二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

Re: 曇天 空白。up ( No.120 )
日時: 2009/03/28 00:27
名前: 護空 (ID: bG4Eh4U7)

「丹波のこと、頼んだぜ?」
「おう、こっちは任せておけ」
 まだ酔いの醒めきらない表情で、銀時は寝息を立てて眠りこけている神楽を背中に負ぶさり、眠い目を擦っている新八の手を握り、近藤にしつように念を押してから、静まりかえった屯所に背を向けて出ていった。彼が丹波を屯所に置いていった理由は一つ、次の日に丹波のことを新八と神楽に説明するためであった。
 近藤は小さくなっていくその背中を見ながら、ほんの少し昔の自分と姿を重ね合わせ、暗がりの中を遠ざかっていく淡い過去に、秘密の別れをこっそりと告げた。
 戸を閉め、振り返ると、少しくたびれてきた蛍光灯の下で、首にタオルを引っかけて、銭湯で使うような小さな桶を小脇に抱えてたたずむ、丹波の姿があった。
「お、どうした。起きてたのか」
 近藤が笑顔で問いかけると、丹波は小さく頷いた。そしてなぜか、少し顔を赤らめたような表情をして、意地を張ったような口調で言った。
「風呂、いいか?」


 20
 男も女も、背中で語れ。


「えっと、風呂はここだ。終わったら俺の部屋に来てくれ。そこの廊下を曲がって一番奥だ」
 わかった。と小さく頷く彼女は、頭一つ分ほど大きい近藤を見上げた。その目には、少しだけ沖田と同じような、心の中のたくらみが浮かんできて、微かに鈍い光がよぎっている。近藤は僅かな悪寒を感じた。
「…絶対開けるなよ」
「えっ」
 湯ののれんのかかった戸の前で、丹波は少し悪戯まじりに言い放った。近藤は少し焦ったような声をあげると、すぐにぎゅっと口を結び、胸を張って答えた。
「近藤勲、そのような武士道に恥じるような行為は絶対しねぇっ」
 冷や汗が滲んだその表情をしげしげと見つめ、丹波はくすりと笑うと、冗談だよ。と一言言い置き、近藤に背を向けて紺色ののれんをくぐった。
「頼りにしてるよ。局長さん」
 彼女の姿が見えなくなった後に、近藤はふうと一つ息を付いた。
 頼りにしてる。そんな言葉が焦りと、冷や汗の後に脳裏に蘇った。心がその言葉にあるかどうかは、確認しがたいが、そこに心が無くてもその言葉は、素直に喜べるものであった。
「…なんで俺、ドキドキしてんだ」
 近藤は胸中に感じる妙な熱に自分自身少し驚きつつも、陰が溶け込む暗い廊下を通り、自分の部屋へと戻っていった。
 近藤が廊下の板を軋ませる音が、微かに脱衣所まで聞こえてくる。その音が遠ざかり、戸が開け閉めされる音まできちんと聞いてから、丹波は殺していた息を吹き返し、肩を降ろした。ここで丹波は帯を緩め、軽く手のひらで皺を伸ばしてからかごの中に放る。着物もそうやってからかごに放り込むと、銀時に持たされた少しサイズの大きい浴衣を、隣の開いているかごにそっと入れた。
 身につけていた物を全て取り除いてから、丹波は手ぬぐいを手にがらりと浴室の戸を開いた。出口を求めて漂っていた熱い蒸気が、これを機にどっと外へと流れ出す。しかし、丹波はそんなものには見向きもせずに、すぐに戸を閉めて中へと入っていった。
 曇った鏡の下に、木製の桶を置く。シャワーのつまみを捻って淡々とお湯を流す。丹波はその一部始終を見届けると、間髪入れずに白くなった鏡にお湯をぶちまけた。
 滑るように流れていく生暖かい水滴の筋の奥に、もう一人の裸の自分が座っている。彼女の身体には、着物やさらしに隠れて普段は見えない、無数の傷があった。どれも刻み込まれたように深く、薄く皮が張っている程度で触ったらすぐに弾けてしまいそうな、そんな傷。
 裸になり、鏡の前に立つ度に、記憶にない傷が、もう一人の自分が叫ぶ。早く思い出せと、脅しをかける。その度に彼女は、熱い雨に打たれながら、自分はもしかして、恥を背負って生きているのではないかと小さな背中を振るわせるのである。
 近藤が顔に妙な熱を感じながら部屋へ戻ると、いつの間にいたのか沖田が畳の上に寝っ転がり、伊藤は何か書物のような物に読みふけっていた。
「あ、丹波さんお風呂に行きました?」
「…なにやってるの、総悟、伊藤先生」
「見ての通りでさァ。最近やっとターミナルのテロが片づいたトコなんで、たまの息抜きですよゥ」
 それに。と沖田は少し瞳に陰を帯びながら視線を動かした。近藤も沖田の視線の先を見つめる。すると、奥の縁側の雨戸を開けて、片膝を立ててかったるそうに煙草をふかす、土方の姿があった。その背中には、目に見えない何かが沢山のし掛かっているようで、まあるく曲がっていた。
 近藤には分かっていた。ここに三人がいる理由が。それは、今の自分の心にも一番しつこく引っかかっていて、取るにはそれ相応の犠牲と労力が必要となることも承知していた。
 近藤は、そうかと一言言うと、まだ片づけていない書類が重なった机に向かって腰を下ろした。
 丹波の記憶。あれには、ほんの少しの罪悪感と、後悔が入り交じった複雑な物があった。あんな綺麗で、明るい彼女の中に、暗く、冷たい過去があったなんて、思いもしなかった。甘えすぎていたのかもしれない。あまりに大きすぎた、彼女の小さな背中に。
 見てはいけなかったのかもしれない。
