二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

As Story 〜4〜 ( No.6 )
日時: 2012/11/12 00:25
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

二〇一二年一月二十日 共同住宅敷地脇——


 黒い影の右手に突き刺すような視線を向け、光曳は徐々に接近してくる足音に全神経を集めていた。底の固い靴を履いているのか、人影が一歩近づくたびに立てる甲高い音の振動が、光曳の触覚を伝わってくる。
 極度の緊張で、左胸が酷く疼いた。「うぅっ」自ら発した呻き声で我に返った光曳は、弾けるように立ち上がった。一瞬、視界の焦点がぼやけ人影が左右に振れる。その間ももう一つの足音は冷たく乾いた音を響かせながらゆっくりとした足取りで進み、光曳との距離を詰めていった。
 既に3メートルまで縮められていた人影との距離を広げようと、光曳は体の向きを変えずに後ずさろうとした。が、後ろに左足を突き出した瞬間に柔らかい何かが踵の上のあたりにに触れた気がした。
 体の重量を左足で支えるつもりで一歩目を踏み出したのにその踵が宙に浮き、体勢が大きく後方に傾ぐ。「うあっ」巨大な図体からは想像もつかないようなか弱い声を発し、左にそびえるコンクリートの壁面から更に弱まった悲鳴が跳ね返ってきた。
 人影から逃げるチャンスを逸した光曳は、諦念の混じった苦笑を浮かべながら我が身に降りかかる重力に身を預けた。

 どうぅんっ——。アスファルトの凹凸の間に詰まった砂塵が、巨体を中心に放射状に吹き上げられた。誇りに混じっていた石英の粒子が月光に照らされて、プチ・ダイアモンドダストのようにちらちらと舞っている。
「お前、まだいたのか——」仰向けからふと右に視線を向けると、光曳の足をもつれさせ、退路を断った張本人が目の前にちょんと座っていた。それは漆黒の毛に覆われた全身が闇に溶け込み、全開になった2つの瞳孔のみが白い点となって宙に浮かんでいた。

 通りの途絶えた道路の静寂を破る固い足音が、転倒した光曳の足の傍で止まった。
「逃げろ」傍らにいる黒猫に声をかけたが、動くどころか呑気なあくびを返してくる。「わたしをを助けて見せろ、ってことですかぁ?」おどけるように黒猫に小声で話しかけ軽く笑った後、覚悟を決めて斜め上方にあるはずの人影の顔を睨んだ。その人物は眼のみが露出するバラクラバと呼ばれるフルフェイスの覆面を被り、更にその目を大型のサングラスで覆っていた。覆面の奥の表情を読み取ることはおろか、言葉の通じる相手なのかも定かではなかった。しかし、目の前まで接近されたことで2点明らかになったことがあった。一つはデカいということ、二つ目は……、改めて確認したくなかった。

 気持ちを落ち着けようと光曳が数回に呼吸を深くした。吐息の音に合わせて白い靄が対峙する二者の間に広がる。猫は、動く気配を見せていない。
 光曳は叩きつけるような心臓の拍動を感じながら、後頭部に両手を組んであてがった。何とかして立ち上がるチャンスを見出そうとしたが、覆面男はさっきから微動だにしていない。
 あいつに意図が伝わったのか?土下座でもしないとダメか?—— 光曳は答えの確認しようのない問答を幾度も繰り返した。そして、急に動いて相手を刺激することの無いよう極めて慎重に立ち上がろうとしたその時——

ヒュッ……。耳朶じだをなでるそよ風よりも小さな風切音がしたような気がした。極めて小さな音である。少しでも息が乱れていたら、その呼吸音でかき消されてしまいそうなくらい小さな音が……。
 その音の出どころを確認するために、聴覚の記憶を手繰り寄せる必要はなかった。凍りついた大気が二人を取り巻いていた。二人の巨漢は息を絶っていた。覆面男の丸太のような腕が伸び切り、その先に握られた減音器サプレッサー付SIG P220の銃口は、中腰になった光曳の眉間に食い込む程に押し当てられている。

 光曳が黒猫に見せたあの勢いは全くなくなっていた。最早覆面に目線を合わせる事すら叶わない。当の黒猫もさすがに尋常ではない事態の気を感じたのか、毛を逆立て、威嚇するような鳴き声を発していた。しかし、覆面が黒猫を一瞥すると、たじろいだように後ずさり、体を丸めてこの対立の傍観者を決め込んでいるようだった。

