金と『入江機関』を……そして研究成果を手にいれ、『高野一二三』の復活はあと少しのところまで……手を伸ばせば届くところにあったのです。

……しかし…………僕たちには幸運だったのかもしれませんが…………『東京』は『雛見沢症候群』の価値に気付かなかったのです。『高野一二三』の跡を追うことしか考えられなかった鷹野も気付けなかったのです。

『東京』はこの研究を3年で終了することとしたのです。この決定は、鷹野の『強い意思』をもっても覆すことはできませんでしたのです。『高野一二三』は捕えられ、再び処刑されることとなったのです。

そして……鷹野は決めたのです。神を復活させることを……みずからの手で神話を紡ぐことを。

「神話……それは『スクラップ帳』……かな、かな……」

レナが静かにつぶやく。

「そうです。『スクラップ帳』です。あの『スクラップ帳』が一つの鍵なのです。鷹野は、オヤシロさまの祟りという神の怒りで人の心に楔を打ち込み、みずからの持つ『スクラップ帳』を注ぎ込んで神を復活させようとしているのです……雛見沢を贄にして、自らを殉教者として」

レナは真っ直ぐ僕を見る。その瞳はどこまでも深く、怒りと……狂気に満ちていた。

みんながレナの歪みに気付く。レナを中心にどこまでも歪んでいくような……そんな怖さがあった。

「だあぁぁ!!」「いたっ?!」

いつのまにかレナの目の前に圭一が立ち、手にした木の棒でレナの頭を叩く。

「熱くなるのはまだ早いぜ!! そんなんじゃ勝つもんも勝てねぇぞ!!」

「やったな?!」

レナが近くの棒を拾うと、神速の一撃を繰り出す。その一振りで……レナの作り出した歪みが吹き飛び、代わりに灼熱の暴威が二人の間から湧き上がる。

二人はそのまま必死の打撃を繰り返す。交じわる一撃一撃が、木の棒とは思えないほど鈍い響きを奏でる。その斬撃は、じゃれあうというには、あまりにも激しく、鋭かった。

「「あっはははははははははははははははははははははははは!!!!」」

「……おじさんたちを置いていかないでよ、ふたりとも」

しかし、それも今回は長く続かない。レナより速く捌きレナより速く打ち込もうと狙う圭一を、レナは冷静に嵌めていく。圭一はレナの罠を噛み砕こうと限界の上をいくが、それでもわずかだけ足らなかった。

圭一は切り株を踏み付ける。ほんの少しのズレ。しかし、レナには充分だった。トップギアに入ったレナの電撃の一撃が、圭一の手から棒を弾き飛ばす。圭一はそのまま尻餅を突く。

「甘いね、圭一くん。今回もレナの勝ち」

「くぅぅぅぅ。今回はイケると思ったのになぁ」

「じゃあ、罰ゲームはメイドさんね。ちゃんとレナにご奉仕しないとダメだから」

みんなが笑う。さっきのレナの狂気とのギャップに、僕は驚きながらも笑った。

一通りみんなが笑い終わったあと、圭一が静かにつぶやく。

「……たまらんな。鷹野さんも、自分の全てを賭けて戦っている、つうことなんだよな」

「そうなのです。鷹野の『強い意思』は神をも討ちたおそうとするものでしたが……不幸にも鷹野には、いっしょに悩む“仲間”がいなかったのです」

「……鷹野さんは間違った選択をしてしまったんだね」レナがつぶやく。

「……多分、鷹野さんは『最善の選択』をしていると考えてるんだろうな……俺やレナがそうだったように」

「……そうだね」

少しの沈黙。

その後に、レナと圭一、そして梨花が口を開く。

圭一が梨花を促す。

梨花が圭一に応え、口を開く。

「ボクは、鷹野を救いたいと思うのです。ボクの百年の苦しみが鷹野のせいだとしても」

「……いいのですか?」僕は梨花に問い掛ける。多分、3年目の『オヤシロさまの祟り』は山狗の引き起したもの。山狗がかかわっている以上、その影には鷹野の姿があるはずだった。

「いいのです。ボクが頑張ったように、鷹野も頑張ったのです。それがどんなに間違っていて、どんなに非道いことだとしてもです……もう許してくれないけど、終わったあとに鷹野といっしょに謝るのです」

「俺も同じだ。……梨花ちゃんが許してくれるのなら、という条件付きだけどな」

「レナも同じ。もし鷹野さんが手を差し伸べるのなら、レナも助けたいと思うの」

「………………かぁっ。それが今回のゲームのルールかい? キツいねぇ」

魅音がそう呻くのを、詩音がにやけながら受ける。

「なに言ってるんですか、お姉。これだけコマが揃っていたら、楽勝じゃないですか」

沙都子も少し小馬鹿にしたような憎まれ口を叩く。

「相手の手の内もだいたいわかっているのですし、それぐらいのハンデはハンデのうちに入らないのでございますのよ」

圭一が能天気に根拠なく叫ぶ

「俺たちゃ無敵の部活メンバー。一致団結すれば向かうところ敵なしだ!! 鷹野さんなんか、完膚なきまでに叩き潰すぜ!!」

「……気楽に言ってくれるね。全く。……確かに、鷹野さんのことだから、ぐうの音も出ないくらい叩き潰さないといけないだろうし……『東京』なんてやっかいなのもあるのに……」

魅音の弱気をうけて、圭一のなかの燃えさかる炎がさらに勢いを増す。

「なんだなんだ、部活メンバーじゃ足りない、つうのかよ。それなら俺の口先の魔術で雛見沢全部を巻き込んでやるぜ!!!」

「『東京』上等!! お姉。『東京』が雛見沢の敵にまわるなら、ただ叩き潰すだけです」

「……わかった、わかった。
( おじさんが何とかするよ。多方面からの搦め手で粉砕しよう。みんな、協力してくれるね?」

「「「「「「もちろん」」」」」」そういうと、みんなは顔を綻ばせて笑った。


20070104012332




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目次


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梨花1
ボクの心が火照る。

昼の興奮が体から抜けない。布団で横になっても、目が冴えて一向に眠れそうにない。

ボクは毛布を剥ぎ取り、立ち上がる。いつのまにか部屋にもボクの熱気が籠っている。気持ち良さそうに眠る沙都子には悪いと思ったが、窓を半分ほど開けてそのまま窓辺に腰掛ける。

すうっ、と入り込む夜風の冷たさが、とても心地良い。沈みかけの半月が、ボクと沙都子を優しく照らす。

「羽入、起きてる?」

暗がりから、羽入が現れる。ボクの顔を見ると、安心したように微笑む。

「ここにいるのですよ。──眠れないのですか?」

「ええ、そうよ。──もし羽入が良ければなんだけど──寝付きが良くなるように、ちょっと一杯愉しもうかと思って」

羽入が困ったような顔をして言う。

「本当は良くないのですが……今日はたくさんのことがありましたし」

「ありがとう、羽入」

私は押し入れからワインを取り出すと、ほんの少しだけグラスに注ぐ。例によって大部分が水になるように、グラスを水で満たす。

「今日は、本当に驚いたのです」

「そうね。こんなことは初めてだわ」

なぜにこの世界の圭一たちは記憶を引き継げたのか。

ボクは再び窓辺に腰掛けると、沙都子の顔を見る。幸せそうに眠る沙都子。つい、顔がほころぶ。

「でも、当然なのかも知れないのです。……これが最後なのですから」

羽入がつぶやく。固い、とても固い表情。

「……そう、なのね」

「そうなのです」

「そう……ありがとう、羽入」

ボクは、なぜだかわからないけれど羽入にお礼を言った。羽入は驚いたような顔をしてボクを見る。ボクはちょっと嬉しくなって、羽入にほほえみかける。羽入も、少し照れたようにボクに微笑み返す。

「そうね……それじゃ今回は慎重に……そして大胆に行かないとね。──死んだあとにあんなことが起きるとは思ってもみなかったわ」

羽入の顔が曇る。私は羽入の表情の変化に気付かない振りをしながら、グラスを口に運ぶ。

多分、羽入はボクが殺された後に行われる大虐殺を知っていたのだろう……と思う。

羽入が辛そうな顔をして黙り込む。

人の手によって行われる、自分の手の及ばぬ所で自分の名の許で行われる惨劇。それはとても滑稽で悲しいことだけど、羽入はそれをボクに語ろうとはしなかった。それは、ある意味ではボクのためだったのだろう。

「わかっているわよ……何回も殺されて死に慣れているけれど、そうそう味わいたいものではないわ」

そう、雛見沢の大虐殺を防ぐのはけっこう簡単なことだ。それは詩音が実践してくれた。

鷹野の目に触れないようにして命を断ち、そのまま死体が発見されないようにすればいい。自衛隊の雛見沢殲滅作戦は、ボクが死んだ後何事もなく48時間経過すれば実施されることはない。しょせん、ボクの死んだ後に雛見沢住民が暴徒化するというデタラメの上で成り立っている作戦なのだから、その前提が嘘だということを証明すればいい。

しかし、ボクは聖人君主じゃない。みんなと一緒じゃなくちゃいやなんだ。ボクが犠牲になってなんていやなんだ。誰一人欠けることなく…………富竹、入江──鷹野ですら欠けることなく…………そこまで考えてつい吹き出しそうになる。ボクは何でそんなことを考えているんだろう? 鷹野は敵じゃないか。ただ6月を生き残るのでさえ難しいのに、なぜボクは鷹野まで助けようという無謀なことをしているんだろう?

……何となく感じる。それはボクが鬼と人に和をもたらすオヤシロさまの生まれ変わりだからという訳ではない。そんなことはない。ボクはそんなに大した人間ではない。

何とも言葉にしづらいけれど…………これはボクなりの復讐なのだと思う。

そう、復讐。この滑稽な惨劇に対する──復讐。ボクに100年の絶望をもたらした惨劇に対する復讐。今までの惨劇が馬鹿らしくなるぐらい能天気な大団円を手に入れて、ボクはこう宣言するんだ。『そう、何もなかった。惨劇なんて無かった』

羽入が横で心配そうな顔をしている。

「大丈夫よ。今回はこれだけ条件がいいんですもの。きっと上手く行くわ」

「……確かに今回はとてつもなく恵まれていますが、悪い条件もやはりあるのです。──梨花は気付かないのですか?」

私は黙り込む。何となく気付いているが、口に出して言うことができない。

「『この梨花』は、諦めていた梨花です。怠惰に無気力に生きていた梨花なのです。努力をしなかった梨花なのです。──わかりませんか?」

「………………何となく気付いていたけど、やっぱりそうなのね。身体が馴染まないせいだと思いこもうとしていたけれど、そんな甘い話じゃないのね」

こうずばり言われると、認めざるを得ない。『この梨花』は、たぶん、今まで生きてきた『梨花』の中でも、最も未成熟な身体をしている。つまり、今まで怠惰に生きてきた『この梨花』の運動能力はかなり低い。それに、もっと悪いことに、未成熟なのは身体だけではない。脳──知能もまたかなり未成熟だ。

心自体は、確かに100年を生きてきた『ボク』だけれども…………結局のところ心は脳や身体に縛られる。100年生きたとしても、しょせんボクは未成熟な幼い子供でしかない。思考に霞がかかる。身体に力が籠らない。まるで水中にいるように空気が手足にまとわりつく。

まったく。怠惰に十数年生きてきたバチが当ったというのだろうか……

「大丈夫よ。今までだって変わらないわ」

そうボクはつぶやく。まるで自分に言い聞かせるように。大丈夫、大丈夫。きっと上手くいく。

だけど、上手く行かなかったときは?

ボクは安らかに眠り続ける沙都子の寝顔を眺める。とても愛らしい、とても心安まる。

ボクの大切な友だち。

上手く行かなかったときは……上手く行かなかったときは……わかっている。わかっている。その時は決断するときだ。無謀な復讐に身を委ねた代償として、独りで鬼ヶ淵に沈めばいい。

その時、沙都子はとても悲しむかもしれないけど、慰めてくれる仲間が残る。沙都子を治療してくれる入江も残る。いないのはボクだけ。たぶん大丈夫。

羽入は最後だと言っていた。もしそんな結末になったら羽入はとても悲しむかもしれないけど……ボクの全てが終わることになるけれど……だからこそ、沙都子にはボクの分も幸せになってほしい。

「大丈夫よ。きっとうまくいくわ」

悲しそうな瞳をしている羽入に、ボクは優しく囁きかけた。

(続く)



圭一1
まだ冷たさの残る朝の空気の中、俺はパンを咥えながら家を飛び出した。今日はいつものカバンとは別に、親父が使っている大きなデザインケースを担ぐように持つ。全力で走ると、体をすり抜ける風でデザインケースが暴れてしまう。バランスを取りながらゆっくりと急ぐ。

「圭一く〜ん! おっはよ〜」

「お待たせ〜。これだけ朝が早いと辛いね。全く。レナはどうだった?」

「大丈夫だよ。起きる時間はいつもとあんまり変わらないし。昨日のうちに支度をすませておいたんだ──それが例の?」

「そうそう。親父から『好きにしろ。どう使っても良いぞ』と許可も貰ったしな。みんな待ってるだろうから早く行こうぜ」

「うん、行こう行こう」

再び走り始める。冷たさの残る空気は相変わらずだが、横に仲間がいると心地良い感じになるのは何とも不思議だった。レナの気配を感じながら走り続ける。

「圭ちゃ〜ん!!!レナぁ〜〜!! 遅い遅い」

道の先に人影が2人。

「魅ぃちゃん、詩ぃちゃん。おはよっ」

「ごめんごめん。見付けるのに時間がかかってさ」

と言いながら俺は背中のケースをたたく。

「それが話にあった例のあれですね?」

例のあれ、と言われると、ちょっといかがわしい感じもするが、…………そんなことはない!!

「……と思うぞ」

「……大丈夫なんだろうね!? おじさん、ちょっと心配だな」

「いや、いや、大丈夫。中身はまだ見ていないけど、親父が教えてくれたから間違いないと思う」

「あれ、圭一くんのお父さん、起きていたの?」

「起きてた。というか寝てなかったかも。なんかゾンビみたいな顔をしてたしな……」

「ありゃりゃ、無理させちゃったかな?」魅音がつぶやく。

「気にすんな。ありゃ好きでやってたみたいだからな。寝不足ハイ入っていたから、青白い顔でニタニタ笑いを浮べて……自分の親ながら不気味なものがあったな……」

「そんなことよりも、急ぎましょう。みんな待っていますよ」

それもそうだな。

「さっ、急ごっ」

独りが二人になり、二人が四人になり、俺たちは学校に続く道を走り続ける。ヒンヤリとしていた朝の空気も、仲間が増えるごとに熱気をはらむ。俺は仲間の雰囲気と足並を揃えて走り続ける。

もう、まもなく学校だ。

校舎の扉をくぐり、靴を下履に替えると、駆け足で教室に飛び込む。

「おはよう!!諸君!……今日はトラップは無しか? 沙都子」

「おはようございます圭一さん。そんな大事なものを持っている人を引っ掛けたりはしないのですわ」

沙都子はそういいながらデザインケースを奪い取ると、教室の中央に並べた机の上に置く。

「おおお!!!沙都子も分別付くようになったんだなぁ。感心かんっ」

……前言撤回。

大事なものを手放した俺を狙い澄ましたかのように、腰掛けた椅子が崩れ、踏ん張った床が傾き、バランスを取ろうとした頭にバケツが落ちてきて………………最後の特大<バカ>スタンプだけは何とか避けることができた。

「ありゃりゃ、圭ちゃん……派手にやられているねぇ」
頭からバケツを取ると……大の字で横たわる俺の顔を覗き込むようにして、魅音が側に立っていた。くそっ、最高にいい笑顔をしてやがる。

「さ〜と〜こ〜〜!! てンめえぇえぇ〜〜……」

「なんでございますの? 圭一さん」いつのまにか横にいる沙都子。こっちも最高の笑顔をしてやがる……くっ。

がし。わしわし。照れ隠しにちょっと乱暴に頭を撫でてやる。

「へ? なぜ撫でられるんですの?!」

沙都子の前に顔を突き出すと、笑い顔で威嚇しながらこう宣言する!

「このタイミングで仕掛けるとはさすがは沙都子……だが、これが最後だ! ……二度とかからん……!!」

「をーっほっほっほ!! 圭一さんごときでは、このわたくしのトラップから逃れることはできないのですわ! せいぜい用心なさることですわ」

そういうと、沙都子は並べた机に近付いて、上に置いたデザインケースをペしぺしとたたく。

「それではさっそく見るのですのよ! のんびりしていると、せっかく朝早く来たのが台無しになってしまいますのよ」

沙都子はそういって俺を急かす。おいおい、足止めしているのはいったい誰だよ……

「わかった、わかった。みんなそろったな?」

その声に、レナ、魅音、詩音、梨花ちゃん、羽入が集まる。沙都子は目の前で既にスタンバイ中だ。俺はデザインケースを開ける。

中には、表にカバー用のトレースペーパーが貼られた画用紙が何枚か入っている。

「これが、圭一くんのお父さんの描いたポスターなんだね」

そう、昨日はあの後、梨花ちゃん、羽入、沙都子を連れて親父のアトリエに押し掛けて、綿流し宣伝用のポスターを描いてくれるよう頼んだ。3人にモデルをやってもらったのはだいたい2時間ぐらいだったが、親父はその後も作成を続けて何枚か完成させたようだ。

「モデルといっても、みんなで遊んでいただけなのですわ」

「ボクたちは、あの部屋で散歩して踊ってイタズラ描きしていただけなのです。楽しかったのです」

「僕もアトリエに入るのは始めてだったので、とても面白かったのです」

それでも親父には十分だったみたいで、3人が帰る頃にはクロッキー帳を数冊使い切ったようだった。3人が帰ってからは、『鬼のような』というのがホントに良く似合う形相だったなぁ……

「まずは一枚目、いくか」

そう言って、俺はデザインケースから一枚取り出すと、机の上に置いてトレースペーパーをめくる。みんなの小さなどよめきが聞こえてくる。

一枚目は、パステルカラーを基調としたとても明るいものだった。巫女の衣装に身を包んだ梨花ちゃんと羽入、沙都子が、のどかで明るい雛見沢を元気良く駆け抜ける。そこに描かれた3人は、ぬいぐるみのように小さくデフォルメされていながら、3人の元気さや無邪気さをありありと描かれている。とてもほほえましく、見てるとつい嬉しくなってしまいそうな、そんな明るさがある。

「はぅ、かわい〜〜……」

「へぇ、圭ちゃんのお父さんって、こういう絵を描くんですか」

「絵本作家? かわいらしいね」

「ちょっと恥ずかしい気がするのですわ」「です」「です」

「俺もあまり親父の絵を見ないけど、へえぇ、こういう絵を描くんだ」

「でも、とても素敵だと僕は思うのです」

「……うわぁ、これほどの出来じゃ、生半可な印刷じゃもったいないなぁ。……タダっつうのも気が引けるし」

「まあ、いいんじゃねぇの? 親父も『雛見沢の役に立ちたい』っていつも言っていたし」

「これ一回で済ませてしまうのはもったいないから、来年は真面目に契約しようかね。その時はお友達価格でよろしく」

「印刷の方は、お母さんに頼んでグレードを上げてもらうようにしましょう」と詩音。

詩音は、このあと興宮に取って返して宣伝用のポスターとビラを作成することになっている。綿流しまであまり日が無いから、かなり大変そうだよな……。

「もっとゆっくり見たいけど、時間が無いね。次に行こうか」

その言葉を受けて、俺は一枚目を空き机に移動させる。デザインケースから2枚目を取り出すと、ゆっくりとトレースペーパーをめくる。

二枚目は、セピア調のとても落ち着いた雰囲気のもの。写実的に描かれた古手神社を背景に、これまた巫女の衣装に身を包んだ3人が並んで立っていて、招くようにほほえんでいる。ここの3人も、お人形さんのように表情が強調されていたけれども、やっぱり3人の可愛らしさや優しさが丁寧に描かれている。とても懐しく、優しい気分になれる、そんな雰囲気がある。

「はう〜〜。これも素敵〜〜……」

「これはまた……さっきのとは全然違いますね。『絵画らしい絵』というか」

「これは……キレイだね」

「綿流しのお祭りに」「ようこそおいでくださいましたでございますわ」「にぱ〜☆」

「こりゃまた画家の本領発揮って言ったところだな。やるな、親父!!」

「はう〜〜。さっきのもかわいかったけど、こっちも素敵なの」

と、いうところで、時報の鐘の音が遠くから割り込んでくる。もう7時だ。

「おっとっと、急がんとな。次にするか」

俺は少し慌てながら二枚目を一枚目に重ねると、次の一枚を取り出し、トレースペーパーをめくる。

三枚目は、ビビッドで活発なイメージ。とてもポップで、マンガのようなイラストだった。左上に羽入、真ん中に梨花ちゃん、右下に沙都子がいる。そこに描かれているのは、いつもの3人であることにはかわりないのだが、感情を削ぎ落したような表情には凄みすら感じる。梨花ちゃんは色々と飾りのついた、たぶん祭事用の大きな鍬を旨に胸に抱えている。とても力強く、華やかなイラストだ。

「わあ、かっこい〜〜〜!!」

「ずいぶんとインパクトのある絵ですね。鍬の赤がとっても映えてます」

「むむむ、これは……圭ちゃんのお父さんって、奉納演舞を見たことあったっけ? 鍬なんか、まるで見たことがあるような出来なんだけど……」

「いや? 前の綿流しに来たとか聞いていないけど? ……そういや良く出来てるな」

「そうすると、圭一のお父さんは聞いた話と想像だけで描いたのです」

「なんとまあ……芸術家というのは恐ろしいものなのですわね」

ゆっくり見ていたい気もするが、時間も気になる。少し未練を残しながら、次に行くことにした。残りはあと二枚。

四枚目は……今までのとはかなり雰囲気が異なる。全体的に暗く…………モノトーンでまとめている。とても重い雰囲気。絵の奥に伸びる、草一つない荒れ果てた参道の階段を、3人が下る。しかし、参道はどこまでもずっと伸びているわけではなく、ある所でぷっつりと途切れている。その先には何も無いはずなのに、歩みを止めない3人。振り返る梨花ちゃんの表情は、まるで俺に助けを求めているようでもあった。

みんなの表情がこわばる。これは……今までの結末。梨花ちゃんと羽入のたどってきた道。そして沙都子……俺たちのたどってきた道。この絵が意味する事実は、すなわち俺たちの敗北であり、破滅なんだろう。

息詰まる重みが、俺たちの両肩にずっしりと覆い被さる。

俺は沈黙を打ち破ろうと口を開けるが……何も出て来ない。虚しく唇が動くだけだった。

「──そう」

レナが沈黙を斬り裂く。

「これが前回までの梨花ちゃんたちの姿。……圭一くんのお父さんって凄いね。何も知らないはずなのに、梨花ちゃんと羽ぁちゃんの深いところを描いている」

さらに……言葉に力をこめて

「今まではそうだった。だけど……だけど、これでおしまいじゃない。確かに今まではダメだったけど、まだ、最後の一枚がある」

レナは、そう言いながら最後の一枚を取り出し、モノトーンの絵の上に重ねる。

そこに描かれているのは集合写真。校舎を背景に、学校のみんなが描かれている。職員室に飾られている集合写真に似ているものだった。しかし、大きな違いが2つ。1つは転校してきてから集合写真に写ったことのない俺が含まれていることと、……もう1つは、みんなが成長していること。これは、俺たちの、今までたどりつけなかった──梨花ちゃんが夢にまで見た──昭和58年6月を越えた世界。

そうだな。……そうだ。

「そうだ。俺たちには『可能性』がある。前回までは俺たちが気付かなかったから……俺たちが力になってやれなかったから、梨花ちゃん独りだけの『可能性』だった。けど、今回は違うぜ。今回は梨花ちゃんだけじゃねぇ、俺たちみんなの『可能性』だ。梨花ちゃん独りの時だってあれだけのことができたんだ。俺たちが集まってできないはずがねぇ」

羽入も、魅音も、詩音も、沙都子も、レナも俺の言葉に頷く。みんなの瞳に、強い意志の力が浮かび上がる。

「────レナは信じる。今回こそは壁を打ち破れる。この絵は、現実になる」

梨花ちゃんが、最後の絵を……絵のなかの自分の姿を見つめる。なりたくて、なれなかった自分。気の遠くなるような長い時間を経ても、手に入れることのできなかった自分。

「……大丈夫だ。梨花ちゃん。今回は独りじゃねぇ。──みんなで行こう。この世界に」

俺は優しく梨花ちゃんの頭を撫でた。いつも梨花ちゃんがやっているように。




-----------鷹野2
私は道端ですれ違った郵便物収集の係員をつかまえて、カバンのなかの封筒の束を押し付ける。

「じゃあ、よろしくね」

「えええ〜〜。ホントはいけないんだけんど……まあ、いいっか」

係員は束を車の荷台に押し込むと、軽く挨拶して走り去る。

これで、全部。

あたりを見回す。ちょうど建物の死角で、誰も見ていない。フフン、と軽く鼻歌を歌うと、弾むように歩きはじめる。

“神話”は全て私の手を離れた。複数のコピーを作り、いくつかの経路に分けて、『東京』に悟られないように慎重に解き放った。最後のコピーは急ぎになってしまったけど、何とか間に合った。

6月に全てが終わり、短くないあいだ闇の中で死蔵されたあとに、“神話”が目覚める。その時、私の“神話”はどう評価されるのだろうか? 少し想像してみる。

オカルトと狂気に満ちたホラーだろうか?

