二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

Re: 曇天 二度寝は命取り。up ( No.110 )
日時: 2009/02/23 22:55
名前: 護空 (ID: bG4Eh4U7)

 感動の再会から数時間、日はとっぷりと暮れて、辺りは真っ暗になった。新しいベッドが入った丹波の病室は元通り、花や手紙で一杯になっている。
 何もかも、元通り。
 その白いベッドの周りの床には、毛布にくるまれた沖田と、神楽と、新八が寝ている。近藤と土方は屯所に一度戻っていた伊藤から電話を受け、仕事のためにかなり前に屯所に帰宅した。そして今、丹波はベッドに横になり、銀時は丹波のベッドに腰を下ろしていた。
 特に言葉はない。丹波は天井にある黒い染みを眺め、銀時は胡座をかいた太股に頬杖をついて、花束の散っていく花びらを目で追っていた。
 病院内で起きているのは、おそらくこの二人だけであろう。しんと静まりかえった病棟は、隅から隅まで墨汁をぶちまけた様な冷たい空間。しかし、丹波の病室は毎晩の様に、月明かりに照らされて、白く冷たく輝いていた。
 だからといって、深海の中に光る真珠の様、なんて大層な物ではない。そう、例えて言うならそれは、冬の暗がりの中に立っている、一つの街灯の様な、そんな感じであった。


 17
 覚えてろとは言わない、忘れるな。


 薄暗がりの中で、銀時は怒っていた。怒っていたと言っても、子供が怒るときの感情的な怒りではなく、疑問から生まれた小さな怒りが熱され、ふつふつと音を立てている様な、静かな怒りであった。
 原因は丹波の煙管。
 あれは、丹波が松陽先生から貰った大切な物だと聞いていた。しかし、あいつの煙管は松陽先生が死んで、戦が始まってから、忽然と姿を消す。それに疑問に思い、銀時達が何度問いただしても、丹波はそれに関して口を開くことはなかったのだ。

 そして、戦争中に丹波が崖から落ちた、その夜だった。

 行燈の灯が頼りなく揺らめく和室に、銀時と坂本と、桂がいた。
 丹波との突然の残酷な別れに、口を開く者は誰一人居なかった。銀時は特に、何故自分は、大切な者を殺してのうのうと生き残っているのだと、自分を責め立てていた。
 血と、雨と、泥の匂いが入り交じる、空気的にも思いその部屋に、一人の男が現れた。
 神経が敏感になっている三人の身体が思わずぴくりと反応し、個々の空いている手は刀の柄に触れていた。
「なんじゃ、晋助じゃなかか。驚いたぜよ」
 仲間の顔が見えた途端に、それぞれが刀から手を離す音が灯を揺らす。四人、車座になって腰を下ろすと、高杉は「見せたい物がある」と言って懐に手を突っ込んだ。
「なんだ、手みやげでもあるのか?」
 桂が少し、冗談を交えて皮肉った様な言い方をして問うと、高杉の懐から、絹布に包まれた煙管が姿を現した。黒い漆に、桜の花びらと白い波。間違いなく、行方不明になっていた失者であった。
「丹波から預かったモンだ」
 銀時達は驚きのあまり、声すら出せない。高杉は赤く晴れ上がった目で、愛おしそうにそれを見つめると、言葉をつなげた。
「戦が始まってから渡された。生きていたら、返しに来いとよ」
「そう言って桜が、おまんに渡したかが?」
 坂本の丸い瞳が煙管を移す。高杉は黙って縦に首を振った。
「俺ァ、生きていると信じてる。これを返すまで、俺は死なねェ」
 この間まで、自殺志願者の様な言葉を口にしていた奴の口から、死なない。と否定の文を初めて聞いた。
「丹波の遺書のようなものか」
 桂は、腕を組んだまま顔を伏せた。
 銀時はずっと黙っていたが、自分の中に生まれる、なにか黒く汚い物を感じていた。これは、松陽先生が殺されたときに生まれた、それとよく似ていた。
 思い出すたびに、言葉に表しがたいその汚水が、嫌な音を立てて吹き上がってくる。
 飲み込むには、それ相応の努力が必要になるであろう、真っ黒な汚水が。

