二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- As Story 〜2〜 ( No.2 )
- 日時: 2011/06/24 12:58
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 4pf2GfZs)
先程よりは幾分か機敏に立ち上がると、斜め左後方にあるバルコニー入口の窓に向かった。男は何も履いていなかったため、冷え切ったフローリングに男の足型の曇りが見える。
外の様子を確認するため、カーテンを開く。深更の凛とした冷気の中、入りに向かう下弦の月がおぼろげに光を放ち、マンション周辺の家や道路を柔らかく照らし出している。男のいる部屋は照明を点けていないため、外からはこの部屋は相対的に暗くなり、カーテンの傍にある人影に気付かれることはない。
男の居る部屋は25階建ての高層マンションの10階に位置しており、マンションの正面には舗装の真新しい片道2車線の道路が走っていた。この道路は、都市計画に則って整備されたものであるため、直線が多く道幅も余裕を持ってとられている。そのため、週に2,3度は深夜に走り屋が猛スピードで目の前の道をかっ飛ばしていく光景が見られる。今夜はその日では無いらしく、その手の車はもとより、タクシーや運送業のトラックも見当たらない。マンション付近の街路灯に併設された電撃殺虫器に、バチッバチッとヒトリガが焼かれる音がいつもと変わらず響いている。
ところで電撃殺虫器は、ヒトリガをはじめとする蛾の類が光に向かって飛んでいく習性を利用したものである。非常に古くから蛾の類のこの習性に気付いていたようで、西暦500年代の梁という国で書かれた『到漑伝』という書物の中に「飛んで火にいる夏の虫」の諺の由来となる文章が残されている。約千五百年に渡り、同じような仕組みで蛾は人の作り出した火や、火の代わりになる物によって焼かれているのである。あまりに愚かではないか。少々話が逸れてしまった。
突然、男は何か閃いたかのように、ぐるりとその大柄な体を返し、真っ直ぐに前を見る。まだこの部屋の暗闇に完全には慣れていないため、男の付近の壁紙や家具を視認するのがやっとであるが、視線の先にある闇の向こうには玄関の扉があるはずであった。
時間が経つにつれ、漆黒の闇と思えたこの空間も、薄っすらと家具や壁紙の模様が判別できるようになっていった。幾つかの照明のスイッチについているパイロットランプが、小さな赤い点となって玄関まで続いている。筋金入りの不精な男は、照明のスイッチを点けるのを面倒に思い、パイロットランプを頼りに玄関に向かおうとした。
ゴンッ……ガンッ
4歩目を踏み出したその時、男の左足の小指が家具の足にクリーンヒットし、思わず屈んだ瞬間、今度は同じ家具と思しき硬いものの角に額を強打してしまった。
「あうぅ……」
突然我が身に降りかかった二つの激痛に、声にならない声を上げて男の体が真横に踉いた。爪先を抱え、小さく蹲る形になっていた男は、体勢を立て直す事ができずにそのまま、どさん、と床を撓らせて倒れこんだ。
しかめた顔を前に向けると、全てのものが90度左に倒れている視界の向こうに、鉄製の玄関が見える。男は痛みを紛らわそうと寝返りをうった。世界が静寂を保ちつつ左から右へと流れていき、最後には90度右に倒れている遮光カーテンが目に入った。
直ぐに静寂が戻り、壁に掛けられたアナログ時計の秒針が律儀に時間を刻む音が居間に響き渡る。
「梓!こんな時間にうるさいぞ」
玄関の脇の部屋から父親の怒鳴り声が飛んだ。25階建ての超高層マンションに、学生が単身で下宿とは考えにくい。当然、この部屋には父親も母親も一つ屋根の下で暮らしていた。
先程父親が発した「梓」という人名。これがあの巨漢の名前であった。名は体を表すとはよく言われることだが、少なくとも今、床に無様に倒れ込んでいる男には全く当てはまらなさそうである。
男はふて腐れていた。
ちょっと外の空気を吸いに行こうとしただけなのに、なぜ俺は床に倒れいる?なぜ父さんに怒鳴られているんだ?
