二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

*続き* ( No.211 )
日時: 2011/05/29 14:30
名前: 桃李 ◆J2083ZfAr. (ID: MsIbxfYV)



 遠くにいる少女は、誰なのか。かすかだが見覚えがあるその姿に、桃花は息を呑み、言葉を失った。
 ——なぜ、幼き日の私がそこにいる?


 にっこりと無邪気な笑みを浮かべる少女に、問いかけることなどできない。


**


 あれは、いつの事だったか。
 霧が掛かったかのようにはっきりしない、記憶の海。まだ、読み書きも不安定だった歳の頃か。ヴァイオリンを初めて弾いた時のことか。あるいはそれよりもずっと——遠い遠い、昔の記憶。


 空には灰色の厚い雲がどこまでも広がり、対照的な純白の粉雪を散らしていた時期。寒さが厳しい日が続き、よく台所へ駆けていった。城内で一番、ふくよかな女中長の腕の中で眠る為に。あの女中は、来てはいけませんよと私を叱るくせに、優しく抱きしめてくれて——、あぁ、そういえば。
 とある大臣からプレゼントされた薄い黄色の、シルクのドレス。その年、一番最初に貰った誕生日プレゼントで、はしゃいでいたのだ。そして皆に見せてこようと思い、その女中のところへ向かおうとして……、その音を聴いた。




 "きー、からん。きー、からん。"




 初めて耳にする音色。なぜ自分があの音に惹かれたのかはわからないが、じっと耳を澄ませ続きを待っていた気がする。ドアに耳を立て泥棒のようにひっそりと、息を潜めながら。
 なぜ、隠れなければならなかったのか。それはきっと、大人になってもわからないのだろう。子供には、子供にしか無い"感性"がある。それをすっかり記憶の箱に閉じ込めることで、人は"大人"へと成長するのだから。
 入っちゃいけない。聴いちゃダメだ。そんな声が脳内に響く。けれど、忠告を受け余計に倍増した好奇心に、子供心が勝てるはずもなく。チョコレート色のドアに飾られた金色のドアノブ。少し背伸びをして、回してみる。


 カチャリ、と。


「……だぁれ?」


 奥にある窓からは、眩い光が漏れ出していた。刹那、目を細める。黒と白がチカチカと点滅しあい、そして消えた。
 長いスカート——目だった飾りは一つもなく。暗い影のせいでよくは見えなかったが、それは召使達の服によく似ていた。名前を尋ねたものの、結局私は、彼女の名前を知ることもなくその場を去ることになる。私の視線は、部屋の中央にたたずむ一つのソレに奪われていたからだ。そうだ、あの時だ。あの時、初めて私は、
 "糸車"を目にしたのだ。


 出逢ったしまったその場所に、いったい誰がいたのか。
 今となってはもう、知る由も無い。


**


「大丈夫かしら、お姫様」
「……えぇ、貴女に心配されることではありませんから」


 そう、と独り言のように呟いた瞳子は、桃花から窓の向こうへと視線を移した。空はまだ、青い。
 はっと我に戻った桃花は、左手でごしごしと目を擦る。今のは、いったいどんな魔術なのだろう——考えて答えがでるはずもなく。もともと、魔女とこうして言葉を交わすことさえ初めてなのだ。赤ん坊の頃、一度は会っていたらしいが。

 例えるならばそれは、


「白昼夢、」


 としか言いようがない。はっきり呟いたにも関わらず、瞳子はこちらに振向かない。やはり彼女は何かを知っているのだろう。だが、聴くに至らない。聴いて答えてくれるほど、親切ではなさそうだ。


 羽織っていた黒いローブから、瞳子の白い腕が伸びる。人間離れした美しさ、と言うべきか。そのうち腕はまっすぐ糸車を捕らえる。また、糸を紡ぐのだろうか。そう考えた刹那、桃花の両腕は反射的に耳を覆っていた。

 この音はどうも、好きになれない。
 勝手に動いた身体を見て自嘲的に笑うと、桃花は薄く微笑む。今まで、数多くの音色——自然のものから日常生活に根付いたものまで——を堪能してきたが、音を嫌ったのは初めてだ。転がるような音を楽しいとは思うものの、絶対に聴きたくないと身体が反応するほどなのだ。拒絶反応、そんな言葉が脳裏を過ぎる。


 だが、その音は聴こえてこなかった。
 ふと顔を上げると、小さく笑った瞳子がそこにいて。そんな表情もできるのかと、疑問に思う。戸惑う桃花はお構い無しに、瞳子は笑う。


「貴女も糸を、紡いでみる?」


 悪魔の囁きを、吐き出して。