「なぁ」
 丹波が布団の中から呼びかけられ、銀時は、あ?と短い反応を示して振り返った。ベッドのスプリングがその反動でギギッときしむ。
 彼女は忌々しい、黒漆の煙管を手に、銀時に聞いてきた。
「なんで俺がこれ、お前じゃなくて晋助に渡したか、知りたいか?」
 銀時の胡座をかいていた太股に付いていた頬杖が、静かに解かれた。まるで、心を見透かされた様な気持ちに、少し戸惑う。
 丹波は上半身を布団から出し、鉄パイプの堅い背もたれに枕を押し当てて、深く胡座をかいて座った。目はまだ左手の煙管から離さず、銀時の返事を聞かずに勝手に口を動かした。
「晋助、きっと死んじまうだろうと思った。松陽先生が死んで、あいつも死んじまうんだろうって。あいつは弱いから」
 銀時は黙って聞いていた。何か批判する様なことも言わず、態度にも示さない。ただ真っ直ぐな視線を、煙管を見つめている綺麗な侍に向けていた。
 その侍の言葉が少しずつ、汚水をゆっくりと浄化していった。
「だから、俺はコレ使ってあいつをこの世に縛り付けた。俺が生きてたら返しに来い。そう言えば、あいつは絶対死なねぇって知ってたからだ。…なにが言いたいか、分かるか。銀」
「なッ」
 顔が熱くなっていくのが分かった。子供の頃の呼び名で久しぶりに呼ばれ、くすぐったくなった。それがバレない様に顔を伏せてかぶりをふる。卑怯だ、反則だ。などと頭の中で文句を言ってみるが、「銀」のたった二文字でその気持ちは恥ずかしさへと形を変えていく。
 そんな白夜叉の表情を見て、彼女は少し微笑んで続けた。
「お前を信用してたんだ、銀。お前なら、縛り付けなくても、きっと俺を待ってくれる。そう思った」
 丹波は口を動かしながら、銀時の手にそっと煙管を置いた。
「桜…」
「俺が死んでも、一生離すな。これは枷じゃねぇ、信頼だ」
 意地悪な餓鬼みたいな表情を浮かべ、一片の曇りもない青い瞳が笑う。受け取った方は受け取った方で、顔を耳まで真っ赤にしながら、置き場のない照れと恥ずかしさに慌てふためき、それと同時に汚い感情を抱いていた自分を、崖の下に突き落としたい衝動に駆られた。
 しかし、もう嫉妬心の様な、汚い感情は、心の中にはないと銀時は確信した。
 丹波はそんな銀時から、視線を沖田に移した。彼の栗色の髪は、白い光を浴びて水面の様に光を反射させていた。起きる気配はない。
 ドS王子の昼間の悪魔の顔からは想像もつかないほどの、綺麗な天使の様な寝顔。それが銀時に関しては小憎らしささえ覚える。
「こいつらが居る内は話せなかったからな」
「あー、まぁ。そうだよな」
 頭をかきながらつぶやいた。コイツ等の前じゃ、俺たちが殺されかけねぇ。と、丹波はそれを聞いて悲しそうに苦笑した。
「ああ、やっぱり晋助も、ヅラも追われてるのか。まぁ、坂本は心配ないとして」
「ん?ああ、高杉は変わんねぇが、ヅラは柔らかくなった。坂本もまぁ、もともと喧嘩はガラじゃねーし。元気っちゃ元気だ」
「ホントか?そりゃ何より」
 丹波は嬉しそうな表情を見せた。そして、あとは晋助だけだな。といやみ混じりにつぶやく。しかし、その笑顔は少し苦く、苦しい感情を銀時に与えた。
 すると、丹波が思い出した様に、あ、と声をあげた。身体が小さく跳ねる。
「んだよ。びっくりすんだろ」
「そういや、松陽先生に会った」
 は?と間抜けな声を発し、銀時の言葉が続かなくなった。