「何をしている……」

 覆面男が言葉を発した。抑揚が無いが、しゃがれて低く落ち着いた声で、聴く者の下腹にずしりとのしかかるような気迫がある。「な、な、何って……」光曳は中腰のまま狼狽した。全身の震えがP220を介して覆面に伝わってきた。

「質問に答えろ。何をしている」

 冷や汗を垂らすしかなかった。覆面が日本語をしゃべったことに動転し、更にこの質問である。どう答えても撃たれるに決まっている。光曳は完全に言葉を失ってしまった。

「見たのか……?」

 脊髄反射のように光曳が目線をあげた。それを制するかのように覆面がP220を握る拳に力を入れる。光曳が大きく鼻で息を吸い込み、腫れぼったい目を全開にした。脇で寝そべっていた黒猫が身の危険を感じ、今度は声も出さずに、覆面が現れた辺りの方向へ一目散に駆けだした。夜の梟のように静かな退避だった。
 覆面は全てを察し、光曳を凄まじい形相で睨みつけた。声無き怒号で光曳の全身に電撃がはしる。

「見たんだな……、死ね」
「ま!待て……」
「ひぃぃ!ねこぉ!」

 最後まで抑揚の無かった覆面の声、光曳の動転した声、そして何者かのうわずった、力の抜けるような声が深更の静寂を打ち破った。

——死ぬ!

 光曳は反射的に目を閉じた。
 だが、最期の声を耳にした途端、覆面の巌のような指がトリガーから外れ、一方の手を己の額に当てていた。うんざりした表情をしているのがバラクラバ越しに見て取れた。
「糞野郎、また喚いてやがる。今度は猫アレルギーか?この仕事のカタつけたらぶっ殺してやる」覆面がぼそりとつぶやいた。

「ここで待ってろ!お前を片付けるのは後……」覆面が一瞬声の方を向いた後、光曳に怒鳴りつけるのと、光曳が突進したのは同時だった。
光曳は低い姿勢で覆面の膝に突っ込むと、全身全霊の雄叫びと共に大男の両足を持ち上げてひっくり返した。




As Story 〜4〜 ( No.7 )
日時: 2011/06/24 18:21
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 4pf2GfZs)


 覆面の本能が後頭部の直撃を交わしたが、背骨を強かに打ち、刹那意識が薄らいだ。そして、激昂と共にP220を我が身の脇に立ってるであろう光曳に向けた。「野郎!シロブタの癖に逆らってるんじゃねえ!」

 そう言い放ってから覆面男は呆然とした。己の全重量を右エルボに託して巨体を宙に躍らせている猛牛が、覆面の視界を覆いつくし、自由落下を始めていた。
 僅かに安全装置の確認の遅れた覆面がこれを避けられるはずもなかった。

ボスンッ! 115kgの負荷がかけられたエルボが、お手本の如く鮮やかに覆面のみぞおちに刺さった。

 覆面の口から消化中の補給食が吹き出し、バラクラバと男の顔面の隙間に飛び散った。胃酸の悪臭が大気中に散らばることもできず男の鼻を激しくつんざいた。不幸中の幸いか、グラスの向こうで白目を剥いて失神した大男の嗅覚に、この臭いが伝わることは無かった。

