二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

As Story 〜5〜 ( No.12 )
日時: 2012/11/12 00:27
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

二〇一二年一月二十日  場所・不明


 今朝は抜けるような晴天である。上空を飛行する旅客機の輪郭がいつになく明瞭に見える。だがこういう日は放射冷却のせいで寒さが一段と厳しくなる。朝飯を掻き込んで体温が上がった体の骨の髄まで冷気が侵食してくる。

 白いタイル敷きの歩道を濃灰や黒の衣服を纏った勤め人や学生が行き交っていた。皆判で押したように分厚い手袋にマフラー、そしてオーバーコートを身に着け、天気予報で今年一番と宣告された朝の冷え込みに肩をすくめながら各々の目的地へ向かっていた。

 光曳も多数派に右に倣えでマフラーと手袋を身に着けた庶民の一人であった。男は今、事件のあった幹線道路と鉄道駅への道が交わる比較的大きな交差点に佇んでいた。

 足元の植栽のイヌツゲは、幹線道を通る大型車の排ガスの噴射にも負けずいつも通り光沢のある肉厚な葉を茂らせ、彩の乏しい冬の街並みのささやかなアクセントになっていた。

 だが、光曳はたくましく生い茂る植栽を気にもかけず、目が覚めた時から断続的に続いている頭痛のため、目線を落としたまま側頭部に手を当てていた。

「うぅぅ。イテテテ……」
 つい5時間前に文字通り死に掛けるほど首を絞められ気を失っていたのが原因であることは間違いなかった。どうしても出席しておきたい講義があったので、軽い意識混濁を抱えたままいつの間にかここまでたどり着いたが、程なくして頭蓋の内部から固いものを押し付けられるような痛みが光曳を襲った。

 頭痛は収まる気配を見せるどころか次第に脈打つような痛みに変化してきた。歩道のガードレールにもたれかかり、肩にかけていたカバンを下した。気持ちを落ち着ければ少しは良くなるかも知れないという淡い期待から、肩を上下させながら深呼吸を繰り返していた。すると、台風一過のごとく突然、頭痛が消えた。うつろだった目は光を取戻し、土気色をしていた頬も次第に赤みを帯びていった。だがすぐに別の部位を激痛が襲った。今度は脇腹である。何者かがわら人形で呪っているのではと勘ぐってしまう程顕著な患部の転移である。

 光曳は喉の奥からうめき声を絞り出し、気休めにもならないのは百も承知の上で両手で患部を押さえる。

 迷惑駐輪の取り締まりが厳しく整備の行き届いた界隈の歩道では、道の隅でうずくまる巨漢が目立たぬはずがなかった。道行く人々はみな光曳から距離を置いたところ通っていく。顔をうつぶせにしていたが、固く無機質な靴音の流れが光曳に全てを伝えていた。

 この町も都会とのアクセスが大幅に改善され、都市化の兆候がチラホラとうかがえるようになってきたが、それを遥かに上回るペースで人々の心の「都市化」が進んでしまっていたらしい。

 途方もなく長い時間が流れた。いや、もしかすると傍はほんのわずかな時間だったのかも知れない。五臓六腑の全てに鉛の塊を詰め込まれたようなこの鈍い痛みのせいで男の時計だけ電池が切れかけたように一進一退を繰り返していたのかも知れない。だが、それもようやく小康状態を迎えつつあった。

 気が付くと纏わりつくような粘っこい脂汗に全身を覆われていた。口で必死に呼吸をしていた事が更に脱水を助長してしまい、目の周りの皮膚は落ち窪み、血走る眼球を一層際立たせていた。通勤・通学の人々は気味の悪い太った巨漢を一瞥すると、あからさまに忌避するそぶりを見せて通り過ぎていった。


——うごけ、るうち、に、ど、こか……。

 意識の混濁が確実に進行していた。早くどこかに隠れたい……。光曳程の巨漢は巷であまりいないためか奇異な目で見られることが幾度となくあり、すっかり慣れていた。しかし今は違う。「めずらしい」のではなく「きみわるい」、更に端的に言えば「居ても居なくてもよい」のではなく「居てはいけない」のである。