 しばらくの沈黙、丹波は目を合わせなくても、この話を聞いた銀時の表情が手に取る様に分かった。紅い瞳を丸くし、きっと自分を見つめているのだろうと。現実的に考えて、そんな奇跡の様な話、信じる方がおかしい。だが、丹波は信じてもらえなくても、銀時にはこのことを伝えておきたかった。
「な、なに言ってんの?お前」
 やっと言葉発した言葉は、丹波の想定の範囲内、予想通りに近かった。
 初めて二人の視線が交わる。耳は赤いまま、赤い瞳に青い瞳の侍が映る。銀時は放心状態からやっと抜け出した様な顔をした。
「夢だか、あの世だか区別が付かなかったけど」
 ほほえみ混じりに、丹波は身体の体重を枕に預けた。さっきよりも高い音で、ベッドが悲鳴を上げた。それがスイッチになったのか、銀時には今まで感じたことのないものを、丹波から感じた。
 早く伝えたくて押さえていた感情が溢れ、彼女の口は動きっぱなしになっていた。
 口数の少ない、普段の彼女じゃ、あり得ない光景。銀時は本当に驚いて、口をうっすらと半開きにしてじっと見つめた。
「お前も、俺も、晋助も、ヅラも、こーんなちっこくって懐かしかったなぁ。そうそう、あの銀杏坊主の樹に登ったんだ。夕焼けが綺麗でよぉ、村中オレンジ色だった。その帰り道に先生と会ったんだ。俺のこと呼んでくれた。俺、夢ん中じゃ髪黒かったんだぜ?目も黒かったのにさ、先生は、俺のことを忘れちゃいなかった。だって、桜って…」
「桜」
 見ていられない。
 たまらず声を殺す様に小さく名を呼んで、丹波の身体を押し倒した。首に押しつける様に顔を埋めて、抵抗できないくらいきつく抱きしめた。力が強すぎたのか、微かな呻き声が耳を突いた。
「おっ、おい。ぎ…」
 慌てた様な声が聞こえるが、身体を引きはがそうとする様な動作はせずに、身体に力が入る気配がない。抵抗してくるだろうと予想し、身構えていた銀時からしては、少し拍子抜けした、と言うのが正直な感想。でも少し、なんとなく嬉しかった。
「俺は、忘れたことねぇぞ。お前が、いなくなってからずっとだ」
「…おう」
 低い声でそう言うと、丹波は天井を見つめたまま、短く返事をした。丹波の体温が、鼓動が、しっかりと身体に染み渡っていく。
 すると、自分の髪の毛に、丹波の細い指が埋まった。猫の毛を撫でる様に滑る指が、気持ちよかった。
 昔に感じたことのある感覚。暖かく、疲れが溶けて体外に流れていく様な妙な感覚。

 ふと、松下村塾に拾われた日のことを思い出した。
 一つの布団に小さな子供が二人、身を寄せ合って寝た、あの夜を。
 雨の下で、もう血生臭い地面を嗅ぐことはないのだと、
 初めて感じて、
 桜の胸に顔を埋めて泣いた。
 それでも、あいつは泣かず、小さな手で俺の髪を撫でた。
 先生の部屋から漏れる行燈の光が、自分たちのいる薄暗い部屋を照らした。
 暖かい体温を感じ、鼓動が聞こえる。
 自分の啜り泣きと一緒に、

「銀?」 
 目から思わず溢れ出したソレは、止まることなく、止めどなく流れ、しっとりと丹波の頬を濡らした。彼女は頬が濡れたのに気が付いたらしく、動かしていた手を止めた。
 自分でも驚いている。こんなに簡単に、感情が溢れるものなのかと。銀時は腕の力を強めた。丹波は黙って、再度指を滑らせ始めた。
 
 でも、あの時の涙も、今日の涙も、何ら変わりはない。
 苦しくて泣いているのでも、悲しくて泣いているのでもない、しかし、嬉しいというわけでもない。
 独りじゃない、安堵の涙。

 それはどんなものよりも、暖かく、彼女の頬を濡らした。