 覆面にエルボをお見舞いしたはいいものの、光曳も体側を地面に強かに打ち付けた際の激痛で、呻きながらのた打ち回っていた。1メートルにも満たない高さから落ちただけなのだが、115kgという巨体が災いした。
 ふと視界の前方に、覆面の手が目に入った。手にはP220が握られている。覆面が動き出す気配は見られなかった。形勢逆転にはまたとなチャンスである。裏を返せば、この機を逸すると、光曳の命がないということでもあった。
 光曳は胸の中で咆哮をあげ、拳銃を握る手に向かって匍匐前進した。一歩足を進める度に針で神経を直接刺したような痛みが打撲傷を負った右半身全体にほとばしる。
 長い……。たった2、3メートルの距離なのだが、足がいうことを聞かず、思うように前進できない。何よりいつあの男が起き上がるかわからないのである。あと一歩のところで肉体が追随できずもがく自分があまりに情けなかった。ふと、2時間前に同じような状況を経験したばかりであったことを思い出した。あの時は14歳の少女のイラストがターゲットであったが。光曳は不謹慎にも口元が緩み、張りつめていた緊張が抜けてしまった。途端に悶々としていた何かが光曳の中で吹っ切れた。
 逸る気持ちから速く進もうともがくのをめ、静かに移動することを最優先に前進した。街灯が二人を舞台のスポットライトのように照らし出す。光曳がじりじりと身動き一つしない人間にすり寄って行く様は、戦争映画で仲間を殺害されたシーンに似た光景であった。
 容易に拳銃に手が届く距離まで接近した。音も立てずに吐く息の靄が、光曳の口の隙間から漏れ出すように現れ、闇に溶け込んでいく様が繰り返されている。眼前には力なく放り出された覆面の右腕がある。光曳は顔の向きを変えずに横目で右を見た。バラクラバとサングラスのせいで男の表情が把握できない。代わりに食物が腐敗した臭いが嗅覚をつき、危うくむせ返りそうになった。念のため大男の眼前で手をかざしてみたが、全く反応がない。
 光曳は覚悟を決めて慎重に封面の手に収まっているP220に手を伸ばし始めた。男の体のの動きとP220を何度も繰り返し見つつ、手は自分でも動いているのかわからなくなる程にゆっくりとした動きだった。心臓の音も抑えんとばかりにもう片方の手は無意識に左胸を抑えていた。今し方この男の仲間と思しき人物の声がした方向で、まだ猫とやりあっている音がしていた。今の光曳の状況では耳に入るはずもないが。

 二人のはるか上方に浮かぶ街灯から、蛍光灯がじりじりと静かにうなりをあげている。接触が悪いのか、時折蛍光灯が明滅を繰り返す時があった。その度に光曳は激しい明度の変化で目を眩惑された。そして、その時はきた。
 光曳の左手の人差し指が、男が気絶しつつも握りしめているP220に一瞬触れた。ほぼ同時に街灯の明滅が始まった。連続写真のように光曳が宵闇に映し出される。光曳は銃身を鷲掴みにして奪い去ろうとしていた。覆面男の手からP220が引きはがされる。

——よしっ! 光曳は胸の中でガッツポーズをつくった。あとはP220を握りしめた左手を自分の体に手繰り寄せればよかった。そして、P220への握力を込めなおそうとした刹那——。

P220が左手から逃げた……。
 正確には別の手にP220のグリップを掴まれ、圧倒的な力によって光曳の左手から剥がされたのだ。

「しまっ!……」街灯に照らし出された静寂の舞台を突き破る絶叫は最後まで続かなかった。右方向に逃げるP220を取り返そうと光曳が上体を起こした瞬間、覆面が体を左に返しながら丸太のような左腕を突出し、顔より太い白首の喉笛を握りしめた。

「がぁっ……あっ……」肺から呼気が漏れる一方で、吸気ができない。大男がのどを掴んだまま立ち上がり、光曳を乱暴に立ち上がらせた。

——デカい……。

 覆面のがたいの大きさは際立っていた。光曳の頭頂部が男の顎の高さにあり、二の腕はジャケットの袖のしわが伸びきるほどに膨張している。こんな猛獣みたいな野郎に喉を本気で掴まれたら……。心臓が縮み上がる感覚がした。顔面が蒼白になり、まさに窮鼠となった光曳は怒号を発し、男の手を振りほどこうとした。男の腕を叩く、至近距離から蹴りを入れる、体をよじらせる。だが、大男は全く動じなかった。意識が混乱しているせいか、巨人の足元を例の植栽へ駆け抜ける小動物の影が見えた気がした。

「うおぉりゃぁ!」
 地響きのような雄叫びで光曳が反射的に視線を戻すと、己のかかとが数ミリ浮いていた。朦朧とした意識の中にあって、尚も豚男に激しく抵抗され、再び光曳の体が地に着く。だが、抵抗が功を奏したのも束の間、覆面は更に聴覚が潰されるような雄叫びをあげ、光曳を持ち上げようとした。あまりの大爆音で街灯の蛍光灯が小刻みに振動した。マンションの1階の住戸でも幾つか部屋で明かりが点けられ始めたが、鬼気迫る咆哮に恐れをなし、窓を開ける物好きはいなかった。



As Story 〜4〜 ( No.8 )
日時: 2011/06/24 18:26
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 4pf2GfZs)


