二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- *続き* ( No.161 )
- 日時: 2011/04/09 21:34
- 名前: 桃李 ◆J2083ZfAr. (ID: Ph3KMvOd)
息せき切って駆け続け、二人がたどり着いたのは城の裏庭にあたる森林である。涼しい影から急に、柔らかな陽射しが差し込む森に来たため、二人は自然に瞳を細めていた。そして目をこらし、影に隠れた少女の姿を探し始める。
すると、突然耳に優しい音色が届いた。弦楽器の音であることに間違いは無いのだが、ひとくくりに弦楽器と言い表すには、惜しいもので。誰もが一度は立ち止まる、その極上の音色は、二人の探し人であることに違いない。城に仕える者しか知らぬその音色が、何よりの証拠であった。
「この奥か……」
小さく呟き、面倒そうに歩き出す豪炎寺の背中を、しぶしぶ追いかける鬼道。革靴が芝を踏むたびに、暖かい春の匂いが鼻腔をくすぐった。小鳥のさえずりが、いつもより近くに感じられる。賑わう街とはまた違った魅力を持っているのが、人を支配し、また人の支配下に置かれている"自然"の特色なのだろう。
足を進めるたびに近づく、美しい弦楽器の音色。聞き覚えのない曲だったが、彼女のことだ。また新しい曲を暗譜したのだろう。いつもは穏やかで、人よりもおっとりしているのだが、音楽となると彼女は脅威の記憶力を発揮するのだ。勉強も人並以上に育てられてきたが、今までに何人の家庭教師が、しっかりと使い分けされてきた記憶能力に溜め息を吐いてきただろう。家庭教師だけではない。身の回りの召使も、その被害者なのである。
「……あ、」
鬼道は無意識に、ふと声を零す。紅い瞳の視線の先には、ヴァイオリンの演奏している少女の姿があった。柔らかな茶色の髪を肩までの長さに切りそろえ、薄桃色の瞳には幸福が映し出されている。布がたっぷりとあしらわれたドレスは、少女の品の良い立ち振る舞いを、さらに引き出していた。唇はにっこりと弧を描いており、楽しそうに華奢な身体を揺らしている。
彼女こそ、もうすぐ十四歳を迎える一国の姫君————桃花なのであった。
桃花は少年達の存在に気が付いていないのか、演奏を続けている。隣の切り株には、歳が近そうな女の子が二人、目を伏せて桃花の演奏に聞き惚れていた。小鳥さえ、さえずりを遠慮せざるを得ない。それもそのはず。この演奏は、限られた人間しか聞くことを許されていないのだから。
いつしか演奏は終了し、ぱちぱちとまばらな拍手を浴びた桃花は、恭しく一礼した。表情は、達成感で満ち溢れている。鬼道はタイミングを見計らい、一歩足を踏み入れる。草が踏まれる音が聞こえたのか、桃花ははっとしたように振向き、見開いた瞳に驚愕の色を浮かべた。
「あれ……お二人とも、どうしたんですか?」
自分が捜されていることを知らないのか、あどけない笑顔を見せる桃花に豪炎寺は厳しい口調で語りかける。
「桃花、勉強はどうした?」
「今日の勉強は夜からですよ。まだじゃないですか」
きょとんとしながら首をかしげ、ヴァイオリンを抱えなおす。豪炎寺もこれには面食らったのか、深い溜め息を吐き出した。再度、視線を交差させると呆れたように話し出す。
「勉強時間が夜へ変更になったのは、明日の話だぞ? 今日は、いつも通りだ」
豪炎寺の言葉を聞いた桃花は、しばらく俯いていた。が、小さく声をあげ顔を上げると、その表情は焦りに満ちていて。少し、いじめすぎたか。心の中で笑みを漏らす豪炎寺とは裏腹に、桃花はあたふたと慌て始める。
「珠香ちゃん、紺子ちゃん……ど、どうしよう。先生に怒られちゃうかも……」
「大丈夫だよ! だって最近、ヴァイオリン演奏してなかったんでしょ? たまに演奏してあげないと、"天使の歌声"が鈍っちゃうって!」
"天使の歌声"。それは、桃花が所持するヴァイオリンにつけられた異名だが、確かにこのヴァイオリンはその名に恥じない音色を醸し出している。もう何百年も昔に作られたヴァイオリンだが、音色の質は落ちていない。さすが、この国一番の名手がつくった楽器だ。魔法がかけられているかのように、楽器自体の質も音色も全く褪せることがない。
「きっと先生も、わかってくれると思うな」
先生、音楽大好きなんでしょう?
穏やかな笑みを浮かべ、紺子はのんびりと呟いた。そんな紺子に、桃花は抵抗の言葉を投げかけたが、すぐに口をつぐんでしまった。今更焦っても仕方が無いことに気が付いたのだろう。ぼそぼそと謝罪の言葉を呟いている。
「謝ればきっと、許してくれるよね」
「そーだよ! もう何年、桃花ちゃんに勉強教えてると思ってるの?」
珠香の言葉に返事は返ってこなかった。代わりに、ごそごそと楽器をケースに仕舞いこむ音が、静寂の波紋が広がる森に響く。ヴァイオリンを肩に背負い、空いた左手でドレスをつまむと、鬼道と豪炎寺に一礼し、一目散に駆け出した。慌てる姿にさえ品が感じられるのは、やはり育ちのせいなのだろうか。
桃花の背中が遠くなっていく方向から、聞き覚えのある凛々しい声が響いた。澄んだ青空でそのまま染めたようなポニーテールが、不安げにゆらゆらと揺れている。桃花を探しているうちに緩んでしまったのだろうか。それでも風丸の表情は、明るい太陽のように晴れ渡っていた。安堵の色が紅い瞳に映し出される。
「おーい! 捜索、ご苦労だったなー!」
「ほっとしている暇なんて無いぞ、風丸。パーティー会場の最終確認も控えているんだからな」
叫び返した豪炎寺は、何かを思い出したかのように振向き、鬼道の正面に立つと、
「協力に感謝する」
と、短い礼を述べ、風丸のほうへと走り去ってしまった。取り残された鬼道は、一人呟く。
「……俺がここに来る意味は、あったのだろうか?」
いつの間にやら、メイドの姿も消えており、本格的に独りぼっちになった鬼道は、乾いた笑い声を喉の奥から零すと、ゆっくりと目を伏せた。
平和以外に表しようがない、今日この頃。誰が想像していただろうか。今、この時間にも姫を消すための魔法が、ちゃくちゃくと進んでいたことに。同時に、絡み合った運命を直すための少年が、悲しき夢を見たことに。
————国の向こうの大きな森で、闇色の魔女が、嬉しそうに微笑んだ。