神秘に満ちた預言書だろうか?

……あるいは、この神話に秘められた真実の一つ……祖父の“雛見沢症候群”に、誰か到達するのだろうか?

…………くすくすくすくすくす

小泉のおじいちゃんが亡くなってから風向きが変わって、順調だった研究は闇に葬られることになった。小泉のおじいちゃん以外は、誰もこの研究の価値を認めていなかった。

つまらない派閥争いで、簡単に吹き飛んでしまった。

そして……今だに派閥争いの中にいる。研究の価値とは関係なく。派閥の風向きで祖父の論文は持ち上げられ、叩き付けられる。今は『東京の主流派』に叩き付けられ、『野村』が拾った。祖父の論文の研究成果に関係なく。

……夢見る乙女ではないのだから……もう、わかっている。『野村』も祖父の論文の中身はどうでもいいのだろう。『東京』……『野村』を含めて“雛見沢症候群”の毒性と危険性をわかっているのは誰もいない。派閥争いの道具に都合がいいだけ。『東京』で“雛見沢症候群”の重要性を知っていたのは小泉のおじいちゃんだけ。その小泉のおじいちゃんも亡くなってしまったんだから、もう誰も“雛見沢症候群”を気にしていない。

……ただ、『野村』には感謝している。『野村』は、私の願いをハッキリさせてくれた。

『野村』は、私にこう囁いた。「貴方とおじいちゃんの結晶である論文を、永遠のものにしたくないですか……?」と。

そうだ。祖父の研究を復活させ、共に永遠に生き続ける。それは祖父の……そして私の夢だった。祖父は“私の死後に忘れ去られるのではなく、私が存命している内から忘れ去られた。”と遺した。私は、その苦しみから祖父を解放することが願いだった。

そして『野村』は、こうも言った。「復讐を、……きっと手伝ってあげることができると思います」と。

復讐

とても甘美な言葉。最も甘いワインよりも私を酔わせる。悪魔の吐息よりも悩ましげな誘惑。祖父の悔恨……私の憤怒を晴らす復讐。

ただ、復讐は、祖父の望みではない。あくまで私の望み。

でも……復讐という誘惑は私の心に深く溶け込み、あたかもそれが私の生き甲斐だったかのように思えてくる。

……この二つの願いは、『野村』が囁かなければけっして気付かなかっただろう。そして、わかっている。『野村』が欲しているのは“復讐”がもたらす結果だけだ、ということにも……気付いている。“祖父の復活”……祖父の論文そのものは必要ないのだ。

まあ、いいわ。途中までは手伝ってもらいましょう。『野村』なら私を痕跡なく消し去るところまで、確実にやってくれるでしょうね。そこまでは『野村』の仕事。

それに……くすくすくすくすくす……私は“神話”に仕込んだイタズラを思い出して忍び笑いをする。“神話”を残らず揃えると、漏れなくついてくる“雛見沢大災害”の真相。一つでも欠けるとまず気付かないけど、全部揃うと黒幕の悪意までハッキリと浮かび上がる奇妙なパッチワーク。

『野村』は気付くかしら?……くすくすくすくすくす……彼女はちょっと動きすぎる癖があるみたい。彼女の後ろにいるクライアントが丸見えだったわ……くすくすくすくすくす……。小泉のおじいちゃんのため、と彼女は言ってたけど、とんでもない。そんなことあるはずがない。『野村』の後ろにいる連中の顔を思い浮かべる。もし自分のものにできるチャンスがあるのなら、『東京』が吹き飛ぶぐらいのリスクはしかたがない、と言い出しかねない短絡的な……幼い顔付き。……くすくすくすくすくす……小泉のおじいちゃんがこのことを知ったら、「売国奴!!!」とか言って切り捨てかねないわね。くすくすくすくす……。

そして……“神話”を台無しにしてしまうかもしれないイタズラを仕込んでしまう自分に呆れて笑ってしまう……くすくすくすくすくす……。『野村』がもしこのことに気付いたら、それこそ必死になって“神話”を処分しようとするでしょうね。徹底的に探し出し、あらゆる“神話”の痕跡を消そうとするでしょうね。

でも、そんなことは起こらない。何だかよくわからないけど、根拠のない自信が湧き上がる。……くすくすくすくすくす……。自分は選ばれた者。『野村』ごときが私を邪魔することはできない。始めて会ったときの……私がただの小娘で、彼女が『東京』だった時はもう終わった。『野村』の手が長いことも……その片手に、自衛隊──山狗──の手綱を握っていることもわかっているが、それでも、あの間抜けな顔をした『野村』に何かできるとは思えなかった。

私はヒトを超える……神をも越える。サイコロを振る必要もない。私の前には、すでに定まった歴史──神話──だけがあった。
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茜1
「母さん、なにやってるの〜。遅〜い、お〜〜そ〜〜い〜〜〜〜」

ええい、わかったよ、わかった。そんなに急ぐことはないだろうに。あの子は何を慌てているのかね?

「詩音、し〜お〜ん〜〜。お墓の前で騒ぐんじゃないよ!!! 他の方々に迷惑だろう!!」

といっても、今は早朝。辺りには誰もいない。

はぁい、と遠くで応える声がする。まったく、あの子のお転婆振りは変わらないね。最近じゃ憎々しい振舞いも増えてきた。ほんと、誰に似たんだか……

ゆっくりと、墓に続く階段を昇る。朝早くの澄み切った空気が辺りを満たす。とても心地良い。

今日は6月18日。綿流しの前日。祟りで犠牲になった方々の命日の前日。本当なら明日お参りするのが筋だけど、流石に命日は……ねえ? あたしはヤクザ者だし。それに明日は祭の当日だ。あたしらも、それこそ猫の手を借りたいぐらいに忙しくなる。

綿流し。

雛見沢で重要な意味を持つ祭。もちろん、縁日の露店を取り仕切るあたしらにとっても書き入れ時だ。子供っぽい話だけど……あたしも綿流しが近付くとガラにもなくワクワクしてくる。ホント、ここまで大きな祭になるとは思わなかった。一昔前はただの呑み会だったんだけどねぇ。

そして、綿流しは…………、オヤシロさまの祟りの日でもある。

……………………あたしは、…………それぞれの事件が繋がりの無いものだということに、何となく気付いている。

1、2年目の事件は本家とは関係ない。うちの鬼婆さまは、そんな愚かな危険を犯さない。1年目の事件なんて、下手すればせっかく引き寄せた世論を一気に敵に回す、ダム反対派を武力鎮圧する切っ掛けになりかねないヤバい事件だ。とてもじゃないがダム反対派ができることじゃない。2年目の事故だってたまたまだ。綿流しを嫌って出掛けた旅行先で事故にあったというだけの話だ。園崎に敵対するものを排除した? 馬鹿馬鹿しい。ダム戦争が終わったあとの話だ。北条家に何の危険がある。見せしめにする価値もない。危険を犯すまでもない。もともと外に出たがっていた北条のことだ。ダム戦争の余波が収まってから、北条に気付かれないように割の良い仕事を斡旋して雛見沢から引っ張り出せば、八方丸く収まる……はずだった。

3年目の神主さんの死だって、………………前の事件と関連あるわけじゃない、と思う。神主さんもとても疲れた様子だったし……。奥さんの失踪も……あの錯乱した姿を見ると納得がいかないわけでもなかった。

しかし────4年目の事件はまずかった。

あれは明らかにオヤシロさまの祟りに便乗したもの。……“オヤシロさまの祟り”が……ついに実体化してしまった。“オヤシロさまの祟り”が、雛見沢の住民の心に深く根を下ろしてしまった。

雛見沢の住民が“5年目のオヤシロさまの祟り”について噂をしていることは知っている。北条の娘、よそ者のカメラマン、入江診療所の奇妙な看護婦、……何と梨花ちゃまと村長まで祟りの候補になっている。

何とも、不味い状況だ。

言葉は言霊。噂をすればするほど、噂を受け容れる土壌ができてしまう。噂が実現するかもと期待してしまう。……自ら“5年目のオヤシロさまの祟り”を引き寄せているようなものだ。何とも愚かな行為。

うちの鬼婆さまも──他の連中と同じように──オヤシロさまの祟りを恐れている。…………いや、鬼婆さまはもっと早い段階から、たぶん……工事現場監督の事件の時から、オヤシロさまの祟りに囚われていた。……大丈夫だと思ったんだけどねぇ。あれは平静を取り繕っていただけだった、つうことか。鬼婆さまは『園崎家』として立場にこだわって、厳格な支配で秩序を取り戻そうとした。

本当ならば『古手家』がオヤシロさまの代理として雛見沢に和解をもたらす役割だったんだけど……。大きく偏っていた御三家の力関係、そして『古手家当主』たる古手夫妻の病死と失踪……。御三家で保っていた雛見沢の秩序は大きく崩れてしまった。『園崎家』もまた──鬼婆さまもまた──、秩序が崩れてしまったことに気付いていながら、それでもなお御三家の役割にしがみついている。雛見沢の秩序を守るために。──なんと言う皮肉か。

ふう、と溜息をつく。

「おや……」

つい、声を出してつぶやいてしまう。工事現場監督の墓の前。どうやら先客がいるようだ。先に到着していた詩音があたしに道を譲る。

「………………これは、……これは。…皆さんもどなたかのお墓参りですかな?」

そこには大石がいた。ふん、いやなところを見られたモンだね。

「おやおや……。あんた、勤務中じゃないのかい? 悪いお人だねぇ、まったく」

詩音に手に持つ花を渡す。今年に限って何で今日この時間に来るんかね。明日来るモンとばかし思っていたのに。わざわざ早い時間に来ている意味が無いじゃないか。

詩音が花を受け取る。どこか戸惑った風を装っていたが……受け取って振り返るときに浮かべた笑みをあたしは見逃がさなかった。

……ふん、これはあんたの仕込みかい。詩音。

「………ほら、いつまでもお墓の前で突っ立ってんじゃないよ。そこをおどき」

あたしは八つ当たり気味にそう言うと、大石を押し退けるように墓前にしゃがむ。

「………まさか、あんたが毎年、おやっさんに紫陽花を?」

大石が詩音の持つ花を見ながら言う。

……まあ、こういうことかい? 詩音。

「綺麗だろう? ウチの庭のヤツなのさ。やっぱり6月は紫陽花さね」

そういうと、あたしは工事現場監督の墓に手を合わせる。詩音も、あたしの横で監督の墓に手を合わせる。

「……あんたの桔梗も珍しいね。白いのもあるのかい? それも涼しそうで良さげだよ」

桶に汲んだ水を杓で掬うと、墓に掛けて墓を清める。……といっても大石が既に掃除しているようだから、ただの格好だけの話。持って来た手拭いで墓石の水気を拭い取る。

「あー、大石のおじさま、ちょっとすみません。お花生けますんで……。お邪魔します」

詩音は大石をさらに端に追いやると、白い桔梗の横に青い紫陽花を添える。

ふうん、なかなか良いじゃないか。青と白が涼しげで……快い初夏の風のようだ。

「偶然にしちゃ、いい取り合わせじゃないか。白に青に、よく引き立てあってるよ」

あたしはスッとぼけて口に出す。

「毎年、私が来ると紫陽花がありましたからね。青い花じゃ相性が悪いと思いまして」

……というわけだ。考えてみりゃ当たり前の話だわね。あたしらの後に墓参りに来ているんだったら、当然、紫陽花に気付いているわな。

風が吹く。あたしと大石の間にある淀んだ空気を吹き飛ばす。とても簡単に。

「とっても良い風……ね? お母さん。──大石のおじさまもそう思いません?」

詩音が割り込むように話す。

「ですねぇ。とっても気持ちいい。身も心も軽くなるようですよ。んっふっふっふっ!!」

いつもの嫌らしい大石の笑い声が、あたしの心に染み込んでくる。

あたしは工事現場監督の墓の方を向く。しかし、墓は何も語らない。

「まったく、ねぇ。今は夏の走りだけど、この時間ならまだまだ涼しい風が吹くねぇ」

大石がわざと大袈裟に驚いて応える。

「あれ、そうでしたっけ?」

「何言っているんだい、ヤボだねぇ。事件追っ掛けるのもいいけど、少しは回りに目を配りな。色んなもんを落っとこしてるんじゃないだろうね?」

大石は、最初は苦笑い、そして一瞬だけ悟ったような顔を見せる。さっきのあたしと同じように、大石は工事現場監督の墓に視線を落とす。──この御仁は大石に何を語りかけるのだろうか?

詩音が、大石の視線に合わせるようにして、手に持つ包みを監督の墓に供える。

大石が気付いたように詩音に問い掛ける。

「その包み。毎年見かけてましたが、中身は何なんです?」

詩音が含み笑いをしながら大石に応える。

「鬼婆特製のおはぎです。酒飲みは甘いのは苦手だろうからって、砂糖控えめだそうですが」

「腹にもたれるぐらいに甘ったるいのもいいけど、こういうのも上品でいいやね。この御仁も気に入ってくれると思っているんだけどねぇ」

「お魎の婆さんが……ダム監督の命日のために、おはぎを握ったと仰るんですか」

「毎年握って供えてるよ。あんた、毎年見てるって今言ったじゃないかい」

大石は呆然とおはぎを見つめる。まだ、納得いかない顔をしている。

あたしは、ヤボを承知で、つい、言葉を吐き出してしまう。

「そんな顔しなさんな。もうさ、そういうのはおしまいにしようじゃないかい」

「……そういうの、とは何のことですかな?」

「園崎家が、監督の墓前に花を供えちゃいけないとか、そういうのさ。確かにこの御仁とはいがみあっていたけど……死んじまったら別の話さ」

口に出して思い至る。そういうことか。

想いが溢れ出す。

「あれから5年も経とうとしてんだ。雛見沢もすっかり静かになった。…………あんたは終わっちまった戦争をずるずる引き摺りたいってのかい?」

大石がかぶりをふるう。

「ご冗談を。もうあんな戦争はごめんです」

「国にも悪いところがあった。反省が必要だね。でも私たちにも悪いところがあった。だから私たちは反省するよ。そして、それはそれでおしまいになったなら、あとはいつまでもぐだぐだ言ってても仕方ないだろ。古い時代を片付けて、新しい時代を作るのが若者の仕事さね」

そうだ。あたしはカタを付けたいんだ。

時代は流れる。世界は変わる。人は自分の誤ちを十分反省したら、また前を見て歩き続けなくちゃいけない。しがらみに囚われて留まり続けるのなら、何の生きる価値がある?

でも、……この御仁はもう歩くことはできない。あたしらも、この御仁と共に歩くことは二度とない。

「不幸な事件があって、この御仁は死んじまったけど。…もし生きてたなら、私ゃ一緒に酒を飲んで全部水に流したいと思ったさ。…でも死んじまった。だから、この御仁とはもう仲直りできない。…………悲しいことさ」

「それが、死別というもんですからねぇ」

ふん、ついお喋りが過ぎたようだ。

「でも、あんたは生きているじゃないかい」

大石はあたしを見る。あたしは大石を見る。あたしたちは生きている。まだ歩き続けることができる。

「さて、ちょっと時間をかけちまったようだね。あたしはそろそろ行くことにしようか」

大石がハッとしたような顔をして、手に残る紫陽花を見ながらあたしに問い掛ける。妙に勘の良い奴だよ。ホント。

「もしかして、…………別のお墓にもお参りを?」

……まあ、良いか。全部吐き出しちまうことにしよう。

「北条の連中の墓もここにあるんだよ。まあ、外れにある無名墓だけどね。あいつらもいけ好かない連中だったけど、死んじまえばみんな同じさ」

そこまで言って、今さらながら残されたしがらみのことに思い至る。未だに残る北条家との確執。鬼婆さまが“オヤシロさまの祟り”にあわないための生贄。何のことはない。『園崎家』でも未だにダム戦争が終わっていない、つうことだ。

……まったく、あたしがこんなに鈍感だから、魅音や詩音に苦労をかけるのかねぇ。

「そうですか……」

大石はそういうと、静かに物思いに耽る。あたしは沈黙に耐えられなくなり、つい軽口を叩く。

「今度……そう、綿流しが終わった後にでも差しつ差されつ遣らないかい? うちの亭主も一度話をしたいって言ってたしさ」

大石が意外そうな顔をしてほほえむ。

「良いですね。……私も綿流しが終われば退職を待つばかりの身ですから。昔を懐しむのも悪くは無いでしょう」

あたしは照れ隠しに踵を返すと、挨拶もそこそこにその場を立ち去る。詩音があたしの後を追い掛ける。

詩音はあたしの顔を覗き込むと、飛び切りの笑顔をあたしに投げ掛ける。ホント、憎々しいモンだよ、この子は。あたしは詩音の頭を乱暴に撫でてやる。

風が吹く。

大石というしがらみが風とともに流され、北条というしがらみが目の前に突き付けられる。

まだ全部にケリはついちゃいない。鬼婆さまはもう諦めているようで……魅音の代に全てを託すつもりでいるようだけど、そんなことをしちゃいけない。これはあたしらが──鬼婆さまの代でケリを付けなきゃいけない話だ。詩音の顔を眺めながらそう思う。

……でも、どうやって? 事態がここまでこじれてしまっては、生半可な手打ちではケリは付かない。『オヤシロさまの祟り』に取り憑かれている鬼婆さまも動くことができない。雛見沢の住民たちも心を開くことはできない。……『北条』は今やそこまで重いものになってしまった。これも『園崎家』のせいなのだろう……ほんと、反省しなくちゃねぇ。

あたしに何かできるのだろうか……。あたしは北条家の墓に至るまでの間、繰り返し自分に問い掛け続けた。

(続く)
赤坂1
ついに、間に合った。なぜか、そう思った。

ここにくるのは5年ぶりだろうか。安くはない料金を払いタクシーを降りる。

興宮警察署。

懐しい……と、いうのも嘘になるような気がする。得体の知れない何かに駆り立てられていたが、それが何かわからなかった。だから、汚職事件の資料の中に『入江診療所』の文字を見付けたときは、とても救われたような気分になった。私は『雛見沢』の調査の仕事を奪い取った。

ただ独り立つ砂漠の中で落してしまった、とても、とても大事なビーズ。見付けられないとあきらめていた大事なものを見付けたような、そんな感触。

そして私は思い出した。雛見沢の住民の人懐こい笑顔。そして可愛らしい少女……梨花ちゃん。たった2日間の話なのに、もう5年前の話なのに、その笑い顔は私の胸に心地良い風を吹き込む。しかも、梨花ちゃんはそれだけではなかった。

そう、梨花ちゃんには、借りがあった。

梨花ちゃんに最後の別れのときに受けた警告。

「東京に帰れ、さもないとお前はひどく後悔する事になる」

本当に恐ろしい……言葉。これ以上ない強い口調で梨花ちゃんは言ったが、梨花ちゃんの最善を尽くした言葉ですら、危うく私の心に伝わらずに消え去るところだった。私が気付いたのは本当に偶然だった。

その言葉を聞いた夜に打った麻雀。そこでの牌の感触が、私の感触を鋭利なものにした。打ち上げのときに「家内」と口にしたときの違和感。ほんのわずかな違和感を、往年の勝負師の勘は掴まえた──麻雀に誘ってくれた大石さんたちにもお礼を言わないといけないな──。荷物もそのままに東京に戻り、夜も明けないうちに雪絵のところに忍び込んだ。……しかし、よく辿り着いたものだ。雪絵が驚いて……喜んで……そして散々怒ったのもいい思い出だ。

ただ、そのままトンボ返りするまでの10分程度の会話のお陰で、私は後悔しなくて済んだ。雪絵は危ない行為を……私が電話しないときに、階段を昇って屋上で夕涼みしていることを認めた。私は雪絵に止めることを誓わせた。10分間で行ったのは、たったそれだけ。

しかし、たったそれだけで全てが変わった。その日の夕方、清掃員が屋上に繋がる階段で剥れたタイルを踏んでしまい、大怪我をした。雪絵は「危かった」なんてあっさりしていたけれど、それが意味するものに私は感付いていた。……あの言葉はこのことだったのか、と。

結局、そのあと昼ぐらいに雛見沢に戻った私は、犯人は取り逃がしたものの大臣の息子を助け──持ち場を離れるという大失態は土下座行脚でなんとか納め──あの事件にケリを付けた。そして……その後に残された梨花ちゃんの言葉。不覚にも……体中の傷とアルコールに飲まれて、『入江診療所』の文字を見るまで完全に忘れていた。

「……死にたくない」梨花ちゃんが最後に呟いた言葉。

なぜ、私は忘れていたのだろうか……?

「ぬおぉおおおぉおぉ、赤坂さああぁん!! ご無沙汰しておりますよ〜〜!!!」

興宮署のロビーに不自然なほど元気な声が響き渡る。その声に、つい、顔が綻ぶ。

「大石さん! その後もお変わりなく」

「んっふっふっふ! お変わりなくなんてひどいですなぁ! 最近、リンゴダイエットってのを始めましてね? ちょいと体重が絞れてきたつもりだったんですがねぇ!」相変わらず元気そうだ。「そういう赤坂さんは、こりゃまた見違えるくらいに逞しくなったじゃないですか!」

「この程度には鍛えてないと、体が持ちませんので」

意外な方から声がしてくる。

「あれ、蔵ちゃん。その人、あの人かい? 何年か前にウチにきた東京の公安の!」

「本田屋さん、ご無沙汰しております。その節はお世話になりました」

5年前と変わらない底抜けに陽気な──少し下品な笑い声が響き渡る。

「あんた、ずいぶんとまぁ立派に成長しちゃったじゃないですか。かぁ〜、若いっていいねぇ!!」

大石さんが割り込むように話し掛ける。

「ささささ、せっかく来てくれたんです。もうお店に行っちゃいましょう! 馴染みの店ですから、のれん前でも入れてくれるでしょう。 さぁさぁ行きましょう」

「その前に、電話借りていいですか?」

「あらぁ?奥さんとこに連絡ですか?」大石さんに肘で胸を突かれる。

「いいえ。まだ東京の事務所に到着の連絡を入れていないので、これから行おうかと」

大石さんは私を会議室の電話まで案内しながらも話すのを止めない。

「だめですよぅ。まじめに連絡なんかしちゃぁ〜〜。コキ使われるだけですよ!!」

大石さんがそう言いながらも電話機を私の前に置く。

「終わったらロビーにいますので、来てくださいよ」

私は大石さんに軽く挨拶すると、受話器を手にとった。

(続く)
大石1
いや、まったく嬉しいもんだね。あのひよっこがこんなに成長しているとはなぁ。もう、五年か。いやいや、長いもんだね。虎を思わせるしなやかな身のこなし。落ち着きながらも隙のない目配り。いつのまにか貫禄十分じゃないですか、全く。一体全体どれだけの修羅場を潜ってきたんだか。

と、と、と。会議室の方から赤坂さんの怒鳴り声が聞こえる……あらあら、この分だとあまりいい連絡はなかったようだねえ……

「無事連絡つきましたかぁ?」

「ええ……。どうやら仕事が無くなってしまったようです。……今日から二週間の休暇になりました」

あらら。自制してるけど、怒りと落胆の色が少し滲み出ている。まだまだ若い……でも、まあ悪い事じゃない。

「ありゃりゃ。予定が狂いましたね」

「全くです。」と、いうと息を吐き出す。蒸気を吐き出して体内の圧を落としていく感じ。「少し拍子抜けしました」

「運がいいのか、悪いのか。ちょうどいい時期に休みになったようですねぇ。今週末は雛見沢でお祭りですよ」

「──綿流し、でしたっけ?」

「そうですよ。ここ数年で随分大きなお祭りになりましてね。ここからも結構遊びにいく人が多いんですよ」

赤坂さんを促して署を出る。

「そうですか──前に来たときは、ずいぶんと小じんまりとした宴会でしたが……」

「いやいやいや、もうここいらで一番大きな祭になりましたよ、綿流し。──ただ、私たちは楽しんでいる暇がないですけどね」

赤坂さんの目に光が宿る。……いけませんねぇ。顔色を読まれるようじゃ、駆け引きの方はまだまだのようで。麻雀の時のはったりが効けばいいのに。……でも、何で? お祭りの時に警察が警備で駆り出されるのは当たり前のこと。なんで反応するのでしょう?

「もしかして興宮警察総出で警備ですか? 随分と大規模ですね」赤坂さんの瞳から、まだギラギラした感じが抜けきらない。

「大きな祭ですからねぇ。特別シフト組んで準備してますよぅ」当たり障りのない受け答えをして、赤坂さんの出方を見る。さて……気のせいかな?

「……やっぱり事件とか……いや、小細工は止めましょう。もうお見透しの様ですし」

「駄目ですよ。顔色に出るようじゃ、まだまだ場数が足りないですよぅ。表情を出さないようになって半人前。表情を作れるようにならないと」

なっはっはっはっは。

「手厳しい……心掛けてはいるのですが、今日は相手が悪かったようです」

「誉めたって何にも出ませんよ! まあ、毎日の精進は大切ですからね。二人目の自分を飼い馴らせるようになったら一人前です。……で、何の話です?」

「……綿流しで起きている殺人事件と、五年目の被害者についてです」

トンでもないのが出てきた。ついさっき偉そうなことを言いながら、今の言葉を聞いて、もう全然余裕が無くなっている。笑い顔を崩さないのが精一杯。まっ被害者が分かれば苦労はないのですが耳を傾けてみましょうか。

んっふっふっふっふ!