 斜め上方45度に掲げられた腕の先には、最早男に抗えるほどの力も意識もない115kgの巨漢が干物のようにぶら下がっていた。それでも、光曳の視覚は、男の頭越しに植栽の方へかけていく複数の影を映していた。視界に靄がかかって、動物なのかボールのような物なのかさえ判別がつかない。あいつら、脂ののった死肉でも喰らう機会を窺いに来たか?なんか香ばしい匂いまでしてきたぜ。これは人が死ぬ時に発する臭いなのか?、他人事のように胸の中でぼんやりとつぶやいた。
「悪ぃな、眼鏡。アンタがここに何しに来たかざっと検討はついてんだよ」

 覆面は右腕が握り締めている首の頸動脈の拍動が、完全に消え失せつつあるのを見計らって喋りはじめた。
「こんな時間にここに来るなんて、理由は一つしかねぇよな?お前は見たんだろ?あの光を。それで何か痕跡がないか気になって来ちまったんだよなぁ?
 俺たち運び屋は日の目を見ねえ稼業だ。お客に堅気のやつなんかいやしねえ。だからいつも蝙蝠みてえに暗くなってから動き出すのよ。だが、あんたはたまたま俺たちを見かけちまった。運が悪ぃ奴だホントによぉ。だから大人しくしてりゃ記憶を消すだけで済ませてやろうと思ったのによ。こうなるまでになっちまったのはお前自身のせいだぜぇ」
白々しい憐憫の情を眼鏡男に向けながら、卑猥な笑い声を立てた。

「AB(アビー)!た、助けてくれえ!」覆面がひとしきりしゃべった後の充実感に満ちた静寂を、芯のない頼りなさげな声が無遠慮に打ち破った。
 アビーと呼ばれた覆面男は、勝利に酔いしれるひと時を台無しにされ、怒りの形相をむき出しにして声のする方向を睨みつけた。
「るせえ!」頭上で伸びている男をはたき落とし、ジャケットの裏に隠れているホルスターに手をかけた。
「CD(コード)!いつも仕事の邪魔ばかりしやがって!今日こそその腐ったバナナみてえな頭ふっとっばしてやる」
 くうを切る音と共に構えた手の先にはS&W M500が構えられていた。拳銃としては世界最大の銃だが、この男が手にすると一般人がP220やM9といった標準サイズの拳銃を構えているのと同じように見えてしまう。
「ま、待ってくれ、アビー撃たないで!う、撃つな!」 『CD』というコールサインが与えられている頼りなさそうな出で立ちの若い男が唾を散らしながら裏返った声を発し、咄嗟に前方に両足を突出し疾走を止めようとしたが、慣性に抗いきれず前方につんのめってアビーの強靭な体躯に激突した。鈍い頭痛に朦朧としながら目線のみ上にやり、恐る恐る相棒を窺う。隆々とした筋肉を纏った体躯と憤怒の形相——目しか見えないが——で愚者を見下ろす様は、勇猛と威嚇の相を見せる仁王尊のようである。悪いことは重なるものである。コードが逃げきた辺りにあるイヌツゲの植栽から4,5匹の野良犬、野良猫が湧いて出てきた。

 アビーが光曳をしばいている間、コードはあの茂みに声を潜めて事が終わるのを待っていた。厄介事は全てアビーに任せていればいいはずであった。だが突然、茂みの向こうから黒猫が現れたのである。
コードは極度の動物嫌いで——アレルギー反応はないが——、犬猫の類がどんなに周囲の人間に楽しそうにじゃれていても、自分には牙をむいて襲い掛かってくる気がするのだ。
 眼前に現れた黒猫は果たせるかな、慈悲を求めるふりをするために鳴きはじめた。騒々しい人間の生活が止まり声も体もデカい相棒以外は静寂の中に沈むこの空間では、猫の鳴き声が拷問のように鼓膜を叩き続けた。咄嗟に装備に補給食のタブレットがあるのを思い出し、それで黙らせられると考えた。思惑通り猫はタブレットを貪るようにかじり始めた。こいつは見た目は貧相だが味は超のつくほど一級品なのである。だが、再三にわたり事態は悪化した。タブレットが超のつくほど美味ゆえ、その匂いを嗅ぎつけた野良どもが寄ってきてしまったのだ。己の四面楚歌を悟ったコードは、相棒の足手まといになってしまうのがわかっていながら、見す見す姿を晒す事態になっていたのである。

