二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- Re: As Story〜8話(2) アップ7回目、衝突〜 ( No.58 )
- 日時: 2011/12/27 05:12
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
ミッションの連絡を受ける場合は原則としてチームのリーダのみで拠点に来ることになっていた。たった今、組織の拠点の門扉を男女のカップルが通り抜けた。親しげに体を寄せ合って歩みを進める様子は、チーム単位の組織行動を極めて重んじる闇組織(EC)のポリシーとは言え、単なる隊員以上の関係であることは辺りに棲息する奇抜な動植物ですら察知していたに違いない。だが、二人が通り過ぎた後に彼らが好奇の視線を向けた二つの背中はなぜか木枯らしに晒されている木立のような寂しさが漂い、地平線に引きずり込まれる寸前の太陽の呻き声がどす黒い紅色の光線となり、二人に追い打ちをかけるように陰鬱な影を落としこんでいた。
麗牙光陰とは別のECのチームリーダである件の男が一人で来たのは、初めてミッションを受けた時の一回だけ、それ以降は特に組織に反抗するつもりではなかったが、何となく左隣にいるこの女を連れてきていた。
前庭の真ん中付近を程よくくねりながら飛び石がしつらえられている。今日もいつものように手をつないだまま男が先導し、10センチメートのヒールのブーツを履いた女が壊れかけたメトロノームのような足音を立てながらついてきた。玄関前の最後のひとつを残すばかりとなると男はふと歩みを止め、今までそしてこれからも様々な人間に踏まれ続けるであろう献身的な御影石の姿になぜか目頭が熱くなるのを感じた。
しばし茫然と立ちすくんでいると左手がコットンで包み込まれるような感触を覚えた。表通りから距離を隔てた場所に位置するこの土地は一年を通して町の喧騒や熱気が伝わってくることが無い。今日のような冬も只中の日ともなればこれといって暖房施設を設置しているわけでもない前庭は張りつめた静寂と肌を切り裂く冷気に襲われるはずが、男の左手は慎ましやかな人肌の太陽に守られていた。左下から心配そうに視線を向ける双眸を正視できる自信がもてず、からくり人形のようにわずかに顎を引き瞳だけを動かした。
「すまない、行こ——」男が口の動きを止め、咄嗟に警戒の網を四方八方にばらまいた。
「扇?」
冷徹たること深更の月の如く、敵欺くこと雪原の狼が如し
——即ち、月下白狼
件の闇組織の中でも屈指の活動年数を誇るチームであった。そのリーダー、篠原扇が今までに見たこと無い程に狼狽した。隊長の急変に気をとられていた相棒の安藤園香は、館に起きている異変に気付けずにいた。
篠原の左手が安藤の白魚のようなか細い右手を握り締めた。二つの手のひらを通して流れ込んでくるものに、燃えるような愛情は無かった。決して良い内容ではない報告を組織の長にするのを目前に、有刺鉄線で縛り上げられるような苦痛に挫け、悲痛の叫びを向けてきたのでもなかった。これまで幾度となく感じてきたこの重圧。銀杏や楓の鮮やかな紅葉で彩られたオープンカフェで取り留めもなく話し込み、満ち足りていた気持ちを一瞬にして吹き飛ばしてしまう厳かな衝動。にわかに昂ってきた感情をを吹っ切ろうと安藤は口を真一文字に引締め、あらんかぎりの力を込めて握り返した。
少し大袈裟にも思えるパートナーの反応が、アポイントメント無しで世界で最も危険に晒されている男に逢いに行く目的の重大さを否応なしに思い知らされた。この時のために仲間達には特に安藤には退団を仄めかしてきたつもりだった。そして大崎のもとを訪れ、——その後は平穏な日々を過ごしていくのだろうか。巷の日本人のように安穏な日々を送るのだろうか。時々顔面蒼白になるようなトラブルに巻き込まれたりもするが、順調に日めくりカレンダーが薄くなっていく日々を。命を懸けて闇世界で暗躍する仲間達とは正反対の日々を。
恐らくこれが最後の「仕事」になるのだろう。任務遂行の障壁となる葛藤、邪念は40秒以内に排除した。予想だにしない脅威が現れることなど今まで何百回何千回と経験してきたことである。今回はその舞台が少し特殊なだけだ。
「園香」
声を殺して左下に呼びかけると、篠原のそれぞれの瞳のど真ん中に月光の如き怜悧な視線が突き刺さり、力強く縦に振れた。二人をつないでいた拳の力が徐々に緩められていき、主人のもとに落ち着いた。
足元を見まわすと飛び石を取り囲む玉砂利が足の形状をした窪みが点在している。
俄然前庭の草花たちがヒステリックにどよめき始めた途端、穏やかでない空気が雑音を上から踏み潰した。拠点が目抜き通りから離れているうえに、立ち入りは組織のメンバーのみという、人々のにぎわいとは無縁の建築物ではあるが、今はあまりにも静か過ぎた。
篠原が重厚な生地のジャケットをはためかせながら右手を背面の腰のあたりに滑り込ませると、ほぼ同時に園香がロングスカートの右側の太ももの辺りにある、めくれないスリットに偽装たポケットから手のひらサイズの赤みを帯びた塊を取り出した。園香の透き通るような色合いの指の間から、ちらちらとワインレッドの煌めきが漏れている。グリップの下端にはストラップの穴が穿たれ、篠原の再三にわたる注意に耐えながら増やし続けた携帯マスコットが重たそうにぶら下っている様は、原型のコルト・ディテクティヴスペシャルの形を止めておらず、遠目には女子高生の騒々しい携帯電話にしか見えなかった。
バレル、リボルバー、トリガー、銃全体にクロムメッキを施し大よそ隠密任務用とは思えない輝きを放つS&W M60を銃口を下向きに右手に納めた篠原がそれを腰の脇に据え、2段のステップの向こうにある玄関扉に辿り着こうと右足を踏み出す。革靴のかかとが飛び石の面に衝突し、甲高い音が男の左右の頬を擦過し、背後に広がる暗き草むらに姿をくらました。篠原が足を止め、厳格な隊長らしい表情をつくり顔をわずかに後ろにひねる。
一歩遅れた位置に構えていた園香が「ごめん」と言うや否や、目の前の篠原が再度足を踏み出した。瞬く間にステップを飛び越え一気に玄関扉の脇の壁に張り付くまでに足音がしなかった。そして2秒遅れて幽霊さながら音もなく園香が玄関扉の逆の脇に張り付いた。彼女の足跡を追うように流れてきた女の香水は誰の嗅覚を愉しませることもなく虚空へ散らばっていった。
二人の靴の裏と地面の間には、丁度2ミリの隙間ができていた。
正確無比な射撃を求められる彼らの任務において、目線を殆ど変えることなく移動音を無にする彼女の能力——浮揚—ーが隊長であり身も心も捧げたパートナーでもある彼の花道を飾るようにその力を顕したのである。