自然と声が小さくなる。偉そうなことを言った手前、貫禄を示そうと少し茶化したようなトボけた口振りになる。

「殺人事件とは物騒ですね。……どんな話でしょう?」

赤坂さんは、私のふざけた口調にも腹を立てずに付き合ってくれる。本当に落ち着きが増したようですね。

「小細工はやめますので、単刀直入です。まずは口を挟まずに聞いて下さい」

その言葉に頷く。

「この話を聞いたのは、前に雛見沢に来たときですから、5年前ですか──口を挟むのは無しですよ──。今までは思い出せませんでしたが、今ならはっきりと思い出せます。まずはこの話をしましょう」

つい口を出しそうになって、赤坂さんに遮られる。

「私はその時に聞きました。1年後……つまり4年前ですね。いっしょに麻雀を打っていたダム現場の監督が殺されます。バラバラ殺人ということです────2年後は、サトコという子の両親が死にます。転落死でしょうか? 事故というべきかもしれない……と聞いています────3年後は、古手梨花の両親が死にます────4年後……つまり去年は、サトコという子の叔母が殺されます。頭を割られたらしいですね」

……よく調べている……。去年の殺人事件は秘匿捜査指定なので、そう簡単にはわからないはずですが……雛見沢の住民ならこれぐらいのことは知っているから、赤坂さんが雛見沢の住民から情報を入手した……いやいや、その考えを頭から振るい落とす。先入観で誤った判断をすると、後々まで尾を引く。

赤坂さんは、さらに声を小さくして私に囁く。

「そして、今年。いや、今月末までに……古手梨花が殺されます」

もう、ダメ。ぎこちない作り笑いが精一杯。

「これを話してくれたのは、古手梨花。梨花ちゃんは、はっきりと『死にたくない』と言いました」

「────そういえば、奥さんの危機を報せてくれたのも、古手さん、でしたね」

「そうです。梨花ちゃんの助言が無ければ、タイルを踏み外して階段を落ちていたのは私の家内でした……たぶんそうなったら私はとても後悔していたでしょう。彼女にはとても重い借りがあります」

その目を見る。不意の睨みにも動揺しない、真っ直ぐな瞳。

「ふぅむ。人がいないとはいえ、あまり道端で話すような話ではありませんね」

私は立ち止まる。

「どうしました?……飲み屋はまだ先のようですが」

ここはおもちゃ屋の前。赤坂さんが訝しるのも無理はない。

「運が良いのか悪いのか……飲んでいる場合じゃなさそうです」

私にとっては、とてもツイている。兵糧切れ直前の負け戦にあらわれた一筋の光明。……もう、あまり打てる手はないんですよね。

「いや、いや。とても運が良かった。お陰で貴重な時間を無駄にせずに済みました。すぐに綿流しですしね────もうそろそろかな?」

ちょうどその時、足元から幼ない声がした。今の言葉を聞き付けたようだ。

「いいえ、遅いのです。大石。ずいぶんと待ちましたのですよ」

と、そこで言葉が止まる。どうやら、気付いたようだ。

「まあ、すみませんね。これでも急いで来たのですけどね。案内するのに時間がかかりまして」

んっふっふっふっふ! 赤坂さんが目を真ん丸にして驚いている──そして、赤坂さんが見つめる相手……古手さんも同様に、目を真ん丸にして驚いている。古手さんと赤坂さんの絆。やはり、先程の赤坂さんの話には、深い意味がありそうですね。

「間に合ったよ。梨花ちゃん。君を助けにきた。ぜひとも手伝わせてほしい」

赤坂さんは、声もなく泣き出した古手さんの前にしゃがみ、頭を撫でる。こらえきれなくなった古手さんが、赤坂さんに飛び付くと、そのまま声を上げて泣きはじめる。

もしかしたら、古手さんにとって、──そして赤坂さんにとっても、この5年間というものは特別な意味を持っていたのかもしれませんねぇ。

腹が决まりました。先ほどの赤坂さんの話が事実だとすれば、古手さんの近くに『オヤシロさまの祟り』の影が落ちている。────場合によっては、園崎家に落ちているものよりも濃厚な影が。

最後の一年はこっちに賭けてみますか。
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小此木1
俺は、追い詰められていた。目の前にある123号文書──“終末作戦”に。

小此木造園の社長室の奥にある窓のない資料室。基本的に社長室の回りのセキュリティは高いが、特にこの資料室の頑強さは別格だ。週に一度は自分の手で掃除しているから、その質も十分に信頼できる。

だから、この部屋の中でなら、俺は安心して嘆くことができた。

「なんで、こんなことになっちまったんだろうな」

俺は、あえて声に出して言ってみる。あのバカ女……『野村』の作った悪魔の脚本。緊急マニュアル第34号を逆手にとって『滅菌作戦』──自衛隊による雛見沢住民の虐殺──を引き起こし、その禊として『東京』の主流派を失脚させる。あの、机上で命を弄ぶインテリ気取りのアホ女の作戦によって…………俺のチームが破滅しようとしている。

山狗が興宮に来てからもう10年近くが経つ。雛見沢住民との交流は避けるように指示はしているが、俺達も人間だ。雛見沢に対して憎からぬ感情を持つ隊員がほとんどだろう────あまりにも長く留まりすぎた。多分、俺の鍛えた山狗ならば、雛見沢住民の虐殺をもたらす“終末作戦”を遂行することはできるだろうが、……その後は耐え切れないだろう。心理的なストレスからチームが崩壊するのは目に見えていた。

──しかし、無能な俺は、チームの破滅を防ぐ方法を知らず、行動を起こすこともできなかった。『東京』の……そして『野村』の手はどこまでも長い。俺が情報をリークして作戦を白日の下に晒そうとしても、その前に叩き潰されるだろう。そうなれば……『野村』は、自分の手に噛み付いた飼い犬に何をするだろうか? コンクリ詰めになって太平洋の海の底か、山奥の砕石機に砕かれて川に流されるか……『野村』とは短くない付き合いだ。証拠隠滅──チーム全隊員の粛清は、多分、実行するだろう。逃げ出すのも無理だ。俺は、そのための準備を怠ってきた。ただ逃げようとしてもほぼ確実も捕まるだろう。あとは……苦痛のない方法で処理されることを祈るだけだ。

組織としては鷹野の指揮下にあったが、実際には依然『野村』の支配から逃れることができなかった。表向きは鷹野の指揮の下『雛見沢症候群』の研究環境維持を行っている。しかし、それと並行する形で別の不正規活動──『野村』の指示によるものだ──も行っている。いや、重要度や難易度から考えると、『野村』の不正規活動の方が本職で、この雛見沢の任務が隠れ蓑と言える。十分な資金と時間。適度な実戦経験。……何と、恵まれた環境か。俺は、愚かにもこの世界が永遠に続くと勘違いした。

俺は、愚鈍な司令官だった。今ある環境を受け容れるだけで、この環境を維持するための努力も、自分の望む環境を作り出すための準備も行わなかった。……いや、今になるまで思い付きもしなかった……何という愚かさか。

──だが、チームリーダーとしては優れていたと思う。俺の山狗は、まさしく最高の状態を維持している。高度な技術を持った信頼できる仲間たち。このチームを作り上げたのはまさしく幸運の賜物であり、仲間と共に任務を達成するのは最高の誇りだった。

“終末作戦”は、とても危険な作戦だ。もしかしたら『野村』は作戦の成否に関係なく証拠隠滅を行うかもしれない。しかし……練度の高い軍人は貴重な存在だ。俺の山狗ならば『野村』も使い捨てにはしないかもしれない。

隊員がストレスに耐え切り、『野村』が山狗を切り捨てない……俺の望む山狗がこれからも山狗でありつづけるには、万に一つの奇跡を願うしかなかった。

部屋の電話が鳴る。内線からの呼び出し。このベルの音は、破滅ヘの行進の始まりなのだろう。

「はい、小此木です」

「隊長。鳳の全隊員が揃いました」

そうか……

「すぐ行く」

いつのまに泣いていたのだろうか。俺は首にかけた手拭いで顔を拭うと、イスから立ち上がり、身だしなみを整える。

小脇に“終末作戦”を抱えると、静かに社長室への扉を押し開ける。

そのまま社長室を出る。社長室の脇にある大き目の倉庫に、鳳が集まっていた。

「注目。そのまま楽にして聞いてくれ。──枝の掃除はしたか?」

「はい。問題ありません。他の隊員も現在外回り中です」

その一言を聞いて、俺は手持ちの資料を配布する。

「資料は後ほど回収するから頭に入れるように。まずは概要の説明から行う────」

俺はそのまま“終末作戦”の説明に入る。ただし、実行の背景を少し加工して。内容については鷹野および『野村』と調整を済ませてある。

それはこんなシナリオ。あまりにも馬鹿馬鹿しい話だが、少しでも隊員達の免罪符になってくれればそれでいい。真実に魂を切り裂かれるのは、俺だけで十分だ。

────

『東京』では現在派閥争いが行われており、混沌とした状況となっている。山狗の上層部も例外ではない。そして……『東京』のある一派がこの状況を悪用して、『東京』を外国に売り渡す──『東京』を壊滅させ、日本を混乱させることにより、東側に便宜を図ろうとしている…………と上層部が判断した。

『東京』の壊滅を実現するための作戦の一つとして、女王──Rの殺害による雛見沢住民の暴動誘発が行われる見込みが高い。アルファベットプロジェクトの露呈は日本の国際信用を大きく失墜させるものであり、また国内でも政権の崩壊・共産勢力の拡大などの致命的な痛手となることは避けられない。

そこで123号文書では、敵の先手を取ってRの殺害と緊急マニュアル第34号の発動を行い、アルファベットプロジェクトの証拠隠滅と『東京』内の敵対組織の破壊を行う。

つまり、123号文書は、敵対組織を壊滅させ、なおかつ日本全体が混乱に陥いることを防止するための重要な作戦であり、上層部としては万難を排して達成する必要があると考えている。

────────

隊員達の恐れ、怒り、悲しみ、嘆きが伝わってくる。だが、それは作戦の説明を続けるうちに静かなものに変わり、最後には俺と同じもの────諦めの色に染まった。

「詳細は引き続き説明する。ここまでで疑問点は? ────何でもいいぞ」

俺の言葉に隊員の一人が反応する。諦めたような、虚ろな笑いを口元に浮かべて。

「……つまり、『東京』は、俺たちに“地獄に堕ちろ”と言っているんですかね」

「ああ、そうだな。雛見沢の連中は天国に行けるだろうが、俺達は揃って地獄いきだ」

「……一体『東京』で何が起っているんです? こんな下策を持ち出して、『上』の連中は何を考えているんですか?」

「判らん……すまんな。もしかしたら、『上』は疑心暗鬼に取り憑かれたのかもしれん」

俺は皮肉に口を歪めて弱々しく肩を竦める。しかし、隊員達は、俺の言葉を素直に受け容れる。雛見沢の『鬼』たちを見ている隊員達にとって、疑心暗鬼がどれほど恐ろしいものか、身に沁みて理解しているのかもしれない。

──ああ、確かに上層部は取り憑かれたのかもしれない。しかし、それは悲劇に振り回される『鬼』ではなく、悲劇を弄ぼうとする『悪魔』なのだろうが……

俺は言葉を続ける。

「……だが、お前達が軍人である以上、命令不服従は許されん。全ての責任は上層部と俺にある。お前達は手足として働いてくれればいい」

できるだけ強く、冷たく言い放つ。この件に関しては、自分で判断することを止めさせ、心理的な逃げ道を用意してやることだ。

「鳳以外のチームには説明するんですか?」

「……いいや。行わない。ここについては別のシナリオを考えている。R殺害を防止する防諜作戦として説明する予定だ。最後は『失敗』することになるがな。情報漏れの無いように留意してくれ。──他には?」

重い沈黙が続く。

「なお、作戦終了まで辞表は受け付けない。逃亡も不服従も許されない。粛々と遂行してくれ。では説明を続ける」

共犯者として遂行する……。そう考えると、ふと、5年前の祟りを引き起した男たちのことを思い出す。工事の現場監督の殺害を秘密にするため、バラバラにした死体をそれぞれ持ち帰った犯人達。

結局、あの連中はチームを維持することができなかったが、……俺達はどうだろう?

鷹野3
興宮の街角。私は軽い足取りで道路を渡る。

目指すは向かいの洒落た喫茶店。私は風格のある造りの扉を押し開ける。部屋の中の作りも和洋取り混ぜた味のある構え。私はこの店が好きだった。

中の様子を見る。客の入りもまあまあ。この寂れた町の中でも、赤字を出さない程度の売り上げは挙げている。

私は店員に合図を送る。店員は普通に客を迎えるように応じる。

そのまま店の奥の一区画に入ると、その区画のパーティションの隙間から通路を覗く。──追跡者は無し──問題ない。確認が終わると、奥の壁に偽装された扉の鍵を外し、中に入る。

そう、この喫茶店自体がカモフラージュ。私はこの扉を使って、店の裏にある小此木造園に向かう。私は地下のセキュリティルームに繋がる無骨な鉄扉を開ける。

ぶわっ、と、熱気が吹き込んでくる。落ち着きながらも活気のある雰囲気が辺りを占める。今は“終末作戦”の遂行中。悪魔の脚本通りに、小此木を軸にして山狗たちが回り続ける。

「どう、順調?」私は小此木に声をかける。

私は他愛の無い返事を期待したが……小此木は返事をしなかった。

「小此木?」私はもう一度呼び掛ける。小此木は迷うような態度を見せてから、答える。

「ちょっと、気になるこったあるんすね……」

小此木の、どことなく怯えたような迷いのある目付き。

「ここ2日ほど、葛西辰由の動きがないんすね」

葛西…………。興宮の顔役であり、園崎当主の娘の旦那を中心とする組──園崎組の中心人物。園崎詩音の世話役になって一線を退いたという話になっているが、依然としてその影響力は大きい。

「2日前まではかなり頻繁に動いてたですんど、昨日から、ぱぁ〜たりと出てこなくなったんすね」

「…………気にしすぎかもね。医者の往診とかはなかったの?」

「特に何も。園崎詩音もぴんぴんして飛び回っとります。ただ、葛西の動きだけ無いんですんね」

私は考え込む。私からすれば考え過ぎのような気もするが、小此木は何か感じているようだ。──小此木は、かつては優れた兵隊だったという。小此木の天才が、私にはわからない何かを嗅ぎ付けたのだろうか?

「何か参考になりそうなデータある?」

小此木が頭を掻く。

「残念ながら人手が足りとらんので、情報整理できとらんですが……」

そう言いながら、いくつかに束ねられた封筒を差し出す。封筒には日付と場所──園崎本家及び園崎組関係の活動拠点の名前が書かれている。封筒を開けると、中には建物を出入りする人物のインスタント写真が何枚も入っていた。裏には、撮影時の状況と確認できた範囲での人物情報────入退場記録、というほど立派なものではないが、その類のものだった。私は時系列順で並んでいる写真を順番に見る。言われた通り、昨日と今日の写真からは、葛西の写っているものは存在しない。しかし、これらの写真からは、特に気になるところは見付からない。

ふう。私は溜息をつくと、背後のテーブルに向かう。今度は簡単に葛西関係……園崎組が差し押さえた高層マンションの写真を並べ、順番に眺めてみる。

一枚の写真に…………違和感を感じる。

私は喫茶店の防犯カメラにつながっているテレビを見る。画面を切り替えるまでもなかった。映っているレジ前の画像に、その写真に写っているのと同じ人物が映っている。私は興味無さそうな振りをしながら──背後の小此木に気付かれないようにしながら、並べた写真に視線を戻す。

「小此木、仕事に戻って良いわよ。しばらくかかりそうだわ」

私は何も気付いていない振りをしながら、並べた写真を頭から順に手にとり、裏に書かれている情報を確認する。ほとんどが園崎組関係者。まあ、当然だろう。このマンションには一部を除いて園崎組関係者しかいないのだから。あと3枚、あと2枚……1枚。そして、目的の写真を手に取り、裏返す。そこには、短いコメントしか書かれていなかった。

『情報屋。打ち合わせ?』

その言葉が頭に引っ掛かる。しかし、私は何事も無いような態度をしながら次の写真を手に取る。惰性でその作業を続けるが、頭のなかには入ってこない。さっきのコメントに心が奪われている。

私はふと、情報屋の滞在前後に誰が出入りしているかを確認する。もしかしたら────居た──私の直感の通り。情報屋が出入りするのと前後して、園崎魅音、園崎詩音が同じようにこのマンションに入り、そして出ていっている。

普通に考えれば、ここに住んでいる園崎詩音、園崎詩音の姉である園崎魅音がこのマンションに出入りすることは自然だ。情報屋の前後に出入りしているのも偶然の一致である可能性が高い。それに情報屋が喫茶店に入っていたのも、単なる偶然かもしれない。

だけど、私の背後にいるもう一人の私が警告する。園崎魅音、園崎詩音には気を付けろと。出し抜かれるなと。わかっている。私からすると園崎魅音と園崎詩音は何も知らない小娘に過ぎないが、もう一人の自分にとっては違うのだろう。

……くすくすくすくすくす。はははははははははは

面白い!! 面白い!!!

そうか、奴らもこのゲームに参加シヨウトイウノカ!! オモシロイ!!!

思わず声を上げて嗤いそうになる。私は唇の端を大きく吊り上げるだけで我慢した。

ハハハハハ!! オモシロイ!!! ナント愉シイコトカ!!! あイツラは神話ニ挑モウトイウノカ!!

再び、私の背後にいるもう一人の私が警告する。クールになれ、クールになれ、鷹野三四。クールに考えろ。

そうだったわね。そんなに嗤っていられるほど有利という訳ではないのだから。……しかし、いや、愉しい。

私は心を落ち着かせると、最初から考えてみる。

こちらの勝利条件は“滅菌作戦”の実施、あるいは雛見沢住民全員の末期発症。これさえ達成できれば、私のスクラップ帳は神話になる。そうすればいつか……誰かがおじいちゃんの研究に辿り着くだろう。その時こそが、おじいちゃんの復活の時。

“滅菌作戦”を実施するには──極端な話、女王感染者──梨花ちゃん──の明確な死さえあればいい。ジロウさんの死も、入江の死も、必ずしも必要な事項ではない。梨花ちゃんさえ死ねば、『野村』は入江ではなく私を生贄にして“滅菌作戦”を実施するだろう。大した問題ではない。ただ、梨花ちゃんがいなくなると、「梨花ちゃんの明確な死」という条件が達成できなくなる。ここは気を付けなくてはいけない。

もう一つの勝利条件──おじいちゃんの予言した雛見沢住民全員の末期発症に望みを託すのも良いが、これは他の事例からおじいちゃんが推定したものだ。本当に発症するかは不確実なものがある。本当に発症すれば神話を裏付ける最善の結果となるが、何も起こらない最悪の結果も想定する必要がある。────そう、全てを自分でコントロールしないと。保険としては重要だけど、あまり意味はない。

つまり、こちらの勝利条件は、私達の監視下で「梨花ちゃんの明確な死」が行われること。この一点に落ち着く。

やはり、梨花ちゃんが一番重要なキー。

次に、こちらの敗北条件を考えてみる。こちらは、“滅菌作戦”が行われずに、なおかつ雛見沢住民全員の末期発症が起こらないことが条件になる。つまりは、さっきの考えの逆で、「梨花ちゃんが死なない」こと────と、まあ、可能性は小さいと思うが「梨花ちゃんが死んで、その48時間後に末期発症が起こらない」こと────が条件になる。

続いて、「梨花ちゃんが死なない」条件を考えてみる。これは簡単だ。“終末作戦”が「梨花ちゃんの死」を達成目標としている以上、「梨花ちゃんが死なない」ということはすなわち“終末作戦”が失敗したということ。この場合は……私は証拠隠滅のために処分されているだろうから、私だけの手で「梨花ちゃんの死」を実現することはできない。──やはり、“終末作戦”の達成は必要だ。

“終末作戦”の失敗とはどういうことだろうか? 私は考えてみる。この作戦が不正規活動である以上、作戦の露見は避けなくてはならない。もし明るみに出れば、『野村』が直ちに作戦を廃棄するだろう…………この作戦のオーナーの『野村』が許すはずがない。

そこまで考えて思い付く。作戦がある程度進行した後は? …………『野村』は逆に“終末作戦”を実行することで隠蔽しようとするだろう。自信家の『野村』なら間違いない。極端な話、「富竹の死」とその後の一連の工作がポイントになる。ここまでくれば、『野村』も引き返せない。もちろん、強引に作戦を遂行する以上、後で“終末作戦”が露呈するリスクがある。しかし、それはスクラップ帳が神話になったあとの話だ。その頃には私も死んでいるだろうし、どうでもいいことだ。地獄で『野村』が破滅するのを眺めるのも悪くない。

そう、こちらの敗北条件は、『野村』が“終末作戦”の廃棄を決断すること。その時は何も起こらない。ただ、私が処分されるだけ。

いかに『野村』をコントロールするか、これがキーになる。

「小此木。ちょっとセキュリティルームまで来てちょうだい」

私は電話の受話器を取ると、内線で小此木を呼ぶ。

小此木も、『野村』と通じている以上、私の味方ではない。また、薄々ながら感じているが、小此木はこの作戦の実施に反対しているようだ。園崎魅音と詩音の動きを知られてしまったら、作戦の中止……少なくとも延期を『野村』に提案するだろう。それは避けなくてはならない。

「お呼びですか?」

私は小此木を、軽い溜息で迎える。

「さっきの件だけど、特に気になるところはなかったわ」

小此木が落胆した顔をする。

「ただ、大仕事を前に用心する必要があるわね。東京での作業の状況はどう?」

「作戦の準備、裏金の隠蔽工作ともに順調ですんね。このまま進めておけばよろしいかと」

ふうん。

「R、I、Tの所在はわかる?」

Rは梨花ちゃん、Iは入江、Tは富竹──ジロウさんを意味する。

「残念ながら対象者は外出中で、現在の所在は不明ですんね」

「そう、わかったわ」

私は一拍置く。

「これからR、I、Tの24時間監視に入ります。対象者の所在を確認し次第、要員を張り付けて。監視要員は興宮で作業している人員から確保すること。園崎関係者の監視も継続したいけど……R、I、Tの監視を優先してちょうだい。でも、葛西がいると思われる高層マンションの監視は残しましょう。興宮の作業が回らなくなりそうだったら、裏金の隠蔽工作から人員を戻すように。ただし、戻すときは事前に私に連絡すること」

これで小此木の目を園崎魅音と詩音から遠ざけることができる。葛西の監視は継続せざるを得ないが、しかたない。あとで園崎関係者にリークして、園崎魅音と詩音に対する牽制としよう。

私は言葉を続ける。

「鳳は何をやっているの?」

「鳳は、ちょうど裏山の調査が終わったところで、休憩中ですんね。この後は“終末作戦”の模擬訓練の予定です。──といっても、R捕獲のための離れ突入訓練が中心ですんけどね」

裏山ね。

私はあの恐ろしい裏山を思い出す。沙都子ちゃんがそこら中を罠だらけにした要塞。小此木は、月に一度ぐらい裏山の調査を行って、だいたいの罠の位置と種類を確認している。隊員の訓練も兼ねているようだけれども……ただ、沙都子ちゃんに気付かれないように痕跡を残さず調査しているため、隊員の消耗は激しい。

「模擬訓練はしなくていいわ。引き続き裏山の調査を行って、梨花ちゃんがあそこに逃げ込んだとしても捕獲できるようにしておきなさい。ただし、鳳の消耗には気を付けて」

小此木の顔が曇るが、私は有無を言わせずに締める。

「再配置の人員については一任するわ。さあ、取り掛かってちょうだい」

さて、小此木はどう動くかしら? 少なくとも裏山の調査は行ってもらわないと困る。もう一人の私が警告する。梨花ちゃんみたいな非力な存在でも、裏山では立場が逆転する。そんなことを許してはいけない。

人員の再配置の方はどうだろうか? 3人の24時間監視を行うとしたら、カツカツに切り詰めても3人編成で3チーム、合計9人必要になる。万全を期するなら、少なくてもさらに2人──5人編成の3チーム、合計15人──は必要だろう。これだけの人員を興宮から抜いたら、園崎家の監視の継続は不可能だ。良いところ、葛西の動向を探るために高層マンションの監視をおこなうぐらいまでだろう。

ならば、東京から人員を抜くか?もし抜くとしたら……小此木が園崎家の異変に気付いた時だろう。

私は、小此木が余剰人員を含めて東京に送っていることに気付いている。目的が“終末作戦”の廃棄のための情報収集であることも、何となく気付いている。もし小此木が東京から興宮に人員を戻すとすれば……それは“終末作戦”を中止して廃棄することのできる可能性、つまり園崎家に作戦が露見している可能性に気付いた時だ。