——だけど、いくらなんでも銃を……——

 後ろからは追手が迫り、向かいからはパートナーに銃を向けられるという、予想だにしない挟み撃ちに、混乱と狼狽を極めていた。

「さ、さっきのは、な……」コードが顎をがちがち鳴らしながら声を発したが、あっさりアビーに遮られた。
「ダマれ!役立たずめが。なんでお前はいつも俺様の足を引っ張りやがる!不満があるなら拳固で来い!!」 殴り合いになる前にやるべきプロセスが幾つも飛ばされているが、大局的には的外れではなかった。すくみ上がるコードに覆面がたたみ掛ける。
 「だいたい何だそれは!」「ひぃぃ」 人差し指の代わりにM500で顔を指されたコードが反射的に身を反らし、息を飲んだ。コードの顔は死に直面した恐怖で一層蒼白になり、瞼の際いっぱいに涙をためている。だが、コードは覆面の叱責の趣旨がつかめなかった。
 この2分少々の間に、コードの脳みそにあまりに多くの事象が雪崩れこんできて錯乱していることも原因の一つではあるが、主たるものでは無かった。
 眉間に皺を寄せ怪訝な表情を返してきたコードに、覆面の男は怒りを通り越し、俄かに顔が青ざめてきた。

「なぁ、おい。」

 人が変わったように物静かに子供に言い聞かせるように話しかける。アビーの豹変ぶりに意表を突かれたコードが目を丸くした。




As Story 〜4〜 ( No.9 )
日時: 2011/06/24 18:27
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 4pf2GfZs)


「マネージャの岩倉から、今回の件のブリーフィング(概要説明のためのミーティング)で、お前は運び屋の経験は確か——」
「2年目だ」 コードが何の躊躇もなく返す。「あぁ、そうだったな、俺も覚えている。それでだ、運び屋ってのは依頼主も送り先も、そして運ぶ奴もワケありな奴らが多い。いや、そういうのしかいねぇ。だから運ぶものがスーパーの豆腐より軽くても一回の仕事で大手企業の役員の月収みてえな金が手に入るんだ。今回だってそうだ。無事こいつを届ければ、現金でこんだけもらえる」そう言ってブイの字を指で作った。コードの表情が僅かに固まった。
 覆面はそれを見逃さなかった。

——カネの話は岩倉から聞いてるから今さら驚かねぇよな。じゃああいつ、なんで動揺してんだよ。—— 動揺していたのはコードだけではなかった。バラクラバの奥で滝のように冷や汗をかきながら、平静を装ってさらに続ける。
「だから、俺たちの経歴ってのは滅多に表にでるこたぁない。知っているのは運び屋ブローカー(あそこ)の情報管理部門とボスだけだ。しかもその内容は自己申告だ。た内容の真偽は仕事の成果を見れば自ずとわかる。根暗の岩倉はただ依頼内容をロボットみてぇに連絡するだけだ」緊張のあまり口が乾き切っていたのに気づき、一息唾を飲み込む。アビーに見入っていたコードがつられた。

「それでだ、本来ならしちゃいけねえことなんだが……今までの依頼主のこともばれちまうからな。だが、今だけはどうしても確認しておきてぇんだ」アビーが語気を強める。思わずコードが数ミリ体をのけ反らせた。
「お前さんがやってきた運び屋の仕事って何なんだ?」
 コードが呆気にとられ、驚きの声を出しそびれた口を閉じそびれていた。だが、すぐに面相を正し、いつもの調子でそっけなく言い放った。

「郵便配達——」



「んだとお!き、貴様っ……」アビーが激昂のあまり呼吸亢進を起こし、自身の胸を掴んでかがみこんだ。コードが必死の反駁を見せた。
「か、金が欲しかったんだよぉ。いつまでたっても給料上がんないし。運びこれなら今までの経験生かせると思ってさあ!」
中途採用の面接試験でも受けているかのような回答だった。

「こんにゃろう!運び屋なめんじゃねええ!!」

 コードの胸ぐらをひっつかみ、ギリシャ神話を今に伝える星座をいつもより3mほど近くで拝ませてやった。……修羅場が始まった。


 二人が乱闘を始める少し前——覆面が突然静かになった時——、男たちの背後で蠢動するものがいた。勿論該当するものは一人しかいない。
アビーが光曳を締め上げている最中にコードが不意に現れた時に下に叩き落され、そのまま放置されていたのだが、アビーは光曳の脈が無い事 を確認したつもりであった。
人を絞殺したことは数知れない手練れの運び屋のアビーである。光曳の首が太いとはいえ、間違えるはずが無かった。だが、光曳の脂身の厚さはアビーの予想をはるかに上回るものであった。
 アビーが自分の脈を把握しきれていないことを察した光曳は機転を利かせ、古来から使われている相手の攻撃を制止させる欺瞞の手法——要は死んだふり——を実行した。
 熊にはこの手の欺瞞は通用しないことは周知の事実であるが、覆面を被った熊のような人間には功を奏したようであった。