 土方は短くなった煙草を携帯用灰皿に、力任せにねじ込んで、墨汁をぶちまけたような闇の中に、白い煙を一筋浮かべた。
 思わず吐き気を催したのを覚えている。丹波を逃がさぬように取り囲む、あの腐敗した地面に。今まで似たような場面に何度も出くわしたはずだ。なのに、あれを見て地獄と感じた自分が、少なからず自分の中に存在するのに気が付いてしまった。
 土方はまだ肺に残る苦い煙を追い出すと、鶯張りの縁側の軋む音を聞きながら体の向きを変えて、それぞれ心の葛藤をしている三人へと目を向けた。
「なァ」
 急に響いた土方の声に、三人は少し驚いたような表情を浮かべて顔を上げた。声を発した本人は、まだ整理のついていない頭をフル活動させて、畳の目に視線を落としながら低い声で呟いた。
「…なんでもねぇ」
 がくっと、力が抜けたように近藤達は肩を落とした。自分であのシリアスな空気を作っておいてそれはないって感じだ。
「土方てめぇ殺すぞ」
「うるせぇ」
 沖田が鋭い眼光で睨み付けると、土方は少し恥ずかしそうな顔をしてにらみ返すことしか出来なかった。伊藤はずり落ちた眼鏡を元の位置に戻すと、はぁと短いため息をついた。
「土方君、君そう言うキャラではないだろう」
「いや、てめーに言われたくないから」
 近藤は書きかけの書類を諦めて筆を置くと、和みだした部屋の空気に少し安心を感じながら、まあまあと二人をなだめた。
「みんな動揺してんだ。無理はない。丹波にはできるだけ、記憶のことが悟られないようにしないと…」
「俺の記憶がなんだって?」
 首にタオルをかけて、髪を拭きながら丹波が部屋に入ってきた。昼ドラ並みのタイミングの悪さである。あまりの衝撃に土方達は放心状態に陥り、近藤に至っては目を白黒させて、変な脂汗をかき出してしまった。
 丹波はそんな彼らの姿を見て、終始呆気に取られたような顔を見せると、なぜか深呼吸して部屋に入って、静かに戸を閉めた。そして、吹っ切れたように彼らに背中を向けて胡座をかくと、喋りだした。息が上がり、声が震えている。
「今から、汚ぇもん見せることになるかもしれねぇ。でも、正直に事実を伝えて欲しい」
 近藤達は状況が把握できずに、ただ黙って座っていると、丹波はいきなり着物の上半身を脱ぎだした。
「丹波さん!?何して…」
 伊藤が思わず、顔を真っ赤にして声をあげるが、上半身にさらしを巻いた姿になっても動きは止まることなく、左手がさらしの端末を掴んだ。ここで、一番遠くにいたはずの土方が丹波の左手を掴んで静止させた。顔はやはり赤く染まり、焦っているのが目に見えて分かる。
「てめぇ、何のつもりだ」
 丹波は彼らの今の姿を全く見ていないのに、状況を把握したようで、鼻でふんと笑うと、力強い口調で言った。
「てめぇらも、何考えてんだよ。やらしい事考えてたんじゃねーの」
「そんなんじゃ」
「じゃあ黙って見てろ。俺は、女じゃねぇんだ」
 丹波は腹の底から吐き出すように言い放った。思わず土方の身体が強ばるほど、それは思い言葉だった。
「俺は、侍だ」
 土方の反論を押しつぶすように、低い声で丹波は言うと、力の弱まった土方の手から静かに離れ、一気にさらしを緩めた。
 白い布の下から、白い背中が現れる。小さいその背中は、何かを恐れるように小刻みに震え、荒い呼吸をし出した。それらを飲み込み、全て胃の奥にねじ込むと、震える声で問いかけた。
「俺の背中に、傷はあるか?」
 彼女の小さな背中には、傷一つ無かった。白く、滑るような肌の上には、爪が引っかかってしまうような切り傷一つない。
 沖田は思わず目を見張り、声を発する。
「丹波さんの背中、綺麗ですねィ」         
「まじ?」
 恐る恐る聞き返す丹波に、土方もなぜ丹波がそんなに背中を気にするのかを疑問に持ちながら、少し目をそらして言った。
「傷一つねぇよ」
「そうかぁ、良かった良かった」
 さっきのシリアスな会話はどこへやら、丹波は何事もなかったかのように、いそいそとさらしを巻き直し、着物を着直した。そして、振り返った彼女の顔は、明るくあっけからんとした、いつもの顔であった。
「丹波、お前どーしたの?びっくりしたんだけど」
 近藤が机にひじを突き、口をとがらせた。ごめんごめんと丹波は頭をかいて、少し困ったような表情を浮かべた。
「記憶が無い間、俺はちゃんと侍だったんだなぁって、思っただけだよ」
 その場の空気がまた一瞬凍り付いてしまった。丹波はそれに気が付き、くすくすと笑った。
「そんなに驚くなよ、自分の記憶がどーかなんて普通分かるだろうが。あんな中途半端なところで切れて、まるで浦島太郎になった気分だよ」
 思ったよりもずっと、空気は暖かだった。もっと落ち込むとばかり思っていた近藤達は、拍子抜けしたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。
 その中で、まったく、恐ろしいもんだと、土方は思った。どんな重たい話も、丹波の手にかかればあっと言う間に風船のように軽くなってしまう。その軽くなった分は、全て彼女が背負っているのに違いはなにのに。まるで手品のように、丹波は何処かに隠し持ってしまう。少しは、自分たちの背中にも背負わせてくれよと伝えたい物だが、それが果たして、自分たちに背負いきれるのか、自身がないのが事実であり、自分の情けなさに陥落するのである。