この再配置は“終末作戦”廃棄の動きを探るための危険なカナリアでもある。

まずは始めの一手。回りに味方はいなし、打たなきゃいけない策はたくさんあるけれど────何とモ愉シイモノダ

オマエラゴトキニ、出シ抜カレルモノカ……クスクスクスクスクス

(続く)



悟史
僕は、もう長い間ここにいる。昼とも夜ともつかないたそがれの中。

ここには何もない。空もなく、大地もなく、光もなく、闇もない。ただ、無限に続く白だけがあった。この純白を犯す赤いシミ。それが僕だった。

赤。僕の染まった罪の色。血に染まった赤。

僕が望んだものは……ささやかなものだったと思う。だけど、その願いは、僕にはとてもぜいたくなものだったのかもしれない。僕は少しずつ追い詰められ、身を打たれ、魂を削られ、全てをすり潰されて……結局は罪に塗れてしまった。

ここには、もう、僕しかいない。叔母もいない。詩音も、仲間もいない。沙都子もいない。……そして、もう一人の僕もいない。助けてくれる人も、助けを求める人も、憎む人も、愛する人も、誰もここにはいない。

僕は、もう長い間ここにいる。無限に広がる空間の中。

ここには僕しかなかった。僕の意識はこの空間全てに拡散する。拡散した僕の意識は、空間に浮ぶ赤いシミ……僕を見つめていた。今なら……僕は僕を見つめることができる。

僕は、仲間の気遣いに感謝することができなかった。僕は、詩音の優しさに気付くことができなかった。僕は、沙都子の弱さを理解することができなかった。僕は、僕の……弱い心を認めることができなかった。だからこそ、……僕は罪に塗れてしまった。赤に塗れた僕の両手。その色が薄まることは、多分ないだろう。僕は空間に浮かぶ赤い罪……僕を見つめていた。

罪に塗れた僕は……もう僕ではなかった。仲間たちと共にいる僕でも、詩音の頭を撫でる僕でも、……沙都子をかばう僕でもなかった。罪を犯したのは必然ではなかったのかもしれないけれど、罪を犯した僕がここに独りなのは仕方のないことだった。長い時しかし、……僕は僕でなくなったけれども、僕はたった独りになってしまったけれども……それでも僕は……信じていた。仲間が僕に助けの手を差し伸べてくれることを、詩音が僕の側にいてくれることを、沙都子が僕に頼ることがなくなるほど強くなることを、……そして、僕が自分の弱さを認められるほど強くなることを。

そして、僕は終わりなき時のなか、祈りつづける。僕は罪に塗れ独りここにいるけれど、この悪夢が……僕だけのものでありますように……

僕は、もう長い間ここにいる。終わりなく続く静寂の中。ただ独り


間をかけて、僕はその考えに至った。
しかし、……僕は僕でなくなったけれども、僕はたった独りになってしまったけれども……それでも僕は……信じていた。仲間が僕に助けの手を差し伸べてくれることを、詩音が僕の側にいてくれることを、沙都子が僕に頼ることがなくなるほど強くなることを、……そして、僕が自分の弱さを認められるほど強くなることを。

そして、僕は終わりなき時のなか、祈りつづける。僕は罪に塗れ独りここにいるけれど、この悪夢が……僕だけのものでありますように……

僕は、もう長い間ここにいる。終わりなく続く静寂の中。ただ独り



鷹野4

古手神社の境内に入る長い階段を上る。

階段を吹き上げる風が火照った私の身体を冷やす。とても心地良い。私は身体全体で擦り抜ける風を感じる。

階段を上るごとに、少しずつ視界が広がる。あと3歩、あと2歩、あと1歩……ようやっと到着。私は境内を覗き込むようにしながら見回す。境内の隅に立つ人影を見つけると、ふっ、と笑顔が浮かび上がる。

「お待たせ。ジロウさん」

ジロウさんは私の声に反応すると、嬉しそうに微笑みながら振り返る。

「そんなことはないさ」

そう言いながら、私の方にカメラを構える。

カシャ

その音にはいつも驚かされるが、不思議と悪い気がしない。

「シャッターチャンスを待つのも楽しみの一つさ」

本当に嬉しそうに囁く。その笑顔に、私も少しだけ嬉しくなる。

「さて、──今日はどうしようか?」

どうしようかしら。私は考える。“終末作戦”のことを考えるとあまり時間をかけられないけど、早く切り上げてジロウさんに疑われるのは避けたい。

ふと、ジロウさんの顔を見つめる。優しい、幸せそうな顔。私はなぜかそこにひっかかった。私の中に、何か窮屈で落ち着きの無い感じが沸き起こる。私は、居心地の悪さを振り払うようにして辺りを見回す。

ふと、私は気付く。

「あら、今日は誰もいないようね」

子供の歓声も、参拝客の話し声もしない。もうすぐ祭りだというのに、祭りの支度をしている町内会の人もいないようだ。

「そうなんだよ。僕が来たときから誰も来ていないんだ」

ふうん。珍しいわね。そんなこともあるのかしら。なかなかあるものじゃないわ。

と、そこで悪戯心が湧き上がる。私は悪戯っぽく微笑むと、ジロウさんに言った。

「ねえ、────祭具殿に行ってみない?」

そして、私はジロウさんの返事を待たずにゆっくりと歩き始める。

ジロウさんが慌てて私の後を追い掛ける。

「ちょちょちょっと。もしかして────本気かい?」

もちろん。

「偶然とはいえ、めったにないチャンスよ。とりあえず行ってみないとね」

横でジロウさんが泣き言を繰り返しているが、私は気にしない。ちょっと強引に引っ張れば、よほどのことがない限りジロウさんの方が折れてくれる。そして、この件に関しては、ジロウさんは折れてくれるだろうという予感があった。

ホント、ちょうど良いわ。もし祭具殿に入れればまたとない機会だし、もし誰かに見付かって失敗しても…………その時は“5年目のオヤシロさまの祟り”候補となる理由ができるだけ。悪くない。

祭具殿の前に立つ。思った通り、ここには誰もいなかった。人のいる気配も、人の来る気配もなかった。

そのまま祭具殿の扉まで進む。扉は大き目の南京錠で封じられてる。

「じゃ、お願い」

私は髪からヘアピンを抜き取ると、ジロウさんに差し出す。この程度の錠ならジロウさんにとって大した問題ではない。ジロウさんは諦めたようにヘアピンを受け取ると、南京錠に向かう。

カチャカチャ……カチャカチャ……カチャリ

「祟〜りじゃ〜〜〜〜〜」

おおっと!! 私は慌てて振り返る。

「あら、梨花ちゃん、こんにちは」

こんなに愛らしい声にここまで驚かされるなんて、なかなかできない体験だ。

「急に驚かすなんて人が悪いわね」

私はスネたような顔をして梨花ちゃんに呟く。

梨花ちゃんはその言葉を聞いて、可愛らしく頬を膨らませて言う。

「──開かずの祭具殿の鍵を開けようとする人の方が、もっと悪いのです」

「あははははは…、駄目だよ、鷹野さん。やっぱり悪いことはするもんじゃないよ」

ジロウさんの言葉を無視して、私は少しゴネることにした。このまま終わらせてしまっても良いが、見られたのが梨花ちゃんだけだと噂話にもなりはしないだろう。もう少し騒ぎにしないと“5年目のオヤシロさまの祟り”には相応しくない。

私はあることないことを梨花ちゃんにブチまけた。歴史上貴重な資料を見たいだの、風土研究のための貴重な文化遺産がここにあるだの、半分本気の思いを語りかける。つい、梨花ちゃんのことを忘れて熱くなってしまう。ジロウさんは呆れた顔をして成り行きを見守っている。

しかし、梨花ちゃんはやけに大人びた仕草で肩を竦めると、想像もしなかったことを言った。

「鷹野。もしも約束を守ってくれるのでしたら、中に入れてあげてもいいのですよ」

一瞬、私は呆気に取られる。なかなか言葉が出てこない。

「ほっ、本当に……?! 祭具殿の中よ? 中は中でも防災倉庫の中とかは無しよ?!」

「……本当ですよ。ちゃんと祭具殿の中なのですよ」

「祭具殿って、ここよ?! この建物の中なのよ?!」

「……別に誤魔化す気はありませんですよ。ちゃんとこの中に入れてあげますです。にぱ〜☆」

「に……、にぱ─────ヽ(>▽<)ノ─────!!」

うそ、うそぉー!!! はいっちゃっていいの? いいの?? いいの??? ええ、えええ、ええええー!!!

落ち着け、落ち着け。クールだ。クールになれ。鷹野!!! 祭具殿は雛見沢の歴史。暗黒史を含めた貴重な資料が眠っている。私はその価値を知っている。綿流しに残る伝統の根源を目の当たりに……にぱ─────ヽ(>▽<)ノ─────!!

ジロウさんが肩を叩く。そ、そうだ。落ち着け、落ち着け。クールだ。クールになるんだ。鷹野。こんなところで騒いで見咎められたらせっかくのチャンスが無くなってしまう。深呼吸して。ゆっくりと……そうすれば綿流しの祭具だけではなく、オヤシロさまの御神体の前に……にぱ─────ヽ(>▽<)ノ─────!!

そんなループを5〜6回繰りかえしているうちに、梨花ちゃんがいつのまにか鍵を手に戻って来ていた。

えへへ。お礼を言おうとすると、つい頬が緩む。

「では鷹野、富竹。中に入る前に、いくつか約束がありますです。ちゃんと誓ってくれないと駄目なのです」

「もちろんよ。開かずの祭具殿を、古手家頭首が自ら開けてくれる禁をおかすのだもの。約束は守るわ」

うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

「駄目だよ鷹野さん、ちゃんと真面目にやらなきゃ……」

「失礼ね。私はとても真面目よ?!」

うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ!!

「……まず、祭具殿ヘ入ったことは内緒なのですよ。誰にも教えてはいけませんです」

「もちろんよ、誓うわ」

「中はとても大切な場所ですから、汚したり傷付けたりしちゃ駄目なのです」

「もちろんわかっているわ。それで、撮影は可能なの?!」

「みー。可能ですが一枚百円なのですよ」

私はジロウさんに叫ぶ。

「ジロウさん、あなた今いくら持っているかしら?!」

「一万円払うと、お得な一日取り放題権になりますです」

「安い!! 払うわ!! ジロウさん!」

私はジロウさんの首根っこを掴んで振り回す。ジロウさんは慌てて財布から一万円を取り出す。

うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ!!!!!

目の前が桃色に染まる。嬉しさのあまり視界まで血行が良くなっているのかしら?心臓が期待で早鐘のように鼓動を刻む。

カチャリ

ついに、祭具殿の開かずの扉が開く。私は梨花ちゃんに先導されて祭具殿に入り込む。

外の扉をくぐり……奥の内扉を通ると……そこには歴史があった。

明り取り窓のない部屋の中、いくつもの裸電球が弱々しく灯る。その灯りを吸い込むように、黒光りする様々な拷問道具が壁に掛けられている。飾られたものではなく、道具として人の手により使い込まれたからこそ現れる光沢。

それに拷問道具の種類の多さときたら!! この拷問道具の一つ一つは、すなわち試行錯誤の歴史。雛見沢の知恵と工夫の歴史と言えた。どれもが私にとって驚きの塊だった。私の想像していたものよりも深みのある、本物のもつ力強さ。

私は時間を忘れてシャッターを押し続ける。

この拷問道具だけでもキリがないのに、この奥には祭壇と御神体……オヤシロさまが鎮座している。鬼と人の間にすら和をもたらす結びの神。心優しい人々に裁きをもたらす祟りの神。雛見沢という数奇な運命を持つ土地を象徴する存在。最近は、オヤシロさまの祟りの件もあり、オヤシロさまへの信仰は強くなっている。綿流しの隆盛はその典型だろう。

しかし、今のオヤシロさまは私の造り上げた虚像でしかない。オヤシロさまの祟りは、ほんの少しの偶然と私の意志が造り上げたもの。

この世界では、オヤシロさまは力を持たない。神は死んだ。そう、神に縋ったところで助けてくれるはずもない。私は私の意志で────私の神話を紡ぐ。

そう。全てを利用し、全てと戦って、私はおじいちゃんの論文を神話にする。誰にも頼らない。全てを手中に、全てを支配して神話を創り上げる。私は誰にも頼らない。利用するだけ。そう、私の強い“意志”が、新たな神話を創る。

…………いつのまにか、私は独りになっていた。

梨花ちゃんがいないのはちょっと気になったけど、構わず観察と撮影を続ける。そして私は奥の……ご神体が鎮座している祭壇に辿り着く。

……ふ、と気付いてしまう。ご神体の近くにある…………無造作に置かれた書物に。

私は興味を引かれ、書物を手に取ってしまう。題名も何もない、無地の表紙の書物。地の描く微妙な色合いが、書物の持つ歴史を感じさせる。

もう、駄目だった。私は抗うこともできず、優しく表紙をめくる。書かれている文字はとても達筆で、残念ながら私には読めなかった。しかし幸いなことに、その書物は図がふんだんに使ってあり、何とか意味を掴むことができる。

これは……人と鬼とオヤシロさまの関係。オヤシロさまが、争う人と鬼の間に立って新しい暮らしをもたらす、雛見沢の神話。しかし、この本の挿絵は神話的でも物語的でもなく、情報だけが冷たく記載されていた。そう、教科書的とでも言うのだろうか。ただ、事実だけが記載されている。私は嫌悪感を抱きながらも、次のページをめくる。

…………そう、私は……運命の……ページをめくる。

最初は何のことか判らなかった。その見開きの片方には簡単な模式図で二人の人間が、もう片方にはお腹の大きな人間と、その中に入った小さな……人間。お腹の大きな人間の頭と……その中の人間の頭には……○で印が付けられて……ゆったりとした線で結び付けられて…………

…………気付いてしまった…………これは鬼と人の共生に関係する解説……『鬼』とは……つまりは寄生虫。

…………しかし、その図が意味するものは、それで終わりではない…………。

…………雛見沢症候群の大きな謎、感染経路。

雛見沢症候群は不思議な感染力を持つ。感染例と思われる事例の中に、雛見沢の住民に接触もしていないのにわずか数週間でキャリアになったと考えられるものもあった。逆に、短くない間雛見沢で暮らしているにもかかわらず、キャリアの兆候を示さない住民もいる。

そして………………いまだに感染経路が特定できていなかった。

感染者の血清を使用することで確実に感染させることができることはわかっている。今までの研究では、感染経路は粘膜か経口による可能性が高いことが予想されていた。

しかし、最近引っ越してきた前原家の感染経路は全く特定できなかった。父親と息子はキャリアであるのに、……母親はその兆候を見せていない。同じように生活しているはずなのに……、……なぜ……このような違いが出ているのか……全く予想もつかない。

それと、目の前の二つの図が繋がる。

一つの図……お腹の大きな人間と、その中に入った小さな人間……は、母子間の胎内感染だろう……これは良くわかる。雛見沢生まれの住民は、ほとんどキャリアだった。血清で感染することを考えれば、十分納得できる内容だ……このような古書の中の記載としてあるのは驚きだが。

…………問題は…………もう一つの図。今となっては恐怖でしかないその図から……私は目を離せない…………

もう一つの図……二人の人間……。一人は髪が長く、頭部に角らしきものを生やしている……何となく、女王……古手家頭首を表していることを…………感じる。もうひとりは……ただの人。

二人は……頭部の割には…………異様に大きい瞳で、お互いを見つめ合う。

…………瞳と……瞳が……ゆったりとした……まっすぐな線で繋がれていて…………二人の人間の頭には…………○で印が記されて……横に附記された文字は読めなかったが……内容は……十分…………理解してしまった。

…………いや、違う……そんなことはない。おじいちゃんは確かに言っていた。雛見沢症候群は……寄生虫……だって。寄生虫ならば……お互いを見つめ合っただけでは……感染なんてしない。するわけがない。卵なり、幼虫なり、成虫なりの形で……感染先に移動する必要がある…………でも、今までの研究ではそのようなものを発見することができなかった…………でも、おじいちゃんは寄生虫だっていっていたし……実際に、病原体の特定にも成功したし……………

…………でも、…………そういわれれば、思い当たる節もある…………違う……………寄生虫は宿主の死後数時間で痕跡なく溶解してしまう……細胞の自死…………寄生虫は宿主と全く同じ成分…………宿主が生成しているから? 違う、違う……………違う……………………違う…………違う……、

違う、違う、違う、

違う違う違う違う違う違う

違う違う違う違う違う違う違う違う違う

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う

違う!!!!!!!!!!!!!!!!

どこかから少女の声が聞こえる。

『認めないのですか……? “神に挑むもの”よ』

そんなバカな話があるか!! そんなものは生物ではない!!!!!! 寄生虫ではない!!!!!!! 宿主と見つめ合うだけで感染するなんてそんな寄生虫があるか!!!!!!!!!!!

違う違う違う!!!!!!!!

“雛見沢症候群”は寄生虫なんだ!!!!!!!

『あなたは、あなたが信じられないのですか……? “神になろうとするもの”よ』

違う違う違う!!!!!!!!

おじいちゃんはそんなことを言っていなかった!!!!!!!!!!!

ミーム?? 超生命体??? 精神感染???? 違う違う違う!!!!!!!!

おじいちゃんの“雛見沢症候群”は確かに存在するんだ!!!! 科学で立証できるんだ!!!!! 違う違う違う!!!!!!!!

『…………それが、あなたの限界。あなたは“おじいちゃんを継ぐ”ことも、「神になる」こともできない』

「 違う!!!!!!!! 」

私は手の書物を床に叩き付けると、力のかぎり踏み付ける。二度、三度、四度……ついには耐え切れず、息の続くかぎり叫びつづける。

違う!違う!!違う!!!違う…………う、う、う、う…………………

……いつのまにかジロウさんが私の横にいる。ジロウさんが何かを言っているが、私には何も聞こえない。ジロウさんは私を強く引き付けて抱きかかえると、そのまま祭具殿の外に向かった……そのまま祭具殿の外の物影まで移動する。その頃には、私は叫ぶのを止めていた。

外の空気を吸い込んでも、私の心は晴れなかった。

「…………ごめんなさいね……」それ以上は何も言えなかった。私はそのまましゃがみこむ。膝を抱える。

ジロウさんも私の横に座り……優しく私を抱き締める。そして、梨花ちゃんも、うなだれる私の頭を優しく撫でてくれる……。二人の温もりが、とても心地良かった。

一体、何が起きているのか……私には判らなかった。

おじいちゃんの研究は……いや、違う。そんなはずはない。おじいちゃんが間違っていたなんて思えない。

……でも……いや、違う……私は否定する。それ以上考えることができない。抱えた膝を強く抱き締める。でも……いや、違う。

……何でこんなことになったのだろうか……私には判らなかった。

あんなものは……何の根拠もない。科学も知らない昔の野蛮人共に、雛見沢症候群のことがわかるはずがない。私はそう思い込もうとした。……でも……いや、違う。

頭が……痛い。世の中の全てが敵意を持って私に襲い掛かって来るような恐怖感に私は充たされる。そうだ、これは罠だ。……でも、誰の?

意識が朦朧とする。でも、私は……おじいちゃんの論文を復活させなくては……いけない。罠を全て食い破り、敵を全て薙ぎ倒し、私は前に進まなくてはならない。そう、それことが私の生きる意味。

邪魔するものは……全て敵だ!! 敵だ!!! 敵だ!!!! そうだ、敵だ!!!!!

……でも……いや! 違う!!!

敵だ!! 敵だ!!! 全て敵だ!!!!

おじいちゃんの論文は正しかったし、これからも正しいんだ。だからこそあの古文書はデッチ上げなんだ!! ……でも……いや! 違う!!!

それに……そうだ。もうレールは敷かれている。私は前に進み始めている。立ち止まることは許されない。

私は二人を振りほどいて立ち上がる。

「…………ごめんなさい。独りになりたいの」

二人を拒絶するように、そう言った。なぜ、そんなことを言ったのか私には判らなかった。心配そうに私を見る二人。とても嬉しかった……けど、とても痛かった。

「また、明日逢いましょう」

(続く)

入江

ほぼ出来上がった『東京』への追加報告書の作成を中断し、ペンを置く。

私は立ち上がると大きく伸びをする。そのまま研究室を出て──セキュリティゲートを潜り──階段を登り──診療所に出る。

外はすっかり暗くなっている。月も既に沈んだようだ。少し昼の熱気が残る闇夜のなか、無数の星々が煌いている。

富竹さんの持って来た『東京』の指示は、妥協点としては中々のものだった。3年以内に研究を廃棄する方針自体の変更はなかった。しかし、予算の上積みとスタッフの追加があったのは望外の喜びだ。特にスタッフの追加は大きい。新スタッフを活用すれば、研究効率を大幅に向上することができる。新スタッフを診療所運営に回し、現スタッフを『雛見沢症候群』研究に注力させるてもいいし、現スタッフと新スタッフをペアで回して習熟度を上げるというのも良い。人選も私の権限で行えるのも好ましい。富竹さんの用意する候補者の質にもよるが……。『東京』の指示で、“診療所”という表の顔を疑われないようにスタッフの人数を制限していた『入江機関』としては、一番ありがたい条件だといえる。

治療薬完成と雛見沢住民の治療に向けた計画も既にある。それ以外のことも……見透しが立っている。ほぼ予定通り。私の研究は過去に無いぐらい順調に進んでいる。

診療所の中をぶらりと歩く。独身の夜勤組を除いて、多くのスタッフはすでに帰宅させている。

『東京』への報告を作成するため、しばらくの間スタッフの超過勤務が続いていた。ちょうどいい骨休めだ。報告作業が一段落ついた段階で、みんなを診療所から追い出して家路につかせた。──夜勤組も居眠りしているようだが、まあ、大丈夫だろう。そのままにしておく。

それに、理由はわからないが山狗の常駐警備も今日は無し。……まあ、この平和な雛見沢で何か起きるとは思えないから、これも大丈夫だろう。

この診療所の中で動いているのは私一人。こんなことは創立以来初めてのことだと思う。

自動販売機に小銭を入れ、あえてホットのカップコーヒーのボタンを押す。ミルクは濃い目、砂糖は多め。カップを取り出すとほんの少しだけ含む。口の中に広がる甘い味わい。

物音ひとつない沈黙の世界。私は暗い部屋の片隅にある椅子に腰掛けると、手にするコーヒーをもう一口含む。

こんな闇のなかに身を沈めていると、つい考えてしまうことがある。

それは、晩年の父と、母のこと。

母は「人が変わってしまった」と言っていた。あの寡黙で優しかった父は、愛する母にさえ手をあげる乱暴者となった。多くの人が驚いた性格の豹変。私は、その原因は脳の損傷にあったのだと信じている。

父は望んで粗暴者になったのではなく、脳の病に冒されて正気を失ってしまったのだ。父は望んで暴力を振るったのではないのだ。父もまた、病の被害者でしかないのだ。そのことを皆に知ってもらいたかった。

しかし、……母は認めなかった。母は父を最期まで許さなかった。……私は、ついに母の心を動かすことはできなかった。父は粗暴者として死に、母は父を怨みながら死んでいった。私には、それがとても悲しかった。

あれから長い時間が経過して、……今の私には、母の気持ちもわかるようになった。どのような理由があれ、母は理不尽に殴られたのだ。そして、母にとってはそのことこそが重要だったのだ。母にとっては、父が乱暴になり自分に酷い暴力を振るい続けたという純然たる事実が全てだった。父の内面で何が起こったかなどということを、母は知ることができなかっただろうし……もしかしたら、母にとっては父の内面などというものはどうでも良いものだったのかもしれない。『自分に降りかかった事実』こそが全てだった。『暴力を振るった父』ということが全てだった。そして、母は私がどれだけ説明しても、最期まで父を怨むことをやめなかった。

まあ、それもそうだ。もし交通事故に巻き込まれたのならば、どうしても回避することのできなかった事故だったと説明を受けたとしても、自分を轢いた運転手を許す気にはなかなかならないだろう。母にとって、父の晩年はそういうものだったのだろう。ましてや父は母に詫びることなく死んでしまったのだから。

しかし、だからこそ……だからこそ、私は母に父を許して貰いたかったのだと思う。暗闇のなか、私は自分の手を差し出す。

父は、崩壊する自我にのたうち回りながら、正気を失っていった。それはどのようなものだろうか? 私には想像がつかない。──『かつての父』は、たぶん緩慢に死んでいったのだろう。

確かに父は晩節を汚すようなことをした。母にとってはそれが重要だったのだろう。しかし、それでは──『かつての父』と過ごした、父と母の時間の大部分を占める幸せな生活は何だったのだろうか? 確かに、父の側にいて暴力を振るわれていた時はしかたないと思う。生き延びるためには父の暴力をどうにかしなくてはならなかったから。

しかし、母が父から逃れて平穏を取り戻してからも、母は父の暴力に囚われていた。1つの不幸が全ての幸福を否定してしまったのだ。『かつての父』は否定されたのだ。──そういう意味では、幸せだったころの『かつての母』も、父に殺されてしまったのかもしれない。

──話が堂々巡りになる。手を下ろし、私は少し冷めた甘いコーヒーを口に含む。

結局のところ、私は母に父を許して貰いたかったのだと思う。

人は病にかかるもの。人は誤ちを犯すもの。病や誤ちは、当人だけではなく回りの人にも大きな影響を与える。確かに、そういう意味では当事者であるうちは憎んでも怒っても良いと思う。

しかし、全てが終わったあとにまで、そのことに囚われ続けるとしたら……ひとつの不幸に囚われて他の全てを否定してしまうとしたら……とても寂しいことではないか。

たったひとつの不幸が全てを否定してしまうのが世の理だとすると、この世界は怨みで満ちていることになる。それでは……とても悲しいことではないか。

私は立ち上がる。

……確かに世界は怨みで満ちているかもしれない。私は思う。しかし、……しかし、私はこの怨みに満ちた世界を変えることができるかもしれない。

私は、あと少しのところでその世界に手が届く。私とともに行こう。そう、私の中のもう一人の私が囁く。

「しかし、今のままでは望みの叶うことはないのです」

その声に慌てて振りかえる。暗闇に溶け込む漆黒の流れる髪。

「──どうしたんだい? 梨花ちゃん、こんな夜中に。」

しかし、その立ち振る舞いに違和感を感じる。普段の梨花ちゃんの可愛らしさのは変わりなかったが──その裏に隠れた暗い深淵が顔を覗かせているような、そんな感じがした。

「──本当に……梨花ちゃんかい?」

「はい、梨花なのです。入江は怖がりなのですよ。にぱ〜☆」

確かに梨花ちゃんではあったが、そこにいるのはいつもの梨花ちゃんではなかった。

……しかし、何故かわからないが、私はそのことを素直に受け容れることにした。梨花ちゃんと、梨花ちゃんではない梨花ちゃんが、そこで梨花ちゃんとして話している。

「わかったよ、梨花ちゃん。ところで何の用だい?」

まだまだ夜は長い。子供は眠る時間だが、この梨花ちゃんとなら大丈夫だろう。私は自動販売機でアイスココアを買うと、梨花ちゃんに手渡した。


富竹1
息が切れる。いつのまにか、背中を流れる汗が止まらなくなっている。

これでも訓練は欠かさずにやっているんだけどなぁ。つい、ボヤきが出てしまう。

立ち並ぶ樹々で視界の利かない山の斜面を、僕は中腰の姿勢で前に進む。所々にある危険な罠が、ひどく僕の精神を疲れさせる。

ここは裏山。梨花ちゃんと沙都子ちゃんの造り出した結界の中。

この先に、目的の地はあるはずだった。しかし、どんなに前に進んでも決して辿り着くことのないような、そんな不吉な予感もあった。僕は不安になる。僕は、何か大事なものを見失ってしまっているのだろうか。前に進みながらも、何か見落していないか振り返って確認したくなる衝動に驅られる。

目の前に、ふっ、と小さな人影が現れる。……その姿を見ても心が安まらないのは何故だろう?