 ——そうだ、コンビニがあればそこのトイレに逃げ込める。今いる交差点を右に曲がると駅前のロータリーに確か1軒あったはずだ。
寄りかかっていたガードレールから立ち上がる。前を通り過ぎようとしていたスーツの男性が当惑した顔を向けながら1,2歩巨漢から遠ざかった。

 拳で内側からぐりぐりと押さえつけられるような鈍痛のある下腹部を押さえながら右足を踏み出す。重たい歩みだった。腹部の痛みがその足に転移したと思わせるような痛感が膝にかかとにはしる。呻き声を漏らしながら更にもう一歩を進めようとする間に、二人の女子中学生にそそくさと追い抜かれた。前方で片方の学生が後ろに目線を向た後片方を見ると、二人で冷ややかな笑みを浮かべていた。その間もちらちらと目だけをこちらに向けていた。

 ——ただちょっと腹痛が酷くて屈んでただけなのに、何でだよ!

 腹部に当てていた右手で無意識のうちに拳を固め、肩を震わせる。そして表情を悟られないよう、俯き加減の姿勢のまま光の無い瞳で二人を睨みつけた。

 更に3人、4人と会社員がせわしく靴音を立てながら光曳の前へ抜けた。憎悪の念を燃やしつつ4歩目を踏み出そうとした時、憤懣とは異なる、漠然とした違和感が光曳の感情に根を広げ始めていた。

 何だろう。人通りが増え始めた時から何かいつもと違う空気を感じる。

 違和感の原因はすぐにはわからなかった。単なる思い過ごしのようにも思えない。確実に何かが違うのである。もどかしさから唇を噛んだ。深い息をつき、亢進する感情を抑えることに意識を集中させた。光曳は完全に歩みを止めていた。

 目を閉じ、徐々に気持ちが落ち着きつつあるのを確認した。右わきを人が通り過ぎる時の微かな風を感じる。時折正面からくる自然の風が光曳の頬をかすめる。


——落ち着け……何なんだ、この違和感は。


 長い沈黙が続いた。単なるバックグラウンド・ノイズであった人々の足音が次第に解像度を増していき、各々の者の音に分解されて光曳の鼓膜で響きあった。

 先鋭で甲高いハイヒール、時々靴の裏で地面を擦る音が混じるスニーカー、木靴のような固い音を立てる革靴、音の向かう方向も千差万別である。これらの音の中にその答えがあるという確信は無かったが、答えが無いとも言い切れなかった。

 喉まで出かかっているその答えがどうしてもわからない。時間の制約があるわけでもないのにやたらと焦燥感が募る。眉間のあたりがじりじりと熱を帯びてきた。

 頭の中では消えそうで消えないうっすらとした靄が違和感の正体を包んでいた。吹き払ってもまた別の場所から靄が流れ込んできて見えなくなってしまう。

「だめだ……」



As Story 〜5〜 ( No.13 )
日時: 2011/06/24 18:32
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 4pf2GfZs)


 万策尽きてあきらめのため息と主に力なく目線をあげると、前方の電柱に止まる一羽の烏が偶然目に入った。光曳は眼鏡越しにその黒い生き物をぼんやりと眺めていた。通りの電柱で器用に鳴き声を使い分けながら仲間と交信しているのをよく見かける。ゴミ置き場を荒らして迷惑な奴だが、その知能の高さは感心させられることもしばしばあった。

 目の前の奴もこれから仲間ときっと交信するのだろう。どんなことを話すのだろう、と再び歩道の隅で目を閉じ、何気なく耳をそばだててみた。

 烏が胸を一瞬膨らませ、勢いよく首を前後に揺らしながら鳴き声を上げる動作をしている。


……おかしい。聞こえない。烏の声が聞こえないのである。目を皿にして眼前の烏を睨んだ。……確かに目の前の烏は鳴く動作をしている。

 男の大きな体躯が凍りついた。一方、彼の脳は目の当たりにした異常現象を自己に説明するために火を噴くかのごとく限界以上の動作を求められた。

 聞こえないのはカラスの声だけではなかった。自分の周囲の人間のも聞こえなかった、が、烏の場合と状況が少し異なっていた誰もが口を動かしていない。更に人々の血色が異常なまでに悪い。まるで死人のようであった。

 肉付きのよい光曳の顔から徐々に血の気が引いていくのが傍目からも、そして本人にもありありとわかった。水をうったような静寂さに包まれた男の意識に、自らの声が一言問いかけをした。


——そういえば俺、どうやってここに来たんだ?

