二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

Re: 少年陰陽師*燈織開伝 ( No.5 )
日時: 2011/06/03 18:17
名前: 翡翠 (ID: pVjF2fst)

「思うんだけどな、燈織」
「……なによ」
ほこりまみれの物の怪が、感慨深そうに口を開く。

「やっぱり、運がいいっていうのは大事だよ。日頃の行いに関してはあんまり自信を持てなくても、運がいいだけでやっていけるもんだって」

同じくほこりまみれの燈織が、さすがに力なく座り込んでいる。

「私の日頃の行いがいいから、梁にも屋根にもつぶされずにすんだんたって、どうして言わないかなぁ」

渋面を作る燈織に、しかし物の怪は答えず周囲をぐるりと見渡した。
見事に倒壊したあばら家の残骸が散乱している。
燈織と物の怪がいた場所は、太い梁も柱も近くになかったため、つぶされることもなく、頭に少しこぶを作っただけですんだ。
 が、燈織は知っている。倒壊の瞬間に紅い閃光がほとばしり、現れた人影を。自分の頭上に落下してきた屋根を、無造作に払いよけたたくましい腕を。いくらなんでも、自分がほこりと破片をかぶったくらいですんだのは、運などでは決してない。
 そして、全てが収まると同時に人影は消えて、自分と物の怪が残った。

「あーあ、あちことぶつけちまった」

傍らで、顔をしかめながら大きく伸びをしている物の怪をじっと見つめて、燈織はなんともいえない笑みを浮かべると、こらえきれなくなったように大きなあくびをひとつした。

「…ふぁ〜あ…ねむい…」

三日の徹夜にくわえて、四日目の晩は大暴れ。
さすがに限界だ。
安心したのも手伝って、まぶたが鉛のように重くてしかたがない。
 ぐらぐらと船を漕ぎ出した燈織に、物の怪が慌てて立ち上がった。

「こらこら、寝るな。こんなところで寝たら、虫に食われるぞ、節々痛くなるし、…て聞いてないだろうっ」
「うー」

枕にぴったりな木片に頭を乗せて、燈織はそのまま夢の世界に旅立ってしまった。物の怪は容赦なく燈織を揺さぶる。

「でぇいっ、起きろ晴明の孫っ! 孫ったら孫っ!」

しかし、叫ぼうとも揺さぶろうとも、燈織は健やかな寝息を立てたまま、絶対に目を覚ましはしなかった。
禁句である「晴明の孫」を連呼されても反応しないのだから、完全に熟睡だ。

「捨ててくぞ、ちくしょーっ」

物の怪の情けない声が木霊する。
藍色だった東の空は、薄紫に変ろうとしていた。


気がつくと燈織は、しとねの上にころがっていた。

「……はれ?」

起き上がって周囲を見まわしてみる。
見知った天井と調度品。
日に焼けた御簾に屏風、風に揺れる几帳。
はしのほうに積み重ねられている大量の書物に巻物。
 間違いない、自分の部屋だ。
彼女の傍らでは、物の怪が腹を見せて仰向けになって寝ている。
いくらなんでも、無防備すぎるきらいがあるのではなかろうか。
仮にも物の怪が腹を見せて、そもそも寝るのか、普通。
 思わず額に手を当てた燈織だったが、心配ないのかと考え直した。
この邸に下手に手を出せば、大陰陽師安倍晴明が黙ってはいない。
更に、ここには晴明の息子である吉昌もいる。
天敵である陰陽師がぞろぞろといるこの邸に攻撃してくる妖怪は、さすがにいないのだ。
 燈織は自分の姿を見下ろした。
身に付けているのは単一枚。着ていたはずの狩衣も狩袴も、ぐしゃぐしゃになって置いてある。申し訳程度にかけられていた衣は、おそらくふたの外れたからびつから適当に引っぱり出したものだろう。
 紐でくくられた髪の先はほこりっぽく、よくみれば土がついている。
などなどという状況をまとめて分析してみた結果、どうやら自分は、物の怪にここまで引きづられて帰ってきたらしい。
物の怪の小柄な身体で背負ってくるのは無理だったのだろう。
 それにしても。

「別にあのままあそこで寝てても良かったんだけどな」

かりかりと頭をかいてひとりごちると、それまで寝ていたはずの物の怪の足が、燈織のわき腹を蹴りつけた。

「きゃっ」

奇襲にあった燈織は、攻撃された場所を両手で押さえながら物の怪を見下ろす。ひょいと起き上がった物の怪は、仁王立ちになってふんぞりかえった。

「礼を言え、礼を。殴っても蹴っても起きないお前を、俺は一生懸命運んでやったんだぞ」

しかし、燈織は物の怪の言うことを聞いていない。
ぐしゃぐしゃのまま放置されていた狩衣と狩袴を広げて首をかしげている。

「うーん、汚れてるけど破れてはないね。引きずってこられたからには覚悟してたんだけど。別にどこも痛くないし」
「お前なぁ、誰かが話してるときはちゃんと相手の顔を見て目を見て話を聞きましょう、て教わらなかったのか」
「あ、もしかしてもっくん、板か何かに私のことのせて来たんだ? 頭いいなぁ」
「あ、そうそう。さすがに着物破けたらかわいそうだと…て、ちがうっ」

ついつい燈織の話につられてしまった物の怪は、途中ではっと我に返るとわめいた。

「いくら五月半ばとはいえ、明け方は冷えるからと思っていっしょうけんめー運んでやったっていうのに、燈織、お前って奴は、血も涙もない奴だなぁ。ああ、昔はあんなに可愛かったのに」
「昔っていつよ、数ヶ月前は昔とは言わないって」

燈織は首を傾けて天井を見上げた。
とにかく眠かったからぁと心中でつぶやいて、でも、と燈織は笑った。

「もっくん優しー。ありがと」
「誠意が見えない礼の言い方だなあ」

半目になる物の怪の背を軽くたたいて、燈織は拳を握り締めた。

「さて、大髑髏も退治たことだし、大威張りでじい様に報告できるぞ」

見たかたぬき爺め、私はちゃんと祓ってきたよ。

「———それなんだがな、燈織」

燈織の横でおすわりをしていた物の怪が、上目遣いに見上げてきた。

「あれ。晴明から」
「じい様から?」

物の怪は文机の紙片を指している。
着物を放ってそれを手に取り、達筆な文字を目で追う。

「…………」

だんだん燈織の顔が剣呑になり、紙片を持つ手に力がこめられ紙にしわが寄る。やがて彼女はふるふると肩を震わせ始めた。
 ぐしゃりと握りつぶされた晴明からの文、それにはこのように書かれていた。

『ひとりで祓ったにしても、あばら家倒壊はいかんなぁ。夜中の騒音公害で近隣住民に迷惑をかけたことをちゃーんと自覚するように。まだまだ半人前だのぅ。ばーい晴明』

つまりあれか。晴明は遠見の術か何かを使って、孫の動向の一部始終をいつものように高みの見物をしていたと、そういうことか。

「……」

触らぬ神になんとやら。
心得ている物の怪は、燈織と距離を取るためにそろそろと後退る。
そして燈織は、丸めた文を壁に向かって振りかぶりながら叫んだ。

「あんのクソジジイ————っっっっ!」