「富竹、遅いのです……大丈夫なのですか?」

「まあ、………まあ……、おまたせ、梨花ちゃん……。なんとか、おいつけたね………」

僕は前屈みの体勢のまま、梨花ちゃんを見上げてそう言う。この薄暗い林の中を、風のように駆け抜けた梨花ちゃん。この裏山では、僕はただの図体のでかいウスノロでしかないわけか……。

「あと少しなのです。がんばるのです」

そういうと、梨花ちゃんの姿が陽炎のように朧げになり、ふっとかき消える。

心に湧き上がる焦燥感。僕はあえてゆっくりと深呼吸すると、再び前に進みはじめる。

……やれやれ。梨花ちゃんに誘われて裏山に来たのは失敗だったかな? 「気晴らしになるのですよ。たぶん、いい写真が取れるのですよ。にぱ〜☆」とは言っていたけれど、この苦労に見合う成果があるとは思えなかった。それに、やっぱり、あの鷹野さんの様子も気になる……『ひとりになりたいの』とは言っていたけれど、あのまま行かせて良かったのか……やっぱり、ここに来たのは失敗だった。

しかし、そう悩む僕を尻目に、事態は確実に過ぎ去っていく。

ついに、目指す目的地に着いたようだ。樹影の濃い一角に隠れるようにある古井戸。そこに梨花ちゃん…………と、沙都子ちゃんがいた。

「梨花、さきほど見回しましたのですけど、人影はありませんでしたのですよ」

奇妙なことを言う。こんな危険な山奥に誰が来るというのだろうか?

「ありがとう、沙都子。……富竹、この先なのです。一緒に行くのですよ」

梨花ちゃんはそういうと、躊躇せずに古井戸の中に潜っていった。沙都子ちゃんは辺りを警戒している。その態度は、ひどく僕を不安にさせる。こんな山奥の古井戸に誰が来るというのか? それに、僕たちがここにいることを知られて、誰が困るというのか?

古井戸を覗き込む。意外と頑丈そうな鉄の梯子が、古井戸の奥深くまで伸びている。その先は、古井戸を満たす深い闇に飲み込まれ、確認することができない。

と、闇のなかから突然明りが現われ、古井戸の闇のなかに梨花ちゃんの顔が浮かんだ。

「富竹、ここまで下りてくるのです」

にこやかに笑う梨花ちゃん。僕はその笑顔になぜか気圧されながらも、うながされるまま古井戸に入り込んだ。思った通り、鉄の梯子はがっしりとした手応えを返してくれる。それでもなお心のどこかで怯えながら、僕は古井戸の中を下りていく。

ようやっと、梨花ちゃんの顔の目の前まで辿り着く。そこには、上からは見えないように上手く偽装された横穴があった。僕は足元に気を付けながら横穴に降りる。横穴には微かに明りがあり、ボンヤリながらも回りを確認できる。

僕が横穴に降りるとすぐに、今度は沙都子ちゃんが横穴に降りる。僕は沙都子ちゃんの腕を掴むと、少し乱暴に引き寄せる。

「ありがとうございますのですのよ」

「いやいや──それにしても、とんだ秘密基地だね」

「あと少しなのですが、まだ少しあるのです」

梨花ちゃんが僕を促す。僕はかぶりをふると、それに応える。

「わかったよ、梨花ちゃん。先を急ごう」

その先に、何か……梨花ちゃんがわざわざ僕を連れてこなくてはいけない何か……がある。

禁断の儀式に向かう参拝者のように、深い沈黙の中、前に進む。梨花ちゃんに導かれ、沙都子ちゃんに護られながら。

再び、深い縦穴に突き当たる。どうやらここも井戸のようだ。同じように梯子がついている。ただ、こちらは梯子までしっかりした板が渡されているので、少し安心して上ることができる。入るときと同じように梯子を掴み、ゆっくりと上る。

上りきっても、外に出ることはなかった。薄暗い牢屋の前……いや、牢屋の中だろうか? まだ地下にいるようだ。ヒンヤリとした、少し肌寒いぐらいの空気が淀む。

沙都子ちゃんが上ってくるのを手助けすると、横穴の時と同じように、梨花ちゃんに導かれ、沙都子ちゃんに護られて先に進む。

ちょっとした広間にたどりつく。

そこで、思いがけない笑い声を耳にした。

「んっふっふっふ!! これは珍しいところで珍しいお人に会うものですね!」

「ようこそいらっしゃいました。富竹さん」

そこには大石さんと詩音ちゃんがいた。その意外な取り合せに驚く。この二人は去年の悟史くんの件で仲違いしていなかったか? いつのまに仲直りしたのだろう?

それだけではない。魅音ちゃん、レナちゃん、圭一くん、入江さん、そしてもう一人見知らぬ人──赤坂さんと紹介があった──が集まっている。僕は入江さんに席を進められるまま、ゆっくりと腰を下ろす。思いもかけないほど疲れていたようだ。腰を掛けるとひどく身体が休まるのに驚いた。

「羽入はちょっと席を外しているけど、時間も無いし始めるか」

と魅音ちゃんが言う。どうやら、みんなは僕のことを待っていたようだ。魅音ちゃんが言葉を続ける。

「富竹さん。途轍もない話で信じられないかもしれないけど、あまり騒がずに聞いてほしい。──まずは認識合わせから始めようか」

魅音ちゃんは前置きをすると、途轍もないことを語り始める。『雛見沢症候群』のこと、『東京』のこと、『入江機関』のこと……僕は乾いた笑いしかできなかった。それだけではない。『入江機関』と『東京』の反目や、3年を目処とした研究廃棄のことなども魅音ちゃんの口から出てきている。

何ということだ……。僕は入江さんを睨み付ける。入江さんは“知らない”とでも言いたげに肩を竦める。

それとも、魅音ちゃんは自力で情報を集めたのだろうか? ……小此木のやつ……何が“園崎家は何も知らない”だ……。最近の状況まで情報ダダ漏れじゃないか……。

「──と、こんなもんかな? ちなみに、大石さんと赤坂さんとは他言無用の紳士協定を結んでいるから安心して。あくまでもここだけの話」

「問題ないですよぅ。いや、ホントは問題なんですけどね。これも今までの罪滅ぼし、ということで。んっふっふっふっ!!」

いつのまに園崎家と大石さんは手打ちをしたのだろうか……。いつまでもダム抗争を引きずっていた今までの両者からは思いもつかない光景が目の前にある。

魅音ちゃんが言葉を続ける。

「まあ、それどころじゃない状況に追い込まれているというのが本当のところだけどね。富竹さんも知っているでしょう? 『滅菌作戦』のこと」

驚きのあまり椅子から立ち上がる。

急に立ち上がったためか、立ちくらみで視界が歪む。……魅音ちゃんの笑顔が歪む。みんなの笑顔が歪む。

梨花ちゃんが心配そうな顔をして僕を見る。

「顔色がわるいのです。大丈夫なのですか?」

「あぁ……ああ、大丈夫だよ。大丈夫」

僕は再び腰掛ける。大丈夫……大丈夫なんかじゃない。『滅菌作戦』は極秘の分類の情報だ。その内容は厳密に管理されているはずだ。魅音ちゃんのような一般人が知っているはずのない情報だ。

『雛見沢症候群』廃棄のきっかけの1つとなった、今となっては存在すらも許されない『滅菌作戦』。その秘中の秘がここで語られている。なぜだ? 何があったというのだ?

「──と、……大丈夫、富竹さん?」

魅音ちゃんの妖しい笑い。その歪んだ笑い声に、僕は現実に引き戻される。

「大丈夫……いや、ちょっと待ってくれ……」

僕は手で顔を拭うと、大きく深呼吸する。──こんなに動揺してしまっては、『滅菌作戦』を──魅音ちゃんの今までの話を肯定しているようなものだ。だが、僕は自分をコントロールできなかった。

仕切り直しのつもりで、もう一度俯角深呼吸する。

魅音ちゃんが再び話を続ける。

「もちろん、富竹さんや『東京』と敵対するつもりはないよ。何だかんだ言っても雛見沢のために働いてくれたんだし、それに『雛見沢症候群』を兵器として利用しようという話も無くなったんだ。これからも仲良くやっていけると思う」

そうだ。今の『東京』の方針は雛見沢に害をもたらすものではない、と思う。『雛見沢症候群』という危険な奇病を、誰にも知られることなく根治する。これは雛見沢住民の利益になることだ。『東京』は雛見沢に興味を持っていない。根治するまでの期間、人材、費用は勝ち取った。このまま進めば何事もなく終わるだろう。何事も無ければ。

「でも、今の平和は長くは続かない。残念だけど、今の状態を好ましく思わない人物がいる。『東京』にも、雛見沢にも」

これには少し首を傾げる。確かに、長い間長老として君臨していた小泉さんの死によって、『東京』内部の勢力関係は大きく変わった。いくつかの派閥の抗争が表面化し、現在の主流派と旧小泉派、そしてその他の傍流が主導権争いを繰り広げていた。今は主流派が主導権を握り、小康状態になっている。

しかし、今となっては『雛見沢症候群』には関係の無い話だ。『東京』内には、『雛見沢症候群』に興味を持つものは誰もいない。結局、小泉さん一人だけだったのだ。『入江機関』の廃棄自体は、『東京』の誰もが認める既定方針でしかない。

これを望まないのは、鷹野さんただ一人………………そこまで考えると、背中にぞくりとしたものが走る。

「──今の、『主流派が主導権を握った小康状態』を望まない人がいる。おじさんたちはこれを『東京の転覆派』と呼んでいるんだけど、彼らは主流派の足元を掬うためのシナリオを用意した。『悪魔の脚本』を」

顔を流れる汗が止まらない。魅音ちゃんの顔付きが変わっている。冷たい、透き通った瞳。これが、全てを見渡すという鷹の目だろうか。僕はその瞳をまともに見ることができない。流れる汗が止まらない。

そこまで言われて、さっきの『滅菌作戦』の繋がりが見えてくる。

確かに、鷹野さんは、……確かに現在の状況を望んでいない。…………でも、まさか、そんな……。いや、そんなことはない……『滅菌作戦』を遂行したあとに『入江機関』が、『雛見沢症候群』の研究が生き残るとは思えない。研究対象である雛見沢自体を消去して、何を研究するというのだろうか? ひどい冗談にしか聞こえない。

……そう、まるで鷹野さんが『雛見沢症候群』と無理心中をしようとしているようではないか。5年目の祟りにしても質の悪い話だ。存続のために奔走していた鷹野さんが、そのような凶事に簡単に手を染めてしまうだろうか?

僕の力では3年の猶予しか得ることができなかったが、全てを諦めるにはあまりにも早過ぎる。……鷹野さんはそんなにも弱かったのか? ……そんなはずはない……鷹野さんは強い人だ。そんなはずはない……。

しかし、……あの、祭具殿で泣き叫んだ鷹野さんの姿が思い浮かぶ。可哀想なほど弱々しく、疲れ果てた鷹野さん。ピンと張った糸が切れてしまったような……あれもまた、鷹野さんの本当の姿ではないのか……?

僕の心を見透かしたように、魅音ちゃんが言葉を続ける。

「おじさんも、鷹野さんが自暴自棄で『滅菌作戦』を発動させようとしているとは思えない。何か深い理由があるんだと思う。ただ」

そこまでいうと、魅音ちゃんは僕の瞳を覗き込む。鷹の目が、僕の瞳を刺し貫く。

「すでに『悪魔の脚本』は始まっているんだ。……ちょうどいいところに来たね。羽入」

魅音ちゃんは僕から視線を外すと、広間の入口に視線を送る。僕も魅音ちゃんの視線に引きずられて、広間の入口にいる人物を注視する。

見慣れない制服を着た、どことなく古風な印象を受ける女の子。ああ、そうか。と思った瞬間に、そう思った事実に胸を鷲掴みにされる。

流れる汗が止まらない。胸の動悸が収まらない。

手足が痺れる。地面がぐにゃりと歪む。

彼女は……そうだ……いや、…………そうだ……

オヤシロさま……だ。

いや、……なぜ僕にわかる……? 彼女とは初対面のはず……今まで会ったこともない。それに、オヤシロさまはこの雛見沢を守る氏神ではないか……なぜ、この少女がオヤシロさまなのか……自分でもわけがわからない……。しかし、自分の奥深くの部分が、“彼女はオヤシロさまなのだ”と囁き続ける。

「大丈夫? 富竹さん」

魅音ちゃんが耳元で囁く。全てを見通す鷹の目で、魅音ちゃんは僕を見続ける。口元の歪めて、軽く嗤いを浮かべている。

「……大丈夫……大丈夫」

僕は何とかそう応える。汗だくの手の平で、汗だくの顔を拭う。

……これは……、一体何なんだ……。ここは……一体何処なんだ……。一体全体……何が起こっているんだ……。

「富竹さんも、わかるでしょう? ──彼女は羽入。かつては『オヤシロさま』と呼ばれていた。いや、今もそう呼ばれている」

羽入と呼ばれたオヤシロさまは…………どことなく古風な立ち振る舞いで、……僕におじぎをする。

僕にはオヤシロさまのことがわかる……いや、わかるはずがない……。その神々しさに僕は親しみを感じる……いや、わかるはずがない……。なぜわかるのか……いや、わかるはずはない…………そんなはずはない……

「もう、わかっているみたいだけど、落ち着いて良く聞いてほしい。富竹さんも『雛見沢症候群』の──感染者なんだ。今回の来訪で感染したんだと思う」

そんなはずはない…………僕は予防接種を受けている…………鷹野さん…………が、予防薬を注射してくれた。…………今までも感染しなかった……今回も感染しない……はずだ。そんなはずはない…………そんなはずはない…………

「羽入が『オヤシロさま』だってわかったよね。それがわかるのは雛見沢の住民──『雛見沢症候群』の感染者だけ。『雛見沢症候群』の感染者──主に年寄りだけど──が梨花に『女王』を感じて敬うのと同じなんだ」

…………一体、……何を言っているんだ……? 僕は確かに予防接種を受けている。……受けているはずなんだ……。鷹野さんに注射してもらったはずなんだ……。

それなのに感染しただなんて、……それではまるで鷹野さんが……僕を感染者にするために……いや、そんなことはない……そんなことはない……ソンなことはない……ソンナコトハナイ…………

僕は、ゆっくりト椅子かラ立ち上がる。

確かメなくては、鷹野サんに。

すがりつこうとスル魅音ちゃんを振り払う。魅音ちゃんハ、不意をつかれたようにバランスを崩すと、ソノまま部屋の端まで転がる。

ソンなコトに構ってイル場合ではナイ。すぐにデモ鷹野さんに会ワないと

大石さんが、横から掴みカカる。邪魔ヲしないでクレ。腰を落としテ大石さんの足払いを耐えると、さらに腰を落とシテ組み手を切る。腰に組み付いてリフトする。投げ捨テる。大石さんハ十分な受け身ヲ取れず、そのままウずくまル。

これデ邪魔者ガ減っタ。回りを見回す。倒れている人を助けおこしている人、遠巻きに事態を見守る人。もう、僕ヲ邪魔するモノはイナい。

いヤ…………、一人イル。赤坂……トイウ男が、ボクノ前に立ち塞がル。

赤坂ガ半身に構エる。

僕は腰を落とシて間合イを取る。

ナカナカやル……僕はそう感ジタ。

勝負は一瞬。僕は慎重に間合イを取る。赤坂ハ、僕を逃さなイよう、扉を背後に位置取りヲする。ボクはそれを利用スルことにシタ。広間の片隅に敷かレテいるビニールシート。間合いを取りナガら、僕は赤坂をビニールシートに誘導スル。

赤坂がビニールシートに到達したトキが勝負ダ。ビニールシートに足を載せれバ踏ん張りが効かなクなる。ビニールシートを蹴り剥せばソノ瞬間隙がデキル。ただ除ケルだけでもビニールシートが赤坂の足に絡み付く可能性があル。赤坂がどう動くのでアレ、チャンスを造ることガできル。

僕の意図に気付かれないよう、慎重に赤坂をビニールシートに誘導スル。あと少シ……

今だ!! その瞬間、ありえナイ所に重みを感じる。腰に纏わり付く感触。タックルを行おうと動き始めた身体が、その違和感に躊躇する。

クソ!! 僕はソレを掴み赤坂に投げ付ける。腰から引き剥がされた圭一くんガ、真っ直ぐに赤坂に向かっテ飛んで行く。僕は勢いを殺さずに圭一くんを追う形で赤坂にタックルを試みる。

しかし、……まるデ手品か曲芸を見ていルようだ。赤坂は動じるこトなく圭一くんを受けとめると……いや、圭一くんが、スり抜けるように──まるで流水に流される落ち葉が岩を軽やかに躱すように──赤坂と入れ替わル。すざまじいまでの体捌き。

僕はその事態に対応できない。身体が危険を感じたが、タックルの勢いが殺せない。僕はさらに加速して万が一の幸運に賭ける。

赤坂の膝が飛んでくる。辛うじて打点を外し、額で太腿を受ける形にするが、タックルの勢いは完全に死んだ。上体が浮き上がる。

終わりダ……僕は打撃に備える。心臓を貫く衝撃。その一撃が僕の意識を奪い取る。

一体、何が起きテイルんだ。……鷹野……さん……

……………………

…………



鷹野5
私は二人と別れ……さまよい歩いた。いつのまにか日が暮れ、辺りは闇に包まれている。

ふわ、ふわ、ふわ。

どこまでも頼りない足元。なにかに流されるまま、私は歩きつづけた。

いつのまにか……目の前には入江診療所の灯りがあった。その皮肉に、私は声をあげて笑う。

私は、助けを求めているのだろうか? これから殺そうとする相手に。ジロウさん、梨花ちゃん……そして入江。私は……何をしたいのだろう。

扉を通り、診療所に入る。そのまま、診療室に入る。思った通り、入江が……そこにいた。

入江が通勤カバンの代わりに使用している診療バッグに色々なものを詰め込んでいる。帰り支度をしているようだ。

入江は私に気付き、私の方に視線を上げる。入江は少し驚いたような素振りを見せて、私に問い掛ける。

「いかがしました? 今日はお出かけでは……?」

私はその言葉を無視した。私と入江の間に微妙な緊張感が走る。しかし、私はそれに気付けない。私は自分のことしか意識できなかった。

私は、入江に吐き出すように言う。

「あなたは……非接触感染を……信じる?」

言ってしまって後悔する。こんな支離滅裂な言葉の意味が判るはずもない……そのはずだった……現に入江も怪訝な顔をしている…………しかし、私は……その瞳の奥にある愉悦に、気付いてしまった。その悦びは……私を苛立たせる。

「あなた……知っているわね」

何も答えない。私の狂気を恐れているのだろうか。私は瞬きもせず入江を見据える。長い沈黙。

入江も、私に追い詰められていることを認め……診療室の本棚の中から数冊の書類を取り出す。本来なら……その本棚には、雛見沢症候群とは関係のない適当な医学書が飾られていなくてはならないはずだった……。隠された、私の知らない書類。私は戦慄に心を掻き乱される。

「……雛見沢症候群関連の私的な資料です……感染経路についても述べています。この内容については口外無用でお願いします」

私は震える手で、その古ぼけた資料を手にする。ページの痛み具合いからすると1年以上は経過していそうな……。そこには、思った通り……望まなかった……通りの……記載があった。おじいちゃんの研究とは異なる、もう一つの『雛見沢症候群』研究が。古文書の内容を肯定する研究が。

私は『雛見沢症候群』の持つ毒性……おじいちゃんの理論の範囲……しか考えていなかったが、入江の考察はもっと深かった。

『雛見沢症候群』の持つ効果についての考察。身体能力や知能の向上、仲間意識の極端化──深い仲間意識から強い疑心暗鬼までの大きな振幅──…………おじいちゃんや私には気付けなかった発想……。そういわれてみればそうだ。学校の子供たちなんかその典型ではないか。

兵器としての活用。『雛見沢症候群』の発症者の疑心暗鬼を活用した、敵対組織首脳部の内部破壊工作。そのために望ましいと考えられる症状の改造案。思わず声を出して嗤いそうになる。なぜ誰も気付かなかったのか? その凄まじいまでの威力に。『雛見沢症候群』の最大の特徴ではないか? H170番台などというつまらない子供の玩具は、……最初の設計思想から間違えていたのだ。

いや、それだけではない。『雛見沢症候群』の将来的な展望……毒性の除去──疑心暗鬼の緩和、女王からの独立──『雛見沢症候群』とのよりよい共生関係……の可能性まで…………示唆されている。

私が最後のページまで読み終わると、入江は私から資料を奪い取ると診療バッグの中にしまう。

「こんなこと正気を疑われるので秘密にしていましたが……感染経路の実証にも……」

そこまで言いかけて入江は口をつむぐ。

「続けなさい」

「……実証にも成功しています。私を感染先として使用して、この仮説に従って感染することに成功しました。秘密にしていましたが、私は感染者です。……また、予防薬の研究でも、この仮説を応用しています……誰も気付きませんが……」

呆然と立ち尽す。私は……何をやっているのか?

おじいちゃんの夢を叶えることばかり考えて、おじいちゃんの後ろから出ようとしなかった……何が三四だ、何が一二三を継ぐものだ……私はただ、おじいちゃんの庇護の元を歩いているだけではないのか……?

おじいちゃんを継ぐのは、この男がふさわしい…………そして、おじいちゃんの研究は……世間に認められる前に……否定された。

入江が挨拶もそこそこに慌てて診療所を出て行く。私は呆然と立ち尽くす。

…………いや、……違う……。

私は心の中でなじる。

……入江は……『雛見沢症候群』の研究を生き永らえる力を持ちながらも……それを発揮しなかった……。入江は、才能はあったが……裏切り者だった……。

同時に心の中でなげく。

私は……おじいちゃんを…………『雛見沢症候群』を継ぐ……資格が無かった……。私は、従順ではあったが……力を持たなかった……。

……でも……いや、……違う…………

何も、……信じられない……。他人も……自分も……。

……でも……いや、……違う…………。

心の中のもう一人の自分が囁く。

まだ、……道はある。まだ、……神の座に至る道が途切れたわけではない。『論文を神話にし、おじいちゃんを復活させる』のが、あなたの願いではなかったの?

そうだ、そうだ。忘れ去られたおじいちゃんの復活……それこそが私の希望…………

でも、……どうすればいいの?

再び心の中のもう一人の自分が囁く。

それは歩き続けること。立ち止まってはいけない。自らの意志で、自らの力で前に進むこと。進みなさい。あなたの願う道を。

私はその声に促されて前に進む。道はある。ただ、私はあまりにも貧弱で、前に進むごとに今にも崩れそうになる。

私は、前に進みながらも自問する。

私には、……この道を歩む資格はあるの?

