二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

Re: 少年陰陽師*燈織開伝 ( No.2 )
日時: 2011/06/02 21:11
名前: 翡翠 (ID: a2Kit7un)

「…狭い」

ぼそりと呟くと、暗闇の中からこそこそと返答があった。

「しかたないだろう。これでも精一杯はしに寄ってるんだ、文句言うな」
「私のほうが大きいから窮屈なの。もうちょっと詰めてってば」
「だから、これ以上は寄れないっての」

ぼそぼそと、だが少しずつ会話は刺々しくなっていく。
漆黒の闇に、大仰なため息の音が響いた。

「まったく、もうちょっと考えようがあるだろう? なんだってこんな地味でかつおそろしく気の長いしかもあまり有効じゃなさそうな手しか出てこないんだよ」
「だったらもっくんは何かいい手でもあるんだ?」

明らかに気分を害したらしい声が、不満たらたらで言い募ると、もう片方はすぱんと切り返した。

「そういうのを考えるのはお前の仕事。人に頼ってどうするよ」
「……」

黙り込んでしまった相手に、「もっくん」と呼ばれたほうが更にたたみかけた。

「あーあ、今夜も収穫なしか。これでまた朝になったらすごすごと肩を落として帰るわけだろう? 張り込み始めてはや四日、俺はそろそろ邸でのんびり休みたいね。夜ってのは眠るためにあるんだからさ」

一瞬の沈黙の後、返ってきたのは不機嫌率八割突破の低い声。

「…だぁったら、付き合ってないでさっさと帰ればいいじゃないっ!
第一、物の怪のもっくの分際でのんびり休むだの夜は眠るためにあるだの、いけしゃぁしゃぁと言わないでっ!」
「おっ、そんなこと言っていいのか? 俺がいなかったら心配でしょうがないじゃんか。お前まだまだ半人前のくせに。あーあ、あの小さくて可愛い燈織はもういないんだな、ほろほろ」

わざとらしくさめざめと泣くそぶりを見せる相手のほうをじっとにらみ、燈織は冷たく返した。

「…もっくんと初めて会ったのは確か数ヶ月前で、私はすでに十三歳だったはずなんだが、どうして『小さくて可愛い』なんて台詞が出るの」

いくら目を凝らしても暗いばかりの空間に、かすかに笑う気配がする。

「……あ、ばれた?」

燈織は怒りと呆れのないまぜになった息を吐き出すと、ふと眉をひそめた。
ざわざわと、冷たい何かが接近してくる。
それは、常人には感じ取ることの出来ない特異な存在。
だが、多少勘の良い者ならば、気配くらいは分かる。
更にその上をいくものには、おぼろに、あるいははっきりと、見えるだろう。
 じっとりと、燈織の額に汗がにじんだ。

「……来た」

奴はこちらが姿をさらしていると現れない。
三日待っても駄目だったので、今夜は姿を隠してみた。
自分の判断は正しかったようだ。
 さて、これからどうする。やはり一気に片をつけるために、ぎりぎりまで近寄ってきてから飛び出すのが得策か。
 こそりと、緊張した硬い声が燈織の耳に届いた。

「ぬかるなよ、晴明の孫」

ぶちっ。
頭のどこかで何かが切れた音がする。
反射的に燈織は怒鳴り返した。

「孫、言わないでっ!」

がたがったんという派手な音が、彼女の声に重なった。
思わず立ち上がった拍子に、身を潜めていたからびつのふたが勢いよく飛んでいってしまったのだ。
ぱあっと開けた視界。
ときは夜半をかなりすぎた頃。
ところは今にも崩れ落ちそうなあばら家で、穴のあいた屋根から月明かりが差している。
真っ暗で窮屈だった、からびつとはうってかわった明るさと開放感の中、燈織は足元をぎっとにらんだ。

「なんども言うけど孫言わないでっ! わかったかなっ、物の怪のもっくんっ!」
「そういうお前ももっくん言うな」

四足の生き物が、燈織の足元で偉そうに目をすがめた。
それは、大きな猫のような体躯をしている。
だが、猫でも犬でもない。ましてや他のどんな動物とも違う。
こんな生き物は、誰も見た事が無いだろう。
額には紅い模様があって、それが花のように見える。
耳は長く後ろに流れて、首周りを、まるで勾玉の首飾りのような形の突起が一巡している。目は丸く、透き通った夕焼けの色。
 随分可愛げのある姿かたちをしているが、これは紛れもなく化け物なのだ。化け物、妖、異形、妖怪、化生の物、物の怪。
色々な呼び方があるが、燈織はとりあえず物の怪のもっくんと愛称で呼んでいる。
だが、当の物の怪はそれがあまりお気に召さないらしい。
そもそも物の怪というのは恨みつらみを持って死んだ人間の霊であって、自分のような異形の妖とはまったく別物なのだ、というのがもっくんの言い分だ。
 対する燈織は、「いいじゃん別に、たいした違いじゃない」と取り合わないので、物の怪は不本意ながらも「もっくん」と呼ばれている。
 細い尾をぴしりと揺らして、燈織をじっと見据えていた物の怪は、その目をついと動かしふてぶてしい表情を作った。

「おい」
「なによ」
「前」
「あぁ!?」

半分喧嘩腰になりながら視線を向けて、燈織はひくっと息を呑んだ。
目と鼻の先にいる、大髑髏。
すっぱりきっぱり忘れていたが、そういえば本来の目的はこいつだったのだ。とっさに動けない燈織の前で、大髑髏はその巨大なあぎとをくわっと開いた。

*     *      *


長岡京より平安京に、遷都が行われてから、およそ二百年ばかりすぎた頃。都には、無数の妖が跳梁跋扈して、人々の日々の安寧を妨げていた。いま、燈織と対峙している大髑髏も、そういった妖怪のひとつだ。
燈織は、その氏を「安倍」という。
今年で十三歳になったが、元服はまだだ。
近いうちに執り行われることになっているのだが、まだ吉日が判明していないので確定はしていない。
 元服の日取りを決めるための卜占は、祖父が行う事になっている。
燈織の生まれた安倍家は、代々陰陽師を生業としているのだ。
 さて、安倍燈織は、非常に有名な祖父を持っている。
その名は安倍晴明。希代の大陰陽師、「あの」晴明である。
もはや語る必要もないほど有名な祖父を持つ燈織、それゆえに彼女はよく、こう呼ばれるのだ。
 あの晴明の孫、と。
本人的に、非常に不愉快であるのだが。