「たし……か、……携帯」
 現在仲間割れ真っ最中の二人組に悟られないようにジャケットの左胸ポケットを探る。ズボンのポケットに入れる方が使い勝手が良いのだが、ズボンのサイズがぎりぎりで携帯を入れられるスペースが無いのである。体の右側を上に向けて横たわる姿勢になっているため、右腕を動かすのは賢明ではない。つまり、左手で左胸ポケットの携帯を取り出さなくてはならないのだ。体が特に柔らかいわけでもない光曳にとってそれは非常に難しい注文であった。
 背中の向こうでアビーがコードを激しく罵倒する声が聞こえる。時々飛び跳ねたり走り回る音がアスファルトをつたって極めて鮮明に聞こえてくる。がたいの大きいアビーが派手に動き回ると全身に振動が伝わってくる。物音からの推測ではあるが、まだ光曳が生きているうえに携帯電話を取り出そうとしていることに気づいていないようだ。

——もう少しだ!
 ポケットに手を入れるのに手こずっているうちに体の下敷きになっている腕がうっ血し、左手の感覚が定かでなくなりかけていた。これ以上時間をかけていられないと腹をくくった光曳は、音をたてないように細心の注意を払いながら上半身をわずかに丸める。
後ろの喧騒に変化はない。

——よし。

 ようやく携帯に手が届き、人差し指と中指で挟み込んで危なっかしくふらつかせながら取り出した。安堵の息を我慢し、静寂を保ったまま通報の準備をしようとした。その時……。

ブーン、ブーン、ブーン……。

 突然であった。携帯がメールを受信し、バイブレーション機能が作動したのだ。
 光曳の体が凍りつく。同時に後ろの物音も静まり返った。体が動いたのではないため、今は怪しまれることは無いはずだった。携帯電話は約10秒間振動し続けた。その間、二人組はついさっきまで仲間割れをしていたとは思えないほど同一の目標を監視していた。

 携帯の振動が止まった。それを見計らい細身の「郵便屋さん」が、光曳の希望的推測を粉砕するような一言で沈黙を破った。

「あいつ、生きてるな」 光曳の心臓が一回突き上げるように拍動した。





As Story 〜4〜 ( No.10 )
日時: 2011/06/24 18:28
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 4pf2GfZs)


 アビーがマスク越しに頭を掻きながら軽く言い放った。「へっ、すまねぇ。ったと思ったんだがなぁ」おもむろにSIG P220をホルスターから取り出す。大男がここに現れた時に最初に持っていた、サプレッサーとの相性のいい拳銃である。

 最早光曳には選択の余地はなかった。後ろで何か取り出す音と共にガチャ、カチッ、と短く固い音が続く。それが何の音なのか、深く考える必要もなかった。
 自殺する勇気のない人間が自殺志願しているのではない限り、それこそ白豚の如く地べたに横たわっているのは明らかに得策ではない。
 アビーが少し足を開き、体勢の安定を確保する。そして1mほど前方に横たわっている光曳の後頭部にP220の銃口を向けた。ゴリラにも勝るとも劣らない巨大な手に収まっているP220が廉価なエアガンに見えてしまう。

「ぼちぼち逝くか……。お!」
 大男が腑抜けた声を立てた。アビーがP220を握りなおしている隙に光曳が飛び起き、マンションの方——アビーから見て右方向である——へ駈け出したのだ。だが動揺も束の間、アビーは落ち着き払って移動目標に照準を定めた。光曳が全くもって走るのが苦手なため、アビーとの距離もまだ10メートルと離れていない。拳銃でも正確に狙える距離である。
 コードが先の修羅場で痣のできた目で人間が命を絶たれる瞬間を見ようと瞳を全開にし、狂気の興奮をあらわにしていた。
 アビーがトリガーにかけた人差し指に力を込める。