私には、……成し遂げる資格があるの?

(続く)

目次




小此木3
「私はこの作戦を中止すべきだと思うんですわ」

俺の意見に反応して受話器の向こうから金切り声が上がる。俺は口を滑らせてしまったのを取り繕おうと、途切れることなく続く非難の言葉の合間に自分の言葉を紛れ込ませる。

「いえ、いえ。…………そんなことは。野村さん。………………ええ、ええ、……………………十分わかっとりますって」

T──富竹を神社で見失ってから、もう一日になろうとしている。山狗は未だに足取りを掴むことができない。

痛恨のミスだ。

24時間監視にあたり、最も注意すべき存在が富竹だった。そんなことは判っている。任務遂行中の軍人が相手だ。特に富竹は、こんなのどかな田舎町でさえ、尾行と痕跡チェックを欠かさずに行いやがる。

勿論、俺はそのことを重々承知している。だからこそ、富竹のシフトにはベテランを手配した。また、本来ならば鷹野もデートと称して富竹の監視を行っているはずだった。真っ当ならば問題は無いはずだった。

しかし、鷹野は富竹を引き留める任務を放棄し、富竹はR──梨花とともに裏山に消えていった。突然の状況変化に、俺たちには為す術もなかった。

『野村』は、俺の忠告を聞こうとせずに、俺たちの犯したこのミスばかりを責める。俺は何とか『野村』をなだめすかせようとするが、内心、腸が煮えくり返る。確かに富竹を見失ったのは俺たちのミスではあるけれど、俺には『野村』がつまらないことにこだわって重要な点を無視しているようにしか思えなかった。

そう、俺は危険な状況に踏み込んでいる。兵士としての俺の勘が警告する。

富竹を見失ったこと。これは単なるミスではなく、状況が大きく変わった証拠なのだ。だからこそ、俺は『野村』に警告しているのだ。

しかし、『野村』は、俺の警告をただの世迷い言としか受け取っていない…………

『野村』は、自分の立てた作戦にケチが付いて苛立っている。全ては俺のミスのせいだと思い込もうとしている。インテリ気取りのプライドの高いこの女は、忠告という“反乱”を許し難く考えているのかもしれない。

受話器の向こうから冷たい声が響く。

『まだ終わったわけではないわ。まずは富竹の捜索は継続しなさい。ただ、無理をして人員を割く必要は無いわ。もし見付からないようならば、それはそれで構わないから』

この言葉は…………嬉しくもあり、辛くもあった。

現状では、富竹の捜索にこれ以上の人員を割くことはできない。雛見沢にいる人員では“終末作戦”を遂行するのが精一杯だ。もし余剰人員を充てろと言われれば、俺は東京から人員を引き抜くしかない。しかし、それはどうしても避けたかった。

俺は東京に送った人員を思い浮かべる。……揉み消し工作の山場は越えた。今なら人員の半分で処理することができる。浮いている人員を雛見沢に戻すのは簡単だ。だが、それはできない。揉み消し工作を隠れ蓑にして、『野村』に秘密で行っている工作──“終末作戦回避工作”──の作業があまりにも順調に進みすぎていた。

そう。“終末作戦回避工作”は順調に進んでいた。情報収集網は何事もなく完成し、『東京』と『野村』の動きを追い続けている。『東京』も『野村』も、そして鷹野もまったく気づく気配がない。そして、俺たちは『東京』に損害を与えるいくつもの爆弾を手に入れた。

そもそも、揉み消し工作の対象そのものが、『東京』にとってとてつもなく危ない爆弾だった。賄賂、裏金、脱税、脅迫、懐柔、証拠隠滅……山狗の係わらない部分でもこれだけのことが起きているとは。『東京』の闇の深さは底知れないものがある。

そして、……この前亡くなった『東京』の古老──小泉──の残した裏帳簿。狂気に憑かれた飼い主を跡形も無く吹き飛ばす特大の爆弾にも、あと少しで手が届くところだった。残る時間は少ないが、何とか間に合いそうだ。

裏帳簿を手に入れれば……飼い主が俺たちを縊り殺す前に、手綱ごと『東京』を吹き飛ばすことができる。俺たちが自衛隊に戻れるかは微妙なところだが、フリーになったとしても、“終末作戦”後の境遇よりはマシだ。関与した証拠さえ残さなければ、フリーになっても買い手を見つけるのに苦労することは無いだろう。そして……俺の山狗ならば、痕跡を残さずに爆弾に火を付けるのは可能だ。

『野村』は、富竹の捜索を強化する必要は無い、と言っている。東京から人員を抜かずにすむ。俺は『野村』に気付かれないように胸を撫でおろす。

同時に、『野村』のこの言葉は、富竹が見付からない場合は代理の生贄──鷹野──を使って“終末作戦”を継続するということを意味する。つまり、俺の意見は否定された、ということだった。

俺は、短くない間沈黙を続けると、絞り出すように言葉を吐き出す。

「……判りました。現状のまま作戦は継続します。富竹を見つけたら報告しますんで」

受話器の向こうから、その答えに満足したような溜息が洩れる。何か励ましの言葉を言っているようだが、俺の耳には入らない。

……結局、俺は『野村』の説得には失敗した、ということだ。現在の状況を説明すれば十分説得できると予想したが、それは甘かったという訳だ…………『野村』の信用を失うなどの失点が無かったのは幸運だった。最終的には、現状維持に落ち着いた。

受話器を置く。

──もう、現状のままでは『野村』説得による作戦中止の線は使えないだろう。

これで、俺たちには『東京』を吹き飛ばす選択肢しか残されなかった。

…………飼い主を裏切ったことのある犬は誰も信用しない。だから……けっして飼い主に気付かれてはならない。関係者にも気付かれてはならない。何一つ痕跡を残してはならない。

気付かれたときは? とても簡単だ。飼い主に噛み付いた犬は処分される。

……俺は番犬に食い散らかされる山狗を想像してゾッとした。俺は頭を振るい、そのおぞましい想像を捨てる。

俺は大きく深呼吸する。

いよいよだ。あと数日で全てが終わる。

全てが上手く行くように……俺は誰ともなく祈る。この悪魔の狂気から、無事山狗が抜け出せることを祈って。

(続く)

富竹2
目ノ前に広がル光の渦。意味も無く瞬いテいる。

僕は呆然と、ソの瞬きを眺める。

目の前ノ光が、目まぐるシく変化し続ける。

しかし、僕はソの変化を意識すルことができない。

僕は、呆然ト光の瞬きを眺める。

意識も、──心も、コこにはなかった。

無い、とイうことも意識しなかった。

時の流れルことすらも意識シなかった。

全テのことに意味がなかった。

────目の前ノ光の瞬きガ、僕の身体ニ注がれている。

僕は────、いつのマにか、その瞬きを意識シていた。

少しずつ──少しずつ、ソの瞬きが意味ヲ持ちはじめる。

僕の意識も、その瞬キに合わせて少しずつ揺り起こされる。

────突然、僕は光の瞬きを理解した。時が流れ始める。

目の前に広がる岩肌。少し離れたところにある蛍光灯の灯りが、その岩肌に深い陰影を造りあげている。鼻をくすぐる湿った空気。どことなくスえたその空気は、ここが日常から切り離された異世界であることを僕に知らせていた。僕はベッドに横たわっていた。薄手の毛布が一枚だけ、僕に掛けられている。この部屋の冷気を防ぐには心許無いものだ。

僕は、上半身を起こそう────として、何かに引き止められる。腕を引き付けようとしたが──だめだった。拘束具の柔らかくて堅い感触。どうやら、僕はベッドに縛り付けられているようだ。

──まったく、一体何が起きているのか。僕が状況から取り残されていることだけはわかる。僕はまだ混乱する意識から記憶を引きずり出す。あれは混沌だった。敵対していたはずの園崎家と大石さんがあんなににこやかに話をしていたのも異常だし、こちら側の人間のはずの入江さんまでいたのはありえないことだ。──通常ならば。

僕は、身体をくねらせながら、どうにかして腰を右手のあたりに持ってくる。拘束具があまりしっかりと取り付けられていないのは幸いだった。ベルトの裏にある堅い感触を確認すると、少しホッとした気分になる。僕はその小型ナイフを慎重に引っ張り出す。

───それにしても、園崎家があそこまで詳細な情報を掴んでいるとは……入江さんは『知らない』と言っていたが、それも怪しいものだ。魅音ちゃんは『敵対するつもりはない』とも言っていたが……たぶん、『東京』は許さないだろう。頭の痛い問題がまた一つ増えたわけだ。

僕は、手を引き抜くようにしながら、手首に巻き付けられた皮ベルトに刃を立てる。皮ベルトの締め付けもかなり緩くなっているようだ。少しずつ腕が自由になっていくのを感じる。最後はブツッ、と音を立てて皮ベルトが切れる。僕は毛布を引き剥がすと左手の皮ベルトに取り掛かる。もうナイフは不要だ。再びベルトの裏にしまう。

───静か過ぎる。僕は世界でただ独り取り残されたように感じる。今はどのような状況なんだろうか?今は何日の何時なんだろうか。直感はそれほど時間が経っていないことを報せていたが、今のような状況では当てにならない。

両足も解放してベットから降りようとしたときに、僕は左腕に付けられた点滴に気付いた。傷にならないように気を付けながら引き抜く。チクリとした痛みに、僕は大袈裟に顔を歪める。
───ああ、そうだ。……鷹野さんはどうしたんだろう? 魅音ちゃんは、僕も『雛見沢症候群』の感染者だ、と言っていた。それは、鷹野さんの施した予防接種が役に立たなかったということを意味している。今まで実績を重ねていた薬が今回に限って効果を持たなかったというのは、とても信じられない話だ。……………………予防接種を施されなかった、という方が可能性は高いだろう。

ベットに腰掛け、身体と装備を確認する。目立った傷は無し。服装も、ここに来たときの格好そのままだ。メガネなどの小物は身に付けていなかったが、ベッド近くのテーブルにまとめて置いてあった。メガネを掛けても、どこか視界がボヤけてしまう。

───もし、予防接種を施されなかったということならば、一体何が起ったのか? 僕には理解できなかった。最も可能性が高いのは鷹野さんがすり替えたか──とても信じられないが──、あるいは看護師──小此木の部下──が入れ替えたか……。とても信じられない。入江とも考えられるが、『東京』の使いの者の予防接種用の薬を自由にできる権限を与えているとは思えない。僕には判らなかった。

僕の目の前には鉄格子があった。どうやら、僕は牢獄に入れられていたようだ。僕は立ち上がると鉄格子の扉に手をかける。扉は、ぎしり、と鈍い音を立てて開いた。牢獄を出て扉を閉めようとしたが、建付けが悪いらしく閉まらない。僕は諦めて扉をそのままに歩き始める。

───ああ、そうだ。鷹野さんに確認しなくては。僕には判らない。僕には理解できない。鷹野さんはそんなにも弱い人間では無いはずだ。まだいくらでも手はあるはずだ。鷹野さんにそれが判らないことは無いはずだ。──無いはずだ。無い、はずだ。

───ああ、確かめなくては、鷹野サンニ。

魅音1
「失礼します」
私はそういうと、古手神社にある集会所の大部屋に入った。
大部屋の一角に、けっこうな人数が輪になって座っている。もう明日に控えた綿流しの準備のための最後の打ち合わせ。ここには綿流し実行委員会の中心人物──雛見沢の長老たち──がいた。
輪の中にいる村長が、私に声をかける。
「お、来たね来たね。おやおや、学校のお友達も一緒かい? 一体どう………………」
圭ちゃん、レナ、梨花ちゃん、羽入、詩音と続き──みんなの最後になる形で沙都子が大部屋に入ると、水を打ったような静けさがあたりを支配する。
私たちは、ちょうど私たちの向かいに村長が来るように輪に体を押し込むと、そのままその一角を奪い取る。村長たちは、まだ状況が飲み込めていない。何もできずに呆然としているだけだった。私と沙都子は、みんなを背にする形で正座する。
長老たちを相手に行う大博打を前に、私はゆっくりと深呼吸する。ここの長老たちを説得できれば、それで全てが上手く行くだろう。全てが動き始めた今となっては、すべてを駄目にする危険を犯してでも打つ価値のある博奕だ。
私たちは短い時間ながらも十分な準備を行った。全員洗いたての学生服に着替えて身嗜みを整え、何をするのかという目的とどうやって行うのかという段取りを確認し、みんなの心を一つに合わせる。村長たちとは心構えが違う。勝てるはずだ。私はそう思い込もうとする。
長老たちは異様な雰囲気に飲まれ、足掻くこともできない。私たちは長老たちの出端を挫く形で上手く主導権を奪うことができた。私は背筋を伸ばし、村長と対峙する。
輪のそこかしこからざわめきが起こる。悪意に満ちた低いうごめき。私は逸る心をなだめながら強い声を絞り出す。私の低く太い声がざわめきを押し潰す。
「少しみんなにお願いしたいことがありまして、不躾とは思いましたがお邪魔させて頂きました」
村長が私の言葉の終わりを掴まえて、割り込むように話し始める。何かとんでもないことが起こる不安に顔を曇らせている。
「おいおい、今日は一体どうしたんだい? みんな揃って。小さい子供までこんな夜遅く引き回しているのはあんまり感心せんなぁ。そ  「いえいえ、大丈夫ですよ。公由さん。大して時間は取らせません。明日の話はこの後にしましょう」
私は村長の話に被せるように言葉を置くと、そのまま様子を見る。
村長の表情には怒りの表情は見えない。少し呆気に取られたようにしてこちらを見ている。
悪くない。まだ私のターンが続いている。向こうも聞く気にはなっているようだ。私はもう一歩前に進むと、芝居がかった仕草で腰を下ろす。
「今日は」私は直截的に言う。「ここにいる沙都子のことでお願いに参りました」
質問が出て来ない程度の間を置く。
「皆さんもご存知だと思いますが、ここにいる沙都子は、過去のダム戦争の推進派の北条夫婦の娘です」
みんなの神妙な顔を見ながら言葉を続ける。
「──ダム戦争の当時、北条夫婦は私達と対立し、反発的な行動をしておりました。それは雛見沢の団結を綻ばせる、とても危険なものでした」
長老たちが控え目に頷く。
「私達死守同盟は、北条夫婦を叩くことにより雛見沢の結束を強め、政府に対抗するための力としました」私は沙都子の横で臆面もなく言い放つ。「これは強大な政府に勝つために必要だったことであり、私自身、何ら後悔することはありません」
先ほどと同じように、長老たちが控え目に頷く。回りの見回す振りをして、沙都子を様子を見る。毅然とした力強い態度で立っている。まだ崩れる様子はない。
実際、北条夫婦が推進派に回ったのは、………………死守同盟としては良かったことだ、と考えることがある。金と仕事が与えられれば立ち退きしても構わないと考えている住民──潜在的推進派──を死守同盟に引き付けるには、私達の持つ飴はあまりにも少なすぎた。政府が素早く手を回して引き抜きを始めていたら、雛見沢の世帯数はあっというまに半減していただろう。政府の傲慢なやり方に怒っていた住民たちも、冷静になれば損得勘定を始める。バラバラになってしまえば、私達に勝算はなかった。
私達に有効な手段はあまり残されていなかった。残されていたのは、恐怖と暴力。──オヤシロさまの祟りと、園崎家の力。潜在的推進派の頭を叩き、台頭しないように抑え付けるしかなかった。
そして、……そのデモストレーションの対象として、協調性が無く、また打たれ強い北条夫婦はうってつけだった。
もし北条夫婦ではなかったら……多分、他の人間だったら、逃げ出すように引っ越ししたり……場合によっては一家で心中を図るという最悪の結果もあったかもしれない。もしそうなっていたとしたら──死守同盟にとって大きなマイナスイメージになることは避けられない。早い段階でそうなっていたとすれば……マスコミを利用してイメージ戦略を取っていた死守同盟の致命傷になっていたかもしれない。
「そして、私達の死闘の結果、ダム開発の凍結が発表されました。ダム戦争は私達の勝利で終わったのです」
私達の勝利。…………いや、そんなことはない。
未だに思うことがある。あれは勝てるはずのない戦いだった。
ダム工事の現場監督の殺害。あのバラバラ殺人事件は死守同盟に致命傷をもたらす事件になるはずだった。常軌を逸した反対運動の果ての殺人事件。部外者からすれば雛見沢の狂気にしか見えないだろう。──たとえ雛見沢の住民が手を下していないとしても同じことだ。死守同盟が妨害工作で犯人である工事作業員達を狂気に追い込んだ、と言われればそれまでのこと。そして、死守同盟が──雛見沢が犯罪的な集団と世間から烙印を押された時点で、私達の負けは確定していただろう。
……しかし、結局、何も起こらなかった。
殺人事件の調査は警察により入念に行われたが、それでお終いだった。ゴシップ誌に下らない記事が載ることもあったが、私達が恐れていたようなネガティブキャンペーンになることはなく……まるで予定調和だったかのように……一年後にダム開発が凍結された。
……今ならわかる。梨花ちゃんの話を聞いた今ならば。結局、これは私達とは関係のない意志……『東京』と鷹野の望むシナリオ通りに事が進んだだけなのだ。…………雛見沢の反対活動も、バラバラ殺人も関係なく。
腹の奥にどす黒いものが湧き上がるのを感じて、私は雑念を振り払う。──何を考えているのだ。私は。
今は目の前に集中しなくてはならない。
「そう、ダム戦争は私達の勝利で『終わった』のです」私は『終わった』を強調して繰り返した。「ダム戦争は終わったのです──ダム戦争が終わったからには……私達は、かつての、ダム戦争の始まる前の平和を取り戻さなくてはならないはずでした」
何人かの勘の良い長老の顔が曇る。私は気にせずに言葉を続ける。
「理不尽に立ち退きを要求した国に打ち勝ち、平穏な生活を……ダム戦争が始まる前の平和を取り戻す。それこそが死守同盟の目的でした。そして、ダム戦争に勝利した私達は、当然その平和を手に入れているはずでした」
長老たちの顔に苦渋が浮かぶ。悲しみ、苦しみ、……そして恐怖。その表情は勝利者のものではなかった。
何故? ──わかっている。結局、平穏なんて訪れてはいない。
村長が、長老たちを代表するように声を上げる。
「一体、何を言っているんだ…………ダム戦争が終わってから、雛見沢は、……のんびりしたもんじゃないかね。平和じゃないか」
同意する細い声がどこからとなく湧き上がる。
私は長老たちの顔を睨めるようにして見回す。目を伏せた長老たちの顔に浮んでいるのは、やはり恐怖だった。
「いいえ」私はきっぱりと否定する。「ダム戦争を経て──雛見沢は………私達は歪んでしまいました。雛見沢が生き残るためとはいえ、雛見沢の住民同士をいがみあわせ、疑い……疑心暗鬼をもって雛見沢の人々を押さえ付けた報いを、私達は受けているのです」
私達は鬼となり、敵と戦った。北条を贄に晒し、住民たちを恐怖で縛り付けて勝利を勝ち取った。でも、それはダム戦争が終わると同時に元に戻るはずだった。雛見沢は──私達は元の生活に戻ることを望んでいたはずだった。
しかし、人々の心に植え付けられた恐怖が──『オヤシロさまの祟り』を恐れる鬼の心が、それを許さなかった。
『オヤシロさまの祟り』と、雛見沢に深く根を下ろした疑心暗鬼。雛見沢の鬼たちが、未だに生贄を求めてさまよっている。雛見沢のみんなは、ただ首を竦めて『オヤシロさまの祟り』が過ぎ去るのを待っている。
そして、ここにいる老人たちも同じだった。
怯えるような、諦めるような、嘲けるような、嗤うような……何とも言えない表情をして凍り付く老人たち。
私は老人たちの表情に──とても────とても不快な感じを受ける。──この表情が、去年、悟史をあそこまで追い込んだ。そして、今度は沙都子を追い詰めようとしている。私の中に突如として激しい怒りが沸き起る。
……しかし、…………わかっている。この怒りは、あのときの悟史の苦しみを知りながらも助けることのできなかった自分から目を背けるための逃げだということに。…………わかっている。あのときの悔しさ、悲しさ、恥ずかしさ──もう二度と繰り返したくはない。
長い沈黙が続く。長すぎる沈黙。私は少し慌てて言葉を継ぐ。
「これは、けっしてオヤシロさまが望んでいる状態ではありません。ご存知の通り、オヤシロさまは住民たちが憎しみあうことを望みません。鬼ですらも赦し、互いに共存する道を選んだのは、他でもないオヤシロさまなのです」
できるだけ優しい口調でそう語りかける。
しかし……長老たちの反応は無かった。
私はその反応に苛立ちながら、言葉を続ける。
「私たちの願いは、歪みを直し、──沙都子を含め──みんなで仲良く平和に暮らすこと。ダム戦争を本当の意味で終わらせ、オヤシロさまの望む鬼も人も共存する世界にすることです」
しかし…………長老たちの反応は無かった。
沈黙が続く。反発も……ざわめきすらもない。ゆらめく幻を前にしてただ独り語っているような、そんな手応えの無さ。私は調子を変えるため、わざとらしく大きく深呼吸する。
「いえ、そんなに大した話ではないのです。私たちが皆さんにお願いしたいのは、とても簡単なこと。今日からでもできることなのです。────沙都子が皆さんに挨拶したら、無視をしないで挨拶を返してほしい。たったそれだけのことなのです。──沙都子もいいね?」
「………………わたくしからも、おねがいするのでございますわ」沙都子が正座のまま手をついておじぎをする。「わたくしは、雛見沢のみんなに嫌われていてもかまわないと考えていたのですわ。いつかにーにーが来てくれる。にーにーがむかえに来てくれる。雛見沢のみんなに嫌われても、にーにーさえいればそれで構わない。そう考えていたのですわ」
そう語る沙都子の姿はあまりにも小さく弱々しいものだった。本心からそう思っていたのだろうか? それとも、そう諦めていたのだろうか?
「しかし、──それこそがいけないことだと、わたくしは、みんなから教えてもらったのですわ。嫌われてもかまわないと考えているからこそ、わたくしは雛見沢のみんなから嫌われていたのですわ。──それは、にーにーも望まないことだったのですわ。────ですから、わたくしからもおねがいするのですわ」
しかし………………長老たちの反応は無かった。
長老たちは相変わらず視線を落とし、身動き一つしようとしない。
長老たちの態度を見て、私は頭に血を昇らせる。
無視しようというのか。私たちの願いを。
無視しようとしているのか。私達の歪んだ世界を。
沈黙で拒絶すれば、また変わらない明日を迎えられると考えているのか。もう永くない時間を平穏に過ごせれば問題ないと考えているのか。
そう考えて、私は絶望する。
私は、考え違いをしていたのかもしれない。────この老人たちには『明日』など要らないのだ。『明日』は、この老人たちのものではないのだから。必要なのは『今日』だけなのだから。
梨花ちゃんは立ち上がると、そのまま沙都子の横に座り、沙都子と同じように頭を下げる。
梨花ちゃんのその姿は、深い悲しみと嘆きに彩られているように見えた。
梨花の動きに合わせて、背後のみんなが頭を下げる気配を感じる。私も遅れて頭を下げる。
「ボクからもお願いするのです。沙都子はボクの大事な友だちなのです。大事な友だちが苦しんでいるのはつらいのです。ボクからもお願いするのです。沙都子があいさつしたら、皆もあいさつを返してほしいのです。そしてそれは────オヤシロさまの願いでもあるのです」
羽入だけは頭を下げていない。“オヤシロさま”として威厳を保ちながら言葉を受ける。
「僕が望むのは雛見沢の平穏なのです。ダム戦争はすでに終わったのです。祟りなど僕は望まないのです。──そう、皆が心配する『オヤシロさまの祟り』などというものは、ありもしない幻なのです。だから、皆が恐れることはないのです」
しかし………………………………長老たちの反応は無かった。
梨花ちゃんの力も、羽入──オヤシロさまの言葉も、老人たちの沈黙を破ることはできない。あれほど老人たちに可愛がっていた梨花ちゃんの言葉にも、あれほど崇め奉っていたオヤシロさまの言葉にも、老人たちは応えようとしなかった。
沙都子と関わらないということが、それほど重要なことなのだろうか? たとえ梨花ちゃんの信頼を裏切ってでも、沙都子とは……“北条家”とは関わりたくはないのだろうか。
『オヤシロさまの祟り』というものは、それほど恐ろしいものなのだろうか? オヤシロさまが直々に否定したというのに、その言葉も信じられないのだろうか。
レナが、大部屋の沈黙を斬り裂く大声で叫ぶ。
その声は──狂気に染まっていた。私は、レナを落ち着かせたほうがいいことに気付いていたが……この状況を打破できるのではないかと淡い期待をもって、そのままレナに叫ばせた。
「村長!!!!! なに黙っているの!!!? 私たちがこれほどお願いしているというのに、私たちを見ようともしないの?? これがあなたたちの礼儀だというの? オヤシロさまも望んでいないというのに、そんなに『オヤシロさまの祟り』が怖いの? ダム戦争? そんな昔話はどうでもいい。私は沙都子ちゃんとみんなが仲良くしているところを見たいだけ! 年寄りの都合をレナたちに押し付けないで!! ───聞いているの!!!」
しかし…………………………………………長老たちの反応は無かった。
レナの無礼な物言いも、老人たちを奮い立たせることもなく……上滑りするだけだった。
長老たちにとっては、『明日』の希望も、『昨日』の誇りも、もはやどうでもいい。ただ目の前にある『今日』を食い潰すのが願いなのだろう。つまりは、そういうことなのだ。私は悲しくなった。結局、目の前にいる老人たちは、頼るべき仲間ではなく──打ち倒すべき敵だったのだ。
しかし──今となってはもうできることは残されていない。あとは、負けを認めて退くか、このまま一方的な睨み合いを続けるか、あるいはこの場をぶち壊すか……。多分、このまま膠着状態が続けば、レナか圭ちゃんが暴走してこの場をぶち壊すだろう。
失敗した…………そうだ、失敗したのだ…………。
短い時間ながらも準備を行った。進行も特に問題なかったはずだ。──だが、老人たちは殻に閉じこもり、とても簡単な──それこそサルでもできるような提案を受け容れようとしない。私は、成果を焦るあまり、老人たちを見誤ってしまったのだろう。信頼してはならない相手を信頼してしまった。何という愚かさか……。
長い沈黙が続き、……無限とも思える時間の後で、板の打ち付ける音が空気を切り裂く。戸が開き、向こうに人影が現われる。
その人物を見て、村長の顔に安堵の色が現れるのを私は見逃がさなかった。
多分、私の顔は恐怖で引きつっていただろう。長老たちとは反対に。
「おやおや、これは珍しい組み合せだねぇ。こんな夜分に一体どういったことだい?」
そこには、母さんと、……婆っちゃの姿があった。
(続く)
魅音2
長老たちはこの状況を待っていたのか。私は今さらながら気が付いた。