自ら招いた状況に強い不満を感じつつ、このままここで寝てしまいたくなってきた。
突然、マンションの傍に道路で自動車のタイヤが激しくこすれる音がした。男は一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの走り屋の暴走だと気付くと、ため息を漏らしつつ再び目を閉じた。
敢えて暴走族に絡まれる危険を冒してまで気分転換に外に出る理由などない。男はすっかり眠る気になり、重量級の体を仰向けにしようとした。90度右に倒れた遮光カーテンが視界から外れていき、闇に覆われ無性に高く感じる天井が入れ替わるように入ってくる。
再びマンションの下の道路から走り屋のけたたましい急ブレーキ音とヘッドライトの光が梓の部屋に飛び込んでくる。とは言っても、光は遮光カーテンにほとんど遮られ、隙間から漏れる程度なのだが。
……光?
梓は突然動きを止め、弾けるように遮光カーテンに体を向けた。確かに遮光カーテンから光が漏れている。しかしそれは2、3秒すると消えてしまった。呆然とした表情とは対照的に、次第に強くなる鼓動音が窓の向こう騒音にとって代わって梓の鼓膜を叩いてきた。
「なんで光が入ってくるんだ?」上半身をばねのように起こした梓はこの状況を整理するのに躍起になっていた。そう、この部屋は10階にある。自動車のヘッドライトがあの遮光カーテンに当たるはずが無いのである。鼻息が荒くなり、DVDに見入っている時でもしないような鋭い目を光らせ、あらゆるケースを捻り出した。時限爆弾が爆発するのを待つかのように、時計の秒針の音が異様に浮いて聞こえる。
「空き巣?いや、それなら少しは物音がするはず。大体光なんか出さないよな。まさか……」
呼吸を止め、匍匐前進でバルコニーのカーテンに向かう。一歩、二歩、……。五歩進むと静かに息を吐いた。そしてまた酸素を取り込み、息を止めて進む。先程転倒した場所からバルコニーの窓際まで、いつもなら五秒とかからない距離が、今は気の遠くなるくらい長く感じられた。まだ窓の向こうからは全く音がしない。
本当に誰もいないのか……?二回目に息を吐いた時、ようやくバルコニーの窓際についた。匍匐姿勢のまま、恐る恐るカーテンの裾をあげ、窓を覗く。暗くて外の様子が定かではないが、傍に何かいる気配は感じなかった。ふうっ、と安堵の息をつくと、先程よりはもう少し機敏に立ち上がり、窓の中ほどにある、二枚のカーテンが重なり合う部分へ体を移動させた。そして、一方のカーテンの端を少しずつ、慎重にずらしていく。再び心臓の鼓動音が血管を震わせ、頭蓋骨を伝わり、梓の耳で響いた。
二枚のカーテンの隙間が3mmほど開いた時、異変は起きた……。
- As Story 〜2〜 ( No.3 )
- 日時: 2011/08/03 05:09
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
外の暗闇以外に何か青いものが窓越しに見える。それも近い……。梓は息をのみ込んだまま吐くことを忘れ、震える手で更に1mm程度カーテンの隙間を広げた。
目……?即座にカーテンを閉じ、その場から飛び退こうとしたが、混乱するあまり足がもつれ、二歩退いたところで強かにしりもちをついてしまった。
「梓!いい加減にしろ!」またも父親の怒鳴り声が響いたが、眼鏡がずり落ち呆然自失の男の耳には全く入ってこなかった。本能が体を窓から遠ざけようにも目を背けようにも、全身の力が抜けてしまい、言うことを聞かない。
いや、今動くとかえって危ないんじゃないか?下手に動いたら窓破ってくるんじゃないか? 深い呼吸を繰り返し、ようやく我を取り戻した彼は、ガラスの向こうを見透かさんとばかりに前方の一点を凝視し続けた。
あれから壁の時計が長針を二つ進めていた。男の呼吸はすでに落ち着きつつあった。走り屋の車もどこかに去ってしまったらしく、彼のいる居間は静寂が続いていた。更に1分の時間が経ち、しびれを切らした男は、音をたてないようにして窓際に接近し、バルコニーに背を向けるようにして、カーテンの端の脇に立った。
浅く息を吸い込み、息を止めた。意を決した梓は、カーテンを思い切り振り払った……。
下弦の月の光に照らされ、窓越しに少女の姿が浮かび上がった。チェック柄の中学の制服を身に着けた少女であった。正確には少女のイラストであった。