「畜生!ちくしょう!ちくしょう!」

 あまりに唐突で理不尽な己の最期に絶叫しながら駆け抜けた。一瞬、拳銃を自分に向ける大男の姿が視野の右隅に映ったが、顔を向けることはなかった。
 光曳の声がやんだ瞬間、一条の赤い光芒が男の視野を真横に貫いた。
——死ぬのか……。—— そう思った途端、足の力が抜けその場に崩れ落ちた。

「何ぃ?!サツだ、アビー!PC(パトカー)が来やがった!」
「るせえ!んなこたぁお前よりわかってらぁ」

 余りにの喧騒に、付近の住民が通報したのだろう。サイレンは鳴らさないが赤色灯を明滅させながら1台のパトカーが2人の運び屋に接近してくる。
 唾を吐き捨てながら大男は逃走を図ろうと体を翻したが刹那の逡巡の後、踵を返した。

「どうしたんだよぉ。おい!逃げなきゃ!」

 無造作に伸びた髪を逆立てながらコードが叫んだ。しかし大男は動こうとしない。それどころか、相棒の右手にはFN Five-seveNが握られている。Five-seveNは口径が5.7mmと、一般的な拳銃の口径9mmと比べて小さいが、小銃並みの初速と弾丸の材質の改良で、貫通力はあの悪名高きトカレフTT-33を上回ることさえある。アビーのようなものが所持すると極めて厄介な代物だ。

「パトロールのポリ公なんざぁ丸腰みたいなもんよ」大男はにやけつきながら左手を腰に当て、Five-seveNを掌で回しながら言い放った。男の右手にあるマンションの明かりがチラホラと点きはじめた。

「おめぇら俺に目が合ったやつからぶっ殺す!」

 アビーがただでさえ馬鹿でかい声を更にはりあげた。幾つかの部屋でサッシの開けられる音が止まり、ピシャリと音を立てて閉じられた。更にもういくつかの部屋は再び蛍光灯が消され、暗闇の中で一部始終を見届けるようだった。

 アビーの目測で約150m。大凡の状況を把握しているのか二人の不審者からかなり離れたところにPCが止められ、二人の警官が車を降りた。

「そこで何をしている!」二人の警官が距離を詰めながら大男に叫びかけた。
「お互い拳銃もって、なにしてるんですかぁは、ねえよなあ!」

 アビーは嘲笑混じりの声で警官に返した。街灯に照らし出された警官の手に拳銃が握られているのが見えた。警察の場合は恐らくSIG P230かニューナンブM60系のものだろう。いずれにしても、火力・使い手ともにこちらが有利と確信していた。

 何回か警察官とのやり取りがあった。アビーたちを動揺させないように極めて慎重な内容の会話であった。アビーとの距離の詰め方もそれに輪をかけて遅々としたものであった。


——あいつら完全にビビッてやがる。もっと詰めてきやがれ。さっさと終わりにしてやらぁ。

 アビーはほくそ笑みながら射撃の姿勢をとった。アビーの射程は約35〜40m。今はその中に入るのを待つのみであった。
お互いの持つ銃は、有効射程が50mだが、これは相手に効果的なダメージを与えられる威力を保てる距離である。加えてメーカー公表なら更にサバが読まれている可能性がある。一般的には拳銃の場合、20m離れた静止目標に当てるのも熟練を要する。
 計り知れないほどの修羅場を潜り抜けてきたアビーは、射撃に関して熟練した技能と才能を持ち合わせていた。

 二人の警官が足を止めた。その距離100m。まだお互いの顔の判別すらつかない。
「ん。なぜ止まる」 アビーが怪訝な表情をした。そして自らのキャリアとインスピレーションを引きずり出し、思索を巡らせ始めた。何者かと交信しているのだろうか?だがしゃべっている様子も、何か操作している様にも見えない。
 アビーの推測は直ぐに崩された。片方の警官が片膝をつき、拳銃をこちらに向けたのである。大男の表情が驚愕の色で埋め尽くされ、言葉を失った。だが、次の瞬間アビーは光曳の傍に駆け寄り、その銃口を頭部に向けた。

「てめぇら、下手な真似するとこいつの脳みそが酔っぱらいのゲロみたいに道端に散らばるぜぇ!」
「10数える間に。銃を下しなさい!10……9……」

 警官たちはアビーの警告を無視したばかりか、向こうから最後通牒を言い渡し、一方的にカウントダウンを始めた。




As Story 〜4〜 ( No.11 )
日時: 2011/08/07 08:20
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

——おいおい、どっちのセリフだ!制服野郎!