「最近調子わるいんでなぁ。このまま失礼させてもらうんね」

婆っちゃがそういうと、母さんは車椅子を押して部屋の中に入ってくる。婆っちゃは私の方を見ようとしない。代わりに母さんが視線で私を縫い付けようとする。

喉が乾く。身体が硬ばる。私は皆に気付かれないように、ゆっくりと深呼吸する……が、効果は薄い。

「ありゃ、なんか忙しいんかい? 何なら終わるまでのんびりさせてもらうけど?」

と母さん。なぜか持って回った言い方をする。

老人たちの間から沸き起るざわめき。内容は良く聞き取れないが、この話題から離れられることを喜んでいる声が多いように感じる。機先を制しないと無理矢理終わりにさせられてしまうだろう。

私は婆っちゃと母さんに状況を説明しようとするが、村長の方が先に発言しはじめた。

マズい。何とか割り込まないと…………と思ったが、何か勝手が違う。

「いやね、お魎さん。魅音ちゃんたちがね、相談したいことがある、ということで話を聞いているところなんだよね。──ちょうどいい。お魎さんも聞くかい?」

長老たちは戸惑いを隠せずに成り行きを見ている。終わると思っていた話題を村長が続けようとしている。やはりそれは長老たちの考えていなかったことのようだ。

「なんじゃぁ。みなでコソコソやりよってちゃぁ。もちっと待っとりゃええものを」

村長の下座の長老が場所を譲ると、婆っちゃと母さんがそのままそこに入る。長老たちは順繰りに移動し、輪が一回り大きくなる。長老も少し横に移動した関係で、正座する私の正面に婆っちゃが、その横に母さんと村長が居る形になっている。

婆っちゃが私たちを見回し────沙都子を確認すると突然叫び始める。

「なんじゃあ!!!なんで北条の糞餓鬼がここにおるん!!この罰当たりもんがぁ!!」

反射的に首を竦めそうになる。

怖い、怖い、怖い! 怖い!! 怖い!!! ────怖い!!!! 婆っちゃに対する恐怖は骨の芯まで染み付いているのだ。心が掻き乱され、頭を引っ掛きまわされて考えることができない。怖い、怖い、怖い! 怖い!! 怖い!!! ────でも、ここで崩れるわけにはいかない。

何とか平静を保ちながら、さらに暴言を続けようとする婆っちゃに割り込もうとする。

「沙都子のことでお話しがあります。わ 「北条の罰当りもんと話すことなんぞないわ!!ケガらわしっ!!!なに言っとるんじゃあ!!!!」

婆っちゃの罵詈雑言を受けながら…………私は普段とは違う違和感を感じていた。

普段の私ならば身を投げ出して謝り続けているだろう。理不尽であっても不合理であっても関係ない。臆病者の私にできることなんてそんなことぐらいしかないのだから。

しかし、今回は違う。横には私を頼りにしてくれる沙都子がいる。沙都子は変わらずに正座をしておじぎをしている。とても小さく儚げな姿。もし、私が全てを投げ出して逃げ出したとすれば、沙都子はどうすれば良いというのだ? 雛見沢の住民だけではなく、信頼している仲間からも見捨てられたとしたら……その深い絶望など想像したくもない。

しかし、今回は違う。後ろには頼りになる仲間たちが私を支えてくれる。仲間たちが、毅然とした態度で構えていることを背中に感じる。その上で、私を信頼して事の成り行きを見守っている。その視線はとても暖く……そして厳しい。大事な仲間の前でみっともないことなんかできるはずもない。

そして、今回は違った。私は婆っちゃの叫び声の中に怒りではなく、狂気を感じる。

なぜ?

「なにぎゃあぎゃあ言うんな、くだらんわ!!! この大事な段取りに、なんちゅうもん持ってくるん!? このバぁタレが!!!!」

怒っているのではない……恐れている?

「魅音さんのおばあさん。わたくしがあの人のおこなったことを謝りますのですわ。わ 「だあほ!! 調子に乗りおって!! 何を言うん!!!」

婆っちゃが沙都子を怒鳴りつける。しかし、けっして沙都子を見ようとしない。

婆っちゃは沙都子を恐れている? なぜ??

…………そうか、沙都子を恐れているのではなく……穢れ……『祟り』を恐れているのか。ストン、と腑に落ちる。

そう思うと、婆っちゃの昔の行動にも納得の行くものを感じる。かつてあれだけ熱心に『オヤシロさまの祟り』を調べていたのも──そして急に調査を止めてしまったのも、『祟り』を恐れていたからなのだろう。

さらに罵詈雑言を続けようとする婆っちゃを、鋭い声で刺し殺す。

「当主!!そんなに『祟り』が恐ろしいの!?──園崎家当主ともあろうお方が!!! なんとみっともない」芝居がかった口調で言う。あえて当主という言葉を使う。少しヒステリックに聞こえたのかもしれないとも思ったが、何にせよ婆っちゃの口を止めることができた。「詫びを入れようとしている相手を罵るのが園崎家の礼なのですか? ありもしない『祟り』を恐れて」

「なんば言うよっとかすったらん!!! だあっと聞いとん、くだらんわ!!! おい、茜ぇ、帰るぞ!!!!」

その言葉を引き止める。

「それは──当主代行に任せるということですね?」

婆っちゃが深い闇の色をした瞳を私に向ける。その視線に刺し貫かれて、私は身動き取れなくなる。鼓動が早く強くなる。顔が火照り頭に血が上る。

怖い、怖い、怖い──。

「なぁん?」

「この件を、園崎家当主代行である私に全て任せるということですね。『北条家』の詫び入れの件を」

婆っちゃが何の表情も見せずに私を睨み付ける。

怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い

肩は震え、声を出すのもままならない。婆っちゃもたぶん気付いているだろう。私の臆病の虫が顕れてきていることを。だけど──このまま引き下がるわけには、逃げ出すわけにはいかない。

逆に、婆っちゃは顔色一つ変えずにじっとしている。まるで……灯り一つ無い闇を見ているようだ。

「魅音よぅ。そりゃあ、どないっちゅうことが? 『園崎』が『北条』に肩入れする、ちゅうことがぁ??」

私は、何とか最低限の部分だけ腹から絞り出す。みっともないほどに震えた声。

「──────私が────沙都子を──悟史を──助ける、ということです」

婆っちゃの顔に、再び狂気の色が浮んで来たような気がした。──鬼の顔、という言葉が心に浮かぶ。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。そのまま心を鷲掴みに喰われてしまいそうな、生きたまま粉々にすり潰されそうな──怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

無限に続く時間の中、私と婆っちゃは睨み合う。身動き一つ取れない。

言葉を継ごうとするが、もう一言も出て来ない。

婆っちゃも、何も語らずに身動き一つしない。

──長い時間がたった。

──いや、本当は少しだけの時間だったかもしれない。

「くだらねぇ」

背後から声がする。

「つまらねえ話ばかりしやがって」

圭ちゃんが立ち上がる。そのまま、腹に響く声で語り始める。

「『北条』だの『園崎』だの、『ダム戦争』だのっ、『祟り』だのっっ、つまんねえことをグダグダぐだぐだいつまでも引っ張ってんじゃねえっっっ!!!」

婆っちゃが圭ちゃんを睨み付ける。しかし、圭ちゃんはそれを真っ向から受けて怯まない。

「沙都子の両親が死守同盟と敵対して雛見沢の恨みを買っていることは知っている。沙都子の父親が園崎家に暴言を吐いたこともな。だから、それがどうしたっていうんだっ!!」

圭ちゃんは右手で空気を薙ぎ払う。

「 くだらねぇっ!!! 直接関わったわけじゃない沙都子が一歩身を引いて謝ろう、やり直そうとしているじゃねえかっ。なぜ素直に受け取ろうとしねえんだっ!! 俺はこの雛見沢に来て、みんなに優しくしてもらって、すぐにみんなの仲間になれて嬉しかった。とても嬉しかった!!! 俺みたいなつまらない人間がすぐに雛見沢に馴染めるとは思わなかった!! とても嬉しかった!!! なのに何でそれが沙都子じゃいけねえんだ!!!」

ダン、と圭ちゃんが一歩踏み締める。

「5年前から綿流しの日に死者が出ていることも知っている。皆が『オヤシロさまの祟り』と呼んでいることも、『北条家』の、沙都子の両親、叔母、悟史が巻き込まれていることも知っている。それがどうしたっていうんだっ!!!」

長老たちを射竦めながら、圭ちゃんは言葉を続ける。

「『オヤシロさまの祟り』?? 馬鹿馬鹿しい。雛見沢の住民どもは何を見て来たんだ?? オヤシロさまは、鬼でさえ許して仲間にしたんじゃねぇかよっ!! そんな優しい神様が、終わった『ダム戦争』を呪って『祟り』なんて起こすわけねぇだろっっ!! そんなことも判ってやれないのかよ!! ここの連中は!!!」

圭ちゃんはもう一度婆っちゃを睨み付ける。

「沙都子が『穢れている』だぁ? どの口がそんなことを言いやがるっ!! 沙都子を穢しているのはアンたらの心だっ!!! アンたらの疑心暗鬼に塗れた心が、沙都子を生贄に仕立てあげて安心したいだけじゃねえかっ!!!! 沙都子は穢れてなんていねえっ!!! それはカビの生えたアンたらの偏狭な脳味噌の幻覚じゃねえかっ!!!」

拳を固く握り締める。

「『北条家の人間は呪われている』だぁ?? くだらねえ!! くだらねえ!!!! くだらねえ!!!!!! 沙都子は『北条家』じゃねえ!!! こんな小さな肩に何を負わせようとしやがるんだ!!! 沙都子は『沙都子』だ!!! ジジババどもの都合を押し付けるんじゃねぇっ!!!!」

圭ちゃんの言葉がそこで切れる。柱時計の音だけが、静かに刻を刻む。

沙都子が弱々しい声で呟く。クスン、クスンと、言葉を涙で切りながら。

「──わたくし、『北条』なんて名前はいりませんのですわ。──みんなと仲良く暮らせるのなら……にーにーと……一緒にいられるのなら……雛見沢にいられるのなら…………『北条』なんて名前はいりませんのですわ」

再び静寂。しかしそれは短い時間で断ち切られた。

いつのまにか婆っちゃと言葉を交わした母さんが、低い声でこう宣言した。

「その言葉、受け容れることとしましょう。北条沙都子、北条悟史の両名は『北条』の名を捨てる。──それを身を持って示して頂きます」

その言葉は、どこからともなく伝わってきた厳かな風鈴の音で締めくくられた。




沙都子1
わたくしは、みなさんと一緒にわたくしの家に来ました。園崎さんの組の方々が、家のまわりの立木を倒して片付けています。家のまわりに広い空き地ができています。

わたくしは園崎さんのお母さんに案内されて、家の玄関まで歩いていきます。

園崎さんのお母さんが言います。

「さあ、中に入って必要なものを持って来な。必要だったら何人か使って構わないからね」

わたくしは頷きました。ポケットから玄関のカギを取り出すと、わたくしは玄関を開きました。詩音さんが手渡してくれた懐中電灯を手に、わたくしは家の中に入りました。

ほこりくさいにおいが鼻をつきます。そこら中がほこりだらけです。わたくしはクツ箱からスリッパを取り出すと、クツを脱いではきかえました。後ろの詩音さん、魅音さんも同じようにスリッパにはきかえます。

わたくしが一歩あるくたびに、ほこりがキラキラとまいあがるのがわかります。わたくしは足元に気を付けながら二階に上がる階段をめざします。一階にはなにもありません。なにもありません。

わたくしは階段を上がります。階段を上がるのはたいへんです。はあ、はあ、と息が切れてきます。わたくしは途中で休みます。

詩音さんがわたくしに声をかけます。

「大丈夫……?」

とてもやさしい声です。わたくしはこたえました。

「大丈夫でございますのよ。────さあ、いきましょう」

わたくしは階段を上がりました。階段を上がった短い廊下の先にある部屋。にーにーの部屋です。わたくしは、息を切らしながらも、何とかにーにーの部屋の前にたどりつきます。わたくしはにーにーの部屋の扉に手を掛けますが、とても重くてなかなか動きません。

魅音さんがわたくしに声をかけます。

「手伝おうか?」

とても心配しているようです。わたくしはこたえます。

「いいえ、──大丈夫でございますのよ。わたくしに開けさせてくださいませ」

わたくしはさらにいっそう力をこめて扉を引きます。あるところから、急に扉が動きはじめました。部屋の扉が開きます。詩音さんと魅音さんの持っている懐中電灯の灯りが、部屋の中に吸いこまれていきます。

にーにーの部屋────にーにーの戻ってくる場所。────にーにーが戻ってくる……はず……だった場所。

でも、わたくしは、……………この場所を守ることが……できませ……………ん……でした。

わたくしは……この場所を………………捨てなくては……なりません。

わたくしは……………………

「大丈夫。悟史くんは必ず沙都子のところに戻ってきます。私が保証します」

詩音さんがわたくしを後ろから抱きかかえます。わたくしは──少しだけ温まったような気がしました。

「そうですわね。───あまり時間もかけられないのですわ」

わたくしは、部屋の中に入ります。

「この家から持ち出すのはこの部屋のものだけなのですわ」

にーにーの部屋は──とても広く感じました。

小さめのタンスが一つ。

小さい本棚が一つ。

野球の道具を入れた箱が一つ。

それで、おしまいでした。

押し入れの中も、ふとんが一組あるだけで、他には何も入っていませんでした。

詩音さんが、とてもさみしそうな顔をしています。

「そうすると、本棚と野球道具、タンスかね。布団はどうしよう?」

魅音さんが部屋の中を懐中電灯で照らしながらたずねます。

「ふとんも一通りお願いいたしますのですわ」

「人足が要りそうですね。呼んできましょう」

詩音さんが窓を開けます。すうっ、と強い風が吹き込みます。その風は、いつまでも部屋の中をまわっています。部屋につもったホコリも、風といっしょに動き始めました。

「あ、葛西、葛西ぃ〜〜〜〜。4人ぐらい連れて二階に上がってきてくださ〜〜〜い。灯りも忘れずに〜〜。土足厳禁ですからね〜〜〜」

遠くから、大きな声が響いてきます。

魅音さんが、いつのまにか部屋の中でヒザを抱えて座っています。いつのまにか暗い顔をしています。

「────どうしてこんなことになっちゃったんだろう……。ごめんね沙都子。下手を打っちゃったみたいだ……」

わたくしは首をふります。

「とんでもないのでございますのよ。ほんとうに、ありがたいことなのでございますのよ。わたくしは昔は『北条』ではありませんし、また『北条』じゃなくなるだけなのでございますわ。圭一さんの言う通り、わたくしは『沙都子』なのでございますのよ。それに──」

わたくしは部屋の中を見わたします。この部屋からはにーにーの匂いがしませんでした。

「それに、この部屋も────にーにーの居場所ではなかったのですわ」

わたくしは窓に腰かけます。

部屋の外が順番に明るくなっていきます。部屋の前の廊下が明るくなり、そして部屋の灯りがパッとつきました。

冴えざえとした灯りに、この部屋がさらされます。

タンスと、本棚と、野球道具。押し入れのふとん。とても、とても小さく見えました。

「詩音さん、お待たせしました。──運ぶのはこれだけで?」

詩音さんが懐中電灯を振りまわしながら答えます。

「はい、そうです。丁寧に運んでください。落としたりしたら承知しませんから」

葛西さんは首をすくめると、仲間の方に指示します。

あっというまにタンスと本棚と野球道具とふとんが運ばれます。部屋の中が空っぽになります。昔、良く隠れていたにーにーの部屋。もう、その部屋はありません。昔、良くにーにーと一緒にいた部屋。今は見なれない部屋です。

視線を上げると、魅音さんと詩音さんが手まねきしています。

わたくしは窓から立ちあがります。

「さ、行こう。沙都子」

「あともう一仕事、お願いします。沙都子」

わたくしはうなずきます。

詩音さんと魅音さんの後をついていくかたちで部屋を出ました。

「にーにー。……今度は、わたくしがにーにーのいる場所を作るのですわ」

わたくしは、にーにーのいた部屋の灯りを消し、扉を閉じました。












沙都子2
「さて、準備ができたようだね」

園崎さんのお母さんがそう言います。

わずかな時間しかたっていませんでしたが、家の回りの木はすっかり切りたおされてしまいました。園崎の組の方が、家の回りに倒した木の枝を並べ、その上に油をまいています。わたくしたちは家から少し離れた所にいます。そして、玄関前からわたくしのところまで木の枝と油の道ができています。

詩音さん、魅音さん、梨花、レナさん、圭一さん、羽入。部活のメンバーもわたくしと一緒です。

そして、園崎さんのお母さん、園崎さんのおばあさんも一緒です。園崎の組の方々も一緒です。

わたくしたちからさらに離れたところに、いつのまにか雛見沢の方々が集まっています。みんな、心配そうな顔をしています。

園崎さんのお母さんが、わたくしに向かって言います。とても遠くまで通る、不思議な声でした。

「北条沙都子。あなたとあなたの兄の悟史は、『北条』として生きるのではなく、雛見沢の一員として生きること、そのために『北条』の名前を棄てることを約束しました。────園崎はその言葉を受け容れたいと考えています」

園崎さんのお母さんが、そこでいちど言葉を切ります。

わたくしの背後からざわめきが聞こえます。しかし、そのざわめきはいつもの悪意ではなく、雛見沢の方々の驚いたようすが伝わってきます。

「その証しとして、沙都子。あなたは自らの手で『北条』と関わりのあるものを棄てなさい。あなたの自らの手で『北条』の家を燃やし、その証しとしなさい」

わたくしは、園崎の組の方から松明を渡されました。激しく燃える松明は、とても熱く、重たいものでした。

わたくしは、今は遠くになってしまった家を見ました。頭の中に色々なものがわきだしてきます。

手がふるえます。

足がふるえます。

今にも松明を落としそうになります。

にーにー──にーにー、助けてくださいまし、にーにー。にーにー………………

………………わかっています。にーにーはわたくしを助けるために、雛見沢からいなくなってしまいました。だからこそ、わたくしは雛見沢にいられるのです。

にーにーは、もう、わたくしを助けることはできません。できないのです。

わたくしは松明を握りなおします。

こんどは、わたくしがにーにーの居場所を作るのです。この雛見沢に。

ゆっくりと、目の前の枝に松明を近付けます。松明の炎が枝に移り、するするといえの玄関に伸びていきます。炎は玄関に吸い込まれ、──やがて玄関全体が炎に包まれます。

玄関の炎は壁に伝わます。

壁の炎は屋根に伝わります。

そして家全体に伝わります。

家が炎で揺らぎます。昼のお日さまにも負けない熱気がわたくしを焼きつけます。『北条』が燃えています。わたくしの昔が燃えています。

わたくしの後ろ。

部活メンバーのみんなではありません。

わたくしの後ろ。いつもの後ろ。

いつも──ひとりの時もわたくしの後を追いかけてくる2つの足音が、わたくしの後ろからします。

いつもは、わたくしが歩いている時だけする足音が、今──わたくしが立ちどまっている今、聞こえてきます。

……ぺた…………ぺた…………ぺた…………ぺた…………

2つの足音は、ついにわたくしを追い抜き、そのまま玄関に向かいます。

……ぺた…………ぺた…………ぺた…………ぺた…………ぺた

小さくて聞こえないはずの足音が、遠くて聞こえないはずの玄関で止まるのを、わたくしは聞きました。

玄関は、ごうごうと燃えさかる炎に包まれています。誰も、そんなところに行けるはずはありませんでした。しかし、わたくしは遠くて見えないはずの玄関に、2人の人影を見ました。

「お母さん」

わたくしは誰にも聞こえない声でつぶやきます。玄関には、お母さんと、北条のお父さんがいました。2人はとてもにこにこしていました。わたくしは、その2人の顔をどこかで見たことがあります。わたくしが小さいころ。そう、わたくしが小さいころ。

わたくしが小さいころ。

わたくしは、車の中にいました。小さなわたくしは、不釣り合いに大きな帽子を持てあましながら車から出ました。わたくしの心は憎しみと狂気と、恐怖で掻き乱されています。わたくしは、激しい動悸に体をフラつかせながら展望台への階段を上ります。階段の段差は小さなわたくしにはあまりにも高く、上りきったところでわたくしは尻もちをついてしまいます。

わたくしの心は空っぽでした。激しく掻き乱されのたうちまわっているにもかかわらず、わたくしの心は空っぽでした。空はどこまでも青く、雲はどこまでも白く、山はどこまでも緑で、────そして、2人はそれらを背景に、どこかさみしげで、どこかかなしげな笑顔をしていました。

突然、階段から強い風が吹きました。強い風は、わたくしから帽子を奪い取りました。優しいときのお母さんが買ってくれた、わたくしのお気に入りだった帽子。

帽子は、すうっ、と2人の方に流されていきます。そして、2人の近くまで行くとゆっくりになって、蝶のようにフワフワと舞いました。

お母さんが手を伸ばします。しかし届きません。柵に寄り掛かります。まだ届きません。もっと手を伸ばします。まだ届きません。北条のお父さんが母さんに手を伸ばします。まだ届きません。柵が崩れます。────もう届きません。

2人はバランスを崩し、展望台から渓流へと落ちていきます。

展望台から見えなくなるとき、わたくしは、お母さん、北条のお父さんと視線が合います。

お母さんと北条のお父さんは、一瞬驚いたような顔をして、すぐに笑顔になりました。ほんの一瞬しか見えませんでいたが、とてもにこにこしていました。とても。

とても。

「──お父さん」

わたくしは、再び誰にも聞こえない声でつぶやきます。わたくしにはもう、2人の顔が見えませんでした。2人の顔だけではなく、『北条』の家も、赤い色に滲んでいます。

──お父さんとお母さんは、炎とともに上っていきます。わたくしは、お父さん、お母さんとお別れをしなくてはならないのです。

──わたくしは、

お別れを。

わたくしは、赤んぼうのように大きな声を上げて泣きました。

わたくしは、最後までお母さんと北条のお父さんを信じることができませんでした。──しかし、お父さんとお母さんは、最期までわたくしを信じていました。

最期にわたくしが展望台にいるのを見つけると、お父さんとお母さんはとても嬉しそうに笑いました。最後まで笑っていました。最期まで。

わたくしは、赤んぼうのように泣き続けました。

園崎のおばあさんが、わたくしの横に立っていました。園崎のおばあさんは、その小さい手をポン、とわたくしの頭に載せました。わたくしは泣き続けました。

「よう果たした。────苦労かけたな」

園崎のおばあさんが頭を撫でる。わたくしは泣きながらも、言葉を繋げます。

「──わたくしにも…………わかったので……ございますわ。あの人たち……お父さん、……お母さんは、…………あのひとたちなりに…わたくしたちのことを、…………大事にしてくれていたのですわ。……………………とても下手だったかもしれませんけど」

園崎のおばあさんの頭を撫でる手が止まります。────そして、再びゆっくりとやさしくわたくしの頭を撫でました。

「……そうなんかもしれんなぁ」

わたくしは泣き止みました。泣き止まなくてはならないのです。わたくしも、大事にされることが下手でした。相手のことを考えることが下手でした。だからこそ──わたくしはお父さんとお母さんのことを信頼することができませんでした。だからこそ──わたくしは家族を──失うことになったのです。