「あっ……」
それはバルコニー出入り口の窓に貼り付けられた、フィルムタイプの『等身大至紀智秋ポスター(冬服ver)』であった。
昨年のゲームショウ物販コーナーで購入した物であった。長らく放置していたが、智秋が憐れに思われたため、昨日の夜、つまり5,6時間前に窓に貼り付けたのだった。周囲の空気は凍りついていた。命がけでカーテンを開けた男は、生きてはいたが魂は抜けているようであった。
「こんなの、ありかよ……」
雪崩の如く疲労感が押し寄せてきた。喉が干上がっているのに気づき、よろよろとふらつきながら冷蔵庫に向かい、飲み物を探した。が、ドアポケットに料理用にと母が買いだめしたトマトジュースのパックがすらりと並んでいるだけで、喉を潤してくれそうなものは見当たらなかった。ちっ、と舌打ちした時、彼が元々玄関に向かおうとしていたことを思い出した。
「そういや外の自販でコーラのボトル買うんだったな」ぼそっと独り言をつぶやいた。
体ぶつけてコケたり、ポスターを化け物と間違えたり、さっきから俺は何やってんだ? と、先程までの騒動の顛末を思い返し、窓際の絵に文句の一つや二つぶつけてやろうかと、再び窓際に向かった。
しばらく無言で窓の花となっている少女を眺めていた。辺りに光はないはずだが、四六時中この手のイラストや動画を閲覧している梓には、目の前の少女の服や肌、目の色、髪の色、そしてソックスのワンポイントまでもが鮮明に想像できる。
肩より少し下くらいの背丈の2次元少女と見つめあっている——というのは一方的な思い込みだが——うちに、捨て鉢になっていた気持ちが急速に収まっていくのを感じた。
「……ま、いいか」息をつき、自分に言い聞かせるように、一言つぶやいた。
体を翻し、居間の壁の時計がかかっている方を見た。白い盤面上に12を過ぎた辺りを指す長針が浮かんで見えた。既に二時を回っていた。明け方までインターネットを徘徊したり、ゲームに明け暮れていることには慣れているはずであったが、今日はすぐにでも床に就きたかった。
自室までは10歩程度あるが、どこにも激突することなく入口にたどり着いた。くだんの失態を思い返し、おかげでジュース1本分買わずに済んだからいいか、と自嘲気味に笑いドアノブに手をかけた。その時……
梓のシルエットがくっきりと部屋のドアに浮かび上がった。男はとっさに振り返り、バルコニーの入り口を睨んだ。
約一秒、窓の斜め上方から強烈な白光が差し込んでいるのが見えた。カーテンは開け放たれたままであったため、白光と男を隔てるのは透明なガラスのみである。その脳裏に刻ませんとばかりに男の眼に光が突き刺さった。
梓が呆然としているうちに、白光は消え始めていた。その様子も異様であった。光の縁が円形にくりぬかれたようになり、その円がみるみる小さくなり、遂には消えてしまった。
「な、何だよ!あれ!」
ようやく気を取り直した梓は、叫びながら窓際に駆け寄り、ガラスの入り口を押し開けた。慎重にバルコニーに出て、柵から身を乗り出し目を凝らしてがむしゃらに四方八方を何度も見まわした。だが、何もなかったかのように街灯の電撃殺虫器にヒトリガが焼かれる音がバチッバチッと響くばかりであった。
梓は俯き、歯を食いしばり、バルコニーの柵を力の限り握りしめた。再三にわたり正体を見逃した悔しさからか、こみ上げる感情で肩が打ち震えている。しばらく男はその場から動けなかった……。
男が何やらつぶやき始めた。
「何だよあれ……。……何だよあれは!何なんだよ!すげぇぞ!」
この男、何も落ち込んではいなかった。まさかさっきのは、武者震いだったのか。
梓は玄関に向かって突進した。玄関の傍の寝室の奥から父親の怒号が再び響く。だが、それどころではなかった。とにかく外に出たかった。光のあった場所の下に何かあるかも知れない。いや、無くてもいい。無性にあの場所に行って現場を確かめたくなてきたのだ。
玄関でサンダルをつっかけ、ドアノブに手をかけた。ふと男が動きを止め、後ろを振り返った。その瞳が見つめる先には、男を嵌めた「窓の花」があった。
おかげですっげえ楽しくなりそうだ。冬服もに合ってるし、最高だ、智秋! 胸の中で叫ぶと、思い切りドアを押し開け、一歩を踏み出した。玄関脇に「光曳」と刻まれた表札があった。
巨漢のオタク、光曳梓が現実と虚構を行き交う物語に入り込んだ瞬間だった。