 ベテランの運び屋が刹那、冷静さを失った。「野郎!俺の言ってることがわか……?!」

 アビーの背筋に戦慄がはしった。「コード!狙撃手を探せ!どこかにもう一人隠れてやがるはずだぁ!」呆然と突っ立っているだけの相棒に、声を殺して叫んだ。

「え?え?そ、狙撃手ぅ?!」頼りなさげな相棒が泣きそうな声を立てて狼狽した。

——んにゃろう、全然使いもんになってねえ!

「4……3……2……」
万事急須。アビーは最終決断を下した。「コードぉ!ずらかるぞ!」
出し抜けに二人が後方の交差点に向かって走り出し、進行方向に何か小さいものを放り投げた。そして、眼前に信じられないことが起きた。
突如高さ1mほどの虚空に2台のフルカウルタイプのバイクが現れ、そのまま地面をバウンドしながら落下、逃走者が器用にそれに跨ると即座にスロットルを全開にして加速し始めた。

 警官達が一瞬呆気にとられた。更に闇に息を潜める狙撃手が射撃する気配もない。代わりに、我に返った拳銃を構えた警官がアビーのバイクのタイヤに狙いを絞る。固より3人目の警官などいなかったのだ。逃走する目標ターゲットを抑止する狙撃手は今、手のひらより少し大きい程度の拳銃を握っていた。
目標は僅かの間に280mくらいまで離れ、ご丁寧に蛇行までしている。

 警官が僅かに吸気をし、息を止め、SIG P230を握り直す。

「……0」一方の警官が最後のカウントを終える。「風速ゼロ!ゼロインにい!はち!まる!カウントにい!」
 ゼロイン——つまり280m先のポイントで発射地点との相対高度が0になるよう、銃身とスコープを調整しろという意味である。通常は現地に来る前に試射ができるところで数十分、人によっては数時間かけて100m単位でおこなうものである。—— と距離を言い終えるのと狙撃手の警官が調整完了の意の靴を2回鳴らす動作したのはほぼ同時であった。息をつく間もなく早いカウントが始まる。「にぃ!いち!」

 全神経を左右に振れるタイヤの図形に集中する。視界がホワイトアウトし、黒い物体のみが視野の中央に映った。

パァァン……。

 バイクの爆音をかき消すような音が響き渡った。マンションの壁面に跳ね返り、2,3回こだまが続いた。「諏内……」カウントを告げた警官が祈るような気持ちでかすれるような声を発した事に、拳銃を握る狙撃手は気が付かなかった。
 目標までの距離280m。弾丸は、タイヤを捉えていた。タイヤが弾け飛び、大男が一気に姿勢を崩した。しかしガッツポーズをしようとした二人の警官は、再三にわたり現実離れした事態を目の当たりにすることになった。

 弾け飛んだはずのタイヤが瞬時に復元したのである。そして外から力でも加えられたかのように不自然にバイクの姿勢も復帰し、アビーたちは何事も無かったかのように闇の彼方に消え入った。挑発するように手を振りながら……。

 警官たちはただ立ち尽くすばかりであった。

——何だ、今のは……。

 お互いの顔を見合わせることも、対象者を取り逃がしたことを連絡するのも忘れていた。
 驚愕していたのは警官らだけではなかった。自分の状況が夢なのか現実なのか分別のつかない朦朧とした意識の中で、光曳も事の一部始終を否応なしに見せつけられていた。

 今日はあまりに事件が有り過ぎた。夢でも勘弁である。

 凸凹コンビの運び屋。——あいつら横文字で呼び合ってたけど日本人だよな?—— 何故かどうでもいいことが脳裏に浮かんだ。それにしてもあの装備やら乗り物は一体……。
 向こうの警官も普通じゃない。警察が一方的に発砲って聞いたことねぇよ。逃げられてしまってるが、異常な距離で射撃——いや、あれは最早「狙撃」というべきか——を成功させてる。
 最後に、そもそもの原因となった白い光……。

 光曳の脳が突如発生した大量の情報でオーバーフローし、路上で眠りに就いてしまった。

「君、大丈夫か——」

 満天の星と俄かに点きはじめたマンションの部屋の明かりに照らされる中、拳銃をホルスターに仕舞いながら二人の警官が横たわる巨漢の男に駆け寄っていった——。