わたくしは、──強くならなくてはなりません。

園崎のお母さんが宣言します。

「これで、『沙都子』『悟史』の証しとします。両人は、『北条』の名を棄てました。もはや、両人は『北条』ではありません」

どこまでも通る不思議な声でそう言います。

「そして」

園崎のお母さんが、一度言葉を区切ります。

「そして────園崎は『沙都子』、及び『悟史』を一族に迎えることで、これまで両人に行ってきたことに対する詫びとしたい。────沙都子、この詫びを受け取ってくれないかい?」

わたくしは、その言葉の意味を理解しました。わたくしとにーにーは、『園崎悟史』『園崎沙都子』になるということです。

────わたくしは、雛見沢に根付かなくてはいけません。しっかりと雛見沢に足を付けて生活しなくてはいけません。ですので、わたくしはこの提案を受け容れなくてはなりません。

「わかりましたのですわ。わたくしはこのお話をありがたくいただきたいと考えていますのですわ。────ただ、わたくしは、これからも梨花と一緒に暮らしますのですわ。園崎さんがこれからの大事な家族になるのと同じように────梨花はわたくしの古くからの大事な家族なのですわ」

わたくしは、そういうと梨花の方を向きます。

梨花はとてもにこにこした顔をしています。

わたくしも、とてもにこにこした顔で応えます。

そして────梨花は、にこにこしたままの顔で、そのまま崩れるように倒れます。

「…………梨花?」

わたくしにはわかりませんでした。わたくしは、梨花に近寄ります。

「梨花?──梨花? 梨花ぁ!!? どうしたの? 梨花ぁっっっっ!!!!!!!!」

しかし、梨花はこたえてくれませんでした。



梨花2

「みー、痛いのです」
---------------

梨花2
ボクの身体が火照る。

定まらない視界。

止まらない動悸。

ボクは、自分が何をしているのか……立っているのか、座っているのかすら──わからない。

右の手を包む冷たい温もり。

ボクは首を巡らして右の方を見る。

そこには──沙都子──沙都子の頭がある。

うつぶせに眠る沙都子。

ボクも、──沙都子と同じように眠っている……のだろうか。

左腕に巻き付く点滴のチューブ。

身体を縛り付ける電極コード。

白い壁。白いベッド。

ここは…………入江診療所────なのか。

身体に力が入らない。

意識がはっきりしない。

心が掻き回される。…………………………………………………

…………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………そうなのか。

………………そうなのだ。

ボクはまとまらない意識で考える。

連日の作業。少ない休息。

ボクは気付かないうちに、ボクの知らないうちに、身体をすりへらしていたのかもしれない。

そして、壊れた。

そうだ。壊れたのだ。

このタイミングで…………………………このタイミングで。

もう時間がないのに。

時間がないのに。

時間がない。

ボクは立ち上がろうとしたが──やはりダメだった。

身体を巡る鈍い痛みが、ボクの思考を切り裂こうとする。

部屋の片隅で居眠りする詩音。

まだやる事がある。だが、……身体が動かない。

ここは入江診療所──敵の活動拠点。多分、ボクがここに運び込まれたために、敵味方入り混じる混沌の地。になっているのだろう。さらに何人か仲間がいる気配がする。計画を一時中断して、ボクのために側に居てくれているのかもしれない。少なくとも、詩音と沙都子はここにいる。

この、最後の詰めのタイミングで。

ボクは泣きたくなった。

ボクがみんなの足を引っ張っている。その思いはボクの心を締めあげる。

…………やはり、鷹野を助けようなどと考えるべきではなかったのだ。

そんな余裕などボクには無かったのだ。──何という愚かな考え。

これは、惨劇に復讐を果そうと思い上がったボクに対する罰なのだろうか。

ボクは泣きたくなった。

泣いてしまおうとと考えた。

────しかし、ボクには泣く時間は残されていなかった。

いつのまにか現れた人影。ベットの横の、点滴の近くに立つ人影。

それは、私服姿の鷹野だった。

黒くてツヤのない服を着て、病室の闇に溶け込んでいる。

感情の抜け落ちた表情に張り付いた、どこまでも赤い瞳。

鷹野は、点滴の途中の太くなっている部分をもてあそぶ。

ベッドで苦しむボクを見ると、ポケットから注射器を取り出した。

───それは────ボクは感じた。ボクの命をもてあそぶ鬼。

それは────富竹のための薬なのだろう。いつも綿流しの晩に、誰もいない道路の片隅で見えない暴漢と戦い、倒れ、────喉を掻きむしって死んだ富竹の。

鬼が、……音も立てずに点滴と注射器をもてあそぶ。口元に嗤いを浮かべる。

いけない。

いけない。

だめだ。

だめだ。

だめだ。

湧き上がる吐き気。頭を締めつけるような痛み。

だめだ。

だめだ。

だめだ。

ボクは右手を動かす。吐き気も痛みも抑えつけて。だめだ。だめだ。だめだ。このまま敗けるわけにはいかない。沙都子の手を離す。──もう、二度とこの温もりに触れることがないのではないか────突然襲い掛かる孤独感。ボクはその予感を振りはらう。

ボクは、──鷹野に気付かれないように、左手の針を抜き取る。身体を巡る痛みに、左肘の裏のじんじんした痛みが加わる。

鷹野は点滴から目を離し、ボクの顔を覗き込む。

突然、鷹野の顔から嗤いが消える。

気付かれた。ボクは全てを忘れ、ベッドから跳ね起きようとする。

──────だが、一瞬遅かった。

脇腹を襲う鋭い痛み。鷹野の身体を弾き飛ばす感触。

ボクはベッド脇に転がり落ち、立ち上がる。体中から沸き起こる鈍い痛み。

再び襲う脇腹の鋭い痛み。

ボクは左手で脇腹を探る。

再び鋭い痛み。

ボクは──────ていねいにそれを────────注射器を引き抜いた。

空になった注射器。ボクの手から滑り落ちる。カラン、と冷たい音を立てて落ちる。

鷹野は、その音を聞いて再び声を立てずに嗤う。その嗤いは少しずつ闇に融けていき…………消えた。

動悸が早くなる。

息が苦しくなる。

だんだんと、自分が────自分でなくなっていくのがわかる。狂気が、鬼が、ボクを喰らい続ける。

終わった。

終わった。

終わった。

全てが終わった。

「梨花、梨花ぁ!! どうしたのでございますの、梨花ぁぁぁ!!」

沙都子が電灯のスィッチを求めて壁伝いに歩く。

詩音が目を覚ます。

終わった。

終わった。

終わった。

だが、ここにいるわけにはいかない。

逃げる。

逃げる。

逃げる。

ボクはここにいてはならない。

明るくなる前に、ボクは窓に手をかける。

明るくなる前に、ボクは窓を開ける。

明るくなる前に、ボクは窓から飛び降りる。

闇の中に落ちる。

地面の感触。

もう、ボクは立っているのか座っているのか。

倒れているのか判らない。

背後が明るく。

とても、痛い。

ボクは走る。

沙都子らしい声がする。

もう、ボクには判らなかった。



鷹野6

クスクスクスクスクスクス

勝ったわ これで奴らのまけよ。

でもきになることがあるわね。

「小此木!Tは!Tはどこにいるの。」

「はぁそれが・・・・・」

「なにやっているの!」
どうやら裏山のところで発信機がバレ破壊されたそうなのだ。


すると向こうのほうから音がしてきた。
詩音ちゃんだった

「こんにちわ 詩音ちゃん 議論したいけど時間がないの じゃあね。」

詩音1
「だああああああ!!!!」

診療所の廊下。私は自分の座っていた椅子を力まかせに叩きつける。鉄パイプ製の椅子は壊れもせず跳ね回るだけだった。大袈裟に響き渡る衝撃音が私の心を逆撫でする。

「詩音さん!!」葛西が後ろから羽交い締めにする。思い通りにならない身体。私は怒りを葛西に叩き付ける。身体を大きく捻ると、葛西はバランスを崩して宙に放り出され、そのまま廊下を転がっていく。柱に背中を叩き付けてうなだれる葛西を見ても、私の気は晴れなかった。

当たり前だ。私は怒気に眩んだ頭で考える。当たり前のことだ。私は自分の間抜けさに怒っているのだから。梨花が病室から抜け出した────いや、逃げ出した。

何故??…………敵の手から逃れるためだ。

危険なのは私達にもわかっていた。だから、ここには私と葛西がいた。中にはさらに組の手練れが数人と、外にもさらに何人かが詰めている。お互いをカバーできる位置で二人一組の見張りだ。さらには入江から受け取った診療所の詳細な地図を分析し、それぞれの要所は確実に押さえたし、また入江の権限を活用して、診療所の警備…………小此木の手の内のものは病室から遠ざけている。お姉の考えた、私達のできる最善の一手だったはずだ。

しかし……私は宙に浮ぶ虚ろな瞳を思い出す。あの女…………!! 鷹野は私達の護りを擦り抜け、梨花の病室に入り込んでいた。暗い病室の中で、鷹野は私────いや、私達のことを嘲笑っていた。その歪んだ口元は、私から正気を奪い去る。

私は再びパイプ椅子を振り回す。先ほどの音に驚いて集まった組のものが取り囲んでいるが、私の振るうパイプ椅子に躊躇して近付くことができない。

多分、……多分、私達の最善の一手を台無しにしてしまったのは……私なのだろう。ベットで眠る梨花と沙都子。私はその姿を見ると、病室の灯りを消した。鷹野の待ち焦がれていた暗闇が、……そこに現れた。────何と愚かなことだ

振り回すパイプ椅子はようやっと望み通りにひしゃげてくる。しかし、私の心は晴れない。晴れるはずもない。私はパイプ椅子を叩き投げる。

ゆっくりと跳ね回る椅子。

物陰から飛びかかる人影。

私は腰にしがみつくその人影を、右の拳で薙ぎ払う。

拳に伝わる小さい、柔らかい感触。

────沙都子が、私に弾かれて転がっていく。

どすん、と廊下の柱に背中を叩き付ける沙都子。

あの勢いでぶつかったのでは、しばらくは動けないだろう、と私は思った。

しかし、沙都子は再び立ち上がる。

ヨロヨロと、とても弱々しく私の方に歩いてくる。

私は、痺れたように身動きが取れなくなった。

どん、と沙都子が私の腰にしがみつく。

ぶるぶると震えているのを感じる。

私は──手のひらを広げると、ゆっくりと沙都子の頭に載せる。

沙都子は一瞬ビクッと身体をこわばらせるが、それでもそのまま私のなすがままにさせている。

────何をやっているのだ? 私は沙都子の頭を撫でながら考える。私は、一体何をやっているのだ? 怒りに我を忘れ、無駄に暴れて時間を潰し、さらには葛西と沙都子を傷付けて……。泣きたいのは、怒りたいのは、叫びたいのは沙都子ではないのか?

しかし、沙都子は力強く私を支えている。私のように取り乱すこともせず。脆く弱い私を支えてくれる。私はその強さに励まされる。

「────ありがとう、沙都子」私はゆっくりとそう言う。「もう、大丈夫」

回りに立ち尽す組の者を掻き分けて入江が、そしてその後ろにはお姉と部活のメンバーが続いてくる。

私はできるだけ心を落ち着けて、できるだけ力強く言葉を絞り出した。

「すみません。お姉。鷹野がこの病室に入り込みました。梨花ちゃんは鷹野から逃れるために外に逃げ出しました。鷹野を捕まえることはできませんでした」

私は深呼吸する。

お姉が顔を青くしているのがわかる。多分、想定外の状況に、お姉の弱気の虫が出ているのだろう。しかし、お姉の弱気を許している時間はない。

「お姉の力が必要です。お姉でなければダメなんです。助けて下さい」

私はお姉の震える手を力強く握り締めた。


富竹2
目ノ前に広がル光の渦。意味も無く瞬いテいる。

僕は呆然と、ソの瞬きを眺める。

目の前ノ光が、目まぐるシく変化し続ける。

しかし、僕はソの変化を意識すルことができない。

僕は、呆然ト光の瞬きを眺める。

意識も、──心も、コこにはなかった。

無い、とイうことも意識しなかった。

時の流れルことすらも意識シなかった。

全テのことに意味がなかった。

────目の前ノ光の瞬きガ、僕の身体ニ注がれている。

僕は────、いつのマにか、その瞬きを意識シていた。

少しずつ──少しずつ、ソの瞬きが意味ヲ持ちはじめる。

僕の意識も、その瞬キに合わせて少しずつ揺り起こされる。

────突然、僕は光の瞬きを理解した。時が流れ始める。

目の前に広がる岩肌。少し離れたところにある蛍光灯の灯りが、その岩肌に深い陰影を造りあげている。鼻をくすぐる湿った空気。どことなくスえたその空気は、ここが日常から切り離された異世界であることを僕に知らせていた。僕はベッドに横たわっていた。薄手の毛布が一枚だけ、僕に掛けられている。この部屋の冷気を防ぐには心許無いものだ。

僕は、上半身を起こそう────として、何かに引き止められる。腕を引き付けようとしたが──だめだった。拘束具の柔らかくて堅い感触。どうやら、僕はベッドに縛り付けられているようだ。

──まったく、一体何が起きているのか。僕が状況から取り残されていることだけはわかる。僕はまだ混乱する意識から記憶を引きずり出す。あれは混沌だった。敵対していたはずの園崎家と大石さんがあんなににこやかに話をしていたのも異常だし、こちら側の人間のはずの入江さんまでいたのはありえないことだ。──通常ならば。

僕は、身体をくねらせながら、どうにかして腰を右手のあたりに持ってくる。拘束具があまりしっかりと取り付けられていないのは幸いだった。ベルトの裏にある堅い感触を確認すると、少しホッとした気分になる。僕はその小型ナイフを慎重に引っ張り出す。

───それにしても、園崎家があそこまで詳細な情報を掴んでいるとは……入江さんは『知らない』と言っていたが、それも怪しいものだ。魅音ちゃんは『敵対するつもりはない』とも言っていたが……たぶん、『東京』は許さないだろう。頭の痛い問題がまた一つ増えたわけだ。

僕は、手を引き抜くようにしながら、手首に巻き付けられた皮ベルトに刃を立てる。皮ベルトの締め付けもかなり緩くなっているようだ。少しずつ腕が自由になっていくのを感じる。最後はブツッ、と音を立てて皮ベルトが切れる。僕は毛布を引き剥がすと左手の皮ベルトに取り掛かる。もうナイフは不要だ。再びベルトの裏にしまう。

───静か過ぎる。僕は世界でただ独り取り残されたように感じる。今はどのような状況なんだろうか?今は何日の何時なんだろうか。直感はそれほど時間が経っていないことを報せていたが、今のような状況では当てにならない。

両足も解放してベットから降りようとしたときに、僕は左腕に付けられた点滴に気付いた。傷にならないように気を付けながら引き抜く。チクリとした痛みに、僕は大袈裟に顔を歪める。

───ああ、そうだ。……鷹野さんはどうしたんだろう? 魅音ちゃんは、僕も『雛見沢症候群』の感染者だ、と言っていた。それは、鷹野さんの施した予防接種が役に立たなかったということを意味している。今まで実績を重ねていた薬が今回に限って効果を持たなかったというのは、とても信じられない話だ。……………………予防接種を施されなかった、という方が可能性は高いだろう。

ベットに腰掛け、身体と装備を確認する。目立った傷は無し。服装も、ここに来たときの格好そのままだ。メガネなどの小物は身に付けていなかったが、ベッド近くのテーブルにまとめて置いてあった。メガネを掛けても、どこか視界がボヤけてしまう。

───もし、予防接種を施されなかったということならば、一体何が起ったのか? 僕には理解できなかった。最も可能性が高いのは鷹野さんがすり替えたか──とても信じられないが──、あるいは看護師──小此木の部下──が入れ替えたか……。とても信じられない。入江とも考えられるが、『東京』の使いの者の予防接種用の薬を自由にできる権限を与えているとは思えない。僕には判らなかった。

僕の目の前には鉄格子があった。どうやら、僕は牢獄に入れられていたようだ。僕は立ち上がると鉄格子の扉に手をかける。扉は、ぎしり、と鈍い音を立てて開いた。牢獄を出て扉を閉めようとしたが、建付けが悪いらしく閉まらない。僕は諦めて扉をそのままに歩き始める。

───ああ、そうだ。鷹野さんに確認しなくては。僕には判らない。僕には理解できない。鷹野さんはそんなにも弱い人間では無いはずだ。まだいくらでも手はあるはずだ。鷹野さんにそれが判らないことは無いはずだ。──無いはずだ。無い、はずだ。

───ああ、確かめなくては、鷹野サンニ。

魅音3
園崎本家の広間。

私は机を並べると、手に持つ地図をその上に広げる。

誰にも気付かれないように静かに深呼吸をする。

沙都子が心配そうに私の顔を覗く。私は沙都子の頭を軽く撫でる。

広間の片隅で、詩音がレナと圭ちゃんに状況の説明をしている。羽入は見つからない。入江も見当たらない。

私たちは、あのあとすぐに診療所を抜け出してそのまま園崎本家の屋敷に移動した。すでに梨花ちゃんがいない以上、あの場に留まる利点は少なかった。確かに移動する時間は貴重だけれども、敵地──『東京の転覆派』の拠点の中に居続けるリスクは犯したくなかった。しかたない。ただ、時間のロスは最低限に済ませることができた。呆然とする私を尻目に詩音が上手く立ち回ってくれなければ、いまだに診療所の中でもたついていただろう。

遠くで葛西の声が聞こえる。葛西が園崎組の手下を連れて現れる。詩音は圭ちゃんたちへの説明を中断し、二言三言指示を出す。私はその詩音の姿をとても頼もしく感じると同時に、……少し胸を締め付けられるような感触を覚える。もし、……もしも…………いや、止めておこう。そんなことよりも、今は目の前のことに集中しなくてはならない。

葛西は詩音の言葉を受けて、私の近く──地図から少し離れた机の片隅に無線機を設置し、携帯無線機を並べる。さらにその横に、私が地図を持って来るときに忘れた文房具一式を置く。私はさっそく大き目のカラーマグネットを地図の主要地点に置いていく。カラーマグネットはカチリと地図にへばり付く。私はその時に初めて机が鉄製だったことに気付く。

────広い。

雛見沢の地図を目の前にして、私は思う。そう広くない山間に散在する住宅。細々と繋がる道。……そして地図の多くを占める田畑と──山。

この広大な雛見沢の中から、逃げ回る梨花ちゃんを捕まえなくてはならない。…………捕まえられるのだろうか? 私には確信は持てなかった。だが、捕まえなくてはならない。さもないと……………………………………さもないと……………………

………いや、目を逸らすのは止めよう。たとえそれが最悪の可能性だったとしても。

そう、できるだけ早く捕まえないと、梨花ちゃんが死ぬ。

そうだ。死ぬんだ。可能性はかなり高い。

診療所の病室に残された空の注射器。それを見たときの入江の狼狽。

問い詰めてようやっと吐き出させた言葉。

『雛見沢症候群を強制的に末期発症させる薬』

──────あぁ。そうだ。梨花ちゃんは今、狂気に冒されようとしている。早く捕まえないと雛見沢症候群の作り出す疑心暗鬼に心を焼き尽されるか、あるいは自ら喉を掻き毟るか。梨花ちゃんは今、雛見沢症候群の作り出す妄想に追い立てられ、闇に沈む雛見沢を逃げ回っているのだろう………………いや、

いや、…………違う。目を逸らしてはいけない。たとえそれが望まない可能性だったとしても。思わず膝が笑う。私はわざとらしく振り返ると葛西の置いた椅子を引き寄せて腰掛ける。まだ震える膝を無理矢理押さえ付けると、再び地図に向かう。

違う。梨花ちゃんは逃げ回っているんじゃない。────死に場所を求めているのだ。誰も見つけ出せない、──少なくとも48時間以上は見付からない場所。『自衛隊の殲滅作戦』の“『女王』の死後48時間以内に感染者全員が末期発症する”という仮定を否定する手段の一つ。

もし、そうだとすると、なんと────愚かなことなんだろう。

もう、手遅れなんだ。私はカラーマグネットを主要地点に置きおわると、今度は梨花ちゃんの捜索の手駒として使える人員を見積り始める。

梨花ちゃんは判っていない。たとえ死体が見付からなくても、今となっては大した話ではない。診療所に入院していた事実。急激な体調不良。そして失踪。────『女王』の異常を示す十分な証拠。これだけあれば、梨花ちゃんの死体の有り無しにかかわらず、『女王』が危機的状況にあることを結論付けることはそんなに難しいことではない。そして、もしそこに『梨花ちゃんの死体を発見した』との“連絡”があれば────真実である必要はない。それらしい情報であれば十分だ。きっかけさえあれば、全ては再び回り始めるだろう。

確かに強引な方法ではあるが────。しかし、梨花ちゃんの失踪は『東京の転覆派』に対しても二択を付き付けてしまった。『自衛隊の殲滅作戦』を強引に実行するか、作戦自体を闇に葬るか。延期するという選択肢はありえない。作戦を再開するために必要不可欠な『女王』が失われようとしているのだから。そして“終末作戦”の実現を望む存在──鷹野さんが、この千載一遇の機会を逃すはずがない。

『東京の転覆派』はどちらを選択するだろうか?

私には判らなかった。

人員の見積りが終わる。希望的観測も含めて見積ったにもかかわらず、それでもなお足りない人員。でも、これで何とかするしかない。

「詩音」私は葛西と話をしている詩音に声をかけると椅子から立ち上がる。「圭ちゃんもレナも来て」

葛西と沙都子も含めた6人で地図を囲う。私はテーブルに積まれた携帯無線機の周波数を合わせ、全員に配る。ホルダーとイヤホンの取り付け方や簡単な使い方を教えると、実際にお互いに通話してもらう。

「時間が無いから細かい所は説明しないけど、これで通話はできると思う。他のところをいじくっちゃダメだよ。電波の状態によって聞き取れなくなることもあるけど、その時は諦めて」

この無線機による情報こそが私たちの命綱になるんだけれど…………仕方無い。

「まず、詩音」私は詩音と葛西の方を向く。「雛見沢のみんなと一緒に山狩りを行って。葛西たちも一緒に。場所はここと、ここ、……ここを、こうたどって」私はテーブルの空きスペースにもう一枚地図を広げると、比較的安全な地域に矢印を書き込んでいく。安全だが、……とても広大な地域。

「その範囲だと────とても人手が足りません。全てを確認するのは無理ですね」詩音が口を挟む。

「うん、判ってる。雛見沢中のみんなを掻き集めてもたぶん足りないだろう。──だけど、それでもやらなきゃいけない」私は頭を上げる。詩音の冷たい表情。「ただ、山狩りするときは、できるだけ賑やかに騒々しく歩いて。遠くに居てもわかるように。みんなに鳴り物を持たせるといいね」

詩音の言葉を遮って葛西が補足する。

「つまりは勢子ですね。洩れ目無く追い立てるのが私たちの仕事です」

「うん、……そう。梨花ちゃんを──追い立てる。こんなことをするのは心苦しいんだけど、一刻も早く梨花ちゃんを掴まえるためにはこうするしかないんだ。梨花ちゃんは正気を失っている。たとえ私たちと出会ったとしても、私たちの言葉にも耳を貸さずに逃げ出すと思う」

「────わかりました。お姉」詩音が葛西に目配せをする。「雛見沢の皆さんには、鳴り物の件を『お互いに所在がわかるように音で知らせあう』と説明しましょう。大石さんたちはどうします?」

「連絡して構わないよ。上手く活用して。ただ主導権は取られないように気を付けて」

「了解。お姉」

そういうと、詩音は振り返りもせずに広間を飛び出す。葛西は地図を持ってその後ろを追い掛ける。

「次は沙都子」私は沙都子の方を向くと、詩音がまとめてくれたバッグを沙都子に手渡す。「これで支度をしてから裏山に向かって。あそこは沙都子しか入れないところだから、沙都子にしか頼めないんだ」

沙都子はバッグをチラリと見ると、一瞬だけ怪訝そうな顔をする。しかしすぐ合点した様子で私に応える。

「わかりましたのですわ。すぐに裏山に向かいますのですわ」

「とても危険なことをお願いするけど──」

「大丈夫なのでございますよ。確かに危険なのかもしれませんのですが、……確かにこれは、わたくしでなくてはできないことなのですわ」

「くれぐれも慎重にね。さあ、支度して」

沙都子が広間から飛び出していく。

「魅ぃちゃん。私たちは何をすれば良いのかな、かな?」

レナと圭ちゃんが私を見つめる。私は少し深呼吸をして地図を見る。

まだ調査すべき地域は多く残っている。だが、その全てを確認することはできない。

選択。間違いかもしれない選択。梨花ちゃんを助けることができないかもしれない選択。だが、私は選択しなくてはならない。

「二人にはここに行ってもらいたいんだ」

私は全ての可能性の中から一つ選び出す。

鬼ヶ淵沼。鬼たちの発祥の地。全ての始まりの地。

私は二人に目配せをする。二人は静かに頷く。

「多分、梨花ちゃんはここにいると思う」

直感めいた確信はある。たぶん間違いないだろうという感触もある。

しかし、それでも私はその言葉を信じることができなかった。

Re: ひぐらしのなく頃に 神落し編結末を皆で書こう♪  ( No.3 )
日時: 2009/11/20 17:17
名前: トム君105 (ID: H6c/o5GF)

うひゃー長いね!!
こんな長いのよく書いたね!!
すげ〜


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