 気が付くといつも使うの通学路に立っていた。意識が朦朧としていて無意識に歩みを進めていた。
光曳は今更ながらその前の記憶を辿ろうとした。家を出た覚えは?自室のベッドで目が覚めたんじゃないのか?


——最後の記憶は?

 光曳の脳裏に警官の影が二つ、ゆらゆらと揺れている。一人はしゃがんでいるようだ。

——そうだ、確か警官に助けられたんだった。誰かに襲われたんだ。
意識中の警官に注意を戻し、彼らが向く先に風景をスクロールさせる。
猛スピードで蛇行するバイクが2台。一方には細身の人間が、もう一方には異様に大柄な人間が大型バイクを駆っていた。あの巨体……。

 突然場面が変わり、覆面が視野の下方に映った。喉に激痛を与えられた記憶がよみがえり、歩道に佇んだまま男は激しく顔をゆがめた。

——こ、こいつにぶっ殺されかけたんだ、畜生っ!

 光曳の意識の内奥からどろどろに溶けたマグマがその潮位を上昇させてくる。だが、同時に光曳はある可能性にも気づいていた。それは、あの男に殺され「かけた」のではなく、「殺された」という可能性だった。それもすぐに可能性ではなく、確信に変わろうとしていた。「後者」と仮定すると、何もかもつじつまが合ってしまうのである。

 光曳の怒りは際限なく膨張していった。己の歯を押しつぶさんとばかりに食いしばり、爪の食い込んだん拳は、その内側を赤く染めていった。男の目の玉は充血し、悔恨の滴が流れ落ちようとしていた。

 記憶を辿る作業はこれで十分だった。歩道で異常行動をとる光曳に、周りの歩行者から怪訝な視線を浴びせられたが、そんなことはどうでも良くなってきた。どうせ死んだ身である。周囲の人間の形をした影は自分の意識が創り出したのか、どこかのカミサマが送り込んだのかわからないが知ったことではない。

 ただ一つ、自分を殺した男の名をありったけの恨みを込めて叫んでやりたかった。

男の名は、確か……。

 その時背後からゆっくりとした足音が耳に入ってきた。重たい足取りであった。歩行に支障をきたしている時の重たさではなく、歩いている者の肉体の重量に起因するもののように思えた。それ以外に変わった音では無いのだが、この音だけほかのバックグラウンド・ノイズを制して男の耳に飛び込んでくる。

 それは常日頃から数多の声優の声を聞いている光曳の聴覚のせいでも、相手の歩き方のせいでもなかった。人間ならだれでも有している「第六感」が光曳の中で働いたのだ。

 第六感は人類の知能の高度化によって殆ど失われたかのように言われるが、それは誤った認識である。正確には第六感を使う機会が極端に減ったのである。しかし、光曳はある一つの足音を聞き分けたのだ。

 殺気を察知するという人間の第六感を発動させて……。

 光曳はその殺気を忘れるはずが無かった。例の足音は速度を保ったまま、一帯の空気を地面に抑え込むような圧倒的な殺気を発し、光曳に近づいてくる。一歩、また一歩と近づくたびに、先程まで爆発寸前だった光曳の激情が全く逆のものに変化しつつあった。そして、近づいてくる者が最後の一歩を今までと同じように踏み終えると、光曳は足を震わせながらゆっくりと——爆弾処理を髣髴とさせる慎重さで——後ろを振り向いた。いつか見た覆面が網膜に焼きつけられた。そいつの名前は——正確に名前ではなく、コールサインであるが——くの昔に思い出していたが、相手の発する重圧で声が出ない。血の気の失せた光曳の表情を気にする様子もなく、向こうから声を掛けてきた。全く笑わない目と無邪気な声で最後通牒が伝えられた。

「野郎、お前は本当に運が悪ぃぜ——」